2006年5月アーカイブ

2006年05月30日(火)
Nakano Associates 中野 有
「ポスト小泉」のみならず「ポストアナン」を考えてみたい。10月の国連総会で任期5年の次期国連事務総長が選出される運びである。それも次期国連事務総長は、アジア国家から出る可能性が高いにも拘らず日本ではあまり議論されてないようである。

 日本外交の3本柱が、日米同盟、アジア外交、国連外交であるとすると、国連の頂点に立つ総長の存在は重要である。過去の国連事務総長の国籍(ノル ウェー、スウェーデン、ミャンマー、オーストリア、ペルー、エジプト、ガーナ)が示すように、国連外交は妥協の産物であると言われる如く、大国でなく中立 国や小国から選出されてきた。日本と波長の合うアジア国家から次期国連事務総長が選ばれるか、反日的なアジア国家の息のかかった代表が国連を運営するかに より日本の国益や安全保障にも大きな影響を及ぼすものと考えられる。

 キャピタルヒルの上院の外交委員会で行われたボルトン国連大使の公聴会に出席(5月25日、9時半―12時)し、国連改革に対する米国の見解を垣間見たのでそれを記したく思う。

 通常の外交委員会と比較して、上院議員から厳しい質問が飛び交い、ボルトン国連大使とのバトルが見られた。その空気から米国の国連改革に真剣に取り組む 姿勢を感じると同時に国連に対する不満や苛立ちが蔓延しているようにも感じた。

 ネオコンの中心的存在であり核問題等で強硬な姿勢を崩さぬボルトン国連大使は、国連改革という変化に対応するにタフな存在でもあるし、また危険な存在でもあると思われる。

 国際テロ、地球環境問題、人権問題、民主化、エイズ等の多国間で協議すべき問題が増えており国連の役割が重要視されている。

 それらの問題を解決するために効率的な国連の運営を行うための国連改革、とりわけ機構や事務改革が必要である。

 米国は国連の通常予算分担金の約22%を拠出している。同盟国である日本は約20%であり、日米の二国で全体の40%以上を占めている。一方、グループ 77など発展途上国171カ国の合計は、約11%である。中国は2%、ロシアは約1%であり、発言権と分担金は不公平な関係にある。

 国連安全保障理事会の拡大を望む日本、ドイツ、インド、ブラジルによるG4決議案に対する米国の姿勢は消極的であるが、日本の常任理事国入りには賛同している。

 人権の抑圧を行っている国が国連人権委員会に入っており、国連の人権問題を困難にしている。

 ■次期国連事務総長の動き

 上院の外交委員会の公聴会で上院議員がボルトン国連大使に次期国連事務総長の動きについて質問がなされた。ボルトン国連大使は、「国連事務総長の選出 は、最重要議題の一つであり、この1年ほど水面下で議論されている」との返答があった。しかし、暗黙の了解で具体的な動きについては話されなかった。

 正式に立候補しているのは、タイのスラキアット副首相、スリランカのダナパーラ前国連軍縮局長、韓国のパン・ギムン外交通商部長官の3人である。その 他、東ティモールのノーベル平和賞受賞者のホルタ外相などが挙がっている。

 中国がタイの候補を推薦する動きを示している。ボルトン国連大使は、ポーランドの元大統領を推す動きがあるが、現実の動きは複雑である。

 常任理事国の拒否権が認められ、安保理15カ国のうち9カ国の推薦を受けなければならない。エジプトのガリ国連事務総長は、安保理15か国中、14カ国 の支持を得ながら、米国の拒否権行使により再選を阻まれたという例がある。

 中国・ロシアの台頭が著しく、国連改革、安保理拡大の問題も絡み、米英仏と中ロの対立により、次期国連事務総長選出は難航すると予測される。

 韓国は、日本より国連常任理事国である中国に接近すると考えられるが、日米の親密な国連外交から日本との関係も大切にすると読む。仮に国連常任理事国で あり、核兵器を保有し、靖国問題等で反日的な行動を示す中国と関係の深い国が国連事務総長に選出された場合、日本の国連外交は弱体化する。

 ベストのシナリオは、米国と協議し日米の利益に担うアジアの候補を国連事務総長として選出し国連改革を進めることである。名前をあえて挙げないが、外務 大臣、国連機関の長官を経験し、親日、新米でありながら中ロとも協調できるアジアの候補者は存在している。本命は、最終局面まで表に出ないようである。

 最悪のシナリオは、反日的な国連事務総長が選出され、日米が国連を軽視する行動に出る事態である。ブッシュ大統領とブレア首相はイラク戦争の失策を認知 した。それ以上に米国民は、中東の民主化等の海外への干渉より、米国内の充実並びに投資を望んでいる。換言すれば、孤立主義に向かう傾向にある。第一次世 界大戦の教訓と米国のウッドロー・ウィルソン大統領の提唱により生まれた国際連盟には、米国が加盟しなかった。米国の孤立主義が、外交の真空状態を形成し ファシズムの台頭を許し、第二次世界大戦を勃発させたとすると米国の孤立主義を回避する多国間外交は非常に重要であると考えられる。

 ■協調の理想としての国連を

 国連は、戦勝国で構成されている日本から見れば不平等な多国間機構である。しかし、世界大戦の膨大なる犠牲を経て生まれた平和を構築するための世界的な 機構である。筆者は国連の機構に7年間勤務し、国連を内部から観察した。国連を地球益を追求するための最重要機構だと思うが、理想と現実を握手させるため には抜本的な改革が必要であると考える。

 日本では、いや米国でも国連への分担金は血税の無駄遣いだという議論も聞かれる。しかし、冷静に国連の分担金を考えてみるとそれ程、高額だとは思えな い。例えば、190カ国以上が加盟する国連の通常予算分担金の合計は、年間で1754百万ドルである。2000億円に満たない。日本の分担金は、約400 億円である。一人当たりで換算すると400円である。一方、日米同盟に伴う米軍の再編に関わる日本の負担は、3兆円とも言われている。沖縄からグアム島へ の約8000人の米海兵隊の移転に伴う日本の財政負担は約7000億円と言われている。この移転費用の額だけで国連の3年分の予算である。

 アーノルド・トインビーは、「歴史の研究」の中で国連について以下の見解を述べている。

 衰退に至った文明の歴史の中に、必ずしも実現することに成功しなかったとしても、事態を収拾する別の解決法が発見されたことが認められる。それが協調の 理想である。その精神が現代に現れたのが、国際連盟と国際連合である。国連そのものは、世界のそれぞれの国の人民とは直接つながっていない。政府を通じて つながっている。人民に直接つながる国連が必要である。

 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
2005年05月29日(日)ギターボーカリスト 兵頭ニーナ
 私がグルジアに行くと言う話はもう半年も前から始まっていた。3月になって具体的な予定を立てヴィカに伝えると、ヴィカはすぐに前より広いアパートへ引越しした。同時に住まいから目と鼻の先にカフェのための物件も確保した。

 そんな訳で私がトビリシに着いた時、まだまだ荷物も片付いてなくてドアーを入って正面のリビングルーム(大広間)の半分はリニュアル中のイス、大小各テーブル、長椅子などで埋められていた。

 昼過ぎ特に決まった時間でもなくやって来るサーシャじいさんがこの仕事を請け負っているのだが何だか仕事をしてる風には見えない。「どうしてもっと早くこないの?」とリューバ母さんに聞いたら何と大学の教授らしい。本業だけでは生活が苦しいのでアルバイトに来てるのだ。

 サーシャじいさんは一見70歳代に見える。グルジア人は老けるのが早いと聞いていたから60歳代かも知れない。おしゃれなストライプのシャツにコールテ ンの黒のパンツ、若者が履いてそうなガチッとしたミニブーツといういでたちに最初はこちらの職人さんてこんなにこぎれい?と感心してたが大学の教授と聞い て納得した。

「ニーナ見て下さいこの家具類。日本だったら今頃とっくに終わってるはずなのにグルジアタイムではなかなかはかどらなくて本当に困るわ。これが出来ないとお客様も呼べないしどうしよう」

 ヴィカは毎日ぼやいている。20年も日本に住んでいたので感覚はすっかり日本人のようだ。どんな契約? 時間? それとも個数? 布の張直し、金と黒の色塗り等で1脚150円と彼がいったのを500円払うから急いで仕上げて下さいと頼んだのだ。

 こんないい仕事を何故ちゃんとやらないのか不思議だったが、3時頃に出されるめずらしい食事と一杯のウォッカが魅力らしい。よくよく聞いたらリューバ母 さんの目をくすねて何時の間にかウォッカのボトルが空に近かったというから驚いた。それで遅ればせながらお酒の置き場所を変えた。

 サーシャじいさんは2時間も仕事をすると大広間の隣のキッチンに行き、冷蔵庫を勝手に開けて何かを飲む。それから中庭への窓を開けて煙草を吸ったりしてしばらく休憩を取る。さてそれからひとふんばりと思いきや妻の具合が悪いのでとか言ってさっさと帰ることもたびたび。

 これじゃあ仕事にならない。加えて経験が浅いせいか仕上げが悪い。ぶつぶつ文句をいいながら夜になるとヴィカが手直ししている。見かねて、いい加減時間の駄目押しをしたらどうかと提案した。

 翌日、この数週間我慢していたものがいっきに噴出たヴィカはあと2、3日で終わらなければもう貴方は必要ないわ。「見てこの仕上げ! これでプロといえるの? プライドがあるならきちっとやり直して下さい!」とまくしたてた。

 これがきいたらしい。携帯でもかけたのか、しばらくして帽子から靴までミリタリールックに身をかためた30歳代ぐらいの息子とやらがやってきて手伝いを 始めた。おっ!こりゃ仕事がはかどるかも知れないと期待したが、きっと別の仕事のあい間にでも来たのだろう。やっぱり2時間もしないで帰ってしまった。

 しかしサーシャじいさんはめずらしく6時過ぎまでがんばった。いやはや何時終わることやら。

 ニーナにメール mailto:nina2173@v7.com
2006年05月19日(金)
ギターボーカリスト 兵頭ニーナ
 10月にいさととリューバ母さんが3ヶ月ぶりに日本から帰ってくる。

 同じ頃フランスから娘とフィアンセも来るということでヴィカのアパートに私もマンジュも居場所がなくなった。ホームステイしか考えていなかった私は ちょっと予定が狂った。まあそれぞれにアパートを探そうと思っていたら言葉もまだ不自由なマンジュが「お互いの部屋があればルームメイトでいっしょに住も う。そしたら淋しくもないし」と言ってきた。意外な申し出にびっくりしたが、この辺は結構物騒な事件も多いし身の安全にもその方がずっといい、それに誰か がいれば確かに淋しくないしと同意し早速部屋探しを開始。

 いくつか物件を見たが何だか気に入らない。ある日タムリコの紹介で不動産やのザミーラがやってきてポリアシヴィリ通りをマルシュートカで6~7分、降り てから急な坂道を5~6分ほど登った団地の一階の部屋を見せてくれた。

 入ってすぐ左に一部屋、続いてキッチンそれから広いリビングルームその隣にもう一部屋と希望どおりの配置で何よりまるでホテルみたいにきれいだ。

 大家のマリーナはお医者さん。アメリカに住んでいる娘さん家族の部屋だそうでかなり内装や家具にお金をかけている。しかも殆ど新しい。これ以上はないだ ろうと即決、3日後に2ヶ月分前払いで500ドルを渡したら目の前でマリーナが紹介料としてザミーラに1ケ月分渡していた。とてもオープンだ。

 契約書,領収書など一切ないので心配になってザミーラに聞いたが「ここでは普通よ、大丈夫問題ないから」というだけ、まあ信用する他ないね。

 9月末の翌日、エムザリのタクシーでトランク3つ、ボストンバッグひとつ、ギターを積んで越してきた。鍵とのりのきいたシーツ、ピロケース、フトンカ バーのセットを二組渡してくれたマリーナにふと「テレビは無いんですか?」と聞いたら「ダア、ダア」と翌日にはテレビを買ってきたので驚いた。

 しかも半年分のケーブルテレビ料金も払い済みといたれりつくせり。見られるチャンネルは50以上あった。

 住まいの環境は一変した。ポリアシヴィリでは24時間、車の騒音と排気ガスの匂いに悩まされていたが、ここでの夜は怖いほど静かだった。

 急斜面に8棟ランダムに建てられた10階建て団地のすぐ後ろは山に続いている。空気はおいしく感じられるし街より温度は2~3度低いだろう。

 私の部屋の前には50坪ほどの小さな公園がありうっそうとした木の下のベンチには日中、子供や老人や赤ちゃんを抱いた若いお母さんなど入れ替わり立ち代りやってくる。子供達は本当にみんな食べてしまいたいほど可愛いい。

 夜はタツミンダ山のテレビ塔のキラキラと輝く美しいイルミネーションが窓からよく見える。

 マンジュの部屋の前には赤いポールと白い金網に囲まれたコンクリートの運動場があり土,日曜日になるとフットボールに興じる少年達の元気な声が一日中たえない。トビリシのごく普通の生活の中に溶け込んだ気がする。

 ところで団地のごみ捨て場っていうのがすごいね。各棟の一階もしくは半地下の10畳くらいの空間に何の分別も無しにぼんぼんゴミが捨てられ1週間に1回 くらい6トンぐらいのゴミ収集車がやって大~きなスコップで半日がかりでゴミをトラックに乗せている。能率悪い事この上ない。

 困ったことに上の階からゴミや壊れた家具などをほおり投げてくる人もいる。ときおりゴミを捨てに行って鉄の扉を開けると下の隙間からものすごい勢いで数匹の猫が逃げていく事があり、最初驚いたがこの頃はだいぶ慣れた。

 中がいっぱいでもないのに扉の前にごみを置いていく奴にはほんと怒ってやりたい!ハエはくるし表はどんどんゴミの山になる。団地ばかりでなくゴミはこの国の大きな問題になっているらしい。

 カフェには前より30分ほど早く起きて通うようになり帰りはマルシュートカがない時や一人の時は危険を避けてタクシーを使うようにした。タクシーは料金 メーター表等ないからその都度行き先を言って交渉する。私は言葉も解るので大丈夫だけどマンジュが一人の時はいつもぼられてしまう。住まいからカフェまで 1分から30分になって色々勉強になることが多かった。

 ニーナにメール mailto:nina2173@v7.com
2006年05月17日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄
 昨年8月に「アイ・アム・ノット・チャイニーズ」「醜い南アの日本人社会」「ヘイ・チャイナ・チャイナ」など筆者の青春の軌跡をコラムで書いた。きょうはその続きのようなコラムを書きたい。

 1966年だからちょうど40年前、筆者が南アフリカのプレトリアに住んでいた時、ロバート・ケネディが南アにやってきた。南アはアパルトヘイトの全盛 時だった。そのアパルトヘイト政策に反対して拘束されていたケープタウン大学のイアン・ロバートソンの招聘に元米司法長官が応じたのだから、南アにとって は大変な事件だった。

 人種差別の政権を支持する多くの南ア国民にとってロバート・ケネディの来訪は迷惑そのものだったに違いない。だが、心ある市民にとっては自由と平等の伝道師に映ったに違いない。

 ロバート・ケネディの南ア来訪は、15歳の日本人の少年にとっても衝撃的出来事だった。人種差別をなくさなければならないという理想をあちこちで振りま いたのだから当然である。少年を感動させたのは単純な一言だった。「なぜ人種差別をなくさなければならないか。それは「そうすることがright thingだからだ」と述べたからだ。

「そうすることが正しいことだから」という一言はその後、ずっと筆者の思考や行動の規範となっていた。

 ケネディの南アでの言葉は、同国のリベラル紙「Rand Daily Mail」の冊子として残された。母は「Robert Kennedy in South Africa」と題したその冊子を英語学習の素材とした。筆者は母が読み終わったその冊子をもらって一字一字読みこなそうとした。母の書き入れがたくさん あった。

 当時の筆者の英語力ではかなわないものだったが、大学入試の時に読み直し、その後も何度か声を出して読み返している。部分によっては暗記してしまった。 アメリカの良心がまさにここにあるという大切な冊子で、高校の日本史と世界史の教科書と同じように筆者にとってバイブルのような存在だった。

 アメリカという国はどういうことを考えているのか。今でもそういうことを考えるときに読み返す教科書となっている。数日前から、再びその冊子を読み返し、デジタル化して残しておこうと考えた。

 ケネディが1966年6月6日、ケープタウン大学で行った「Day of Affirmation」と題した演説を一字一字ワープロに打ち込んでいて、そのタイトルのDay of Affirmationの意味について考えた。何かキリスト教的な意味合いがあるのではないかと思って、ネットで検索したところ、偶然にもその演説のテキ ストを発見した。

 感動したのは、40年前に世界の片隅で語ったロバート・ケネディの演説が実は彼の残した数少ない演説の一つとして存在していたことであった。その上、彼の音声までネット上で聞くことができたことに心が震えた。
 
  We must recognize the full human equality of all our people ? before God, before the law, and in the councils of government. We must do this, not because it is economically advantageous ? although it is; not because the law of God and man command it ? although they do command it; not because people in other lands wish it do.
 We must do it for the simple and fundamental reason that it is the right thing to do.

 Day of affirmation前文は以下のサイトで。
 http://www.yorozubp.com/0605/060516.htm
JUNE 6 1966, DAY OF AFFIRMATION SPEECH
at UNIVERSITY OF CAPETOWN

In freedom's name
2006年05月16日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄
  I came here because of my deep interest and affection for a land settled by the Dutch in the mid-seventeenth century, then taken over by the British, and at last independent; a land in which the native inhabitants were at first subdued, but relations with whom remain a problem to this day; a land which defined itself on a hostile frontier; a land which has tamed rich natural resources through the energetic application of modern technology; a land which once imported slaves, and now must struggle to wipe out the last traces of that former bondage.

  I refer, of course, to the United States of America.
  But I am glad to come here to South Africa. I am already enjoying my visit. I am making an effort to meet and exchange views with people from all walks of life, and all segments of South African opinion ? including those who represent the views of the Government. Today I am glad to meet with the National Union of South African Students.

  For a decade, Nusas has stood and worked for the principles of the Universal Declaration of Human Right ? principles of which embody the collective hopes of men of goodwill all around the world.

  Your work, at home and in international student affairs, has brought great credit to yourselves and to your country. I know the National Student Association in the United States feels a particularly close relationship to Nusas.

  And I wish to thank especially Mr. Ian Robertson, who first extended this invitation on behalf of Nusas, for his kindness to me. It's too bad he can't be with us today.

  This is the day of Affirmation ? a celebration of liberty. We stand here in the name of freedom.

  At the heart of that Western freedom and democracy is the belief that the individual man, the child of God, is the touchstone of value, and all society, groups the state, exist for his benefit.

  Therefore the enlargement of liberty for individual human beings must be the supreme goal and the abiding practice of any Western society.

  The first element of this individual liberty is the freedom of speech; the right to express and communicate ideas, to set oneself apart from the dumb beast of field and forest; to recall government to their duties and obligations; above all, the right to affirm one's membership and allegiance to the body politic ? to society ? to the men with whom we share our land, our heritage and our children's future.

  Hand in hand with freedom of speech goes the power to be heard ? to share in the decisions of government which shape men's lives. Everything that makes life worthwhile -- family, work, education, a place to rear one's children and a place to rest one's head ? all this depends on decisions of government; all can be swept away by a government which does not heed the demand of its people.

  And even government by the consent of the governed, as in our own Constitution, must be limited in its power to act against its people; so that there may be no interference with the right to worship, or with the security of the home; no arbitrary imposition of pain or penalties by official high or low; no restriction on the freedom of men to seek education or work or opportunity of any kind, so that each man may become all he id capable of becoming.

  These are the sacred rights of Western society. These were the essential differences between us and NAZI Germany as they were between Athens and Persia.

  They are the essence of our difference with communism today. I am unalterably to communism because it exalts the state over the individual and the family, and because of the lack of freedom of speech, of protest, of religion and of the Press, which is the characteristic of totalitarian state.

  The way of opposition to communism is not to imitate its dictatorship, but to enlarge individual human freedom ? in our own countries and all over the globe. There are those in every land who would label as "communist" every threat to their privilege.

  But as I have seen on my travels in all section of the world, reform is not communism. And the denial of freedom, in whatever name, only strengthens the very communism it claims to oppose.

  Many nations have set forth their own definitions and declarations of these principles. And there have often been wide and tragic gaps between promise and performance, ideal and reality. Yet the great ideals have constantly recalled us to our duties. And ? with painful slowness ? we have extended and enlarged the meaning and the practice of freedom for all our people.

  For two centuries, my own country has struggled to overcome the self-imposed handicap of prejudice and discrimination based on nationality, social class or race ? discrimination profoundly repugnant to the theory and command of our Constitution. Even as my father grew up in Boston, signs told him that "No Irish need apply".

  Two generations later President Kennedy became the first Catholic to head the nation; but how many men of ability had, before 1961, been denied the opportunity to contribute to the nation's progress because they were Catholic, or of Irish extraction?

  In the last five years we have done more to assure equality to our Negro citizens, and to help the deprived, both White and Black, than in the hundred years before. But much more remains to be done.

  For there are millions of Negroes untrained for the simplest of job, and thousands every day denied their full equal rights under the law; and the violence of the disinherited, the insulted and injured, looms over the streets of Harlem and Watts and Southside Chicago.

  But a Negro American trains as an astronaut, one of mankind's first explorers into outer space; another is the chief barrister of the United States Government, and dozens sit on the benches of court; and another Dr. Martin Luther King, is the second man of African descent to win the Nobel Prize for his nonviolent efforts for social justice between the races.

  We have passed laws prohibiting discrimination in education, in employment, in housing; but these laws alone cannot overcome the heritage of centuries ? of broken families and stunted children, and poverty and degradation and pain.

  So the road toward equality of freedom is not easy and great cost and danger march alongside us. We are committed to peaceful and nonviolence change and that is important for all change is unsettling. Still even in the turbulence of protest and struggle is greater hope for the future, as many learn to claim and achieve for themselves the rights formerly petitioned from others.

  And most important of all, all the panoply of government power has been committed to the goal of equality before the law ? as we are committing ourselves to the achievement of equal opportunity in fact.

  We must recognize the full human equality of all our people ? before God, before the law, and in the councils of government. We must do this, not because it is economically advantageous ? although it is; not because the law of God and man command it ? although they do command it; not because people in other lands wish it do.

  We must do it for the simple and fundamental reason that it is the right thing to do.

  We recognize that there are problems and obstacles before the fulfillment of these ideals in the United States as we recognize that other nations, in Latin America and Asia and Africa have their own political, economic, and social problems, their unique barriers to the elimination of injustice.

  In some, there is concern that change will submerge the rights of a minority, particularly where the minority is of a different race from the majority. We in the United States believe in the protection of minorities.

  We recognize also that justice between men and nations is imperfect, and that humanity sometimes progresses slowly.

  All do not develop in the same manner, or at the same pace. Nations, like men, often march to the beat of different drummer, and the precise solutions of the United States can neither be dictated nor transplanted to others What is important is that all nations must march toward increasing freedom; toward justice for all; toward a society strong and flexible enough to meet the demands of all of its own people, and a world of immense and dizzying change.

  In a few hours, the plane that brought me to this country crossed over oceans and countries which have been a crucible of human history. In minutes we traced the migration of men over thousand of years; seconds, the briefest glimpse, and we passed battlefields on which millions of men once struggled and died. We could see no national boundaries, no vast gulfs or high walls dividing people from people.

  Everywhere new technology and communications bring men and nations closer together, the concerns of one inevitably becoming the concerns of all. And our new closeness is stripping away the false masks, the illusion of difference which is at the root of injustice and hate and war. Only earth bound man still clings to the dark and poisoning superstition that his world is bounded by the nearest hill, his universe ended at river shore, his common humanity enclosed in the tight circle of those who share his town and views and the color of his skin.

  It is your job, the task of the young people of this world to strip the last remnants of that ancient, cruel belief from the civilization of man.

  Each nation has different obstacles and different goals, shaped by the vagaries of history and experience. Yet as I talk to young people around the world I am impressed not by the diversity but by the closeness of their goals, their desire and concerns and hope for the future. There is discrimination in New York, the racial inequality of apartheid in South Africa and serfdom in the mountains of Peru.

  People starve in the streets of India; a former Prime Minister is summarily executed in the Congo; intellectuals go to jail in Russia; thousands are slaughtered in Indonesia; weather is lavished on armaments everywhere, These are differing evils; but they are the common works of man. They reflect the imperfection of human justice, the inadequacy of human compassion.

  And therefore they call upon common qualities of conscience and of indignation, a shared determination to wipe away the unnecessary sufferings of our fellow human beings.
I
  t is these qualities which make of youth today the only true international community. More than this I think that we could agree on what kind of a world we want to build.

  It would be a world of independent nations, moving toward international community, each of which protected and respected basic human freedoms. It would be world which demanded of each government that it accepts its responsibility to ensure social justice. It would be a world of constantly accelerating economic progress.

  It would , in short, be a world we would be proud of to have built.

  Just to the north of here are lands of challenging and opportunity ? rich in natural resources, land and minerals and people. Yet they are also lands confronted by the greatest odds ? overwhelming ignorance, internal tensions and strife, and great obstacles of climate and geography. Many of these nations, as colonies, were oppressed and exploited.

  Yet they have not estranged themselves from the broad tradition of the West; they are hoping and gambling their progress and stability on the chance that we will meet our responsibilities to help them overcome their poverty.

  In the world we would like to build, South Africa could play an outstanding role in that effort. This is without question a pre- eminent repository of the wealth and knowledge and skill of the continent. Here are the greater part of Africa's research scientists and steel production, most of it reservoirs of coal and electric power. Many South Africans have made major contributions to African technical development and world science; the names of some are known wherever men seek to eliminate the ravages of tropical disease and pestilence.

  But the help and the leadership of South African or the United States cannot be accepted if we ? within our own countries or in our relations with others ? deny individual integrity, human dignity, and the common humanity of man. If we would lead outside our borders; if we would help those who need our assistance, if we would meet our responsibilities to mankind; we must first, all of us, demolish the boarders which history has erected between men within our own nations ? barriers of race and religion, social class and ignorance.

  Our answer id the world's hope; it is to rely on youth. The cruelties and obstacles of this swiftly changing planet will not yield to obsolete dogmas and outworn slogans. It cannot be moved by those who cling to a present which is already dying, who prefer the illusion of security to the excitement and danger which comes with even the most peaceful progress.

  The world demands the qualities of youth: not time of life but a state of mind, a temper of the will, a quality of the imagination, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over the love of ease. It is a revolutionary world we live in; and thus , as I have said in Latin America and Asia, in Europe and in the United States, it is young people who must take the land.

  "There is" an Italian philosopher, "nothing more difficult to take in hand, more perilous to conduct, or more uncertain in its success than to take the lead in the introduction of a new order of things." Yet this is the measure of the task of your generation and the road is strewn with many dangers.

  First, is the danger of futility; the belief there is nothing one man or one woman can do against the enormous array of the world's ills ? against misery and ignorance, injustice and violence. Yet many of the world's great movements, of thought and action, have flowed from the work of a single man. A young monk began the Protestant reformation, a young general extended an empire from Macedonia to the border of the earth, and a young woman reclaimed the territory of France.

  "Give me a place to stand ," said Archimedes, " and I will move the world."

  These men moved the world, and so can we all. Few will have the greatness to bend history itself; but each of us can work to change a small portion of events, and in the total of all those acts will be written the history of this generation. Thousands of Peace Corps volunteers are making a difference in isolated villages and city slums in dozens of countries. Thousands of unknown men and women in Europe resisted the occupation of the Nazis and many died, but all added to the ultimate strength and freedom of their countries.

  It is from numberless diverse acts of courage and belief that human history is shaped. Each time a man stands up for an ideal, or acts to improve the lot of others, or strikes out against injustice, he sends forth a tiny ripple of hope, and crossing each other from a million different centers of energy and daring those ripples build a current which can sweep down the mightiest walls of oppression and resistance.

  "If Athens shall appear great to you," said Pericles, "consider then that her glories were purchased by valiant men, and by men who learned their duty." That is the source of all greatness in all societies, and it is the key to progress in our time.

  The second danger is that of expediency; of those who say that hopes and beliefs must bend before immediate necessities. Of course, if we would act effectively we must deal with the world as it is. We must get things done. But if there was one thing President Kennedy stood for that touched the most profound feelings of young people around the world, it was the belief that idealism, high aspirations, and deep convictions are not incompatible with the most practical and efficient of programs--that there is no basic inconsistency between ideals and realistic possibilities, no separation between the deepest desires of heart and of mind and the rational application of human effort to human problems. It is not realistic or hardheaded to solve problems and take action unguided by ultimate moral aims and values, although we all know some who claim that it is so. In my judgment, it is thoughtless folly. For it ignores the realities of human faith and of passion and of belief--forces ultimately more powerful than all of the calculations of our economists or of our generals. Of course to adhere to standards, to idealism, to vision in the face of immediate dangers takes great courage and takes self-confidence. But we also know that only those who dare to fail greatly, can ever achieve greatly.

  It is this new idealism which is also, I believe, the common heritage of a generation which has learned that while efficiency can lead to the camps at Auschwitz, or the streets of Budapest, only the ideals of humanity and love can climb the hills of the Acropolis.

  A third danger is timidity. Few men are willing to brave the disapproval of their fellows, the censure of their colleagues, the wrath of their society. Moral courage is a rarer commodity than bravery in battle or great intelligence. Yet it is the one essential, vital quality of those who seek to change a world which yields most painfully to change. Aristotle tells us that "At the Olympic games it is not the finest and the strongest men who are crowned, but they who enter the lists.... So too in the life of the honorable and the good it is they who act rightly who win the prize." I believe that in this generation those with the courage to enter the moral conflict will find themselves with companions in every corner of the world.

  For the fortunate among us, the fourth danger is comfort, the temptation to follow the easy and familiar paths of personal ambition and financial success so grandly spread before those who have the privilege of education. But that is not the road history has marked out for us. There is a Chinese curse which says "May he live in interesting times." Like it or not we live in interesting times. They are times of danger and uncertainty; but they are also more open to the creative energy of men than any other time in history. And everyone here will ultimately be judged--will ultimately judge himself--on the effort he has contributed to building a new world society and the extent to which his ideals and goals have shaped that effort.

  So we part, I to my country and you to remain. We are--if a man of forty can claim that privilege--fellow members of the world's largest younger generation. Each of us have our own work to do. I know at times you must feel very alone with your problems and difficulties. But I want to say how impressed I am with what you stand for and the effort you are making; and I say this not just for myself, but for men and women everywhere. And I hope you will often take heart from the knowledge that you are joined with fellow young people in every land, they struggling with their problems and you with yours, but all joined in a common purpose; that, like the young people of my own country and of every country I have visited, you are all in many ways more closely united to the brothers of your time than to the older generations of any of these nations; and that you are determined to build a better future. President Kennedy was speaking to the young people of America, but beyond them to young people everywhere, when he said that "the energy, the faith, the devotion which we bring to this endeavor will light our country and all who serve it--and the glow from that fire can truly light the world."

  And, he added, "With a good conscience our only sure reward, with history the final judge of our deeds, let us go forth to lead the land we love, asking His blessing and His help, but knowing that here on earth God's work must truly be our own."
2006年05月15日(月)
長野県南相木村国保直営診療所長 色平(いろひら)哲郎
 皆さんは「人間の安全保障」という言葉を耳にされたことがおありだろうか。

 一般に安全保障といえば、外からの侵略に備えて領土を守る軍事的取り組みや、外交政策を通じて国家の利益を守ろうとすること、「核」の脅威から人類をど う守るかといった国際的連携などが思い浮かぶだろう。安全保障の概念は、とかく「国家」の枠組みを中心にとらえられがちだった。「戦争の世紀」と呼ばれた 20世紀、国際社会は、帝国主義による大戦とその戦後処理に追われ、安全保障の道筋を国家単位で探った。

 しかし、多くの人々の「安全・安心」は、国際的な武力衝突や政情不安ばかりでなく、日常生活における困難によって崩される。自分と家族の食べ物は十分に あるか、病気に罹ってもちゃんと治療を受けられるか、仕事を失わないか、犯罪に巻き込まれないか、住む場所を失うことはないか、言いたいことが言え、思想 や宗教によって弾圧を受けたり、暴力を振るわれたりしないか......など、身のまわりにこそ危機の火種は潜んでいる。

 市場原理に重きを置くグローバリズムが全世界を覆うなか、貧困が構造的に固定されている途上国の人々は、これらの身のまわりの危機が現実のものとなって いる。各国別の「平均余命」を見ればいい。アフリカやアジア、中南米諸国の人々の命の短さ......。人、モノ、資金、情報が国境を越えて移動する現在、地域的 な紛争やテロ、感染症などの脅威もボーダーレスで地球に拡がる。もはや国家単位の防衛思想だけでは、人々の安全は守れない。

 大切なのは現実に生活を圧迫している状況をいかに取り除くか。途上国に負担を押しつければ済むのではなく、国境を越えて「人の生活を守り、維持する」取 り組みが不可欠となってきた。そこで国際的な開発支援に取り組む人たちのなかから「人間の安全保障」という実践的概念が提示されてきたのである。

 国連で人道支援に長く携わった緒方貞子氏(現JICA理事長)とノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・セン氏(現ハーバード大学教授)のふたりを共 同議長とする「人間の安全保障委員会」が作成したリポートは、人間の安全保障を「人間の生にとってかけがえのない中枢部分を守り、すべての人の自由と可能 性を実現すること」と説明している。

 具体的には「恐怖」と「欠乏」を生活の脅威ととらえ、それを取り除かねばならないとする。「恐怖」は、紛争、テロ、人権侵害、難民、感染症の蔓延、環境 破壊、経済危機、災害など、「欠乏」は貧困、飢餓、教育・保健医療サービスの欠如などによって深刻化する。

「恐怖」と「欠乏」がキーワードだ。われわれが身をおく医療界が果たす役割がいかに大きいことか......。03年8月、日本政府も遅ればせながら「人間の安全 保障」の考え方を取り入れたODAの実施を謳った。途上国支援でこの考え方が大切なのは言うまでもない。だが、ほんとうに重要なのは「人間の安全保障」が 先進国、途上国の区別なく、普遍的なテーマだという認識であろう。

 長野県上田市の作家・伊波(いは)敏男さんは、私の大切な友人のひとりだ。伊波さんはハンセン病回復者で社会福祉の分野でも活躍している。自らの半生を 描いた『花に逢わん』『夏椿、そして』(ともに日本放送出版協会)は、珠玉の名作だと思う。

 伊波さんが左足の異変に気づいたのは故郷・沖縄で暮らしていた小学六年のときだった。その時点でハンセン病の診断がついていれば、すでに特効薬はあった ので手足が不自由になることはなかったと思われる。ところが診断まで2年半かかり、療養所での生活へ。25歳で療養所から出て、福祉工場に職を得て自立。 10年前、52歳で退職した。

 日本政府は、01年、それまでのハンセン病患者に対する「隔離政策」の非を認め、元患者に賠償金を支払った。そのとき、伊波さんから「何かの役に立てな いか」と相談を受けたので、私はフィリピンには医師や看護師の「頭脳流出」で満足に医療サービスを受けられない人が大勢いることを話した。「昔の沖縄と そっくりですね」と伊波さんは、賠償金のほとんど約700万円を「フィリピンの医学生奨学金」として寄付。「伊波基金」が創られたのだった。

 この基金は、フィリピンで「ふるさとに留まって地域のために働く医師や看護師の育成」を目的として設立された。伊波さんのお金は、マニラの銀行に預けら れる。この銀行の経営者は、通常より2%ほど高い「10~12%」の金利で基金を運用。仮に100万円の基金で年間10~12万円の利息がつけば、利息分 だけで学生1人1年間の学費、生活費が賄える。700万円あれば、元金を取り崩すことなく、年間、7人の医学生の勉強と生活を保障できるというわけだ。

 伊波基金発足から5年、先日、その奨学金を得て助産師となり、クリオン島という小さな島で働いているチョナさんという女性の話が新聞に載った。クリオン 島は60年代半ばまでハンセン病患者の隔離場所だった。以下、記事を引用。

「優秀な成績で高校を卒業したチョナは、父の借金と地元自治体の奨学金で99年、レイテ島のフィリピン国立大学医学部レイテ分校に進学した。同校は学ぶ期 間に応じて順に保健師、助産師、看護師、医師の資格を得られるステップアップ方式を採っている。家計の事情で短期間しか学べなくても何らかの資格が得られ るように、との配慮だ。

 02年、チョナは助産師の国家試験に合格。だがこれ以上、父に借金を負わせるわけにはいかない。進学を断念しかかった時、大学から伊波基金の話を聞かさ れた。(中略)04年春に卒業したチョナはクリオン島に戻り、島にある唯一の病院で働く。島外から来てくれる医師や看護師はほとんどいない。逆にチョナが 島外、海外に働きに出れば、父の借金はたちまち返済できるだろう。『でも、島に育ててもらった私はここで恩返ししたいのです』」(朝日新聞・大阪本社版  4月17日付け)

 伊波基金は、政府のODAに比べれば規模は小さいが、より本質的な「人間の安全保障」といえないだろうか。

 色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
2006年05月08日(月)
萬晩報通信員 成田 好三
 札幌ドーム開設前の古い話です。読売巨人軍は毎年夏場に「札幌シリーズ」を主催していました。開催場所の札幌・円山球場には照明設備がありませんでしたから、試合は当然デイゲームで行われました。

 しかしです。その当時、巨人軍の主催試合を「独占中継」していた日本テレビは、昼間に行われた札幌シリーズ3連戦を、臆面もなく夜のゴールデンタイムに放送していました。

 すでに結果の分かっている試合を夜に全国録画中継する。いまではあり得ないことです。当時、日本テレビは何故、そんな変則的な番組編成をしたのでしょうか。答えは簡単です。それでも他の番組をはるかに超える高視聴率を稼げたからです。

 共同通信が5月1日、巨人戦の視聴率に関する記事を配信しました。短い記事なので、ここに見出しを含め記事の全文を掲載します。

 ■巨人戦の視聴率が過去最低 4月の月間で12・6%

  ビデオリサーチは1日、各テレビ局が4月に中継したプロ野球巨人戦ナイターの月間平均視聴率が、関東地区で12・6%だったと発表した。月別の集計が ある1989年以降で、4月の月間平均視聴率としては過去最低となった。ビデオリサーチによると、これまで4月の巨人戦ナイターの月間視聴率は、昨年の 12・9%が最低。ことし4月で最も低かったのは、26日の対広島戦(TBS)で8・8%。最も高かったのは、21日の対阪神戦(日本テレビ)で16・ 3%だった。巨人は原辰徳新監督の下、4月末で2位中日に4ゲーム差をつけて首位に立っており、好成績が視聴率に結び付かない結果となっている。(共同通 信、5月1日)

 時代は大きく変わりました。ほんの3年ほど前ならば、誰も考えもしなかった現象が起きています。2004年のプロ野球再編騒動以降、それまでは永続的に 続くと考えられてきたプロ野球人気、なかでも球界の盟主と自認し、他球団もそれに依存してきた巨人軍人気に大きなかげりが現れてきました。

 開場以来、連日「大入り満員」をうたってきた東京ドームに空席が目立ち始めました。2005年からの「実数発表」によって、ドームの空席は数字としても裏付けられました。

 巨人戦の視聴率低下は、ビデオリサーチが定期的に公表しているので隠しようもありません。再編騒動以降、ゴールデンタイムの「目玉商品」であった巨人戦の中継は、いまやTV局にとって「お荷物」扱いになっています。

 巨人戦の低視聴率に関して、球団を保有する読売新聞や主催試合をいまでもほぼ独占中継する日本テレビは、いやそればかりではなく、他球団の主催試合を生中継する他のTV局も、さまざまな「言い訳」を用意してきました。

 いわく、プロ野球人気、巨人軍人気が構造的に低迷しているのではなく、たまたまこの時期の巨人軍の成績が低迷しているからだ、などというものです。

 しかしです。先に記事にあるとおり、4月の巨人戦の「過去最低の視聴率」は、こうした言い訳を吹き飛ばしてしまいました。巨人軍は4月、圧倒的な強さでリーグの首位に立っており、「好成績が視聴率に結びつかない結果になっている」からです。

 多くの日本人はもはやプロ野球、なかでも読売巨人軍だけを特別扱いしなくなったのです。縄のれんのある飲み屋のTVでは常に巨人戦の中継が流れ、客たち は巨人戦をさかなに酒を飲む。サラリーマンが帰宅した家庭では、父親が巨人戦を見ながらビールを飲む。そんな光景はとっくの昔に終わっていたのです。

 読売巨人軍とTVの巨人戦中継だけが特別扱いされる。そうした時代は終わったのです。「神話」はすでに崩壊してしまったのです。神話崩壊の事実を認めた 上で再出発するのか、そうでないのか。神話崩壊を認める選択からしか、プロ野球の再生はあり得ないでしょう。(2006年5月3日記)

 成田さんにメールは mailto:narinari_yoshi@yahoo.co.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://blogs.yahoo.co.jp/columnoffside
2006年05月04日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄
 きのうは憲法記念日だった。後輩と昼飯を食べながら語った。
「おう、憲法記念日って外国にあるかな」
「聞いたことないっす」
「そうだろう。普通は独立記念日だとか建国記念日はあっても憲法発布を記念するなど噴飯物だ」
「憲法記念日っていつ誰が決めたのでしょうか」
「それは分からない。アメリカに付和雷同した輩が決めたに違いない」

 Wikipediaで調べてみると、「国民の祝日の一つ。1947年5月3日に日本国憲法が施行したのを記念して、1948年公布・施行の祝日法によっ て制定された。1946年の憲法改正の議会審議がもう少し早ければ、2月11日の紀元節(現・建国記念の日)が憲法記念日となる案も存在していた。公布日 の11月3日は、日本国憲法が平和と文化を重視していることから文化の日になっている。この日に生まれた子供には、「憲司」や「憲子」といったように、名 前に「憲」の字を入れることがある」とある。ばかばかしいにもほどがある。

 アメリカからいただいた日本国憲法をいくら占領下とはいえ、その施行日を国民の祝日にするなどという発想はどうもいただけない。

 日本には明治22年、すでに帝国憲法を制定している。アメリカがやって来て初めて憲法なるものに接したのではない。内容はともあれ、日本国憲法は明治憲法の改正条項に基づいて「改正」されたにすぎない。

 憲法記念日を明治憲法の発布の日とするならばいざ知らず、「改正日」を記念とした昭和二十年代の日本人を軽蔑したい。突然、そんな思いがもたげてきた。

 日本国憲法は明治憲法の改正条項に則り、改正された。問題は中身だ。一番の問題は9条ではない。「国民は・・・」で始まる多くの条項だ。日本国憲法は一度だって国民の審判を経ていないにも関わらず、「国民・・・」の条項が多すぎるのだ。

 当時の吉田内閣は国民の一人かもしれない。国民主権をうたった内容で、あたかも国民が決めた憲法のような体裁をとっていることが問題なのだ。筆者はそのころ生まれていないが、わが父母の世代は一度も国民投票を行っていない。

 ということはわが日本国憲法は根本のところで「うそ」があるのだ。明治憲法は欽定憲法の名のごとく、天皇陛下が制定したものだが、その明治憲法下で改正された日本国憲法は、法的にいえばまさしく天皇が制定した憲法なのだ。

 天皇が制定したにもかかわらず、「国民・・・」がという条項はどうも合点がいかない。いま、自民党は憲法改正のための国民投票法の導入を目指しているが、憲法改正の前にあるのは、現在の日本国憲法の是非を遅まきながら国民投票にかけることなのではないかと思う。

 仮に、日本国憲法が国民投票で否決されるとどうなるのだろうか。法的には明治憲法が直ちに復活することになる。

 筆者は日本国憲法の内容を否定するものではない。国民主権は当然で、天皇は象徴でいいと考えている。しかし、物事には手続きがある。日本国がちゃんとした手続きを経た国家でありたいと思っているだけである。

 国民主権の国家を国民が決めたこともないのにさらに憲法記念日ってないでしょ。
 みなさんどう考えますか。

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