2004年6月アーカイブ

2004年06月30日(水)早稲田大学政治経済学部3年 藤田 圭子

 ここに一通の手紙がある。昨年、92歳で他界した曾祖母から・・・ではなく、その姉からの手紙である。この大大伯母は九州の息子のところで、隠居生活を送っている。この大大叔母との手紙のやり取りが、嬉しくもあり、学びでもある。

 この大大伯母からの手紙で改めて「地域」「日本人」ということを感じた。

 私が感じる「地域」を、この大大叔母からの手紙を元に書いてみたいと思う。一地域のことだけれども、地域が過疎化するにつれ、また価値観の変化で消えていきつつある文化を再考していただく機会になればと願っている。

 私の故郷は愛媛県宇和島市遊子(ユス)水荷浦(ミズガウラ)である。短い住所だが、郵便物はこれで届く。宇和島の人口が6万ほど、その中の遊子は1300人ほど、そして水荷浦が200人ほどである。この水荷浦に薬師堂が一つある。

 幼い頃、曾祖母が私に話してくれた昔話の中にこの薬師堂の伝承があった。『日本昔話』全巻よりも私の胸の中に生き続けている昔話である。それは、地域に人が生き続けてきた証しだからだろうか。この伝説を簡単に紹介してみたい。

 水荷浦は半島の突先で、家の前が海、家の背後は段々畑という地域である。この段々畑の中腹に、今回紹介したい薬師堂がある。このお薬師堂、またの名を「瞬き薬師如来」という。この呼び名が伝承の元になっている。

 行基菩薩の作といわれるこの"お薬師さま"、かつては住古満野刑部の守り本尊だったという。この家が断絶したので、水荷浦のお寺に安置されることになっ た。ある時の晩、その如来を、九州の賊船が盗みにやって来た。賊船は首尾よくお寺から如来を盗み出し、船を漕ぎ出した。明け方まで、櫓を漕いだので数十里 は進んだだろうと辺りを見回すと、まだ水荷浦の沖を漂っているのだった。それで、如来の威光だと感じた賊たちは、如来を海岸の石の上に捨て去った。

 水荷浦の人たちは、まさか如来が盗まれたとは思っていなかった。そんな折、夜毎に岩の辺りが照り輝くのを水荷浦の人たちは不思議に思い、日のある内に確 かめに行った。そこで、如来を見つけて"たまげた"(驚いた)。直ぐに、持ち帰り、元のお寺に安置した。

 時は流れて、元禄の頃。水荷浦に信心深い優婆塞仁左衛門という人がいた。両親に仕えるようにこの如来に帰依していた。日頃の行い故か、仁左衛門に如来の お告げがあり、彼は黄金を手にした。彼はそのお金を私事ではなく、この如来のために使おうと決め、如来のお堂を建て直した。それでもお金が余ったので、本 尊と厨子を修復しようと京都へ赴き仏師を訪ねた。仏師は、この本尊を渡すのを惜しんで修復した本尊と二つの偽者を用意した。そして、仁左衛門にこう言っ た。「この中からあなたの本尊を持ち帰りなさい」と。仁左衛門は迷いに迷った。そして、本尊に願った。「どうか名乗ってください」と。そうすると、一つの 神体が瞬きを三度し、口からは光りを放った。これで、仁左衛門は本尊を見極めることができ、水荷浦へと連れ帰ったという。これ故、「瞬き薬師如来」という 名前が今に伝わっている。

 私には単なるお堂なのだが、大大叔母の手紙によると、大大叔母は毎朝晩この如来に向かって祈っているのだという。遠い九州の地から。90歳を超えた大大 叔母が未だに覚えている伝承であり、未だに信仰している。そのことに驚きを感じ、口伝えによる伝承の凄さを感じた。

 私は曾祖母やこういう大大叔母たちのお陰で地域の伝承を覚えている。かつて、曾祖母たちが覚えていたほどの伝承は知らないかも知れないけれども。私が覚 えきれていない原因に、社会の変化が挙げられると考える。一つは「伝承や生き方は両親ではなく、祖父母たちから教わる」ということが、核家族化によってそ の形態が崩壊していきつつあるということ。それに付随して地域社会の変容も挙げられる。もう一つは、価値観の変化で大人たちが自分が覚えている地域の話し をせずにゲームや玩具を買い与えていること。そして、もう一つが、過疎化・少子化による子ども間での伝承が絶えてしまっていること。全ての地域でこの現象 が起きているとは言えないけれども、起きている地域もあると言える。

 水荷浦では、小学生が集団登校をしていた。私が小学校・低学年の頃はこの集団登校の間に、年上の人たちに道端の草花の遊び方、土地の名前などを教えても らっていた。当り前だと思っていたのだが、この前、隣りに住む小学生に土地の名前を聞いたところ、首を横に振った。私たちの頃、30人を越した水荷浦の子 どもたちが、今では6人ほどしかいない。土地の名前すら伝わっていないことに寂しさと危機感を抱いた。土地の名前だけでなく、この"お薬師さま"の伝承も 知らない。

 私が知らない伝承もあると思う。でも、私が知っている伝承は我が子には伝えたいと思う。伝承だけでなく、土地の名も、言葉も、自然の流れも。水荷浦にも 歴史がある。それは、日本全土から見たら小さな価値無きものかもしれない。しかし、私たち水荷浦で生きてきた人々の過程、育んできたものを途絶えさせたく ないと思う。地域で伝承だけを伝えるという生き方は出来ない。経済的利益を生まないため、今の社会では生きていけないから。しかし、多くの人に伝えるとい う大義ではなく、我が子、孫に伝えるだけでも十分意味のあることだと思っている。

 曾祖母や大大叔母たちの生きる姿に日本人としての生き方を感じ取って来たからかも知れない。神や仏に祈る姿、お米一粒にも神が宿るとする姿、自然に対す る姿勢・・・教科書では学ぶことのできないことを学んだと思う。曾祖母や大大叔母は自分が何の役にも立ってないと嘆くことがあった。でも、私に多くを教え てくれた。地位やお金ではなく、本当に大切なものを。

 私の曾祖母や大大叔母だけが特別なのではなく、地域に生きる人は多くを知っている。伝承をすることを止めたのは、伝えたくないからなのか。そうではない と思う。聞かせる相手が側に長い時間いないからだと思う。小さい頃のそういう異世代交流は大切な時間だと思う。もっと、こういう時間を持たせてあげたいと 思う。

 つい先日、上京して来たと思っていたら、もう就職活動の話しが出る時期になってしまった。私の願いを叶えるには、水荷浦に戻って生活をすべく仕事を見つ けなければならない。とても、難しい。でも、みすみすと地域の崩壊を見ていることもできない。これを読んでいただいた多くの人生の先輩方に何かアドバイス を得ることができれば幸いに思う。

 藤田さんにメールは mailto:yusukko@cf7.so-net.ne.jp
2004年06月29日(火)萬晩報通信員 成田 好三

 プロ野球は来シーズン、1リーグになる。ほとんど確実にそうなる。理由は簡単である。6球団によるリーグ戦でも経営が困難なパ・リーグが、5球団による 変則リーグ戦で経営が成り立つ訳がない。来シーズン、変則リーグ戦を行うことはリーグの自殺行為になる。パ・リーグと各球団の経営は確実に破綻する。もっ と正確にいえば、各球団の親会社が、球団の赤字補填に耐えられなくなる。

1リーグ化には大きな痛みが伴う。球団数を2つ減らして、12球団が10球団になれば、およそ17パーセントに当たる選手がリストラ対象になる。リストラ 対象選手は、合併する球団の選手には限らない。いわゆる「ところてん方式」で、すべての球団の選手が対象になる。選手には特別な救済措置が取られる。しか し、他球団も余分に選手を抱え込む余裕はない。リストラの対象は選手だけではない。監督、コーチから球団職員まで、野球界を構成するすべての人員が対象に なる。選手以外は、救済措置は講じられない。

 1リーグ化すれば、プロ野球は正常な経営が成り立つのか。これも、ほとんど確実にそうはならない。読売巨人軍中心の『一極集中』が、さらに加速するから である。プロ野球がもつ歪(いびつ)な構造の改革に手をつけないまま1リーグ化しても、問題を解決したことにはならない。

 近鉄とオリックスの合併問題に端を発した球界再編、1リーグ化への動きは、プロ野球の『終わりの始まり』になる可能性を強くはらんでいる。

 プロ野球は不思議な世界である。この国最大の人気スポーツでありながらも、その組織形態は極めて脆弱である。戦後一貫して自立した、自己完結した、つまり循環型の組織にはならなかった。

 プロ野球はいつも、誰かのための『道具』であった。常に他の目的のための道具でしかなかった。一部の例外を除いて、各球団は自立した経営体としては成立していない。球団は、赤字経営が当然視されていた。その赤字は親会社が広告費名目で補填してきた。

 戦後の高度成長期からバブル期まではそれでよかった。球団の赤字体質をとがめる者など誰もいなかった。球団の赤字など、親会社の利益で十二分に補填でき たからである。国民的人気スポーツであるプロ野球の球団を保有することは、親会社、とくにそのオーナーにとっては、何ものにも代え難い特権であり、球団の 億単位の赤字など大きな問題ではなかった。

 バブル崩壊後は、そうした社会状況ではなくなった。親会社が球団の赤字補填に耐えられなくなってきた。近鉄が今年1月末に発表した球団命名権売却(球界 の猛反発でその後撤回)と、今回のオリックスとの合併問題は、球団の赤字を親会社が補填するという、戦後長く続けてきたシステムがもはや限界に達したこと を示すものである。

 プロ野球の憲法とされる野球協約は、欠陥だらけ、矛盾だらけのものである。しかも、プロ野球機構は、野球協約を一般に公開していない。野球協約はプロ野 球機構、パ・リーグ、セ・リーグ両連盟の公式ホームページにも載っていない。唯一、プロ野球選手会公式ホームページだけに掲載されている。プロ野球選手会 は「野球協約等の掲載について」と題したページで、掲載理由などについてこう述べている。

「(前略)現在、コミッショナー事務局は、野球協約等を外部には公開していないようで、選手会に問い合わせが来るようです。(中略) 日本のプロ野球の野球協約は非常に厳しい保留制度をはじめ、法律的にも制度的にも多くの問題を含んだ内容となっています。しかも球団側は、野球協約につい て、野球協約上定められている手続きすら経ないで変更してしまいます。(後略)」

 プロ野球の憲法と称しながらも当事者自身は野球協約を公開せず、交渉団体(労働組合)である選手会だけが公開している。その一点だけみても、野球協約の いかがわしさがわかるというものである。読者も一度、野球協約を読んでいただきたい。きちんと読んだとしても、内容が頭に入るような代物ではない。

近鉄が球団売却ではなく、合併を選択したのは、この協約があるためである。協約では、球団購入者は参加料30億円を、プロ野球機構と他球団に支払うと定め ている(第6章36条の6)。新規に球団を設立した場合は加盟料60億円をやはり同じ相手に支払うという規定もある(第6章36条の4)。

 近鉄本社が合併発表に際して、この不況時に売却相手がいないと説明していたが、売却できないのは不況のためだけではない。赤字球団を買収した上で、さらに理屈に合わない30億円の参加料を支払う人物や組織がどこにいるだろうか。

 参加料、加盟料の条文は、バブル期に、社会的に認知されていない人物や組織の球団買収を阻むために設けられた。しかし、この条文は結果としては、球団保有者の流動化を阻止するものになった。球団は、売りたくても売れない、買いたくても買えないものになってしまった。

 この条文は、現在の球団保有者を固定化する結果を生んだ。退場すべき保有者の退場を阻み、参入すべき新たな保有者の参入を阻むことになった。プロ野球はこの条文によって、最悪の意味での『中世ギルド社会』と同様の組織になったといえる。(2004年6月27日)

 【注】野球協約は改正前の過去の条文も含めて日本プロ野球選手会公式ホームページに掲載されています。

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年06月28日(月)台湾高速鐡路公司勤務 仲津 英治
「地球に謙虚に」運動主宰者

 台湾高速鐡路公司(略称=台湾高鉄)は、台北と高雄間350キロ弱を結ぶ高速鉄道を、2005年秋の開業を目途に建設中である。台湾高鉄の発注先企業 は、国内だけでなく、世界各国にまたがっている。従業員も国際色豊かで、台湾高鉄を例にとれば、その所属国は20カ国以上になるという。社内公式言語は、 中国語と英語である。社内会議も英語が主だ。英語を母国語とする人たちは極めて有利であろう。中でも英国人の多さには驚かされる。

 鉄道人である私の感覚では高速鉄道は、高度の知識、技能を持ちかつ熟練したスタッフによって建設、運営されないと上手く機能しないと認識している。

 もちろん台湾高鉄には時速200キロ以上の鉄道を建設、運営している独鉄道、仏国鉄出身の専門家も勤務している。彼等の存在は理解できる。しかし英国は組織としても個人としても高速鉄道の経験をあまり有していないのである。

 然るに英国人スタッフが多く、しかも主要な任務を担っている。また英語ができる旧英国植民地出身のスタッフも同様に活躍している。彼らも高速鉄道の経験は積んでいない。
 なぜ英国人が自ら経験のあまり無い高速鉄道関係の仕事に従事できるのか。今回の仕事に事実上3年前から関わっている私の結論は、一言で言うと「ルール」である。

 日本の台湾新幹線(株)が台湾高鉄から発注を受けている対象は、高速鉄道の主体を成す電車、電力システム、信号保安システム、通信システムなど、新幹線 でも中枢に当る部門である。その契約書は、欧州の高速鉄道を前提として記述されている。そこには適用されるルール=規格、規則、標準等が明記されている。 曰くEN(欧州規格)であり、曰くDN(ドイツ規格)であり、曰くBS(英国規格)そしてISO(国際標準機構)などである。米国の規則なども多く既述さ れている。JISも表記されているが、残念ながらわずかなウエイトしか掛けられていない。

 具体的事例を挙げると、1年半前に韓国の地下鉄で発生した大列車火災事故の後、台湾高鉄が拠り所として求めた規則は、BS6853という英国の鉄道車両防火規格であった。この規格は鉄道車輌一般の防火、耐火基準を規定したものである。

 私が体験した事例では、RAMS(信頼性、有用性、保守性、安全性)の解析手法のひとつにHAZOP(Hazard Operability Analysis)がある。鉄道運営経験の無い台湾高鉄は監督官庁から、高速鉄道の安全性を証明する手段としてHAZOPの適用を求められている。これら も英国人が生み出した手法である。HAZOPは人手と時間がかかる問題点を有しているが。

 日本の新幹線は開業以来40周年を迎えるが、この間お客様の死傷事故はゼロであり、平均遅延時間は1分を軽く切っている。世界一安全かつ正確な高速鉄道であると誰しもが認めてくれるであろう。

 一方英国の鉄道は事故が多く、遅れもひどいが、ルールは一応しっかりしている。英国人はこのルールを世界の平均的なレベルで通じうるものにし、それらを 広めていく手法を考え出すのが実に上手いと言える。高速鉄道の経験が無くても、情報を収集し、共通化できるものをまとめ、一定のルールに仕立て上げていく のだ。そして世界中に広める。これは当然彼等の雇用の維持拡大に繋がって行く。

 国際競争の激しい輸出入ではこれらルール(規格、標準など)が勝負を決めて行く。品質管理の部門ではISO9000、環境部門ではISO14000が有 名な例である。最近前述のRAMS手法も鉄道車輌の安全性を証明する手段として国際標準化されたと伺った。日本の企業はこれら標準を満たしていないと輸出 ができないから、これまた必死の努力を重ねて行く。日本の産業界が血と涙と汗を流すことになる。

 英国はかつて大英帝国と呼ばれ、世界の七つの海を支配し、日の没せざる国とも言われた。その世界帝国を支えたのは海軍であった。今や欧州の一国になった 英国ではあるが、外交力はかなりのものである。その外交力を支えるのは英国人の一人一人であり、その外交手段の一つが「ルール」である。

 ルールの制定、改善発展には情報が欠かせない。その情報収集に関し、英国はかつての植民地、アジアであれば、香港、シンガポール、インドなどの国々を、 英語を駆使して大いに生かしている。旧植民地諸国と連携を保ち、交友関係を維持発展させつつ、したたかに生きる英国という国の存在に学ぶべきものが多いと 感じるようになった。そして世界共通語になりつつある英語を理解し、話せる台湾人の人口割合は、日本人よりかなり高いように思える。(2003年8月JR 西日本より出向)

 地球に謙虚に http://www5f.biglobe.ne.jp/~kenkyoni/
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2004年06月27日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 伊勢神宮の祭神については説明はいらないと思う。内宮の天照大神(あまてらすおおみかみ)と外宮の豊受大神(とよけおおみかみ)である。だが大方の予想に反して、この組織の正式名称は「宗教法人神宮」という。そこに伊勢の文字はない。

 明治神宮も平安神宮も橿原神宮もすべて明治以降にできた。江戸期まで神宮の名が付いたのは鹿島神宮、香取神宮などいくつかしかない。神宮といえばお伊勢さんのことを指したのだ。

 その神宮で社殿を20年に一度建て替える式年遷宮の準備が始まった。4月5日、天皇の許可にあたる「御聴許」が出たことで有識者による準備委員会が立ち上がった。建設費用は550億円だというから一宗教法人としてはたいへんな金額である。

 建て替えは内宮や外宮の本殿だけではない。宇治橋や鳥居、周囲の町村にもまたがる125の別宮、摂社、末社も対象となる。神宮の空間はとてつもなく広い から市町村の境界をずいぶんはみ出している。それから遷宮は神々が住まう社(やしろ)にかぎったことではない。日々、神々に供える供物を盛る陶器類から、 鏡や刀、衣装など「神宝」もすべて新調する。

 神宮司聽によると、前回1993年の遷宮では327億円の費用がかかった。「毎年10億円ずつ積み立て、残りは寄付を仰いだ」という。今回も550億円の6割を積み立てで賄うというが、大丈夫だろうか不安になる。

 神宮には神官が約100人。衛士といって警備に当たる人も約60人いる。そのほか宮大工、神楽の担い手やら600人を超える人々が神々に仕えている。

 宗教施設の維持に経費がかかるのはどこも同じなのだが、神宮に何度か通ううちに誰もが気付くと思うのは、この空間で営々と続いてきた古来の建築様式や技術の伝承という別の側面である。

 20年ごとに建て替えを繰り返してきた伝統こそが、技術の伝承に役立ってきたという評価がある。だが一方で式年遷宮によって神宮の建築物や調度品はいつ も新しいから決して国宝や重要文化財に指定されることはない。つまり日本文化の伝承に貢献しても政府や自治体からの補助金は一切出ないのである。

 特定の宗教法人を特別扱いしないという憲法の趣旨が分からないわけではないが、膨大な建設資金を賄うことができなくなれば、1300年続いた日本文化の伝承はそこで完全に止まってしまう。

 明治憲法下では神道が国の宗教であったから、遷宮の資金は当然、国家からも出た。律令制の時代も同じである。室町時代の一時期、国内政治の混乱から遷宮 が行われなくなったが、豊織時代に復活し、織田信長も豊臣秀吉も遷宮に多大な寄進をしたことが記録に残っている。民主主義の時代の文化の伝承の手法を考え なければならない時にきている。

 日本古来の文化となれば、宗教と切り離せない。博物館入りするようなものならば、文化財保護の対象となるが、問題は古来の文化が生きている場合である。神宮の遷宮はまさにこれ当たる。

 その昔、南方熊楠が和歌山県の小島にあった神社の合祀(ごうし)に反対して全国的に話題を呼んだ。熊楠は単なる宗教的理由から反対したのではない。「神 社があったからこそ鎮守の森が開発を免れてきた。合祀となれば片方の神社はなくなり業者による開発が進む」と言った。神社が森の維持に役立ってきたという 今で言えば環境の視点を持っていたのである。環境という視点を用いれば遷宮に対する支援策を考えられないではない。そんなことも考えた。

 神宮の広大な森では、遷宮に使うヒノキの育成を大正時代から始めている。200年という計画であるから年数的にはまだ半分に達していない。ほとんど"国 家的" 事業規模である。当時植えたヒノキはまだ本宮の柱には使うほど育っていないが、9年後の2013年の遷宮では80年もののヒノキが初めて一部で使用される ことになる。

 神道のような自然崇拝の宗教は日本に限ってあったのではない。先進国ではたまたま日本だけに生き残っているだけにすぎない。ウエールズ出身のC・W・ニ コル氏らも言っているように、ヨーロッパでもキリスト教が浸透する以前のケルト的神話は今も多く語り伝えられている。

 9・11以降、一神教の国々が殺し合いを始めた。いまこそ多神教の価値観を世界に広めなければならないという論調も澎湃として沸き起こっている。神々の 世界を持つ日本はもっとしっかりしなければならない。神宮の森を訪れるたびに考えることである。

2004年06月25日(金)萬晩報通信員 園田 義明

          ★★★★★お知らせ★★★★★

「最新アメリカの政治地図」の書評が読売新聞、朝日新聞に続き
北海道新聞と毎日エコノミストでも取り上げられました。深く御礼申し上げます。

北海道新聞(2004年5月30日)
http://www5.hokkaido-np.co.jp/books/20040530/new.html

毎日エコノミスト(2004年5月25日号)
「一枚岩のように見える米国だが、指導者層の人脈から読み解くと、イラク戦争を機に、その内情は分裂し始めていると著者は指摘する。米国を中心にしたイラク戦争後の世界を地政学と人脈で解剖すると、そこにはこれまでなかった勢力図が見えてくる。」

          ★★★★★★★★★★★★★★

 ■ロックフェラー家と盛田家

 ある日、地政学における私の先生である奥山真司から電話が入り、拙著「最新アメリカの政治地図」(講談社新書)が三省堂書店神田本店でベストセラーに なっていたとの情報をいただき、実際に見に行くことにした。その日は5月26日、2階新書売り場のエレベーターホールに拙著が山積みされ、なんと新書ラン キング7位に入っていた。もう一生ないかもしれぬとの想いから、売り場担当の素敵な女性に頼み込んで記念撮影までしてしまったのである。折角だからタイト ルに「壁」を入れておけばよかったなどと奇妙な欲を出しつつも、親しい友人にその写真を送りつけてしまうのである。こう書くとまたしても宣伝かと思われる かもしれないが、「三省堂書店」が本稿にわずかに関係しているのでお許しいただきたい。

 この「最新アメリカの政治地図」の終章で、読売新聞が1991年12月3日付朝刊に掲載した「盛田・ロックフェラー対談」の一部を紹介した。この記事は デビッド・ロックフェラー自身がビルダーバーグ会議やトライラテラル・コミッションのことを語っている点で世界的にも貴重な資料となっている。故盛田昭夫 ソニー元会長も1992年から93年までトライラテラル・コミッション(三極委員会=旧日米欧委員会)の日本議長を務めていた。そして、この対談は山本正 の司会で米ニューヨーク州ポカンティコのロックフェラー邸で行われた。

 この対談のセッティングは山本正が行ったとされているが事実は疑わしい。なぜなら、ロックフェラー家と盛田家との関係は40年に及んでいるからだ。故盛 田昭夫・夫人である盛田良子様が日経ビジネス(2002年10月21日号)のインタビューでこの件について次のように語っているので長くなるが紹介してお きたい。ソニー・ミュージックエンタテインメントの設立背景が書かれており、この記事も永久保存版である。この盛田良子様は「三省堂書店」の創業者一族で ある亀井豊治の四女で私にとってはまさに様様なのである。

「主人(筆者注=盛田昭夫)は63年の年明けに渡米し、仕事の合間を縫って子供たちの学校探しをしていました。それを聞いて力になってくれたのがスミス バーニー(現ソロモン・スミスバーニー)でソニーのADR発行の担当役員でいらしたアーネスト・シュワルツェンバックさん、そして彼の部下でいらしたサ ミュエル・ハートウェルさんでした。シュワルツェンバックさんは後にソニー・アメリカの社長としてもご活躍されました。子供たちの学校として紹介してくだ さったのはセント・バーナード私立男子校でした。娘はセント・バーナード私立男子校の姉妹校であるナイチンゲール・バンフォード・スクールという女子校に 通いました。(中略)そこに集まる子弟の父母は大変に立派な方々でした。ここから私たちの交友関係は大きく広がりました。後の米CBS社長フランク・スタ ントンさんとの出会いも学校の父母の1人からご紹介を受けたものでした。そして、そこからCBS創設者で会長のビル・ペイリーさんともお親しくなり、 CBSソニーレコード、今のソニー・ミュージックエンタテインメント設立への足がかりになりました。(中略)ペイリーさんはニューヨーク近代美術館 (MoMA)のボード・オブ・トラスティーのチェアマンもしておられました。そこからロックフェラー家の方々のご紹介を受け、主人はMoMAのチェアマン ズカウンセラーになりました。私は今もMoMAのボード・オブ・トラスティーを務めていますが、それもこの頃の縁からお引き受けしたものです。」

 今後海外で活躍したい方はまたまたメモである。多少の無理をしてでも子供を立派な父母がいる学校に通わせた方がエリート達と接する機会は増えるようだ。ただし、それなりの血筋は必要かもしれない。

 文中にあるニューヨーク近代美術館(MoMA)は1929年に設立されたが、設立者はジョン・D・ロックフェラー・ジュニア夫人(旧姓アビー・グリー ン・オルドリッチ)、リリー・P・ブリス、コーネリアス・J・サリバン夫人である。現在の理事会の名誉会長にはデビッド・ロックフェラーが就いており、確 かに現在も米政財界の大物達の中に混じって盛田昭夫・夫人の名前を確認することが出来る。

 なお96年に東京・上野の森美術館で開催されたMoMA展ではCBSの創設者ビル・ペイリー(ウィリアム・S・ペイリー)の秘蔵コレクションが公開されているのでご覧になった方も多いのではないかと思われる。

 盛田良子様はさらに興味深い発言を続けている。

 ■スリーピー・フォローゴルフクラブ

「ソニーが5番街にショールームを開いて2年後の64年、ソニーの名前が有名になったこともあったのでしょうか。ロックフェラー家の近くにある名門コー ス、スリーピー・フォローゴルフクラブに入ってはどうかとお声がかかりました。主人はまず2?3回、メンバーとゴルフをして面接を、また私はそのメンバー のご夫人方の集まりで昼食をご一緒して面接を受けました。私はまだ、英語があまり話せませんでしたから、とても緊張いたしましたし、怖いような気持ちがし ました。出席してみれば和やかな会でしたけれど。ところが、あと1回、主人がゴルフをすればOKが出るところで残念ながら帰国となってしまいました。もっ とも、後に無条件でメンバーになってくれと頼まれまして、主人も私もメンバーに加わることとなりました。主人が亡くなりました後も、ウィドーズメンバーと して私の名前を残してくださり、いつでもゴルフを楽しめるようにしてくださっております」

 1911年に設立された名門スリーピー・フォローゴルフクラブの創設者はウィリアム・ロックフェラー、フランクリン・バンダーリップ、パーシー・ロック フェラー、コーネリアス・バンダービルト、ジョン・ジャコブ・アスター、オリバー・ハリマン、ジェームス・コルゲイトなど当時の石油、金融、鉄道などを支 配した米国を代表する大物が顔を揃えている。

 ゴルフクラブも日本同様に紳士達が集うエリート・クラブとしても機能しており、名門スリーピー・フォローゴルフクラブに盛田夫妻が招かれたことは驚きとしか言いようがない。この当時のことを盛田昭夫本人も次のように書いた。

「住んでみると、周りの人とも付き合うし、学校のPTAを通じていろいろな人とも知り合いになる。日本の人とは全然付き合わなかった。一年半居た間に勘定 してみたら、家に350人ぐらいの人を招待している。そうやっているうちに、今度はこっちが呼ばれるわけです。そうすると、またいろいろな人を紹介してく れる。」(1989年1月9日付日経産業新聞)

 この時にすでに後に商務長官となるピーター・G・ピーターソン(当時ベル・ハウエル会長)とも知り合っていたようである。このピーターソンはつい最近までソニーの社外取締役を務め、現在もソニー・アドバイザリー・ボードのメンバーである。

 そして、盛田昭夫の快進撃はここから始まるのである。

■盛田昭夫のモルガン人脈

 盛田昭夫の国際的な人脈に大きな転機をもたらしたのは米国の名門銀行持株会社、J・P・モルガンの国際諮問委員会のメンバーになったことである。就任したのは1969年3月、この時のことを盛田自身は次のように語っている。

「ADR発行前に日本にモックスレーという人が来たのがつきあいの始まりです。モルガンは米国におけるソニーのADRの預託機関でした。そんな関係でモル ガンの国際諮問委員になったのですが、異例の若さでした。委員会の中には、ずらっと偉い人がおるわけですよ。ベクテルのベクテル会長とかパンナムのトリッ プさんとかGMのローチェさんとか、そういう人たちがいる。」
(1989年1月9日付日経産業新聞)

 このモルガン人脈を生かして、72年3月から77年3月までIBM・ワールド・トレードやパンアメリカン航空の社外取締役に就任している。IBMはモル ガングループの中核企業であり、73年から83年までIBMのCEOを務めたフランク・T・ケイリーもJ・P・モルガンの社外取締役を務めていた。

 ソニー生命保険はこのIBM人脈から生まれた。当時米国最大のプルーデンシャル保険会長兼CEO、ドナルド・S・マクノートンとはIBMの取締役会を通 じて「ドン」「アキオ」とファーストネームで呼び合う仲となり、雑談の中からプルーデンシャルの日本進出が話し合われ、ソニー生命保険の前身であるソ ニー・プルデンシャル保険の誕生(1979年)につながった。

 この他テキサス・インスツルメンツ(TI)の日本進出にも、パトリック・E・ハガティー会長との個人的な関係から、盛田が支援したことは有名な話である が、ハガティーが会長時代に社長兼CEO(後に会長)を務めていたマーク・シェパード・ジュニアがJ・P・モルガンの国際諮問委員会のメンバーであり、 J・P・モルガン人脈が盛田とハガティーを結びつけたものと思われる。また、いすゞ自動車の大口株式所得の際には、J・P・モルガン東京代表からの要請に よりJ・P・モルガンの国際諮問委員会を通じて知り合った米ゼネラル・モーターズ(GM)のローチェさんことジェームズ・ローチェ会長に多岐にわたるアド バイスを行っている。

 後にGMのロジャー・スミス会長がいすゞ・GM提携十周年のお祝いに来日したときにわざわざ盛田を訪ねて感謝の意を伝えている。この時のことを振り返って盛田は次のように語った。

「世話になった人の恩を長年にわたり忘れないというのは、日本人だけの専売特許かと思っていたが、GMのようなアメリカの大企業にも、そうした義理人情が 存在しているのを知って、私は大いに喜び、将来への希望を新たにした。」(朝日文庫「メイド・イン・ジャパン」P322)

 現在のソニーの会長兼グループCEOである出井伸之が99年11月から03年4月までGMの社外取締役を務めたのも、多少の義理人情が影響したのかもしれない。

 ■JPモルガン・チェースの社史に残る国際派日本人

 盛田昭夫は1999年10月3日に78歳で亡くなる。翌年2000年2月2日には「盛田昭夫をしのぶ会」がニューヨークのジャパン・ソサエティー主催で 開かれ、デビッド・ロックフェラー、ヘンリー・キッシンジャー、ポール・ボルカー、ピーター・G・ピ?タ?ソンなど約300人が会場を埋めた。

 盛田は93年11月30日、テニス中に脳内出血で倒れた。その時のラケットは小林陽太郎からのプレゼントであり、小林と盛田は家族ぐるみでテニスを楽し むつきあいだった。99年11月8日に行われた合同葬でも小林は友人代表として盛田のことを「日本を愛し、日本の抱える問題には勇気を持って意見した人」 と弔辞を述べている。この時ふたりの間ですでに引き継ぎを終えていることがあった。

 盛田は69年3月からJ・P・モルガンの国際諮問委員会のメンバーを務めていたが、89年5月、就任後20年たったのを機に退任している。新たに選任さ れた日本人が小林陽太郎だったのである。小林はかつてロックフェラー銀行と呼ばれたチェース・マンハッタン銀行とJ・P・モルガンが2000年に大同団結 して生まれたJPモルガン・チェースの国際諮問委員会に今なお唯一の日本人メンバーとして名を連ねている。

 合併する前のチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会には二名の日本人がいたが、合併後に残ったのは小林を含めた二名であり、1名(モルガン)+2 名(チェース)→2名になっている。合併後に名前が消えたのは三井物産の江尻宏一郎(三井物産元会長、現特別顧問、石川島播磨重工業監査役)である。

 そして、合併後もメンバーに留まり、最近になって退任したのが緒方貞子の夫、緒方四十郎であった。

 これまでにチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会のメンバーとなった日本人は少なくとも他に三名いる。

 67年にメンバーとなったのは、高度成長期に経団連の会長を務め、「陰の総理」と言われたと石坂泰三(元東京芝浦電機会長)である。石坂も学生時代はキ リスト教への関心が深く、内村鑑三に許されて聖書研究会に参加したことがある。石坂の晩年と親しかった元上智大学長のヨゼフ・ピタウ大司教は石坂のために 「ペドロ」の洗礼名を用意していた。実際に洗礼を受けたかどうかは不明だが、石坂の五男で97年1月に亡くなった石坂信雄(元東芝アメリカ社長)の告別式 は聖イグナチオ教会で行われている。(「もう、きみには頼まない?石坂泰三の世界」より)

 71年から80年まで務めたのは藤野忠次郎(三菱商事元社長)だが、89年の三菱地所によるロックフェラーセンター買収は、当主であったローレンス、デ ビッド両兄弟がロックフェラー家の名前を大切にしたいという理由で、藤野がいる三菱グループを選んだと当時の朝日新聞は書いている。

 なお、三菱商事といえば90年代から現在に至るまで諸橋晋六(現相談役)と槙原稔(現取締役相談役)のふたりの大物会長を輩出している。諸橋は昔ながら の三菱グループ内ビッグ・リンカーであり、槙原は最近まで世界的なビッグ・リンカーであった(資料1)。特に槙原はダイムラー・クライスラーの「シュレン プ会長の諮問会議(チェアマンズ・カウンシル=01年新設)」のメンバーを務めており、ダイムラーと三菱自動車工業の関係を繋ぐ役割を担っていただけに、 三菱自動車工業の相次ぐ不祥事とダイムラーの追加支援打ち切りは、槙原本人、そして三菱グループ全体の信頼を大きく傷つけるものとなった。なぜなら、諸 橋、槙原ともに今まさに火の車となっている三菱自動車工業の取締役を務めていたからだ(諸橋89年~97年、槙原97年~00年)。

 槙原がクリスチャンかどうか現時点で不明だが、諸橋は上智大学のOB・OG会にあたる「ソフィア会」の会長を87年以来12年間務めており、三菱商事に入らなかったらカトリックの神父さんになっていたかもしれない人物である。

 諸橋と槙原はチェース・マンハッタン銀行の国際諮問委員会に選ばれず、80年代の日本財界を代表する住友グループの長谷川周重(元住友化学工業社長、元 経団連副会長)が一時期就任していた。この長谷川も実は敬虔なカトリックであった。長谷川は夫人の影響で洗礼を受けることになり、文部大臣や最高裁長官を 務めた田中耕太郎が代父(ゴッドファーザー)になっている。洗礼名はキリスト教とギリシャ哲学を集大成して「神学大全」を書いた「トマス・アクィナス」を 選んでいる。長谷川は98年1月3日に死去、告別式はカトリック田園調布教会で行われている。

 石坂、長谷川、盛田、小林、槙原に共通するのは日米財界人会議の議長経験があることだ。そして、JPモルガン・チェースの社史に残る国際派日本人7名 (盛田、小林、藤野、石坂、長谷川、江尻、緒方四十郎)の内、洗礼名を用意されていた石坂と、妻がカトリックである緒方、そして小林、長谷川の4名がカト リック人脈となっている。

 盛田が築いたIBM人脈は槙原稔の社外取締役就任(97年7月)に引き継がれた。この時槙原は、米サンフランシスコで開かれた日米財界人会議の帰途、ひそかにハワイに立ち寄り、現地で療養中の盛田を訪ねている。おそらくIBM引継の報告とお礼をしたはずだ。

 今年に入って日産自動車のカルロス・ゴーン(日産自動車社長兼最高経営責任者)が槙原に代わってIBMの社外取締役に選任されている。ゴーンは現在、仏 ルノー、米IBM,米アルコアの取締役を兼任し、03年6月には小林陽太郎と共に盛田が築いたソニーの取締役に就任している。すでに世界的なビッグ・リン カーへの階段を着実に駆け上っているのである。ブラジル西部のロンドニア州ポルト・ベーリョ市で生まれたゴーンは、カトリックのフランス系学校で学んだ母 ロゼット(本名ローズ)の影響を受け、イエズス会系の私立学校で学んでいる。

 小林陽太郎もJPモルガン・チェースの国際諮問委員会のメンバーになって15年が経過した。後任には、現在ソニーの取締役会にいる出井伸之、カルロス・ ゴーン、宮内義彦(囲む会メンバー)、あるいは小林の後を受けて経済同友会代表幹事となった北城恪太郎・日本IBM代表取締役会長あたりが選ばれるのかも しれない。この北城恪太郎は毎週日曜日に夫人と教会に通う敬虔なプロテスタントである。

 いずれにせよ、盛田が築いた国際的な人脈が今なお確実に生き続けていることは間違いない。

 ■盛田昭夫と神道

 現在の「首相を囲む会」のメンバーを見渡しても、残念ながら今なお盛田を超える人物は見あたらない。突然の病に倒れた盛田は日本のみならず米国にとって も大きな痛手となった。「盛田昭夫をしのぶ会」でポール・ボルカーは盛田のことを『日本だけでなく世界を変革できる人だった』と語っている。

 今もし盛田が生きていれば、旧友でありモルガン=ベクテルグループの首領であるジョージ・P・シュルツの自宅を訪れ、イラク戦争の真意を確認したに違いない。

 盛田昭夫本人は自身のことを信仰の篤い人間ではないと語っているが、盛田家は代々敬虔な仏教信者であった。そして、盛田の発言の中には明らかに神道の影響が読みとれる。またその発言からは極めて日本的な「使命感と理想主義」を見出すこともできる。
 
 私は当時自分のDNAに刻み込まれた神道に目覚め、われわれと共通する宗教観を待ったネイティブ・アメリカンの神話を読みあさり、見事に主流から脱線し ていくことになる(笑)。この時に買った盛田昭夫の「メイド・イン・ジャパン」(1986年10月発行)の英語版は内なる神道を再認識させてくれた。20 年近く経った今、この本を改めて読み返しながら、当時線引きした箇所を抜粋して紹介したい。盛田がわれわれ日本人のために残した遺言とも言える内容となっ ている。

『日本の自然は厳しい。生き延びるためにつねに戦いを続けなければならない。(中略)こうした自然条件のゆえに、われわれは自然をあがめ、一木一草の命を いつくしみ、時には人為的な手を加え、縮小してまで身近に置いて観賞する。そうした日本人にとって、テクノロジーは、まさに生存のために必要欠くべからず 手段なのである。日本人はまた、一般に自分をそれほど宗教心の篤い人間だと思ってはいないが、実際には森羅万象に神が宿ると信じるほど信心深い国民であ る。われわれは仏教徒であり、儒教徒であり、キリスト教徒である。神道の氏子であり、同時に実用主義(プラグマチズム)をも信奉する。(中略)われわれ日 本人が古代から守り育ててきた最も重要な価値観のひとつに、「もったいない」という言葉がある。この「もったいない」という言葉は、日本人の心と日本の産 業の本質を説明する重要なキーワードである。この言葉には、天地万物すべてのものは神からさずけられたものであり、決して無駄にしてはならないという戒め が込められている。「もったいない」は、言外に「神への冒涜」という意味を含めている。大自然のすべてのものは神が託した聖なる品で、人間はそれを余すと ころなく利用はしても、浪費は罪である。日本人はそう感じている。「もったいない」は、だから、紙とか水といったささいなものについても言われる。物を大 事にする、節約するという意味の言葉は、日本以外の東洋にも西洋にも確かに存在する。しかし日本語の「もったいない」は、単に「節約する」「倹約する」と いった単純な言葉ではない。この言葉は一種の宗教的概念を含んでいると、私は考える。自然の破壊力におののき、その猛威に振りまわされ、それでも生きる方 策を模索し続けた日本人は、最小の資源で最大の効果を発揮する道具を生み出す知恵を身につけ、それを習い性としてきた。その過程で、物を無駄に使うのは恥 であり、ほとんど罪とさえいえるという感覚を身につけてきたのだと思う。』

(この日本語訳は朝日文庫「メイド・イン・ジャパン」のP369~371を引用している)

(資料1)

▽諸橋晋六が80年代から90年代に役員を務めた会社一覧
(取締役)東京海上火災保険、三菱重工業、三菱自動車工業、三菱電機、三菱製鋼、三菱石油、日清食品、日本テレコム、東京通信ネットワーク、東京メトロポリタンテレビジョン
(取締役相談役)ジャスコ
(監査役)三菱油化、東京急行電鉄

▽槙原稔が90年代から現在まで役員を務めた会社一覧
(取締役)新生銀行、三菱総合研究所、東京海上火災保険、ミレアホールディングス、三菱証券、三菱自動車工業、三菱電機、三菱製鋼、三菱倉庫、日清食品、 サンシャインシティー、イオン、東京通信ネットワーク、米IBM、米リップルウッド・ホールディングス、比アヤラ・コーポレーション
(委員)トライラテラル・コミッション執行委員会、ダイムラー・クライスラー・チェアマンズ・カウンシル、独アリアンツ国際諮問委員会

 □引用・参考・宣伝

特別インタビュー人物 盛田良子氏(故盛田昭夫氏夫人) 私とソニー半世紀
日経ビジネス2002年10月21日号

ソニー国際化のルーツ(5)ソニー会長盛田昭夫氏 人脈(昭和産業史の証言)
1989年1月9日付日経産業新聞

ニューヨーク近代美術館(MoMA)
http://www.moma.org/
Museum History
http://www.moma.org/about_moma/index.html
Board of Trustees
http://www.moma.org/about_moma/index.html

A BRIEF HISTORY OF SLEEPY HOLLOW COUNTRY CLUB
http://www.uswamateur.org/2002/course/

米でソニー盛田氏しのぶ会 キッシンジャー氏らが惜しむ声
2000年2月4日付朝日新聞朝刊

元経団連副会長・長谷川周重さん(惜別)
朝日新聞1998年2月24日付夕刊

人間探検 カルロス・ゴーン 日産自動車社長
毎日エコノミスト2002年12月3日号

盛田昭夫著 MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)
わが体験的国際戦略(朝日文庫)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022605820/
qid=1087880135/ref=sr_8_xs_ap_i2_xgl14/249-0496222-6057134


もう、きみには頼まない?石坂泰三の世界 文春文庫
城山 三郎 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4167139235/qid=
1088070089/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl14/249-0496222-6057134


地政学?アメリカの世界戦略地図(奥山 真司 著)
価格: ¥1,890 (税込)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4772704019/
ref=pd_sim_dp_1/249-0496222-6057134

2004年06月24日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 きょう24日、参院選が公示された。投票日は7月11日であるが、みなさんはどんな思いで公示日を迎えたのでしょうか。筆者自身はどうも燃えるものがない。

 三重県で言えば、一応、自民の津田健児と民主の芝博一が立候補している。両陣営の勢力は拮抗し、一応激戦区の一つに数えられているため、小泉首相も岡田 代表も応援にやってくる予定になっている。しかし両候補とも県議上がり。選挙民を鼓舞する熱情に訴えるわけではない。毛並みがいいわけでもない。いかんせ んタマが悪い。

 このことは多かれ少なかれ多くの選挙区でも同じなのではないかと思う。自分の一票で世の中が変わるかもしれないという予感があれば少々候補者が悪くとも選挙はおもしろくなるものなのだ。

 しかし今回の参院選には争点すらないのではないかと思えてきた。年金は確かに国民の関心事なのだが、多くの議員の不払いや未加入が発覚して議論が本質か ら放れてしまった。イラク問題では、国連安保理が新しい決議を通したことで争点がなくなってしまった。ここ5、6年必ず議論になっていた景気ははからずも 回復軌道に乗り争点の俎上にも上ってこない始末である。

 数日前から職場の同僚と議論していくつかのことに気付いた。まず改革路線である。小泉首相が改革を主張し始めてからというもの、野党の主張をどんどんと 政策に取り込んでいくものだから、野党側の主張に迫力がなくなった。それから、自民党に名脇役がいなくなった。悪役といってもいい。

 金丸信は亡くなり、野中は土俵を去った。田中真紀子は新潟では夫のために頑張っているかもしれないが、もはや全国区ではない。鈴木宗男は逮捕されてからぶりっ子に転じ、青木幹雄も鳴りをひそめたままである。

 とにかく自民党の外野席がだんまりを決め込んでいるのだ。

 政治をおもしろくするにはヒーローと悪役が必要なのだ。悪役がいないからヒーローのはずの小泉首相もまた張りをなくしているのかもしれない。

 忘れていたのはメディア側である。ニュースステーションの久米宏はどこに行ってしまったのだろうか。意図的に自民党に抗するキャスターの存在も実は選挙に不可欠だったのである。

 参議院を良識の府だとかいうが、選挙区、比例区の立候補者名簿を端から眺めてみるがいい。20人も名前を知っていれば御の字だ。

 そもそも政党側、与野党ともにいえることだが人材を発掘しようと努力した形跡がまったくない。選挙はそもそも人に投票するもの。第一声で「ストップ・ ザ・小泉」を声高に叫んだ岡田民主党代表はシャドーキャビネットの閣僚級の人材を発掘して「こういうメンバーで戦います」と訴えるべきだったのである。

 自民党に抵抗勢力がなくなったことで、小泉首相を「じゅんちゃん」と慕う女学生もいなくなった。小泉首相はもはやスターでなくなったのかもしれない。

 先週、EU議会の選挙があった。40%台の投票率だとかで、イギリスでは独立党が躍進して労働党が大幅に議席を減らしたことが話題になった。2年前の ユーロ導入に次いで、ヨーロッパではEU憲法を制定しようという段階まできている。国権の制限を議論しようとしているのだ。

 一週間スコットランドに逍遥して思ったことは戦後の日本は国境を越えた議論をあまりにも避けてきたということである。ASEANは経済統合に向かおうとしている。中国は台湾問題がある。韓国は北朝鮮をどうするか頭が痛いに違いない。

 本来ならば、日本が東アジアの経済統合や安全保障問題でリーダーシップをとらなければならない立場にあるはずだ。政治家は日本だけに目を向けず、世界を 語らなければならない。今日の公示日に当たって世界を語った立候補者がいただろうか。小泉さんも岡田さんも狭い国土のことばかりしか語らなかった。

 あーつまらない! こんな選挙は萬晩報始まって以来だ!
2004年06月23日(水)萬晩報通信員 成田 好三

 「おいおい、まだこんな教師がいるのかよ。これじゃまるで殺人未遂で罰せられる犯罪じゃないか。だから俺はスポーツが嫌いなんだよ。こんなことがまかり通っているなら、学校教育からスポーツを排除すべきだよ」

 飲み屋での友人の言葉である。彼は、スポーツにはまったく関心をもたない。プロ野球も、サッカーW杯や五輪でさえも興味がない。「五輪のTV観戦のため に寝不足になる奴の気が知れんね」などと平気で言い、今夏のアテネ五輪時の寝不足を今から覚悟している人間(筆者)の気分を悪くさせるような男である。

 そんな彼が珍しくスポーツを話題にした。それも少し興奮気味にである。彼は、ある新聞に載っていた記事を読んで、驚き、そしてあきれてしまった。彼はスポーツ面など見ない。しかし、この記事は社会面に掲載されていたので、彼の目にとまったのだった。

 スポーツ嫌いの友人が驚き、そしてあきれた『犯罪』を扱った記事は、6月9日付読売新聞朝刊の社会面に、「風邪で高熱、入院させず練習 バレー部員一時危篤」の4段見出しで掲載された。以下、記事の一部を引用する。

 バレーボールの「春の高校バレー」で4度の全国優勝を誇る男子の名門、岡谷工業高校(長野県岡谷市)の前監督(48)が、今年3月に当時2年生の主力選 手が風邪をこじらせた際、病院で診察を受けさせるなどの処置を怠り、この部員は一時危篤状態になっていたことが8日、分かった。(中略)家族などの話によ ると、この部員は3月4日に高熱がでて、近くの病院で、「設備の整った同市内の病院への緊急入院が必要」と診断された。しかし監督は入院させずに学校に連 れ戻した。その後、全国大会に向けて無理を押して練習や遠征に参加し続けたために、部員は同月下旬に敗血症などで一時心肺機能停止に陥った。(以下略)

 前監督は妻を寮母役として自宅にバレー部員を住まわせており、一時危篤になった部員もこの寮で生活していた。

 この問題が明らかになったことから、長野県教委は前監督を県教委高校教育課付に異動させた上で、6月11日、停職6か月の懲戒処分にした。この懲戒処分 を取り上げた読売新聞は、「生死の境をさまよった部員は闘病生活で81キロあった体重が今は50キロ台にまで落ちた」(6月12日付朝刊・スポーツ面サイ ド記事)と記している。また、この記事では、この部員が「見学に来ていた両親の前で監督から顔をたたかれて鼻血を出している」と、日付を特定して伝えてい る。同高バレーボール部では、指導の名のもとに、日常的にこうした体罰が繰り替えされていた。

 何ともおぞましい『事件』である。刑事事件としては立件されないかもしれないが、社会の常識では、前監督(教師)の行為は明らかに犯罪である。

 マスメディアはこの『事件』を例外的ケースとして扱っている。しかし、実態はそうではない。前監督の立場と、一時危篤状態に陥った部員の置かれていた状況には普遍性がある。高校スポーツの名門校ではほとんど当たり前の環境の中で、『事件』は起きたからである。

 ここからは、『事件』の背後にある根本的な問題について考えてみたい。根本的問題は二つある。その一つは高校生レベルでの『勝利至上主義』である。高校 レベルでも競技スポーツであるから、各校が勝利を目指すのは当然のことである。競技スポーツから『勝利への意思』を削除したら、何も残らなくなる。しか し、高校レベルでの『勝利への意思』は抑制的であるべきである。

 高校レベルでは、『育成』と『勝利への意思』とのバランスを取る必要がある。選手が将来、大学、社会人レベルで活躍できるよう、ステップアップの時期と考えなくてはならない。しかし、野球など他の競技も含めて、現状はそうなってはいない。

 前監督にしても、春の高校バレーの時期ではなかったら、この部員に対してこれほどの無理はさせなかっただろう。全国レベルの名門校の監督として、前監督には学校、地域、部員の父母らの全国優勝への期待が重くのしかかっていたことは、容易に想像できる。

 もう一つの問題は、より深刻である。前監督が、絶対的な権威者、権力者として部員を管理していたことである。前監督は同校の教師でもある。全国から集 まった部員は、前監督の自宅である寮で生活している。寮母は前監督の妻である。部員は寮で寝起きし、教室、練習場である体育館に通い、寮に戻るという生活 を繰り返している。

 練習や遠征では、前監督は絶対的な権威と権力をもつ。寮では前監督の妻が前監督の代理人の役目を果たす。教室でも、他の教師を通して前監督は部員の情報をいくらでも入手できる。部員は生活全般にわたって前監督に管理されている。

 それに加えて、前監督は「春の高校バレー」を含め全国優勝を何回も達成した、高校バレー界の名監督である。「バレーボールのまち」を標榜する岡谷市の名 士でもある。県教委も校長も、他の教師も前監督の体罰を組み込んだ指導に異議をとなえることはできなかった。子どもを預けた父母はなおさらである。子ども が、前監督によってレギュラーに指名されるかどうかによって、その子どもの、その後のスポーツ人生が大きく変るからである。

 24時間体勢で管理される部員と、絶対的な権威、権力、情報をもって管理する前監督。極めて強固な上下関係、支配・被支配の関係が、あの『事件』を引き 起こした。そうした関係が成立していなければ、前監督は医師の緊急入院の指示を無視してまで練習を強要しなかっただろう。部員も、命を落とす直前まで、前 監督の命令に従ったとは思えない。こうした関係は、人間が本来もつ、自分の命の危険に関する防衛本能まで希薄にさせてしまうほど、強い力をもつ。

 高校レベルでの過度の『勝利至上主義』と、指導者と部員の支配・被支配の関係を抜本的に見直さない限りは、こうした『事件』はいつでも発生する可能性がある。(2004年6月20日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年06月22日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 ロバート・オーエンは企業経営に関わる富の社会還元の手法を多く残した。地域通貨や労働組合などもそうだが、どうしても忘れられないのは協同組合的店舗経営だった。

 協同組合は1844年代にマンチェスター郊外ののロッチデールで始まったものとばかり思っていたが、ロッチデールの人々が参考にしたのは実は、ニューラナークにあった企業内店舗の在り方だった。

 200年前の商人たちはどこでも相当にあこぎだったようである。オーエンによれば、村の店で売っていた商品といえば「高くて質が劣悪。肉だったら骨と皮 に毛の生えた程度のものばかり」だった。村民の人たちはほかに店がないことをいいことに劣悪な品質のものを高い価格で買わされていた。しかも多くの商いが 掛け売りだったため、村の人々の借金はたまる一方だった。

 そうした状況は100年前の日本でも同じだった。日本の文学にはそうしたあこぎな商売というものはあまりでてこないが、賀川豊彦の多くの小説には貧乏人 が労働を通じて搾取されるだけでなく、購買を通じても対価に見合った商品が販売されていないことがこと細かく書かれている。オーエンや賀川が昨今の流通業 界の価格破壊の状況を見たら卒倒するに違いない。

 ニューラナークの人々を救済するためのオーエンの答えは工場内に自らの購買部を設立することだった。そして「生活必需品と生活のぜいたく品、そしてお酒 も必要」と考えた。お酒についてはオーエンは比較的寛容だった。酔った状態で勤務することは当時の工場では自殺行為に等しかったが、適度の飲酒は生活のぜ いたくの一つと考えていたようだった。

 1813年、オーエンは工場敷地内のほぼ真ん中に三階建ての店舗を開設。工場経営者としての地位を利用して卸売りから安く大量に仕入れ、村の店のほぼ2 割安の価格で販売した。販売したのは、食料や調味料、野菜、果物といった生活必需品だけでなく、食器や石鹸、石炭、洋服、ろうそくなどなんでもあった。

 この建物は現存しているが、当時の一般的な消費動向や2500人という工場の人口からすればとてつもなくおおきな店舗だったはずだ。

 ニューラナークでの賃金はほかと比べて高いというわけではなかったが、当時、村を訪れたロバート・サウジーの報告によると「一家で週2ポンド(40シリ ング)稼いだとしてラナークで住むことによって10シリングほど生活費は安くてすんだ」そうなのだ。つまりお金の価値を高めたのである。

 やがて、村人の借金はなくなり、あこぎな店も村からなくなった。そして店舗であがった利益は前回書いた児童教育に注ぎ込まれた。

 労働者の生活改善というオーエンの発想は、多くの人々に刺激を与えた。そして彼の協同組合的考え方を発展させた人々をオーエニーズと呼ばれた。ロッチ デールの織物労働者によって1830年から試行錯誤が続けられ、1844年、13人のメンバーによってようやく「ロッチデール・エクィタブル・パイオニ ア・ソサエティー」設立にこぎつけた。彼らは毎週2ペンスずつを1年間にわたって貯蓄して28ポンドの資金を集めた。

 10ポンドで10坪ほどの店舗を3年間契約で借り受け、16ポンド11シリングでオートミール、小麦粉、バター、砂糖、ろうそくを仕入れ、商いを始めた。初日の商いが終わってみると彼らは22ポンドの利益を手にしていた。

 彼らの当初の目的は、普通の人々がお金の価値に見合った商品を購入できることにあった。そして彼らはこの新しい購買組織の5原則を約束し合った。この時 決まった(1)入・脱会の自由(2)一人一票という民主的組織運営(3)出資金への利子制限(4)剰余金の分配(5)教育の重視-
という5原則は現在の生協運動でも掲げられているものである。
 
 ロッチデールで始まった小さな試みはやがてイギリス全土に広がり、国境を越えて拡大した。日本で初めての生協が登場したのは1920年のことである。賀川豊彦が8月、大阪市に有限責任購買組合共益社を設立したのが嚆矢(こうし)である。

2004年06月20日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 6月初旬に一週間ほど南スコットランドを歩いた。グラスゴーの酒場で一人の日本人に出会い、ロバート・オーエンのことが話題になった。近郊にオーエンが 繊維事業を始めた場所で、いまでは世界遺産に登録されているニューラナークという場所があることを知らされた。

 翌日、ラナーク行きの電車に乗り、1時間ほどで町のバスに乗り継ぎニューラナークに向かった。ニューラナークはスコットランド最大の河川であるクライド 川の渓谷沿いの寒村で、200年以上前の当時としてはイギリス最大の紡績工場と従業員の生活をよみがえらせている。いまでは渓谷は緑の木々におおわれ、水 の音と鳥のさえずりだけが静寂を破る。空気がとてもおいしい場所だった。

 ニューラナークの歴史は220年前にさかのぼる。紡績機械を発明したリチャード・アークラウトとグラスゴーの銀行家デイビット・デイルがこの地にやって きて「ここほど工場用地として適した場所はない」といって周辺の土地を購入し、1785年に紡績工場を立ち上げた。ワットが蒸気機関を発明したのは 1765年。狭い渓谷を流れる水流がまだ動力の中心だった時代のことであるが、イングランドのマンチェスターはすでに繊維産業の町として名を馳せていた。

 ニューラナークが世界的に知られるようになったのはデイルの娘婿となったロバート・オーエンが1800年に事業を引き継いでからである。オーエンはまず 従業員の福利厚生のために工場内に病院を建設した。賃金の60分の1を拠出することで完全無料の医療を受けることができた。現在の医療保険のような制度を スコットランドの片隅で考え出した。

 19世紀の繊維工場は蒸気とほこりにまみれ、労働と疾病は隣り合わせだった。日本でも初期の倉敷紡績が東洋最大の病院を工場に併設したことはいまも語り継がれているが、その100年も前にオーエンは従業員の福利厚生という発想を取り入れていたのだ。

 次いで取り組んだのが児童への教育だった。当時の多くの紡績工場では単純作業が多く安い賃金で雇用できる子どもたちが労働力の中心だった。子どもといっ ても6歳だとか7歳の小学校低学年の児童も含まれていた。オーエンは10歳以下の児童の就労を禁止し、彼らに読み書きそろばんの初等教育をさずけた。

 1816年の記録では、学校に14人の教師と274人の生徒がいて、朝7時半から夕方5時までを授業時間とした。家族そろって工場で働いていた時代であ るから、学校に子どもたちを預けることによって母親たちは家庭に気遣うことなく労働に専念できるという効果もあったが、当時、児童の就労禁止を打ち出した ことでさえ画期的なことだったのだ。

 オーエンの教育でユニークだったのは、当時のスコットランドで当たり前だった体罰を禁じたことだった。さらに五感を育むために歌やダンスなども取り入れ た。当時、音楽などを教えていたジェームス・ブキャナン先生はニューラナークでの教職について「人生の大きな転機をもたらしてくれた。金持ちや偉人になる といった欲求を捨てて、誰かの役に立つことで満足するようになった」と語っている。オーエンの学校にそういう雰囲気があり、教師たちも感化されたのだろ う。

 オーエンはイギリス各地で起きていた労働者(特に児童)の搾取や悲惨な労働環境を目の当たりにし、「そうした環境では、不平を抱いた効率の悪い労働力し か生まれない。優れた住環境や教育、規則正しい組織、思いやりある労働環境からこそ、有能な労働者が生まれる」という考えにたどり着いた。19世紀の弱肉 強食の時代に、福祉の向上こそが経済効率につながるという理念に到達していたのだった。

 それから100年以上もたった1925年にロンドンの町を訪れた社会改革者の賀川豊彦は工場労働者が劣悪な環境で働いているのに驚いた。日本と変わらないスラムが町外れに多く形成されていた。日本でもロンドンでもスラムは貧困と不衛生、そして犯罪の巣くつとなっていた。

 オーエンはニューラナークでの実践活動を理論化した『新社会観-人間性形成論』を書き、国内外を回り、議会や教会関係者から経済学者まで広く工場の労働 条件改善の必要を説いた。またニューラナークでの「実践」を通して国内外で多くの理解者を得た。そして彼の経済理論は1820年の『ラナーク住民への講 演』で社会主義的発想へと一気に昇華した。この講演でオーエンは「生産者自らが生み出したすべての富について、公平で一定の割合の配分を受けられる必要が ある」と語りかけた。工場の福利厚生の改善だけでは満足できず「社会変革」の必要性まで打ち出したのであった。

 オーエンがその後、あまた排出する思想家や経済学者たちと一線を画し、200年後のわれわれに感動を与えるのは彼が「偉大な実践者」であったということ だ。賀川豊彦が100年前にスラムに飛び込み貧困と病気、さらに犯罪と戦いながら、貧困救済事業を立ち上げて名声を勝ち取った経緯と重なる部分が多くあ る。(続く)

2004年06月18日(金)萬晩報通信員 園田 義明

 ■緒方貞子と山本襄治と上智大学の聖イグナチオ教会

 2003年12月10日、緒方貞子・国際協力機構(JICA)理事長は、「国連難民高等弁務官としての10年」というテーマで講演を行う。会場となった のは聖イグナチオ教会の主聖堂とヨセフホールである。この聖イグナチオ教会はイエズス会の創設者で初代総会長を務めたイグナチオ・デ・ロヨラにちなんで名 づけられ、隣接する上智大学と共にローマ・カトリック教会に所属するイエズス会が設立母体となっている。

 緒方貞子の学歴は聖心女子大学文学部卒、ジョージタウン大学卒、カリフォルニア州立大学バークレー校大学院政治学専攻博士課程修了となっているが、聖心 女子大学も1800年に修道女マグダレナ・ソフィア・バラらがフランス・アミアンに創立した聖心会を母体としているカトリック系大学である。

 この緒方貞子と上智大学との関係は20年以上に及んでおり、これまで上智大学外国語学部教授(1980?88)、同大学国際関係研究所長(87?88)、同大学外国学部長(89?91)を務め、現在も同大学の名誉教授となっている。

 緒方貞子が講演を行った聖イグナチオ教会の神父の中に山本襄治の名前がある。山本神父は1962年に上智大学神学修士課程を修了し、上智大学神学部教授、上智学院理事長を務め、現在緒方貞子と同じ名誉教授である。

 緒方貞子は1927年9月16日生まれ、翌年の1928年6月29日に山本神父はニューヨークで生まれた。緒方貞子と山本神父は小学生の頃にはすでに出会っていた可能性があった。

 ■小林陽太郎の洗礼

 1998年9月6日午後8時28分、小林伸子は肝不全のため89歳で死去した。葬儀・告別式は9月9日に聖イグナチオ教会で行われた。喪主は長男である小林陽太郎・富士ゼロックス会長である。つまり亡くなったのは小林会長の母であった。

 小林陽太郎は、1933年4月25日、後に富士写真フイルムの社長となる父・節太郎の駐在地、ロンドンで生まれる。この時、小林には日本人名「陽太郎」 のほかに「アントニー」という英語名が授けられ、日本に戻ってからも「トニー」(アントニーの愛称)と呼ばれていた。しかし、米英との開戦が近づくにつ れ、「トニー」の呼び名は小林家から消えていくことになる。

 慶応義塾大学経済学部卒業した小林はペンシルベニア大学大学院でMBA(経営学修士)を取得している。そして、30歳頃には夫人の影響から結婚を前にカ トリックの洗礼を受ける。その洗礼名は「アントニオ」となり、幼いころのアントニーの記憶が蘇ることになった。この時、代父(ゴッドファーザー)になった のは服部一郎・セイコー電子工業、セイコーエプソン社長(1987年死去)である。

 小林陽太郎は富士ゼロックス代表取締役会長以外にも米ゼロックス取締役、日本電信電話(NTT)取締役、ソニー取締役、米キャロウェイ・ゴルフ取締役、 米国生産性品質センター取締役、米ゼネラル・モーターズ(GM)元取締役、米コーニング元取締役、スイスABB(元アセア・ブラウン・ボベリ)元取締役、 伊モンテジソン元取締役など数多くの肩書きを持っており、日本で唯一の世界的なビッグ・リンカーである。

 そして、小林が生まれて3年後の1936年、英国植民地香港のビクトリアピーク中腹にある三菱商事共同社宅の広い芝生の真ん中に、生まれたばかりのまるまる太った男の子が座らされていた。

 ■「タダシ・テディ・ベア」から「日米交流のエース」へ

 1936年、まるまる太った男の子は、年上の兄弟達から「タダシ・テディ・ベア」と呼ばれていた。その周りでボール遊びをしていたのが、長男の襄治(山 本神父)、長姉の故シスター山本愛子(元聖心女学院校長)、次兄清、次姉勇子、東京銀行元頭取の高垣佑である。当時、香港の日本人小学校には多いときで 200人近い児童がいたが、その中のひとりに中村貞子もいた。中村貞子は現在の緒方貞子である。

 「タダシ・テディ・ベア」こと山本正は敬虔なカトリック信者である山本家の末っ子として1936年3月11日に生まれる。正も家族の影響を受け,神父に なるつもりで上智大学の文学部哲学科に入学するが、2年生を終えるころにこのまま聖職に就くのが正しいのか悩むようになり、家族の影響から逃れて自分で ゆっくり考えようと58年に米国の大学に編入する。そして、セント・ノーバート大からウィスコンシン州マーケット大大学院で経営学修士(MBA)取得す る。
 
 帰国後の1962年に信越化学工業に入社し、小坂徳三郎社長秘書や小坂社長の財界人会議のスタッフなどを務めた。この時から、「タダシ・テディ・ベア」 は「日米交流のエース」へと変貌を遂げることになる。そして、小坂社長が政界進出するのを機に信越化学工業を退社し、1970年に日本国際交流センターを 設立、1973年に財団法人として認可され代表理事となり、1985年に理事長に就任、現在に至っている。

 山本正は帰国後、日米の政治家、財界人、学者達が一同に集まって日米関係について論じ合う「下田会議」(1967年第一回会合)や日米の与野党議員が参 加する「日米議員交流プログラム」(1968年第一回米国代表団訪日)、日米欧の有力政治家や財界人,学者が共通の政策課題について研究し,各国政府への 提言をまとめる「トライラテラル・コミッション(日米欧委員会)」(1973年第一回東京総会)を手がけ、国際交流の舞台を設ける黒子役に徹してきた。お そらく海外にかかわる仕事や日米関係の研究に携わっている者であれば,彼の名前を知らぬ者はいないはずだ。

 また、山本正はこれまで歴代首相にも重用されてきた。1988年5月には竹下首相(当時)の私的懇談会「国際文化交流に関する懇談会」のメンバーとな り、1999年3月には小林陽太郎とともに小渕(当時)首相の「21世紀日本の構想」懇談会の幹事に選ばれている。小泉首相との会見は2002年3月11 日と2003年3月31日の二回の官邸訪問記録が残されているが、歴代首相と比べるとこの二回という数字は極めて少ないものとなっている。ただし、「首相 を囲む会」そのものが山本正人脈と言っても過言ではない。

 ■日本のカトリック人脈

 ここで「首相を囲む会」と山本正が理事長を務める日本国際交流センターとの関係を見ておこう。

 「首相を囲む会」のメンバーで山本正率いる日本国際交流センターの役員になっているのは、牛尾(理事)、小林(理事)、茂木(理事)、野村(評議員)、 宮内(評議員)の5名である。「首相を囲む会」のメンバー以外では大河原良雄、安藤國威(ソニー社長兼COO)、出井伸之(ソニー会長兼グループ CEO)、カルロス・ゴーン(日産自動車社長兼最高経営責任者)、小笠原敏晶(ニフコ会長、ジャパン・タイムズ会長)、豊田章一郎(トヨタ名誉会長)、グ レン・S・フクシマ(日本ケイデンス・デザイン・システムズ社長)、槙原稔(三菱商事元会長)など蒼々たるメンバーが集い、緒方貞子の夫である緒方四十郎 も評議員となっている。

 1973年に財団法人として認可を得た時の発起人には(肩書はすべて当時)、植村甲午郎(経団連会長)、永野重雄(新日鉄会長)、中山素平(日本興業銀 行相談役)、木川田一隆(東京電力会長)、岩佐凱実(富士銀行会長)、井深大(ソニー会長)ら財界の大物が名を連ね、基本財産1070万円は、ソニー、東 京電力、日本興業銀行、富士銀行、第一勧業銀行、西武百貨店、ウシオ電機が拠出している。

 「最新日本政財界地図(3)」で触れた大河原良雄・元駐米大使も日本国際交流センターの理事であり、逆に山本正は大河原良雄が関わる世界平和研究所の評議員、笹川平和財団の評議員、日米交流150年委員会の運営委員会委員、そして笹川系の東京財団の評議員も務めている。

 つまり山本正が財団・シンクタンク・NPOにおいて多数の役員を兼任するビッグ・リンカーとなっている。そして、小林陽太郎、緒方夫妻、山本正から成る日本のカトリック人脈が日本の政財界のみならず、トライラテラル・コミッションでも極めて強い影響力を持っている。

 現在、トライラテラル・コミッションのアジア太平洋地域の幹部はアジア太平洋委員会委員長、アジア太平洋委員会副委員長、パシフィック・アジア・ディレ クターの3名で構成されているが、その役職に就く人物は、順に小林陽太郎、緒方四十郎(緒方貞子はアジア太平洋委員会委員)、山本正である。

 なお、山本正が帰国後に入社した信越化学工業は、信越ポリマーなどの信越化学グループや信濃毎日新聞と共に信州の名門・小坂財閥の企業群である。小坂財 閥は小坂善之介が興し、その長男順造が花咲かせた。そして徳三郎は信越化学工業を発展させた中興の祖とされている。いずれもその活動範囲は経済界に留まら ず政界にも進出し、善之助が衆院議員、順造が衆院および貴族院議員、そして順造の長男である善太郎は初代国家公安委員長、外相二回、経企庁長官、衆院予算 委員長、自民党政調会長、同外交調査会長、日米議員連盟会長、そして日本国連協会会長などを務めてきた。善太郎の弟である徳三郎も総理府総務長官、経済企 画庁長官、運輸相を歴任している。現在は善之助から数えて四代目となる善太郎の次男、小坂憲次が衆議院議員である。

 「タダシ・テディ・ベア」の周りで一緒にボール遊びをしていた高垣佑(東京銀行元頭取)は、三菱銀行との合併後の東京三菱銀行頭取、会長、相談役を務め ながら、現在も信越化学工業の監査役になっている点は興味深い。また、同社の取締役会にはフランク・ピーター・ポポフがいるが、ポポフは米ダウ・ケミカル の前会長兼CEOで、現在はアメリカン・エクスプレスやユナイテッド・テクノロジーの取締役を務める米国インナー・サークルのひとりである。

 善太郎と徳三郎の母、花子は生来のクリスチャンで、英語もこなし、「天は自ら助くるものを助く」を座右の銘としていた。この母の影響が小坂家の国際感覚を育み、山本正を中心とするカトリック人脈を生み出す源になったのかもしれない。

 なぜ、国際派にクリスチャンが多いのか? この問いかけについて参考になる発言があるので紹介したい。国際派を目指す方はぜひメモを取っておこう。

 同じカトリック教徒として長年家族ぐるみの交際を続けている山本正は緒方貞子のことを「理想主義と使命感を持っている。カトリックのいい面が出ている人 だ」と評したことがある。そして山本は前経団連会長の平岩外四が難民キャンプにいる緒方の写真を見て「聖女が立っている」と言ったのを聞いたことがあると 語っている。

 山本正と20年以上の付き合いである牛尾治朗・ウシオ電機会長(囲む会メンバー)は国際交流にかける山本の原点はどこにあるのかと問われ、「キリスト教的な使命感と米国留学で培った理想主義が,彼の人格の中核にあると思う」と答えている。

 ふたりに共通する使命感と理想主義、確かに現在の日本人が忘れつつあるものかもしれない。

 □引用・参考

天の恵み??東京銀行頭取高垣佑氏(交遊抄)
1995年3月21日付け日本経済新聞朝刊

人物-21世紀への100人-山本正[日本国際交流センター理事長]
-裏方に徹し民間外交に尽力政・財・官・学に静かな名声
日経ビジネス1992年10月12日号

人物-1世紀への100人-小林 陽太郎[富士ゼロックス社長]
-「日本再アジア化」説き存在感増す財界国際派
日経ビジネス1991年9月9日号

人物-挑む-難民救済の「聖女」 緒方貞子氏[国連難民高等弁務官]-使命感と現実主義で対応厚い人望が活動の枠広げる
日経ビジネス1995年1月9日号

財団法人 日本国際交流センター(JCIE)
http://www.jcie.or.jp/
http://www.jcie.or.jp/japan/intro/yaku.htm

The Trilateral Commission
http://www.trilateral.org/
http://www.trilateral.org/memb.htm

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2004年06月17日(木)萬晩報通信員 園田 義明

 ■僧侶としての稲盛和夫発言

 「安全保障と防衛力に関する懇談会」の初会合での小泉首相発言と京セラ、カーライル・グループ、DDIポケットの関係から思い出した記事がある。米国最 大の新聞USA・トゥデーに1ページを使って掲載されたもので、その日付は2003年4月20日、しかしインタビューが行われたのはイラク戦争が始まる前 である。

 インタビューに応えたのは京セラの設立者で現在名誉会長、そしてKDDIの最高顧問も務める稲盛和夫であるが、日本の経営者が米国紙でこうした問題でこ れだけ大きな扱いを受けたのは、ソニーの故盛田昭夫以来ではないかと思われる。このインタビューの冒頭で京セラが英フィナンシャル・タイムズ紙の世界企業 ランキングで334位に位置づけられていることと、65歳で仏教の僧侶になったことなどが紹介されている。

 この僧侶としての稲盛名誉会長に大きな関心を寄せたようだ。「あなたは仏教の僧侶で哲学も学んでいます。なぜ、反米主義の根底に宗教的な原理主義があるように見えるのでしょうか」との質問に対して、稲盛名誉会長は次のように応えている。

「私は宗教的な原理主義が反米感情を駆り立てているとは思っていません。反米感情は大部分が貧困国で起きています。これらの国々は近代化と産業的な繁栄か ら取り残されたままです。毎日のように貧困と辛苦にもがいている中で、これらの国々の人々は少しでも希望を見出そうとしています。宗教だけが彼らにとって すべてなのです。宗教が反米感情の原因だと結論づけるのは簡単ですが、それは事実ではありません。宗教ではなく貧困こそが本当の原因です。」

 日本人であればテロの背景に貧困があることぐらい百も承知であるが、この稲盛発言は自国中心の独特な世界観を持つ米国人に強烈なインパクトを与えたよう だ。もし次に紹介する「クローズアップ現代」が米国で放送されれば、テキサス州あたりでは映画『パッション』同様、心臓まひを起こして死んじゃう人が出て くるかもしれない。

 ■緒方貞子が語る国益論

「日本にとっての一番の国益というのは、多くの国々の多くの人々から信用され期待されるということだろうと思うんですね。そういう無形の大きな効果というものが、日本の国益を支えるんじゃないんでしょうか。」

 これは今年6月2日に放送された「クローズアップ現代」の最後に国谷裕子キャスターからの質問に応えて緒方貞子・国際協力機構(JICA)理事長(前国連難民高等弁務官)から発せられた国益論である。

 番組では76歳という高齢にも関わらず現場主義を貫き、「紛争のある所は貧困とつながっている。将来のテロの脅威に備えるためにも貧困対策が必要」との思いから、貧困とエイズに苦しむアフリカを訪れた緒方理事長の姿が映し出されていた。

 5月25日付け毎日新聞(朝刊)では訪問先の南アフリカでの会見内容が掲載されているので、ここでの緒方発言も紹介しておきたい。

「JICA理事長就任のため13年ぶりに日本に戻り、人々の思考が内向きになっていることに驚いた。50年前に米国で議論されていた古い国益論が、まこと しやかに論じられているのは驚きとしか言いようがない。これを変えるにはどうすればよいかを考えるために今回アフリカを歴訪した。」

「紛争、エイズなどアフリカで起きていることは世界の平和にかかわるのに、日本人はそのことを理解していないからアフリカへの関心が低い。鳥インフルエン ザウイルスや新型肺炎SARSを見れば分かるが、自国の利益ばかり追いかけて国を守れる時代ではない。日本は目先のことを追っている。アフリカの国が日本 に大きな期待を寄せていることを、どうすれば日本の人々に分かってもらえるか考えている。」

 そして最後に、イラク人質事件で「危険地域に行った」として非難が集まったことに対してこう語っている。

「私も責任者として本当に危険な地域に人を出すことはできない。しかし、多様な人々が存在して、はじめて良い社会となる。危険地域に行かない人もいて当然 だし、行く人もいてよい。どんな状況下でも国には救出義務がある。人質となった人々を村八分のように扱って非難した日本人の反応は、国際社会の評価をかな り落としたと思う。」

 個人的には別に良い格好をする気もないので、国際社会の評価などどうでもいいと思うが、なにやら現在行っている緒方貞子の活動はとっても注目されているようだ。ひょっとすると米国を巻き込んで一大ブームを巻き起こす兆候がある。

 ■バーネット教授のグローバリゼーション賛歌

 ここで前回紹介した米国海軍戦争大学のトーマス・P・M・バーネット教授の新しい地政学的な概念について簡単に触れておきたい。バーネット教授も緒方貞 子と同じカトリックである。ふたりとも保守政権に近い存在にありながら、ネオコン同様に保守派から楽観主義者なり理想主義者なりのレッテルを貼られること もあるが、表面的なネオコンとの大きな違いはグローバル派の国際強調主義者である点であろう。

 バーネット教授は2001年10月から2003年6月まで国防総省本省(OSD)内で米軍再編成課の未来戦略担当補佐官を務め、国防総省や国家安全保障 会議(NSC)や国務省、さらには英国にも招かれブリーフィングを行ってきた。重要な点は、米軍再編成課、即ち現在米国が世界的な規模で進める米軍の再編 成(トランスフォーメーション)に関わってきた人物ということである。

 現在米国海軍戦争大学の教授を務めるトーマス・P・M・バーネットが雑誌「エスクワイア」に掲載された論文をもとに書き上げた「ペンタゴンズ・ニュー・マップ(ペンタゴンの新しい地図)」が世界的に話題になっている。

 バーネット教授は世界が大きく二分されているとして、一方を経済的に発展し、かつ政治的にも安定し、グローバリゼーションが機能している地域である「コ ア」、そしてもう一方を「コア」から切り離されてグローバル経済に組み込まれていない地域である「ギャップ」と定義付けしている。つまり世界を「コア」と 「ギャップ」に大別したのである。

 「コア」には北米、南米、EU,ロシア、日本、中国とインドを含めたアジアの新興経諸国の多く、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカが含ま れ、全世界60億の人口のおよそ40億が暮らす地域である。一方「ギャップ」にはカリブ海沿岸、アフリカ、バルカン諸国、コーカサス地方、中央アジア、中 東、南西アジア、東南アジアが含まれ、この地域には残りの20億が暮らし、そのほとんどが世界銀行によって「低所得」あるいは「低中所得」に分類される第 三世界である。

 そして、1990年から2003年の間に米国が人道的活動を含めた軍事作戦を行った場所を世界地図に落とし込みながら、「ギャップ」の地図を完成させている。従って、この地図は冷戦崩壊後の地政学とグローバリゼーションの進展(地経学)とを反映したものとなっている。

(注1)

 この「コア」内ではグローバリゼーションが連結を広げることで平和をもたらしており、平和を維持するためにはテロなどを引き起こす悪ガキがいる「ギャップ」を封じ込め、「ギャップ」を狭めていくことこそが重要だと主張している。

 日本にとって重要な点は、バーネット教授がこの著書やインタビューやワシントン・ポスト紙への寄稿などで米国が中国をパートナーとして迎え入れ、韓国、 日本、中国、そしてインド、ロシアなどとともにとNATOのような安全保障同盟を結び、金正日政権を排除し、朝鮮半島を再統一すべきだとも主張しているこ とである。

 稲盛和夫、緒方貞子、バーネット教授は、悪ガキどもと貧困との関係においては一致しているものの、その手法が全く異なっているように見える。緒方貞子は 現場重視の人道支援活動を通じて「ギャップ」を狭めようとしているが、バーネット教授は金正日排除論に見られるように、「ギャップ」を狭めるためには時に は武力行使も辞さずとしてイラク戦争も支持してきた。しかし、米軍を従来の部隊とペンタゴンでは民事と呼ばれる再建支援部隊のふたつに分けるべきだと主張 するなど真意がつかみづらい点もある。

 ■シャングリラ・ダイアログでのラムズフェルド発言

 2004年6月5日、ラムズフェルド国防長官はアジア太平洋地域の国防大臣や担当閣僚などが集う「第三回アジア安全保障会議」に出席し演説を行う。この 演説の中で、「将来の脅威は、大国間の戦争より、小さな支部に分かれて活動する敵になるだろう。その敵はおそるべき技術や武器を入手し、いかなる場所でも 警告なしに突然攻撃を仕掛けてくる。」と強調した。

 ラムズフェルド演説では米軍の再編成(トランスフォーメーション)についても言及されているが、この再編がテロという新たな敵、つまり「小さな支部に分 かれて活動する敵」に対処することを主眼においたものであり、バーネット教授の「ギャップ」封じ込め作戦と見事に一致する。また、ラムズフェルド国防長官 は米国を「太平洋国家」と位置づけ、域内での近代的な抑止能力を持つ軍事展開を今後とも維持する方針を表明しているが、ここにもバーネット教授の影響が見 てとれる。

 このラムズフェルド演説で注目したのは、ブッシュ大統領が国際社会の脅威である大量破壊兵器等関連物資の拡散を阻止するために2003年5月に発表した 「拡散に対する安全保障構想(PSI)」に対して50を越える国々が支援を表明していることに触れ、「もっと先を行く日本とオーストラリアは、ミサイル防 衛(MD)システムを通して、弾道ミサイルの脅威に大胆にも立ち向かうために米国に加わった」と語り、ちゃっかりミサイル防衛(MD)システムの宣伝を 行っていることだ。

 というのもこの「アジア安全保障会議」は「シャングリラ・ダイアログ」とも呼ばれており、オーストラリア、日本、シンガポール、英国各政府から財政支援 を受けた英国際戦略研究所(IISS)が主催し、後援企業として日本からは朝日新聞、そして世界を代表する防衛企業であるBAE・システムズ(英)、ボー イング(米)、ヨーロピアン・エアロノーティク・ディフェンス・アンド・スペース(EADS、欧州)、ノースロップ・グラマン(米)、タレス(仏)、シン ガポール・テクノロジーズ・エンジニアリングなどがずらりと並んでいるのである。

 また、英国に本社を置く企業向けインフラソフトウェア会社であるオートノミーも後援しているが、このオートノミーの取締役会にはあのリチャード・パール 元国防政策委員会委員長の名前がしっかりと刻まれている。また、これまで行われた2回の会議には米国からウルフォウィッツ国防副長官がいずれも出席してお り、将来有望なアジアの防衛マーケットで米欧がしっかりと手を結んでいることがわかる。

 単独主導的な企業の代表であり、チェイニー副大統領に最も近いロッキード・マーティンの名前が後援企業に含まれていないことも注意を払うべきだろう。ま た「最新アメリカの政治地図」(講談社新書)で米・欧企業間のリムランドのような存在として紹介したBAE・システムズの存在を覚えておいてほしい。

 ■介入するビルダーバーグ会議

 前回のコラムで50周年となるビルダーバーグ会議が6月3日から6日までイタリアで開催されていたことをお知らせしたが、この会議の場でこの緒方貞子とバーネット教授の打ち出した戦略がオーソライズされた可能性が極めて高い。

 その根拠を以下に示したい。

 まず、6月8日にワシントンに本部を置く非営利のシンクタンクであるセンター・フォー・グローバル・デベロップメント(CDG)が、超党派のメンバーに よって構成される「弱い国家及び米国国家安全保障における委員会」の報告書を発表している。このCDGの会長兼共同設立者はエドワード・スコットであり、 スコットはBAE・システムズの共同創業者兼元社長であった。

 この報告書の中で「弱い国家」における「眠れる巨人」が国家安全保障を脅かしているとの警告を発している。「弱い国家」におけるセキュリティー、キャパ シティー、レジティマシー(正統性)の三つの「能力的なギャップ」を確認しつつ、具体的な方法を示しながらこの脅威に早急に解決すべきであるとの勧告を 行っている。

 このCDGの役員会には共同設立者の一人としてフレッド・バーグステン(国際経済研究所所長)、ジェフリー・サックス(コロンビア大学地球研究所所 長)、ローレンス・サマーズ(元財務長官、現ハーバード大学総長)、アマルティア・セン(ノーベル経済学賞受賞、現ケンブリッジ大学トリニティ・カレッジ 学長)、そしてジョセフ・スティグリッツ(ノーベル経済学賞受賞、コロンビア大学教授)など日本でもお馴染みの名前がずらりと並んでいる。

 また「弱い国家及び米国国家安全保障における委員会」の31名の委員の中で、これまでに少なくとも2回以上ビルダーバーグ会議に出席した人物は、フレッ ド・バーグステン、スチュアート・アイゼンスタット(元国務次官、元財務副長官、現コヴィントン・アンド・バーリング法律事務所所長)、トーマス・ピッカ リング(元国連大使、元駐露大使、元国務次官、現ボーイング上級副社長)、クライド・プレストウィッツ(元商務省次官補、現経済戦略研究所所長)の4名で ある。

 この報告書に素早く反応したのがフィナンシャル・タイムズ紙のコラムニスト、マーティン・ウォルフである。6月8日同日にこの報告書を取り上げたコラム を掲載し、G8サミット(主要国首脳会議)でも緊急に対応すべきだと書いている。実はこのマーティン・ウォルフもビルダーバーグ会議のメンバーであり、記 念すべき今年の50周年会合にも参加していたのである。

 そして迎えたG8サミットの場でまたしても点数を稼いだのは仏シラク大統領である。最終日の記者会見で冒頭発言の大半をイラク問題に割いたブッシュ米大 統領に対して、シラク大統領は中東・アフリカ諸国との対話や途上国支援問題を会議の意義の筆頭に挙げている。また、来年のサミット議長国である英ブレア首 相も次回のサミットではアフリカ問題や環境問題などを取り上げていきたいとの考えを表明した。

 このサミットの場で改めて京都議定書への署名拒否を表明したブッシュ=チェイニー政権とグローバル派との最終決戦の火蓋が切って落とされたようだ。今後 国連と並んで「ギャップ」への取り組みを担う世界銀行の総裁就任が噂されているパウエル国務長官の政権離脱発表の日程が大統領選を大きく左右する可能性が ある。あるいは、さらなるスキャンダルが準備されているのかもしれない。

 なお、ラムズフェルド演説が行われた「シャングリラ・ダイアログ」を主催する国際戦略研究所の副理事長には大河原良雄・元駐米大使の名前がある。退官後 の1987年から2001年まで本田技研工業の取締役を務め、今なお本田財団の理事を務めている。現在、大河原元大使はトライラテラル・コミッションアジ ア太平洋委員会委員と世界平和研究所(会長・中曽根康弘元首相)の理事長、笹川平和財団(会長・田淵節也・野村証券元会長)の理事を務めているが、「首相 を囲む会」のメンバーでは世界平和研究所に奥田、牛尾、山口、小林、秋山、森下の6名、笹川平和財団には小林、茂木、河野の3名が役員となっている。

 また、日米和親条約が調印されて今年がちょうど150年目にあたることから日米交流150年委員会が発足、大河原元大使はこの委員会の会長を務めてお り、「首相を囲む会」からも発起人として小林、茂木、宮内の3名が名を連ねている。この関連で2004年3月28日付け読売新聞(朝刊)が大河原元大使の コメントを掲載されているので紹介しておこう。

「米国の外交が国際的に難しい時、友好国として助言することが必要だ。米国内では、外交面で一国主義(ユニラテラリズム)と国際協調主義の対立がある。日本は、国際協調を主張するパウエル米国務長官らの政策を支持し、彼らの立場を助ける行動をするべきだ。」

 私は「後出しじゃんけん」はしたくない。何が飛んで来るかわからないので、米大統領選が終わるまで日本はしばらく表立った行動を慎むべきだ。などといい ながら、黙っていても金融やらエネルギーやらの火の粉が飛んできそうな気配を感じる。日本政府は身を挺して守るべきだが、守るべき相手を間違えそうで ちょっぴり不安なのである。

 □引用・参考

 共同通信他

(注1)「ギャップ」の地図は下記サイトから見ることが出来る。
http://www.thomaspmbarnett.com/published/pentagonsnewmap.htm

An outside view of U.S. scandal, sky-high pay
http://www.usatoday.com/money/companies/management/
2003-04-20-advice-inamori_x.htm


シャングリラ・ダイアログ
http://www.iiss.org/shangri-la.php

Commission on Weak States and US National Security
http://www.cgdev.org/Research/Index.cfm?Page=Commission%
20on%20Weak%20States%20and%20US%20National%20Security


Martin Wolf: We cannot ignore failing states
http://news.ft.com/servlet/ContentServer?pagename=FT.com/
StoryFT/FullStory&cid=1086445516255&p=1016652197036


Report Says Aid to Weak States Is Inadequate

http://www.nytimes.com/2004/06/09/politics/
09fail.html?pagewanted=print&position=


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2004年06月07日(月)萬晩報通信員 園田 義明

             ★★★★★お知らせ★★★★★
今年で50周年となるビルダーバーグ会議が6月3日から6日までイタリアで開催されています。その議長であり、「最新アメリカの政治地図」の主人公の一 人、エティエンヌ・ダビニオン氏が、ロマーノ・プロディ欧州委員会委員長、パスカル・ラミー欧州委員会通商担当委員等と共にまもなく来日されます。(抽選 に当たればあなたも会えるかもしれません)
             ★★★★★★★★★★★★★★


 ■北朝鮮再訪とトヨタ人脈

 小泉首相の「後出しじゃんけん」の裏側には、「首相を囲む会」の中で最も発言力がありそうな奥田碩日本経団連会長率いるトヨタの国連人脈が大きく関係していた可能性がある。そして、この国連人脈は小泉首相の北朝鮮再訪にも関係していたようだ。

 日朝首脳会談の準備のために外務省、警察庁、防衛庁職員57名の先遣隊が平壌入りしたのが、5月18日午後である。同じ18日に国連のアナン事務総長の 特使としてモーリス・ストロング北朝鮮問題担当特別顧問一行が平壌に到着していた。地球環境問題のゴッドファーザーことモーリス・ストロングについては 『最新アメリカの政治地図』で詳細に取り上げた人物であり、トヨタのインターナショナル・アドバイザリー・ボードのメンバーを務めてきた。おそらく核問題 を中心に経済再建や列車爆発事故に関する支援問題、そして小泉首相の再訪朝なども協議していたと思われる。

 平壌国際空港に到着した小泉首相をナンバー2の金永南・最高人民会議常任委員長が出迎えなかったとして「格下げ」ではないかと話題を集めたが、前日21 日に金永南とストロングは会談していたのである。ストロング一行は小泉首相が再訪朝する22日まで平壌に滞在、北京、韓国を経由して来日し、28日には都 内で藪中三十二・外務省アジア大洋州局長や安倍晋三・自民党幹事長と会談している。また記者会見も行い、小泉首相が25万トンの食糧支援などを表明したこ とについて、「日本の決定を評価したい」とし「次回の六カ国協議の進展にもつながる」との見解を示している。

 しかし、途中の北京では「(核問題について)北朝鮮は米国を信頼していない」と指摘した上で、「北朝鮮は今も核開発を続けている。核しか交渉材料がない ので核の完全放棄に同意するのは困難」と述べ、6カ国協議を進展させるためには国際社会によるエネルギー援助などが必要との見方を示しており、米国と国連 との間で大きな溝がありそうだ。

 今年2月にアナン国連事務総長が来日した際に川口外相が日本人拉致問題の解決を目指す考えを伝え、国連の協力を求めている。この時アナン事務総長は3月 にモーリス・ストロング国連事務総長特使を訪朝させると表明していたが、これを延期し、小泉首相の再訪朝に合わせる形となっている。おそらく日本政府は北 朝鮮との交渉を国連派=協調派と米国派=強硬派のアメとムチとして使い分け、今のところアメを重視しているようだ。こう考えると、モーリス・ストロングと 米国派=強硬派の代表である安部自民党幹事長との会見の中身が是非知りたいところである。

 ■日中冷戦時代の巨大マーケット?

 日本人拉致問題も含めて北朝鮮問題を複雑にしている要因には、これまでも何度も指摘してきたように米国の国防企業を操る軍産インナー・サークルの利害が 大きく絡んでいることも含まれている。場合によっては、韓国や台湾も巻き込みながら緊張が日朝間から日中間へと拡大し、日中冷戦時代という新たな巨大マー ケットが生まれ、アフガニスタンやイラクでの戦争で在庫一掃をはたした米国国防企業のみならずEUの国防企業までもがハイエナのように群がることになるだ ろう。

 その第一弾は日本が米国から買わせていただく8000億から1兆円以上のミサイル防衛(MD)システムであり、これに対抗すべく中国の温家宝首相は今年 5月1日に25カ国体制となった拡大EUに外国首脳として真っ先に駆けつけ、ドイツを皮切りに11日間にわたってベルギー、EU本部、イタリア、英国、ア イルランドを歴訪、対中武器禁輸措置の撤廃に向けた協議を加速させている。なんとも不気味な兆候がここにある。

 また、日中間の緊張の高まりを目論む一部の米欧国防企業を大喜びさせる好戦的な人達が日中両国に少なからず存在していることも事実であり、彼らの思惑に 気が付かず、目先の利益に捕らわれて、一緒になって踊ってしまいそうな人達もいる。「首相を囲む会」のメンバーの中にも「イヒ!」が「イヒヒヒヒ」になり そうな旭化成の山口信夫代表取締役会長がいたりする。旭化成は創立者である野口遵時代からの火薬、爆薬の大手メーカーとしても知られ、旭化成ケミカルズは 日本火薬工業会の会員となっている。また、山口会長は全国防衛協会連合会の会長を長く務めてきた。この全国防衛協会連合会は1989年に発足した各地の自 衛隊の父兄会や隊友会、遺族会と財界などで組織されている。

 そして、もうひとりの「イヒヒヒヒ」になりそうな「首相を囲む会」のメンバーは東芝の西室泰三取締役会長であろう。

 ■ビッグ・リンカー達の祭

 東芝の西室泰三取締役会長は、「ビッグ・リンカー達の宴」の1回目シリーズで取り上げた世界最大級の投資会社カーライル・グループのカーライル・ジャパン・アドバイザリー・ボードのメンバーとなっている。

 今ではカーライル・グループの日本語サイトも開設されており、その会社概要には「あらゆる投資機会に対しオープンではあるものの、航空・防衛、自動車、 消費財、機械・部品、エネルギー・電力、ヘルスケア、不動産、ITおよびビジネスサービス、通信・メディア、輸送など、特にノウハウを培ってきた業界に フォーカスした投資を行っています。」と隠さず堂々と書いている。

 現在のカーライル・グループの会長はルイス・ガースナー米IBM前会長が務めているが、カーライル・グループは、世界的なビッグ・リンカーを揃えた豪華 役員陣の人脈によって、特に航空・防衛分野で強さを発揮し、同時多発テロの恩恵を最も受けた企業のひとつである。このカーライル・ジャパン・アドバイザ リー・ボードには西室東芝会長の他にお馴染みのジェームス・べーカー・カーライル・グループ・シニア・カウンセラー(元米国務長官、元財務長官)、フラン ク・カールーチ・カーライル・グループ名誉会長(元米国防長官)、トーマス・フォーリー元駐日大使、椎名武雄・日本IBM最高顧問兼経営諮問委員会議長、 横山禎徳・マッキンゼー・アンド・カンパニー元ディレクター(元大蔵省金融制度調査会委員、元税制調査会金融課税小委員会委員)、米最大手保険会社AIG グループのグリーンバーグ・ファミリーのエバン・グリーンバーグ・エース・リミテッド社長兼CEO、サウジアラビアの世界的な大富豪であるムハンマド・ ジャミール・アヴドゥル・ラティーフ・ジャミール(ALJ)社長の8名で構成されている。

 この中で横山禎徳は「首相を囲む会」のメンバーである宮内義彦率いるオリックスの社外取締役に就いている。そしてサウジアラビアの大富豪ムハンマド・ ジャミールが社長を務めるアヴドゥル・ラティーフ・ジャミール(ALJ)は、トヨタと東芝のサウジアラビアでのディストリビューターとして同国有数の新興 財閥に成長した。また同社はトヨタが2005年8月から国内導入する高級車ブランド「レクサス」の109販社の一つとして東京都内で店舗を運営することが 今年5月26日に発表されている。また、アヴドゥル・ラティーフ・ジャミール(ALJ)のイラク進出もまもなく発表されるかもしれない。

 おそらくカーライル・グループはトヨタを巻き込むためにムハンマド・ジャミールを引き入れたのだろう。その目的にはKDDIの攻略も含まれていたよう だ。「首相を囲む会」の中の中心人物である奥田碩トヨタ自動車取締役会長と牛尾治朗ウシオ電機会長の両氏が揃って社外取締役に就任しているのがKDDIで ある。現在このKDDI傘下のPHS(簡易型携帯電話)最大手DDIポケットをカーライル・グループと京セラ連合が総額約2200億円で買収する交渉を進 めており、6月中にも最終合意する見通しとなっている。京セラはKDDIに13.5%を出資する筆頭株主であり、第2位株主は11.7%を保有するトヨタ である。DDIポケットはPHSの国内シェアの約57%を占め、KDDIが80%、京セラが13%を出資している。カーライルは今後DDIポケットの株式 の60%を取得し、経営権を握る。京セラは30%まで買い増し、KDDIは10%の出資を維持することになりそうだ。

 PHSは廉価な移動通信手段として中国ではすでに3000万台が普及し、今後は日本国内同様データ通信手段としても需要が見込まれている。カーライル・ グループはPHSが海外でさらに成長すると考えているのだろうか? おそらく戦場こそがその威力を発揮できると目論んでいるに違いない。彼らが描く将来の 「フラッシュ・ポイント(発火点)」を示す地図の日本と中国の上には、赤丸急上昇を示すステッカーがベタベタと貼り付けられているのだろう。なんといって もそこそこのお金があり。かつ発火しそうなポイントが他にないために、彼らの期待を一身に背負ってしまうのである。 

 なんとも狭いサークルの中でエリート達がうごめいている光景が浮かんでくる。そして、日本政府も乗り遅れてはなるものかとこのサークルに入り込もうとしている。

 ■「安全保障と防衛力に関する懇談会」

 政府は今秋に予定している防衛大綱改定に向けて審議を行う小泉首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」の9名のメンバーに張富士夫トヨタ 代表取締役社長を選任した。4月27日に行われた初会合で張社長はこの懇談会の座長代理に就いている。座長は荒木浩(東京電力顧問)が務め、その他のメン バーは、五百旗頭真(神戸大学法学部教授)、佐藤謙(都市基盤整理公団副総裁、元防衛事務次官)、田中明彦(東京大学東洋文化研究所教授)、西元徹也(日 本地雷処理を支援する会会長、元防衛庁統合幕僚会議議長)、樋渡由美(上智大学外国語学部教授)、古川貞二郎(前内閣官房副長官)、柳井俊二(中央大学法 学部教授、前駐米大使)、山崎正和(東亜大学学長)となっている。このメンバーの中で張富士夫と田中明彦の2名がトライラテラル・コミッション・アジア太 平洋委員会委員である。

 初会合に出席した小泉首相は、「冷戦時代とは異なり、大量破壊兵器の拡散の進展、国際テロなどの新たな脅威への対応が大きな課題となっており、このような課題に的確に取り組んでいくことが重要である。」と語っている。

 興味深いのは荒木座長の初会合後の発言である。情報収集が重要との意見が出されたことを受け、米国などが運用する通信傍受システム・エシュロンに言及し 「エシュロンを見てもアングロサクソン系の国は電話、メールをすべて読んでいるとの話もあり、関心を持った方がいい」(4月27日共同通信)との警告を発 している。政府関係者がなかなか言い出しにくい問題を初会合からズバリと切り込んだ。現在エシュロンの対象は日本企業にも向けられていると言われている。 米欧の亀裂を生んだ背景のひとつにこのエシュロンの問題もあった。日本の技術力をいかに防衛するかも議論される必要がある。

 また新たな脅威の中に「米欧の思惑により日中がぶつけられる脅威」もぜひ隠れた議題にあげていただきたい。脅威を餌にしか生きていけない哀れな集団こそ が全世界の真の脅威であり、その集団が米国に巣を張って生きていることこそが問題なのだ。その具体的な方法として『最新アメリカの政治地図』で米国の軍産 インナー・サークルを国連管理下に置けと書いた。これはつまり「お金」の出口を米国から国連へと変えることを意味している。

 この発想は偶然見つけたネオコンの論客マックス・ブートの発言からヒントを得て書いた。2003年9月3日付け朝日新聞朝刊に掲載されたインタビュー記事で「最近の国連軽視は行き過ぎていませんか」との質問の中でブートはこう応えている。

「国連を過大視すべきではない。むしろ、平和維持や国家建設に絞って国連の役割強化を考えるべきだ。しかし、国連の資源は限られているから、企業を使ったり、雇い兵を使ったりすることも検討したらいい」

 ■揃った主人公達

 緒方貞子・現国際協力機構(JICA)理事長(前国連難民高等弁務官)ら16名が委員を務める国連の「諮問委員会(ハイレベル・パネル)」が安全保障理 事会拡大を含めた国連の包括的改革案が今秋までにまとめられることになっている。この「諮問委員会」の委員長を務めるタイのアナン・パンヤラチュン元首相 もカーライル・グループの諮問委員会メンバーであった。

 最初に彼らが手がけるべきことは、ブートの助言に従って民間軍事会社(PMC)の規制策の検討を見直し、最大手であるハリバートンの子会社ケロッグ・ブ ラウン・アンド・ルート(KBR)あたりに発注すればいいのである。そうすればチェイニー副大統領を取り巻く米国の軍産インナー・サークルの国連への評価 がコロッと変わる可能性がある。

 また、ついに明るみに出た国連のイラクへのオイル・フォー・フード計画(石油食料交換計画)に絡む不正疑惑を追求する声も弱めることができる。国連はす でにこの事件を調査する独立調査委員会(3人委員)の委員長にポール・アドルフ・ボルカー元米連邦準備制度理事会(FRB)議長を招き入れるなど万全の対 策を講じているが、彼らを黙らせるためにはやはり「おみやげ」が必要だろう。

 なお、現在イラク国民会議(INC)の代表で、イラク統治評議会メンバー、アハメド・チャラビの疑惑が高まり連日メディアを騒がせている。チャラビはこ れまで、ネオコンに重用され、中でもリチャード・パール元国防政策委員会委員長との繋がりが深く、最近まで米国防総省から財政支援を受けていた。ネオコン を通じて国防総省に「イラクに大量破壊兵器が存在する」との情報を流し続けた張本人であるが、米国の機密情報をイランに流したスパイ容疑も浮上しており、 連邦捜査局(FBI)が本格的な捜査を開始している。

 このチャラビとネオコンを巡る疑惑はイラク戦争開始前から一部で噂されてきた。チャラビ疑惑をこれほどまでに火を付けたのは今年5月20日に行われた チャラビのバグダッド市内の自宅とイラク国民会議(INC)の複数の事務所の家宅捜索である。この時押収された書類に国連のオイル・フォー・フード計画を めぐる不正事件に関するものも含まれていることから、ポール・ボルカーがこの家宅捜査に大きく関与しているものと思われる。

 今年2月に国防政策委員会委員を辞任したリチャード・パールに続いて、米中央情報局(CIA)のテネット長官が7月に辞任することが発表された(6月3日)。
政権内に留まる方が利口なのか、逃げる方が利口なのかは、辞任後に彼らを迎え入れる企業名から判断できるだろう。
 
 『最新アメリカの政治地図』で描いた主人公達が勢揃いする中で、米国は今後更に追い込まれ、その責任を問われ、信頼が完全に失墜するかもしれない。代わって国連への期待が高まる中で日本に対して打診があるはずだ。

 その「御案内」にはこう書いてあるだろう。

「かねてより希望されていた常任理事国のお席を日本のためにご用意させていただきました。多少お高くなりますが、いかがでしょうか?」

 日本の技術を元に作られた通信機器、軍用トラック、燃料電池機器、軍事ロボット、GPS機器、センサー機器、ミサイルが大量に逆輸入され、敵に怯えなが ら使わせていただく光景ほどグロテスクなものはない。間違いなくそうしたことを目論んでいる集団が存在する米国へ必死になって売り込むより、日本政府や国 連関係機関へアプローチした方がまだ安心できそうだ。そして、中国や北朝鮮をグローバル経済の「コア」に完全に組み入れ、相互依存のしがらみ網をすっぽり かぶせてしまえばいいのである。そうすれば今世界的な規模で話題になっている米国海軍戦争大学のトーマス・P・M・バーネット教授への評価はますます高ま り、21世紀政策研究所の招きで日本にも来るかもしれない。

 この点でトヨタ・住友商事連合と三菱自動車・三菱商事連合を見習うべきだろう。イラク復興支援向けの二国間無償第1号となったトヨタ・ランドクルーザー 810台と三菱ギャラン340台のパトカー仕様車が、まもなくイラク全土27都市で走り始める。一言二言書きたい気分も山々だが、ここはグググッとこらえ てこう書いてしまう。「このパトカーによって、イラク人の日本企業に対する信用と信頼が生まれれば、これも立派な新たな脅威への防衛手段である。」しか し、リコールのチャンピオンである三菱自動車・三菱商事連合は補修サービス網も即座に進出できそうな気がして、かなり不安を感じてしまうのは私だけだろう か。

 日本メディアはこうしたことを大きく取り上げようとしない。これにはいろいろ事情がある。「イヒヒヒヒ」の旭化成の山口信夫代表取締役会長は読売グルー プとの関係が深く、日本テレビ放送網の取締役、読売新聞グループ本社監査役を務めている。そして「首相を囲む会」には読売グループ以外にも日本放送協会 (NHK)や東京放送(TBS)の役員や役員経験者が顔を揃えているのである。とはいえ、これも目くじらを立てて大袈裟に煽り立てるものでもなく、どこの 国にも当てはまる現実として直視すべきである。英国国営放送(BBC)や米国公共放送(PBC)をじっくり調べてみれば一目瞭然である。本来お手本となる べきなのに、足下の民主主義が未完成どころか後退の症状すら見受けられる中で、人様の土地に土足で踏み込み、偉そうに民主化の旗を振りかざすことこそがイ ラク戦争の一番の問題なのだ。

 しかし、さすがに英国では活発な議論が繰り返された。米国でも旧アブグレイブ刑務所でのイラク人虐待事件やチャラビ疑惑を契機に本来の姿を取り戻しつつ ある。日本でも「木を植えています」のイオン(旧ジャスコ)の創業者一族である岡田克也民主党代表が財界を「冒険!チアーズ!!」に巻き込めば、政局も少 しは盛り上がるかもしれない。すでに「首相を囲む会」の福原義春・資生堂名誉会長はイオンの社外取締役であり、山口信夫・旭化成代表取締役会長と茂木友三 郎・キッコーマン代表取締役会長CEOはイオン環境財団評議員である。「首相を囲む会」のメンバー以外では国際派を代表する槙原稔・三菱商事取締役相談役 がイオンの社外取締役となっている。

つづく

□引用・参考

カーライル・グループ(日本語サイト)
http://www.carlyle.jp/

安全保障と防衛力に関する懇談会
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/ampobouei/index.html

トーマス・P・M・バーネット
http://www.thomaspmbarnett.com/index.htm
http://www.thomaspmbarnett.com/published/pentagonsnewmap.htm

The Pentagon's New Map: War and Peace in the Twenty-First Century
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/0399151753/qid=
1086238942/sr=1-3/ref=sr_1_8_3/249-0496222-6057134


トヨタ・ランドクルーザー810台、三菱ギャラン340台納入へ
http://www.idj.co.jp/news/0403.html#4

イラクビジネスは自動車から---トヨタと三菱自、ODAで合計780台納入
http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/biztech/biz/293045

「冒険!チアーズ!!」
http://www.ntv.co.jp/cheers/
毎週土曜日18時30分より「日本テレビ系列」全国26局同時ネットで放送されている人気情報バラエティ番組。スポンサーは「イオン」。

 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年06月06日(日)京都大学経済学研究科教授 大西 広


 5月末から6月初めにかけて台湾で二つの国際会議があったが、その合間に「小三通」という特殊な中台交流の現場を訪問することができた。

 中国アモイ市の目と鼻の先にある台湾統治下の島、金門島がその「現場」であり、この「小三通」とは、この島と馬祖島という大陸に貼りついた2島に限った 限定的な大陸との通交を意味している。中国側が求めている通郵、通航、通信の全面的な直接往来という本来の「三通」が実現しないまでも、アモイから 2100メートルの距離にある金門島との交易・交流を実現しようとの熱意が生み出した限定付きの「三通」である。

 これは冷戦終結による1992年における金門島の軍事解除を受けて、2001年1月1日から開始され、金門島に従来から住んでいる人々は自由に渡海する ことができるようになったもので、その現状を見、また現地ならではの情報を得るための訪問であった。

 実際、行きさえすれば現地での情報も入り、また新たなイメージも湧く。まずは台北からだけでも毎日十数便の飛行機が飛んでいるという観光客の多さと、林 立するアモイのビルを一生懸命望遠鏡で眺める彼らの姿からは、やはり「渡りたい」との強い思いを感じざるを得なかった。台湾側からの出国制限が解かれれば 金門島の魅力は一気に増すことは間違いない。

 が、他方の大陸からの入国はさらに厳しい。現在は金門島に友人のいるアモイの人間しかこのルートで入国できないことになっていて、これでは殆ど中国に対する開放にはなっていない。「小三通」の港を管理する人もそのように言っていた。

 もちろん、金門島の住民(6カ月以上住んでいる人)の大陸への渡航はもっと開放されていて、タクシーの運転手やお店やホテルのおばさんなど殆どの人は対 岸に渡ったと言ってはいた。これには多少驚いたが、それでもここは何せ人口が4万人しかいない小島。一通り島人がアモイに渡ってしまうと後は日常的に行き 来する人しか行かなくなってしまうので、渡航者も少なくなる。毎日4便の船がアモイに向かって出ているが、私が覗いた待合室には何と1組の若いカップルし かいなかった。

 もうひとつ、この「交流」が人の往来を基本としているという問題もある。このルートから台湾本島への貨物の転送は基本的には禁止され、また往来する人々 が携帯できるのは自分で使用する日常品に限られ、待合室前の税関にはその携帯可能品目と数量を細かく示すリーフレットが置かれていた。その内容は以下のと おりである。

大陸から持ち込めるもの
①一般品目
農産品類

タバコ
 巻きタバコ
その他のタバコ

6kg
5kl

1000本
②みやげ物
衣類
刺しゅう
陶磁器
茶碗、お盆、小皿
花瓶
半工芸品
記念品
家具
屏風
干し貝
干し魚
燕の巣
フカヒレ
農産品類
缶詰
その他食品
 漢方薬及びその材料

  6着
  3枚
  4個
各48個
 12個
  6個
  6個
  1個
  2組
 1.2kg
 1.2kg
 1.2kg
 1.2kg
  6kg

各6個
  6kg
合計12種類
金門島から持ち出せるもの
①農産品

1.2kg

②家庭用日常品
衣類
刺繍
陶磁器
茶碗・お盆、小皿
花瓶
半工芸品
記念品
家具
屏風
漢方薬及びその材料

6着
3枚
4個
各48個
12個
6個
6個
1個
2組

合計12種類
③酒・タバコ

タバコ
 巻きタバコ
 その他のタバコ

1kl

200本

 こんな感じである(一部表現は簡略化)。それぞれ個人が運ぶことのできるものはそれなりに多いと言えるが、かといって衣類にせよ、お酒にせよ、本式に貿 易をするなら香港やマカオ経由で輸入することになるだろうことは想像に難くない。実のところ、アモイと金門島の境界海域では密輸取引が行なわれているとの 話も聞けたが、この取引きの合法化にすぎないとの意見もこの初期にはあったほどである。ともかく、「小三通」を通じた正式の交易は極めて限定的なものであ ることが分かる。

 ただし、とはいえ、実はこの小さな小さな「交易」でも、それが存在するということの意義は大きい。私はそのことを人々の平和な姿を見て強く感じることが できた。1949年以降何度かの武力衝突があったものの、今ではのどかなものである。私はこの春にもソウル北方の軍事境界線を視察したことがあるが、そこ ではヘリコプターが常時空中で待機していた。そのようなものを見ているが故に、この平和さは特別に印象的である。そして、問題はこの変化は中国側によって 作られたということである。

 というのはこういうことである。つまり、現在、金門島での台湾の兵力が少なくできるのは中国側が侵攻の意図を基本的に持たなくなったからであり、台湾側 が「大陸反攻」をやめたからというのではない。台湾側が軍事バランス上「反攻」を辞めたとしても、それでも大陸側が(少なくともここ金門島に関する限り) 侵攻の意志を放棄しなければ台湾軍もこの地で縮小することはできないからである。つまり、大陸側は軍事占領でこの地を得るより、そのことで中台交流が断絶 することの不利益を考えるようになったのであって、この変化があってはじめてこの地の「平和」が実現したのである。

 鄧小平がこの決断を行ない、このことで中国は経済発展を開始し、よって今では台湾内部でも「親中派」を形成するまでに至った。先日は「独立派」の対中投 資を歓迎しないとの発言があったが、これもまた多くの「親中派」を獲得したとの自信の表れと評価できる。大きく言えば、中台の競争はこうして「軍事競争」 から「経済競争」に変わった。この時代の変化をここ金門島ではどうしても感じざるを得なかった。

が、ここまで行くと、この考えを延長して次のようにも考えたくなる。というのは、鄧小平はこうして、「中台統一」という大目標にとっても「軍事」という政 府間関係的=国家主導的なやり方から「経済」という民間的なやり方にシフトする必要を理解したのであって、これは「国有企業中心」という国家主導的なやり 方より民間的なやり方に「経済」をシフトさせたことに通じているからである。凡人ではない鄧小平は、(中台の両側共に)軍事を必要とする時代のあったこと 十分認識していたが、それと同時に時代が変化することをも常に考えることのできる指導者であった。

 この指導者の下で中国は今や巨大な経済力を持つようになり、それが台湾企業にも様々な影響力を及ぼすようになった。国内における「経済発展」という大目 標が成功に導かれているように、いつの日か平和的な「中台統一」という大目標も実現される可能性も高い。台湾では今年中に航空機の中国への直行便の飛行を 可能にするとの話を聞いた。「経済発展」ばかりではなく、「中台統一」に向けた鄧小平理論の検証はそれほど遠いことではないかも知れない。そんなことを考 えるに至った訪問であった。

 大西さんにメールは mailto:ohnishi@f6.dion.ne.jp

2004年06月04日(金)萬晩報通信員 成田 好三

 2000年シドニー五輪・柔道女子52キロ級銀メダリスト、楢崎教子氏(旧姓・菅原、文教大専任講師)が5月7日付毎日新聞運動面のコラム欄「金曜カ フェ」に寄せた文章「すべての感覚動員し相手を読む」を読んで、不思議な感覚にとらえられた。楢崎氏はこの短い文章で、格闘技の競技者(アスリート)とし て体得した特異な感覚を、後進や真の柔道愛好家のために語っている。

 それまでに楢崎氏の文章を読んだことはなかったのだが、「この文章は、以前どこかで読んだことがある」という『既視感』――この場合は『既読感』と言った方がいいか――を覚えたのである。

 しばらくたって、『既視感』あるいは『既読感』の理由がわかった。楢崎氏の文章は、およそ360年も前に剣豪、宮本武蔵が書いた『兵法三十五箇条』(以 下『三十五箇条』)の一節と、ほとんど同一の内容だった。いや、武蔵の書いた一節を、具体例を示しながら書いたような文章だった。

 楢崎氏はシドニー五輪での銀メダルのほか、1996年アトランタ五輪で銅メダル、1999年英国・バーミンガム世界柔道で金メダルを獲得した。超一流の柔道家であり、競技者であった。菅原氏はシドニー五輪後に現役を引退した。

楢崎氏の文章について語る前に、武蔵の『三十五箇条』に触れておく。『三十五箇条』は武蔵が1641年に書いた、自らの剣術とその背後にある、体のさばき かた、感覚、思想を端的にまとめた短い覚書のようなものである。武蔵はその4年後、1645年に、五輪書を書き終えて没した。62歳だった。

『三十五箇条』は、同じく武蔵が書いた『五輪書』の下書き程度にしか評価されていない。しかし、この文章こそ武蔵が独創的に編み出した剣術と、その背景と なる思想を生(き)のままに表している。『五輪書』はむしろ、武蔵の思想を一般化するために、水で薄めたようなものである。
 
 『三十五箇条』の一節に「目付の事」と題した次の文章がある。

目を付ると云う所、昔は色々在ることなれ共、今伝る処の目付は、大体顔に付るなり。目の治め様は、常の目よりもすこし細き様にして、うらやかに見る也。目 の玉を不動、敵合近く共、いか程も、遠く見る目也。其目にて見れば、敵のわざは不及申、左右両脇迄も見ゆる也。観見二ツの見様、観の目つよく、見の目よは く見るべし。若又敵に知らすると云う目在り。意は目に付、心は不付物也。能々吟味有べし。(『兵法三十五箇条』(岩波文庫「五輪書」・渡辺一郎校注より)

 どこを探しても現代語訳が見つからないので、筆者が訳することにする。大意は以下の通りである。

目の向け方(治め方)は、昔はいろいろ試してみたが、今思うところはこうである。目は大体相手の顔に向ける。普段より少し細めるようにして、うららかに見 るものである。目玉は動かさず、敵が近くても遠くても、遠くを見るようにする。そのように見れば、敵の技はもちろん、左右両脇まで見渡せる。(前段)

ものの見方には「観」「見」の二つがある。「観」の目は強く、「見」の目は弱くするべきである。(中段)

また敵に分からせる目というものがある。意思は目に生じるものであり、ものに現れるものではない。よくよく修練するべきである。(後段)

 武蔵は、文字通り真剣でもって命のやりとりをする戦いの場で、敵をうららかに見ろと語っている。この一言だけでも、武蔵の剣術の特異さ、あるいは独創性を表していると言えるだろう。

ここからは、楢崎氏と武蔵の文章を比較してみる。楢崎氏は毎日新聞に寄せた文章の冒頭でこう述べている、

 「格闘技の目の使い方は特殊で、相手と至近距離で組み合っているが、決して相手をにらみつけているわけではない。頭からつま先まで相手の全体が見えるようにしながら、双手(もろて)刈りのような奇襲技をかけてきても対応できるようにしている」

 この部分は武蔵の「目付の事」の前段部分に対応している。試合中の楢崎氏もまた、視線(焦点)を一点に合わせるのではなく、相手の全体を見渡しながら 戦っていたのである。人の目は、文字を読むときのように、一点に集中すると周囲が見えなくなる。そうした使い方とは逆の目の使い方を、格闘技の世界ではし ていると、楢崎氏は指摘している。

 この後、楢崎氏はバーミンガム世界柔道の決勝戦で体験した特異な感覚について語っている。決勝の相手はベルデシア選手(キューバ)である。2人は長い 間、ライバル関係にあった。アトランタ五輪で銅メダルを分け合い、バーミンガム世界柔道では僅差で楢崎氏が勝利した。シドニー五輪決勝では、今度はやはり 僅差でベルデシア選手が楢崎氏を下した。

 世界柔道決勝戦での感覚を、楢崎氏はこう書いている。

「この日のベルデシア戦では、(会場に)大きなスクリーンがあり、私は彼女を見ながら彼女の背後にある映像も同時に捉(とら)えていた。本来なら、彼女だけを見ているはずなのだが、何とも不思議な感覚だった」

 この部分は、「目付の事」の中段部分にあたる。武蔵の「見」の目とは、一般的な目の使い方である。「観」の目とは、どこか一点に焦点をあてるのではな く、対象物全体を見る目のことである。この試合中に楢崎氏は、実際にベルデシア選手と戦っている自分と、それを見ているもう一人の自分を意識していたので はないか。こう考えると、先の楢崎氏の文章は、武蔵の「観」「見」の目の使い方を具体的に示した文章だといえる。

 楢崎氏の文章は、「いかに相手には自分の情報を与えず、自分だけ相手の情報を得るかが重要になってくる」という言葉で終わっている。これは、武蔵の後段の文章「敵に分からせる目というものがある。――」と同調した言葉と言えるだろう。

 楢崎氏が武蔵の文章を盗作したなどと言うつもりはまったくない。恐らく、楢崎氏は武蔵の文章など読んでいないだろう。

 柔道、剣道など現代武道は、明治期以前の古武道とは大きく離れた存在になってしまった。なかでも、東京五輪以来、五輪の公式競技となった柔道は、明治期 以前の柔術(体術)とはまったく違う方向を選択した。国際競技スポーツとして、実質的にポイント制を採用するなど、欧州で発生した近代スポーツとの同化の 道をたどっている。

 武蔵の時代の武術家とはまったく違う世界に生きる現代の柔道家が、武蔵が晩年に到達したものとほとんど同じ感覚(境地)を獲得していたことに、驚きと、すこし大げさに言えば、楢崎氏への畏敬の念を感じてこのコラムを書いている。

 楢崎氏も、試合中いつでもこうした感覚を体験したわけではないだろう。長年のライバルとの、ほとんど極限状況での試合中だからこそ体得した。

 現代の柔道家である楢崎氏が体得した感覚は、西洋化した現在の社会ではほとんど顧みられることのないものである。しかし、こうした特異ではあるが独自の感覚からこそ、新しい技術やスタイル、そして思想が生まれるのではないだろうか。(2004年5月29日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/


2004年06月01日(火)萬晩報通信員 園田義明
         ★★★★★お知らせ★★★★★

●「最新アメリカの政治地図」が読売新聞と朝日新聞の書評に取り上げられました。深く御礼申し上げます。
読売新聞(2004年05月16日)
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/
wshoshohyo.cgi?W-NIPS=9978221549&BN=OFF


朝日新聞(2004年05月23日)
http://book.asahi.com/review/index.php?info=d&no=5899
●韓国の出版社より「最新アメリカの政治地図」の韓国語版の申し入れがありました。深く御礼申し上げます。

         ★★★★★★★★★★★★★★

 ■はじめに

 本シリーズは、2001年から2002年にシリーズ化した「ビッグ・リンカーの宴(うたげ)」の続編であり、日本株式会社の最新情報を政財界の人脈から解き明かそうとするものである。

 拙著「最新アメリカの政治地図」同様、膨大な数の人名と企業名などが登場する予定だが、その多くは日常の新聞やテレビで見かけるものばかりである。この点でしばらくの間おつきあいいただきたい。

 なお、新しい切り口で現状を分析することが主眼であり、従来のマルクス系アプローチに見られる批判的な分析を行うことが目的ではない。むしろ日本株式会 社を肯定的にとらえている。これは、これまでの米欧やアジア各国の分析から、どの国も似通った構造があるからである。つまり米国株式会社、英国株岸会社、 ドイツ株式会社、フランス株式会社などが歴然と存在しているのである。

 しかし「最新アメリカの政治地図」でも指摘したが、現在の米国株式会社に見られるようにグローバルな視点を失い、閉鎖的な集団に化した時に過ちは起こる。イラク戦争がその顕著な例である。また、第二次世界大戦前やバブル崩壊時の日本株式会社にも同様の傾向が見られる。

 もともと秘密主義が相まって閉鎖的な集団と陥りがちな性質があるのも事実であろう。この点を踏まえてここに登場する方々およびその周辺の方からのご意見なども期待したい。おそらく将来の日本を担う意志のある人たちにとって極めて有意義なアドバイスになるはずだ。

 なお、正直に告白するが本シリーズを書き上げるための一番の心配事は調査資金である。海外では公開を原則としているため比較的容易に情報を入手できるが、日本の場合ほとんどが有料に行き当たる。

 日本ではこれまでほとんどタブー視されている分野ではあるが、出版する勇気がある出版社も含めて広く支援をお願いしたい。

 それでは、今年5月25日の出来事から始めよう。


 ■「小泉純一郎首相を囲む会」で飛び出した北朝鮮再訪の裏側

 5月25日、小泉首相は北朝鮮再訪問について「今回の訪朝は遅かったくらいだ。もっと前から行きたいと思っていた。北朝鮮側が『首相が来ないと(拉致被 害者の)子どもたちを帰さない』ということなので、自分が行かざるをえないと前から算段していた。外相などでどうだと条件を出したが、駄目だというから自 分が行った」と語り、「(北朝鮮側から)ずっと前からそういう要求があり、本来もっと前に行きたかったが、国会があってこの時期になった。だから準備不足 の批判はあたらない」」と強調した。(25日共同、26日朝日・産経・読売、毎日朝刊)

 この発言は経済評論家の田中直毅が5月25日夜に行われた「会食」での発言として紹介したものである。これまでもこの「会食」からこぼれ出る小泉首相の 発言に注目してきた。テレビカメラの前では決せて見せない小泉首相の本音が垣間見えるからである。この「会食」は「小泉純一郎首相を囲む会(以下首相を囲 む会)」と呼ばれる財界人の会合であり、同日19時から約2時間行われ、小泉首相が公邸に戻ったのは21時32分である。またこの会合は東京・紀尾井町の ホテルニューオータニのガーデンコート内の宴会場で行われた。

 「首相を囲む会」は、2001年4月26日の小泉内閣総理大臣就任の約二ヶ月後の6月12日に初会合が行われた。それまで財界とのネットワークが薄かっ たのを気遣った当時の今井敬経団連会長、奥田碩日経連会長らが発起人となって結成されたと言われている。非公開が原則となっており、中には名前が出ること を嫌うメンバーもいることから、秘密のベールに覆われている。しかし、これまでの新聞報道を詳細に見ていくことで、おぼろげながらその実体が明らかになっ てくる。

 ■「小泉純一郎首相を囲む会」と日本株式会社
 
 この「首相を囲む会」のメンバーであるが、これまでに産経新聞としんぶん赤旗が報じている。その内容は下記の通りである。

▽産経新聞2001年6月19日朝刊
「水平垂直 人気首相に不安チラリ 景気、当面は「低空」 改革の中身見えず」より
(2001年6月12日の初会合のメンバーの一部かと思われる)

山口次期日商会頭、今井敬経団連会長(新日本製鉄会長)、奥田碩日経連会長(トヨタ自動車会長)、小林陽太郎経済同友会代表幹事(富士ゼロックス会長)、 牛尾治朗ウシオ電機会長、宮内義彦オリックス会長、生田正治商船三井会長、前田又兵衛前田建設工業会長(前日建連会長)、岸暁東京三菱銀行会長、西川善文 三井住友銀行頭取、西村正雄みずほホールディングス会長

▽しんぶん赤旗2004年3月9日
「経済・財界気流/軍事に口出す財界 武器輸出三原則の見直しも」より
(「名簿は小泉内閣発足後のもの。肩書は当時」となっている)

秋山喜久関西電力会長、井上秀一東日本電信電話取締役相談役、牛尾治朗ウシオ電機会長、氏家純一野村証券社長、岡部敬一郎コスモ石油社長、片田哲也小松製 作所取締役相談役、岸暁東京三菱銀行相談役、香西昭夫住友化学工業会長、河野栄子リクルート社長、櫻井孝頴第一生命保険会長、鈴木敏文イトーヨーカ堂社 長、田中順一郎三井不動産会長、西室泰三東芝会長、野村吉三郎全日本空輸会長、福原義春資生堂名誉会長、前田又兵衛前田建設工業会長、宮内義彦オリックス 会長、茂木友三郎キッコーマン社長、森下洋一松下電器産業会長、(世話人)今井敬新日本製鉄会長、奥田碩トヨタ自動車会長、小林陽太郎富士ゼロックス会 長、山口信夫旭化成会長   

 この二つの記事における最大の欠点は各メンバーの代表的な役職名しか紹介されていないことである。現在日本でも米国同様に役員兼任による「エンドレス・ チェーン」が網に目のように広がっている。そして、いずれのメンバーも複数の大企業、経済団体、政府諮問委員会、そして大学、財団やシンクタンクの役員や 委員を務める日本のインナー・サークルと位置づけることができる。この二つの記事に掲載されたメンバーと新聞各紙に掲載されている「首相動静」を組み合わ せて独自にメンバー・リストを作成した。そこには膨大な数の役職名が示されている。あくまでも新聞報道を元に作成したものであり、実際のメンバーとは異な る可能性もあるが、このメンバー・リストはこのシリーズの最後に一挙掲載したい。そして、この資料から日本における役員兼任ネットワークが形作る最新人脈 地図の存在が浮かび上がり、日本株式会社の構造が理解できるはずである。

 かつて日本株式会社はその閉鎖性から米国の批判対象となったが、米国こそ役員兼任ネットワークが生み出す米国株式会社の本家本元であり、正々堂々と反論 すればいいのである。そして米国の成功例とイラク戦争で見せた失敗例との両方を踏まえて、日本株式会社もより洗練されたシステムに進化させていく必要があ るだろう。

 ■「首相を囲む会」の生態学

 新聞各紙で掲載されている首相動静記事を元にこれまでの「首相を囲む会」が行われた日時、主要出席者、会合場所は(資料1)にまとめてみた。これも新聞 各紙の記事を元に作成したものだが、中には「首相を囲む会」と明記されていないものもあることから、出席メンバーや会合場所から「首相を囲む会」と思われ る会合も含まれている。

 この資料にあるように「首相を囲む会」の会合場所はホテルオークラかホテルニューオータニを選んでいる。政財界に強く、旧御三家と呼ばれてきた帝国ホテ ル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニの中で特にホテルオークラが突出しているが、立地条件以外に「首相を囲む会」内での力関係が影響しているよう だ。「首相を囲む会」のメンバーの多くが有名ホテルの役員を兼任しているが牛尾治朗(ウシオ電機会長)がホテルオークラの取締役を務めている。

 この資料の末尾にこれまで開催された宴会場の様子がわかるようにリンクを貼り付けている。普段は結婚式の披露宴に使われる会場がほとんどであり、おじさ んたちのドスの利いた「かんぱ??ぃ!」という声が今にも聞こえてきそうであるが、中にはホテルニューオータニのガーデンコートにある「クレセント」のよ うに映画「踊る大捜査線」に登場しそうなお部屋も用意されている。

 そしてこの会合は通常18時から19時に幕を開け、おそらく豪華な食事と上品なお酒が振る舞われ、打ち解けた雰囲気の中で2時間程の宴が繰り広げられ る。ただし、奥田碩日本経団連会長のような歯に衣を着せぬ人物がいることから、緊迫感あふれる議論も繰り返されているようだ。

 財界人が集う「首相を囲む会」では経済政策や金融政策が中心議題となっていると思われるが、北朝鮮問題も取り上げられていることを考えれば、外交分野に まで議論は及んでいる。それぞれのメンバーが持つ情報ネットワークから得られる生きた情報を持ち寄り、イラク問題や北朝鮮問題も話し合われているのであ る。

 ■「首相を囲む会」と21世紀政策研究所とトライラテラル・コミッション

 この財界主体の会合に経済評論家の田中直毅が参加しているのは、経団連の創立50周年を記念して設立された21世紀政策研究所の理事長を務めているため であろう。従って、この21世紀政策研究所の運営委員会には21名が名を連ねているが、その中から奥田、今井、片田、森下、香西、櫻井、田中の7名が「首 相を囲む会」に参加している。(他の12名は資料2)従って、「首相を囲む会」と21世紀政策研究所は直結していると考えられる。

 そして「首相を囲む会」は拙著「最新アメリカの政治地図」で詳しく言及したトライラテラル・コミッション(旧三極委員会)とも強い結びつきがある。

 田中直毅は戦略国際問題研究所〈CSIS〉内に1996年に設置され、現在はほとんど活動していない米国・日本21世紀委員会(米側名誉議長ブッシュ父 元大統領、日側名誉議長宮沢喜一元首相)の副議長を務め、現在トライラテラル・コミッション(旧三極委員会)のアジア太平洋委員会委員である。田中直毅同 様に「首相を囲む会」のメンバーでトライラテラル・コミッション・アジア太平洋委員会委員になっているのは、アジア太平洋委員会委員長の小林を筆頭に西 室、森下、茂木、宮内、氏家の合計7名となっている。また、参考までに付け加えると、奥田碩日本経団連会長の下で着実に財界トップに駆け上がりつつある張 富士夫トヨタ代表取締役社長もアジア太平洋委員会委員である。

 この21世紀政策研究所のウェブサイトには田中直毅の論文が随時掲載されている。これまでブッシュ政権が打ち出す米国単独主導主義(ユニラテラリズム) に対して懐疑的な見方を示しており、2004年4月5日の『息を吹き返す「南?南」協力 ?米国だけが世界秩序の形成者ではない?』では、「イラク戦後の 中東情勢に対しても、米国はEUとの調整を不可避とする状況に追い込まれている。(中略)米国は結局のところ、ネオコン的な単純化した民主主義改革路線の 適用が不可能なことを認識しつつあるともいえよう。」と指摘し、ネオコンに対して厳しい見解を述べている。

 従って、彼らは総じてビジネス重視の多国間協調主義者である。日本政府が外務省出身の岡崎久彦率いる米国追従型日米協調主義者の強い影響を受ける中で、 財界が米国との関係を配慮しながら国際協調を主張しバランスを取っていたようだ。これは次のような発言からも読みとれる。

「政府には、国際社会との協力によって、金融・株式市場の混乱を回避するよう機動的に政策を展開するとともに、安全確保に最大限の努力を払ってほしい。小泉総理は米国等の行動を理解、支持することを明確に述べられたが、私も総理の姿勢を支持する。」
(03年3月20日 米軍などによるイラク攻撃開始に関する奧田日本経団連会長コメント)

「今回、国連安保理による新決議なしでの米国等によるイラク攻撃開始は残念の一語に尽きる。こうした結果を招いた主な理由は、あくまでもイラクが国連の大 量破壊兵器査察に十分協力しなかったことにあるが、各国は、国連を中心とした国際協調体制維持のために更に努力できなかったかと思う。今回、日本政府は米 国支持の立場をとり、それは日本国民の生命・財産・安全の保護という基本的責任に基づけばやむを得ない選択であったと考える。しかし、多くの国民が、今回 の米国主導の行動に不信感を抱いていることに鑑み、総理の率直かつ分かり易い国民への説明を望みたい。」
(03年3月20日 米国等のイラク攻撃開始について 小林経済同友会代表幹事の発言)

「イラクの戦後復興問題については、わが国として、国際的な枠組みのもとで、経済力に相応しい貢献を積極的に行っていく必要がある。」
(03年4月10日 バグダッド陥落に対する奥田日本経団連会長コメント)

「戦後復興問題については、国連を中心とした国際的な取り組みの枠内で、わが国の相応の貢献が期待されよう。」
(03年4月10日 バグダッド陥落について 小林経済同友会代表幹事の発言)

「あくまで国連の傘の下で(自衛隊は)必ず出なければならない」
(04年12月10日付け共同通信による奥田日本経団連会長発言)

 そして04年4月20日に行われた「首相を囲む会」で小泉首相は次の発言を行う。

「各国は米国がイラク駐留をきちんとしてもらわないと困ると思っている。米国色を消し、米国の私利私欲のためでなく、イラクのために駐留しているというふうに進めていくことが大事だ」

「次のサミットは大事だ。(米英主導の占領統治に)反対しているフランス、ドイツを含めて参加国がイラクのために民主的政権をつくることが大事だと意思統一する場になる」

 この「首相を囲む会」で飛び出した小泉発言をトヨタのお膝元に本社を構える中日新聞が5月1日付け社説で次のように書いている。

「開戦前からもっと強く言えば、米国追随とやゆされなかったでしょうに。米英が国連主導を言った後では、じゃんけんの後出しです。」

 この中日新聞に座布団10枚を差し上げたい。(つづく)


(資料1)
「小泉純一郎首相を囲む会の日時、主要メンバー、開催場所」

 ■2004年

5月25日:19時?(公邸着21時32分)
奥田碩日本経団連会長
ホテルニューオータニ・ガーデンコート
     
4月20日:18時37分?(キャピトル東急ホテル着20時22分)
奥田碩日本経団連会長、今井敬日本経団連名誉会長、生田正治日本郵政公社総裁
ホテルオークラ・宴会場「メイプルルーム」

1月16日:20時?(公邸着21時51分)
今井敬日本経団連名誉会長、生田正治日本郵政公社総裁
ホテルオークラ・「ケンジントンテラス」

 ■2003年

8月26日:18時41分?(公邸着20時39分)
奥田碩日本経団連会長、田中直毅
ホテルニューオータニ・「クレセント」

7月22日:18時32分?(公邸着20時23分)
奥田碩日本経団連会長
ホテルオークラ・「メイプルルーム」

6月18日:18時29分?(公邸着20時17分)
奥田碩日本経団連会長、御手洗冨士夫キヤノン社長
ホテルニューオータニ・ガーデンコート

6月13日:12時3分?(官邸着13時5分)・・・これは「11の会」
牛尾治朗ウシオ電機会長、出井伸之ソニー会長、田原総一朗
ホテルニューオータニ

4月15日:18時39分?(公邸着20時58分)
今井敬日本経団連名誉会長、小林陽太郎富士ゼロックス会長
大武健一郎財務省主税局長同席
ホテルオークラ・「メイプルルーム」

1月21日:18時41分?(公邸着20時32分)
奥田碩日本経団連会長、今井敬日本経団連名誉会長
ホテルオークラ・「メイプルルーム」

 ■2002年

12月18日:19時4分?(丸の内着21時29分)
奥田碩日本経団連会長
ホテルニューオータニ

10月22日:18時45分?(公邸着20時30分)
奥田碩日本経団連会長、今井敬日本経団連名誉会長、
小林陽太郎経済同友会代表幹事(当時)、山口信夫日本商工会議所会頭
ホテルオークラ・「オーチャードルーム」

7月24日:18時48分?(公邸着20時15分)
奥田碩日本経団連会長、今井敬日本経団連名誉会長
ホテルオークラ・「メイプルルーム」

4月10日:18時54分?(公邸着20時27分)
今井敬日本経団連名誉会長
ホテルオークラ・「メイプルルーム」

1月24日:18時35分?(官邸着20時)
今井敬日本経団連名誉会長
ホテルオークラ

 ■2001年

9月3日:18時43分?(公邸着20時15分)
今井敬日本経団連名誉会長
ホテルオークラ
 
6月12日:18時46分?(公邸着20時17分)
奥田碩日本経団連会長、今井敬日本経団連名誉会長
小林陽太郎経済同友会代表幹事(当時)、牛尾治朗ウシオ電機会長、
宮内義彦オリックス会長
ホテルオークラ

ホテルオークラ・「オーチャードルーム」「メイプルルーム」http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/banquet/floor/
floor_s2f.html#mei

ホテルオークラ・「ケンジントンテラス」http://www.hotelokura.co.jp/tokyo/banquet/
floor/floor_s12f.html#ke

ホテルニューオータニ・ガーデンコート内「クレセント」http://www.newotani.co.jp/tokyo/banquet/hall/crescent/index.html

ホテルニューオータニ・ガーデンコートhttp://www.newotani.co.jp/tokyo/banquet/list.html

(資料2)他 の12名=豊田章一郎(日本経団連名誉会長・21世紀政策研究所会長)、那須翔(東京電力顧問)、槇原稔(三菱商事取締役相談役)、吉野浩行(本田技研工 業取締役相談役)、御手洗冨士夫(キヤノン社長)、北岡隆(三菱電機相談役)、橋本徹(みずほフィナンシャルグループ名誉顧問)、正田文男(ニッセイ基礎 研究所社長)、橋本昌三(野村総合研究所会長)、團野廣一(三菱総合研究所顧問)、和田龍幸(日本経団連事務総長)、野口貴雄(21世紀政策研究所事務局長)

21世紀政策研究所
http://www.21ppi.org/

田中直毅の「日本経済の明日」第27回息を吹き返す「南?南」協力 米国だけが世界秩序の形成者ではないhttp://www.21ppi.org/japanese/message/200404/040405.html

21世紀政策研究所 運営委員会http://www.21ppi.org/japanese/profile/committee.html

中日新聞(東京新聞)社説(2004年5月1日)

http://www.chunichi.co.jp/00/sha/20040501/
col_____sha_____000.shtml


 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

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