2004年10月アーカイブ

2004年10月30日(土)萬晩報主宰 伴 武澄
 90年代後半の数年間、京都に住みながら大阪に通うというぜいたくな暮らしをさせてもらい、古都を楽しんだ。寺院仏閣を含めて京都という空間に身を置いて、紐解く歴史がおもしろかった。

 同じような気分で三重県にやってきた。違うのは京都では歴史が目に見えるものだったが、三重の場合、歴史が神話の世界にまで飛んでいくということだった。

 最初に取り組んだ伊勢神宮については、いまだになぜこの地に天皇のご先祖さまである天照大神が鎮座ましましているのか分からない。

 神さまというのはご先祖さまをまつることだと祖母から聞いている。それぞれの家にそれぞれの神さまがいるというのが、日本なのだと考えてきた。明治時代 に天皇が再び政治の最前線に立たされ、天皇はご先祖を含めてより神格化された。江戸時代、だまっていても伊勢参りがはやっていた。親しみを込めてこそ「お 伊勢さん」と呼ばれたのだ。

 お伊勢さんに参ることが庶民の生涯の果たすべき夢だった。それほど親しみをもって参拝されていたのに、明治時代の薩長政府は、わざわざ"神格化"するこ とによって伊勢神宮は庶民信仰から離れていった。そんな気がしてならない。

 さて熊野である。熊野ほど分からないところはない。修験道の地だという以前にだれのご先祖をまつるところなのか。だれも教えてくれない。国連教育科学文 化機関(ユネスコ)は7月、紀伊山地の霊場と参詣道を世界遺産に登録した。いわゆる熊野古道である。3月からその古道をいくつか歩いた。いにしえの熊野詣 での気分を少しでも体験しようと考えてのことだ。

 熊野古道を歩いた印象はいくつかある。伊勢から進む古道は山道を歩くのだが、思うほど森閑とした山道ではないということである。石畳はあるが、まず森林 で古木に出合うことはない。みんな10年か20年程度の若い木々である。それに峠に出れば海が見える。熊野灘である。きらめく青い海が随所にのぞめる道を 歩いていて孤独を感じることはない。山が深くないということである。

 修験者たちが歩んだ道。熊野古道のイメージとして誰もが思い抱く風景だろうが、そんな思いで古道にやってくると落胆するに違いない。和歌山側はまだ歩いていないので、あくまで三重県側の印象である。

 熊野三山のひとつ熊野那智大社は日本一の滝をのぞむ霊場だ。それこそ深山の印象が強いが、太平洋に面したJR那智勝浦駅からバスで30分ほどの地にあ る。マイカーで行けば海岸線から10分ほどの距離である。あまりに海に近いので驚いた。

 もう一つの霊場である熊野速玉大社はそれこそ海に面した新宮市内にある。霊験を感じる距離すらない。熊野本宮はさすがに熊野川を30キロ遡ったところに あるが、熊野川は紀伊半島一の大河で、滔々と流れるその姿は雄大だと表現することができても、幽玄とか森閑というイメージからすると相当に懸け離れてる。 明るいのである。

 われわれの抱く霊場のイメージはまず暗くなくてはならない。多くの熊野の案内書には「死者の地」であるとか「修験の地」と書かれてある。苦行をする場で太陽が燦々と輝いていたら、どうしますか。

 この明るさが、世に喧伝される熊野イメージとあまりにも懸け離れているのだ。30年間、筆者はけっこう日本を旅してきたつもりでいるが、これほど事前のイメージと懸け離れた土地はない。

 そもそも死の世界を暗いと考えるのが間違いなのかもしれない。いにしえの人々にとっては、現世こそが苦悩と苦労の連続で、逆に来世である補陀落(ふだらく)の世界は明るかったのかもしれない。

 ここらに現代人の倒錯があるのかもしれない。古代人は明るさをを求めて熊野にやってきたと考えればものすごく分かりやすい。

 苦労して峠を越えるときらめく青い海が見える。その向こうに補陀落がある。補陀落には阿弥陀さまがおられる。死によって現世の苦しみから逃れることがで きる。そんなことを考えながら熊野古道を歩くうちに生きる勇気が湧いてくる。熊野詣でというのはそんな夢見る世界なのだとしたらすごいことになる。
2004年10月29日(金)萬晩報通信員 園田 義明

 ■ジェイコブ・シフが小国日本を救った理由

 1874年1月、ドイツ系ユダヤ人としてフランクフルトに生まれたジェイコブ・シフは18歳の時にニューヨークに渡り、ブルックリンやマンハッタンで古 着の屋台店を開いて小金を貯え、やがてクーン・ローブの娘と結婚、38歳でクーン・ローブの代表となった。このジェイコブ・シフが日本を支援したのは、エ ドワード・H・ハリマンと共にユーラシア大陸横断鉄道に進出することによる鉄道の世界制覇に向けた野望以外に理由があった。

 日本への金融協力には、クーン・ローブ・グループ以外に英国のロスチャイルド家、ドイツのウォーバーグ家、フランスの銀行家アルベール・カーンなども関 わっているが、これら欧米金融界のエスタブリッシュメント達が、商売上のこととはいえ日本を手助けしたのは、彼らがいずれもユダヤ系であり、ユダヤ人を迫 害していた帝政ロシアに対する強い反発があったからだ。そして、ジェイコブ・シフも当時米ユダヤ人会の会長を務めていた。彼らは、果敢にもユダヤ人を迫害 するロシアに立ち向かった小国日本を助けることで、一矢を報いることができると思ったのである。

 また同時に英国は、英皇室のロシア皇室との縁戚関係や有色人種支持ともとられかねない外交上の問題から、米国のクーン・ローブ・グループを参加させたいとの狙いもあった。

 ■ネオコンとジャクソン・バニク条項とロシア系ユダヤ移民

 実はこのロシアのユダヤ人政策はイラク戦争にも深く関わっている。1974年に米国はユダヤ人などの移民の出国を制限している共産国家への最恵国待遇や 政府信用供与などを制限したジャクソン・バニク条項を制定している。これはソ連がイスラエルへ移住しようとするユダヤ人に対して、事実上出国を禁止したこ とに対する制裁措置として、民主党のヘンリー・スクープ・ジャクソン上院議員とチャールズ・バニク下院議員が提案したものだが、このヘンリー・ジャクソン を支持し、ジャクソン・バニク条項の草案づくりに関わった人物こそが、イラク戦争を主導したネオコンのリチャード・パールである。

 このジャクソン・バニク条項は大きな成果を上げ、ソ連から57万人以上のユダヤ人、エヴァンジェリカル・クリスチャン、カトリック教徒が米国へ移住し、 約100万人のユダヤ人がイスラエルに移住した。その多くがブッシュ共和党政権、そしてイスラエルのアリエル・ブルドーザー・シャロン首相率いるリクード や極右政党の支持者となっている。

 つまり、リチャード・パールらネオコンがソ連からの大量のユダヤ移民票を米国とイスラエルに振り分け、当時にブッシュ政権とシャロン政権をつなげる役割 をも担っている。そして、このネオコンのユダヤ戦略の賛否をめぐってユダヤ系の金融機関や名門一族が大きく割れる結果となっている。

 また、ロシア系ユダヤ人を引き入れることがエゼキエル書に基づくロシアの参戦を意味することから、ハルマゲドンとしての世界最終戦争を演出し、かつ煽りながら、ブッシュ政権とキリスト教右派を一体化させているのである。

 ■高橋是清と森有礼とスウェーデンボルグ主義

 ここで高橋是清とキリスト教との関係も触れておきたい。

 高橋是清を見出し、キリスト教思想の影響を与えたのが日本初の文部大臣となる薩摩出身の森有礼である。森は英国留学中にスウェーデンボルグ主義の教団のカリスマ的指導者であったトーマス・レイク・ハリスに出会いクリスチャンとなっている。

 批判的な意味合いも込めてキリスト教神秘主義と称されてきたスウェーデンボルグは、スピリチュアリティ(霊性)という言葉が頻繁に登場するようになった今、「ニューエイジの父」として再び注目を集めつつある。

 スウェーデンボルグ研究の高橋和夫によれば、『スウェーデンボルグは、最終戦争(ハルマゲドン)も人類の滅亡もないと説く。それどころか、人類の宗教的 自立を意味する「新しい教会(宗教)の時代」が訪れると予測し、新しい時代には、個々の宗教や教会は普遍的な宗教原理--つまり彼の有名な言葉「あらゆる 宗教は生命に関係し、宗教の生命は善を行うことにある」で要約される原理--のもとに、その形式や教義・信条の差異を超えて共生し続ける(1995年4月 30日付産経朝刊)。』としている。

 ハリスは、この「新しい教会(宗教)の時代」の「新しい地上のエルサレム」がアフリカのどこかかアジアの日本に出来ることを確信し、日本の神道に大きな 関心を寄せていた。そして、ハリスの影響から使命感を抱いて帰国した森は、後に文部大臣としてキリスト教の賛美歌をもとにして作られた「蛍の光」「庭の千 草」「隅田川」などの唱歌を日本に導入しながら「新しいキリストの道」を目指したのである。

 ■ふたつのユダヤ人のハルマゲドン

 スウェーデンボルグが目指した宗教間の共生の中にはユダヤ教も含まれていた点が重要である。高橋是清もキリスト教思想に影響され、終生聖書を手元に置い て生きた。高橋はクリスチャンにはなっていないとする見方が定説になっているが、恩師である森有礼の影響からスウェーデンボルグ主義のクリスチャンであっ たことを隠していた可能性すらある。少なくとも、高橋とジェイコブ・シフの信頼関係には、スウェーデンボルグ主義が寄与したと見るべきだろう。

 ハルマゲドンを回避するために、宗教間の共生の必要性を説き、「新しい地上のエルサレム」を目指したスウェーデンボルグのネットワークの中に森有礼や高橋是清がいた。

 一方でハルマゲドンを待ち望むネオコン主導のキリスト教右派とユダヤ教右派との強力なネットワークの中に、現在の日本は完全に組み込まれている。 

 そして、これを象徴するかのように10月16日、ブッシュ大統領は2000年同様に勝敗の鍵を握るフロリダ州を訪れ、「反ユダヤ主義が現代の世界で居場 所を見いだすことがないようにする」と語り、国務省の反対を押し切って、世界の反ユダヤ主義を監視し、各国のユダヤ人に対する扱いの善し悪しを毎年評価す ることを義務づける「全世界反ユダヤ主義監視法(the Global Anti-Semitism Review Act of 2004)」に署名したことを明らかにした。

 ともにユダヤ人が深く関係するものの、その目指す方向がハルマゲドンをめぐって大きく異なるものであることを日本人は深く認識しておくべきだろう。

 しかし、小泉首相が「ブッシュ大統領とは親しいからね。頑張っていただきたいね」と言ったかと思えば、「ブッシュ大統領でないと困る」発言(自民党武部勤幹事長)まで飛び出すこの国は、ハルマゲドン・プレイヤーとして、自ら進み出る覚悟を決めたようだ。

 ただし、ブッシュ再選は米欧の国際派エスタブリッシュメント達も歓迎しているようだ。ブッシュ政権の継続が米国の衰退を決定づけるものになることを過去 4年の実績から認識しているからである。ブッシュ政権が思い描くハルマゲドンが「ブーメラン効果」となって移民国家である米国自らに襲い来るシナリオを見 越しているのだろう。つまり、ハルマゲドン自爆テロによって米国は超大国から普通の大国へと転がり落ちていくのである。

 ブッシュ政権再選支持を打ち出す小泉政権は、心中覚悟で米国を過去の国へといざなう役割を担っている。太平洋戦争での多大の犠牲によって米国の世紀を生みだした日本が、今まさに米国の世紀の終わらせようとしているかのようだ。

▼参考引用

反ユダヤ主義監視法に署名=米大統領
http://news.goo.ne.jp/news/jiji/kokusai/20041017/
041016204846.4ndw73v.html


Bush signs bill to monitor anti-Semitism
http://www.jpost.com/servlet/Satellite?pagename=
JPost/JPArticle/ShowFull&cid=1098018533349


  園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年10月27日(水)アジアの意思 宝田時雄、大塚寿昭、伴武澄
  9月20日、総統府直轄のシンクタンク、中央研究所の近代史研究所の黄自進教授を訪ねた。慶応大学の近代日中史で博士号を取った。研究室には戦前の日本と 中華民国の関係資料がうずたかく積まれている。「北一輝的革命情結」を上梓したばかりである。日中の研究者たちが忘れ去った歴史のいわばエアーポケットの ような分野を研究の対象にしている。まさに「アジアの意思」を訴えるに適材だとわれわれは直感した。

 予想通り、われわれの「アジアの意思」に対する黄教授の理解は早かった。しかし、黄先生からは思わぬ言葉が返ってきた。

「台湾はアメリカです」。

中央研究所は世界にあまり類がない研究所で、中国の社会科学院あたりが近いのかもしれない。旧ソ連の何々アカデミーにも匹敵する。先進資本主義国家にはな い存在である。教授陣は国立大学の上位にあり、総統府の政策決定にも大きな影響を与える組織である。

 中央研究院には現在、819人の研究員がいて全員が博士号を持っている。問題は博士号を取得したところである。台湾での取得者はたった211人で。アメ リカが508人にも及ぶという。イギリスなどアングロサクソン系を合わせると555人なのだそうだ。アジアでは日本が20人であと香港の1人だけ。黄教授 は「文化面でアメリカの植民地。韓国留学生すらいない。アジアの発想などはないです」と嘆いた。

 李登輝前総統は中国、台湾そして日本の三つの人格を持っていると言われているが、どうやら李前総統は台湾を代表する知識人ではないようだ。中央研究院が 台湾のすべてではないが、アメリカにフォーマットされた頭脳が総統府に研究成果を送り続けているのだとあいたら、これは大変なことだ。

 黄教授の苦悩は続く。90年代から若者を中心に「哈日族」(ハーリー族)といって日本の音楽やファッションにあこがれる層が生まれている。台湾に新たな 親日層が育っているのかと思っていたら実はそうではないらしい。黄先生に言わせれば、「日本語が出来るわけでもないし、まして日本の歴史を知っているわけ でもない」。表層の日本文化へのあこがれでしかないのだそうだ。

 アジアの意思を掲げて訪台したわれわれは、のっけから打ちのめされるようなショックを受けざるを得なかった。
2004年10月26日(火)萬晩報主宰 伴 武澄
 10月3日、「体で災害を正しく怖がる難しさ」というコラムを書いた。三重県で起きた地震と水害の体験を書いたものだが、こうも次々と災害が日本列島を襲うとは思わなかった。同じコラムで「異常なことが起きるのを災害という」ということも書いた。

 23日の日記には「午後6時前、新潟小千谷市周辺で震度6強の地震。車の中で地震のニュースに接し、帰宅後もずっとNHKニュースを見ていた。午後8 時、2時間たってもほとんど被害の状況が分からない。被害が簡単に分からないほど被害が甚大になるだろうことは三重県を襲った台風21号などの被災で経験 したばかりだ」と書いている。

 その通りになっている。23日に起きた中越地震では初日4人だった死者は、今夜には32人にまで増えている。23日夜には山古志村が孤立していたことすら分からなかったのだ。

 地震の翌日、長野県南相木村の医師、色平さんは仲間と新潟県厚生連・魚沼病院まで支援物資を届けた。ただちにそのメールが届いた。

「今しがた、新潟の震源地に建つ(新潟県厚生連・魚沼病院)迄、支援物資をトラックとワゴン車に分乗して、届けて帰って来ました。震源地は揺れ続けてい て、帰った今でも、まるで船に揺られている感じです。外来の廊下にもベッド代わりの長椅子で毛布にくるまり、点滴を受けている人が溢れていました」

「予想もしない出来事に、病院スタッフもみんなパニックの中でひたすら動いているようでした。180人の入院患者さんの2食分の食事と缶詰や飲料水に加え て、3台の発電機も持参しました。停電で暗い外来に灯りが点き喜ばれました。ガスも止まっており、プロパンガスとコンロも持参しました。昨夜の今日で、い ささか疲れました」

「それにしても割れてポッカリ穴の開いた道路を縫うように走るのは、不思議な体験でした。急遽の呼びかけながら、救急部・看護師・事務・栄養士・施設課・自動車部と小生、7人の迅速な決断と行動は心地良いものでした」

 その後も次々と色平さんからメールが届いた。医師として被災地起こるだろう事態を心配したものだった。

「医療面では、一般論として、震災後2週間(余震の間)は心血管イベント(特に夜間発症の心筋梗塞、脳梗塞など)が増加します。その後は、尿路感染症、そ して肺炎が多くなっていきます。対策としては、避難所の環境整備が必須です。
1)水分を多くとれるようにする、
2)マスクを配布する、そして何より、
3)夜間十分な睡眠・休息がとれるように配慮する、これが重要です。
長期的には、高血圧と糖尿病の患者さんで血圧と血糖のコントロールが乱れてきます。そしてワーファリン内服中の患者さんで、薬の効き具合のコントロールが 悪化します。可能であれば、40歳以上では避難所で毎朝、早朝時の血圧を測定したらいいのですが・・・」

「報道されている『「ショック死』『疲労による死』って何やねん,視聴者に誤解を与えるような表現を使うな,と突っ込みを入れながらニュースを見ています が,身体および精神の強いストレス下でストレスホルモンが亢進→凝固能亢進→心筋梗塞・肺梗塞・脳梗塞→死,という過程を経ているのだろうと思います。中 にはインスリン,SU剤,ワーファリンのような生存に不可欠な薬剤が切れてしまい致命的になった方もおられるかも知れません」。

「車の中で亡くなった84歳男性は食事をしている最中にみるみるうちに意識レベルが低下し心肺停止になったというので,おそらく心筋梗塞→急性心不全か脳 幹梗塞だったのではないでしょうか.ニュースを見ていて涙が出て来ました」

「2カ月児が余震を逃れるために自家用車のチャイルドシートに固定されたら、かえってその余震に揺さぶられて突然死したという報道です。あの子は頸髄損傷 か頭蓋内出血または広範な脳挫傷だったのでしょうか。これも涙せずにはいられませんでした」。

 だれもが中越地震で被災した方々にもどかしさを感じているのだろうと思うが、その2日前に日本列島を寸断した台風23号の被災地のことも忘れてほしくない。

 1995年1月の阪神淡路大震災の時もそうだったが、天災は人の心をすさんだものにする。地下鉄サリン事件が起きたのはその2カ月後だったことを忘れてはならない。
2004年10月25日(月)萬晩報通信員 成田 好三
 プロ野球の公式戦(ペナントレース)は、厳密に言えば2つの目的がある。1つは、セ・パ両リーグの優勝球団を決める戦いであり、もう1つは、プロ野球日本一決定戦である日本シリーズに出場する球団を決めるためである。

 1つめの目的だけなら、公式戦の期間に制限はいらない。極端なことを言えば、年明けまで公式戦を続けても構わない。しかし、2つめの目的のためには、期間を制限しなければならない。少なくとも、日本シリーズ開幕前には、公式戦を終わらせる必要がある。

 こんな自明のことが、プロ野球では守られていない。中日と西武の対決となった今季の日本シリーズは、10月16日に第1戦が行われた。ところが、この日はもう1つの試合が組み込まれていた。

 セ・リーグ公式戦の最終試合、横浜―ヤクルト戦(横浜主催試合)である。これこそファンを無視した試合日程である。

 セ・リーグで中日が優勝を決めたのは10月1日。日本シリーズ開幕日までは14日間も期間があった。中日が優勝した1日終了時点で、最も試合数が少なかった横浜は10試合を残していた。

 優勝が決まった後の試合は消化試合である。横浜は、優勝を争うという公式戦本来の目的を失った試合を、調整日や移動日に日程を追加することもなく、ダブルヘッダーを組み込むこともなく、だらだらと消化してきた。野球は1球団ではできないから、他球団も同様である。

 無意味な消化試合を続けたあげく、日本シリーズと日程を重ねてしまうやり方は、ファンを冒涜する行為である。そればかりか、公式戦終了後、プレーオフの 第1ステージ、第2ステージで日本ハム、ダイエーとの熾烈な戦いを勝ち抜いてきた、パ・リーグの西武に対しても失礼な行為である。

 日本シリーズとほぼ同じ時期に開催されるメジャーリーグのプレーオフは、公式戦終了後、2日間だけ間を空けて行われる。今季の場合は現地時間の10月3 日に公式戦が終了し、5日には地区優勝シリーズがスタートした。プロ野球のような、消化試合を半月、あるいは1カ月近くも続けることなどあり得ない。プ レーオフと公式戦の日程を重ねることなど論外である。

 サッカーの場合はもっと徹底している。W杯期間中、国際サッカー連盟(FIFA)と加盟各国のサッカー連盟は、他の大会を一切開催しない。だから、W杯 決勝戦の開催日は、草サッカーや地域大会を除けば、世界中で開催されるサッカーの試合は、W杯決勝戦だけになる。4年に1度開催されるメーンイベントに、 世界中のファンの関心を引き付けるためである。

 その年最高のイベントとなる試合と消化試合を重ねるなどという馬鹿げた日程を組んでいるのは、世界中のスポーツ界でも、恐らく日本のプロ野球だけである。

 横浜―ヤクルトの消化試合など誰が見るのかと思ったが、翌日付の新聞の記事によれば、この消化試合中の消化試合が行われた横浜球場には2万4千人が集まったとある。

 プロ野球では、各球団の財務状況は開示されない。選手の年俸、契約金は「推定」である。球場の入場者数も有料入場者数の実数は公表しない。端数なしの 「主催者発表」の数字である。プロ野球の入場者数は下駄を履かせるのが当たり前になっているが、それにしても信じがたい数字である。

 プロ野球はファンの声を無視する「殿様商売」を続けている。こんな消化試合に2万4千人も観客が集まるならば、殿様商売は今後も安泰だろう。しかし、近 鉄本社は年間40億円もの赤字補填に耐えられなくなったとして近鉄球団を「処分」した。パ・リーグは、リーグ自体が経営破綻状態にあるとしている。横浜、 ヤクルト両球団も赤字経営である。

 プロ野球のファン無視の姿勢はいろいろある。その最も極端な例が、1リーグ化を強引に推し進めた一部オーナーたちの動きである。彼らは、エンターテイメ ント産業に身を置きながらも、その意識はまったくない。ファンの声を聞くどころか、1リーグ化に向けての「市場調査」さえ行わなかった。

 そんな彼らだから、日本シリーズ開幕戦と消化試合を同じ日に行っても、それがファンを無視する行為だとは考えないのだろう。彼らの言う「球界改革」は建 前だけであるということを、この日程がはっきりと示している。球界内部からは、日程を改めようという声はでてこない。球界に「反省」という言葉は存在しな いようである。

 日本シリーズ開幕翌日付の朝毎読3紙をあらためてチェックしてみたが、ファン無視の日程を批判する記事は1本もみつからなかった。メディアもまた、本音 では時代遅れになった球界の殿様商売にお付き合いしているだけである。(2004年10月20日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年10月24日(日)ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男
「ブッシュが再選されなかったら、堀田さんは丸坊主ですね」

 昨年からブッシュが勝つといい切っているので、はずれた時は責任をとって「ボウズ頭になるしかない」というのが日本の知人の意見で、それにウンと頷いた。拙著『大統領のつくりかた』もブッシュ再選を前提として書いた。だが、心情的にはブッシュが敗れることを望んでいる。

 大手新聞社に勤務する友人は、「社内の記者が政局をはずしたら更迭もありうる」という。どうりで組織の記者は誰も勝者を予想しないはずである。選挙予想 が当たらなくとも11月2日夜になれば結果は判明するので、いまはバタバタとさわがず両陣営の最後の追いこみを眺めたい。

 10月14日からフロリダ州パームビーチに飛んだ。ここは4年前、バタフライ方式の投票用紙が問題となり、最後までもめにもめた郡である。今年はタッチ スクリーン式に替わったため、前回のような混乱は避けられそうだ。同郡の選挙管理委員会に足をはこんで、その機会をみてきた。利点は有権者がスクリーンを 触るだけで投票できて集計が簡単なことだが、欠点は前回同様、混迷を極めたときに票が「紙上」に残っていないため、再集計が困難なことだ。今年はフロリダ 州全67郡のうち15郡がタッチスクリーン方式をつかう。

 選挙のツボは両陣営ともにプロが掌握している。どういった活動をすれば得票につながるかは、彼らの生命線とでも言えるべき領域で、ワシントンの選対本部 だけでなくフロリダの地方選対でも確実に要点を熟知している。大局的な戦略も重要だが、「毛細血管」とでもいえる地方の運動員にどれほど「勝利」の意識が 漲(みなぎ)っているかで、有権者獲得数はちがってくる。

 パームビーチ郡のドブ板選挙のようすは25日売りの『アエラ』誌にくわしく書いたが、アメリカでは日本で禁止されている戸別訪問(公職選挙法第138 条)が認められているので、「ドア・ツー・ドア」の攻勢が両陣営ともみごとである。パームビーチのケリー選対本部はほぼ24時間オープンし、同郡の民主党 有権者をひとりも逃さないほどのキャンペーンを繰りひろげている。

 ケリー選対本部の広報官、ローリー・マモークスは大きな瞳をみひらいて快活にいう。

「戸別訪問はキャンバシングといいます。徹底的という言葉をさらに徹底させるかたちで民家を訪れています。この郡はかならず民主党がとりかえします。このオフィスだけで、ボランディアは毎日150人ほどきてくれます」

 キャンバシングはなにも選挙終盤だから行われるわけではない。予備選の激戦州でも、年頭からかなり過激にボランティアの運動員がドアをノックしてまわった。彼らの手元には全米の有権者リストがあり、道路1本1本をターゲットにするローラー作戦が繰りかえされている。

 ただ、ニューヨーク、カリフォルニア、イリノイといったケリーの「当確州」では今さらカネをかけてキャンバシングはあまり行われない。スイングステート に絞られる。それは夏の党大会以後、選挙が公営選挙になったため、無制限といえるほどのカネを使えないからだ。政府から両陣営に支給された額は7500万 ドル。
 
 その中でもっとも多く使途されるのはTV広告である。パームビーチのホテルで取材が終わって大リーグのプレイオフ試合を観ていると、コマーシャルはすべ てケリーかブッシュの広告といえるほど多数のネガティブ・キェンペーン広告が現れた。口について出る言葉は過激、激昂、激越、、、。

 4年前、ゴアとブッシュはそれぞれ12万本以上のTV広告を打った。その8割はネガティブ・キャンペーンである。今年は間違いなくそれをうわまわる。内 容は「ちょっとおかしいだろう」といえるくらいに攻撃的である。相手のあげあし取りと徹底した批判。それはすべてをネガティブにすることで、真実を幻想の なかに隠すような行為に思えてならない。だが、過去の数字をみると、批判広告を打ち返さないと支持率は確実に下降する。敵陣がやっている以上、こちらもや らないと食われて終焉、である。

 こうした勝つことだけにこだわる姿をみるかぎり、ケリー・ブッシュのどちらがイラクの国情を真に憂いて建国への手をかそうとしているかと問うたとき、私 には両者ともに「NO」という答えしか見えてこない。選挙終盤、フロリダで痛嘆を味わった。

 堀田さんにメールは mailto:hotta@yoshiohotta.com
 急がばワシントン http://www.yoshiohotta.com/
2004年10月23日(土) アメリカン大学客員教授 中野 有
 ワシントンに入り3年目の秋を迎えている。その間、イラク戦に猛進する力のアメリカ、イラク戦の泥沼化と反米主義が蔓延し一国主義と孤立化が進むアメリカ、そして大統領選を通じ保守とリベラルが見事に分断するアメリカを目撃してきた。

 アメリカには、本来、独立記念日の7月4日の自由と平等と民主主義のイメージがあり、世界をひきつける魅力を備えた国家である。しかしながら、国際政 治・経済・軍事・科学技術の分野を支配し、一極体制を構築したアメリカが、9・11同時多発テロの中毒症状と後遺症に悩まされるとは、誰が予測したであろ う。

 アメリカに対抗できる唯一の超大国は、中国であると多くの専門家が主張している。アメリカが西洋の代表であるとすると、東洋の代表である中国や日本との 関係において、どのような東西の調和が成り立つのであろうか。太平洋を挟む歴史的潮流を孫文、周恩来、鄧小平の偉業と70年前に鶴見祐輔が語る坂本竜馬の 視点を盛り込み考察してみたい。

 中国の上昇

 20年前の日本は、「ジャパンアズナンバーワン」としてアメリカから羨望される存在であった。まさに現在の中国は、かつての日本が経済的脅威をアメリカ に与えたような注目される存在であると同時に、中国はアメリカにとって戦略的競合国である。冷戦中のソビエトは、「悪の帝国」としてアメリカと勢力を均衡 する超国家であった。この20年の傾向として、経済不況から抜け出せぬ日本と冷戦に破れたロシアの地位が下降し、着実な経済成長を続ける中国と、冷戦に勝 利し覇権主義を強化しているアメリカの地位が向上した。米国と中国の2国が上昇し、日本とロシアの2国が下降した「二つの上昇と二つの下降」の国際情勢に ある。正確には、9・11の後遺症から抜け出せぬアメリカを中国が追い上げている状況である。

 このようにアメリカと中国が競合する状況において、両国の特徴を一つだけあげるとすると、世界で最も歴史の層が厚い中国と大国として最も歴史の浅いアメ リカとの温度差の関係である。中国の文明をひもとくと、世界最古の文明が7千年前に発祥し、儒教を生んだ周王朝(BC11―BC3世紀)、中国人の8割が 漢民族と考えるその礎の漢王朝(B.C3―A.D3世紀)、国内が混沌とする三国六朝時代(3―7世紀)、インド、アフガニスタン、朝鮮半島も支配下に入 れ、日本との交流を深めた唐王朝(7―10世紀)、最初の歴史文献を描いた宋王朝(10―13世紀),モンゴルに支配されマルコポーロが訪れ、九州まで来 襲した元王朝(13―14世紀)、西洋との交流を深めた明王朝(14―17世紀)、満人が支配し最後の王朝となった清王朝(17世紀―1911)。

 一方のアメリカは、1620年にイギリスから清教徒が信仰の自由を求めメイフラワー号で新大陸に到着し、その後、150年以上を経て1776年に独立国となったのがアメリカである。

 東西思想に精通した孫文、周恩来、鄧小平

 中国と台湾の両方から尊敬される人物は、建国の父、孫文である。孫文は、ハワイ、香港、マカオ、日本、ヨーロッパを翔ながら三民主義を掲げ、1911年 の辛亥革命を実現させた。アメリカ、日本、ヨーロッパに明るかった孫文は、東洋と西洋の思想を包括する「大アジア主義」を提唱した。孫文は日中提携による アジアの復興を訴えている。

「今後、日本は世界の文化に対して、西洋覇道の犬となるか、あるいは東洋の王道を守る干城となるか、日本民族として慎重に考慮すべきである」。これは1924年の神戸女学院における孫文の講演の要諦である。

 孫文を始め中国の歴史を変えた人物、例えば周恩来や鄧小平は東西の思想と文明に精通している。毛沢東の右腕として外交手腕を発揮した周恩来は、東京とパリの留学経験を持つ。

 60年代の中国は、北はソビエトと国境で紛争を起こし、東は、アメリカが防衛する朝鮮半島、そして台湾問題で敵対し、南はベトナム戦争、西はインドと国 境紛争の最中にあった。中国と親交のある国は、アルバニア、北ベトナム、アフリカの数カ国という四面楚歌の状態であった。

 このような状況の中、アメリカとの国交正常化のために貢献したのは、日、仏、独、英に滞在した経験を持ち、アフリカを歴訪した周恩来である。周恩来は、 米ソ中の関係において、ソ連を中国の危険因子と考えた。米ソの冷戦構造の最中、1971年にキッシンジャーが訪中し、米中の共通の利益の合致点、すなわち 対ソ政策による「中国封じ込め政策」の放棄、アメリカのベトナム戦争の泥沼からの脱出、中国の孤立化の打開、中国の国連加盟が話し合われ、翌年のニクソン の上海コミュニケでそれらが実現されるのである。

 米中の外交の共通の利益の合致点を見いだしたキッシンジャーと周恩来のピンポン外交は、まさに東西文明の調和である。「ニクソンショック」の影響で日中 国交回復が実現されたが、日米同盟という固い絆があるにも係わらず日本と協議なしで米中が接近したという事実は、今日の朝鮮半島問題の教訓とすべきであろ う。

 鄧小平は、モスクワとパリの留学経験を持ち、毛沢東の後、中国の近代化路線と改革開放政策を成功させた。特に、1989年の天安門事件後、人権問題を理 由に西側諸国が経済制裁を強化する中、 鄧小平の相互信頼と協調を重視する穏やかな外交で、日中関係の重要性を基軸に経済交流を推進し、中国の着実な経済 発展を実現させた。鄧小平は、日本の経済発展を賞賛すると同時に、日本に対し日本のすぐ近くに世界でも最も貧しい国があることを忘れないで欲しいという主 旨のことを歴史の諦観として語ったのである。その後、日中の経済交流が勢いを増したことは言うまでもない。

 孫文、周恩来、鄧小平に共通するのは、世界を翔けながら東西思想に達眼したところにある。当時の日米仏露には、中国の人物を受け容れ育む土壌があった。 中国の偉人との交流は外交、安全保障の観点からも東西の交流が如何に重要であるかを示した最高の例であろう。戦前の日本には、人物を育てる意味での人間の 安全保障が存在していたことが考察できる。

 70年前に鶴見祐輔氏が考察した竜馬の思想

 歴史を学ぶ最善の方法は、本人直筆の論文から現場を経験した行動に伴う思想やビジョンを読みとることである。そこには教科書や抽象的一般論からは得るこ とができない歴史の潮流が潜んでいる。70年前に出版された非常時国民全集の中に鶴見祐輔氏の「世界外交の危機1936年」という50ページにわたる論文 がある。これを古書店で見つけた。その結びに竜馬が登場する。論文の結びだけが小説風である。この傑作を以下できる限り原文にそって要約する。

 懐手をして海を見ていた男が、くるりと後ろを向くと、「どうだ、おもしろい世の中になってきたね」と爽快な南国弁で大きく言った。どこか見たことのある顔だ。そう、坂本竜馬だ。

「ほう、お手前もそのことを考えていたのか」と、これは歯切れのいい江戸弁だ。勝海舟だ。

「もう一遍桂浜に帰りたいなあ。我々はちと早く生まれすぎたな。あの時分は、ご一新と言っても、なにしろ舞台が小さかった。それがどうじゃ。今度は世界が 相手、徳川でも新撰組でもない。相手は世界の一等国ばかりじゃ。この大きな舞台に出て潮に乗る今の若い奴等がうらやましい。 

 1936年は単純な海軍競争でも陸軍競争でも、一国と一国の争いでもない。全世界の根本的見直しの序幕じゃ。上手な作者は、序幕を先に書きおらん。まず 一番おしまいの第5幕を書き下ろす。つまり、どう幕切れを付けるか芝居のねらいどころじゃ。日本民族の千年後の結論をどこに持っていくか、それが大切なの じゃ。

 日本民族の大仕事は、太平洋文化の建設じゃ。東洋と西洋の文化を悉く取り入れて、日本精神をもってこれを大きな新しいものに作り変える。それが日本民族 の運命・使命なのじゃ。日本は東洋でも西洋でもありはせん。日本は日本なのじゃ。だから東洋と西洋とを我が大腹中に包み込む気迫がなくてはいかん。

 ポスト9・11の国際秩序の再構築がスタートした。日本はアメリカに追随することも、中国のパワーに飲み込まれてしまってもいけない。西洋や東洋といっ た垣根を乗り越え、アジア太平洋といった平和のパシフィックにアメリカと中国を包み込むことが大いなる日本の外交の良策となるであろう。東西の交流を基軸 としながらアメリカと中国を調和させる太平洋文化の建設こそ日本の道であると確信する。

 中野さんにメールは mailto:tomokontomoko@msn.com
2004年10月21日(木)萬晩報通信員 園田 義明
 ■南満州鉄道とユーラシア大陸横断鉄道とハリマン事件

 太平洋戦争の最も近い原因は、満鉄線での張作霖爆殺(1928年6月)と満鉄線を爆破した柳条湖事件(1931年9月)に発する満州事変である。満州事 変前の旧満州では、日本、ロシア、米国、中国を中心とする4カ国が、鉄道権益をめぐって覇権争いを展開していた。太平洋戦争勃発の原因を探っていくと、こ の南満州鉄道(満鉄)に行き当たると指摘する声がある。

 ロシアはハルビンから旅順へ南下する支線も敷設したが、日露戦争の結果、この支線の長春以南を日本が獲得、そして南満州鉄道が生まれた。セオドア・ルー ズベルト大統領が日露講和の調停を果たしたのも、J・P・モルガン・グループとクーン・ローブ・グループへの配慮から旧満州の鉄道権益に割り込もうとする 狙いがあったからだ。

 そして、1905年9月、鉄道王として知られたユニオン・パシフィック鉄道のエドワード・H・ハリマン(W・アヴレル・ハリマンの父)がクーン・ロー ブ・グループの代表として日本を訪れる。目的は日本政府との間に南満州鉄道の共同経営に関する合意によって、ユーラシア大陸横断鉄道を実現させるためであ る。しかし、10月13日の離日の際にハリマンが手にしていたのは正式調印ではなく覚書だけである。そして、その覚書も10月27日には日本側からの電報 一通で破棄される。 

 ハリマン率いる米国との共同経営賛成派には元老の井上馨、国際派財界人の渋沢栄一らがいたが、「血を流して手に入れた満州の権益を米国に売り渡すことはできない」という外相小村寿太郎らの反対で実現に至らなかった。

 ■高橋是清とクーン・ローブ・グループの怨念

 このハリマン事件の背景には高橋是清が深く関わっている。この前年、欧米列強と肩を並べることを夢見た日本は戦費のメドも立たずに日露戦争に臨んでい く。そして、元老の松方正義、井上馨の命を受け、ロンドンへ目標額1000万ポンドの資金調達の旅に出たのが、当時日銀副総裁であった高橋である。高橋は 外債発行によってシティーから500万ポンド、シティーで得た知己をもとに米国から500万ポンドを調達することに成功した。

 この米国から500万ポンドを引き受けたのがドイツ系ユダヤ人のジェイコブ・シフに率いられたクーン・ローブ・グループである。そして、この引き受けの 理由にはユーラシア大陸横断鉄道への目論見もすでに存在していた。しかし、シフと親密な交流を結んだ高橋の配慮も虚しく、電報一通で彼らの野望を打ち砕い たのである。

 日露戦争を勝利に導いた恩人であるクーン・ローブ・グループに対する理不尽な事件として、日本では感情論的に解釈されてきた。そして、一部の狂信的な識者達によって、この事件こそが太平洋戦争勃発の原因であると語り継がれてきた。

 そして、このハリマン事件こそがトラウマとなって現在の日本の外交政策を縛り付けている。国益か国際協調かの岐路に立たされた時、必ずこのハリマン事件が教訓として引き合いに出される。

 イラク戦争では賛成と反対とで国際社会が分裂する中で、国益重視の立場から米国・英国協調の道を選択した。ブッシュ大統領やチェイニー副大統領の背後にあるクーン・ローブ・グループの長年の怨念に畏れおののき、太平洋戦争の悪夢が蘇っていたのだろう。

 また、日本が中国に接近し始める時にも必ずハリマン事件が登場し、その教訓は中国を中心とするランド・パワー・アレルギーを生み出した。日本は今なお「中国に手を出せば、また欧米にやられる」との恐怖から解き放されていない。

 ■日本の国家戦略上の重大な失敗

 このハリマン事件に関する著作『満州の誕生 日米摩擦の始まり』を書いた久保尚之は、ハリマン帰国後の1905年11月27日成立の第五回目外債発行に 対して、申し込み倍率の低下はあるものの米国銀行団が応じたことを示しながら、ハリマン事件が米国金融界を激怒させたわけではないと指摘している。

 また、ハリマン事件の背景にはJ・P・モルガン・グループとクーン・ローブ・グループの中国市場をめぐる熾烈ななわばり争いが存在しており、J・P・モ ルガン・グループの工作こそがハリマン事件の真相であった可能性すらある。いずれにせよ、彼らはあくまでもビジネスを主眼としており、日本的な感情論で解 釈すべき問題ではない。

 結果としてみれば、1907年の恐慌を契機としてJ・P・モルガン・グループの産業部門と金融部門における圧倒的な支配力が確立され、国務省に人脈を拡 げながら、対外活動における米国の「ドル外交」の推進役となった。そして、宿敵であるクーン・ローブ・グループを自らの補助役に収める一方で、中国市場の 再分割運動に乗り出すことになる。

 J・P・モルガン・グループが世界を席巻していく中で、日本でも井上準之介とJ・P・モルガンのトマス・ラモントの関係が確立されていくが、日本政府は恩義のあるクーン・ローブ・グループに特別な配慮を示していた。

 確かに、中国という地政学的な重要性から、日本がハリマンの提案を受けていたら、二十世紀、そして二一世紀の「世界の歴史」は変わっていたかもしれな い。しかし、日米英の協調関係ができることはあっても短命で終わっていた可能性が高く、太平洋戦争を踏み台にして米国の世紀が大きく前進した以上、日米破 局は避けられなかったと見る方が的を射ている。

 これは、地政学的な分析から、開戦に先立つ35年前の1906年にはルーズベルトも関わった対日戦争戦略計画としての「オレンジ・プラン」が策定されて いたことや、原爆の開発・製造自体がドイツか日本に投下するためではなく、当初から日本のみを標的としていたこと(岩城博司『現代世界体制と資本蓄積』に 詳しい)からも明らかであろう。

 日本としては、白人以外の国で、かつキリスト教国ではない国、そして新型兵器の開発に結び付くほどの強国を他に見出して、米国にぶつける方法も存在した かもしれない。しかし、当時の中国もしたたかな外交を繰り広げており、中国の方が上手だった。これこそが日米破局の原因のひとつである。

 それにも関わらず、せっかく築いた数少ない国際派人脈としての高橋是清=ジェイコブ・シフ・ライン、そしてそれに続く井上準之介=トマス・ラモント・ラ インを、軍部による暗殺という原理主義的な手段を用いて、自らの手で断ち切った。国家戦略上の失敗をあげるとすれば、まさにこのことを問題にするべきだろ う。

 ■岡崎久彦系人脈のトラウマとしてのハリマン事件

 イラク戦争における米国への支持を再三訴えた岡崎久彦が次のように書いている。

「あの時に日本がハリマンの提案を受けていたらば、二十世紀の歴史はまるで変わっていたでしょう。アメリカの極東外交は、単なる領土保全、機会均等という お経だけでなく、日本をパートナーとして共同で満州経営を行う形をとり、また日本では、伊藤(博文)が健在だった時でもあり、第一次大戦の国際情勢の中 で、対露、対支政策について、日米英の協調路線ができていた可能性は小さくありません。」(2002年5月1日付産経新聞朝刊)

 また、藤岡信勝は教育専門誌に書いた連載講座の一編である「『戦略論』から見た日本近現代史」で、『明治期の東アジアのパワーバランスの側面から日露戦 争をとらえつつ、戦勝後に米国の鉄道王ハリマンが提案した南満州鉄道の共同経営を拒否したことを重視している。日英同盟の選択は、与えられた戦略的環境の もとで日本にとっての「最適解」だった。しかし、満州経営に米国を加えておけば、その後の日米破局を回避できたという意味で、ハリマン提案拒否は日本の国 家戦略上、重大な失敗だった。』と書いている(1995年12月1日付産経新聞朝刊)。

 この岡崎久彦と藤岡信勝の名前から、「新しい歴史教科書をつくる会」、チャンネル桜、産経正論につながる人脈が浮かび上がり、この人脈から宗教的な団体 を見出すことができる。日本におけるユダヤ=イスラエル・ロビー的な役割を演じている「原始福音・キリストの幕屋」の存在である。

 これは、米国キリスト教右派とユダヤ教との同盟ネットワークが世界的な規模で拡大し、日本の保守勢力にまでその影響が及んでいる可能性を示している。そして、イラク戦争はまさしくこの不気味なネットワークの存在を見せつけるものとなった。

 イラク戦争における日本の米国追従姿勢も、ハマコーこと浜田幸一のように「米国の秘めたる凶暴性を原爆という手段によって経験したからこそ、今はまだ追 従するしかないのだ。」とはっきりと言い切ってしまえば説得力もあった。しかし、この岡崎系人脈の中にはこう語る人もいるかもしれない。

「ハリマン事件でユダヤ系を裏切ったために太平洋戦争に巻き込まれた。従って、イラク戦争でもイスラエルと同盟を組むユダヤ系ネオコンを裏切れるわけがない。米国追従あるのみだ。」

 確かに高橋是清はユダヤ人脈を最大限に利用した。この点でこうした岡崎系人脈の主張も一理ある。しかし、今や米国同様にユダヤ人も真っ二つに分裂している。

 ブッシュ政権を強く批判してきたジョージ・ソロスは、ついにチェイニー副大統領を「大統領の背後にいる正真正銘の悪魔だ」と非難している(10月12 日)。このソロスの存在こそがユダヤ人が分裂している証であり、こうした岡崎系人脈の主張があるとすれば、バランスを欠いた原理主義的なものと言わざるを 得ない。

 無関心が原理主義を助長する。そして今再び日本はかつてない危険地帯に足を踏み入れているように思えてならない。

  園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年10月19日(火)萬晩報通信員 成田 好三
 今年1月の近鉄球団の命名権売却問題に端を発し、近鉄・オリックス両球団の合併問題、合併凍結を求める選手会のスト、スト回避をめぐる労使交渉、選手会の勝利に終わった交渉結果を受けての新規参入に名乗りを挙げたIT企業2社に対する参入審査――。

 猫も目のようにめまぐるしく動いてきたプロ野球再編問題は、日本プロ野球組織(NPB)による、ライブドア、楽天に対する参入審査の段階に移り、一応の方向性が見えたかのようだった。

 そんな時期に、球界に2つの「激震」が走った。ダイエー球団の親会社である巨大スーパー・ダイエー本社が自主再建を断念し、公的機関である産業再生機構 への支援要請を決定した。さらに、西部球団オーナーである堤義明氏(西武鉄道グループ総帥)が、西武鉄道の有価証券申告書に記載したコクド保有株の過少申 告の責任を取るとして、グループ全役職の辞任を表明した。ともに9月13日の出来事だった。

 ダイエー本社の再生機構への支援要請は、1リーグ化を推し進めてきた渡辺恒雄・読売巨人軍前オーナー、宮内義彦・オリックス球団オーナー、堤氏にとって は、遅すぎた決断だった。再生機構への支援要請を前提にして、ダイエー球団とロッテ球団の合併を目論んでいた彼らにとっては、自主再建をめざして金融庁と UFJなど主力3銀行と大立ち回りを演じた末の、ダイエー本社の高木邦夫社長の決断は、あまりに遅すぎた。

 しかし、国家管理体制に入ったダイエー本社が、来季の開幕時点はともかく、将来にわたってダイエー球団を保有し続けることは、あり得ない。実質的に破綻 した企業が、赤字の球団を保有し続けることなど、許されるはずはない。球界再編の1つ目の「時限爆弾」は、カウントダウンの段階に入った。

 堤氏の全役職辞任(西武球団オーナーは日本シリーズ終了後)は2つ目の巨大な時限爆弾である。西武鉄道グループが西武球団を保有(実際には西武鉄道の親 会社であるコクドが保有)する理由は、既になくなっている。近鉄本社が近鉄球団を保有する理由がなくなったのと同様である。

 私鉄会社が沿線開発と鉄道利用客の増大を目論んで球団を保有する戦略は、既に過去のものになった。しかも、西武鉄道の株は、堤氏の全役職辞任の理由と なった有価証券報告書の過小申告により、東証の「管理ポスト」に移っている。仮に上場廃止となった場合、西武鉄道グループの経営は致命的打撃を受けること になる。東証の調査などによって、非上場企業であるコクドを親会社とし、上場企業を含む多数のグループ企業を支配する堤氏の経営実態に法的なメスが入れ ば、影響はさらに拡大する。

 西武鉄道グループの西武球団保有の理由は、既に西武鉄道ではなく、堤氏自身のためのものになっている。JOC初代会長を務めるなど日本アマスポーツ界の 「ドン」であった堤氏が、プロスポーツ界に橋頭堡を築こうとして買い取ったのが西武球団である。その堤氏がJOC名誉会長などアマスポーツ界の役職の辞任 も申し出る。長野五輪誘致をはじめ堤氏頼りで運営してきたアマスポーツ界は、懸命に辞任撤回を求めるだろう。

 仮に堤氏が慰留に応じたとしても、アマスポーツ界における堤氏の絶対的な地位は、今回の辞任表明によって大きく変化することは間違いない。堤氏自身に西 武球団を保有する理由がなくなってしまえば、西武球団を解散するか、売却するか、あるいは近鉄球団のように合併するしか、選択肢はなくなる。

 球界再編の動きは、現在行われている新規参入審査、その結果としてライブドアか楽天の、来季からの参入球団決定によって終わるものではない。近鉄の命名 権問題から1リーグ化による球団縮小への動き、その揺り戻しとなった新規参入へと至る動きは、球界再編の前ぶれでしかない。ダイエーの再生機構への支援要 請と、堤氏の全役職辞任という2つの時限爆弾を抱え込んだ野球界には、今後さらに強烈な激震が走るだろう。

 それは当然のことである。戦後50年以上も「国民的人気スポーツ」という特権的な地位にあぐらをかいてきた球界は、時代に対応せず変化を拒んできた。球界の大きなひずみは、1球団の新規参入などで解消できるようなものではない。

 何ごとでも、変化は徐々にゆっくりとしたペースでは起こらない。変化はいつも、ダムの堰が一瞬にして崩れるように、そして地震がそうであるように、溜ま りに溜まったエネルギーが爆発的に噴出する形で起きるものである。(2004年10月16日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年10月12日(火)

 ■独り言です  大阪で心を傷めている上本保彰

私には経営者関係の問題についての理解は能力的に無理ですが、昔野球少年として夢を抱いていた一フアンの独り言を少し書かせていただきます。

5歳の時に、広島の原爆に遭って多くの親戚や知友を失いました。ドームから13㎞離れて田舎の百姓屋に生まれ育ったものの、あの強烈な閃光と轟音は今も鮮明に残っています。

その数年後に「広島カープ」が誕生しました。小学から中学にかけて、古自転車でガタガタ道をパンクを恐れながらも、2時間近くかけてカープの応援に行きました。嬉しくて嬉しくて...。

球場の玄関に樽が置かれていて、ポケットにある一円玉や五円玉を投げ入れて、カープの勝つこと祈ったのです。でも、負けることが多くて、帰りの自転車のペタルが重かったものでした。

幸い、私は恵まれて中学校の軟式野球と高校の硬式野球部で捕手をしました。高校二年時にプロのスカウトが来て、「君の打撃は良いが、背がもう5㎝ないと...」と言われ、169㎝の私はプロの道を諦めました。

私は現在64歳になりました。過去には生命に関わる病気もしましたし、精神的に逃げ出したい苦しい思いもしましたが、あの恐ろしい「ピカドン」と大好きな「カープ」が私をいつも救ってくれるのです。

私は心の中では「カープを育て、カープに育てていただいた」と思っているのです。プロ野球フアンの殆どの人はその様な心境だと思います。自分で言うのは厚 かましいですが、こんな純粋な気持ちを持っているプロ野球フアンの気持ちを踏みつけないでいただきたいと思っています。

 ■労働組合とオーナー達  みのしま

オー ナー達は高裁の判決が出た後も、高額年俸を取っているから労働組合ではないといっている人もいましたけど、日本球界よりはるかに高額なメジャーですら何回 もストライキを認めている現状をどう考えているんだろうか。ファンが選手の高額年俸を嫉妬して、オーナー側にでもまわるとでも考えたのだろうか。しかし、 いまだに阪神オーナーがライブドアに保証金に100億出せと言ってみたり、なんだかストライキの心配がなくなったシーズンオフに近鉄つぶしてそのままに なってしまわないだろうか。心配だ。

 ■マスコミよ、「ファン、ファン」と絶叫する勿れ 匿名

近 鉄・オリックス合併問題では地裁も高裁も選手側敗訴の判決が出したにもかかわらず、あたかも経営側が失態を演じたようなマスコミ報道はおかしい。マスコミ は「ファンのため」という錦の御旗を掲げて経営側を非難しているが、それはプロ野球がなくなっては自分達の商売が立ち行かなくなるからであって、決して 「ファンのため」ではないだろう。

「合併の1年間凍結」などという太平楽は自分の財布が傷まない側の言い分であって、現実的ではない。40億円の赤字を消すのは経営の問題とは必ずしも言え まい。その解決策はファンが球場に足を運ぶ以外にない。しかしファンは大阪球場に足を運ばないだろう。何故なら近鉄の試合なぞ何の魅力もないからである。

人間というものは「価値のない」ものに金を払うことはしないものである。かつて帝国陸海軍華やかなりし時代、「貧乏少尉にヤットコ中尉」という言い回しが あったほど将校の俸給は安かった。当時の国民は「役立たず」の軍将校に高い給料を払わなかったのである。近鉄の選手は役立たずであるにもかかわらず、破格 の年俸を取っている。これが40億円の赤字の原因である。こういうチームは即刻廃止すべきである。

2千年前、衰亡期のローマ帝国市民は「パンとサーカス」を為政者に無償で要求したが、現代のプロ野球ファンも似たようなものである。茶の間に寝そべりなが ら無償の娯楽を求めている。マスコミよ、「ファン、ファン」と絶叫する勿れ。

 ■見識疑う球団数削減  辰見 根音

私 は、今回、近鉄=オリックスの合併問題に端を発した、球界再編問題は、「構造改革」でも何でもなく、「野球界」という旧態依然のピラミッドに胡坐をかいて 来た球団と選手たちの驕りと弛み故の産物だと見ています。 サッカーがJリーグでの初期の失敗から立ち直り、野球人気を凌駕しようという時に、なぜ、球団数削減なのか!?見識を疑います。

国民スポーツの象徴として、復権できるかどうか!?という時なのです。 やるべき道筋は簡単に見えています。①野球界の組織の位置付け(格付け)の再編:正しいリストラクチャリング②底辺拡大のため、民・自治体・教連合でカリ キュラムを作る③同時に、多様な「進学」ルートを創設し、新球団も招聘する④アジアリーグの創設と大リーグとの位置付けを明確化する⑤W杯よりも、コン フェデーレーション・カップ(五大陸リーグ)を推進する。

北米の雄:アメリカと南米の雄:キューバを筆頭に、アジアの覇者:日本に欧州の兵が集い、アフリカからチームが育って来たら、サッカー並みの人気になるとは思いますが...野球は近代スポーツなので、これからです。

 ■12球団すべて身売りして  瀬戸 啓輔

今 回のプロ野球再編についてですが、今週末のストは避けられないと思います。この際、セもパも解体してゼロからやり直すべき時にきていると思います。経営陣 の対応には腹が立ちますが、今の世の中、自分の都合しか考えない人間がこの日本を引っ張ってきたのですから仕方ない結果だと思います。この際、12球団す べて身売りして野球が好きな経営陣に経営をさせればいいのだと思います。(理想論ですが)

任天堂がマリナーズの株主であるように、いわゆる外資系企業に入ってもらって今よりも風通しを良くして今回の騒動をいい教訓として立ち直って欲しいもので す。アジアリーグを立ち上げようなんて、論議がありますが無理だと思います。前にも書いた通り、自分の都合しか考えられない経営陣が国際的な経営ができる とえません。

今回のようなやり方ではアジアの人たちからも信用がなくなります。それは、日本の恥というものです。アジアリーグを考えるならもっと国際感覚が必要になりますからね。
2004年10月11日(月)萬晩報通信員 園田 義明
 ■鉄道業と欧米エスタブリッシュメント・ファミリー

 クエーカーが英国で切り拓いた鉄道業は、その特徴であるファミリー・ネットワーク(クエーカー家族間の強力な結合関係)に基づく情報交換機能をロスチャ イルド家などの欧州のエスタブリッシュメント・ファミリーに率いられた国際金融資本によって踏襲されつつ、各国政府と一体になって帝国拡大の中核を担って いく。

 米国では、クエーカーが切り開いたペンシルベニア州を中心に巨大な鉄道網が登場し、その莫大な投資額ゆえに金融機関と密接に結びつき、金融資本の形成に 決定的な影響を及ぼした。鉄道網の拡大は国内市場の活性化に寄与しただけでなく、鉄鋼、石炭、そして石油などの諸分野と密接に結びつきながら資本集中の時 代へと向かわせた。

 そして、現在につながるビッグ・リンカーの権化たる米国のエスタブリッシュメント・ファミリーが続々と登場することになる。急速に力を付けた米国勢は、 欧州国際金融資本との間で協調と対立を繰り返しながら、世界へと乗り出していく。その様子をペンシルベニア鉄道から見ていきたい。

 なお、前章で取り上げたスウィージーは米国資本主義に占める鉄道業の特殊な地位を重視することで、総合的な観点にからの銀行と産業の結合、重工業の独占 形成研究を大きく前進させた。しかし、スウィージーの投資銀行業に関する事実認識が誤っていたために近代的な金融機関の登場を見落とす結果を招く。

 このスウィージーの誤りを指摘しつつ、米国の鉄道業と金融機関との関係を膨大な資料をもとに解明し、世界的な評価を得たものに呉天降の『アメリカ金融資 本成立史』(有斐閣)があげられる。この『アメリカ金融資本成立史』と呉天降の日本証券経済研究所論文(『証券研究』他)を中心に、故松井和夫『現代アメ リカ金融資本研究序説』(文真堂)、松井と西川純子の『アメリカ金融史』(有斐閣選書)、 ビクター・パーロの『最高の金融帝国』(合同出版)などを参考にしながら、独自の見解を加えて歴史を紐解いていきたい。

 ■ペンシルベニア鉄道とアンドリュー・カーネギー

 留学中の日本のクエーカー人脈が集う「グランド・セントラル・ステーション」となっていたメアリ・H・モリスの夫、ウィスター・モリスが取締役を務めたペンシルベニア鉄道は、1847年にペンシルベニア州政府によって設立されたが、57年に民間に払い下げられた。

 民間企業となったペンシルベニア鉄道は州内の重工業と協調関係を築きながら、南北戦争後に急速な発展をとげる。1890年までに株式所得や合併等の手段 によって有力系列会社を次々と傘下におさめ、1万マイルを越える広大な鉄道網を有し、1890年における資産総額は10億ドル以上に達した。その資金は 1870年まで社債のほとんどをヨーロッパ市場での直接売り出しで調達し、国内の引受団による社債引受が盛んになった70年以降も特定の金融機関にたよら ず公開入札制度を採用しつづけた。

 1880年代には、ロックフェラー率いるスタンダード石油が東部幹線鉄道間の競争激化を利用し、東部各社に石油輸送に関する巨額なリベートを強要した時には、ペンシルベニア鉄道はスタンダード石油の競争企業を後押しし、スタンダード石油に挑んだ企業としても有名である。

 このペンシルベニア鉄道の社員から代理人に転じてヨーロッパに渡り、社債発行交渉に当たっていたのが鉄鋼王と知られるアンドリュー・カーネギーである。 カーネギーはこの交渉で多額の手数料を手にして、カーネギー・スティールの設立資金の一部となった。当時のペンシルベニア鉄道のエドガー・トンプソン社長 も個人的にカーネギー・スティールに出資しており、ペンシルベニア鉄道とカーネギー・スティールは密接な人的結合を維持しつつ鉄道資材の取引を拡大し、 カーネギー・スティールは1890年初頭にはイリノイ・スティールに次ぐ米国2位の鉄鋼企業に成長する。

 なお、ペンシルベニア鉄道はカーネギー・スティール以外にも当時米国4位のペンシルベニア・スティール(1867年設立)とも深い繋がりがあったほか、 ペンシルベニア州内にはラカワナ・スティール(3位)、キャンブリア・スティール(5位)、フィラデルフィア・スティール、ジョンズ&ラフリン・スティー ルなど当時を代表する鉄鋼企業が集中していたのである。

 ■2大金融グループの台頭

 しかし、1893年恐慌は鉄道業を直撃し、その余波は鉄鋼業などにも拡大する。そして、その再編に絡んで2大金融グループが台頭することになる。J・P・モルガン・グループとクーン・ローブ・グループの登場である。

 J・P・モルガンはファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークとミューチュアル生命と再建シンジケートを組んで、倒産したリッチモンド・ター ミナル鉄道を契機に、エリー鉄道、フィラデルフィア・アンド・レディング鉄道、ノーザン・パシフィック鉄道などの救済に乗り出し、再建が成立したときに は、経営陣に人を送り込むことで人的結合をはかり、取引銀行として金融面を取り仕切る体制を確立していく。

 そしてモルガンの触手は鉄鋼業全体に拡大し、1898年にフェデラル・スティールを設立、そして徹底抗戦するかに見えたカーネギー・スティールをも飲み込んで、1901年にU・S・スティールを設立させる。

 このモルガン・グループに対抗して結成されたのがドイツ系ユダヤ人のジェイコブ・シフに率いられたクーン・ローブ、ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨーク(現在のシティーグループ)、エクィタブル生命からなるクーン・ローブ・グループである。

 1893年にはポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが主演した「明日に向かって撃て!」に登場したユニオン・パシフィック鉄道が破産状態に 陥った直後に、モルガンが再建を試みて失敗したことから、クーン・ローブにチャンスが回ってきたのである。ユニオン・パシフィックの再建に成功したクー ン・ローブ・グループは15名からなるユニオン・パシフィック取締役会にジェイコブ・シフ本人も含めた5名を送り込み、実質経営権を掌握する。

 この時にユニオン・パシフィックのハリマン家とクーン・ローブとの協力関係が構築される。このクーン・ローブ・グループは当時最強のペンシルベニア鉄道に対しても、バルチモア・オハイオ鉄道統合をきっかけに、関係を深めていくことになる。

 ■鉄道に関わるトラウマと日米今昔物語

 このクーン・ローブ・グループは、モルガン家に敵愾心を抱くエスタブリッシュメント・ファミリーを結束させることになる。ナショナル・シティ・バンク・オブ・ニューヨークを通じて合流したのがスタンダード石油のロックフェラー家である。
 
また、拙著『最新アメリカの政治地図』(講談社新書)で描いたように、イエール大学の名門クラブとして知られるスカル・アンド・ボーンズでハリマン家の W・アヴレル・ハリマンと出会い、その縁でハリマン家の投資銀行W・A・ハリマンと後のブラウン・ブラザーズ・ハリマンのパートナーに迎えられ、基盤を築 いたのがプレスコット・ブッシュ、つまり、現ブッシュ大統領の祖父である。ハリマン家に見出されたのがブッシュ家であった。

 そして、これも『最新アメリカの政治地図』に記したが、チェイニー副大統領はかつてハリマン家とクーン・ローブ・グループが支配したユニオン・パシフィックの社外取締役を務めていた。

 J・P・モルガン・グループの攻勢によって一時は衰退したかに見えたクーン・ローブ・グループが、ブッシュ政権そのものとなって、ハリマン家のユニオン・パシフィック鉄道の延長上に群がるかのように蘇っていたのである。

 一方でクエーカーが移植された日本でも鉄道会社(国鉄、西鉄、阪急、南海、近鉄、そして現存の阪神、西武)が公益的企業としてプロ野球をも支えてきた。しかし、野球自体の人気のかげりが象徴するかのように、過去例を見ない巨額な財政赤字に苦しみ破綻同然となっている。

 鉄道業や読売グループなどのプロ野球に代表される日本のエスタブリッシュメント達は、クーン・ローブ・グループの血を引くブッシュ大統領やチェイニー副 大統領をかつてのジェイコブ・シフと重ね合わせ、クラブを通じて彼らと親交を結びながら人脈の必要性を説いた高橋是清の亡霊に取り憑かれているかのよう に、ブッシュ政権に対して手を合わせ拝み続けている。

 この理由は鉄道に関わる米国に対するトラウマにある。高橋是清が関わったこのトラウマが今なお我々日本人を縛り付けているのである。

 J・P・モルガン・グループとクーン・ローブ・グループの二大勢力の鉄道をめぐるなわばり争いは米国内にとどまらず、欧州列強に対抗すべく世界へと向け られていく。その渦中に日本も巻き込まれ、トラウマの源としての事件が起こる。それがハリマン事件であった。

  園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年10月09日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 ■興銀マンの臭いがぷんぷんと  K Ishio

「球 界再編」と言っていいかどうか、今回の球団側と選手会との闘いは、そもそも球界に全くの関心がなかった私にも、思わず記事に目を通させることになったでき ごとだった。ナベツネ氏の「たかが選手」発言と、買収に名乗り出たライブドアの社長を「どこの馬の骨か分からん奴」(と言ったかどうか、そういうニュアン スであった)発言に「へー、球界ってそんな世界だったの?」と思わず口走ってしまったものだ。

実に「驚いたナー、モー」だった。そして、さらにイケスカナイという気がしているのは、ライブドア潰しのためなのか、財界人をバックにして出てきた楽天の 三木谷氏。日本興業銀行はいまは昔の銀行であるが、三木谷氏の雰囲気にはやはりかつてのエリート意識丸出しの興銀マンの匂いがふんぷんとする。金融再編 で、とにかく興銀の姿が見えなくなったと「ほっ」としていたら、こんなところにまた顔を出すか。大が小を飲み込んで、ビッグバンが展開された金融界、「球 界再編」の動きも私にはなにやら同じ顔に見えるのだが・・・。

アフガン攻撃に始まった米国の中東地域への侵略戦争の展開は、「正義がなくとも強いものが勝つ21世紀」という恐ろしい時代を迎えたという感じがして、心 底暗い日々を送る私だったが、今回の選手会のストに対して「野球は見たいが、選手会を支持」といったファンたちの姿を見て、健全な日本人が存在していたの だ、との思いがした。久方ぶりに「ほっ」としたできごとだった。

 ■議論がない「何のために存在するのか」  村井

今 回、イチローの記録映像が何回も流れましたが、誰も相手のピッチャーやベンチが記録防止(あからさまな四球とか)をさせておらず、普通に勝負していまし た。そこには、人種/出身国の差別はなく、全て大リーガー選手の一員としてのイチローとの対戦でした。日本のストや合併問題で、一番感じる事は、何の為に 「プロ野球」は、存在するか?の議論がありません。単なる会社の、宣伝物の1つして始まった「プロ野球」が、70年が過ぎた現在も、相変わらず親会社から 独立した存在になっていません。経営者側が、どうしたら存続出来るか?利益を挙げる事が出来るか?を考えた時、大リーガーは、どんな方法で対応してきたか を、考えれば、今回のような事態にはならなかったような気がします。

オーナーと言っても、自前のお金でオーナーになっている人達なら兎も角、サラリーマンのオーナーでは、全く出発点が違います。選手は、一年契約の自営業者 なのですから、自分の費用で代理人を選んでも、問題無いと思いますし(自分の会社の裁判には弁護士を選ぶのと同じ事と思うが)、外人枠なんて作る事事態 が、日本選手の、大りーグでプレ-をしたい日本の多くの若者の、夢を壊しています。イチローや松井の活躍を機会に、お互いの交流をもっと手軽にする事で、 変わって欲しいと思います。

 ■毎日の台所事情?  カバサワ こうじ

何 事も中身が大事だ。が、一般紙の中身はほぼ同じだから、そのページ数を比較することが許されてよい。ページ数ナンバーワンは、読売、対しもっとも薄いのが 毎日。配達員にもっとも多数の中国人留学生を使っているのがやはり毎日。ちなみに、日本人の配達員は、週に一日の休みが取れるが、中国人は、月1だ(新聞 休刊日だけ)。

 毎日の台所は、これまでもたびたび「火の車」とささやかれてきた。が、今日では、いよいよ大火災なのだろう。証拠の一つに、聖教新聞の印刷引き受けがあ る。学会批判は、毎日には皆無である。もっとも他紙も広告収入への配慮から批判がない。果敢に批判しているのは、道新と週刊ゲンダイだ。毎日のナベツネ特 ダネは、その台所事情から出たものであろう。

 ■正力松太郎までさかのぼらないと  数太

週刊文春の記事に加えて、長島氏の突然の登場に世の中沸いていますが、 本当の筋を抑えていないのではないでしょうか。 きっと。別の方向に流れてしまうでしょう。

行き着くことろ、正力松太郎までさかのぼらないと日本のプロ野球の裏はつかめないと思います。 そして、読売新聞の歴史を紐解く必要が あろうかと思います。

なぜ、内務官僚だった正力が民間にくだり、さらに読売に入り それとともに職業野球をはじめたのか。そのときから 亡くなるまで、政財界にどのようにして網の目を張ったの。 この辺から紐解かなければ、問題の根本がわからないまま なし崩しになり、日本の野球界は衰退の一途をたどると思われます。

行き着くところ、日本の今置かれている状況そのものです。 メディアでは、楽天、ライブドアの動きが注目されていますが 本当の問題の解決が行われるかを見ておきましょう。

 ■パ・リーグ無視のNHK  南 茂樹

一 連のプロ野球への苦言、ごもっとです。ただ、ひとつだけ言わせて下さい。NHKの姿勢です。「皆様のNHK」「視聴率にとらわれない番組づくり」と言いな がら、長年、パ・リーグ中継を殆どして来なかったのは何故でしょう。首位と2位の攻防戦だけでも、通年で放送すべきだったのではないでしょうか。しなかっ た事を記憶に留めておくべきではないしょうか。BSで我々日本人が、大リーグの魅力を発見したのは事実です。じゃあ、

BSでパ・リーグ中継をやっても良かったのではないでしょうか。時間がかぶる訳ではなし。パ・リーグに魅力が無い訳ではなし。ここらが釈然としません。

 ■権限ないの一点張りで遁走  伊藤 ところざわ

こんなひどい男を会長(コミッショナー)に招いたとは。本来なら球界最高権力のコミッショナーが事態の収拾に当たるべきなのに、なにもせずどころか、溝を深くした男、権限がないとかの一点張りで遁走。そして高額な退職金だ。ゆるせないね。
 ■「譲歩」ではなく恥ずべきこと  戸谷 浩史

経営者側がこれまでとってきた行動は「譲歩」 などと胸を張れるものではなく、日本銀行総裁にまで批判されたそのあり方は、むしろ恥ずべきことです。

(※戸谷さんのメールは極めて長文なため全部を掲載することはできませんでした。ここでは、戸谷さんが指摘した球界の「諸問題」を列挙しました)

交渉相手ではなく商品としてしか選手を見ない球団側の人身売買的な態度(金銭トレード、無償トレード、交換トレード問題)。

NPB が選手会を労組と認めず話し合いに応じてこなかった経緯、高額な加盟料が独占禁止法違反であった疑い。

それに代わる預かり保証金の金額の是非、大企業の寡占による閉鎖性、球界の巨人依存体質、コミッショナー ・ 実行委員会制度の形骸化、オーナーへの権力集中、組織の硬直化。

ドラフトの逆指名制度や FA による戦力の一極集中、選手の年俸抑制策の不十分さ、優秀選手の大リーグへの流出、巨額赤字の恒常的垂れ流し、ぜいたく税 ・ 放映権料・ 新規参入基準などの不備。

Jリーグの設立目的(日本サッカー協会規約)と比較して尊大で利己的で現実離れしたプロ野球協約の記述(「不朽の国技」、「権威」、「世界選手権」、「利益を保護助長」)。
2004年10月08日(金) 萬晩報主宰 伴 武澄
 国際平和協会のアジアの意思研究会(会長・宝田時雄)のメンバーが9月20日から4日の日程で台湾を訪問し、22日、欧陽瑞雄外交部常務次長と会談した。台湾側は外交部の呉嘉雄台日関係執行秘書が同席、協会からは宝田特別研究員のほか大塚寿昭評議員、伴武澄専務理事が参加した。

 本来は、陳唐山外交部長との会談が予定されていたが、急きょ外国出張の日程が入ったため、次官との会談となった。会談の中で欧陽次官が強調したのは、台 湾の生存のためにアジアの国々に対して「主権の概念」を変えることを求めたことであった。主権国家でないことを理由に多くの国際機関に加盟できないでいる 台湾の苦悩を示したものだ。

欧陽 よ うこそいらっしゃいました。宝田という名前を聞いてハンサムな日本の俳優の名を思い浮かべました。大塚さんの塚で宝塚を思い出しました。国際平和協会はこ れまで国際平和のために多面的な活躍をしてきたと聞いています。環境面でも高い関心を持っているそうですね。私の名の欧陽は欧陽菲菲の欧陽です。五千年前 は親せきだったかもしれません。
宝田 わ れわれは「アジアの意思」ということで人物を求めて台湾にきました。人が人でなくて、どうして国家が国家として成りえようか、という先人の言があります。 台湾ではさまざまな問題を考えました。それを解く要点は歴史を多面的に俯瞰して、民情を下座観することが大切と考えます
欧陽 ア ジアからみて日本は規律があり、団結があり、秩序がある国柄であり民族です。ハイテクレベルは世界トップクラス。アジアのリーダーの資格があります。雁行 (がんこう)経済理論でもリーダーで、親分でもあります。きれいな景勝地も多く環境にも力を入れている。素晴らしい国です。現在、経済的に難問を抱えてい ますが、発展のプロセスの中でどこでも起きるようなことです。中国は現在、一〇%を超える成長を続けていますが、経済力が低い時代に台湾にもそういう時代 がありました。
人 材の育成は非常に大切です。人材なしには国をたてることができない。台湾は現在、三六カ国と国交があります。中南米や太平洋の国々が多いのですが、そう いった国々でも同じです。わたしは昨年までシンガポールにいましたが、同国では国を挙げて人材の育成に努力していました。資源がなく小さな国土ではなおさ ら人材が必要です。
台湾でも人材にスカウトや留学生の帰国を促すなど全力をあげてやってきました。蒋介石の時代、九年間の義務教育を推進したこと が、その後の経済発展に役立ちました。一九九八年のアジア通貨危機で台湾の衝撃が比較的小さかったのも人材がいたからです。外国に行った留学生たちはIT とかの発展に役立っています。
宝田 古いものと新しいものの調和が必要だと思います。日本は明治維新、第二次大戦の後、次々と古いものを捨ててきましたが、はたして良かったのかどうか。 
欧陽 ア ドバイスがあればどんどん言ってほしい。シンガポールのリー・シエロン副首相がこの間、台湾に来ました。その時もいろいろ助言をもらいました。欠点があれ ば素直に直す精神は大切です。新しいものと古いものとの調和はおっしゃるように重要です。古いものは発展の礎なのです。
一九八八年、台湾は(民主化という)外国が三〇年でやるべきことを一度にやりました。それから二〇年、徐々に軌道に乗りました。古いもののよい部分は残さなければなりません。「古い幹に新しい枝をつける」という宋美齢の言葉があります。
大塚 きょうは二つのお礼を言いたい。ひとつはわれわれに貴重なお時間をいただいたこと。二つ目は、一九日に芝山巌の六氏先生碑を訪ねたのですが、あの六人の中にわたしの曾おじいさんがいます。楫取道明といいます。碑を整備していただいた上、お墓まできれいになっていました。
欧陽 芝山巌はよくハイキングで行きます。今度行ったときにお参りしたいと思います。
大塚 ひ とつ考えてもらいたいこと、一緒に考えたいことがあります。台湾は対米、対日、台中のことを考えていると思いますが、アジアの中の台湾についても考えてほ しい。私は国際平和協会の評議員をやっていますが、将来、シンクタンクをつくりたいと思っています。シンク・アジアというテーマです。台湾のアジアの中の 位置についてうかがいたい。また一緒に考えたいと思います。
欧陽 確 かに台湾にとって米日中のウエイトは大きい。日米は外交部の仕事。中国は特別に大陸委員会という組織が処理しています。ASEANは裏庭のような存在です が、台湾には「南考政策」というものがあります。南アジアもまずます密接な関係になりつつあります。インドやバングラデシュには広いマーケットがありま す。そういう国々にどういうサポートができるかという問題があります。われわれの五〇年の経験をインドやバングラデシュに伝えることができると思っていま す。
 アジアでは自由貿易地域(FTA)が盛んですが、台湾も力を入れています。アジアでFTAを締結するときに台湾を忘れてもらいたくないです。
 欧州連合(EU)では加盟国が一五から二五へと増えました。アジアにはまだそういうものはありませんが、重要なことは、そこで主権に対する概念が調整さ れてきたことです。従来、主権は分割できないということになっていましたが、EUはそうではない。EUの例をわれわれもシェアする、分かち合うことができ ると思います。
 衛生保健の領域で世界保健機関(WHO)がありますが、SARSの時、われわれは主権国家でないということで加盟できなかった。アジアの国々は今後、主 権の概念は変えなければいけない。さきほど、シンクタンクの話がでましたが、そういうことが一緒にできるならば、アジア太平洋地域全体の統合にも役に立つ と思います。共同体形成に向けて研究したらどうかと思います。またのお越しを心からお待ちしています。
宝田 一 〇月一〇日は双十節ですが、日本ではこの日の意味を知らない人が多いです。双十は孫文の革命に挺身した日本人と貴国先達に対する感謝と哀悼の日なのです。 日本でも式典が開かれますが、招待された日本の政治家は新幹線の話や儀礼的挨拶しかありません。台湾側からもぜひ歴史を語ってほしい。
欧陽 古い伝統は進歩のために必要です。社会の進歩のために違う意見を聞き入れることも必要です。(編集責任:国際平和協会事務局)

2004年10月07日(木)萬晩報コナクリ通信員 齊藤 清
 【伊豆発】伊 豆の山の中は、日中の日差しはアフリカの太陽にも負けないほどに強いのですが、もうけっして夏ではないという空気があたりいっぱいに満ち満ちていて、散っ た金木犀の花びらが風に吹き寄せられて道の片隅に集い、ピラカンサの朱色の実が、ムラサキシキブの淡い紫の実が、日毎に鮮やかさを増し、ホトトギスの花に 秋の蝶と小太りの蜂が蜜を求めて立ち寄り、雑草にまぎれて花をつけた赤紫のコスモスが冷めた季節の風に揺らぎ、山茶花も花咲く時に備えてじっくりとつぼみ を育てている、なんとも嬉しいばかりの情景が拡がっているこの頃です。そして夜ともなれば、地の底から湧き上がるほどのアオマツムシの鳴き声が体の芯にま で染み込んできて、心はまったくの四面楚歌となります。

 この十五夜には、ススキと山萩とそのあたりで拾ってきた山の栗を供えて、涼やかな満月を楽しみました。子供の頃には山で採ってきた女郎花も添えて、月明 かりでの影踏みに興じた記憶もあるのですが、それから後は、日々の動きに追われているばかりで、落ち着いて月見などということをしたこともなかったように 思えます。

 そういえば何日か前には、山の小道を横切る狸の親子連れに出会いました。 親のほうはすばやく藪に姿を隠してしまったものの、子狸二匹はじっと立ち止まって、いかにも怪しげな見慣れぬ男の姿をじっくりと見つめていました。この子 たちが今年の十五夜の月を眺めたものなのか、浮かれて腹鼓を打ったのかどうか、それは残念ながら知る由もありません。

 ◆格安の通話料金

 まあ、このようにして、ギニアの空気を遠くへ置き去りにしたまま、日本の秋にゆったりと溶け込み怠けていられるのも、実はギニアとの通信事情がかなりよ くなってきたおかげです。最近ひろく普及したインターネットを経由するメールであれば、通信費用を気にすることもなく、双方ともに勝手な時間にメッセージ を投げ込んでおけますし、電話回線の品質も以前と比べれば比較するのも恥ずかしいほどに改善され、それに加えて、日本側の通信料金も格段に安くなりまし た。海外との通話はKDD独占の時代には、ギニアまでの一通話が千数百円していたはずですけれど、別の会社を使えば今では一分間90円ほどで安定した会話 が可能となりました。これとは別の選択肢でも、ギニアの携帯電話宛に一分間0.147EU(約20円)で通話ができるシステムも出現しています。

 ギニア側の通信事情もここ数年で大きく変わりました。都心のコナクリには当然のようにインターネットカフェ(ギニアではシーベルカフェという。 Cyber cafe)が増えて、一般のギニア人はここで海外の情報を検索したり、メールの受発信をしたりすることがごく普通になってきました。旧国営電話会社の国際 通話料金がけっこう高価であることから、ネットを通して海外への電話をかけることもだいぶ以前からはやっているようです。もっともネット回線の速度が必ず しも速くはなく、また充分には安定していないことから、通話の品質はかなり落ちますけれど、料金が格安であることの見返りに、必要な用件が伝わればそれで いいと割り切るしかないのでしょう。

 ◆固定電話の悲劇

 ギニアでの固定電話は、旧国営電話会社(実際には、民営化されてマレーシア・テレコムが経営している)が、交換機に現在以上の投資をする気がないことか ら、新規の回線取得は非常に困難です。幸いに(あるいは不幸にも)回線が確保できたとしても、それが国際電話をかけられる契約となっている場合には、新た な困難に直面するケースが多々あるようです。

 この国のかなりの人々は、海外へ出稼ぎに出た親族からの仕送りで日常の生活を維持していますから、金送れの催促も含めて、ギニアから親族の働く世界各地 への通信需要が非常に多いわけですが、当然のように安い通話料金しか払えませんし、払う気もありません。

 そこで、電話会社の現場の技術者と結託した私設電話屋が、夜だけとか、週末だけとか、適宜な時間帯に他人の電話回線を勝手につなぎ替え、個人の客に安い 料金で利用させるという、なんとも妙な商売が発生することになります。 電話回線乗っ取りの泥棒稼業ではあるのですが、一般の電話加入者にはその泥ちゃんを特定することは無理であると同時に、危険な作業ということにもなりま す。なにしろ、相手はこちらの動きを読めていて、こちらが彼らの正確な正体を知らないだけなのですから。社会政策上、電話会社も警察当局も、取り締まりを 避けているともいわれますし。

 ◆携帯電話の普及

 固定電話の普及に制約があれば、現代の新技術を活用した電話線いらずの携帯電話が登場するのは自然の成り行きです。民営化された旧国営電話会社、レバノ ン人経営の携帯電話会社、ギニア人経営の携帯電話会社(だいぶ昔に更迭された元首相がオーナーであるために、いろいろと妨害があるらしい)等々が携帯電話 の普及に力を尽くしてきました。

 旧国営電話会社の場合は、地方のいくつかの大きな町にも中継設備を設置したりして、圧倒的なシェアーと人気を確保してはいるのですが、設備の能力以上の 端末を売ってしまったために、つながりにくいという苦情が殺到し、ここ何年か新規の契約は公式には受け付けていない状態となっています。――日本のパチン コの景品交換と同様、抜け道が用意されてはいるのですが、とんでもなく高くつくもののようです。

 海外からギニアへ仕事でやってきて内陸部へ入る人たちは、たいていはインマルサット衛星電話かイリジウム衛星電話を持参します。前者のほうは静止衛星を 使うために後者との比較では端末がいくぶん大型(可搬タイプでノートパソコン程度)となり、しかも消費電力が大きいのが難といえばいえないこともないので すが、奥地の事務所などで半固定で使う分にはかえって使い勝手がよいものです。

 イリジウム衛星電話は、日本国内で一般に使われているケータイとほとんど同じ感覚で使える国際的な衛星携帯電話です。地球上空を周回する60個以上の低 軌道衛星を利用して、屋外であれば世界のどこからでもどこへでも通話ができる(一部に制限があるらしいものの)システムで、たしかにとても便利なもので す。

 ◆イリジウム衛星への蛇足

 このイリジウム衛星は、低軌道であることと、飛んでいる衛星の数が多いことから、地上から肉眼でも、光る物体として簡単に観察することができます。 またネット上には衛星の軌道や地上から太陽の反射光が見える時刻を計算してくれるサイトもあって、実はこのおかげで、私めにも腕のいいにわか呪術師を演じることができるのです。

 日暮れ時、――この時分が胡散臭い雰囲気にはピッタリだとニセ呪術師は信じているのですが、あらかじめ衛星が現れる時刻と位置を頭に入れておいて、例え ばギニアの友人たちと一緒に夕涼みでもしながら世間話をしていることにしましょう。あるいは、もっと真に迫った話題で場を盛り上げておくのもいいかもしれ ません。

 件の時刻が近づいたら、おもむろに空の一角を指差して、「あそこに、光る物体が現れるぞ」とでも予言をするか、あるいは「この指で、あの空に光る直線を 描いてみせる」とか言えば、それらしい現象が本当に実現してしまうのですから、演技力しだいでは「現代版陰陽師・安倍晴明」になれるかもしれません。ある いは胡乱な新興宗教の指導者にでも。

 ところでこのイリジウム、その実態は軍事通信衛星であるということはあまり知られていないようです。民間の人間にも使わせているのは、看板をカムフラー ジュさせるためには役立っていますけれど、実際のところそれはまったくおまけのようなものです。

 HF帯、VHF帯の電波を使う従来の軍事用移動通信機では、機材の重量、通信可能距離、通信の安定性等々にいろいろな不都合があります。VHF帯の電波 では比較的安定した通信が確保できるものの、距離が稼げません。HF帯の電波を使用する場合は長距離の交信が可能であるけれども、通信の安定性、確実性は 電離層の状態に大きく左右されます。

 例えば、1991年の第一次湾岸戦争で英国の特殊部隊SASがイラクの砂漠で行った「ブラヴォー・ツー・ゼロ」と通称されるゲリラとしての破壊工作作戦 では、工作員が持ち込んだHF帯の無線機で作戦本部との通信が確保できず、砂漠からの脱出に失敗しています。電離層の状態変化に合わせた適切な周波数を選 択できなかったことが、通信途絶の原因でした。――世界最強と称される英陸軍特殊部隊といえども、知識不足に起因する杜撰な準備を行うこともあったようで す。

 この戦争と前後する時期、米国のモトローラ社主導でイリジウム衛星携帯電話計画がたてられ、日本の京セラ社なども参加して総額6000億円程度の投資を したものの、60個を超える通信衛星の打ち上げと複数の地上局の整備、端末の製造など、多くの時間を要する壮大な作業が一段落する頃には、世界の携帯電話 を取り巻く環境が大きく変化していました。そしてイリジウム社は経営を維持できず会社は破産することになります。この衛星電話会社の破産処理として、衛星 を含む一切のシステムを2000年暮れに米国防総省のダミー会社が30億円ほどで引き取りました。実際のシステム運用はボーイング社が引き受け、米国防総 省を「メインの顧客」として、現在世界各地で展開している英米の侵略戦争を通信面で強力に支援しています。

 卑近な例では、ギニアの隣国シエラレオネの「ダイヤモンド戦争」終末期の様子を、英国軍側の眼で書いたWilliam Fowler著『Operation Barras』を読むと、内陸部で工作遂行中の英国軍将校(多分SAS隊員)は、シエラレオネの首都フリータウンにある司令本部へは直接の連絡をとらず、 本国の家族に向けて衛星電話をし、司令本部はそれを常時傍受していて、家族との会話に含まれるキーワードから業務報告を受け取っていた様子がうかがわれま す。記述から推測して、ここで使われていた衛星携帯電話は、インマルサットではなくイリジウムのようでした。

 ◆ギニア国内の短波無線通信網

 ギニア国内では、30年ほど前に整備されたマイクロウェーブ回線網によって、首都コナクリと各県庁所在地との間で電話が通ずることになっています。 ――この工事の一部は日本のメーカーが実施したものですが、当時の社会環境、道路事情などを考えると、かなりの苦労があったものと思われます。奥地の深い 木々に覆われた小高い丘の上にも、アンテナタワーが何基も建てられています。

 もっともこの設備もすでに老朽化し、補修もままならぬ旧式の機器となってしまいましたから、コナクリから各県庁所在地への電話は通じないことのほうが多い様子です。

 それで、コナクリの内務省と地方官庁との一般連絡は、HF帯の無線機を使って行われています。これにはすべて、アマチュア無線機と同型の日本製の機械を 使用。アマチュア無線機は業務用専門メーカーの無線機と比較すると格段に安い価格で入手できることと、みかけ上の性能にはさほど差がない、というのがその 理由でしょう。

 我々も、キャンプ所在地の県庁に用事がある場合は、事務所の無線機からその内務省通信網の周波数にもぐりこんで県庁の通信担当を呼び出し、伝言を託すのがいつものやり方となっています。

 ◆村人の通信センター

 キャンプのあるギレンベ村から千キロ離れた首都コナクリへ嫁いだり、公務員としてコナクリに職を得たり、あるいは何かの縁でコナクリへ移住したりと、現在コナクリで生活しているギレンベ村出身者は少なくありません。

 この人たちが村の親族と連絡をとりたい場合、村にも県庁所在地にも郵便局など存在していませんし、ましてや電話局など夢のまた夢という環境にあるわけで すから、その手段は極端に限られていて、通常は、村に帰る人間が手紙なり伝言なりを預かることになります。

 ところがだいぶ以前に、彼らはすばらしい通信手段を発見しました。それは我らが事務所の無線機。コナクリ事務所とキャンプ事務所とは、定期的に無線通信 を行っています。それを知っている気の利いた村の関係者が、この設備の利用を申し出てきました。いつも気にかけてもらっている村の住民の、おそらくは切羽 詰った願いであれば、それは喜んで受けるしかありません。

 コナクリの住人から村の誰かへの通信リクエストであれば、緊急でない限り、話したい相手と日時を前もって特定してもらうことになります。それをキャンプ 事務所のスタッフが村へ出かけて伝え、呼び出された村人は、当日の指定時刻に現地の事務所の無線機の前に座ることになります。

 ◆遠く離れた同窓会

 ある朝のこと。しっかりと着飾った女性が5人ほど連れ立ってコナクリの事務所へ登場。そのうちの何人かはかつての舞の海に匹敵するくらいの立派な体格で ――はっきりいえば、食べすぎと運動不足でただ単に太りすぎているだけなのですが(この国では裕福であることの象徴です)――、紫の口紅までつけてかなり 力が入っている雰囲気なのです。何の用かと思ったら、村との通信が予定されているとのこと。

 彼女たちはコナクリで生活していて、村の幼馴染たちともう何年もの間話す機会がなかったものの、あの事務所へ行けば村の人との会話ができると人づてに聞 き及び、同郷の仲のよい者たちが打ちそろって出かけてきたもののようでした。それで、一人ずつ交代して村の無線機に向けて懐かしさたっぷりの挨拶を届けた 後、再びマイクを回して同窓会のような雰囲気の中で大声で話しかけ、無線機の向こうの相手が何か答えるたびに笑い転げ、皆が顔を振り手をたたき、いつ果て るとも知れぬ酒抜きの饗宴が続いていました。

 齊藤さんにメールは mailto::bxz00155@nifty.com
2004年10月06日(水)萬晩報主宰 伴 武澄
 ネット・サーフィンもたまにはいいネタにぶつかる。大分合同新聞の7月1日に「きょうから本格運用/津久見市ADSL事業」という記事を見つけた。

 ADSLをやるということはプロバイダー(接続業者)になるということである。世帯数8500の自治体が遂にという思いがした。残念なのはこういうニュースが県境を超えることなく地域に埋もってしまうだろうことである。

 初期投資はたったの9300万円というのも驚いた。自治体の予算で出すので、あとは運用費だけである。市民に1450円(税込み・ADSLモデム、 NTT回線使用料を除く)というとんでもない格安価格で最大24Mbpsの高速インターネットサービスを提供できるのだ。

 自治体がプロバイダーに進出する効果は限りなく大きい。ADSLの場合、IP電話を導入すれば、市内の電話料金は完全無料となる。市内電話だけでない。 市外も通話も市内料金並みとなる。市民の電話料金負担は格段に軽減される。

 初期経費が9300万円だから世帯当たり1万円強でしかない。NTTの光ケーブルの敷設費14000円と比べてもとんでもなく安い。しかもそれを行政費の中でやってくれるのだから市民の負担はない。

 全国の自治体は津久見市に見習うべきだ。この程度の負担だったら住民税に上乗せしてADSLとIP電話を行政サービス化することだって可能だ。料金の徴収費用を考えれば、その方がコストが安くなる可能性だってある。

 大分合同によれば、津久見市は4月に試験運用を開始し、7月1日時点で約370件の利用申し込みがあった。本年度中に700件を目指しているということであるが、いずれ全世帯が加入することになるだろう。

 インターネットと市内電話が無料の自治体が誕生なんてニュースが近い将来見られるかもしれない。萬晩報はそのむかし、「団地で自家発電するという真夏の夜の夢」 というコラムを書いた。その通信版が生まれたことに拍手を送りたい。

 団地で自家発電するという真夏の夜の夢
 http://www.yorozubp.com/9908/990823.htm
2004年10月05日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 2週間前の週末、布引山地をドライブした。三重県を南北に走る屏風のように切り立った山塊である。標高は800メートル前後と決して高くはないが、古 来、伊勢国と伊賀国を隔ててきた。山の東側に降る雨は伊勢湾に流れ、西側は遠く大阪湾に達する紀伊半島の分水嶺は随分と東寄りにあるのだ。

 津市の郊外の温泉地、榊原の里からつづれ折りを約30分ほど駆け上がると頂きに到着する。山頂は青山高原といって、眼下に伊勢平野と伊勢湾を見下ろす絶景である。

 この高原が全国的に注目を集め始めたのは、山頂に点在する24基の風力発電の風車が建設されているからである。21世紀のエネルギーの最前線基地といっ てもいい風景がここにはある。1999年5月の完成し、総発電能力が1万8000キロワット。4基は久居市営だが、残りは青山高原ウインドファームという 第三セクターが経営する。

 ここにさらに10基の風車を建設する計画があり、完成すると名実共に国内最大の風力発電基地となる。総発電能力は3万キロワットだから、人口4万 2000人、1万6000世帯の久居市の全世帯の消費電力をまかなえるようになるという。

 神戸市にある神戸製鋼の140万キロワットの火力発電所は神戸市全体の消費電力をまかなえるということで有名だが、神戸市の場合はあくまで火力発電。こ ちらは自然エネルギーだから自給の意味合いが違う。そしてその歴史的価値も革命的に違う。

 日本で風力発電はコストが合わないといっている間に、世界では風力発電がエネルギー源として不可欠な存在となっている。風力による発電量でいえば、ドイ ツが世界で最先端を行く。デンマークでは国内の消費電力の10%まで風力でまかなうまでに到っている。スペインでもアメリカでも、中国でも大型の風力発電 所の稼働が相次いでいる。

 日本でもようやく風力発電所の見直しが進んでいるが、まだまだファッションの域を出ていない。国民はまだその潜在力を信じていないし、コストが高すぎると信じている。

 そんな中で、風力発電を行政の柱にしている自治体が現れたことは心強い。しかも移り住んだ三重県の地で起きていることは嬉しいかぎりだ。問題はその久居 市が来年には市町村合併で津市に飲み込まれることになっていることだ。
2004年10月03日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 これは一つの体験である。9月5日、大きな地震が三重県を襲った。大きな被害はなかったが、県民に地震の恐ろしさを十二分に伝えた。筆者の場合、それ以 降、揺れに対して体が異常すぎるほど過敏に反応するようになった。多くの県民も似たような状態にあるのではないかと思う。

 次いで29日、豪雨に見舞われた。県庁所在地の中心地で道路の"水位"が見る間に上昇するのだが、そんなことはニュースでも何でもなくなるほど雨が降っ た。53歳の人生の中でこれほど雨が恐いと思ったことはなかった。これも多くの県民に共通の気持ちを抱かせたに違いない。

 いくつかの思いがよぎった。自然の猛威に人間は対応できるのか。10年ほど前、フィリピンを訪れ、ピナツボ山の噴火の後を歩いたことを思い出した。噴火 後、数年を経ていたが、幅10キロにわたる泥流がまだ流れていた。泥流の厚さは5メートルほどにもなるという。ある場所で教会の尖塔だけが泥流の上に立つ 風景があった。「この下には町がありました」という説明はにわかには理解できなかった。それでもピナツボは筆者にとって過去の出来事でしかなかった。

 9月、三重県で起きた自然災害は規模でいえば、ピナツボほどの大きさではなかったが、生身の人間が耐えうる極限の精神状態を筆者に強いた。それは筆者が マスコミにいて、報道の一端を担う責任を持っていたからでもあった。たとえば、部下を豪雨の土砂崩れの被災地に向かわせる心境はただごとではない。被災地 に向かった記者は若いから、どれほどの危険を感じていたか知らない。だが送り出す人間に心理はそうたやすく語れるものではない。

 9月5日の地震はマグニチュード(M)6.9と7.4。阪神大震災よりもエネルギーは大きかった。東京にいる学者や役人は、予想される東南海地震との関 連を語った。地震に見舞われた県民の一人には他人事を語っているようにしか感じられなかった。われわれには、この地震が東海海地震と関連があろうがなかろ うがどうでもいいことだった。知りたいのは、その夜起きた地震が「新たな恐怖の始まりなのか否か」ということだった。

 29日の豪雨で県内に勤務する政府の役人が言った。「伴さん、異常なことが起きるのを災害というのです」。まさにそういうことだ。予想される延長上で自 然現象が起きてくれるのなら、われわれは生きていくのに何の不安もない。

 今年起きた幾多の水害のすべてが予期しない時期と場所で起きた。29日の豪雨も台風がまだ九州に上陸しないうちに始まっていた。心の準備などあろうはず もない。津市では過去最大の雨量の二倍にもなる400ミリの雨が降った。尾鷲や海山など三重県南部では1000ミリを超える雨量を記録したところもあっ た。土砂崩れが起きた宮川村では雨量計の限界を超えたから、最終的にどれほどの雨が降ったかも記録されなかった。

 情報の重要性についてこれほど関心を持ったこともなかった。「社員の安全の確認」はどの会社の災害マニュアルにもある項目だろう。共同通信の場合、一番 目の項目だ。しかし、地震発生と同時に携帯電話は機能がマヒすることを知らなければならない。社員の安全が確認できないということは、その報告もできない ということである。マニュアルの一番目と二番目がまず難しいのだ。

 われわれは技術に対する過信があるのではないかと思った。三重県は宮川ダムの管理所と防災センターとの間に3系統の通信手段を確保していたが、通常の NTTの有線電話はまっさきに役立たずとなった。次いで防災無線はカミナリでダウンした。頼みの衛星電話は厚い雨雲に遮断されて雑音ばかりだった。

 今回の豪雨で悲惨だったのは、海山町が情報の孤島となったことである。停電に続き、NTTの機能がマヒしたから、中から被害状況を伝えることも、外から 被害を取材することもできなくなった。ほぼ同時に宮川村において、土砂崩れで9人が下敷きになったという情報が入ったからメディアの関心は宮川村に集中し た。この結果、ほぼ1日間、水没した海山町は忘れ去られた。死者が2人だったことが信じられないほどの状況だったにもかかわらずである。

 このことで学んだのは、メディアが取材できる箇所はまだ被害が甚大でないということである。9人の犠牲が軽いというのではない。阪神大震災の時を思い起 こせば、被害状況が分からない状況というのが一番恐ろしいということなのだ。情報が途絶した地域ではまさにそういう恐ろしい状況が起きているかもしれない のだ。

 29日から1日まで、海山町への交通手段は徒歩と船しかなかった。100年前の交通手段だ。そして情報の伝達手段は話し言葉しかなかった。どのメディアもその被害を伝えられなかった反省から初めて分かったことである・

 きのう10月2日、伊勢新聞主催の緊急防災シンポジウムがあり、コーディネーターを仰せ付かった。当然ながら豪雨被害が起きる前から設定されていた日程 である。筆者以外は専門家ばかりだったが、事前打ち合わせのシナリオは完全に狂った。多くを語り尽くせなかっただろうが、パネリストたちとともに共有した のは、まず災害マニュアルは役に立たないということだった。そして災害に直面して起こす人々の行動が混乱を増幅させるということでもあった。

 たとえば、大雨と台風21号の接近で学校が軒並み途中から休校となり、生徒たち、児童たちを帰宅させたが、多くの親たちが車で学校の近くまで迎えた。車 が町にあふれ、冠水で寸断された道路の混乱に一層の拍車をかけたことは間違いない。連絡網の電話が携帯を含めて通信をさらに難しくさせたに違いないのだ。

 後から分かったことは子どもたちの帰宅していた時間帯は、雲出川や櫛田川、宮川の水位が目いっぱい上がり、一番危険な時刻に相当していたことだった。

 そういうことをするなというのではない。そういうことが起きるのだということをあらかじめ知っておくことは防災マニュアルにも明記しておく必要があるの だと思った。救急車はじめポンプ車など災害用の車両が渋滞に巻き込まれて、本来果たすべき機能をほとんど発揮できなかったのは、豪雨の影響だけでなかった のである。

 情報の洪水がある一方で情報の枯渇が同時に起きるということも分かった。多くの認識を共有できたのは、きっと災害の恐ろしさを体で知った直後だったからだろう。

 ある防災責任者の言である。

「実際に堤防の安全性を保証できない水位になっていました。よく考えると非常に恐ろしい事態でありました。私は小学生がこのような行動をとっていたことを その時は知りませんでした。夕方6時過ぎに妻からメールがあって市内の国道23号が冠水しているだけでなく、その他も大変な状況になっていることを知りま した。もし、河川水位が最高水位になる時刻の前後で破堤していたら堤防周辺の車両や人々は濁流の中に飲み込まれたことでしょう。歩いている人がどれだけ河 川の情報を取得する努力をするでしょうか」

 寺田寅彦は1934年11月、雑誌『経済往来』に「天災と国防」を書き、現代の災害への警鐘を鳴らしている。「文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向がある」。先覚者の言葉を三重の人々とかみしめたい。

 昨夜、この防災責任者はメールをもらった。「怖がりすぎたり,怖がらなさすぎたりするのは簡単だが,正しく怖がるのは難しいという言葉があります」とあったことを読者にお伝えしたい。

 寺田寅彦「天災と国防」(あおぞら文庫より)
 http://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2509_9319.html

 天災と国防 寺田寅彦(1934年11月「経済往来」

「非 常時」というなんとなく不気味なしかしはっきりした意味のわかりにくい言葉がはやりだしたのはいつごろからであったか思い出せないが、ただ近来何かしら日 本全国土の安寧を脅かす黒雲のようなものが遠い水平線の向こう側からこっそりのぞいているらしいという、言わば取り止めのない悪夢のような不安の陰影が国 民全体の意識の底層に揺曳(ようえい)していることは事実である。そうして、その不安の渦巻(うずまき)の回転する中心点はと言えばやはり近き将来に期待 される国際的折衝の難関であることはもちろんである。

 そういう不安をさらにあおり立てでもするように、ことしになってからいろいろの天変地異が踵(くびす)を次いでわが国土を襲い、そうしておびただしい人 命と財産を奪ったように見える。あの恐ろしい函館(はこだて)の大火や近くは北陸地方の水害の記憶がまだなまなましいうちに、さらに九月二十一日の近畿 (きんき)地方大風水害が突発して、その損害は容易に評価のできないほど甚大(じんだい)なものであるように見える。国際的のいわゆる「非常時」は、少な くも現在においては、無形な実証のないものであるが、これらの天変地異の「非常時」は最も具象的な眼前の事実としてその惨状を暴露しているのである。

 一家のうちでも、どうかすると、直接の因果関係の考えられないようないろいろな不幸が頻発(ひんぱつ)することがある。すると人はきっと何かしら神秘的 な因果応報の作用を想像して祈祷(きとう)や厄払(やくばら)いの他力にすがろうとする。国土に災禍の続起する場合にも同様である。しかし統計に関する数 理から考えてみると、一家なり一国なりにある年は災禍が重畳しまた他の年には全く無事な回り合わせが来るということは、純粋な偶然の結果としても当然期待 されうる「自然変異(ナチュラルフラクチュエーション)」の現象であって、別に必ずしも怪力乱神を語るには当たらないであろうと思われる。悪い年回りはむ しろいつかは回って来るのが自然の鉄則であると覚悟を定めて、良い年回りの間に充分の用意をしておかなければならないということは、実に明白すぎるほど明 白なことであるが、またこれほど万人がきれいに忘れがちなこともまれである。もっともこれを忘れているおかげで今日を楽しむことができるのだという人があ るかもしれないのであるが、それは個人めいめいの哲学に任せるとして、少なくも一国の為政の枢機に参与する人々だけは、この健忘症に対する診療を常々怠ら ないようにしてもらいたいと思う次第である。

 日本はその地理的の位置がきわめて特殊であるために国際的にも特殊な関係が生じいろいろな仮想敵国に対する特殊な防備の必要を生じると同様に、気象学的 地球物理学的にもまたきわめて特殊な環境の支配を受けているために、その結果として特殊な天変地異に絶えず脅かされなければならない運命のもとに置かれて いることを一日も忘れてはならないはずである。

 地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁(ひんぱん)にわが国のように劇甚(げきじん)な災禍を及ぼすこ とははなはだまれであると言ってもよい。わが国のようにこういう災禍の頻繁であるということは一面から見ればわが国の国民性の上に良い影響を及ぼしている ことも否定し難いことであって、数千年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。

 しかしここで一つ考えなければならないことで、しかもいつも忘れられがちな重大な要項がある。それは、文明が進めば進むほど天然の暴威による災害がその劇烈の度を増すという事実である。

 人類がまだ草昧(そうまい)の時代を脱しなかったころ、がんじょうな岩山の洞窟(どうくつ)の中に住まっていたとすれば、たいていの地震や暴風でも平気 であったろうし、これらの天変によって破壊さるべきなんらの造営物をも持ち合わせなかったのである。もう少し文化が進んで小屋を作るようになっても、テン トか掘っ立て小屋のようなものであって見れば、地震にはかえって絶対安全であり、またたとえ風に飛ばされてしまっても復旧ははなはだ容易である。とにかく こういう時代には、人間は極端に自然に従順であって、自然に逆らうような大それた企ては何もしなかったからよかったのである。
 文明が進むに従って人間は次第に自然を征服しようとする野心を生じた。そうして、重力に逆らい、風圧水力に抗するようないろいろの造営物を作った。そう してあっぱれ自然の暴威を封じ込めたつもりになっていると、どうかした拍子に檻(おり)を破った猛獣の大群のように、自然があばれ出して高楼を倒壊せしめ 堤防を崩壊(ほうかい)させて人命を危うくし財産を滅ぼす。その災禍を起こさせたもとの起こりは天然に反抗する人間の細工であると言っても不当ではないは ずである、災害の運動エネルギーとなるべき位置エネルギーを蓄積させ、いやが上にも災害を大きくするように努力しているものはたれあろう文明人そのものな のである。

 もう一つ文明の進歩のために生じた対自然関係の著しい変化がある。それは人間の団体、なかんずくいわゆる国家あるいは国民と称するものの有機的結合が進 化し、その内部機構の分化が著しく進展して来たために、その有機系のある一部の損害が系全体に対してはなはだしく有害な影響を及ぼす可能性が多くなり、時 には一小部分の傷害が全系統に致命的となりうる恐れがあるようになったということである。

 単細胞動物のようなものでは個体を切断しても、各片が平気で生命を持続することができるし、もう少し高等なものでも、肢節(しせつ)を切断すれば、その 痕跡(こんせき)から代わりが芽を吹くという事もある。しかし高等動物になると、そういう融通がきかなくなって、針一本でも打ち所次第では生命を失うよう になる。

 先住アイヌが日本の大部に住んでいたころにたとえば大正十二年の関東大震か、今度の九月二十一日のような台風が襲来したと想像してみる。彼らの宗教的畏 怖(いふ)の念はわれわれの想像以上に強烈であったであろうが、彼らの受けた物質的損害は些細(ささい)なものであったに相違ない。前にも述べたように彼 らの小屋にとっては弱震も烈震も効果においてたいした相違はないであろうし、毎秒二十メートルの風も毎秒六十メートルの風もやはり結果においてほぼ同等で あったろうと想像される。そうして、野生の鳥獣が地震や風雨に堪えるようにこれら未開の民もまた年々歳々の天変を案外楽にしのいで種族を維持して来たに相 違ない。そうして食物も衣服も住居もめいめいが自身の労力によって獲得するのであるから、天災による損害は結局各個人めいめいの損害であって、その回復も まためいめいの仕事であり、まためいめいの力で回復し得られないような損害は始めからありようがないはずである。

 文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の分化が起こって来ると事情は未開時代と全然変わって来る。天災による個人の損害はもはやその個人だけの迷惑 では済まなくなって来る。村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。

 二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されて いるありさまは高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。今度の暴風で畿内 (きない)地方の電信が不通になったために、どれだけの不都合が全国に波及したかを考えてみればこの事は了解されるであろう。

 これほどだいじな神経や血管であるから天然の設計に成る動物体内ではこれらの器官が実に巧妙な仕掛けで注意深く保護されているのであるが、一国の神経で あり血管である送電線は野天に吹きさらしで風や雪がちょっとばかりつよく触れればすぐに切断するのである。市民の栄養を供給する水道はちょっとした地震で 断絶するのである。もっとも、送電線にしても工学者の計算によって相当な風圧を考慮し若干の安全係数をかけて設計してあるはずであるが、変化のはげしい風 圧を静力学的に考え、しかもロビンソン風速計で測った平均風速だけを目安にして勘定したりするようなアカデミックな方法によって作ったものでは、弛張(し ちょう)のはげしい風の息の偽週期的衝撃に堪えないのはむしろ当然のことであろう。

 それで、文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならな いはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。そのおもなる原因は、畢竟(ひっきょう)そういう天災がきわめてまれにしか起 こらないで、ちょうど人間が前車の顛覆(てんぷく)を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。

 しかし昔の人間は過去の経験を大切に保存し蓄積してその教えにたよることがはなはだ忠実であった。過去の地震や風害に堪えたような場所にのみ集落を保存 し、時の試練に堪えたような建築様式のみを墨守して来た。それだからそうした経験に従って造られたものは関東震災でも多くは助かっているのである。大震後 横浜(よこはま)から鎌倉(かまくら)へかけて被害の状況を見学に行ったとき、かの地方の丘陵のふもとを縫う古い村家が存外平気で残っているのに、田んぼ の中に発展した新開地の新式家屋がひどくめちゃめちゃに破壊されているのを見た時につくづくそういう事を考えさせられたのであったが、今度の関西の風害で も、古い神社仏閣などは存外あまりいたまないのに、時の試練を経ない新様式の学校や工場が無残に倒壊してしまったという話を聞いていっそうその感を深くし ている次第である。やはり文明の力を買いかぶって自然を侮り過ぎた結果からそういうことになったのではないかと想像される。新聞の報ずるところによると幸 いに当局でもこの点に注意してこの際各種建築被害の比較的研究を徹底的に遂行することになったらしいから、今回の苦(にが)い経験がむだになるような事は 万に一つもあるまいと思うが、しかしこれは決して当局者だけに任すべき問題ではなく国民全体が日常めいめいに深く留意すべきことであろうと思われる。

 小学校の倒壊のおびただしいのは実に不可思議である。ある友人は国辱中の大国辱だと言って憤慨している。ちょっと勘定してみると普通家屋の全壊百三十五 に対し学校の全壊一の割合である。実に驚くべき比例である。これにはいろいろの理由があるであろうが、要するに時の試練を経ない造営物が今度の試練でみご とに落第したと見ることはできるであろう。

 小学校建築には政党政治の宿弊に根を引いた不正な施工がつきまとっているというゴシップもあって、小学生を殺したものは○○議員だと皮肉をいうものさえ ある。あるいは吹き抜き廊下のせいだというはなはだ手取り早で少し疑わしい学説もある。あるいはまた大概の学校は周囲が広い明き地に囲まれているために風 当たりが強く、その上に二階建てであるためにいっそういけないという解釈もある。いずれもほんとうかもしれない。しかしいずれにしても、今度のような烈風 の可能性を知らなかったあるいは忘れていたことがすべての災厄(さいやく)の根本原因である事には疑いない。そうしてまた、工事に関係する技術者がわが国 特有の気象に関する深い知識を欠き、通り一ぺんの西洋直伝(じきでん)の風圧計算のみをたよりにしたためもあるのではないかと想像される。これについては はなはだ僣越(せんえつ)ながらこの際一般工学者の謙虚な反省を促したいと思う次第である。天然を相手にする工事では西洋の工学のみにたよることはできな いのではないかというのが自分の年来の疑いであるからである。

 今度の大阪(おおさか)や高知(こうち)県東部の災害は台風による高潮のためにその惨禍を倍加したようである。まだ充分な調査資料を手にしないから確実 なことは言われないが、最もひどい損害を受けたおもな区域はおそらくやはり明治以後になってから急激に発展した新市街地ではないかと想像される。災害史に よると、難波(なにわ)や土佐(とさ)の沿岸は古来しばしば暴風時の高潮のためになぎ倒された経験をもっている。それで明治以前にはそういう危険のあるよ うな場所には自然に人間の集落が希薄になっていたのではないかと想像される。古い民家の集落の分布は一見偶然のようであっても、多くの場合にそうした進化 論的の意義があるからである。そのだいじな深い意義が、浅薄な「教科書学問」の横行のために蹂躙(じゅうりん)され忘却されてしまった。そうして付け焼き 刃の文明に陶酔した人間はもうすっかり天然の支配に成功したとのみ思い上がって所きらわず薄弱な家を立て連ね、そうして枕(まくら)を高くしてきたるべき 審判の日をうかうかと待っていたのではないかという疑いも起こし得られる。もっともこれは単なる想像であるが、しかし自分が最近に中央線の鉄道を通過した 機会に信州(しんしゅう)や甲州(こうしゅう)の沿線における暴風被害を瞥見(べっけん)した結果気のついた一事は、停車場付近の新開町の被害が相当多い 場所でも古い昔から土着と思わるる村落の被害が意外に少ないという例の多かった事である。これは、一つには建築様式の相違にもよるであろうが、また一つに はいわゆる地の利によるであろう。旧村落は「自然淘汰(しぜんとうた)」という時の試練に堪えた場所に「適者」として「生存」しているのに反して、停車場 というものの位置は気象的条件などということは全然無視して官僚的政治的経済的な立場からのみ割り出して決定されているためではないかと思われるからであ る。

 それはとにかく、今度の風害が「いわゆる非常時」の最後の危機の出現と時を同じゅうしなかったのは何よりのしあわせであったと思う。これが戦禍と重なり 合って起こったとしたらその結果はどうなったであろうか、想像するだけでも恐ろしいことである。弘安(こうあん)の昔と昭和の今日とでは世の中が一変して いることを忘れてはならないのである。

 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、 いついかなる程度の地震暴風津波洪水(こうずい)が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒(さいごつうちょう)も何もなしに突然襲来す るのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。もっともこうした天然の敵のためにこうむる損害は敵国の侵略によって起 こるべき被害に比べて小さいという人があるかもしれないが、それは必ずしもそうは言われない。たとえば安政元年の大震のような大規模のものが襲来すれば、 東京から福岡(ふくおか)に至るまでのあらゆる大小都市の重要な文化設備が一時に脅かされ、西半日本の神経系統と循環系統に相当ひどい故障が起こって有機 体としての一国の生活機能に著しい麻痺症状(まひしょうじょう)を惹起(じゃっき)する恐れがある。万一にも大都市の水道貯水池の堤防でも決壊すれば市民 がたちまち日々の飲用水に困るばかりでなく、氾濫(はんらん)する大量の流水の勢力は少なくも数村を微塵(みじん)になぎ倒し、多数の犠牲者を出すであろ う。水電の堰堤(えんてい)が破れても同様な犠牲を生じるばかりか、都市は暗やみになり肝心な動力網の源が一度に涸(か)れてしまうことになる。

 こういうこの世の地獄の出現は、歴史の教うるところから判断して決して単なる杞憂(きゆう)ではない。しかも安政年間には電信も鉄道も電力網も水道もな かったから幸いであったが、次に起こる「安政地震」には事情が全然ちがうということを忘れてはならない。

 国家の安全を脅かす敵国に対する国防策は現に政府当局の間で熱心に研究されているであろうが、ほとんど同じように一国の運命に影響する可能性の豊富な大 天災に対する国防策は政府のどこでだれが研究しいかなる施設を準備しているかはなはだ心もとないありさまである。思うに日本のような特殊な天然の敵を四面 に控えた国では、陸軍海軍のほかにもう一つ科学的国防の常備軍を設け、日常の研究と訓練によって非常時に備えるのが当然ではないかと思われる。陸海軍の防 備がいかに充分であっても肝心な戦争の最中に安政程度の大地震や今回の台風あるいはそれ以上のものが軍事に関する首脳の設備に大損害を与えたらいったいど ういうことになるであろうか。そういうことはそうめったにないと言って安心していてもよいものであろうか。

 わが国の地震学者や気象学者は従来かかる国難を予想してしばしば当局と国民とに警告を与えたはずであるが、当局は目前の政務に追われ、国民はその日の生 活にせわしくて、そうした忠言に耳をかす暇(いとま)がなかったように見える。誠に遺憾なことである。

 台風の襲来を未然に予知し、その進路とその勢力の消長とを今よりもより確実に予測するためには、どうしても太平洋上ならびに日本海上に若干の観測地点を 必要とし、その上にまた大陸方面からオホツク海方面までも観測網を広げる必要があるように思われる。しかるに現在では細長い日本島弧(にほんとうこ)の上 に、言わばただ一連の念珠のように観測所の列が分布しているだけである。たとえて言わば奥州街道(おうしゅうかいどう)から来るか東海道から来るか信越線 から来るかもしれない敵の襲来に備えるために、ただ中央線の沿線だけに哨兵(しょうへい)を置いてあるようなものである。

 新聞記事によると、アメリカでは太平洋上に浮き飛行場を設けて横断飛行の足がかりにする計画があるということである。うそかもしれないがしかしアメリカ 人にとっては充分可能なことである。もしこれが可能とすれば、洋上に浮き観測所の設置ということもあながち学究の描き出した空中楼閣だとばかりは言われな いであろう。五十年百年の後にはおそらく常識的になるべき種類のことではないかと想像される。

 人類が進歩するに従って愛国心も大和魂(やまとだましい)もやはり進化すべきではないかと思う。砲煙弾雨の中に身命を賭(と)して敵の陣営に突撃するの もたしかに貴(たっと)い日本魂(やまとだましい)であるが、○国や△国よりも強い天然の強敵に対して平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講ずる のもまた現代にふさわしい大和魂の進化の一相として期待してしかるべきことではないかと思われる。天災の起こった時に始めて大急ぎでそうした愛国心を発揮 するのも結構であるが、昆虫(こんちゅう)や鳥獣でない二十世紀の科学的文明国民の愛国心の発露にはもう少しちがった、もう少し合理的な様式があってしか るべきではないかと思う次第である。

(昭和九年十一月、経済往来)
2004年10月02日(土)萬晩報通信員 園田 義明
 ■鉄道業と金融資本と鉄道帝国主義

「19世紀後半のほとんど全体をつうじて、鉄道は北部資本主義において支配的であった。(中略)アメリカ経済の発展における鉄道の特殊な重要性と更には南 北戦争との結果、ウォール街は早くから経済上支配的な地位を得、これを放棄したことは決してなかった。」(ポール・M・スウィージー『歴史としての現 代』(岩波書店)より)

「発起人、金融家および債権販売人の役を兼ね備えた投資銀行家は、1880年代および1890年代においてアメリカの厖大な鉄道網をつくりあげ、再編成し 統合するのにもっぱら与って力があった。投資銀行家は、90年代の不況の後に産業界に進出するや、ついには1907年の恐慌となって終わったところの創業 と企業統合の大波の中で際立った存在となった。」(『歴史としての現代』岩波書店より)

「鉄道は資本主義の歴史において独特の地位を占めている。19世紀の後半と20世紀の初期の期間における鉄道網の建設は莫大な額の資本を直接に吸収した。 資産の増大にかんする10年ごとのセンサスの資料は1850年から1900年にかけて、鉄道にたいする投資額は製造工業全体にたいする投資額を上回ってい たことを示している。(中略)独占過程が現実に確立された19世紀の最後の20年間には民間資本形成の40ないし50パーセントは鉄道においておこなわれ たといって差し支えないであろう。ひとつの産業にこのように投資が集中したことはたしかにあとにも先にも比べるものがない。」(バラン&スウィージー『独 占資本』岩波書店より) 

 こうしたスィージー等の帝国主義の立場からの鉄道研究に対して、最近では鉄道の立場からグローバルな視点で帝国主義を論じた「鉄道帝国主義」がオックス フォード大学のロナルド・E・ロビンソン名誉教授などによって発表されている。この日本人も注目すべき「鉄道帝国主義」の定義も紹介しておきたい。

『ヨーロッパ中心の視点からすると鉄道建設は非公式帝国建設の手段であった。その意味では、鉄道建設はヨーロッパ膨張によって決定づけられたといってよ い。本書で試みる「鉄道帝国主義」という概念は、鉄道が非公式帝国に仕えただけでなく、その主要な創出者であったことを示唆する。この意味では、帝国主義 は鉄道によって決定づけられたといえる。民間資本の動向と帝国の戦略とのはざまで、高度な輸送技術の伝達が、鉄道帝国主義に内在する勢いにはずみをつけて いった。イギリスの膨張主義者のなかでもっとも老朽なソールベリーは、1871年にこう予言した。「小さな王国は、世界の運命によって破滅を余儀なくされ ている・・・・。現代の巨大な組織と大規模な交通機関によって、将来はいくつかの帝国のものとなるだろう。」(『鉄路17万マイルの興亡 鉄道からみた帝 国主義』日本経済評論社より)

 この『鉄路17万マイルの興亡 鉄道からみた帝国主義』(原題はRailway Imperialism)の訳者(原田勝正、多田博一監訳)による解説 には"excentric"や"excentrism"を「外縁部」、"sub-imperialism"を「外縁部帝国主義」と訳した理由が書かれてい る。この重要な用語には確かに地政学的な意味合いも含まれていることから、外縁部とした訳者の努力は高く評価するものの、主体がどちらにあるかの意味で混 乱を生みだしているように思われる点が残念である。

 ■日本の鉄道史

 ロナルド・E・ロビンソンは鉄道融資における貸し手と借り手の関係にもこう言及している。

「貸し手と借り手の共通の利害は、建設国の政治経済に二つの大きな影響をもたらした。第一に、機関車は経済成長をヨーロッパの産業の補完的なものにし、政 策を自由貿易の方向に導いた。第二に鉄道が建設される地域は、半植民地経済を通じて貸し手の国との政治的提携を強めた。1914年まで鉄道は帝国、金融、 商業の利害を結ぶ表面に出ない協力関係の主要な要因となり、「非公式」帝国の形成をもたらしたのである。」

 日本の鉄道史もまさに借り手からスタートしている。1872年(明治5年)10月14日、明治天皇をはじめ政府高官や各国公使を乗せた祝賀列車が横浜に 向けて東京新橋駅を発車した。多くの人が見守る中で、日本最初の東京・横浜間鉄道が開業したのである。

 明治維新以前にも、開国を契機に鉄道に関する情報がわが国へ伝達され、幕府(フランスの銀行家であるフリューリー・エラールが関与)、薩摩藩の五代友 厚、在日英仏人などが具体的な鉄道建設計画を作成していたが、いずれも実現するにはいたらなかった。

 明治維新後の1869年11月5日に右大臣三条実美の邸宅で、英国公使サー・ハリー・パークスと政府代表者(大納言岩倉具視、外務卿沢宣嘉、大隈重信、 伊藤博文、井上勝など)の間で、鉄道建設に関する非公式会談が行われ、パークスの日本人による鉄道建設は可能であるとの意見によって、日本初の鉄道実現が 大きく動き出すことになる。

 大隈と伊藤が構想したのは東京を基点とし、東海道を経由して京都、大阪を経て神戸に至る幹線と、京都より分かれて敦賀に至る支線であった。政府は、財政 に余力がないために商人に働きかけて建設しようとしたが、300万ポンドとされた工事費は日本国内だけで調達できる金額ではなかった。

 この時パークスの紹介で英国人資産家ハラチオ・ネルソン・レイが大隈と伊藤に対して鉄道建設資金提供を申し入れ、契約を結ぶことになる。しかし、レイは 政府に対して外債発行の条件を1割2分としながら、実際には9分で募集していたことが発覚したため、大隈と伊藤はオリエンタル銀行の協力のもとにレイとの 契約を破棄し、新たに同銀行を通じて9分利付きで外債100万ポンドを募集することになった。また、東京・横浜間鉄道の建設工事は1870年から開始さ れ、助っ人としての建築師長には英国人青年技師エドモンド・モレルが就任した。

 ここに外資と外国人助っ人導入による鉄道の事業スキームが構築されたのである。あくまでも建設主体は日本であったが、この時すでに長州出身の参議・兵部 大輔の前原一誠のように「是こそ真に国を売る賊臣なり」と激しく非難する者が姿を見せていた。

 ■大久保利通の地政学的警戒心

 当時の英国は、植民地の国々での反乱が多発したことから、戦略を変更していた。そして、東京・横浜間鉄道の成功は、ロビンソンの言葉のように日英間にお ける帝国、金融、商業の利害を結ぶ表面に出ない協力関係の主要な要因となり、日本は「非公式」帝国の一員となった。

 しかし、このことを強い警戒心を持って見ていた人物がいた。薩摩出身のリアリスト、大久保利通である。このあたりの事情は『工部省とその時代』(山川出 版社)に詳しいが、大久保は1871年から岩倉遣欧使節団の副使として欧米各国を巡遊し、英国での運河を行き来する船と高速で移動する鉄道に衝撃を受け、 英仏の植民地化の恐ろしさを説くビスマルクに影響される。帰国後の大久保は自信を喪失し、英仏が日本に投資することによって最終的には植民地化するのでは ないかとの疑念を深めていく。

 そして、大久保は1875年に助っ人外国人を大幅に減員する方針を打ち出すが、この時同時に、横須賀造船所の技師長であるウィルニーをはじめとする助っ 人フランス人全員を解雇する事件が起こる。ナポレオン三世からの密令によってウィルニーが横須賀造船所をフランスの極東におけるブリッジヘッド(橋頭堡) にしようとしているとの情報がもたらされたからだ。

 拙著『最新アメリカの政治地図』でも取り上げたように地政学の重要用語であるブリッジヘッドはシー・パワーがランド・パワーに挑む際の足場となり得る強 靱さと地理的な条件を兼ね備えた重要拠点を意味する。中国を視野に入れる英仏米が日本をブリッジヘッドと位置付けていた可能性は否定できず、むしろこうし た背景から日本に強靱さを根付かせるべく支援を行っていたとする見方も出来る。

 大久保は帰国後、運輸と物流に注目し内務省を設立、英仏への警戒心から水運網重視のオランダ型殖産興業政策を打ち出し、鉄道を柱とする英国に傾斜した工 部省を次第に追いつめていく。しかし、大久保は1878年に暗殺され、同じ薩摩出身の松方正義が後を引き継ぐが、工部省を牛耳る伊藤博文率いる長州閥に主 導権が移ることになる。(長州が出てくると常にその国際感覚無きために混乱が巻き起こる。現在の安倍晋三も然りである。)

 この大久保は岩倉遣欧使節団の経験から新旧世代交代と国際派知識人の必要性を痛感するが、すでに岩倉遣欧使節団には大久保のわずか11歳の次男も同行させ、そのまま津田梅子らとともに米国に留学させていたのである。

 この次男が米国留学中の印象について後の自身の日記の中でこう記している。

「米国に滞在中の印象と言っても、子供のことだから特に観察など出来たわけはないが、ただ感じたのは、一体フィラデルフィアはクエーカー宗徒の平和主義的 な気分が強く、そこにいたのでアメリカは非常に平和的なピューリタン主義な国だという印象を受けた。そしてその後のアメリカの西部が開け、貿易が発達し、 富の蓄積が顕著になるに従って海外への投資も増加して、第一次大戦後にはアメリカが世界において指導的な地位を占めるに至っても、この文化を頭に入れて、 アメリカというものに対する気分を変えるのに大分時間が掛った。」

 これは中公文庫の『回顧録(上)』の33ページからの引用であるが、その筆者は外務省入省後、福井県知事、公使、文相、枢密顧問官、農商務相、外相の要 職を経て、第一次大戦のパリ講和会議には西園寺公と共に全権となり、その後、宮内大臣、内大臣を歴任し元老的役割をはたした牧野伸顕である。一方で、牧野 は三菱財閥と深い繋がりも持っていた。

 すでに紹介した吉田茂から現在の麻生太郎につながる日本の保守本流のカトリック
家系の始祖こそが大久保利通の次男である牧野であった。また、牧野の回顧録から、
すでに牧野自身がカトリックに対して共感を抱いていたことも読みとれる。

 そして、第二世代キリスト教人脈を多数輩出するきっかけをつくったクエーカー=新渡戸稲造の第一高等学校(一高、後に東大に合流)の校長就任も、当時の 文相である牧野の発案であり、新渡戸が国連の前身である国際連盟の初代事務次長就任を後押ししたのも牧野、後藤新平、そしてメソジスト派クリスチャンとし て駐米大使や昭和天皇の侍従長を歴任する珍田捨己であった。この天皇家の側近であった牧野と珍田の宗教観は貞明皇后を通じて天皇家にも入り込んでいった。

 牧野が米国で過ごしたのは1871年からの3年間を米国で過ごしている。つまり、スウィージーが描いた時代と重なっている。次章では牧野が見た米国の変化、すなわち富の蓄積の様子を見ていきたい。

▼参考

外債発行を引き受けたオリエンタル銀行は1842年にバンク・オブ・ウェスタン・インディアとしてインド・ボンベイで設立され、1845年にロンドンに本 社を移転した時にオリエンタル銀行となり、一時は中国、香港、日本、インド、モーリシャス、南アフリカに支店を開設し、この地域で支配的な位置に立ったこ ともある。しかし、セイロンでのコーヒー・プランテーションへの投資失敗から、1892年に静かに幕を閉じている。

 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年10月01日(金)萬晩報通信委員 成田 好三
  前回のコラム(4)「『長嶋ジャパン』五輪出場資格は?」では、全日本アマチュア野球連盟(以下全アマ連盟)をアマ野球側の統括団体として扱ったが、実態 は違う。しかし、JOCが全アマ連盟をアマ野球側の統括団体として承認し、加盟団体としている上で、五輪への代表派遣を認めている事実、そして統括団体と して扱わなければ、話があまりにもややこしくなり、読者の理解を得られにくいことから、そうした。

 全アマ連盟は、実のところアマ野球側の統括団体ではない。JOCの加盟団体審査基準を満たしていない。全アマ連盟はJOCの正加盟団体だが、正加盟団体 になる要件(1)法人格を取得している(2)国内唯一の統括団体である(3)IOC(国際オリンピック委員会)承認の国際競技連盟に加盟し、当該スポーツ が五輪憲章に記載されているスポーツである―の3項目のうち、(1)(2)の項目について要件を満たしていない。

 朝日新聞社刊「知恵蔵2004」の野球の項目の中で、スポーツライターの武田薫氏は全アマ連盟についてこう説明している。

「日本のアマチュア野球界はこれまで、学生野球と社会人野球の足並みが揃っていなかった。(略)ところが、社会人野球界が標ぼうした国際化が時流に乗り、 オリンピックの正式種目化へと進展して状況が変化。組織を一本化し日本オリンピック委員会(JOC)に加盟申請するために、屋上屋を架したのが1990年 6月に発足した全日本アマチュア野球連盟。法人格はなく、実質的には日本野球連盟と日本学生野球協会が構成する組織で、事務所は社会人の事務局が兼ねてい る。(以下略)」

 社会人野球を統括する日本野球連盟とともに全アマ連盟を組織する日本学生野球協会は、「全アマチュア連盟設立の経過」と題する文書の中でこう書いてい る。「全日本アマチュア野球連盟の性格は、規約第2条に日本学生野球協会及び日本野球連盟の運営に関してその自主性を尊重し、指導、監督的立場にないと明 記されています。」

 全アマ連盟は、五輪出場のために学生、社会人野球界が「屋上屋」を架した、独自の事務局ももたず、ほとんど実態のない組織で、「法人格」もない。さらに 学生、社会人野球界の「指導、監督的立場にない」組織である。法人格もなく、統括団体でもない、明らかにJOCの加盟団体の審査基準を満たしていない組織 が、何故、JOCの正加盟団体として承認されているのか。

 そうした疑問に対する答えはたった1つしかない。野球が長い期間にわたって日本のスポーツ界における特別な存在、つまり「特権階級」であったからであ る。圧倒的な国民的人気を誇ってきた野球界は陸上、水泳、サッカーなど「その他大勢の競技」とは別格の存在だから、他の競技に合わせる必要はないと考え、 本来なら野球界を指導、監督すべきJOCなど上部団体も、その他の競技界も、野球界の「特権」を黙認してきたからである。

 野球界の立場は、冷戦後に唯一の超大国になった米国に似ている。ソ連崩壊後は米国の一人勝ちの世界になった。米国の強大な軍事力、経済力、科学技術力、 ハリウッドなどの文化力が米国以外の世界を圧倒した。そして「9・11」以降、米国は国際法や国連決議などのルールではなく、米国だけのルールで行動し始 めた。それが「先制攻撃論」であり、その結果がイラク戦争である。

そうした米国の考え、行動を米国民が支持し、他国政府のほとんどが支持せざるを得なくなった。米国民の多数は、世界を「上位にある米国」と「下位にある米 国以外の世界」に区別しているようだ。野球界もこれと似た考えをもち、行動していた。日本のスポーツ界には野球に対抗すべき「反抗勢力」は存在しなかっ た。

 日本のスポーツ界において、野球がいかに別格で特別な存在であるかは、高校スポーツを例に取ればよく分かる。高校スポーツは、野球以外のすべての競技に ついては、高体連(全国高等学校体育連盟)が統括している。しかし、野球(硬式)だけは高野連(全国高等学校野球連盟)が統括団体である。

高体連と高野連はまったくの別組織で、上下関係もない。高校スポーツは8月(夏休み)にピークを迎える。高体連は野球以外のすべての競技を開催する総合大 会「インターハイ」を開催する。ほぼ同じ時期に高野連は阪神甲子園球場で「全国高校野球選手権大会」(夏の甲子園大会)を開く。

 インターハイと「夏の甲子園大会」とどちらの比重、つまり国民的な関心と人気が高いかは明らかである。甲子園大会はNHKが全試合を生中継する。関西地域では民放TV局も放送する。全国紙、地方紙とも本大会ばかりでなく各都道府県の地方大会から大きく紙面を割いて扱う。

一方のインターハイは、NHKが開会式と主要競技の優勝戦などを放送するだけである。しかも開会式以外は教育テレビで放送される。新聞では、全国紙の扱い は小さく、地方紙が地元の選手、チームを取り上げるだけである。高校野球は他のすべての競技を合わせたものより関心度、注目度、人気度ともにはるかに大き い。それが高校スポーツの実態である。

 しかし、現実は動き出している。都市対抗大会を頂点とする社会人野球にはかつて隆盛はなくなった。社会の構造変化と企業を取り巻く環境の変化から、社会 人野球チームは減り続けている。大学野球も以前ほどの人気はなくなってきた。社会人野球チームが減少すれば、大学生の行き場も狭まる。唯一、いまでも隆盛 を誇る高校野球も、社会人チームの減少傾向により、大学生と同じ立場になる。プロ野球にしても、今回の球界再編騒動では、選手会とそれを後押しする世論の 圧力によって、球界の「縮小計画」は土壇場でいったん阻止されただけである。

 国内スポーツも野球だけが人気スポーツという時代は過ぎた。サッカー・Jリーグは日韓共催W杯開催を踏み台に、W杯・五輪代表人気との相乗効果で注目度 が高まってきた。それ以上に、国際競技の環境が変化してきた。イチローや松井秀喜の活躍によりメジャーリーグベースボールがより身近なものになってきた。 中田英寿らがプレーする欧州サッカーリーグへの関心も高まってきた。

 さらに、主要な国際スポーツ大会は毎年開催される時代になった。偶数年には2年ごとに夏季五輪、W杯サッカーと冬季五輪が開催される。その間の奇数年にも2年ごとに陸上、水泳、体操など競技ごとの世界選手権が開催される。

もはや、野球だけが特別な存在、「特権階級」ではなくなった。そのことをプロ・アマも含めた野球界は認識すべきであり、JOCなど上部団体や他の競技団体 も野球だけを特別視すべきではない。しかし、彼らはそうしたまっとうなことを考え、それを行動に移すことができるだろうか。(2004年9月30日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/

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