2005年1月アーカイブ

2005年01月30日(日)ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男
 アメリカ東海岸は凍てついた日がつづいている。昼間でも氷点下のままで、体感温度はマイナス10℃以下という日もある。しばらく外気にさらされていると、小さなハンマーで毛穴一本一本に針が打ちつけられるような痛みがくる。エスキモーが着ている毛皮がほしいくらいだ。

 そんなとき、ある動物の冬眠についての記事を読んだ。動物に強い関心があるわけではないが、いままで知らなかった内容だったので、長文記事にもかかわらず最後まで一気に読んだ。

 記事はカエルの冬眠についてであった。これまで知っていた冬眠の常識が覆された。カエルのなかには体内の水分の65%までを凍らせてカチンカチンにし、 心臓をも停止させて春を待つ種類がいるというのだ。これまで冬眠というのは、深い眠りについてはいるものの、内臓は活動しているものだと思っていた。クマ やヘビなどがそうだ。

 少し調べると、ヒキガエルなどは地中に穴をほって、氷点下にならない深さのところで身を潜めているとある。その新聞記事では、掌に乗るような小さなカエ ル、たとえばウッドフロッグ(アカガエル)やスプリングピーパー(トリゴエアマガエル)は深い穴をほるだけの力がないので、石の下や木の葉のなかに身を隠 して体を凍らせるというのだ。

 豆粒のような脳も心臓も動きを止め、カエルの表皮はムラサキからブルーになるらしい。ウッドフロッグはカナダやアラスカにも生息しており、いまの時期、森の中を探せばまっ青になったカエルたちが見られるかもしれない。

 それでよく死なないものである。気温があがって氷解しはじめると、臓器もふたたび動きはじめるというからサイエンス・フィクションの世界である。細胞レ ベルの話であれば、マイナス190度の液体窒素で凍らせたあと、ゆるゆると解凍してゆけば、人間の細胞でも蘇るが、「臓器そのものは無理」というのが医学 的常識だ。

 だから、記事を読みはじめたときの感想は「ンー、本当か」である。けれども、生物学者や臓器移植を専門にしている医師のコメントが出てくるあたりから、 「ンー、ホンモノだ」となった。いちど凍ってしまった人間の臓器は解けてもザクザクと亀裂がはいったり、組織が破壊されてしまうが、カエルの場合はそれを 防ぐ術を身につけているという。驚きである。

 気温が下がってカエルの体液が凍りだすと、肝臓の酵素がグリコーゲンを分解してブドウ糖をつくりだす。すると血糖値があがる。糖分は細胞を凍りにくくす る作用があるので、全身がザクザクになるのを防ぐのだ。ただ、血糖値のレベルは糖尿病患者の約10倍ほどの異常値である。濃縮されたブドウ糖はエネルギー 消耗をおくらせる作用もあり、厳しい冬を乗り越える順応力は人間には真似ができない。

 そこまでは解明されているが、長期間停止した心臓や脳が氷解時にザックリ裂けずにゆっくりと元に戻るというメカニズムはまだ解っていない。科学者がいま注目しているのは、そのメカニズムである。もちろんカエルがもつ天性のものだ。

 科学者はそれを人間の臓器に活かせないか検考している。まっとうな仮説である。可能であれば、サイエンス・フィクションがノンフィクションになるほどのパンチ力がある。医療現場では臓器移植がはるかに容易になる。

 現在の医学では、ドナーの体内から臓器を摘出したあと凍らせることはできない。使いものにならないからだ。腎臓であれば溶液につけて48時間、心臓は4 時間が限度である。その時間以内に移植手術が開始されなくてはいけない。だが、カエルの冬眠メカニズムを解明し、もしも人間の臓器に利用できるならば、医 学的ブレークスルーになる。

 しばらくは多くのカエルが人間に凍らされたり暖められたりするだろうが、ぜひ人間の臓器でブレークスルーを見てみたいものである。(「急がばワシントン」から転載)

 堀田さんにメールは mailto:hotta@yoshiohotta.com
 急がばワシントン http://www.yoshiohotta.com/
2005年01月24日(月)萬晩報通信員 成田 好三
  さすがに唯一の超大国・米国の大統領である。ジョージ・W・ブッシュ氏は素晴らしいスピーチライターを雇っている。1月20日、何万人もの警察・軍隊によ る厳重警備の中で行った2期目の就任演説では、約20分間の演説時間に27回も「自由」という言葉を使って、世界中への「自由の拡大」を格調高くうたいあ げた。

 新聞各紙の演説要旨や演説詳報を読んだが、日本語に訳してもなお名文である。しかし、どんな名文でもそれを発信する人物の人格と思想に裏打ちされていなければ、メッセージは相手に伝わらない。

 全国の地方紙に配信された共同通信の演説詳報(21日配信)から、そのさわりの部分を幾つか引用してみる。

「憎しみと恨みの支配を打ち破り、圧政を敷く者の言い訳を暴く歴史の力がただ一つだけある。自由の力だ。この国での自由の存続は、他国での自由の成功にま すます左右されるようになった。世界平和を達成する最短の道は全世界に自由を拡大することだ」

「世界中で圧政を終わらせることを究極の目標に、あらゆる国で民主化運動と制度の発展を求め、支持することが米国の政策である」

 何とも勇ましい決意表明である。しかし、唯一の超大国がいかに強大な力をもつとしても、そんなことが本当に可能なのだろうか。

「最も厳粛な任務は米国と米国民をさらなる攻撃や脅威から守ることだ。米国との関係を良好にするには、自国民を正当に扱わなければならないことを明確にし、他国の改革を促す」

 ブッシュ氏は、米国は「自由の宣教師」であると宣言した。しかし、欧米諸国が植民地を拡大していった時代に、キリスト教の宣教師が、彼の後に続く商人と軍隊の先兵としてやって来たことは、アジアやアフリカの人々なら誰でも知っている事実である。

 極め付きは以下のくだりである。

「米国は再び世界の人々に語りかける。独裁と希望のない社会に生きる人々は次のことを知るだろう。米国はあなたたちが受けている抑圧を見逃さないし、抑圧 者を許しはしない。自由のため立ち上がるなら、われわれも一緒に立ち上がる。米国は弾圧を受けている民主運動家の中に、将来自由な国になった時の指導者を 見ている」

 さながら、各国民に「自由革命」への決起を促す檄文である。しかし、圧政からの自由を求めて立ち上がった民主運動家を、米国はこれまで何度見殺しにしてきたことだろう。

 演説の末尾部分ではこう、うたいあげている。

「究極的な自由の勝利を確信してわれわれは前進する。それは神の意思による選択だ。全世界の人々に自由が行き渡ることを宣言する」

 ブッシュ氏が格調高くうたいあげた「自由」「自由の拡大」の名の下に、米国が大規模な軍隊を派遣して戦争を起こしたイラクでは、いまも泥沼の戦争状態が続いている。

「自由」の押し売りに閉口する人々の声は、ブッシュ氏と彼を支持する勢力の耳には届かない。
 
 ブッシュ氏は米国の産軍複合体と福音派を中心とするキリスト教原理主義者の圧倒的支持を得て再選された大統領である。

 コーランの教えをそのまま信じ、コーランを社会システムの基本にすべきであるとする人たちをイスラム原理主義者と呼ぶならば、聖書に書かれたことをその まま信じ、国家が制定した憲法ではなく聖書を社会システムの基本に置くべきだとする人々もまた、キリスト教原理主義者と呼ぶべきである。

 ブッシュ氏が、優れたレトリックを尽くした就任演説で、「自由」「自由の拡大」を説いても、その声はキリスト教徒以外の人たちには伝わらない。

 ブッシュ氏が言う「神」はキリスト教の神でしかあり得ないように、ブッシュ氏が言う「自由」もまた、米国流の自由でしかあり得ないからである。

 「生物多様性」という言葉がある。遺伝子レベル、種レベル、生態系レベルでも、さまざまな生物が存在することである。生物が、個体としても種としても、生態系としても存続するためには多様性が必要になる。

 人間も生物のひとつである。だから、人間も、人間がつくりだした社会は、家族から国家、国際社会までもが、多様性が必要である。

 圧倒的に強大な権力をもつ米国の大統領が、キリスト教の神とそれに基づく「自由」を世界に拡大させることは、多くの国とそこに住む人々の多様性を奪い去ることにはならないか。

 生物にはさまざまな種と生存方法があるように、人間の自由にもさまざまな種類と段階がある。

 敗戦後の日本人は、ダグラス・マッカーサーによって、米国と同様の政治的自由を得た。しかし、それはあくまで「制度的」自由である。戦後半世紀を過ぎてもまだ、「組織票」が存在する。政治的意思を、自らにではなく、組織に委ねる人たちが存在する。

 ブッシュ氏と米国が推し進めてきた中東の民主化=「自由の拡大」の行き詰まりの根本原因も、米国流、キリスト教流の「自由」をこの地域に押し付けてきたことにある。

 中東の国々の多くはいまも部族社会である。知識人や一部の都市生活者を除いては、この地域の人たちの多くは、個人の運命に関する選択権を、自らにではなく部族長やその上の階層である宗教指導者に委ねている。

 そうした地域で、いきなり米国流、キリスト教流の「自由」を押し付けたらどうなるか。米国が占領するイラク統治の失敗の原因もそこにある。

 人間と社会の多様性を無視して米国流、キリスト教流の「自由」を押し付けることは、自由と人間の多様性を奪い去り、ひいては人類の生存を危うくすることにはならないか。(2005年1月24日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
2005年01月21日(金)株式会社ニーモニックセキュリティ 國米 仁
 筆者はNTTコミュニケーションズのCoDenペイメントサービスの標準ユーザ認証手段として使われている長期視覚記憶活用型画像パスワード「ニーモニックガード」を5年ほど前に考案した。

 ニーモニックガードが現在の形に仕上がり腰を据えて本人認証のビジネスを始めようとした頃にある携帯電話会社のセキュリティ担当者から聞かされたのが 「強固な本人認証は生体認証で決まり。今更何をするつもりなの?」ということであった。それでは生体認証とは如何なるものかと研究したところ「本人であり ながら拒否されてしまう本人拒否をゼロに近づけようとすると他人の受入率が際限なく撥ね上がり、今度は他人受入をゼロに近づけようとすると本人拒否率が際 限なく撥ね上がり」という原理的な制約を抱えた技術であることを知った。

 そこで実際の運用の場面ではこの本人拒否・他人受容ジレンマはどう解決されているのかと研究すると、これが真に奇怪至極なロジックがまかり通っていて大 いに驚かされた。曰く、忘れ易く盗られ易いパスワードでは安全を守れないので、忘れることも盗られることもない生体情報を使うバイオメトリックスを認証に 使って安全を実現すれば良い。稀に起こる本人拒否に対してはパスワードで対処すれば良い。

 このロジックを検証してみよう。

A命題:パスワードは高い他人排除力を期待できる認証手段ではない。
B命題:生体認証では高い他人排除力で高いセキュリティを実現できる。
C命題:生体認証に伴う本人拒否問題はOR方式で併用するパスワードに頼って解決する。

 A・Bは不整合ではない。B・Cも不整合ではない。しかし、Aの内容はCの内容を否定しているのだから、A・B・Cは紛れもなく不整合である。「全体整合は部分整合の総和ではない」ことの見本のようなものである。

 ところが、言葉の表面だけを追うと「生体認証の高い他人排除率でセキュリティを実現し、本人拒否という使い勝手の問題はパスワードを併用することで解決 できるので、セキュリティと使い勝手の二つともに満たして目出度し目出度しなのです。」と聞こえるようで、産学官マスコミを問わず実に多くの人がこのA・ B・Cを有効な議論だと納得してしまっていた。(筆者の体験ではセキュリティ業界関係者100人中の95人以上。情報セキュリティ調査室長とかシステム監 査人のタイトルを持った人もいた。)

 ニーモニックガードの事業化努力の傍らで、筆者は機会ある毎にこのABCロジックは虚偽であると解き明かしてきた。筆者の努力がどれほど貢献したかは判 らないが、やっと最近になって「パスワードOR併用で運用する生体認証システムによってパスワードよりも高いセキュリティを実現する」とは謳わなくなった ベンダーがちらほらと見受けられるようになってきたところである。

 ただ、喜んだのもつかのまで「ORで駄目でもANDなら良いのだろう」ということで、今度は本人拒否が殆ど起きないようにと閾値を大きく下げた生体認証 とパスワードをANDで併用する方式が出回り始めたのだ。OR方式蔓延時と同様に今回もかなりの人が「これで不都合を抑えて高いセキュリティが実現でき る」と納得してしまっているようである。

 それではOR方式とAND方式の得失を詳しく検討してみよう。

 1.(片手懸垂のできる人や100mを12秒で走る人も稀にいるのと同じように、少しはいるであろう)強固なランダムパスワードを自在に使いこなせる人を前提にすると、

 OR方式であれば生体認証の他人受容チャンスを攻撃者に追加提供するという事実によって折角高く維持できているセキュリティを低下させることになり、

 AND方式であればOR方式のようなセキュリティ低下は避けられるものの、怪我・体調不良その他の理由で本人拒否が起こった場合、特にモバイル環境では 権利義務の遂行が不可能になるというリスクを抱えこむ。この本人排除は原理的に本人の責に着せられない性格のものである以上は最終的にはシステム提供者・ 推薦者・認可者側が何らかの責めを負わざるを得ないものである。

 2.ランダムパスワードを使いこなせない圧倒的な多数派の人たち(他人の類推容易なパスワード使用かメモの持ち歩き)を前提にすると、

 OR方式であれば全体のセキュリティは、使いこなせない脆弱なパスワードに決定的に左右される上に、生体認証の他人受容チャンスが追加提供されているという事実によってセキュリティは最低レベルにまで崩壊し、

 現在普及しつつあるAND方式では生体認証の本人拒否率をできるだけゼロに近くしようとするものであるから他人受容率は撥ね上がらざるを得ない。他人排 除力に期待を持てないのでその穴埋めをパスワードに頼るのがこの用法の主旨であるが、ここではランダムパスワードを使いこなせない多数派ユーザが前提なの だから、「他人排除に期待を持てない生体認証と他人排除に期待をもてないパスワードをANDで使う」ことがこの用法の実態であるということになる。大声で 「ガードマンを2人もつけました」。小さな声で「一人は栄養失調でヘロヘロ、もう一人もヨボヨボして立っているのがやっと、ですけどね。しかも2人を同時 に相手にするのではなくて、一人を押しのけておいて一服してから次の一人を押しのければよいのですがね」。

「他人排除できないパスワードだけ」よりはマシで、「他人排除できない生体認証だけ」よりもマシとは言えるだろうが、所詮はその程度のことである。他面で は、どんなにひどい怪我をした指や手でも通過させるところまで閾値を下げることは考えられないから、頻度は少なくても本人拒否が起こった場合には権利義務 の遂行が不可能になるというリスクを抱えこむことに変りはない。

 OR方式での「得失」がAND方式では「失得」になって、100歩までは行かずに50歩で踏みとどまってはいるようだが依然として五十歩百歩の域を越え るものではないという評価が妥当なところではないだろうか。「使えないとは言えないだろう?」と問われれば一応は肯かざるを言えないものの、「本当にこれ で良いと納得されているのですか?」と聞き返さざるを得ない。

 また、「指を置くだけで認証!」といった簡便さの売り文句も失われ、他人排除力がないと卑しめた筈のパスワードに自らの他人排除力喪失の穴埋めをしても らうことにもなって、技術立国日本を担うべき開発技術者の面目と誇りは一体どうなるのか?

 ともあれ、この数年の貴重な教訓の一つは、情報セキュリティに携わる人達の多くにとって「全体整合は部分整合の総和ではない」は常識ではなかったという ことだ。OR併用方式を有効だと納得して疑うことのなかった人達の多くは恐らく今回のAND方式についても全体整合の評価を行うことはないだろう。啓蒙を せずに放っておけば前回同様に部分整合の足し算だけの間違った結論に安住してしまうのではないかという危惧を抱かざるを得ない。

 筆者はセキュリティ技術が優良誤認に基づいて普及してしまった場合の揺り戻しを懸念している。推奨暗号技術を始めとする有効有用な多くの技術を載せたま まで情報セキュリティ技術全体が国民の信任をなくしてしまうのではないかと危惧しているのである。

 やがては擬似透かしも入ったユニークな記番号付きの偽札を作る中高生或いは小学生が出てくるだろう。精密デジタルコピー技術の普及によって高額紙幣や印 鑑の信任が非可逆的に喪失すれば、何らかの電子マネーや電子的証明手段の登場を待つしかない。しかし国民の中で情報セキュリティ技術全般への信任が崩壊し ていれば電子マネーや電子証明書が国民に受いれられることはない。信頼すべき通貨や本人確認手段を持たない日本経済なるものを考えざるを得なくなる。筆者 が経済哲学を学んでいた学生時代には夢想だにできなかった光景である。

 情報セキュリティ技術については優良誤認の蔓延を断固として阻止し、また生体情報などのセンシティブな個人機微情報を扱う場合にはインフォームドコンセ ントを徹底する、という主旨を明確にしたガイドラインの策定が待たれるところであり、マスコミによる啓蒙にも期待するところである。

* 生体認証技術が対象とする生体情報は一生涯キャンセルも変更もできないセンシティブな個人情報であり、また一部の生体情報は医療データの価値ありと報 道され、またその一部は遺伝性疾患を示すものであるかも知れないといった問題も存在するが、これらの問題については他の機会を待ちたい。

 國米にメールは h-jin.kokumai@nifty.com
2005年01月20日(木)萬晩報通信員 園田 義明
 ■スウェーデンボルグとの出会い

「わたくしどもは、薩摩候の長崎駐在代理人あての取立手形を同封します。金額は五千二百五十二ドル五十セントで二千六百二十六ドル二十五セントの手形二枚 と一組になっています。これはそれぞれ、S・オリファント氏から上野良太郎氏に用立てた1000ポンドにあてるものです。しかるべく御送金いただければ幸 です。お話し申し上げてよいと思いますが、上野氏は同じ便船で日本に帰国します。このことと関連してつけ加えておくべきと考えるのは、わたくしどもが日本 人全員に、以後信用状なしには一切金銭の前貸しをおこなわない、と通告したことです。昨日であったか一昨日であったか、私どもの耳に入ったことですが、パ リでこの薩藩士の一人が、モンブラン候あてに三万ポンドというあきれかえるような高額の手形を振り出し、これが割り引きにまわされようとした模様で、これ をきいて一層、先の決定を絶対改めるわけにゆかぬ、と決心を固めた次第です。」
(『カリフォルニアの士魂 薩摩留学生長沢鼎小伝』門田明、本邦書籍P78)

 これは、1867年5月10日付けのマセソン商会発ジャーデン・マセソン商会宛書簡とされ、薩摩藩のベルギーの伯爵モンブランと称する大山師への接近と マセソン商会への背信行為を鋭く指摘しており、マセソンへの負債をそのままにしながら、三万ポンドにのぼる膨大な借金をしようとする薩摩に対する疑念を示 している。

 薩摩留学生には藩校の開成所に学ぶ俊才の中から15歳になる町田清蔵と18歳の町田申四郎の二人の弟が選抜された関係で、学頭の町田民部=上野良太郎も 渡英に参加していたが、5月11日にロンドンを去っている。門田は「この帰国目的の一つに、留学生の金銭問題と、藩の方針に対する抗議があったことを暗示 している」と書いている。

 軍備増強を進める薩摩藩の財政にとって、留学生たちへの出費は軽いものではなく、仕送りは途絶えがちになる。そこに現れたのがスウェーデンボルグ派神秘主義者であるトーマス・レイク・ハリスだった。

 ■コロニーでの薩摩留学生の生活

 1867年7月、藩の帰国命令を無視して森有礼、吉田清成、畠山義政、鮫島尚信、松村淳蔵、長沢鼎の6名がロンドンを出発、トーマス・レイク・ハリスが 主宰する新生同胞教団(The Brotherhood of the New Life)のコロニーのあるニューヨーク州へ向かったのである。

 このコロニーは自給自足のユートピア・コミュニティであった。ここで森ら6名に薩摩第二次留学生の谷元兵右衛門(道之)、野村一介(高文)、仁礼景範、江夏蘇助、湯地定基の5名が合流し、総勢11名の薩摩藩士の閉鎖的な共同生活が始まる。

 しかし、すぐにハリスに対する疑念から、森、鮫島、長沢、野村の4名をのぞく全員がコロニーを去り、森と鮫島は神の宣告に基づき、ハリスより日本国家再生のために1868年に帰国を命ぜられた。

 森は帰国後もハリスとの接点を持ち続け、1871年2月に米国在勤少弁務使としてワシントンに向かう途中、サンフランシスコからハリス宛に手紙を送って いる。この時、森とともに私費で米国に渡った仙台藩士、新井奥邃をハリスの元へ送りこんでいる。ここで新井は印刷係となり、長沢と共に新生同胞教団を担っ ていく。

 新生同胞教団はコロニーにおけるブドウ農園とワイナリーの経営を主な資金源として運営されており、最後まで米国に残った長沢鼎はカリフォルニア州サンタ・ローザに移住し、カリフォルニアの葡萄王と称えられている。

 ハリスに直接影響を受けた日本人は、森有礼、鮫島尚信、長沢鼎、新井奥邃の4名である。

 ■「周縁」としてのローレンス・オリファント

 ここでひとりの重要人物を見てきたい。トーマス・レイク・ハリスと薩摩留学生達を引き合わせたのはローレンス・オリファントである。オリファント家もス コットランドの名門として知られ、オリファントの両親は共に熱心なエヴァンジェリカルであった。オリファント自身は南アフリカのケープタウンで生まれてい るが、幼い頃から世界を転々としながらタイムズ紙特派員などを務め、小説家、紀行家として知られていく。

 特に日本との関係が深く、日英通商条約の締結に功あったエルギン卿の個人秘書として1858年に来日、3年後の1861年には一等書記官として再来日し たが、江戸の英国公使館が水戸浪士の襲撃を受け、わずか10日あまりで帰国する。しかし、命を狙われたにもかかわらず、二度の来日で日本人への愛着を深 め、1865年から67年まで下院議員を務めながら薩長留学生の世話役を務めていた。この間にオリファント自身はスピリチュアリズムに傾斜し、トーマス・ レイク・ハリスの新生同胞教団の信者となる。

 オリファントは留学生達にヨーロッパ文明社会の腐敗と墜落、列強諸国による貪欲な搾取と簒奪の歴史を熱心に説いた。そして、自らの出生からスコットラン ドもウェールズとともに英国の中の異国であり、征服された民族として、今日でも「スコッチ」といって軽蔑され、だからこそ後進国日本にスコットランド人は 親切なのだと語る。

 ここでも「中心」としての英国にあって、「周縁」同士が結び付き、下院議員を辞めて母と妻を連れてハリスの待つ米国へ旅立ったオリファントの後を追うように森らも新生同胞教団へと吸い込まれていったのである。

 しかし、多数の日本人留学生達を新生同胞教団に誘い込んだオリファントも1872年には数千ポンドの借金の返済などをめぐってハリスと裁判で争い、オリファントが勝訴する。これを契機に教団のスキャンダルが噴出し、崩壊の道を辿りはじめる。

 ハリスと決別したオリファントは日本人に代わる新たな周縁パートナーに選んだのが、ユダヤ人であった。

 ■オリファントとロスチャイルド家とシオニズム

 妻アリサに先立たれたオリファントはユートピア社会主義者として知られるロバート・オーウェンの孫娘ロザモンド・デイル・オーウェンと再婚し、二人は信 仰に基づく政治的関心から先駆的シオニストとなり、「神の国」実現のためにパレスチナにユダヤ人国家の建設を目指した運動をはじめる。

 オリファントはパレスチナを訪れ、ほとんど無人の荒れ果てた土地を見て、ここをユダヤ人の手に返すべきだと思いつく。そして1881年に著作『ギリアデの地』を発表、さらにタイムズ紙でキリスト教徒はユダヤ人の努力を助けるだろうと呼びかけた。

 またオリファントは「英国キリスト教徒シオンの友」のひとりとして、「シオンを愛する人々」のワルシャワ支部長だったラビ・サミュエル・モヒリヴァーと ともに開拓地救済のための支援を要請するために訪れた人物こそが、現代イスラエルの父、エドモン・ド・ロスチャイルドだったのである。

 最新日本政財界地図(19)で描いたヒュー・マセソン、そしてローレンス・オリファントによって日本とロスチャイルド家は接近し、後の日露戦争での金融支援につながったのだろう。

 1888年12月23日、オリファントは二度目のパレスチナへの旅行を計画中に英国のミドルセクス、トイケナムで病に倒れ、波乱に満ちた約60年の生涯 を閉じた。その二ヶ月後の1989年2月11日、森有礼は文部大臣官邸玄関にて刺客西野文太郎に刺され、翌12日に42歳で死去した。

 ■スウェーデンボルグと三島由紀夫

 オリファントが日本に惹かれたのは女性神としてのアマテラス信仰にスウェーデンボルグの両性具有唯一神を重ね合わせたからだろう。これは後に新井奥邃の 「父母神」となって受け継がれる。父母という二つの神的実体があるのではなく、「二而一(にじいち)」という新井独自の概念によって、二つは一体であり、 従って唯一の「父母神」が存在する。この父母神は愛であり、宇宙万物の生命の源泉であり、神と人類は親子関係であるとした。

 スウェーデンボルグは新井奥邃を通じて田中正造や高村光太郎らに多大な影響を与え、スウェーデンボルグ研究の高橋和夫によれば、鈴木大拙、内村鑑三、賀川豊彦にも影響を与えたようだ。ここで、誰もが知るもう一人の人物をあげておきたい。

『やっとこの11日に試験がすみました。二ヶ月を無為にすごしたわけで、後味がわるうございます。勉強をしてゐる時は自分が小さな鼠であるかのような気が いたします。全く勉強は生理的に悪でございます。ーー11日は籠をにげだした小鳥のやうに神田の古本屋を歩きまはり、六年来探してゐた、スウエーデンボル グの「天国と地獄」をみつけて有頂天になりました。』

 これは昭和21年9月13日に川端康成あてに書かれたはがきの内容である。スウェーデンボルグの本をみつけて有頂天になったのは、三島由紀夫であった。

 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2005年01月19日(水)アメリカン大学客員研究員 中野 有
  クリスマスの日曜の朝。インド洋の楽園。人類史上最大級のツナミによる自然災害。科学が発達した現代においても如何に人間が自然の摂理の下で無力であるか が認識させられた。人類は抗争が抗争を呼び起こしているイラク戦争等・・・如何に愚かなことを続けているのか。容赦のない自然災害によるとてつもない犠牲 を被ったが、国、人種、イデオロギー、宗教を超越した純粋な国際協力の羅針盤が生み出されたのではないだろうか。9.11同時多発テロを通じ安全保障のあ り方に変化が見られたように、今回の「ツナミ」による自然災害は、安全保障の概念そのものを再構築させるだけの歴史的要素を含んでいると考えられる。

 ■安全保障のパラダイムのシフト

 広辞苑によると、安全保障とは、「外部からの侵略に対して国家および国民の安全を保障すること。各国別の施策、友好国同士の同盟、国際機構による集団的安全保障など」と解釈されている。

 しかし、冷戦が終焉し、人類が直面している脅威は、むしろ大国同士の戦争ではなく、国際テロ組織やならずもの国家による破壊的行為、そして自然災害であ る。そこで、安全保障を人為的行為の視点のみで考察するのでなく、国際テロ、自然災害、エイズ等の病、ならずもの国家の脅威に対応する総合的かつ統合され た安全保障の概念が必要とされる。

 現在の安全保障の概念には西洋思想が奔流にあり、東洋思想のインプットが皆無である。そこで、安全保障のパラダイムがシフトされる状況を織り込み、自然、宇宙、感性を強調する東洋的見方を世界に伝えることが大切であると切実に感じる。

 ■禅思想と哲学

 先人はこの考えに達観している。禅思想と哲学を相呼応させた鈴木大拙と西田幾多郎の思想である。ともに1870年に金沢で生まれた親友の二人の思想こそ、21世紀の今日の世界が必要としているのではないだろうか。

コロンビア大学等で教えた鈴木大拙は、西洋民族の意識の底に何があるかを見つめ、如何に東洋的見方が重要であるかを以下のように述べている。

「西洋文化には、二分性から来る短所が著しく見え、それが今後の人間生活の上に何らかの意味で欠点を生じ、世界文化の形成に面白からぬ影響を及ぼすと信ず る。東洋的思想の中で最も大切で根本的なもの、それを一口でいうと「自然」にかえれである。乾燥した概念性のものをやめて、原始的心情に戻って「自然」と 一つになりたい。対立を越える英知が東洋の思想にある。この思想を多くの人に理解してもらいたい」。

 世界に活躍した鈴木大拙と違い、生涯海外に出ることのなかった西田幾多郎は、「善の研究」の中で哲学の根底を語っている。

「いわゆる自然界においては、唯一の現象が起こるのはその事情に由りて厳密に定められている。理に従うのは即ち自然の法則に従うのであって、これが人間に おいて唯一の善である。ただ内心の自由と平静とが最上の善であると考えた。神は宇宙の根本であって、また神は、万物の目的であって、即ちまた人間の目的で なければならぬ」。

 二人の偉人が伝える思想は、自然の普遍的原理であり、知的直観であり、西洋的思想と一神教で画一化システム化された世界への警笛である。

 ■自然と科学をシンクロナイズさせる

 霊長類の頂点にある人間が「ツナミ」の犠牲になったが、野生動物は自然の脅威から見事に逃れることができた。まだまだ解明されてない生物の神秘がある。 例えば、犬の臭覚は、人間の数万から数百万倍で、聴覚は、数千倍だといわれている。いわんや野生動物の自然に直結する能力に関しては、とうてい人間の科学 が太刀打ちできない領域であろう。 

 日本人は、自然とシンクロナイズさせる思想をずっと育んできた。この思想は、自然の恵みを受け、また自然の脅威を体験してきた日本の風土で養われてき た。自然災害を最小限に抑えるメカニズムを形成するに、科学技術と野生動物の習性や第6感を統合・調和させ、そしてそれを実用化させる知恵が求められる。 このような発想こそ東洋的な見方である。自然災害の予防に役立つのみならず、安全保障の概念を包括的・統合的に考察するための基礎となるのではないだろう か。

 ■国際協力のベクトル

 国連の目的は、国際平和と安全の維持のために集団的安全保障措置を講じ、経済・社会・文化など非政治的分野での国際的協力による問題解決を図ることなど である。しかし、冷戦中は、米ソの対立で国連の集団的安全保障は機能しなかった。戦後、60年を経て、遂に日本やドイツ等の敗戦国の意向も反映される国際 環境が整ってきた。

 ツナミの被害の深刻さが伝わるにつれ、各国の緊急支援の額が急速に増えたように国際協力のベクトルの方向性が明確になってきた。ツナミの緊急支援は、各 国の戦略的な動向より、むしろ市民レベルの博愛主義に根ざしたものであった。草の根レベルの民間資金が、政府援助を越えたのは、注目に値する。南北問題、 東西のイデオロギーを超越した国際協力こそ、理想的な国際協力の真実である。歴史を見ても、これ程、世界が国際協力というベクトルで一つにまとまったこと はなかったであろう。

 ■東西思想をシンクロナイズさせる

 8代の米大統領に仕え「共産主義封じ込め政策」を実践した冷戦の戦略家、ポール・ニッツの思想、並びにケネディーの平和構想を歴史と地理を越え、東洋思 想とシンクロナイズさせることにより、とてつもない乗数効果的な構想が生み出されると思われてならない。

 中国と北朝鮮の国境を流れる鴨緑江に世界最大級の水力発電ダムを戦前に建設し、東南アジアの大規模なインフラ整備に貢献したのが「開発協力の父」、久保 田豊である。その哲学と「共生の思想」を実践しているのが久保田の最後の弟子、コーエイ総合研究所の小泉肇社長である。ワシントンでポール・ニッツの戦略 思考に触れ、シンクタンク的発想が日本に必要であると感じてならない。加えて、アメリカや国連機関などに欠けているのは、久保田が描いた開発コンサルタン トの大規模な開発空間計画であり、インフラ整備と人材育成の接点がある東洋的な共生を重んじる実践的な構想であると考えられる。ポール・ニッツは97歳、 久保田は96歳の長寿を全うした。この二人の広く深い戦略と青写真をシンクロナイズさせることにより、21世紀の安全保障のヒントが見いだされるように思 われてならない。
 
 国際テロ、大自然災害、エイズ等の病、ならずもの国家から守るというこれらの脅威を同時に予防する新たなる安全保障と平和戦略の構築が不可欠である。そ の実現のためには、論理万能主義ではいけないし、東洋的な精神的な見方だけではいけない。そして、豊かな国の視野だけでは狭すぎるし、途上国や被災地の草 の根の目線だけでは、全体を見失ってしまう。東西南北の接点を見いだす努力が必要である。まさに、東西思想の調和と南北協力のダイナミズムをヒューマニ ティーの視点で実践することであろう。
East meets West, West meets East.
North meets South, South meets North.

 市場経済、消費文化は、20世紀の繁栄を支えた。しかし、繁栄とは裏腹に自然の生態系に悪影響が出て、自然災害が多発している。地球が何億年もかけて蓄 えてきた化石燃料を短期間で消費しているこの百年の人類の行動を察すれば当然の結果であるかもしれない。戦争や紛争を予防する国連の集団的安全保障は、必 要である。それと同等に求められているのが自然災害や病原菌から守るという世界が共有できる安全保障であろう。新たな安全保障を総合的、統合的、そして協 調的に構築するためには、東洋的な見方で自然に帰趨することが肝要である。

 中野さんにメールは mailto:tomokontomoko@msn.com
2005年01月17日(月)萬晩報通信員 成田 好三
  日本で一番商売が上手な人たちは、東京高裁の裁判官たちである。彼らは、東京地裁が認定した中村修二・米国カリフォルニア大サンタバーバラ校教授が企業研 究者時代に発明した青色発光ダイオード(LED)の対価604億円(支払い命令は請求額通りの200億円)を、たった1%の6億円余り(支払い額は利子分 を含め8億円余り)に値切り倒してしまった。

 東京高裁は判決を下したのではなく和解を迫ったのだったが、中村氏は和解後の記者会見で「怒り心頭だ」「日本の裁判は腐っている」と不満をあらわにしていた。筆者も中村氏に同情する一人である。日本の裁判所は、個人ではなく法人の利益を擁護する機関のようである。

 それはさておき、日本で一番商売の下手な人たちは誰か。文部科学省の高級官僚とその天下りOBたちである。彼らは、この世の中で唯一の例外ともいえる「誰がやっても間違いなく儲かる」商売で、大失敗をしてしまった。

 文科省がつくり、その外郭団体である独立行政法人「日本スポーツ振興センター」が運営する、サッカーくじ(スポーツ振興くじ、愛称・toto)が、極度 の販売不振から、巨額な赤字を抱え込んだ上、本来の趣旨であるスポーツ団体や地方公共団体への補助金をほとんど出せない状態に陥ってしまった。

 サッカーくじは、競馬や競輪など他の公営ギャンブルとは性格が異なる。中央競馬の場合なら、胴元であるJRAは、中山や阪神など競馬場や美浦などトレーニングセンターを管理運営し、競馬レースを主催する。当然その経費とレースの賞金を売上金から支払う。

 一方、サッカーくじの胴元である同センターは、くじの対象試合に関して一切のリスクとコストを負わない。対象試合を行うJリーグ各球団とも、その統括団 体であるJリーグとも、金銭面を含めて何の関係もない。言葉は悪いが、「遣らずぶったくり」「濡れ手で粟」「坊主丸儲け」の商売である。これほど利益を上 げやすい商売は、他にはない。

 しかし、文科省の高級官僚とその天下りOBたちは、ずさんなシステム設計と水増しさせた運営形態により、「誰がやっても間違いなく儲かる」商売で大失敗 をしてしまった。当初売り上げ見込み約20000億円に対して、全国展開した2001年は604億円をようやく確保したものの、その後は年々減り、04年 の売り上げはたった155億円しかなかった。

 運営主体は同センターだが、実際はりそな銀行に販売委託し、さらに宣伝など専門業務は株式会社「日本スポーツ振興くじ」に孫請けさせている。しかも、く じ=ギャンブルであるにもかかわらず、射幸心をあおらないためとして、当選確率を極めて低く抑え込むなど様々な制約を設けた。払戻率は50パーセント以下 である。くじの種類は「toto」「totoゴール」の2種類しかない。システムと運営形態だけが巨大なだけで、魅力ある商品は提供していない。

 サッカーくじを運営する同センターは昨年12月21日、ある発表を行った。翌22日付朝日「サッカーくじ販売銀行への委託中止 06年度以降、直営方式 検討」によると、同センターは06年度以降、販売をりそな銀行に委託することをやめ、直営で販売する方針で、今年2月までに新方式を固める。直営にするこ とで、同センターの意向を販売方式に反映させやすくするのが狙い、だという。

 りそな銀行との契約は、「売り上げの多寡に関係なく、歩合のほか、固定費など163億円の委託料が毎年、支払われる」(1月10日付読売社説)というか らあきれ果ててしまう。毎年の委託料だけでも04年の売り上げ155億円を上回ってしまう。これだけ見ても、サッカーくじは既に破綻していると言わざるを 得ない。

 りそな銀行との関係解消は当然だとしても、文科省の天下りOBが、直営でギャンブルを扱ってどう当て直すというのだろうか。日本ではまったくなじみのな かったサッカーくじの導入に当たって、過大な売り上げを見込んだ上、身の丈に合わないシステムを設計し、経費をはぎ取るためとしか考えられない水ぶくれし た運営形態を採用した文科省の高級官僚とその天下りOBが、大失敗の経営責任を取ることもなく、直営方式でくじの運営に当たることなど、もってのほかのこ とである。

 サッカーくじは、本来国が拠出すべきスポーツ振興資金が、財政難からこれ以上拠出できないとして、その代わりにくじの収益金をスポーツ団体や地方公共団体に配分するという趣旨で始まった。いわば、国からの補助金の代わりのようなものである。

 文科省はサッカーくじの大失敗によって、既にスポーツ団体や地方公共団体に多大な不利益をもたらしている。彼らの失敗によって、国からの補助金の代わりに得られるべき資金の提供が受けられなくなった。

 利益を出せないサッカーくじは、文科省とは無関係な機関に権利と業務をすべて移管すべきである。それができないなら一刻も早く損切りして廃止すべきであ る。現在のまま、あるいは同センター直営方式では利益を上げるどころか膨大な初期投資の回収もできない。さらに赤字が膨らむばかりである。そうしないと、 サッカーくじの赤字は国民全体が税金という形で背負い込むしかなくなる。(2005年1月16日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2005年01月14日(金)萬晩報通信員 園田 義明
 ■タイタンの直接対決

 中国の台頭、あるいは東アジア共同体をめぐる議論が国内外で加熱してきた。『フォーリン・アフェアーズ』最新号では、フランシス・フクヤマとエリザベス・エコノミーが関連論文を掲載し、国内オピニオン誌も最新号で一斉にこの問題を取り上げた。

 極めつけは『フォーリン・アフェアーズ』と並んで世界的な権威を持つ外交専門誌『フォーリン・ポリシー』(カーネギー国際平和財団発行)の最新号 (2005年1月2月号)である。「クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ(巨人達の衝突)」と題するこの論文は、米国、そして台頭する中国のふたつのタイタ ンが衝突する運命にあるのかどうかをめぐって、米国地政学のタイタンであるズビグニュー・ブレジンスキーとジョン・ミアシャイアーが直接対決するという二 重の衝突が見出せる。

 ひよわな花である日本では、オピニオン誌でもインターネット上でも中国をめぐる感情論が飛び交っている。そのほとんどが冷静さ、冷徹さを欠いたものと言 わざるを得ない。リアリズムに関する議論がアジアで最も遅れている日本で、抵抗があろうあろうことを承知の上で「クラッシュ・オブ・ザ・タイタンズ」の世 界を描いてみたい。

 ■トライラテラリストの主張

 ブレジンスキーは米中の衝突は避けられると説く。その理由として、中国首脳が軍事的に米国に挑戦しようとは思っておらず、中国はあくまでも経済発展と大 国としての仲間入りを目指すものであり、対立的な外交政策をとれば、経済成長を崩壊させ、中国共産党を脅かすことになるため、特に2008年の北京オリン ピックと2010年の上海万博に向けては慎重な外交政策が優勢になるだろうとしている。

 確かに、中国の地域における役割が増し、その勢力範囲が発展すれば必然的に摩擦が生じる。また、米国のパワーが後退する可能性と日本の影響力の免れがた い衰退は、中国の地域における優越性を高めることになるものの、中国は米国に対抗できる軍事力は有しておらず、最小限の戦争抑止力程度でしかない。米国に よる封鎖によって石油の供給が止まれば、中国経済は麻痺することになるために衝突するとは思えないとした。

 明らかに中国はインターナショナル・システムに同化しており、中国の影響力の慎重な拡がりこそがグローバルな優越性実現に向けた最も確かな道のりであると中国首脳は理解しているとブレジンスキーは見ている。

 トライラテラル・コミッションの創設に関与した国際派ブレジンスキーならでは議論が繰り広げられ、日本政官財界のグローバリストも大喜びしそうな内容となっている。中国に対する「政冷経熱」は日本だけの現象ではないらしい。

 ■ミアシャイマーのゴジラ論

 これに対して、その究極のゴールを世界のパワー・シェアを最大化し、システムを支配し、覇権を目指す攻撃的な存在として大国を位置付けるジョン・ミア シャイマーは、自らのオフェンシブ・リアリズムを中国に適応させ、中国は平和的に台頭することができないと断言する。そして、中国が来るべき2~30年の 間に劇的な経済成長を続けるならば、米国と中国は戦争への可能性をともなう程の緊張した安全保障上のライバルになると説く。その時、インド、日本、シンガ ポール、韓国、ロシア、ヴェトナムを含めた大部分の中国の隣国は中国のパワーを封じ込めるために米国と結び付くだろうと予測する。

 そして、ブレジンスキーに対して一撃を加えるのである。インターナショナル・システムにおけるメイン・アクターはアナーキーの中に存在する国家であり、 このシステムで大国が生き残る最良の方法は、潜在的ライバルと比較してできるだけ強力であることだ。国家が強力であればあるほど、他の国家が攻撃を仕掛け る可能性は少なくなるのだと言い切る。

 追い打ちをかけるように、「なぜ、我々は中国が米国と異なる行動をとることを期待する?」「中国人は、西洋人と比べて、より理にかなっていて、より良心 的で、より国家主義的ではなく、彼らの生き残りにも関心がないのか?」と冷徹に疑問を投げかけ、そんなことはありえないとしながら、「中国が米国と同じや り方で、覇権を目指すに決まっているではないか。」と断じるのである。

 そして、中国がアジアを支配しようとすれば、米国の政策担当者がどのように反応するかは、明らかである。米国はライバルを寛大に扱うことはしないのだ。 従って、米国は中国を封じ込め、最終的にはアジアを支配することがもはやできないぐらいにまでにパワーを弱めようとするだろう。米国は冷戦時代にソ連にふ るまった同じ方法で中国に対処する可能性があるとした。

 また、「中国首脳と中国人は過去一世紀に何があったかについて覚えている。日本は強力で中国は弱かった時のことだ」とした上で、名言が飛び出してくる。「国際政治のアナーキーな世界では、バンビちゃんであるより、ゴジラでいるほうがいいのだ」と。

 ■圧倒するミアシャイマー

 誤解無きように付け加えれば、ミアシャイマーはゴジラのように中国が暴れ回り、他のアジアの国を征服する可能性は低いと見ている。

 そして、ブレジンスキーへの攻撃の手は緩めない。経済分野における相互依存関係に対して、戦前のドイツと日本の事例を示しながら、経済に損害を与える時 でさえ、時には経済的な考慮を無視し、かつ戦争を引き起こす要因が存在すると指摘しながら、ゴジラとなった中国はアジアから米国人を追い出し、地域を支配 することになるのだと語る。

 これに対して、ブレジンスキーは特に日本から米国を追い出すことが可能かどうかを指摘しながら、たとえ追い出すことができても、中国が強力かつ国家主義的で、核武装した日本が待ちかまえており、中国はそれを望まないと反論する。

 しかし、ミアシャイマーは汚くて危険なビジネスとしての国際政治の世界で、ミアシャイマー自身が描く情勢はそんなかわいいものではないと締めくくるのである。

 詳しくは原文を見ていただきたいが、ミアシャイマーが理論面でブレジンスキーを圧倒していることがわかる。これはブレジンスキーと違ってビジネスに毒されず、理想やイデオロギーや白人優位主義的な希望的観測を排除し、リアリストに徹する姿勢から生まれ出るものだろう。

 しかし、ライジング・チャイナが将来の米国にとっての地政学的な脅威となることは、ふたりに共通しているのである

 ■二匹のゴジラとキングギドラ、そしてモスラの大乱闘

 ミアシャイマーはゴジラが日本生まれであることを知ってか知らずかはわからないが、ミアシャイマーに敬意を払いながらも、ここでは強引にその姿形から中 国をキングギドラに変身させてみたい。現在はバンビちゃんに見える中国もミアシャイマーが言うようにキングギドラになるのだろうか。ブレジンスキーも指摘 するように、その時日本は核兵器を手にしたゴジラになっているのだろうか。

 かつてゴジラは水爆実験のよって眠りから覚めた。日本ゴジラは2025年、あるいは2030年にはキングギドラの存在によって再び自ら目を覚ますのだろ うか。日本自らの意志でゴジラに変身したように見せかけながら、実際には米国によって叩き起こされてしまうのだろう。従って、獲物を狙う鋭い視線で「キン グギドラ対日本ゴジラ」を見つめるトカゲのような米国ゴジラの存在も確認できる。

 米国ゴジラはその時に備えて日本核武装論を本格的に仕掛けている。米国の刺客が多数送りこまれている日本でも、その議論は北朝鮮問題も絡めて今後嵐のご とく吹き荒れるだろう。一方で、米国に次ぐ世界第二位の石油消費国となったバンビちゃんは、尻尾を振りながら、その巨体を維持するためにサウジアラビア、 イランはおろか、米国の裏庭であるカナダやベネズエラにまで触手を伸ばし始めた。

 キングギドラと二匹のゴジラの衝突を世界中が固唾を飲んで見守っている。しかし、ふと頭上を見上げれば、遙か彼方にモスラがゆっくりと旋回しているのが見える。怪獣のくせに平和の使者を気取りながら、モスラはキングギドラに入れ知恵しているようだ。

 中国の三大石油メジャーであるCNPC(中国石油天然ガス集団公司)、SINOPEC(中国石油化工集団公司)、CNOOC(中国海洋石油総公司)の取締役会を覗くと、キングギドラから招かれたモスラの頭脳集団の存在も見出せる。

 CNPCのフランコ・ベルナベはフランク・ベルナベ・グループの会長やフィアットの取締役などを務め、CNOOCにいるケネス・S・コーティスはゴール ドマン・サックス・アジアの副会長である。そして、この二人は共にビルダーバーグ会議のメンバーであることに誰も気付いていない。

 ブレジンスキーの予測通りに米国のパワーが衰退し、キングギドラとモスラと日本ゴジラが連合を組むことになれば、実は米国ゴジラにとって極めて手強い相 手になる。なぜなら、石油以外に戦争に必要な重要資源が中国周辺に存在しているからだ。この資源をめぐって中国・日本・米国・北朝鮮が血みどろの死闘を演 じてきた裏面史が今なお刻まれ続けている。この存在も米中衝突を回避させる抑止力につながるとするのが、私の見解である。

 とはいえ、モスラが信頼できない平和の使者であることを歴史が物語る。バック・パッシング(責任転嫁)を得意技とするモスラは、いざとなれば米国を自由 自在に操りながら相手にぶつけてくるのである。中国は日本やサダム・フセインの経験からこのことを学ぶべきだ。ここで甘えは許されない。また同時に、米国 が核兵器を実戦使用した唯一の国家であることを忘れてはならない。

 当面の間、世界情勢を冷静に見極めながら、日本は中国に対して現在の「政冷経熱」状態を適度に維持することが賢明である。その時が来るまで、選択肢の一 つとして「バンビちゃん戦略」も位置付け、その骨格としての憲法九条も温存しておくというシナリオも描いておくべきだろう。
(2005年1月12日記)


□引用・参考

Clash of the Titans
By Zbigniew Brzezinski, John J. Mearsheimer
http://www.foreignpolicy.com/story/
cms.php?story_id=2740&print=1


Franco Bernabe
Director at
PetroChina Company Limited
http://www.forbes.com/finance/mktguideapps/personinfo/
FromMktGuideIdPersonTearsheet.jhtml?passedMktGuideId=281257

Kenneth S Courtis
Director at
CNOOC Limited
http://www.forbes.com/finance/mktguideapps/personinfo/
FromMktGuideIdPersonTearsheet.jhtml?passedMktGuideId=337593


 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2005年01月12日(水)郷学研修会 寶田 時雄
改正とは、改めて正すことである。

天皇は即位の儀で一字一句を丁寧になぞるように表明した。それは先帝が戦後、新憲法とした発布した昭和憲法というべきものであった。

「・・・憲法を護り」とのお言葉は、国民とともに歩む象徴というお立場を、即位に当たって国民とともに確認することでもあった。ここでは、ことさら改憲にくみするものでもなく、巷間いわれる護憲に位置するものでもない。

和合の象徴としての憲法に沿うお立場を、即位にあたって改めて表明されたのである。

帝国憲法当時にはなかったことだが、このところ政党の政策にも憲法に関する記述が多くなった。とくに憲法九条の記述に関する解釈論議が口角泡を吹くように続けられている。

単に政党の対立軸であった憲法論議も、冷戦時において影響のあった海外スポンサーの消滅により、独立自存を模索するための形作りとして改正論議が取り上げられているようだ。

また、私学助成や戦争放棄に関する条項も、一方では占領憲法破棄として自主憲法制定という言葉で表現され、他方、普通の国という意味不明な国家像を、すわ海外派兵、戦闘行為と錯覚した相対政策があり、双方とも耳障りのよい言辞を並べて国民の関心を集めている。

護憲、改憲も員数合わせの都合なのか、それとも流行り時世の要求なのか、ことさら広言する諸侯が増えてきた実情もあるが、政治に信も無く、経済は疲弊している現状では、とうてい理解の淵には届かないようだ。

よく「論語読みの論語知らず」とはあるが、こと憲法についても似たような現象がある。論語は論語の必要な環境にあって発生している。

聖徳太子の十七条の憲法と一対になった冠位十二階から始まった律令制度も、武家社会になると、法度、式目、あるいは現在の民法にかわる、定め書きや、各地方の藩には国家全体の法律というより、掟、習慣の規範を定めた程いい陋規があった。

国家、国民という概念の創成期であった明治には大日本帝国憲法が天皇の名で発布され、日本国の有様が目標題目として顕示されている。 規範を定めた法律条 項や民事を定めた民法も作られたが、武家社会からの構造転換にともなう新社会、維新国家としての模様替えとして、あるいは王政復古の威風を知らしめるため に作られた革新的憲法であった。

またその内容は武家の覇道的支配とは異なり、スメラギの道が目指す王道実践が表現され、国家統合の普遍的連帯のため、威徳を目標の標(しるべ)として置いている。
まさに王政復古そのものであった。

また、復古というなかには武家社会の権力構造から、王道(皇道)の掲げる国家安寧の姿を具現させ、それを国の姿として遂行する意思が内包されていた。

それは、世襲藩侯による権力構造を、天皇の「威」のもとに転換するシステムであり、国家統制のすべとして制定された冠位十二階と権力者を制御するための憲 法を再復したものでものであり、国家の継続性を連綿とした皇統に沿って表したものである。

誰が、何のために利用したのか、あるいは滑稽な説だとの論もあるが、それは、薩長政府といわれ、専軍傾向にあった明治政府においても有効な機能を発揮していることも見逃すことはできない。

たしかに地方の下級武士が下克上宜しく、中央政府の高官や爵位褒章に納まる姿もあったが、これとて聖徳太子が天皇を中心とした調和のための儀礼的制度である冠位制定であるなら、蘇我も薩長も単なる権力負託者の類には変りはないものを整える手法でもあった。

権力者と呼ばれるもののなかには、政治家、知識階級、宗教家があるが、人間の尊厳を謳った聖徳太子の制定施策には、権力者の専横に対する制御、陥りやすい 権力者の退廃を先見し、そのことが民の安寧を脅かし、かつ古代から太綱のように継承した国維の変節、衰亡を危惧してのことである。

世襲豪族であった蘇我氏をはじめとする諸侯の権力を、形式的な冠位である儀式序列に位置づけ、合議による規範とともに古代からの継承された綱維を皇威統合 の中心に置くことを目指したものであり、それは権力者の縁戚人治による専横を抑えたものである。

これは民法でもなければ、天皇を統帥権の要において親政をおこなう目的ではない。

世襲豪族や取り巻きの知識階級であった神職者や儒者、伝来によって興隆した仏教などが世襲豪族と野合して、在野の情報を混乱させ、天皇の位置を脅かすよう な力をつけた宗教者に向けられたものであり、それらが人間の尊厳を損なう運動体として本来の姿から増殖転化してしまうことを、人間集団の避けられないこと として先見した制定であり、スメラギの道として古代より護持している大本の継承危機こそが憲法の制定要因であった。

ここで云う神職者とは、天皇が執り行う神事秘儀における「カミ」とは異なるものである。

また、律令や冠位の制定によって官吏職が生まれたが、これも現代と同様に既得権益、権力代理行使者として、豪族、宗教者と同様それを制御するためのものであることは言うまでもない。

すべては人間の尊厳を安らかに保持するためのものである。
それは民がことさら意識するものでもなければ、今どきの人権や財貨による安心と豊かさとは根本的に異なる、自然界の威厳とそれに沿う人間の自由を謳ったものであった。

このことは古代の人々のおおらかさであり、採取、農耕と変化して定着した集落の潤いのある陋規(狭い範囲の掟、習慣)の知恵であり、また棲み分けられた民族の素行は、自然界と分け合った線引きでのなかでの共生であった。
それは、自然界との境際を乗り越えることでの厳しい応えを認めることであり、その報いをみずからが「自得」するといった、たおやかな自律社会の在りようを認知したことでもあった。ここでいう自然界とは、おのずから、みずから、に存する「カミ」そのものであろう。

聖徳太子が考えた共生は、森羅万象であらわされる自然界と、人間の尊厳との調和であり、その継続性を永劫に祈る人々の安寧だった。
制定はそれに対する権力者の在り方への問題意識であり、庇護者として支えた色目人(渡来人)といわれる秦河勝の大陸の源流から俯瞰した倭の国のあるべき姿の希求ではなかったのか。

それは地方諸侯のみならず、異民族が群雄割拠した地域の民の怨嗟や、連帯の希薄な砂民による盲流ともいわれる哀しみや、頑なな教義によって土地、戸籍の管 轄権、徴税権を世襲制の強い権力支配階級によって蹂躙され、皇帝の権威を形骸化された国家の硬直な姿も、その鏡であったに違いない。

妙な言い方だか、東の果てにある国家が大陸現象の篩いにかけられた姿の受容でもあっただろう。 それは太綱が権力者の欲望によって消え去ることを恐れたために作られた古代の蓋でもあり、それに気が付いたものの国家のための行う、真のセキュリティーでもある。

他国の栄枯盛衰を推し量り、且つその術を官製マニュアルや一時の憂慮に求めた姑息な自己制御の解き放ちは、自らしか為すことのできない事象の結末を書き物に委ねる安易な計算しか観えてこない。

憲法はそこに記されている象徴天皇の御名御璽によって発布される。しかし、聖徳太子に託した天皇の意思を、現代において仮にも民主を謳い、民主に困惑している為政者にその任は堪えられるのか。

また起草を担う官吏に、国維の意義を涵養する学問カリキュラムが官製学歴に存在したのか。
宗教家に教義を超越して利他の増進に効ある道を発見できるだろうか。
政治家に祈りは存在するのか。
聖徳太子は人智を超えた国維に、自ずから存するカミに畏怖の念と誓いを添えて憲法を作成した。神代文字によって継承されたカミの姿を想念してのち、漢文字によって明文化し、二ヵ年という短期間に草案を立てている。

その時代は鎮まりがあった。念ずる情緒と、深層の国力である民の勤勉、正直で、かつ全体を司るために必須な礼儀が存在した。

乗り遅れまいとする相乗り議論は、鎮まりのない?風を巻き起こしている。
憲法は書き物である。鎮護の礎を語る術(すべ)と法は内省の後、自ずから訪れるだろう。
今はまさに、祈るべき時節である。(平成16年1月10日記)

 寶田さんにメールは mailto:takarada-t@jcom.home.ne.jp
2005年01月11日(火)システム・コンサルタント 大塚寿昭
平成17年の元旦、日本ではいつもと変わらぬ穏やかな年明けであった。
年頭にあたって各種マスコミも今年1年の様々な予想記事を発表している。その中には北朝鮮問題を中心に北東アジアの行く末について語られているものが数多くあった。

国際関係論的分析、パワー・ストラクチャーを見据えたリアリズムの観点からの見通し、そのいずれもが優れた分析であり頷ける点も多かった。しかしながら全体を通じて当事者である朝鮮民族の生の声を反映したものは少なかったように思う。

国際社会は軍事・経済の力のありどころの影響なくしてその存在を語ることはできない。冷徹に合理的にその力の存在を分析して自国の在り方を探っていくのは、国家を運営してゆく人々にとって当然にかけられた責務でもある。

では、リアリズムに則って分析した結果、南北の統一は困難であるという答えが現時点で出た場合、朝鮮民族の皆さんは納得するであろうか?「では、いつ?ど ういう条件が揃えば統一は可能なのか?」こうした問いが発せられるのは当然のことでもある。

統一後の経済的混乱は、南北の経済格差の大きさや同一民族間で血を流しあった過去の経緯から、東西ドイツの統一に比べ比較にならない困難が伴うというリアリズムによる分析結果から、統一を半ばあきらめている空気も韓国の一部にはあると聞く。

しかし分断国家である悲しみや苦悩は、外部の我々には推し量れないものがあると思う。
朝鮮民族の悲願、それは「統一」である。

シドニーオリンピックの入場行進以来、国際スポーツ競技会の場では南北の選手団が合同で「統一旗」を携えて、混ざり合いながら行進する姿が見られるように なり、今ではそれが常態になっていると聞く。最近韓国から帰国した友人の言では、韓国の一般庶民の感覚には、既に統一は既定の路線であるようなものがあっ たと言う。

遅まきながら朝鮮半島の歴史を学んでみたら、歴史上の殆どの期間は半島全域の統一国家が続いていたことがわかった。もちろん強大な大陸中国に現れた帝国の 冊封制による属国的な時期もあったが、国家分断の状態であったのはごくわずかな期間である。

西暦676年の統一新羅成立以後、後三国(新羅、後百済、後高句麗の三国分立の時代 892年-936年)の時代を除いては、936年の高麗の半島統一か ら(1392年の李氏朝鮮成立から以降も)1910年の日韓併合による国家消滅までの間、朝鮮半島はずっとひとつの国であった。

従って朝鮮民族にとって半島がひとつの統一国家であるのはむしろ当たり前のことである。

1945年、日本の敗戦によって植民地から解放された時点では、朝鮮民族のうち誰一人分断国家になると予想した人はいなかっただろう。

この歴史を見ると日本の奈良・平安の時代と時を同じくして朝鮮半島でも統一国家が成立し、ほぼ同じような歴史を経てきているように思う。仏教の伝わり方も ほぼ同じである。私事で恐縮だが最近深い関係になった天台宗の開基についても、日本の最澄(伝教大師)とほぼ同じく半島では義天というお坊さんが天台宗を 開いたそうである。

私たちは東西冷戦構造によって南北に分断された状態を、ある程度常識として暗黙裏に受け容れているが、朝鮮民族にとっては受け容れ難い、民族の歴史上は異常な状態が60年続いているのである。

このことを私たちもよく理解する必要がある。
朝鮮民族の皆さんの本音は、リアリズムを超えて「統一は私たちの悲願である」と言いたいのではないだろうか?

朝鮮半島は米中2大国の利害が交錯する場所である。統一朝鮮が南寄りの国家になること(在韓米軍もそのまま)は、中国にとって受け容れ難いものであるし、北寄りの統一国家になることは、米国や日本にとっても受け容れ難いことである。

現時点におけるこの2大勢力の利益は、現状維持(ステイタス・クオ)が最も適していると考えているのだろう。北の脅威を叫びながら、実際には強力な力で抑 制をする。そして一定の脅威を叫び続けることが、米中2大勢力にとって最も都合が良いことなのである。ここには米中の利害はあっても、朝鮮民族の悲願は存 在しないのである。

統一朝鮮は米中どちらの脅威にもならず、どちらの利害も損ねない、等距離の交流を宣言して、専守防衛の武力を保持する「永世中立国」宣言をする。これから 統一へ向かうにあたって、今の時点から統一朝鮮のイメージをここに置いて、2大国をはじめ周辺諸国に理解を求めておきながら統一の作業を進めることであ る。

しかしながら、この理想的な「永世中立国家」を成立させるためには、北の超閉鎖的独裁政権の消滅と在韓米軍の全面撤退が、ほぼ同時に行われなければならな いという至難の条件が厳として存在する。この条件は一見不可能のようにも見えるが、全世界が「朝鮮民族の悲願」ということに理解を示せば実現への道も見え てくるのではないだろうか?

昨今の韓国の一部における反米・嫌米運動の根底には、明確に意識していなくとも統一への必須条件としての米軍全面撤退を潜在意識の中に持っているのではないだろうか?

日本を含むアジア諸国は、こぞってこの統一実現への協力を惜しまないようにしたい。
統一後、恐らく10年余にわたって未曾有の混乱が生じるだろうが、アジアは暖かく見守りながら具体的な支援を続けるべきだと思う。

もしこの理想的とも云うべき統一朝鮮が実現したならば、実は日本にとっても大変好ましいことである。まずは北の脅威が消滅することであり、統一時の混乱へ の献身的な支援によって醸し出される緊密な日韓関係が構築できるであろう。次に東アジアにおける米軍のありかたにも大きな影響を与えるであろう。

今日(1月10日)、シンガポールの国防相と大野防衛庁長官の会談ニュースが報じられた。そこにはアジアにおける米軍の存在を容認するメッセージがあったが、私には必要悪のように感じられた。

いつの日かアジアは自分たちで自分たちの安全保障をする。そんな日が来るための大きなきっかけになる。それが永世中立宣言による統一朝鮮の実現ではないだろうか。


蛇足になるが、統一朝鮮の国名は「朝鮮」も「韓」もどちらか一方には決め難いだろう。

いっそのこと(新)高麗ではいかがだろうか? 実は1980年に金日成が「高麗民主連邦共和国」を提言したことがある、しかしこの時は北の思惑が見え隠れしていたのかあっさりと忘れられたようだ。

次に首都の配置にしても平壌でもソウルでもどちらかにすることはできないだろう。これもいっそのこと高麗の首府であった開城にしてはいかだろうか? 地理的にも板門店の北約20キロと半島のほぼ中心部にあり、歴史的な場所ということもあって新首都に相応しいように思う。

 大塚さんにメール mailto:otsuka@giganet.net
2005年01月10日(月)京都大学教授 大西 広
 貧困化したキューバの市民生活

 年末に機会があってキューバを訪問し、多少の経済視察を行ったが、それは大変にショッキングなものであった(この機会を下さったのは日本におけるキュー バ研究の第一人者である新藤通弘氏である。また、以下に紹介する諸事実の多くは氏の著作『現代キューバ経済史』大村書店、2000年によっている)。

 キューバはソ連・東欧の崩壊によって、高価格での砂糖の買付けが停止し、93-4年にはGDPがピーク時の60%にまで縮小するというような経済危機に 陥り、それは2004年の5%の経済成長によってもピークの回復には至っていない。というより、苦しい生活の実態を話してくれたツアー・ガイドやハバナ大 学の学生の話が最もリアルであって、これはすべて公式の交流以外のものであった。このことも含めて、ここでは簡単に紹介を行ってみたい。

 そこでまず最初の問題は、現在の人々の生活であるが、ほぼすべての部門が国営か協同組合となっている下で、そこでのサラリーは月にして260ペソから 500ペソ程度しかない。が、これは実は10ドルから20ドル程度の金額に過ぎず、超低価格の配給品の購入によってもとても間に合うものではなく、たとえ ば、配給品でもタバコ1箱で2ペソし、またヨーグルト1個で2ペソする上に、証明書がなければ買えないから、結局高価な自由市場で購入するしかない。

 この場合、たとえば、缶コーラ一個だけで13-25ペソにもなるので、人々は決められたサラリー以外にどのようにして収入を得ようか必死というのが実情 である。そのため、売春が一部で復活する一方、ガイド・通訳など外国人相手のビジネスが流行り、私も一人ハバナ大学の英語教師を一時間10ドルで英語とス ペイン語の通訳として雇った。この「10ドル」が通常の一カ月分の給料に当たるのであるから、いかに国有経済が壊れてしまっているかが分かる。

 どの職業が良いかと聞くと、きまって「教師や旅行ガイドはチップなどいろいろ副収入があるからいいが、医者にはないので可愛そうだ」などという回答が 返ってきたが、そんなことばかりを考えねばならなくなっているキューバの民衆の状況を知らねばならない。こうした「別収入」の手段を一切持たない年金生活 者などは困り果てているはずで、ある街角のオープン・カフェで私もそれらしき老女から物乞いをされたことがあった。

 ついでに言うと、ホテルのすぐ横にあった名門ハバナ大学に行くと、門前で「Can I help you?」と勝手に学生が近づいてきて聞いてくる。英語ができるので外国人の何かの役に立ち、それで副収入を得ようとしているのである。

 爆発寸前の国民の不満

 実際、私はその彼ではないが、このハバナ大学の中を散策している時に別の二人組の学生に会い、話をしているうちに「面白い青空ギャラリーがあるから見な いか」と誘われ、それに乗っているうちに飲み物代なども含めて二人に総計20ドル程度を払わされてしまった。この学生は貧しくて毎朝砂糖水しか「朝食」に 取れないという。確かに理論的にもその程度の生活の切り詰めがなければ生活できないはずである。

 ところが、この学生との会話で特にショッキングだったのは、カストロ政権をひどく嫌っていて、「あれは社会主義じゃない。フィデリズム(カストロの名 「フィデル」をとったネーミング)だ。」と述べたかと思うと、「社会主義は駄目だ。資本主義が必要だ」とも言った。

 私は彼らに「中国経済を研究している」と言っていたので、「中国は共産党の下でうまく行っている」と述べると「あれは資本主義だ」とまた反論されてし まった。この私もまた「あれは資本主義だ」と思っているので再反論できなかったが、ともかくカストロ政権への不満は実は広範に存在しているのではないだろ うか。この学生はキャリアを失いたくないので自分がこう言ったことは口外しないで欲しいと言っていたが、このことを逆に言うと、世間で政府が批判されてい ないからと言って人々の内心もまたそうであるというわけではない。

 訪問するところ各地にはゲバラの写真と建国の父ホセ・マルティの像こそあったが、カストロの肖像は博物館や政府系の建物でしか見なかった。「政権への不満」はかなり深いところで渦巻いているというのが私の印象である。

 もちろん、2004年には約3%の経済成長によって不満の根源であるところの庶民の生活は多少は改善しているし、「キューバは政権に腐敗が無く、危機に 際してはまずは官僚機構のスリム化から手をつけ、ひとつひとつ大衆討議で経済政策を決めているから政権は支持されている」との意見のあることも承知してい る(たとえば、雑誌『QUEST』第27号、2003年9月号)。が、やはり現実を見るとそうした評価はかなり甘いものと言わざるを得ない。

 たしかに、たとえば94年における公共料金や観覧入場料の値上げや有料化半年に渡る全国民的規模の討議が行なわれ、「労働者の国会」と名づけられたこの キャンペーンには300万人もが参加している。討議や合意なしの値上げではなく、それを経た上での負担転化であることによる不満の抑制は確かにあるものと 思われる。また、キューバ自身の経済政策の失敗ではなく、ソ連・東欧の崩壊、アメリカの締め付け強化という外的要因が直接の危機の原因であったという意味 で不満の矛先が政権に向かなかったということも言えるだろう。

 がしかし、たとえばそれでもこの時の値上げ率は、葉巻タバコ80-100%、ラム酒270%、個人用ガソリン375%、都市・都市郊外を除く鉄道料金 60・8%、非都市交通のバス料金116%となっており、電気料金も累進制の形で値上げされているのであるから、これで庶民が「不満」を抱かないはずはな い。

 そして、実際、93年と94年の二度にわたって国外脱出事件が生じ、93年には抑えられたものの94年には政権自身が脱出阻止を諦めるといった状況と なった。アメリカの「亡命者優遇政策」があるとは言え、この時には同時に騒擾事件にも発展しており、事態を甘く見ることはできない。

 「キューバの成功」の真実

 ということであるから、問題はこうした事態を我々がどのように考えるかということになる。そして、そのひとつの回答は、小国が国際情勢の激変の下で翻弄 されているというものであろう。革命前のアメリカの野蛮な植民地主義、革命後におけるアメリカの経済封鎖、また90年代以降はソ連・東欧の崩壊によって生 じた貿易上の困難といったように外的要因が常に困難の原因となっていた。

 これがまさに実際小国、特に途上国の政治変革の制約要因となっていたのであって、たとえばチェ・ゲバラがキューバ防衛のためにも他国での連続的な革命が 必要だと考えた理由もここにある。あるいはまた、逆に考えて、こうしていつも困難の原因を外に見つけることができたために国民の不満が政権に向かうのを阻 止できたということもできる。

 がしかし、ここでもう一度よく考えてみると、経済困難が「克服」されていたとされる時期における「史上前例のない平等社会の達成」というものもソ連によ る高値の砂糖の買付けという外からの援助なしにはありえなかったのである。あるいは、さらに言って、それ以前の社会資本はアメリカの手によるものが非常に 大きかったものと思われる。

 私はハバナの最高級ホテル「ハバナ・リブレ」に宿泊し、なかなか良いものを作っているじゃないかと最初は感心したが、よく聞いてみるとそれは革命前のヒ ルトン・ホテルであった。現在はそれもスペイン資本とのジョイント・ベンチャーになっているが、ともかくこうした「アメリカの置き土産」でこれまで食べて 来たのではないかという印象を与えられてしまう。

 もちろん、こうした高級ホテル群だけでなく、農業資本が置いていったプランテーション、石油精製資本や製糖資本が置いて行った何百という数の工場、電話 通信資本が置いていった設備などもあり、またさらに言うと、彼らと一緒に亡命して行った金持ちのキューバ人たちの家屋などの資産も大きい。

 ハバナ市内の住宅と言えば、そのほとんどが彼らから接収された住宅ではないかと思われるほどである。これだけの大量の資産を一気に革命で手に入れたので あるから、そこからしばらくはただ貧民への再分配のみを考えるだけで経済運営ができたというのも理解できてしまう。これらはすべて広義の「対外関係」から 獲得されたものであるというのが重要である。

 なお、ついでに言うと、「革命後の達成」として常に強調されているのが大学に到るまでの教育の無料化であり、それによる非識字人口の根絶である。そし て、これは現在でも特別に重視されていて、学校のクラスの人数を15名にするとか、すべての学校に中国製のテレビとコンピュータを設置するとかの措置が計 画されている。が、その実態にも多くの問題がある。というのは、こうして長期に全人口が高度の教育を受けて来たはずであるのに、たとえば殆どの人々が英語 さえできないことである。

 もちろん、これまでの主要な外国語教育がロシア語やドイツ語、ハンガリー語などであったということも理解できる。が、その時代からすでに十数年が経過し ている。また、私が問題としたいのは、単に学校が充実しているというのでは駄目で、人々が自身でどれだけ学ぼうとしているか、あるいはそうした国民的な雰 囲気をどう作るかであると思う。

 日本の塾通いをここで挙げるのは避けるが、たとえば同じ途上国である/あった中国や韓国での教育への姿勢にもっと学ばなければならないのではないか。中 国や韓国の市内には至るところに語学学校やパソコン学校などの宣伝が並び、人々は自身のスキルアップに余念がない。

 あるいは、たとえば外国人相手にタクシーをしようとするものなら、彼らは一生懸命になって自分で外国語を勉強する。こうした社会的雰囲気を作ることなし に真の知識社会を形成することはできず、そのことの方がずっと大事だというのが私の意見である。ついでに言うと、ハバナ市内でもほとんど本屋を見かけるこ とができず、このことも大きな問題だと感じた。

 対外関係上の経済改革がもたらす不平等と社会問題

 ところで、上でこれまでの「成功」はすべて「対外関係」から獲得されたものではなかったか、との疑問を述べたが、ある意味これは現在にも続いた一貫した 政策といえ、現在の「経済改革」の中心も外資導入、観光業の発展といった対外経済関係にある。

 これは、中国や北朝鮮、ベトナムなどの経済改革が自営農の創出という国内的なものを優先させたのと対照的である(北朝鮮では「自留地」形式の半自作農 化)。こう言うと直ちに1993年からの国営農場の協同組合生産基礎組織(UBPC)への再編のことを言われるが、この程度の再編では個人の生産意欲をか きたてるものとはなっていない。

 また、よく聞く「キューバでは農業人口は少なくて・・・」との反論があるかも知れないが、それを言うなら北朝鮮でもかなり農業人口は少なくまた大局的に は小国であると再反論したい。あるいは、農業部門でも作物転換や農法の技術的改良の努力が相当に進められているが、これらは経済政策としての農業改革とい うものではない。

 鄧小平を初めとするアジアの経済改革の指導者たちはなるべくマイナスの副作用の少ない経済改革から始めようとし、それが農業改革であった。工業部門での 企業改革は失業を作り出すから当初からの導入は危険であるが、キューバでは余剰人員の吐き出しという意味でのそれが先行して進められている。農業を利益の あがるものにし、よって余剰と転職先を確保した後に企業改革に進んだ中国の経験がどこまでキューバで掘り下げられ、消化されているのだろうか。

 がしかし、ここでの問題は国内経済改革について細かく論じることではなく、対外関係としてできるものがどうして国内改革ではできないのかということであ る。あるいは、言い換えて、市場メカニズムは貧富の格差や腐敗を招来するから危険という理由での国内改革の躊躇を一旦理解したとしても、それなら他方の 「対外経済改革」、すなわち外資の導入や観光業のプッシュにはそうした問題がないのかということである。

 もちろん、たとえば外資の導入にも、キューバにない技術や資金、新市場を持っているかどうかということが許可の条件とされていて、野放しではない。がし かし、外資の入っている高級ホテルの従業員はすでに平均的な労働者の数倍の賃金を得ている。また、その周りには、冒頭で述べたような外国人相手の様々な私 的な営業が群がっており、この時点ですでに「平等社会」との建前は単なる建前になってしまっている。

 国内改革としての「市場メカニズムの導入」がなくとも、外資の導入と大量の外国人観光客の受入れさえあれば、ただそれだけで貧富の格差をもたらすに十分 なのである。ついでに言うと、この「建前の崩壊」は貧富の格差だけではなく市場化についても言える。富める者はすべて非国有セクターから所得の得ているの だから、実態はすでに「市場化=私営化」もまた相当に進んでいるというのが本当のところである。

 が、それだけでもない。売春のような直接的なものを除いても、広義の「社会問題」がこうした海外政策によって必ず生じる。たとえば、私が雇った通訳のよ うな人々が、「こちらの方が儲かる」と本業をどんどん辞めて行くということはよくあることである。実際、私自身、同様の例をインドネシアで聞いたことがあ る。また、キューバでも政策の失敗で供給の減少した牛肉を外国人観光客用に確保するため、牛肉が配給から消えたと言う。先の学生は自分は牛肉を見たことさ えないと言っていた。

 なお、この点は是非誤解しないでいただきたいが、私はこう言ったからといって、外資の導入や観光業の推進を止めるべきと言っているのではない。その逆で あって、国内改革の問題も同一レベルなのだから、それだけを躊躇するのは間違いであり、両方を共に推進すべきということである。改革を上手にすれば経済成 長を勝ち取れるから、それによって外国人との所得格差は縮小する。そして、その時には、売春を含む上記の社会問題も基本的に消えるであろう。成長の前に何 を言っても無駄なのであって、まずは成長を勝ち取らねばならない。それだけが唯一の解決策というのが私の考え方である。
 
 グローバリゼーションに賛成するか反対するか

 ところで、この点と関わり、キューバの言論界の特徴としてどうしても言及しておかねばならないのがグローバリゼーションをどう見るかという問題である。 キューバではよく「反グローバリゼーション」系の国際集会が開催され、たとえば「米州自由貿易圏反対闘争西半球会議」なるキューバ政府肝いりの会議は 2001年以来毎年ハバナで開催され、「新自由主義」に反対するこの地域の一大イベントとなっている。そして、実際、ソ連・東欧の崩壊後のキューバの経済 危機が、砂糖の買付け価格の国際標準への低下によってもたらされた以上、こうした「新自由主義的グローバリゼーション」に反対したくなる気持ちは分からな いでもない。

 がしかし、よくよく聞いてみると、この砂糖価格の問題も、単なる「自由化」がもたらしたというより、各国の農業保護政策によってもたらされたもののよう である。たとえば、アメリカではポンド当り22セントの、EUでは25セントの砂糖農家への補助金があり、その額は砂糖の国際取引価格6-7セントの数倍 にも上る。そして、現地の経済学者が言うには、この補助金があるがために砂糖価格が下がっているのだという。

 このことは経済理論によっても理解することができる。が、もしそうだとすると、ここで彼らキューバ人が反対しなければならないのは、「自由貿易」ではな く「保護貿易」なのではないか。あるいは、同じことではあるが、キューバ人こそ自由貿易の先頭に立たねばならないのではないだろうか。

 この問題は、実は現在のキューバが対外関係として抱える最大問題としてのアメリカの経済封鎖の問題についても言える。この経済封鎖は、今や全世界によっ て非難されている事柄で、昨年10月の国連総会でも賛成179カ国、反対4カ国(アメリカ、イスラエル、マーシャル諸島、パラオ)、棄権1カ国、欠席7カ 国という数字で封鎖解除要求されているものである。

 ちなみに、「アメリカの投票機械」と揶揄される日本でさえ、この決議には1997年以来賛成をしているほどである。が、ここでの問題は、この「経済封 鎖」はどう見ても「自由貿易」ではないことである。あるいは、もっと言って、現在のアメリカが世界から非難されているその最大のポイントは、「自由貿易政 策」ではなく、イラクでの無法ではないだろうか。私は、これらの意味でアメリカを「自由主義」とすること自体がアメリカの罠にはまっているのではないかと 考えている。むしろアメリカを「自由主義の敵」として理解すべきというのがキューバにおける私のアドバイスであった。

 ただし、実は、このキューバが真に激しい国際的な「自由貿易」競争にどれだけ対処できるかには怪しいところがある。これはアジア人の偏見である可能性も あるのでさし引いて聞いていただきたいが、日本や中国、韓国などは家電製品や自動車などを一生懸命になって作って現在の地位を築いたが、そうした国々と渡 り合えるだけの努力がなされているのかどうかという問題である。

 キューバでは革命前の相当に古い自動車が走っているとともに、ソ連からの輸入車、90年代以降の西側諸国からの輸入車も多く走っている。また、各家庭に は家電製品も揃っており、これらはすべて外国で作られたものである。つまり、その「外国からの購入」に対応するだけのものを安価に「外国に供給」するとい うのがグローバリゼーションの強制なのであって、ソ連・東欧の崩壊によってこの強制力の大きさに戸惑っているというのが現在のキューバなのではないかと思 うのである。

 この強制によって国内体制を締め直し、よって産業の育成を本気になって考える。このことよって初めてキューバはアジアの強国と渡り合えるようになる。グ ローバリゼーションに反対しているだけでは駄目なのでないかと改めて感じた次第である。

 イデオロギーの変革もまた必要に

 したがって、私の考えるところ、キューバの問題は現状がどうあるかということ以上にその困難をどう捉えるか、というところにある。そして、この問題は、 今見たグローバリゼーションという対外関係問題だけではなく、やはり再び国内政策のあり方についての思想的・理論的な整理のあり方にあると思われる。

 たとえば、キューバ政府が現在も取り続ける「privatization(私企業化)には反対」との立場はどこまで継続することができるのだろうか。こ の立場が変えられない限り、農業部門を初めとする経済改革の推進にはどうしても限界がある。現地の研究者と討論していても、ここに来て「ともかくそれがで きないことになっているので、できない」となり、結論が先に来てしまうのである。

 しかし、こちらも中国など東アジアの移行経済諸国の研究者として負けているわけにはいかない。ので、「それでは爆発的な経済成長をしている中国の経済運 営は間違いだと・・・?」と聞く。これには相手も「間違い」とは言えず、「ただ我々は他国の経験をコピーするわけにはいかない」と来る。

 とすると、私の方から「それでは何故その経験から学べないのか」と聞くが、この当りから議論がはっきりしなくなる。時には中国では圧倒的多数が漢民族で 民族の多様性が少ないが、キューバは混血人種なのでできない、と答えられた。ともかく、この辺りが議論のポイントだというのが私の意見である。

 というより、実はもっと本質的に言って、「中国がモデルとなるかどうか」という問題は、共産党政権が資本主義を導入するのが間違っているのかどうか、と いう問題であり、私はこのレベルで「間違っていない」と断言できなければ本当の結論に達することができないと考えている。

 なぜなら、共産党はマルクス主義を主張する以上、人類史を飛び越えられないこと、時代時代に適合した社会制度を導入しなければならないこと、その意味で 資本主義もある段階では必要な制度であることを認めなければならないからである。そして、実際、資本主義は中国で現実に「生産力発展」をもたらしている。 これでそれを導入する理由は十分に揃っているはずだからである。

 もちろん、キューバでは歴史的条件の下から「平等」を重視せねばならなかったことは理解できる。が、その「平等」も前述のようにすでに破壊されている。 また、「平等の実現」のひとつの目的であるはずの「貧困の撲滅」は、むしろ経済成長によってこそなし遂げることができる。中国では、現在の経済成長によっ てほぼ3年毎に貧困人口が半減しているが、こうしたスピードでの「貧困の撲滅」を再分配を中心とする平等化政策によって成し遂げることはではきない。以上 の意味で、イデオロギー上の「改革」こそが実はもっとも重要なのだというのが私の結論である。

 大西さんにメール mailto:ohnishi@f6.dion.ne.jp
2005年01月09日(日)ロンドン在住 藤澤みどり
  ヨーロッパは一昨日(2005年1月5日水曜日)、南アジアの津波被害者への共感をこめて、EU加盟国25カ国で4億5000万人が、正午の鐘の音ととも に3分間の沈黙のときを持った。この大がかりな3ミニッツ・サイレンスは、死亡が確定した人々や行方不明者への追悼として行われただけでなく、けがをした 人や親をなくした子どもたち、家を失った人々、親しい人を亡くした人々すべてへの連帯を表すために行われたものだ。

 わたしは、まだ冬休み中の息子と自宅でその時を過ごしたが、ビッグベン(英国国会議事堂の大時計)がテレビ画面の中で正午を告げると、同時に近所の教会 からも鐘の音が響き、それから静けさが、ウイークデイの日中としては信じがたいような静けさが訪れた。

 こんなに規模の大きなサイレンスは初めてだが、いままでに経験したダイアナ妃やクイーンマザー、セプテンバー・イレヴンの被害者を追悼するサイレンスな どでは、あたりがほんとうの静けさに包まれるのにいつも驚かされた。サイレンスの開始時刻が近づくと地下鉄もバスも最寄りの駅やバス停で停車してその時を 待ち、路上を行き交う車も路肩に寄って停車する。商店のレジや銀行の窓口にはサイレンスの告知と、その時間帯にはサービスが行えないとの但し書きが張り出 され、動きを止めることによって支障がある事象を除いたすべての動きが停止する。

 かつてもっとも驚いたのはラジオがまったく沈黙することで、初めてラジオを通じてサイレンスを経験した際に、いくらなんでもラジオが完全に黙ることはな いだろうと、鐘の音か静かな音楽が流れるのを予期していたので、サイレンス開始を告げる教会の鐘の後に完全な沈黙が訪れたとき、ちょっとどきどきした。こ の静けさの中でサイレンスに参加するそれぞれが被害者を思い、神か自然か、あるいは自分自身と対話し、祈る。

 一昨日はテレビを見ていたのだが、やはり音は何もなく、全国の何カ所かに置かれたカメラがとらえた映像が、あらかじめプログラムされているのだろう、一 定の間隔で次々に切り替わっていた。取引のその場で立ちつくし頭を垂れるシティの人々、ショッピングセンターのアトリウムで沈黙する買い物中の人々、赤絨 毯の階段の途中で立ち止まった外務省のオフィサーたち、支援物資の荷造りの手を止めたエイドワーカーたち、仏教寺院の人々・・・。動いていたのは、額を床 にこすりつけたり立ち上がったりして沈黙の祈りを繰り返すムスリムの人々と、寺院の床をくったくなく這い回るスリランカ系の小さな男の子だけだった。

 ロンドン市民にとって、これは大晦日の2ミニッツ・サイレンスに続く津波被害に対するふたつめのサイレンスになる。しかし、世界の多くの場所で多くの人 々が悲しみを共有した大晦日のサイレンスや黙祷の儀式とは違い、この日の3ミニッツ・サイレンスには悲しみや傷みだけでない、何か希望のようなものがかす かに感じられた。

 欧州各地のNGOに対して、それこそ洪水のように押し寄せる人々の善意が、まだ引きも切らずに続いているせいかもしれない。そして、そうした市民の志に よる圧力が、政府の財布を緩ませている事実がある。あの日、ホリディ客として滞在していた地で被災したにもかかわらず、そこにとどまったばかりか新たにボ ランティア組織を立ち上げた少なくない人々がいる。地域の経済を応援するために休暇先を変更せずに、もしくは他の場所からこの地域に変更して、あえて新年 のホリデイ客となった多くの人々がいる。そうしたことのすべてが始まりの予感に満ちている、ように思える。思いたい。

 3分間の沈黙を通して、ヨーロッパの人々の気持ちが南アジアに正面から向き合った時間、もしかすると、これが今世紀はじめの転換点のひとつかも、と思わ せる3分間だった。何かが変わるかもしれない。何かを変えられるかもしれない。

**********

 昨日のガーディアン紙第一面には興味深い見出しが掲げられていた。それは、ジャカルタでの津波被害サミットを前に発表された、UNからのお小言について 書かれた記事だったのだが、まず「いまこそ実行のときだ」と大見出しがあり、その下の小見出しは「災害援助をチート(cheat)するなよ、とUN事務総 長が釘を差す」というものだ。わたしの周囲でこのチート(だます、裏切る)という言葉をもっとも頻繁に使うのは息子を含めた子どもたちなので、子どもたち の流儀で言ってみよう。「出すと言ったもんは全部出せよ、しらばっくれるなよ」と。秀逸な見出しだなあと感心した。

 この会議を経て、明るさの材料がもうひとつ増えた気がする。イラク戦をめぐってすっかり地に落ちていたUNの有効性が、様々な色合いと思惑に染められた 各国政府の支援を、UNブランドに付け替えるのに成功したことで、再びその地位を回復したことだ。日本、インドを含めた4カ国だか6カ国だかで「有志連 盟」方式援助を行おうとしていたブッシュ大統領の欲望は、ひとまずは満たされなかった。もっとも、年明け早々にインドが、UNの助けは必要だが、アメリカ を含むどの政府からの支援も受け入れないと発表していたので、遅かれ早かれ壊れると思っていたけれど。

 実際の会議を経た今日のインディペンデント紙第一面は、会議の席上でのコフィ・アナンのスピーチをふまえて、昨日のガーディアン紙よりさらに突っ込んだ内容になっている。

「22億ポンドが約束された:で、今度こそ世界はほんとに出すのか?」の見出しとともに3枚の災害写真が掲載されているのだが、それぞれに小見出しがつ き、国際社会と言われるものの「有言不実行」がひとめでわかる仕立てになっている。

ハリケーン(中央アメリカ)1998年
誓約48億ポンド、実行16億ポンド

洪水(モザンビーク)2000年
誓約2億1400万ポンド、実行1億700万ポンド

地震(バム、イラン)2003年
誓約1710万ポンド、実行950万ポンド

 災害援助の支援額と行動をめぐって、各国政府の冷酷さがこれほど多くの人の目にさらされたのは初めてかもしれない。わたしたちが監視を怠らなければ、約 束の多くが実行されるだろう。政府はわたしたちの忘れっぽさに期待しているだろうが。(1月7日)

 藤澤さんにメールは mailto:midori@dircon.co.uk
2005年01月08日(土)萬晩報主宰 伴 武澄
 燃料電池車の開発が最終段階に入っている。自動車のエンジンをばかにしてはいけない。カローラクラスで100馬力のエンジンは当たり前だが、馬力を電力に換算すると約75キロワット。

 1・5トンの車体を自在にあやつるにはそれだけの馬力が必要だということだが、平均的家庭の電力が3キロワットといわれているから、1台の乗用車が民家25件分の発電能力を持っているということでもある。

 仮定の話だが、日本には自動車が8000万台ある。それぞれが25件分の発電能力を持っているとすれば、掛け算で20億件分ということになる。これはす ごいことなのだ。現在、日本人が保有する自動車だけで、日本の10社の電力会社の総発電能力をすでにかるく上回っている。

 自動車はエンジンを回して発電機を回さなければ電気は生まれないが、燃料電池車の場合は燃料電池そのものが「発電機」だから、これを家庭や職場の電源につなげるとまさにほとんどの国でエネルギー問題は解決する。そんな潜在力を持っていることを知らなければならない。

 このアイデアは小生だけのものではない。文明評論家のジェレミー・リフキンが書いた『水素エネルギー ハイドロジェン・エネルギー・ウェブ(HEW)』(2003年、NHK出版)の中にすでにある。

 孫引きだが、財山法人道路新産業開発機構が発行する『季刊・道路新産業』によるとその構想は次のようなものである。

「水素を燃料とする燃料電池は、個人が自分のために利用できるばかりでなく、送電線を通じて、余剰の電力を他社に提供できるミニ発電所である。化石燃料時 代のエネルギーの流れが中央集権的で一方的であったのに対して、水素エネルギーの時代にはエネルギーの流れは双方向になる。分散型で双方向である点におい て、燃料電池のネットワークはインターネットのウェブと全く同じである」

「分散型発電設備の中で興味深いのは車である。リフキンによれば、一般に乗用車は一日の96%は駐車している。その時間を利用して、家庭やオフィス、商業 用の双方向電力ネットワークにつなげば、電力ネットワークに、無公害の高品質の電力を供給できる。電気を売った収入は車のリーズ料や購入費用にあてること ができる」

 ここまで聞いて単なる傍観者でいられるだろうか。このHEW構想によって筆者は持論の「直流ハウスによるエネルギー革命」にますます自信を深めざるをえない。

 燃料電池ではないが、トヨタのハイブリッド車であるプリウスやエスティマには家庭用の100ボルト交流を取り出せる差し込みプラグが備わっているのをご 存じだろうか。 電力会社を刺激しないようあえて大きく宣伝はしていないが、トヨタはすでに自動車を家庭用電源として使える構想を進めているのだ。(続)
2005年01月07日(金)萬晩報主宰 伴 武澄
  イタリアのコモ出身のアレサンドロ・ボルタが電池を発明したのは1799年。ナポレオンが支配した時代でイタリアという国はまだなかった。そして1832 年、フランスのピクシーが手回し直流発電機を発明する。その発電機に電流を流して回すモーターは1834年、アメリカのバーモント州のサマリーとデーベン ポートによって開発される。ここまで電気は直流のことだった。

 そもそも交流が普及したのは、エジソンが1879年、白熱電球を発明してからのことなのだ。

 しかしエジソンが白熱電球の実験をしたのは直流だった。一般家庭で電球を灯すためには電気が必要だったが、当時はまだ電気が"供給"されていなかった。そこでエジソンはニューヨークで電線を引いて電気を供給する事業を開始した。もちろんそれは直流だった。

 交流発電機はエジソンの部下のニコラ・テスラによって実用化された。エジソンはかたくなに直流方式を主張したが、事業化でテスラの交流を採用したのはライバル会社のウエスチングハウスやトムソン・ハウスだった。

 直流方式は電圧降下のため、半径3キロ程度しか送電できなかったが、交流だと、高い電圧で送電して、どこでも100ボルトに下げられる。送電の効率からすると直流は交流に対抗できるはずもないことがやがて分かった。

 しかし、エジソンは最後まで直流に固執し、高圧の交流がいかに危険かを示すため、イヌやネコを感電させる実験までして抗議した。おもしろいエピソードと して残っているのは、エジソンがつくったGEの当初の会社名はエジソン・ゼネラル・エレクトリックだったが、エジソンの態度にあきれた後継者たちが、会社 名からエジソンを取ったということだ。

 日本で最初に白熱電球が灯ったのは明治19年(1887年)の鹿鳴館。実は電気に関しては世界からそう遅れはとっていない。ここでは移動式の発電機が使われ、もちろん電気は直流だった。

 以降、日本各地で発電所がつくられて電球が灯ったのだが、交流発電が始まったのは明治29年のこと。東京電灯の浅草発電所にドイツ製の50サイクルの発 電機が採用された。日清戦争の後のことである。それまで日本でも「電気は直流」が当たり前だった。もちろんテレビはおろかラジオもない、洗濯機も冷蔵庫も ない。白熱電球かモーター以外に電気の使途はなかった時代である。

 電気は初め、直流だったが、"送電"のために交流が開発されたのである。100年を経てその送電の必要がなくなれば、直流に戻ってもおかしくないのである。(続)
2005年01月06日(木)萬晩報主宰 伴 武澄
 電気には直流と交流がある。学校で習う電気の授業はすべて直流なのに、社会や家庭は交流ばかり。なんでだろうって考えたことはないだろうか。

 昨年末、三重県にある燃料電池の実証装置をみせてもらった時、発電する直流を交流に直すのに6%の電力ロスがあると聞いた。電球とモーターを使用する家 電製品以外は家電製品の中でまた直流に直すからさらに6%のロスが生まれ、行って来いで12%のロスが発生することを知った。

 12%もロスがあるのなら、そのまま直流で使えば、地球環境の上でも大きなメリットがあるはずだ。現代社会を維持する上で12%ものエネルギー削減はほとんど不可能なことだが、直流で使えば、その不可能なエネルギー削減が可能になる。

 これはすごいことだ。そう思って、中部電力の技術者に問い掛けた。
次はこの技術者との問答である。

「交流は電気を長距離運ぶのに適しています。直流だとどんどん電圧が下がっていきます」
「でも燃料電池は家庭用の開発も進んでいて、もはや運ぶ必要もなくなるのではないでしょうか。太陽電池だって直流で屋根の上にある。これも運ぶという概念ではない」
「それはそうです。では電圧の上げ下げはどうしますか。交流はトランスで電圧の上げ下げが簡単ですが、直流では難しい」
「自動車のバッテリーは12ボルトでしょ。カーステレオもクーラーも直流12ボルトで駆動しているじゃないですか。トラックは24ボルトですか、統一すれば問題ないでしょ」
「うーん」

モーターはもともと直流の方が力が強い。新幹線だって直流モーターを回している。直流モーターを使えば、エネルギー削減はさらに大きくなる。2割、3割の削減が可能になるかもしれない。

将来的にエネルギーが分散型発電時代になることは容易に予想される中で、すべての家電製品が直流で使えるような「直流ハウス」の開発を提言したい。

 テレビやラジオ、パソコンなど電子機器は"電源"が不要になるだけコストダウンとなる。白熱電球はそのまま直流でも光る。モーターだってすでに直流型は多くあるから開発など必要ないかもしれない。「直流ハウス」はすぐにでもできると考えるのだが。

 以上、素人考えだが、ご意見がありましたらお願いします。(続)
2005年01月03日(月)萬晩報主宰 伴 武澄
 明けましておめでとうございます。萬晩報は9日で8年目を迎えます。本号は発刊以来993号。記念すべき1000号に近づきつつあります。

 筆者が関係する財団法人国際平和協会は賀川豊彦の平和思想を継承して今日に到ります。その財団で、右も左もない、日本人として世界に恥ずかしくない貢献 のあり方があるだろうと考え、議論してきました。その結果、昨夏、「アジアの意思」という概念にたどり着きました。100年前の「アジア主義」に近い発想 です。

 アジア主義の時代は日本だけが独立国で、日本以外は列強の支配下にありました。戦後、アジア諸国は次々を勝ち取りましたが、戦乱が続き、アジアは引き続 き貧困の代名詞でした。それが90年代以降の飛躍によって今、経済的自立に近づいているのです。経済的にアジアは大きく変ぼうしました。

 さて政治的にはどうでしょうか。隣の国とのまっとうな対話さえままならない関係が随所にあります。大陸と台湾、南北朝鮮。そしてその隣国たちは、自らの 生活空間で起きている問題について、自らの手で解決しようとしてきたでしょうか。われわれは長い間、西側の色眼鏡で隣国を見ることにあまりにも慣れすぎた のではないでしょうか。

 戦後アジアはアメリカとソ連という冷戦構造の中で対立を余儀なくされてきました。しかしソ連の崩壊によってそうした対立はなくなりました。問題はそのあ とです。対立の必要もないのにアメリカの圧倒的影響力をあまりにも無批判に受け入れてはいないでしょうか。アメリカをアジアに取り込むことがまるで空気の ように感じる政治風土がまん延しているようでなりません。

 台湾海峡や北朝鮮問題の問題の解決に、アメリカの力が本当に必要なのでしょうか。どうしてアジア人だけの智恵で解決しようとしないのでしょうか。実は当 たり前すぎることが実はアジア人の頭の中で当たり前になっていないのです。

「アジアの意思」を問い掛ける時、いまアジアの民が必要としているのは依存心からの脱却であり、「自決」の精神であることが分かってきました。

 この問い掛けは誰をも傷つけません。対立も生みません。この200年、アジアがアジアのために存在したことは一度もありませんでした。欧州は1000年 の対立の歴史を乗り越え、さらにイスラム圏のトルコまでも包含しようとしています。

 いまアジアには経済のエンジンが四つあります。日中韓、そしてアセアン。いわば四輪駆動のアジア主義を考えられる時代に到達しています。日本というエン ジンしかなかった時代とは根本的に変わりました。あと政治的意思さえ整えば、アジアのことはアジアで考え解決できるのだと思います。

 今年はマレーシアで東アジア首脳会議が開かれます。これまではアセアンプラス3で日中韓の首脳が意見交換をしてきましたが、これからは東アジアサミット という対等の議論の場が生まれます。これは祝福すべき大きな変化です。

 マハティール前首相は国づくりにあたって自立の精神「マレーシア・ボレ」を合言葉にしました。「マレーシアだってできるのだ」というこの掛け声は 2005年のアジアにとって最も相応しいと思います。今年の掛け声はアジア・ボレです。

このアーカイブについて

このページには、2005年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2004年12月です。

次のアーカイブは2005年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ