2005年3月アーカイブ

2005年03月29日(火)萬晩報通信員 齊藤 清
  【ギニア=コナクリ発】独自の論理で己の侵略戦争の正当性を主張し、かつ推進しつつある唯我独尊の米国は、油の確保ばかりではなく、農業分野でも幾多の国 を相手に大いなる戦果を上げている。ここでは、銃弾を使わず、生血を流さず、きわめて静かに、しかし傲慢に、そして着実に進行している強襲国家による世界 の農業分野への破壊作戦の成功の一端を、アフリカの綿花とアメリカの戦果との白々しい関係に限って眺めてみた。

 ◆ジャズ発祥の地

 毎年7月の初め、カナダのモントリオールで国際ジャズフェスティバルが開かれる。およそ10日の間、町のいたるところで数々のコンサートがくりひろげら れ、世界中から100万を超す聴衆が訪れるともいう。期間中は、町そのものがジャズのステージに変身する。むろんそれはそこに集うミュージシャン達の音楽 の内容の濃さに惹かれてのものだ。このジャズフェスティバルは、きらびやかな衣装と舞台装置で目くらましをたくらむお祭りではない。ただひたすらに心を歌 うジャズの祭典である。メインの歌い手ばかりではなく、演奏陣、黒人男女のバックコーラスなども圧巻だ。むろん、出演者、聴衆に、白人、黒人の区別はな い。

 このフェスティバルの原型ともいわれるお祭りが、ジャズの源流の地と目されているニジェール川上流地方のギニア・カンカン県・バロ村とクマナ村(首都か ら陸路700キロ)で、やはり毎年開かれている。年に一回のこのお祭りでは、この地方の伝統的な音楽をベースにした打楽器のリズムにのせて、男女の踊り手 による激しい舞いが、いつ果てるともなく続けられる。当然のように奏者のアドリブも入り、踊り手もこれに応える。このやりとりの妙とその場に満ちあふれる 熱情は一筋縄のものではない。――蛇足ではあるものの念のため、このお祭りの光景は、東の果ての島国のテレビ屋さんがその国の大衆に提示したがる、「いわ ゆる付きのアフリカ」の映像とはかなりの隔たりがあることを、こっそりとつぶやいておかなければならない。

 このお祭りに参加するために、近隣の村々からの演奏者、踊り手はむろんのこと、近年は世界各地から、黒人ばかりではなく白人も大勢やってきて、大地と一体となった音楽の原点ともいうべきこの土地のお祭りに酔いしれる。

 アメリカ大陸で承継・発展したジャズの源流がアフリカ・ギニアの奥地の村に求められるということは、この地とアメリカの地との間になんらかの血のつなが りがあるということになるのか。そう、これはあからさまに言えば、この地が奴隷貿易時代の黒人奴隷の供給地のひとつであったという事実につながるらしい。

 ギニア内陸部のこの地で綿花栽培に携わっていた労働者――奴隷という身分であったかもしれないけれど――が、略奪された新大陸であるアメリカ南部に連れ 出され、当時の英国の綿花需要に応ずるための労働力として利用された。広大な綿花プランテーションでのすべての作業は黒人奴隷にゆだねられ、そして、新開 地の肥沃な土地を舞台として、欧米を軸とする綿花経済の花が開いた。その副産物として、アフリカの伝統文化を底流としたジャズと呼ばれる音楽が生まれた。

――奴隷売買業者は、闇雲に誰彼かまわず新大陸へと案内したわけではなかった。綿花栽培の即戦力となる、そして勤労の習慣が植えつけられた、言ってみれば 文化程度の高い人々を狙い撃ちしたのであった。海辺の、当時としては文化果つる地方の、自然環境に恵まれているがゆえに労働意欲の希薄な人々は商品として の奴隷にはけっしてなり得なかった。

 ◆高地ギニアに降る雪

 バナンフルフル(カポック)の白い綿毛がきままな風に乗って遠くの山にまで飛んでいく二月のある日、村の広場には雪が舞う。村人が丹精して作り上げた綿 花が、この日、広場いっぱい、白い雪と見まごうばかりに積み上げられる。

 この地では、いつとは知れぬ古い時代から、綿花を栽培し、糸をつむぎ、布を織り、時には染めて、それを身にまとう生活が連綿として続けられてきたわけだ けれど、最近では海外から輸入される色鮮やかな布地のほうが幅を利かし、この土地の手織りのものよりも安価に買える時代となっている。そして、綿花を栽培 する農家はごくまれな状況となってきた。4、50年前までは、――フランスの植民地時代にはかなりの量を生産し、それは国外に送り出されていたのだけれ ど。

 そのような時の流れを巻き戻すように、10年ほど前にフランスから『プロジェ ・コットン(Projet coton)』と称する事業組織がやってきた。住民の経済力支援を主な目的とする組織であったらしい。

 ニジェール川上流地方は雨季と乾季がはっきりした、いつも乾燥している土地柄である。 綿花の栽培に適した気候だ。そして、ブルースと呼ばれる、人の手の入っていない疎林がまだたくさん残されている。全体に表土は薄く地味は痩せているから、 すべての場所を開墾するわけにはいかないものの、適地がないわけではない。

 フランス人たちは、種子と肥料を貸し与え、収穫した綿花の売り上げからその分を天引きするシステムを提案して住民に綿花の栽培を勧めた。雨季の間に種を 蒔き成長させて、乾季になったら綿花を収穫させる。収穫物を引き取る大型トラックを走らせるために、雨季の後の荒れた砂利の道を組織の手で定期的に整備し た。おかげで、ブルースのあちこちに車の走れるこぎれいな道ができた。

 現金収入が得られるとなれば、森を伐り開き、林を焼いて栽培面積を増やす農家が増えるのは自然の成り行きである。栽培地は飛躍的に増えた。時にかなりの現金収入を得て、近隣の評判となる家族も出現した。

 もっとも、もともと極端に痩せている土地ゆえに、二季も連作すれば、肥料を増やしても収量は減る。降雨と播種のタイミングを読み違えて、収量が極端に少 ない年もある。その結果、種子代も払えない赤字農家が出ることもあったけれど、それでもなんとか『プロジェ・コットン』の事業は続いた。

 そして、毎年2月の、あらかじめ定められたある日、トラックが綿花を集めにやってくる。その日は村中総出で、その年の生産物を広場に運び出す。広場を 覆った厚い雪が太陽の光を反射し、村人の上気した顔を明るく照らし返す。綿花の重量を量って集荷のトラックに積み込み、そして感慨を込めて見送る。それが 村々の毎年の行事となって定着した。

 ところが、ある年のこと、約束のトラックはやってこなかった。

 ◆巨額の輸出補助金と農業助成金

 ハリウッド映画『風と共に去りぬ』の南北戦争前後のアトランタ。綿花プランテーションで働いていた黒人奴隷たちは戦いに駆り出されて、農場には誰も残っ ていない。そこに、ヴィヴィアン・リー扮するスカーレット・オハラが、姉妹たちと共に慣れぬ手つきで綿花を摘むシーンがあった。

 その後南北戦争は終わり、奴隷が解放されて綿花農場は維持できなくなった。 そして南部の大農家は没落。白人の小規模な農家が誕生した。もっとも、開放された黒人奴隷に市民権は与えられたものの、土地は与えられず、仕事はなく、飯は食えず、経済的にも身分的にもつらい状況は継続したもののようだ。

 それでも、アメリカ南部での綿花栽培は現在も健在で、中国に次いで世界第二位の生産量を維持しているらしい。ところがアメリカ国内での消費量は生産量の 2割程度でしかなく、綿花の生産者が生きるためには、残りの8割は輸出されなければならない。

 それはよく知られているように綿花に限ったことではなく、小麦、とうもろこし、大豆、牛肉等々、アメリカのすべての農産物は輸出するために作られている。なにしろ、アメリカは世界最大の農産物輸出国なのだから。

 それで、他国に対して市場開放を迫り、農産物輸出入の自由化を要求する。世界中がひとつの基準で交流すればすべてうまくいく、とそのような宗旨であるら しい。本音は自国のご利益しか考えていないというのに。その前線基地が、グロバリゼーションを唱和する人々の根城、世界貿易機関(WTO)。

 しかしながらアメリカは、たとえば、2001年に30億ドルの輸出補助金と生産助成金を自国の綿花生産者に支払った。これはアメリカの綿花の生産総額を も上回る。綿花生産国のブラジルはこれをとらえて2003年、補助金によって生産される余剰綿花が、WTO協定に違反して世界市場にダンピング輸出されて いるとしてWTOに提訴した。

 さすがのWTO紛争処理委員会も、米国の綿花補助金が世界市場価格を押し下げ、WTO協定違反であると認めた。

 ついでに言えば、2001年の米国の綿花補助金額は、米国のアフリカ援助予算総額の3倍以上であるという。そのとばっちりで、アフリカの零細・貧困な綿花生産者はさらに困窮させられているというのに。

 西アフリカ・ブルキナファソの綿花は歳入の60%をまかない、400万人の雇用を生み出している。これがアメリカのダンピング輸出に直撃された。同様 に、西アフリカの主要な綿花生産地、ベナン、チャド、マリにも、米国の綿花補助金政策は多大な被害を与えている。すべて弱肉強食、世界のならず者がしでか す横紙破りのお話である。

 このようにして、国の歳入を左右するほどの輸出額ではなかったものの、ギニアの綿花生産農家も早々と降参させられた。生産物を引き取ってくれるはずの 『プロジェ・コットン』が、綿花の価格暴落で採算が取れずに撤退し、約束の集荷トラックが走らなくなったのだ。

 綿花を栽培するために開墾した原野は放棄された。

 ◆米を食うからバカなのだ

自国の農産物を外国に売り込むアメリカの戦略ということになれば、1970年代終盤に、たまたま自分の耳で聞き、眼で見てしまった、大脳生理学の権威を標 榜するある大学教授の晩年の口演をまずは想いださざるを得ない。たしかに、敗戦のその日から、それまでの鬼畜米英転じて憧れの民主主義国家崇拝者へと急転 直下の航路変更をして嬉々としていられた国の小国民ではあったものの、博士の論旨はそれでもなお刺激的であり衝撃的かつ悲劇的なものであった。

「わが国民は、米を食うからバカなのだ」と氏はのたまわった。そして「米を食うから戦争に負けたのだ」と言い切った。呆気にとられ、あるいは毒気にあてら れて茫然自失の聴衆に対する処方箋は、「アメリカのようにパンを食え」「肉もどっさり食うべきだ」と、いたって単純明快なものであった。

 博士はベストセラー『頭のよくなる本』の著者であり、慶應大学教授、かつ直木賞作家という異才であられたから、凡人に対しては説得力がありすぎた。アメ リカの農業政策の代弁者として、その広告塔として、これ以上の逸材はそう簡単には見つかるまい。

 そして現在その国は、パンを焼く小麦のほぼ100パーセントをアメリカからの輸入に頼り、さらにアメリカから肉が入らなければ牛丼が食えない口寂しい国 に成長した。牛の病を恐れて肉を絶てば、アメの肉を買わないと厄介なことになるぜ、と憧れの民主主義国家がやさしく諭しにやって来る。ともあれ、これぞ亡 き博士の大いなる功績であったのだろうと、遠くギニアの空の下、照りつけるぎらぎらの太陽に目を細め、あの日の口演を想いだすのである。

 このようにしてアメリカは、自国の農業従事者の生活を守るために常に地道な努力を続けている。たとえば、GATTのケネディーラウンド関税交渉の中で 1967年に成立した国際穀物協定の食糧援助規約では、一部の開発途上国に対して毎年1000万トン以上の食料を援助するという目標を掲げ、加盟国ごとに 穀物(小麦、大麦、とうもろこし、豆等)の最低援助量を割り振った。極東の小国は、年間小麦30万トン相当の穀物を無償援助することを義務付けられてい る。――自国の余剰生産物がない国は、当然のように生産過剰の国で調達して援助することになる。

 この長期にわたる無償の「食糧援助」は、生産過剰の国の輸出を助けると同時に、開発途上国の農業生産意欲を削ぐことにも多大な貢献をした。飢えた国の農 民が食糧生産の自助努力を放棄するように。なけなしの外貨を使って、命をつなぐくもの糸、どこかの国の余剰農産物を輸入するように。

 そんな地獄への後押しをしたのが、ケネディーラウンドによる開発途上国への食糧援助であった。極東の小国の小麦生産が、輸出補助金と農業助成金を受けて 生産されたアメリカからの安い小麦に押されて破壊されたように(米国の小麦の輸出価格は生産コストの約半分)。――その国は、庶民の食べる安い牛肉につい ても、自国で生産する気力も能力も、もはや夜霧のかなたへ捨て去ってしまったように見える...。

 ちなみに、アメリカをわが命と仰ぐその国の外務省の食糧援助に際しての国内向けの口上は、「同国政府は食糧自給達成を優先課題としているが、長期にわた る旱魃等のため耕地が疲弊しており、食糧の調達が困難な状況にある」「不安定な気候に加え、近年は降雨量が減少していることから、砂漠化が進行し、耕作地 が減少している。

 また、害虫・害鳥等による被害のため食糧生産に大きく悪影響を及ぼしている」「高い人口増加率のため食糧需要に生産が追いつかず、深刻な食糧不足が続い ている」等々、気候変動、耕作地の減少、虫、鳥、人間の増加、考えられるものすべてを登場させて、無知な国民の目を掠めるだけが目的の能天気な背景説明に 忙しい。現実を知らないはずはあるまい。それでも、昨今はパソコンでのコピー・ペーストが簡単になったから、過去のいくつかの模範文例があればそれでやり くりがつく。良心というものを別にすれば。

 ◆音楽だけが残った

 そして、高地ギニアの村々を廻って綿花を集荷するトラックは来なくなった。 零細生産者には、生産物を売る手段がない。価格競争力がない。種子を買う金がない。強襲国家のように、補助金をつけ、資金を補給してまで生産者の生活を守る能力を持ち合わせていない弱小国家の民には、もはやなす術はない。

 その結果、過去には綿花労働者として多くの人間が連れ去られたアフリカの片隅から、この土地に綿々と続いていた、古い歴史に彩られた綿花栽培の文化その ものも、真綿で首を締め上げられるようにして、息絶えることになった。

 この国は、今では綿製品をもっぱら輸入するだけの国になりさがってしまった。これも米国の戦略の成果であり、グロバリゼーションとかいう邪宗の祟りなのであろうか。

 それでも、奴隷とともに運び出されたはずの音楽がまだ消えずに残っているのが、せめてもの救いと諦めるしかないのだろうか。(まぐまぐメールマガジン『金鉱山からのたより』2005/3/28より)

 齊藤さんにメールは mailto:gold_saitoh@nifty.com
2005年03月25日(金)アメリカン大学客員研究員 中野 有
  中国の経済成長に伴い、日中の経済連携も増加しているが、同時に中国脅威論も盛んである。安全保障の分野でも、日米同盟や戦略的開発同盟を基軸に日本の積 極的な紛争予防や復興支援も行われている。このような表面的な現象からも、日本の座標軸を揺り動かすだけの歴史的潮流が押し寄せていることが観察できる。 その歴史的潮流を人類文明の推移、ユーラシア大陸の統合、多面的視点で考察してみたい。

 ■人類文明の中心軸の推移と東西の融合

 立命館大学の坂本和一副学長のビジョンは、広く深く雄大である。人類文明の大きな流れを以下のように述べておられる。

「ユーラシア大陸に誕生したメソポタミア、エジプト、インダス、中国文明には、二つの流れがある。主としてメソポタミア文明、エジプト文明を出発点とし て、その中心舞台が次第に西方に遷移していった。もう一つの方向は、主としてインダス文明と中国文明の動きである。これらは、中心舞台が遷移するというよ りは、それを古代文明発祥の地が引き継ぎつつ、その影響が周辺、つまりアジアの各地域に拡大し、韓国、日本、ベトナム、東南アジアなど、地域毎に多様な文 明が展開していった。中国、インド文明を発祥とするアジアの諸文化の蓄積と、他方、西方への中心舞台の推移のなかで進化してきた人類文明の流れがアジア太 平洋地域を舞台に改めて融合を遂げる可能性がでてきた。これまでの人類史の上では、「東西文明の融合」といわれる現象はいく度か起こっている。とくにシル クロードを通じての「東西文明の融合」が有名で、さらに「海のシルクロード」といわれるインド洋を通じての「東西文明の融合」がある。しかし、今度のそれ は、人類史が経験しなかったレベルのものであり、これまでの人類文明史の蓄積を総集約するレベルの「東西文明の融合」といってよい」。

 ■ユーラシア大陸の胎動

 7000年の人類文明の大きなリズムの中で、その中心軸は西へ移っているが、同時に東西の冷戦後のユーラシア大陸の潮流は、EUやNATOの拡大に伴い 東に移動している。ヨーロッパは、世界の人口の集積地である中国やインドのパワーに惹きつけられている。また、ヨーロッパとロシアの関係が密接になってい る。これらのヨーロッパの東方への流れは、ユーラシアにおける東西の融合を活発化させている。

 日本人の遺伝子は、北方系と南方系の2つの遺伝子の複合で構成されており、特にウラルアルタイ語の文化圏(日本語、モンゴル語、朝鮮語)に限りなき関心 を持ってきた。韓流ブームで、数千億円の経済効果が生み出されたのも日本人の大陸に親しみを覚える遺伝子と関係しているからだろう。

 
 アジアの経済発展は、日本―NIES(台湾、韓国、香港、シンガポール)―ASEAN―中国と続く雁行型発展形態で成し遂げられてきた。しかし、東アジ アの経済危機後は、中国の興隆が際立ち10年後には日本を追い抜き一気にアジアの先頭に立つ勢いである。東アジアの国際水平分業や直接投資の動きは、概し て、東から西へ向かっている。即ち、確実に中国に惹きつけられている。

 歴史的潮流の中で中国の発展を観察すると、この150年の中国の停滞は一時的な現象に過ぎないと考えられる。16世紀のスペイン・ポルトガルの大航海時 代以前の中国は、世界の中心であり、少なくともそれが1000年間続いた。特に18世紀後半の産業革命をバネとしたヨーロッパ優位の時代で、中国の地位が 大きく低下したが、70年代後半から始まった中国の改革開放政策の成功による中国の発展は、目覚ましい。中国の経済力は、今年、イギリス、5年後にはドイ ツ、10年後には日本、20-25年後にはEUそして30年後にはアメリカを追い抜くと予測されている。これらは、必然的な中国の復活であると解釈でき る。加えて、インドの経済力も中国に続く勢いで成長している。

 ■宗教の対立と調和

 冷戦は米ソを中心としたイデオロギーの対立であった。冷戦後は、民族紛争、宗教の対立が顕著である。世界人口の3割を占めるキリスト教が、経済、安全保 障、政治、科学技術の中心であり、世界人口の2割弱のイスラム教が、化石燃料によるエネルギーの中心である。そして0・4%であるユダヤ教がこれらの根元 的な分野において大きな影響力を及ぼしている。これら一神教の宗教間の兄弟喧嘩が冷戦後の不安定要因を作りだしている。これらの宗教はユーラシア大陸の西 方で生まれ、ヒンズー教、仏教、儒教、神道は東方で生まれた。キリスト教は、主にヨーロッパ、アメリカと西へ拡張し、イスラム教は、主に東や南に拡張し、 仏教と儒教は東に移動した。

 ユーラシア大陸の人口は、世界の3分の2以上を占めている。世界の人口のへそ(中心)は、中国とインドであり、この両国と如何に宗教上の摩擦を低下させながら経済発展に結びつけるかがキリスト教国家やイスラム国家の課題でもある。

 宗教を大きく分類すれば4つのパターンがある。第1は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教のパターン、第2は、インドのように多くの宗教が混沌 としているパターン、第3は、中国のように国が正式に宗教を認めないパターン、第4は、日本のように神道、仏教、キリスト教、新興宗教と同時に多くの宗教 を理解できる多神教のパターンである。宗教の視点で考察すると、加速度を増す中国、インドを中心としたダイナミックな「東西文明の融合」に柔軟に対応でき るのは、キリスト教やイスラム教の一神教より、日本の多神教だと考えられる。

 
 ■海洋国家と大陸国家

 日本はユーラシア大陸の東の果てに位置する海洋国家である。一方、英国は、西の果てに位置する海洋国家である。米国と英国のアングロサクソンである海洋 国家が、中東の民主化と石油の確保を目的にイラク戦を強硬に行った。米英に追随したのは、海洋国家である日本であった。他方、大陸国家であるフランス、ド イツ、ロシアは、戦争に反対した。

 日本人は農耕民族であると同時に、モンゴルの大草原に留まることなく太平洋まで移動した狩猟民族の遺伝子も引き継いでいる。また、大陸の北方系と海洋の 南方系がブレンドされた多様性に富んだ民族でもある。歴史が語るように日本は、力で大陸に進出したし、敗戦後は、一貫して平和路線を貫いている。

 ■多面的かつ時空を越えた俯瞰視

 世界にはヨーロッパ、北米、東アジアを中心とした3極の経済圏が存在している。制度的には、EUやNAFTAが進んでおり、東アジアは発展途上にある。 中国が華僑との連帯で東南アジアを包み込み、また朝鮮半島においては、中国の勢力が増している。中国を中心とした東アジア共同体や経済圏が拡張する地政学 的動向を支持する考えも懸念する考えも聞かれる。歴史的潮流を考察するとヨーロッパや北米は、アジアのパワーに惹きつけられると考えられる。従って、米国 が懸念する中国を中心とする東アジア経済圏を全面的に出さなくても自然発生的な開かれた経済圏が成り立つ。

 アジア太平洋を挟み歴史の浅い米国と歴史の最も深い中国との戦略的な競合が既に始まっている。よって、北朝鮮問題は、米中の戦略上の問題でもある。米国の歴史は浅いがユーラシアの西の文明が西に移動しながら蓄積されたのが米国の文明でもある。

 1世紀前にアインシュタインは、相対性理論を生み出した。また戦後は、戦争の犠牲により創立された国連を超越する博愛主義に根ざした「World Government」を提唱した。時代の空間を越え、人類文明の基軸が、米国と中国との接点であるアジア太平洋で融合する。人類史上希なる潮流の中で日 本の役割を明確にしなければいけない。開発コンサルタントとして歴史的潮流の中でユーラシアやアジア太平洋の広大な空間に大きな開発構想を描くことが求め られている。

 参考文献
 坂本和一 「アジア太平洋時代の創造」法律文化社 2004年
 Sachs, Jeffrey D. The end of poverty. The Penguin Press. New York 2005.
Einstein, Albert. Out of my later years, Philosophical Library, New
York,1950

 中野さんにメールは mailto:tomokontomoko@msn.com
2005年03月25日(金)アメリカン大学客員研究員 中野 有
  中国の経済成長に伴い、日中の経済連携も増加しているが、同時に中国脅威論も盛んである。安全保障の分野でも、日米同盟や戦略的開発同盟を基軸に日本の積 極的な紛争予防や復興支援も行われている。このような表面的な現象からも、日本の座標軸を揺り動かすだけの歴史的潮流が押し寄せていることが観察できる。 その歴史的潮流を人類文明の推移、ユーラシア大陸の統合、多面的視点で考察してみたい。

 ■人類文明の中心軸の推移と東西の融合

 立命館大学の坂本和一副学長のビジョンは、広く深く雄大である。人類文明の大きな流れを以下のように述べておられる。

「ユーラシア大陸に誕生したメソポタミア、エジプト、インダス、中国文明には、二つの流れがある。主としてメソポタミア文明、エジプト文明を出発点とし て、その中心舞台が次第に西方に遷移していった。もう一つの方向は、主としてインダス文明と中国文明の動きである。これらは、中心舞台が遷移するというよ りは、それを古代文明発祥の地が引き継ぎつつ、その影響が周辺、つまりアジアの各地域に拡大し、韓国、日本、ベトナム、東南アジアなど、地域毎に多様な文 明が展開していった。中国、インド文明を発祥とするアジアの諸文化の蓄積と、他方、西方への中心舞台の推移のなかで進化してきた人類文明の流れがアジア太 平洋地域を舞台に改めて融合を遂げる可能性がでてきた。これまでの人類史の上では、「東西文明の融合」といわれる現象はいく度か起こっている。とくにシル クロードを通じての「東西文明の融合」が有名で、さらに「海のシルクロード」といわれるインド洋を通じての「東西文明の融合」がある。しかし、今度のそれ は、人類史が経験しなかったレベルのものであり、これまでの人類文明史の蓄積を総集約するレベルの「東西文明の融合」といってよい」。

 ■ユーラシア大陸の胎動

 7000年の人類文明の大きなリズムの中で、その中心軸は西へ移っているが、同時に東西の冷戦後のユーラシア大陸の潮流は、EUやNATOの拡大に伴い 東に移動している。ヨーロッパは、世界の人口の集積地である中国やインドのパワーに惹きつけられている。また、ヨーロッパとロシアの関係が密接になってい る。これらのヨーロッパの東方への流れは、ユーラシアにおける東西の融合を活発化させている。

 日本人の遺伝子は、北方系と南方系の2つの遺伝子の複合で構成されており、特にウラルアルタイ語の文化圏(日本語、モンゴル語、朝鮮語)に限りなき関心 を持ってきた。韓流ブームで、数千億円の経済効果が生み出されたのも日本人の大陸に親しみを覚える遺伝子と関係しているからだろう。

 
 アジアの経済発展は、日本―NIES(台湾、韓国、香港、シンガポール)―ASEAN―中国と続く雁行型発展形態で成し遂げられてきた。しかし、東アジ アの経済危機後は、中国の興隆が際立ち10年後には日本を追い抜き一気にアジアの先頭に立つ勢いである。東アジアの国際水平分業や直接投資の動きは、概し て、東から西へ向かっている。即ち、確実に中国に惹きつけられている。

 歴史的潮流の中で中国の発展を観察すると、この150年の中国の停滞は一時的な現象に過ぎないと考えられる。16世紀のスペイン・ポルトガルの大航海時 代以前の中国は、世界の中心であり、少なくともそれが1000年間続いた。特に18世紀後半の産業革命をバネとしたヨーロッパ優位の時代で、中国の地位が 大きく低下したが、70年代後半から始まった中国の改革開放政策の成功による中国の発展は、目覚ましい。中国の経済力は、今年、イギリス、5年後にはドイ ツ、10年後には日本、20-25年後にはEUそして30年後にはアメリカを追い抜くと予測されている。これらは、必然的な中国の復活であると解釈でき る。加えて、インドの経済力も中国に続く勢いで成長している。

 ■宗教の対立と調和

 冷戦は米ソを中心としたイデオロギーの対立であった。冷戦後は、民族紛争、宗教の対立が顕著である。世界人口の3割を占めるキリスト教が、経済、安全保 障、政治、科学技術の中心であり、世界人口の2割弱のイスラム教が、化石燃料によるエネルギーの中心である。そして0・4%であるユダヤ教がこれらの根元 的な分野において大きな影響力を及ぼしている。これら一神教の宗教間の兄弟喧嘩が冷戦後の不安定要因を作りだしている。これらの宗教はユーラシア大陸の西 方で生まれ、ヒンズー教、仏教、儒教、神道は東方で生まれた。キリスト教は、主にヨーロッパ、アメリカと西へ拡張し、イスラム教は、主に東や南に拡張し、 仏教と儒教は東に移動した。

 ユーラシア大陸の人口は、世界の3分の2以上を占めている。世界の人口のへそ(中心)は、中国とインドであり、この両国と如何に宗教上の摩擦を低下させながら経済発展に結びつけるかがキリスト教国家やイスラム国家の課題でもある。

 宗教を大きく分類すれば4つのパターンがある。第1は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教の一神教のパターン、第2は、インドのように多くの宗教が混沌 としているパターン、第3は、中国のように国が正式に宗教を認めないパターン、第4は、日本のように神道、仏教、キリスト教、新興宗教と同時に多くの宗教 を理解できる多神教のパターンである。宗教の視点で考察すると、加速度を増す中国、インドを中心としたダイナミックな「東西文明の融合」に柔軟に対応でき るのは、キリスト教やイスラム教の一神教より、日本の多神教だと考えられる。

 
 ■海洋国家と大陸国家

 日本はユーラシア大陸の東の果てに位置する海洋国家である。一方、英国は、西の果てに位置する海洋国家である。米国と英国のアングロサクソンである海洋 国家が、中東の民主化と石油の確保を目的にイラク戦を強硬に行った。米英に追随したのは、海洋国家である日本であった。他方、大陸国家であるフランス、ド イツ、ロシアは、戦争に反対した。

 日本人は農耕民族であると同時に、モンゴルの大草原に留まることなく太平洋まで移動した狩猟民族の遺伝子も引き継いでいる。また、大陸の北方系と海洋の 南方系がブレンドされた多様性に富んだ民族でもある。歴史が語るように日本は、力で大陸に進出したし、敗戦後は、一貫して平和路線を貫いている。

 ■多面的かつ時空を越えた俯瞰視

 世界にはヨーロッパ、北米、東アジアを中心とした3極の経済圏が存在している。制度的には、EUやNAFTAが進んでおり、東アジアは発展途上にある。 中国が華僑との連帯で東南アジアを包み込み、また朝鮮半島においては、中国の勢力が増している。中国を中心とした東アジア共同体や経済圏が拡張する地政学 的動向を支持する考えも懸念する考えも聞かれる。歴史的潮流を考察するとヨーロッパや北米は、アジアのパワーに惹きつけられると考えられる。従って、米国 が懸念する中国を中心とする東アジア経済圏を全面的に出さなくても自然発生的な開かれた経済圏が成り立つ。

 アジア太平洋を挟み歴史の浅い米国と歴史の最も深い中国との戦略的な競合が既に始まっている。よって、北朝鮮問題は、米中の戦略上の問題でもある。米国の歴史は浅いがユーラシアの西の文明が西に移動しながら蓄積されたのが米国の文明でもある。

 1世紀前にアインシュタインは、相対性理論を生み出した。また戦後は、戦争の犠牲により創立された国連を超越する博愛主義に根ざした「World Government」を提唱した。時代の空間を越え、人類文明の基軸が、米国と中国との接点であるアジア太平洋で融合する。人類史上希なる潮流の中で日 本の役割を明確にしなければいけない。開発コンサルタントとして歴史的潮流の中でユーラシアやアジア太平洋の広大な空間に大きな開発構想を描くことが求め られている。

 参考文献
 坂本和一 「アジア太平洋時代の創造」法律文化社 2004年
 Sachs, Jeffrey D. The end of poverty. The Penguin Press. New York 2005.
Einstein, Albert. Out of my later years, Philosophical Library, New
York,1950

 中野さんにメールは mailto:tomokontomoko@msn.com
2005年03月24日(木)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 ■時代精神としての憲法

 もうかなり前であるが、私が日本から送られた雑誌を読んでいると、現行憲法九条が「援助交際」をもたらしたと、或る文化人が嘆いているではないか。日本 の議論に慣れていない人、例えば外国人なら憲法と「援助交際」の関係を唐突と思うかもしれない。でもこの文化人は自分が「風が吹けば桶屋がもうかる」と同 じようなことをいったとは夢にも思っていない。だから彼は「憲法」から「援助交際」まで何が起こってそうなるかについて説明の必要も感じない。これは本当 に面白い現象であるが、でもなぜ彼はこれほど無頓着でいられるのか。

 彼だけでなく私たち日本人の大多数は、1945年の敗戦によって、それ以前の時代(戦前と戦時下)とは別の新時代がもたらされたと思っている。次に私た ちは、こうしてはじまった時代が1947年に成立した今の憲法と連結していて切り離すことができないと考えているのではないのか。三つ目に重要な点は時代 精神である。どの時代にも社会・人心に広く行き渡っている時代精神があって、同時代人はこの時代精神を空気のように吸っているとその影響を受けてしまう。

 以上の三つの考え方の上に乗っかって半世紀近くも憲法論争が進行して来たのではないのか。

 上記の文化人にとって1945年にはじまった時代が今も継続し、占領時代に制定された憲法が時代精神として日本国民の道徳心を麻痺させて、その結果「援 助交際」になったことになる。逆に「援助交際」をなくすためには憲法を改正すべきということになる。この見解が、本人の文化人にも、多くの読者に唐突と感 じられないのは、頭の中で、時代と憲法が相互に連結していて、その時代精神が人々の意識と行動をかたちづくると思われているからである。

 ここまで、憲法を変えたいほうの日本人に焦点をあてて憲法観について論じた。著名文化人の呼びかけで、現在日本各地で護憲派の「九条の会」が生まれつつ ある。インターネットでこの会の関係者の見解に接して、私は改憲派と護憲派が同じ憲法観を共有していることにあらためて驚く。改憲派と護憲派の関係はコイ ンの裏表ではないのか。

 護憲派は、自分たちの理想が憲法になっているので今更「私の理想を憲法に」とならない。とはいっても彼らも、憲法が理想の表現であると思っている点で、 改憲派と一致する。憲法条項が法規であるという意識も、また理想やイデオロギーや宗教が異なる人々が同じ国家のなかで共存するために憲法が存在するという 意識も乏しい。例えば、「9条は日本に住む人々が一つにまとまる象徴だ」(奥平康弘呼びかけ人)。

 敗戦によってはじまった時代が今も継続していて、憲法はこの時代精神であり、時代と憲法が連結して切り離すことができないという考え方も両者に共通す る。護憲派の彼らは、憲法を変えると「援助交際」がなくなるとはいわないが、その代わりに日本が別の時代、「戦争をする国」になってしまうと警告する。例 えば「もし戦争を望まなければ、軽々しく9条を廃棄してはならない」(加藤周一呼びかけ人)。

 また自民党の政治家は憲法に日本人としての誇りを感じたいという。憲法は護憲派にとっても「お国自慢」の対象らしく「九条は日本の宝。21世紀の世界に 広げよう」ということになる。改憲派に「現憲法が美しい日本語でない」ことを難じる人がいると思っていると、護憲派に現憲法が「新しい国家の民主主義と平 和主義の秩序をつくり上げることを願っていた」当時の国民の願望の表現であるだけでなく、新たな「文体」をもたらしたという人がいる(作家の大江健三郎呼 びかけ人)。

 ■どうしたらいいのか

 今まで日本で憲法が改正されなかったのは、時代とその時代精神の反映である憲法が連結していて切り離すことができないとみなす私たちの憲法観のためである。このために、憲法を変える試みは時代を変えることで「世直し運動」になってしまう。

 1945年以降の時代と、戦争をして最後に破局をもたらしたその前の時代(=「戦前」)と比べて、圧倒的に大多数の日本人は前者を後者よりよい時代であ ると思ってきた。この「よい時代」が現憲法と連結している以上、憲法を変えようしなかったのもごく自然の成り行きである。

 ということは、護憲派が戦後長い間「よい時代」を人質に取ることができたことになる。その結果、「もし戦争を望まなければ、軽々しく9条を廃棄してはな らない」というセリフが効果を発揮できて、改憲派の世直し運動に抵抗できた。世代交代で前の時代と比べなくなったり、また他の理由から、例えば経済的に行 き詰まったために「よい時代」と感じる人ばかりでなくなったらどうするのだろうか。「われらの時代」は終わったでは本当は済まないのではないのだろうか。

 憲法が法規でありルールであるべきと考える立場をとるなら、憲法というルールが順守される体制を守ることこそ憲法を守ることで、それが「護憲」である。 従うことができなかったり、従わさせることができなかったりするルールがあるならば、廃止するか変えるしかない。そうしないで置くと法規が従われるべき ルールでなくなり、飾り物になってしまう。この状態こそ一番避けるべきことであり、そのために憲法条項も必要があれば改正にされるべきと、私には長い間思 われた。

 ところが、現在憲法改正に賛成かと問われたら私は賛成できない。その理由を今から挙げる。

 ここまで述べたことからわかるように、改憲派にも護憲派にも憲法が法規である意識が希薄である。そのために、憲法を変えることは法規の変更でなく「世直 し運動」である。次に財政赤字にしろ少子化高齢化社会にしろ、日本が現在直面している問題は憲法と無関係で、憲法をいじることで解決できるようにいうのは 幻想に過ぎない。

 ということは、「改憲」にしろ「創憲」にしろ掛け声だけの「世直し運動」で、すでに述べたように政治の代わりで象徴的行為である。メディアは話題ができ るのでよろこぶかもしれないが、日本国民は政治家に実質的な問題解決を要求するべきである。

 次の反対理由は国際環境と関係がある。冷戦時代に九条を改正するのだったらは、私は賛成し歓迎したと思う。当時東西の対立で日本は軍事的にも政治的にも 西側陣営に組み込まれていたので、九条の改正は現実の追認に過ぎなかった。当時のソ連も中国も、抗議したかもしれないが、どこか当然のことと受け入れたと 思われる。

 ところが、現在東アジアの国際関係は冷戦時代のように安定しているとはいえない。九条改正は波紋を投げかけるような気がする。極端な貧富の格差や歴然と した不公正などいった厄介な社会問題をかかえる中国の政治指導書が、国民の不満を外に向けるためにナショナリズムを利用するのはどこか仕方がない。また日 本のほうが少しぐらいはナショナリスティックに反応するのは避けられないし、相手国も少しよろこんでいるかもしれない。でもこの相互のナショナリズムの 「火遊び」でも、私たちは相手国がはるかに深刻な問題に直面していることを考慮するべきである。

 私には、東アジアで必要以上に緊張を高めないためにも九条は改正しないほうがよいように思われる。というのは、中国との緊張が高まると日本は米国に「す り寄る」しかなくなり、これは自ら外交的選択の幅を狭くすることである。このように考えると、今まで骨折って解釈で間に合わせて来た憲法を改正するメリッ トはない。


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2005年03月23日(水)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦
 改憲、護憲、論憲、加憲、活憲、創憲、、、、私は憲法に関して日本のメディアで眼にするコトバを並べてみた。ほんとうによく出揃ったと思う。今のところ欠けているのは「廃憲」だけで、あまり見られないのは、縁起が悪いから口にされないためかもしれない。
私は少し前現在日本で進行中の憲法論議に接する機会をもってつくづく思ったのは、私たちが特別な憲法観をもっていることである。憲法改正が今までなかったのも当然に思われた。

 ■私の理想を憲法に

 インターネットの自民党・ホームページにある「憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム」をクリックする。そこでこの党の政治家の発言を読むと彼らが何を憲法に期待するかがわかって面白い。

 例えば、熊代昭彦衆議院議員は次のようにいう。

《よい家族こそ、よい国の礎である。特に、女性の家庭をよくしようというその気持ちが日本の国をこれまでまじめに支えてきたと思う。家庭を大切にするとい うこと。ドイツの憲法には、「婚姻および家族は、国家秩序の特別な保護を受ける」と書いてある。こういう書き方もあるし、「国民はよい家庭をつくり、よい 国をつくる義務がある」ということを書くことが可能であれば書いて頂くとか、ぜひ家族を強調して頂きたい。》

 ドイツでは同棲している同性愛者も婚姻に準ずるものとして「国家秩序の特別な保護を受ける」ようになったが、「女性の家庭をよくしようというその気持ち」を重視する熊代議員の理想は専業主婦の家庭と想像される。

 この引用からわかるように、この「憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム」での多くの発言には一つのパターンがある。それは、政治家が自分の理想を述べ るか、その理想の実現が現憲法に妨げられていること嘆くかする。そうしてから今度出来る憲法には是非ともこの理想が取り入れるべきであると主張する。

 発言する自民党の政治家の理想はこの「よい家庭」以外いろいろあるようで、奥野信亮衆議院議員は次のように発言する。

《、、、国を愛するとか、国の帰属意識というのが全くない若者が育ったなと、こういうふうに思う。その原点は何だろうといったときに、憲法9条で、戦争は 放棄するんだ、とにかく平和を追求するんだと、平和ボケにするような主張ばかりが書いてあって、国が攻められたら守るんだぞということをはっきり言わない と、日本の国の一員なんだとか、その日本を愛するんだということにつながってこないのではないか。》

 この政治家の理想は、日本人が「国の帰属意識」と「愛国心」をもつことである。この理想が実現できないのは現憲法の9条のために「平和ボケ」なったから である。ということは、「平和ボケ」と反対の状態である国防意識をもつことによって(国籍を所持するだけでない、真の)「国の帰属意識」と「愛国心」が養 われると奥野衆議院議員は思っているようである。

 自民党政治家の大多数は奥野議員と似たような理想の持ち主らしく口々に現憲法の「無国籍」を嘆き、今度できあがる憲法が日本の伝統、文化、歴史、アイデンティティ、「わが国のかたち」、「国柄」を国民一人一人に感じさせるものでなければいけないと要求する。

 ■憲法は最高の法規?

「憲法調査会憲法改正プロジェクトチーム」の政治家はあまり考えないが、「私の(我が党の)理想を憲法に」ということになったら困ったことにならないだろうか。

 すでに述べたように熊代昭彦衆議院議員にとって「よい家庭」とは「女性の家庭をよくしようという気持ち」が重要な役割を演じる家庭である。ところが、職 業があり家の外で働く女性のなかには、男性のほうこそ「家庭をよくしようという気持ち」をもつべきとして、またご主人こそが産児休暇をとって家事・育児に 専心することを要求する人もいるかもしれない。また縁がなくて一生独身で過ごす人もいるし、同性愛者もいる。「国民はよい家庭をつくる義務がある」が憲法 条項になり「よい家庭」が熊代議員の考える意味で解釈・運用されたら憲法違反者が続出するのではないのだろうか。

 私がこう書けば日本人は物事をそんなに杓子定規に考えないと誰かがいいだすかもしれない。「よい家庭をつくるい義務」という憲法条項は「皆でよい家庭を つくりましょう」という呼びかけに過ぎない。それとも、この憲法条項は国民の納税義務と同じように権利・義務を規定する法規なのであろうか。

 私には、このようにいろいろことが気になってくるのに、「憲法改正プロジェクトチーム」の自民党議員は物事を区別する必要を感じていないようである。こ のように考えていくと私に奇妙な疑いが浮かんでくる。それはこうだ。彼らの無頓着は、憲法を論じると彼らには法的意識が希薄になるからではないのか。

 ここで重要なことは「憲法を論じると」という条件である。デパートで鉛筆を買う小学生も自分にお金を払う義務が、またレジの店員に代金を受け取る権利が あると漠然と思っているので法的意識がある。いわんや成人で立法府に属する政治家にいつも法的意識がないことはないはずである。ということは、憲法につい て考えたり話したりすると彼らは例外的状態に陥り、法的にものごとを考えられなくなる、そういうことにならないか。

 これはほんとうに不思議なことである。というのは、「憲法改正プロジェクトチーム」の自民党議員は「憲法は最高の法規」という文句を何度も口にするから である。とすると、憲法は彼らに「最高」のもの(、おそらく最高の理想のようなもの)かもしれない。でも「法規」であるかとなると現実にはかなりあやし い。

 私のこの印象が見当違いでないことを示すために別の例を挙げる。「憲法改正プロジェクトチーム」の自民党議員は口々に現憲法が施行されてから日本人が権 利ばかり主張し義務をわきまえなくなったと嘆く。でも全員が権利ばかりを主張する状況は想像しにくい。というのは、法律では権利と義務は対になっているの で、権利を主張する人がいる以上、どこかに義務を果たす人がいるはずである。

 自民党議員は権利というコトバを法的な意味でなく「皆が厚かましくなって要求ばかりする」という意味でつかっているのではないのか。あるいは、彼らは立 法府に属しながら自分自身が権利・義務を規定する憲法条項に拘束されていることに気づかず、「法的真空地帯」いるかのように錯覚しているのではないのか。 だから全員が権利ばかり主張するという奇妙な発言がこれらの政治家の口から出てくる。いずれにしろ、憲法の話になると、彼らにそれが法規であるという意識 が欠如していることになる。

 ■一番欠けている考え方

 それでは、憲法を論じはじめると保守党の政治家はなぜこんな奇妙な状態に陥ってしまうのだろうか。

 世の中にはいろいろな人間いて、なかには自分の欲望をコントロールできないために血生臭い事件をひきおこす人だって少なくない。理想が異なるために紛争になり、議論にとどまらないでバットでなぐろうする人もいる。また商売でも汚い手をつかって詐欺をする人も出て来る。

(どこの国もそうであるが、)私たち日本人もそのような紛争が発生することを前提とし、前もって血生臭い凄惨な状況を避けたり、また発生しても秩序の枠のなかにおさまるようにするためにいろいろなルールや法律がある。これらの法律の元締めとして憲法があるのではないのか。

 そう一方では思いながら、国家の一番ベーシックな法である憲法を論じはじめた途端、私たちはそれが法律であるということにうっかりする。こんな奇妙な事態に至るのは、私たちが国内で対立や争いが発生する可能性を想定したくないからではないのか。

 理想やイデオロギーや宗教が異なる人々が同じ国家のなかで共存しなければいけない。対立・紛争は当然発生する。でも収拾できなくなり内乱に発展したり、 また国家機能が停止したりすることがあってはならない。そのために、私たちには憲法がある。日本の憲法論議で一番欠けているのは憲法についてのこのような シビアな考え方ではないのか。

 このシビアな憲法観をもたないからこそ、憲法が法規である意識が失われ、「私の(わが党の)理想を憲法に」というのんきな話になる。「憲法改正プロジェ クトチーム」を組む自民党は今年11月に党結成50周年をむかえ、それに合わせて憲法改正案を作ると発表している。これは、憲法改正を一政治結社の記念行 事の出し物と同列に扱っていることになるのに、この党の政治家その奇妙さにも気がつかない。この無頓着こそ彼らの呑気な憲法観の特徴である。

 それでは、なぜ自民党の政治家は国内で対立や争いが発生する可能性を想定したくないのだろうか。これは、自分の家庭が円満だと思い込んでいる家父長的な 男性と同じだからである。とすると、彼らは別のタイプの「平和ボケ」をわずらっていることにならないのか。自分さえ武器を持たなければ戦争にまき込まれな いと思う彼らの同国人が国外向け「平和ボケ」なら、自分の国は「家庭円満」で「私の(我が党の)理想が憲法に」と思い込むのは(皮肉なことに)国内向け 「平和ボケ」である。

 ■スポンジ憲法

 日本で自民党の政治家にとどまらず、最大野党・民主党の政治も、(おそらく法律の専門家を除く)大多数の人々も憲法に(普通の国なら考えられないような)奇妙な期待をよせるのも、その条項が権利と義務に関する法規であるという意識がないためではないのか。

「憲法が美しい日本語で書かれていなければいけない」というのはよく聞く。私たちは、刑法の窃盗の条文を読んで「美しい日本語が書かれている」かどうか気 にしない。憲法となるどうしてこんなことを期待するのか。現憲法がGHQの「翻訳憲法」であることを強調するために、このセリフが繰り返されるにしても、 この期待そのものが奇妙に思われないのは、憲法が法律であるという意識が私たちのほうに希薄だからである。

 また自民党議員をはじめ保守的日本人が日本の伝統、文化、歴史、アイデンティティ、「わが国のかたち」、「国柄」を憲法に感じたいというのも憲法が法律 でないからである。日本の伝統や文化や歴史について知りたければいろいろなことができる。例えば、図書館でしかるべき本を手にするほうが目的に相応しい。 彼らがそう思わないとしたら、それは憲法を何か万能薬のように思って過剰な期待をもっているからである。

 こうして、憲法は国民のさまざまな期待・不満を吸い込むスポンジのような存在になってしまったのではないのか。「自民党がつくる憲法は『国民しあわせ憲 法』です」ではじまる「憲法改正のポイント」(2004年6月)や、また「文明史的転換に対応する創憲を」という民主党「憲法提言中間報告」(2004年 6月)を読むと、この「スポンジ憲法」の感が強まるばかりだ。

 どこからどこまでを憲法で規定するか、またどこから一般法で仕切るか、立法と行政との関係、それどころか法一般と政治の関係をどのようにするかは、各々 の国によって異なり、その意味で政治文化に属す。例えば、私が暮らすドイツは憲法を1949年に制定してから今まで50回以上も改正している。こうである 理由の一つは、憲法の中で細かいことを決めすぎているからである。

 ところが、自民党の「国民しあわせ憲法」も、また民主党の「憲法提言」も、このような区別を考えることもなく、重要そうなこと、けっこうなことは何でか んでも憲法にするという精神で作成されたようにしか見えない。その意味でどちらも「スポンジ憲法」の典型的な例である。少子化・高齢化、グローバリゼー ションなど日本だけでなく先進国が多かれ少なかれ直面する問題がいろいろ挙げられている。これらの問題を憲法条項の中で言及することが問題の解決につなが ると日本以外の国の人々はあまり考えない。日本人がそう考えるとしたら、これは独創的発想であり、私たちの特別な憲法観の反映である。

 成長経済のときにはどこの国でも政治家は自分の投票者の利益になることをしていれば済んだが、分けるパイがどんどん小さくなる現在、彼らのすることこともその分だけ少なくなる。問題も(また選挙民の利益も)複雑かつ不透明になり、理解するだけでもたいへんである。

 反対にお手軽に参加できる憲法論議は政治家にだけでなく多くの選挙民に政治に参加し現実を変えているという幻想をもってもらうことができる。「国民しあ わせ憲法」の中で、自民党が「このパンフレットは、、、憲法に関する国民的議論が活発に展開されることを願って作成したものです。どうか、一人でも多くの 国民のみなさんが、私たちの活動に加わっていただけますように......」と訴えるのも、憲法を論じることが政治行為の代わりになっていることを物語る。こうし て、国民の期待と不満を吸収する「スポンジ憲法」が機能するのではないのか。!

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2005年03月13日(日)萬晩報通信員 成田 好三
 西武鉄道グループの総帥だった堤義明・前西武鉄道会長の逮捕関連ニュースと、ニッポン放送株の争奪戦をめぐるニュースで紙面が埋め尽くされている感がある新聞で、読んでいるうちに思わず吹き出してしまうような面白い記事に出合った。

 ニッポン放送株の争奪戦では、ライブドアの堀江貴文社長とフジテレビジョンの日枝久会長が、互いに相手の株取得方法を「ルール違反」と非難しているが、 この記事の当事者が行った「決定」こそ、あからさまなルール違反である。当事者たちは全国の高校教師で組織する団体の役員たちである。面白がったり、笑っ て済ましたりできる話ではない。

 硬式野球を除いて、すべての高校スポーツを統括する団体である全国高校体育連盟(高体連)は3月5日、理事会・評議員会である決定をした。

 翌6日付朝日はスポーツ面で、「人気を配慮 愛ちゃん特例」「高校総体出場 プロを初承認」の見出しを付けた小さな囲み記事を載せている。短い記事であり、高体連の決定を無視した新聞も多かったので、記事全文を書き写す。

「全国高校体育連盟(高体連)は5日、東京都内で理事会と評議員会を開き、原則としてアマチュア選手だけが参加できる全国高校総合体育大会(高校総体) に、卓球のアテネ五輪代表、福原愛(ミキハウスJSC、青森山田高1年)が特例として出場できることを正式承認した。プロ的活動をする選手の出場を認める のは初めて。高校総体の競技者規定は肖像権の広告使用や企業からの金銭的支援などを禁止、プロ的活動をする福原は規定に触れている。しかし、高体連は福原 の全国的人気や、出場による大会競技レベルの向上、さらにプロとアマの境界線があいまいになったスポーツ界の現状を考慮。県予選からの参加や、ユニホーム にスポンサー名を入れないなどを条件に特例を認めた。福原が参加するかは、現時点では未定。」

 卓球の「愛ちゃん」こと福原愛は、プロゴルフの「藍ちゃん」こと宮里藍とともに、スポーツ界だけでなく国民的アイドルである。高体連の理事や評議員たち、つまり高校教師たちは、愛ちゃん人気にあやかって高校総体を盛り上げたいと考えたのだろう。

 高体連のホームページを見たが、5日の理事会・評議員会の協議、決定事項は何も載っていない。全国で何百万人もの高校生選手を統括する彼らは、自らの協議、決定事項を部外者に告知する必要性などまったく感じていないようである。

 しかし、この決定は明らかなルール違反である。高体連にはアマチュア規定が存在するからである。

 高体連の「競技者及び指導者規程」は、第1章(総則)第1条(目的)で、「その活動はアマチュア・スポーツマン精神に則り実施されなければならない。」 とうたっている。さらに、第2章(競技者)第3条(競技者のあり方)では、「スポーツ活動を行うことによって、物質的利益を自ら受けない。」「スポーツ活 動によって得た名声を、自ら利用しない。」と規定している。

 福原愛は、記事にある「プロ的活動」をする選手ではなく、明らかにプロである。企業と所属契約を結びCMに出演している。

 高体連が高校総体に福原愛の出場を希望するのであれば、まず自らつくったルールを改正してからすべきである。「特例」を設けて出場させることなど、未成年に社会のルールを指導する高校教師がやるべきことではない。

 いまや高校生プロは例外的存在ではなくなった。宮里藍は高校時代にプロの出場する大会で優勝して、その特権を生かして卒業前にプロになった。トリノ冬季 五輪でメダル獲得が期待される、全国的アイドル候補であるフィギアスケートの安藤美姫も高校生だが、トヨタ自動車の愛知万博関連のTVCMに出演、TVの バラエティー番組に顔を出している。

 国際競技スポーツの世界では、アマチュアの概念は存在しない。五輪を統括するIOCも、サッカーW杯の元締めであるFIFAも、そして国際陸連など主要 な競技団体も規約からアマチュア規定を削除している。日本の競技団体でも陸連などが、遅ればせながらも、国際的流れに沿って規約からアマチュア規定を削除 している。

 アマチュアの概念は、日本では奇妙なほどに神聖化されてきた。しかし、近代スポーツが生まれた欧州では、アマチュアの概念は、貴族階級が競技から労働者階級を閉め出すためにひねり出した、差別主義的概念である。

 国際的にも、あるいは日本でも五輪に出場するようなトップ選手はプロ化している。アマチュアでは五輪でメダルを獲得するどころか、五輪に出場することさえ、ほとんど不可能である。

 しかし、高校生の競技会が、プロの出場を認めるかどうかは別問題である。プロになった日本代表レベル、世界レベルの高校生が高校生レベルの競技会に出場する価値を見いだすかどうかもまた、別問題である。

 高体連は、安易に「愛ちゃん」人気に便乗することはやめるべきである。組織内でアマチュア規定を削除するかどうか論議し、高校生プロの出場について決定し、自らの判断とその理由をきちんと公表すべきである。(2005年3月12日)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2005年03月09日(水)萬晩報主宰 伴 武澄
 ニッポン放送株をめぐるライブドアとフジテレビジョンの争奪戦は8日、フジテレビが提示していた公開買い付け(TOB)で発行済み株式の36・47%を確保したことで新たな段階に入った。

 ライブドア側はすでにその45%超を取得済みであることから、発行株式の80%超が2社によって支配されたことになる。上場廃止は確実である。ニッポン 放送の東証二部上場は1996年である。たった10年で株式の自由な売買ができなくなるニッポン放送の一般株主の権利はどうなるのであろうか。

 ネットをサーフィンしていたら興味深いブログに出合った。isologue-by 磯崎哲也事務所 http://tez.com/blog/archives/000324.html

 そもそもニッポン放送は、当時日経連の専務理事だった鹿内信隆氏が1953年に設立したラジオ放送局である。鹿内氏は昭和20年代に多発した労働争議を 鎮めた「功労者」として財界内で絶大な信頼感を勝ち得ていた。フジテレビはその4年後にそのニッポン放送と文化放送がつくったテレビ局である。ラジオ局が 巨大なテレビ局の株式を支配するようになったいびつな構造はほぼ50年前につくられた。

 そしてそのフジテレビの収益力によってたかだか1000億円規模の連結売上高でありながら1500億円もの剰余金を持つ超優良企業なのである。簡単に言 えば1000億円を投じて買収してもおいしい会社ともいえる。いままでM&Aの対象にならなかったことすら不思議な感じがする。

 ともあれ磯崎ブログである。

 ニッポン放送は昨年春、村上ファンドによるニッポン放送株買い増しに対抗して、フジテレビの株式の持ち株比率を32・3%から22・5%に落とすという 奇妙な行動に出ていた。なんのことはない。持ち株比率を25%以下にすることでフジテレビのニッポン放送に対する議決権を行使できるようにしたのである。

 次いで9月、こんどはフジテレビがニッポン放送の株式を買い増して持ち株比率を0・03%から12・4%にしていた。この株買い増しを報じた日経産業新聞には次のように書かれているという。
「フ ジテレビジョンは10日、自社の筆頭株主であるニッポン放送の株式405万株を取得したと発表した。ニッポン放送の発行済み株式数の12・4%に相当し、 村上世彰氏が出資する投資会社の16・6%に次ぐ第二位の株主となる。フジテレビはニッポン放送への出資比率を高めて発言力を強め、グループ経営基盤の強 化を狙う。
 フジテレビは同日の立ち会い外取引でみずほコーポレート銀行など国内銀行五行からニッポン放株を取得。200億円強の取得代金は手元資金でまかなった。これにより持ち株比率は0・03%から12・4%(議決権の比率は13・6%)へと大幅に上昇した。
  ニッポン放送はフジテレビの筆頭株主。春先にフジテレビ株の一部を売却するなどした結果、出資比率は32・3%から22・5%に低下した。商法上の規定に より、ニッポン放送の出資比率が25%以下に低下したことで、フジテレビはニッポン放送に対して議決権を行使できるようになったため、資本関係の強化に踏 み切った。」
  立ち会い外取引とは「時間外取引」のことである。「著しく透明性・公平性を欠く取引で、違法の疑いもある」とライブドアのよる時間外取引を批判しているフ ジテレビはその半年前に同じことをしていたのだ。しかも資本的に「親」であるニッポン放送株を買い増していたのだから、いびつな関係を一層いびつにさせて いたことになる。本来はその時点でTOBを宣言して親子の逆転現象を解消する計画を世に問うべきだったはずのだ。

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