2004年9月アーカイブ

2004年09月30日(木)アメリカン大学客員教授 中野 有
  ジョンズホプキンス大学で北東アジアの安全保障について講演をした時に中江兆民が一世紀以上前に作成した「三酔人経綸問答」を引用した。この本ほど分かり やすく20世紀初頭の日本の安全保障を諦観したものはないと思っていたが、この本がジョンズホプキンス大学の参考書になっていることを教授から聞き、改め て兆民の先見性に驚かされた。

 時は日本が日清戦争に勝利し、日露戦争に邁進する世相。3人の酔人が夜を徹し日本の進むべき道について問答する。豪傑君と洋行帰りの紳士がヘネシーとい うブランデーを持って南海先生を訪問する。登場人物の3人とも兆民の分身である。兆民は、同じ土佐出身の坂本竜馬を尊敬し、竜馬が果たせなかったが海外へ の雄飛を岩倉具視の一行として実現させ、欧米の視察に参加し、そのまま数年パリで生活したのである。

 パリの自由な雰囲気の中で東洋のルソーとして西洋の哲学を習得するのみならず、東洋の知恵をヨーロッパに伝えたのである。また、帰国後は、日本の戦争関 与に反対するも帝国主義が蔓延する弱肉強食の時代においては現実主義の視点により主戦論も唱えたのである。そんな複雑な心境を読み取ることができる。

 豪傑君は、列強がアジアを餌食にしている国際情勢の中で、日本が大陸に進出し富国強兵を政策の柱とするのが日本の道であると主張する。それを聞いていた 洋行帰りの紳士は、いや日本は大陸に進出すべきでないと反論する。日本は文化交流や経済協力を通じアジアや世界に貢献することにより日本は尊敬される国と なり決して日本が侵略されることはないと理想を問う。

 ブランディーの酔いにまかせ議論が白熱する中、南海先生は、歴史のリズムを語る。豪傑君の考えは、否定されるべきものでない。日本が大陸に進出しなけれ ば日本という国家が消滅するかもしれない。しかし、膨張政策を進めることにより戦争という大きな代償を孕むことになろう。洋行帰りの紳士の考えは理想であ る。理想は現実に飲み込まれてしまうが、この理想は外交の良策として100年後に開花する時があろうと煙にまくのである。

 兆民の三酔人経綸問答のエキスを筆者が解釈したものであるが、ここで学ぶべきことは、帝国主義という弱肉強食の時代においては、軍事というハードパワー は否定されるものではない。しかし、ハードパワーは軍事衝突を呼び起こすものであり、「柔よく剛を制す」というソフトパワーこそ偉大であるということであ る。

 アテネオリンピックで大柄の外国人を柔の切れ味で一本を決める日本人の姿を見て、日本には日本のソフトパワーで世界平和に貢献できる技があり、それを実現させるのが21世紀の今日である。

 兆民の先見性が示した如く、日本は、日清・日露・日中・太平洋戦争とハードパワーによる膨張主義を重ね敗戦を経験し、アメリカの共産主義封じ込め政策の 恩恵を受け、日本精神は弱体化したものの経済大国に君臨したのである。今、再び日本と大陸とのあり方を考える時に至っているのではないだろうか。

 サッカーのアジアカップにおいて日本は優勝したものの中国の反日感情の高まりを見せつけられた。江沢民国家主席が推進したとされる対日強硬政策が意味す る本質的な対応が必要だと感ぜられる。今、多角的に21世紀の日本と大陸のあり方を豪傑君、洋行帰りの紳士、南海先生の視点で考慮する必要がある。

 豪傑君の主張はこうであろう。現在の中国の軍事費の上昇、特に攻撃用兵器の充実、尖閣列島などの領土拡張、台湾海峡の問題、共産党の独裁体制、歴史問題 を通じた日本への干渉、急激な経済並びに科学技術の発展。これらは日本の脅威のみならずアジアや世界の脅威であり、中国は覇権主義を実践している。日本が 中国の餌食になる前に、ならずもの国家である北朝鮮や中国の覇権主義に対抗する軍事を強化し、また外交の分野でも従来の中国へのODAなど融和政策を改 め、ハードパワーの充実こそ日本の道である。

 洋行帰りの紳士は、これに反論し、中国の発展を歓迎し、アジアのソフトパワーを楽観的に捉えるだろう。アジアの大国である中国の発展は、アジアの興隆で あり、日本の発展も中国の発展により約束されるのである。米国や日本の経済は、中国市場と相関関係にある。北朝鮮問題でも多国間協調を率先しているのは中 国である。

 共産党の独裁は建前であり、発展の過程における妥協である。米国が羨望するほど、経済成長、安定した外交、有人飛行を成功させるほどの科学技術の発展な ど、まさに60年代初頭の勢いのあったケネディー政権時代を彷彿させる機運が中国である。

 対日批判などマスコミの誘導に他ならぬ「木を見て森を見ず」の視点である。中国で行なわれるサッカーの試合では、国内の試合でもかなりのブーイングが飛 び交うのではないか。急激な発展に踊らされている中国の一時的な現象ではないか。

 南海先生は、日中関係を諦観するには、歴史と地球的視点で展望することが求められると語るだろう。中国の発展を、何千年の歴史のリズムで観れば、この 150年の中国は列強や日本の餌食となり、また冷戦構造の中で中国の発展が永らくせき止められてきたが、それは本来の中国にあらず、その呪文から解き放た れることで急速な発展が起こっているのは何の不思議もない。

 換言すれば、中国の発展は、7千年前に中国文明が発祥し、もともと世界の発展の中心であった中国がそのパワーを取り戻しつつある段階と考えた方が正し い。20世紀の初頭はともかく、世界が2度の世界大戦を経て、大量破壊兵器で地球を滅亡させることができる時代においては、軍事によるハードパワーは明ら かに無力である。

 中国と対立しても勝因はない。なぜなら13億の人口を有する中国と衝突し、毎年百万人の犠牲がでても完全に征服するまでは1300年の年月を要するので ある。岡倉天心が百年前に述べたようにアジアの分裂を喜ぶのは欧米である。今、中国の発展を通じ、アジアが一つになる機運が生み出されようとしている時 に、

 それを良しとしないのは米国であろう。北東アジアに冷戦構造が残存する中、日中や中韓の急激な接近を米国は警戒している。日本にとって日米同盟は大事で ある。しかし、アジアがヨーロッパのように一つとなるビジョンを掲げ、欧米とも協調できる発展の機運を生み出すための外交努力が本来の日本の役割であろ う。

 ニューヨークタイムズのコラムニスト、トーマス・フリードマンは、中国の発展振りと中国のソフトパワーを面白く描いている。「子供の時、父から夕食は残 さず食べなさい。中国では飢えに苦しむ人々がいるからと言われたものである。しかし、昨今の大連の発展に接し、現在の中国は過去の中国でないと感じた。娘 に宿題は最後までやり遂げなさい、さもなくば中国人に仕事を取られるから」と中国の発展を目にして中国に対する考え方が180度変わったと述べている。

 さらに、イラク戦に関しては、「米国は軍事を通じイラクに介入し泥沼化状態から抜けられぬ状態が続いている。一方、中国、インド、フィリピンは中東に百 万人のメイドを送っている。メイドを通じアラブの人々を教育しているのである。アジアのソフトパワーは、米国の軍事によるハードパワーより賢明である」。

 
 非軍事分野の活動、例えば紛争が治まった後の活動や、大自然災害の復興等、日本が積極的に貢献できる。日朝国交正常化も数年以内に実現されると小泉総理 が明言している状況においては、北東アジアの冷戦崩壊もそれほど遠くない。中国やロシアと協調した安全保障の枠組みも実現されるかもしれない。アジア版 ホームランドセキュリティーも検討される日も来ると期待したい。ソフトパワーを通じた非軍事のアジア本土安全保障省も夢ではない。

 日本は大陸に進出しアジアに被害をもたらしたのは事実である。しかし、兆民が考察したように当時の国際情勢を鑑みると非軍事という理想は、はかないもの であったかも知れない。我々は歴史をアジアの眼で諦観すると同時に多角的視点で鳥瞰すべきである。歴史観を有する民衆の目線で展望し、加えて地球的宇宙的 視点で考察する「下座鳥瞰」が希求されている。一神教の争いとテロの激化との相関関係に世界が混沌としている、今こそアジアの知恵が望まれる。世界を翔た 孫文や周恩来なら、どのようなビジョンを描くのであろうか。
(国際開発ジャーナル10月号掲載、中野有の世界を観る眼)

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2004年09月28日(火)萬晩報通信員 成田 好三
 アテネ五輪に出場した団体競技の日本代表で、野球ほど人気と関心が高かったものはない。全員プロ選手で編成した五輪代表チームは、野球では初めてだった。プロの出場が認められたシドニー五輪では、代表チームはアマ(社会人、大学生)とプロの混成チームだった。

 長嶋茂雄監督は五輪前に病気で倒れたが、監督交代はなく、代表チームは長嶋監督不在の「長嶋ジャパン」として本番に臨んだ。目標の金メダルには届かず、銅メダルに終わったが、TVは全試合を生中継し、新聞も連日のように大きく紙面を割いた。

 ところで、長嶋ジャパンこと、野球の日本代表チームは、五輪出場資格があったのだろうか。メディアはそんな疑問には一言も答えてはくれない。「アプリオリ」的に出場資格はあるという前提で報道していた。

 はたしてそうだろうか。所属する競技団体の分裂のため五輪出場が危ぶまれ、最終的にはJOC(日本オリンピック委員会)の「超法規的措置」によって出場 を認められた、テコンドーの岡本依子選手(シドニー五輪銅メダリスト)のケースを振り返ってみると、どうしても先の疑問が頭の中をよぎってしまう。

 五輪出場までの手順は、簡単にいえばこうである。JOC加盟の競技団体がある。各団体に所属する選手(チーム)が予選を勝ち抜いた場合、あるいは標準記録を突破した場合、各団体はJOCにエントリーを申請する。JOCはこれを受けて出場を承認する。

 JOCは、加盟団体はその競技における国内唯一の統括団体であることを条件にしている。ある競技で複数の競技団体を認めてしまえば、複数の団体からそれぞれ違った出場エントリーが申請され、選考が混乱してしまうからである。

 岡本選手は予選を突破したが、競技団体が分裂したままだったため、JOCは、競技団体が分裂騒動を解消し、国内唯一の統括団体に統一しなければ、岡本選 手を五輪には派遣できないとの方針だった。しかし、JOCはその後、所轄大臣である文部科学相らの圧力を受けて方針を転換した。

 五輪憲章の細則にある、国内に競技団体が存在しない場合は「個人参加」を認めるという例外規定を適用して、岡本選手の派遣を認めた。競技団体の分裂状態を競技団体が存在しないと無理やり解釈した訳である。JOCは五輪派遣の大原則を曲げたことになる。

 分裂どころか国内唯一の統括団体が存在しない場合はどうなるのか。通常ならばJOCに加盟できないし、五輪の出場権も得られない。しかし、野球には国内 唯一の統括団体は存在しない。アマ側は全日本アマチュア野球連盟(社会人野球を統括する日本野球連盟と学生野球を統括する日本学生野球協会で組織、以下全 アマ連盟)があり、全アマ連盟がJOCの加盟団体になっている。しかし、プロ側の日本野球機構は全アマ連盟とはまったく関係をもたないし、JOCの加盟団 体でもない。

 アテネ五輪に出場した長嶋ジャパンは、アマ側だけの統括団体である全アマ連盟を「身元引受人」にして、JOCとはまったく関係のない日本野球機構に所属 するプロ選手で編成された、極めて特異な日本代表チームである。しかし、岡本選手の派遣には大原則を適用しようとしたJOCだが、プロ選手で編成された野 球代表には何の異論もはさまなかった。

 それどころか長嶋氏をJOCの「エグゼクティブアドバイザー」に就けるなど、積極的に野球の代表チームを後押しした。主要メディアも同じ立場である。野球だけは、特異な日本代表が何の疑問ももたれずにアテネに出場した。

 野球はロス五輪(1984年)から公開競技になり、バルセロナ五輪(1992年)で正式競技に採用された。そしてシドニー五輪(2000年)からプロの 出場が認められた。五輪の野球ははアトランタ五輪(1996年)までは、アマだけが出場していた。だから、アトランタ五輪までは、アマ側だけの統括団体で も問題はなかった。全アマ連盟自体が、五輪公式競技に採用される際、五輪参加のため統括団体が必要になり、社会人、学生野球団体が結成した組織である。

 アマ・プロの混成チームを派遣したシドニー五輪からは、野球界は本来ならばアマ・プロ合同の統括団体を設立し、その団体がJOCに加盟する必要があった。しかし、野球界からはそうした動きはなかった。JOCも参加要件を満たすよう、野球界働きかけることはなかった。
 
 なぜ野球だけがこうも特別扱いされるのか。それは、野球だけは、日本のスポーツ界において、何ごとにおいても特別扱いされるのが当然の「特権階級」だったからである。

 【注】全アマ連盟は厳密に言えば、アマ野球界の統括団体とは言い切れない組織です。JOCの加盟団体の要件を満たした団体とも言い切れません。しかし、 JOCが全アマ連盟を統括団体と認めた上で、野球の日本代表を五輪に派遣している事実から、今回のコラムでは全アマ連盟を統括団体として扱いました。その 辺の事情についても、次回のコラムで書き込むことにします。(2004年9月28日記)

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2004年09月27日(月)萬晩報通信員 成田 好三
 プロ野球は国内に限定された「鎖国スポーツ」である。W杯や五輪に出場して、そこで勝つことを最高の目標とする他の競技とは違って、プロ野球は国際大会を目標に掲げたことはない。

 プロ野球の「憲法」である野球協約は、MLB(メジャーリーグ・ベースボール)優勝チームとの「世界一決定戦」実現をうたっているが、絵空事にすぎない。目標実現のために理論武装も外交努力も、何もしていないからである。

 2、3年に1度程度、MLB選抜チームやMLBの単独チームが来日し、プロ野球選抜チームや単独チームと試合をするが、あれは真剣勝負の場ではない。親善試合、エキシビションの類のものである。

 球界再編、1リーグ化をめぐって、オーナー会議などで韓国、台湾との東アジア優勝決定シリーズや東アジアリーグ構想が浮上した。しかし、これも1リーグ 化に伴うマイナス面を補うための「方便」である。オーナー会議の中でこれまでそんな構想が論議されたことはない。韓国や台湾のリーグ側と構想を話し合った こともない。

 今年、MLB側から提案された野球のW杯開催についても、まともに取り合ってはいない。プロ野球は国際競技としての野球には関心がない。国際競技化することによる市場拡大にも興味がない。

 野球の国際化に関心のないプロ野球は、選手の海外進出、具体的にはMLB入りも阻止してきた。野球に限らず、競技者(アスリート)がより高いレベル、最高レベルの競技環境を求めるのは、いわば本能である。球界は、選手の本能を長い間、封じ込めてきた。

 プロ野球選手の海外進出の先駆者は野茂英雄である。近鉄を退団した野茂は1995年、MLB・ドジャースに入団した。ワールド・シリーズまで中止となったMLB長期ストが行われた翌年だった。野茂はその年、リーグの新人王と奪三振王を獲得し、鮮烈なデビューを飾った。

 野茂は追われるように日本を離れた。近鉄に複数年契約を求めた契約交渉が決裂し、任意引退選手となってMLB入りした野茂に対して、球界とそれに関わる人たち、野球解説者やマスメディアは、まるで連携したかのように「罵詈雑言」を浴びせかけた。

 しかし、彼らの対応は、野茂のMLBでの活躍によって、手のひらを返すように激変した。野茂の人格攻撃までした解説者やマスメディアは、その年のうちに野茂の「賞賛者」に変身した。その辺の事情を今も記憶している心ある野球ファンは多いに違いない。

 野茂の成功は、後進に大きく道を開いた。佐々木主浩、イチロー、松井秀喜、松井稼頭央らスターたちが続々とMLB入りした。今年、MLB最多安打257本の更新を狙うイチローはMLBのスーパースターになった。プロ野球からMLBへの流れはもう誰も止められない。

 野茂の成功は、プロ野球とは違うMLB文化を日本にもたらした。日本最大のTV局であるNHKが、当時普及し始めたばかりのBS放送の「目玉コンテン ツ」として野茂を位置付けたからである。NHKがその年、野茂の登板した全試合をBSで放送したことで、MLB人気に火が付いた。

 NHKはMLBを積極的に日本に紹介しようと狙ったわけではない。「目玉コンテンツ」である野茂、そしてその後の佐々木、イチロー、松井秀らを露出させ ることによって、BS放送を普及させようとしただけである。NHKは今年、いまや彼らの「秘蔵っ子」になった松井稼、イチローに、正午と夜7時の定時 ニュースで、「きょうの松井稼」「きょうのイチロー」枠を設けるほど肩入れしているが、MLBの試合結果などには興味はない。

 しかし、BS放送を通して日本でも多くのMLBファンが生まれた。そして、MLBファンはプロ野球との違いに気付きだした。内野に芝生があることによる 内野守備の面白さ。プレーの質の高さはもちろんだが、選手が観客席に飛び込んでしまうほどのフェンスの低さ。内野スタンドとフィールドを隔てるネットなど ない一体感。MLB最古の球場であるボストン・フェンウェイパークの左翼にそびえる「グリーンモンスター」。2番目に古いシカゴ・リグレーフィールドの外 野フェンスを覆うツタ。強制的にではなく、自然発生的に生まれる声援とブーイング―。プロ野球にはない野球の楽しさを発見した。

 今年のオールスター戦前日に行われたホームラン・ダービーには象徴的な「演出」があった。ダービー前のセレモニーでは、最多本塁打記録をもつハンク・ アーロンはじめ500本塁打以上の記録保持者が勢ぞろいした。そして、ダービー本番中の外野には、強打者たちの打球をキャッチしようとする、ユニホームを 着てグラブをもつ小学生たちがいる。MLBは100年もの歴史と未来を担う子どもたちに支えられていることを端的に示す演出だった。プロ野球にはないもの である。

 江戸時代末期、浦賀沖にやって来た4隻の蒸気船は、徳川300年の太平の眠りを覚まさせた。「黒船」である。野茂やイチロー、松井秀を「看板商品」とし て、NHK・BS放送に乗ってやってきたMLBも、プロ野球にとっては「黒船」になった。しかし、「黒船」来襲にも眠りから覚めない人たちがいた。プロ野 球の球団オーナーら球団経営者たちである。

 彼らはこう考えていたのだろう。長嶋茂雄氏が引退あいさつで使った言葉、「読売巨人軍は永遠に不滅です」になぞらえて言えばこうなる。「プロ野球は他の スポーツとは別格の国民的人気スポーツである。何もしなくても、何も変えなくても、プロ野球人気にかげりなど起きようもない。プロ野球人気は永遠に不滅で あり続ける」。彼らは、彼らの足元が音をたてて崩れ始めたことに気付こうともしなかった。(2004年9月24日記) 

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2004年09月26日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 株式会社による病院経営について考えている中、「営利」とは何かという疑問が湧いてきた。

 会社の同僚にも「営利ってなんだと思う?」などと質問した。病院だろうが企業だろうが、従業員の給与など諸経費を支払って余りがなければ誰も経営に乗り 出さないだろう。病院だって事業である。徒手空拳では何も始まらない。利のないところに事業などあるのだろうかという疑問である。

 そこそこの"投資"が必要であり、銀行から借金すればそれはそれで返済が伴う。借金を支払って後、自分への見返りがサラリーマン並みならばだれも病院を 経営しようなどとは思わない。もちろん例外はある。私財を投げ打つ人もいないわけではないが、大方はそうでない。

 そうなると、病院経営だって"営利事業"のひとつとなる。その証拠に病院は財団法人のように非課税団体ではない。

 先日、麻生飯塚病院が株式会社だったことを知って思わずコラムを書いた。翌日、仙台市の読者から「2004年3月末で全国に59カ所もある」とのメール があった。世の中を知らないわが身を恥じたばかりである。20年前には100以上もあったというのだから、株式会社による病院経営の是非をうんぬんするな どはもはや時間の無駄であろうと思えてしかたなくなってきた。

 さて「営利」である。元住友銀行の専務で現在広島国際大学教授である岡部陽二氏の論文「業員経営への株式会社参入の是非を問う」に鮮やかに説明してあっ た。これも読者からメールをいただいて知った情報である。長年経済部記者をやっていて「営利」について真剣に考えてこなかった反省もある。少々長いが引用 させてもらう。
「会 社は営利事業を行って、その事業から得た利益を出資者に分配することを目的とした社団であり、営利性の本質は「利益の出資者への分配」に求められる。利益 配分の方法は利益配当、残余財産の分配であるが、出資者は持分の譲渡により譲渡益を得ることもできる。逆に、利益をすべて内部留保して永久に分配しない法 人が、非営利法人である」
  なるほど「もうける」ことが「営利」ではないのだ。利益の配分をするかしないかの問題に単純化すれば、分かりやすい。大学の経済学部でもそんな授業をやっ てくれていれば、もっとまっとうな経済部記者になれたかもしれない。岡部氏の説明はさらにアメリカの病院経営へと続く。
「米 国では病院を営利(for-profit)と非営利(not-for-profit)を分別しているが、非営利病院も最終的に利益が上がらなければ存続で きないので、利益を追求する点では営利病院と何ら異なるところはない。区分のポイントは出資者への利益配分を意図しているか否か(forかnot- for)にある。逆に、出資者の側から見ると、その投資から得られる配当・譲渡益などの利益分配(profit)を期待しての拠出であるのか、社会貢献を 目的とした利益配分は求めない寄付であるのかの違いとなる」
「政 府としても非営利病院への寄付を奨励するために寄付にかかる税金は減免し、非営利病院の利益に対する課税免除の代償として、救命救急・小児医療や予防啓発 活動など必ずしも利益を生まない不採算医療にも注力し、事業を通じて社会還元を行うことを義務づけている。また、通常非営利病院は多くのボランティア活動 によって支えられており、いわば寄付と慈善とボランティアの複合経営体と理解すれば分かり易い」
 非営利病院が成り立つ背景に、寄付社会アメリカならではの税制がちゃんと存在しているということなのだ。そしてなぜ営利主義の病院経営が必要なのかを説明する次のくだりは、反対論者をもうならせるものとなっている。
「民 間中心の医療供給体制の中で、非営利法人が市場を独占している場合の問題点は、市場競争を排除し非営利組織内で働くものの利益を含む供給者主体の運営に陥 りがちである点にある。医療は非営利病院主体での供給体制が望ましいとしても、営利病院との競争に曝されて効率経営を追求せざるを得ない環境に非営利病院 をおくことに意味がある。非営利病院間で競争原理を働かせることも不可欠ではあるが、参入主体を制限すればするほど競争は行われなくなる。福祉事業におい ても、社会福祉法人の独占体制には問題点が多い」
 岡部先生の論文によれば、非営利団体ばかりの業界では競争がなくなり、それぞれの組織運営がどうしても非効率に陥ってしまう。営利団体の参入はそうした非効率経営に多大な刺激を与えるためにこそ必要なのだということになる。

 筆者は株式会社による病院運営を認めるべきだと考えてきた。その趣旨は岡部先生と同じである。付け加えるならば、民間の病院経営が地域への貢献だとか弱 い者への慈悲の心だけで成り立っているわけではないということも強調したい。この日本では、営利であろうと非営利であろうと過疎地で経営する民間病院は皆 無である事実をみればすでに明らかである。

 もっともこれまでの日本的株式会社にも問題があった。経営者たちは、内部留保ばかりやって株主配当をほとんど無視してきた。揚げ句の果てはその株主のも のであるはずの巨額の内部留保をバブルでなき物にしてしまったという事実も忘れてはならない。

 岡部先生の論文
http://www.okabe.org/yoji/yoji_docs/021107Hospitalincorporated.htm
2004年09月25日(金)萬晩報通信員 成田 好三
  日本最大の娯楽産業であるプロ野球ほど外部に対して閉ざされた世界はない。外部とのかかわりを拒否する「閉鎖系」システムは、球界を構成する選手、球団、 機構、すべてに及んでいる。こうした「閉鎖系」システムを、外部に対して開かれた「開放系」システムに変革しない限り、球界再生への道はない。

 日本独自のスポーツ文化である大相撲を除けば、日本の人気プロスポーツは、プロ野球のほかサッカー・Jリーグ、男女のゴルフツアーがある。ゴルフのオー プン・トーナメントにはプロに交じってアマも出場する。女子ツアーでは昨年、当時高校生だった宮里藍が優勝した。プロとアマは同一の条件とルールのもとで プレーする。その違いは、アマは賞金を受け取らないことだけである。

 Jリーグでは、ホームタウンやキャンプで、Jリーグ球団と地元やキャンプ地の高校生チームが練習試合を行う。天皇杯では、日本のトップリーグであるJ1チームから高校生チーム(高校生世代のクラブチーム)まで同一のトーナメントを戦う。

高校生や大学生がJリーグのゲームに出場することができる。東京ヴェルディの森本貴幸は中学生でJ1の試合に出場した。プロとアマの違いは、プロ登録しているかどうか、プレーすることによって報酬を得るかどうかだけである。

 アマスポーツであるバレーボール、バスケットボール、ラグビーのトップリーグでは、チームはまだアマのままだが、チームと契約したプロがいる。アマから プロに移行する過渡期にある競技では、プレーすることによって報酬を得るプロが存在している。ラグビー日本代表の大畑大介、女子バレーボール・五輪代表の セッター、竹下佳江は所属チームとプロ契約を交わしている。

 スポーツの最高の舞台である五輪にアマの概念は存在しない。いまからちょうど30年前(1974年)、IOCは五輪憲章から「アマ規定」を削除したからである。それ以降、五輪にプロの出場が可能になった。アテネ五輪に出場した世界各国の有力選手のほとんどはプロである。

 野球では、サッカーのように、高校生や大学生、社会人がプロとともに練習することはない。アマ球団がプロ球団と試合することもない。アマとプロの間に分厚い壁があるからである。

 プロ(球団)と高校生(高校チーム)の接触は禁じられている。プロは母校のグラウンドに足を踏み入れることさえできない。禁止されている「直接指導」に 該当すると指摘される恐れがあるからである。ドラフトで指名される高校生は、それ以前に退部届を出す。高野連が部員の「身分」のままでのプロとの接触を禁 止しているためである。プロ入りするその高校で最も優れた能力をもつ高校生は、卒業する3月まで部員ではいられない。彼らは「中途退部者」扱いになる。

 アマを強引にプロ球団が引き抜いたことから起きた「柳川事件」(1961年)により、プロ・アマの関係が断絶するという歴史があったにせよ、「柳川事件」は40年以上前の出来事である。プロ・アマ球界ともこうした異常な関係を抜本的に改善する努力を怠ってきた。

 近鉄とオリックスの合併問題に端を発した、もっと正確に言えば今年1月の近鉄の球団命名権売却問題に端を発した球界再編問題では、球団の赤字経営やその 原因の1つとなったドラフト制度の改悪に焦点が当たっている。しかし、それらは「二次的」問題である。時代遅れのプロ・アマ対立をいまも引きずる、アマ球 界を含めた球界全体の時代遅れのシステムにこそ根源的な問題がある。(2004年9月21日記)

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2004年09月24日(金)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 米国は戦争であまりたくさんの自国兵士を犠牲にすることができないとか、戦死兵士数がある境界線をこえると米国内で反戦機運が高まるとかいわれる。例としてベトナム戦争がよくあげられる。 

 少し前、開戦以来の米兵士・死者数が一千人をこえたというニュースが流れた。このときも米国内での風向きがかわることを期待する人がいたが、事態はその 方向に展開する雰囲気ではないし、なかなかそうならない気がする。というのは当時と現在をくらべると、状況も相違し時代も変わってしまったところがあるか らだ。

 ■別のタイプの戦争

 米国が多数の自国兵士を犠牲にすることができないことからはじめる。この国が過去にした戦争の大多数は国外へ軍隊を派遣する介入戦争であった。戦争理由 は、外敵に対して自国を守るとか、領土を拡大するとかいった具体的なことでなく「自由世界の防衛」とかいったことで自国民の大部分には抽象的でピンとこな いものであった。(ちなみに、侵入してくる敵軍と戦う国は兵士の命を平気で犠牲にする。)

 理由が自国民の眼にはっきりしない以上、兵士の命を犠牲にするのに遠慮がちになっても不思議でない。この国が猛烈な物量作戦・ハイテク戦争を展開するはこの結果である。かってのベトナム戦争はこのような米国の介入戦争の典型的な例であった。

 20世紀にこの国が他国に先駆けて熱心に実施したのは戦争宣伝であるが、これも、大多数の自国民に対して戦争の正当性がはっきりしなかったからである。 こうして、米国は黙って戦うのでなく(戦争しながら)交戦国を悪者呼ばわりする。このような米国のおかげで、欧州で何世紀も忘れられていた「正戦」という 概念が国際社会に復活したといわれる。

 米国が過去にした別のタイプの戦争は原住民・インディアンに対する戦いであった。開拓民は自分の家族の安全が原住民に脅かされていると思って戦ったので自衛戦争に近く、ピンとこないことのために戦う介入戦争とは性格が異なる。

 第二次大戦中、ヨーロッパでドイツと戦った米国は介入戦争をしていた。ところが、太平洋で日本相手にした戦争はインディアン討伐戦争の延長にあったので はないのか。米国の対独戦争と対日戦争のこの相違について、私は昔日本にいる頃考えなかった。ところがドイツで暮らすようになり大西洋越しにこの国を意識 するようになってから、この相違に知らん顔できなくなる。一度、知人の映画評論家は日本兵が米国の戦争映画で「黄色のインディアン」になる点を指摘した。 9.11の数ヶ月前に封切りされた米映画「パール・ハーバー」の中でも、(日本の参謀会議が野外の天幕で開催されていた例がしめすように、)日本軍がイン ディアンと似せて描かれていた。これも彼らの戦争観の反映で偶然でない。

 それでは、9.11以来の「対テロ戦争」はどうであろうか。事件直後、多くの米国人が「パール・ハーバー」に喩えただけでなく、自国民の安全が侵され て、また脅かされていると感じている以上、インディアン討伐戦争と同じタイプの戦争ではないのか。とすると、ベトナム戦争の米国と現在の米国とではやって いる戦争のタイプが異なることになる。

 米国の原住民討伐型戦争は一見自衛のための戦いであるが、外から侵入してくる敵と戦う普通の国の自衛戦争と異なる。というのは原住民は外から侵入してき た敵ではなかった。ピルグリム=ファーザーズの子孫の意識の上ではあくまでも「新世界」の「内なる敵」と戦っていることになる。そのために、米国がこのタ イプの戦争をするときには、客観的には外国にいる敵も「内なる敵」になってしまうのではないのだろうか。

 例えばイラクで英軍に対するより米軍に対する住民の反感がはるかに強い。こうであるのも、この国が原住民討伐型の戦争をしていて、意識の上で内外の区別が希薄になり文化の異なる外国で自分たちが作戦を展開していることはじめから考えないからである。

 ベトナム戦争は内と外の区別が希薄になるタイプの戦争でなく介入戦争であった。だからこそ当時、遠い外国と身近な国内の区別が意識されて、国外で発生す る膨大な戦費とジョンソン大統領(当時)の「貧困撲滅」という国内政策の矛盾がより多くの人に感じられたのではないのだろうか。現在イラクで気が遠くなる ような膨大な戦費が発生している。このことがベトナム戦争のときほど問題にされていないような気がする。これは現在別のタイプの戦争をしているためではな いのか。

 ■アウトソーシング

 少し前ドイツの公的職業斡旋機関がその求人雑誌の中でイラクのモスール飛行場で勤務する警備員をさがしていた。英会話と武器使用能力が採用条件である。 広報担当者によると危険な戦闘地域での求人の仲介は特別なことでなく、過去にもアフガニスタンで働く人々が似たように斡旋されたそうである。

 組織が今まで内部でしてきた業務を外部に委託することは「アウーシング」と呼ばれる。ここで問題になっているのは「軍事アウトソーシング」で、1991 年の湾岸戦争時の米軍で軍務に服す50人のうち1人が民間人であった。例えば、彼らは兵器メーカー社員で技術要員としてメインテナンスなどに携わった。

 ところが、今回のイラク戦争ではこの割り合いが10人に1人になる。米軍の民営化率が2パーセントから10パーセントに上昇したことになる。その仕事も 技術的メインテナンスに限られず、戦闘という軍人本来の任務と重なる。それどころか、彼らは高い日当をもらい危険な戦闘に投入されるので昔風にいえば傭兵 である。今年激戦の3月末から4月はじめの一週間で約80名の警備員が死んだといわれている。今イラクにはこのような民間勤務の警備員すなわち傭兵が2万 から2万5千人はいるといわれている。 

 少し前、私たちは欧米の幾つかの新聞からとんでもない話を知る。それは、アイルランド系米国人ロビー団体幹部の牧師がブッシュ大統領宛に送った抗議の手 紙である。彼は、イラクの米軍がでアイギス・ディフェンス・サービスという警備会社に2億9千3百万ドルの仕事を発注したことで憤慨している。英軍退役将 校・ティム・スパイサー中佐が社長をつとめるこの警備会社の下で現在イラクでは50社に及ぶ警備会社が活動している。

 この牧師がなぜ怒っているかというと、このスパイサー中佐が北アイルランドのベルファストで昔起こった18歳のアイルランド人青年虐殺事件の責任者で あったからである。ちなみに、スパイサー中佐は、今まで世界各地の内乱地域で警備会社を率いて活躍した「国際的警備業界」の重要人物である。

 民間の警備会社のイラク駐在員が米軍の委託業務を遂行中に死んでも、1000ドルの特別日当をもらっているので、自業自得と考えて同情も覚える人は少な いかもしれない。彼らが死んでも民間人であり兵士でない以上、米軍兵士の戦死としてカウントされない。その死も近親者だけが関心をもつ個人的な死である。 この警備員の国籍が米国人であっても祖国のために命を捧げたとは誰も考えない。

 私たちはベトナム戦争の頃とは本当に別の時代に住んでいるし、米国社会も変わってしまったのである。

 ■グリーンカード部隊

 去年米軍がバグダッドに入った頃のことである。私がドイツでテレビを見ていると、ドイツ人アナウンサーが米軍兵士の一人に英語で話しかけた。すると、答 えがドイツ語でもどってくるではないか。アナウンサーも視聴者も驚く。彼はドイツで生まれ育ち成人後米国に渡って暮らしていて兵士になったとのことで、今 でもドイツ国籍であると語った。米軍には、彼のように兵士になった米国滞在外国人が3万7千人もいて「グリーンカード・ソルジャー」と呼ばれる。

 イラク戦争中にドイツで報道され、多くの人がショックを受けたニュースがある。それは、戦争開始後最初に戦死した10人の兵士のうち5人は米国国籍をも たない外国人、グリーンカード・ソルジャーで、そのほとんどがラテン・アメリカ出身者であったことである。

 戦死者の半分が外国人となると、グリーンカード・ソルジャーが特に危険な戦線に投入されていることになりそうである。282人の米兵士が死んだ2003 年8月下旬の統計によると戦死外国人兵士が占める割合が10人に1人まで下がる。3万7千人の外国人兵士は140万の米軍全体の2,6%を占めるに過ぎな い。外国人兵士が戦死兵士全体の10パーセントを占めるのは大きい数字である。

 それでは、外国人は自分が死ぬ確率が高いのになぜ軍隊に勤務しようとするのだろうか。

 その理由の一つは米国国籍が欲しいからである。イラク戦争をはじめる前の2002年7月3日に、ブッシュ大統領は、対テロ戦争に従軍する外国人兵士に米 国籍取得するのに便宜をはかることを約束した(http://www.whitehouse.gov/news/releases/2002/07 /20020703-24.html)。それまで申請後5年も6年も待たなければいけなかったのが、この結果軍隊に勤務すると半年に短縮される。

 外国人兵士の多くはラテン・アメリカ出身で、例えば最初に戦死した兵士の一人であるホゼー・アントニオ・ギテレス海兵隊員(28歳)はグァテマラ人で子 供のときに両親を失いスラムで育った。彼は6年前にメキシコから不法入国したが、運良く難民として認定されて滞在許可証を取得。国籍を取得して妹を米国に 呼び寄せて自分は大学で建築の勉強をすることが彼の夢であったといわれる。

 軍隊に応募する若者のために「今日の軍隊へようこそ」というインターネット・サイトがある (http://www.todaysmilitary.com/index.php)。この英語のサイトはクリックするとスペイン語で読めるようにな る。こうであるのは、戦死したホゼー・アントニオ・ギテレス青年のように闇に紛れてリオ・グランデ川を渡って来た人々がお目当てだからである。

 このサイトは若い人々にいかに軍隊がよい職場であるかを、また奨学金や雇用の上で多くの特典が得られることをていねいに説明するページである。(若い頃日本で兵役もなく受験勉強さへしていれば済んだ私には胸がしめつけられるページである。)

 ベトナム戦争の頃の米国には徴兵制度があった。いろいろな工夫をして徴兵を免れた人がいたかもしれない。でもベトナムのジャングル送りになるかどうかは 抽選で決まったので、特定の条件を満たす米国人男性の誰にも訪れる運命のようなものであった。(そういえば、父親のコネでこの運命を免れることができても 居心地が悪くアル中になった人もいた。)

 アフガニスタンやイラクで戦死したり負傷したりする人々は外国人であるにしろ、軍隊が提供する特典にひかれる同国人であるにしろ、社会的な弱者である。 悲しいことに、彼らの死は重視されない。去年イラクよりニューヨークのスラムにいるほうが死亡率が高いと主張する米人ジャーナリスの記事を眼にして私は苦 笑するしかなかった。米国社会はベトナム戦争の当時とは別な社会になったのである。

 米軍は140万の員数を維持するために毎年20万の新たな応募兵を必要とする。対テロ戦争開始以来志願者の数も、また軍務契約の延長を望む人の数もへる 傾向にある。米軍スカウトがメキシコ領土内に入ったり、カナダのインディアン居留地まで出掛けたりして募集活動をして物議をかもす。これも兵員不足の反映 である。

 このような兵員不足のために1973年に廃止した徴兵制度を復活させる動きがみられる。でも徴兵制度はフランス革命以来の国民国家の根幹であり、一度捨ててまた必要になったといって簡単に再開できるものではない。

 おそらくそうならない。米国は、すでに述べたアウトソーシング率を高め、「スズメを大砲で狙い撃ち」するような武力行使のハイテク化によって兵員不足の 危機に対処するだけである。この結果イラクの住民の反発が強まり混乱状態が深まるだけのように思われる。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2004年09月23日(木)萬晩報通信員 園田 義明

 ■20世紀の太平洋は米共和党の海となり、大西洋は米民主党の海となった

「海洋のうちでも、太平洋は常に米国の孤立主義者のお気に入りの海原であった。それは太平洋が大西洋ではないという単純な理由によるものであった。孤立主 義者は紛争にまみれた欧州思想の導入に反対し、欧州に対する憎悪さえ見出せる。これらの感情は政党政治にも表れ、20世紀の太平洋は米共和党の海となり、 大西洋は米民主党の海となった。共和党の外交政策は、概して日本と中国に関するものとなる。」

 これは、ウィリアム・マンチェスターが書いた『ダグラス・マッカーサー』(河出書房新社)で見つけた一節である。リチャード・H・ロヴィーアとアー サー・M・シュレシンジャー・ジュニアの1951年に書かれた共著『The general and the President, and the future of American foreign policy By: Richard Halworth Rovere;Arthur Meier Schlesinger 』からの引用として紹介されており、原著を取り寄せて補足したものである。

 リチャード・H・ロヴィーアは進歩的な米週刊誌「ネーション」の副編集長などを経て、東部リベラル系の「ニューヨーカー」の花形記者として活躍した米国 有数のジャーナリストであり、特に人物素描に優れ、米国のエスタブリッシュメントを題材にした著作も多く残されている。日本では彼の代表作である『マッ カーシズム』(岩波新書)が翻訳されている。

 「ニューヨーカー」と言えば、最近ではアブグレイブ虐待事件を告発したセイモア・ハーシュ記者が一躍有名となったが、昨年3月に同じく「ニューヨー カー」でネオコンのリチャード・パールとサウジアラビアの武器商人との不透明な関係をスクープした(拙著『最新アメリカの政治地図』P242参照)のも ハーシュである。

 また、アーサー・M・シュレシンジャー・ジュニアは、拙著でも取り上げたように、今や日本メディアがこぞって取り上げるようになった米国の分裂をいち早く取り上げた米国を代表する歴史家である。

 このふたりがマッカーサー解任問題を取り上げた著作の中で記したこの一節は、米国の地政学と地経学に基づく壮大な戦略を読み解く上でも極めて重要な意味合いを持っている。

 ■その後の民主党と共和党、そしてイラク戦争

 この一節を現在に置き換えればこうなる。

「その後、民主党は日本を加えた日米欧三極主義を旗印に、共和党の牙城である日本、そして中国へと触手を伸ばし始めた。しかし、EUの拡大によって米国の 存在感は急速に弱まりつつある。一方で共和党は、孤立主義が故に、新たな勢力拡大を怠った。しかし、レーガン時代を契機に民主党からの転向組であるネオコ ンと協調しながら介入主義に転じ、その戦略は中東へと向けられる。そして、強引に中東を奪い取るための戦争が開始される。それがイラク戦争であった。しか し、孤立主義者が本来得意とするのは日本、中国であり、大方の予測通り大きな犠牲をともなう結果となった。」

 孤立主義者の焦りを生んだ要因には、彼らにとってのエンジン役を担った日本経済の低迷もあげられる。従って彼らにとって新たなエンジン役が必要であっ た。そして、都合良く2001年の米同時多発テロが勃発、これを巧みに利用しながら、新たなエンジン役を求めてイラクへと邁進する。しかし、かつての日本 における占領実績に裏打ちされた彼らの自信は、もろくも崩れ始めている。

 そもそも国際協調的な志向を持たない孤立主義者は、狙い通りに民主党と欧州との関係に亀裂を生じさせた。その修復を目指すための大統領選の行方は 2008年へと持ち越される公算が大きい。しかし、今年の大統領選で唯一注目されるのは、プロテスタント大国である米国にあって、民主党がケリーを立て、 ケネディ以来となるカトリック大統領を目指したことだ。

 日米欧三極主義の拠点であるトライラテラル・コミッション(三極委員会、旧日米欧委員会)はカトリックと密接な関係を持っている。このことは、トライラ テラル・コミッションの設立に深く関わった米国を代表する地政戦略家ズビグニュー・ブレジンスキーがカトリックであり、連載中の最新日本政財界地図(4) で指摘したように、トライラテラル・コミッションの日本側主要メンバーである小林陽太郎、緒方貞子、山本正もカトリックであることからもより明確になって いる。

 歴史を紐解けば、プロテスタントもカトリックも反共という面では結びつきもあった。しかし東西冷戦の崩壊は両者を再び切り離し、これが米欧の分断に火をつけ、米国大統領選自体も踏み絵を迫る構図となっている。

 ■太平洋の嵐に巻き込まれる日本のプロ野球

 今まさに太平洋に歴史的な嵐が吹き荒れている。日本のプロ野球もその嵐に巻き込まれたようだ。パシフィック・リーグ(旧太平洋野球連盟)の近鉄とオリッ クスの合併をめぐって混乱し、選手会は9月18、19日の公式戦のスト突入を決める。プロ野球でストが行われるのは70年の歴史で初めてとなった。

 この日本のプロ野球界が一丸となって金メダルを目指したアテネオリンピックの予選リーグに出場した8カ国は、日本、キューバ、カナダ、オーストラリア、 台湾、オランダ、ギリシャ、イタリアである。また、現在プロ野球がある国は、米国、カナダ、オーストラリア、メキシコ、オランダ、イタリア、日本、韓国、 台湾、中国などがあげられるが、この中の日本、オーストラリア、オランダ、イタリア、韓国はイラクへの主要派兵国となっている。

 米国発祥のベースボールが共和党の海に浮かぶ国々、もしくはオランダのようにプロテスタントとの関係が深い国々と結び付いていることがわかる。つまり、 ブッシュ共和党政権が主導したイラク戦争における有志連合とベースボールは切っても切れない関係にある。そして、植民地時代の名残からカトリックの影響が 強く残るサッカーと比べて、ベースボール圏がいかに狭いものかが理解できる。

 しかし、皮肉にも派兵連合国を破って金メダルを獲得したのは、米国との緊張が続くアマチュア野球大国のキューバ共和国であった。

 2008年の北京オリンピックを目指して中国も2002年3月にプロ野球リーグとして中国棒球リーグ(CBL)を発足させているが、CBLの運営には日 米韓の合弁会社であるダイナスティ・スポーツ・マーケティング(DSM、本社・東京)がコンサルティング契約を結んでいる。将来の中国市場の開拓に向け て、ミズノとキャノンと日本航空がCBLのスポンサー、そして各球団スポンサーには、カルビー(広東レパーズ)、全日空(北京タイガース)、日立建機(天 津ライオンズ)、サントリー(上海イーグルス))などが就き、10社あるスポンサーのうち日本企業が7社、米国が2社の布陣でCBLを支えている。

 ソフト・パワーの権威であるジョセフ・S・ナイ教授(ハーバード大学ケネディスクール院長、クリントン政権国防次官補)を民主党からトレードすれば、共 和党も本腰を入れてワールドカップ・ベースボールの実現に取り組むかもしれない。しかし、孤立主義者はたとえ得意の中国であっても、瞬時に大金が動く戦争 ビジネスの方がお好みのようだ。

 盟主たる巨人の視聴率は最低記録を更新し続けている。人気回復こそがプロ野球界全体が一丸となって取り組むべき問題であるはずが、どうやら孤立主義の権 化達は既得権益にこだわり続けている。グローバルな日本企業がそんな日本の野球界を見捨てて、CBLに巨額な投資をするのもやむを得ないのかものかもしれ ない。たかだか70年の歴史に守られた世界にふんずりかえっている日本のプロ野球界と日本の政界は双子の兄弟のように見えてしまう。

 ■共和党と共和党に従順な人達の未来

 日本は太平洋の覇権をめぐる米国との戦争に敗れ、以後主に共和党にとってエンジン役となった。その役割は経済、つまり一種の共和党名義の金庫のような存 在である。都合のいい時に大量のマネーが勝手に引き出されていく。時には企業丸ごと引き出されることもあるが、貢ぎ物としてよろこんで差し出すのが、戦後 の習わしと考える人もいるようだ。

 郵政という名の巨大な金庫もなにやら怪しい動きが水面下で進められている。小泉首相は今月末の内閣改造に向けて「改革の本丸である郵政民営化への協力は 当然だ。妨害する人を起用する考えはまったくない」として、郵政民営化を踏み絵に宿敵である橋本派を追い込み、政権運営の主導権を握ろうとしている。得体 の知れない小泉原理主義が一層顕著になってきた。

 また先月8月には竹中平蔵金融・経財相が訪米し、ニューヨーク市内で8月12日に行われた講演では、先の参院選で小泉政権による構造改革は国民から支持 されたと強調し、今後は郵政事業の民営化に全力を挙げる考えを示した。郵政改革を妨げる最大のリスクは「与野党の政治勢力」と指摘するなど、わざわざ米国 まで出掛けて国内の与野党を批判し、郵政民営化全力宣言を発するという前代未聞の演説をやってのけたのである。

 政治家達、読売グループ、そしてその御用聞き評論家達、つまり共和党に従順な人達は、万が一ジョン・ケリー大統領が誕生した場合、またしてもジャパン・ パッシング(日本素通り)の嵐が吹き荒れるのではとの不安で夜も眠れぬ日々を過ごしている。

 彼らはブッシュ共和党政権誕生に絶大な拍手を送り、イスラエルのために活動するネオコンが共和党にとって異質な存在であるにも関わらず、その分析を怠 り、言われるがままに米国に追従しようとした。すでに共和党が本来の姿を見失っていることに気付かずに、共和党が見守る太平洋の海で安らかに漂うことを今 なお夢見ているのである。

 確かにこの現在の日本の風土を現実として受け入れれば、共和党追従路線は間違えてはいない。しかし、新たなエンジン役としてのイラクが軌道に乗りはじ め、共和党内部のチャイナ・クラウド(中国派)が勢力を巻き返せば、日本への見方に変化が生じる可能性もある。

 今年の日米野球は「イオン オールスターシリーズ2004 日米野球」となっている。その名の通り岡田克也民主党代表の一族のイオンが特別協賛(冠協賛)しているのである。そろそろイオンには米中野球が行われるよ り先に、日中野球の準備をお勧めしたい。

 もはや手遅れかもしれないが、ここで『最新アメリカの政治地図』でも取り上げた2000年大統領選の共和党指名候補でブッシュと戦ったジョン・マケイン の発言を愛すべき共和党に従順な人達や小泉原理主義を責めきれない日本の民主党に捧げたい。キリスト教右派を創価学会や大リーグ、あるいは共和党や米国に 置き換えれば、成すべき改革が見えてくるはずだ。

「共和党再建のためには、キリスト教右派と明確に一線を画して、中間層に新たな支持層を構築しない限り共和党に未来はない」

 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年09月21日(火)萬晩報通信員 成田 好三

 労働組合・プロ野球選手会が9月18、19日のストライキを決行した。当然の結論である。選手会は、ある理由からストを決断せざるを得なかった。ここで ストを回避してしまえば、時代遅れで制度疲労が露わになった球界のシステムを変革する機会を失うからである。現行システム維持に汲々とする経営者側と同じ 立場に立たないためである。

 9月16、17日の「労使交渉」(経営者側は選手会を労働組合とは認めていない)の焦点は、来季から新規参入が認められるか否かだった。

 選手会が求めていた近鉄・オリックスの合併1年延期は、実現の可能性はもともとなかった。球界の最高意思決定機関であるオーナー会議の決定事項だったか らである。さらに、近鉄には来季以降、球団を経営し続ける意思などなかったからである。選手会もその事実は理解していた。

 選手会が、交渉によって得ようとした結果は、新規球団の来季からの参入である。選手会の要求を球団側は拒否した。それで、スト決行は決定した。

 球界への新規参入に名乗りを挙げたライブドア、楽天とも来季からの参入を前提にしていたからである。生き馬の目を抜くようなIT産業の経営者であるライ ブドアの堀江貴文氏氏、楽天の三木谷浩史氏が来季の参入を阻まれた上で、2006年以降の参入までじっと待っているだろうか。

 彼らにとって、球界再編論議が日本中の注目を集めるこの時期の参入こそ、「ビジネスチャンス」である。セ6球団、パ5球団の変則的リーグ運営に失敗した 後の参入には意味がない。パ・リーグ側は、来季5球団の構成ではリーグがもたないと主張していた。9月29日の臨時オーナー会議で来季からの新規参入が認 められることに意味がある。

 選手会が来季からではなく来季以降の参入に同意することは、新規参入を阻みたい経営者側と同じ立場に立つことになる。それでは、戦後50年あまりも「化石」のように変わらなかった、時代の変化に対応してこなかった経営者側と変わらないことになってしまう。

 9月19日付読売社説は、交渉決裂・スト決行の原因を選手会の弁護士と強硬派の一部選手にあると批判している。選手会の古田敦也会長の意に反した決定だと言いたいのだろうが、お門違いの主張である。

 労働組合の会長は組織の中央に立たなければならない。組織内には穏健派も強硬派もいる。強硬派の主張が通った結果だとしても、それは古田会長の判断の範囲内である。もしそうでなければ、古田会長は即刻辞任しなければならない。

 読売が責任を問わなければならないのは、19日付で会見記事をトップに扱った根来泰周コミッショナーである。スト回避に至った前週の交渉には関わらな かった根来氏は、今回の交渉を前に「見解」を提出し、その文書に沿った解決な成されなければ辞任するとした。たった1回だけ交渉に関わっただけで、自身の 主張が認められなければ辞任するという態度は「恫喝」とさえ思え、球界の最高責任者の対応とはいえないものである。

 球界は、現行の閉鎖系システムを開放系システムに変革しない限りは生き残れない。選手会のスト決行は、球界を変革するためには避けられない第一歩である。(2004年9月19日)

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2004年09月14日(火)慶應義塾大学総合政策学部1年 中河 香一郎

 この夏、参議院議員選挙が行われた。年金問題、自衛隊のイラク派遣、北朝鮮による拉致問題など様々な問題が山積している上ひっ迫した財政状況が後押し し、さらに小泉改革の国民による審判といった色合いもあり、かねてより注目度の高い選挙であった。また選挙前の世論調査でも民主党の躍進が予想されるなど 二大政党を是とするか否とするかは国民に委ねられた大変重い課題でもあった。

 しかしながら事前の予想通り投票率は56.57%と決して高いとはいえないものであった。国民はもはや投票に興味をなくしてしまったのだろうか。以下、 先の参院選の報道を見ながら「投票権を持たない18歳」が感じたことを述べたい。

 まず、投票の重みを考えるべく海外に目を向けながら考えてみたい。例えばオーストラリアでは、正当な理由無く棄権した場合、最高50ドルの罰金が科せら れる「義務制」である。結果、同国では常に投票率は95%を超えている。またベルギーでは投票をしなかった人のリストが8日以内に作られ、裁判所に呼び出 されるシステムとなっている。これらの例は日本人からするとやや極端に映るかもしれない。

 しかしこれらの国以外にも罰金を課す国は前述のオーストラリアをはじめ、アルゼンチン、ブラジル、トルコ、エジプト他多くある。またシンガポールやベル ギーでは棄権者を選挙人名簿から抹消、アルゼンチンなどでは公務就任禁止という大変重い罰則が待っている。

 棄権者に罰則規定を与えている国の多くは発展途上国である。日々の生活すら保障されていない人々にとって選挙は日常の不満をぶつける上で大変重要な手段 であり、罰則規定は国全体が選挙に大変な関心を持っていることの証左であろう。インドでは文字を読めない者も多いため、各政党にシンボルマークが割り振ら れ、投票人はそのマークにスタンプを押すといった工夫もされている。

 翻って我が国日本はどうか。少なくとも「最低限の生活」は保障されているし、生活水準も諸外国と比べて基本的に高い水準にあるのは事実だ。だが現状の生活に満足して投票行為に興味を失っていて良いのだろうか。

 先に述べたような年金問題や財政問題は直接我々の身に降りかかってくる問題であり、決して看過できないのは明らかである。しかし国民の危機感は薄く、例 えば衆院選では昭和の頃は70%台が普通であった投票率も平成に入り急落し昨秋の43回選挙では59%、参院選も昭和では60~70%あったがこちらも低 下の一途を辿っている。

 原因は一概にはいえないが、若者に限っていえば選挙や政治が'エンターテインメント化'してしまっている現状があるように思えてならない。私は現在10代であるが学校教育でまともに政治を教わったことはない。

 これは特別なことではなく現在の日本の学校教育ではごく当たり前のことだろう。そしてこれに輪をかけるようにテレビでは政治の本質ではなく政治家のほん の一発言や、事実のごくごく一部だけが強調される。いわば、一部の「点」だけを報道しているのだ。これではいつまでたっても面にはならないし、面にならな いのだからましてや立体的なものの見方はできないだろう。

 私は初めに「国民はもはや投票に興味をなくしてしまったのだろうか」と述べた。これに対する答えはイエスであり、またノーでもあるだろう。投票率の下落 の有様だけを見ればイエスといえるかもしれない。しかしながら日本人が根源的に投票行為に興味を無くしてしまったわけではないだろう。

 先が見えず老後に閉塞感を感じる団塊の世代、「エンターテインメント政治」で育った若い世代、それぞれ理由は違うにせよこれらの問題点は改善可能なはず である。私には諸外国のような罰則規定が良いとはなかなか思えない。だが、下落の一途を辿る投票率もまた良いものでは決してない。

 私はまだ10代で選挙権はない。しかし選挙権を有しながら棄権する多くの人々、そしてそれを良しとする現在の風潮には大変な違和感を覚える。毎回投票率 の低下を叫ぶだけのメディアや、懸念や遺憾を表しながらもなかなか制度を変えようとしない政府にも矛盾を感じる。だがそれでも一番重要なのは国民一人ひと りであり、一票を投ずる意味から考え直すべきではないか。まず、「投票ありき」なのである。(週刊JIメールニュースから転載)

 構想日本 発行責任者:加藤秀樹
  http://www.kosonippon.org/

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2004年09月13日(月)萬晩報通信員 成田 好三

 プロ野球界ほど華麗な人脈に彩られた業界はない。この国で最大規模の、最高の人気を誇るエンターテイメント産業であるプロ野球を構成する主要メンバーたちなのだから、それも当然のことである。

 彼らはしかし、自らがエンターテイメント産業に身を置いているなどとは、思ってもみたことはないだろう。彼ら、主要な業界で功を成し遂げた人たちほど、世論の動向に鈍感な上、順法精神に欠けた人たちもいない。

 プロ野球を統括する日本プロ野球組織(NPB)コミッショナーの根来泰周氏は、東京高検検事長を務めた法務官僚であり、高名な法律家である。セ・リーグ 会長の豊蔵一氏は、元建設事務次官を務めた高級官僚であった。セ・リーグ会長の小池唯夫氏は、前毎日新聞社長であり、日本新聞協会の前会長でもあった。こ の国の言論界の重鎮である。

 プロ野球界の「ドン」であった、ナベツネ氏こと渡辺恒雄氏は、契約前のアマ選手に球団が200万円を供与した「事件」の責任を取って読売巨人軍のオーナーを辞任した今も、 日本最大の活字メディア・読売新聞の最高責任者であることに変わりはない。

 もう1組の合併が進行中とを明言して再編劇の主役に踊り出た、西武球団の堤義明オーナーは、西武鉄道の「総会屋事件」で日本経団連理事は辞任したが、西 武鉄道グループの総帥であるとともに、日本のアマ(五輪)スポーツの「ドン」であることを、自他ともに認める人物である。歴代JOC会長は堤氏の息のか かった人たちだった。

 球界再編劇の端緒となった近鉄球団との合併を仕掛けた、オリックス会長の宮内義彦氏は、日本経団連理事のほか、小泉現政権の重要諮問会議の委員を務める、財界のニューリーダーである。

 他の球団オーナーも大物ぞろいである。この国の世論を動かす力をもつメディア界では、中日(東京)新聞社長の白井文吾氏が中日球団の、TBS社長の砂原幸雄氏が横浜球団のオーナー職にある。

 球界再編、1リーグ化をめぐって、当事者でありながら終始蚊帳の外に置かれてきた労働組合・日本プロ野球選手会(選手会)がストライキ決行を決議して、 NPBに団体交渉を求めたことに対し、NPBは、交渉する理由が存在しないとして拒否してきた。球団合併は選手が口出しのできない経営問題であるとした上 で、選手会を労働組合、つまり交渉団体とは認めなかったからである。

 ストを決議した選手会に対してNPBは9月7日、ある文書を送付した。翌日付スポーツ報知によると、文面はこんな内容だった。「統合(球団合併)はすぐ れて経営的事項であって、これを阻止するためにストライキをすることは、目的において不当な違法ストライキである」「ストライキが行われた場合は、各球団 において、貴会等に対し、損害賠償請求等も検討せざるを得ない」。選手会のストライキは法律違反だとして、高飛車な態度に出た。

 すべてがひっくり返ったのは翌8日である。プロ野球オーナー会議が近鉄とオリックスとの合併を議決したこの日、東京高裁がある決定を下した。東京高裁は、選手会が求めた球団合併凍結の仮処分申請を却下したものの、以下の判断を示した。

(1)選手会は労働組合であり、NPBに対し団体交渉権をもつ(2)合併に伴う労働条件に関わる事項は、NPBが選手会と誠実に団体交渉を行わなければな らない義務的団体交渉事項に該当する(3)NPBがこれまでに応じてきた交渉等が誠実さを欠いていた事は否定できない(4)をストライキめぐる9日からの 交渉は法的性格等にも疑問の余地がある。

 その上で東京高裁はこう指摘している。「NPBのコミッショナーには著名な法律家(根来氏)が就任しており、当裁判所が選手会に団交権があると示せば、NPBはこれを尊重し実質的な団交が行われることが期待される」

 東京高裁の言うことは、世間一般の言葉にすればこういうことである。

 選手会が労働組合であることは、法律的にも社会常識的にも当然のことである。それなのに、選手会とのまともな交渉に応じなかったNPBのこれまでの対応 は極めて不誠実であり、違法な行為である。今後の交渉にも法律的に問題がある。しかも、あなたたちのトップは(根来氏をほとんど名指しして)「著名な法律 家」ではないか。法律と社会常識に従ってきちんと問題を交渉によって処理しなさい。

 東京高裁はこの決定に際して、プロ野球界とそれを構成するエリートたちの、あまりの社会的非常識と順法精神の欠如にあきれはててしまったのである。

 NPBの選手会に対する高飛車な態度は、1日でひっくり返ってしまった。それはそうだろう。日本の裁判所がこれほどあからさまに、『あなたたちの業界は 根本的に間違っていますよ。しかも、あなたたちは日本の各界を代表する「エリート」たちではないですか。あなたちは何をやっているのですか』などと指弾し たことなどかつてないことだった。

 東京高裁の判断の翌々日、日銀の福井俊彦総裁も会見で、プロ野球界の閉鎖性を、「企業家が、野球の世界に参入したいというのであれば、参入制限すべきではない」と批判している。

 プロ野球は、今いる主要メンバーがその地位を去り、保有球団の構成も含め抜本的に改めた上で、解体的に出直すしか再生への道はないだろう。(2004年9月12日記)

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 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年09月11日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 志摩半島のとったんに国崎という漁村がある。紀伊半島のでっぱりのいちばん東にあたる地で「くざき」と呼ぶ。この地名を目にしたとき、大分県の国東半島 と思い出した。国東半島もまた九州のいちばん東のでっぱりだった。こちらは「くにさき」と読む。古来こうやって地名の名付けが行われたのか思うと、少々感 慨をもよおさざるを得ない。

 その国崎にはぐうぜんたどり着いた。週末を鳥羽のホテルで過ごそうと大阪の飲み屋「かぼちゃ」の仲間が言い出し、7人で一晩温泉を楽しみ、さて翌日何を して過ごそうかと迷ったとき、国崎というところでアワビの神宮奉納祭があると聞いた。海女たちが見られると思い、みなに提案した。

 奉納祭は「御潜(みかづき)神事」といい、年に一度、伊勢神宮に熨斗アワビを奉納する祭事である。国崎には海士潜女神社があり、その宮司がこの祭事を司 る。近くには、神宮司庁所管の「御料鰒調整所」もあり、地元の人の手により熨斗アワビがつくられ続けている。

 その昔、天照大神(あまてらすおおみかみ)の安住の地を伊勢に求めたという倭姫(やまとひめ)が国崎に来た際に、「おべん」という海女が差し上げたアワ ビをとても喜び、伊勢神宮に神饌(しんせん)として奉納するよう求めたという伝承に基づくものだから、歴史は古い。

 奉納祭では、熨斗アワビづくりの実演もあると聞いていた。熨斗アワビとは干しアワビのことである。国崎に行く途中、この「熨斗」が話題になった。

 まず「熨斗」という漢字が書けるかみなで頭を痛めた。だれも書けなかった。そして「熨斗」の意味になった。

「のしイカとか、伸ばしてほしたものやろ」
「熨斗袋とかあるやん。ひょっとして熨斗アワビと関係あるんちゃうか」
と言い出したものがあった。
「そうかもしれんな」。
車内がみなうなづいた。
「だけど、なんで贈り物に熨斗紙をつけるんやろ」

 延々と話したが、結論が出るはずがない。

 国崎の浜に着くと大勢の海女たちが神事の準備をしていた。海女さんたちは総勢80人もいた。志摩周辺には1300人の海女が現役で潜っていると聞いてさ らに驚いた。この辺りをドライブするとすぐに分かることだが、浜辺に海女小屋と呼ばれるトタン葺きの小さな小屋が並んでいる。あまりにも粗末なので一見、 過去のものかと思っていたが、すべて現役なのだということを実感した。

 この日は神事であるから儀式である。儀式ながら、海女たちが浜から海に向かい一斉に素潜りを見せてくれる。これは壮観である。泳ぎながら、しぶきを上げ ることなく体を回転させて潜る時、一瞬ひざから下がスッと海面に出てそのまま垂直に姿を消す。水泳競技のシンクロナイズドを思い起こさせるその姿はなかな か美しい。

 明治時代になって水中眼鏡が出てきて仕事はやりやすくなったそうなのだが、彼女たちはぜったいにアクアラングを付けては潜らない。アワビやサザエなどの 資源の乱獲を防ぐのが目的なのだろう。これほどの数の海女がいれば一人ぐらい不届き者がいてのよさそうなのだが、そうした話はいっさいない。世情、環境だ とか資源だとか騒がしいが、海女たちにとってそんなことは先刻ご承知なのだろう。

 さて「熨斗」である。国崎の浜で聞いた話である。熨斗紙の由来はやはり熨斗アワビから来ているということで、この国崎が発祥の地なのだそうだ。

 熨斗アワビは古来、神様にも捧げられていたほど宮廷でも珍重された食べ物だった。生のアワビをリンゴの皮をむくように回転させながら細長い帯のように し、天日で干した上、ローラーのようなもので伸ばしてつくる。それを紙に包んで贈り物としていたそうだ。

 古来、干しアワビそのものが贈り物だったが、いつのまにか贈り物の印となってしまったのが「熨斗」なのだ。熨斗紙の右上にある折りたたんだ紙の中に必ず 細い黄色い棒状のものがあるはずだ。その黄色い棒が干しアワビの変形なのだ。

 志摩の人たちがだれでも知っていることを多くの日本人たちが知らない。狭い日本だが、そんなことが津々浦々にあるのだろうと思うと楽しい。

 参考  「伊勢国酔夢譚」三重の海を潜る韓国人の海女
2004年09月10日(金)広島県大竹市・とよしま医院 豊島 博幸

 先日来、「萬晩報」のメールマガジンを毎日楽しく読ませて頂いております。さて、本日の主幹の記事「麻生病院」の件ですが、内容の一部に少し誤解されているようなので意見させて頂きます。

 1.株式会社経営の病院について

 既存の株式会社経営の病院と今後の規制緩和で出てくる病院には全く質的な差があることをご理解下さい。既出「麻生飯塚病院」は炭坑隆盛の頃、従業員の保 養のために本社(炭鉱経営)の付属施設として開設されました。今日のJR病院、逓信病院、新日鐵病院、トヨタ病院、私が勤務していた宇部興産中央病院、あ るいは三井記念病院もそうだと思います。それらは当初、従業員のための病院で一般市民が利用できないクローズドな施設でした。しかし今日では市民に開放さ れ、多くは市民病院的な役割を果たしてします。

 麻生飯塚病院も飯塚市のみならず筑豊地区住民の基幹病院を担っています。しかし経営は株式会社でもあくまで本社の一部門にすぎません。今の医療政策での 病院経営は苦しく、赤字を解消することが命題で、決して病院経営で利益を上げ、本社の決算に貢献することを目的とはしていません。否、その病院の地域的使 命上、現行の医療政策のもとでは不可能です。(個人的には麻生大臣の資質は嫌いですが、麻生飯塚病院の地域への貢献は評価しています)

 ここが、今後の規制緩和で出てくる株式会社経営の病院とは決定的に違います。今、議論されているのは利潤の追求、株主への配当確保を目的とした病院経営 の形態の可否です。勿論、現行の法人立病院でも、今の時代でも着々と利益を上げている病院はたくさんあります。それらが、利益を上げられるのは優れた病院 経営によるものかと言われれば、首を傾げざるを得ません。

 採算性を重要視する経営姿勢は、採算性の悪い診療科の切り捨て(小児科、歯科など)と採算性の高い診療科、病気への特化に他なりません。この傾向を市民 レベルで見たとき果たして正しい医療のありかたなのでしょうか?不採算部門の診療科や不採算になる病気は誰が責任を持って医療を行うことになるのでしょう か?

 2. 「病院の経営形態などなんでもいいのだ」について

 全く賛成です。しかし良質な医療を提供するためには不採算部門も切り捨てなくてもいい、余裕のある経営をするにはどうしたらいいのでしょうか?

 戦後、日本は資本主義の矛盾を反省し、修正資本主義の一つの政策として国民皆保険制度が誕生しました。誰でも、何時でも、自分の好む医療機関を受診でき る日本の医療制度は世界に誇る制度であることを言論人の方々にはもっと認識して頂きたいと思います。

 先週のTV番組の中で、あるスポーツ選手がアメリカで練習中に負傷し、出血するため直ちに近くの病院を受診した際、受診手続きに時間がかかり、実際の診 療を受けたのが病院到着6時間後であったとの怒りの談話が放送されました。

 これは彼の語学力の問題ではなく、アメリカの医療制度(特に保険制度)の問題点を明らかにしたエピソードです。アメリカの保険制度は民間の運営が主体と なっており、受診手続きが日本以上に複雑で、診療内容も個人の所属する保険会社が決定するため医療機関はその保険会社にお伺いを立てないと診療が開始でき ないのです。

 またイギリスでは診療の門戸が狭く、癌患者の手術が半年待ちとなるため、多くの国民は隣のフランスに行って手術を受けていることも知られています。
 
 民営化、規制緩和の流れは純度の高い資本主義体制への流れです。純度が高いということはムダのないことです。経営上のムダを省くことは余裕のない病医院 経営を進めることです。これは先ほど述べたように金持ちはより金持ちに、弱者はより弱者への道です。私は「良質な診療」の提供方法はムダを許容することだ と思います。

 自衛隊隊員が訓練に明け暮れ、消防署の職員が署の壁を登り降りして筋トレをしている膨大なムダの時間を誰も問題にしません。この日々のムダがいざという 時に役に立つことを知っているからです。医療の中でも役に立つムダを包容する姿勢が官僚や政治家にも必要と思っています。

 しかし医療の質を問わない全国均一な医療費、国の認可を受けないと導入できない新しい医療技術、悪質な医療行為など、制度上の綻びが多く目立ってきていることも勿論、指摘されるべきです。
 
 最後に、郵政民営化も都会に住む者にとってはメリットがあるでしょうが、過疎地に暮らす人にとっては不安材料が多く待ちかまえています。また現場の郵政 職員にとっても今までの公務員としての優遇された労働条件から一転、民間の宅配便会社の過酷な労働が待ちかまえているのでしょう。私は現行の郵政職員の労 働条件を羨ましく思っても、奴隷のような佐川急便の労働者になることが良いことだとは思いません。

 豊島さんへのメールは下記へ。萬晩報が責任をもって転送します。
2004年09月09日(木)萬晩報通信員 園田 義明

 ■ローズ家とモリス家

 前章で取り上げたエスター・B・ローズは後に普連土学園長、国際基督教大学理事などを務めたが、この間の1950年から58年まで、エリザベス・G・バ イニング夫人の後任として当時の皇太子殿下(現在の天皇陛下)の英語教師に就任しており、54年には当時の皇后陛下の英語ご進講も委嘱している。つまり、 現在の天皇陛下は13歳からの12年間をバイニング夫人とエスター・B・ローズの二人のクエーカーと過ごしたことになる。さらにエスター・B・ローズの出 身高校も「ジャーマンタウン・フレンズ・スクール」である。従って、ジャーマンタウン・フレンズ・スクールを通じてバイニング夫人、エスター・B・ロー ズ、そして田中真紀子はつながっていることになる。また、エスター・B・ローズの出身大学はクエーカー派のアーラム大学であり、ボナー・F・フェラーズや 渡辺ゆり(後に結婚して一色ゆり)との接点もある。

 このエスター・B・ローズの家系には津田梅子や河井道が学んだフィラデルフィア
郊外のブリンマー大学の初代学長を務めたジェームズ・ローズやフィラデルフィア連邦準備銀行の初代総裁を務めた銀行家チャールズ・ジェームズ・ローズなどの名前が見出せる。

 留学中の日本人が行き交う「グランド・セントラル・ステーション」となっていたメアリ・H・モリスのモリス家は大富豪として紹介されることが多いが、夫のウィスター・モリスはペンシルベニア鉄道の取締役を務めていた。

 このローズ家とモリス家の中に戦後日本の経済発展に影響を及ぼしたクエーカーと資本主義の関係を知る手掛かりがある。

 ■日米現行憲法発祥の地としてのペンシルベニア

 日本の偉人達を育てたペンシルベニア州にウィリアム・ペンが率いるクエーカー教徒達が上陸したのは1682年のことである。ペンは英国海軍提督ウィリア ム・ペン卿を父として1644年に生まれている。当時の英国は英国国教会を強要し、従わない者は迫害される時代であった。当然クエーカーになったペンも迫 害の対象となり何度も刑務所に入れられたが、ペンの父が国王チャールズ2世に貸した大金の証書を遺産として受け継ぎ、その返済の代わりに植民地ペンシルベ ニアの領地を手に入れたのである。したがってペンシルベニアの名前も(ウィリアム・)ペンの森がその由来となっている。

 ペンシルベニア州は自由・平等・博愛を謳った独立宣言と合衆国憲法が起草、採択された場所であり、「合衆国誕生の地」あるいは「自由の発祥地」と呼ばれ ている。つまり日米の現行憲法はともにクエーカーの影響を受けていることになる。

 ペンシルベニア州の東端にはフィラデルフィアがあり、西にはペンシルベニア鉄道での経験を生かして後に鉄鋼王となるカーネギーの故郷、ピッツバーグがある。

 フィラデルフィアは世界の造船所として、日露戦争で活躍する4隻の軍艦の内の3隻をクランプ造船所で同時に建造していたこともある。この3隻とは日本の 巡洋艦「笠置」、ロシアの戦艦「レトウィザン」、巡洋艦「ワリャーグ」である。

 このクランプ造船所に学び、後に三菱造船所や鈴木商店播磨鳥羽造船所で技師長として海運日本の興隆に尽くしたのが枡本卯平であった。小村寿太郎の書生として小村に従って渡米し、英国にも渡りながら造船技術を身に付けた。

 また、三菱財閥の創始者である岩崎弥太郎の長男であり、三菱財閥の第3代当主となる岩崎久弥も1886年にフィラデルフィアに渡り、ペンシルベニア大学のウォートン.スクールで財政学を学んでいる。

 この造船や鉄道の発展を支えたのが製鉄の街、ピッツバーグである。それではウィリアム・ペンの故郷であるクエーカー発祥の地、英国を見ていくことにしよう。

 ■英国経済史におけるクエーカー

 近代の英国経済史におけるクエーカーの果たした役割は、古くから英国本国のみならず、日本でも注目されてきた。日本でも優れた著作が残されており、「近 代英国実業家たちの世界 資本主義とクエイカー派」(山本通著、同文舘出版)を紹介したい。山本通はクエーカーをクエイカーと表記しているので、そのまま 引用する。

 トーマス・S・アシュトンは、「18世紀の初期の数十年間においてもっとも数多く、また、たしかにもっとも成功し、進歩的であった製鉄業主のグループ は、クエイカーによって形成されたグループであった。実際、製鉄業の初期の歴史におけるより重要な諸章は、ほとんどキリスト友会(クエイカー派)の範囲の 中で書くことができる。クエイカーたちが鉄生産の主な中心地のそれぞれで、同じ時期に製鉄所を監督している場合でさえみられた。(P150)」と指摘し た。

 製鉄業のみならず、初期の鉄道業においてもクエーカーの活躍が著しく、世界最初の鉄道といわれるストックトン=ダーリントン間鉄道の性格について詳細な 分析を行った湯沢威は、この鉄道の「当初の株式払い込み金と借入を合計した総資金の70%弱が、クエイカーからの拠出によるものだった(P150)」こと を指摘してい
る。

 さらに銀行業でのクエーカーの重要性についても神武庸四郎が次のように指摘している。「産業革命期のイギリスでは、銀行家が工業企業を兼営したり、出資 者として資本参加する事例が数多く見出せる。この傾向は、醸造業や製鉄業において、特に顕著である。しかもこうした人的な融合関係にとって特徴的なこと は、クエイカー教徒相互の結びつきという様相をはっきりと示している点である。バーミンガムのロイズ家はクエイカーの家系であり、18世紀後半には銀行業 とともに製鉄業を営んでいた。また自らもクエイカーの血を継承したバークリー家は、銀行業務の拡張過程においてスミス、トリットン、ガーニーなどのクエイ カーの家系を包みこみながら、1896年におけるバークリー銀行設立の中核となっている。(P150、151)」

 ここに登場するロイズ家が設立したロイズ銀行は現在のロイズTSB、バークリー銀行は日本では一般的にバークレイズと訳されている。ロイズTSB(英国 4位)もバークレイズ(英国3位)も名門中の名門として知られ、特にバークレイズは時価総額で世界ランキング10位に位置付けられている。現在の英国金融 界の「ビッグ4」と呼ばれる内の2行の原点は「クエーカー銀行」だったのである。私がクエーカーに関心を持ったのもこのことを知ったからである。

 ■クエーカー実業家輩出の背景

 クエーカーは現在でも世界中でわずか100万人程度の信徒数しかいない。このキ
リスト教でもマイナーな存在に位置付けられるクエーカーは傑出した実業家を輩出す
る。この背景を山本通は次のように分析している。

 1、クエーカー派の担い手の社会的構成

 クエーカー派の家系の多くは17世紀後半ないし18世紀前半に始まるが、その時期に入信した人々は中産的階層に属し、新興工業都市の手工業者や商人で あった。クエーカー派指導者たちのメッセージや職業倫理が、これらの社会層に適合した。

 2、実業界へのクエーカーの集中

 1828年における「審査法(The Test Act)」廃止にいたるまで、クエーカーを含めた非国教徒達は公職から排除されていたために、彼らの才能やエネルギーが、もっぱら実業界に注がれることに なる。当時、非国教徒達は、公務員、国会議員、市会議員、軍人などの支配者層の職業に就けなかったばかりでなく、オックスフォード、ケンブリッジ両大学 と、いわゆるパブリック・スクールへの入学も許されていなかった。そこで非国教徒達は独自に教育機関を設立し、科学・技術教育や実務教育が重視した。

 3、クエーカー派の職業倫理

 17・18世紀のクエーカー派の指導者達は、勤勉、正直、自己審査、質素、慈善などの諸徳目の実践を信徒達に勧めた。その実践は信徒自らが霊的資格をも つことを示すことより、世間に対するクエーカーの評判を維持するために、全国的規模で形成された教会組織を通して強制された。

 4、クエーカーのファミリー・ネットワーク
   
(クエーカー家族間の強力な結合関係)

 クエーカーは教団以外の者と結婚することを禁じられ、この禁制を破ることは破門を意味した。この結果形成されたクエーカー諸家族間の結合関係のおかげ で、クエーカー実業家達は資本の調達や企業経営に有用な情報の入手に関して、特別に有利な立場となった。

 5、教会業務集会の情報交換機能

 月会、季会、年会といった教会業務集会の開催が、クエーカー実業家達の情報交換の機会を提供した。

 以上の山本通が示した5項目のいずれもが日本に共通していることがわかる。特にクエーカー家族間の強力な結合関係と、その内部における情報交換機能は日 本の門閥や閨閥にあてはまるばかりか、金曜会(三菱)、二木会(三井)、白水会(住友)などの財閥系企業グループを支える社長会に通じるところもある。

 日本の戦後産業史を見る上で鉄道業や鉄鋼業の果たしてきた役割を考えれば、クエーカー思想が英国から米ペンシルベニア州に拡がり、そこで新渡戸や内村に よって神道と融合しながら日本に到着し、天皇家と交わりながら憲法第九条を生みだし、戦後日本経済の発展に大きく寄与したと見ることもできる。

 一方で、クエーカーによって世に出た鉄道業は皮肉にも日米を戦争へと追い込む一因となった。このあたりの背景を次回からじっくりみていきたい。現在につながる世界的なビッグ・リンカー達の原点がここに存在するのである。
2004年09月08日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

 今夜、三重県の医療関係者と懇談して、驚いた。株式会社の病院があるというのだ。それも麻生総務相の関係するグループの麻生飯塚病院(福岡県飯塚市)な のだというから二度驚かざるを得ない。規制緩和のひとつに病院経営を株式会社に委ねていいのかという議論が続いているのは大方の読者の知るところだろう。

 小泉内閣の郵政民営化に反対している麻生総務相のおひざ元ですでに病院の"民営化"が行われていたのだとしたら、これほど奇怪なことはない。

 厚生労働省もずいぶんと国民を騙してきたものだ。病院は国民の福利厚生のために存在するのだから、企業化にはなじまないというような議論をしてきたのだ。じょうだんにもほどがある。

 閣議という日本の政策を決定する最高議決機関に属する閣僚の一人の関係する病院が株式会社で経営されていた事実をどうして公表しないのか。麻生総務相は一つ国民に対して背任行為をしたに等しい。

 病院の経営などなんでもいいのだ。そもそも個人経営もあるし、協同組合経営もある。良質な診療をしてくれさえいれば経営形態などなんでもいいのだ。

 閣僚も議員も役人も、国民の血税でくだらん議論はもうやめてほしい。
2004年09月06日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 7月中旬、東京で新潟日報の記者から取材を受けた。新たに創刊する季刊『情報文化』に、萬晩報に関連して地域ネットのあり方について話してほしいというものであった。取材記者は10年来の知古である。

 萬晩報を発刊し続けてきて8年、既存メディアの記者も読者として多くいるがこれまでだれも萬晩報についての取材はなかった。だから既存メディアから取材を受けたのは初めてである。

 以下は掲載された記事の内容である。

「晩報」の編集方針は、新たな視点の提示、読み応えのあるストーリー性、主観の尊重の3点です。これらは、現在のメディアの姿の裏返しであり、ネットを通 じて発信しようとする多くの人に共通する問題意識ではないでしょうか。

 現状では、流されるニュースの多くが発表もの。そこには発表する側の主観が入っているし、それを選ぶメディアの主観も入っているのです。それなのに結果 的に横並びの価値観による横並びの表現になっているため、あたかも客観的なように見えているだけなのです。

 そうしたあり方に対する挑戦は既存のメディアの枠内でもできます。しかし私の経験から言っても、大きな組織でやりきるにはエネルギーもリスクも覚悟しなければなりません。

 個人で始めたこのサイトが広がりを見せたのは、読者から寄せられた感想からでした。その中にはレベルの高いものが多かった。それを載せるまでのこちらと のやりとり、さらには読者とのやりとりで、素人だった書き手たちが成長していったのです。

 大切なのは、課題、問題を提示していく姿勢、能力です。単なる感想もやりとりでは続きません。地域メディアの場合、読者との距離はもっと近いわけですから可能性は大きいのではないでしょうか。

 地域報道の現場にいて感じるのは、地域ニュースが県境を越えにくいということがあります。ささやかと思えるニュースでも、全国へ発信すべき価値を秘めて いることもあります。各地の地域メディアが協力し合ってそうしたニュースを掘り起こしていくためにも、ネットは有効に使えるのではないでしょうか。
2004年09月05日(日)長野県南相木村診療所長 色平哲郎

 医療制度という多次元方程式は、各方程式の変数が複雑に、しかも時系列で変化するので全体を把握しにくい。

 国は、財政赤字削減を最優先。医療費抑制という至上命題で天井を固定し、多元方程式の解を導こうとしている。だが、その反動で負の圧力が地方の地域病院にかかり、命題の設定そのものが崩れそうになっている。

 地方の危機は、大きな社会不安を生む。
 山村の現場から医療の将来像を考えてみたい。

 私が家族とともに暮らす長野県の佐久地方では「佐久総合病院」が地域の中核病院として機能し、その傘下に「小海分院」、さらに私が診療所長を務める「南 相木村国保診療所」など村単位に診療機関が配置され、本院、分院、各診療所が相互補完的に役割を分担している。

 南相木(みなみあいき)村は人口1300人で高齢化率40%弱。半世紀後の日本を先取りした過疎の村だ。ひとり暮らしの老人も多く、私は時間の許す限り、往診に出るようにしている。

 在宅治療ではせいぜい点滴程度まで。専門的な診断治療や精密検査は難しい。急を要する治療ならわざわざ医師が出向くより、患者を医療機関に運んだ方が合 理的なのだろうが、あえて往診をするのは、治療もさることながら、独居老人の病状を含めた生活全体を把握する目的があるからだ。

 高齢者と対面し、ゆったりと生活のようす、そしてプライドやこだわりまでもを聴き取り、どのタイミングでどんな治療、或いは介入をするか、控えるかを見定める。分院や本院での受け入れ態勢、サポートシステムが十分に整っているからこそ可能な医療実践といえよう。

 本院や分院の医師たちもまた往診に出向く。往診は、佐久地方の医療の伝統。地域に医師や看護師、保健師が入っていく。その積み重ねが、長野県の保健指標の高さを支えているとの自負がある。

 ところが、分院の近くにあった準公的病院が折からの経営難、そして医師確保の難しさから閉院撤退し、状況が一変した。分院の病床数は20。一方、経営破 綻にいたった病院のベッド数は100床。山間部の医療機関としてカバーしていた住民ニーズは小さくはない。撤退が明らかになりその日時が近づくにつれて患 者たちが、分院に流れはじめた。

 分院の医師たちは、想像を絶する過重労働を強いられた。生死の境にある重篤患者を不足する病床で診ながら押し寄せる外来に対応しなければならない。医療事故が起きないかと冷や冷やした。もはやゆったりとした往診どころではない。大きな不安感と負荷が地域全体に波及した。

 その後、佐久病院・分院がこの準公的病院を統合する形で職員を受け入れ、地域の雇用を維持するとともに一時の危機的状況は回避されたが、同じようなことは全国各地で、頻発している。

「病院も市場で淘汰される」と、口で言うのは簡単だが、いきなり病院が潰れてしまって患者の満足度が高まるはずがない。医療機関の少ない過疎地で安全に、安心して暮らすためにこそ不可欠な入院設備を整えた病院が、いま、急速に弱体化している。

 かつて「都市対地方」だった病院の生き残り競争が、「地方対地方」の共食い状態に追い込まれつつある。「医師の絶対数不足」「地域による医師の偏在」が、この問題をより一層深刻にしている。

 医療費削減という命題に縛られたメディアは触れたがらないが、日本は先進諸国のなかでも医師数がかなり少ない。直近のOECDデータでは、人口1000 人当たりの医師数は日本平均で1・9人。欧米諸国は軒並み3人台を確保しており、日本は30カ国中、27位。下位には韓国、トルコ、メキシコだけ......。

 逆に人口当たりのベッド数は先進諸国平均の約3倍。つまり大勢の患者を少ない医師が診るのは当たり前、人手不足を補うために「機器を多用する、手薄い医 療」が常態化している。しかし都市に集中するメディアは、医師不足を「対岸の火事」としかとらえていない。マーケットの大きい都会には医師が集っており、 医師不足を身近に感じないからだろうか。

 たとえば東京23区内の医師数は、人口1000人に対して2・95人とほぼ先進国並だ。しかしただでさえ少ない医者が都心部に集中すると地方に回る分が極端に少なくなる。1000人当たり1・5人を切る「危険ゾーン」から脱することができない県もある。

 2年前、岩手県一関市で生後8カ月の男児が複数の救急病院で「小児科医がいない」と診療を断られて亡くなった。あの事件を契機に厚生労働省は医療圏に24時間対応できる拠点病院をつくる事業に着手したが、抜本的な解決にはほど遠い。

 さらに新人医師の臨床研修必修化が、人気の高い病院への研修医の集中を招き、「医師はがし」「医師引き揚げ」で偏在化は加速。

 医師の量的再配置を本気で考えなければならない時期にきている。
 目指すべきは「スリムで、しかし手厚い医療」だろう。

 たとえばデンマークでは、病院の機能分化を徹底的に行っている。一次医療は熟練の家庭医が担い、患者の満足度が上がるように細かく対応。医療行政の中核 である県単位には9つの県立病院があり、国立病院に至っては1つだけ。「公共」が医療を仕切っているデンマークならではの合理的な仕組みだが、日本が学ぶ べき点もあるのではないか。

 機能分化による病院の合理的配置を行えば「フリーアクセス」という日本の医療のメリットが損なわれるという見方もある。

 確かに患者が「○○医院にいい先生がいるから診てもらおう」と、どこの医療機関にでも自由にかかれるメリットは大きい。ただ、それはいつでも行けるところに医師がいるという絶対的条件が整っていてこそである。

 医師の再配置は基礎的データを明らかにし、共通の土俵に立って議論されねばならない。地方対地方のサバイバル競争だけが過熱すると、医療過疎と医療過剰の二極化がますます進みかねない。

 島根県庁では行政が主体的に動いて医師を確保し、派遣することに1億円以上の予算をかけていると聞く。10年以上の実績積み重ねを経て、同県では確保した医師らが専門医研修に取り組む余裕を持つことが出来る段階にまでに至ったという。

 大富豪であれ、一般の庶民であれ、「生老病死」は共通の宿命である。誰もが人間として安心して暮らせる社会をつくることは、市民的公共性の発想なくしては難しい。

 もうひとつ重要なのは、医師の量的再配置は医師養成の質的転換と並行して行われなければならないということ。端的に言えば、専門医志向からの脱却。一般医、家庭医の尊重が求められる。

 村の診療所には年間100人以上の医学生たちが訪れるが、先日、実習にきた国立大学の学生がこう言った。

「大学の先生たちは大学病院に残れ、病床200以下の市中病院では症例数が少なすぎて、医者として成長しないと言います。でも、大学病院が患者さんをノッ ペラボウにしている現実を誰も認識していない。僕は、大勢の、顔を持つ、生きている人間としての患者さんに触れることは多くの病気に接することと同様に大 切だと思います」

 この学生が、とくに倫理観が強いわけではない。彼は、ごくふつうの感覚を持った、いまどきの若者である。このような発言をした背景には大学病院に対する 違和感とともに大方の国民の「ニーズ」が、タコツボ化した専門医よりも広く病気を診てもらえる一般医へ向いているという現実認識がある。医師として生き延 びる道を、彼は、彼なりに懸命に模索し、こう発言したのだ。

 乱暴を承知で言えば、私は、医師の専門性とは二輪車の大型免許のようなものだと感じている。講習を受けて大型免許を取得すれば、操作が難しい大きなバイクを運転できるようになるが、基本的な二輪車の操作は限定解除をしなくても身につけられる。

 問題は大型免許を与えることで、免許取得者(専門医)が大型を乗り回せる場所(大病院)でしか働きたくない、と思ってしまっている点だ。常に基本(一般医)に戻る回路を準備するする必要があるのではないか。
 
 国民のニーズに沿った医師養成にもつながるが、医療界の「透明性」の確保が急務だ。その方法として「レセプト開示」を再認識すべきではないだろうか。

 不正請求や医療事故と共存しがちな「カルテ改ざん」を防ぐには、個々の患者や家族が予め保険者にレセプトの開示請求を出しておけばいい。医療機関側にとって、医療行為の詳細が単価とともに後日知られる、というのであればカルテ改ざんはやらないだろう。
 一部のメディアは、患者側からのレセプト開示請求に対して「医師の同意が必要」「医師に拒否権がある」とまことしやかに伝えているが、これは大きな誤りである。

 97年、厚労省は保険者に対して「レセプト開示によって本人が疾病名を知ったとしても本人の診療上支障が生じない旨を確認すること。その際、主治医の判 断を求めること」との通知を出した。これを曲解して「医師の同意が必要」「医師側に拒否権」という記事がメディアに載ったが、厚労省の真意は「病名告知を 確認したうえで開示」という手続論にあった。

 実際に97年度のレセプト開示については「主治医が開示に同意しなかったケースはゼロ」、00年度末までに、率にして0・7%が不開示となったが、開示 拒否をした医療機関の多くは当局の摘発を受けている(「レセプト開示で不正医療を見破ろう!」勝村久司編著・小学館文庫より)。
 私自身、ある治療に関して保険者にレセプト開示を請求している。現段階では、まだ開示されていないが、今後、どのような対応がなされるか、むしろ気楽に考えて体験しておこうと考えている。

 制度は、時代とともに変化する。しかし「人間として人間のケア」に取り組む、という医療の本質は不変不朽であるにちがいない。

 色平さんにメール mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
2004年09月04日(土)萬晩報主宰 伴 武澄
 驚いたのは韓国・済州島の海女が三重県で漁をしていると聞いた時である。三重タイムズの社長さんと話をしていた時である。熊野の沿岸でダイビングをしていた時、横で潜っていた海女たちが韓国語をしゃべっていたというのだから間違いないというのだ。

 後継者不足でついに海女の世界にも外国人労働の時代がやってきたのかと思い、「それって外国人労働になるんですか」と聞いた。浅はかにも「そうか、潜水漁労は特殊技能だからビザが出るんだ」などと考えた。

 社長の話は続く。

「分からないけど、そんなにきのう今日の話ではないようなのですよ」
「耽羅(たんら)って知っていますか」
「伊勢神宮に奉納するアワビのことを耽羅鮑というんです」
「その耽羅とは済州島の古い地名なのです」
「どうも済州島と志摩とはそんな時代から行き来があったのです」

 家に帰って日本書紀をひもとくと、あるはあるは百済や新羅と並んで随所に「耽羅」という地名が出てくる。大和朝廷に使節を送っていたというのだから国 だったのかもしれない。教科書で習ったのは、7、8世紀、朝鮮半島には任那、百済、新羅という国があったということだけで耽羅については一切触れられてい ない。

 網野善彦氏の『日本とは何か』(講談社)にも「耽羅」や「耽羅鰒(たんらのあわび)」への言及が多くある。済州島の旧名である耽羅が日本と深い関係にあったことや、アワビの採取を通じて古くから深い関わりがあったことを歴史事実を列挙しながら詳しく書いている。

 済州島とアワビの関わりは海士(あま)と呼ばれた人びとたちによって、玄界灘を渡って北九州、肥後(熊本県)、豊後(大分県)、さらに瀬戸内海に入り、 紀伊半島をぐるっと回って志摩にたどり着いたようである。その関わりはさらに伊豆半島、房総(安房)、常陸(茨城県)まで続くというのだからすさまじいと いわなければならない。

 済州島では現在もまだ海女によるアワビ漁が続いている。インターネットで検索すると李 善愛著『海を越える済州島の海女―海の資源をめぐる女のたたかい』(明石書店、2001年)という本まであることが分かった。

 映画監督の原村政樹氏が最近まとめたドキュメンタリー映画『海女のリャンさん』があることも分かった。在日朝鮮人1世のリャン・イーホンさんの半生を描 いた作品。38年前の在日朝鮮人の海女の記録フィルムを偶然見つけたのだそうだから、日本で潜る韓国人の海女はまさに「きのう今日」の話ではないのだ。こ の話は7月27日放映のNHKの「生活ホットモーニング」で紹介されたからご覧になった方もいるはずだ。

 それにしても海女の歴史は奥深いものがある。 
2004年09月03日(金)

 ■ドリーム カム トゥルー 中年ロマン
 今年の夏奇蹟が起きた。
 私は甲子園近くで少年時代を過ごしました。夏休みには甲子園へ行くのが唯一の楽しみでありました。米子東の宮本投手。私の中での記憶では3-1の敗戦。 閉会式を1塁アルプススタンドで見ていると、米子ナインの上を赤とんぼ飛んでいた。あの日のことが急に思い出されました。
 もう一つは下関商の池永投手の3塁打による左腕負傷後の今にも目に浮かぶ純白の三角巾。最近では亡き父が話してくれた、あの伝説の海草中学の嶋清一を思 い出させた横浜の松坂。そして今年の駒大苫小牧。五輪がなければ今年のスポ-ツ界最大級の出来事だと思います。可愛そうに。
 シドニ-ではあんなに反対したのに、翌年の開幕戦に金メダリスト高橋尚子氏を起用。何たる破廉恥なおっさん。あのおっさんに一度はコケにされながらも何 ゆえかドリームチームとやらの、へんてこなチームで日本の旗振りを買って出たミスター。アテネへいかなくて正解。晩節を汚さずです。
 結果3位...。これってはっきり言って日本プロ野球の恥でしょう。キューバに続いての2位なら苦笑いで済ますこともできたものを。オーストラリアに連敗で すか。イケイケドンドンのノーテンキ代理にはチト荷が重すぎた。敵を知り己を知るが勝利への道基本の基本。
 マスコミもマスコミで提灯記事ばかり。ミスター絡みの美談に終始。何故オーナー達の横槍人選とヘッドコーチの作戦ミスによる敗北と咎めないのか。私はオ リンピックを軽視してはいない。素晴しき日本の活躍に感動した。金メダル3個以上取った国でドーピングをしていない国は世界中で日本だけです。だから日本 は世界一のスポーツ大国といっても過言ではありません。
 言い方が不十分であることは承知のうえで言いますが、野球学校が遠くの生徒を寄宿、下宿させ、学費、寮費を免除するのは一種のドーピングみたいなもので はないでしょうか。北海道出身者だけでチーム編成、しかも優勝までした駒大苫小牧ナインの皆さん、感動をありがとう。アテネに行ったドリームチームより輝 いていました。ああ栄冠は君に輝く。これからこの曲を聴く度に思い出すでしょう、来年も再来年も、君たちの事を。

 ■9回裏の愚かな戦法 カバサワ こうじ
 豪州チームとの2戦目、9回裏の日本チームの攻撃。先頭打者は、城島、セーフティー・バント、失敗。ヒッティングに切り替えて、あえなく三振。城島は、 右打者、しかもさしてバントが得意な選手とは聞いていない。おまけに、相手のピッチャーは、おなじみウィリアムス。この城島の戦術は、無謀だ。私は、中畑 の指示かな?と思ったが、城島は自分の判断で、と発言しているようだ。愚かな戦法である。

 ■命運尽きつつあるプロ野球 東原英明
 日本のプロ野球は、今回参加したメンバーの懸命の努力にもかかわらず、命運が尽きつつあるように思います。今回参加したメンバーは日本プロ野球の中では 相当のメンバーでした。しかし、あの阪神タイガースのウィリアムスに2試合続けて抑えられたのです。打てないピッチャーでしょうか。情けない。私はNHK で解説を担当していた星野仙一氏に監督代理を依頼すべきだったと思ったのですが。
 日本のプロ野球は、日本の体操や柔道が過去に陥ったような衰退の軌道に嵌ってしまったような気がしてなりません。球界関係者はアテネに足を運ばなかっ た。こんなひどいスポーツがあるでしょうか。渡辺前巨人オーナーや、西武・堤オーナーらはアテネに足を運ぶべきでした。
 女子サッカーや女子ソフトボール、女子ホッケーなどの闘いを目の当たりにしたばかりに、野球のふがいなさ、情けなさを痛感しました。野球は、2012年 以降はオリンピック種目から外されてしまうかもしれないのに。いつまでもプロ野球ファンはプロ野球ファンではありません。私は75年の優勝以来広島カープ ファンでしたが、1リーグ化されるのなら今後一切野球を見ないと思っているところです。

 ■神聖なる「長嶋」像を傷つけないため? 豊島@第一生命
 日本の惜敗で日本のプロ野球の実力がよく分かりました。個々の選手の能力だけでは金メダルは取れないという事です。長嶋さんが行けない後、決断力のある 監督に交替する事は可能でした。中畑も大野も監督経験はありません。準決勝、オーストラリア戦で打線を組み替えることもなく、選手に丸投げしたようなゲー ムをやっていると感じました。おそらく、監督経験のある、星野さんや野村さんならば、違った戦い方をしたのではないかと思います。
 そういう議論がスポーツマスコミで全然出てこないのは何故なんだろうかと思います。神聖なる「長嶋」像を傷つけてはいけないという事でしょうか?

 ■ある銀行員との対話 しもむら
 先日、当社に対し銀行が融資をしたいと言ってきた。
「では40億の融資を願います」と返答。

当社は年商、2千円万ほどの経営コンサル会社ですので、桁違いの融資嘆願であり実行されることはないです。
BK「なんに使いますの?」
私「バッファローズ、買い取ります」
BK「それほどのバッファローズ・ファンでしたか?_
私「いいや全然。私自身が野球は好きなだけで観るなら大リーグ。大リーグを観てたら日本の試合なんぞ観れるわけがない」
BK「社長は回収の見通しがない、感謝されることが無い事業は大嫌いなはずでは?」
私「私の案件は、回収の見通しはあるし、ごく一部の者は喜ぶはず」
BK「?????」
私「かんたんや、試合の都度、ピッチャーしたい人!と参加選手をオークションにかけ、落札した人を先発として出す。来週の巨人戦、監督したい人いますか?とオークションすれば1億ぐらい出す人間はある。さらに勝ちたいなら、追加*億としてキューバ等を招聘すればいい。
フランチャイズ球場も持たずに見込み客数でその都度、球場を変えればいい。とりあえず空地としてあまっている大阪難波のOCATを集合場所とし、そこから 移動すればいい。時たま人数が集れば、大阪ドームへ行けばいいし、大したことがなければ久宝寺球場等近辺を当ればいい。奈良の橿原まで範囲を広げれば、ど こか取れるはず」
BK「無茶な話しでんな」
私「アホ、まだある。オレが大阪近辺なら全ての試合の先発投手、これの何が悪い? オーナーたる者、自分の球団や、好きにすればいい。年間先発登板回数の 投手で記録が出来る。1勝も上げることはないであろうが、とりあえず記録には残る。9月にもなればカーブぐらい投げれるようになるであろう。すなわち、落 札者がいなければ私は、オーナー兼監督兼先発投手」
オーナーたる者これでいいはず、球団社長ではなく、身銭を切ってる以上、オーナーの好きなようにすればいい、後援者はかなり少ないであろうが。

 こんな草野球延長球団、一個ぐらいあってもいいのでは...日本人たる者、ほぼ全てが野球人に憧れていたはず。だから、プロ野球選手として登板願望があるはず。
 野球協約的にも、さらに40億ではとてもタランのは判ってますが...とりあえずでまかせ的に40億と出ただけです。

 ■病気の人に監督が... 小島忠幸
 素人が考えても、病気の人が野球チームの監督が出来るわけがない。長島ジャパンの送り出しについては野球界全体で猛省せよ。税金で賄われていることを忘れるな。真剣に努力した他の団員を冒涜することにもなることだ。

 ■『長島神社』でも造って 塩川信夫、香峰子、瑠璃子、蓮人
 それほど長島氏に頼るのなら、『長島神社』でも造って御祭りしておけば好かったのに...(笑い)

 ■日本野球衰退の序章に 小出正
 新聞によりますと、日本代表チームの編制は「日本代表編制委員会」という組織があたったようで、その委員長は長船騏郎氏という方だそうですが、この長船 氏は病に倒れた長嶋氏について「現地入りは8月24日の準決勝からで十分」「アテネ入りが不可能となった場合も監督代行は置かない」といって来たそうで、 さらにオリンピック直前になっても「仮にアテネ行きを断念しても、2008年の北京五輪の指揮は執らせたい。それまでにはシゲも走れるまでになっているか もしれん」(「日本経済新聞」2004.08.03.夕刊)といっているとありました。こういう球界に渦巻く強い声に押されて長嶋氏は監督にとどまり、 「3」と書いた日の丸やユニフォームがベンチに届けられたのでしょう。水谷氏がいわれるようにもう「当事者能力はない」長嶋氏がなぜかくも求められるの か、それはまことに不可思議といわざるを得ません。
 そこでよく考えてみますと、長嶋氏は星野仙一、豊田泰光、広岡達郎氏などとは異なり、プロ野球あるいは野球界全体にとってあくまで体制順応型のカリスマ であることに気づくのです。そういうタイプのカリスマとして、長嶋氏ほどの存在はないでしょう。だから求められるのではないでしょうか。
 しかし、その長嶋氏も間もなく70歳、編制委員長の長船氏は80歳といいます。しかも現状を見れば野球界は体制順応では済まないのです。ですから、長嶋 氏が倒れてもなお「長嶋ジャパン」が続くのは、そういう野球界の低迷、退嬰の象徴のような現象に思えてなりません。アテネ・オリンピックの敗戦は、一層の 日本野球衰退の序章ではないでしょうか。私もここ2、3年、ほとんどプロ野球を見なくなりました。


 ■精神性確立されていない野球界を象徴 米倉 東京都
 この現象を見て思うのは、ちょうど先の大戦で日本が天皇陛下を錦の御旗に見立てて戦ったのと同じ現象にも取れました。これは日本人のメンタリティとして 消えないセンチメンタリズムなのでしょうか? 自己の精神性が確立していないこの野球界を象徴しているのではありませんか? あの水泳界で活躍した北島康 介選手の活躍ぶりに比べれば、本当に未熟さを感じるのは私一人ではなかったはずです。
                                      
 ■五輪でやるべき競技ではない 匿名、43歳、男性、大学教員
 五輪の野球に関しては、もともと五輪でやるべき競技ではないと思います。バスケットにしてもそうで、長いシーズンを戦うゲームなのです。バスケットだっ て、五輪で1位を決めなくても、真剣にやれば米国が強いに決まっています。今回は適当にやって、たまたま負けただけでしょう。テニスも上位のプロは五輪を 相手にしていません。そんな競技は全廃し、五輪らしい競技だけで2年に1回やったらどうでしょうか?
 国別の出場枠も取っ払い、女子マラソンなど日本から5-6人出せばいいじゃないですか。プロが出たら面白くない。その他の選手にもっと機会を与えてあげ た方がよいと思います。野球が続くなら野球もそう。普段からメシが食える奴がアテネに行くなって。

 ■自転車チームこそ真のプロフェッショナル 瀬田嘉紀 松本市
 日本のマスコミがまったく書かなかったことを「本当によく書いてくれた」と思いました。監督不在、ストライクゾーンの違い、他国の情報不足・・・敗因は 数え上げれば出てくるものです。それににしても、金メダルを宿命付けられたチームとは思えない杜撰さに呆れ果てるばかりです。
 また、現在はプロ野球のリーグ制問題に逃げて、長嶋ジャパン敗因の追求自体が「タブー」とばかりに一切触れない日本のスポーツマスコミにも腹立たしいば かりです。スポーツ雑誌Number」は、比較的冷静にスポーツを見て書く質の高い雑誌だと認識していましたが、その最新号の「Number」ですら長嶋 氏については触れていませんでした。技術的・戦術的なことの評に終したというのならそれまでなのですが、明らかに原因の一端になるはずのものについてはと うとう触れずじまいでした。
 比較されるのは、銀メダルを獲得した自転車の男子スプリントです。日本競輪選手会が所属プロ3人を派遣、さらにアメリカで1カ月合宿を行って心肺機能・ 筋力の増強、またスタート時の練習を繰り返し本番に臨みました。3人のプロ選手は合宿中・五輪大会中は無給で過ごさなければならず、そのため選手会は休業 手当を支給しました。選手とコーチ陣、プロ団体が連携しあってベストの結果を出した好例だと思います。また競輪選手としての収入を犠牲にしても名誉のため にベストを尽くした自転車チームこそ真のプロフェッショナルではないでしょうか。
 それに引き換え、全く反省していないのがフロント陣。今週月曜(8月30日)に日本テレビ系列で放映した明石屋さんま司会の五輪総特集に出演した中畑 ヘッドの「北京ではぜひ長嶋さんに」という無責任発言に長男・一茂氏は「どこまで(病人の)親父を利用すれば気が済むのだ」という表情でした。当の長嶋氏 の心中はどうなのかは知るすべがありませんが、重病人を抱える親族に対して配慮を欠く発言、スポーツマン以前に人間として恥ずかしい、と感じました。
2004年09月02日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 きのう朝3時に起きて伊勢市に行った。仕事ではない。赤福の朔日(ついたち)餅を買いに行ったのだ。赤福餅は全国的に有名な土産のお菓子だが、月初めの一日だけ毎月それぞれ違う餅をつくっているのが朔日餅なのだ。

 売り始めるのが午前4時45分というから尋常でない。十六夜の月がまだ高いうちに家を出て、 伊勢神宮の門前町であるおはらい町に着いたのが4時半。驚いたことに、赤福本店の前では朔日餅を買うために整理券を配っていて、もらった整理券がなんと 305番だった。一人で来ているのは筆者ぐらいで老若男女が群れをなしているからざっと数えて千人はいただろうか。

 赤福本店から五十鈴川にかかる橋を越えて行列はさらに続いていた。朝市も出ていて、朝食を供するいくつかの店もにぎわっている。繰り返すが時間はまだ午前4時半である。

 この日の朔日餅は「萩の餅」。つまりおはぎである。おはぎがなぜ萩なのか。初めて知った。あんこをつくる小豆が萩の花に似ているからなのだそうだ。なるほどそうかと合点した。

 伊勢神宮には、一日参りの風習がいまでも残っていて、年配の人たちは真新しい下着を着て毎月 一日に神宮をお参りする。青年会議所を中心とした若人たちはみそぎと称して冬でも五十鈴川で沐浴をするのだという。伊勢神宮の祭神は天照大神(あまてらす おおみかみ)で天皇のご先祖さまであるのだが、宇治の人たちにとっては当然ながら地元の氏神さまでもあるのだ。

 赤福餅は赤福という会社が経営している看板商品。1707年の創業で、真心を意味する赤心慶 福からとった。この会社は伊勢神宮の門前町の町おこしのためにけっこうな貢献をしている。すたれた温泉宿の土産物屋しかなかった門前町を20年かけて再生 した。いまある街並みは社長の濱田益嗣さんの声掛けで江戸・明治期の風情を復活したもので、鉄筋だった本社を真っ先に取り壊して木造二階建てに建て直すこ とから始めた。

 朔日餅は一日参りの参拝客に月ごとの季節のお菓子でもてなそうと考えたところから始まった。 20年以上も前のことである。二月は立春大古餅、三月はよもぎ餅、四月はさくら餅、五月かしわ餅と続いて、いちばん人気は来月十月の栗餅なのだそうだ。正 月だけは朔日餅はない。看板の赤福餅しか売っていないが、通によると正月の赤福は味が違うのだそうだ。

 スタート時はわずかに2800個しかつくらず、店先で食べてもらっていたが、そのうち口コミ で朔日餅の存在が地元の伊勢中に伝わり、いまでは県外からも客が押し寄せるようになった。やがて朔日餅を買うために朝早くから行列ができ、開店時間を繰り 上げていくうちに暗いうちからの開店となってしまったようだ。

 1時間行列に並びようやく9月の萩の餅を手にした。すし久という店でこれも季節の「しめじ雑炊」で腹ごしらえをし、神宮を参拝した。帰り道に朝日が神宮の林に差し込み、神々しい風景にも出合った。

 早起きは三文の徳ということわざを思い出した。眠い目をこすりながらも得をしたような気分にさせられた一日だった。伊勢神宮にお越しの節はぜひ一日参りをされることをお薦めします。

奇妙な約束

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2004年09月01日(水)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 ■パレスチナ問題と宗教

 パレスチナ問題が解決困難な原因の一つは、宗教が関わっていることである。周知のように、この土地は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三つの宗教の 聖地である。宗教が関与しなければ、領土問題は、ユダヤ人とパレスチナ人の間で、双方が折れ合い妥協する形での解決案も可能かもしれない。しかし、宗教が 関わると、そういう現実的解決は困難になる。

 1982年のレバノン侵攻でみずからの手をパレスチナ人の血で汚し、パレスチナ人に対してとうてい妥協的とは言えないシャロン首相が、イスラエルの安全 という現実的考慮に基づき、ガザ地区の入植地全廃による「一方的分離案」を提案しただけで、シャロン首相はユダヤ過激派から非難されるようになっている。 ユダヤ過激派はシャロン首相のガザ撤退案を、イスラエルに「エレツ・イスラエル」を与えたという神の約束への違反と見なしているからである。ユダヤ過激派 の青年は1995年に、パレスチナ側に譲歩の姿勢を見せた当時の首相イツハク・ラビンを暗殺している。

 イスラム過激派もまた、聖戦で死んだ兵士は天国に行けるとして、イスラム教の信仰を利用して自爆テロを行なっている。

 イスラエルに大きな影響力を持っているアメリカはキリスト教国であり、政権担当者は国内の宗教勢力の意向を無視することができない。原理主義的キリスト 教右派は、キリスト教シオニズムとも呼ばれるほどイスラエルに肩入れしている。それは、彼らが聖書の黙示予言を信じ、イスラエルの建国がイエス・キリスト の再臨の前段階であると信じているからである。ブッシュ大統領自身がキリスト教シオニズムに影響されているふしがある。

 ■反ユダヤ主義とシオニズム

 パレスチナ問題は、のちにパレスチナ人と呼ばれることになるアラブ系原住民が住んでいたパレスチナの土地に、ヨーロッパから多数のユダヤ人が乗り込んで きて、イスラエルを建国したことによって生じた(ユダヤ人の入植はすでに、ヨーロッパで反ユダヤ主義が高まってきた19世紀の後半から始まっていた)。こ れはまさに植民地主義の一形態である。

 反ユダヤ主義によってヨーロッパのユダヤ人がどれほど迫害されようと、それは元来、ヨーロッパ人とユダヤ人の問題であり、パレスチナ人には無関係のはず である。ところがパレスチナ人は、ヨーロッパの反ユダヤ主義のつけを支払わされる形で、土地を奪われ、難民と化したのである。

 この植民地支配に対して、欧米のリベラルな知識人は表だった批判をひかえた。ナチスによる大量虐殺への同情、反ユダヤ主義への良心の呵責、そして自分もまた反ユダヤ主義者と呼ばれることへの恐れが絡まり合って、彼らの批判精神を萎えさせたのである。

 しかし、パレスチナは当初、ユダヤ人国家建設の唯一のオプションではなかった。テーオドール・ヘルツルが19世紀の終わりにシオニズムを提唱したとき、 彼は最初ユダヤ人国家の建設の土地として、ウガンダやアルゼンチンなども考慮していた。しかし、このような土地は、多くのユダヤ人の情熱を集めることはで きなかった。その当時、西欧の多くのユダヤ人はユダヤ人国家の建設など非現実的な夢だと考えていたのである。そこで選ばれたのが、ユダヤ人の歴史および宗 教と深く結びついているパレスチナであった。つまり、ヘルツルはユダヤ人の宗教的情熱をユダヤ人国家の建設に利用しようとしたわけである。

 もしユダヤ人国家がアフリカや南米に建設されていたら、それは欧米諸国がアジア・アフリカに建設した通常の植民地の一つになっていただろう。そこでも白 人による原住民に対する支配・搾取・差別が行なわれたかもしれないが、そこには、今日のパレスチナ問題につきまとう、ややこしい宗教的問題は存在しなかっ ただろう。アフリカや南米に建設されたユダヤ人国家は、通常の植民地として、いずれは南アフリカのように、原住民の権利を回復する形で脱植民地化されたこ とだろう。21世紀に入ってもなお、チェチェンやチベットのような異民族支配地域が世界各地には多数残ってはいるものの、人権や民族の平等性の見地から、 植民地や異民族支配を恒久的に肯定する道義的な議論は成立しえない。

 だが、パレスチナに建設されたイスラエルには、当分こういう見通しは立たない。宗教的理由がイスラエル建国を正当化し、植民地主義を覆い隠しているからである。

 ■シオニズムとユダヤ教

 「シオニズム」という語を造語したウィーンの作家ナータン・ビルンバウムはこう述べている。

《シオニズムという語はシオンという語に由来する。シオンとはエルサレムにある丘の名前であるが、すでに太古の時代からエルサレムのことを指す詩的な名称 であり、さらにまた、この都市がユダヤ人の国の焦点であると見なされていたので、さらに広くユダヤ人の国自体の詩的な名称であり、そしてまた、ユダヤ民族 がパレスチナの大地に根ざし、パレスチナの大地と一体に結びついていたかぎりにおいて、ユダヤ民族のことを指す詩的な名称でもあった。ローマの軍団がこの 一体性を解体したとき、「シオン」という語は憧憬のニュアンスを帯びるようになった。この語の中には民族的再生への希望が体現されたのであった。〔......〕 シオンは、二千年にわたってユダヤ民族の生と苦悩の道の途上において同伴した、ユダヤ民族の理想になった。この理想がシオニズムの基盤であるが、無意識的 な情動から思索的な意識が、苦悩に満ちた憧憬から活動的な意志が、不毛な理想から救済的な理念が生まれたときはじめて、シオニズムはこの理想の上に築かれ ることになったのである。》

 ユダヤ人はその離散の歴史の中で、常にシオン=パレスチナへの帰還を夢見てきた。彼らがその土地に「憧憬」をいだくことは十分に理解できる。しかし、ユダヤ人のパレスチナへの土地請求権は、外部世界に対してはどのようにして正当化されるのであろうか?

 パレスチナは無人の土地ではなかった。そこにはアラブ人が定住し、生活していた。ユダヤ人がその土地から最終的に追放されたのは、西暦135年のバル・ コホバの反乱の失敗の時である。ローマ帝国はこの反乱を徹底的に弾圧し、ユダヤ人がパレスチナに居住することを禁じた。この時以来、ユダヤ人の世界離散= ディアスポラが始まった。したがって、ユダヤ人は少なくとも1800年間パレスチナから離れていたわけである(少数のユダヤ人はその間もパレスチナに住ん でいたが)。1800年前までこの土地は自分たちの土地であったからこの土地をよこせ、という主張は、正当化の根拠としてはどう見ても無理がある。

 ビルンバウムは非宗教的シオニストであったので、彼がユダヤ人とシオンとの結びつきを強調するときに持ち出すのは、「ユダヤ民族がパレスチナの大地に根 ざし」、「民族的再生への希望」、「ユダヤ民族の理想」という民族主義的語彙である。つまり彼はユダヤ人のパレスチナ再征服=植民地化を民族主義として正 当化する。そこには、シオンが、神がユダヤ人に与えると約束した土地である、という宗教的根拠はあげられていない。いや、彼は宗教的理由をあえて隠蔽して いるとさえ言える。

 シオニズムは当初みずからを、ユダヤ教とは一線を画す非宗教的・世俗的な政治運動と規定した。「神が死んだ」(ニーチェ)20世紀の時代において、パレ スチナの土地を神の名において要求することはできなかったからである。しかし、シオニズムがいくら神を隠蔽しようとも、シオンへの「憧憬」は、神の約束と いう宗教的観念なしには継続しえなかったはずである。シオニズムとは、宗教的信念を隠蔽し、民族主義に仕立て直されたメシア主義運動と見ることができる。

 だが今日では、宗教的理由によってシャロンまでをも神への裏切り者と見なすユダヤ教原理主義者が登場しているように、宗教的シオニストの勢力が無視でき なくなっている。彼らはパレスチナが神によって与えられた土地であることを堂々と主張する。こうなると、「神との契約」は絶対なので、そこには交渉や妥協 の余地はなくなる。国際社会がいくらパレスチナ和平を斡旋しようとしても、イスラエル人が「神の約束」という観念を放棄しなければ、パレスチナ問題は解決 できないであろう。

 ■奇妙な約束

 旧約聖書には、神ヤハウェがイスラエル人に土地を与えるという約束が書かれている。たとえば、創世記15章で神はイスラエル民族の祖アブラハムに、「あ なたの子孫にこの土地を与える。エジプトの川から大河ユーフラテスに至るまで、カイン人、ケナズ人、カドモニ人、ヘト人、ペリジ人、レファイム人、ギルガ シ人、エブス人の土地を与える」とある。また、出エジプト記第6章で神はモーセに、「わたしはまた、彼らと契約を立て、彼らが寄留していた寄留地であるカ ナンの土地を与えると約束した」と述べている。

 だが、このヤハウェの約束は実に奇妙な約束なのである。この奇妙さを暴露しているのが、長谷川三千子『バベルの謎:ヤハウィストの冒険』(中央公論社、 1996年)の一節である。長谷川氏の著書の本来のテーマは別のところにあるのだが、土地約束に関する氏の解説は啓発的である。

 氏はおおよそ次のように述べている(同書36~39頁)。――ヤハウェがアブラハムに与えると約束した土地は、すでに別の民族が住んでいた土地であっ た。つまりヤハウェは、他人の土地を勝手にアブラハムに与えると約束したわけである。これはまことに「顰蹙すべき約束」である。だがこの約束は、ヤハウェ が、イスラエル人の神であると同時に、全地の神でもあるという「一風変わった二重性格」によって担保されている。つまり、全地の神であるヤハウェがどの土 地をイスラエル人に与えようが勝手というわけである。この神の約束に従って、イスラエル民族は他の民族の土地を侵略し、略奪した。その結果、イスラエルの 建国にまつわる根本的な「暴力」が、いわば「正々堂々と公認されることになった」・・・

 このような聖書の記述をひっくり返して眺めてみれば、そこに浮かび上がってくるのは、「神の約束」とは、本来、自分たちのものではない土地を横取りしたことを正当化するために持ち出された理由ではないのか、という疑惑である。

 イスラエル人が定住する前に、カナーンの地に様々な民族が住んでいたことは、先に引用した創世記の一節にも示されている。その土地はまさに太古の時代に おいても諸民族の係争の地であった。その土地を最終的に奪ったイスラエル人が、それを神に与えられた土地として他の民族に主張するために作り上げたのが、 聖書の中の「神の約束」という物語であり、「神の約束」とは、異民族殺戮・土地略奪を伴った建国を正当化するためのフィクションではなかったのか。

《彼らは、男も女も、若者も老人も、また牛、羊、ろばに至るまで町にあるものはことごとく剣にかけて滅ぼし尽くした。》(エリコ攻略)
《その日の敵の死者は男女合わせて一万二千人、アイの全住民であった。》(アイ攻略)
《彼らはしかし、人間をことごとく剣にかけて撃って滅ぼし去り、息のある者は一人も残さなかった。主がその僕モーセに命じられたとおり、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはその通りにした。》(ハツォル攻略)

 ヨシュア記には、イスラエルが神の命令に従ってカナーンの地の異民族を皆殺しにしたことが、誇らしげに記されている。

 異民族殺戮=民族浄化を正義と認める「神」は恐ろしい神である。それは民族的エゴイズムの神格化にほかならない。

 このように、イスラエル民族は太古の土地略奪を「神の約束」として正当化したのであるが、現代においても宗教的シオニストは、その土地の再奪略を聖書を根拠に正当化している。歴史は繰り返すようである。

 だが、長谷川氏の考察には次のような逆説的洞察が含まれている。

《しかし、他方では、神による「土地の約束」が、これほど明瞭なかたちで建国の出発点に据ゑられてしまつたことは、或る難しい問題を生みだしたとも言へ る。すなはち、イスラエルの民にとつて、その国土がいつまでたつても本当の意味での自分たちの土地とはなりえない、といふ問題である。カナーンの地は、あ くまでも神との契約によつて、イスラエルの民へと授けられたものであるのだから、それは彼らにとつて、いはば永遠の「神からの借地」なのであり、決して自 分たちの「持ち家」とはなりえないのである。》

 神は、イスラエルが神との契約を守るかぎりにおいて、パレスチナの土地をイスラエルに貸し与えている。イスラエルと神との間には613もの契約事項(戒 律)がある。当然のことながら、昔も今も、イスラエル人すべてが、すべての契約を守っているわけではない。契約が守られているかどうかの判定は、いわば神 の気ままにまかせられている。神が契約違反を理由に、その土地をイスラエル人から取り上げようと思えば、いつでも取り上げることができる。それを示したの が、バビロン捕囚(紀元前6世紀)であり、世界離散であった。

 神との契約を根拠にするかぎり、イスラエル人はパレスチナの土地を再度奪われても文句は言えないわけである。イスラエルがその土地を真の「持ち家」とす るためには、「神の約束」という宗教的幻想を捨て去り、自国を植民国家と認め、原住民たるパレスチナ人との和解と共存に向かうしか道はないのではなかろう か。

#(追記)
 アテネ・オリンピックの男子マラソンで、先頭を走っていたブラジルのデリマ選手が、観客席から飛び出してきた男に妨害された事件には、世界中の視聴者が驚いた。この男はアイルランド人の元司祭ということであるが、彼が持っていたプラカードには、

"The Grand Prix Priest. Israel Fulfilment of Prophecy Says The Bible. The Second Coming is Near".
(グランプリ司祭。イスラエルに関する予言の成就を聖書は語っている。再臨は近い。)

と書かれていた。この男もキリスト教シオニストの一人なのであろう。この男はもちろん常軌を逸しているが、彼の観念を共有するクリスチャンは少なくない。こういう宗教的観念がパレスチナ問題の解決を困難にしている。

 中澤先生にメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

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