2004年3月アーカイブ

2004年03月29日(月)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 北朝鮮問題を語るのは難しい。1月に帰国した際に、テレビで北朝鮮問題の解決の鍵になるのは経済協力であると語ったところ強硬派から抗議を受け、拉致問 題の感情的な側面を考慮し、経済制裁が必要であると説けば今度は、北朝鮮の孤立を懸念するグループからの抗議が届いた。要するに、北朝鮮を観察するにあた り、当たり障りのない現状分析にとどめるのが無難なようである。

 しかし、構想を練り実現するという陽明学的な考えを推進するためには批判を恐れてはいてはいけない。今、必要とされるのはアジアの大局観に基づく具体的 な平和構想のグランドビジョンを練ることである。2002年の9月の小泉訪朝以来、北朝鮮問題がマスコミの主役になっているものの議論だけで、これといっ た結果がでないのは、保守的な空気が蔓延しているからだろう。

 そんな空気を一掃するためにもワシントンから北朝鮮問題を眺望するにあたり、北朝鮮問題にはどのような障壁があり、それを越える国際情勢の変化を考慮しながら、北東アジアのグランドビジョンについて簡潔に論じたい。

 米朝間の障壁

 米国が安全保障の側面で最も懸念するのは、大量破壊兵器の問題と国際テロとの繋がりである。悪の枢軸である北朝鮮は、核兵器の開発を公表し、ミサイルや 核拡散およびテロ国家との繋がりと広範囲にわたり米国の宿敵を演じている。ワシントンの北朝鮮専門家の多くは、余程のことがない限り北朝鮮が完全に核兵器 を放棄するとは考えられないと読んでいる。

 一方、北朝鮮は、米国の不可侵条約を唱えており、当然のことながら米朝の妥協点を見いだすための双方の歩み寄りは見いだされそうもない。ワシントンでこ のような空気に接していると、米国が北朝鮮の瀬戸際外交や脅しに屈し、北朝鮮の要求に甘んじることは、外交の汚点を残すことになりかねないことから平行線 をたどる他はないと考えられる。

 米国はどうして北朝鮮を攻撃しないのか

 ブッシュ政権のイラクと北朝鮮における矛盾は、大量破壊兵器を保有しているかどうかの判断がないままイラクに先制攻撃を仕掛け、核開発を諦めない北朝鮮 に対し、先制攻撃を仕掛けないところにある。イラクの石油資源をあてにスクラップ&ビルド戦略が行われ米国の一部の企業は戦争の特需の恩恵を受けたもの の、現時点においては米兵の500名以上の犠牲を見れば明らかに米国の失策であろう。

 9.11に端を発しアフガニスタン、イラクへと軍事制裁が実施されたが、そのつまずきにより北朝鮮は米軍の攻撃を免れているとの見方もある。しかし、米 国が北朝鮮問題を建設的に関与しない理由は、朝鮮半島における冷戦構造の残存にあるように考えられる。朝鮮半島の38度線を境に、北朝鮮・中・露に対し、 韓国・米国・日本が対峙している。この勢力均衡型の安全保障の状況において、日本は、北朝鮮の弾道ミサイル攻撃を防御するために実戦配備費のために 1068億円を計上している。

 日米の共同開発によるミサイル防衛は、米国の軍需産業にとって魅力あるプロジェクトである。北朝鮮の瀬戸際外交と米国の軍需産業との関係は、けっしてマ イナスの要素だけとは限らない。北朝鮮という脅威がなくなればミサイル防衛構想も必要なくなると考えれば、現在の朝鮮半島のステータスクオの状態が米国に とって有利に働いているとも考えられる。

 冷戦中、世界に60万人の米軍が派兵されていたがベルリンの壁が崩壊することによりその数は20万人に減少した。ヨーロッパにおける米軍は大幅に減少し たが東アジアにおける米軍の10万人に変化はない。米国の軍事費は、2位から15位までの合計より高いという突出ぶりを示していることから、米国の基幹産 業である軍需産業を保護するためには、朝鮮半島を含む米国による紛争への関与も必要悪と考えられないだろうか。

 1世紀前に英語で出版された岡倉天心の「東洋の目覚め」の中に、興味深い文章がある。

「ヨーロッパの政策は、支配するために分裂させることを決して忘れない。彼らは、スンニ派(回教の正統派)とシーア派(分離派)が敵対しあい、スルタンと シャーが国境紛争を対立外交にまきこまれるように、つねに気をくばってきたし、日本と中国の戦争を煽り立てることには並々ならぬ決意を示している」

 アジアが分裂の危機に瀕している時に、天心は「アジアは一つ」と説いたのである。一世紀前の天心の予言を現在の朝鮮半島に当てはめれば、米国が北朝鮮を 攻撃するより朝鮮半島を分断させたままの方が米国の東アジアにおける覇権を有利に展開できると考えられないだろうか。

 朝鮮半島を取り巻く国際情勢の変化

 朝鮮半島の対立という不自然な状態が打開される動きが見られる。
 第一は、中国の経済協力を主眼とした多国間外交の成果が北東アジアの再編に影響を及ぼしつつある点である。六者協議の主役を演じる中国は、米国が懸念す る大量破壊兵器の問題、韓国の通常兵器の問題、日本の最重要課題である拉致問題を包括的に考慮しながら北朝鮮問題の本格的な解決に乗り出したようである。 中国は、中国の東北3省の開発に力点をおく政策を推進しており、その影響により北朝鮮周辺のインフラ整備が進むと予測される。

 中国、中央アジア、ロシアの協力を推進する上海協力機構、中国の積極的なASEANへの協力姿勢、並びに北東アジアの多国間外交を考慮すると、中国のア ジア政策の成功は、米国の覇権を脅かしていると判断できる。従って、米国の対北朝鮮政策の再考が望まれる。

 第二には、韓国における反米感情の高まりと、韓国の中国への接近は、米国の戦争関与政策や朝鮮半島の現状維持を再考させ、ひいては米軍の再編に繋がると考えられる。

 第三は、北朝鮮がイラク戦に見られたような米国の容赦のない先制攻撃の恐怖より、核開発を完全に放棄することを前提に、米朝不可侵を多国間の枠組みで同意する可能性がある。リビアにおける成功例が北朝鮮で成り立つ。

 第四は、ブッシュ政権が宇宙開発に莫大な予算をつけることにより、米国の軍需産業が宇宙開発という名目で潤うことにより朝鮮半島における戦争関与政策から経済重視政策に変化する可能性もある。

 北朝鮮問題における日本の役割とグランドビジョン

 日本は米中を中心とした朝鮮半島政策の変化の動向を鑑み、日本の朝鮮半島政策のみならず北東アジア観についての明確なグランドビジョンを描く必要がある。対話(アメ)と圧力(ムチ)の両方が、外交の絶妙なタイミングで発揮されなければいけない。

 米国を除く世界の対北朝鮮政策は、多国間建設的関与政策が主流である。しかし、日本は拉致問題に固執することにより、北朝鮮に妥協するという空気でな い。これは、米国における北朝鮮の核兵器の脅しに屈することはないとの空気と共通している。現時点では、米国は日本が北朝鮮へ経済制裁を仕掛けることを歓 迎すると思われる。

 従って、日本の拉致問題を含む感情的な点を考慮し、北朝鮮への経済制裁を実施すべきであろう。しかし、歴史が物語るように国際社会との協調が欠ける経済 制裁は効力が期待できない。この北朝鮮への経済制裁という圧力は、半年の短期に限定し、米国の大統領選の結果がでた時点で、世界の主流である多国間建設的 関与政策派と協調し、本格的なグランドビジョンを提示する時期が到来しよう。

 北東アジアグランドビジョンとは、北朝鮮というブラックホールをラストフロンティアに変貌させるにあたり、北東アジア諸国のみならず欧米や国際機関との 協調により、北東アジアに道路、鉄道、天然ガスパイプライン、通信ネットワーク等の国際公共財を整備し、北東アジアの共生圏や経済圏を構築する構想であ る。

 朝鮮半島の分断を経済協力を通じた協調的な安全保障で解消し、世界に開かれた北東アジアを目指す大きな試みである。日朝国交正常化が実現した暁には、約 1兆円と考えられる北朝鮮への賠償は、多国間の協調を通じた北朝鮮の公共財および北東アジアの国際公共財推進の触媒となることが期待される。

 北東アジアにおける何千年の歴史に眼を向ければ、13世紀の元寇による日本への攻撃の他はないことから歴史が語る中国の思想と行動は、決して覇権主義だ と考えられない。日本は西洋の覇権主義からアジアを護るために大陸に進出し、結果的にアジアに被害を与えたのみならず敗戦した。北朝鮮の核兵器の問題は、 東アジアの問題のみならず地球の将来を占う問題でもある。

 世界で唯一の被爆国である日本は、核の問題に対し正論を堂々と述べることができる立場でもあると同時に、朝鮮半島の問題で平和構想を実現させるための使 命を有していると考えられる。その為には、対話と圧力から幅の政策を通じた紛争を未然に防ぎ、アジアにおける経済圏を構築するという大いなる夢を実現させ るグランドビジョンが求められる。

(国際開発ジャーナル4月号掲載「国際開発ジャーナル」誌は、1967年に創刊以来、30年以上にわたって途上国支援を幅広く報道している、日本で唯一の国際協力に関する専門誌です。) http://www.idj.co.jp/books/j.html

 中野さんにメールは mailto:tnakano@gwu.edu
2004年03月27日(土)萬晩報通信員 成田 好三

 テロリストは、最も政治的インパクトの強い、しかも最も効果的な攻撃対象をみつけた。民主主義国家の根幹を成す選挙を狙い撃ちにすることだった。民主主 義国家は、自由選挙によって選ばれた大統領や国家議会の多数を占める政党(あるいは政党連合)による国家統治を、国民がある一定期間、最大限で次の選挙 (大統領選や国家議会選)まで認める、という合意の下で成立している。

 2004年3月、スペイン総選挙投票日の4日前に敢行された首都・マドリッドの列車同時爆破テロは、「9・11」以降、イラク内外で相次いでいるテロの 中でも、それまでとは違う、ある明確な目的意識の下で敢行された。それは、スペインの総選挙そのものを狙い撃つことだった。列車同時爆破テロは、200人 以上の人の生命を奪っただけではない。強烈な波及効果を世界中にもたらした。

 列車同時多発テロは誰が敢行したかは、今も定かではない。しかし、アルカイダかその関連組織による犯行だという見方が、時を経るにつれ有力になってきた。

 発生直後の政権与党・国民党の対応の誤りと不手際によって、テロは政権交代劇をもたらした。確定的な証拠なしに当初、国内過激派の犯行と決め付けた政権に、国民は不信を募らせた。不信は、スペイン全土に広がった巨大なデモの中で膨張していった。

 優勢を予想されていた、イラク戦争で米英と同一歩調を取った、アスナール首相率いる政権与党・保守系の国民党は総選挙で敗退した。総選挙に勝利したの は、イラクからの軍撤退を公約に掲げた野党・中道左派系の社会労働党だった。次期政権の首相予定者であるサバテロ書記長は、選挙直後にあらためてイラクか らの軍撤退方針を表明し、外交政策を、この戦争に反対したフランス、ドイツと協調させることも明らかにした。次期政権発足時までにこの方針が変わらなけれ ば、米国による「有志連合」の最も重要な一角が崩れる。

 スペインでのテロと政権交代の動きは連鎖反応を広げている。ラムズフェルド米国防総省長官が揶揄した、戦争に反対したフランス、ドイツなど「古い欧州」 とは対極の立場にある、「新しい欧州」の代表格であるポーランドのクワシニエフスキ大統領が「われわれはだまされていた」と発言、大量破壊兵器保有を理由 に開戦に踏み切った米英を批判した。

ポーランドはロシア(旧ソ連)のくびきから逃れるために、欧州の中で最も米国と関係を深めようとする国である。イラクには有志連合の中核的存在として何千 人もの軍隊を派遣している。現在、ドイツに駐留する欧州米軍の移転先と目される国でもある。その国の元首があからさまに米英を批判した意味は大きい。

 古い欧州であるスペインと、これからEUに加わる新しい欧州の代表格であるポーランドが、今回のテロに関連して歩調を合わせたような動きを見せたこと は、象徴的である。本来、同根の文明である欧州文明と米国文明が離反、対立する契機となる可能性がそこにある。欧州文明と米国文明は、既にエネルギー・環 境問題(裏表の関係にある)など、重要な価値観で大きな食い違いを見せ始めている。

 列車同時爆破テロは、テロへの恐怖心をスペインばかりでなく欧州全土にまで拡大させた。欧州のどの国でも、いつテロが起きてもおかしくはない。欧州の人 々はそう感じ、テロリストはそう警告している。恐怖心はさらに、日本を含む世界中に拡大していく。人々の恐怖心は、各国の政権指導者と彼らの政策選択に大 きく影を落とすことになる。

 2004年は世界的な選挙の当たり年である。3月にはスペイン総選挙のほかロシア大統領、台湾総統戦があった。4月には韓国総選挙、5月にはフィリピン 大統領選、7月には日本の参院選とインドネシア大統領選がある。そして11月には米国大統領選がある。これらの選挙はいずれも世界的に見て重要な選挙であ る。さらに、今年中か来年早くには、現在、米軍占領統治下のイラクで、間接選挙か、あるいは直接選挙か、いずれかの議員選挙が行われる。

 ロシア大統領選で圧倒的支持を得て再選されたプーチン氏は、先に実施された議員選での、プーチン氏を支持するという以外は政策も何もない大政翼賛会的な与党の圧勝とあいまって、ロシア皇帝と同様かそれ以上の絶対的権力を手に入れた。

 台湾の総統選は、将来的に台湾が「独立」するか、香港のように中国の「地域」として生き残るのかを台湾人に問う選挙だった。この選挙は、投票日前日の民 進党・陳水扁氏への銃撃によって情勢が大きく変化し、将来の「独立」を掲げる民進党が僅差で勝利した。しかし、台湾はいま、この選挙結果と陳氏への銃撃を めぐって混乱状態にある。この銃撃の「やらせ」説まででている。陳氏を銃撃したテロリストが、台湾の混乱を狙ったのだとしたら、彼は十二分の成功を遂げた ことになる。

 韓国議会による盧武鉉大統領弾劾と総選挙は、「三金体制」や「地域主義」など韓国に残る旧体制を一挙に破壊しようとする、大統領による「クーデター」の意味をも含んでいる。4月の総選挙は、韓国が劇的に変化する可能性を秘めている。

 フィリピンの政情が安定するかどうかは、東アジアにとって重要な問題である。フィリピンはイスラム過激派のテロリストたちの訓練場にもなっている。米軍 が演習目的で掃討作戦に乗り出したことは、まだ記憶に新しい。そして、アセアンの大国であり、世界最大のイスラム国家であるインドネシアの大統領選は、さ らに重要な意味をもつ。インドネシアが米国に傾斜するか、イスラム圏に軸足を置くかによぅて、世界情勢は大きく変化する。

 冷戦に勝ち残って唯一の超大国の座についた、実質的には「世界帝国」化した米国大統領戦の重要さは語る必要もない。民主党のケリー氏が勝つか、現職である共和党のブッシュ氏が勝つのか。米国大統領選は、否が応でも世界中の人々の「運命」を決める選挙になる。 

 人は「成功体験」から逃れられない。成功体験を繰り返そうとする。そのことはテロリストにとっても同様である。彼らにとってスペインでのテロは「9・11」と同様に、あるいはそれ以上に巨大な成功体験をもたらしつつある。

テロリストが世界中の重要な選挙をテロの攻撃目標にする。テロリストが、最も効果的なタイミングで民主主義国家の根幹を成す選挙を狙い撃ちにする。そうし た事態が続けば、民主主義国家はその最も根幹的な部分に巨大なダメージを受ける。選挙そのものへのテロは、有権者一人ひとりの心の中に爆薬を仕掛けること でもあるからだ。(2004年3月23日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年03月23日(火)台湾在住 曽根 正和

2日前の3月20日、台湾は次期総統および副総統選挙の投票が行なわれた。候補者は現職の陳水扁総統と呂秀蓮副総統に対し、国民党党首連戦総統候補と親民 党党首宋楚瑜副総統候補である。午後4時の投票締切り後、直ちに開票が行われ3時間後の7時ごろには結果が出た。投票率80%、投票数合計1300万近く である。マスコミをはじめ大方の予想に反し、陳水扁総統と呂秀蓮副総統が僅差の勝利で終わった。

しかし、選挙管理委員会が集計結果を正式発表する前後に、負けた連戦候補は選挙の無効を主張し、選挙本部に集つまった支持者に対し抗議行動を話した。その 結果、国民党本部の前(ちょうど総統府のまん前)は抗議参加者で道がふさがれ、今も混乱が続いている。総統府を守る警察官との小競合も生じている。こうし た状況をテレビをはじめ報道機関は全世界に向けて報導しており、台北は選挙のため混乱があちらこちらで起きているような錯覚を与えかねない。事実、株価は 敏感に反し、全面安となった。しかし、少し離れた市井の庶民はいたって平穏、いつもと変わらない生活をしている。

日本のすぐ隣で起きている、不思議な政治フィーバー劇を解説し、読者が少しでも台湾の事情をご理解できれば幸いである。

4年前の前回総統選挙から話を始めよう。このときは、やはりみんなの予想に反して当時の野党、民進(民主進歩)党の陳候補と呂候補が当選した。得票率は 39%、残りは二人の候補者連戦(当時副総統)と宋楚瑜(元台湾省長)がお互いに保守票を食い合い、結局「漁夫の利」の如く、陳・呂コンビが当選した。半 世紀に及ぶ国民党の政権が野党の民進党に移った。

選挙後、国民党党首李登輝前総統は、総統選挙失敗の責任を取らされる形で離党し、これに追随した台湾土着派国民党議員は、離党後台湾団結聯合を設立した。 また、前回総統選挙で国民党の承認を得られず無所属で立候補した宋楚瑜が、その支持者層を母体に選挙後政党として親民黨を設立した。

今回の選挙は、非台湾土着派が政権奪回のため、前回総統選挙では敵同士であった国民党と親民党の党首二人がコンビを組んだ。李登輝路線を嫌い1993年に 国民党から独立した新党(今ではあまり勢力がないようだが)を加え、この一派を国民党のカラー青を代表して藍軍と呼び、もう一方は民進党のカラー緑をとっ て緑軍と呼んでいる。藍軍は前回選挙で二人の候補者を合せると6割近の得票率があったので、今回の選挙では当選確実と踏んでいた。民間調査は投票が近づく につれ、去年夏では藍軍に十数パーセントの差をつけられていた緑軍の支持率が、次第に上りつつあることを示していたが、藍軍は選挙直前には十萬から百萬票 の大差をつけて当選すると豪語していた。しかし連宋コンビでも1+1は2にならなかった。李登輝前総統は緑軍の支持になったので、前回の国民党支持者の一 部が緑軍支持に回まわったこともある。選挙の結果に、藍軍は言葉を失った。

連戦候補は前回に続き今回も落選した。総統になれなければ68歳の彼の政治生命は終りとなる。国民党も先が見えなくなる。こうしたことから、選挙本部に 集った支持者の前で、選挙無効を訴え、情緒的に反応した支持者が激しく街頭抗議行動に出た。一方、政治的にフィーバーすることで知られる民進党支持者は、 当選者の余裕からかこうした動きに対して自制している。このため連戦候補のこの動きは煽動的な印象が否めない。しかも過去に国政をあずかる行政院院長(総 理)や副総統を務め、法治について十分認識があるはずだが。

藍軍の選挙無効の訴えに対し、高等裁判所は具體的に選挙人名簿や投票用紙を差し押さえ、今後の裁判の証拠として確保した。今後は基本的に司法的に対応決着 となる。これが広く暴動に発展することは、庶民の動きを見る限り考えられない。藍軍の中にもこうした街頭抗議行動に対し批判的な支持者もいる。

20日の投票直前19日には、最後の選挙戦追い込みで台湾南部の都市台南市で街頭運動をしていた陳・呂候補の暗殺未遂事件が起きた。台湾の選挙には当たり 前の爆竹の音にまぎれてピストルが発砲され、選挙カーのフロントガラスを突き破って陳候補の腹部、呂候補の足に当たった。陳候補は皮膚表面だけの傷程度、 呂候補は杖を使えば歩行行できるぐらいであったため、藍軍はこの暗殺未遂事件は自分で仕組んだ狂言である、これにより同情票を集めた主張している。国家元 首及び副元首の暗殺未遂事件であるにもかかわらず、マスコミは肝心の犯人逮捕や真相解明に関する関心は薄く、もっぱら選挙に絡んで別の面ばかり強調される のは、少し異様である。

台湾の民主主義はまだ若い。私が25年前始めて台湾を訪れたときは、現在の呂副総統は美麗島事件で逮捕投獄され、この事件の被告側弁護士として陳水扁総統 が法廷で弁論を振るったときである。圧倒的な国民党の力の前で、自由に言論が発表できる社会ではなかった。それが公けに国家元首を如何に批判しても何も起 こらないのは、民主化の成果である。相手の悪いところばかり宣伝して票を稼ぐ、後ろ向きな選挙宣伝が減り、政見を表明し候補者同士でディベートするテレビ 演説会が数回行われ、全国民が熱心に見た。台北の選挙活動は以前に比べるととても静かであった。しかし今回のように自制できず街頭抗議行動にで、「民主主 義」を曲解して要求をすることは、残念ながら未熟であるといわざるを得ない。

婚約者同士の政治的志向が異なるため、結婚直前に婚約解消したり、藍軍候補者が落選したことを聞き自殺があったことの報導があった。選挙がどのようであれ、冷静に対応できるようになったとき、台湾の民主主義は成熟したといえるだろう。

藍軍、緑軍ともに50%、50%の支持率となったことは、台湾の政治構造が確に変わりつつあることを示している。最後に司法裁定がいかなる結果になるにせ よ、国民が真っ二つに割れ、国政ひいては民生に対し悪影響を与えるようでは、民主主義を擁護しよりよい明日を望むみんなの願いから大きくかけ離れることに なる。海外投資家やバイヤーは、不安定な国から逃げていく。米国でもその昔ケネディとニクソン、また最近ではブッシュとゴアとの間で大領選挙当落差僅少の ために混乱があったが、最後には国益という政治家の最高使命のため、賢い決断をしている。

最後になるが、私は特定の一方を支持するものではなく、台湾を第二の故郷として長く暮らす外国人として、これ以上混乱が拡大することなく、一日も早く収束しすべて平穏な暮らしに戻ることを期待するものである。

曽根さんにメールは mailto:sonehome@netown.org.tw

2004年03月22日(月)

 ■イギリス人を手本にしたらいい  萩原俊郎

 健筆拝見しました。アフリカ人のタクシー運転手ですか...。中国の出稼ぎもこんな感じですね(「研修」という名目で、地方都市の工場にいっぱい働いています)。

 日本では残念ながら「勝ち組」「負け組」という言葉が社会に定着し、ホームレスにもなんの関心も示さない人間が増えて来ました。それが「アメリカ流だ」 などとしたり顔で言う人も多くて困ります。確かに米国では、ビジネスのトップクラスは「勝ち組」「負け組」といった感覚があるかも知れませんが、一般庶民 とくに地方都市ではけっこう、持ちつ持たれつ、血縁地縁、互助精神が生きていると聞きましたが、どうでしょうか。

 最近、私は「これからの日本人は、イギリス人を手本にしたらいいのでは」と感じています。イギリス人といっても、あの輝く大英帝国の...ではなく、「英国 病」などと言われてしぼんた1960年代以降のイギリス人の生き方。 大国からの凋落ぶり、失業者が街にあふれ、出口が見えない閉塞感という点は今の日本 と似たところがありますが、音楽(ビートルズをはじめとする)や美術で世界を席巻し、外貨をかせぎました。今の日本のアニメもそんな感じでしょう。

 一般庶民も、小さい庭でガーデニングと楽しみ、家族や友人との一杯のティーを一日の喜びとし、家をリフォームし、古いミニをレストアして走らせる、コイ ンや切手、ミニカー、アンティークのコレクション...などなど。人生の楽しみ、幸福感は金の多寡ではない、ということをライフスタイルそのもので体現してい ます。

「イギリス人を目指せ」というより、実際にガーデニングやリフォーム、古い物のレストアは日本でもブームになりつつあり、私が言うまでもなく、日本人の一部はそういう方向に幸福感を見出そうとしているのではないでしょうか。

 ■本当にそうですね  京都市 佐々木俊夫

 萬晩報のコラム「アフリカンドリーム・・・」読ませていただきました。本当にそうですね、日本人もアフリカやアジアの人たちに学ばなければなりません。アメリカばかりを追っている場合ではないと思います。

 私も完全な「負け組」です。(こういう言葉は大嫌いですが・・・。)13年間のサラリーマン生活の後、独立して商売を始めましたのが1989年。日本の 今の社会は絶対おかしいです。「食」の異常も大きな問題です。今起こっている「鳥」の問題もあれだけ大規模に鶏肉を扱っていたことに根本的な問題があった のではと思います。農業(畜産業)がもはや工業(あるいはただの流通業)になってしまっていたから起こった事件ではないでしょうか?

 鶏は生き物ではなく、工業製品として扱われていた(いる)のですね。アフリカの生活はきっと人間的で健康的なのでしょう。 私は5年程前に行ったバリ島 のあの棚田の風景が忘れられません。のんびりと農業をやり、村の祭事に楽しみをはせる。そんな生活に夢を見出したいものです。

 ■少し明るく考えられそう  京都市 浜口

 40311読ませていただきました。大変興味深かったです。暗い話題が多い中、少し明るく考えられそうです。

 ■新宿3丁目にも 能勢

 中野さんの意見に強い共感を抱き、メールします。小生の勤務先は新宿3丁目にあり、新宿駅よりも少ないとはいえ、浮浪者がいます。この人たちが幸せに住める気ににしなければ社会の安定もないと最近つくづく感じています。

 ■ジャパンカントリドリームを謳歌 石川 洋

良いお話を伺いました。私は、ジャパンカントリドリームを謳歌しています。東京卒業後、知人、友人、親戚のまったく居ない遠野にやってきて農地、山林 あ わせて3万5千坪を手に入れ、大地とともに楽しく、生産的に、マイペースで、やっています。勿論、無農薬、無化学肥料です。やり方しだいで農業は成立しま す。考え方、やり方は、無限です。
そろそろ8年目。メディアは嫌いですが毎日の紀平氏という記者は紳士的で物が見える人なので、彼の薦めで毎日新聞夕刊東京版にコラムを書いています。時間があるとき見て下さい。インターネット版があります。

たとえば http://www.mainichi.co.jp/life/garden/tough/013.html

その他は右下の「一覧」から。
貴ご趣旨に合うことが書いてあると愚考します。

自殺者3万人、ですが、ハインリヒの法則ではその30倍は、実行したが死ねなかった人、その10倍つまり900万人は希望者ということになります。恐ろしいで
2004年03月21日(日)ロンドン在住 藤澤みどり

朝日新聞衛星版は、攻撃翌日の金曜日こそ写真付きで大きく報じたが、土曜日には社説と小さな記事になり、日曜日には短い続報だけになっていた。それも、興 味の中心はその日行われる総選挙での市民の投票行動だった。自他とも認める良識派の新聞でさえこうなのだ。おそらく他の新聞もテレビも遠い国の悲惨なでき ごとのひとつとして報じただけだったのではないだろうか。お定まりの「日本人の犠牲者はいない模様です」のひとことを添えて。

そのニュースは、それを知った若者に、卒業旅行の訪問先をヨーロッパから他の場所に変えさせるぐらいの影響力はあったかもしれない。けれど、かれが「な ぜ、こんなことに」と沈黙して考え込むための役に立ったとは思えない。スペインだけでなく、反戦や反グローバリズムに関心を持つ世界中の若者が「なぜ、こ んなことに」と考えているとき、この若者がそれについて何も考えなかったとしたら、たとえかれが流暢に外国語を話せたとしても、世界のどこに行ってもかれ は社会のことについて誰かと真剣に話すことはできない。

金曜日の朝日国際面にこんな一文があった。それは現場となったマドリードからではなくロンドンから発信された記事だった。

「無差別テロが市民を襲った今回の事件は、テロがどの都市でも起こり得る『不安の世紀』に欧州が巻き込まれたことを突きつけた。」

もちろん、その通りだ。ヨーロッパにはいくつもの国にまたがるアルカイダのネットワークがあることが知られていたし、各国はいままでにも増して警戒を強め ている。イラク攻撃に反対し、戦後にすら兵を送っていないフランスでさえ警戒態勢を強化した。この攻撃がアルカイダもしくはイスラム過激派によるものであ れば「西欧キリスト教文明とイスラム文明の対決」を明瞭にする意図もあるだろうから、「『不安の世紀』に欧州が巻き込まれた」と言っても間違いではないか もしれない。

けれどこの、いかにも何かとてもだいじなことを指摘しているようで実は何も語っていない一文には、中身がないだけでなく、無自覚な「嘘」が3つある。

この記事の左上には「ETAの動きとスペインで発生したテロ」および「欧州でのおもなテロ事件」が年代順に箇条書きにされていた。マドリードから報告した 記者はイスラム過激派による犯行の可能性にはほとんどふれず、スペイン政府が犯人と断定するETAについて限られた字数の多くを割いていた。第一面には キーワードとして「バスク祖国と自由」(ETA)の簡単な解説が掲載され、バスク地方を網点で色づけしたスペインの地図まであった。だから国際面に 「ETAの動きとスペインで発生したテロ」年表が掲載されているのも、まるで官製報道のような、そもそもの軸のずれ方のおかしさを除けば整合性はある。

しかし「欧州でのおもなテロ事件」年表は、このすぐ下に掲載された前出の一文とはまったくそぐわないものだった。ロンドンからの記事は、ETAと同様にテ ロを道具として市民を脅かしたIRAについても解説していたので、この年表にIRAによる市民攻撃がいくつか混じっているのはいちおう納得しよう。しか し、そのほかはどうだろうか。

年表は1972年ベルファストでのIRAによる爆弾テロから始まり、同じく72年ミュンヘンオリンピックを舞台にしたパレスチナゲリラによる人質事件、 86年西ベルリンでのディスコ爆破、96年IRAの自動車爆弾などを列挙し、新しいところは2002年のチェチェンゲリラによるモスクワ劇場籠城から以下 4件、すべてロシアが舞台だ。

テロと隣り合わせの「不安の世紀」と言っておきながら、並べられたもののほとんどは20世紀の事件で、新世紀になってからの「テロ」はロシアだけ。朝日は ロシアを「欧州」の一部と定義しているのかもしれないが、これに対して異議のある人はまだ多い。IRAのテロは(完全にとは言いきれないが)解決に向かっ ているし、パレスチナ人のためにヨーロッパで破壊活動をするようなパレスチナゲリラはもういない。チェチェンゲリラの一部がジハードに参加することはあっ ても、チェチェンの独立を要求する目的でヨーロッパで自殺爆弾を使うことは、たぶん将来にわたってないだろう。ロシア国内で四面楚歌のチェチェン政府を支 持する可能性があるのは、人道を重んじるヨーロッパの政府ぐらいなものだからだ。もちろん、ロシアによるチェチェンの破壊をこのまま黙って見過ごし、チェ チェンそのものを消滅させるようなことがあれば別だが。

これがまずひとつめの「嘘」だ。IRAやETAなど民族的な対立を背景にした局地的なテロの不安は、ヨーロッパではいまに始まったことではない。解決には時間がかかるが、解決できない問題ではないという先例もある。

でも、不安は確かに深まっている。マドリードがヨーロッパでの、大規模テロの最初にして最後の舞台にはならないかもしれないという不安。ヨーロッパではな い、世界の別の場所で西欧人はすでにテロの標的になっているし、それがとうとう本丸まで攻め上がってきたのかもしれないという不安だ。

9.11後、ブッシュ大統領が立ち上げた「対テロ戦争」ブランドは発表と同時に次々と賛同者が名乗りを上げ、いまや世界中にフランチャイズを持つ。少数民 族問題や宗教問題、難民問題に手こずっていた大国にとって、こんなに便利な道具はない。「テロに屈しない」と言いさえすればどんな非道も許されるのだか ら。傘下に入った加盟店を励ますように、ヘッドクォーターは自ら、絶対に負けるはずのないふたつの戦争を仕掛け、そのふたつともをまんまとテロ支店に仕立 ててしまった。それも、ただ「テロ」が国内で量産されるだけではなく「テロリストのゆりかご」と呼ばれるテロ再生産機能付きだ。さあ、次は輸出だ。

「対テロ戦争」開戦後に起きた世界のテロを思い出してみよう。イラクとイスラエルとロシアは除き、内戦とそれに準ずるものも含まない。02年4月チュニジ アで20名死亡(ドイツ人、フランス人を含む)、同年5月カラチで14名死亡(フランス人11名を含む)、同年10月バリで202名死亡(多数のオースト ラリア人、ヨーロッパ人を含む)、同年11月ケニヤのイスラエル所有ホテル攻撃で15名死亡、03年5月リヤドで35名死亡(アメリカ人を含む)、同じく 5月カサブランカで45名死亡、7月パキスタンで50名死亡、11月イスタンブールのシナゴーグ付近で20名死亡、同じく11月イスタンブールで26名死 亡(イギリス総領事館と英系銀行が標的)。このあとに「04年3月マドリードで200余名死亡」が続くのだろう。

もしも、9.11以降をテロによる「不安の世紀」と名付けるなら、これがその年表だ。あえて死者のうちの西欧人の数を書き記したが、つまり、これ以外の死 者のほとんどが地元の人々だ。たとえばこのあとに「東京でXX名死亡(XX人X名を含む)」とか「大阪の米系XXXでXX名死亡」と続かない理由はなにも ない。

これがふたつめの「嘘」だ。マドリードの列車爆破によって、テロによる「不安の世紀」を自覚しなければならないのは「欧州」の都市だけではない。

三つめの「嘘」は「巻き込まれた」という受動態の言葉だ。あくまでも被害者であろうとする受け身の言葉だ。

"We bomb, they suffer." "They bomb, we suffer."

「われわれ」が攻撃した主体の一部であることを自覚しないかぎり、「われわれ」が反撃される側の一部であることも自覚できないだろう。実際にけがを負った り死んだ人たちは、悪いときに悪い場所にいてその事件に「巻き込まれた」人たちだが、スペイン人全体について言えば「巻き込まれた」わけではない。反撃さ れる可能性は常にあったのだ。マドリードの列車爆破がスペイン人ばかりでなく、ヨーロッパ人ばかりでもなく、わたしたち日本人への攻撃でもあったことを、 この一文は無自覚な「嘘」で隠してしまった。

個人攻撃をするつもりはない。この記事を書いたベテラン記者は良質なほうだろう。しかし「無差別テロが市民を襲った今回の事件は、テロがどの都市でも起こ り得る『不安の世紀』に欧州が巻き込まれたことを突きつけた。」という、この口当たりのいい一文(と、記事全体に流れる安定した気分)は、ただでさえ危機 意識の退化した多くの読者に何の切迫感も与えないだろう。スペインの列車爆破をその発生直後から自分のものとしてとらえ、考えなければ、その後の選挙での 野党勝利の意味もまるで違ったものになってしまう。

もしもこれが客観報道というものなら、そんなものはやめたほうがいい。事実を拾うことで「客観」に徹しているつもりでも、何を選んで何を捨てるかに、もう 主観はあるのだから。あからさまに主観を開示する右派のメディアや欲望に忠実なスポーツ新聞のほうが、いっそ正直で熱い。正直で熱い分だけ人を動かす。

ナショナリズムばかりがおそろしい勢いで成長しているのに比べて、日本の反戦運動がいっこうに大きくならず、反グローバリズムのうねりもまた少しも高まら ない原因のひとつがここにある。情報の量が圧倒的に足りないだけでなく、伝える側の体温が低いのだ。どうあって欲しいかというビジョンがないせいではない か。そうでなければ、そのビジョンを人に押しつけることにためらいがあるのかもしれない。

日本の若者は社会のことに無関心だと言われるが、わたしはそうは思わない。小林よしのりのマンガに触発されて薬害エイズ問題に立ち上がったのは若者だっ た。知らないだけなのだ。伝える側に情熱と切迫感があれば何をどう伝えるかは自ずと変わってくるし、若者たちだって知りたいと思えばもっと知ろうとするだ ろう。学習能力は大人よりずっと高いし体力もある。なりふりかまわず、あらゆる方法を駆使してそのイデオロギーを浸透させようとするナショナリストたちの やり方を、わたしたちは見習うべきなのではないか。どうしても伝えたいことがあるなら、たとえみっともなくても、切羽詰まって伝えるべきなのだ。

* * * * *

以下はもう余談だが、この記事についてもうひとつだけ書きたい。今回の列車爆破にかこつけて、読者が喜びそうなもっと低俗な「嘘」が垂れ流されていること をわたしは知っているが、この記事がそれよりましであるとわたしには思えない。この、知識階級受けする常套句で飾られた記事の結びの一段落にかれはこう書 いている。

「今回のテロは(略)、政治プロセスに暴力で介在する不吉な先例になる可能性がある。欧州各国が『民主主義への攻撃』を非難したのは、その危機感からだ。」

「欧州各国が『民主主義への攻撃』を非難」するのは毎度のことだ。オランダの極右政党党首が殺害されたときも「欧州各国」は「民主主義への攻撃」と「非 難」した。市民へのテロだろうが厄介者の暗殺だろうが、民主国家の政治プロセスに暴力の介在があれば、「欧州各国」でなくてもおおよその民主国家は「民主 主義への攻撃」と言う。そして「民主主義への攻撃」と「非難」した「欧州各国」の中には、イギリスをはじめ、多数の市民の反対を押し切ってイラク攻撃を開 始した、もしくは支持した、まったく民主的でない国が含まれるのだ。

こんな使い方をされるたびに「デモクラシー」はどんどん安くなる。

「(ハイチ発)今回の、正当な民主選挙で選ばれたアリスティド大統領の強制退陣は、政治プロセスに大国が暴力で介在する不吉な先例になる可能性がある。カリブ海諸国が『民主主義への攻撃』を非難したのは、その危機感からだ。」

これならどうだろう。デモクラシーも少しは居心地がいいのではないか。「カリブ海諸国が『民主主義への攻撃』を非難した」かどうかについては未確認だが。

* * * * *

では、もう一度始めよう。

3月11日、ヨーロッパを大陸史上もっとも惨いテロ攻撃が襲った。ラッシュアワーのマドリードの3つの駅で合計10個の爆弾が爆発し、200人余が死んだ。

199人目の死者は生後6ヶ月の女の子だった。腕に付けていた金のブレスレットに彫り込まれたその子の名前はパトリシア。彼女はプラットホームに転がって いるところを現場に駆けつけた医者に発見された。爆風で吹き飛ばされ、胸部に大きなダメージを受けていたので酸素マスクが必要だったが、小さすぎて顔全体 が隠れてしまうほどだった。翌朝、彼女は死んだ。母親は重傷を負って別の病院に収容されていたが、移民だった父親はまだ見つかっていない。

パトリシアにはまったく責任がない。傷つけられなくてはならない、死ななければならない責任はない。もし言葉をしゃべれたら「なぜ、こんなことに」「わたしは何も悪いことはしていない」と彼女は言っていいのだ。

でも、わたしたちは違う。わたしたちはもう無数のパトリシアを殺してしまった。放置されたクラスター爆弾や、劣化ウランの放射能粉塵と金属毒が水に溶け、土に交じり、風に運ばれて、さらに無数のパトリシアを殺すだろう。

破壊された列車の残骸を見て、ずらりと横たわる死体袋を見て、「なぜ、こんなことになったのか」を真剣に考えなければならない。「どうしたら、こんなこと にならないか」を考え、行動しなければならない。そうしなければ、かれらのパトリシアと同様にわたしたちのパトリシアがこれからも死ぬだろう。

「わたしたちは独裁者に支配された国の人間だった。あの戦争はわたしたちの意志ではなかった。わたしたちの兵士がいまあの国にいるが、わたしたちはそれを 支持していない。わたしたちは独裁者に支配された国の人間だった。しかし、その独裁者を選んだのはわたしたちだ。取り替える時がきた」

スペインの人にできたことが、わたしたちにできないはずがない。

二大政党と言ったって、ふたつの党にはたいした違いがない。政権交代したら、むしろ悪くなるかもしれないと訳知り顔で言う人がいるだろう。二大政党をもつ多くの大国が同じ問題を抱えている。アメリカもイギリスもオーストラリアも、スペインだって同じだった。

でも、かれらは交代を望んだ。なぜなら、自分たちが間違っていたと気づいたからだ。好景気が失速するリスクを負っても、まず間違いを正すことを選んだの だ。そして、おそらく新政権を厳しく監視するだろう。それがデモクラシーだ。テロリズムに対してどうふるまうか、わたしたちは考えなければならない。その 答えが暴力でないのは、いまや明らかだ。(完)

藤澤さんにメールは mailto:midori@dircon.co.uk
2004年03月20日(土)ロンドン在住 藤澤みどり

去年の3月の終わり頃だったろうか、イギリスの若い新聞記者がバグダッドにいた。イラク人にとって、その時のかれはまぎれもなく敵方の人間だったが、どう したことか、会う人会う人みな親切にしてくれる。露骨な憎しみをぶつける人間など皆無だった。かれはひとりの男に聞いてみた。「わたしはあなたの国を攻撃 している国から来た。いま、あなたの国の人々を殺している兵士と同じ国から来た。なのに、どうしてわたしに親切にするのだ」と。そう問われて男は答えた。

「あなたもわたしと同じだ。独裁者に支配された国の人間だ。この戦争はあなたの意志ではない。わたしも他の人間もそれを知っている」

尋ねた記者はたぶん、ほっとするとともに、言いようのない気まずさを感じたのではないか。そして自分に言い聞かせたかもしれない。「そうだ、わたしはこの攻撃に反対だった」と。

そう、わたしたちは反対したのだ。この戦争はわたしたちの意志ではないと反対したのだ。できることはなんでもやってみた。寝る間も惜しんで、眠れなくて。

3月20日、独裁者たちは攻撃開始を指示した。徹底した空爆で出鼻をくじき、敵の戦意を喪失させる「衝撃と畏怖」作戦。この作戦の立案にあたって、広島へ の原爆投下作戦が参考となっていることを知ったとき、怒りでからだが硬直した。攻撃開始時にはこの作戦は実行されなかったらしいが、テレビで見る、手加減 しているはずの空爆でさえ、それはそれは恐ろしいものだった。爆弾の下にいる人々のことを想像するたびに無力感で泣けてきた。

* * * * *

その子の名前は忘れてしまったが顔は覚えている。美しい女の子、たぶん10歳とかそのぐらいの年で、バグダッド近郊の寒村に家族と暮らしていた。首都への 空爆は続いていたが、何の標的もない彼女の村は、ときおり上空を爆撃機が通り過ぎるほかは攻撃前と変わらなかった。緊張感はあったが、貧しくも平穏な日常 が続いていた。

ある日、空から何か落ちてきた。目撃者の話によれば、それはゆっくりと漂うように落ちてきたかと思うと空中のまだ高いところで突然爆発し、あたり一面に小 さな爆弾をまき散らした。そのひとつが窓を破って家の中に飛び込んできたとき、その女の子はひとりで食事のあとかたづけをしていた。叫び声を聞いた彼女の 叔母が隣室から駆けつけると、彼女は自分の流した大量の血の中に倒れていた。彼女のほかにも数人の子どもと大人が命を落とした。

明らかな誤爆による、ひょっとしたら、村の上空を通過する爆撃機がうっかり落としたクラスター爆弾による「不随意的被害」。

この記事はイラク戦の最中に新聞1ページ分を使って掲載された。その日までの村人たちと彼女の日常が細かに描写され、それが一発の爆弾によってどのように 破壊されたかが淡々と報告されていた。書いたのは女性記者で、記事には死んだ姉の写真をカメラに向けて持つ妹の写真が大きく使われていた。姉によく似た美 しい少女だった。戦場取材につきもののむごたらしい写真は1枚もなかったが、悲惨はじゅうぶんに伝わった。ともすれば暴発しそうになる自分の怒りや悲しみ を抑えて書かれた記事だとわかった。

けがをした村人たちは病院に運ばれたが死者はそのまま村に葬られたので、女の子の死も村人の死も、この記者がここに来るまで村人以外は知らなかったろう。 その記者は、誰にも気にとめられることのなかった、ありふれた戦時の死を記事にして発表することで、ほかの無数の死とは別の、ただひとつのものにした。

こういった、それぞれにただひとつの記録が、連日様々な新聞に掲載された。おのおのの新聞の方針とひとりひとりの報告者の個性によって、英国兵の側から見 たりイラク人の側から見たり、怒ったり煽ったり嘆いたり、それはもう千差万別だったが、そこには当局の発表ではない生きた声があった。

ともかく覚えておこう、かれらのために他に何もできないのでせめて知ろうと、被害を伝える記事はむさぼるように読んだが、イラク戦のあいだ、わたしがもっ ともたくさん読んだのはインディペンデント紙だった。右派の新聞はもちろんだったが、左派と思われていた新聞までが開戦と同時に「我らの兵士をサポートし よう」に加わるか反戦色をトーンダウンさせるなかで、インディペンデントだけがきわだっていた。

インディペンデントは創刊時に、政府にも野党にも肩入れせず、右にも左にも偏らずに独立した報道を目指すとうたっていたが、メジャーな報道機関のほとんど が愛国路線に傾いたとき、もっともラディカルな新聞になっていた。「独立する」とは、なにものにも寄りかからないとは、あるいは、とりもなおさずラディカ ルになることなのかもしれない。

* * * * *

ベイルート在住の中東特派員ロバート・フィスクほかインディペンデントの多くの記者が地上から、爆弾の下から記事を送り続けた。フィスクの記事がなかった ら、わたしのイラク戦への理解はずいぶんと違ったものになっていただろう。攻撃直後のバグダッドから送られたフィスクの記事には、かれの原稿から拾った一 文がタイトルとして付けられていた。

We bomb, they suffer
われわれが爆弾を落とし、かれらが傷つく

攻撃側に自覚を強いる一文だった。

そう、これは「わたしたちの攻撃」なのだ。反対したのに独裁者が勝手に始めてしまったからと言って、わたしたちはけっして被害者にはなれない。フィスクは 「We」のひとりとして「They」の中にいた。わたしたちは攻撃する側だ。出陣した英米軍だけでなく「有志連合」に名を連ねた日本の人にとっても、これ は「わたしたちの攻撃」だった。傍観者ではあり得なかったのだ。

イラク戦のあいだに「わたしたちは加害者だ」と報じた日本の新聞が一紙でもあっただろうか。傷つき死んだ人たちのことを「わたしたちの攻撃で苦しんでい る」と伝えたテレビがあっただろうか。たとえイラク人とともに爆弾の下にいても、被害者にはもちろん、厳密に言えば中立にさえなれないことを伝える人は自 覚していただろうか。それを受け取った人たち、テレビを見て涙を流した人たちは知っていただろうか。意に反して攻撃側に立ち、それでもなお被害者に同情を 寄せる居心地の悪さと苦痛を、わたしたちは自覚的に引き受けるべきだったのではないか。

わたしの視線はフィスクとともに血まみれの病院の廊下を歩き、ミサイルに破壊された市場をさまよい、黒こげのイラク兵や市民の死体の群れを見た。どれもこれも、わたしたちのしわざだった。

* * * * *

翌年3月11日、ヨーロッパを大陸史上もっとも惨いテロ攻撃が襲った。ラッシュアワーのマドリードの3つの駅で合計10個の爆弾が爆発し、200人余が死んだ。

They bomb, we suffer
かれらが爆弾を仕掛け、われわれが傷つく

スペイン政府はテロの直後から、この犯行がバスク独立を目指す過激派組織ETA(エッタ)の犯行だと断定したが、スペインの多くの市民はそれを信じなかっ たようだ。金曜日に行われた追悼の沈黙デモの時に、ひとりの女性が白い大判の紙に短い文をタイプして掲げていた。新聞によればその内容はこうだ。

"They killed them because they were Spanish. I'm Spanish too."

きっとこの女性はイラク攻撃に反対していただろう。殺された人の多くもそうだっただろう。攻撃前の世論調査によればスペイン人の80%から90%が反対し ていたのだから。人々は政府の気持ちを変えさせようと街頭に出て激しいデモを繰り広げた。だれも「かれら」を殺したり傷つけたりしたくなかったのだ。それ でも「わたしたち」は「かれら」に憎まれた。それでも「わたしたち」は「かれら」に殺された。

それは「わたしたち」が「かれら」を殺したからだ。「わたしたち」が「かれら」の国や文明を破壊したからだ。「わたしたち」が「かれら」の自尊心をずたずたにしたからだ。「かれら」は「わたしたち」に反撃し、彼女は自分もまた反撃される側の一員であることを知っている。

* * * * *

先月、空港に向かうタクシーの中で運転手とイスラムのことが話題になった。わたしはバルセロナに向かうところで、運転手はスペインで見るべきところの名前 を何カ所もあげて説明してくれたのだが、それがイスラム文化の影響を受けた場所ばかりだったので「イスラム教徒なの?」とわたしは聞いてみた。他国のこと であっても、それらの遺産はきっとイスラムの誇りなのだろうと思って。「そうだ」とかれは答え、パキスタンからの移民であることをあかした。「あなたもイ スラム教徒なのか?」と聞かれて「違います。特に何も信仰していません」とわたしは答えた。それから「でも宗教を持っている人のことは、おおむね尊敬して います。それが平和なものであれば」と付け加えた。

しばらく沈黙があって、かれは話し始めた。「わたしはジハードには反対だ。イスラムは平和な宗教だ。殺すことを奨励するなんて、そんなとんでもない教えは ない」。それから続けて日常生活に浸透するイスラムのことを話し、パキスタンのムシャラフ大統領のことを話し(ムシャラフはとてもクレバーな男だという点 でわたしたちの意見は一致した)、興奮して暑くなったのか窓を開けたり閉めたりしていたが最後にこう言った。「イスラムを誤解しないで欲しいんだ」

テロは憎むべきもの、許されざる犯罪であることは言うまでもない。列車を爆破した「かれら」が、自分たちをその代表であると信じている人々にとっても、そ れは同様だ。かれらは「かれら」が悪事を働くたびに苦しんでいる。ブリティッシュ・パスポートを所持するイスラム教徒にとって、それはたぶん二重の苦しみ だ。

あの運転手はいま何を考えているだろう。子どもたちにどう説明しているだろう。

* * * * *

列車テロの第一報を伝える翌朝の新聞で、インディペンデントは第一面全面を使って1枚の写真を掲載した。紙名と小さな広告以外は、斜め上からの俯瞰で撮影された1枚の写真だけがあった。

縦長の画面の左側を、太い蛍光ラインのついた黄色い上着を着たひとりの男が歩いている。救急隊員か事故調査係か警官か、ともかくそういった職種の人だろ う。かれは左手の人差し指を伸ばして何かをカウントしながら歩いている。かれが数えているもの、それは画面の右半分に手前から奧までずらりと並んだ黒い死 体袋の列だ。硬直したようにまっすぐなもの、くの字にまがった小さめのもの、中央が妙に盛り上がった
もの、様々な形の黒い袋はいまその中に横たわる人々の、その瞬間の驚きと苦しみを想像させずにはおかない。この写真の中で息をしているのは黄色い上着の男だけだ。

なぜ、こんなことに。

他の新聞が無惨に破壊された列車の写真を一面に掲載している中で、この写真だけが沈黙していた。巨大な破壊を目の前にして怒りに駆られ、声高に犯人を罵る よりも、沈黙し、なぜ、こんなことになったのかを考えなければならないのではないか。いつものように通勤列車に乗った人たちが、なぜ死体袋に入って横たわ ることになったのか、その理由を考えなければならない。そうしなければ、わたしたちはもうひとつのアフガン攻撃を許し、もうひとつのイラク攻撃を止められ ないことになる。(続)

藤澤さんにメールは mailto:midori@dircon.co.uk

2004年03月19日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 どこの自治体でもそうだろうと思うが自らの置かれている経済的バックグラウンドについて灯台下暗しなのである。三重県に赴任して驚いたのはIT産業の巨大な設備投資が相次いで立ち上がっているということであった。

 三重県津市に赴任したその日、亀山市でシャープの液晶工場が操業を開始し、2月に入ると日本経済新聞が富士通の多度町工場で新たな半導体ラインを年内に 立ち上げるというニュースを一面トップで報じた。来年には四日市市で東芝の半導体の新工場が稼働する予定ことは既報だった。

 3社の投資額は合計で5000億円を超える。200万人足らずの県としてはとんでもない規模の設備投資だ。三重県の年間予算が借金の返済も含めて 8000億円であることと比較して、5000億円の投資とその投資が今後生み出すだろう付加価値を想像すれば誰でも度肝を抜くはずだ。

 これは前北川知事による三重県のイメージアップと中部新国際空港の相乗効果ではないかとかってに想像している。

 北川氏が知事職を去った後の北川感は決してよくない。赴任が決まってからよく言われたのは「北川さんがいたらおもしろかったのにね」ということだった。 しかし、地元の人々に聞くと「自分のやったことに責任を取らずに県政を放り投げた」という反響が非常に多いのだ。

 話を巨大な設備投資に戻す。赴任のあいさつ回りでは必ず県内の景気について聞くことにしているが、足元の実入りばかりを気にしていて返ってくる後ろ向きの言葉ばかりだ。筆者としては、一言、巨額の設備投資について触れないわけにはいかない。

「この規模の自治体で二年間に五千億円の設備投資などふつうは考えられない。望外の幸運と思わなければ」
「なるほどそういわれればそうですね」

 ほんとうに実感しているのか疑わしい。タコつぼに入ったまま全体状況が見えないのは三重県に限ったことではないかもしれない。IT関連の投資は新規雇用をあまり生まないといわれるが、支援企業をまったく必要としないはずがない。

 新工場ならば建屋が必要、新ラインでも工場内の改装や配線も不可欠。電力などエネルギーも消費する。出荷段階では包装や輸送の仕事もある。

 またそうした人々が近隣に住み家を求め、朝昼晩と食事をし、休日には羽を伸ばすだろう。飲食業やスーパーの売り上げは増え、歓楽街や行楽地も潤う。そうならないはずがない。

 長く経済記者をやっていて経営者から景気のいい話などは聞いたことはない。いつも「円高になったら」「市況が下落したら」「アメリカ景気が」。そんな話ばかりだった。そんなわけできっと設備投資の絶好のチャンスを逃してきたに違いない。

 過去の半導体と液晶の投資に関して言えば、台湾の企業家や韓国の経営者たちの方が景気の波をきっちり読んでいた。日本がIT分野でこの二国の後塵を配す るようになったのは、経営者た自らの景気感を持たず、マスコミが垂れ流す無責任な常とう句に慣れ親しみすぎたせいではないかと思っている。

 津市には大門という中心街がある。ショッピングアーケードは他の都市と同じくシャッター通りとなっている。理由を聞くと「バブルが崩壊して後・・・」と 版を押したような説明がある。この町に生まれ育った同年配の友人に聞いたら「大門なんておれが学生時代からさびれていた」とのことだ。

 マスコミが繰り返し語り掛ける言葉は恐ろしい。人々の脳裏にいつのまにか、ワンパターンの「時代の常とう句」を刷り込んでいるのだ。

 萬晩報は1年4カ月前の2002年12月18日に「過小評価すべきでない企業のV字回復」というコラムを書いた。その時点で、企業業績回復に伴う株価上 昇。そして景気回復、さらには税収増も確信していた。あまりにも自明の理だった。だが、マスコミはその後も経済の負の側面をあまりも強調し過ぎてきた。

 きのう、きょうの経済指標を読んで解説するのは素人にでもできる。そんなアナリストたちは市場を去るべきである。

 来年の春には中部新国際空港が知多半島沖に開港する。津市は海上を40分でつなぐ高速船を運航する予定だ。愛知県に隣接した北部はともかく四日市市や鈴鹿市の人々は津市経由で海外や国内便を利用するはずだ。

 この海上ルートが実現すると名古屋に向かっていた三重県内の人の流れが確実に変わるのだと思う。そうなると、新空港で一番メリットを受けるのは三重県人となる。

 2002年12月18日 過小評価すべきでない企業のV字回復
2004年03月18日(木)台湾高速鐡路公司勤務 仲津 英治
「地球に謙虚に」運動主宰者

 私が平成15年(2003)8月以来勤務している台湾高速鐡路公司は、平成17年(2005)秋の開業を目指し、高速鉄道を工事中です。台湾高速鐡路は 首都台北市と商業港湾都市高雄市間約345キロを、現在の台湾国鉄が約4時間30分―50分かかっているところを最高時速300キロで、1時間30分から 2時間で結ぶ予定です。

 その台湾高速鐡路公司(略称台湾高鉄、以下同じ)は、自然環境にも大変配慮している高速鉄道を建設・運営する会社でもあります。具体的な事例を紹介します。

 1. 水鳥 レンカク(英語名Jacana、中国名 水雉)の保護

 レンカクは、東南アジアに棲む絶滅が危惧されている水鳥です。台湾の日本時代(1895-1945)に既に天然記念物に指定されていました。日本では迷 鳥と言ってめったにお目にかかれない野鳥の一種です。私も台湾に来て水辺の妖精と題されたビデオで初めて見ました。しかし実物はまだです。後頸部には黄金 色に輝く羽があり、また雉のような美しい尾羽を持ち、全長52センチもあります。

 レンカクは、淡水池とその表面を覆う水生植物を必要とし、その生息環境は台湾南部の多くの溜池を活用する農業と一致していました。その水生植物は、菱角 を主体とする水面を被う葉っぱの大きな水草で、彼らはその広い葉っぱの上を縦横に歩き回るのです。従って台湾では菱角鳥とも呼ばれています。その菱角の実 を採取する農業が衰退し、彼らの生息環境が急変し、レンカクも激減、1996年には50羽を切ってしまっていたのです。

 そこに1994年、高速鉄道計画が持ち上がりました。レンカクが生息している一帯は台北起点281-283キロ付近の池と湿地帯でした。地名は台南県官 田郷の番子田というところで、かなり大きな淡水池があります。その淡水池の真ん中をまさに高速鉄道が通るルート案となっていました。

 このまま高速鉄道が工事されれば、レンカクの絶滅が危惧されました。立ち上がったのは高雄市野鳥学会、台南市野鳥学会、嘉義市野鳥学会、屏東県野鳥学会 などの野鳥保護団体です。彼らの運動は地方行政の台南政府を動かし、十八にも上る台湾全土の野鳥団体の団結につながりました。中央では中華民国野鳥学会が 窓口となって、台湾政府交通部高速鉄路工程局、台湾高鉄とも交渉がもたれました。

 高速鉄路工程局と台湾高鉄の姿勢は柔軟でした。1999年積極的にレンカクの生息地を確保することにしたのです。具体的には現行生息池から数キロ離れた ところに15平方キロの用地を確保し、そこに人工池を作ることにしました。用地は台湾精糖という会社の所有地で、高速鉄路工程局と台湾高鉄が年間賃借料 220万元(約770万円)を折半して負担することになりました。

 2000年に台南県など行政府が人工池の掘削工事行い、高雄野鳥学会、台南野鳥学会などの人々がボランテイアとなって菱角の移植も行われたようです。さらにレンカクを主な餌である水生昆虫を繁殖させ、誘導したのです。

 幾多の課題を乗り越えた結果、効果は絶大でした、1998年一時27羽を数えるのみであったレンカクは、2001年秋には164羽に回復したのです。その後も順調に数を維持しているようで、安定ライン100羽を常に超えるようになりました。

  レンカクが絶滅の危機を脱した台南県官田郷地区を訪れている陳 水扁台湾政府総統の写真があります。開発一辺倒の時代から自然保護も重視する時代に変化したことを象徴する写真です。

 2. 老大木の保存と路線変更

 台湾高鉄の自然重視の姿勢を示すもう一つの例を挙げましょう。
 場所は台北起点77キロ付近にある老大木「老樟樹」のために高速鉄路の工事計画を変更した事例です。地名は新竹金山里というところです。

 樹齢300年以上の老樟樹(クスノキの一種)は、地元では信仰対象となっている神木で現地では伯公樹とも呼ばれています。神木であることを示す赤い布が老樟樹に巻かれています。そフ老樟樹もまさに高速鉄路の予定ルート上にありました。

 1999年地元では老樟樹保存委員会が結成され、地元側はルート変更を求め、台湾高鉄側では、老木の移植も含め検討がなされたようです。しかし老木は通 常移植には耐えられないといいます。地元の人々は新竹市政府を通じて、路線変更を台湾高鉄と高速鉄路工程局に働きかけました。

ここでも台湾高鉄は柔軟でした。高架橋の工事により、老樟樹の根を傷めさえしなければ、老大木の命は長らえると樹医から診断され、台湾高鉄は、2001年11月鉄道ルートを変更せずに橋脚位置を20メートル北側にずらせる案を発表しました。

 この橋脚位置の変更は、橋脚の設置に伴い、周辺掘削範囲にある老大木の根の損傷を避けうる案でした。しかも台湾高鉄としてもルート変更による多大な経費 増を避けることができたのです。この伯公樹のように老大木を保護するための工事設計変更例は他にもあります。

 これらの設計・工事変更のために受注側である大豊建設・九泰営造・国開営造の企業連合(代表、日本の大豊建設)も大変協力的でした。

 しかし工事中の写真を見ていただいても判るとおり、高速鉄道の営業開始後は、老樟樹の枝が伸びて線路を支障する可能性もあります。適宜剪定するために地元の協力が必要です。

 ドイツでもハノーヴァーーベルリン間の高速新線では、猛禽類の繁殖する森林を通過するルートを避けるため、結局新線建設を断念し、当該区間は在来線を活 用する方式で対応した事例があります。イギリスでも高速鉄道構想があり、私が知り得たところではロンドン郊外の森林保護のため、その森の下にトンネルを掘 る計画を立てていました。

 台湾の他の事例として、春秋に渡りをするサシバという鷹のために台湾高鉄が保護資金を提供している例もあります。

 台湾高速鐡路公司の殷琦会長(女性)は、「私どもは硬い鉄道路線を作っていますが、ソフト路線で参りたい」と発言しています。

 最後に台湾高鉄安全部のIsaac 鄭氏、台北市野鳥学会の蕭學璋(Benjamin)の両氏から下記の資料の提供・案内の他、写真の提供を受けたことにより、以上の内容を纏めるができたことをお伝えしておきます。(「地球に謙虚に」から転載)

   ・ 水雉複育年刊 2002.3 水雉複育委員会出版
   ・ 水雉 台湾的菱角鳥 林 顕堂著 玉山社
   ・ 台湾高速鐡路公司 ホームページ
   ・ 台湾政府交通部高速鉄路工程局ホームページ
   ・ 台湾環境新聞特刊-2001年台湾十大環境新聞回顧
   ・ 中国時報 2002.01.09記事「水雉複育相関報道」
   ・ 新台湾新聞週刊(2001.08.30)
   ・ 搶救水雉委員会 工作報告1998

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2004年03月17日(水)萬晩報通信員 成田 好三

 3月はひと月早く訪れた「残酷な月」になった。アテネ五輪に関わる新聞、TVなど主要メディア、大手広告代理店関係者にとっては、3月は驚きと失意の月になった。3月はまだ半ばを過ぎたばかりだが、彼らにとっては既に終わってしまったのも同然の月になってしまった。

 彼らの驚きと失意の理由は明らかである。彼らにとっての、アテネ五輪の「目玉商品」が二つとも一瞬のうちに消えてしまったからである。一つはミスター・ ベースボール、野球の五輪代表監督、長嶋茂雄氏の病気である。脳卒中で倒れた長嶋氏はアテネの野球場には立てなくなった。長嶋氏が奇跡的な回復をしたとし ても、酷暑のアテネの現場で選手を直接指揮することは無理になってしまった。

 もう一つは、Qちゃん、シドニー五輪に続いてアテネで連続金メダルを狙うはずだった高橋尚子が、女子マラソンの代表を逃したことである。長嶋氏については後日に触れるとして、今回は大本命・高橋の落選に至ったマラソンの五輪代表選考について、改めて考えてみた。

 五輪の国内選考レースの第一レースになった昨年11月の東京国際女子に出場した高橋は、後半失速した。エチオピアの選手に抜かれて2位に終わり、記録も2時間27分台と平凡なものだった。

 しかし、高橋は日本陸連から最大級の配慮を受けた。女子選考レースにおけるペースメーカー(PM)の導入見送りである。有力選手がそろった1月の大阪国 際女子では、この配慮が功を奏した。序盤から有力選手が牽制し合う展開となった大阪では、優勝した坂本直子以外は、東京での高橋の記録を上回る選手は出な かった。

 最後の選考レースである名古屋国際女子(3月14日開催)は折り返しやカーブの多い難コースである。例年、気温も高い。今回も20度近い、冬場のレース としては高温の気象条件になった。大阪と同じくPMはいない。PM役を担うと思われた外国人選手はその役目を果たせなかった。

 名古屋に出場した最有力ランナーで、2001年の世界陸上銀メダリストある土佐礼子は故障で2年間もマラソンから遠ざかっていた。今回も右足かかとの痛 みを抱えており、十分な走り込みはできていなかった。32キロ過ぎではトップを並走していた田中めぐみに引き離された。そのまま田中が優勝しても、実績か らみて高橋の代表選出は確実だった。

 この時点では、陸連の選考委員はすべて、女子マラソンの代表は、既に内定している昨年の世界陸上銀メダルの野口みずき、大阪で優勝の坂本、そして東京2 位の高橋に決まったと確信しただろう。しかし、32キロ以降の土佐の走りは、陸連やその背後にいる新聞、TVなど主要メデイア、大手広告代理店関係者の 「予定調和」を覆してしまった。レースをめぐるすべての悪条件を克服してしまう、常識破りの快走だった。

 陸連理事(選考委員)である増田明美氏は、選考決定後にTV番組に出演して、陸連は高橋を選びたかったが、高橋を選ぶ理由が見つからなかったとの趣旨の発言をしていた。陸連の本音を語ったものだろう。

 読売新聞は3月15日付夕刊の最終版で「Qちゃん五輪代表へ」と見出しに打った誤報を掲載した。これも、高橋をどうしてもアテネに連れて行きたいメディ ア業界の本音の表出とみてもいい。読売新聞は、アテネ五輪に関してJOCの公式スポンサーになるなど最も五輪を重視する経営戦略を取る主要メディアである からだ。

 名古屋の翌日、マラソン代表選手を発表する沢木啓祐・陸連強化委員長の顔は疲れと緊張からか少し蒼ざめて見えた。その席で沢木氏は「選考基準、システム の変更」に言及した。記者の質問に答えて、「選考会、選考姿勢について検討をという話が(選考原案作成委員会、理事会で)でました。毎回毎回、変えるつも りはありませんが、修正すべきところは修正すると」「この現実を見ますと、選考基準、システムの見直しが必要かなと思います」と語っている。しかし、沢木 氏の会見では、沢木氏の口からも記者の質問からも、中山竹通氏が主張した「一発選考論」はでてこなかった。

 陸連や沢木氏、それに主要メディアが考えている以上に、スポーツは変容し続けている。陸上競技でも、五輪でメダルを狙える有力選手はプロ化、あるいは実 質的にプロ化している。プロ化した選手は権利意識に目覚めている。そうした選手の周辺には選手と金銭面も含めて利害関係を共有する多くの関係者がいる。

 陸連と同様に、あるいは陸連以上に古い体質をもつ日本水連では、シドニー五輪代表選出で千葉すず選手を恣意的に代表からはずした決定が引き起こした混乱 の反省から、アテネ五輪選考では「一発選考」を採用した。昨年の世界水泳で100メートル、200メートル平泳ぎを世界新記録で制した北島康介でさえ、4 月の日本選手権で失敗すれば、代表に選出されることはない。

 スポーツ大国である米国も、好きこのんで「一発選考」を採用しているわけではない。多民族国家であり、選手の権利意識が強く、訴訟社会である米国では、 競技団体が曖昧な選考基準で恣意的な五輪代表選考をすることなど許されないからである。仮にそうした選考をした競技団体と責任者は訴訟に持ち込まれ、莫大 な賠償金を支払うことになるだけである。

 ソウル、バルセロナ、アトランタ、シドニー、そして今回のアテネと、マラソンの五輪代表選考には混乱がつきまとう。沢木氏の言う「選考基準の見直し、シ ステム変更」は単なるリップサービスなのか。それとも陸連は本気で取り組むのか。スポーツに対する選手や国民の意識は確実に変化している。「密室」での選 考を続けるのか、それとも、もっと透明性のあるシステムに改めるのか。

 土佐の快走が「予定調和」を覆してしまったことにより、陸連とその背後にいる関係者は正念場に立たされた。陸連が本気でシステムの見直しを行うならば、 主要メディアが毛嫌いする「一発選考」も含めて、あらゆる選択肢を排除せず、選考方法を抜本的に見直すべきである。(2004年3月17日記)

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経済的にも環境的にも持続的な社会を

2004年03月16日(火)萬晩報通信員 廣田 裕之(やすゆき)

この日曜日に福岡市内で行われた、ジル・ジョーダン(Jill Jordan)女史の講演会に参加してきた。オーストラリア北東部、ブリスベン近郊のマレニー(Manely)在住で、パーマカル チャー(Permaculture)と呼ばれる持続可能な農法や生活スタイルを地域の仲間と確立し、地域通貨システムLETSを同国で初めて立ち上げた人 である。

マレニーはもともと林業が基幹産業であったが、乱伐のために森林がなくなってしまった。その後元森林で放牧を行っていたが、大規模農場との競争に勝てず、 1970年代には地域の経済は完全に疲弊していた。中心街はゴーストタウンと化し、人口流出もはなはだしかった。そんな時代に、殺伐とした都市部の生活に 嫌気がさした当時の若者(ジルもその一人だったのだが)たちがこの地域に住み着き、有機農業や環境に配慮した生活を模索し始めたのだ。

とはいえ、彼らは地元にもともと住んでいた住民たちから隔絶する形で自分たちだけの閉鎖的なコミュニティを作ったわけではない。むしろ土着の住民とともに 生活し、自分たちが目指しているオルターナティブのよさを体験して知ってもらうことで、土着の人と一緒に新たな生活スタイルを作ってゆくことになる。

たとえば、有機農法で作られた農産物を扱うオーガニック・ショップを開設したところ、当初は地元の人はこの店の存在意義がわからず非常に懐疑的であった が、シャンプーやジャムなどを入れるために空き瓶のリサイクルを開始したところ地元の人も空き瓶を持ち寄ってくれるようになったり、有機野菜のほうが普通 の野菜よりも売れることがわかると土着の人も有機農法に切り替えるようになった。

彼らの動きは、農業だけにとどまらない。住宅や森林再生においても、人間にとっても自然にとってもやさしい方法を模索している。たとえば住宅であれば、地 域の気候を十分考慮した上で夏涼しく冬は暖かく過ごせ、水資源が限られた地域であれば生活排水を家庭菜園への農業用水として自然に再利用できるような仕組 みが考えられている。

環境保護というと砂浜に落ちているゴミ掃除や植林など各人の努力が必要な事業が思い出されるが、それ以上に大切なのは環境保護に無理なくごく自然に取り組めるような社会的しくみや建築様式だと教えられた。

また、地域住民のさまざまな需要を満たすため、学校やFMラジオ、さらには地域金融機関としてクレジットユニオンなどが協同組合という形で創設されたこと にも注目したい。一般的に起業というと営利企業の創設を思い浮かべがちだが、営利企業は経営の最終目的が株主への配当の最大化であるため、利益増大のため に従業員に無理を強いたり、地域を犠牲にすることもあり得る。

しかし、協同組合の場合は必ずしもその必要がなく、あくまでも組合員が自分たちの力で運営してゆく形を取るわけなので、組合員の理想に沿った形で経済運営 ができるのである。グローバル化した資本主義のさまざまな弊害を考えると、こういった形で具体的に経済面でもオルターナティブを作り上げてゆく必要がある のではないか。

実は、オーストラリア最初のLETSもそういった社会的関心から生まれたものである。確かにクレジット・ユニオンを通じて地域のための事業への資金提供が 可能にはなるが、金利を通じて現金資産の少ない人から多い人への富の再配分が行われる以上、既存の金融の枠組みでは社会的に本当に公正な融資ができない。

であれば、手持ちのお金がなくても少なくても地元の人たち同士の取引が可能になるLETSを導入して、普通であればかなりの現金を支払わなければできない と得られないようなサービス(たとえばマッサージや語学教室)など相互にやり取りすることで、地域住民各人の生活の質を向上させてゆこうというのだ。

日本社会には現在閉塞感が漂っているが、それは本来持続可能ではない資本主義を持続させるために社会のさまざまな分野が犠牲になっていることが大きな要因だと思われる。ジル・ジョーダンの明るい表情は、そういった資本主義の重圧から解放された喜びなのだろう。

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2004年03月15日(月)長野県南佐久郡南相木村診療所長 色平哲郎

往診に向かうクルマのなか、ラジオから「いい話」が聴こえてきた。

番組のゲストに招かれた男性は、数年前にお連れ合いに先立たれて深刻な鬱状態に陥り、入院したのだという。そのときの話である。

彼は、毎日「琥珀色」の栄養剤の点滴ばかり、ベッドのうえで断食状態がつづいた。くる日もくる日も栄養剤を眺めているうちに自分が情けなくなり、その琥珀色の液体に誘われて無性にウイスキーが飲みたくなった。

点滴の交換に来た看護婦さんに、「ひとつ頼みがある。この点滴を見ていたら、たまらなく、飲みたくなってきた。ほんの少しでいいから、ひと口、ウイスキーを飲ませてくれませんか」と哀訴した。
 
看護婦さんは、はじめはびっくり仰天した顔つきになったが、すぐに彼の耳もとに口を寄せて、「いいわよ。でも、先生には、ヒ、ミ、ツ」と思わせぶりに小声で応えて出て行った。

しばらくして、次の点滴の時間。看護婦さんはニコニコしながら手に琥珀色の点滴をぶら下げて部屋に入ってきた。
「おまちどうさま。ウイスキーを入れてきたわよ!」と元気よく言った。
意表をつかれた男性は、一瞬間を置いて、訊ねた。
「ありがとう!! で、これ、どこの銘柄?」
「うーん、毎日のものだからニッカだわね」
 
彼と看護婦さんは心の底から笑ったそうだ。
よくある「叱咤激励」の「励まし」ではなく、ラポール(親密度)を保ちながら、瞬間的な切り返しで、しかも肩透かしを食わせることなく相手を納得させ、ウイスキーへの渇望をも絶つ展開に思わず感服した。

職業的な反射神経もあったのだろうが、その看護婦さんの柔軟な発想に人間的な温かさを感じた次第である。「笑い」はつくづく関係性の潤滑油だと思う。

お笑いの本場である「大阪」の病院や診療所では、きっと医師と患者さんの間でも絶妙な笑いのキャッチボールが行われていることだろう。
どんな「笑えるやりとり」があるのか、教えていただきたいものだ。

クルマでの往診を終え、診療所に帰ってみると、現実の厳しさが待ち受けている。

ある自治体保健師さんからこんなメールが届いていた。
「単刀直入に申します。四月から当村の診療所で医師が不在となってしまうため、後任の先生をお迎えしたいのですが、どこに募集をかければいいものか......あったかい先生はいませんか。いたらご紹介ください!!」

その村では、これまでも八方手をつくして医師を探し、ようやく赴任してもらったものの任期半ばでUターン。頼み込んでも1~2年の勤務が精一杯だったらしい。
 
そこに平成の大合併。村は周辺の数ヶ町村との合併を控えているが、住民の「診療所存続」の願いは強く、後任の医師さえ見つかれば診療所は継続できるのだという......。

「いい先生がいたら紹介してほしい」とは、村の保健医療担当者の悲鳴であろう。最近、こうした「人材紹介」的な問い合わせが、頻繁に寄せられるようになった。

テレビ・ドラマや、アニメで「へき地の医師」「離島の医師」がクローズアップされ、それなりの人気を集めているようだが、実のところ表層的なイメージの氾濫でしかない。

地方の「医師はがし」は、深刻度を増す一方だ。
大学医局が、臨床研修の必修化に伴い、「自己防衛」のかたちで市中病院から医師を引き上げている。そのあおりで最も条件が悪いとされる「山間へき地・離島」診療所に医師がますます回ってこなくなりつつある。

医療界にさまざまな「競争」が持ち込まれるなかで、
守るべき「一線」がどんどん切り崩されている気がする。

三月九日付の朝日新聞・社説に「定額制を広げよう入院費」と題した記事が掲載された。

『定額制の導入により、患者にとっては医療費や入院期間が明示され、退院までの治療計画も示してもらえる。診療データを分析して報酬を決め、その情報は公 開されるため、病院ごとの診療実績が比較できるようになり、病院のコスト意識も高まる』と記し、民間病院での定額制導入は『一歩前進』としている。

私が、これは問題だ、と思った部分は、次のくだりである。

『日本の医師や看護師の数は欧米と比べて同水準なのに、入院日数が長く病床数が多いため、病床あたりでは半分から三分の一となっている。最近の医療事故多発の背景には、こうした手薄い医療がある』と述べている点だ。

いつから、日本の医師や看護師の数が欧米と同水準になったのだろうか。

「OECD(経済協力開発機構)」の2003年版データでは、人口1000人当りで日本の医師数は「1.9人」。米国は「2.7人」。独仏はそれぞれ 「3.3人」。英国「2人」。スウェーデン「2.9人」。スイス「3.4人」......。韓国はちなみに「1.3人」だ。

実証的なデータを示さずに「医者や看護師は余っている」というイメージだけを頼りに、「市場競争」をもちこめば医療の「質」が向上すると断じるのは、はなはだ危険ではないだろうか。

何もかも「市場に任せればいい」とする論考は、人間がつねに「経済的」に「合理的」な行動をするとの前提に立っている。原則的には市場に欠陥はない、とし ている。市場に任せれば、財貨の最適な配分ができると信じこんでいるのだ。だが、はたしてそうか。
オカネの損得勘定だけで人は生きているだろうか。

財政の建て直しは急務だが、市場に任せればすべてが解決できるとするのは、一種の「信仰」にちかい。
人間は競争のほかに「協力」する術を知っている。
AかBか、右か左か、そんな二者択一的な選択ではなく、
意見の対立者が、「合意」を目指して、納得するまで話し合う。

そんな仕組みづくりが、医療界のみならず、
日本の未来の扉を開くためにこそ求められている。

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2004年03月10日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

 一年ほど前に地域振興の究極策として思い付いたアイデアがあった。その後、田中康夫長野県知事に先を超されて地団駄を踏んだ。過疎の村や町に住民票を移し、町村民税をその町村に捧げる運動である。

 1000人内外の小さな自治体にとって地方税はなきに等しい。そこへ数百人単位で"納税者"が増えることになれば、億単位の税収となる。国や県への依存 が大きく後退するかもしれない。それは新しき村づくりを可能にする窮余の手段でもある。ふるさとのない都会の人々にとれば、"田舎"ができる。一挙両得に なると考えた。

 発想のきっかけは沖縄のある島で金持ちが町長とけんかをして隣の島に引っ越したという記事を読んだことである。とたんに税収が激減して町長は頭を抱えたというのだ。

 民主主義は一人一票を原則として代議制を行うことだと習った。政治的には確かにそうだが、財政からみるといささか趣きを異にする。金持ちがいたり、大企 業が存在することによって国家や自治体は潤う。逆に所得の少ない人ばかりが住む国家や自治体は経費ばかりがかさむ。それだけでない。収入がなければ十分な 住民サービスさえできない。

 話は飛ぶが、1960年代から70年代にかけて世界の若者の人気を集めたビートルズがイギリス出身だということは誰もが知っているが、まもなく彼らはア メリカ人になった。理由は単純である。70年代のイギリスは税金が高すぎたからである。エリザベス国王はビートルズにナイトの称号まで授け、外貨収入増へ の貢献をたたえたが、彼らはいとも簡単に国籍を捨てたのである。人は税金で国を選ぶこともできるのだから、国内で住民票をおくところぐらい自由にすればい い。

 徳島県阿南市は青色発光ダイオードを発明した中村修二博士を失っただけでない。特許訴訟で日亜化学工業から勝ち取った巨額の収入にかかる税収も失ったのである。きっとほくそ笑んでいるのはカリフォルニア州サクラメント市であろう。

 自治体は企業誘致ばかりせず、金持ち誘致にもっと力を入れるべきなのである。武者小路実篤は精神論から「新しい村」づくりを実践したが、田園や山間に住 みたいと考えている金持ちのために例えば村営空港を自前でつくって毎日朝晩に、東京の調布飛行場に村営の定期便を飛ばすことだって可能なのである。道路建 設の予算から比べれば小型ジェット機やヘリコプターの1機や2機の維持費は安いものである。

 田中知事の場合、昨年、南信州の泰阜村に住民票を移してからというもの、主たる住居が長野市にあるため、長野市側が転出を認めずマスコミの話題となって いる。三重県に転勤してから多くの単身赴任者は主たる居住地に住民票を移さずに赴任地において無料で幾多の行政サービスを受けていることに気付いた。

 すなわち多くの全国地方の自治体は数十万人分の地方税を取りそびれていることになる。都会のサラリーマンは収入水準も高い上、源泉徴収で徴税が容易であ るにもかかわらずである。ということは例えば、三重県に住みながら田中知事と同じように信州の泰阜村に住民票だけを移すことも可能ということになる。筆者 の場合は、家族は東京都に住んでいるから二重の意味で無料の住民サービスを受けることになる。
2004年03月08日(火)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 ワシントンのタクシードライバーは、大卒のアフリカ人が多い。特にエチオピア人、ナイジェリア人、ガーナ人が、7割ぐらい占めている。西アフリカの体験 から、なつかしいなまりのある西アフリカ出身のドライバーの車に乗ったときには、話が弾む。国際的な視野を持つ巷の評論家の彼らに共通するのは、アメリカ の拝金愛し主義的な競争社会への批判である。

 しかし、朝から晩まで仕事に追われている彼らには明るさがある。アメリカでせっせと働き着実に財産を築き、アフリカに戻り広大な土地を買い、アフリカの伝統的な生活を謳歌したいという夢があるからである。彼らの夢はアメリカンドリームでなく、アフリカンドリームである。

 アメリカで10年働けばアフリカで一生暮らせる財産ができ、20年働けば、親戚まで養える財産ができるという。このようなアフリカ人のドライバーの第2 の人生を謳歌する人生設計の話を聞けば羨ましくなる。これは途上国の特権である。西アフリカの奥地に行けば、至る所にマンゴ、パパイヤ、パイナップル、オ レンジ、グレープフルーツ、ココナッツ等が豊富にある。土地があれば自然の恩恵を受け、社会の歯車として働かなくても自由を謳歌しながら食っていけるので ある。
 
 アフリカの奥地の生活で学んだことは、アフリカ人特有の楽天的な生活のリズムである。お金がなくても狩猟で成果があがらなくても、トロピカルフルーツの おかげで健康的に暮らせる。加工食品でないダイエットの生活ができるのである。先進国の尺度では、アフリカの奥地の所得は二桁違いであるけれども、アフリ カ人の楽観的な精神的なタフさは、先進国より優れているとさえ思われる。自然と一体に生活し自然を崇拝するというアフリカのアニミズムは魅力的である。日 本の古代から伝わる宗教とアフリカのアニミズムとは、自然を崇拝し多神教的であるという点で類似点がたくさんある。

 現在の日本の社会は、勝ち組と負け組の格差が鮮明になりつつある。生存競争に破れた者は、敗者復活の機会も少なく、浮浪者になる者も多い。年間3万人が 自殺したり過労死が存在するという社会は、異常である。日本の社会は敗者に冷たい社会である。地下鉄や公園にたむろする浮浪者を無視する大衆の行動には強 い違和感を覚える。この世知辛い社会に敗者復活の夢はないものであろうか。

 世界的傾向として、世界の人口は都会に移動している。特に途上国においては、都会のスラム化が深刻な社会問題になっている。冒頭で述べたワシントンのア フリカ出身のタクシードライバーは、アメリカで働き貯金をして、アフリカの故郷に帰り、人生の後半を大自然とともに暮らす人間らしい生活を実現することに より人生が2倍に楽しめるという。

 このようなライフスタイルを、出稼ぎと言ってしまえばそれまでだが、アメリカとアフリカの両方の生活を知っているアフリカ人が、アフリカの生活の方が魅 力的だと考えていることから、きっと機械的、物資的な先進国の生活より崇高な生活がアフリカにはあるのだろう。日本でも地方や田舎の生活に価値観を見いだ す人々も増えているが、リストラを経験した人々や社会の敗者となった人々や、自殺まで追いこまれる人々も、田舎の自然の中で農業に従事しながら人生を謳歌 する敗者復活の道があれば、窮屈な硬直した世の中に丸みができるのではないだろうか。

 高齢化社会の到来により、福祉が表層的になり特に敗者の生き方が問われる。敗者が敗者でなくなるパイオニア的なライフスタイルは、ワシントンで働くタク シードライバーのように故郷に戻り、自然の恵みに浸りながら第2の人生を謳歌する生き方にヒントがあるのではないだろうか。市場開放における日本の弱点 は、農産物の自給が低い所にある。ならば、市場経済に順応できなかった人々が過疎化が進む中間山地や漁港等に赴き、農水産業に従事することにより、農業問 題を解決できると考えられる。田舎の澄んだ空気を一杯吸いながら、第2の人生を謳歌する者のみならず敗者復活のための人間らしい生活を満喫できる社会的シ ステムができれば、競争社会にも活気ができるし、たとえ敗者となっても人生の意義を見いだすことができるのではないだろうか。ビジネスの成功や失敗に関わ らず、晴耕雨読の生活こそ、日本人的な気がしてならない。

 中野さんにメールは mailto:tnakano@gwu.edu

2004年03月06日(土)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 先日、ひょんなことからホワイトハウスに招待される有名なマジシャンに会い、ワインを飲みながらじっくり話をする機会に恵まれた。真実を知るこつをマジ シャンの視点で教えてもらった。真実は、多くの人が無視するところにあるとのことである。例えば、東京の地下鉄の改札の外で1人の老人が、社会問題を画用 紙に書き訴えているが、ほとんどすべての人がそれを無視し通り過ぎていく。この大衆が無視する状況を見て、ここに真実があると説明してくれた。北朝鮮問題 にも多くの真実が無視されているように感じてならない。

 北朝鮮問題を語るのは難しい。北東アジアの経済協力に重点をおいた発言をすると、強硬派からクレームがつき、拉致や核兵器の脅しを行う北朝鮮には経済制裁を課すべきだとと述べると、北朝鮮の孤立を恐れるグループから抗議が届く。

 明確なビジョンを示すためには、対話(経済協力)と圧力(経済制裁)の両方が必要であり、決してその一方では問題解決の突破口は生み出されないと考えら れる。たとえ日本の空気が保守的であっても6者会合に見られるように北東アジアにおける多国間協力による外交が活発化してきていることを鑑みれば、日本の 北東アジアにおける構想、ひいては大局的なアジア観について考察する必要があろう。 

 国連機関、ブルッキングス研究所等の日米のシンクタンクや大学の研究機関を通じ多角的に北東アジアを眺望することにより、日本のマスコミで話題になる北 朝鮮問題とは異なる北朝鮮の姿を観察することができるように思われてならない。たまたま多角的な経験を積んできたのだが、それぞれの考察する角度の違いに よって真実という光と、偽りという影が交差するように感じられる。

 その1例を挙げると、10年近く前に北朝鮮は大変な飢餓に見舞われているとのニュースが蔓延しているときに、北朝鮮に入り北朝鮮はマスコミが伝えるほど 飢餓に苦しんでないとの確信した。北朝鮮は、アフリカのように雨が降らなくて飢餓に直面している状況でなく、太陽、雨、労働力、土地があれば、農作物の生 産は可能だとのことを、アフリカ勤務の経験から、アフリカとの比較で北朝鮮の飢餓の状況を察することができたのである。

 また、4年近く前に南北首脳会談が実現されるまで、金正日総書記は、言葉も発することができない外交音痴だという偏った考えがマスコミを賑わせていた。 振り返ると、これらの情報は明らかに間違いであり、実際には、金総書記は、言葉巧みに瀬戸際外交を実践していることが真実である。これらの情報の欠陥は、 韓国情報に頼りすぎていたところにあり、多角的視点で北朝鮮情報に触れた場合、北朝鮮問題を偏見を持って傍観することはなかったように思われる。

 現在、ワシントンの対北朝鮮の厳しい空気に接していると、北朝鮮の核の脅しに屈することはアメリカ外交の汚点を残すことになり、国際テロ組織と大量破壊 兵器の関係から北朝鮮問題の根はかなり深いと感じる。従って、アメリカは北朝鮮が要求する米朝不可侵条約を北朝鮮が核開発から完全に足を洗うまで調印する とは考えられない。

 このままでは米朝が平行線をたどることは明らかである。朝鮮半島が分断されるという不自然なステータスクオの状態から抜け出すことができない。危険な北 朝鮮の存在があるから、日本は日米共同によるミサイル防衛のための予算を1千億円を計上し、将来的にその何倍もの防衛予算が必要となろう。危険な因子を強 調するほど利益を上げる集団があることは確かである。

「アジアは一つ」、百年前に岡倉天心は「東洋の理想」の冒頭で述べている。北東アジアにおいて中国、韓国、ロシアは、北朝鮮を国際社会に導くために包容力 を持って接している。米国は、北朝鮮の核兵器の脅しに屈することはない。日本は拉致問題がネックとなっている。北東アジアが一つになるためには、北朝鮮の 核問題と拉致問題を解決すればいいのである。北朝鮮と国際社会の共通の利益の合致点は、安定と繁栄である。それを実現させることにより、東アジア経済圏が 実現される。平和を勝ち取りためには、紆余曲折もあろうが、北朝鮮の妥協を引き出すためには、短期的な経済制裁も、大規模な経済協力も必要である。要は、 軍事という見せかけの安全保障でなく経済協力を主眼とした協調的な安全保障のシステムを、対話と圧力を駆使しながら日本のグランドビジョンで描くことが重 要である。

 ワシントンの北東アジアの専門家の意見のみならず世界を飛び回っている北朝鮮関連のニュースに接し、不思議なくらい、これといった構想がないように思わ れる。その一部理由として、まだまだ朝鮮半島やアジアの分断により利益を被る層が多いことにあろう。真実はマスコミが無視するところに存在するという、マ ジシャンの指摘が北朝鮮問題にも当てはまるように思われてならない。

 中野さんにメールは mailto:tnakano@gwu.edu
2004年03月05日(金)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 民主党の大統領候補者ケリーは、エール大学在学中に「スカル・アンド・ボーンズ」(Skull and Bones 頭蓋骨と肢骨。以下ではS&Bと略記)に入っていた。

 S&Bは、ドイツの学生クラブをモデルに、1832年にアメリカの名門大学エール大学に作られた秘密の学生クラブで、「毎年4年生の中から最も優秀な 15人が選出されその会員となる」と言われている。ブッシュ大統領も、その父も祖父もS&Bのメンバーであった。ブッシュはどう見ても優秀な学生ではな かったから、優秀な学生だけではなく、名家や有力者の子弟も入れるようである。

 筆者は見ていないが、最近、日本のテレビでもこの秘密組織について報道された。
http://bbs1.com.nifty.com/mes/cf_wrentC_m/FTV_B001/
wr_type=C/wr_page=2/wr_sq=04011412553607067241


 筆者がこの組織の存在を最初に知ったのは、トム・ハートマンの「民主主義が破綻するとき――歴史の警告」という論説によってであった。これを読み進めていくうちに、読者は「国のリーダーを自認する男」が誰であるかを知って驚くであろう。
http://www.ribbon-project.jp/SR-shiryou/shiryou-14.htm

 秘密結社ということで、S&Bは陰謀論者の想像力をかき立ててきた。インターネット上にはそういう情報があふれている。どこまでが真実でどこからが想像なのか、判定は難しい。

 B級スリラー映画『ザ・スカルズ』はS&Bを材料にした映画である。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00005S7GE/
ref=sr_aps_v_3/249-0244702-9219541


 この映画は2000年、つまりブッシュが大統領になった年に制作された。映画としては失敗作であるし、それまでS&Bについて噂されてきた以上の情報は含んでいないが、こういう映画が作られたということ自体が、ある種の変化を示している。

 2003年9月、自分自身もエール大学で別の秘密学生クラブに属していた女性ジャーナリスト、アレクサンドラ・ロビンスは、『墓の秘密』という、S&B に関するレポートを発表した。これは、ロビンスが出版社からの依頼を受けて、メンバーへのインタビューも行なって書いた本である。ただしこの本には、メン バーの名前(インタビューされた人はすべて匿名)や、彼らが具体的にどのような政治的決定を行なってきたのかという、真に知りたい核心部分が欠けていると のことである。そのため、この本自体が、S&Bの「ダメージ・コントロール」のために、漏らしてもかまわない程度の情報を漏らしただけの本、という批判も ある。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/
0316735612/qid=1077331340/sr=1-1/ref=sr_1_1/
104-0713378-4951120?v=glance&s=books


 筆者はこの本を注文したが、まだ入手できていない。読んだあとで、何らかのコメントをしたい。

 『墓の秘密』が発売されてから1ヶ月後、昨年10月にCBSが人気番組「60 Minutes」で、ロビンスと、やはりS&Bに詳しい作家ローゼンバウムにインタビューしながらS&Bについて報じた。(上述の日本の番組をこれを元にしているのであろう)
http://www.cbsnews.com/stories/2003/10/02/
60minutes/main576332.shtml


 「ジャネット・ジャクソン事件とムーブオン」でも触れたように、CBSがアメリカのエスタブリッシュメントの利益を守るテレビであることを考えると、こ の番組も、S&Bとはこういう組織か、とわかった気にさせて、それ以上は踏み込まなくさせるという「ダメージ・コントロール」である可能性が高い。

 ともかく、ロビンスの本やCBSの放送でわかった範囲では、この組織には、奇妙な入会の儀式があり、いったんメンバーに加わった以上、その組織について は永遠に沈黙を守ることが要求され、卒業後もメンバーの間には強い結びつきがあるということである。ボーンズマン(S&Bのメンバー)は、アメリカの政 治、経済、法曹、メディア界のトップの座を占め、隠然とした影響力を行使していると言われている。とくにCIAはボーンズマンの影響が大きいという。

 ボーンズマンであったブッシュ父はCIA長官であった。ブッシュ大統領は5人のボーンズマンを自分の内閣に入れている。

 Wikipediaによると、インターネット上で出回っているS&Bの名簿リストなるものは真実かどうかの確証はないという。ローゼンバウムが隠し撮りしたというS&Bの儀式のビデオも、本ものかどうかわからないという。
http://en.wikipedia.org/wiki/Skull_and_Bones

 ただし、Wikipediaの記述自体が「ダメージ・コントロール」である可能性もある。

 S&Bの周囲には何重にも厚いカーテンがかかっている。

 エール大学でブッシュの2年先輩のケリーもボーンズマンである。MSNBCテレビの「ミート・ザ・プレス」のインタビューで、彼は自分がボーンズマンであることを認めたが、それは大統領選では重要なことではない、とはぐらかしている。
http://www.prisonplanet.com/010104kerryadmits.html

 アメリカの社会学者ミルズは、アメリカ社会の政治権力は、彼が「パワー・エリート」と名づける、ごく少数者からなる集団に握られている、と述べた。ボー ンズマンであるブッシュもケリーも、まさにパワー・エリートの一員である。大統領がブッシュからケリーに代われば、政治のスタイルは多少変わるかもしれな いが、パワー・エリートの利益が優先されることは何ら変わらないであろう。違いは、武力中心のアメリカの単独行動か、国連や他国を巻き込んだ、一見ソフト に見える国際協調路線か、という手法である。

 結局、ブッシュ対ケリーの戦いは、パワー・エリート同士のwin-win game(どっちに転んでも勝ち)ということになる。最近、消費者運動家のラルフ・ネーダーが無所属での立候補を表明したが、これは、パワー・エリートの 権力たらい回しに対する不満の現われなのであろう。もちろん、ネーダーがパワー・エリートに勝てる可能性は皆無である。

 中澤先生にメールは mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

2004年03月03日(水)ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男

「毎日、20機のジャンボジェットが墜落しているのと同じ。1日8,000人の死者が出ているのにメディアは報道しない」

 その日の記者会見は閑散としていた。ブッシュ政権の世界エイズ対策室の室長、ランダル・タビアスはガランとした記者席にむかって話をはじめた。会見がは じまる5分前には私をふくめて4人しか記者がおらず、主催者側の方が多かったが、開始直前になって5人ほどが駆け込んできた。エイズというトピックではも はやメディアの関心は惹けないのだ。「いまさらエイズがどうした」という思いがメディアのなかにも受けての側にも広がっている。

 だが、エイズの窮状は拡声器をつかって伝えなくてはいけないほど悪化している。現在、世界中の感染者・患者は約4200万人で、毎日あらたに1万5000人が感染している。医療の現場での感染は少なくなっているが、性行為による感染は増えつづけている。

 特筆すべきことは、アメリカをはじめとする先進諸国の感染者数はすでに90年代半ばをピークに減っているが、日本国内の感染者は増えつづけている点であ る。現在、日本のほとんどのメディアは牛海綿状脳症(BSE)や鳥インフルエンザといった目先の伝染病に重点をおき、水面下で増えつづけるエイズに大きな 関心をよせない。エイズ感染者は数万人いるとさえいわれている。

 84年にエイズがウイルスによる病であることが判明したあと、魔の病気の恐怖は一般市民の胸元にまで忍び込んだ。80年代後半、エイズ検査をしてもらう ためにこっそり病院を訪れた輩もいたはずだ。問題は、その時代に危機感を覚えていても、いまは「だいじょうぶだろう」的な楽観から風俗店などで無防備な性 行為を行っている人たちがいることだ。こうした意識があるかぎり、日本のエイズ感染者は減らない。

 タビアスはその日、日本のエイズ感染については言及しなかった。世界的な見地からすれば、爆発的に感染者数が増えているアフリカ諸国の方がより重要だか らだ。ブッシュ政権は今後5年で、約1兆6000億円の緊急予算を世界のエイズ撲滅運動と感染者・患者治療などにあてると発表した。公衆衛生の分野でこれ だけの緊急予算が割かれたことは史上かつてない。さらに、他国との協調政策によって感染者と死者の増大を食い止めるという。

 これはなかなか重要な行政決断である。「カネだけ出せばいいのか」という批判はあたらない。カネによってできることはドシドシやるべきで、カネも出さな い、治療もしない、予防もしないということではエイズと闘えない。エイズはいまだに不治の病である。いちど感染してしまうと、いずれは死にいたる。現代医 学ではウイルスだけを取り除くことは不可能なのだ。

 ただ、ウイルスの活動を抑える薬剤がいくつも登場している。87年にAZTという薬がFDA(米食品医薬品局)に認可されて以来、アメリカでは現在まで に17剤が「エイズに効くクスリ」として市販されている。その最初の薬剤であるAZTから3番目までを日本人医学者、満屋裕明(みつやひろあき)が世にだ したことはあまり知られていない。

 世界最大機関であるNIH(国立衛生研究所)で、いまもエイズと格闘する満屋は近年、新しい治療薬を開発し、その薬剤が臨床治験(実際にエイズ患者に投与する)の第2段階に達している。第3段階を通過すると新薬として世に出まわることになる。

「30年も夢ではなくなってきた」

 満屋が「30年」というのは、エイズウイルスに感染してから30年間も生きられるということだ。ウイルス感染後、すでに20年以上も発症せずに生活して いる感染者が増えている。多くの薬剤を同時に服用する多剤併用療法のおかげだ。20年前には考えられなかったことだ。当時は感染したら半年から3年で死亡 するといわれた。だが、医学者たちの努力によって新しい薬剤が世に登場し、今後はエイズに感染しても違う病気で死亡するという状況がおとずれるかもしれな い。

 もちろん粗忽(そこつ)で浮薄な行動は慎まなくてはいけない。なにしろ、ウイルスに感染したら、一生、大量の薬剤を飲みつづけなくてはいけないからだ。「アーラ、大変」どころの騒ぎではないのである。

 堀田さんにメールは mailto:hotta@yoshiohotta.com
 急がばワシントン http://www.yoshiohotta.com/
2004年03月01日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 1997年10月に「松浦武四郎が明治2年、エゾ地を北海道と命名した」というコラムを書いたことがある。三重県に来て分かったことは、松浦武四郎 (1818-1888)の出身地が現在の三重県一志郡三雲町だったことである。当時、どこの人であるかさえ無頓着だった。津市に住居を構え、その三雲町が 隣町であることに何かうれしさを感じている。

 9年前に「北海道独立論」というコラムを書いた時、北海道という地名の由来に興味を抱いた。地名の由来についてはそれまでほとんど無関心だった。

 筆者の故郷の「高知」の名は、山内一豊が土佐国に入り、現在の高知市の鏡川のほとりに築城したことに由来する。城を建てたところが「河内」だったのであ る。「かわち城」と呼ばれ、それがなまって「高知城」となった。一豊が命名したという説もないではない。

 日本は古い歴史の国であるから個人が命名した地名などそう多くはない。北海道はその数少ない例の一つだったのである。松浦武四郎が新政府に上申した『建 白書』に由来することがはっきりしている。武四郎は「日高見道」「北加伊道」「海北道」など6つの名称を上申した。そのうち「北加伊道」が採用となって、 「加伊」が「海」に変更された。新政府は、エゾ地を管轄する役所(北海道開拓使庁)を設立するにあたり新しい地名がほしかったのである。

 その建白書の中で武四郎は「北加伊道」について次のように書いている。

「夷自らその国を呼びて加伊という。加伊は蓋しその地名。その地、加伊と名づく其の人鬚長く、故に蝦夷の字を用い、その実、唯だ鰕を取りて之を名づくるに 非ざるや。加伊と呼ぶ事、今に土人共互いにカイノーと呼ぶ。女童のことをカイナノー、男童のことをセカチーヌ訛りてアイノーとも近頃呼びなせり」

 つまり「加伊」という発音はアイヌたちが自らの土地を呼んだ言葉だということをいいたかったのである。少なくとも彼の地にケモノヘンや虫ヘンがつかな かったのは幸いである。もっとも武四郎自身がアイヌのことを「夷」だとか「土人」と呼んでいることには現在からすると相当な違和感があるが、戦後になって も「北海道土人保護法」という法律が存続していて、つい最近、平成になってから廃止されたことをわれわれも猛省しなければならない。

 北海道命名の経緯については http://www.yorozubp.com/95-97/971013.htm を参照。

 三雲町は、雲出(くもず)川に沿ったのどかな田園地帯である。今も旧伊勢参道が残っていて、集落の外れに武四郎の旧家も現存している。下級武士である郷 士の出身だと聞いていたが、なかなか立派な屋敷である。「松浦武四郎記念館」が建てられ、武四郎の業績を顕彰している。町が生んだ唯一の偉人であるところ から、年に一度の「武四郎まつり」までとりおこなわれている。全国的には知られていなくとも三重県では松尾芭蕉や大黒屋光太夫と並んで超有名人である。そ ういえば三人とも人生を旅で過ごした共通項を持っている。

 武四郎は16歳の時、江戸に遊学に出て篆刻を学ぶ。翌年、17歳から諸国遍歴の旅が始まり、晩年まで全国をくまなく歩き続けた。エゾ地には計6回の探検 を試みている。前3回は自前で、後3回は幕府の役人として踏査した。32歳にして完成した「蝦夷大概図」や『三航蝦夷日誌』などの旅行記によって幕府に認 められたのである。それにしても誰が武四郎の私的なエゾ地踏査に金を出したか不明であり、なぞである。

 武四郎の功績は、エゾ地の地図に克明な地名を記したところにある。すべてアイヌからの聞き取りによって地名、川の名、山の名を書き記した。表記は当然、カタカナである。

 武四郎はエゾ地に関する書籍を数多く残している。そのうちの何冊かを読んだが、アイヌを描いた人物や風物の挿し絵が実にかわいらしい。アイヌに対する愛 情がその挿し絵に乗り移っているような気さえする。当時、日本人がエゾ地にやってきて数々の蛮行を繰り返すのだが、その蛮行に対しても『近世蝦夷人物誌』 の中で批判している。

 当時のアイヌをめぐるロシアと日本の歴史的軋轢は船戸与一の小説『蝦夷地別件』(新潮文庫)にも詳しい。一読を薦めたい。

 三雲町はまもなく松阪市に合併される運命にあるため、松浦武四郎は来年からは松阪の出身ということになってしまう。ちょっと違うのではないかと思うが、 そんなことがこの地で議論されたことはほとんどない。もっとも武四郎が生まれたころ、この地は一志郡須川村と呼ばれ、その名前の村はもはや存在していない から、どうということもないのかもしれない。

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