2007年4月アーカイブ

 北陸3件でATM無料化が加速している。きょうは福井新聞が「10月から県内2銀行と5信金が休日・時間外も含めて相互に無料化する」というニュースを報じた。1月に北国新聞が石川県地銀の北国銀行が時間外・休日の無料化を報じた時、大手マスコミはどこも本紙で報道しなかった。

 全国で進んでいるATMの"無料化"は①提携金融機関の拡大②コンビニとの提携③郵貯との提携などだが、北陸で特徴的なのは、利用者にうれしい「休日や時間外の無料化」が進められている点である。

 北陸3県の地銀間の時間内の相互無料化、石川県の信金の完全相互無料化は進んでおり、北国銀行と富山第一銀行は4月から24時間365日の無料化を開始した。今回の福井県の銀行+信金による無料化は石川県と富山県にも拡大するものとみられ、近い将来、郵貯ATMの包囲網は磐石となることはほぼ確実だ。
 
 ■ATM手数料 県内7機関10月から相互無料【福井新聞】
 ■ATM完全無料化で提携 福井の7金融機関、石川にも影響か【北国新聞】
 ■國銀がATM完全無料化 地銀で初、4月めどに 時間外手数料も不要【北国新聞】
 ■ATM手数料 無料拡大 北陸の信金【北日本新聞】
 ■JAバンク石川も参戦 ATM無料化【北国新聞】
 ■福井銀も無料化へ ATM時間外手数料 北國、富山第一銀と連携【北国新聞】
 ■ATM無料化で提携 石川、福井の10信金 6月から実施【北国新聞】

 イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年。ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかった。そして1832年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとダベンポートによって開発される。ここまで電気は直流のことだった。

 そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことなのだ。

 しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が"供給"されていなかった。そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。もちろんそれは直流だった。

 交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化された。エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。

 直流方式は電圧降下のため、半径3キロ程度しか送電できなかったが、交流だと、高い電圧で送電して、どこでも100ボルトに下げられる。送電の効率からすると直流は交流に対抗できるはずもないことがやがて分かった。

 しかし、エジソンは最後まで直流に固執し、高圧の交流がいかに危険かを示すため、イヌやネコを感電させる実験までして抗議した。おもしろいエピソードとして残っているのは、エジソンがつくったGEの当初の会社名はエジソン・ゼネラル・エレクトリックだったが、エジソンの態度にあきれた後継者たちが、会社名からエジソンを取ったということだ。

 発明王の最初のつまづきは直流に固執したことだったと思っていたら、四国新聞の4月23日のコラム「一日一言」にエジソンの最初の失敗作は「1868年、21歳の時に初めて特許を取得した発明品は『電気投票記録機』である」との紹介があった。

「議会の採決の際、いちいち投票箱まで歩いていくのは時間の無駄。議席でボタンを押せば、たちどころに投票結果が分かるようにすればいいじゃないか―。エジソンは自信満々に議会に売り込んだ。しかし議会は導入を断った。採決に時間をかけるのは戦術の一つだし、この機械を使うと少数派の言論が奪われかねないとの理由だった。エジソンの発明は必要ないと判断された。」のだそうだ。

 19世紀の中ごろにすでに「電気投票記録機」が発明されていたというのは驚きだったが、アメリカ人がその最新鋭の機械の導入を断った理由が"民主主義に反する"というのも興味ある判断である。
4月24日付・機械を超える議員に【四国新聞】

 (等松英尊)
 10年以上も前から「セカンドハンド」というリサイクルショップを経営してその収益でカンボジアに学校を建設しているNPO法人が高松市にある。代表は新田恭子さん。本業はフリーのアナウンサー。国連教育科学文化機関(ユネスコ)主宰のカンボジアでワークショップに参加してから直ちに行動を起こし、ほとんど一人でカンボジア支援のスキームをつくった。そのNPOから年に4回「セカンドハンド通信」が届く。その度に「偉いもんだ、かなわないな」とただただ頭が下がる。

 人間は弱くて忘れやすいから、読んだ翌日から日々の仕事や生活に埋没してしまう。また3カ月すると「あー、そうだった」と何も出来ない自分を振り返る。それでも新田さんのおかげで年に最低4回は自分の行いを振り返る時間をつくってもらっていると感謝している。

 このニューズレターには毎回、胸きゅん物語が書かれている。昨日届いた「48号」には、カンボジア南東部のスヴァイリエン州のコープリン村での15校目の学校建設の経緯が紹介されている。3月25日、村で建設決定を発表する席で新田さんは村民に向かってスピーチをした。

「日本は豊かだから学校建設なんて簡単な支援だと思う人もいるかもしれないけれども、決して簡単ではなく、この資金の陰には多くのボランティアの方々の協力、支援者たちの思いがあるんです」

 学校から国道まで10キロの道のりがあり、自動車も満足に走れない。学校建設のためにはまずは資材を運ぶために道路建設から始めなければならなかった。地区の村民には農地提供と道路建設の協力を仰いだが、なかなかよい返事をできない村民もいた。村長の一言が村全体を動かした。「私たちにはいくら努力しても建てることが出来なかった学校が今現実になろうとしている。村の子どもたちが読み書き、計算できることで将来が大きく変わる。知識は何よりの財産だから、今私たちが農地を提供することで子どもたちの未来を開こう」と呼び掛け、全員の合意を得ることができたという。

 セカンドハンドが、この地区に学校がないことを知ったのは同NPOが支援している職業支援センターの職員が遠くてセンターに通えない人たちのために実施している出張指導がきっかけだった。以前に村民がお金を出し合ってお金ができた分だけ少しずつ、2教室から校舎建設から始まったが、その後が続かなかった。事情を知ったセカンドハンドは別の土地に5教室の学校を建設することになった。

 その記事の下に小さい字で「※」の解説があり、「この学校建設事業の一部に匿名希望の方から、生前、教育に熱心であったご両親の遺産を充ててほしいとご寄付いただきました」と書かれてある。なかなかできることではない。日本も捨てたものではない。

 寄付で成り立っている途上国支援のための慈善団体は数多くある。問題は人件費や経費でせっかくの寄付金が生きないことである。しかし、セカンドハンドだけは違う。新田さんの強力な指導力で売り上げや寄付のほぼ全額がカンボジアにわたる。ぜひ、あなたも胸きゅん一族に仲間入りしてほしい。
 4月17日、半休を取って静岡市に向かった。京都の知人から連絡があり、上賀茂神社から140年ぶりの葵使が久能山東照宮にフタバアオイを献上するから参加しないかと誘われた。17日は徳川家康の命日で、毎年全国の徳川ゆかりの人々が集まる御例祭の日だった。

 東照宮は日光が本家だと思っていたが、実は久能山が本家なのだ。久能山には家康の墓があり、日光の東照宮は久能山から分霊されたものであることを初めて知った。葵使は「家康の命で1610(慶長15)年、上賀茂神社に自生していたフタバアオイを駿府城へ献上したのが始まり」。その後は江戸城にも献上していた。

 明治維新で幕府が崩壊し、葵使もなくなった。上賀茂神社などがフタバアオイを平和や環境のシンボルとして復活させようと話し合う中で、江戸城への行程を記した古文書が見つかったことが分かり、神社と「京都紫野ローターアクトクラブ」などが復活を企画した。

 来年の日本でのサミット開催地は北海道の洞爺湖に決まったが、京都は最も有力な候補地だった。たぶん警備を最優先して洞爺湖のホテルに決まったのだろうと思う。もし京都での開催となっていれば、主要国の首脳に子どもたちが育てたフタバアオイを"献上"しようという構想も一部であった。

 賀茂川上流一帯に群生していたフタバアオイがほとんどなくなってしまったのは、開発が原因とされている。もともと清流を好む植物なので川の汚れに耐え切れなくなったのだろう。京都は1997年に世界環境サミットが開かれ二酸化炭素の削減を求めた「京都議定書」を締結した地。地球的環境問題の"メッカ"的存在となっている。フタバアオイに込められたメッセージは「環境」なのだ。

 その京都のフタバアオイが持つメッセージを世界に広めたいとするのが「葵プロジェクト」の一面でもある。洞爺湖でのサミット開催で各国首脳へのメッセージ伝達は不可能となったが、プロジェクトは終わったわけではない。始まったばかりである。息の長い運動を全国に広げてもらいたいと思う。
 <strong>一夜明けて 見えない政策、人物像</strong>【長崎新聞】

 長崎新聞は企画記事の冒頭「つい4日前まで一職員にすぎなかった人物が、45万市民の暮らしを預かる行政トップに登り詰めた。付き添う2人の秘書課職員が、置かれた立場の変化を象徴していた」と書いた。
 伊藤一長前市長の死去による追加立候補で、選挙期間が3日しかなかったことに加え、弔い合戦で娘婿の横尾誠氏が優勢と考えるのが普通だが、結果は予想を大きくくつがえすものだった。無名の一職員が3日で 78,066票を獲得できたからくりが知りたい。

 <strong>公約実行へ全開 反核町長の「長い1日」</strong>【高知新聞】

 高知県東洋町の新町長となった沢山保太郎は、「原子力発電環境整備機構の理事長に少し緊張しながらも毅然(きぜん)とした表情で直接電話。応募撤回を求める文書は職員に任せることなく、自身が野根郵便局に直接出向いて配達証明付きで郵送した」。
 Wikipediaの「革命的共産主義者同盟全国委員会」(中核派)には「1973年、部落問題をめぐる意見の対立から沢山保太郎が除名」とある点に注目したい。

 <strong>夕張新市長 藤倉氏会見 市民会議3カ月内に 医療・福祉を最優先</strong>【北海道新聞】

 財政再建団体となった北海道夕張市の市長選で初当選した元会社社長藤倉肇(ふじくら・はじめ)氏が二十四日、札幌市内で北海道の高橋(たかはし)はるみ知事と会い、「どんなことをしてでも夕張を良くしていきたい」と決意を語った。
 藤倉氏は知事公館で、高橋知事と約十分間会談。宮崎県の東国原(ひがしこくばる)英夫(ひでお)知事を例に「夕張市長に会おうという観光ツアーができるぐらい頑張りたい」と述べると、高橋知事は「大変な時期だが、再建に努力してください。道としても支援していく」と応じた。
 夕張市は藤倉次期市長の下で約三百五十三億円の赤字を十八年間で解消する再建計画を進める。想定を上回る人口流出も起きており、市民が希望を持てる地域の早期再生が最大の課題となっている。(共同)

 (紫竹庵人)
 各地でタクシー運賃値上げの動きが出ているが、地域によっては値上げを断念したり、逆に初乗り運賃を値下げする動きも出ている。47ニュースの面白みは興味ある地方紙の記事をヒントにサイト内検索すると、思わぬ情報に出会うことである。

 きょうのニュース探索の発端は岩手日報の「止まらぬ競争激化 岩手県内のタクシー業界」という記事。盛岡地区では初乗りを280円に設定する動きもあるというのだ。

 「タクシー」「運賃」で47サイトを検索すると72件の関連ニュースがヒットした。石川県では金沢地区以外で値上げの申請率が規定の7割に達しないため、全県での値上げが微妙になっているという。
仙台地区はすでに「運賃上げ見送り」なのである。

 驚いたのは「美唄でタクシー値下げ戦争 初乗り全道最安 業者、もう限界」という北海道新聞の記事。初乗り運賃「230円」のタクシーがすでに存在しているということである。もちろん初乗りの距離は短いがほとんどバス運賃とほぼ同じである。

 道新の記事によれば「値下げの口火を切ったのは美唄交通。以前は3社とも初乗り1・4キロまで530円だったが、2004年3月、「近くまで乗る高齢者などに少しでも乗車回数を増やしてもらう」と470円に下げた。他の2社も追随し、同年12月に相次いで470円になった。すると、美唄交通は05年10月、初乗り700メートルまでを310円に値下げ。他の2社も対抗して昨年3月に同じく270円に下げたが、美唄交通は同11月、さらに40円安い230円にした」ためなのだそうだ。

 タクシーの運転手からすれば大変なはずだが、逆にここまで料金が下がればバスがやっていけなくなる。近距離ならみんなタクシーに乗ればいいということになる。複数で乗れば一人当たりの負担はさらに安くなるというものだ。

 さらに古い記事を検索していると西日本新聞1月12日の「パンダタクシーが初乗り290円」という記事もあった。福岡の通常の初乗りは590円で1・6キロまでなのだが、パンダは850メートルまで290円という。初乗り200円台は珍しいことではないのだ。安いタクシー運賃の話題はまだまだあるかもしれない。それぞれの県内の話題としては当たり前の話なのかもしれないが、きょうは驚きの連続だった。
しきしまの大和心を人とはば 朝日ににおふ山桜ばな


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 あまりにも人口に膾炙された本居宣長のうた。国学の開祖の一人である宣長の墓は松阪市郊外の山中にある。生前自ら設計した通りにつくられ、そこに一本の山桜を植えるよう命じた。宣長が死んだのは1801年だからすでに200年以上の歳月が経つ。


 200年前に植えられた山桜ではないが、今も宣長の奥墓には一本の山桜が立つ。周りの桜が盛りを過ぎたころ、その一本の山桜が花をつかせる。宣長の山桜 は山の杉の木立に競うように上へ上へと伸びている。ひょろ長い桜木は美しいとはいえないが、この時期、遠路訪れた旅人の心を潤わすものがある。


 宣長がひとかどならぬ桜狂となるには理由がある。長く実子に恵まれなかった父親が吉野の水分神(みまくりのかみ)に通ってようやく生まれたのが宣長だっ た。自ら吉野の桜の精と信じたとしても不思議でない。晩年、門人たちを引き連れてこの時期、吉野へと旅立ち、『菅笠日記』をものにした。桜追慕の旅日記で ある。


 宣長の生涯の師匠となった賀茂真淵もいい桜のうたを残している。


 うらうらとのどけき春の心より にほひ出でたる山桜ばな

 もろこしの人に見せばや三吉野の 吉野のやまの山桜ばな


 (平成の花咲爺)

 <strong>投票率99%、棄権2人だけ 新潟県粟島村議選</strong>

 新潟県粟島村の村議選(定数8)では有権者数303人のうち、入院などの理由で棄権した2人を除く301人が投票、投票率は99・34%だった。過去2回は無投票だったが、今回は9人が立候補し12年ぶりの選挙となった。選管によると開票作業は20分で終了。親せきで同姓の候補者もいたが無効票や案分票はゼロ。最低当選ラインは31票。たぶん日本一「重い一票」の選挙だったのだろう。粟島村には申し訳ないが、有権者が300人ならば、わざわざ議員を選ぶまでもない。地方自治法に残る「村民会議」でものごとを決めればいい。そんな印象を得た。

 落選した9人目の松浦武次氏は55歳の"最年少"。詳しい事情は知らない。偶然かもしれないが、この村では"年功序列"で決まる???

<strong>◆◆粟島浦村議選 開票結果(定数8―9)選管最終◆◆</strong>

 当    38  脇川  登 63 無新 (1)
 当    38  本保 清逸 64 無新 (1)
 当    35  本保 信勝 67 無現 (3)
 当    35  菅原 米男 71 無現 (4)
 当    33  本保  茂 69 無現 (5)
 当    32  松浦 春次 66 無新 (1)
 当    32  本保 友明 57 無新 (1)
 当    31  脇川 為雄 64 無新 (1)
      27  松浦 武次 55 無新    

【注】カッコ内数字は当選回数。無は無所属。


<strong>あと54票...ああ再試合 宮城・加美町長選 支持者複雑</strong>

 夕張市長戦は7人が立候補して、再選挙も懸念されたが、藤倉氏が乱戦を制した。宮城県の加美町長選では54票足らずに再選挙となった。再選挙は過去に3例あるそうだ。同日投開票のフランス大統領選は得票1位のサルコジ氏が過半数を取れず、2位のロワイヤル氏と決戦投票となった。日本の場合、有効得票の4分の1を取れないと再選挙となるが、フランスの場合は過半数。どちらが民主的かと問われれば、フランス大統領選に軍配を上げざるを得ない。

<strong>草の根運動で激戦制す 上小阿仁村長選当選の小林宏晨</strong>氏

 村内で3人の小林さんが村長選に立候補、元大学教授の小林宏晨氏が"激戦"を制した。なんと24年ぶりの村長選だというから驚く。3人の小林さんはそろって現村長である北林氏の教え子なのだというからおもしろい。小林宏晨氏は上智大学を卒業後、ドイツで博士号を取得した学究派、著書も多数ある。まだ69歳、生まれ故郷に戻ってどんな村づくりをするのか注目したい。

 <strong>6人の「百瀬」さんが当選 長野県波田町町議選</strong>

 長野県波田町の町議選(定数12)では立候補した14人のうち、百瀬姓6人全員が当選した。これまでも議長、副議長含め3人が百瀬姓だったが、これで半数が百瀬姓となる。百瀬姓だからすべての議題で一致するとは思えないが、"親族"が結集すれば町政は動かせる。うーん。

 町民1万5000人のうち百瀬姓は6%で最多なのだそうだ。これは圧巻である。苗字でなく名前で呼べば問題はないというかもしれないが、6%つまり900人の百瀬さんがいるとなると区別、判別は難しくなる。ちなみに議長は百瀬今朝春さんで、副議長は武春さん......。

百瀬武春   73 農業          無現
百瀬禎省   71 [元]校長       無現
百瀬今朝春  74 卸業          無現
百瀬清子   67 [元]銀行員      無新
百瀬智     54 会社員         無新
百瀬友宏   71 [元]自衛官      無現

プリティ長嶋氏トップ当選 「満塁ホームランの気分」市川市議選

「夕張の営業マンに」新市長に藤倉さん 民間の経営手腕強調
 京都を訪ねて御所が左京区にあるのをおかしいと感じた人は相当な京都通だ。御所を中心に左右があるはずなのに。歴史教科書の平安京の配置図は覚え ていると思う。あの図は設計図のようなもので実際建設されなかった部分も描かれてあると教わったこともあるが、これは定かでない。


 平安時代、内裏は度々の火災で焼失した。内裏が再建される間は里内裏といって貴族の邸宅に仮御所が営まれたが、鎌倉時代、天皇と幕府が対立して起きた承 久の乱(1221年)の前後に消失して以降、再建されることはなかった。再建中に里内裏とされていた土御門東洞院殿、つまり現在の御所が正式の内裏となっ た。後堀川帝の時代である。


 東洞院は上皇のお住まいの意味で、現在の京都御所には仙洞御所が東側にある。土御門殿といえば、藤原道長が住んでいた寝殿造りの邸宅。後に後白河上皇の所有になったこともある由緒ある場所である。これが明治2年まで続いた内裏である。


 桜とは縁のない話ではない。その里内裏でも左近の桜だけはずっと殿上人たちに春の訪れを伝えていたということだ。(花咲爺)

2007年04月12日(木)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口坦
  もうかなり前から世界中で、イラクというとベトナム戦争を連想する人が多く「第二のベトナム」というコトバをよく見かける。特に日本ではこの傾向が強いよ うで、面白いことに「泥沼化」という比喩とむすびつく。また演説しているブッシュ大統領を見ていてベトナム戦争当時のニクソン大統領の「苦しい表情」を思 い出す人までいるそうだ。でもこうしてイラクにベトナムのイメージを重ね合わせることで、いろいろなことが見えなくなる危険があるのではないのか。

 ■分割支配の進行

 ベトナムを連想して「泥沼化」という以上、米国が悪い状況に落ちこみ抜け出ることができなくなって困っていることになる。確かに私たちにそのようにみえ る。というのは、毎週多数の米軍兵士が死傷し、それより遥かに多数のイラク人も同じ運命に遭遇しているからである。それだけでない。国連難民高等弁務官事 務所によると、イラクの難民数が340万に及ぶ。

 米国の政治指導者は本当にこのような現状に困っているのだろうか。私たちがそう考えるとしたら、彼らを勝手に誤解して自分たちと同一視しているだけかも しれない。これは人間を等身大に見たいという私たちの「人類皆兄弟」的願望の表現ではないだろうか。今こそ私たちは、米国のイラク侵攻前に世界中で取り沙 汰された戦争目的を思い出すべきで、そうすると戦争の「泥沼化」などといってられない気がする。

 例えば、米国に楯突く独裁者フセイン打倒はきわめて重要な戦争目的であった。というのは、自国に敵対する独裁者の存在を認めることはエネルギー資源に重 要なこの地域で長期的にみて米国が影響力をうしなう端緒になるからだ。ということは、今後この地域で影響力を強めるためには、以前のような強力な中央集権 的支配体制が生まれないで、北部クルド人、中部のスンニ派、南部のシーア派といった具合に三つの国に分かれてくれるほうが都合がよい。  

 例えばバグダッドから290キロ北に位置するキルクークには重要な油田がある。ここはもともとクルド人居住地域であったが、フセイン時代には彼らが追い 出されて、イラク南部からアラブ人を移住させる「アラブ化」がすすめられた。今年この町がクルド人居住区に帰属するかどうかの住民投票がある。ニュースに よると、3月27日にイラク政府は元の居住地域に帰るアラブ人に1万5千米ドルの補償を支払うことを決め、これに不満な法務大臣(スンニ派)が辞職したと いう。重要な油田が一番親米的なクルド人といっしょにくっついているほうが米国にとって好ましいことはいうまでもない。

 混住地域がなるべく少なくなることこそ、「スリムで安定した三つの国家」が出現する前提条件である。現在の内乱状態も難民の大量発生も、この条件が整っ ていく過程である。こうして統一国家が名前だけになることは、米国がこの地域で影響力を強化するという目標へ進んでいることを意味する。「ベトナム化」と よんだり、米政治家の顔に「苦しそうな表情」を見たりするのは、このような側面から眼をそむけることにならないか。

 ■「米、戦争目標ほぼ達成」

 戦争をはじめる米国の指導者にイラクの原油に対する特別な関心があることが噂されていたが、その話はどうなったのか。

 今年に入ってからイラクで石油法を作成しているというニュースが何度か流れる。最新のニュースは4月4日で、欧米の幾つかの新聞が閣議で承認されたイラ クの新石油法について報道している。例えばスイスの町ザンクト・ガレンの新聞・「ザンクト・ガラー・タークブラット」に「米、戦争目標ほぼ達成」という題 名の興味深い記事がでている。この記事を中心にまた他の報道を参考にしながらイラクの石油の運命をしるす。

 この石油法はイラク油田の民営化のための法案で、採掘権取得者は今後30年に渡って投資の採算がとれるまで生産量の70%を無税で自分のもにすることが できるという。産油国政府と石油会社との契約では後者の取り分は20パーセントが普通とされるので投資家に対して桁違いに気前がよい。その結果投資利益率 も業界平均の12%でなく、42%から162%に達するといわれる。ここでいう採掘権取得者とか投資家とかよばれているのはメジャー・国際石油資本であ る。

 この民営化法案は現在稼動中油田には適用されない。ところが、イラクにある80油田のうち17しか採掘されていないので、法案によって外国資本に渡る シェアは64%になり、今後探鉱される埋蔵量分まで考慮するとイラクの原油の80%が外国資本の手に移るといわれる。また採掘権取得者は油田操業や開発の ために直ちに投資しなくてもいい条項があるので、契約だけ済まして現在の混乱状態がおさまるまで待っていることができる。

 スイスの新聞に「ほぼ達成」とあるのは、多数の議員が外国に住んでいるために議会が定数に達しないからである。このスイスの新聞の記述によると、法案は 米コンサルティング企業ベリング・ポイント社が作成し、英語からアラビア語に訳されたという。またサウジなど産油国の油田は国有であるのに、この法案でイ ラクは先頭に立って民営化の道を進むことになる。

 この油田民営化法案で埋蔵量世界第三位のイラクの油田にストローを突っ込んで今後30年間空っぽになるまでをチューチュー吸うことができる。このような事情を考えると、イラクの「泥沼化」というのは不適切である。

 ■米国の「イスラエル化」

 開戦前にうわさされた戦争目標を脳裏に浮かべて米戦死者数や膨大な戦費を考慮すると、イラク侵攻が米国の国益に合致する合理的な決断だったとは考えにく いのではないのか。米国はこりないらしくイラン攻撃のうわさが跡を絶たない。このような事情から米国の政権担当者がわざと自国を弱くしようとしていると思 う人もいる。私たちはどのように考えたらいいのか。

 去年の3月、シカゴ大学とハーバード大学の政治学者ジョン・ミアシャイマーとステファン・ウォルトが書いた「イスラエル・ロビーと米外交政策」という論 文が欧米諸国のメディアで注目されたのは、このような疑問にこたえていると思われたからである。この論文の著者によると米国社会ではいつの間にか自国の利 益とイスラエルの国益とが区別されなくなってしまったという。

 これは、米政治家がイスラエルの政治家と似たような意識をもつことである。ヨルダン川西岸地区ユダヤ人入植は1970年代のカーター米大統領にとって 「不法行為」であったのが、80年代レーガン時代には平和実現のための「障害」に後退し、その後はせいぜい「事態を複雑にする要因」と表現されるだけであ る。これも米国がイスラエルの見方を受け入れる過程をしめす。

 そうなったのは、論文の著者の見解では、イスラエルのロビー活動の結果で、なかでも米・イスラエル公共問題委員会(AIPAC)は影響力の強いロビー団 体で、その人脈はキリスト教原理主義者やネオコンなどの保守主義者だけでなく、リベラルな民主党にもまたがり、議会でも息のかかった議員が過半数をはるか に超えるとされる。イスラエルにもいろいろな考え方の持ち主がいるのに、このロビー団体は、大イスラエル主義を奉じて「オスロ合意」に反対し、そのために アラブ諸国の脅威を強調する右派のリクードと同じ立場をとる。

 米国は、イラク侵攻前に、もしイラクが核兵器をもっていたとしても、核保有国のソ連や中国と共存している以上、あれほど脅威に感じる必要などなかった。 でもフセインを危険視したのは、米国がリクードと同じ「メガネ」で中東の現実を見るようになっていたからである。だからこそ、著者は「イスラエルのロビー 団体の努力がなかったら、米国が2003年3月に戦争をする可能性は遥かに低かった」(35頁)としるす。

 リクード的思考に従うと、中東諸国は改造されて民主化されなければいけない。そう思うのは、民主化するとイスラエルに友好的になり、テロリストもいなく なるからと考えるからである。中東改造推進者にとってイラク戦争は第一ラウンドに過ぎず、第二ラウンドはイランが相手である。

 米・イ公共問題委員会(AIPAC)の今年度総会のあった3月12日にチェイニー米副大統領が演説し、イラク駐留米軍の撤退を求める自国政治家を非難 し、撤退が大量破壊兵器をつかいたくてしかたがないイランやテロリストたちを勇気づけるだけだと警告して、六千人の出席者から拍手喝采された。またオルメ ルト・イスラエル首相はイラクで米国が軍事的に成功することの必要性を強調するだけでなく「米がイランの脅威に対して効果的に対処することができないとい う印象をアラブ諸国にあたえてはならない」と訴える。

 米議会で多数を占める野党の民主党は、国防省予算案に議会の同意なしに大統領にイラン攻撃を禁じる追加条項を盛り込もうとしていた。ところが、米・イ公 共問題委員会総会でこれをあっさり断念して、あらためてイスラエル・ロビーはその力を全世界に見せつける。当時これがイラン攻撃に対する民主党の同意と見 なされ、ペルシア湾に3隻めの航空母艦がはせ参じるだけでなく、イラクで米軍がイラン国境に配備されたことも手伝って、モスクワから「第二ラウンド近し」 という予想が流れた。でも、けっきょくは原油価格が上昇しただけであった。民主党は本来共和党よりイスラエルに近いので、イラン攻撃がはじまったら賛成す る。この事情こそ、国際社会で第二ラウンドを不可避と思う人が多い理由である。

 論文の著者・ミアシャイマーとウォルトによると「イスラエル・ロビー」はタブーテーマで、問題にした人は暗黙のうちに「反ユダヤ主義者」として扱われる という。この「反ユダヤ主義者」非難は欧米で極右扱いをされることで、効果的な口封じになる。こうして米国人がリクードと同じ「メガネ」で中東の現実を見 るようになることは、米国の「イスラエル化」というべき現象で、これも「ベトナム化」ばかり考えていると見えなくなる。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2007年04月11日(水)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
  カーター政権の大統領補佐官のブレジンスキー氏の「セカンド チャンス」が最近のノンフィクション分野のベストセラーである。80歳前とは思えないほど、 実に精力的なブレジンスキー氏の講演をSAISで聴いた。将来への展望を示唆する重要な要素が多分に含まれているので、筆者の視点と併せ考察する。

 ブレジンスキー氏は、冷戦後の3人の米国大統領の比較において、世界の警察官としての国際秩序の構築を目指したブッシュ1大統領、グローバリゼーション の効用を国内政治と絡め米国の発展に貢献したが、中東問題で何の貢献ももたらさなかったクリントン大統領、そして米国の単独主義の失敗で米国のイメージを 大きく 崩したブッシュ2大統領と分析している。

 新たなる悪の枢軸、米国 

BBCが世界の安全保障に悪影響を及ぼしている国に関する調査を行なった。上位三カ国がイスラエル、イラン、米国の順にほぼ同列に並ぶという結果が出た。 これに対し、ブレジンスキー氏は、この三カ国を「新たなる悪の枢軸」と表現している。5年前の一般教書演説でブッシュ大統領は、イラン、イラク、北朝鮮を 「悪の枢軸」と主張したが、今日では、米国のイラク戦争をはじめとする失策に対し、国際社会は、米国を悪の枢軸のトリオとして組み入れているのである。

 筆者は、4年前のイラク戦争勃発前に、大西洋を挟み米国の単独主義と戦争関与を否定するフランス、ドイツ、ロシアのスタンスを観て「平和の枢軸」と考え た。また、今日、イラク戦争を通じ恩恵を受けた国という視点では、ロシア、中国、北朝鮮、そしてイスラエルを「恩恵の枢軸」と観ている。イ ラク戦争で最も恩恵を受けたのは、「文明の衝突」を書いたハンチントン教授だという声も聞かれる。なぜな14年前にハンチントン教授は、いち早くキリスト 教国家とイスラム教国家の衝突を予測したからである。

 ブレジンスキー氏は、とりわけ4年前のバクダッドへの先制攻撃に始まる米国の単独武力主義を強く批判している。米国は冷戦に勝利し共産主義を崩壊させた が、ブッシュ政権の軍事力による干渉は、まるでレーニンの力による国家統制や干渉と類似していると主張している。レーニンとブッシュの共通項は、武力で世 界を変 えることにあるとの見方は実に面白い。マルクス主義は、唯物論でありそれを支持するレーニンと、宗教や唯心論を重視するブッシュの全く違ったイデオロギー を有する両方が、軍事力を万能と考えているのである。

 また、国際テロという敵が明確でなく、明確な勝利と出口戦略が見えない歴史上初めての戦争において米国の安全保障戦略は、大きな間違いを犯していると指 摘している。具体的には、「ホームランドセキュリティー」において、テロのターゲットになる特定の場所が幾何学的に増え、混乱に巻き込まれていることで ある。例えば、テロのターゲットにカジノ、ゴルフ場、スイミングプール、コカコーラの販売所などが含まれている。どうしてゴルフ場などが含まれるのか理解 できない。安全である所が危険な地域になってしまえば、結局すべてがテロのターゲットに指定されるということで、防御が不可能になる。現在の米国のインテ リジェンス 機能の拡散と不明瞭化は、見えなく勝利できない敵と戦っていることに起因していると、ブレジンスキー氏は指摘している。

 スゥイグ・ステーツ日本

 新たな国際秩序の構築の過程におけるブレジンスキー氏の洞察は実に興味深い。米国、EU,そして中国を頂点とする東アジアコミュニティーが、世界の三極 構造を形成しつつある。その過程において、日本、ロシア、ブラジル、インドは「スゥイング・ステーツ」すなわち流動的な弧を描くように動く国家だという 観察である。とりわけ、ブレジンスキー氏は、日本は孤立化するということと、ロシアが西側に対し憤慨的であるということを懸念している。このようなユニー クな地政学的局面において、NATOの拡張に伴い、日本が安全保障の一環としてNATOとの協力を深化させる可能性があると指摘している。

 米国の石油資源獲得に重要な世界戦略基盤、並びに米軍のトランスフォーメーションの戦略として、東欧、中東、インド、中国、北朝鮮のラインを「不安定の 弧」と考えている。同じく日本の麻生外務大臣やインドのシン首相は、朝鮮半島、ベトナム、インド、中東諸国、トルコ、東欧に及ぶ弧のラインを「自由と繁 栄の弧」と考察している。米国が不安定と考える弧を日本やインドが異なった期待感で観察しているのが興味深い。いずれにせよ、「不安定の弧」も「自由と繁 栄の弧」もユーラシア大陸における中国の勢力を緩和させる戦略が含まれていると思われる。

 新たな国際秩序の構築と日本の役割

 日本では日米同盟が基軸であり、それが揺れ動くことはないとの見方が強いと思われるが、ブレジンスキー氏のように日本を揺れ動く弧と考察する視点を観 て、新たなる国際秩序の構築が想像を超える速度で推進されていると思われる。

 筆者はかねてから安全保障には、4つの形態があると考察してきた。第一は、覇権安定型、第二は、勢力均衡型、第三は、集団的安全保障、そして第四は、協 調的安全保障、勢力の調和である。例えば、冷戦に勝利した米国は、テロとの戦いにおいて覇権安定型を目指したが失敗した。NATOは、軍事を基本とする集 団的安全保障である。北東アジアは、朝鮮半島の38度線を境に勢力均衡型の冷戦構造が未だ残存している。

 ブレジンスキー氏が指摘するように日本がNATOの拡張に伴い、中国やロシアを牽制する意味でも大西洋を挟む米国とヨーロッパの集団的安全保障体制と並 び、日本とNATOとの協力、すなわち日米同盟にヨーロッパが加わるという安全保障体制も将来起こりうると考察する。

 しかし、それはあくまで軍事を基本とした安全保障である。願わくばアジアにおいてEUのような経済協力を主体とした協調的安全保障や勢力の調和 (Concert ofPower)が実現されることを期待したい。でも、その過渡期において集団的安全保障体制がない東アジアにおいて、NATOとの協力で日本の安全保障 体制を強化するのも重要であると考察する。究極的には、日本は核を持たぬ平和国家として経済協力や文化協力によるソフトパワーや人間の安全保障を礎とした 新たなる国際秩序の構築を目指す、地球社会の推進役を果す役割を担っていると考察する。

 ブレジンスキーの講演を観ることができます。
  <http://www.sais-jhu.edu/> http://www.sais-jhu.edu/

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 中野さんにメール mailto:nakanoassociate@yahoo.co.jp

吉野の花 左近の桜みな一重にてこそあれ(徒然草)


 4日から京都御所が一般公開された。「左近の桜」は南殿つまり紫宸殿の前庭の東側に植えてある桜のことである。西側には「右近の橘」がある。桓武天皇が 平安京に遷都したときには左近には梅の木が植えてあった。やんごとなき樹木を左右に植えるのは中国の宮廷の影響だろうとされている。橘は柑橘系の木で中国 から伝来し、果実が尊ばれ、冬でも落葉しない。桜は日本古来の木で花を愛でる。二つの樹木は対照的である。


 紫宸殿の庭には左右に左近衛府と右近衛府という近衛兵の府があったことから左近、右近とよぶようになった。紫宸殿に向うと桜は右にあるのに、なぜ左近な のか。この左、右は天皇の御座からみて左。右ということだ。左京区も右京区も同じような発想から命名された。ではどちらが位が高いのか。もちろん左であ る。外来の橘より日本の桜が上ということにもなる。


 「左近の梅」が「左近の桜」になったのはいつごろなのかというと、どうやら仁明天皇(833-850)の時代に梅の木が枯れて桜好きだった天皇が桜に植 え替えさせたということらしい。仁明期以前の嵯峨天皇や淳和天皇の時代すでに桜会などと称して桜を愛でる催しはあったが、内裏に初めて桜を植えたのは仁明 天皇だった。当時、文書はすべて漢文が使用され、和歌も万葉仮名が使われていたが、まもなくひらがなが生まれる。日本が唐風から脱皮して日本の古典文学が 花開くにはまだ時間がかかるが、日本人自身が"日本"を意識し始める兆しが左近の桜の誕生となる、といったらいいすぎだろうか。


 以来、内裏は何度も消失したがその度に新たな桜が植えられてきた。天徳4年(940)、内裏が何度目かの消失に遭って再建された時、重明親王弐部卿の家 の桜を植えたという記録があり、それは吉野の山桜だったとされている。現在も左近の桜は山桜である。平安時代、日本には接木という手法が知れ渡っていたよ うで、貴族が競って移し植えていたとされ、重明親王弐部卿の家の桜も元をたどれば左近の桜の接木だったかもしれない。今に到るも左近の桜がずっと同じク ローンだったら面白い。(花咲爺)

高砂の尾上の桜咲きにけり 外山の霞たたずもあらなむ


 東京は桜が満開になってから天候不順である。きのうは黄砂とまがうほど空が低かった。今日も雨模様である。せっかく桜が咲いたのに「外山の霞たたずもあらなむ」という気持ちである。

 またまた百人一首から選んだ和歌の作者は大江匡房(おおえのまさふさ)。子どものころ百人一首にのめり込み8割がた覚えて近所のお兄さんたちに勝 負を挑んだことがある。中学生や高校生に勝つのが楽しかった。意味も分からず覚えた和歌は相当程度今でも覚えている。最近は暗記をばかにする風情がある が、とんでもないことである。暗記こそが勉強だったと今頃になって思い返している。

 大江匡房は、後三条天皇と白河上皇の信任をえた平安時代有数の碩学。時に菅原道真と比較された。頼朝の家臣となって鎌倉幕府設立を支えた大江広元の曾祖父である。小学生のころはそんなことはどうでもよかったのだ。

 僕らの世代はこの時代の歴史をほとんど知らない。どうしてか最近分かった。古典つまり『平家物語』を読んでいないからである。先日は薩摩守忠度の ことを書いたが、匡房はもう少し前の人物である。源氏方は八幡太郎義家が棟梁だった時代。奥州の清原氏が滅亡に追い込まれる「後三年の役」で金沢の柵で雁 の列が乱れるのを見て伏兵を察知したのは匡房から孫子などを教えられていたからだという。孫子の兵を語る傍らこの季節には桜が気になって仕方ないのはやは り日本人ということだろうか。ちなみに全国の八幡様はこの義家を祀ってある。(平成の花咲爺)

2007年04月04日(水)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
 ワシントンのシンクタンクが開催するセミナーやシンポジウムに朝から晩まで、出席している。何がそうさせるのか自分でも理解に苦しむ時がある。国際フリーター、NGI(非政府個人)である筆者の力なんて一滴の水に等しく水泡に帰するのはよく分かっている。

 でも、白洲次郎氏の次の言葉は今も生きているように思われてならない。「アメリカの生産能力をほんとに知っている人が、日本の中枢に一人おったら-1人 じゃ弱いだろうけれど、3人おったら、戦争は起こらなかったよ。みんな知らないんだ」。

 中国、ロシアを中心とする上海協力機構の拡張がG7や半世紀を迎えたEUに大きな影響を与え、確実に21世紀の新国際秩序の構築が始まっている。今ほ ど、日本の地球世界における役割を明確に考察する必要性がある時は、ないと思われる。

 ワシントンで学んだメディアとは、真実と噂と嘘の3つしか伝えないということである。しかし、情勢の変化により、真実が嘘や噂に化け、噂や嘘が真実に限 りなく近づくこともあるように思われてならない。例えば、ブッシュ政権から次のShe or Heの大統領になるプロセスにおいて、真実、噂、嘘が程よく調合され化学のように化けることがあるように思う。

 メディアに大きな影響力を与えているのがシンクタンクである。シンクタンクには、世の中を動かす意思が明確にある。アメリカのメディアにも意思があるよ うに思う。その点、日本のメディアの目的は、シェアを増やすことか、真実を伝えることか、世の中を動かし安定と発展に寄与することか・・・

 約10年前に共同通信の伴武澄さんがデスクになられ、書きたいことも書けなくなった時に、「かぼちゃ」という大阪の小料理やさんのカウンターの席で口こ みでスタートしたのが萬晩報である。その萬晩報が、先日、500万のアクセツを越えた。萬晩報はもはやメディアの公器である。との伴さんの想いは、真実か 噂か嘘か知る由もないが、非マスコミのパワーが地下から湧き出ているということを信じたい。

 萬晩報にぼくがコラムを描きはじめて9年。約120本のコラムを描かせてもらった。最も嬉しい反応をたまたまインターネット上で見つけた。小久保厚郎さ んの非マスコミの力を読み、萬晩報をはじめとするインターネットのコラムがシンクタンク機能を果しているのではないかという思いを強く持つことができた。 現場の空気から直覚することができる真実をタイムリーに伝えることにより大手メディアの死角を埋めることが出来るように思う。
 http://www.randdmanagement.com/index.htm

 非マスコミの力...  2007年3月3日、イランのMahmoud Ahmadinejad 大統領と、サウジアラビアのAbdullah 国王がリヤドで会談を行なった。
 空港まで、国王が出迎えるシーンの写真が配信された。最高権力者ではない政治家を迎える姿勢としては異例の扱いだ。
 イラン戦争を避けようとの動きがようやく始まったようだ。(1)

 さて、それでは、日本のマスコミはどんな報道姿勢か見てみようと、Google ニュースで"イラン"を眺めてみた。一番上位は「スケープゴート・イラン空爆の可能性」(2)[萬晩報]
 主要なマスコミ以外の報道も取り上げる仕組みになっているとは知らなかった。

 ちなみに、関連記事は48 件. 以下のような記事.
 ・ 「イラン・サウジが域内緊張緩和へ協力、米圧力けん制で」 [読売新聞]
 ・ 「対イスラエルで軟化 イラン大統領がサウジ国王に表明」 [朝日新聞]
 ・ 「宗派抗争の拡散阻止で一致・イラン大統領とサウジ国王」 [日本経済新聞]

 このニュース、ワシントン在住 中野有 氏の2007年3月5日付の論評。
 "ニューヨークタイムズ、2月26日の読者投稿欄のイラン国連代表部の広報担当官の意見が目に留まった。"というもの。"ワシントンのシンクタンクの議 論から、イランへの攻撃を回避する勢力はどこに存在しているかと考えさせられる。"との主旨。その通りだ。

 米国、イスラエル、イランの、どの国も、戦争に踏み込めばえらいことになるのは自明。しかし、いつでも戦争に踏み切れる準備を着々と進めているのが実 態。戦争に向かっているとの報道が増えて当たり前だろう。しかも、いずれの国にも、戦争期待勢力が存在するのだから。

・米国、イスラエルは、イランの核の動きは容認できない。国内世論は、イラン許すまじ調だ。
・イランでは、強硬姿勢の現政権の人気は急落中。経済不調だからだろう。しかし、言論統制で抑え込む政治ではないから、大国ペルシアとしてのアイデンティティを求める流れには逆らえまい。欧米の主張に妥協で応えるのは極めて難しい。

 直接戦乱に係わらない国も、自国の利益を考えると、戦乱阻止に動くとは思えない。

 ■ロシアにとっては、イランでの緊張は、エネルギー価格高騰での収益増を意味する。中東が安定してしまうと、天然ガスの国際カルテルの道も閉ざされかね ないし、原油価格が50ドル以下になり、経済繁栄も終わりを告げるかも知れない。
 ■中国は、中東問題でゴタゴタが続くうちに、アジ/アフリカ地域での影響力を強化して、資源確保を図りたかろう。
・日本は、イランの原油依存度が大きいから、本来なら戦争回避に動くべき立場にあるが、日米軍事同盟維持が最優先課題なので、だんまりをきめこむ。
 ■アラブ民族国家は、イランの大国化を抑えたい。しかも、フセイン処刑が、イランと繋がっていると言われるシーア派イラク政権による報復であることが広 く知られてしまった。それだけではない。ヒズボラやハマスがイランの支援を受けている。サウジアラビアにとって、イランの脅威は現実問題なのである。

 ・・・こんな状況を踏まえて議論ができる場が増えればよいのだが。

 政治に絡む話は、検索をかけると、文字通り五万とかかってくる。しかし、ほとんどは中傷誹謗を書き連ねた文章で埋まっている。専制国家並みの、議論許さず型をお好みの人がいかに多いかよくわかる。
 もっとも、表だった意見表明を避け、ともかく上手く立ち回るだけの人達も多いから、それよりはましとの話もあるが。

 こんな話をすると、質が高い小さなメディアが活躍していうように聞こえるかもしれぬが、期待しない方がよい。
 中野有 氏のような人がそこらじゅうにいる訳がないからだ。

 例えば、ロシアで、なにがおこっているか、見るとよい。ここではメディアが権力に握られているため、LiveJournaブログ"ZheZhe"が報道機関を兼ねている。そのお蔭で、極右勢力の影響力が強まっているのだ。(4)
 ブログが流行るということは、質の悪いメディアが増えることでもある。

 なかの たもつ (ワシントンと京都を拠点とするシンクタンカー、専門は北東アジア研究、国連職員、米国立イースト・ウエスト・センター、ブルッキングス研究所などに勤務)
 中野有 web site http://mews.halfmoon.jp/nakano/
 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
 僕たちは毎日「人間クロール」という仕事をしている。北海道新聞から琉球新報までサイトを最低、日に2往復している。コンピューターが自動的に記事を見つけて並べるのがグーグルニュースだとすれば、47ニュースはほとんど手作りといっていい。

 この人間クロールで少し前、ふだんはほとんど見ない四国アイランダーズの四国新聞のサイトの記事を読んでいたところ、シェパードという外国人選手が特大ホームランを打ったという記事を見つけた。このリーグは元プロ野球選手の石毛氏がつくったユニークな試みである。プロを目指す選手を育成するのが目的であるが、資金難から給料はきわめて安い。仕事をしながらリーグに参加している選手も少なくない。生活費を切り詰めて好きな野球を続けている選手がほとんどだ。

 そんなリーグになんで外国人が来るのだ。そもそもなんで外国人が四国の超マイナーなリーグを知っているのか。

 調べてみると、この外国人はシェパード・シバンダ選手というアフリカ南部、ジンバブエからやってきた21歳。ジンバブエではチームの主軸を務め、アフリカリーグで3位になっている。しかし、ジンバブエは元々、イギリスの植民地。クリケットは盛んだが、野球のレベルは世界には届かない。なんでそんなところに野球チームが生まれたのか。それは20年以上前に遡らなければならない。

 1992年、村井洋介とい青年が青年海外協力の初代野球隊員としてジンバブエに派遣され、小学生を中心に野球普及に努めた。村井青年は2年間の派遣期間後、帰国したが、再びジンバブエに。現地で仕事をしながら当地で野球の普及活動を続けた。

 関西学院大学野球部OBの伊藤益朗氏のブログによると「村井洋介さんは、社会人野球を引退後、野球指導のため青年海外協力隊員としてジンバブエに渡った人である。一握りの白人だけのナショナルチ-ムをコ-チすることに疑問をもち、単身旧黒人居留区の小学校をまわり、一から野球を紹介指導した開拓者だ。そして92年からの2年間で、20校余りの小学校に野球を紹介した。その後、後任の隊員が引き継いで、今では250校が野球を取り入れているそうだ。・・・野球人口を増やすとともに、ジンバブエ人の指導者や審判の養成、国産野球用具の開発、卒業後の受皿となるクラブチ-ムの整備などに力を入れたいということだ。」

 この村井氏の教え子の1人がシェパードということになれば、四国リーグにやってきた「おもろ外国人」ではすまされない。1人の日本人が20年前、ジンバブエに野球を持ち込み、野球を通じて日本とジンバブエとの交流が深まり、ひょっとしたら将来、日本のプロ野球で活躍するかもしれないのだ。

 せっかくの素材がありながらシェパードの物語が全国ニュースにならない。47ニュースではこんなニュースを取り上げられたらと思っている。時間があれば取材にも行きたいのだが、いまのところサイトづくりに精を出さねばならない。

 とにかくシェパード選手にはジンバブエのためにも頑張ってほしい。 (紫竹庵人)

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