2006年2月アーカイブ

2006年02月23日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄
  三重県に来てから2年が過ぎた。一番多く訪れたのはやはり伊勢神宮である。平均すれば月に2回は訪ねている。内宮を参拝するとき、必ず別宮の風日祈宮(か ぜひのみのみや)にも立ち寄る。風日祈宮は五十鈴川の辺にあり、風の神さまである級長津彦命(シナツヒコノミコト)を祀る。外宮にも風宮があり、同じシナ ツヒコを祀る。

 内宮の参拝者のほとんどは風日祈宮を訪れない。それもそうかもしれない。神宮のお社はほとんど同じ形をしていて、区別がつかないから面白みがないのかもしれない。

 しかし、それぞれの宮や社には存在する意味がある。その面白みは日本書紀や古事記を繰り返し読んでいるうちに自然と身に着く。偉そうにいっても筆者はその現代訳しか知らない。それでも知らないよりずっとましなのだ。

 神話によると日本をつくったのは、イザナギとイザナミということになっている。淡路島をまずつくったが出来が悪かった。次に大和。大日本豊秋津洲(おお やまととよあきつしま)という美しい名前が付いた。さらに伊予洲と筑紫洲が生まれ、隠岐、佐渡の双子が出来た。その後に生まれた越、大洲、吉備の合計8つ の州をあわせて大八洲(おおやしま)と呼ぶ。次いで山川草木を生み出した。

 二人はさらに子づくりに励んだ。最初に生まれたのは天照大神。太陽神のアマテラスで、次は月の神だった。月読尊(ツクヨミノミコト)という。ともに見目 麗しかったので天に送った。3番目は蛭子で、4番目が素戔嗚尊(スサノオノミコト)だった。最後に火の神、軻遇突智(カグツチ)が生まれたが、伊弉冉尊は その時、火傷を負って死んでしまう。この一連の物語を「神産み」という。この中で二人は風の神も生む。級長津彦(シナツヒコ)である。級長戸辺(シナト ベ)ともいう。

 日本が神風の国だという根源の神さまである。日本の歴史で神風が吹いたのはそう多くない。元寇の折りには神風が日本を救った。今回のトリノ・オリンピックのジャンプ陣には神風は吹かなかった。

 話を転じる。伊勢国の枕ことばは「神風」である。垂仁天皇の御代に倭姫命(ヤマトヒメノミコト)が天照大神を伊勢の地にお祀りした際に、天照大神が述べたことばが日本書紀に出ている。

「この神風の伊勢国は、常世(とこよ)の浪の重浪帰(しきなみよ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うま)し国なり。この国に居らんと欲(おも) う」。伊勢国は常世の浪がくりかえしよせる国である。大和の国の近くにある美しい国である。だからこの国に住みたいと思う。

 歴史解説書は「常世」や「可怜し国」について多く語っているが、筆者は「神風」が気になってならなかった。三重県に住んでいるとやたら「風」というキーワードが出てくるからである。 

 三重県の中部を南北に走る青山高原には本州屈指の風力発電基地がある。風車はすでに24基あり、総発電能力は1万8000キロワット。3月には2000 キロワットの発電規模の風車が8基新たに加わり、3万4000キロワットとなる。

 2年前の秋、三重県は台風銀座となった。毎週のように大型の台風がこの地を襲った。秋口には伊勢湾岸が台風の通り道になる。古来、伊勢地方の住民は台風 の襲来に備えることを常としてきた。尾鷲という地名は多分、台風や大雨の代名詞として多くの日本人の記憶に刻まれているに違いない。

 伊勢湾から関に抜ける道はそのまま鈴鹿越えで琵琶湖へと風が抜ける。もっと北側の鈴鹿を越えて近江八幡に抜ける街道にまで八風街道という名が残ってい る。三重大学の農学部の元教授に同大の風力発電実験施設を見せてもらったことがあるが、この元教授が言っていた「伊勢は風の通り道なんです」という一言が 耳にこびり付いていた。

 元教授がつぶやいた一言が伊勢神宮の意味を思い起こさせた。そういえば伊勢の枕ことばは「神風」である。いつの間にか、伊勢の国津神は風の神だったのではないかということを考えるようになっていた。お伊勢さんの原型が風神だったらおもしろい。

 太陽は恵みの神であるが、風はそうではない、特に台風は禍そのものであり、古くから沿岸に住み着く海民にとって日々、命を預ける存在である。神を祀るの は自然の恵みに対する感謝である一方、災いを免れるための祈りでもある。

 現在社会で事故があった道に信号機が設置されるように、太古では災害があった場所に祠を建てるのはごく自然のことであった。死者が出れば人々がその場所 に「花を手向ける」のも自然な感情の表れであろう。自然の感情で風の通り道に祠が生まれても不自然でない。

 三重県にとって風の道をもっと現代に蘇らす発想が必要なのかもしれない。
2006年02月22日(水)
Nakano Associates 中野 有
 ワシントンにジョン・F・ケネディーが通ったカトリックのセイント・マッシュー教会がある。前方には、ケネディーの遺体がアーリントン墓地に向かう前に安置された場所があり、「ケネディーは1963年11月25日、この地より天国に蘇る」と記されている。

 今、その場所でこのコラムを作成している。ずっと熟成してきた平和構想を練るにあたりケネディーの知的直感を分けてもらおうと思ったからだ。静寂な教会の中で考えるコラムも悪くない。

 上院議員であったケネディーは平和戦略を描き、大統領としてそれを実現させた。12の平和戦略構想の基軸は、抑止力としての核、宇宙開発、共産主義封じ 込め政策としての経済協力・平和部隊である。ソビエトの核の脅威に直面する情勢の中、米国民を奮い立たせる夢と理想があった。

 ケネディーは、フルシショフに対抗し核の抑止力を増強するのみならず、米国民が一体となる科学技術の分野、とりわけ宇宙開発の重要性を訴えたのであった。ソビエトより先に月面着陸を成功させ、科学技術の優位が最大の抑止力になると考えたのであった。

 さて、現在の日本にはケネディーが描いたような平和戦略は存在しているのであろうか。なければ描く必要がある。

 筆者は中国脅威論を唱えるのでなく、科学技術・宇宙開発の分野で中国と正当な競争を行うべきであると考える。それがアジアの地位向上につながる。中国と 正常な交渉を将来にわたり継続するためには、少なくとも中国と均衡するハードパワーを持たなければいけないと考える。矛盾するようだが、東洋的なソフトパ ワーを実践するためには、抑止力としての戦略的な優位性を構築しなければいけない。

 日本が直面する最大の脅威(国際テロや自然災害を除く)は、北朝鮮の核と中国の脅威である。最悪のシナリオを想定した場合、北朝鮮の核兵器は、中国、ロ シア、米国、韓国に使用される確率より日本に向けられる確率が高い。中国は核保有国であり、国連常任理事国であり、宇宙開発の重要性を認識している。そし て反日感情を持っている。

 中国や北朝鮮から日本の国体に関わる異常な干渉を核の矛先と共に向けられる可能性はある。現にその兆候は出ている。日本が、怯むことのない毅然とした態度を保つことができるのであろうか。核を超越する抑止力を有しなければ真剣勝負を木刀で臨むようなものである。

 日本は核兵器を持つべきであるか。否である。核を持ったところで世界の普通の国になるだけである。世界で唯一の被爆国としてのユニークな戦略を生み出す べきである。持ってしまうより、数ヶ月で核兵器を保有できる技術力を養うことと、外交交渉に核をちらつかせることに意義があると考える。

 朝鮮半島問題のシナリオは4つに集約できると考えている。経済協力・文化交流を通じたソフトランディング、軍事関与と強硬な経済制裁によるハードランディング、ステータスクオ(現状維持)、核を有する朝鮮半島。

 崩壊すると考えられてきた北朝鮮が存続している主因は、米中が戦略的にステータスクオが得策だと考えているからだと思われる。北朝鮮の脅威が適度に生み 出されるステータスクオで、米国は東アジアの安全保障を有利に展開できるし、基幹産業である軍事産業の追い風となる。中国は富国強兵策に役立つ。

 北朝鮮問題は、勢力均衡とステータスクオの状況の中、日本が唱える拉致問題や経済制裁はナイーブに映る。

 本当に拉致問題を解決するためには、ステータスクオの風穴を開ける技が求められる。それは、北朝鮮の核抑止から中国脅威論に至るまで、日本のナショナリ ズムの高揚により核保有論が出てくることを非公式に伝えることにより、ステータスクオの修正が起こるという見方である。米中は日本の核保有を防ぐ戦略に出 る可能性が高い。

 昨年末、ワシントンでインドの外務大臣の講演に耳を傾けた。会場にはかつてのインドに対する米国の態度でなく、パートナトーとしての尊敬が伴うインドへ の視線があった。インドには哲学に由来する科学技術の力がある。核保有後のインドは、明らかにパワフルになった。核の拡散に反対するアメリカが、対インド に関しては典型的なダブルスタンダードを行っている。

 先週、キャピタルヒルで、ライス長官の公聴会とグリーンスパン元議長の後任のバルナンキ議長の公聴会に出席した。中国問題が重要議題として取り上げられ た。中東の民主化を唱え選挙を実現させた米国の外交が裏目に出て、選挙により選出された政権は反米色の強いものになった。その結果、外交に回された税金が 何の役にも立たなかった反動から、米国が孤立主義に向かう傾向がある。それに対し、国務省は孤立主義を回避するために、中国やインドに対する関与政策を高 めると読むことができる。

ある講演会で、胡錦涛主席の母は、日本兵に殺され、そのことを胡錦涛主席が世界のビジネスリーダーの前で語った話を聴いた。それが真実であるかどうか確認が必要だが、日本に対する恨みは強いと思われる。

 日中の不幸な歴史を払拭するためにも日本は中国に対し、経済・文化交流のソフトパワーを更に深化させることは不可欠である。同時に、日本は、抑止力とし て中国より進んだ科学技術、即ち宇宙空間から抑止力としての防衛網を確立させることが重要である。核を超越した抑止力を有するべきである。

 日本は40年以上前に実践されたケネディーの平和戦略を参考に以下の対中平和戦略を考案する必要があると考える。

 日本は、

1.中国より先に月面着陸を実現させる。

2.宇宙開発という分野でアジアのリーダーになる。

3.日本の叡智を結集し、核の脅威を超越する宇宙の分野での世界最先端の科学技術並びに抑止力としての防衛網を実現させる。

 これが実現されなければ、日本は卑屈になり、中国の干渉に対し偏狭なナショナリズムが高揚し将来不幸な結末を迎えることになると考えられる。科学技術や 宇宙構想の実現のための資金は、勝ち組と負け組みの格差が拡大する日本の社会問題を解決するためにも、勝ち組の資金の効率的な運用が期待される。

 そんな大きな平和戦略の夢と理想をケネディーが好んだ教会で考案してみた。

 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
2006年02月21日(火)
ギターボーカリスト 兵頭ニーナ
 8月終わりやっとのことでヴィカの店がオープンした。

 日本で20年も働いてスリランカに帰っていたマンジュを呼び寄せキッチンを任せ、フロアーはロシア語、グルジア語、ウズベキスタン語あわせて5カ国語を 話すタムリコが担当、私は全般を見ながらキッチンを助け、夜はたまにギターを弾いて唄った。

 ところで開店当日そうそう停電になり困ったが、翌日すぐにジェネレーターを買った。周りを良く見ると半分ぐらいの店がジェネレーターを備えていた。次は水が出なくなる事。これもレストランには致命的である。

 マスチェルのやる事を見てたら何と水道のフィルターからじゃりじゃりと砂が出てきた。半地下のせいなのだろうか? 翌日から1日に2回はキッチンとトイレの水道のフィルターの掃除をした。

 肝心の料理だが、ヴィカのおかげでグルジアにはない調味料が豊富にそろっているので良いメニューが作れた。とんかつ定食、焼肉定食、コロッケ、オムライ ス、ピラフが良く受けた。マンジュのお得意「白身魚のオリエンタルソース」やカレーも評判がよかった。

 値段もリーズナブルでこれなら来やすいと日本人の方に喜んでもらえた。

 店の前はとても人通りが多いが、奥のキッチンの窓から見る中庭には数十メートルはある杉の林があり表通りとのギャップがおもしろい。 しかしある日、一 瞬のすきに窓の鉄格子から手をのばしてきて網を裂き日本からわざわざ持ってきたスケールを盗まれたのは痛かった。

 タムリコのグルジアタイムにもなかなか慣れなかった。なにしろ11時半開店だというのに12時過ぎの出勤はしょっちゅうでそれから掃除をはじめる。

 隣のマガジンに働くナナにコーヒーを誘われたりすると仕事途中で行ってしまう。隣からも毎日誰かコーヒーを飲みにくる。もちろんお金は払わない。1日6ラリ(400円ぐらい)で働く娘に1ラリは高くて払えないのだ。

 ある日とても上品な身なりの老婦人がきてコーヒーはいくら? と聞くので1ラリ(5、60円ぐらい)ですと答えたら「まあ! 高いこと」と憤慨してい た。しかし近くのティーハウスやレストランは2~3ラリしてるけどね。はじめの頃、コーヒーや紅茶を頼んでハチャプリなどを持ち込んで食べる人もあったが 今は断ることにしている。

 キッチンが暇になるとマンジュは店の表に出て美人鑑賞を楽しんだ。なにしろ10人のうち9人ぐらいは美人で、その9人のうちの一人は女優かモデルにした いくらい綺麗だ。女の私でもいくら見ていても飽きない。ついにマンジュは道の向こうに勤める新婚6ヶ月のアンナに恋をした。

 アンナも毎日出勤前にカフェに来てモーニングコーヒーを楽しだりショートメールが行ったり来たり・・・本当か嘘か仕事の無い旦那とさっさと別れたいなどといってマンジュを誘っていた。

 人妻への横恋慕は危険だから気をつけなさいと言っておいたが、ついに旦那が現れ、一言でも妻と口を利いたら殺すぞと言われすっかりしょげていた。

 まわりは良く見てるもので結婚してる彼女が悪い! とみんながマンジュをなぐさめた。いつのまにか前の店からアンナの姿が消えた。でも本当のところ可愛 くて働き者で上品でいい娘だった。結婚していなければマンジュとはお似合いだったのにと残念に思う。

 ニーナにメール mailto:nina2173@v7.com
2006年02月20日(月)
長野県南相木村診療所長 色平(いろひら)哲郎
ふだん「政治」なんて遠い世界の話、と感じている人は少なくないでしょう。しかし、衣食住はじめ生活のすべてが、じつは政治の動きと密接に結びついています。

政治が遠く感じられるのは、何かが起こらなければ、その大切さに気づかないほど、わたしたちの感覚がマヒしているからでしょう。

秋田県に「鷹巣(たかのす)町」という小さな、けれども福祉の最先端をゆく町がありました。日本で初めて「個室&ユニット型」の老健施設を建てた町です。以下、浅川澄一・日本経済新聞編集委員の記述から引用します。

『始まりは、1991年に岩川徹町長が誕生したときである。新町長は就任直後に、町民の声を聞いて回る。「住民からは老後の不安が最も多かった」。翌年、すぐにデンマークを視察し、同国に倣って24時間の訪問介護を取り入れる。これが、まず本邦初であった。

デンマークへの視察は、町の職員ばかりか町民も加わる。施設や在宅介護の実情をじかに見たり、体験を重ねた。これが、ワーキンググループという町独自の住 民参加運動につながる。50人以上の住民が、様々な高齢者ケアについて、提言し、時には実行者になるのがワーキンググループだ。(中略)
ハードばかりではなく、介護の現場のソフトも利用者の立場に立った柔軟な仕組みを導入した。看護師も作業療法士もヘルパーと同様におむつ交換に入る。入居 者の要望にあわせて職員が動く。起床から食事時間など利用者に合わせる。職員の動きやすいような取り決めではない。施設運営では珍しいことだった。職員数 も、国基準の3対1から、できるだけ1対1に近づけようと、2対1は切っていた』

これほど進んだケアを行っていた町が、03年に行われた「町長選挙」をきっかけに一変します。岩川町長は選挙で敗れ、「病院長」が新しい町長となりました。病院を経営している人だから、さぞかし医療や福祉に対して進んだ考えをもっているだろう、と思いきや、とんでもない。

「福祉で全国一にならなくてもいい。身の丈にあった福祉で十分」とこれまでの町の方針を頭から否定するのです。そして、元気な老人のためのミニデイサービ スの予算が削られて廃止されます。町のなかにあったグループホームも閉鎖。町は広域合併で「北秋田市」となるのですが、全国に先がけて「虐待防止」を宣言 した「安心条例」も、05年9月の議会で廃止されてしまいます。

「条例があると、介護者の負担になる」というのが、その理由。国会では「高齢者虐待防止法」が成立し、国をあげてお年寄りへの虐待をやめましょうと呼びかけるようになっていただけに時代に「逆行」する決定といえるでしょう。

さらには福祉の町・鷹巣のシンボルだった「ケアタウンたかのす」が、町からの予算を削られて、現場のリーダーだった有能な人材が次々と退職へ追い込まれました。

あっというまに鷹巣町は、十数年の歳月をかけて築いてきた福祉、ケアの財産が消えてしまいました。建物でも、ケアのしくみでも、築きあげるには長い時間 と、大勢の努力が必要です。かんたんにはいきません。でも、壊すのは一瞬でできてしまいます。いったん壊せば、再生するのは至難の業です。

政治の世界は、ある意味で壊したり、つくったりのくり返しで成り立っています。重要なのは「誰のために、何を目的として」それを行うか、です。

鷹巣町の岩川前町長は、最初に町の人々の意見を聞いて回っています。一般の町民が何を求めているか、真剣にさぐっています。「町民のために」という気持ち がはっきりしていました。聞き取りを行った結果、「老後が不安」という切実なニーズに行き当たります。ならば、その声にこたえようとして全国有数の「オン リーワン」といえるケアの町をつくったのです。

かたや、病院長の新町長は「身の丈」つまり、町の財政に応じた福祉でいいと断言しました。この発言そのものは、さほど問題はないように聞こえますが、安心 条例を廃止するに当たって「介護者の負担になる」とホンネが出ました。介護をする人たちは、強い援軍と感じるかもしれませんが、「介護者の負担を減らすこ と」が介護の目的なのでしょうか。誰のために介護は行われるのでしょう。介護現場はケアをする側の都合で左右できるものではありません。介護をしている人 も、いずれ歳をとれば介護を受ける側に回ります。

介護を受ける高齢者の満足度が少しでも高まらない限り、ケアを行う側の過酷な労働条件も向上しないのです。

とかく病院の経営者は、医療を行うのは医者の仕事。素人の患者はつべこべ言わずについてきなさい、といった態度をとりたがります。しかし、そのような傲慢 な態度に国民的な反発が高まり、医療紛争が次々と起きるようになりました。患者さん、あるいは介護を求める高齢者と、同じ目線に立たなければ「明日」は見 えてきません。

鷹巣町の出来事は、いつ、日本ぜんたいの運命に重ならないとも限りません。

いま、「医療制度改革」や「診療報酬改定」など、医療の根本的なしくみの変化にまつわる記事が新聞紙面をにぎわしています。高齢者への医療費負担が増える 一方で、小児科や産婦人科など医師のなり手が少なくて困っている分野には少し手がさしのべられてきたようです。ひとつひとつの細かい決めごとを一度で理解 しようとするのは難しいことです。医療の専門家でも完璧に理解できている人は少ないでしょう。

ただ、難しい制度の話も「誰のために、何を目的に?」というソボクな疑問を持ち続けながら読めば、案外、新しい発見があるのではないでしょうか。

 色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
2006年02月19日(日)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
  預言者ムハンマドの風刺漫画に対するイスラム教徒の怒りは、デンマーク製品・不買運動をしたり、路上で国旗を焼いたりするだけではおさまらない。インドネ シアや中東諸国では、デンマークをはじめ欧州諸国の外交施設が襲撃され放火されただけではなく、死者まで出ている。デンマークの風刺漫画の件がおさまって いないのに、今度はベルリンの新聞に掲載された別の風刺漫画のことでイラン人が憤慨して、連日テヘランのドイツ大使館に押し寄せて火炎瓶を投げる。

 このような状況を見て、「西欧」対「イスラム」の「文明の衝突」が勃発したように思う人も少なくないし、欧州では今後、イスラム教に対する不安や反感が強まりそうな気がする。 
  
 「言論の自由」のテスト

 去年の8月頃、デンマークの児童文学作家カーレ・ブルイトゲンが預言者ムハンマドとコーランについての子ども向きの本を書きイラストレーターをさがし た。イスラム教ではムハンマドを描くことがタブーである。また前年オランダでイスラムをテーマにした映画監督が殺されたこともあって、彼から話をもちかけ られた3人のイラストレーターが断る。4人目は名前を出さない条件の下で承諾。児童文学者はこのように人々が自己検閲をする状況について嘆いた。

 「ユランズ・ポステン」誌は人口550万のデンマークで、発行部数15万を誇る最大の新聞である。児童文学者の嘆きを耳にした文化部編集長は、「デン マークで自己検閲がひろがって、表現の自由がイスラム・テロの脅威で制限されているかどうかのテスト」をすることにして、40人のイラストレーターに預言 者ムハンマドの漫画をかいてくれるかどうかを尋ねた。そのうちの12人が承諾し、昨年の9月30日に彼らの風刺漫画が新聞に掲載された。ちなみに、これら の風刺漫画はインターネットで見ることができる。

http://face-of-muhammed.blogspot.com/

 掲載された漫画を見ると、挑発することが風刺の目的であり、そのためか、ムハンマドを犯罪者、自爆テロと結びつけようとする傾向が眼につく。一番イスラ ム教徒を怒らせたのは点火された爆弾付きのターバンをまいたムハンマドで、これは自爆テロの風刺である。別の漫画では、預言者が雲の上に立っていて、列を つくってのぼって来る自爆テロリストに対して「ストップ。(天国には)処女が品切れだ」といっている。これは、自爆テロに走るイスラム教徒の男性が死後天 国で処女にかしずかれると信じているといわれるからだ。

 すべての風刺がこうだったわけでなく、なかには抽象的で意味がよくわからないものもある。興味深いのは緑色の黒板の前に立つ「7年生A組」の生徒になっ たムハンマドで、生徒は黒板にアラビア文字で書かれた「ユランズ・ポステン誌は反動的挑発者集団」を棒でさしている。これは新聞社側が理解できなかったの で掲載されたといわれる。

 訴訟と外交ルート
 
 掲載後ユランズ・ポステン誌に謝罪を求めるイスラム教徒住民の抗議デモがあった。二人のイラストレーターが殺すと脅かされて隠れなければならなくなり、「表現の自由がイスラム・テロの脅威で制限されている」ことが証明される。

 掲載されてからほぼ一ヶ月後の10月28日に、デンマークのイスラム関係11団体がユランズ・ポステン誌の冒涜罪違反を告訴した。記者会見で代表者は、 風刺漫画より、それといっしょに掲載された記事のほうに「イスラム教徒を侮蔑するユランズ・ポステン新聞の意図が表現されている」と説明している。これは 風刺漫画より、記事のほうが裁判で証拠として認められると彼らが判断したからである。今年に入って1月に地区検事が彼らの告訴を却下した。

 昔からデンマークは「表現の自由」に対する権利が他の基本的人権より保護されている国として知られている。前世紀の60年代ドイツでポルノが解禁されて いなかった頃、その種の出版物はこの国から来た。少し前まで、ドイツをはじめ隣国で禁止されているネオナチ関係出版物もこの国で入手できた。この国で冒涜 罪による最後の有罪判決が1934年に下されたことも、「表現の自由」の伝統を物語る。このような事情から、告訴が受理されなかったことも当然で、イスラ ム関係団体は欧州人権裁判所に提訴すると発表している。

 この紛争に関して外交ルートも早い時期に機能しはじめた。10月19日デンマーク駐在イスラム諸国・11カ国(トルコ、イラン、パキスタン等)の大使が 共同でデンマーク首相に手紙を出し、ユランズ・ポステン誌の謝罪を求めて外相と会見する。彼らはデンマーク側の対応に満足できず、問題をイスラム諸国会議 (OIC)やアラブ連盟といったより高いレベルに格上げする。

 このムハンマド風刺漫画問題は、昨年の11月、12月の段階ではデンマークの国内で議論されて報道されたかもしれないが、当時欧米のメインストリーム・ メディアはほとんど取り上げていない。それなのに、さまざまなカラーの国際機関が心配して介入しているのは、イスラム諸国会議(OIC)をはじめアラブ諸 国関係の国際機関が議題として取り上げ抗議したからと思われる。こうして、言論の自由が問題にされていることから「世界新聞協会」、また欧州審議会 (CoE)、欧州連合(EU)、国連人権高等弁務官事務所などが怒っているイスラム諸国をなだめようとする。

 例えば、12月7日付けの「コペンハーゲン・ポスト」によると、ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務官はイスラム諸国会議(OIC)に「彼ら(デン マーク在住のイスラム教徒)の心配が私に理解でき、、、他の人々の宗教に対する尊敬の欠如をしめす発言や行為を残念に思う」と回答した。二週間後、フラン コ・フラッティーニ欧州委員会・副委員長も「正直なところ、この種の絵は欧州のイスラムに対する不安を増大させる可能性がある」と風刺漫画を掲載したユラ ンズ・ポステン誌を批判した。

 このような国際社会での反応に接して、ラスムセン首相は年頭のあいさつの中で「デンマーク政府は宗教団体や少数民族を悪者扱いする試みをいっさい弾劾する」と述べ、この発言はイスラム諸国から肯定的に評価され、デンマーク側は事態が沈静化すると判断したといわれる。

 紛争のグローバル化
 
 デンマークに20万人あまりいるイスラム教徒のなかには、原理主義者とよばれる過激な人々もいる。5千人から1万人が過激なイマーム(宗教指導者)の影響下にあるといわれている。

 この過激なイスラム教徒は、訴訟とはまったく別の道を歩む。それは紛争のグローバル化で、彼らはイスラム教徒がデンマークで陥った窮状を訴えるために昨 年の11月と12月にイスラム諸国に使節団を派遣した。使節団は、主要イスラム諸国で宗教関係者や政治家と会談したといわれる。

 現在、問題にされているのは、彼らが訪問先で配布した43頁に及ぶ資料集である。というのは、「(デンマークには)人種差別を育成する風土がある」とい う文章ではじまるこの資料集には、ユランズ・ポステン誌に掲載された12枚だけでなく、3枚の出典不詳の風刺漫画も含まれていたからである。それらは、子 どもや動物相手の性行為をテーマにしたものと、預言者の顔を豚として描いたもので、普通の新聞には掲載されそうもないものである。使節団主要メンバーのイ マームは、記者に対して、これらの出典不詳の漫画と新聞に掲載されたものとを区別して提示したと強調している。とはいっても、使節団からデンマークの状況 説明を聞いたイスラム諸国関係者の誤解を招く行為であったことは間違いないようだ。

 預言者ムハンマドの風刺漫画がユランズ・ポステン誌に掲載された9月30日から大使館焼き討ちがはじまる1月末までの4ヶ月間にイスラム諸国で起こった ことはあまり報道されていない。でも12月のはじめにデンマーク人がパキスタンに滞在しないようにという警告が発されたことや、カシミールのパキスタン人 が風刺漫画のために抗議ストライキをした外電がある。
 
 イスラム圏で抗議デモをしている人々のほとんどは、自分で見たことないもない風刺漫画について怒っているといわれる。こうなるのは、欧米人が自分たちを 見下して屈辱感をあたえる機会を待っていると思い込んでいるからである。今回の風刺漫画も、彼らのこの固定観念を証明する無数の事例の一つにすぎない。

 12月エジプトの選挙でムスリム同胞団が躍進した。またパレスチナでハマスが圧倒的勝利をおさめた。このような「反西欧感情」の高まりを見たイスラム諸 国の政権担当者が、国内で過激派だけがこの追い風を利用できないようにするために、沈静していた風刺漫画事件を蒸し返した。これが、今回燎原の火のように ひろがった抗議デモのきっかけだったといわれている。

 謝罪と同情

 イスラム諸国は、ムハンマド風刺漫画を掲載したことでデンマーク政府に謝罪することや掲載新聞社を処罰することを求めた。またノルウェー、フランス、ド イツなど他の欧州諸国の新聞社もユランズ・ポステン誌を援護して風刺漫画を転載したので、イスラム諸国は、これらの欧州諸国政府にも同じように謝罪や処罰 を要求している。

 西欧社会で暮らす平均的人間からみると、謝罪の対象になるのは、自分がしたことか、自分の依頼や命令で実行されたこと、また自分の監督下で起こったこと である。こうであるのは、謝罪と責任が彼らの頭の中では組み合わさっているからだ。イスラム諸国の要求がヘンに感じられるのは、風刺漫画を掲載した新聞社 が国営企業でないし、国家が「言論の自由」をはじめいろいろな人権が遵守されることに関して責任をもっていると人々が思っているからである。

 テレビに出て来たドイツのショイブレ内相がむっとして「なぜ政府が『報道の自由』の行使中に起こったことのために謝罪しなければいけないのか。国家がそ んなことに介入したら、それこそ報道の自由の制限への第一歩になる」と謝罪要求を断ったが、これがヨーロッパ人の平均的考え方である。

 イスラム諸国が求めている謝罪には法的な意味合いがあまり含まれていないかもしれない。彼らが要求しているのは、ルイーズ・アルブール国連人権高等弁務 官やフランコ・フラッティーニ欧州委員会・副委員長が実行したように、理解や同情である。ところが、風刺漫画に怒りながら理会や同情を求めることができな いために「謝れ」というしかないようにも思われるが、この点がはっきりしない。

 もうかなり前、サミュエル・P. ハンチントンが、21世紀の紛争は、資本主義対社会主義というイデオロギーの対立でなく、文化や宗教の相違による「文明の衝突」になると書いた。イスラム 諸国の謝罪要求とそれに対する西欧諸国の反応を見ていると文化的相違というべきものが目立つ。でも「イスラム対西欧」という紋切り型の「文明の衝突」では なく、法意識の違いである。

 ボーダーレス現象

 デンマークのイスラム関係団体が訴えた理由の冒涜罪は、古臭い響きがあるが、現代風に言い換えれば「信仰の自由」である。ここから、新聞に描かれた預言 者ムハンマドの姿によってイスラム教徒としてその宗教的感情を傷つけられることを禁じる権利を導きだすことができる。とすると、今回の対立は「信仰の自 由」と「表現の自由」になる。どちらも、欧米諸国をはじめ地球上のいろいろな国の憲法で保護されている権利である。これも、「イスラム対西欧」という紋切 り型が胡散臭い理由の一つである。

 次に、(すでに述べたが、)デンマークは、隣国とくらべて「信仰の自由」よりも「表現の自由」が尊重されて冒涜罪が成立しにくい社会である。でもこれが この国の伝統で、昔は、(イスラム教徒をはじめ)外国から移住した人々は「郷に入れば郷に従え」でこの事情を尊重すべきであるとされた。その結果、今回の ような風刺漫画紛争など以前は起こりにくかった。

 ところが、今私たちは20世紀後半とは異なった国際社会に住んでいる。ひところ日本で「ボーダーレス」というコトバがよくつかわれた。確かにその通り で、外国で暮らしているのに自分の国を離れて外国に来ているという意識が希薄なボーダーレス人間が増えつつある。今回、デンマーク国内法を尊重してそれに もとづいて訴訟するのではなく、イスラム諸国に使節団を派遣して紛争をグローバル化したデンマークのイスラム過激派はボーダーレス人間である。

 このようなボーダーレス人間が増大したのは、前世紀の終わり頃から衛星放送やインターネットなどが発達したからで、ちなみに、現在ヨーロッパから市内通 話とあまり変わらない料金で遠い故国と電話ができる。こうして人々の意識のなかで国境線がどんどん細いものになり、遠くの国も近くなる。このようなボー ダーレス現象を「地球市民」の誕生として歓迎する人もいる。

 デンマークの新聞にどんな風刺漫画が掲載されているかなど、昔は、カシミールに住むパキスタン人にとってどうでもいいことであった。そうであったのは、 デンマーク人が遠くの国に住み、よく知らない存在であると思っていたからである。だから知らないことを知ろうとする人もいた。ところが、今や遠い国もボー ダーレス現象で近い国のように錯覚されて、その結果イスラム教徒でもないデンマーク人がムハンマドの漫画をかいたことで怒り、抗議デモにでかけて人死にま で出る。これは残念なことである。

 昔東欧圏から逃げてきた人々の緊急収容施設を訪れたことがある。それは町の体育館で、たくさんのベッドが並べられていて、いろいろな国の人々がプライバ シーももつこともできないまま、不機嫌な顔をして暮らしていた。テレビで遠くの国の人々が怒ってよその国の国旗を燃やしているのを見ると、あのときの体育 館の場面を私は連想する。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

 【編集者注】実は僕の高校時代の世界史の教科書にムハマンドの肖像画が載っています。このイラストには「マホメットの伝記に描かれた細密画。天使がマホメットに現れているところ」というキャプションがあります。
 細密画はイスラム世界の芸術です。回教徒が自ら書いたものだと思います。このことについてどこのメディアも指摘していません。
 きっとデンマークでの問題はムハンマドをへんな風に描いたことが問題なのだと思います。ムハンマドの肖像画は世の中に少なくないはずです。
2006年02月17日(金)
Nakano Associates 中野 有
 はじめにこのコラムは宣伝でないと理解していただきたい。筆者も驚く資産運用の情報を入手したので萬晩報の皆様にお伝えしたく思う。

 その年のグローバル経済のトレンドを読み解く術として、毎年1月にスイスで開催されるダボス会議と米国の一般教書演説が役に立つ。偶然にも両者の今年の共通項は、インド・中国・エネルギーであった。

 キャピタルヒルで開催される経済・外交関連の公聴会やシンクタンクのセミナーでも、上記の話題に事欠かない。

 我々がインド・中国・エネルギーの分野を通じ、如何にしてその恩恵を受けることができるのか。少し考え、その傾向と対策を提示したく思う。その傾向は、 ダボス会議と一般教書演説が示すとして、それを論じるよりインド・中国・エネルギーの3点を包括し、資産運用の恩恵を受ける対策を簡潔に述べたい。

 約5年前に筆者は萬晩報で、「円・ドル・ユーロで三等分の資産運用」というコラムを書いた。http://www.yorozubp.com/0012/001213.htm

 このコラムで伝えたかったことは、ゼロ金利の円の資産運用の欠点と金利の高いドル・ユーロの資産で運用することで恩恵を受けられると視点であった。現在のユーロとドルの上昇、とりわけユーロの上昇を考えると、このコラムの意義はあったと思う。

 最近のインドとロシアの株の上昇には目を見張るものがある。中国やインドの経済成長を支える豊富なロシアの資源の影響は大きい。この3カ国の連携が、イ ラン問題を始め中東から北朝鮮の問題までも影響を与えている。一昔前まで冷戦に勝利した米国の覇権主義が主流であったのに、世の中の変化は著しいもので、 今や冷戦中の東側陣営であったロシア・中国・インドが今年の世界経済の主役である。大きな変化である。

 一般人がこれら3カ国に投資するにはリスクを伴う。でも、このリスクを回避する手法はある。それは元本保証型のインド・中国・ロシアへの投資である。さらに驚いたことにピーク時の8割の投資資金を保証してくれるというものである。

 この投資信託は、オーストリア最大の銀行であるBank Austria Creditanstaltの商品である。何も宣伝する意図は毛頭ないが、筆者はウイーンの国連機関で勤務したとき以来20年近くこの銀行を使っている。 信頼できる銀行である。数日前、銀行の担当者から以下のロシア・インド・中国の投資信託に関する情報を入手した。先に述べたように元本保証のみならず、 ピーク時の8割を満期時に保証するという画期的な資産運用である。また、いつでも市場価格で売れるとのことである。ヨーロッパの金融界はよほどロシア・イ ンド・中国市場に自信を持っているとのだろう。ダボスでのホットな話題の実践そのものである。

 5年前に作成したコラム「円・ドル・ユーロで三等分の資産運用」を検証したように今回のコラムも5年後に検証したく思う。ユーロでロシア・インド・中国 に投資するのは最も安定した資産運用であり、その資産が保証されている投資信託は理想の理想であると思われる。

 中野さんにメール nakanoassociate@yahoo.co.jp
2006年02月16日(木)
太田 述正
 政策官庁がやっていることは、これまた単純化すれば、企業や個人の活動の規制や助長です。

 規制手段としては、罰則を伴う法律の策定がありますし、助長手段としては、減税や補助金の交付があるほか、この両者の組み合わせもありえます。

 政策官庁の「OB」は、知識と経験を本当に買われて天下りをするケースが、官需官庁、就中防衛庁に比べれば若干はあります。政策官庁の大部分は経済官庁 ですが、日本は吉田ドクトリンの下、安全保障は蔑ろにしてきたけれど、経済は最優先してきたお国柄だからです。

 とはいえ、政策官庁の大部分の「OB」もまた、仕事をすることを期待されない形で企業に天下っているのです。どこが官需官庁と違うかと言えば、天下った 「OB」に企業(業界団体を含む)が支払う年俸に対して当該企業が官庁側から受け取る対価が、計算式では表しにくいので、はたから見えにくいという点で す。

 もとより、補助金が交付されている企業に天下るような場合は別です。 しかし、個人に補助金が交付される場合は、そのことで裨益する企業(例えば、個人 が太陽電池を設置する場合、補助金が出るが、太陽電池をつくっている会社はそれによって裨益している)に天下りをすれば、対価関係はぼやけます。

 だから、政策官庁では、あまり天下りがらみの不祥事が露見しないのです(注4)。
  (注4)キャリア出身の大学教授をしばしば目にするが、若くして転身した場合はともかくとして、「OB」の場合は、官庁と大学との癒着関係の下での天下り が大部分だ。国公立大学は、(独立行政法人になった現在でも)、大部分が直接間接国費でまかなわれているし、私立大学も、国からの補助金なくしてはやって いけない。だから、財務省(旧大蔵省)や総務庁(旧自治省)のキャリアは容易に天下りできる。それ以外の政策官庁の場合も、審議会が沢山あり、その委員に 大学の教授を任命することで、大学に貸しをつくり、天下りの資とすることができる。なぜ貸しになるかと言うと、委員になれば、その教授も教授の属する大学 も共に箔が付くからだ。(教授については、将来、叙勲の等級が上がる、というメリットもある。) 
 ちなみに、ご存じの方もおられると思うが、中央官庁で課長以上の経歴のある者は、著書や論文が一つもなくても、日本の大学の教官になれることになっている。
 3 防衛施設庁談合事件への取り組み

 このように、天下りシステムは全省庁共通であり、しかも前にも申し上げたようにこれに、自民党がからんでいるわけです。とは言え、これらの問題を一挙に是正するのは、政権交代でもなければ不可能です。

 しかし、防衛庁限りでできることがいくらでもあります。

 第一に、自民党が防衛庁の利権に寄生している構図を建設部事件を手がかりとして、白日の下に晒すことです。

 第二に、防衛庁の天下りシステムの全体像を、建設部事件を手がかりとして白日の下に晒すことです(注5)。
  (注5)施設庁建設部の官製談合・天下りシステム(建設部システム)を用いて、建設部出身以外の施設庁「OB」のほか、内局キャリア「OB」も天下ってい る。このことだけをとっても、防衛庁事務次官・官房長・秘書課長のラインが建設部システムのからくりを熟知していたことは明らかだ。
 第三に、建設部システムに類似するシステムは、官需官庁共通に存在していることを示唆することです。
  (注6)今回理事長(前技術審議官)が逮捕された防衛施設技術協会の職員には、施設庁OB以外に会計検査院や旧建設省のOBがいる。これは、施設庁が建設 部システムを用いて、会計検査院「OB」や建設省「OB」までも天下りさせることで、会計検査院や建設省に恩を売り、その見返りに便宜を図ってもらうとい う関係があることを推測させる。
 第四に、その上で、防衛庁の天下りシステムを完全に撤廃することです。

 具体的には、勧奨退職制度をなくして年金受給開始年齢(65歳)まで全員を防衛庁にとどめることとする一方で、官製談合を止め、民民談合の徹底的な防止 策を講じ、かつ官側から企業への天下りの働きかけを一切行わないこととし、「OB」の再就職にあたっては、厳格にその妥当性を審査することとすべきです。

 その際、望むらくは、防衛庁職員だけを対象とした恩給制度の復活か、防衛庁職員を特別に優遇した年金制度の導入ですが、それが国民によって認められるか どうかは、第一から第四までの上記課題に防衛庁当局がどれだけ真摯に取り組むかにかかっているのではないでしょうか。

 そのためにも、私は、心ある現役の防衛庁キャリア、キャリアたる技官、そして将官及びその「OB」の方々に訴えたいのです。

 役所に入った時、任官した時の初心を思い出してください。
 そして、一人でも二人でも真実を語ってください。

 また、「OB」の方々は、一人でも二人でも天下り先企業から自発的に退職してください。

 建設部の現役と「OB」の一部の人だけが厳しく罰せられるのを座視するような臆病者ばかりだとすれば、あなた方が有事の際に命を賭けて国民のために奉仕をし、戦ってくれるなどと誰が信じることでしょうか。
(完)

(2月11日付、太田述正コラム#1077から転載)

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2006年02月15日(水)
太田 述正
 1 始めに

 以前(コラム#1055で)「私のコラムの読者・アクセス数が伸び悩んでいるのは、軍事の重要性とか日本が米国の保護国であるとか、自民党が構造的に腐 敗しているとか、気にはなるけど不愉快な話題をよく取り上げているからではないか。」と述べたところですが、もっとはっきり言いましょうか。私のコラムの 読者が自分自身の醜さを直視させられるからです。

 しかし、このところ、ブログへの週間アクセス数は、記録更新が二週続き、その勢いはなお止まっていません。急にマゾの人が世の中に増えた、ということなのでしょうか。(その一方、コラムの購読者数は目減り傾向が依然続いています。)

 とまれ、今回は、読者の皆さんの「醜さ」にズバリ切り込むことにしました。

2 あなたは昨年の総選挙で自民党や元自民党議員の候補に投票しましたか?

 イエス、と答える人がこのコラムの読者にも多いはずです。(海外にいらっしゃる読者は、日本の特定の選挙区に住んでいたとすれば、誰に投票したか、胸に手をあててお考えください。)

 その皆さんにお聞きするが、防衛施設庁談合事件で逮捕され、恐らく厳しい判決を受けることになる河野さんら3人は、当然の報いを受けた、とお思いですか。

 これにも、イエスと答える人が多そうですが、私に言わせれば、それはおかしい。

 自由民主党は、役所と業者との癒着のスキーム(天下りスキーム)と持ちつ持たれつの関係にあるからです。つまり、自民党をぶっつぶさない限り、このスキームを完全に解消することは困難なのです。

 持ちつ持たれつの関係とはいかなるものか。

 官需の調達に入札がからむケースにおいては、この天下りスキームは、談合システムの不可欠な一部分を占めています。

 官需の入札では、ほとんどすべて、談合で受注者が決まります。

 国や地方の役所(関係団体を含む)のOBが天下っている業者は、日本の全ての業者(A)の部分集合(B)です。他方、(党そのものではなく特定の)政治家に献金したり集票したりしている業者(C)もまたAの部分集合です。BとCは部分的に重なり合っています。

 役所は、Bの業者に、その受け入れ天下りOB数に応じて、官製談合によって官需を割り振っていきます。その一方で役所は、天下りOBがいない業者同士が 行う談合(民民談合)を黙認します。民民談合の仕切り役は、特定の業者であることが多いのですが、政治家の息の掛かった人が務める場合もあります。

 上記政治家達・・国会議員にあっては、そのすべてが自民党議員か元自民党議員なので自民党と言い換えても良い・・は、上記(天下りスキームを含むところ の)談合システムの存在を認識しつつ、このシステムの安定的維持を図るという役割を担っています。そのことによって、自民党は、官僚機構という巨大な利益 擁護団体に奉仕しているわけです。

 これに加えて、個々の政治家が動く場合もあります。民民談合の中で、仕切り役による官需割り当てに不満があり、受注したい(受注を増やしたい)のだけれ ど、役所のOBを(更に)受け入れるつもりのない業者が、政治家に陳情すると、今度はその政治家は役所に対し、この業者について、入札の際に指名する(指 名を増やす)ように「陳情」します。役所は、この企業を特別に指名することによって入札への参加実績をつくり(増やし)、民民談合の中で優先的に将来受注 できるように取り計らうことによって、「陳情」に答えるのです。当然、この業者のこの政治家への献金額は(少なくとも一時的に)増加します。

 では、自民党議員の中で、この種「陳情」を行わない人はどれくらいいると思いますか。

 私の直接的経験と、信頼のおける友人・知人の話を総合すると、私の防衛庁在職時には、地方選出議員に関する限りほとんどいなかった、と言えます。

 この状況は、今でも基本的に変わっていないでしょう。

 ですから、2月1日の国会で、1998年の「防衛庁調達実施本部を舞台にした背任事件で、参院での問責決議を受け防衛庁長官を辞任している」額賀福志郎 防衛庁長官(茨城2区選出の衆議院議員)が、答弁で、98年の事件を機に防衛庁の調達実施本部解体やチェック体制強化に取り組んだと説明し、防衛施設庁に ついて「問題を自らの問題としてきっちりと消化されていなかった。

 「施設庁は占領軍時代の特別調達庁として発足し、ある意味で特権意識を持っていた。その中に不正の温床があった」と指摘した、という記事(http://www.asahi.com/politics/update/0201/004.html。2月1日アクセス)を見て、そのあまりの鉄面皮さに怒るのを通り越して笑ってしまいました。

 ところで額賀さん。あなたは調達実施本部の事件で防衛庁長官を辞任した後、内閣官房副長官に返り咲いていた時に随分高圧的な物言いの電話を防衛庁にかけ てきたことがありますよね。あわてて、(現在の河野さんの何代か前の)施設庁技術審議官があなたのところにかけつけたのでしたね。聞くところによると、そ れは、少なくとも談合防止の話ではなかったらしいじゃないですか。

 さて、読者のうち、昨年の総選挙で自民党や元自民党議員の候補者に投票した皆さん。皆さんは、まぎれもなく、日本の談合システムの存続に力を貸したのです。

 河野さん達のこのシステムからの足抜けがいかに困難であったかに改めて思いを致し、不運にも逮捕されてしまった彼らに一掬の涙を流してあげてください。

3 あなたはマジに談合が悪いと思っているのですか?

(2月1日付、太田述正コラム#1067から転載)
(続く)

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2006年02月18日(土)
神宮司庁 石垣仁久
 皇室第一の重事

 南北朝時代、北朝年号の貞治2年(1363)という年に皇大神宮権禰宜の興兼(おきかね)が編纂した『遷宮例文』は、平安末期の長暦2年(1038)か ら嘉元2年(1304)まで266年の間に5回行われた式年遷宮の貴重な記録を集めています。

 この書は「夫れ伊勢二所太神宮は、20年に一度の造替遷宮は、皇家第一の重事、神宮無双の大営なり」という一文が記載されることでも知られています。皇 家とはすなわち皇室のことで、20年に一度の神宮式年遷宮は皇室の数ある祭政の中でも重事の筆頭とされ、神宮最大の営みであると、短文ながら遷宮の本質を みごとに言い当てています。

 式年遷宮は、皇祖神をおまつりする神宮の社殿や神宝を天皇の御発意によって20年に一度一新することが本質であり、天皇のなされる大神事であるからこそ、そこから国全体が若返るなどの考えも発生してくるのです。

 繰り返す再生

 式年遷宮を繰り返すことの主なメリットは建築様式と技術の伝承、神宝新調による工芸技術の伝承です。それらは確かに事実ですが、あくまで結果であって、最初から遷宮の第一の目的であったとは思えません。

 式年遷宮は「つくり替える」ことの繰り返しです。それは「再生」を繰り返すことで原点を永遠に保存するシステムであるといえます。まるで遺伝子に書き込まれているかのように、20年という年月をかけて日本という生命体が再生するためのプログラムなのです。

 再生を永遠に繰り返すという発想はおそらく、稲作から感得される日本人の時の観念に起因するものと思われます。田起こし、田植え、稲刈りを毎年繰り返 し、水田は何度でも再生して日本人の生活を支えてきました。長い間稲作を繰り返してきた日本人には、自然は循環し、時は再生するものと肌で感じたに違いあ りません。水田が毎年繰り返し再生することと、遷宮で神宮が再生することには、ことばで説明しきれない深い繋がりがあるに違いありません。

 過去・現在・未来

 古くから伊勢神宮が多くの人々の崇敬を集めてきたのは、時代を貫いてそのスタイルを保ち続けているからではないでしょうか。変わらぬものへの憧憬、また 変わらないという安心感や将来も変わらないであろうという期待感が、人々の心を伊勢へ伊勢へとひきつけて止まないのでしょう。

 しかし、時に変わらないことが変わることより難しいこともあります、神宮が独自のスタイルを保ち続けたのは遷宮の制度があったからですが、遷宮という大事業を繰り返す努力がいつの時代にもあったということが更に重要なのです。

 この半世紀、生活の身近なところから水田が消え、多くの日本人が農業から他の職に転じ生活様式も一変しました、確かに生活は豊かになりましたが、日本人 が日本人らしさを捨て去ることがその代償であったような気がしてなりません。日本人らしさとは、稲作に見られるような繰り返すことの価値を識っていること であると思います。

 過去からの延長線上に現在があり、またそれは未来へと続くという時間軸の中で、過去と未来の中程に現在があるとすれば、私たちには「伝える」という重要 な使命があるはずです。私たちは先祖から何を託され、子孫に何を伝えていくのかを見失ってはいないでしょうか。時代に左右されない連続、すなわち「永遠」 を現代人は現代人なりに考えておく必要があると思います。

 大和の薬師寺元管主の高田好胤師は「永遠なるものを求めて永遠に努力する人を菩薩という」と繰り返し説かれたそうです。高田師のことばを借りれば、式年 遷宮を繰り返していくことは、永遠を求めて日本人が永遠に努力すべき最も尊い営みであるといえるのではないでしょうか。

 伊勢人 No.149 早春号 <発売中>から転載

 石垣さんにメール jingushicho@titan.ocn.ne.jp

 【編集者注】伊勢神宮の次の式年遷宮は2013年です。遷宮に向けた取り組みは昨年か ら本格化しています。昨年4月から6月にかけて、御神体を納める器をつくる御樋代木を木曽山中から切り出し、伊勢まで運ぶ一連の神事が終わり、今年4月か ら5月にかけて遷宮の御用材を曳く「御木曳き」(おきびき)の行事が伊勢市内で行われます。市内各町の奉曳団が中心となりますが、伊勢市民は自ら「神領 民」と名乗り、古来遷宮に参加することを誇りとして来ました。この神領民以外でも「一日神領民」として御木曳きに参加することもできます。
詳しくは御遷宮対策事務局 0596-25-5215
2006年02月04日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄
 朝起きると一面の雪。昨夜から大寒波が列島を襲っている。午後3時、支局の後輩と津を発って尾鷲のヤーヤ祭を見に行った。尾鷲には5時ごろ着いた。

 町は静かな面持ちでどこで祭があるのか分からない。尾鷲神社で法被を着ていた男性に聞いた。

「どこへ行けばヤーヤは見られるんですか」
「うーん。ことしは林町の番だから、一番にぎやかかな」
「ほかではないんですか」
「うん、そこの橋を渡って真っすぐ行くと練りがあります」

 インターネットでヤーヤ祭がどんなものか一応見てきたが、実際にどういう祭か知らないまま出掛けてきた。日本の奇祭のひとつで、15歳になった男たちが ふんどし一つで「チョーサじゃ」と呼び掛けながらもみ合うというのだ。

 とにかく町をドライブしてみようということになった。

「おー、見たか。若い女だ」

 尾鷲の町には似つかわしくない着飾った若い女性が路地裏でうろうろしているのだ。

 尾鷲駅に行ったらもっと情報があるかもしれない。そう思って駅構内に車を入れると、また若い女連れが帰りの電車の時刻を確認している。

「おー。あのコンビニにも女連れがいる」
「うーん。これはなんだ」
「尾鷲であんな女がいるはずがない。どこから来たんだろう」

 われわれは何だかわくわくしてきた。静かな町が暗くなると若い女性連れとの出会いが増えてきたのだ。路地に男たちの姿はない。若い男たちのエネルギーを 自らのものにしようと女たちが群がる。今晩は日本の祭の原型に出会えるかもしれない。そんなふしだらな気分が高まってきた。

 小さな居酒屋で腹ごしらえを終えたころ、ヤーヤ祭の全貌が分かりかけてきた。ヤーヤの由来は「やあやあ我こそは」という戦いの時の名乗りであるとされて いる。約20の町ごとに若衆が集まり、市内3カ所の番当(番祷=ばんとう)という名の路上会場でぶつかり合い「練り」を楽しむのだ。「チョーサじゃ」の チョーサは「丁歳」の意味で「一丁前、つまり15歳になったぞ」というような意味合いである。

 番当は1番から3番まで3カ所あって、2番当、3番当で練りを終えた若衆が1番当に集いさらに大規模な練りでぶつかり合う。

 われわれは2番当の川原町に向かった。狭い道の両側は木でやぐらが組まれている。やぐらは舞台のようなものではなく、道路脇に組まれた格子状の枠。見物 客を練りの激しさから守るために設けられたいわば"防御柵"である。そこに町ごとの提灯竿をくくりつけて闘いが始まる。

 若衆の一団が番当に近づくと双方の闘争心が高まる。やがて接近すると「チョーサじゃ」の掛け声が高まり、行司役の「それいけ」の合図でぶつかり合いが始 まる。若衆は一団、一団と集まり、練りに加わる人数はどんどん増えていって、酷寒の中でも汗がほとばしるほどの熱気となる。

 練りは数分間続くが、行司役が「まだまだ」と煽ると興奮はさらに高まる。やがて若衆は我を忘れ、やぐらの外にいて何度も危険を感じるほどの激しさを増した。

 くだんの若い女性はというと、やはりそれぞれにお目当ての若衆がいると見えて、応援に熱気を帯びる。また練りが終わると若衆との会話も弾んでいるようだ。男とは何かを考えさせられる一夜だった。

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