2004年4月アーカイブ

2004年04月30日(金)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 イラクで誘拐されて人質にされたよその国の人々のなかには殺された人々もいるのに、日本人の人質は運良く無事に解放された。ところが、主に欧米メディア の報道によると「日本国民大多数は帰国した彼らに冷たい視線を向けるだけでなく、、その一人のホームページの掲示板に『お前は日本の恥じ』と書 き、、、(こうして)イラクでの囚われの身から解放されて帰国した人々にとって前より大きな苦痛がはじまった」(4月23日の付けのニューヨークタイム ズ)とある。
 私たちはこの異様な「人質パッシング」をどう考えたらいいのであろうか。

 ■サハラ砂漠の人質

 ル・モンドのフランス人記者は「日本では人質は解放されるための費用を払わねばならない」と書き、解放された人質が解放コストを分担するのは日本だけの ような印象をあたえた。でもこれは正しくない。というのは、昨年8月にイスラム過激グループの人質にされた14人のドイツ人も解放されてからそのためにか かった費用の一部を負担したからである。

 彼らは「サハラ砂漠冒険旅行」といったツアー参加中に災難に遭った。当時、フィッシャー独外相をはじめ数々の担当官庁の役人が自国民の解放のためにアル ジェリアやマリなどを訪問した。ドイツ政府は、解放された人質を迎いに特別機を出しただけでなく、身代金と仲介料として460万ユーロ(=約5億円)も 払ったとされる。

 この種の冒険ツアーの参加は安くない。どちらかというと高所得層に属する人々が自分の趣味でサハラ砂漠に出かけ、それと関連して政府に膨大なコストが発 生した。納税者には貧しい人もいるので、当時ドイツ国民の多くは政府の支出を不公平と見なした。そのために政府は解放された人質にも2301ユーロ(邦貨 で約30万円)を支払わせることに決定。いうまでもなくこの金額は発生コストのごく一部で象徴的金額である。
 
 当時の新聞を読むと、高すぎるので分割払いを要求する人も、また「つかまっているあいだ助かるために自分が払おうと考えた金額と比べて請求金額が安い」とよろこぶ人もいた。

 ■国家の面子と「軍隊」

 人命の尊重は国家が追求する幾つかの価値の一つで、自国民が人質になったときに何をするのがよいかはいつも同じでない。どんな決断をするかは、政府が他 の価値との兼ね合いと状況に応じて判断することである。但し、一般に国家が一方的に誘拐者の要求に屈すべきでないとされている。その理由は一度脅かしに応 じると同じことが起こるからとされる。

 19世紀や20世紀前半ほどでないにしても国家には今でも面子があり、脅かしに屈することがこの面子にかかわる。去年の夏ドイツ政府は身代金を払ったが、仲介者・マリ共和国に対する「開発援助」という名目にしたのも、この面子のためである。

 今回私に興味深かった点は、日本政府は自衛隊撤退要求を拒否し、日本の主要新聞の社説をはじめ多くの人々がこの政府の姿勢に賛成したことである。なぜそ うなってしまったかを考えるために、私たちは日本が派遣したのが自衛隊員でなく水道管修理の技術者であり、日本人を拘束したイラク人がこの技術者団の帰国 を要求したと想像してみるべきである。この場合、私たちはどう反応しただろうか。人質の人命尊重のために、また混乱状態のイラクで目的とした作業も進展し ないことを考慮して技術者団の撤退をしてもよい思う人がもっとたくさん出たのではないのだろうか。

 私たちは憲法九条を解釈し自衛隊を軍隊でないと思いながら同時に軍隊であると思う矛盾する思考作業を半世紀を続けてきた。自衛隊の撤退要求を断る決定に 反対しなかったのは、あるいは賛成・反対の議論もあまりなかったのは、この奇妙な思考習慣と関係があるのではないのだろうか。軍隊の撤退となると技術者を 撤収するよりはるかに国家の面子がかかってくる。私たちは、自分で気づかないまま自衛隊を軍隊と思い、自分のほうから遠慮して日本国家に面子を立てさせた のではないのだろうか。

 もっと気になった点は、日本のメディアだけが日本人を拘束したグループを「犯人」呼ばわりしていたことである。これは東京の街頭で起こった誘拐事件でな く政治的行為で、米軍の攻撃でファルージャで約六百人(そのうち約450人の老人・女性や子ども)が死んだ事件がその前にあった。政治的側面は、事件を 「卑劣な犯罪行為」と呼んだ途端、私たちの意識から欠落してしまうことになる。同時にこう呼ぶことは(米国の政治家のように)よその国も自国刑法が通用す る自国領土と見なしていることにならないか。

 ■リアリティ・ショーと「自己責任」

 今回イラクで人質になった日本人は18歳以上で判断力のある大人でイラクで最悪の場合何が自分に起こるか承知していたし、私たちも彼らが殺されても仕方 がないと思っていた。だからこそ、今更自己責任を問題にする人々が私には理解できない。ちなみに、一年近く前サハラ砂漠でドイツ人が人質になったとき、彼 らの不注意を批判する人はいても、自己責任を問う声などあがらなかった。

 大人をつかまえて自己責任を問題にすることは子ども扱いにすることである。それでは、なぜ私たちはそんな理解に苦しむ衝動を駆られるようになってしまっ たのであろうか。その原因の一つはおそらく人質になった人々の家族に感情移入・自己同一化をさせる臨場感に溢れた日本での事件報道の在り方と無関係でない ように思われる。

 欧米にリアリティショーという番組があり、例えば応募者を外部の世界から隔離した住居に閉じ込め、彼らがケンカしたり恋愛関係に陥ったりするのを四六時中カメラで撮影し、のぞき趣味の視聴者に実況中継をする。
 
 日本で暮らしていると気がつかないかもしれないが、日本のメディアの事件報道はこの種のリアリティショーに近いのではないのだろうか。私たちは、人質の 家族と同じ部屋いるように錯覚し、(彼らが)人質の運命を心配したり政府の無策を憤慨したり、「ご支援を感謝」したり、また「ご迷惑をおかけした」ことを 謝ったりしているのを眺めている。そのうちに、家族と同じ目線をとり「赤の他人」であったはずの人質と自分の距離が消えてしまって、そのあげく「子ども扱 い」するようになったのではないのか。(「人質バッシング」は、この家族の視点を強制されることに対する反発と少し関係があるかもしれない。)

 ■得したのは日本政府

 日本政府が人質になった人々から今回の事件で発生したコストの一部の負担を求めることは、彼らに「自己責任」を認め、「子ども扱い」にしないことであ り、反対できないことのように私には思われる。この措置に反対している人々は、「人質バッシング」と関連づけて罰金のように見なしているからかもしれな い。日本の政府関係者がそのようにとられる発言をしているとしたら、これは残念なことである。

 日本政府は、人質事件で「自衛隊撤退要求」を断ることで国際社会で今一度「自衛隊が人道復興支援のためにイラクにいること」をアピールできた。次に、人 質になった日本人が(サハラ砂漠を物好きにうろうろするドイツのバカンス客と異なり)NGO関係者やフリージャーナリストであったことも、日本政府のこの アピールに役立つ。この危険な時期での彼らのイラク入りは日本人がイラクに対して多大なる関心を抱きイラク国民に役立とうとしていることを印象づけ、政府 の「自衛隊の人道復興支援」の主張に説得力をあたえることになったのではないのか。

 日本政府は、この主張を理解してもらうために特使を派遣するなどしたが、外電の二、三行で片づけられるに過ぎなかった。ところが、今回の人質事件でこのメッセージが国際社会(特にアラブ諸国)の隅々に届いたことになる。

 ドイツのサハラ砂漠人質事件は解決するまでドイツでは177日間も経過し多大なコストが発生した。反対に日本のほうは事件が長期化しないで政治家をヨル ダンに派遣し日本大使館に「緊急対策本部」を立ち上げて、後は事件を記者会見で話題にする程度で済み、大きな支出がなかったように思われる。日本政府は、 このことも、また自分の得になったことを考慮して、今回解放された人質からコスト負担を要求するなら、ドイツ政府請求額・2301ユーロ(30万円)より 少なくすべきである。 

 ■権威主義的な国家の復活

 東京発の欧米メディアは、今回の「人質バッシング」を権威主義的な国家の復活と見なす。危険なイラクへ行くことの不注意や無思慮に対する批判は正当であ る。ところがこの批判がいつの間にか「御上に楯突く」ことに対する批判に変わってしまうのも、この不愉快な例である。不注意とか無思慮とか税金の無駄使い とかいうなら、自衛隊のイラク派兵についてもそういえないことはない。ところが、このような議論をすることが必ずしも容易でないとされる。

 日本では、もうかなり前から自分と意見の異なる人を「反日」呼ばわりする人々が横行している。このような人々は自分で何を言っているかわかっていないの ではないのだろうか。というのは、国内社会も国際社会も複雑で何が国益になるか判断するのも容易でない。それなのに自分だけが国益を代行していると思い込 むことがオメデタイ証拠である。また反対意見者を「非国民」扱いしをしたら国会は与党ばかりの「大政翼賛会」で選挙の必要もなくなるので、これは選挙民を 愚弄することである。

 人質の家族が自衛隊の撤退を求めたが、その要求を断る論拠を挙げて議論すればいいので「バッシング」などする必要はないように思われる。

 前世紀の七〇年代後半のドイツで(日本でいえば)経団連の会長というべき人がテロリストに誘拐された。本人もその家族も自国政府にテロリストの要求に従 がうように求め、憲法裁判所に訴えた。当時大多数のドイツ国民は「テロリストの要求に応じない」自国政府の決断を支持したが、(日本のある閣僚のよう に、)家族に「迷惑をかけて申し訳なかったと謝罪しろ」と発言する人はいなかった。日本でも「親子の情」というので、昔なら私たちも似たように反応したの ではないのだろうか。とすると、日本がいつの間にか「他人の行動に対する思慮・想像力を欠いた」社会に変貌してしまったことになる。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2004年04月29日(木)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

  イラクの日本人人質問題と、北朝鮮の列車爆発事故のニュースに接し考えさせられる。ブッシュ政権から見れば、イラクも北朝鮮も「悪の枢軸」である。でも、 アメリカは、世界のどの国よりもフセイン政権の圧制に苦しむイラク人を解放するために先制攻撃をしかけ、北朝鮮に対しては、爆発の火傷を負った人々への人 道支援を表明した。

 悪の枢軸というレッテルを貼って軍事介入を行うアメリカも、たとえ不法国家であっても困っている人々に救いの手をさしのべるというのもアメリカである。 政治や戦略といったアメリカの国益に則った活動だと冷めた目で見ればそれまでだが、それ以上にアメリカの価値観や宗教観といったものが存在しているように 思われる。約4億円のアメリカンフットボールの契約金を蹴ってアフガニスタンで戦死したテルマン選手の例は、極端な例であろうが、自由というアメリカの価 値観を護るために命を懸けても戦うというアメリカの美徳がそこに見られる。

 アメリカには、現在の泥沼化するイラク戦の状況において、国が困っているときに、市民が国や世界のために貢献しようという、個人主義を原点とした理想が ある。イラクで、戦争の犠牲になったストリートチルドレンの救済を、国や組織に属さず個人の資格で行なった高遠菜穂子さんの活動は、アメリカのメディアの みならず世界の注目を集めた。しかし、日本では、自己責任論が唱えられ、世界で最も危険な地域に地球益のために活動した高遠さん等の活動は評価されないよ うである。

 日本社会は、異端を集団的に排除する傾向が強い。だが、圧迫されるほどマグマが噴火するように開放感を持って、国益を越えた地球益のために貢献しようと いう人材が輩出されることもある。きっとイラクで人質になった日本人に共通するのは、日本の閉塞感をバネにして、世界が驚くほど理想を持って活動した点で あろう。彼らの活動は、NGO(非政府団体)というよりNGI(非政府個人、Non-Governmental Individual)であろう。

 イラクや北朝鮮の問題を本質的に解決する時は、国が中心となる軍事的関与や復興支援でなく、個人の意志で平和に貢献するという活動が奔流となった時であ ろう。国交がなくとも、日本海を越えて、北朝鮮の列車爆発事故の救援のために行動する日本人が増えることにより、北朝鮮問題が大きく進展するであろう。人 と人との交流を通じ、北朝鮮の核問題も拉致問題も解決されると信じたい。

 自己責任論を主張する層と、北朝鮮の拉致問題を中心に北朝鮮への強硬姿勢を示す層が妙に一致しているようである。アメリカの保守層と日本の拉致問題や北 朝鮮の脅威論でミサイル防衛構想を唱える層も一致する。しかし、高遠さんらのNGIの活動に対し、ニューヨークタイムズやワシントンポストをはじめ、知る 限りではアメリカのメディアのみならず、世界が勇敢な日本人の行動を支持している。自己責任論に関しては、「日本の常識は世界の非常識」という名言が当て はまるようである。

 ごく少数ではあるが、日本の閉塞感を反面教師として世界に翔る地球理想主義の台頭は、イラク問題や北朝鮮問題解決の突破口として大きな役割を担う可能性 はある。島国的いじめの社会から発生するマグマと個人でも世界を変えるという大いなる理想が、時勢に一致した時には、国や国連といった集団的な活動を超越 するパワーとなろう。世界で最も危険な地域へ、宗教的、イデオロギー的、歴史的、文明的対立も物ともせず、紛争の犠牲になった人々を助けるという、そんな 純粋な地球市民としての活動こそ、イラク戦の袋小路から抜け出し、北朝鮮問題を解決する、調和を重んじる東洋の知恵となるのでないだろうか。そこで、 NGIや NGOの活動、ひいては地球平和部隊の活動が、期待されている。

 中野さんにメールは mailto:tnakano@gwu.edu

2004年04月28日(水)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 筆者のもとには今でもときどき、1月に萬晩報に書いた《『ラスト・サムライ』における「インディアン」》への感想が寄せられる。この映画が日本人の間に大きな関心を呼び起こし、その関心が今でも続いているということなのであろう。
http://www.yorozubp.com/0401/040108.htm

 筆者にとってはこの映画は、今まであまり深く探究したことがない世界への思わぬ入り口になった。それはアメリカ・インディアンの世界である。

 拙論において筆者は『ラスト・サムライ』を『ダンス・ウイズ・ウルブズ』と比較した。『ダンス』に登場する部族は、映画の日本語版では「スー族」となっていたが、英語では「ラコタ族」である。

 一般にスー族と呼ばれる人たちは、「五大湖付近の森林地帯に住むダコタ族。ミズリー河流域にすみ半農半猟の生活をしたナコタ族。そして、一番西に位置し 大平原でバイソンを追いながら移動性狩猟生活をしていたラコタ族」の3つのグループに分かれるという。
http://www.earthlodge.com/rosebud.html

 「スー族」というのは3つのグループの総称ということになる。

 さて、インディアンと日本人は遺伝子的につながっているという説もあるが、多くの日本人にとっては、インディアンは西部劇の中の存在でしかないだろう。 ところが、今年6月、かなりの数のインディアンやその他の先住民族の代表が来日し、富士山のふもとで平和のための式典を開く予定である。この行事は、 「World Peace & Prayer Day せかいへいわといのりの日」(略称WPPD)という。
http://www.wppd2004.org/index.html

 この行事の提唱者は、ラコタ族の精神的指導アーヴォル・ルッキングホース(Avol Looking Horse 見る馬)という人である。ルッキングホース氏はこれまで北米大陸をはじめ、アイルランド、南アフリカ、オーストラリアでWPPDを開催してきたが、その海 外第4回目が今年、日本で開催される運びになったのである。

 『ダンス』で主人公のアメリカ軍人ジョン・ダンバーと友人になるのは、ラコタ族の「Kicking Bird 蹴る鳥」である。「蹴る鳥」は、部族の長老ではないが、部族の精神的指導者の立場にある。ルッキングホース氏は「蹴る鳥」と同じ立場の存在なのであろう か?

 いずれにしても筆者にとっては、拙論を書いた直後に、日本におけるラコタ族の行事の知ったことは、思いもかけない「シンクロニシティ」(意味ある偶然の一致)であった。

 そこにさらに別のシンクロニシティが重なった。筆者は3月にルッキングホース氏の著書『ホワイト・バッファローの教え』を入手したが、その中の重要な概 念は「ミタクエ・オヤシン」という語である。その同じ語が、その少し後、朝日新聞の4月8日の天声人語でも使われているのを見出した。

 天声人語ではこの語は、『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』(扶桑社)からの引用で、「ミタケ・オアシン」となっていたが、『ホワイト・ バッファローの教え』の訳者・本出みき氏は、ラコタ族居留地の部族大学で勉強した方なので、「ミタクエ・オヤシン」のほうが実際の発音に近いだろう。さら に、天声人語は「すべてはかかわり合っている」という意味のこの語を、日本の政治とイラク情勢が関連しているという、政治的文脈で使っているが、「ミタク エ・オヤシン」にはもっと深い意味がある。

 『ホワイト・バッファローの教え』にはこう書かれている。
 ミタクエ・オヤシン「私につながるすべてのものに」という言葉には、より大きな意味があります。ここでいう「すべてのもの」とは、私たちの血縁や国、人類だけを指しているのではありません。
 母なる地球そのもの、マカウンチ(祖母なる大地)は私たちの親族であり、同時に祖父なる空、すべての二本足で立つもの、泳ぐもの、空を飛ぶもの、根のく にのいのち、這うもの、このように私たちと一緒にこの世を分かち合うすべてのものたちを意味します。
 「ミタクエ・オヤシン」は、すべての生き物、すべての存在とのつながりを表わします。
 私たちはみなつながっており、ひとつなのです。
 日本の先住民であるアイヌにもこのような世界観が生きている。山や岩や巨樹を神とあがめる神道にもそのような要素が残っている。このような世界観は、キリスト教のような一神教の立場からは、原始的なアミニズムととらえられるかもしれない。

 西欧文明の基盤となったキリスト教は、神と人間と世界(自然)を切り離し、宇宙をこの順で序列づけた。古代ギリシャ由来のロゴス的思考と相まって、西欧 文明は自然を対象化し分析することによって科学技術文明を生み出した。そして「神が死んだ」あとの世界では、人間が神の座につき、自然を思うがままに利用 し、搾取してきた。しかし、地球を単なる使い捨ての資源としか見なさないこのような世界像は、地球温暖化、水や空気の汚染、新しい病気の発生、動植物界の 異変などという形で、その否定的な帰結を人類に突きつけつつある。

 地球環境問題が深刻化する中、21世紀の人類に必要とされているのは、まさに人類はすべての生物、すべての存在とつながっている、という「ミタクエ・オ ヤシン」の世界観であろう。このような世界観を、イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック博士は、「ガイア」(ギリシャ神話の大地の女神)の比喩で 語っている。博士のガイア理論によれば、地球は単なるモノの固まりではなく、無数の生命のネットワークによって作られる、一つの巨大生命体と見なせるとい う。インディアンの世界観が、最新の科学仮説と共鳴しているのは興味深いことである。

 ラブロックは、1957年に電子捕獲型ガスクロマトグラフィーという装置を開発した。これは、地球上に存在する微量物質を1兆分の1という高感度で分析 できる装置で、それまでの装置よりも100万倍以上もの感度を持っていた。その装置によって、DDTなどの農薬が世界中に広まっていることや、フロンガス が大気中に滞留してることなどが明らかになった。

 ラブロックは、現在上映中の龍村仁監督の映画『地球交響曲』第4番の中で、イギリスの自分の実験室で誤ってある揮発性の薬剤を床にこぼすと、その分子が数日後、東京の空気中から検出できる、と述べている。
http://www.gaiasymphony.com/

 イラクの戦闘でまき散らされた劣化ウランなどの有害物質は、当然日本にも届いているはずである。まさに「ミタクエ・オヤシン」、世界は一つにつながっているのである。

 ラコタ族には次のような予言が伝えられているという。

 「予言は、私たちが今、分岐点に立っているといいます。私たちは混乱、災い、親族たちがつきることのない涙を流す道を選ぶのか、それとも平和と調和のも とに精神的にひとつになる道を選ぶのかを迫られています。そのため緊急に平和を訴えるメッセージを伝え、世界中で力の転換をはかるべき時にきているので す。」(『ホワイト・バッファローの教え』)

 私たちは今、インディアンの知恵の言葉に謙虚に耳を傾ける必要があるのではないだろうか。

 中澤先生にメールは mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp
2004年04月25日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 21日、亀山市でシャープの液晶工場の竣工式が行われた。これといって特徴もない片田舎の町に外国人を含めて100人を超えるメディアが集まった。驚い たのは三重県であり、地元の亀山市である。このあたりは畿央といって首都機能の移転候補地のひとつとなった地点である。首都機能移転はもはや風前のともし びであるが、その畿央が「Kameyama」ブランドで世界の耳目をひいている。

 いま亀山が世界の注目を集めているのにはわけがある。亀山の地はすでに4月6日付ワシントンポスト紙で製造業ニッポン復活の象徴として紹介されていた。 筆者のファイオーラ記者は「鈴鹿山麓に突如、白亜の巨大な製造拠点が出現した」とその驚きを記している。

 徳島県の名もない日亜化学の一研究員が青色ダイオードという世界的な発明をしたと報じたのは6年前のことである。はずかしながら日本のマスメディアはまたしてもアメリカのメディアに出し抜かれた格好となった。

 ファイオーラ記者は三重県に「クリスタル・バレー」という名称を冠して日本の製造業の復活が始まった地点であるかのように表現した。クリスタル・バレー は前北川知事が旗振り役となった三重県再生のスローガンである。首都機能移転が騒がれた際に名付けられた「畿央」という名称とともに全国的知名度を得る前 に消滅するのかと思っていたら、あにはからんや。アメリカのメディアが世界に広めてくれた。

 この液晶工場は日本経済が長期低迷の、しかも中国ブームの最中に計画された。当時はだれもが日本の製造業の将来を危ぶみ、中国を語らないものは「時代遅 れ」という風潮があった。シャープは1998年すでにブラウン管への決別を宣言し「オンリーワン」を目指す経営に乗り出していた。電機業界の中ではソ ニー、松下、日立、東芝をきらめくブランド名の下でほとんど三流メーカーの位置付けでしかなかった。

 グローバル・スタンダードの名の下でマイクロソフトとインテル互換の世界に走る日本の電機業界の中でシャープは液晶という独自技術にこだわり、さらに時 代錯誤ともいえる国内での製造に固執した。そのこだわりが国内景気回復のトレンドに乗ったのだからシャープ首脳陣の笑いは止まらないだろう。
 シャープ亀山工場の稼働に伴い、少なくとも取引企業50社が周辺に進出している。請負や下請けを含めると企業数はその数倍に膨れ上がるだろう。いまや亀山は県外ナンバーの車が走り回る元気な町となった。

 ■早くもささやかれる人手不足

 その三重県は有効求人倍率が「1」を超えている数少ない自治体である。全国平均が0・77であることを考えると突出しているといってもいい。好調なホン ダ鈴鹿工場に加えて、シャープの亀山、多気工場、さらには東芝の四日市工場でのフラッシュメモリー、富士通の多度工場での半導体など設備投資がめじろ押し であることはすでに萬晩報で書いてきた。
 景気のいい話ばかりなのだが、すでに人材で問題が浮上している。人手不足である。まず採用を募集しても人が集まらない。そしてせっかく採用しても定着率 が悪い。フリーターなどという生き方がメディアでもてはやされた結果だろうか、交代制であるとか日祭日出勤といったシフト労働になじまないのか。あるいは 根を詰めた作業がもはや日本人に耐えられなくなったのか。

 企業の採用方法にも問題がある。人材派遣会社を通じた採用が多いことに加え、正規社員であっても契約期間が「1年」であるといったように短期の採用が中 心になっている。昨今のそうした採用方式では企業への忠誠心はおろか、日々の労働意欲にもかかわる。コンビニや外食産業の店頭での仕事ならともかく、不良 品率が100万分の1さえ許されない精密な製造業の工程では問題が起こらないはずがない。

 三重県ではすでに「いずれまた外国人や日系人に頼らざるを得ない」といった議論さえ出て来ている。景気の長期低迷で一番問題となったのは地域の雇用で あったはずだ。なのに景気回復が認められたとたん、一転して人手不足が問題となっているのは皮肉としかいいようがない。人手不足は三重から全国的に広がる のではないかと思っている。

2004年04月24日(土)萬晩報通信員  成田 好三

 イラクで日本人5人が人質になった事件と、投開票日が人質3人の解放と重なった韓国総選挙の報道で、新聞・TVなど日本の主要メディアは、彼らの抱える 根本的欠陥をあらわにさらすことになった。根本的欠陥は、少なくとも3つ露呈した。1つは、日本人絡みの「大事件」によって、ニュースの価値判断が極端に 大きくぶれることである。次いで、「局地」しか視野に入れず、「大局」を見ない報道姿勢である。3つ目は、メディアの構造、あるいは構造変化に対して、自 ら分析、論評する意思をもたないことである。

 ■韓国総選挙を「無視」したメディア

 日本人3人が人質になった4月8日以降、メディアは韓国総選挙への関心を失ってしまった。新聞各紙の紙面は連日人質関連記事であふれ、韓国総選挙関連記事は紙面の片隅に追いやられた。ここでは新聞の主要3紙だけを取り上げるが、TVも同様、いや新聞以下の扱いになった。

 人質3人が解放された翌日、16日の紙面は人質解放関連記事で埋め尽くされた。16日付朝刊で読売は1面トップに人質解放を充てたが、韓国総選挙を左肩 に4段扱いで置いた。朝日、毎日は1面の全紙面を人質解放に割いた。韓国総選挙は、朝日が4面(政治・総合)の左半分ほどを割いたが、トップ扱いではな かった。毎日は2面(総合)トップに位置付けたが、見出しは4段扱いだった。

 選挙結果が確定した後の16日付夕刊の扱いは、主要3紙とも韓国総選挙を1面で扱ったが、朝日は中央下の位置で4段扱い、読売は左側で3段1本見出し、 毎日は中央下の横見出しだった。トップは当然、人質解放関連記事である。3紙とも他の面での関連記事はなかった。主要3紙とも17日付の朝刊で社説に韓国 総選挙を取り上げたが、いずれも2番手扱いだった。(3紙とも筆者が住む茨城県水戸市に届いた紙面でチェックしました)

 韓国総選挙は、その程度の扱いで済ませるべきニュースだったのか。盧武鉉大統領の弾劾の是非が焦点となった選挙は、韓国社会に劇的な変化をもたらす結果 を生んだ。改選前の少数与党「ウリ党」が過半数を超える議席を獲得しただけではない。「三金体制」と、それと裏表の関係にある「地域主義」を突き崩した。 「三金」の一人である金鍾泌元首相の落選は、そうした変化を象徴する出来事になった。韓国社会の劇的変化は、日本を含む東アジアに大きな影響を及ぼす。 ニュースの重要性からみて、日本のメディアは韓国総選挙を「無視」したとさえ言える。

 ■新たなニュースなしに号外を出した主要3紙

 主要3紙は12日付でそろって、人質事件で前代未聞の号外を発行した。新聞は重大事件発生時に通常の朝刊、夕刊の他、号外を発行する。あるいは新聞休刊 日(年の10日ほどある)に重大事件が発生した際に号外を出す。主要3紙は12日付でそろって号外を出した。11日は新聞休刊日だった。しかし、3紙の号 外は、人質事件が何も進展しないことを伝える号外になった。筆者の手元に届いた、読売の12日付号外の1面大見出しは、こううたっている。「邦人解放進ま ず」「情報混乱、政府確認急ぐ」「武装グループ『24時間内』と表明」「新たに3条件説も」。読売の号外は全8ページにも及ぶ、号外としては前例のないほ ど分厚いものだった。

 日本人人質事件は、イラク情勢の急激な変化の中で起きた。米国の民間人警備要員(元軍特殊部隊員)の殺害と黒焦げの遺体を引き回し、橋に吊り下た事件 と、その報復作戦として米軍が敢行したファルージャでの市街戦が人質事件の背景にあることは明らかだった。そのくらいのことは、NHK・BSが毎朝放送し ている各国のTVニュースを見ていれば、素人でも理解できる。

 しかし、日本のメディアは民間警備要員の殺害もファルージャでの市街戦も視野に入れなかった。ただひたすら人質解放にだけ焦点をあて続けた。あるいは、 ほとんど唯一の情報源であるカタールの衛星TV「アルジャジーラ」のチェックをしていた。主要3紙がそろって(横並びで)、人質事件の犯行グループの「行 動」ではなく「言葉」(アルジャジーラを通した解放予告)をそのまま信じて、号外を準備し、「邦人解放進まず」のまま号外を発行したことが、そのことを証 明している。TVも、人質3人が解放された15日夜、やはりアルジャジーラの映像とコメントを繰り返し流し続けた。

 イラク情勢はこの時期、ブッシュ大統領の何一つ新政策を打ち出せなかった「釈明会見」、米英首脳が国連中心の暫定政権づくりに合意、そして、スペインの サパテロ首相の軍撤退表明へと大きく動いていった。人質事件という「局地」しか視野に入れない日本のメディアは、イラク情勢の劇的変化という「大局」を無 視して、この間、人質事件だけに焦点をあてた紙面を展開し、TVニュースを構成してきた。

 ■正社員記者とフリー記者の関係性を位置付けないメディア

 日本のメディア、特に新聞は、一部のフィーチャー記事を除き、会社と雇用関係を結んだ正社員記者の書く記事によって紙面をつくってきた。しかし、共同通 信はゴルフなど国内スポーツ記事(生ニュース)で、外部のフリー記者の記事を使うようになった。日本人選手の相次ぐ進出によって、メジャーリーグや欧州 サッカーなど海外取材が急激に増えたため、国内取材要員が手薄になってきたためである。こうした動きは通信社に限ったことではないだろう。メディアにとっ て、フリーの記者、カメラマンの占める位置が次第に大きくなってきた。人質事件でも、郡山総一郎さんは週間朝日と、安田純平さんは東京新聞と関係をもつフ リーの記者、カメラマンだった。

 戦争報道では、フリーの位置付けはさらに大きくなってきている。昨年春の「正規のイラク戦争」(ブッシュ大統領の大規模戦闘終結宣言後も戦争は継続して いる)中、日本のメディアの正社員記者(カメラマン)は、米軍に埋め込まれた従軍記者を除き、全員がイラクから撤退した。イラクにとどまり、正社員記者の 「穴」を埋めたのはフリーの記者と現地スタッフである。フリーが撮影した映像なしには、当時のTVニュースは成立しなかった。共同通信が配信した、フリー の記者である綿井健陽氏が書いた現地リポート「戦火のバグダッド」は、地方紙の多くで大きく掲載された。

 今回の人質事件によって正社員記者の撤退の動きは強まってきた。共同通信が18日配信した、及川仁バグダッド支局長のリポートはこう書いている。「陸上 自衛隊が活動する南部サマワには、1月19日の先遣隊到着当時、100人近い日本の報道陣がいたが、その後の情勢変化で、18日現在残っているのはフリー カメラマンら2人だけになった」。イラク情勢がさらに悪化すれば、バグダッドに残る正社員記者の撤退の動きも加速する。そうなれば、イラクに残る日本人の 記者、カメラマンは正規のイラク戦争当時と同じく、フリーだけになる。

 戦争報道にとっては、もはや欠かすことのできなくなったフリーの記者、カメラマンの存在とその役割をどう位置付けるのか。メディアは、正社員記者中心の 自らの構造と、その構造変化について何も語ろうとはしない。フリー記者は安価な費用で使える、正社員記者の「弾除け」なのか。それともフリー記者を自らの 構造の中に組み入れていくのか。メディア自体がそのことを分析、論評する必要がある。しかし、どのメディアもただ黙り込んでいるだけである。(2004年 4月20日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年04月23日(金)萬晩報通信員 齊藤 清

 【コナクリ発】世界の終わりを演出したがる人々の世俗を超越した言葉にあてられて、すっかり人事不省に陥り、寝食を忘れて昼寝を続け、メルマガの発行を 怠けていたお詫び代わりに、今回はギニアの金にまつわる四方山話をこっそりお届けしたいと思います。――あくまでローカルに、あくまで内緒に、ということ で。

 ◆幻の金の産地

 ギニアには、金の採掘をしている会社がいくつか存在しています。またマリ国境に接する高地ギニア地方では、一般の村人が生業として、何百年も前から現在に至るまで人力だけで金を掘り続けています。

 13世紀に入り西アフリカで大きく勢力を拡げていた中世のマリ王国は、金の豊富な国として地中海世界やヨーロッパにまでその名をとどろかせていました。 サハラ砂漠をラクダの背に乗って北上した西アフリカの金が、北アフリカを経由して遠くヨーロッパにまで届いていたのです。ただし、金産地の実際の場所は、 当時のヨーロッパ人にとっては幻のままでした。

 この当時のマリ王国の首都は、現代の地図で言えば、マリとの国境に近いギニアのニアニという町でした。――現在市販されている唯一のギニア地図は、フラ ンスで発行された百万分の一のものですが、これはミスの多い印刷物で、ニアニの位置はとんでもないところへ移動させられています。

 この金産地を突き止めることが、後の大航海時代のヨーロッパ勢力による「アフリカ探検」の動機のひとつとなっていました。そして1796年になり、イギ リスの探検家マンゴパークが、大変な苦労の末にニジェール川上流地域の金産地に、ヨーロッパ人としてはおそらく初めて到達しました。彼は、金、象牙、奴隷 に関する情報収集の任務を帯びていた、とその日記に記しています。 ここが現在の高地ギニアの版図に重なる土地でした。

 ◆奥地という名の幻想

 それから200年を経た現在、アフリカの奥地という状況に対して普通の日本人の抱きがちな幻想は、そこの住民たちは世界の流れとはまったく隔絶してい て、まったく無知で、金の価値などろくろく知らないのだろう、というようなものではないかと勝手に推測しているのですが、現実はそれほどに単純ではなさそ うです。

 ひとつの例をあげてみれば、キャンプ地近くのある村人が「日本は英米のイラク侵略を手助けするために軍隊を送り込んだらしいな。泥棒の仲間になってしまったのか。考えられない」と嘆いてくれたことがありました。

 奥地の村人ですら、この程度には、世界の果てに存在する小さな国の動きを正確に承知しているのです。

 電気も水道もない村にも、アラブ、ヨーロッパ、アメリカ各地からのニュースを、最大出力500ワット程度の小さな発電機につないだ衛星テレビ受信機を通 して見ている人がいる、という現実を知っておく必要はあります。ラジオフランス、BBCラジオなどの定時ニュースを聴くことは日常のたしなみでもありま す。

 むしろ、テキサスあたりのカウボーイよりは、世界の情勢をより正確に把握している可能性があります。ギニアの奥地の村からも、アメリカ、カナダ、フラン ス、オランダ、スペインあたりは言うに及ばず、サウジ、タイ、ブラジル、台湾、日本などなど、仕事が得られそうな国であれば、誰かしら出稼ぎに出かけてい ますし。

 ◆ギニアの金と国際価格

 ところで、金採掘会社の生産物が市中に流れることは原則的にはあり得ないのですが、村人が掘り出した金は現地の小口の仲買人を通して市場に流通します。

 ただし、生産現場での金価格は、すでに国際価格にほぼ等しく連動しています。つまり生産している現地で買ったとしても――大量の調達は無理であるものの ――、差益はほとんど想定できません。むしろ、不純物の混じり具合を確認できずに買うというリスクのほうが大きくなります。

 村の生産現場での金価格が国際価格にほぼ等しいというのはなぜなのか?。 その理由は簡単で、少なくともギニアでは、金は商品ではないからなのです。 金は、探検家マンゴパークらがやって来るよりもずっと昔から現金と等価でした。村の人々は山で貨幣を掘り出すような感覚で仕事をしているわけですから、その金は価格交渉の対象にはなり得ません。

 ギニアの中央銀行は、むろんのこと金を買い入れます。外貨をほとんど持っていない貧しい政府にとっては、金は貴重な「外貨」を得る手段になり得るわけで す。その理由もあって、中央銀行の現地貨幣による金の買入価格は、実は国際価格をかなり上回っています。中央銀行はプレミアムをつけてでも、村人が掘り出 した金を集めたがっているのです。

 ◆金を買うギニアのレバノン人

 そこで、金の仲買人は、集荷した金を中央銀行に持ち込むかといえば、必ずしもそうではないという現実があります。というのは、国際価格よりも高値で買い 入れる中央銀行よりも、さらにいい条件を出してでもその金を必要とする存在があるからなのです。

 その筆頭はレバノン人であるかもしれません。実態が数字で現れることはないものの、ギニアの経済活動のかなりの部分を担っていると推測できるギニア在住のレバノン人たちは、現地貨幣を信用していません。

 ギニアフランは、過去2年間で対ドルレートが20パーセント下落、10年前との比較では55パーセント下落しています。

 肌でその流れを知っているレバノン人は、例えば彼らが長期に不動産を貸す場合、その契約書は必ずドル表記になります。現地貨幣ギニアフランが記されることはまずあり得ません。

 そして、その利益をギニア国外へ持ち出す手段は、闇で集めた(銀行ではドルへの両替はまずできません)外国紙幣、金、時にはダイヤモンドの原石を使うことになるわけです。ここで、金の仲買人が動くわけです。

 ◆通貨としての金

 ギニア人自身も金を買います。イヤリング、ネックレス、ブレスレット、指輪の製作を職人に依頼するとき、あるいは婚約時の結納の品としても現地産の金を使うのですが、実はそれよりももっと大事な用途があります。

 ギニアの隣国のマリであるとか、セネガル、コートジボワールといった国々では、セーファーフランと呼ばれる通貨を使っています。これらの国々はセー ファーフラン圏を形成していて、複数の国で共通の通貨が通用しています。またこの通貨は、EUの通貨と(以前はフランスフランと)ある一定の比率で交換で きることになっていて、実質的には、国際的に通用する通貨であるわけです。 ところが、セーファーフラン圏から仲間はずれにされているギニアの通貨、ギニアフランには兌換性がありません。ギニア国内でのみ通用するというさみしい通 貨です。

 しかしながら、いつの世にも交易という仕事があります。主食の米さえも輸入に頼っているギニアは、サンダルから自動車まで、あるいはティッシュペーパーから新聞印刷用の紙まで、すべて先進国が生産するものを輸入しなければなりません。

 ところが国には外貨がない。しかしナマの金はある。そこで中世のマリ王国の時代と同様、ギニアの商人はナマの金を携えて近隣諸国へ商品の仕入れに出かけるのです。

 このようにして、高地ギニアで採れた金は、この地のマリンケ族の手によって遠い国々へ旅に出ることになります。そして大量の商品が持ち帰られ、それがギ ニアフランに変わり、そしてまたナマの金に姿を変えて国外へと移動。時には、隣国マリあたりでセーファーフランを手に入れる元手にもなっているようです。

 ◆消されかけた日本人

 金にまつわる話題では、ギニアを舞台に日本人が主役を演じた卑近な例もあるらしく、当地の新聞にも報じられていました。わき役および悪役はギニア人一同 となっています。ギニアでは金が安く買えると吹き込まれ、ひともうけを狙った小金持ちの日本人を、日本在住のギニア人が案内してきた、という設定をまず頭 に描いてください。

 この日本人は、かなりの額の現金を懐に成田を出て、しかも飛行機乗り継ぎ地フランスの外貨管理の網を潜り抜け(本人の無知と単なる幸運?が重なっただけ なのでしょうけれど)、なにはともあれギニアへと潜入。――以前、フランスの規制額をはるかに超える現金を持って出ようとして、パリの空港で拘束された公 用旅券の日本人もいました――

 そして、ギニア人仲介者が渡したニセモノの金に気がついてしまったその日本人は、消してしまうぞ、と脅かされたとか。ここで事は表ざたになって、その日本人にとっては無事、あるいはめでたく落着。

 ...というのは、ギニアで金を買ってなんとか日本へ持ち帰れたとしても、どこかで詐欺、脱税等の不法行為をしない限りは利益の出るはずがないのですから、これは買えなくてよかったというべきケースでしょう。

 ◆金業界はとっくに有事

 金の国際価格が、継続して上がり続けています。二年前に下記のコラムを書いた時点では1オンス(約31グラム)300ドル程度であったものが、4月1日 には、1988年以来久しぶりに430ドルを超えました(一時的ではあるものの、エープリルフールのせいではないはず)。このメールを書いている時点で は、1オンス400ドルあたりを移動しています。

【萬晩報】ギニアから眺めた金の業界風景 2002年03月25日
http://www.yorozubp.com/0203/020325.htm

 これは有事の金ということで、世界の破滅的状況を反映しての金価格高騰と考えている米国の産金会社関係者は、ブッシュ政権の国際秩序破壊行動を足の裏あたりで感謝している傾向があります。

 例えば、現在パートナーとして仕事をしている米国の大手鉱物資源会社の技術者は、「ブッシュのおかげで飯が食える、酒が飲める」と言いながらも、言葉とは裏腹の意味を表わそうとしてその表情をゆがませるのです。頭は軽ければ軽いほどいい、と。

 世界一の産金会社ニューモントマイニング社(米国)の株価は、金価格の上昇につれて、一年前には26ドルだったものがこの4月1日には47ドルに達して います。経営状態が青息吐息でクズ株とみなされていた米の会社Cの場合は、この一年で1.2ドルから3.2ドルへと大変身し、今はすっかり息を吹き返しま した。ほとんどすべての産金会社が同様の恩恵をこうむっているのが現実でしょう。――かくいう私めだって、彼の国の頭の軽いトップには足を向けて寝られま せん。そしてお仲間の「テロには屈しない」と一つ覚えの科白を繰り返す人をも愛さずにはいられません。(『金鉱山からのたより』2004/04/20から 転載)

 齊藤さんにメール mailto:bxz00155@nifty.com
2004年04月22日(金)萬晩報通信員 園田 義明

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 ■ふたつのアメリカとふたつの日本

 ブッシュ政権誕生後、日本でも保守化の傾向がますます顕著になってきた。これは、日米に限らず世界中で見られる傾向であるが、冷戦崩壊に続くグローバル化への反動としてのアイデンティティー意識の高まりがその背景にある。

 こうした動きを象徴するかのように日本メディアでは右派系の産経新聞、読売新聞、「正論」(産経新聞社)、「諸君!」(文藝春秋)に対して、左派系の毎日新聞、朝日新聞、「論座」(朝日新聞社)、「世界」(岩波書店)が挑む構図となっている。
 
 この対立は「新しい歴史教科書」問題や対中国政策で一層顕著になったが、イラク戦争を巡って保守内部が反米か親米かで真っ二つに割れ、 「SAPIO」(小学館)での保守内部の論争が今なお続いている。また、本来保守の一角を担ってきた日本経済新聞がイラク問題や対中政策で左右に揺れ動 き、ビジネス重視のビジネス・リアリストの動向を映し出しているかのようだ。

 そして、この対立はイラク日本人人質事件によってリベラル派が息を吹き返し、親米右派に挑む構図となり混迷を極めてきた。私自身は右派か左派かにこだわ らず双方の主張を比較しながら長年親しんできたが、どうやら「ふたつのアメリカ」が日本に波及し始め、これが「ふたつの日本」へとつながる様相を呈してき たようだ。

 ■ふたつの国のネオコンとトリックスター

 同時多発テロ以降にあって、私は比較的早い時期に日本でネオコンを紹介したひとりであり、過去のコラムで彼らを「肉食恐竜」と名付けた海外の記事を紹介 してきたが、実はネオコンの論客であるチャールズ・クラウトハマーやウィリアム・サファイアやアン・クールター等のコラムを結構楽しみながら読んでいる。

 なぜなら、ネオコンのコラムには明らかに「困ったちゃん」としてのトリックスターの姿を見ることができるからである。現代版トリックスターとしてのネオコンが面白おかしくこれまでの世界秩序を掻き回している。

 同時多発テロ以後の産経新聞や読売新聞の論調にもネオコン同様にニヤリとさせられる記事が多く、古森義久(産経新聞ワシントン駐在編集特別委員兼論説委 員)、伊奈久喜(日本経済新聞編集員兼論説委員)、田久保忠衛(杏林大学教授)、中西輝政(京都大学教授)等の論説を心待ちにしているのである。

 2003年1月3日付けワシントン・ポスト紙でクラウトハマーが「ジャパン・カード」と題するコラムを寄稿し、中国が北朝鮮に圧力を掛けない場合は「日 本が独自に核抑止力を目指すなら、その試みを米国は支持する」と中国に伝えるべきだと主張し、「米国にとって北朝鮮の核武装が悪夢なら、中国にとっては日 本の核武装が悪夢だ。今は悪夢を共有すべき時だ」と書いた。

 私はこのコラムをリアルタイムで読んでいたが、間違いなく日本の親米右派系論客が反応するだろうと予測した。この予測は見事に的中し、保守系誌で再三取 り上げられたが、中でも2003年4月号の「諸君!」で岡崎久彦と田久保忠衞の対談で、田久保忠衞がこの「ジャパン・カード」とケイトー研究所のテッド・ カーペンターの見解に言及し、北朝鮮への交渉のカードとして言及されただけにも関わらず、米国発の核武装容認論として都合良く解釈し「真っ当な議論の始ま り」と評価している。

 米国のイラク戦争指示の立場から、一貫してイラクへの自衛隊派遣を主導してきた日本の親米右派勢力が小泉政権と強く結束し、世論を形成したのがイラク日本人人質事件である。

 ■世論を変えた自己責任論

 共同通信社が4月9、10両日に実施した全国緊急電話世論調査によると、イラク
日本人人質事件で政府が犯行グループの要求した自衛隊撤退に応じない方針を表明したことに対して、「支持しない」と答えた人が45・2%で、「支持する」の43・5%をわずかに上回っていた(調査結果の詳細は下記参照)。

 この結果を受け、共同通信では『撤退せずに不支持45% 支持43%を上回る』とする見出しで配信したが、この記事を掲載した4月11日付け産経新聞の 見出しは『イラク邦人人質事件 自衛隊撤退せず「支持する」43% 共同通信世論調査』である。共同通信の記事をそのまま掲載したにも関わらず、見出しを 産経なりに都合良くアレンジしたようだ。

 共同通信社は日本人三人の解放を受けて4月16、17日に再度全国緊急電話世論調査を実施しているが、事件解決に向けた政府の取り組みを「評価する」と 答えた人が68・4%で、「評価しない」の22・1%を大きく上回った。自衛隊撤退を政府が拒否したことについては、61・3%が「妥当だった」と回答、 「妥当ではなかった」は8・8%にとどまった。イラクへの自衛隊派遣に関しては、賛成が53・2%、反対は38・2%となり今年1月に陸上自衛隊の派遣が 始まって以来の調査で初めて半数を超えた(調査結果の詳細は下記参照)。

 この世論の変化は、人質家族の感情的に自衛隊撤退を訴えかける姿勢が政治的すぎたために好感を得られなかったことと、小泉首相自らも含めた政府高官と保 守系メディアが揃って連呼した「自己責任論」、さらに過激な「自業自得論」が問題の本質をすり替えてしまったためと思われる。

 特に自己責任論は、4月9日の時点で早くも小池環境相の「(三人は)無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の 部分が多い」、茂木沖縄相の「危険な地域という自覚のもと、自分でも安全確保に努めてほしい」などの発言(4月9日午前の閣議後の記者会見)が登場し、4 月12日には外務省の竹内行夫事務次官が「外務省は今年に入ってイラクからの退避勧告を13回出している。是非これに従ってほしい。その点はNGOも同様 だ」と強調し、「NGOの役割を重視し、協力関係もあるが、安全・生命の問題となると、自己責任の原則を自覚して、自らの安全を自ら守ることを改めて考え て頂きたい」と発言している。

 この政府の対応に連動するかのように産経新聞の人気コラムである「産経抄」が「自己責任論」を再三取り上げ始め一大キャンペーンを繰り広げた(詳細は下記参照)。また日本政府の対応と照らし合わせると密接に連動していることもわかる。

 特に圧巻は4月16日の産経抄である。『十五日もある新聞は「人質の家族/これ以上苦しめるな」と題した社説を掲げた。家族の元には"嫌がらせや中傷" の手紙や電話がどっと舞いこんでいるからだという。しかしそらぞらしいというか、見当違いというか、おかしな社説である。』と書いている。この「十五日の ある新聞」とは朝日新聞のことであり、産経と朝日の因縁の対決が再燃したのである。そして、茶化すような書き方がネオコンのコラムとそっくりで、思わず苦 笑してしまう。

 また4月17日の産経抄では今ホットな話題となっている人質救出に関わる費用に関して、「すべて国民の税金でまかなっては納税者は納得しないだろう。山 岳遭難と同じく自己責任のはずだからだ。」と書いている。確かに冒険気分でイラクに向かう無謀な若者も後を絶たないようだが、今回の人質三人を山岳遭難と 同列に扱う大人気なさを見せつけた。

 さらに4月13日の産経抄では『「個」と「公」のけじめの欠如を、そのまま情緒的にたれ流している報道にもある』と批判し、『「個」がとるべき自己責任 をそっちのけにし、「公」が下した政治的決断をひっくり返せばどういうことになるか。それより何よりテロリストの脅しに屈すれば、日本の国際的声価や国際 社会の一員としての責任はどうなるか。そういうことへの思考が全く欠落している。』と書いている。

 しかし、そもそもイラク戦争の賛否を巡って国際社会はもとより当事者である米国ですら意見が割れている中で、メディアが被害にあっている民間人に対して 公の下した決定に従うべきだと論評したことは、ネオコン・コラムニストの記事でも見たことがない。もしどうしてもメディアの立場でこうした見解を掲載する のであれば、ネオコン・コラムニスト同様に署名記事にすべきである。この点で『「個」と「公」のけじめの欠如』は産経新聞自体にもあてはまるのではないだ ろうか。

 4月12日に公開された手紙で高遠さんの母の京子さんが「日本国民の皆様に多大な御心配、御迷惑をおかけしている事を先(ま)づおわび申し上げます」と 謝罪し、上京中の家族の発言について「会見での感情的な発言等にはどうぞ寛大な心でお許しください」とわびている。

 産経新聞を中心とする保守系メディアが打ち鳴らすネオコン式ドラムの音にかき消されて、この母親の声は残念ながら日本の世論に届かなかったようだ。この現実に対して危機感を持って受け止める必要がある。

 ■産経グループが目指すマードックのビジネスモデル?

 産経抄に典型的に見られる産経グループの翼賛的な報道姿勢は、マードックが得意とするビジネスモデルと共通点が見られる。このマードック流ビジネスモデ ルはこれまで本国オーストラリアを皮切りに、英国で実践され、同時多発テロ以降には米国でもブッシュ政権と緊密な関係を築き、「FOXニューズ・チャンネ ル」で愛国心を売り物に翼賛的な報道を繰り返し、「FOX(フォックス)効果」をもたらした。

 ただし、米国同様もしくは米国以上に朝日新聞や毎日新聞の購読者を中心とする都市部の高学歴層に見られるリベラル・バイアス(リベラル寄りの偏向・偏見 報道)が根強く残る日本で「日本版FOX効果」がどこまで成功につながるか疑問が残る。しかし、戦後、米国によって刷り込まれたリベラル・バイアスに果敢 に挑戦する産経グループの姿勢に大きな関心を寄せるべきだろう。

 この大衆迎合的なマードックの手法に立ち向かう有効な手法は、英国や米国でも見出せていない。そして、産経グループの挑戦がどういう集団によって阻まれ るかに関心を寄せていた。そして、早くもその第一弾が米国発で登場する。その発信元はパウエル国務長官である。

 リベラル・バイアスを刷り込んだのも米国であれば、保守系論客に強い影響を与えているのも米国のネオコンである。そして、米国のパウエル等共和党協調派 とネオコンに代表される共和党右派の対立構図が日本にまで波及したことになる。また、これまで日本が極端に右傾化あるいは左傾化した時にメディアを使って 発せられる米国流の介入が行われたと見ていいだろう。

 パウエル国務長官は、JNNの単独インタビューに応じ、この映像は4月16日の毎日系TBSのニュース番組で再三にわたって流された。

 このインタビューの中で人質になった民間人に対する「自己責任」について、「全ての人は危険地域に入るリスクを理解しなければなりません。誰もリスクを 引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。私は日本の国民が進んで、良い目的のために身を呈したことをうれしく思います。日本人は自ら行動し た国民がいることを誇りに思うべきです。また、イラクに自衛隊を派遣したことも誇りに思うべきです。たとえ彼らが危険を冒したために人質になっても、それ を責めてよいわけではありません。私たちには安全回復のため、全力を尽くし、それに深い配慮を払う義務があるのです。彼らは私たちの友人であり、隣人であ り、仲間なのです。」(引用TBSウェブサイト/一部修正)と述べている。

 パウエル発言には、人質になった民間人をイラクに派遣された自衛隊を同列に扱うことで、自国が主導したイラク戦争そのものも肯定する狙いも感じられる。 しかし、戦争そのものに賛成か反対かで大きな違いはあるものの、イスラエルの為に立ち上がった元リベラルのネオコン、人道支援を目的にイラクにいる自衛 隊、そしてNGOに代表される民間人の間には理想主義という面でわずかに共通点があることも事実であろう。自己責任を強調する日本政府や産経抄の主張にこ うした配慮が感じられなかったことは残念でならない。

 ■連鎖するファルージャの惨劇と広島、長崎

 これから書くことは現時点では私自身の仮説にすぎず、今後メディアによる検証を願うべく書いてみたい。

 日本人の多くは、今回の人質事件に関連する報道からファルージャの戦闘のことを知っている。海外メディアもこの人質事件の関連でファルージャ情勢を伝え ていた。つまり同時多発的に起こった人質拘束事件によってファルージャに世界中の目が向けられたのである。おそらくこれが犯行グループ側の目的であり、民 間人を殺害することは考えていなかったと思われる。

 従ってほとんどが一般市民と思われる犯行グループは、ファルージャで行われた米軍による女性や子供を含めた600名(非公式情報)に及ぶ同胞の殺害を食い止め、世界、特に米国市民にファルージャの惨劇を伝えたかったのであろう。

 駐留米軍は、ファルージャでの作戦は武装勢力だけを標的に正確に行われていると主張し、ファルージャで唯一現地に留まるアルジャジーラを「反連合国メ ディア」と呼び、視聴者に放送されてもチャンネルを変えるように呼びかけている。また、駐留米軍はアルジャジーラに対してファルージャから出て行くように 圧力をかけている。

 3月末に民間軍事会社「ブラックウオーター・セキュリティー」の4人が襲撃され、遺体を引きずり回し、橋に宙づりにした事件は、1993年のソマリアで の「悪夢」を米国民に呼び起こさせ、米軍のイラク撤退世論を喚起させる狙いがあったとようだが、逆に米国民を「怒り」の下に団結させ、米軍によるファルー ジャでの大規模な報復を招いた。

 ニューヨーク・タイムズ紙、ワシントン・ポスト紙などの一部メディアは、宙づり遺体写真などを紙面で大きく掲載したが、果たしてファルージャで死んだ子 供達の写真は掲載したのだろうか。果たして、米国民のどれくらいの人にファルージャで行われたことが伝わっているのだろうか。

 かつて原爆投下後の長崎に外国人記者として一番乗りし、原爆放射能の影響を世界に報道しようとしたシカゴ・デイリー・ニュースのジョージ・ウィラー記者 (2002年12月19日死去)は、GHQの検閲によってその原稿を記事にできなかった。ウィラーはNHKの取材に対して『アメリカは歴史を抹殺した。 「歴史の抹殺」、それは最も重い犯罪なのだ』と語っている。

 日本への原爆投下の背景にレイシズム(人種差別主義)が存在していたことは多くの米国の学者が指摘している。そして4月21日、リチャード・マイヤーズ統合参謀本部議長がファルージャを軍事的に対処すべき「ねずみの巣」と発言する。

 大統領選を目前に控え、インディアン虐殺から始まる、広島、長崎、ベトナムに続く新たな「歴史の抹殺」が行われようとしている今、ファルージャの普通の 人々の目の前に「ラスト・サムライ」は現れるのだろうか。おそらく拘束中に犯行グループと人質との間に米国への疑問から仲間意識のようなものが生まれてい たとしても不思議ではない。仮にそうした意識が生じていたら、ラスト・サムライなら黙して理解すると信じたい。

 かつて産経新聞にはラスト・サムライもいたような記憶があるが、今は昔となってしまったのだろうか。裏切り者と罵りながら今にも斬りつけそうな風潮を正す責任も静かに考えてみたい。

 現代版トリックスターが掻き乱したこれまでの世界秩序は、結果としてより強固な世界秩序を生み出す可能性が高い。居心地の悪そうなこの秩序に対抗するに は、ハリウッドのラスト・サムライではなく、インディアン、北欧、イスラム、そして日本などの民話や神話に登場する伝統的トリックスターの復活と共演を待 つしかない。

□引用・参考・資料

Hostages' ordeal stirs tension in Japan
By Peggy Hernandez, Globe Correspondent | April 17, 2004 http://www.boston.com/news/world/articles/2004/04/17
/hostages_ordeal_stirs_tension_in_japan/


The Japan Card
By Charles Krauthammer
Friday, January 3, 2003; Page A19
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn/
A3921-2003Jan2?language=printer


2003年4月号 諸君
反戦反米の旗を掲げる論者たちよ、棍棒と警棒を取り違える勿れ(なかれ)!
岡崎久彦(おかざき ひさひこ)(岡崎研究所所長・博報堂特別顧問)
田久保忠衞(たくぼ ただえ)(杏林大学教授)
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2002/00484/contents/215.htm

・共同通信社の全国緊急電話世論調査結果(4月9、10日実施)

 問8 イラクで日本人三人が、自衛隊の撤退を求める武装グループによって人質に
なりました。政府は、撤退の要求に応じないとの方針を表明しました。あなたは、こ
の政府の方針を支持しますか、それとも支持しませんか。次の中から一つだけお答え
ください。
 支持する       43・5
 支持しない      45・2
 分からない・無回答  11・3

・共同通信社の全国緊急電話世論調査結果(4月16、17日実施)
(数字は%、カッコ内は前回4月9、10両日調査)

 問1 あなたは、小泉内閣を支持しますか、支持しませんか。
 支持する      55・6(48・4)
 支持しない     32・5(39・3)
 分からない・無回答 11・9(12・3)

 問2 (問1で「支持する」と答えた人に聞く)支持する最も大きな理由を、次の
中から一つだけお答えください。
 首相を信頼する     13・6(13・8)
 自公連立内閣だから    6・7(3・5)
 首相に指導力がある    8・7(11・8)
 経済政策に期待できる   1・8(3・6)
 外交に期待できる     4・6(2・2)
 政治改革に期待できる  10・3(11・1)
 税制改革に期待できる   0・7(0・7)
 行政改革に期待できる   5・5(3・7)
※ほかに適当な人がいない 47・0(47・0)
 その他          0・3(0・4)
 分からない・無回答    0・8(2・2)

 問4 イラクで最初に人質となっていた日本人三人が解放されました。あなたは、
事件解決に向けた今回の政府の対応を評価しますか、評価しませんか。
 評価する       68・4
 評価しない      22・1
 分からない・無回答   9・5

 問5 政府が自衛隊撤退の要求を拒否したことについては、どう思いますか。次の
中から一つだけお答えください。
 妥当だったと思う   61・3
 妥当ではなかったと思う 8・8
 どちらともいえない  27・9
 分からない・無回答   2・0

 問6 退避勧告が出ている危険地域に入る日本人に対し、政府は「自らの安全は自
らが責任を持つべきだ」と訴えています。あなたは、こうした日本人の保護について、
今後、どうすべきだと思いますか。次の中から一つだけお答えください。
 法規制など強制的な措置を取るべきだ        27・5
 自己責任の原則で本人に任せるしかない       68・3
 その他        0・5
 分からない・無回答  3・7

 問7 イラクで日本人の死傷者が出るなど不測の事態が起きた場合、あなたは、小
泉首相の政治責任について、どうあるべきだと考えますか。次の中から一つだけお答
えください。
 首相は退陣すべきだと思う            19・7(36・0)
 首相に政治責任はあるが、退陣の必要はないと思う 58・2(48・5)
 首相に政治責任はないと思う           17・1(12・0)
 分からない・無回答                5・0(3・5)

 問8 あなたは今、自衛隊のイラク派遣について、どう思いますか。次の中から一
つだけお答えください。
 賛成だ      53・2(45・0)
 反対だ      38・2(45・8)
 分からない・無回答 8・6(9・2)

 問9 イラクに対する政策について、小泉首相は米国との協調路線を取っています。
日本政府のイラク政策について、あなたは今、どう考えますか。次の中から一つだけ
お答えください。
 米国との協調路線を続けるべきだ   36・6
 米国との協調路線を見直すべきだ   57・1
 分からない・無回答          6・3


外務省竹内事務次官会見記録 (平成16年4月12日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/press/kaiken/jikan/j_0404.html#2

▼産経抄と自己責任

産経抄 (04/10 08:30) http://www.sankei.co.jp/news/040410/morning/column.htm

産経抄 (04/13 08:30) http://www.sankei.co.jp/news/040413/morning/column.htm

産経抄 (04/16 08:30)
http://www.sankei.co.jp/news/040416/morning/column.htm

産経抄 (04/17 08:30)
http://www.sankei.co.jp/news/040417/morning/column.htm

人質の家族――これ以上苦しめるな(朝日新聞社説)
http://www.asahi.com/paper/editorial20040415.html

米国務長官「無事解放とてもうれしい」
http://news.tbs.co.jp/20040416/headline/tbs_headline944100.html

Colin L. Powell On Release of Japanese Hostages
Friday, 16 April 2004, 1:40 pm
Press Release: US State Department
http://www.scoop.co.nz/mason/stories/WO0404/S00167.htm

Photos from Falluja
米軍によるファルージャ包囲で犠牲となった子供たちの遺体の写真
※見たくない方はクリックしないで下さい。
http://english.aljazeera.net/NR/exeres/8CB7C17E-F69E-
48A2-8034-DEA425192815.htm


Fallujah a rat's nest: US general http://www.news.com.au/common/story_page/0,4057,9344981%255E1702,00.html

US warns of new Falluja offensive http://news.bbc.co.uk/2/hi/middle_east/3644565.stm
2004年04月21日(水)ファルージャ ジョー・ウィルディング

長くなってしまいます。お許し下さい。でも、どうか、どうかこれを読んで下さい。そして、できるだけ多くの人に広めて下さい。ファルージャで起きていることの真実を明るみに出す必要があるのです。ハムーディ、私の思いはあなたとともにあります。

ファルージャ東部の高速道路で、トラックや石油タンカー、戦車が燃えていた。少年と男たちの流れが、燃えていないローリーを行き来して、ローリーを裸にし ていた。私たちは、アブ・グライブ経由の裏道にまわり、持ち物をあまり持たない人々で一杯の自動車が逆方向へ向かうのにすれ違いながら、道沿いにできた急 ごしらえの軽食スタンドを通り過ぎた。ヌハとアフラルはアラビア語で歌っていた。スタンドの少年は、バスの窓から、私たちと、そして今もファルージャにい る人々に、食べ物を投げ込んでいた。

バスは、ファルージャの導師の甥が運転する車の後について進んでいた。彼はまた、ムジャヒディーンと接触がある私たちのガイドでもあり、今回のことについ てムジャヒディーンと話をつけていた。私がこのバスに乗っていた理由は、と言えば、知人のジャーナリストが夜11時に私のところに来て、ファルージャの状 況は絶望的であり、手足が吹き飛ばされた子どもをファルージャから運び出していたと語ったことにある。また、米軍兵士たちは、人々に、夕暮れまでにファ ルージャを離れよ、さもなくば殺すと言っていた、と。けれども、人々が運べるものをかき集めて逃げ出そうとすると、町はずれにある米軍の検問所で止めら れ、町を出ることを許されず、ファルージャに閉じ込められたままで、日が沈むのを人々は見ていたと、彼が私に語ったことに。

彼はまた、援助車両とメディアもファルージャに入る前に引き返させられたと私に説明した。医療援助をファルージャに運び入れる必要があり、外国人、西洋人 がいると、米国の検問を通過してファルージャに入ることができるチャンスは大きいと。その後の道は、武装グループにより守られているとのことだった。そこ で私たちは医薬品を持ち込み、他に何か手伝えることはないか調べて、帰りにはバスでファルージャを離れる必要がある人たちを乗せていこうと考えていた。

どうやって決意したか、自分自身で何を思い、お互いに何を聞いたかについては想像にお任せしよう。私の決断を狂気と言うのも結構。けれども、そのとき思っ たのは次のようなことだった:もし私がしないならば、誰がするのだろう? いずれにせよ、私たちは何とか無事到着した。

到着後、私たちは物資をバスから降ろした。荷箱はすぐに引きちぎるように開かれた。最も歓迎されたのは毛布だった。そこは病院と呼べるものではなく、ただ の診療所だった。米軍の空襲でファルージャの大病院が破壊されてから、ただで人々を診療している個人医の診療所だった。もう一軒の診療所は、ガレージに臨 時で作られたものだった。麻酔薬はなかった。血液バッグは飲み物用の冷蔵庫に入っており、医者たちは、それを非衛生的なトイレのお湯の蛇口の下で暖めてい た。

女性たちが叫び声をあげながら入ってきた。胸や顔を手のひらでたたき、祈りながら。ウンミ、お母さん、と一人が叫んでいた。私は彼女を抱きかかえていた。 それから、コンサルタント兼診療所の所長代理マキが私をベッドのところに連れていった。そこには、頭に銃による怪我を負った10歳くらいの子どもが横に なっていた。隣のベッドでは、もっと小さな子どもが、同じような怪我で治療を受けていた。米軍の狙撃兵が、この子どもたちとその祖母とを撃ったのである。 一緒にファルージャから逃れようとしたところを。

明かりが消えた。換気扇も止まり、急に静かになった。その中で、誰かがライターの炎を付けた。医者が手術を続けられるように。町の電気は何日も前から止 まっており、発電器の石油が切れたときには、石油を入手するまで、とにかく何とかしなくてはならない状況だった。デーブがすぐに懐中電灯を渡した。二人の 子どもたちが生き延びることはなさそうだった。

「こちらへ」。マキが言って、私を一人、ある部屋に案内した。そこには、お腹に受けた銃の傷を縫い上げたばかりの、年老いた女性がいた。足のもう一カ所の 傷には包帯がまかれていたが、彼女が乗っているベッドには血が染み込んでいた。彼女は白旗を今も手に握りしめていた。彼女の話も、同じである。「私が米軍 の狙撃兵に撃たれたのは、家を出てバグダッドに向かおうとしているときでした」。街の一部は米軍海兵隊に制圧されている。別の一部は地元の戦士たちが統制 している。彼女たちの家は、米軍が制圧した地域にある。彼女たちは、狙撃兵が米国海兵隊兵士であるという固い確信を持っている。

米軍の狙撃兵たちは、ただ大虐殺を進めているだけではない。救急車と救助活動も麻痺させている。ファルージャ最大の病院が爆破されたあと残った次に大きな 病院は米軍が制圧する地域にあり、狙撃兵たちによって診療所から遮断されている。救急車は、銃弾による損傷を受けて、これまでに4回、修理された。路上に は遺体が転がったまま。遺体を取り戻しに道に出ると狙撃されるので、誰も遺体を取り戻すことができない。

イラクに行くなんて、私たちは狂っている、と言った人たちがいた。ファルージャに行くのは、完全に正気の沙汰じゃない、と多くの人たちが言った。そして 今、ファルージャでは、ピックアップ・バンの後ろに乗って狙撃兵のところを通り、病いや怪我で倒れた人たちを車で連れてくるなんてことは、これまで見たこ ともないほど狂ったことだと私に向かって言っていた。私だって、それは分かっている。けれど、私たちがしなければ、誰もしないだろう。

彼は、赤三日月[イスラム世界の赤十字にあたる]のマークのついた白旗を手にしていた。私は彼の名前を知らない。運転手が、我々がどこに行こうとしている か通りがかりの人々に告げたとき、皆、私たちに手を振った。ムジャヒディーンの地区のはずれにあるピックアップが最後の角から見えなくなり、次の壁の向こ う側からは海兵隊の制圧地になる、そのはざまの地帯は、すさまじいまでの沈黙が支配していた。鳥も音楽もなく、誰一人生きている者の兆しはなかった。その とき、反対側にある一つの門が開いて、一人の女性が出てきた。彼女はある場所を指さした。

私たちは壁に空いた穴まで壁沿いに歩いた。そこから車が見えた。まわりに迫撃砲の跡があった。側溝には、交差した足が見えた。彼は既に死んでいると思っ た。狙撃兵の姿も目に入った。二人が建物の角にいたのである。狙撃兵たちにはまだ私たちの姿が見えないと思ったので、私たちの存在を知らせる必要があっ た。

「ハロー」。できるだけ大声で、私は叫んだ。「聞こえますか?」 聞こえたはずである。私たちから30メートル位しか離れていない所にいたのだから── もっと近かったかも知れない。そして、蠅の飛ぶ音が聞こえていた。何度か繰り返し叫んだが、返事はなかったので、自分についてもう少し説明することにし た。

「私たちは医療団だ。この怪我をした男性を運びたい。出ていって彼を運んでいいか?OKだというサインを出してもらえるか?」

私の声は、確実に聞こえたはずであるが、彼らはそれでも応えなかった。まったく私の言葉が分からなかったのかも知れない。そこで、私は同じ言葉を繰り返し た。デーブも、アメリカ英語のアクセントで同じように叫んだ。それから、再び私が。ようやく、叫び声が返ってきたように思えた。確かではなかったので、も う一度呼びかけた。

「ハロー」
「ヤー」
「出ていって彼を運び出していいか?」
「ヤー」

ゆっくりと、両手を上に上げて、私たちは出ていった。それにあわせたかのように現れた黒い雲は、熱いすえたような臭いを運んできた。彼の足は硬直してい て、重かった。私は足をレナーンド・デーブに任せた。ガイドは腰を持ち上げていた。粘ついた血によって、カラシニコフが彼の髪の毛と手にくっついていた。 カラシニコフは御免だったので、私はその上に足をかけ、彼の方を持ち上げた。背中の穴から血が流れ出た。私たちは彼を持ち上げてピックアップまで運び、蠅 を追い払おうとした。

彼はサンダルを履いていたのではないかと思う。というのも、そのとき彼は裸足だったから。20歳になっていない感じで、偽のナイキのズボンをはき、大きく 28という背番号のついた青と黒の縞模様のサッカーシャツを着ていた。診療所で、この若い戦士をピックアップから降ろしたとき、黄色い液体が彼の口から流 れ出た。人々は彼の顔を上向きにしてクリニックに連れて入り、臨時の死体安置所にすぐに運び込んだ。

私たちは、手に着いた血を洗い、救急車に乗った。別の病院に閉じ込められた人々がいた。これらの人々はバグダッドに行く必要があった。サイレンをならし、 ライトを点滅させながら、私たちは救急車の床に座って、パスポートとIDカードを窓から外に向けて見せていた。私たちは救急車に人々を詰め込んだ。一人は 胸の傷をテープで貼り合わせ、もう一人は担架に乗せて。足がひどく痙攣していたので、彼を運んでステップを昇るとき、私は足を押さえていなくてはならな かった。

診療所よりも病院の方がこうした怪我人を治療するのに有利だが、病院には適切な手当をするに十分な物資が何もなかった。怪我人をバグダッドに運ぶ唯一の方 法は、私たちが乗ってきたバスで連れ出すことだが、そのためには、診療所に怪我人を連れて行かなくてはならなかった。私たちは、撃たれたときのために、救 急車の床にすし詰めになって乗った。私と同年代の女性医師ニスリーンは、私たちが救急車から降りたとき、涙をこらえきれなかった。

医者が走り出してきて、私に言った:「女性を一人連れてきてくれないだろうか? 彼女は妊娠しており、早産しかけている」。

アッザムが運転した。アフメドが彼と私の間に座って道を指示した。私は外国人として、私自身とパスポートが外から見えるように、窓側に座った。私の手のと ころで何かが飛び散った。救急車に銃弾が当たったと同時だった。プラスチックの部品が剥がれ、窓を抜けて飛んでいった。

私たちは車を止め、サイレンを止めた。青いライトはそのままにしておいて、待った。目は、建物の角にいる米軍海兵隊の軍服を着た男たちの影に向けていた。 何発かが発砲された。私たちは、できるだけ低く身を伏せた。小さな赤い光が窓と私の頭をすり抜けていくのが見えた。救急車に当たった銃弾もあった。私は歌 い出した。誰かが自分に向かって発砲しているとき、他に何ができるだろう? 大きな音を立ててタイヤが破裂し、車がガクンと揺れた。

心底、頭に来ていた。私たちは、何の医療処置もなく、電気もないところで子供を産もうとしている女性のところに行こうとしていたのだ。封鎖された街の中で、はっきり救急車であることを表示しながら。海兵隊は、それに向かって発砲しているのだ。
一体、何のために?

一体、何のために?

アッザムはギヤを握り、救急車を逆行させた。道の真ん中の分離帯を超えるとき、もう一つのタイヤが破裂した。角を曲がったときにも、銃弾が私たちに向けて発砲されていた。私は歌い続けていた。車輪はキーキーと音をたて、ゴムは路上に焼き付いた。

診療所に戻ると、人々が担架に駆けつけたが、私は頭を振った。彼らは新たについた弾痕に目をとめ、私たちが大丈夫かどうか寄ってきた。彼女の所に行く他の 方法は無いのか、知りたかった。ラ、マーク・タリエク。他に方法はない。私たちは正しいことをしたんだ、と彼らは言った。これまでにも4回救急車を修理し たのだから、今度もまた修理するさ、と。けれどもラジエータは壊れ、タイヤもひん曲がって、そして彼女は今も暗闇の中、一人っきりで、自分の家にいて、出 産しようとしている。私は彼女の期待に背いてしまった。

もう一度行くわけにはいかなかった。救急車がなかったし、さらに、既に暗くなっていたので、私の外国人の顔で、同行者や連れ出した人々を守ることも出来な い状況だった。その場所の所長代理はマキだった。彼は、自分はサダムを憎んでいたが、今はアメリカ人の方がもっと憎い、と言った。

向かいの建物の向こう側のどこかで、空が炸裂しはじめた。私たちは青いガウンを脱いだ。数分後、診療所に一台の車が突進してきた。姿を目にする前に、男の 叫び声が耳に入った。彼の体には、皮膚が残っていなかった。頭から足まで焼けただれていた。診療所でできることは何もなかった。彼は、数日のうちに、脱水 で死ぬだろう。

もう一人の男性が車から引き出されて担架に乗せられた。クラスター爆弾だ、と医者たちは言った。この犠牲者だけなのか、二人ともがそうなのかははっきりし なかった。私たちは、ヤセル氏の家に向かって歩き始めた。角ごとに、私たちが横切る前に道をチェックしながら。飛行機から火の玉が落下して、明るい白光を 発する小さな弾へと分かれていった。それがクラスター爆弾だと、私は思った。クラスター爆弾が心に強くあったからだが、これらの光はそのまま消えていっ た。驚くほど明るいがすぐに消えるマグネシウムの炎だった。上から街を見るためのものである。

ヤセルは私たち全員に自己紹介を求めた。私は、弁護士になる準備をしていると述べた。別の一人が、私に、国際法について知っているかどうか尋ねてきた。戦 争犯罪についての法律、何が戦争犯罪を構成するのか、知りたがっていた。私は彼らに、ジュネーブ条約の一部を知っていると述べ、今度来るときには情報を 持ってきて、アラビア語で説明できる人も連れてくると伝えた。

私は菜穂子[高遠氏]のことを話題に出した。目の前にいる戦士たちのグループは日本人捕虜を取っているグループとは無関係だが、人々が、この夕方私たちが したことに感謝している間に、菜穂子がストリート・チルドレンに対してしていたことを説明した。子どもたちが、どれだけ彼女のことを愛していたかも。彼ら は何も約束はできないが、菜穂子がどこにいるか調べて、彼女と他の人質を解放するよう説得を試みると言った。事態がそれで変わるとは思わない。この人たち は、ファルージャでの戦闘に忙しいのだから。他のグループとも無関係なのだから。けれども、試してみて困ることはない。

夜通し、頭上を飛行機が飛んでいたので、私はまどろみの中で長距離フライトの中にいるようだった。無人偵察機の音にジェット機の恐るべき音、そしてヘリコプターの爆音が、爆発音でときおり中断されるという状態だった。

朝、私は、小さな子、アブドゥルやアブーディのために、風船で犬とキリンと象を作った。航空機と爆発の音にも苦しんでいないようだった。私はシャボン玉を 飛ばし、彼はそれを目で追いかけた。ようやく、ようやく、私は少し微笑んだ。13歳の双子も笑った。一人は救急車の運転手で、二人ともカラシニコフ銃を扱 えるとのことだった。

朝、医者たちはやつれて見えた。この一週間、誰一人、2時間以上寝ていない状態だった。一人は、この一週間でたった8時間しか寝ておらず、病院で必要とされていたので、弟と叔母の葬儀にも出られなかった。

「死人を助けることはできない」とジャシムは言った。「私は怪我人の心配をしなくてはならないんだ」。

デーブとラナと私は、今度はピックアップで再び出発した。海兵隊地帯との境界近くに、病気の人がいて、避難させなくてはならない。海兵隊が建物の屋上で見 張っていて、動くものすべてに向かって発砲するので、誰も家から出る勇気はなかった。サードが私たちに白旗を持ってきて、道をチェックして安全を確かめた から心配することはない、ムジャヒディーン側が発砲することはない、我々の側は平和だと伝えた。サードは13歳の子どもで、頭にクーフィーヤをかぶり、明 るい茶色の目を見せて、自分の背丈ほどもあるAK47型銃を抱えていた。

私たちは米軍兵士に向かって再び叫び、赤三日月のマークのついた白旗を揚げた。二人が建物から降りてきた。ラナはつぶやいた:「アッラー・アクバル。誰も彼らを撃ちませんように!」。

私たちは飛び降りて、海兵隊員に、家から病人を連れ出さなくてはならないこと、海兵隊が屋根に乗っていた家からラナに家族を連れ出してもらいたいこと、 13人の女性と子供がまだ中にいて、一つの部屋に、この24時間食べ物も水もないまま閉じ込められていることを説明した。

「我々は、これらの家を全部片付けようとしていたところだ」と年上の方が言った。

「家を片付けるというのは何を意味するのか?」

「一軒一軒に入って武器を探す」。彼は時計をチェックしていた。何がいつ行われるのか、むろん私には告げなかったが、作戦を支援するために空爆が行われることになっていた。「助け出すなら、すぐやった方がよい」。

私たちは、まず、道を行った。白いディッシュダッシャーを来た男性がうつぶせに倒れており、背中に小さなしみがあった。彼のところに駆けつけた。またも や、蠅が先に来ていた。デーブが彼の肩のところに立った。私は膝のところに立ち、彼を転がして担架に乗せたとき、デーブの手が彼の胸の空洞に触れた。背中 を小さく突き抜けた弾丸は、心臓を破裂させ胸から飛び出させていた。

彼の手には武器などなかった。私たちがそこに行って、ようやく、息子たちが出てきて、泣き叫んだ。彼は武器を持っていなかった、と息子たちは叫んだ。彼は 非武装だった。ただ、門のところに出たとき、海兵隊が彼を撃った、と。それから、誰一人外に出る勇気はなかった。誰も、彼の遺体を取り戻すことはできな かった。怯えてしまい、遺体をすぐに手厚く扱う伝統に反せざるを得ない状態だった。私たちが来ることは知らなかったはずなので、誰かが外に出て、あらかじ め武器だけ取り去ったとは考えにくい。殺されたこの男性は武器を持っておらず、55歳で、背中から撃たれていた。

彼の顔を布で覆い、ピックアップまで運んだ。彼の体を覆うためのものは何もなかった。その後、病気の女性を家から助け出した。彼女のそばにいた小さな女の 子たちは、布の袋を抱きしめ、「バーバ、バーバ」と小声でつぶやいていた。ダディー。私たちは震えている彼女らの前を、両手を上に上げて歩き、角を曲がっ て、それから慌ててピックアップに彼女らを導いた。後ろにいるこわばった男性を見せないように、視線を遮りながら。

私たちが、銃火の中を安全に人々をエスコートするのではないかと期待して、人々が家からあふれ出てきた。子どもも、女性も、男性も、全員行くことができる のか、それとも女性と子どもだけなのか、心配そうに私たちに尋ねた。私たちは、海兵隊に訊いた。若い海兵隊員が、戦闘年齢の男性は立ち去ることを禁ずると 述べた。戦闘年齢? 一体いくつのことか知りたかった。海兵隊員は、少し考えたあと、45歳より下は全員、と言った。下限はなかった。

ここにいる男性が全員、破壊されつつある街に閉じ込められる事態は、ぞっとするものだった。彼らの全員が戦士であるわけではなく、武装しているわけでもな い。こんな事態が、世界の目から隠されて、メディアの目から隠されて進められている。ファルージャのメディアのほとんどは海兵隊に「軍属」しているか、 ファルージャの郊外で追い返されているからである[そして、単に意図的に伝えないことを選んでいるから]。私たちがメッセージを伝える前に、爆発が二度あ り、道にいた人々は再び家に駆け込んだ。

ラナは、海兵隊員と一緒に、海兵隊が占拠している家から家族を撤退させようとしていた。ピックアップはまだ戻ってきていなかった。家族は壁の後ろに隠れて いた。私たちは、ただ待っていた。ほかにできることはなかった。無人の地で、ただ待っていた。少なくとも海兵隊は、双眼鏡で私たちを観察していた。恐らく は地元の戦士たちも。

私はポケットに、手品用のハンカチを持っていたので、レモンのように座ってどこにも行けず、まわり銃で発砲と爆発が起きている中、ハンカチを出したり隠し たりしていた。いつでも、まったく脅威ではないように、そして心配していないように見えることが大切だ、と私は考えた。誰も気にして撃とうなどと考えない ように。けれども、あまり長く待つわけにもいかなかった。ラナは随分長いこといなかった。ラナのところに行って急かさなくてはならなかった。グループの中 に若者が一人いた。ラナは海兵隊に、彼も一緒に立ち去ることができるよう交渉していた。

一人の男性は、人々の一部──あまり歩けない年寄り二人と一番小さな子ども──を運ぶために自分の警察用車を使いたがった。その車にはドアがなかった。そ れが本当に警察の車なのか、収奪されてそこに放置されたものか、誰も知らなかった。それでより沢山の人をより早く運べるかどうかは問題ではなかった。人々 は家からゆっくりと出てきて壁のそばに集まり、両手をあげて、私たちの後ろについて、赤ん坊とバッグとお互いをしっかりつかみながら、道を歩いた。

ピックアップが戻ってきたので、できるだけ多くの人を乗せていたときに、どこからか救急車がやってきた。一人の若者が家の残骸のドアのところから手を振っ ていた。上半身裸で、腕には血で膨れた包帯を巻いていた。恐らくは戦士であろうが、怪我をして非武装のとき、戦士かどうかは関係ない。死者を運ぶことは最 重要ではなかった。医者が言ったように、死者は助けを必要としない。運ぶのが簡単だったら、運ぶだろう。海兵隊と話が付いており、救急車が来ていたので、 私たちは死体を運び込むためにもう一度急いで道を戻った。イスラムでは、遺体をすぐに埋葬することが重要である。

救急車が私たちの後を付いてきた。海兵隊兵士たちが救急車を止まらせるよう、銃口を向け、私たちに英語で叫んだ。救急車は速い速度で動いていた。救急車を 止めようとして皆が叫んでいたが、運転手が私たちの声を聞くのに永遠の時間を要したような気がした。救急車は停止した。兵士たちが発砲する前に。私たちは 遺体を担架に乗せ走って、後部に押し込んだ。ラナが前の座席の怪我人の横に滑り込み、デーブと私は後部の遺体の横に乗った。デーブは、子供の頃アレルギー があって、あまり鼻が利かない、と言った。今になって、私は子供の頃アレルギーだったらと思いながら、顔を窓の外に出していた。

バスが出発しようとしていた。バグダッドに連れていく怪我人を乗せて。やけどした男性、顎と肩を狙撃兵に撃たれた女性の一人、その他数人。ラナは、手助け をするために自分は残ると言った。デーブと私も躊躇しなかった:私たちも残る。「そうしなければ、誰が残るだろう?」というのが、そのときのモット-だっ た。最後の襲撃の後、どれだけの人々が、どれだけの女性と子供が、家の中に残されただろう? 行く場所がないから、ドアの外に出るのが怖いから、留まるこ とを選んだから......。私はこのことを強く考えていた。

最初、私たちの意見は一致していたが、アッザムが、私たちに立ち去るべきだと言った。彼も、全ての武装グループとコンタクトをとっているわけではない。コ ンタクトがあるのは一部とだけである。各グループそれぞれについて、話をつけるために別々の問題がある。私たちは、怪我人をできるだけ早くバグダッドに連 れて行かなくてはならなかった。私たちが誘拐されたり殺されたりすると、問題はもっと大きくなるので、バスに乗って今はファルージャを去り、できるだけ早 くアッザムと一緒に戻ってきた方が良い。

医者たちが、私たちに別の人々をまた避難させに行ってくれとお願いしてきたときにバスに乗るのは辛いことだった。資格を持った医師が救急車で街を回ること ができない一方、私は、狙撃兵の姉妹や友人に見えるというだけで街を回ることができるという事実は、忌々しいものだった。けれども、それが今日の状況で、 昨日もそういう状況で、私はファルージャを立ち去るにあたり裏切り者のように感じていたけれど、チャンスを使えるかどうかもわからなかった。

ヤスミンは怯えていた。彼はモハメドにずっと話し続け、モハメドを運転席から引っぱり出そうとしていた。銃弾の傷を受けた女性は後部座席に、やけどをした 男性はその前に座り、空箱のダンボール紙を団扇にして風をあててもらっていた。熱かった。彼にとっては耐え難かっただろう。

サードがバスの所に来て、旅の無事を祈った。彼はデーブに握手してから私と握手した。私は両手で彼の手を握り、「ディル・バラク」、無事で、と告げた。 AK47をもう一方の手に持った13歳にもならないムジャヒディーンにこれ以上馬鹿げた言葉はなかったかも知れない。目と目があって、しばらく見つめ合っ た。彼の目は、炎と恐怖で一杯だった。

彼を連れていくことは出来ないのだろうか? 彼が子供でいられるようなどこかに連れていくことは、できないのだろうか? 風船のキリンをあげて、色鉛筆を プレゼントし、歯磨きを忘れないように、ということは? この小さな少年の手にライフルを取らしめた人物を捜し出せないだろうか? 子どもにとってそれが どんなことか誰かに伝えられないだろうか? まわり中、重武装した男だらけで、しかもその多くが味方ではないようなこの場所に、彼を置いて行かなくてはな らないのだろうか? もちろん、そうなのだ。私は彼を置いて行かなくてはならない。世界中の子ども兵士と同じように。

帰路は緊張したものだった。バスは砂の窪地にはまりかけ、人々はあらゆるものを使ってファルージャから逃げ出していた。トラクターのトレーラの上にさえ、 人がぎっしりで、車は列をなし、ピックアップとバスが、人々を、バグダッドという曖昧な避難場所へと連れて言っていた。車に乗って列をなした男たちが、家 族を安全な場所に連れ出したあと、ファルージャに戻るために並んでいた。戦うか、あるいはさらに多くの人々を避難させるために。運転手は、アッザムを無視 して別の道を選んだ。そのため、私たちは先導車の後ではなくなり、私たちが知っているのとは別の武装グループが制圧する道を通ることとなった。

一群の男たちが銃を振ってバスに止まれと命じた。どうやら、彼らは、米軍兵士が、戦車やヘリにいるのではなく、バスに乗っていると考えていたらしい。別の 男たちが車から降りて、「サハファ・アムレーキ?」アメリカ人ジャーナリスト?と叫んだ。バスに乗っていた人たちが、窓から「アナ・ミン・ファルージャ」 私はファルージャから来た、と叫び返した。銃を持った男たちはバスに乗り込み、それが本当だということを確認した。病人と怪我人、老人たち......イラク人。 彼らは安心して、手を振って我々を通した。

アル・グライブで一端停止し、座席を変えた。外国人を前に、イラク人を見えにくいようにし、私たちは西洋人に見えるように頭のスカーフをとった。米軍兵士 たちは西洋人を見て満足する。兵士たちは西洋人と一緒にいるイラク人についてはあまり気にしなかった。兵士たちは男とバスのチェックをしたが、女性兵士が いなかったので女性はチェックされなかった。モハメドは、大丈夫だろうかと私にずっと訊いていた。

「アル-メラーチ・ウィヤナ」と私は彼に言った。天使は私たちの中にいる。彼は笑った。

それからバグダッドについて、彼らを病院に連れていった。うめき声をあげて泣いていたやけどの男をスタッフが降ろしたとき、ヌハは涙を流していた。彼女は 私に手を回し、友達になってと言った。私がいると、彼女は孤独が和らぎ、ひとりぼっちではなく感じる、と。

衛星放送ニュースでは、停戦が継続していると伝えており、ジョージ・ブッシュは、兵士たちはイースターの日曜休暇中で、「私はイラクで我々がやっているこ とが正しいと知っている」とのたまっていた。自宅の前で非武装の人間を後ろから射殺する、というのが正しいというわけだ。

白旗を手にした老母たちを射殺することが正しい? 家から逃げ出そうとしている女性や子供を射殺することが正しい? 救急車をねらい撃ちすることが、正しい?

ジョージよ。私も今となってはわかる。あなたが人々にかくも残虐な行為を加えて、失うものが何もなくなるまでにすることが、どのようなものか、私は知って いる。病院が破壊され狙撃兵が狙っており街が封鎖され援助が届かない中で、麻酔なしで手術することが、どのようなものか、私は知っている。それがどのよう に聞こえるかも、知っている。救急車に乗っているにもかかわらず、追跡弾が頭をかすめるのがどのようなことかも、私は知っている。胸の中が無くなってし まった男がどのようなものか、どんな臭いがするか、そして、妻と子供たちが家からその男の所に飛び出してくるシーンがどんなものか、私は知っている。

これは犯罪である。そして、私たち皆にとっての恥辱である。

翻訳:益岡 賢

[訳者より]4月15日

※ジョー・ウィルディングさんは、イラクの子どもたちにサーカスを見せようという活動をしている外国人のグループ(アーティストと活動家の集まり)である、「Circus2Iraq」というグループのメンバーです。
http://www.wildfirejo.org.uk/ http://www.wildfirejo.blogspot.com/
(上記にはジョーさんによる他の記事もあり)

大急ぎで訳したので、細かいタイポや誤訳があるかと思いますが、ご容赦下さい。

ここで描かれている出来事は、「停戦」下でのものです。米軍は「停戦」と称して空爆や大規模攻撃こそ止めましたが、狙撃兵による狙撃と攻撃は続けています。そして、今、空爆を再開するとの情報が入ってきました。

バグダッド近郊で4人の米国人の遺体が見つかったというニュースがでかでかと新聞に出ています。ファルージャでは600人もの人々が殺されています。子供の犠牲者は100人以上。これらの報道が大見出しになることは、あるのでしょうか。

2004年04月12日(月)萬晩報通信員  成田 好三

 この国ではいつも、何か事がある度に、『超法規的措置』によって、問題を決着させてしまう。問題を解決させるのではない。問題の本質をえぐりだし、最終 的な解決に至らせようとはしない。問題は常に先送りされ続ける。1990年代の『失われた10年』にしても、そうだった。

 韓国発祥の格闘技であるテコンドーの、競技団体分裂によるアテネ五輪代表選手派遣問題とその決着への経緯は、問題を解決させるのではなく、決着させるだけの、この国の問題先送り体質を顕著に示す例になった。

 シドニー五輪銅メダリスト・岡本依子選手の五輪派遣問題で、日本オリンピック委員会(JOC)は4月5日、岡本選手を個人資格でエントリーする方針を決 めた。「五輪憲章は、国内競技連盟(NF)が存在しない場合、例外として個人エントリーを認めており、JOCの竹田恒和会長は、未承認の2団体が対立して いる日本には競技団体が存在しないと解釈した」と4月6日付毎日新聞は報じている。

 対立する2団体の統一なしには五輪に選手を派遣しないという立場を取ってきたJOCは、4月1日の記者会見でも、「国内には競技団体があり、個人資格で のエントリーは五輪憲章違反になる」との見解を示し、2団体に対し統合するか解散するかの判断を求めていた。JOCの決定は、『超法規的措置』によって岡 本選手の五輪派遣を認めただけで、問題の本質に対する解決策を先送りにしただけである。

テコンドーの五輪派遣をめぐっては、2つの本質的問題がある。1つは競技団体と選手との関係の『倒立性』であり、もう1つは政治家と競技団体との『相互依存性』である。いずれも、日本のスポーツ界が抱える本質的かつ根源的な問題である。

 スポーツは誰のためにあるのか。第一義的には選手本人のためにある。第二義的には選手のパフォーマンスに喜びを見いだすファンのためにある。競技団体は選手をサポートし、ファンとの関係を仲立ちするためにある。

 こんな当たり前の関係が、この国では成立していない。選手と競技団体との関係が倒立している。競技団体とその役員は、選手の上に立って指導する立場であると考えられている。競技団体の中では、選手は個人としては、あるいは一人格としては、ほとんど無視された存在である。

 競技団体の意思決定は理事会で行われる。しかし、日本では現役選手の理事枠をもつ競技団体など聞いたことがない。日本陸連や日本水連にしても、現役選手の理事はいない。選手をサポートするために存在する競技団体の意思は、選手とは無関係に決定されている。

 この倒立した関係の最たるものが、テコンドーの岡本選手と、分裂したまま抗争を続ける2つの競技団体である。彼らは何のために、誰のために競技団体は存 在するかという、最も大事な前提を無視したまま対立している。2002年9月の釜山アジア大会への選手派遣は、団体間の抗争によって見送られた。

 スポーツ関係者の間では、「選手は競技団体の『財産』である」という言い方がよく使われる。この言い方とその元になる考え方自体に問題がある。選手は財 産ではなく、競技団体の主体でなければならない。選手を競技団体の財産だと考えたとしても、彼らは貴重な財産をよってたかって食いつぶしている。五輪銅メ ダリストの岡本選手は、マイナー競技であるテコンドーにとって、この国での競技の普及・発展を図るための、ほとんど唯一の財産である。

 競技団体はまた、政治家との相互依存性を強くもっている。テコンドーは全日本協会と日本連合に分裂している。このうち多数派である全日本協会の会長に は、衛藤征士郎代議士(自民)が就いている。衛藤氏は、五輪代表派遣の決定権をもつJOCを所管する文部科学省の河村建夫大臣に対して、競技団体分裂問題 とは関係なく岡本選手を五輪に派遣するよう要請している。

 この要請は、河村大臣から、「岡本選手の派遣と組織一本化は切り離すべきだ」との発言を引きだした。この大臣発言がJOCの方針変更に大きく影響したことは明らかである。衛藤氏の政治力がJOCの『超法規的措置』を引き出した。

 テコンドーに限らず、この国の競技団体の多くは、政治家を会長職に就けている。中央の団体なら国会議員、地方の団体なら県議や自治体の首長である。政治家を会長職に就けない競技団体は例外的でさえある。政治家と競技団体との関係は長く、そして根深いものがある。

 政治家は、競技団体とそこに所属する現役・引退選手の知名度と、上の立場にある者の命令には逆らわない『上意下達』的組織を最大限、選挙に利用する。各 種選挙において、競技団体は、保守系政治家の『集票マシーン』になる。建設業界や農協組織など従来の集票マシーンが解体状況に陥った現在では、競技団体は 政治家にとって、それぞれの婦人部組織とともに、より重要な集票機能を果たす存在になっている。

 競技団体はまた、政治家に対し、補助金など公的支援や大会運営に関する仲介、便宜を期待する。公的支援なしには競技は運営できない。大会運営や選手の育 成・強化にも国と地方公共団体の支援が必要である。どの競技団体でも、役員の中には政治家との『パイプ』役が存在する。そして、彼らが政治家との付き合い を通して競技団体の実権を握ることになる。

 テコンドーの五輪代表選手派遣問題では、国会議員である衛藤氏は、文部科学大臣を通してJOCに圧力をかけるのではなく、分裂した組織の統一に彼の政治力を使うべきだった。しかし、衛藤氏は本来とは違う目的のために政治力を使ったのである。

 この国のスポーツ界は、選手と競技団体・役員との関係の倒立性、そして競技団体と政治家との相互依存性を正さない限りは、本来の主役である選手とファンのために存在する、透明性をもった組織に生まれ変わることはできない。(2004年4月11日記)

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 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年04月11日(日)平岩 優(エディター/ライター)

 萬晩報がスタートしたばかりの頃に、主宰者の伴さんはコラム「租税特別措置法で二倍払わされているガソリン税」(98年2月11号)の中で「いまの日本 には「暫定的」に導入され、そのままになっている制度があまりにも多い」と書き、日本を「臨時・暫定・特定国家」と難じている。

 このところの軍備・自衛隊をめぐっても、この「当分の間の措置のための便利な法律」が強引につくられている。米軍のアフガン攻撃支援のための「テロ対策 特別措置法」しかり、自衛隊をイラクに派遣するための「イラク復興支援特別措置法」もそうだ。時々の政府はりっぱに軍隊であるものを違うといったり、憲法 解釈をめぐって前文がどうだとか、アクロバットのように身をかわしねじ曲げ、戦後60年近く憲法第九条に違反するとの批判をかわしてきた。しかし、そろそ ろ糊塗するには憲法と施策の溝が大きくなりすぎたのではないか。

 この後には有事関連法案も控えているし、国民の前に明らかにしてこなかって事実やねじ曲げた憲法解釈を軸に外側からいろいろな法律をその場しのぎにぺた ぺた貼りつけていくと、私のように法律に暗い人間には、何がなんだか解らなくなってくる。それに、このままでは国民自らが権利を行使し、義務を担っていく はずである、憲法にうたわれた主権在民の宣言が空文化する。

 自衛隊のイラク派遣に反対した野党の民主党あたりが提案し、憲法第九条の是非を国民に問い、改正か否か国民投票を行ってもよいのではないだろうか。

 2年前に亡くなった在野の政治学者、萩原延壽氏は湾岸戦争の経過の中で
「第九条は一種の「良心的兵役拒否」の宣言に等しい。......これを国際社会に認知してもらうためには、たいへんな努力、「苦役」を甘受する努力と、その努力 の蓄積が必要となろう。ことは資金面の協力だけですむことではないと思われる。ここでも国家としての日本の威厳と品位が問われている。」(著書『自由の精 神』の中の「人間と国」)と語っている。
 また同書を読み、昭和21年夏に貴族院で、新憲法草案の戦争放棄条項をめぐり、政府と学者グループの間に論戦が交わされ、それが以下のような内容であったことを恥ずかしながら初めて知った。

 たとえば学者グループの後に護憲の学問的な柱となる東大総長・南原繁は
「理想は高ければ高いだけ、それだけに現実の状態を認識することが必要でございます。.........戦争はあってはならぬ、是は誠に普遍的なる政治道徳の原理であ りますけれども、遺憾ながら人類種族の絶えない限り戦争があると云うのは歴史の現実であります。従って私共は此の歴史の現実を直視して、少なくとも国家と しての自衛権と、それに必要なる最終限度の兵備を考えるのは当然のことでございます。政府は近く来たらむとする講和会議に於いて、是等内外による秩序の破 壊に対する最小限の防衛をも放棄されると云ふと為さろうとするのであるか、此の点を御尋ね申し上げたいのであります。若しそれならば既に国家としての自由 と独立を自ら放棄したものと選ぶ所はないのであります。」と現実を直視するよう説く。

 これに対し政府の吉田茂首相は、
「平和に寄与せむと欲する希望及び抱負を憲法に明示致しますことに依って、平和愛好の国民として世界に愬へると云ふ気持ちもありますが、同時に自ら武力を 撤して、さうして平和団体の先頭に立って平和を促進する。平和に寄与すると云ふ抱負を加えて、戦争放棄の条項を憲法に掲げた考であるのでございます。」と 理想を語っているのである。

 戦後のある時まで、政府も国民も自ら、もう戦争はこりごりだと考えどんなに苦労してもあえて「良心的兵役拒否」を選ぼうとしたことがあった。しかし、い つしか「良心的兵役拒否」を選択した緊張感は消え去り、物質的豊かさを享受し"個人の勝手でしょ"を言い始めたことになる。

 国際貢献という名目の自衛隊のイラク派遣に賛成しているのではない。日本は戦後続いた冷戦構造の恩恵を最大限に享受し、経済的な繁栄を手にした。その ちょうど逆の例が、冷静構造の最大の犠牲を払った国が首領さまを頂かなくてはならなかった北朝鮮である。たまたま幸運な立地に恵まれた国の人間が、そのこ とをわきまえずに国際社会のことを考えずに自国だけの繁栄を享受し続ければ、やがて精神の退廃にいたるといいたいのだ。

 たとえば自衛隊のイラク派遣に対し、アメリカに北朝鮮の核から守ってもらうのだから派遣は止むえないという声を多く聞くが、ここには「良心的兵役拒否」 にともなう緊迫感はなく、判断停止と退廃がある。だから、国民一人ひとりがもう一度憲法を考え、国の在り方ひいては自分が暮らす地域社会の在り方を考えた 方がよい。もし国民投票の結果に納得できなければ、国籍離脱の権利だって憲法で保証されている。

 ちなみ萩原氏は『自由の精神』の巻末におかれたインタビューで、
「やはり、憲法第九条は撤退だろうと思うんですね。ただ、撤退ととらないで、あれは非常に積極的な前進だと受けとる人もいます。丸山(眞男)さんはどちらかというと、積極的なものととるほうなのですが、僕は撤退だろうと思うんですけど。......

 いま、韓国とか、台湾とか、中国とか、東南アジアとか、皆非常に張り切ってやっているわけでしょう。それと同じように、日本もまた張り切ろうというの は、ちょっとおかしいんじゃないかと思う。日本はもう、そろそろリトリート(retreat)して、分を知る段階、分にふさわしいところまでリトリートし たほうがいいんじゃないかという気がするんですがね。......イギリスもリトリートをやっているわけですから。」と言っている。

 そうか憲法第九条が撤退か......、正直私は目から鱗が落ちるような思いがした。日本の人口はたしか日露戦争時で約5000万人、その後も、ひたすら増え続けて1億を超え、これから減り続けていく。いわば青春を終え、白秋を迎えたのではないか。

 憲法改正でもうひとつ問題になるのは天皇制であろう。私はこのあいだ亡くなったオランダのユリアナ前女王がすでに1980年に退位しているのを知って驚 いた。オランダでは生前に退位できるのである。しかし、考えてみれば昔は日本だって30歳そこそこで退位し、上皇になっていたりした。

 生前に退位ができれば、あの88年秋から89年にかけての思い出したくもない自粛騒動もなかったろう。昭和天皇ご本人も、個人としてご自分の波乱に満ち た生涯をより静かに回顧することができたかもしれない。だいたい、天皇は46年に人間であることを宣言したが、象徴であって国民ではない。天皇は個人の意 志で即位を辞退したり、途中で退位できないのだから。これは国民の権利と自由を定めた基本的人権に違反していないのだろうか。とすれば、現在の憲法には大 きな矛盾が含まれている。

 それに女帝の問題も議論されるだろう。ちなみに先日、三笠宮崇仁殿下がラジオのインタビューで女帝問題にコメントしていた(NHKラジオ深夜便こころの 時代・オリエントに想う)。殿下は女帝の問題は難しいという、なぜなら配偶者のなりてがいないだろうと。戦後、貴族制度が廃止され、天皇制の外堀が埋めら れたといっておられた。

 ともあれ、憲法を金科玉条にように奉り、判断停止に陥っているよりも、一人ひとりが憲法を考えてみるべき時がきていると思う。もちろん、現行憲法がその まま存続してもいい。ただ、その場合は、独りよがりではなく、世界の人たちに「良心的兵役拒否」を納得させなければならない。

参照文献
『自由の精神』萩原延壽著 みすず書房刊

 平岩さんにメールは mailto:yuh@lares.dti.ne.jp
2004年04月10日(土)ジョージワシントン大学 客員研究員 中野 有

 アメリカのテレビでもイラクの日本人人質のニュースは、ライス大統領補佐官の公聴会での証言に続き注目されている。犯行グループは、自衛隊の撤退を要求 しているが、日本は、この難局にどのように対処するのか。国や会社の指示でなく、自分の意志で世界で最も危険な地域に乗り込み平和活動に従事する勇敢な3 人の無事を祈らずにはいられない。

 3日以内に行動しなければ、3人の命の保障はない。概して、問題解決には、外交的か軍事的の2者択一であろう。テロ組織が絡む人質救出に関し、一切の妥 協をせず軍事的救出作戦を敏速に実施するというのが、平時における世界の主流であろう。しかし、今回は戦争という非常時における人質事件である。特に、米 軍のモスク攻撃という特殊事情の直後の日本人人質事件である。

 昨今のイラク事情は、「目には目を、歯には歯を」のハムラビ法典そのものである。報復が報復の触媒となり、戦争の大義も本質的理由も失せてしまうほど、 攻撃的であり、物質的である。一神教の兄弟喧嘩は、泥沼化するのみである。この流れを断ち切る東洋の知恵を捻出しなければいけない。

 人質救出にあたり西洋的価値観では、軍事作戦となるが、東洋の価値観では、「ノンバイオレンス」という調和による交渉もあろう。ガンジーなら、マンデー ラなら、ノンバイオレンスの道を模索し、実践するだろう。ノンバイオレンスとは、決して「一人の命は地球より重い」といった考えでなく「暴力を否定し、命 を懸けてもても平和や自由を勝ち取る」という思想だと思う。命を懸けても、国益や地球益のためにやり抜くという考えの人は少なくないと思う。

 日本人の命を守るために一旦派遣した自衛隊を、武装グループの要求に屈し、引き揚げたとなると世界の笑い者になるという見方もあろう。米国の犠牲者は600人を越えているのに、日本人の命は特別だとの考えは成り立たない。

 しかし、敢えてはハムラビ法典的な流れを断ち切るためにも、一時的にも自衛隊を撤退することも検討したら如何であろう。世界から弱腰との屈辱も批判も受 けるであろうが、今がクライマックス的ターニングポイントであり、軍事的関与では決していい結果は生み出されない。米軍の軍事作戦で救出が成功しても、米 兵が毎日のように殺されているようにいつか再び危険な状況が訪れよう。

 ジョン・ケリー大統領候補は、仮に大統領だったら1週間以内で国連の本格的な関与を取り付けアメリカの単独主義を修正すると述べている。事情は異なるに せよ、スペインをはじめかつてのイラクへの好戦国もブッシュ政権の戦争関与政策の限界を指摘している。ブッシュ大統領の支持率も急激に低下している。国務 省に勤務した友人は、ブッシュ政権の外交政策を米国の外交政策と考えるなと忠告をしている。

 日本はイラク戦の開戦前に、ブッシュ政権に対し「待てば海路の日和あり」と述べ、フランス、ロシア、ドイツの協力を取り付け、国連やNATOの関与を深 め、日本の外交手腕を発揮できるチャンスはあった。ワシントンでも日米同盟の役割とは、米国の死角となるところを埋めるところにあるとの指摘も聞かれる。 米国の死角とは、アラブの気質を理解できなかったことであろう。何よりも人質になった日本人は、自衛隊派遣に反対した日本人である。日本の意思により、報 復の泥沼化から抜し、平和への流れを生み出す好機は、ノンバイオレンスを実践することから生み出されよう。

 もう既にサダムフセインが予測したとおりのイラク、アメリカ、世界の悲劇が起こっている。米軍の存在により分断が生まれたと同時に、イラク国内の反米と いう統一も生み出されつつある。イラク人によるイラクの民主化による国家建設は、ノンバイオレンスが鍵となろう。軍事的救出作戦か自衛隊一時的撤退のどち らが正しいか、答えは簡単に出ない。しかし、調和や和の精神という東洋思想なしでは、報復が報復を呼び起こす悪のサイクルから抜け出すことはできない。 今、行動を。

 中野さんにメールは mailto:tnakano@gwu.edu
2004年04月09日(金)萬晩報通信員 園田義明

 ■レッド・ステイツとブルー・ステイツと
          フィフティ・フィフティ・ネーション

『文明の衝突』(鈴木主悦訳、集英社、1998年)を書いた国際政治学者サミュエル・P・ハンチントン・ハーバード大学教授は、米国単独のイラクへの軍事 行動に対して明確に反対したひとりである。世界が多極化へと移行しつつあると指摘した上で、ブッシュ政権のユニラテラリズムを批判し、外交による解決を訴 えていた。

 ハンチントンは『文明と衝突と二一世紀の日本』(鈴木主悦訳、集英社新書、2000年)の中で、西欧の遺産によって成り立つ米国のアイデンティティーに こだわり、多文化主義(マルチ・カルチュラリズム)こそが米国と西欧を脅かすと主張していた。そして、「多文化的な米国はありえない」と言い切り、米国の アイデンティティーを守るためには世界の多文化性を認めなければならないと主張した。

 ハンチントンが最も恐れたのは「米国の分裂」であり、回避する手段として多文化主義を否定し、アイデンティティーの見直しを主張したのである。確かに同 時多発テロ直後には憎むべき敵を前に米国は強く結束した。その一方でテロ捜査のための盗聴や個人情報の閲覧などを合法化し、外国人を具体的容疑がなくても 7日間拘束できるとする愛国法を成立させるなどして取り締まりを強化した結果、イスラム教徒を中心に不当と思われる拘束が相次いでいる。そして、キリスト 教右派指導者達のイスラム教徒に対する憎悪に満ちた発言が繰り返される中で米国内部に新たな差別と憎悪を生み出している。

 これはハンチントンも批判したクリントン時代の行き過ぎた多分化主義に対する修正を通り越して、米国内部の「文明の衝突」につながる可能性を秘めてい る。つまり、これまでに何度となく危機感をもって取り上げられてきた「米国のバルカン化」が現実味を帯びてきたのである。

 この「米国のバルカン化」はかつて米国の歴史学の大御所であるアーサー・シュレシンジャー・ジュニアが『アメリカの分裂』(都留重人監訳、岩波書店、 1992年)で取り上げ、最近ではチャールズ・カプチャン米ジョージタウン大学教授も米国の地域的差異を再三指摘している。そして、この真っ二つに割れた 米国を象徴するかのように、最近の米メディアでは「レッド・ステイツ(共和党支持州)とブルー・ステイツ(民主党支持州)」や「フィフティ・フィフティ・ ネーション(五〇対五〇の国)」などの言葉が頻繁に使われている。米国のユニラテラリズムによって引き起こされた「文明の衝突」が、回りまわって米国内部 を脅かし始めているのである。

★以上拙著『最新・アメリカの政治地図:地政学と人脈で読む国際関係』(講談社現代新書)
弟7章「トヨタに学ぶ21世紀の歩き方」"テキサスに乗り込む理由"より抜粋

 ■映画『パッション』の世界

 『最新・アメリカの政治地図:地政学と人脈で読む国際関係』で取り上げた「ふたつのアメリカ」を今後深く掘り下げていきたいと思う。特に音楽、映画、文 学などのポップカルチャーを見ていくことで、普通の米国人の姿が見えてくるだろう。現在米国で話題を集めている「ザ・パッション・オブ・ザ・クライス ト」(邦題『パッション』日本公開5月)から取り上げてみたい。

 メル・ギブソン自らが監督・製作・脚本を手掛け、私財約2500万ドルを投じて完成させたこの映画は、4つの福音書などをもとにイエス・キリストの「最 後の12時間」をリアルに描写している。またキリスト教徒は2000年近くにわたって、イエスを死に追いやったとしてユダヤ人を迫害し、反ユダヤ主義をあ おった経緯があるため、公開前から米メディアでは大論争が起こっていた。2月25日の公開後もニューヨークでユダヤ系市民が反対デモを行う一方で「素晴ら しい映画だ」とほめたたえる声も上がり、米社会を二分する論争となっている。またカンザス州では映画を見た女性が心臓まひを起こし死亡する事件や、この映 画を見た米テキサス州の男性が回心し、恋人の女性を殺したと自首するといった報道もある。

 3月12日発表のギャラップ調査によれば、成人の11%にあたる2400万人が既に映画を見ており、65%が今後劇場かビデオで見る予定と答えている。 そして、見る理由として61%が宗教的内容、18%は俳優メル・ギブソンによる製作を挙げている。捕らえられたキリストがむちで打たれ血まみれになる ショッキングなシーンに対しても87%が適切だとしている。

 大統領選を目前に控え、この映画がカトリック保守派とプロテスタント右派とユダヤ教左派の奇妙な連携を生みだしている点が興味深い。

 ■超保守派カトリックとキリスト教右派

 メル・ギブソンは、米国・ニューヨーク州ピークスキルに生まれ、12歳の時にオーストラリアに移住している。ギブソンは自宅近くに教会を建設するほどの熱心な超保守派カトリックであり、聖書や教義に忠実な立場をとっている。

 この映画のプロモートのためにキリスト教右派団体が動員されており、大量のチケットが宗教関係者によって買い占められた。クリスチャン・コアリションは 映画館に足を運ぶようにと信徒に呼びかけ、とりわけ二〇世紀を代表するテレビ大衆伝道師であるビリー・グラハムはこの映画を一生分の説教と同等の価値があ ると絶賛し、「感動のあまり涙を流した」のコメントが強烈にこの映画を後押ししたのである。
 
 ビリー・グラハムはブッシュ大統領を回心(ボーン・アゲイン)させ、アルコール依存症から立ち直らせたことはよく知られている。南部バプテストの福音派 宣教師から1950年にビリー・グラハム福音宣教団を設立、「大統領の牧師」としてトルーマン大統領からクリントン大統領まで戦後歴代のほとんどの大統領 就任式で祈祷を受け持ち、福音派のエスタブリッシュメント的存在である。また過去に行われた世論調査では、ローマ法王を大きく引き離し、「米国で最も信頼 される宗教家」に選ばれてきた。

 現在、ビリー・グラハムはパーキンソン病を患い、ビリー・グラハム伝道協会の総裁には息子のフランクリン・グラハムが就任している。ビリー・グラハムが キリスト教右派の中でも比較的他宗教に対して穏健であったのに対し、フランクリン・グラハムは同時多発テロ直後には「大統領の祈とう者チーム」を立ち上 げ、イスラム教を邪悪な宗教と呼ぶなど原理主義的な宗教へと傾斜しつつある。

 ビリー・グラハムは独自に北朝鮮との密接な友好関係を築き、それを受け継いだフランクリン・グラハムも度々訪朝している。またビリー・グラハムはレーガ ン大統領に対してバチカンに米国大使を置くことに尽力したこともあることから、この映画によってカトリックとプロテスタントとの関係が見直されるきっかけ となるはずである。

 このカトリックとプロテスタントの接近に対して危機感を持って見つめているのが、ネオコンである。

 ■ネオコンの『パッション』批判

 ネオコンの論客であるチャールズ・クラウトハマー(ワシントン・ポスト紙コラムニスト)、ウィリアム・サファイア(ニューヨーク・タイムズ紙コラムニス ト)は、映画『パッション』を反ユダヤ主義だとして強烈に批判している。クラウトハマーやサファイアは、この映画によってキリスト教右派とイスラエルとの 関係が悪化し、ネオコンとキリスト教右派の同盟関係に波及することを恐れたのであろう。

 かつて、ネオコンの思想的首領であったアーヴィング・クリストルは、1984年7月号の「コメンタリー」誌にて、ユダヤ系米国人はジェリー・ファルウェ ルや他のキリスト教右派との同盟をもっと緊密なものにすべきだと主張している。この中で「リベラリズムは、いまでははるかに守勢に回ったため、ユダヤ系は それから足を抜くべきだ。われわれ追いつめられた者は、味方の選り好みをする余裕はないのだ」と書いた。そして、「ユダヤ系米国人にとって、イスラエルこ そが一切に優先する課題であり、キリスト教右派がイスラエルを支持するのであれば、ユダヤ系米国人は同胞挙ってキリスト教右派を支持すべきだ」と呼びかけ た。(グレース・ハルセル著「核戦争を待望する人びと」)。

 このアーヴィング・クリストルの主張は、ネオコンが民主党と決別し、キリスト教右派と接近しながら共和党勢力へと向かわせる重大な転機をもたらしたのである。

 しかし、保守の立場からこれまでブッシュ政権支持を表明してきたメル・ギブソンまでもが3月16日のラジオ・インタビューで大量破壊兵器に関連してブッ シュ大統領に疑念を抱きつつあることを語り始めている。この映画によって、「レッド・ステイツ(共和党支持州)」に亀裂が入ったことは間違いない。果たし てネオコンが今再び安住の地を求めてさすらう民となるのだろうか。

 そして、4月6日にはメル・ギブソン本人が選曲を行った邦題「パッション?ソングス・インスパイアード・バイ(日本発売4月21日)」が発売され話題を 集めている。ボブ・ディラン、レオン・ラッセル、ニック・ケイブ、レナード・コーエン、そしてリッキー・スキャッグスなどユダヤ教やキリスト教に深く関 わってきた曲者ミュージシャンの楽曲が収録されている。大統領選を前に音楽業界ではレッドとブルーの色分けがますます鮮明になってきた。

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□引用・参考

Two Separate Nations in a Race for the White House
http://www.zogby.com/news/021804.html

Christian Coalition Encourages All Christians and Their Families to See Mel Gibson's Movie 'The Passion'
http://releases.usnewswire.com/GetRelease.asp?id=117-02252004


Evangelist Billy Graham Reviews Gibson's 'The Passion of the Christ'
http://www.lifesite.net/ldn/2003/nov/03112604.html

Gibson's Blood Libel
By Charles Krauthammer
http://www.washingtonpost.com/ac2/wp-dyn?pagename=
article&node=&contentId=A31980-2004Mar4&notFound=true


Not Peace, but a Sword
By WILLIAM SAFIRE
http://www.nytimes.com/2004/03/01/opinion/01SAFI.html?ex
=1081569600&en=4d8d7752b39725ae&ei=5070


FILM-U.S.:'The Passion' Incites New Divisions Among Neo-Cons
Jim Lobe
http://www.ipsnews.net/interna.asp?idnews=22755

Neoconservatives still liberal on "The Passion"
Wednesday, March 24, 2004
http://www.illinoisleader.com/letters/lettersview.asp?c=13327

パッション?ソングス・インスパイアード・バイ
http://www.cdjournal.com/main/news/news.php?nno=6365
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B0001RBW0Y
/qid=1081403219/sr=1-5/ref=sr_1_10_5/250-6629611-2000261


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2004年04月07日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

 パソナの南部靖之さんから著書をいただいた。『人財開国』(財界研究所)と題した本で、日本に自由と夢が欠落していることを嘆き、「現代版楽市楽座」と いう発想で「国際レベルで手がける国際自由都市の建設」を提唱している。パソナは雇用という観点から起業し、今に到っているが、実は雇用のあり方こそが国 家だとか地域の活気につながっているということを実感させる本なのである。

 萬晩報もこの間、視点は違うが同趣旨のコラムを多く書いてきた。文明や文化は民族がぶつかり合うところに生まれた。経済の中心地もまた同じだ。ニューヨークやロンドンに共通しているのは多国籍であるということだ。

 松阪を何度か訪れて、この町からどうして江戸で成功するような商人たちが多く生まれたか考えた。起源は蒲生氏郷にあるのだというのが、いまのところの中 間的結論である。織田信長の伊勢攻めに参加した氏郷は鈴鹿を越えて松ケ崎を攻める。手柄としてもらったその地に城を築き松阪を命名し、楽市楽座を設けて商 人たちを誘致した。

 商人たちの多くは近江からやってきた。いわば商売の血をこの地に流し込んだというわけだ。遺伝子融合である。当時は「国」が違っていたのだから「多国籍」といえなくもない。

 松阪には今も日野町という近江の地名を冠した町名が残っている。安土桃山時代のおもしろい点は、日本という国土の中で住む人間たちをリシャッフルしたと いうことであろうか。戦乱によって勝ち取った新たな土地に為政者たちは勝手気ままに城をつくり、人を住まわせ、町をつくった。そしてその原理原則はレッセ フェール=楽市楽座だったのである。

 松阪の地名は氏郷が愛した蒲生郡の「若松の森」に由来する。ちなみに氏郷がその後、移った会津の地を会津若松と改称したのもこの「若松の森」から来るのだそうだ。氏郷は戦国の世にあって町づくりにすこぶる長けた人材だったはずだ。

 近江商人と松阪商人の最大の違いは、近江商人が裸一貫で自ら荷を担い商いをしたのに対して、松阪商人は松阪の地にデーンと店舗を構えていたことである。資本の蓄積が違っていたのである。

 松阪近郊の丹生という在所は奈良時代から水銀鉱山が営まれ、室町時代には白粉(おしろい)の原料となった。後醍醐天皇を支えた伊勢の国司、北畠親房はこ の丹生を含む飯高郡を支配の中心にした。近在の人々は近世の商工業が確立するまでに水銀鉱山で富を蓄積していたのである。教科書ではまだ農民と武士が分化 していない時代と習ったが、もう一つ商人とも分化していなかった時代といえよう。

 一方で、この地は木綿の産地でもあった。伊勢湾でとれるイワシを肥料としたぜいたくな綿づくりもしていて、阿波から輸入した藍で染めた。いまでいえば製 造業であるが、違いは農村に「工場」があった点だ。昨今の中国流にいえば「郷鎮企業」である。マニュファクチュアリングの前身ともいえる繊維産業がこの地 に勃興していたともいえる。

 綿花栽培から、製糸、染色、機織り、そして卸、小売り。松阪の人々のすごさは、そのすべてに関わったことである。資本と規制緩和が相俟って、商人層が生 まれ、製造業はさらに活気づいたのだ。松阪木綿だとか伊勢木綿という今でいうブランドも早くから生まれた。当時、堺は遠く外国との出会いから活気づいた が、松阪の場合は国内の違う「国」の血が注ぎ込まれて新たな価値が生まれたと考えれば分かりやすい。

 松阪の町は戦災に遭わなかったため、京都のように古い町並みを残している。江戸時代からの商家もいくつか残っている。現在、「松阪商人の家」として公開 されている広大な町家は小津清左衛門の松阪の本店跡である。江戸の大伝馬町に日本最大の紙問屋と開き、別の店では木綿も取り扱った。明治期には小津銀行も 設立し、コングロマリット化した。今でも小津グループは東京を中心に厳然としている。

 その松阪商人の家に興味深い資料がひとつあった。江戸期の長者番付で、大相撲の番付表とそっくりのつくりになっていて、全国のお金持ちが掲載されてい た。その横綱クラスの欄に十数人の富豪の名前が書いてあるのだが、そのうち4人までが松阪の人なのである。

 当然、筆頭の東の正横綱は三井家、そして張出横綱クラスに小津家のほか、田畑屋と大和屋とがあった。

 前回、三重県には短期間にIT産業の巨大な設備投資が相次いで立ち上がっているということを紹介したが、南部靖之さんがいうように果たして今の三重県に自由と夢があるかどうか。
2004年04月05日(月)萬晩報通信員 成田 好三

 日本は本当に不思議の国である。内部では激しく競争しながらも共通の利益を追求する、ある業界団体の最有力構成メンバーが、あからさまな利敵行為に走っ た。しかし、この利敵行為に対して、業界内部の人間は、すべて口を閉ざしたまま黙り込んでいる。そればかりか、業界を統括する団体まで、この利敵行為に加 担している。消費者の利益を代表して業界とその構成メンバーを監視する立場にあるはずの、新聞・TVなど主要メディアも、最有力メンバーに遠慮しているの か、批判を自己規制している。

 判じ物のようなたとえ話は好きではないので、謎解きをする。この業界はプロ野球界、最有力構成メンバーは読売巨人軍(読売新聞社)、業界を統括する団体 は日本野球機構、消費者はプロ野球ファンのことである。そして、あからさまな利敵行為とは、読売巨人軍の実質的な親会社である読売新聞社(読売新聞社はグ ループ本社を設立している)が、3月30、31日、東京ドームで開催されたMLB(メジャーリーグベースボール)アメリカン・リーグの開幕戦、ニューヨー ク・ヤンキース対タンパベイ・デビルレイズ戦を主催したことである。

 東京でヤンキースの公式戦、しかも開幕戦が見られる。松井秀喜、デレク・ジーター、ジェイソン・ジオンビーらのいる、さらに今季からA・ロッドことア レックス・ロドリゲスの加わったヤンキースを現場で、生で見ることができる。筆者だってお金と暇がたっぷりあれば是非とも見に行きたい。MLBファンに とっては夢のような話が実現する。しかし、開催時期と主催者に大きな問題がある。

 東京でのMLB開幕2連戦は、3月27日に開幕したパ・リーグ開幕5連戦の第4戦、第5戦と同じ日に開催された。その前々日と前日、28、29日には、 ヤンキースと読売巨人軍、ヤンキースと阪神タイガースとのオープン戦があった。東京でのヤンキースの試合とパ・リーグ開幕シリーズが重ならない日程は、開 幕日の27日だけだった。27日にしても、新聞・TVなど主要メディアは、松井秀らヤンキースの来日を大きく伝えている。読売巨人軍の所属するセ・リーグ の開幕日は、ヤンキースが東京を去った後の4月2日である。

東京でのMLB開幕戦の主催は、読売新聞社の他にMLB、MLB選手会、日本野球機構である。後援には読売新聞グループの日本テレビ放送網、報知新聞社が 名を連ねる。MLBの開幕戦をMLBとMLB選手会が主催することは当然である。しかし、読売新聞社と日本野球機構は何故、主催者に加わったのだろうか。

 日本野球機構は、セ・パ両リーグで構成されるプロ野球を統括し、プロ野球界全体の利益を確保するために存在する団体である。球界の盟主を自認する読売巨人軍の実質的な親会社である読売新聞社は、日本野球機構とともに、プロ野球界の利益を確保するよう努める義務がある。

 その両者が、パ・リーグの開幕5連戦と日程が重なる、東京でのMLBの開幕2連戦を主催することは、社会の一般常識から判断しても利敵行為として糾弾されるべき行為である。

半年以上にも及ぶプロ野球シーズンにおいて、開幕シリーズほど重要なものはない。優勝決定の時期では、優勝の可能性のある球団は2、3球団に絞られている。しかし、開幕シリーズ時点では、全球団に優勝の可能性がある。

開幕シリーズ前後、日本野球機構とその構成メンバー(球団)は、あらゆる努力と方策を通して、プロ野球への関心を高める義務がある。そしてそのことは自ら とセ・パ両リーグ、そしてプロ野球界全体の利益につながる。だから、最も重要な開幕シリーズ前後に、球界の統括団体と最有力構成メンバーが、最大の競争相 手であるMLBの開幕戦を主催すること以上の利敵行為はない。

 MLBはいまや、プロ野球にとって最大の競争相手である。野茂英雄が渡米する以前のMLBは、一部の好事家やマニアだけが楽しむスポーツだった。日常的 にはニュース、情報が日本に入ってこなかったからである。しかし、野茂の成功を契機にプロ野球界の有力選手が次々と挑戦し始めた。佐々木主浩、イチロー、 松井秀喜らが成功を収めた。今季も松井稼頭央、高津臣吾らが挑戦する。

 新聞・TVなど主要メディアは積極的にMLBを取り上げるようになった。昨季、NHKは主にBSで松井秀喜の入団したヤンキースの公式戦のほとんどすべ てを放送した。イチロー、長谷川滋利、それに佐々木のいたマリナーズの試合、野茂、石井一久のいるドジャーズの試合も数多く流した。

新聞も日本人選手を中心に大きく紙面を割いて報道した。松井稼が挑戦する今季は、新聞・TVのMLB報道はさらに厚みを増ことは間違いない。主要メディア が大きく報道することは、それだけ報道価値が高いということである。MLBが日本人にとってメジャーなスポーツとして定着してきたことを意味する。今季の オープン戦期間中の報道は、プロ野球よりMLB(正確にはMLBの日本人選手)の方が、扱いが大きかった。

 新聞・TVなど主要メディアは、東京でのMLB開幕戦を批判的に取り扱おうとはしなかった。主催者と後援者である読売新聞、報知新聞、日本テレビ、それ に日本における最大のMLB放送権をもつNHKが批判的でないことは理解できる。しかし、朝日新聞、毎日新聞など他のメディアグループも正面からこの利敵 行為を批判することはなかった。彼らはどこを見て、誰のために報道しているのだろうか。彼らはメディア界の「予定調和」の中で生きることしか考えていない ようである。

 東京でのMLB開幕戦の開催は、MLBとMLBに所属する最有力球団であるヤンキースの世界戦略の一環として行われた。彼らは近年急激にMLB選手を輩 出する世界第2位の経済大国である日本と、驚異的な経済成長を遂げている中国を中心とした東アジアを巨大なマーケットとして意識している。新たな巨大マー ケット開拓のために、ヤンキースは17時間もかけて東京にやってくるリスクを取った。

日本のプロ野球界は韓国リーグも、台湾リーグも、そして近年スタートした中国リーグも視野に入れていない。何らの経営戦略をもたないまま日本野球機構と読 売新聞社が、MLBの東京での開幕戦を主催することは、利敵行為であるばかりか、プロ野球界にとって自殺行為ですらある。(2003年3月31日)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/


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