2006年1月アーカイブ

2006年01月30日(月)
長野県南相木村診療所長 色平(いろひら)哲郎
「お産」は、女性にとって大変な経験でしょう。

うちの三人の子どもたちは、私が勤務する佐久総合病院や、ちかくの病院で生まれていますが、次男が生まれた病院は院長の引退とともに廃院となりました。

女性が「安心して赤ちゃんを産める場所」が、どんどん少なくなっています。

厚生労働省の調べでは、04年末の時点で全国の病院・診療所の産婦人科医と産科医の人数は1万1282人。その2年前と比べると、医師の総数は7000人ちかくも増えているのですが、産婦人科・産科医は4%減っています。

日本婦人科医会の調べでは、02~04年に100箇所の病院と、200施設以上の診療所が、出産のお世話をしなくなりました。産科がどんどん減っています。

その理由は、まず「少子化」があげられます。赤ちゃんの数そのものが少なくなっているので病院が経営的に産科を維持できないのです。

昨年、日本の人口は史上初めて減少に転じました。ひとりの女性が産むとされる子どもの数(合計特殊出生率)は「1.29」まで減りました。
1971年の「2.16」からほぼ四割の減少です。長期的に人口を維持するのに必要な「2.07」を大幅に下回っています。

子どもは女性ひとりでつくるわけではありません。男女ふたりで一人の子どもしかつくらない状況なのですから、当然、人口は減るのです。

少子化の原因はさまざまな要素が入り組んでいますが、仕事を持つ女性が出産・育児に踏み切れないことが大きいのでしょう。男性が子育てを手伝わず、負担が 女性にばかりかかるので、出産をためらう。お産で休職したら経済的にもピンチ。晩婚化、未婚化が進む。

02年現在の「日本の将来推計人口」によれば、20歳前後の女性の六人に一人は生涯結婚をせず、三割以上が子どもをもたないのではないかと推定されています。これは人類史上、例のない社会です。

現在、日本の15歳未満の子どもの数は全人口の14.4%。先進諸国で最も低いレベルになっています。ちなみに中国はその割合が23.9%、米国21.4%、ドイツは15.8%です。

少子化は社会全体に深刻で複雑な影響を及ぼします。

たとえば少子化が進むと働く人が減るので、医療や福祉を支える保険のしくみがこわれてしまう恐れがあります。いや、そういう制度の問題ばかりでなく、社会 全体からエネルギーが失われてしまうでしょう。世代が受け継がれてこそ、人間は社会を作れるのです。

厚生労働省は、少子化に歯止めをかけようと、男性を含めた働き方の見直しや保育サービスの充実、地域の子育て支援ネットワークづくりなど、さまざまな手を 打とうとしていますが、かんじんの産科が減っては、ただでさえお産をためらう女性たちが、さらに出産から遠ざかってしまうでしょう。

信濃毎日新聞(05年1月3日付け)は、東京から自然が豊かな長野県に移住してきた女性が「開業医でゆったりと産みたい」と思っていたのにその診療所から産科が消え、市立病院で出産することになった話を伝えています。

「(市立病院に)通ってみると、以前より妊婦が多い。月に一度の妊婦検診を午前十時に予約しても、緊急の手術で外来が止まり、診察が終わったのは午後二時 だったこともある。預け先のない二歳の長男を連れて、病院で長時間待つのはつらい」

この女性が生活している飯田下伊那地域では、この開業医に加えて病院ふたつが分娩のお世話をやめてしまいました。これら三つの医療機関でとりあげられてい た赤ん坊の数は、同地域の約45%にも及んでいました。それがいきなりストップしたわけですから、残された市立病院などに妊婦さんが殺到するわけです。記 事は女性の声を載せています。

「核家族化が進み、子どもを預けられない家庭や、親を頼れない人など事情がある。自分の望む場所、スタイルで産むことができないのは悲しい」 

安心して産める場が消えている、もうひとつの理由は、産科医のなり手が少なくなっているからです。飯田下伊那地域のように病院の産科が減ると、残されたと ころに大きなプレッシャーがかかります。長時間待たされる妊婦さんも大変ですが、そのお世話をする産科医たちも同じように過酷な労働にさらされます。

少ない産科医が大勢の妊婦さんを診ます。勤務時間は不規則です。夜中の分娩は珍しくありません。さらに、これも少子化の影響かもしれませんが、親は少ない 子どもをできるだけ「大切に育てたい」と思います。その思いからか、妊娠満22週から生後満7日未満までの「周産期」に赤ちゃんの命にかかわるような事態 が起きたとき、医療ミスを訴える裁判にもちこまれるケースが増えているのです。

周産期は、突発的な緊急事態が起きることもあり、疲れきっている産科医に負担がかかります。子どもを思う気持ちが、手の施しようのなかったケースでも「責任をとれ」と迫ってきます。

こうした厳しい条件から産科を選ぶ医学生もまた減っているのです。

少子化の流れは、安心して産める場所を減らす。さらに少子化が進む。この悪循環をなんとかして断てないものでしょうか。

女性が、安心して赤ちゃんを産めるような社会にするには、何からどう手を付けていけばいいか。皆で、しっかり話し合い、ルールをつくっていかなければならないでしょう。

 色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp

詭弁の人

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2006年01月24日(火)
東京大学教授(ドイツ文学) 中澤 英雄
「ホリエモン」なる詐欺師が逮捕されたことは当然のことであるが、心が寒くなるのは、この国のトップリーダーの頭(と心)の構造である。
≪小泉純一郎首相は17日昼、東京地検特捜部の強制捜査を受けたライブドアの堀江貴文社長を昨年の衆院選で自民党が支援したことについて「その時点では郵政民営化に賛成する人は応援するということなので、今の問題とは別問題だと思う」と述べた。
 首相は「会社でも、採用したけど不祥事を起こしたら、採用が間違っているといえるのか」と指摘。堀江氏に関しては「どういう問題かよく分からないが、見守っていきたい」と語った。(時事通信) - 1月17日13時1分更新≫
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060117-00000054-jij-pol

 小泉首相は、弁解するにしても、もう少しましな弁解をしてもらいたい。

「会社でも、採用したけど不祥事を起こしたら、採用が間違っているといえるのか」
  1. 小泉首相は詐欺師を「採用した」ことを認めている。つまり、詐欺師を自分の都合のために利用したことを認めたわけである。これでは弁解になっていない。
  2. 社員が不祥事を起こしたら、会社にも責任がある。
  3. 不祥事を起こすような人間を採用したら、採用が間違っていたのは当然である。その会社は正しい人物評価ができなかったわけだから。
  4. 採用時点では立派な人間が、会社で仕事するうちに不祥事に手を染めたのであれば、その会社には不祥事を起こさせるような構造的問題があったことになる。
  5. しかもこの「採用人事」は、「社長」がその名も知らない「one of them」として採用されたわけではなく、かの杉本太蔵議員と同じく、小泉「社長」の直々の決裁を受けた人事である。「社長」の責任はまぬがれない。
「会社でも、採用したけど不祥事を起こしたら、採用が間違っているといえるのか」

 首相がこんなことを堂々と言っているようでは、これから社員が不祥事を起こすと、会社はこの科白を使うようになるのではないかと心配である。首相がなすべきなのは、詭弁による言い逃れではなく、謝罪のはずである。

 ところで、この記事がヤフー・ニュースからはすでに消され、五大中央紙のどこにも掲載されていないのは、なぜだろう?

 中澤さんにメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp
2006年01月22日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄
  そのむかし、かぼちゃに前田龍男という人がいた。みんな「まえだっち」と呼んでいた。かぼちゃというのは大阪の東高麗橋の居酒屋である。昼飯もやっていて 最初は共同通信の大阪支社の遠藤誠子さんという女性に連れて行ってもらった。女将というか女性経営者は東佳子という。奈良県天理市の人である。当然ながら 今もその店はある。

 なぜかそのかぼちゃに僕は通うことになった。佳子さんとはどういうわけかうまがあった。ちょうど京都の五条坂で陶器市があってその話をしたら、「私もきのう行っていたの」と返事があったのがきっかけである。

 前田さんはカウンターの一番の奥にいつもいて細面の笑顔を見せていた。といえばかっこいいが、関西弁のべらんめえ調で物言う男だった。この前田さんは不 思議な人だった。不思議というより、口から生まれたような人だった。口より行動の方が速かったのかもしれない。議論は始まると5分と黙っていられない人 だった。

 よく覚えていないことが多いので、前田さんとどうやって知り合ったかは定かでない。いずれにしても8年前のことである。多分、佳子さんが紹介してくれたのだと思う。

 僕は当時、デスクとなって共同通信社の大阪支社経済部に転勤していた。デスクになるというのは記者にとって死を宣告されるようなものだった。書くことを 辞めなければならなかった。普通の会社人生は昇進すれば、それなりに大きな仕事ができるようになるのだが、記者という職業は違って、仕事の内容がまるで変 わってしまうのである。

 この空しさに僕はホームページを開設して、いつのまにか共同通信社とは別の個人のメディアをつくってしまっていた。

 前田さんは僕がつくった独自のメディアである「萬晩報」をいたく評価してくれた。ネット上も少なからず反響があったのだが、生身の読者として当時の「萬 晩報」を評価してくれたのは、前田さんとカネボウの岩間孝夫さんだけだった。独自のメディアといっても読者は数百人しかいなかった。

 大阪市の外郭団体が主宰するシンポジウムで僕と岩間さんが話をすることになった時にはいつのまにか「萬晩報」をプリントしたTシャツを着て応援に着てく れた。萬晩報の縮刷版をつくってくれたのも前田さんである。つくっただけではない。800部が完売できたのは前田さんがかぼちゃの客に販売を強要してくれ たからなのだ。

 僕がかぼちゃに通うようになったのは佳子さんのためなのか、前田さんのためなのか分からない。多分、両方だと思う。前田さんの前世というか前職は知らな かった。霞を食って生きているような人だった。カウンターの奥で酒を飲んでカンバンとなれば帰っていたのだろう。とにかく僕の方は京都に住んでいたので午 後11時40分の最終特急に乗らなければならなかったから、前田さんがいつどうやって帰ったのかは知らない。でもいつもカウンターの奥に座っていて、お客 さんの会話のかなめのような役割をしていた。こういえばかっこいいが、だれの会話にも入っていって"おせっかい"をしていたのだ。

 ある時、前田さんに聞いたことがある。「あんたはなんでここの主人みたいな顔をしているんだ」と。佳子さんが口をはさんで「前田さんは私の前の会社の上司で人事部長だったのよ」と言った。

 スイス系の繊維関連の会社だったらしいが、その会社がバブル崩壊の後、リストラをするということになった。人事部長の前田さんはその矢面に立たされた。 「僕は人を切れない。人を切るのだったら僕がまず辞める」といってその会社を辞めた。前田さんが辞めたからといってその会社はリストラを辞めたわけではな かった。佳子さんもその流れの中で職を失った。よく分からない。男気と女気がその店にいたのである。

 職を失った佳子さんは、かぼちゃを開いたが、前田さんは職があったのではない。ほとんどかぼちゃの用心棒的に毎晩、店にいた。大阪のことだから店を開け ば、その筋の人がやって来るに違いない。「俺が佳子を守るのだ」。そんな気分でカウンターの奥に鎮座ましましていたのだ。かぼちゃの後見人の気分だった。

 前田さんは、用心棒といったって本当にその筋の人が来たならば、ひとたまりもないぐらいきゃしゃな体つきだった。口先だけは達者だったから、その剣幕に その筋の人もまかれたかもしれない。でも本当に暴力沙汰になれば耐えられる体格ではなかった。そうはいうのだが、かぼちゃの客はみんな前田さんにだけは一 目を置いていた。体つきがきゃしゃであってもその存在感は別格だった。人格というか生まれ持っていた人としての愛嬌が力を上回るものを持っていた。

 かぼちゃに一度行けば分かることだが、ここのカウンターに座れば、みんな友だちになる。そんな雰囲気がある。そこのところの気配りは佳子さんの生まれ 持った気配りとでも言えばいいのかもしれない。だから何事にも盛り上がり、週末は山歩きだ、陶器づくりだ、落語だと、知らぬ同士が集まって楽しむ。前田さ んはそのどれにも参加していたから、かぼちゃの用心棒どころかほとんど"経営者"のような気分だったのかもしれない。

 その前田さんが昨年9月、突然亡くなった。赤いちゃんちゃんこを着たのはつい先日のことだった。だからかぼちゃの仲間はみんな寂しい思いをしている。僕 も寂しい。鎮魂のコラムをいつか書きたいと思って4カ月が過ぎた。前田さんごめんなさい。
2006年01月20日(金)
フリージャーナリスト 宮本惇夫
 作家・大森光章さんが、昨年8月「このはずくの旅路」(作品社刊)という本を刊行されました。とても素晴らしい本と感じたので紹介します。

 大森さんは大正11年の生まれ、北海道倶知安の出身です。84歳になります。過去3回芥川賞にノミネートされた実力派作家です。この作品に取り掛かった のが平成12年といいますから、約5年の時間をかけて完成させた作品です。

 大森さんは倶知安の禅寺に生まれた方で、僧侶の資格をもった方ですが、坊さんにはならず、文学の道を志します。

 「このはずくの旅路」は自伝小説で、明治時代に本土(福島県の出身)から北海道に渡り、倶知安の開拓地に寺を建て曹洞宗の布教に生涯をかけた祖父の物語でもあります。

 母親の27回忌に故郷を訪れたとき、実家孝運寺の墓前の前に立ったとき、墓標に祖父の名前がない。開山であった祖父の名前がなぜないのか。その疑問を感じたことから大森氏の取材が始まります。

 祖父が生まれた福島県、6歳のときに寺に預けられそこから祖父の修行が始まるわけですが、関連したお寺を訪ね祖父の足跡をたどります。祖父の過去が少し づつわかってくるところは推理小説を読むようにとてもスリリングです。

 祖父は今出孝運といいますが、父親は大森大栄という名前です。なぜ名前が違うのか。それも取材に従ってわかってきます。

 祖父は天保15年の生まれで、ある旅籠屋の当主の庶子だったことからお寺に預けられることになるわけですが、当時、出家をすると一生独身で過すことにな るわけですが、45歳のときに開拓僧として北海道にわたり、そこである女性と肉体関係をもち、子供をつくる羽目になるわけです。

 しかし出家者としての矜持があり妻を籍に入れない。長男を生まれたときはある檀家へ養子に出すという形をとっている。長男であるにもかかわらず大森姓になったのはそんな理由からだったわけです。

 江戸から明治という時代の大変革、大きく揺れ動く価値観。そのなかで開拓地北海道に仏教を根付かせようと頑張った僧が、時代に翻弄されていく姿が生き生 きと描かれた小説でもあります。小説と銘打っていますが、ほとんど事実に近い伝記小説でもあります。

 お寺生まれの作家が書いた小説だけに、専門的な仏教用語もさほどわずらわしさを感じさせない読みやすい小説になっている。シニア族のあいだで自伝小説が ブームになっているとのことですが、その参考にもなる小説です。一読をお勧めしたい。

 また大森さんには北海道アイヌの抵抗戦争を描いた「シャクシャイン戦記」(新人物往来社刊)などの小説もあります。 

 宮本さんにメール mailto:fwkc0334@mb.infoweb.ne.jp
2006年01月19日(木)
  萬晩報通信員 土屋 直
 師走の神戸三宮の街を元町まで歩き、途上淳久堂書店に立ち寄ると、書肆心水社という聞きなれない出版社から『出版巨人創業物語』という本が書棚に並んでいるのが見えた。

 最近、若者の読書離れが深刻化し、地下鉄の学習塾の広告にも「近年、国語力の低下が深刻です。国語力の涵養は数学・理科を学ぶ上でも欠かせません。当塾 では読書を推奨します」という文句が書かれていたのを発見した。活字を読まないとはすなわち文化力の低下ではないかと考え、それでは日本の文化力を担って きた先人のご苦労は如何ばかりのものであったのかと思い購入してみた。

本 の帯に「大物たちの無謀な事始め自伝」とある通り、新潮社佐藤義亮翁、講談社野間清治翁、岩波書店岩波茂雄翁の出版社の創業秘話が書かれている。

 新潮社の佐藤義亮翁は秀英舎(現大日本印刷)の最下級の職工から出版の理想に燃え、牛込区の間借りの六畳一間の片隅で「新声社」を創業した。

 講談社の野間清治翁は専門学校や私立大学で熱を帯びてきた弁論熱に関心を持ち、帝国大学生にしか聴講が許されていなかった大学における講演を一般庶民に もつたえたいとの思いから雑誌を創刊したが、最初はどこの出版社に雑誌を持っていっても出版を断られた。

 岩波書店の岩波茂雄翁は「教師を辞めて商人となるか」という時代の眼をはねのけて商売としての成功は著しく困難とされた古本の正札販売から始めた。

 いまや老舗の言論の巨大組織として知られる出版社の創業者も草創期は皆ベンチャーであったという当たり前の事実に改めて驚かされるとともに、出版業界と は市民が創業しても経営が成り立たないところである、という固定概念に侵食されている自分に気付かされた。それと同時に出版界とはエスタブリシュメントの みが幅を利かせる硬直化した、革新の乏しい世界であることに気が付かされた。

 ご存知の通り、出版界は長きにわたる不況の波に洗われている。問題の1つとして若者の活字離れもあるが、大手取次のネットワークと判断によって書籍の流 通形態が決まってしまい、大手出版社の寡占状態が出版界の硬直化を招いていると考えられている。

「情報と金融はコインの裏表」と言われるが、グローバル化・情報革命によって金融の分野は激しい構造改革にさらされ、新しく生まれ変わったが、情報の分野においても情報の質を高めるための波が巻き起こってもよいのではなかろうか。

 いささか旧聞に属するが、2001年4月14日の「萬晩報」に萩原俊郎氏が「ソニー「エアボード」に新聞の未来を見た」というIT社会におけるメディアの在り方について論じた画期的なコラムを掲載されている。
http://www.yorozubp.com/0104/010414.htm

 技術的な話は萩原氏のコラムを読んでいただくこととして、4年前の記事を再認識していただくために、萩原氏の主張をそのまま引用させていただくと、IT 化によって(1)正確かつ豊富な情報、鋭い批判や解説、足で取材した記事、論評的なコラムの需要が増す、(2)記者クラブの発表ものに惰眠をむさぼる媒体 は、その能力がますます落ちてくる、(3)報道の公共性の重視、つまり政治的、経済的な中立性、公平性がますます問われる、(4)ネットを通じた双方向的 な市民との対話を重視した紙面づくり、(5)ケーブルテレビなどのメディアとの連携が促進されると説いている。

 昨年もベンチャー企業の上場は153社、公募割れはわずかに3社と、第3のベンチャーの波は単なるブームの枠を超えて好調な推移を続けている。しかしながら、日本の文化力を世界的に発信するような企業は数少ない。

 IT社会における立派なインフラが整備されても、その道路を走るコンテンツがなければ、無駄な公共事業と同じ構図になってしまうのではなかろうか。まし てやITインフラは世界とつながっている。世界を走る道路にみすぼらしい日本の自動車を走らせることはできない。

 さらなる出版界の規制緩和、自由化のため、言論、出版界の巨大な牙城に果敢に挑戦し日本の文化力を高めるようなリベラルな出版ベンチャーの登場を願って本年の初夢とする。

□ 参考文献 ;
佐藤義亮、野間清治、岩波茂雄『出版巨人創業物語』 (書肆心水社)
賀川洋『出版再生』 (文化通信社)

 土屋さんにメール mailto:habermas@mx2.nisiq.net
2006年01月18日(水)
長野県南相木村診療所長 色平(いろひら)哲郎
 昨年末から現在まで、メディアにマンションなどの「構造計算偽装問題」が取り上げられない日はない。さまざまな分野で日本の「倫理」が崩壊しかけている。

 建築分野に詳しいノンフィクション作家の山岡淳一郎は、偽装問題をこう語る。

「これはシンジケート型の犯罪的行為でしょう。危険なマンションを『売り抜け』ようと企んだ者がいて、加担した施工者がおり、そのための凶器といえる設計 図面を作った者がいた。姉歯元建築士は、凶器を磨くべく末端で動いた。彼の行為が許されるわけではないが、一級建築士が資格を剥奪されるかもしれない危険 を冒して、シンジケートを構想する必然性はない。権限も資金もない。シンジケートはトップダウンで作られます。

 被害を受けたのは住民であり、第一義的な加害者はそのマンションを販売したデベロッパー。欠陥住宅の供給者には、民法上の『信義』に見合う損害賠償か買 い戻しを実行させる筋道、賠償義務とチェック機能の強化とともに医賠責保険のような、事故や瑕疵に備えた保険制度なども充実させなければ、同様の犯罪的行 為は防ぎきれない。信義とは、約束を守り務めを果たすこと。ここを中心に制度を見つめ直す。信義とは曖昧な心の持ちようではなく、経済活動、社会生活全般 を成り立たせる文化的基盤なのです」

 

 医療の分野でも「信義」という言葉が、いつの間にか軽んじられるようになった。診療の現場では、圧倒的に医師が主導権を握っていて、情報の非対称性が大きい。

 少ない情報しか握っていない患者が、それでも命を預けてくるのは医師が約束を守り務めを果たす「信義」をプロフェッショナルとして保持していると想定し ているからだ。山岡が言うようにここが崩れたら、医療も含めて社会生活が成り立たなくなる。

 だが、しかし......。個別の医療事故訴訟を持ち出すまでもないだろう。医師のなかでも信義の砦は崩れかけている。

 94年に86歳で亡くなった秋元寿恵夫ドクターは、戦時中、「731部隊」に強制徴用されている。そこで人体実験を見聞したことが、秋元ドクターの生き 様に深刻な影響を及ぼした。のちに病態生理研究所を立ち上げ、臨床検査法を確立し、検査技師の教育・育成に心血を注がれた。原水爆禁止運動にも積極的に参 加している。が、常に人体実験の過去が脳裏から離れなかったようだ。

 秋元ドクターは、懺悔の気持ちをこめて『医の倫理を問う-第731部隊での体験から』(勁草書房)を著した。

 その著書のなかで、ロックフェラー財団の医学部長グレッグ博士が46年3月にニューヨーク市のコロンビア大学医学部医学科の卒業式で行った講演を翻訳し、紹介している。

 グレッグ博士は、優秀とされる医学校の卒業生が社会に出て活動する過程で「身中の虫」として常に心せねばならない要素として「うぬぼれ」「地方人気質」 「忘恩」をあげ、これらを病に見立てて「むかしなじみ症候群」と命名。世の中に出てからも「むかしなじみ症候群」には用心しろと警鐘を鳴らしている。

 具体的には「うぬぼれ」とは、その字義のとおり、優秀とされる学校を卒業した者が抱きがちな自己満足感。自信過剰になる一方で育ちのよさ特有の「けだるい無気力」にもつながると述べている。

「地方人気質」とは、狭くて自分の立場に凝り固まる傾向で、コロンビア大学などの場合では「医者としてのそれ、ニューヨーク子としてのそれ、及びアメリカ人としてのそれ、というふうに三重のものとなっている」と痛烈に批判している。

 都会育ちであろうが、井の中の蛙は狭い地方人気質にとりつかれているのだ。

「忘恩」とは、深く物事を考えずに何でも鵜呑みにすることから生じるようだ。

 グレッグ博士は、大学が医学生を教育する総コストに対して授業料は「七分の一以下」と概算し、医学生は大きな利益を享受していると指摘したうえで、次のように語っている。

「この並外れた利益を諸君にもたらしてくれた人々は、いまはすでに親しくことばを交わせる間柄からはほど遠い世代に属している。またこのような計算は、医 師に託したそのあつい信義に対して、いつかは諸君が報いてくれるであろうと期待していた人々に、深く頭をたれて感謝の意を表するのもまた当然であることを 思わせるに十分であろう。

 いわば諸君は賭けられているのだ。それも六対一の勝負で。諸君は必ずや自分が受け取ったものを、のちに社会へ引き渡す立派な医師であることに、多くの人 々が賭けているのであるから、どうか諸君、下世話にいう『馬に賭けても人に賭けるな』の実例にならぬように十分に心掛けていただきたいのである」

 エリート医師を養成するといわれる大学の卒業式で、馬より劣る人間になるな、と言っているわけで、そのシニカルで旺盛な批評精神には脱帽するばかりだ。 日本の国立大学医学部の卒業式で、これだけのスピーチができる「教授」がはたして何人いるだろうか。米国の懐の深さを感じざるをえない。

 さて、秋元ドクターは著書の「あとがき」をこう書き結んでいる。

「ひとりでも多くの若い諸君に、この新刊本(『医の倫理を問う』)と併せて『医療社会化の道標』とを読まれるようおすすめしたい。なぜなら、現在わたくし たちが置かれている社会のありようは、無念なことながら、またもやあの当時に逆戻りしてしまったので、二度とふたたびあのような無法な暴力は絶対に許すま いと、決意を新たにする上でも、これらの書物で当時の状況を正確に知っておくことがどうしても必要になってくるからであり、それがまた本書のしめくくりと してのわたくしの切なる願いともなっているのである」

 この本が、世に出たのは1983年だった。もう20年以上も前なのだが、日本の社会はさらに「逆戻り」の度を深め、抜き差しならない地点にきてしまった感を禁じえない

 色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
2006年01月16日(月)
早稲田大学アジア太平洋研究センター特別研究員 文彬
年 末年始にかけて経済界の景気回復に対する自信はより鮮明になってきている。産経新聞が昨年12月上旬に主要企業123社を対象に実施したアンケートによる と、96.7%の企業が景気回復を確信しているという。また、年明けの企業トップインタビューでも楽観的な声が圧倒的に多く、世間騒がせの村上世彰氏も今 年の日経平均株価は2万円になってもおかしくないとの見通しを示した。

尤も不安もある。その中には中国と関係する点が二つあると指摘されている。中国経済の腰折れと「政冷経熱」である。中国経済が腰折れするかしないかは知る 由もないが、「政冷経熱」はこれからの日中経済関係、ひいては日本経済に影を落としかねない。いや、既にその影響が出ていると認識すべきであろう。伊藤忠 商事会長の丹羽宇一郎氏は新春恒例の経済界のパーティーで「政冷経熱と言われていたが、いまは『政凍経冷』だ」と危機感を露にした。

先日、大手商社の現地スタッフとして20年以上も国際入札の現場に立ち会ってきた友人のS氏からこんなことを聞いた。今、日本勢は完全に欧米勢に負けてい る。技術でも、価格の問題でもない。中国のプロジェクト担当者がほとんど心理的に日本勢を排除しているからいくら努力しても無駄だと言う。中国高速鉄道、 原発など大型プロジェクトにおける日本企業の落札連敗の衝撃はそのまま企業の収益に響くものに違いない。

一方、中国側も得をしたわけではない。鳥インフルエンザがきっかけで始まった日系企業の第三国へのシフトは年々加速している。リスク分散のためにもインド やベトナムへの投資を考え直さなければならない、と筆者も日本企業の経営者から幾度となく聞いている。投資対収益からから見ても企業の長期戦略から見ても 本来は中国がベストセレクトだったにもかかわらず、である。

小泉首相の総理として最初の靖国神社参拝は2001年8月13日だった。それ以来、日中両国トップの相手に対する強硬姿勢は年々エスカレートしている。そ れぞれ政治家としてのお家事情があることは察するが、もう少し胸襟を開き大局を見据えた長期的な視野でこのあるべからざる「コールドウォー」を早く終わら せてもらいたい。

 文さんにメール mailto:bun008@hotmail.com
2006年01月11日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄
51DLd9QQp5L._SS500_.jpg  司馬遼太郎さんの小説『菜の花の沖』を読んでいてなるほどと思わせる一節があった。19世紀、日本がまだ開国に到らない時期、淡路島の水夫から身を起こ し、蝦夷地と上方とを結ぶ大回船問屋に発展させた高田屋嘉兵衛の一生を描いた小説で、愛国心ということについて語っている。

「愛郷心や愛国心は、村民であり国民である者のたれもがもっている自然の感情である。その感情は揮発油のように可燃性の高いもので、平素は眠っている。それに対してことさら火をつけようと扇動するひとびとは国を危うくする」

 なにやら昨今の日中韓でのいがみあいに似てはいないだろうか。そのむかし筆者も日本ほど愛国心の足りない国民はいないのではないかと嘆いたことがある。 だが、このところ台頭している"愛国"的言動についてはちょっと待てと言いたい。司馬さんが書いているように「ことさら火をつけようと」しているような気 がしてならないからだ。

 司馬さんは小説の中で主人公の嘉兵衛に「他の国を譏(そし)らないのが上国だ」とも言わせている。なかなか含蓄がある。中韓が日本を譏り、そして日本が中韓を譏る。そんな構造が生まれている。

 靖国参拝問題で小泉純一郎首相が偉いと思っていたのは、これまで中韓の批判に対してほとんど何も言わなかったことだった。他国の批判を無視することはなかなか難しい。腹も立つこともあるだろうに、じっと我慢しているのだろうなと考えていた。

 ところが、つい最近になって小泉首相は中韓の批判にまともに反応するようになった。4日の年頭会見で「外国政府が心の問題にまで介入して外交問題にしようとする姿勢が理解できない」と語ったのだ。

 朝日新聞はよく5日朝刊の社説で「私たちこそ理解できぬ」と首相発言を問題視した。それに対して産経新聞がさらにかみついた。朝日が「全国の新聞のほと んどが参拝をやめるよう求めている」と書いたことに対して産経抄は「読み返すほどに身震いがくるような内容」と怒りをあらわにした。「『全国の新聞 が.........』というのは誤植ではないかと何度も読み返した」「『私たち』とは誰なのか」とほとんど煮えくり返る思いのたけをコラムのたたきつけた。

 どっちもどっちだ。中韓におもねるほど非国民にはなりたくはないが、だからといってこんなことで愛国心に火をつけられてはかなわない。期待として日本はアジアの「上国」でありたい。

 もちろん「上」は上下の上ではない。品性といった意味合いである。

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