2007年1月アーカイブ

2007年01月22日(月)
在米ジャーナリスト 堀田 佳男
 年が明けてすぐ、自宅近くのカフェでコーヒーをすすっていると、左隣に座った青年と眼があった。「ハーイ」という言葉こそ発さなかったが、共に軽くうなづくようにして会釈した。

 短く刈りこまれたダークブロンドの髪、Vネックのセーターの上からでもわかる鍛えられた体躯。真剣にスポーツをやっている空気が漂う。けれども瞳にはどことなく醒めた光が乱反射していた。

「スポーツは何を?」

「いや、特別には。高校時代に水泳をやっていたけれど」

すぐにマークという青年は昨年4月まで、イラクのアル・アンバー省という所に派兵されていた海兵隊員であることがわかった。訊きたいことが山ほどあった。イラクのナマの戦況、米兵たちのブッシュ政権への本音と戦争に対する率直な思い。いくらでも質問はあった。

 だが、彼がどこまで話をしてくれるかはわからない。戦場について落ち着いて話ができるのだろうか。ゆっくりと、弱火で肉をローストするようなペースで質問をだした。

マークは「あそこでは葛藤を抱えていた」と素直に口を開いた。イラクに到着するまでは民主主義の確立とテロとの戦いという名目を信じており、戦うための大義名分を持っていた。しかし現地に赴き、イラク戦争の不条理さを痛感する。

「イラク人はアメリカ人を本当に毛嫌いしている。現地に入って理由がわかった。無理やり馴染みのない民主主義を押しつけても、イラク人がすんなりと受け入 れるわけがないんだ。考えてもみてほしい。仮に日本がアメリカに軍事侵攻してワシントンを陥落し、日本式の政治システムを強要したとしよう。いくらブッ シュがアホでも、アメリカ人は『それはあまりにも横暴』と必ず反発する。この点を理解しないブッシュはアホ以外の何ものでもない」

マークはアメリカ憲法の下で宣誓してイラクに派遣されたが、他国の民主主義を守るためという名目で宣誓したわけではないとはっきりと話す。さらに、わたしが予想していた通りのことを口にした。

派遣された地域の戦況について「戦術的にどうやっても絶対に勝てない。米軍があそこで勝つことはない」と明言したのだ。アル・アンバー省というのはバク ダッドの西側で、スンニ派がおもに居住している地域だ。海兵隊が作成した極秘報告書にも「unwinnable(勝利不能)」と記されていると話す。

 米軍は今後2万人を増派させ、イラク治安維持軍の訓練を加速させる。ブッシュはいまでも勝利可能とふんでいるが、イラクでの軍事的勝利は1年以上も前か らもうないというのがわたしの見方である。戦況はベトナム化している。

 マークはさらに、米軍がイラクの国家警備隊に支給した短銃や装備が市場で売られている現実にあ然とさせられたといった。いくらフセインが処刑されても、 本質的なモラルの向上がないかぎり、お仕着せの民主主義は機能しない。

 最後に「この戦争はぜったいに間違っている。死んでいった戦友たちを思うと、虚しい」と、いまにも泣きそうである。これは以前、わたしが話を聴いたベトナム帰還兵たちの心境とだぶる。この点でもベトナムと似ている。

「途上国を潰すのは3日。建国するには10年」という言葉が真理なら、あと6年ほどしないとイラクの安定は訪れない。ブッシュは内なる声に耳を傾けなくてはいけない。(敬称略、2007/1/6

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2007年01月20日(土)
前ガーナ大使 浅井 和子
  年末、前ガーナ大使の浅井和子さんの『民間大使、ガーナへ行く』(文芸社)が上梓された。ガーナに土佐のよさこい踊りを持ち込んだことは萬晩報でも紹介し たことがある。ガーナを愛しガーナ人から愛された3年間だった。そんな日本人は多分、100年前の野口英世以来ではないかと想像する。ほとんどの外交官が 任地として嫌がるガーナと向き合った日々を語った本を一気に読んだ。その一部を著者の了解を得て紹介したい。

 ■国民である前に部族民

 イギリスが植民地とするまでは、ガーナでは各部族が領地を持って、それぞれチーフ(伝統的首長)のもとに独立した王国を営み、互いに抗争しながら、ある いは同盟を組んで共存していた。植民地となってからもそれまでの部族組織は維持されていたので、彼らには今でも、アカン族(アシャンテ族、ファンティ族な ど)、ガ族、エベ族などの部族意識が根強く残っている。その結果、ガーナ人であるという国民意識は、ガーナ国家独立後およそ50年を経た今も十分には育っ ていない。もちろん政府は毎年の独立記念日に、「UNITY(統一)」を強調するなど努力しているが、その意識はまだかなり弱いのである。

 首都アクラにはいろんな部族が集まっているが、ガーナ全体は昔ながらの部族の領地をほぼそのまま州にしているから、どの州あるいはどの地域出身かを聞け ば、すぐに何族とわかる。もっとも現地人によると、顔を見ただけでどの部族かわかるそうである。

 日本に7年くらい留学し、ガーナ有数の高等学校の副校長をしている神父と、私はよくガーナの政治、ガーナ人気質などを議論したものだ。彼はボルタ州出身なので、ある時、
「あなたってエベ族?」
と聞いたことがあった。すると神父様は、
「とんでもない! 我々はボルタ州から独立することを考えているんです!」
と大声で言い返したので、私は、今さら何を言い出すのかと、普段の理性的な彼とのギャップに思わず大声で笑ってしまった。そしてよく聞くと、ボルタ州の最北部にはエベ族ではなく、彼のようなアカン族が住んでいるという。

 温厚でインテリの彼が、なぜ部族を間違えられたくらいでそんなにムキになるのだろうと、私はびっくりしたが、しばらくして「日本人の私が中国人に間違えられた感じ?」と尋ねると、「そうだ! そうだ!」と同意した。

 だから一口にガーナ人といっても、この小さな国土に日本人と中国人と韓国人とが一緒になって一つの国家を形成しているようなものだ。部族によってまった く言語が異なり、英語という共通語がなければ各部族間の意思疎通もできない。

 そう理解すると、ガーナ共和国の政治の難しさがよくわかる。大統領が閣僚を選ぶときも各部族のバランスを考えているし、国民が大統領を選ぶときはもちろ ん自分の部族の出身者に投票するのだが、同じ部族出身の大統領が何代も続かないように配慮するバランス感覚もある。

 ガーナにおけるこのような部族やその首長であるチーフ制は、現在の憲法のもとでもその維持が明文化されている。各部族のチーフのもとには多くの村落が存 在し、その村落にもそれぞれ小チーフがいて、部族ごとにチーフを頂上とするピラミッドを形成している。

 チーフは、自分の村へ帰れば赤、黄、緑など色鮮やかな伝統的織物の大きな布を体に巻きつけ、金の指輪やビーズの大きなネックレスなどの装身具を身につけ てチーフの正装に戻るが、普段は別に職業を持っている。警察学校の校長や、郵便局に勤めているチーフにも会ったことがある。

 そういえば、私も政府援助で電線を配線した村で儀礼的にチーフに選ばれたことがあった。名誉村長とでもいうのだろうか。私のチーフ名は「アフィア・ニャ ルコム・アブロヌマ」(金曜日生まれの鳩の女王、すなわち平和の女王)という名で、偶然、本名の平和の和の「和子」と同じなのでとても気に入った。ちなみ に、ガーナでは曜日を名前にすることが多く、たまたまチーフに選ばれた日が金曜日だったので、そのように名づけられたのである。

 あるとき私は大使館の現地スタッフに、
「ガーナ人にとってチーフってどんな存在なの?」
と尋ねてみたことがある。すると、
「たとえば大統領に呼びだされたとして、もしそのとき自分の都合が悪ければ、別の日に変更を要請するが、チーフに呼びだされたらその日がどんなに都合が悪くても、絶対にチーフに従う」
というのが、ガーナのインテリであるそのスタッフの答であった。

 大統領より偉い「アシャンテ・ヘネ」

 チーフは憲法上の権限はなく政治的に中立でなければならないが、このように精神的な絶対君主として各部族の尊敬の的である。したがって地域の行事には伝 統的なチーフの正装で出席して、席の前列中央に天蓋のような大きな傘を広げて家臣とともに鎮座することになる。

 またチーフは世襲制ではなく、チーフの一族、主に甥たちの中から部族民の尊敬に値するような人格と能力の持ち主が選ばれる。それは村落あるいは部族という組織体の存続を図るためのガーナ人の伝統的な知恵であろう。

 ガーナ中のチーフの中でも際だった権勢を維持しているのは、ガーナ第二の都市クマシを拠点とし、内陸の大きなアシャンテ州を領地とし、アシャンテ族の頂 点に立つ「アシャンテ・ヘネ」である。アシャンテ州の中には、ガーナが植民地時代、ゴールド・コーストと呼ばれる理由となった世界有数の金の鉱山があり、 アシャンテ・ヘネは精神的な絶対君主であるばかりでなく、実は土地所有者として大きな経済力も握っている。

 ガーナの土地は、その70%がこのようなチーフの所有地か、チーフが部族民から信託を受けて管理している土地で、ガーナの経済発展には土地制度の改革は 避けて通れないと、論ずる人もいる。アシャンテ・ヘネは文字通り金持ちで「大統領よりエライ」といわれる。

 クフォー大統領はアシャンテ族なので、地元に帰ればまずアシャンテ・ヘネを表敬し、彼の前にぬかずく。大統領の車はベンツであるが、アシャンテ・ヘネはロールスロイスに乗り、独自のパトカーや護衛団も持っている。

 私は噂のアシャンテ・ヘネに会ってみたくて、所定の手続きで表敬を申し出たが、いくら待ってもなしのつぶてだった。ちょうどそのころ、在日ガーナ大使が ガーナに一時帰国していた。彼がアシャンテ出身だということを思い出したので彼に頼んだところ、運よく2、3日のうちに表敬ができることになった。

「ロシアの大使は3時間も待たされて、会えたのはたった5分だけだった」とか、「アシャンテ・ヘネとは直接会話してはならず、必ず口述人を通すこと」と聞 かされていた。私は、それを覚悟の上で4、5時間かけてクマシ市の彼の館に入り、応接室で待っていた。

 すると10分ぐらいたって、伝統的な衣装をつけた年配者が2、3人入ってきて、私の向かいのソファーと部屋の隅の椅子に座った。そのうち、私の座ってい たすぐそばのドアが開き、比較的若い丸顔のさっぱりした感じの男性が、カジュアルっぽい布を体に巻つけて応接間に入ってきたので、アシャンテ・ヘネの秘書 かな、と思っていると、その人は私のすぐ横の椅子に座った。

 すると席に入ってきた年配者の一人が、急いで彼の足元にクッションのような足置きを置き、彼は当然のごとく両足をのせた。と同時に、私の目は彼の両手に 燦然と輝く大きな金の指輪に釘づけになった。そして遅まきながら「あっ、この人がアシャンテ・ヘネなんだ!」と、気づいたのである。

 彼ら主従は何やら現地語で二言、三言しゃべっていたが、それが終わると、アシャンテ・ヘネは、私に向き直って明解な英語で、
「今、日本はわが領地に何をしてくれているのか?」
 と話かけてきた。また援助の話かと、私はがっかりして適当に受け流しながらも、彼の指輪が気になって仕方がない。アシャンテ族の紋章であるハリネズミを かたどった卵の大きさほどの黄金の指輪。これを両手の指にはめる人はまさしくアシャンテ・ヘネ以外にはありえない。

 彼との話の中で、アシャンテ・ヘネが駐日ガーナ大使のことを、「彼は私のキングダム(王国)の出身だ」と言い切ったとき、首都アクラで大統領をトップと するガーナ共和国しかしらなかった私は、ガーナには今でもアシャンテ王の君臨するアシャンテ王国! が存在することを見せつけられて驚いた。

 その後2004年5月に、アシャンテ・ヘネの誕生日と就任5周年の祝いを兼ねたお祭があった。会場となったクマシ市の大サッカー場では、開会数時間前か らガーナ全土より集まったチーフたちの入場が始まった。頭には金のヘアーバンド、両手には金の指輪、幾重もの腕輪、幾重にも連なった大きなビーズのネック レス、肩からは伝統的織物の色鮮やかな布をかけ、装飾のある大きな草履を履いて、お伴を連れてぞろりぞろりと歩く。それぞれ最高の正装である。

 お伴の中には大パラソルをチーフの頭にかざしている者、杖を持つ者、足置きや椅子を運ぶ者、紙で作った鉄砲を担いでいる者、太鼓を叩いている者、なかに は腕輪の重みを自分で支えられないチーフの腕を支えている者までいる。おとぎ話でしか知らなかった世界が眼前に展開されているのだ。

 会場には大統領をはじめ政府要人、各国からの外交団は言うに及ばす、ナイジェリアや遠く南アフリカの伝統的首長もお祝いに駆けつけた。そして全国のチー フが入場し、招待客や大統領が入場したのち、ひときわ大きなざわめきとともに、船のような大きなカゴに担がれたアシャンテ・ヘネが、護衛団の制止もむなし く群集にもみくちゃにされながら入場してくると、会場の興奮はクライマックスに達し、怒涛のような大歓声に包まれた。

 10万人を超える観客とグラウンドを埋め尽くした色とりどりの大パラソルを見ながら、私は、「こりゃー、やっぱりアシャンテ・ヘネは大統領よりエライんだ」と納得した。

 そして500~600年は続いているガーナの伝統的社会の秩序に感嘆し、その伝統的社会が今なおガーナ人の生活に大きな比重を占めていることを肌で実感し、いつぞや大使館の現地スタッフに聞いた、チーフに対する絶対服従の気持ちもわかる気がしたのであった。

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2007年01月19日(金)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口坦
  昨年12月18日から六カ国協議が北京で開催され、それがきっかで19日に米朝間でバンコ・デルタ・アジア(BDA)実務協議がもたれた。北朝鮮は凍結解 除を、米国は「偽ドル札・スーパーノート製造関係者の処罰と偽造ドルの銅板廃棄などの措置」を求めたとある。周知のように、六カ国協議はその後具体的成果 もなく休会する。

 世界中のほとんどの人は、北朝鮮がドル紙幣を偽造しても不思議ないと思っているのではないのか。というのは、この国が昔からいろいろ悪いことをしている からである。とはいっても、していないことまでしていると主張するのはよくない。1月7日付きフランクフルター・アルゲマイネ・ツァイトゥングで「スー パーノートの出所はCIA?」という記事を読んだ私にはそう思われた。

 この記事を掲載したフランクフルトの新聞であるが、ドイツを代表するクオリティペーパーで、政治的には保守・親米的である。よりによってこの新聞が米国 に対して北朝鮮の弁護役をかってでたことに私は驚いた。記事を書いたのはクラウス・W・ベンダーさんという経済記者である。紙幣など偽造されてはいけない ものを印刷することに関連した業界は「セキュリティ印刷」とよばれて、一般に知られることが少なかった。ベンダー記者はこの業界についてよく調べて3年前 に「マネーメーカー」という本を書く。スーパーノートについての彼の記事は私におもしろかったので、今からその内容を紹介する。

 ■インターポールの対策会議

 まず問題の偽百ドル紙幣であるが、1989年マニラの銀行ではじめて登場する。精巧にできたもので専門家が視覚・触覚だけでは本物と区別ができないこと から、「スーパーノート」とか「スーパーダラー」とかよばれる。本物の百ドル紙幣は1996年以来が何度か変更されたのに、スーパーノート偽造者はどの変 化も直ちに取り入れる。ベンダー記者が挙げる例であるが、百ドル紙幣のフランクリンの肖像には肉眼で見えない0,6ミクロンの文字が隠されている。このよ うな小さな変化も無視しない偽造者の几帳面さは驚嘆に値する。

 偽造百ドル紙幣・スーパーノートは米国も調べているが、国際社会ではインターポール(国際刑事警察機構)が捜査の中心になっている。すでに2005年3 月に加盟国に対して危険度が最高度のオレンジ警報が発せられた。今年の7月26日にスーパーノート対策会議がリヨンの本部で開催されて、加盟国代表者やセ キュリティ印刷業界関係者など60名が参加した。当日、米シークレットサービスとインターポールの代表者が状況報告をし、その後出席者は個別グループに分 かれて議論をかわした。

 ベンダー記者の記事によると、参加者のなかから、米国の北朝鮮犯行説に納得できないだけでなく、「米国がこのスーパーノートの背後にいる」とささやく人 まであらわれたという。というのは、米国の挙げる「証拠」は、北朝鮮の外交官がこの偽造紙幣を所持していたとか、あるいは彼らから偽造紙幣を受け取った人 が交換しようとしたとか、そのたぐいのものばかりだからである。あるいは、偽造に関係した亡命者の発言(「自慢話」)をもとにしたレポートで、肝心の物的 証拠となると機密保持を理由にして米は話してくれない。

 このような話に接すると、ベンダー記者にはイラクに大量破壊兵器があるとした4年前の米国の主張が思い出されるという。ちなみに、コリン・パウエル前国 務長官はイラク侵攻前の安保理事会で亡命者の発言や写真をもとにして大量破壊兵器の存在を証明する演説をしたが、辞任後その演説を「自分の人生最大の汚 点」とよんでいる。

 米国の主張には「セキュリティ印刷」業界に詳しい専門家の常識に反する点があり、そのためにリヨンに集まった人々は説得されなかったことになる。

 ■印刷機の問題

 インターポールのスーパーノートについての説明によると「この偽造紙幣は本物の米国通貨と同じ工程と同じ材料を使って製造されている」とある。だからこそ、誰もがその精巧さに驚くスーパーノートが生まれることになる。

 百ドル紙幣を触ったらわかるように独特の手触りがある。これは印刷された紙面にインクがわずかながら盛り上がった状態で定着しているからである。こうな るのは、版面に凹部が直接彫られて、この凹部に残ったインクが紙に転写されたからだ。このような印刷ができることが、彫刻凹版(インタリオ)印刷機の特徴 である。本物のドル紙幣はこのタイプの印刷機で、それもスイス・ローザンヌのジオリ社の製品で刷られている。偽造百ドル紙幣・スーパーノートもジオリ社の 彫刻凹版印刷機がないと印刷ができないといわれる。北朝鮮犯行説を主張する米国も、またその反対者もこの点に関しては対立しないで見解が一致する。

 次にこのジオリ社であるが、画期的であった6色の彫刻凹面印刷機を発明したイタリア人ガルティエロ・ジオリが1952年に設立した。彼の会社は1965 年に英のデラルー社の傘下に入り、2001年にドイツのK&B社の子会社になる。このジオリ社から北朝鮮に1970年代に印刷機が納入されているが、これ で偽造百ドル紙幣・スーパーノートを印刷することはできない。しようとすれば大幅な改造が必要になるが、ジオリ社の協力がないと不可能である。ところが、 北朝鮮は印刷機の代金も払わなかったこともあって、ジオリ社はその後パーツを納めていないのでメンテナンスもされず、現在では印刷機は稼動していない。北 朝鮮は自国紙幣の印刷を隣国に任せているといわれる。

 米国は90年代に北朝鮮がひそかにジオリ社の印刷機を購入したと主張する。この主張に納得しない人が多いのは、ジオリ社の彫刻凹面印刷機をはじめセキュリティ印刷に使われる機械は納入先がすべて登録されていて、転売されるときにもインターポールに連絡されるからである。

 次にスーパーノートは80年度後半に出現したので、米国の主張に従うと、現在の偽造者・北朝鮮とは別の偽造者が80年度の終わりごろから90年代のはじ めにかけていたことになる。米国は以前イラン、シリア、東独を犯行国と見なしていた。スーパーノート製造となると、膨大な設備投資とロジスティック整備と 技術的専門家の養成が必要である。存在していない東独は別にして、そのような努力をしたイランやシリアは、なぜスーパーノート製造を放棄したのだろうか。 「スーパーノート」市場に北朝鮮が参加してダンピングをしたからだろうか。

 米国の話を聞いていると、レストランを開業するように気軽に「スーパーノート製造」をはじめたり、また止めたりすることができるような印象をもつ。セキュリティ印刷業界の事情を知る人が胡散臭く思うのもこの点である。

 ■インクと紙

 本物の紙幣にもまた偽造紙幣にも「同じ材料」が用いられている。本物のドル紙幣のセキュリティ・インクを供給しているのはスイスのシックパ社である。この会社は以前北朝鮮にも紙幣印刷用のインクを納めていたが、もかなり前に北朝鮮に対して納入を停止した。

 次に実験室の化学的検査から、(光の角度で変色する高価な特殊インクを含めて)スーパーノートに用いられているインクと本物の百ドル紙幣のインクがまっ たく同一であることが判明している。ということは、本物のドル紙幣製造のために納入されるインクがスイスか米国で配合された後、その一部がスーパーノート 製造に流用されていることになる。それなら盗んだインクをスイスもしくは米国から北朝鮮のドル偽造工場まで運ばなければいけないが、これはリスクが高すぎ るのではないのか。

 ベンダー記者によると、シックパ社は紙幣のインクから出荷時のバッチ番号までさかのぼることができるが、(あたりまえのことだが、)スーパーノートに関して尋ねられてもこたえてくれないそうだ。

 スーパーノートの紙は、本物と同じように木綿75%・亜麻25%の比率でフォードリニア・マシン(長網抄紙機)で製造さている。その木綿もアジア産でな く、本物と同じように米南部で栽培されたものが用いられている。透かしも入っていて、更に「US100」の文字が入ったポリエステルの糸が漉き込まれてい る点でも、スーパーノートと本物の百ドル紙幣に差異が見つけられないといわれる。 

 ■流通について

 ベンダー記者は、スーパーノートがアジアにたくさん見つかるとか、アジアから来る、とかいう説に賛成しない。というのは、スイスやドイツの銀行でも大量 に見つかり、それら出所を遡っていくと、政治的に不安定な中東やアフリカに到着し、アジアに由来するものは例外に近いからである。また欧州の銀行では、 「断食でなく消費の月」と今やいわれるラマダンにスーパーノートがたくさん見つかることも確認されている。

 スーパーノートのこのような流布をどのように考えたらよいのだろうか。政治的不安定地域から来ることは、そこでの地下工作資金がスーパーノートで支払っ ているからではないのか。こうして偽ドルを受け取った人たちが武器を購入し、それで支払う。この結果スーパーノートが武器輸出国の中国や北朝鮮へ流れて来 て、アジアで流通しているのではないのか。昔東ベルリンでスーパーノートが大量に見つかったことがある。これは、東独が武器売却の代金として得たもので あった。

 1月10日の朝鮮日報によると、米国務省のデービッド・アッシャー前北朝鮮作業班調整官はベンダー記者の記事について「CIAが米ドル札を偽造していた のなら、それは自国に対する戦争行為に該当するが、そんなことは想像すらできないし、それをする理由もない」と反論している。

 確かに敵国通貨を偽造してその経済を破壊するのは「戦争行為」である。また自国に対して誰もそのような行為に及ばない。でもインターポールによると、出 現した1989年から現在までに見つかったスーパーノートは5千万ドルにすぎない。一年平均でいうとこれは300万ドル足らずで、いっぽう一年間で回収さ れる普通の偽造ドルが2億ドルを超すことが少ないといわれる。とすると、スーパーノートは持続的であっても、細々と流通する偽造紙幣ということになる。こ のような遠慮勝ちな流通量では「敵国経済」にあたえる被害もゼロに等しい。すでに述べたが、このような完璧な偽造には膨大な設備投資が必要になるが、この 投資がこの程度の流通量で回収できるかどうかも怪しい。

 偽造者は、これほど完璧な技術をもち、またすべての材料を、それも最新の紙幣に使われた赤外線反応インクまで入手することができる。ところが、ベンダー 記者によると、スーパーノートは、赤外線反応インクの処理が不注意であったり、また本物の紙幣にある磁気的特徴が欠けていたりするために、米国内の紙幣識 別器にはあっさり見やぶられてしまうそうである。とすると、そんな紙幣識別器と無縁なアフガニスタンやソマリアなどの政治的不安定地域で流通させることが 意図されていないだろうか。

 自国納税者の負担にならないように自前の地下工作資金をつくることが目的であったり、また国内で流通しにくいように仕掛けがしてあったりするのは、スー パーノートの製造が「愛国的行為」であることをしめし、国務省元役人が心配するような「自国に対する戦争行為」ではない。

 ジオリ社の彫刻凹面印刷機はCIAにも納められている。そこで何が印刷されているかに好奇心に駆られる人があらわれても不思議ではないかもしれない。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2007年01月10日(水)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
  ドイツには「分割して支配しろ」ということわざがある。その意味をもっとはっきりさせると「分裂させて支配しろ」になる。このことわざは日本では「分割統 治」といわれている。ちなみにこのコトバをインターネットにある国語辞典・大辞泉で「分割統治」を検索すると次のような説明がでてくる。

‐支配者が被支配者の間にある民族的、宗教的、経済的利害の対立をあおり立てて、互いに分裂・抗争させることで統治の安定をはかる政策。植民地統治によく用いられた‐

 この「分割して支配しろ」がときどき「デヴィーデ・エトゥ・インペラ」とラテン語でいわれることからわかるように、ドイツだけでなく欧米で、このことわ ざは昔から上に立つ人がもつべき知恵とみなされてきた。労働組合が生まれたのもこの「分割統治」に対抗するためで、欧米語の「連帯」というコトバに人々を 高揚させる力があるなら、このことわざにリアリティがあるからである。

 大辞泉の説明の最後にあるように、この考え方は植民地支配に猛威をふるった。今でも欧米の介入をうけたアジアやアフリカがお互いに分裂・抗争させられる構図になることが少なくない。

 ■復讐リンチ裁判

 もう少しでお正月と思いながら、大晦日に私が日本の新聞を眺めていると「フセイン死刑執行、報復ではなく団結の日に」という見出しが見える。私がこんな おめでたい気分になれないのは、このフセイン裁判に関しても、また米国がイラクでしていることについても、「分割統治」の疑いを抱いているからである。

 米国が独裁者の責任を問うために特別国際法廷を設置しなかったのは、はじめからまじめな裁判をする気などあまりなかったからといえる。「平和に対する 罪」に対して知らん顔をして「人道に対する罪」を強調するのも見え透いた話で、イラクに対して侵略戦争をした以上、風向きがかわって自分のほうに火の粉が かかってくるのが心配だからである。
 いうまでもなくイラク国内の特別法廷で裁判するほうがフセインの口封じをしたり、また米国国内の事情(例えば選挙)にあわせて判決をくだしてもらったりするのにも便利がいい。

 一般に前政権担当者を裁判にかけることは、前政権支持者と反対者の対立をもたらす。それも、国際法廷でなく国内で紛争当事者が裁判に関係するほうが、裁 判が対立の決着をつける場になって、対立の危険がかえって増幅する。このように考えると、国内法廷のほうが(大辞泉にあるように)「被支配者の間にある民 族的、宗教的対立をあおり立てて、互いに分裂・抗争させる」可能性が強い。

 フセイン裁判を「勝者の裁判」とよぶのは正しくない。ニュールンベルクや東京では米を筆頭に戦勝国は当時姿をみせて裁判した。ところが、今度の裁判は勝 者・米国が隠れて遠隔操作をするだけである。こうして勝者が姿を見せない以上「勝者の裁判」とはいえない。それまで敗者で弾圧されてきたシーア派やクルド 人が勝者になる裁判で「復讐リンチ裁判」という名称にふさわしい。

 東京裁判を批判する人々は一度フセイン裁判の経過をふりかえるべきである。そうすると、清瀬一郎以下弁護人が次から次へと暗殺されて東条英機が11日間 も抗議のハンガーストライキをすることもなく終了した60年前の「勝者の裁判」が「古き良き時代」の出来事であったことに気がつくはずである。

 ■死者にムチ打つ

 数日前からインターネットでサダム・フセイン処刑の場面を見ることができる。映像が揺れて音質もよくない。録音されている会話はアラビア語であるが、幸い英語やドイツ語に訳されているのでそれを参考にして今から場面を再現する。

 縄を首に巻きつけられたフセイン「神よ」とつぶやき、その場にいる何人かの人々がお祈りを唱える。突然誰かがシーア派民兵組織の指導者ムクタダ・サドル の名前を繰り返して叫ぶ。それに驚いたフセインが「お前たちはこうして男としての勇気をしめすのか」という。叫んだ男が「地獄に落ちろ」と罵ると、フセイ ンが「それがアラブ人の勇気なのか」と今一度ただす。その男は「地獄に落ちろ」という罵りをもう一度繰り返す。それに対してフセインは「地獄とは今のイラ クではないのか」とこたえる。

 誰か(ファルーン検察官といわれている)が罵ったりする人たちに対して「この人(フセイン)は今から処刑される。静かに」と止めに入るが、それまでとは別の男性が、(フセインに昔殺された)ムクタダ・サドルの父の名前を挙げて「万歳」と叫ぶ。

 その後フセインが眼をつぶりながら祈りはじめるが、最後の「アラー」という文句をいう前に、落とし戸が開き彼の身体が猛烈な勢いで落下。人々が「独裁者 は倒された。神よ、この男を呪え」とか「つるしたままにしておけ」とか叫び、誰かが死者としての冥福を祈ろうとするが、人々から罵倒される。

 死者にムチ打つこの処刑場面も、ひそかに撮影されてその映像が流布してしまったことも前代未聞の出来事で、「復讐リンチ裁判」にふさわしい幕引きである。シーア派に対するスンニ派の憎悪をあおることは間違いない。

 ファルーン検察官は、罵る人々をとめようとしてその声が録音されているが、英BBCテレビに対して米軍兵士が立会人全員を入室時に厳重に検査し、彼自身 も携帯電話を取り上げられたのに、2人の政府高官が携帯電話を持ち込んだと語っている。その携帯電話のカメラが撮影につかわれた可能性が強い。米国は処刑 がイラク政府主導で実施されたことを強調している。もちろんそうかもしれないが、スンニ派アラブ人がシーア派に対する憎悪を強めることは米国にとって都合 の悪い話ではない。

 従来イラクで米国はフセイン政権を支えたスンニ派に対してきびしく、シーア派を重用するところがあった。でもこれはシーア派のイランの影響力強化につながり、米国の中東全域での戦略に矛盾することから、現在軌道修正が意図されているといわれる。

 またかなり前から米国はサウジやエジプトなどのスンニ派諸国を反イラン陣営に組み込もうとする外交を展開している。また(今まで成功していないが、)水 面下でイラク国内のスンニ派抵抗勢力とも交渉しようとしているといわれる。フセイン処刑でスンニ派がシーア派を憎悪することは、イランを孤立させようとす る米国の中東戦略の展開にとって具合のよいことである。この戦略の目的はイスラエルがイラン攻撃に踏み切ったときに紛争が広がらないようにするための環境 作りでもある。

 ■ランセント・レポート

 欧米社会は、1990年のクウェート侵攻以来フセインを殺人鬼扱いしてヒットラーの横に並べることにしている。でも彼のしたことを歴史的また国際政治的 な文脈の中で理解しようとしないで、単なる犯罪事件と見なすのは、米英の政治的責任を隠すことにつながるのではないのだろうか。

 フセインの「悪事」とは、冷戦時代のバース党の共産主義者退治にしろ、80年代の対イラン戦争にしろ、対米協力でもあった。だからこそ、イタリアの新聞 「ラ・レプブリカ」はフセインが米国から捨てられた「操り人形」だったと書く。また彼は残酷で必要もなく多数の人を殺したかもしれない。でもこれも、英植 民地主義が残した「人工国家」イラクの統合を保持するためにしたことでもある。とすると、彼のしたことは犯罪的であっても、あくまでも政治行為であった。

 少しまえイラクでの米軍戦死者数が3千人を超えて話題になった。ところが、米英のイラク占領によって発生し内乱状態・無法状態で死亡したイラク人の数に 私たちはあまり注意を払わない。自爆テロのニュースを聞いて多数の死者が出ていると漠然と思っているだけである。最近イラク内務省から2006年に1万2 千人の民間人が死んだと発表されたが、現実はもっと多いとされる。

 これに関連して昨年10月11日に英医学雑誌「ランセント」が発表したレポートは衝撃的である。著者は、アンケー調査に基づいて米英イラク占領が開始し て今までに内乱状態・無法状態で死亡したイラク人の数を65万人以上と推計した。この数は人口の2,5%で、フセインに殺されたイラク人の数を上回る。ま たこの調査によると爆弾より射殺されたイラク人のほうがずっと多いそうである。

 また国連難民高等弁務官事務所によると、現在イラクの難民数が340万人もいる。重要なイラク人政治家はロンドンで暮らしていてバグダッドに単身赴任し ていることが多いそうだ。政府や議会があると、私たちは国家として機能していると思いがちだが、いつもそうではない。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2007年01月09日(火)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
 萬晩報の「上原良司氏のメッセージ所感」がきっかけで、ワシントンの友人であるヒュー・ヤングさんとレイコ・ヤングさんのご夫妻が上原良司氏の自由主義思想に興味を持たれた。ヤングさんは国務省を定年退職された元外交官である。

 現在、アメリカは軍事戦略だけでは答えを見出すことができない複雑な「イラクシンドローム」に陥っている。人間の本性として自由の普遍性を主張する上原 良司氏のメッセージは、宗教間の亀裂が致命的となりつつあるイラク問題への新たなるイラク平和戦略としてのヒントになるように考えられる。

 上原良司氏の愛読書クローチェの哲学書の中に「かくいまわれわれにとって記録であるところの多くの歴史の部分、いまは口をひらかない多くの古文書は、そ の時に会えば、新しい生の光にみちてふたたび口を動かすに至るであろう。」という文章がある。

 ふと、上原氏の所感は、太平洋戦争が生み出した傑作ではないだろうかと考えてみた。何百年後にも残っているように思う。なぜなら、これ程、シンプルに全 体主義を否定し、純粋に自由主義のありがたさを語った文面はないと思うから。それも、戦争末期、軍隊生活を経て、特攻隊の出撃前夜に祖国のことを思い描い たメッセージは、二度と生まれないように思う。

 奇跡的に検閲を免れた上原良司の「所感」は、戦後61年を経た現在、日本のためのみならず、世界への重要なメッセージを秘めているように思われてならな い。それを伝えるのが我々に与えられら平和のための任務ではないだろうか。

 以下、アメリカの関係機関に送る予定の説明(英訳予定)とヤング夫妻が翻訳された「所感」である。

(以下翻訳予定)
 たった一人だけ「日本が負ける」と言った人がいました。上原大尉でした。特攻の母として慕われた鳥浜とめさんの談話の一片である。

 特攻隊員、上原良司氏は、出撃前夜に「所感」を綴った。この偽りのない文章の中に、ファシズム、全体主義を否定し、自由主義の普遍性が明確に描かれている。

「自由の勝利は明白な事実だと思います」との上原良司氏の自由主義者としてのメッセージは、戦後61年を経た現在にも耳を研ぎ澄ます価値があると思われ る。とりわけ、テロ戦争、アフガン戦争、イラク戦争といった新しいタイプの戦争に悩むアメリカへの一抹のメッセージになると思われてならない。

 さらに、自由の普遍性がファシズムや全体主義に打ち勝ったように、上原氏の所感の中から読み取れる人間の本性たる自由思想は、イラクで起こっている宗教間の闘争への妙薬になると考えられる。

 特攻隊の行為を美化するのではなく、純粋に敵国でありながらアメリカの自由を信奉した特攻隊員が存在したという事実を伝えたく思う。そして、願わくば戦 争や紛争の不調和を正し、自由思想を通じた和解や調和の一助となることを願いたい。

 所感 http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Studio/1715/syokan.swf

Kamikaze

Thoughts by Lieutenant Ryoji Uehara
Born September 27, 1922
Graduated from the Department of Economics, Keio University

This was written by him the night before the assault.

I feel deeply honored and privileged to have been chosen to become a member of the Army's "Special Attack Corps," which embodies the glory of Japan. Having delved deeply into logic and philosophy at my university, what I am about to say can be described as the ideology of liberalism. What is obvious to me is the inevitable triumph of liberty. An inherent and essential element of all humans, freedom cannot possibly be destroyed. Even though at times such feelings may be suppressed internally, they are constantly fighting to emerge and will eventually prevail. This is a belief and truth stated by the Italian philosopher Benedetto Croce.

It is a clear fact that authoritarian and totalitarian governments may at times flourish; but ultimately they will be defeated. We can see the truth of that when observing the governments that are playing leading roles in the world war, as manifested by the defeat of Fascist Italy, not to mention Nazi Germany. Authoritarian governments are disappearing one after the other, crumbling like buildings without a foundation. The universality of this truth is now being tested by reality. Just as history has shown in the past, liberty will once again prevail and flourish.

These beliefs that I hold may turn out to be catastrophic for my homeland; but the fact that what I have believed in all along has proven correct gives me nothing but satisfaction. Today's struggle, whatever form it may take, stems from differences in ideology; and the result is predictable on the basis of those belief systems. Thus, the ambition of having my beloved Japan become a mighty empire like that of Great Britain must remain unfulfilled.

If the leadership positions in Japan had been held by those who truly love Japan, my country would not have been driven into the situation it faces today.

My dream was to be a person able to take pride in being a Japanese, no matter where one may be in the world.

What one of my friends once said is true: a pilot of the Special Attack Corps is merely a mechanical instrument. He just steers the apparatus. He is only a molecule within a steel device intended to stick fast to an enemy aircraft carrier, possessing neither personality nor emotions.

If one thinks about it rationally, this act is incomprehensible. These pilots are simply suicidal. This is a phenomenon that occurs only in a country such as Japan, a nation that places so much emphasis on the spiritual aspect of life.

Since I am nothing but a machine, I have no right to state my case. I only wish that the Japan that I dearly love will someday be made great by my fellow citizens.

In such an emotional state, my death may accomplish nothing. Nonetheless, as I stated at the outset, I feel quite honored to have been chosen to be a member of the Special Attack Corps. True, once inside an aircraft, I am a mere instrument; but when not aboard, I do have emotions and passion.
When the woman for whom I cared so dearly passed away, I died with her, emotionally. I believe that she waits for me in Heaven, where we will be reunited. Death does not frighten me, because it occurs as part of the process of going to Heaven.

Tomorrow is the day for the assault. My motivation is highly unorthodox, so it is not worthy of public notice. I just wish to express the true feelings inside me. Please forgive me for my disorganized thoughts. Tomorrow a man who has always advocated the values of freedom and liberty will depart from this earth. Although he may appear forlorn, he is in fact very content.

Once again, please forgive my rambling.

Date of death: May 11, 1945

Among his effects left behind was a book on philosophy written by Benedetto Croce. In the book there were markings here and there. When one strings together the characters so marked, it reads as follows: "Goodbye, my beloved Kyoko. I loved you so much; but even then you were already engaged, so it was very painful for me. Thinking only of your happiness, I suppressed the urge to whisper into your ear that I loved you. I love you still."
    (Translated by Hugh and Reiko Young, Jan.2007)
2007年01月08日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄
 明けましておめでとうございます。

 今日は萬晩報の誕生日。1998年生まれですから、今日から10年目に入ります。たった20通のメールから始まりました。多くの読者に支えられ、通信員などという制度も設けて多くのコラム筆者にも恵まれました。

 このコラム通信を通じて、数多くの出会いがありました。萬晩報の筆者から数多くの著作も生まれました。出版社の編集者たちにも読んでいただいていたおかげだと思います。

 3年前『アメリカの政治地図-地政学と人脈で読む国際関係』(講談社新書)を上梓した園田義明さんはサラリーマンをしながら驚異的な研究活動を続けています。今も新たな出版計画が進んでいます。

 在ワシントンの中野有さんは4年前、『国際フリーター世界を翔る』(太陽企画出版)を世に出しました。自らの半生を"フリーター"として生きた軌跡は多くの若者の共感を得ました。近く「英語を学ぶこつ」を解説した書籍が書店に並ぶことになっています。

 無医村だった長野県南相木村に家族で住み込んで11年の色平哲郎(いろひら・てつろう)さんは村での生活の知恵を世界に発信し続けています。色平さんについてはもう説明する必要もないかもしれません。

 姉の伴美喜子は10年を超えるマレーシア滞在で考えた日本やアジアについて書いてくれました。5年前『マレーシア凛凛』(メコン)という本を世に問いました。いまもマレーシア在住日本人の必読本となっています。

 萬晩報に書き始める前にすでに『球場に数秒間の沈黙を』(2003年2月、新風舎)を書いていた成田好三さんは私が書くことに行き詰まっていた時、大いに励ましてくれました。

 感動は萬晩報の読者でイタリア在住の飯田亮介さんがジャーナリストのティツィアーノ・テルツァーニ『反戦の手紙』を翻訳して送ってくれたことです。WAVE出版の玉越社長に持ち込み、一気に出版となったことです。

 一番の功労者は今、上海にいる岩間孝夫さんと大阪・東高麗橋の飲み屋「かぼちゃ」の仲間であります。黎明期に開かれたオフの会としての萬傘会は北海道から広島まで多くの"ファン"に来てもらいました。新しいメディアができる予感があったのです。

 萬晩報は、主宰者たる小生の力不足でまだ執筆者に原稿料も支払えない状況ではありますが、ネットワーク社会の可能性を世に示すことができたのだとそこそこ自慢したい気分です。

 100本のコラムを配信して終了するはずだった萬晩報がここまで続いたのは、9年前に「萬晩報はもはや公器」であると書いてきてくれた読者の一声が支え になっています。「公器」などとおこがましい話ですが、メールを受け取った時、アドレナリンが体中をめぐり回る精神の高まりがあったことだけは打ち明けて おきたいと思います。

 萬晩報は小生の体力と気力のある限り続けたいと思います。あらためて10年目を迎えた感謝の手紙となりました。

 1月14日に「新渡戸稲造が描いた平和地図」をテーマに「アジアの意思ぱーと3」シンポジウムを開催します。参加を希望される方がいましたらよろしくお願いします。なお会場の都合、参加者は50人までとします。下記を参照下さい。

 http://www.jaip.org/thinkasia0701.htm

 ご意見・ご感想は editor@yorozubp.com
2007年01月07日(日)
南相木村国保直営診療所長 色平哲郎
 へき地の医師不足が、いよいよ深刻になってきている。

 島根大学医学部では「生まれ育った地域が県内のへき地に該当する高校卒業者で、へき地の医療機関および社会福祉施設で適正評価を受け、市町村長等による面接を受けた者」に対する「地域入学枠」を設けた。

 この「適正評価」とは、入学志望者が医療機関であれば少なくとも7日以上、社会福祉施設なら3日以上の医療福祉体験活動を行い、活動記録と感想文を提出 し、それらの医療機関か福祉施設の「長」の評価を受けること、と定められている。

 評価を下す長が「情実」で判断したら元も子もなくなるが、へき地医療を担おうとする強い「動機」を入学要件に掲げたことは、従来の偏差値一辺倒の入試選抜からの本質的転換を意味する。

 「地域に生まれ育った若者が医療で地域に報いる」との価値観は、同時に「地域が医師を育てる」側面を含んでおり、偏差値でランキング化された大学医学部のピラミッド構造に揺さぶりをかけるだろう。

 この「地域と医師養成」の循環を、ダイナミックに実現しているのが、キューバの「ラテンアメリカ医学校」である。00年11月時点で23カ国、3433人の学生が在籍。学生は医療過疎地から重点的に選ばれ、生活費、授業料は全額キューバ政府が負担する

 10年間で約6千人の医師を輩出し、彼らは地元に還るほか世界各地の医療事情の悪い地域にも赴任して活躍している。

 特筆すべきは、経済制裁を課してきているアメリカ合衆国出身の若者にも門戸を開いている点だ。

 米国の最貧困地帯ミシシッピ・デルタのアフロ・アメリカン、ヒスパニック、ネイティブ・アメリカンなど医師教育を受けたくても受けられない若者250人への完全奨学金による教育プログラムを準備しているという。

 なぜ、あなたは医師をめざすのか?

 この問いは、医学を志す若者だけでなく、医師として生きる私たちにも向けられている。

 財産、名声、地位は「結果」であって、偶然の出会いや運のようなもので決まる。

 若者はこれらを「直接」目指し、うまくいかないと「自らの努力が足りないせいだ」と自縄自縛になろう。

 むしろ、日本古来の「おたがいさま」「おかげさま」の感覚を取り戻し、地道に努力する、与えられた役割を担って仲間とともに歩む、そんな姿勢のほうが、 友だちも増えるし、人生の目的の実現に近づけるというものではないだろうか?(佐久総合病院内科医師・いろひらてつろう)

 色平さんにメールは dzr06160@nifty.com

イマジン

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2007年01月06日(土)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
「イマジン」は、国際平和の賛歌(International Peace Anthem)として世界に拡がっている。これは、スターバックスシリーズのジョン・レノンのCDの説明書の中にある文面である。ここに重要な意味がひめられていると感じる。

 軍事、政治による覇権主義、自由経済を目指す経済統合、アウターキー(経済的自給自足)、思想、哲学、イデオロギーの押し付けのいずれも紛争の歴史を築 いてきた。いくら平和を構築しようと莫大な資金を投入しても期待が裏切られる複雑な国際情勢の変化において、磁石のように世界を一つにひきつける可能性を 秘めているのは、音楽ではないだろうか。と、純粋に思う。

 国歌

 アメリカで生活し、都会、地方、共和党、民主党、勝ち組、負け組、ブルーステーツ、レッドステーツと二分化が顕著になっていると感じる。この二つの溝を 埋めるのが、アメリカの国歌(星条旗よ永遠なれ)が流れた時である。多くの人々が胸に右手をあて、国家の尊厳を示す。そこには、アメリカの分断はなく、多 民族国家が見事に一つにまとまる。

 昨年の文化の日に、東京で市民国連のシンポジウムが開催された。国旗の掲揚と国歌の斉唱の云々の意見対立があった。市民国連という多国間を目指す舞台で は国旗・国歌という日本色を控えるべきであるとの意見があった。それに対し、筆者は、文化の日に国旗を掲げなくていつ揚げるのか。そして国連では国旗を大 切にするし、オリンピックでは、勝者に国歌のご褒美を与える。日本が国旗・国歌に対し、戦争に起因する負のイメージを持っていることは、世界の常識からみ れば異端に映るとの意見を述べた。

 市民国連のシンポジウムの当日、小さな日の丸が市民国連のロゴと並べられ、君が代が斉唱された。超満員の会場では、ごく自然にほとんどの参加者が起立を された。ごく少数の方は座ったままであった。この光景を見て、すべての参加者が起立されれば全体主義を思い起こさせるし、1-2割の人々が直立されないの が理想だと思った。

 さて、そこで、国という単位の国益でなく、世界的規模、地球益という地球歌は、存在するのであろうかとの疑問が過ぎった。

 7年前、当時NHK情報ネットワークの加藤和郎さんのI-Mediaというセミナーでハーフムーンの「世界中の子供たち」http://www.e- half-moon.com/ という曲に出会った。その後、この曲は、5年前の東京で開催された国連デーでも歌われた。世界平和を子供の目線で展望する 純粋な曲である。

 宇宙からのメッセージ

 1981年、イスラエルの戦闘機がバグダッドの核疑惑施設を攻撃(バビロン作戦)した。その9年後の湾岸戦争の多国籍軍の勝利は、イスラエルのインテリ ジェンスと実践に起因するとの見解がある。また、ブッシュ政権によるバグダッドへの先制攻撃にも影響を及ぼしたとも言われている。

 イラク戦争が始まる一月半前にテキサス州のパレスチン上空でスペースシャトル、コロンビア号が宇宙からの帰還途中に空中分解した。7人の宇宙飛行士の中 で、イスラエル初の宇宙飛行士であるイラン・ラモン氏が搭乗していた。偶然にもイラン・ラモン氏は、1981年のバビロン作戦に参加したイスラエルの飛行 士であった。

中澤英雄教授(東京大学ドイツ文学)の「宇宙からのメッセージに耳を傾けよースペースシャトル事故と迫り来るイラク攻撃」を引用抜粋。
http://www.thank-water.net/japanese/article/nakazawa1.htm 


 引用はじめ

 宇宙飛行士たちは赤チームと青チームの二班に分かれ、交代で作業を行い、睡眠を取っていた。起床の際には、地上から飛行士の好きな曲を送って、モーニングコールしていた。

 アメリカ人飛行士ウィリアム・マックレール氏が選んだ曲は、ジョン・レノンの「イマジン」だった。

 イマジン ジョン・レノン

 「特定の宗教信者だけが入れる」天国なんかないと 想像してごらん
 そんなことはやってみれば簡単だよ
 地面の下には「異教徒が堕ちる」地獄なんかない
 僕らの頭上に広がるのは美しい空だけだ
 「宇宙は信仰の違いを超えて万人を包容する」
 すべての人々が「未来や死後のことを思い煩わず」
 今日の一瞬を真剣に生きているのを想像してごらん

 国なんかない、想像してごらん
 難しいことじゃない
 殺したり死んだりする理由もなく
 宗教もない
 すべての人々が平和に生きるのを想像してごらん

 財産なんかないと想像してごらん
 君にできるだろうか
 欲張ったり飢える必要もなく
 人類はみな兄弟姉妹
 すべての人々が全世界から分かちあっているのを想像してごらん

 君は僕のことを夢想家だと言うかもしれない
 だけど僕は一人じゃない
 いつの日か君も僕たちの仲間になって
 世界が一つになれたらいいと思う

 神というものは宇宙の法則の別名だと思っている。宇宙の法則に違反すれば、いかなる宗教の信者であっても、それなりのしっぺ返しを受けるだけのことである。

 人類も地球という宇宙の星に生きている以上、人間社会はやはり宇宙法則と無縁ではありえない。調和という宇宙法則を人間の領域に引き寄せれば、それは公正、バランス、平和ということになるであろう。

 極端な貧富の差、権力の集中、人種差別、戦争や闘争はすべて不調和であり、宇宙法則に反した事態である。このような不調和はいずれ時の流れの中でバラン スされ、いやおうなしに調和の方向にもって行かれるに違いない。いわゆる因果応報とは、作用、反作用という宇宙のバランス作用の宗教的表現にすぎない。

 引用終わり

 筆者は、中澤英雄先生が「宇宙からのメッセージ」のコラムを書かれた同じ時期に萬晩報にて「不吉なイラク戦」 http://www.yorozubp.com/0302/030208.htm を書いた。

 新イラク戦略

 ブッシュ政権は、新イラク戦略を発表する。国務省ナンバー2に、元イラク大使、US スパイチーフのネグロポンテ氏、国連大使にアフガン生まれのイラク大使であるカリルザッド氏が任命される予定である。本日、アメリカンエンタープライズ研 究所で開催されたセミナー「Iraq: A Turning point」にて、イラクへの現地調査を終えた共和党のマッケイーン上院議員と民主党のリバーマン上院議員がイラク戦略を語った。イラク研究グループの提 言に反し、バグダッドへの米軍の強化が不可欠であるとの主張であった。

 ブッシュ政権が一時的にイラクへの米兵を増やしても、それは米軍撤退の一環であるとの見方が主流である。世界で最強のインテリジェンスが時間と莫大な資 金をつぎ込んでも、イラク戦争の幕引きを行なうことが難しいようである。

 フセインが伝記作家に伝えたことによれば、現在どのように評価されようと全く気にしない。500年後に崇拝されているかだ。

 軍事、政治、宗教、イデオロギーすべてを超越したところに「宇宙の目的」が存在すると信じる。地球上で最強のアメリカが、傲慢な戦力でイラクの民主化を 進めようとすればする程、反発と逆効果が生まれる。宇宙の目的に反するから反作用が生まれるのだろう。ジョン・レノンのイマジンの中に含蓄されるメッセー ジを米国民やイラク国民のみならず、全世界の地球民が理解することで紛争や対立から和解や調和が生まれるように思う。下手な平和工作や面子よりも、音楽が 世界を平和に導くと思う。そんな世界平和のための賛歌があってもいいと思う。

 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
2007年01月02日(火)
Nakano Associates シンクタンカー 中野 有
 サダム・フセインが処刑される直前、直後から、米国の新聞、テレビ、ラジオの多くが異例の報道を行なっている。本来なら、フォード元大統領の葬儀、2006年の出来事の総括が主流となるはずが、メディアはサダム・フセインの特集を組んでいる。

リベラルなメディアでは、早急な処刑の負の影響力に触れ、イラク、中東問題の解決を遠のけるとの見方を示している。国営放送のVOAは、イラク政府の正当 性と各国の影響、とりわけ、欧州の主流の見方は複雑ではあるが、おおむねイラク政府に同調していると伝えている。バチカン、ロシア、エジプト、サウジ、リ ビアなどは、露骨に遺憾との態度を表明している。フセインの年末の処刑は、ブッシュ政権にとって織り込み済みであったか定かでないが、テキサスのクロ フォードに集結したブッシュ政権のブレーンは、2007年のイラク戦略を米議会との調整で困っているように映る。

リベラル、保守、スンニアラブ諸国、シーア派で論調が分かれるが、一つ確かなことは、サダム・フセインの絞首刑の衝撃的な映像がテレビで流され、また、携 帯で撮影された生々しい処刑の瞬間の映像がインターネット上で飛び交い、巨大なインパクトを世界に及ぼしていることである。編集されてない生の映像は嘘を つかな
い。これは、インターネット時代の光か影のどちらと理解すべきなのであろうか。

天国から地獄を味わいながらも、最後の最後までサダム・フセインのプリンシプルを貫いた姿は、アラブの伝説として語り継がれよう。夜明け前の寂しい素朴な 処刑台、そして生まれ故郷ティクリートの暗闇の中で埋蔵された静寂さは、25年間、大統領としてイラクを統治したサダム・フセインの輝かしい栄光とのコン トラストをあまりにも鮮やかに際立たせている。その哀愁は、憎しみを和解させるだけのエネルギーに満ちていると感じるのは、ナイーブな見方であろうか。

 スンニとシーアのイスラムの祝日にあたる犠牲祭が、一日違い、スンニの祝日の夜明け前にサダムの刑がシーア政権により執行されたことがスンニアラブ社会 に大きな波紋を起こしている。このようなイスラム教の運命の悪戯が、中東の命運を狂わせるのだろうか。或いは、和解の薬となるのであろうか。

 サダム・フセインの最後の最後のメッセージから、アメリカ、ペルシャ、スパイに立ち向かうためにイラクの結束が必要との趣旨を読み取ることができる。敵 はイラクの外部にあるとの見方は、アメリカやイランの干渉を避け、イラク人の結束を固め、イラクの内戦を緩和させる効力を発揮するとものと考えたい。同時 に、国際テロへの活動に新たな種が蒔かれる可能性も心配される。

 2006年の最後の世界を席巻させた早すぎたサダム・フセインの処刑は、サダム・フセインの伝説を作り上げ、スンニが中心のアラブ諸国とイラン(ペル シャ)との精神的な分断を深めることになると考察される。サダム・フセインの処刑に関し多くの見方、分析があるが、あえて一つ挙げるとすると、ロシア、中 国、北朝鮮など、イラク戦争の恩恵を受けている「恩恵の枢軸」にとって追い風の出来事であり、また、アラブ諸国がペルシャを敵に回すことによりアメリカは 「悪の枢軸」の一環であるイランに対しプラスの副作用を被ることになると考える。一国のリーダーの想像以上の俊敏な幕切れは、独裁者を擁する孤立国家北朝 鮮にも何らかの影響を及ぼすものと考えられる。

 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp

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