2004年2月アーカイブ

2004年02月29日(日)萬晩報通信員  成田 好三

 中山竹通氏が主張する、マラソンの五輪代表「一発選考」は何故実現しないのか。いや、それ以前の問題として、何故メディアは一発選考自体に触れたがらな いのか。何故一発選考を、いわば『タブー』のように扱っているのか。その理由は簡単である。一発選考は、メディアに不利益をもたらす選考方式だからであ る。

 日本では、新聞・TVなど主要メディアとスポーツイベントが深く結びついている。高校野球では、高野連とともに春の選抜大会では毎日新聞が、夏の選手権 大会では朝日新聞が主催者に加わる。関西地区以外では、NHKが独占的に全国放送する。正月恒例の箱根駅伝では、読売新聞・日本テレビグループが実質的に 大会を統括している。

 メーンのスポーツイベントは、ほとんどすべて競技団体とメディアグループとの『共生関係』で成り立っている。メディアの後押しによって競技団体は、彼ら が運営する大会の開催費用を賄い、大会のステータスを上げることができる。メディアはまた、彼らが後押しする大会の隆盛によって視聴率や購読者を伸ばし、 さらに広告料を増やすことができる。その背後には大手広告代理店がいる。こうした関係は、マラソンの五輪代表選考レースに指定されている男女の国内3レー スでも同じである。

 男子の3レースは福岡国際(11月)、東京国際(2月)、びわ湖毎日(3月)である。主催者には日本陸連とともに各メディアグループが加わっている。福 岡国際は朝日新聞とテレビ朝日、東京国際は読売新聞と日本テレビ、びわ湖毎日は毎日新聞(NHKが後援)である。それぞれのレースは各メディアグループに よって大掛かりな事前キャンペーンが展開される。当日は主催(後援)のTV局によって制作された番組が全国ネットで生中継される。

 男子に比べ後発の女子マラソンも関係性は同じである。女子の3レースの主催者には日本陸連とともに、東京国際女子(11月)では朝日新聞とテレビ朝日 が、大阪国際女子(1月)は産経新聞と関西テレビ(フジテレビ系列)が、名古屋国際女子(3月)では中日新聞(後援にフジテレビ系列の東海テレビ)が加 わっている。新聞・TVなどの主要メディアとの『共生関係』なしにレースはもはや成り立たなくなっている。

 日本陸連がマラソンの五輪代表を一発選考で決定するとした場合はどうなるか。選考レースを新たに設定するか、男女の3大レースの中から1レースを選択す ることになる。新たなレースの設定は現実的ではないので、このケースは除外して考えてみる。1レースを選択することになれば、各メディアグループ間で激烈 な競争関係が生まれる。指定されたレースには五輪を狙う有力選手が集中するから、このレースの注目度とレースを主催(後援)するメディアグループの利益は 格段に上昇する。選定されなかったレースには逆の効果が生まれる。

 激烈な競争を避けるため各メディアグループが『紳士協定』、つまり選考レースを持ちまわり開催する協定を結んだ場合はどうなるか。五輪は4年ごとに開催 されるから、男女とも各メディアグループが主催するレースが選考レースに指定されるのは12年に一度ということになる。それまで4年ごとに利益を生み出し てきたレースの間隔が3倍に伸びる。

 一発選考は明らかにメディアに不利益をもたらすのである。だから、メディアは一発選考に触れたがらない。自らに明らかに不利益をもたらす方式など採用どころか、論じたくもないのである。

 日本人はマラソンが大好きである。五輪も大好きだ。大好きな2つのイベントが重なるのだから、五輪マラソンは他の競技とは比べようもないほどの社会的関 心を集める。五輪マラソンのメダリストは一夜にして国民的ヒーロー、ヒロインになる。バルセロナ、アトランタと2大会連続でメダリストになった有森裕子、 シドニー五輪金メダリストの高橋尚子が受けたその後の名声と金銭的評価をみれば、その辺の事情は詳しく説明する必要もないだろう。

 有森や高橋への評価は、彼女らの周辺にいる関係者や組織にも大きな利益をもたらす。それゆえにこそ、マラソンの五輪代表選考はいつも大きな社会的関心を集める。そして、選考方法をめぐって何度も混乱が生まれている。

ソウル五輪代表選考では、福岡国際を欠場し、びわ湖毎日で『追試』を受けて五輪本番に出場した瀬古利彦をめぐって賛否両論が沸き起こった。

 有森、高橋と3大会連続でメダリストを生み出した女子マラソンは、男子以上の話題を提供してきた。バルセロナ五輪では、3番目の枠をめぐって世界選手権4位の有森と大阪2位の松野明美が争った。「私を選んでください」と記者会見して訴えた松野は選に漏れた。

アトランタ五輪ではやはり北海道優勝の有森と大阪2位の鈴木博美が3番目の枠を争い、有森が出場権を得た。シドニー五輪でも、やはり3番目の枠を山口衛里 と弘山晴美が争い、弘山が涙をのんだ。2時間22分台の自己ベストをもつ弘山は、シドニー五輪出場を逃した中で最速のランナーになった。

過去の例ではいずれも、選手や関係者はもちろんファンも納得する明確な選考基準は示されなかった。最も明確な選考方法をとるとすれば、それは恐らく一発選 考しかない。しかし、その是非はともかく、一発選考はメディアグループの利害によってその論議さえ封じこまれているのが現状である。

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年02月28日(土)萬晩報通信員  成田 好三

 朝日新聞が2月13日付朝刊「オピニオン」のページで、「三者三論 マラソンの五輪代表考」と題した特集を組んでいた。複数の選考レースの結果を踏まえて代表を決定する日本流の方式と、米国流の「一発選考」方式の是非を論じたものである。

 「金メダリストが失速するなど、またもめそうなマラソン五輪代表選考。残る男女1レースに視線が集まる。正当な選考方法とは――」(リード部分)と問題 提起した上で、増田明美氏(スポーツライター)、中山竹通氏(大阪産業大陸上部監督)、マーク・ウエットモア氏(米国・陸上選手代理人)の主張を記者の聞 き書きで掲載している。

 増田氏は、佐々木七恵氏とともに日本女子マラソンの草創期を代表するランナーで、ロス五輪に出場した。中山氏は、1980年代から1990年代初頭にか けて、瀬古利彦氏、宗茂、宗猛兄弟らと日本男子マラソンの黄金期を築き、ソウル・バルセロナ五輪で2大会連続4位入賞を果たした名ランナーである。ウエッ トモア氏は、シドニー五輪男子マラソン優勝のゲザハン・アベラ(エチオピア)ら有力選手を抱える代理人である。

 紙面の経歴欄では触れていないが、増田氏はマラソンの五輪代表選考の決定権をもつ日本陸連の理事である。いわば陸連の『広報委員』的な立場にある。

 男女各3人の五輪代表選考基準について、増田氏はこう述べている。「世界選手権でメダルを獲得した日本人トップは内定、残りの枠は、世界選手権と国内3大会の上位入賞者から本大会(五輪)でメダルを獲得、または入賞が期待できる選手」。陸連の公式見解である。

 陸連が指定した複数の選考レースの結果を踏まえて、陸連の理事会・評議員会が代表選手を決定する。日本は長くこの選考方式を採用してきた。

 一方、スポーツ大国・米国などが採用しているのが「一発選考」である。過去の実績は一切考慮に入れず、ある1レースの結果によってのみ代表選手を決定する。

 陸連理事である増田氏は、紙面の冒頭から「俗に言う『一発選考』には反対です」と述べた上で陸連の見解を展開している。メディアを通して何度も繰り返し 主張されてきた内容なので、ここに再録する必要はないだろう。「日本は現実的に考えられるベストの方法をとっていると見ています。――戦う機会を複数与え ている点でも、米国など一発選考で決める国より、公平さが保たれていると考えています」と語るウエットモア氏の主張も陸連の見解を補完する内容である。

 3人の主張の中で注目すべきは、中山氏が展開した「一発選考積極支持論」である。以下、少し長くなるが、中山氏の主張を紙面から引用する。

 中山氏は「過去の実績で選ぶなら、選考会は必要ありません。みなが同じスタートラインに立たないと公平とは言えません」と述べた上でソウル五輪選考の例を挙げる。

 「ソウル五輪(1988年)の選考は、87年の福岡国際で一本化しようと暗黙の了解がありました。有力選手が多く、別々のレースを走ったのでは、誰が強 いのか分からないからでした。ところが瀬古利彦さん(現ヱスビー食品監督)が直前になってけがで棄権しました。私は『はってでも出てこい』というようなこ とを言いました。選考では、いかに体調を合わせ、能力を発揮するかが問われているからです。福岡では、30キロまで今の世界記録を上回るペースで飛ばしま した。瀬古さんが出場しなかったので、誰もできないことをしないと、五輪の出場切符は転がり込んでこない、と思ったからです」

選考レースのあり方についてはこう語っている。「①選考レースの一本化②国内外を問わず、1年間のレースの記録③4年間のポイント制、などが考えられますが、私は基本的には一発勝負でやればいい、と思う。その時に強くなければダメなんです」

 自らのマラソン哲学にも触れている。「マラソンは本来、人との駆け引きです。それが出来ないから、日本の男子は五輪で勝てない。選考レースにペースメー カーはいらない。42・195キロを最初からみんなで駆け引きさせる。そして記録と優勝を求めさせればいい。それがマラソンなんです」

 中山氏の展開した論旨は二重の意味で重要である。一つは、実にまっとうな主張であることである。氷雨の福岡をスタートから独走で駆け抜けた自身の体験を 踏まえ、独自のマラソン哲学や選手の心理面にも言及した論旨には説得力がある。選考レースのあり方についても幾つかの例をあげて提言している。

 もう一つは、中山氏のこうしたまっとうな論旨は、新聞・TVなど主要メディアでは正面から取り上げられることがほとんどないということである。

 朝日新聞は「三者三論」で中山氏に一発選考論を語らせているが、それ自体が新聞・TVなど主要メディアにとっては異例なことである。メディアは以前に書 いたペースメーカー(設定タイム通りにレースを先導するランナー)同様、いやそれ以上に一発選考論には触れたがらない。一発選考を論じること自体が『タ ブー』のように扱われてきた。

 何故か。メディアに一発選考は不利益をもたらす厄介者である。日本において、メディアはスポーツイベントとあまりに深くかかわりすぎている。メディアは既にスポーツイベントの主催者と受け手(読者、視聴者)との間で情報を伝達する媒体ではなくなっている。

 スポーツイベントに関しては、メディアは当事者(主催者)の立場にあるからである。そのことの詳細については、次回に書くことにする。

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2004年02月27日(金)長野県南相木村診療所長 色平哲郎

 ・・・すべての人は異なる存在です。
 言い換えれば、すべての人はユニークであるといえます。
 ユニークというのは、たった一つ、という意味で、
 他とは違う、ということです。
 あなたは他の人とは違う外見を持っているし、
 あなたは他の人とは違うものを美しいと思います。

 自分の兄弟や姉妹でさえも違います。
 すべての人は違う、ということについて
 「個人」という言葉を使うことも出来ます。
 「個人」とは一つのまとまった全体として固有の性質を持った人、
 という意味です。
 そしてすべての人は独自の性質を持っているので、
 自分を大切にするためにそれぞれ違ったものを選ぶのです。
 たとえば、石鹸でも食べ物でも自分で選ぶのです・・・

 以上、Verzorging voor jou より 発行元 Malmberg den Bosch

 オランダ・ハーグ市在住の友人、リヒテルズ直子さんから、娘さんが中学生の時に使っていた教科書を翻訳でご紹介いただきました。オランダの中学 1年生が学ぶ「保健・家庭・道徳」の一番初めにこの文章が出てきて、どんなに時間が足りなくても、この部分はすべての中学生が学ぶといいます。

 オランダは中高一貫で、この教科は中等学校の前期段階の必修科目とのこと。教科書は公立・私立の別なく、教員の自由選択によって選ばれるとのことです。

 福岡のご出身で、大学院の研究員として、マレーシアのマラヤ大学に留学し、イスラムの伝統農村で入村調査をしていたリヒテルズ直子さんは、そこで、開発 協力の専門家としてきているオランダ人のお連れ合いに出会い、15年ほどアフリカやラテンアメリカの国々に住んだと伺います。

 以下は彼女から届いた「オランダ教育風説書」です。


 ・・・すべての個人が一人一人違う、ユニークな存在であることを認めたら、「移民」などという言葉で人を括ることは出来なくなります。移民でない私たちでさえ、千差万別だからです。

 人を見たら、すぐに、民族・宗教・性差・性傾向・言語集団・階層など何かのカテゴリーで括ってしまおうという傾向が強い人ほど、「個性」がいかに大切で、いかに可能性に満ちたものであるかを知らないのだ、と思います。

 こうしたことを中学校で教える前に、オランダの小学校では、現在、授業としてだけではなく、あらゆる場面を利用して、生徒自身が他の個人とどう関わるべ きか、また、集団の中で、さらには、大きな集団としての社会、そして国を超えた世界の中で、どのように行動すべきかについて教えています。

 経験を分かち合う、親切にする、共に遊びともに働く、役割を果たす、自分自身を人に紹介する、一つの選択をする、などです。それは、先生の話、体験の共有、ロールプレイなどを通じて行なわれています。

 そして、最後にとても大切なことが教えられます。
「自分を自分で守る」ということです。

 (1)自分が何かを望まないときには「ノー」という
 (2)約束が守られない時にはもう一度約束をしなおす
 (3)他の人が不親切だったり不公平だったりした時には、
   それをきちんという
 (4)助けを求める
 (5)自分が忘れられていたり無視されていたりしたら
   それをきちんという
 (6)自分自身についての意見をしっかり守り通す

以上、ロッテルダムの民間教材研究所 CED が開発した「社会・情動形成」のための教材で、小学校の中学年(7歳から10歳)を対象にしたものより:CED/ Kwintessens : Kinderen en hun Sociale Talenten


 このような社会情動教育には、専門の教育学者や教育心理学者の手で、実に多様な教
材が用意されています。学校の先生たちは、このように、広く領域を網羅ししかも、例え話や生徒に与える課題などを添付した教材の中から、教室の状況に適したものを選んで使うことが出来ます。

 上述の6項目を見ていると、こうした教育を今一番必要としているのは、ほかでもない日本の子ども達なのではないかと感じます。

 ところが日本では、それに気付いている教師ですらも、取り組むことができません。教師自身の「個人」としてのユニークさが認められていないからです。学校それ自体がユニークな教育をすることを社会が認めていないからです。

 政府もそうですが、社会も大多数においては、「個人」がどんなにユニークで価値ある存在であるのか、ということの認識について、あきらめの感覚をもって しまっているのではないのでしょうか。結局、そういう政府を支えてきたのは、「個人」のユニークさを押さえつけることで生活の糧を得ることを余儀なくさせ られてきた日本の国民です・・・


 確かに、オランダの教育環境をそのまま日本に持ち込み得る、とは考えにくいところがあります。しかし、教育についてどういう視点で考えるべきか、という意味で、多くの示唆があると感じました。

 江戸時代、世界情勢を知る術は、入港するオランダ船が長崎奉行に届ける「オランダ風説書(ふうせつがき)」だけでした。ヨーロッパやアジアの最新情勢を まとめたレポートは、鎖国下の貴重な情報源として、幕府が提出を義務づけていたもので、内容は幕府の機密だったのです、、、


 以下は、昨日リヒテルズさんからいただいた最新の「風説書」です

 ・・・昨夜、高校1年生の娘の「公民」の宿題につきあわされました。
 教科書に書いていないことを先生が説明し、
 明日までに次の課題を解いてこい、
 というわけです。

 「福祉国家と民営化」について、というものでした。
 全国紙に掲載された「民営化問題についての論説」、
 福祉社会に関する部分の政治学の論文が資料です。

 そして、オランダ国家、ヨーロッパ連合、
 官立組織の労働者、民間資本家、消費者という
 5つのカテゴリーのそれぞれの立場で、
 「民営化による利点は何か」
 「各カテゴリーの人々の利点は相互にどのように連関しているか」
 「民営化によって有利なのは誰か」
 を記述・説明し、
 そして、最後に、自らの立場を明らかにして、
 「民営化」に賛成か反対かの議論をせよ、というものでした。

 15歳16歳の子供たちが、
 こういう課題をこなすのに、ふうふういいながら、
 しかし何とか答えを出そうとしている・・・
 市民を育てるとはこういうことだ、と感じました・・・


 今年6月に日本国で発行予定の本に、リヒテルズさんはオランダ教育について、まとめて報告する予定と伺いました。
 詳しくは、『オランダ通信』まで
 http://home.planet.nl/~naokonet/index.htm
(いろひらてつろう)

 色平さんにメールは mailto;DZR06160@nifty.ne.jp
2004年02月26日(木)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 前稿「ジョン・ケリーをめぐる女性たち」
http://www.yorozubp.com/0402/040221.htm
を書いたあと、ケリーに関するより詳しい情報を入手することができたので、それに基づいて前稿に補足と訂正を行ないたい。主たる出典はインターネット百科事典Wikipedia: http://en.wikipedia.org/wiki/John_Kerry である。たいへん興味深い詳しい情報なので、英語のできる方はぜひご自分でお読みいただきたい。そのほかの情報源もまじえて、以下にケリーの出自について述べてみたい。

 ジョン・ケリーはユダヤ人の血をひいていた。

 ケリーの父方の祖父は、フリッツ・コーンというチェコ(当時はハプスブルク家オーストリア帝国の一部)生まれのユダヤ人であった。このことを明らかにし たのは、今年2月2日の『ボストン・グローブ』紙である。グローブ紙は、2002年、地元出身の上院議員が大統領選に出馬する予定と聞いて、ケリーの先祖 の調査を行なったのであった。

 ケリーという名はアイルランド系だと思われていたが、祖父のフリッツ・コーンがオーストリア在住当時、カトリックに改宗し、フレデリック・ケリーと改名 したのである。フリッツは1873年生まれであるが、彼の生きた時代は、ヨーロッパで反ユダヤ主義が高まった時代であった。シオニズムの提唱者テーオドー ル・ヘルツルは1860年生まれ。ヘルツルの死後、中欧におけるシオニズムの指導者になったマルティン・ブーバーは1878年生まれである。

 ハプスブルク帝国の主流派宗教はカトリックであった。反ユダヤ主義を避けるために、コーンがカトリックに改宗したのは当然の選択であった。1902年に アメリカに移住したフレデリック・ケリーとその妻イダは、子供をカトリック教徒として育て、自分たちのユダヤ的出自を隠蔽した。ヨーロッパの反ユダヤ主義 に苦しんだユダヤ移民の中には、こういう人々が少なくない。

 フレデリックは、息子リチャード(ジョンの父親)が6歳のとき、銃で自殺した。原因は事業の失敗である。

 父を失ったリチャードの幼少期、青年時代は苦労が多かったものと思われる。そのリチャードがどういうわけか、名家の令嬢ローズマリーと結婚することができた。

 リチャードの妻、つまりジョンの母は、ローズマリー・フォーブス・ケリーといい、フォーブス家の娘としてパリで生まれ育った。フォーブス家は、雑誌 『フォーブス』でも有名な大財閥である。二人は、リチャードがブルターニュ地方のサンブリューという海岸の町を訪れたときに知り合った。

 母方の祖父のジェームズ・グラント・フォーブスは上海生まれの銀行家で、その妻はマーガレット・ティンダル・ウィンスロップである。ウィンスロップ家 は、イギリスからマサチューセッツに入植したピューリタンの一族で、アメリカの名家中の名家の一つである。この家系は、フランクリン・ルーズベルト、 ジェーン・アダムス、カルヴィン・クールリッジ、ブッシュ大統領一族とも縁戚関係になる。

 ケリー家とフォーブス家の家格の違いを考えると、この結婚はきわめて不自然な感じがする。二人がなぜ結ばれることができたのか、その間の経緯は今のところ謎である。

 ジョン・ケリーが親戚から、自分の祖母のイダがユダヤ人であるということを知ったのは1980年代の終わりであった。彼は自分の出自を知りたいと望み、 オーストリアに行ったおり、ケリーという名のユダヤ人を捜したが、当然見つからなかった。1990年代の終わりになってジョンは、癌で死期が近づいた父リ チャードから、祖父が自殺したことを教えられ、衝撃を受けた。

 不思議なことに、ジョンの弟のキャメロン・ケリー(法律家)は、ケリー家のユダヤ的出自を知らずに、ユダヤ女性と結婚し、すでに1983年に自分もユダヤ教に改宗していた。先祖の血に導かれたとしか言いようがない。

 ちなみに、民主党の候補者であったリーバーマン、クラークもユダヤ系。ディーンは夫人がユダヤ系で、子供はユダヤ人として育てているとのことである。アメリカにおけるユダヤ系の強さにはあらためて驚かされる。
http://www.dsz-verlag.de/Artikel_04/NZ09/NZ09_2.html

 父リチャードは第二次大戦中はパイロットに志願したが、戦争後は外交官になった。ジョンは父とともにスイスとフランスで数年過ごし、フランス語に堪能になった。

 学生時代、ケリーはジャックリーン・ケネディの妹とつきあい、彼女を通してケネディ大統領と個人的な面識を得た。ジョン・フォーブス・ケリーのイニシャルは偶然にもJFKで、ケネディ大統領のそれと同じになる。彼はJFKと署名するほど、ケネディに憧れていた。

 アメリカの大統領はこれまで大部分が、白人男性のプロテスタント、いわゆるWASPで、カトリックのケネディ大統領が唯一の例外であった。2000年の 大統領選挙で、ゴア候補がユダヤ系のリーバーマンを副大統領候補に指名したとき、大きな驚愕を招いた。もしケリーが大統領になれば、アメリカ史上初のユダ ヤ系大統領ということになる。もっとも、ケリーはカトリックなので、ユダヤ人とは言えないであろうが。いずれにしてもWASPではない。彼のユダヤ人とし ての血筋とカトリック教が、選挙戦にどのような影響を及ぼすか、興味深いものがある。

 ケリーはエール大学時代、「スカル・アンド・ボーンズ」という学生組織に加わって、のちにアメリカ上流社会のメンバーとなる人々と知己になった。このグ ループの友人の一人を通して、最初の妻ジュリア・ソーンと知り合った。(この学生組織については、あとで詳しく触れたい)

 さて、Wikipediaの情報の執筆者によれば、「ニュースマックス」が掲載した、ケリーとジェーン・フォンダが一緒に写っている写真は、デジタル的 に作成された偽写真である(元の写真を撮った写真家が証言)。さらに、ジェーン・フォンダはこの反戦集会に参加していないとのことである。ケリーを攻撃す るために、こうした嘘の情報がインターネットを通じてばらまかれているそうだ。

 だが、「ニュースマックス」はこの写真をまだ撤回していない。

 この写真に触れていることから、この記述がごく最近書かれたものであることがわかる。Wikipediaの情報は、全体的に見てケリーに好意的な立場で 書かれている。虚実いりまじった激しい情報戦が行なわれていることはたしかで、Wikipediaの記述も情報戦の一部なのであろう。(続く)

 中澤さんにメールは mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp
2004年02月25日(水)早稲田大学政治経済学部2年 藤田 圭子

 「耕して天に至る。以って貧なるを知るべし。」
 中国の李鴻章が段々畑(もしくは棚田)を形容してこう語ったと伝えられている。日本の段々畑というよりも中国のものを形容していったのだろうと考えられるが、段々畑を形容する言葉として最適な表現だと思う。

 日本にも段々畑は点在している。かつては至るところで見られた段々畑だが、現在ではほとんど残っていない。棚田は全国的なネットワークもあり保存活動が盛んである。しかし、段々畑にはこういった組織はまだ成立していない。

 四国の西南にこの段々畑が一区画だけ集中的に残っている。遊子・水荷浦(ゆす・みずがうら)である。今回はこの段々畑の形成過程と今後について紹介したいと思う。

 江戸時代、遊子は宇和島・伊達藩の領土であった。宇和島は鬼ヶ城という山を背後に控え、眼前には宇和海が広がっている。遊子はその半島にあり、土地は狭く漁業で成り立つ地区である。

 この遊子の地に段々畑が開かれたのは元禄初期の頃だと推定されている。土地を求めて浦が開発されたというよりも、漁場が開拓されたためだと思われる。当 時、宇和海は鰯漁が盛んであり、保存用に塩干しにする他は干鰯として大阪・兵庫方面に出荷されていた。これは宇和島藩にとって貴重な外貨収入になるため、 漁業が奨励されていたのである。藩は漁業を奨励するため、漁民たちの自給分として浦にある山に段々畑を開発することを許可していった。こうして、段々畑が 形成されるに至ったのである。

 幕末から明治にかけて、漁業が発展期を迎え遊子の人口増加があった。この時期に段々畑の造成が為されたようである。人口増加以外の理由として、耐乾性の甘藷が耕作作物として導入されたことも段畑発展の理由であると思われる。

 第二次世界大戦後にも大戦後の食料不足のために段々畑は造成されていったようである。この時期の写真が残っているが、湾を囲む山は全て開かれ段々畑に なっている。こうして段々畑が開かれていったのだが、昭和20年代にはもう広がることはなくなり、段々畑の消滅という過程を辿っている。

 山を開きすぎた罪だったのか、昭和35年をピークとしてネズミが異常繁殖した。人口6000人の宇和海村(遊子を含む地区)に推定60万匹のネズミが生 息していたという記録が残っている。ネズミは段々畑の芋や麦を食い荒らし、家では幼児の指や耳をかじることもあったそうだ。この異常事態に県下からネコが 集められて導入されたり、ネズミを1匹10円で買い取るなどの政策が行われた。

 こうしたネズミの被害も若者が都会へ出稼ぎに行き、老人が段々畑を放棄していった昭和40年代にようやく終わった。何事も行き過ぎは良くないという自然からのメッセージだろう。

 段々畑での耕作は困難を極める。急傾斜である上に、1段の耕作幅は狭いところでは40cmほどしかないところもある。こういう狭い畑であるから、耕作中 に畑から転がり落ちて怪我をしたという話しも聞くし、重い肥溜めや収穫物を荷うので肩に荷瘤ができるという話しも聞く。今でこそ、モノレールが付き幾らか の道が付いたとはいえ畑の狭さに変わりは無く段々畑での労働は大変である。

 「耕して天に至る」段々畑。「新・宇和島24景」「日本農村100景」「四国水辺88ヶ所」「文化庁指定」に選定され、マスコミ露出度も高まって来た。 そのためなのか、この地を訪れる人は多い。段々畑を見て、圧倒されて帰っていく。その思いは耕作経験者とは違っている。地元の耕作経験者は辛い思い出から か「負の遺産」と捉えている人が多い。耕作経験者ではない私は、観光客の感情に近いのだと思う。先人達の流した汗の染みる石に体を寄せ、潮風に吹かれる。 嫌なことがあればいつもこうして段々畑に上っていた。無くなるのはとても悲しい。それは、段々畑の消滅にムラの消滅を重ねてしまうからかもしれない。

 地元住民の呼びかけで2000年に「段畑を守ろう会」が結成されている。漁業に元気のない今、この存続・運営も今一つのようだ。段々畑が後世に残してい くべき遺産として今後も残っていくことを望んでいる。「負の遺産」としてではなく、今を生きる私たちに「物言わぬ師」として残って欲しいのである。

 藤田さんにメールは mailto:yusukko@cf7.so-net.ne.jp

 『遊子っ子広場』 http://www005.upp.so-net.ne.jp/yusukko/
2004年02月21日(土)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

「ジャネット・ジャクソン事件とムーブオン」からの続き
http://www.yorozubp.com/0402/040214.htm

 アメリカのマスメディアによって、民主党候補者レースのトップランナーに引き立てられたケリーとはいかなる人物なのか。

 ジョン・ケリーは1943年生まれ、現在60歳。彼はエール大学卒業後、海軍に入隊し、ベトナム戦争中には危険なメコン・デルタ地帯で小型艇に乗って 戦った。銀星章(これは戦闘でベトコン・ゲリラを殺した功績でもらった)、青銅星章、3つのパープル・ハート勲章(戦闘で負傷した将兵に与えられる勲章) を授与された(つまり、3回負傷したということになるが、いずれも軽微な傷であったようだ)。しかし、ベトナムから帰還後、ベトナム戦争に疑問をいだき、 Vietnam Veterans of America(ベトナム帰還兵の会)を作り、さらにVietnam Veterans Against the War(戦争に反対するベトナム帰還兵の会)のスポークスマンになった。1982年にマサチューセッツ州の副知事、1984年に上院議員になる。私生活の 面では、彼はテレイザ・ハインツ・ケリー(Teresa Heinz Kerry)夫人と結婚している。彼には2人の娘がいて、テレイザ夫人には3人の息子がいる。これが彼の公式HPに紹介されている経歴の要約である。
http://www.johnkerry.com/about/

 公式HPは父親について、第二次世界大戦中、DC-3機のパイロットに志願した、とだけ書いているが、彼の父は外交官で、ボストンの名家の出身である。彼はエリートとしての自分の出自を隠し、軍隊との関わりを強調しているように見える。
http://www.amazon.com/exec/obidos/tg/detail/-/0060565233/
104-0713378-4951120?v=glance


 「彼には2人の娘がいて、テレイザ夫人には3人の息子がいる」というHPの説明にも示されているように、ケリーとテレイザは再婚どうしである。彼は最 初、親友の妹であったジュリア・ソーン(Julia Thorne)という女性と1970年に結婚したが、1982年に別居、1988年に最終的に離婚した。2人の間に生まれた2人の娘は、今はケリーと一緒 に暮らし、彼の選挙運動を応援している。ジュリアは建築家と再婚している。数冊の本も書いているので、なかなか知的な女性だと思われる。
http://bozemandailychronicle.com/articles/2004/02/15/
news/03wifebzbigs.txt


 1995年にジョン・ケリーと結婚したテレイザ夫人(現在65歳)は非常に興味深い女性である。オブザーバー紙によると、彼女の旧姓はティーアシュタイ ン・シモエス-フェレイラ(Thierstein Simoes-Ferreira)といいといい、著名なポルトガル人医師の娘としてモザンビークで生まれた(モザンビークは旧ポルトガル植民地)。 「ティーアシュタイン」というのはドイツ系の名前で、ドイツ系の血も入っているように思われるが、その情報はインターネット上には見つからない。彼女は南 アフリカとスイスで教育を受け、英語、ポルトガル語のほか、フランス語、スペイン語、イタリア語ができる。スイスのジュネーブ大学では、現国連事務総長の コフィ・アナン氏と同級生だった。彼女も通訳として国連で働いた時期がある。
http://observer.guardian.co.uk/comment/story/0,6903,1130604,00.html

 彼女は最初1966年に、ハインツ・ケチャップ会社のオーナーで、ペンシルバニア州上院議員(共和党)のジョン・ハインツ3世と結婚した。

 ハインツ・ケチャップ会社とは、ドイツ移民の息子であるヘンリー・ジョン・ハインツが1869年に興した会社で、世界的な食品メーカーである。大統領の 座をねらっていたジョン・ハインツ3世が1991年に飛行機事故で死亡したあと、彼女は5.5億ドルにものぼる膨大な財産を遺産相続した。
http://www.faz.net/s/RubEC1ACFE1EE274C81BCD3621EF555C83C/
Doc~E34540431EBF143F19EDE3E03A9875170~ATpl~Ecommon~Scontent.htm
l

 彼女の情熱は環境問題である。すでに夫ハインツが在世当時からハインツ財団を作って、環境団体に多額の寄付をしている。

 ケリーとテレイザは、1990年のアース・デイのときに、ハインツの紹介で知り合ったと言われている。さらに、ハインツの死後、2人は1992年にリオ デジャネイロで開かれた「地球サミット」に共同出席した。1995年に両方の子供たちの前で結婚。先にあげたオブザーバー紙は、「環境に対する情熱が2人 (テレイザとケリー)を結びつけた」と述べている。

 以前はなかったのだが、ケリーの最近のホームページは、環境問題に熱心な慈善家テレイザを大きく売り出している。
http://www.johnkerry.com/about_teresa/

 2人ともカトリック信者で、お祈りはラテン語で唱え、ケリーもフランス語が話せる。外国語が話せず、フランス嫌いのブッシュとは大違いのインテリ夫婦で ある。テレイザ夫人を通して、両者の国連、ヨーロッパ、カトリック世界とのつながりは濃厚である。ケリーにとっては、大富豪で慈善家のテレイザは、大統領 となるための最大の助力者であるし、テレイザにとっては、ケリーは大統領になる可能性を持った2人目の夫である。いわば両者は互いに相手を必要としてい る。2人は、国際的で、知的で、環境問題に熱心で、大金持ちで、家柄がよく、理想的なカップルのように見える。

 ただし、離婚から再婚までの間、ケリーはもてもての上院議員で、何人かの女性との関係が噂された。2000年の大統領選挙で、ゴア候補が副大統領候補と して、ケリーではなくリーバーマンを指名したのは、ゴアがケリーの女性スキャンダルを恐れたためである、という情報もある。

 日本でも報道されたが、最近、ケリーの不倫疑惑が浮かび上がってきた。これは、クリントンのモニカ・ルインスキー事件を暴露したニュースサイトの「ド ラッジ・リポート」が報じたものである。真実なのか、単なる悪質な噂なのかは不明であるが、ケリーも相手の女性も関係を否定している。この件は主としてイ ギリスのマスコミによって報道されているのだが、アメリカのマスコミはほとんど報道していない。
http://www.iht.com/articles/129844.html
http://story.news.yahoo.com/news?tmpl=story&cid=694&e=
7&u=/ap/kerry_polier


 アメリカのマスメディアが報道をひかえているので、すでに噂は下火になりつつある。そのため、この不倫疑惑はケリーの支持率に影響を与えていない。スキャンダル好きのアメリカのマスメディアが最初から報道をしないのは、ケリーをかばっているからだろう。

 筆者にとってもっと興味深いのは、ケリーのもう一人の女性との「関係」である。その女性とはジェーン・フォンダである。

 ジェーン・フォンダといっても、今の若い人にはあまりなじみがないかもしれないが、筆者のように、ベトナム戦争・大学紛争のさなかに学生時代を過ごした 者には、忘れられない存在である。名優ヘンリー・フォンダの娘で、自身も女優になり、アカデミー賞主演女優賞を2度受賞した。しかし、彼女は単に銀幕の世 界だけの女優ではなかった。彼女はベトナム反戦運動に身を投じ、反戦運動家のトム・ヘイドンと結婚した(その後離婚)。その反米的・親ハノイ的態度のため に、「ハノイ・ジェーン」というあだ名を付けられた。最近では、CNNの創立者であるテッド・ターナーとの結婚と別居で話題になった。
http://www.zakzak.co.jp/midnight/hollywood/backnumber/F/000105-F.html

 ベトナムから帰還したあと、ケリーは一時、ジェーン・フォンダとともにベトナム反戦運動を行なっていた時期がある。共和党系のニュースサイト「ニュースマックス」が最近、ベトナム反戦集会でジェーンとケリーが一緒に写っている写真を探し出し、サイトに掲載した。
http://www.newsmax.com/hottopics/Sen_John_Kerry.shtml

 ケリーはベトナム戦争の英雄でありながら、反戦運動の闘士になった。軍人が悲惨な戦場を実際に体験して、反戦的になることは何ら不思議なことではない。 それはある意味ではきわめて人間的なことであるとさえ言えよう。ただし問題は、彼がこの経歴を選挙戦でどのように利用しているか、ということである。

 ジェーン・フォンダとの関係を指摘されて、ケリーは「自分がジェーン・フォンダと一緒に活動したときは、彼女があとであれほど過激になるとは思わなかっ た」と弁解している。また、自分の反戦運動は愛国の行為だった、かつての反戦運動は乗り越えなければならない、とも述べている。

 今回の米大統領選挙では、ブッシュをはじめ、民主党の各候補者もベトナム戦争の影を引きずっている。ちょうどベトナム戦争世代がアメリカの政治経済の中 心となってきたからであろうし(クリントンもベトナム戦争世代だった)、イラクでは今なお戦闘がつづいているので、よけいにベトナム戦争のことが連想され るのであろう。

 ケリーの場合、ブッシュ政権の軍事強硬路線に反対する民主党支持者には、反戦運動家としての経歴をほのめかし、現在のブッシュ路線を支持する共和党支持 者には、ベトナム行きを逃げたという疑惑があるブッシュとは違い、ベトナムで実戦に参加した、という経歴を誇示するという戦法を使う。二つの顔をうまく使 い分けることができるのが、「中道派」としての彼の「当選可能性(electability)」を高める要素となっている。(続く)

 中澤先生にメールは mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp
2004年02月20日(金)日中合資会社経営 浅川 洋

 【中国山東省烟台市2月12日】1月22日から中国は正月にあたる「春節」に入った。その休暇の直前、1月21日付けの新聞には政府発表の大きな記事が載った。

 「昨年のGDP(国内総生産)は11兆6694億元で前年比9・1%増。国民1人当たりのGDPも1090ドルと、1000ドルの大台を超えた」(写 真)と新聞の見出しは踊っていた。実にタイミングの良い発表で、春節休暇中は余裕を持って休めたし、話題にもなった。

 中国の新聞は、外国を批判する記事は載せるが、自国の政治や経済政策を批判したり、経済見通しを暗く書くことはほとんどない。いつも前向きで明るい記事 が多いのは、大陸的なおおらかさの表れかもしれない(共産党の一党独裁政治の面は確かにあるが...)。

 昨年のGDPを日本円に換算すると約150兆円なので、日本の30%程度でしかない。

 中国の新聞報道によると、昨年の鉄鋼の消費量は全世界の25%、セメントは50%、石炭は30%、石油は8%、電力は13%だった、という。人口は13 億人なので世界の総人口63億人の21%になる。多分、食料の消費率も人口比に近いと思う。こんなに多くの資源やエネルギー、食料を消費しても、中国の GDPは世界の3・3%に過ぎない。自国通貨の人民元とか物価が安いせいなのか、貧乏な地区が多いせいか分からないが、納得しづらい。

 経済がいちばん発展しているのは、香港に隣接している深セン市だ。昨年のGDP成長率は何と17・3%と高い率だった。我々の山東省も沿岸部なので、国 家の平均値よりは高いはずで、多分10数%の成長だと思う。当社の合弁会社がある4地区の生コン需要量を見ると前年比で30%の伸びを示している。また、 北京や上海の生コン需要量も20%は伸びている。

 生コンの需要増進率だけを見ると高成長に見えるが、工事現場の小型ミキサーでコンクリートを練って使用する通称「現場練り」の比率がまだ高い。生コン需要量だけで判断はできないが、参考にはなる。

 中国は今年も経済が成長し続け、石油消費量は3億トンとなり、日本を追い越して世界2番目になると予想されている。喜ぶべきなのか、悲しむべきなのか、日本人の筆者には結論が出ない。(新建新聞から転載=株式会社高見澤常務)

 浅川さんにメールは mailto:askwhiro@public.ytptt.sd.cn
2004年02月19日(木)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 イラクへの自衛隊派遣や北朝鮮の問題と国際舞台における日本の役割が期待されている。戦後60年近くを経て、日本のかじ取りが最も必要とされる年になる と考えられる。このような時こそ、世界観と歴史観を持って、日本のビジョンを明確に示さなければならない。

 福沢諭吉は「和魂洋才」の四文字で日本のあるべき姿を表現した。明治維新後の西洋へのあこがれと、科学、技術、文化を大きく吸収しようとする気概が伝わってくる。

 一方、大隈重信は「東西文化の調和」という本の中で、「和魂漢才」という表現で、東洋思想やアジア主義の重要性を伝えている。この偉大なる先人に共通す るのは、日本の長い歴史とアジアの東の果てのすばらしい自然環境の中ではぐくまれた純粋な「日本のこころ」を基軸としているところである。

 さて、現在の日本に適した四文字のビジョンをいかに表せばいいのだろうか。日本は、仏教、儒教、キリスト教と、和魂を失うことなく、ほどよいかげんで導入し、調和させてきた。戦国武将も、当時の東西思想や先端の技術を海外からとり入れてきたのである。

 この百有余年の歴史をたどってみても、日本は、富国強兵、戦争、敗戦、世界一の開発援助国と変化してきた。時代の変化がそうさせたのであるが、要は多様 性と柔軟性を備えたお国柄なのである。そして、その源泉は、やおよろずの神(八百萬の神)を崇拝するという、世界でもユニークな宗教観、思想、風土にある と考えられる。

 世界の潮流はグローバリゼーションであり、多様性への対応が重んじられる一方で、アメリカを中心にした一神教的な価値観が世界を席巻している。

 パワーポリティックスによる強制的な行動では、平和は達成されない。愛国心は大切であっても、他国にそれを押しつけてはいけない。ワシントンでブッシュ政権の外交政策を見ていると、それを強く感じる。

 中東には中東、アフリカにはアフリカのデモクラシーがある。アメリカのデモクラシーは進んだ段階であっても、決して世界の規範になるとは思われない。

 重要なのは、東西文明の調和や先進国と途上国の調和である。多様性を認めるという「萬」がキーワードになると考えられる。そこで「和魂萬才」という四文 字は、グローバリゼーションが進展する中、地球の多様性を認め、柔軟性に富んだ対応をするという意味で、日本のあるべき姿を表しているのではないだろう か。

 和魂萬才の観点で北朝鮮問題を考慮することにより平和構想に柔軟性が見えてくる。対話も圧力も包括するのが萬の考えであるとすると、対話と圧力が対立す るものでないと考えられる。ブッシュ政権の戦争関与政策では、危険すぎるし、韓国の太陽政策ではナイーブすぎる。従って、多国間進歩的関与政策が相応しい 政策だと思う。では、この進歩的関与政策とは、現実的にどんな政策となるのであろうか。

 日本の対北朝鮮への空気、即ち拉致問題を察すると、北朝鮮への経済制裁を避けて通れないようである。然からば、日本は北朝鮮に経済制裁を加えるべきであ ろう。北朝鮮への制裁なしでは、日本国民の感情が治まらないのなら、そうすべきである。歴史が物語るように国際社会の同意がない経済制裁は効力を発揮した ためしがない。でも、この1年半ほど大した進展のない北朝鮮問題を鑑みると現在の状態から抜け出す政策が求められている。今から半年以内の経済制裁を仕掛 けることにより、次にここぞとばかり登場するのが対話や建設的な関与だと信じたい。

 ワシントンの空気に接していると北朝鮮の問題が大きく動くような気がする。理由は、フランスを除くEU14カ国が北朝鮮と国交を正常化させたことと、中 国の東北3省への関与並びに6者会合を通じた多国間協力の推進である。これに遅れないためにも、まず日本は日本の意思で北への経済制裁を仕掛け、国民的感 情に納得が見えてきた時点で多国間進歩的建設的関与政策に切り換えることを考えればいいと思われる。そんな「和魂萬才」の舵取りを期待したい。

 中野さんにメールは mailto:tomokontomoko@msn.com
2004年02月19日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 賀川豊彦の『空中征服』という小説を読んだ。大正11年に大阪日報に連載したものを同年12月に改造社から出版。出版した月だけでも11版を重ねた。 『死線を越えて』がベストセラーになった2年後であるから、評判を呼んで当然だったのかもしれない。

 この『空中征服』は、主人公が川の中の生き物と会話をしたり、空中都市が生まれたりするなど奇想天外、荒唐無稽に物語が進む。その点では涙や感動を誘う 賀川文学とは軌を一にしていない。大阪の工場から排出するばい煙による大気汚染が限界を超えていたことの業を煮やした賀川豊彦市長が突然、煙筒廃止方針を 打ち出し市議会を巻き込んだドタバタ劇が展開する。

 公害という言葉さえない時代に大気汚染防止の必要性を指摘した先駆性は大したものだが、それよりも興味深いのは大正末期の日本で賀川豊彦扮する大阪市長が公務員事務の請負制を考え出し、それを実施に移すことである。

 小説の中では、アメリカですでに「市政事務引受会社」というものがあることを紹介している。80年前の話である。はたして本当にあったかどうか分からないが、発想が実に現代的である。

 以下、『空中征服』の内容の一部を転載する。

 ■蝸牛性革命的神経衰弱

 市長が綱紀粛正を宣言すると同時に、第一反対の声を挙げたものは土木課であった。土木課は実に妙なところで月賦払いの最上等の洋服を着るもののもっとも多いところである。

 賀川市長の「サボタージュ性繁忙」に対する整理に反対するものは、ただに土木課の一部のみではなかった。ほとんど市庁舎の吏員全部であった。云うところは「いままでの通りの方がやりやすい」と云う簡単な理由である。

 賀川市長としては、市の行政に新機軸を出したいのである。

 彼の望むところは、市の凡ての執務事項を請負制度にして、土木、衛生、庶務、戸籍、学務、社会、会計、都市計画等の諸課を執務吏員に入札させて、競争の札を入れ、執務能率の応じて能率賞与を与える利率を定めることであった。

 米国では既に市政事務引受会社があることだから、日本でも事務引受の会社があっても善さそうなものだとも、賀川市長は考えたのである。

 市長は断然、市吏員の執務行程の大改革を発表した。そして、いままでの全課長を辞退せしめて、新たに能率請負の入札を各課に命令した。

 サア、大変だ。各課は上を下への大動乱だ。総辞職を主張するものもあれば、全吏員のゼネラル・ストライキを宣伝して回るものもある。そうかと思うと、賀 川市長に辞職勧告に行こうと云うものもある。気の早いものは市参事会員のところへ駆けつけるものもある。市会議員を訪問するものもある。まるで蜂の巣をつ ついた様な結果になって了った。

 こういう結果になると云うことは彼もよく知って居た。それで平気で居た。彼は自棄を起こして帰った戸籍係の手伝いでもしようかと思ったが、それも出来な いし、あれしようか、これしようかと一人で悶えて、反って自分が神経衰弱に懸かって居ると云うことに気がついた。それは蝸牛性的思想病革命的神経衰弱とで も名をつく可き性質のものであって、仕事は運ばず、神経だけ尖ぎって、何かしら革命的に行きたい病気である。

 賀川市長は大阪市職員を全員やめさせて、婦人を中心に"民営化"させ、効率化した市行政は市民の絶賛を浴びるのだが、市議会や元市職員の陰謀で最後は失職させられる。そんな顛末である。

 『死線を越えて』がなぜどこの文庫でも見当たらないのは不思議なことであるが、『空中楼閣』も"賀川文庫"復刻の際にはぜひ再登場してもらいたい小説だと思っている。

 愛知県高浜市は1975年のオイルショックを契機に窓口業務など行政サービスを外部委託に踏み切り、職員は10年前の256人から191人に削減。2003年度では、市の人件費を3億6800万円節約した。

 外部委託先は「市総合サービス株式会社」といい、正社員と臨時職j併せて256人を雇用しており、平均年齢は54歳。中高齢者の格好の就労の場ともなっている。

 やればできるのである。
2004年02月18日(水)長野県南佐久郡南相木村診療所長 色平哲郎

 外来診療においでになった村の古老が、「この冬は、文化6年から明治までの100年間、わが家に伝わった文書を読み解いている」とこともなげに語った。

 私が家族5人で暮らしながら「医療」という役割を担う南相木(みなみあいき)村は、人口1300人の小さな山村だが、都市では消えかかった「江戸時代」の面影が色濃く残されている。
 
 診療所のすぐ目の前に、二八〇年の歴史を持つ萱葺きの大きな農家が建っている。その北向きの奥には「産室」がある。部屋には木の棒が渡してあり、そこにつかまって十世代に及ぶ女衆が赤ん坊を産んできた。

「実習」で村を訪れる若い医学生たちを「産室」に連れて行き、かつて産婆さんがうまく赤子を取り上げられず、母子ともに落命した話を語って聞かせると、医学知識で頭がカチカチの学生たちの顔つきが一変する。

 医療の原点から吹く風が、彼らの何に響いて、何を変えるのだろうか。

 信州のみならず、全国の「地方」は、いま「平成の大合併」で揺れに揺れている。この大潮流の源には国と地方を合わせて「七〇〇兆円余」に膨らんだ大赤字が横たわる。

 国は従来のように「地方交付税」や「補助金」で地方をコントロールすることができなくなった。保健・医療・福祉・教育をはじめ住民に直接かかわるサービスは自治体に任せて「財政を立て直したい」というのが、国の本音だろう。

 しかし受け皿が「都道府県単位」では、規模が中途半端でサービスが行き届かない。市町村を合併し、適正規模の新しい自治体をつくり、行政を効率化。職員数も減らしてコストを抑え、サービスの高度化に努めよ、とのシナリオである。

 明治維新で「藩」に代わって「県」が生まれて以来の「大変革」が、起きつつあるようだ。

 だが、現実には広域多極合併での主導権争いや、打算、面子、そして名称変更にまつわる念慮といった、歴史的情念に深く結びついたかけ引きが行われて、簡単には「成婚」とならない。

「財政再建」という「お金の話」ばかりを先行させては、大合併はうまくいきそうにない。市町村が手を携えて新しい自治体をつくるための「共通の理念」とも いうべき「接着剤」が不可欠なのであろう。そのヒントは、案外、身近な「歴史」のなかにあるのではないか。

「惣」という言葉をご存知だろうか?

 鎌倉時代以降に現れた村落共同体の「自治」を運営する機関である。江戸時代にも「惣村」の呼び名で自治機関として継承され、第二次大戦後までその慣習は 残されていた。惣を貫く大原則は「寄りあい」に代表される「徹底的な討論」と構成員の「平等」だった。指導部は年齢階梯制で「おとな(乙名、老)」によっ て構成され、「講堂」や「辻」で寄りあいが開かれた。そこでは年貢の完納や、犯罪防止、村人で共同管理する「入会地」や「新田開発」などが話し合われてい る。権力に対して「土一揆(つちいっき)」を起こして抵抗する際も、惣の寄りあいで意思決定がなされている。

 とことん話し合ったようだ。簡単に「多数決」で決めたりしていない。ときには秩序を乱す者に「村八分」の制裁を加えることもあったが、あくまでも村民に よる「協議」が前提であった。自分たちで自分たちの将来を決める高度な「民主主義」が、惣村では機能していたようだ。

 群盗の襲来におびえる村人たちが、傭兵を雇って対決する物語を描いた黒澤明監督の「七人の侍」も、その背景に惣的な合意がなされていたのではないかと考えながら見ると、単なるスペクタクル映画ではない深みが感じられる。

 明治政府は、惣の枠組みを壊し、近代天皇制のなかに自治体を再編成していった。しかし「村の寄りあい」は、二〇世紀半ばまで、地方では活発に行われてい る。民俗学者・宮本常一(つねいち)の名著「忘れられた日本人」(岩波文庫)には、諏訪湖のほとりの村の寄りあいで「農地解放」について皆がてんでばらば ら勝手に自己主張しているとき、ある老人が話の糸口をどう見出したかが、次のように記述されている。

『「皆さん、とにかく誰もいないところで、たった一人暗夜に胸に手をおいて、私は少しも悪いことはしておらん。私の親も正しかった。祖父も正しかった。私 の家の土地は少しの不正もなしに手に入れたものだ、とはっきりいいきれる人がありましたら申し出て下さい」といった。するといままで自己主張をしていた人 がみんな口をつぐんでしまった。それから話が行きづまると「暗夜胸に手をおいて......」と切り出すとたいていの話の緒が見出されたというのである。私(宮 本)はこれを非常におもしろい話だと思って、やはり何回か農地解放問題にぶつかった席でこの話をしてみた。すると実に大きなきき目がでてきたのである。ど こでもそれで解決の目途がつく』

 戦後、寄生地主制や家父長制は「封建的」とされて農山村に残る伝統が解体され、中央官庁が集権的に地方をコントロールするための諸制度が広まっていった。

 ところが、半世紀がたって、再び、住民自らが自らのゆく末を決めるために「地方分権」で適正規模の自治体を再構築しようと潮目が変わった。広域合併によって生まれる自治体数は、最終的に「三〇〇」に集約されるのではないかとみられている。

 これは江戸時代の「藩」の数とほぼ同じだ。現代においても住民の「生活圏」の広さは「藩」と重なるという説もある。懐古趣味としてではなく、自治モデル として「江戸期」のあり様を再認識することは、地域医療に携わる医師にとっても重要な感覚であると感じる。

「暗夜胸に手をおいて......」。このような感覚と発想を、信じるべき「倫理」が存在し得た時代の忘れ形見として、現代に再生させる方途こそ今に求められていると感じる。(いろひらてつろう)

 色平さんにメールは mailto:DZR06160@nifty.ne.jp
2004年02月17日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 ひょうたんから駒。産業再生機構が負債5000億円を超えるカネボウ再建に乗り出すことがほぼ決まった。

 再生機構への支援要請は"破綻"を内外に宣言するに等しいが、元はといえば幹部社員の胸の内にあった構想である。化粧品部門の花王への売却や投資ファン ド、ユニゾンの支援など紆余曲折を経たが、カネボウのとっては最善の策だと思う。17日の株価も反発に転じた。戦争でほとんどの設備を失ったことを考えれ ば、復活は難しいことではない。

 カネボウは東京綿商社として明治20年(1887年)の創業。東京がまだ市でなかったころ東京府鐘ケ淵の地に三井財閥が紡績工場を操業した。6年後に鐘淵紡績と改称した。いわば日本で最も古い株式会社の一つだ。三井財閥は三井両替商が明治に入って初めての民間銀行を創業したことに端を発する。江戸時代、 松阪にあった三井高利が始めた呉服商「越後屋」(現三越)がルーツである。

 花王や他社による化粧品部門買収策の最大の問題点は、カネボウが収益部門を失うということだった。花王との提携の当初案は花王とカネボウによる共同出資 会社に化粧品部門を移すという再生策だったため、カネボウ側にまだメリットはあったが、今年になって再提示された再生策は花王による100%買収だった。

 それによって負債が完全になくなるのならともかく、化粧品部門を切り離されたカネボウにとって1000億円でも返済が難しい。花王に譲渡されていれば、 化粧品部門からカネボウの名前が消えていくことは必然。それどころか赤字部門だけを残したカネボウ"本体"は再び負債を重ねることになり、数年を待たずに 経営難に陥ることは目に見えていた。

 再生機構による救済の利点は第一に「白日の下」で再編劇が進行することだ。第二は責任者が責任を取ることになる点だ。帆足隆カネボウ社長は16日の記者 会見で当面、社長の座に留まる意向を表明したが、経営トップがそのままの状態を再生機構が認めるはずはない。いずれ時期を見て経営陣の総入れ替えが求めら れるはずだ。第三は再生機構の下で再生の期限とゴールが明確に定められるということだ。

 1980年代、カネボウは伊藤淳二会長の指揮下にあった。ペンタゴン経営と称して繊維を中心にファッション、化粧品、食品、医薬、住宅などを配した。クリスチャン・ディオールに代表されるようにカネボウはファッションの一大ブランドでもあった。

そのカネボウが長期低落に陥った背景には、カネボウに蔓延していたある種の悪しき体質があったと言わざるを得ない。社内の人から「ウソをつく、ごまかす、 隠す」ことが横行し、それに対して「誰も責任を取らない」ということを聞いたこともある。90年代、バブルが崩壊した時、多かれ少なかれ多くの企業でみら れた体質だが、カネボウの傷はより深かった。

日本の資本主義の黎明期を支えたのは紡績業である。主力工場はほとんどアジアの移転してしまったが、衣食住の産業がなくなることはない。カネボウが"倒産"のイメージの強い産業再生機構への支援要請にあえて踏み切った勇断にエールを送りたい。
2004年02月14日(土)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 2月1日に行われたプロフットボールの王座決定戦スーパーボウルのハーフタイムのショーの中で、歌手ジャネット・ジャクソンの胸が露出した事件は、全米 で大きな騒ぎを引き起こした。J・ジャクソンと相方のジャスティン・ティンバーレイクは偶発的な事故だったと主張しているが、どこまでが演出でどこまでが 偶然なのかは、藪の中である。このショーはMTVネットワークス社によってプロデュースされたが、MTVのウェブサイトでは、ハーフタイムショーの前から 振付師がインタビューで「ショーにはショッキングな瞬間がある」と明言していたとのことである。
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/
http://www5.big.or.jp/~hellcat/news/0402/02pic.html

 MTVはアメリカの巨大メディア企業ヴァイアコム(Viacom)社の1部門である。スーパーボウルはCBSによって中継されたが、CBSもヴァイアコムの1部門である。
http://www.hotwired.co.jp/news/news/business/story/3498.html
http://www.hotwired.co.jp/news/news/Business/story/3030.html

 つまり、このショーはヴァイアコムによって企画され、放送されたものであった。この事件はかぎりなくヴァイアコムの「ヤラセ」に近い。それでは、何のた めにこんな「ヤラセ」が行なわれたのだろうか。CBSをめぐるもう一つの「事件」を知っている者には、その「事件」からアメリカ国民の目をそらさせるため ではなかったのか、という疑念が浮かんでくる。

 実はこの放送の途中に、草の根民主主義を推進するムーブオン(MoveOn)というグループが広告を流す計画があった。スーパーボウルは全米でもっとも 多くの視聴者が見る番組である。その広告料も莫大な額になる。しかし、ムーブオンはこのゴールデン番組にあえてある挑発的な広告を流そうとした。それは 「Bush in 30 seconds(30秒でわかるブッシュ)」というブッシュ大統領を批判する広告であった。
http://www.hotwired.co.jp/news/print/20040120202.html

 ムーブオンは全米から広告作品を募集し、最優秀作品「Child's Pay(ツケは子どもに)」が放映される予定であった。しかし、CBSは、自社の「ポリシー」に反するという理由で、この広告を拒絶した。
http://www.chunichi.co.jp/00/dgi20040205/ftu_____dgi_____000.shtml

 アメリカでは、選挙の対立候補の欠点を暴き批判するネガティブ・キャンペーンはごく一般的である。だから、アメリカの基準からすれば、この広告はJ・ ジャクソンのパフォーマンスのような公序良俗に反するものではない。内容も決して、口汚くブッシュを批判するマイケル・ムーア監督(『アホでマヌケなアメ リカ白人』、『おい、ブッシュ、世界を返せ!』)のような露骨なものではない(ムーアは選考委員の一人ではあったが)。しかも、まだ大統領選挙も始まって いない。これは、ブッシュ大統領の人格を攻撃するのではなく、ブッシュ政権の現在の政策を批判する広告である。
 「Child's Pay」: http://www.bushin30seconds.org/view/01_small.shtml

 CBSがこの広告を「ポリシー」に反するから拒否するというのは、自分たちの局ではブッシュ批判を許さないということであり、明らかに巨大メディアによ る言論の抑圧である。こうした文脈から見ると、J・ジャクソン事件は、真に重大な事件を隠蔽するための目くらましではなかったか、とも思えてくる。

 さて、この広告を仕掛けたムーブオンというグループは元来、911事件の直後、アメリカのアフガン爆撃に反対するエリ・パリーザー(Eli Pariser)という無名の青年が作ったインターネット署名サイトがその出発点である。このサイトは、最初シカゴ大学のサイトに掲載されていたが、アク セスがあまりに殺到して、別のサーバーに移った。パリーザーはまたたくまに世界中から50万人以上もの署名を集め、ブッシュ大統領、ロバートソンNATO 事務総長、ロマーノ・プローディEU大統領らに反戦の署名簿を提出した。
 パリーザーの請願文の和訳: http://www.peace2001.org/gpc/gpc_chi_unv.html

 パリーザーの活動に注目し、彼に協力を申し出たのが、ウェス・ボイド(Wes Boyd)であった。シリコンバレーでソフトウェア会社を経営していたボイドはすでに、同業の友人ジョアン・ブレイズとともに、MoveOnという政治サ イトを作っていた。両方のサイトは合併し、新たなMoveOnサイトとなって再出発した。パリーザーは現在、このサイトの専従職員になっており、全米の反 戦平和運動の重要なリーダーの一人となっている。弱冠23歳の青年がたちまち世界に影響を与えるまでになるのは、まさにインターネット時代の出来事であ る。
http://www.motherjones.com/news/hellraiser/
2003/05/ma_379_01.html

http://www.moveon.org/about/

 このサイトはその後、テロとの戦い、イラク攻撃と、軍事強硬路線に走るブッシュ政権に反対する人々が数多く集まり、現在では200万人もの参加者を数えている。その寄付金によってゴールデン番組に広告を出せるほどであるから、その力は相当のものである。

 ムーブオンの批判は、ブッシュ政権の嘘、利権疑惑、スキャンダル、イラク戦争の実態などをまともに報道しない既成のマスメディアにも向けられている。悲 惨な戦争場面がテレビ、新聞、雑誌によって大々的に報道されて、ついには戦争中止に追い込まれたベトナム戦争の経験をもとに、ブッシュ政権は報道管制を敷 き、爆撃で殺されたアフガン人やイラク人の死体の悲惨な姿や、戦闘で死傷したアメリカ人兵士の姿がテレビや写真に登場しないように最大限のコントロールを している。このような状況の中で、政治意識に目覚めたアメリカ人は、マスメディアの報道に不審をいだき、インターネットに真実の情報を求めているのであ る。

 当然のことながら、ブッシュ政権に反対するムーブオンは民主党に肩入れしている。今回の民主党は一時は10人以上もの候補者が乱立する大混戦であった。 そこでムーブオンは昨年6月に、ネット上で民主党候補者の「予備選」を行なった。31万7639人が投票し、イラク戦争反対を唱えていたリベラル派のハ ワード・ディーン知事が44%の得票で圧勝した。第2位は、これも反戦リベラル派のデニス・クシニッチ下院議員(24%)で、第3位は、中道派のジョン・ ケリー上院議員(16%)であった。
http://www.yomiuri.co.jp/net/media/20030708me01.htm

 当初、インターネット予備選で1位になったディーン候補が、世論調査でも民主党候補者レースのトップを走っていた。ところが、予備選が近づくにつれ、 ディーン候補の人気が徐々に落ち、それまであまり目立たなかったケリー候補が急浮上してきた。そして実際に予備選が行なわれると、ディーン候補は惨敗し、 ケリー候補が各州で圧勝をつづけている。

 このような選挙結果には、マスメディアの報道姿勢が大きな影響を与えている。

 ディーンの人気が急落したのは、予備選の最初の関門である1月19日のアイオワ州党員集会の報道がきっかけである。アイオワ州ではケリーが1位になった が、アイオワ州の代議員数は少なく、予備選全体にとってそれほど大きな比重を占めるものではない。ところが、アイオワでのディーンの演説が、マスメディア によって徹底的に嘲笑されたのである。

 日本のマスメディアが報道しないアメリカの政治状況を鋭く暴き出しているニュースサイト「暗いニュースリンク」はこう分析している。

《この「怒れる反ブッシュ大統領候補」の人気を抑えるために、米テレビ局各社は一斉に「絶叫スピーチ」ビデオをトーク番組やニュースで流しまくり、記者、 コメンテイターやトークショーホストは「怒りっぽい田舎者」「民主党のアイスホッケーコーチ」「大統領にふさわしくない」としてディーン候補を徹底的に笑 いものにしてみせた。スピーチ後の4日間に、主要テレビ局だけで633回もこの「絶叫」を取り上げたのである。

そして、その繰り返し放映されたビデオは巧みに選択・編集された作品だった。ハワード・ディーンの叫びだけが増幅されたビデオを、各テレビ局は意図的に使 用していたのである。実際のスピーチ現場では、サポーターの声援でディーンの叫びなど聞こえなくなるほどだったのだ。もしこの「本物バージョン」が放送さ れたなら、ディーン人気に視聴者は心動かされ、その後の民主党候補者選びに大きな影響を与えたかもしれないのである。(それこそ米マスメディアが最も恐れ ていることだ)

ディーン夫妻のインタビュー番組を主催したABC放送のダイアン・ソウヤーは、インタビュー中にこのカラクリを発見し、「ディーン"叫び"の真相:テレビ で放送されなかった現実」として新たに放送し、各テレビ局に事実関係を糾すとともに、(少々遅すぎたのだが)ハワード・ディーン氏の名誉回復に努めたので ある。

ここまでの例を見るまでもなく、米マスメディアはディーン候補を必死につぶそうとしている。2003年度においてディーン候補を取り上げたテレビ番組の 内、好意的に扱ったものはわずか49%。つまりディーン氏はテレビに出る度に2回に1回づつ番組内で批判されているわけだ。こうしたメディア側の努力がア イオワ州でのディーン人気下落を決定づけたのはいうまでもない。

ディーン候補はスピーチの度に、巨大メディアの放送網独占、横並び報道を痛烈に批判している。実際、5大メディア企業(ヴァイアコム、ディズニー、AOL タイムワーナー、ニューズコーポレーション、NBC/GE)は米国内プライムタイム放送の70%を独占し、ケーブル放送、ラジオ、出版、映画、音楽、イン ターネットにまで支配の手を伸ばしている。この「メディア独占問題」はメディア企業がアメリカ国民に最も気づいて欲しくない事実であり、ディーン候補の意 見に耳を傾ける視聴者が増えるのは困るわけである。(ついでに、日本国内でもディーン候補に関する報道が消えたことに注目してほしい)》
http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/
cat239411/index.html


 イラク戦争に反対し、マスメディアの報道独占に異議を唱えるディーンは、マスメディアにとっては明らかに好ましくない候補なのである。そして、ディーン を支持してきたムーブオンも、マスメディアにとって敵である。本稿の冒頭で、J・ジャクソン事件が反ブッシュ広告の拒否事件を覆い隠すためのヴァイアコム の「ヤラセ」ではないか、という疑念を述べたのは、現在のアメリカではこういう露骨な報道操作が横行しているからである。

 そうすると、アイオワ州党員集会の直前からケリーが民主党の有力候補者として急浮上してきたのは、ディーンを引きずり落とすためのマスメディアの操作で はなかったのか、という推測が可能である。では、マスメディアが支持しはじめたジョン・ケリーとは何者なのか。ケリーは真にブッシュの対抗馬として、アメ リカの政治と社会を変革できる人物なのだろうか。(続く)

 中沢さんにメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp
2004年02月13日(金)トロント在住 川上 直子

 こんな風に定説化してゆくのだろうか?。話題の映画『ラスト・サムライ』を見て私がまっさきに考えたことはそれだった。明治維新について、私たちは長い 間奇妙なほどに距離のある二つのストーリー、あるいは印象に馴らされている。当時の国際状況から導き出される英仏の、殊に前者の東洋での活躍あるいは暗躍 の中で捉えられるローカルな出来事としての政体変更と、オールキャストすべからく日本人、日本人の日本人による日本人のための維新の物語だ。

 『ラスト・サムライ』は、この分離状況に対して、決して説得的な解釈を提示しているわけではない。しかも、この映画は、私たちにしてみれば、唐突以上 に、まず最初に鼻白むことを超えなければなかなかストーリーに入って行けないような形でアメリカ人が登場し、その上、全体が過剰なほどの「日本趣味」で飾 り立てられ、少しでも現在の日本や日本の歴史について知識のある人ならば(別に日本人でなくとも)、容易にフィクションが過ぎることがわかる仕立てになっ ている。すべてが過剰なまでにフィクションめいていると言ってもいいかもしれない。

 しかしながら、ともあれこの物語は、上述の二つが組み合わさったストーリーを提示している。同時に、ではなぜ二つの物語は今の今まで、いや、今でさえも 交わることなく来たのだったかを暗々裏に示してもいる?日本人の手によってなされてはいない、そこにあるべきものが「ない」ことによって。ということは、 私たちは自分で描くことのできなかった「自画像」を頭ごなしに貼付けられているとも言える。

 そんなことを-つまるところ批判的に考えさせられる第一の理由は、まずなんといっても、誰でもすぐ気がつくように、明治維新という事件が、ネイティブ・アメリカンと移入してきたアメリカ人の関係の相似の中で語られていることだ。

 オオムラに代表される新政府が、カツモトに代表されるサムライを葬り去るという構図そのものは、明治維新の基本線である。それを、前者に近代、西洋ある いは物質を、後者に伝統あるいは精神を見るというのもある程度はあたっているかもしれない。しかし、どんな解釈を取ろうとも、これは内戦であり、もっと正 確には幾つかの内戦を包含した政変、革命である。どれだけアメリカの兵器が登場しようとも、もしかしたらすべてはイギリスのお膳立ての上に乗ったものであ ろうとも、内戦は内戦、政変は政変であり、厳密には国内の問題、日本人の問題、日本という単位に代置不可能な起点を求める人、つまりアイデンティティをそ こに見いだす人にとっての問題だ。

 しかしこの映画では、この構図に対して、過去を引きずるアメリカ人のオールグレンを登場させることで、全体として、アメリカ人vsネイティブ・アメリカンの構図が色濃く投影されている。

 ここで、伝統vs近代(というより西洋と言うべきだが)、あるいは精神vs物質という補助線を引くと、サムライとネイティブ・アメリカンは同じグループに、明治政府とアメリカ人は同じグループに分類される。

 私はこれが適切な見取りだとは思えない。虐げられた人びととその反対、要するに弾圧、抑圧等々の側を分離して、後者に対して国境を超え、枠を超えてた支 援を、同情を、前者には非難をと考える自由はあるし、一般論としてこれに対して文句のある人はいない。しかし、それは過去に向かって投影されるべきもので はない。過去を現在の価値で解釈してみることは全く問題なく自由に行われるべきものだが、それを裁くことは誤りだし、そうせざるを得ない状況をつくり出す のはさらに誤りだろうと私は考える。

 そう書くと表現することと裁くことにどんな差異があるのだと考える人もいるだろう。これは監督が持った見解であって、どう見るかは観客次第し、文句なく そうなっているではないかと。それはそうかもしれない。しかし、実質的に、人びとはそんなに「矯め」を作って見ることが可能なほどにこの話を知っているの だろうか? もし知らないのだとしたら、多分表現を受け止めることと裁くことを区分するのは難しい。「感情移入」によって無意識のうちに引かれる線を乗り 越えるには知識と別の体験が必要だ。

 そう考えてくれば、映画を見てサムライに無条件に感情を移入する人が、オオムラに代表される側を、心理的、精神的、つまり個人の倫理によって、まったく の無自覚に裁いてしまう構図をここに見て取ることはそれほど考え過ぎでもないだろう。人間的で大変に結構な話だと言いたくなるほどに明らかに、ほがらか に、人びとは裁いていないだろうか。サムライは正しいと、憎むべきは外国勢に篭絡させられた人びとならいざ知らず、近代であり、そうして西洋であると。し かし、これは、現実にとってフェアなことだろうか?

 日本の明治維新政府は、これによって本来かけられる必要のない嫌疑がかかっている。明治政府がどれだけ悪逆非道であったとしても、アメリカ人とネイティ ブ・アメリカンの話と相似ではないのにもかかわらず、不用意な鑑賞者の善意はその線を、見分けるべき線を持ってはいないかもしれないのだ。

 私たちは日本人は、冒頭のように二つの別の話にしたままこの話に決着はつけてはいないから、非常にしばしば取り上げられるネタであるにもかかわらず、そ れはいつもどこかわかりにくいままだった。だから、老若男女を問わず、この新しい「舶来」モノに抵抗できるだけの知識や見解を持つ人が多いとはあまり期待 できない。さらに悪いことには、この映画の本国たるアメリカは、イギリスの革命の産物ではあっても、自国内で革命規模の政変を体験したことはない。同じそ の地で、裏切りと不信と反動と曖昧さと慚愧とを合わせ持たなければならない歴史を持ってはいない。だから、どれだけ知識や論理立ての素晴らしい人であって も、歴史ある国々からきた人びとのように、背後や背景を読み取りながら、感じ取りながら、つまり善悪を一般化できないことに対する一種のもどかしさを体験 値として持たない、持ち得ない人は、遺憾ながら少なしとはしないと私は観察している。

 くどいようだが、相似ではないと言っても、それはなにも非道さにおいて差異があるというのではない。どちらがよりマシかといった話ではない。明治維新は 厳密に国内の革命であり、他者の土地に出かけて行って他者をなぎ倒したという話ではない。私がどうしても譲るべきではないと考えるのはこの一点であり、も し私たちが歴史認識のはっきりしたリーダーを?私たちの国の仕組みでいえば首相ということになろうが?持っているのなら、彼彼女の仕事は、サムライを伝統 モノとして無邪気に喜ぶようなことのはずはなく、この映画によってもたらされた構図を指摘することであり、それにもかかわらず自らの国を背負っていると人 びとに伝えることだっただろう。

 無論この政権は、その後になって、北海道で、アジアの各地で悪行をしでかしたとも考え得るが、例えそれらを一つ残らずまとめて認めたとしても、この時点 にあってそれは全く関係がない。それは明治政府が背負った宿命でもなんでもない。戊辰戦争で城を壊され、西南戦争で賊軍の汚名を着せられた側であっても、 つまりあらゆる意味であのサムライよりもさらに現実的に長く不利益を被り名誉を傷つけられた側であっても、アメリアのインディアンとの相似には驚くばかり であろう。どうあれ「みんな」のためにと思って仕方なく引き下がったであろう無数の人びとのいたことを無視するべきではない(私はこれを日本のためにとは 言わない。当時に多くの人びとにとって、むしろそれはもっと身近な人びと、藩、共同体のためであっただろうし、今でも日本とはその延長上にある

 だろうから、ここで日本のためにと考えるのは空疎でさえある。

 蛇足ながら、私は、城を失った方に根を持つものだから、西南諸藩が作り上げた明治維新についての言論一般に関していえばどうにもおかしなものを感じ続けていた側にある。が、それでも、これでいいとは思われない。

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 私たちの現在は、西洋化westernizationを近代化と呼び、同じ手続きで、アメリカ的な解釈や文物を受け入れることを民主主義あるいは自由主義と呼び習わして来たその延長上にある。

 つまり、私たちは、この映画でいうなら、明らかに、否応無しに、明治陸軍のオオムラの側にある。それを形だけと言おうが建前と言おうが、心は許さじと言 おうが、私たちは着物を脱いでちょんまげを落としたその後に続いている以上、それはどうあれ西洋化がインストールされた後の姿である。しかも、あろうこと か、私たちはそのようにして成ったものを「日本」と呼び習わしている可能性もある。

 いや日本とはもっと太古の昔から続くそれであると考える自由はあるし、もし可能ならそのような日本を我がものと捉える思考を穏やかに着地させることが、今後の日本にとって最も望ましいと私は考える。

 しかし、例えば、日本文学、日本画、伝統芸能と呼ばれるものが決して明治維新よりは遡らない、その意味でこうした文物はこの時点で「擬古典」のように整 備されたのだと考えざるを得ないこと、そしてそのことが明らかにされず、むしろ擬古典をそのままにしておくことことが「愛国的」であるかのような倒錯した 事情が看取される現在を鑑みれば、現在の私たちにとっての「日本」とはオオムラの側にあって急速に整備されたものであるか、少なくとも、包含していると考 えることは妥当だろうと思う。そしてそれをこれまでのところ上手く咀嚼して表現できずにいる。

 そもそも「日本語」の成立でさえオオムラに象徴されるものの到来なくしては、あり得ないとは言わないが、もっと他の事情なくしては、成立の契機がなかっただろう。

 だから、少なくとも「日本」とは私たちにとって両義的であり得、そのうちの一つは明らかにオオムラ的なるものの邂逅なくしては成り立たないかもしれないと考えるのは妥当なことだろうと私は考える。
言い換えれば、近代化のためにwestを受け入れたと考えることは可能だとしても、その時それを受容する「日本」は果たしてそこにあったのかということだ。

 ということは、日本人にとって、西洋を断罪することは、常に我が身を切り落とす行為にさえなり得る。西洋は「他者」ではないのだ。しかしそうは考えたくはないから、橋頭堡として「精神」を立て、あるいは、和魂洋才という便法で調和を試みて来た。

 この調和が成り立つためには、肉体に対置する精神を心、あるいは魂と呼びかえ、それを思考のことだとは決して捉えないという条件が付く。精神がマインド であればそれは思考であり頭脳なのだから、それは肉体を介して自己の行動へと結びつく。その意味で我が身の行動を規制する側に回るはずであり、その意味で 言い訳ができない。が、心あるいは魂であるとすることで、身との切り離しを?それこそ思考の上で?成立させている。和魂洋才は、容易に、物質と精神へと反 訳される。

 だから、一足飛びに「精神」の側に、すなわちオオムラを否定し、サムライであるカツモトへと自己を同化させる行為は(あの映画を見れば誰でも普通そうな るわけだが)、実際には既に物質であり、肉体であり、価値の基準系として西洋を包括していることを忘却させる。忘却するからこそ、昔人びとは、精神主義な るものへと傾斜することができた。

 オールグレンは、ネイティブとの戦いで引き裂かれた自己を、日本という異地で高貴なるサムライを助けることで、その志を、なんならスピリットを引き継ぐ ことで、自らの身体を使ってそう行為することで癒されたであろう。それは、オールグレンに自己を同化させるアメリカの観客すべてにとっての癒しである。一 方で、日本人にとってそれは癒しにはならない。オールグレンに手渡された刀を、私たちはまだどこに仕舞い込めばいいのか、飾ったらいいのか、隠したらいい のか、誓いを立て祈りの役に立てたらいいのか、まだ何も言い表すことが?パブリックにすることができてはいないのだから。

 私には今のところこの映画は、アメリカの癒しのために日本は今後また「精神」を発揮することになる、その暗示のようにさえ見える。しかしもしそうしたく ないのなら、私たちは自画像を自分で描かなければならない。たとえそれが著しく億劫で、なにかしらの動揺を引き連れるものだとしても。

 日本の魂も日本の精神もそれ自体として、所与の前提のように存在するわけではない。高貴なスピリットも、豊かな伝統もそれ自体としていつでも身にまとう ことが可能な、便利な道具ではない。私たちのマインドが導き出した決断の上に、行為の上に、重なり行く日々の上にそれは現れるだろう。そして私たちはそれ を日本と呼び、呼ぶごとに忘却の彼方からの声を聞く。多分、歴史ある人びととは、この過去、私のものでない過去、いまいましくも捨てがたいそれら記憶を自 分のものと定めた人びとのことだ。

 川上さんのHP http://www.kawakami.netfirms.com
 川上さんにメールは mailto:nkawakami@anet.ne.jp
2004年02月12日(木)萬晩報通信員 成田 好三

 昨年11月の東京国際女子マラソン(以下東京)で終盤失速し、アテネ五輪代表の「当確」を得られなかった、シドニー五輪金メダリストの高橋尚子が2月4 日、最後の五輪選考レースである名古屋国際女子マラソン(以下名古屋)への出場の見送りを発表した。選考レースに再挑戦しなくても、五輪代表に選出される と「確信」したからである。

 高橋の名古屋出場見送りと五輪代表選出の「確信」には、新聞・TVなど主要メディアが触れたがらない、ある理由がある。そのことを説明するためのキーワードは、レースを先頭で引っ張るペースメーカー(以下PM)である。

 五輪代表選考レースを主催し、代表選出の決定権をもつ日本陸連は昨年秋からPMを公認した。一部の主要メディアが報じる「導入」ではない。PMは以前から存在していた。陸連はただ、PMの存在を公式に認めただけである。

 不思議なことに高橋が出場した東京にPMは導入されなかった。ある陸上関係者はこう指摘する。

 絶好調で大会に臨んだ高橋サイドの意向が反映され、陸連がPM導入を見送ったのではないか。高橋は1人でペースをつくるのを好む選手であり、東京出場の 目的は記録ではなく、勝って五輪代表の座を獲得することだった。高橋以外の有力選手は東京を回避した。生中継するTV局も映像的に邪魔な存在であるPM排 除に異論はない。

 高橋本人も、小出義雄監督ら高橋サイドも、陸連も、TV局も、TV局の背後にいる大手広告代理店も、そして沿道やTVの前で高橋の走りを見守った多くのファンも、高橋の勝利を信じて疑わなかった。

 しかし、結果は暗転した。前半から先行した高橋は終盤に失速し2位に終わった。記録も2時間27分21秒と平凡なものだった。

 高橋サイドはもちろん、陸連、TV・新聞など主要メディア、広告代理店とも、どうしても高橋に五輪に出場してもらわなければならない。彼らにとって高橋 は、巨大な利益をもたらす「資源」である。高橋が出場するか否かによって、極端に言えば彼らにとっての五輪の価値が変わる。

 陸連が動いた。PMを大阪国際女子マラソン(以下大阪)、名古屋に導入する可能性大としていた方針を180度転換し、大阪、名古屋へのPM導入を見送っ た。高橋が失速した東京直後の11月20日、陸連の桜井孝次専務理事は「PMをつける可能性がある」と明言していたが、大阪の出場選手を発表した12月 17日には、大阪と名古屋にはPMをつけないとの陸連の決定を明らかにした。

 理由は「五輪選考レースなので公平性を保つため」と桜井氏は説明した。それならば、高橋が出場した東京の前に、東京、大阪、名古屋と続く国内選考レースにPMをつけるかつけないかを決定すべきである。大阪の直前での方針決定は不自然である。

 大阪はスローペースの展開になった。坂本直子、千葉真子、弘山晴美、渋井陽子らアテネを狙う有力選手が集中した。五輪代表の選考レースである。設定タイ ム通りレースを先導するPMはいない。これだけの条件がそろえば気象条件とは関係なくスローペースになる。有力選手は牽制し合う。「大阪は高速レースにな る」と予想したメディアもあったが、とんだ見当違いである。

 坂本が優勝したが、タイムは2時間25分29秒にとどまった。2位の千葉真子のタイム、2時間27分38秒は東京での高橋のタイムを下回った。

 彼らの思惑は当たった。いや彼らの思惑通りになった。名古屋にもPMは導入されない。PMなしで2時間20分前後のタイムを出せる選手は日本にはいない。しかも最後の選考レースである。

 高橋の五輪代表選出は、陸連が配慮したPM導入見送りによってその道が敷かれた。そして、低速レースになった大阪の結果によってほぼ確定したといっていいだろう。

 日本陸連は方針を転換してPMを大阪、名古屋に導入しなったことにより、高橋の五輪出場に配慮し、大きくサポートした。そのことは、TV・新聞など主要メディアとその背後にいる大手広告代理店の意向に添うものだった。

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2004年02月11日(水)萬晩報主宰 伴 武澄

 昨年末、四国新聞の明石安哲論説委員と本四架橋問題を論じて、今後の本四公団経営に関していいアイデアがいくつか浮かんだので紹介したい。

 まず通行料金値下げ問題は「二割、三割」程度の値下げでは通行量は劇的に増えないだろうということで一致した。理由は簡単である。高松と宇野を結ぶフェリーの普通車の料金が3900円だから2割、3割程度の値下げではそもそも競争力を持つには到らない。

それではいくらがいいのか。「500円」とか「1000円」だったら払いやすいということになった。特に「500円」だと「硬貨」に限定すれば香港-九竜トンネルのように硬貨投げ込みで料金所を無人化することができる。

 値下げによる利用者増をどうやって予測するかという問題は本四公団の今後の経営にかかわる重要な事項であるが、素人にはそのあたりの推測は不可能であ る。分からない場合は思考錯誤の意味で「値下げデー」を設けて試してみればいい。週末でもいい。二日間限定で「値下げ」をしてみれば大方の予想がつく。

 通行量の大幅値下げでフェリー会社が路頭に迷うかもしれないが、そもそも彼らには廃業を前提に莫大な補償金が支払われている。いまさらどうのこうの言える立場にない。

 こんなことを考えたのも、通行料の負担には限度というものがあるからだ。これこれのコストがかかっているということとは別次元の話である。西鉄バスが運 賃を180円から100円に値下げしたとたん、利用者が二倍になった例があるし、長崎の市電は100円でずっと黒字経営を続けている。

 なぜ乗客が2倍になったり、長崎の市電が100円で経営できるのか。公務員体質にどっぷりつかっている公団職員には分からないだろう。

 電卓が数百円で買えるようになったのは、カシオ計算機がコストを度外視した価格設定をし、購買者層を広げたからだ。おかげで半導体の価格が大幅に下が り、民生用部品として広く使用できるようになるというブレークスルーにつながった。昭和50年代までの日本の民間企業はそうして世界市場に打って出るきっ かけを自ら切り開いたのである。

 今度の衆院選では、高速道路の問題が政策論争の一つとなったが、民営化が目的でも無料化が目的でもない。目的はせっかく作った、あるいはこれから作る高速道路を国民がより有効に使い、しかも返済負担をできるだけ軽くする方法を模索することにあるはずだ。

 萬晩報でもこれまで、高速道路に無料化について論陣を張ってきたつもりであるが、無料化というのはものの言い方の一つだった。そういう受け止め方をすれば、財源がどうのこうのという議論にはならない。組織を運営するために国民が不都合を蒙るというのでは主客転倒だ。

 だいたい通行料がガソリン代の何倍もするような料金体系が存在すること自体がおかしいし、道理に合っていない。しかもそのガソリン代というのは半分以上 が税金なのだから、高速道路の通行料のいかがわしさはさらに増す。考えてもみたまえ。人間が生きていくための食費の何倍もの税金をとる政府がどこにあると いうのだ。

1999年08月25日(水) 100円で経営が成り立つ長崎の路面電車
http://www.yorozubp.com/9908/9908251.htm

2000年11月17日(金)  全国で沸き立つ100円バス論議の未来
http://www.yorozubp.com/0011/001117.htm
2004年02月10日(火)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 自衛隊のイラク派遣についてどう考えたらよいだろうか。私はドイツで暮らしているせいか日本だけでなく他の国のこともいっしょに考えてしまう癖があるが、今回もそうである。

 内乱の阻止
 
 大晦日イラク北部キルクークの町でアラブ人と少数民族トルクメン人のデモ隊がクルド愛国同盟(PUK)の建物に発砲し、警察隊(=クルド人)が応酬し た。その結果デモ隊側の数人が死亡し多数の負傷者がでる。翌日二人のクルド人が仕返しにナイフで刺し殺された。米軍はこの一触即発の状況を沈静化するため に夜間外出禁止命令をだした。その後、駐留米軍がクルド民主党(KDP)事務所を捜査し多数の武器を押収するとともに武器不法所持のために党員一名を逮捕 した。

 イラクには昔北にクルド人南にアラブ人が居住し、両民族を分ける緩衝地帯にトルコ系の小数民族トルクメン人が住んでいた。キルクークが油田で重要になっ たために、サダム・フセインは原住民だったクルド人を強制的に追い出してアラブ人を居住させるアラブ化を進めた。フセイン政権崩壊後、今度はクルド人がア ラブ人、トルクメン人、キリスト教徒のアッシリア人を追い出そうとしている。

 フセイン政権崩壊後、クルド人はイラクの未来の政治体制として連邦制、油田の中心地・キルクークを連邦内・クルド人共和国の首都にすることを要求してい る。米国がクリスマスの前にクルド人のこの要求を認める様子をしめしたことがアラブ人とトルクメン人の不安と反発の原因である。

 韓国軍は、すでにナシリヤ郊外で医療援護などを実施しているが、4月からこのような問題を抱えたキルクークを含むアタミン州全域に約3000人の兵士を 派遣する。民族紛争は、はじまる前に手遅れにならない前に介入したこほうがよいことは、EUのマケドニア介入で証明済みである。米国はアラブ世界では信用 されていない。アラブ人やトルクメン人は、米国が戦争で協力したクルド人に味方すると思っている。このような事情から、韓国兵士のほうが現在駐留する米 173空挺旅団より治安維持と民族紛争の予防のために役立つように思われる。

 イラクをこれからどうするか

 この韓国の派兵をどのような評価すべきかという問題は、イラクを今後どうするかという問題と絡んで来る。安全保障理事会はすで米英をイラク国民に代わっ て主権を行使する「占領当局」として認めてしまっている。これは、米英の戦争を認めないままその結果を承認したことで、戦争に反対していた国々にとって後 味の悪い妥協である。でも安保決議は占領軍にイラク国民に対しての責任を明確にし、同時にイラク国民にできるだけ早い時期に前と同じ主権が返還されるべき ことをうたっている。「前と同じ」というのは、クルド人やシーア派の分離運動発生し、血を血で洗う内乱状態になることを回避することを意味する。

 現在、欧州諸国はそのイラク政策を大幅に転換しつつあるが、多くの人々が内乱勃発を心配しているからである。(彼らの多くが米・英のイラク戦争に反対し た大きな理由の一つもこの心配であった。)また彼らがこの問題に特に敏感になるのは九〇年代に身近に経験したユーゴ紛争の悪夢が残っているからといわれ る。
 
 欧州の政策転換のキッカケは昨年の11月15日にイラク統治評議会と米英占領当局(CPA)との間で実現した合意で、これは今年の6月までに暫定政権を 発足させて主権をイラク国民に返還することを予定している。本来長々と占領して、イラク国有財産の徹底的民営化をはじめネオリベラリズムの夢を実現しよう と思っていたのに、早めに切り上げることにしたのは、イラク人にすっかりてこずっているうちに、多くのことが不可能であることがわかってくるなど、米の政 策が転換しつつあるからである。

 メディアで「米占領政策の転換」と呼ばれる主権返還日程についての合意は、フィッシャー独外相が「正しい方向への第一歩」とコメントしたように、(戦争反対だった)欧州諸国から好意的に評価された。

 シーア派は11月に合意した「主権返還日程」案に反対して暫定政権発足後でなく暫定政権発足前の選挙実施を要求し激しいデモを現在繰り返している。占領 軍当局(CPA)は、シーア派、分離傾向の強いクルド人、旧政権崩壊で権力の大幅な喪失をおそれるスンニ派など相対立する勢力の間で妥協させて、「主権返 還日程」がいろいろ変更されるかもしれないが、何とかこの方向に進ませなければいけない。相対立するスンニ派、クルド人、シーア派のどれからも信頼されて いない米国はこの交渉過程に国連を組み込もうとしているといわれる。 内乱状態にならずに対立勢力が交渉したり文句をいったりデモをしたりしているうちに沈静化するなら、(楽観的かもしれないが、)本当にけっこうなことであ る。
 
 戦勝国だけでなく、国連が重要な役割を演じることは、本来フランス、ドイツ、ロシアなどの戦争に反対した国々が要求していたことである。 今年中頃 NATOがイラク安定化のために派兵を決議し、ドイツも派兵を拒めなくなり、またフランスも派兵する用意があるとされるのは、欧州と米国の間に収拾のつか ない内乱状態を避けようとする点で共通の認識があるからといわれる(南ドイツ新聞1月17/18日)。

 占領軍に抵抗するイラク国民

 米欧間の妥協に賛成する人々は、今のイラクの現実が内乱の危険を孕むと見てその発生を一番避けるべきと思う。ところが、イラク国民が侵略者の英米占領軍 に果敢に抵抗していると思っている人もいる。イラクの現実がこのよう見える人々には「11.15の合意」も米・欧の歩み寄りも戦争に反対した欧州が米の圧 力に屈したことで納得できない。

 それでは、「占領軍に抵抗するイラク国民」といのは本当だろうか。バース党に近かった「スンニ派三角地帯」の住人で米軍に抵抗している人々にイラク国民 全体を代表させればこれは正しい。でもイラクは多民族国家であり、宗派の相違が重要である。欧米には「イラク国民」という概念の存在を疑う人々は昔から少 なくない。どのイラク人も外国軍駐留を嫌うが、とはいってもその嫌い方はフセイン政権の崩壊をチャンス到来と思ったクルド人やシーア派と権力喪失のはじま りと感じたスンニ派とではそれぞれ異なっている。

 「占領軍に抵抗するイラク国民」というイメージは世界中でいろいろなカラーの人々に受け入れられている。戦争に反対していた人々の一部はこう考えるほう が現在のイラクの不透明な現実に目を向けないで済まし「戦争反対」の立場を維持できる。またアラブの知識人も「アラブ世界対西欧(特に米)」という図式で 考えて、これを現在のイラクの現実に投影すると「占領軍に抵抗するイラク国民」になる。

 次は欧米メディアの報道の仕方である。彼らにとって英米軍兵士の死は報道に値する事件で、イラク人同士が内ゲバで死ぬのはほとんど事件にもならない。現 実には一週間に千人ぐらいのイラク人が不慮の死に遭っているといわれる。「占領軍に抵抗するイラク国民」というイメージが、人種主義的な欧米中心のこのよ うな報道の在り方によって強められていることを、私たちは忘れてはいけない。

 今イラクに派兵することは米国の侵略戦争の追認になると考える人は多い。でもこれは筋違いである。侵略戦争犠牲者に良かれと思ってを援助することが侵略 の追認なら赤十字の活動の多くがそうなる。本当は、米国を助けることを多くの人が我慢できないのではないのか。でもここで「我慢できない」のは、自分たち が無力で侵略した張本人を処罰できないこと、また国際社会に(国内と異なり)警察も裁判所も存在しないことに対してである。でも自分たちの国が無力で、国 際社会がこうであるのは昔からの不愉快な事実であり、この事実に直面することは戦争の追認にならない。

 米国の石油に対する「劣情」であるが、戦争終了後イラク原油が大量に出回り原油価格が下がり世界景気が上向きに転じるというありがたい話を、私たちは戦 争開始前に散々聞かされた。また米納税者のほうは戦費がイラク原油でペイできると聞かされた。現実は厳しくイラクは石油輸入国に転落し国内でガソリン代は 十数倍値上がりしてしまった。(これもイラク国民の怒りの種である。)もともとネオコンの「世界石油戦略」などは、現実に無知で作文上手な優等生の「取ら ぬ狸の皮算用」」のような話である。

 米国が今までないがしろにしてきた国連に色目をつかうのは大統領選挙のためというのは正しい。ブッシュ再選は地球上住民・大多数に悪夢であるが、だから といってイラク人の多くがおそれる内乱・混乱状態を期待するべきではない。またイラクの混乱は中東全体に波及する危険がある。

 賛成・反対以前の問題

 私はイラクの事情についてこう考えるので、韓国のイラク派兵にも、今年実現するといわれるドイツやフランスの派兵にも賛成する。ということは、私は日本 の派兵に反対できないことになる。ドイツで暮らしているので私の日本について情報は限られているが、事情を知れば知るほど、賛成・反対以前の問題で自分の 常識が通用しないことに気がつく。本当に失礼な疑いであるが、日本政府はイラクで一番安全そうな場所をさがし、オランダ軍が駐留するサマワを見つけて自衛 隊員の居候を頼んだのではないのだろうか。(コソボで起こったことだが、)二つの国の軍隊が同じ町に駐留するとどちらが指揮権をもつかで問題になる。とこ ろが今回この話が聞かれない。
 
 米国からの圧力があるかもしれない。でもそれ以上に、憲法九条問題で既成事実をつくりたい日本政府にとって、武装兵士の海外派遣そのものが自己目的に なっているのではないのか。とすれば、これは、結婚したいだけで、相手かまわずに結婚したがる人と似ている。だから相手、つまりイラクのことなど本当はど うでもよいのである。

 イラク派兵に反対する人々にとって、派兵、すなわち結婚そのもに反対することが重要で、相手、すなわちイラクの事情も二の次である。だから反対するために何が何でも「戦闘地域」にして、「占領軍に抵抗するイラク国民」と思いたいのではないのか。

 何が何でも結婚したい結婚至上主義者と独身至上主義者の論争、相手の存在とお構いなしにこんな議論を半世紀も続けていると、どこかがおかしくなってくる のではないのか。私はそのことを一番おそれる。一部の政治家が憲法改正したら「普通の国」になれると考えているとしたらこれも本当に甘い見解である。
 
 賛成・反対で隠された問題

 陸上自衛隊第11師団長が、地元の札幌市でイラク派兵反対運動が激しくなるなら「雪まつり」に協力できないという意味の発言をしたそうである。この発言 は、制服組が市民に特定の政治的見解を強要したので「普通の国」なら与野党の政治家が一致して問題にしたと思われる。そうならないのは問題を問題として感 じる基準が日本人の頭の中でとっくに失われてしまったか、最初から存在しないことになる。

 私が更に仰天したのは、この発言を報道する東京新聞の記事の中で、「同師団関係者と親しい」される軍事評論家神浦元彰氏の次の発言を読んだときである。

 「陸自のトップ連中は頭に来ている。イラク派遣の最低限の条件と言っていた国民の支援が得られていない。拍手や熱い期待が得られない空しさがある。札幌市民にケツをまくったというよりは社会にまくったのでしょう」

 自衛隊の幹部がこのように考えているとしたら、「普通の国」の軍隊とはいえない。イラクに派遣される自衛隊はオリンピックに参加するナショナルチームで はない。それなのに、どうして自衛隊の上層部は「国民の支援」とか「拍手や熱い期待」とかを望むのか。政治の最高責任者小泉首相が決定したイラク派遣が国 民に支持されるかどうかは、小泉首相の心配する問題であり、軍人が関知すべき問題でない。

 ドイツを「普通の国」の例とすると、ドイツの軍人にとって国民とは直接「支援」してもらったり「拍手」してもらったりする存在でない。というのは、自分 たちと国民の間にシュレーダー首相を代表とする政治機構が超えることのできない壁として聳え立っている。ところが日本のほうはこうなっていない。それどこ ろか、一部の政治家が「イラク派遣自衛隊隊員を支援する議員の会」(仮称)をつくったり、隊員の無事帰還を願う「黄色いハンカチ」運動を展開するという。 このような発想を奇妙と思わないのも、彼らが「普通の国」の普通の軍隊を知らないからである。

 話題にのぼりたいだけの政治家の仲介で自衛隊と国民の間にこのような直接のパイプがつくられことは望ましくない。イラクで自衛隊員に不幸が起こったら、 それを政治目的に利用することを恥ない人々が跋扈するのではないのだろうか。現在すでに「命を賭ける自衛隊員に失礼だから」という理由で、派兵反対の政治 家に自民党から出ることを要求するマスコミが存在する。イラクで不幸があったら、このような声も死者の重みのために無視できなくなる。こうして生まれた雰 囲気が民主主義を毒することは多言を要しない。

 戦前、一部の軍人があれほど政治家(文官)を無視したのは自分たちは国民から支援されていると思っていたからである。制服組が国民と直接関係をもとうと することは、シビリアン・コントロールという観点から見て望ましくないし、「普通の国」の普通の軍隊にふさわしい態度ではない。

 自衛隊がこれほど国民の支援を求めるのは、いうまでもなく日本社会の中で差別されて「日陰の存在」だったからである。こうだったのは、私たちが戦後「反 軍国主義者=平和主義者」に豹変して、不幸をもたらした戦争と関係の深かった軍人を縁起の悪い不吉なものと見なすようになったからである。そのために自衛 隊のほうは国民から「認知」を得ようと他の国の軍隊がしないような大サービスに努める。「雪まつり」に対する協力もその一つである。

 反軍国主義的時代風潮から自衛隊が直接国民の支持を得ようとし、その結果軍隊と国民が直接結びつく軍国主義的土壌ができてしまったことは歴史の最大の皮 肉である。自衛隊派遣は、オランダ軍が治安を回復したサマワの舞台の上に重武装した日本兵士を登場させることで、観客はいうまでもなく日本国民である。私 たちはこれを機会に「賛成・反対」の硬直した議論で半世紀近く隠れていた問題に眼を向けることができれば、これも幸いなことである。

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

2004年02月09日(月)萬晩報通信員 園田 義明

 ■ロイヤル・ダッチ・シェル連合の歴史

 英国とオランダは、米国と欧州とを二股をかけて絶妙なバランスを取りながら、これまで「ショー・ザ・フラッグ(旗幟鮮明にせよ)」を極力避けてきた。英 国はイラク戦争で米国を支持し一歩踏み込んだかのように見えたが、もし英国の存在がなければ米・欧の対立はより深刻になっていた可能性もある。

 この二国の連合企業として世界を代表する国際石油資本がロイヤル・ダッチ・シェルである。ロイヤル・ダッチ・シェルは、イラクの戦後復興で主導的な役割 を担い、2003年5月には米国防総省の下に設置された米復興人道支援室(ORHA)の石油部門顧問団代表に元米国法人社長フィリップ・キャロルを送り込 んでいる。その後ORHAはイラク復興における米国内の国務省と国防総省の主導権争いに敗れ、現在は国務省出身のポール・ブレマーを文民行政官に迎えた連 合軍暫定当局(CPA)に統合されている。 

 ロイヤル・ダッチ・シェルは1907年に蘭ロイヤル・ダッチ石油と英シェルが合併して誕生した。同じく英国とオランダの組み合わせによる合併企業とし て、1930年に蘭マーガリン・ユニと英リーバブラザーズが合併して誕生した食品・日用品・化粧品大手のユニリーバがある。最近では、1999年に蘭ホー ゴーバンと英ブリティッシュ・スチール合併で世界三位の鉄鋼企業コーラスが誕生している。

 国益にかかわる基幹産業で、英国とオランダとの連合企業を支えているのは両国の歴史が深く関係している。そして共に盛衰を経験しながら、歴史の中でじっ くりと培われた両国の信頼関係がロイヤル・ダッチ・シェルやユニリーバに脈々と受け継がれてきたのである。

 ■カルヴァン派の最後の聖域

 1568年、カトリック大国のスペインに独立戦争を挑んだオランダのカルヴァン派プロテスタントを全面支援したのがエリザベス女王率いる新教新興国の英 国であった。そして、20年後には英国海軍はスペインの無敵艦隊を破り、世界の制海権はスペイン・ポルトガルから英国・オランダに移ることになる。東イン ド会社を設立した両国は東方貿易で国富を築き、英国は1688年の名誉革命でオランダのウィリアム三世を国王に迎える。一方、二つの国を結び付けたはずの カルヴァン派プロテスタントは、その後英国国教会から弾圧を受け、ピューリタンとしてアメリカ大陸へ渡り、アメリカ建国の精神的支柱となる。

 ジャン・カルヴァンの教えは、魂の救済はあらかじめ神によって定められているとする「予定説」であり、職業を神から与えられた天職と考えて勤勉に従事す べきとする教えは、近代資本主義の発展に大きな影響を与えることになる。これは、20世紀の社会学者マックス=ヴェーバーの著作「プロテスタンティズムの 倫理と資本主義の精神」によって論証されている。また、現世の終わりとキリストの再来を説く「千年王国論」もピューリタンを通じて受け継がれ、キリスト教 右派のハルマゲドン思想に影響を及ぼしている。

 まさにイラク戦争に踏み込むブッシュ政権を熱狂的に支持した米国のキリスト教右派の源流がここにあり、今なお原形を留めたままカルヴァン派プロテスタントの最後の聖域として米国南部・中西部に根を下ろしているのである。

 今年1月20日、ブッシュ大統領は全米6000万人がテレビを通じて見ると言われる一般教書演説行う。今年の一般教書は大統領選を強く意識した内容と なっており、道徳や信仰や家族を重視するものとなった。特に同性愛問題では「結婚は男女間で行われるという信念のもと、結婚の神聖さを守らなければならな い」と語り、キリスト教右派などの保守勢力に配慮した発言を行っている。ニューヨーク・タイムズ紙によれば、事前にキリスト教右派など保守系団体幹部にテ レビで見るように電話で働きかけたとされているが、この電話の主は、やはりブッシュ大統領の再選戦略を取り仕切るカール・ローブ大統領上級顧問(政策・戦 略担当)であった。

 本来キリスト教右派の多くは、なによりも家庭やモラルを重視する敬虔な人々でもある。彼らを変えたのは2001年9月11日の同時多発テロであった。そ して彼らの指導者がネオコンと協調しながらイラク戦争を主導した。キリスト教右派の指導者やネオコンの理想主義をハルマゲドンで煽りながら、巧みに操り、 利用したのはチェイニー副大統領やパウエル国務長官らに代表されるエネルギー産業、軍事産業、メディア産業などの大企業と結びつく米国ローカルのビジネ ス・リアリスト~共和党エスタブリッシュメントであった。そして、彼らの抱える組織票が大統領選を控えた今、カール・ローブによって束ねられようとしてい る。

 ■古い欧州と国連とバチカンの「新たな国際秩序」

 イラク戦争に向けて準備を進める米国の前に立ち塞がったのが全世界約10億人のカトリック信者の総本山バチカンであった。危機感を強めるローマ法王ヨハ ネ・パウロ二世は2002年11月14日、イタリア国会を訪れ、上下両院議員を前にした初めての演説を行う。ここで、「世界の宗教は、平和をもたらすこと ができるかどうかの挑戦を受けている」と語り「紛争の論理にとらわれていては、真の解決は望めない」と述べ、イラク問題対する米国の力による解決を批判し た。その後の再三にわたるヨハネ・パウロ二世の警告も米国には届かなかった。

 イラクのフセイン元大統領拘束時にも、バチカンのレナート・マルティーノ枢機卿が「牛のように人間を扱う映像を流した」として米国側の対応を批判している(2003年12月16日記者会見)。

 さらに、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は今年1月1日、バチカンのサンピエトロ寺院で行われた新年のミサで、イラク戦争、イスラエル・パレスチナ衝突な どの中東地域の紛争、アフリカ各地の内戦の継続を嘆き、国連と国際法による紛争の平和的解決による「新たな国際秩序」の必要性を強く訴えた。法王は「人間 の尊厳と国家の対等な関係を定めた国際法を尊重することが、恣意的な武力行使に対抗して平和を達成するための唯一の方策である」と強調し、「反テロ戦争」 を大義名分に国連の承認を得ることなくイラク戦争に踏み切ったブッシュ政権の姿勢を再度批判した。

 このバチカンは現在、拡大EUの「欧州憲法」の草案にも深く関与しているのである。つまり、重要な点は、イラク戦争に反対した古い欧州であるフランスやドイツなどと国連、そしてその背後にあるバチカンの姿をはっきりと浮き彫りにしたことだ。

 大統領選の民主党候補を決める争いでは、カルヴァン派の流れを受け継いだ会衆派であるハワード・ディーン前バーモント州知事がまるで民主党の当て馬だったかのように失速しつつある。

 ディーンに代わってアイオワとニューハンプシャーの緒戦2州に連勝したカトリックのジョン・ケリー上院議員が優勢を保ちながら、同じくカトリックである ウェズリー・クラーク退役陸軍大将(元北大西洋条約機構NATO欧州連合軍最高司令官)、最大のプロテスタント教派であるメソジスト派のジョン・エドワー ズ上院議員、そしてディーンを加えた4名が激しく競う展開となっている。

 ディーンの失速とカトリックであるケリー上院議員とクラーク退役陸軍大将の躍進は、カール・ローブの再選戦略を多少狂わせた可能性があり、滅多に外に出 ないメソジスト派のチェイニー副大統領の二度目の外遊ではバチカン訪問(1月27日)も含まれていた。バチカンで行われたチェイニー副大統領とローマ法王 ヨハネ・パウロ二世との会談が、単なる選挙向けに過ぎないのか、それともイラク戦争の隠れた米・欧衝突の勝敗が決まった瞬間なのか、その結論はまもなく明 らかになるはずだ。


 ■日本のプロテスタントとカトリック

 今まさに「ショー・ザ・フラッグ(旗幟鮮明にせよ)」を慣れない手付きで掲げて乗り込もうとしているのが日本である。イラク南部サマワで駐留を予定して いる陸上自衛隊は、英国軍の指揮下に置かれ、オランダ軍と協力関係になる。つまり、ロイヤル・ダッチ・シェル連合の中に組み込まれることになる。米国軍の 指揮下ではないことに注目すべきであろう。

 そして、断固たる決意で自衛隊派遣を指揮する石破茂防衛庁長官もプロテスタントである。本人の発言によれば、新島襄と同志社大学を作った初代金森通倫 (母の祖父)から数えて4代目のクリスチャンであり、子供の頃は毎週教会に通っていた。「神が存在しないという考え方自体が信じられない」と語り、同じプ ロテスタントである三浦綾子の「塩狩峠」にも言及している。

 「日本の防衛庁長官はキリスト教徒のネオコン。だから、キリスト教的価値観を重視するブッシュ大統領やネオコンのウォルフォウィッツらと結びついて、一 心同体でイスラムに対峙するんだ」と書かれかねないとして、宗教心を語らないようにしてきたとのことであるが、この発言が掲載された言論誌「諸君2004 年3月号」では4ページに渡って宗教観を語っている。この文面を読む限り、断固たる決意の裏にはプロテスタントの自己犠牲的な理想主義が見え隠れしてお り、カルヴァン派の影響が読みとれる。

 聖書の教えからカトリック教会を批判して、離党したのがプロテスタント(抗議者)であり、カトリックを代表している日本人が、緒方貞子・前国連難民高等弁務官である。

 緒方貞子の曽祖父は犬養毅元首相、祖父は外務大臣を経験した芳沢謙吉、父親は元フィンランド大使を務めた中村豊一である。夫である緒方四十郎(元日銀理 事、日本開発銀行副総裁)は首相目前といわれながら急逝した緒方竹虎元自由党総裁の子息であり、富士ゼロックスの非常勤取締役や世界の選び抜かれた国際経 済・国際金融専門家や金融政策当局などが集う国際金融マフィアの牙城「グループ・オブ・サーティー(三十人委員会)」のメンバーを務めてきた。つまり、世 界の有力者の誰もが認める日本を代表する国際派エスタブリッシュメント・ファミリーである。

 もともと小泉首相は2002年1月に更迭した田中真紀子前外相の後任に、緒方貞子をあてる人事を希望していたが、「家族の反対が非常に強い」「米フォー ド財団などの残された仕事をやり遂げたい」。そして、「何よりも、NGO参加排除問題で更迭騒動になる日本政治の現状には失望感がある。政権が一夜にして 高支持率から低支持率に引っくり返るような状況でしょう」(毎日新聞2002年2月2日)などの理由で、夫である四十郎と相談したうえ、2月1日朝、福田 長官に国際電話で正式に固辞する考えを伝えた。

 同じ2月1日にニューヨーク市内のホテルで開かれた世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)の夕食会に出席した緒方貞子は、イランのアフガニスタンへ の干渉が問題になったことに対する毎日新聞の取材に「米国があんないらんことを言うから(イランも)いろいろ言う」と述べ、ブッシュ米大統領の悪の枢軸発 言を批判するコメントも飛び出している。

 そして、2003年10月1日、川口外相は独立行政法人として新たなスタートを切った国際協力機構(JICA)の理事長に緒方貞子を任命している。外務省OB以外では始めてとなる人事である。

 小泉首相や石破防衛庁長官が語るイラクの民主化には、キリスト教原理主義とネオコンの戦略観に支配されているとしか思えない時期があった。しかし、この2003年10月を契機に慎重さが目立つようになってきた。

 この国連とカトリックを結び付ける緒方貞子の起用は、小泉政権内のバランスを大きく変えたものと思われる。その象徴的な出来事は2003年12月の欧 州、国連本部、中東への首相特使派遣である。橋本龍太郎元首相は英国でストロー外相、ドイツでシュレーダー首相、フランスでシラク大統領と会談し、高村正 彦両元外相はエジプト、サウジアラビアを訪問、逢沢一郎外務副大臣もヨルダン、シリア、クウェイトを訪れた。そして中山太郎元外相をニューヨークの国連本 部に派遣しアナン事務総長と会談を行っている。この時、中山特使は、フセイン元大統領の拘束により、フランス、ドイツも含めた国際社会が一致する機運が生 まれたという認識を示し、人道支援を念頭に国連が中心的な役割を果たすよう求めたとされている。おそらくこの時にイラクでの戦後復興における日本と欧州、 そして国連との密約が交わされていた可能性が高い。

 創価学会という宗教票に支えられた小泉政権、そしてイラクへの自衛隊派遣を指揮するプロテスタントと国際協力機構(JICA)のカトリックの存在、これ が現在の日本の置かれた現実である。また、このことが自衛隊に対するイスラム原理主義によるテロの可能性を高めることになることを指摘しておきたい。

 そして、宗教をまとってイラクへと向かう日本に、現在の世界の隠された構図が明確に暗示されているのである。

 ■「新たな国際秩序」の行方

 2003年11月4日、アナン国連事務総長は米国が先制攻撃の理論に基づいて単独主義的にイラク戦争に踏み切ったことで、国連創設以来の集団安全保障の 原則が揺らいだとの危機感を表明し、安保理拡大を含めた国連の包括的改革に関する諮問委員会の新設を発表する。この諮問委員会に16名のメンバーが任命さ れているが、この16名の賢人の中に緒方貞子と米国から現在のイラク情勢の泥沼化を予測しイラク戦争反対を表明していたブレント・スコウクロフト元大統領 補佐官が選ばれている点は興味深い。

 そして、緒方夫妻が夫婦揃って仲良くメンバーを務めているのが、トライラテラル・コミッション(三極委員会=旧日米欧委員会)である。なお英ガーディア ン紙は1999年4月13日付の記事で緒方貞子がある秘密会議のシークレット・メンバーであるとする記事を掲載している。これが事実だとすればこの会議に 参加した唯一のアジア人ということになる。その会議の名はビルダーバーグ会議である。

 「新たな国際秩序」と「古い国際秩序」の違いを入念に検証すべき時が来たことは間違いない。ここには単純な「反米論」や「親米論」などは存在しない。個人個人がしたたかに泳ぐ術を身につければいいだけの話しである。

 共和党の一角であるリバタリアンに影響された古神道派の私自身を「反米主義者」扱いする方々にこのコラムを捧げたい。今日も1970年代の米国の音楽CDを聞きながら、愛すべきやんちゃな米国の行方を憂いでいる。

 ジョン・ケリー上院議員の応援に駆けつけたベテラン・シンガー・ソングライターであるキャロル・キングの名曲をアレンジした"You've got a friend in John Kerry."が本来の姿を取り戻しつつある米国を象徴していると思いたい。


□引用・参考

スコウクロフトのアルマゲドン・クーデター
http://www.yorozubp.com/0208/020823.htm

Conservative Groups Differ on Bush Words on Marriage http://www.nytimes.com/2004/01/22/national/22GAY.html

Dick Cheney's Peace Offering http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles
/A54839-2004Jan27.html


欧州カトリック勢力のロビー工作
http://www.diplo.jp/articles04/0401.html

防衛庁長官の「責任」と「覚悟」
諸君2004年3月号

Rage unites battered town 
http://www.guardian.co.uk/Archive/Article/
0,4273,3853674,00.html


 園田さんにメール mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2004年02月08日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 2月1日で津支局長になり、三重県の住人となった。転勤が決まったとき、中学一年生の三男は「松阪牛がたらふく食べたい」といい、二男は「伊勢エビがい い」と言った。妻はミキモトパールの名前を上げた。小生は伊勢神宮と松阪商人をイメージしていた。自分が赴任するところがどうして三重県と呼ばれるように なったか気になった。

 三重県の命名の由来をたどることはそのまま日本史探訪の旅になるに違いない。そう考えながら、津への旅立ちとすることに決めた。旅のスタートは明治維新となった。

 明治維新から廃藩置県を通じた新しい行政区画の整備とその後の道府県の統合再編劇は、現在進行中の市町村合併を考える上で多大な示唆を与えてくれる。特に地名の決め方は面白い。

 明治政府は廃藩置県に際し、律令時代の「国」を単位として府県を整備し、府県名の付け方として、「県庁を置く地名とすること」と統一する考えだった。だが「国」の概念は江戸時代に相当程度崩れていて、行政区画の整備は一筋縄ではいかなかった。

 ■4つの国が合体した三重県

 三重県は律令制度でいうところの伊勢国と伊賀国、志摩国、それに紀伊国の一部が一緒になった領域を持つ。4つの国が合体したのだから中心というものがな い。人口規模で言えば、コンビナートが控える四日市市が一番大きくて、次が鈴鹿市。県庁所在地の津市はようやく3番目に位置する。「津って県庁所在地だっ たよな」と心細げに語った友だちもいたくらい目立たない都市である。

 江戸時代、この4つの国がさらに細分化されていて、幕末の地図では8つ藩と幕府直轄地の伊勢の山田に分かれていた。正確に言えば、松阪などのほか、南部 の南北牟婁郡もまた紀州領だったから10以上の領地に分かれていたことになる。日本全国で300以上の藩が存在したのだから仕方がないのかもしれない。

 一番大きかったのは津藩(藤堂高猷、27万石)で、藤堂高虎の時代は伊賀上野に城を持っていたが、徳川家康に功を認められて本拠を津に移し伊賀国も併せて統治した。

 このほかの7つの藩は北から長島藩(増山正同、2万石)、桑名藩(松平定教、6万石)、菰野藩(土方雄永、1万石)、亀山藩(石川成之、6万石) 、神戸藩(本多忠貫、1・5万石)、久居藩(藤堂高邦、5万石) 、鳥羽藩(稲垣長敬、3万石)となっている。

 ■旧徳川領を統治するため生まれた「府県」

 徳川時代の統治は複雑で領地も入り組んでいたから細かいところはわからない。例えば三井財閥を生んだ松阪は紀州徳川の領地だったことはこの地に来て初め て知ることとなる。紀州藩の徳川家は今の三重県の領域になんと15万石もの飛び地を持っていたのだ。逆に津藩の藤堂家は大和に飛び地を持っていた。藩は大 名家の私有地だったと考えれば分かりやすい。江戸時代の藩を語るのに現在の行政区画だけを考えていてはとんでもないことになる。

 廃藩置県が発布されたのは1869年7月1日。実施は翌年の4月1日である。東京など一部は5月1日と遅れた。府県制はこの時、導入されたと学校で習っ た記憶があったが、実は薩長土を中心とする官軍が江戸に入場した直後、新政府は「政体書」を公布。中央と地方の官制を定め、徳川家の支配する天領750万 石のうち70万石を残して召し上げ、新政府領とした。新政府運営にはその日から相応の税収が必要だったのである。全国の藩の体制はそのままだったから、そ れらの地域は実質的に支配者が徳川家から天皇に変わっただけだった。

 ただ新政府としては、新しい支配地に「藩」に代わる新たな名称を早急に考え出す必要があった。新政府の領地の形態が徳川時代のままであるのはいかにもお かしい。版籍奉還は後のことである。とりあえず徳川から召し上げた領地について官制として「府県制」を導入した。「府」はその昔、「国府」と呼んだ経緯が あり、「県」は中国jから導入した概念だろう。

 旧徳川領で所司代や奉行の支配地だったところを「府」とし、郡代や代官の支配地を「県」とした。コメ生産があるところを「県」とし、そのほか都市部などを「府」としたと考えれば分かりやすい。

 だから明治初期、東京や大阪、京都だけが「府」だったのではない。長崎も神戸も「府」と呼ばれた。三重県でいえば伊勢神宮のある伊勢の山田は1868年7月から一年間だけ「度会府」と呼ばれた歴史があるのだ。

 ■転々とした県名

 さて三重県の由来である。現在の三重県の概念ができたのは1876年(明治9年)4月のことである。津に県庁があった三重県と山田に県庁があった度会県 が合併してできた。北海道と沖縄を除く現在の45府県体制ができるのはさらに13年後であるからまだまだ明治日本は再編のさなかである。

 そもそも1871年7月の廃藩置県では、旧藩がそのまま県になったから現在の三重県には9つの県が生まれたことになる。北部の桑名県、長島県、亀山県、神戸県、菰野県、津県。南部の久居県、度会県、鳥羽県である。

 府県の第一次統合は4カ月後の11月に早くもやってきた。

 桑名から津までの北部6県は安濃津県(あのつ)として合併され、安濃津郡の津に県庁が置かれた。この合併に伴い津県が奈良に持っていた飛び地を失った。 南部は久居県、度会県、鳥羽県を合併した上、和歌山県の飛び地だった松阪や牟婁郡を取り込み、度会県となった。県庁は度会郡の山田(今の伊勢市山田)の地 に置いた。

 当時、明治政府は県庁の所在地名をもって県名とすることを定めた。だから合併後も安濃津郡の津に県庁を置いたから安濃津県の呼称が残った。度会県も同様 である。明治政府はまだ市制どころか区や町村制も導入していないから県庁所在地は津市ではない。ただの津である。

 安濃津県もそうだが、廃藩置県直後の日本には現在からみれば不思議な府県名が多く存在する。現在の徳島県が「名東県」と呼ばれるなど廃藩置県の府県名は 初めから府県を包括する地名ではなかった。そもそも「国」単位で新しい行政区画をつくろうとしたのに、県名だけは小さな土地を残した概念としたのはおかし なことだった。

 余談だが、長野県知事の田中康夫氏が長野県を「信州」と呼ぼうとする意図はけっこう明治政府のやろうとしていたことに近いのかもしれない。もっとも「信州」は略称で本来は「信濃」でなければならないと思うのだが。

 また全国どこでも同じだが藩主がそのまま県知事となった。正確には知県事という。語源は県の事を知行するという意味だろう。ちなみに安濃津県の知事は津の殿様の藤堂高猷だった。

 ただ津は安濃津県の南端に位置したため、あまりにも県庁が南に偏りすぎると批判が起き、合併4カ月後の1872年3月、県庁は三重郡(今の四日市市)に 移された。この時、政府の方針に従い、県名も安濃津県から三重県に変更した。この時、三重が県名として初めて現れるのである。

 新たな県庁となった四日市陣屋は翌1873年12月、早くも手狭であるとの理由から再び津の地に戻された。県名を再度、安濃津に戻すことも検討されたが、度会県との合併も浮上していたため、安濃津の地名は復活することはなかった。

 以上、長々と三重県の由来について書いた。この一カ月学んだことである。この地にやってきたのを機会に三重県の読者と出合う機会をぜひつくりたいと思っています。メールをいただければ幸いです。

 筆者にメール mailto:fwgc0017@mb.infoweb.ne.jp

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