2003年12月アーカイブ

2003年12月27日(土)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 前稿「日本国憲法と律法」 で法のことに触れたので、もう少し法について書きたい。今回は国際法についてである。

 現在のイラクでの戦闘が最終的にはアメリカの勝利に終わり、それによってイラクに一応の安定が訪れたとしても、国際社会は深刻なジレンマに直面する。この間、諸々の国際法違反が横行したからである。

 言わずもがなのことであるが、人間が社会生活を営む上では何らかのルールが必要である。動物の世界にも本能に定められたルールがある。動物の世界が弱肉 強食だといっても、ライオンは際限なくシマウマを食うわけではない。腹がいっぱいになれば無意味な殺生はしない。メスをめぐるオスどうしの戦いでも、相手 が敗北を認め、尻尾を巻いて逃げれば、殺したりはしない。

 これに対して人間は、自然の本能ではなく、文化によってルール=法を設定する動物である。だから、法の体系はそれぞれの国家によって異なっている。ある 国の法が他国から見て非合理的なものに見えても、その国はそのようなルールによって統治されているわけであり、そのルールがきちんとした手続きなしに急に 変わったら、その国の統治は混乱する。今までサッカーのルールでゲームをしていたのに、突然、一方のチームがラグビー式に手も使ってよいということになっ たら、ゲームは成り立たなくなる。手を使えないことは不合理だと思っても、みながそのルールでゲームをしている以上、ルール違反は処罰されねばならない。

 スポーツでは審判がルールを確保しているが、国家の場合は、国家の暴力がこのルール=法を維持している。法律違反は司法がこれを判断し、最終的には警察力という国家権力が排除し、法を貫徹する。この強制力がなければ法は法として機能できない。

 国際社会も人間の社会である以上、何らかのルールが必要である。それが国際法と呼ばれ、第二次世界大戦以降は国連憲章が国際社会を律するルールと考えられた。ただし、国際社会の場合は、国家とは違って、ルール違反を暴力をもって排除する装置が欠如している。

 国連憲章は、国連加盟国の合意によって成り立っているルールである。それは国家の法とは違って、現在のところ擬似的な法である。国家の警察に相当する国 連軍あるいは国連警察という法貫徹の装置を持たないからである。国際裁判所もかぎられた権限しかない。そのため、一国がルール違反をした場合、結局、その 都度の話し合いで違反を処罰するしかない。違反をした国が旧ユーゴスラビアやイラクのような弱小国であれば、強国(の連合)が弱小国を処罰できる。しか し、強国がルール違反をしたら、他の国々は強国を処罰できない。小国が明白なルール違反をしても、大国が反対すれば、小国ですら処罰できない。イスラエル がそうである。この時点で、国際法は法として機能しなくなる。

 すでに多くの人々によって言われてきたように、今回のアメリカのイラク攻撃は国際法違反である。国連憲章が合法と認める武力行使は、安全保障理事会の決 議によって承認された場合と、攻撃が逼迫しているか、あるいは実際に起こっている場合のみに限られている。今回のイラク攻撃はそのどちらでもなかった。当 初アメリカは国連憲章違反になりたくなかったから、安全保障理事会での決議を得ようと必死で根回しをしたのである。しかし、安全保障理事会の決議が得られ ず、アメリカは国連憲章を無視してイラク攻撃に踏み切った。

 前稿でも触れたように、法解釈というものはどこまでも拡大可能であるから、アメリカの行為は国際法や国連憲章に違反しない、という理屈もありうる。しか し、大部分の国際法学者がアメリカの行動を国際法違反、国連憲章違反と認めているので、ここではこの見解に従う。イラク戦争の国際法的な見方については、 たとえば明治大学法学部の小倉康久氏の「イラク戦争と国際法」をご覧いただきたい。
http://ac-net.org/dgh/blog/archives/000390.html

 この国連憲章違反に対して、アナン事務総長は厳しいアメリカ批判を行なったが、国連においてアメリカ非難決議などが行なわれる様子はない。それどころ か、戦争が完全に終わっていない段階でイラクに国連職員を派遣し、事実上、アメリカの戦争責任を不問にした。国連憲章違反のイラク攻撃が国連で何のお咎め も受けなけないということになれば、国連憲章も国際法もその権威を喪失する。

 アメリカの国連憲章違反を放置することは、アメリカが国連よりも上位の審級になることを承認することを意味する。アメリカは今後、自国の利益になる場合 だけ国連や国際法を手前勝手に利用するだけである(今までも事実上はそうであったが)。イラクがアメリカ人捕虜の写真を公開することは戦時国際法違反だ が、アメリカがフセインの二人の息子の死体の写真を公開しても、国際法違反ではない――これがアメリカの立場である。法は公正かつ普遍的な適用を受けるの ではなく、アメリカが欲すること、利益になること、行なうことが「法」となる。つまり、アメリカがゲームのプレーヤーと審判の両方を兼ねるようなものであ る。「ユニラテラリズム」(一国行動主義)とかアメリカの「帝国化」と呼ばれている現象の法的内実はそういうことである。

 さて、アメリカとイラクは国際法的にはまだ交戦状態にある。なぜなら、アメリカとイラクの間では終戦条約が結ばれていないからである。5月1日にブッ シュ大統領が「戦闘行為の終結宣言」をしたが、これは一方的な政治的パフォーマンスで、法的には何の意味もない。法的に終戦が成立するには、終戦条約が調 印されねばならない。終戦条約が調印されていないので、イラクでは事実上も戦闘が続いているばかりではなく、法的にも戦争は継続しており、イラクはまさに 戦争地域なのである。

 10年前の湾岸戦争では、アメリカを中心とする多国籍軍とイラクとの間で終戦条約が結ばれ、その時点で戦争が終結した。イラクは過酷な条件を受け入れて、戦争をやめることを選んだ。

 終戦条約について、ここで少し歴史をふり返ってみよう。

 日米戦争が最終的に終わったのはいつであろうか。昭和20年8月15日ではない。8月15日は、日本がポツダム宣言を受け入れる用意がある、と宣言した 日であるが、法的に終戦になったのは、9月2日、ミズーリ号の船上で、日本政府の全権大使・重光葵外務大臣が降伏文書に調印したときである。これは私が 言っていることではなく、色摩力夫氏が『日本人はなぜ終戦の日付をまちがえたのか』(黙出版)という著書の中で明快に指摘している事実である。

 敗戦の受諾に反対し、天皇の玉音放送を妨害しようとした将校がいたことは、映画『日本のいちばん長い日』によってもよく知られている。このクーデターは 失敗に終わり、日本は天皇の権威のもと、法に従い整然と終戦した。もし一部反乱将校があくまでも終戦=敗戦に納得せず、9月2日以降も日本各地で、進駐し てきた米軍に対するゲリラ攻撃を続けたと仮定してみよう。その場合、反乱将兵がいかに愛国者であろうと、日本政府がすでに降伏文書に調印した時点で戦争が 終わっている以上、彼らは法令違反者、つまり犯罪人になる。この場合、アメリカ軍による日本人ゲリラ兵士の討伐は、犯罪人の摘発行為となる。今の言葉で は、彼らは「テロリスト」と呼ばれることになるであろう。

 日本の場合、8月15日の天皇の詔勅によって事実上アメリカとの戦闘行為が終了したので、9月2日の意義が薄れ、あたかも8月15日が終戦の日のように錯覚されてしまったのである。

 しかし、現在のイラクの状態はこれとはまったく異なっている。フセイン大統領が逮捕されたとはいえ、彼はまだ降伏文書に調印していない。したがって、米 軍に攻撃をしかけるイラク人は、法的には犯罪者ではなく、まさに戦争従事者、つまり兵士なのである。彼らを「テロリスト」と呼ぶことは、事態をごまかすこ とにほかならない。

 もしフセインが降伏文書に調印し、その時点でも彼らが戦闘をやめなければ、彼らは犯罪人となり、米軍の彼らへの攻撃は犯罪人の掃討ということになる。しかし、現在はまだそのような法的状況にはない。

 民主党の菅直人代表が「フセインに降伏文書に調印させられないのか」と述べたと伝えられている。菅氏の真意を推し量ると、こういうことになるであろう。 イラクの国家元首たるフセインが降伏文書に調印すれば、その時点で法的には戦争が終わり、その後は米英軍のゲリラへの攻撃は犯罪者の掃討と解釈されること になる。そうなれば、イラクに派遣された自衛隊がたとえ戦闘行為に巻き込まれたとしても、それは正当防衛的な一種の警察行為という形になり、戦争を禁じた 憲法への違反にならないですむ。日本もおおっぴらに自衛隊を派遣し、イラクの復興に協力し、アメリカとの友好関係にもひびを入れないですむ、というわけで ある。

 一見うまそうな考えだが、残念ながらそうはならないであろう。フセインに降伏文書に署名させるためには、アメリカはフセインと交渉しなければならない。 しかし、アメリカがフセインの身の安全を保証しないかぎり、フセインは降伏文書に署名しないだろう。もし自分を戦犯として裁いたり、自分の死刑の可能性を 含むような降伏文書にフセインが調印したとするならば、それは正常の意識状態ではなく、心理的操作や薬物によって人格をコントロールされた上での調印を示 唆することになり、そのような文書の法的有効性に重大な疑義を生じせしめることになる。フセインの降伏文書が出てきたら、茶番になる。

 ただし、戦争は必ずしも降伏文書によって終わる必要はない。そのことは、第二次世界大戦のドイツの敗北を見るとわかる。ドイツでは、国家元首たるヒト ラーが自殺して、降伏文書に調印する主体がいなくなってしまった。結局、ドイツは日本のように秩序正しく降伏することができず、連合国軍にドイツ全土を 「征服」されて、その時点でドイツでの戦争が終った。ドイツと連合国側の間には、日米間のような降伏文書はない。このことも色摩氏が指摘していることであ る。完膚無きまでにたたきのめされ、戦闘能力を完全に失ったドイツには、日本の将兵のように、クーデターやゲリラ戦を行なう意志や能力すら残されていな かった。

 「征服」後は、その国をどう料理しようと、降伏条件を述べた文書がないので、戦勝国の勝手となる。ドイツは結局、米英仏ソの戦勝国内部の都合により、東西に引き裂かれるという過酷な運命に甘んじざるをえなかった。

 イラクの場合もドイツに似ている。自殺こそしなくとも、フセインが降伏文書に調印しないかぎり、イラクは降伏することができない。ならば、米英軍がイラ クの残存敵対勢力を徹底的にたたきつぶして、戦闘の意志と能力を破壊し、イラクを「征服」することによってしか戦争を終わらせることはできない。現在はそ の「征服戦争」の途中である。イラクを「征服」したあとは、米英が「民主化」の名のもとにイラクを自分たちの勝手に料理するだろう――「国際世論」なるも のに多少の配慮を払うではあろうが。もちろん、米英軍によるイラク民間人への誤爆、誤射、略奪などの国際人道法違反の行為は処罰されることはない。

 「征服」が完了しない段階で自衛隊をイラクに派遣するということは、いかに人道援助のためとはいえ、法的にはまさに戦争地域に派遣することであり、しか も戦争当事者の一方である米英軍への協力となる。先に殺された二人の日本人外交官は文民であっても、CPA(連合暫定施政当局)への協力者であった。二人 は「犯罪被害者」ではなく、「戦死者」である。

 米英軍が残存敵対勢力を完全に掃討し、戦闘が終息し、治安が回復した段階で、「征服」が完了し、戦争が終結したと見なすことができる。戦後のイラクの復 興に責任があるのは、何よりも違法に戦争を始めた米英であり、国連でも「国際社会」でもない。小泉首相がアメリカのイラク攻撃を支持したので、日本も部分 的に責任がある。イラク国民の惨状を一日も早く救うために、日本もイラクに人道支援を行なうべきである。この場合は、派遣される自衛隊は、武装勢力と交戦 する可能性もなくなるので、現在の計画で想定されているような重装備は必要ない。これまでのPKO活動と同じレベルの装備でよい。またすでに戦争状態では ないので、法的にも問題はない。しかし、もし治安が回復されたのであれば、なぜ自衛隊を派遣する必要があるのだろうか。民間のNGOが主体になってもちっ とも不都合ではない。

 武装勢力が掃討されたはず、であるにもかかわらず、治安がいっこうに回復しない可能性もある。それは、イラクの一般国民が米英軍の支配を嫌い、それに対 する抵抗運動を起こしたときである(その徴候はすでに出ている)。そのときは、「国際法違反の外国の侵略軍 対 民族独立運動」という構図になる。米英は 「テロリスト」討伐の名目で、イラクの民衆を虐殺することになる。日本が米英の要請に従って自衛隊を派遣すれば、たとえ直接戦闘行為を行なわなくとも、民 族独立運動を弾圧する側に与することになる。そういう立場になることは、何としても避けるべきであろう。

 終戦条約が結ばれていない以上、治安の回復こそが、米英の「占領」が完了し、戦争が終結し、イラク国民もそれを受け入れた――喜んでか、諦めてか、はさ ておき――ことの指標となる。まがりなりにもまだ憲法9条を保持している日本は、自衛隊員の安全面からも、法的側面からも、その時点で復興部隊を派遣する のがもっとも無難なのである。
2003年12月25日(木)ジョージワシントン大学大学院生 和田真

 "The Federalist"という本がある。日本ではそれほど知られていないかもしれないが、この本はアメリカ政治哲学を知るための最重要文献の一つである。 実際、この本は大学レヴェルのアメリカ政治クラスでは副読本として頻繁に使用されている。"The Federalist"とは新憲法承認を目前にニューヨーク州民を説得するために、James Madison, John Jay, そしてAlexander Hamiltonが1787年から約一年かけて新聞に連載したコラムを集約したものである。三人の、いわゆる"Founding Brothers"(建国の兄弟たち)が心血を注いで書き上げた国家像や共和制についての理論と主張は140年近く経た今でも色あせることはない。それど ころか、ソ連が崩壊した際には新国家を模索するために "The Federalist"が読まれたという。

 "The Federalist" とは主にアメリカ国内政治や政策問題、そして政治理念について論証しているが、所々に「諸外国とアメリカのあるべき関係」と解釈できる記述が見られる。"The Federalist" John Jayによる第四章 の一節に注目して現在のアメリカのついて考えてみたい。
Chapter 4:Concerning Dangers from Foreign Force and Influence
「...しかし、外国の軍事力による危険性に対するアメリカ人の安全は、単に他の国に正当な原因を与えぬように自重するということだけに依存しているのではな い。それは他の国の敵意や軽蔑を招くことのないような立場にアメリカが立ち、またその立場を守り続けることにも依存しているのである。」
  アメリカは第二次世界大戦以後「自由主義 民主主義 資本主義」という旗印の元で共産イデオロギーと対峙してきた。冷戦が終わる頃には世界中の若者はアメ リカンロックを聴き、天安門事件では民主化を求める学生が自由の女神像を奉り、そしてアメリカ型の「ビジネス」という言葉が日常生活で跋扈するようになっ た。

 確かに、冷戦後のアメリカはハードパワーそしてソフトパワーの両面から見ても世界一の超国家であり、その影響力は世界の隅々まで浸透しているかもしれな い。しかし現在のアメリカが「他の国に(戦争の)正当な原因を与えぬように自重」しているかどうかは議論の余地があるとしても、「他の国の敵意や軽蔑を招 くことのないような立場に」立っているとは考えにくいと感じてしまうのは間違いだろうか。

 John Jayは続ける。アメリカの中央政府が巧く機能していれば、「諸外国はわが国民の反感をかうようなことはせず、むしろ国民の友情をかちえようと努めるだろ う。」この主張の背景には、当時のアメリカ州間結束が崩壊寸前ともいえる状態であり、新憲法制定による13州の結束と強い中央政府がどうしても必要だっ た。政治機構の話になってしまうが、新憲法承認前のConfederationのような中央集権機能が欠いた合州連合は、様々な理由で外敵に対し脆弱であ る、という主張をThe Federalist Paperの筆者たちは強調している。

 話を元に戻そう。中央政府機能の良し悪しの議論はあるにせよ、今現在でどれだけの国がアメリカの「友情をかちえようと努め」ようとしているだろうか?冷 戦中ならば安全保障や経済面でアメリカのサポートを必要とした国は日本を筆頭に多くあったに違いない。しかし、それらの多くの国々は「必要に迫られた友 情」でアメリカと?がっていたのであって、心から湧き出る友情ではなかった。

 冷戦終結後、アメリカがパックスアメリカーナで有頂天になっている間に、国際情勢の水面下ではアメリカとの薄っぺらな同盟関係、つまりアメリカの「友」 が「敵」へと変化していったのである。言い換えると、1989年11月9日のベルリンの壁崩壊後に処理しておくべき問題を蔑ろにしていたために、2001 年9月11日にアメリカの対外政策失敗がテロリズムとして表面化したとは考えられないだろうか。

 1985年作成の映画「ランボーⅢ」ではイスラム教徒とアメリカ人が一緒にソ連軍を相手に戦い、2001年9月11日以前はチェチェン地域におけるロシ ア軍の蛮行がTIME誌で特集された時期もあった。翻って、今ではロシアがアメリカの仲間でイスラム教徒が共通の敵である。チェチェンの少数民族問題も扱 われることはなくなった。アメリカとロシアが足並みをそろえるのは対テロ包囲網の一環としては理解できるが、これは建国の兄弟たちが思い描いた「友情」だ ろうか。とても、そうは思えない。自衛隊イラク派遣は両国の「友情」の産物だろうか?

 イラクとアフガニスタンは徐々に安定し、アメリカに対するテロリズムもいずれは収束へと向かうだろう。しかしそれでも、いやだからこそ、ソフトパワーやハードパワーそして主義主張という枠を超えて、アメリカは"Federalist Paper"のような古典から学ぶべき点が多いのではないだろうか。「友情」や「自重」に基づく外交政策はナイーヴかもしれない、しかし建国の兄弟たちが思い描いたアメリカの姿を心に留めておくのは決して悪くはないだろう。

 参考文献 「ザフェデラリスト」 岩波文庫

 和田さんにメールは mailto:assjk@hotmail.com
2002年12月24日(水)

 東洋の諦観をよく見ています 宝田時雄

 東洋の諦観をよく観ています。熊楠が産土神の合祈や廃棄に際し、あれほどの抵抗運動を示した事を想起する。碩学熊楠が心血を注いだ行動は、いま中野さん が唱えていることとは、まさに同根であり,同憂である。多神の御指摘も茫洋としてとらえられない(官製学では),広大で4次元の宇宙観からすれば至極当然 な摂理である。

 まさに売文の輩や言論貴族の視野にはないアジアスタンダードの構成要因が整いつつある。とくにアジア一端であるイラクの問題を考える時、鮮やかな問題として提起される。

 いつぞや中野さんが石原莞爾を例に語ったといわれましたが、12/7日東亜連盟の物故祭の招請を受け,偶然貴コラムと同様な論を披露しました。

 小生の人物例は孫文と明治の日本人の矜持と頓智でした。
 イラクでも日本人の頓智が生かせたらどうか・・・
 タルムードに比する「大謀は謀らず」こそ,無がゼロでなく無限大の謀となるはずです。

 具体の現象はそこから生まれ,評論,推考はその後続きます。 具体の現象を作りたいものです。それは簡単な頓智から生まれます。

 一神教が世界の争いのもと 中山善照

 「アメリカの国家戦略に東洋思想を」を読みました。
 ご意見に賛成です。一神教が世界の争いのもとをつくっています。日本人は宗教を人間の上におきません。どんな宗教でも人間がそれで向上すればいいではないかという考え方をもっています。これこそ真の意味でのヒューマニズムです。

 ラフカディオ・ハーンはその著「日本・一つの試論(Japan:An Attempt at Intrepretation ・別題/神国日本)」で、「いかなる国の経済も文化もその国の宗教を深く知らないと理解できるものではない」と言っています。日本を理解するにも、世界を理解するにもその国の宗教を深く知る必要があります。

 アメリカの世界戦略の見えない部分にキリスト教があるのは間違いありません。これはブッシュにかぎりません。アメリカの背後には常にファンダメンタリズ ム、ピューリタニズムがあります。ブッシュが今回のイラク戦争で「十字軍」と口をすべらせてしまい、あわてて訂正しましたが、田舎者の素朴さでつい本心を しゃべってしまったと小生は見ています。
 (貴殿の論文から)
 半世紀前に出版されたNorman Cousinsの本の中で興味のある記述に出会った。インドの奥地を訪問した時、文字を読むことができないキリストの教えを知らないはずの村人がキリスト 教が理想とする生活を行っていることに驚かされ、そこで、キリスト教の源流は、東洋思想に影響されていることに気がついた。とある。

 とのことですが、中野さん、この本以前に、このインドの風景は昔の日本そのものであると思いませんか?

 日本人は西欧的あるいはキリスト教的倫理観を持ちませんが、古来の、もしかしたら人類発祥以来の原初的で、素朴な倫理観で社会を形成してきました。その日本社会の倫理道徳レベルはキリスト教国のそれに勝るとも劣りません。

 中野さんには、Norman Cousins氏の著作より先に、この事実に気づいていただきたいものです。

 ところが、西欧人は日本人を宗教的倫理観のない民族だと思っています。1980年代の日本の経済躍進に対して、CIAレポート「ジャパン2000」はつぎのようにいっています。
「憂慮すべきは、日本の価値観や体系が輸出されていることだ。日本の国内体系の価値観が、西側自由市場体系に徐々にとって代わり、世界の経済における有力な価値体系になるかもしれない」

「日本の経済支配は最悪の結果を招く。経済力を使って日本の文化と価値観を世界に押しつけてくるだろう。これは大きな問題だ。というのも、ユダヤ・キリス ト教主義に基づく西欧の規範と違い、日本型規範は絶対者や道徳的強制力をもたないからだ。西側の価値観は、日本の場当たり的倫理の前では腐食してしまうだ ろう」
 西欧人はその文明力の高さから、 東洋人を見下していると思われます。それはまだ、アジアや中近東の現状を見れば、いたしかたないことでもあります。文明や文化というものは電流のようなも のですから、高きから低きへ流れるからです。そしてそこに彼らの宗教の優越性が顔をのぞかせてくるのだと思います。

 さて、ここで考えていただきたいことがあります。

 中野さんのような知識階級の日本人が、意外と日本人そのものを知らないということです。あなたはNorman Cousinsを読まれましたが、ではハーンのJapan:An Attempt at Interpretation は読まれましたか?これは日本人の本質を知る好著です。

 ところで、ライオンズやロータリーに、短期間ホームステイする交換留学生、ユースエキスチェンジという制度があります。あるクラブが女子高校生をニュージーランドの家庭にホームステイさせました。

 ステイ先の家族が女子高校生に訊ねました。
 「日本人は仏教徒なのになぜ先祖を拝むのか?」
 この質問に女子高校生はまったく答えられなくて困惑したといいます。さて、中野様、あなたはお答えになれますでしょうか?

 いわゆる国際時代と言われるいま、こういったことを外国人にきちんと説明できなければならない時代となっています。日本人はいま誰もが「己自身を知る」ことを求められているのです。

 つまり、アメリカに東洋思想を説く前に、日本人自身が日本人とは何者なのかを知り、身につける必要があるのです。

 ここで唐突な質問ですが、あなたは首相の靖国神社参拝に賛成ですか、それとも反対ですか?その答えによってあなたが日本人を知っているかいないかがわかります。

 アメリカ人に東洋思想を教えるまえに、日本人が日本人としてのアイデンティティを明確にしておかねばなりません。

 以上、中野様のご意見には賛成ですが、もしあなたが日本人自身を知らないとしたら、あなたのご意見は空虚なものになります。以下お答え下さい。

 1,日本人は仏教徒なのになぜ先祖を拝むのか?
 2,首相の靖国神社をどう思いますか?


 民主主義に絶望 酒匂景敏

69歳の男性です。終戦後あれほど までに称賛されたいわゆる民主主義が、こんなところに来てしまったのかと絶望です。大が小を抑圧し、強者が弱者を圧迫する様は、気ちがい沙汰です。ブッ シュ氏がかくまで酷いことを行い、まるで神のように振舞っていても、米国民はさして反対の意思をあらわそうとしない様も異常です。やはりこの戦争は、キリ スト教とイスラム教の宗教戦争なのでしょうか。また、この戦争は、上の支配層と下の民衆の態度の乖離が顕著です。米国の知識人は無力なのですね。どうなる のでしょうか。

 イラク侵攻を賛美した友人に転送した 梨本修造

 梨本修造@信州高山村です。突然 のメールをお許し下さい。萬晩報のメール・ニュースを楽しんで読んでいます。今回の貴兄の文章を大変感心しながら読みました。早速、ロスに住む、アメリカ のイラク侵攻を散々賛美した友人に転送いたしました。彼とは最近、直接に話し合ったことはありませんが、在米40年すっかり共和党よりの考え方になってし まいました。

 さて、最近出版された本の中に、寺島実郎さんの「脅威のアメリカ、希望のアメリカ」(岩波書店)と言う本があります。この中で彼は孫文の「大アジア主 義」の講演についてふれております。これは孫文が死ぬ4ヶ月前に神戸で講演したものですが、締めの言葉として「あなた方日本民族は、欧米の覇道の文化を取 り入れていると同時に、アジアの王道文化の本質ももってます。日本がこれからのち、世界の文化の前途に対して、いったい西洋の覇道の番犬となるか、東洋の 王道の干城となるか、あなたがた日本国民がよく考え、慎重に選ぶことにかかっているのです。」

 ご存知のように少年期をハワイで過ごし、後に香港で医者となった孫文は次第に革命家として成長しますが、清朝に対する政治改革の意見書が受け入れられず に再びハワイの渡り、組織的な中国革命運動に入ったと書かれています。当時アメリカはハワイ王朝を強引に崩壊させて共和制に転換させていますが、このアメ リカの力による開放?を複雑な思いで見ていたことになります。

 この孫文が日本人に与えた忠告こそは今の日本人にとって基本になるものと思います。残念ながら日本社会のリーダー達は孫文が見つめた歴史の教訓を同じよ うに見つめ、学ぶことが出来ないでいることです。これをきちんと理解できる人が政治、経済、マスコミ界に多くならないとこれからもアメリカの番犬でいるよ り他はないのです。

 今、私は長野県の山間の村に住んでおります。でも通信技術の発展のおかげで色々な情報に接することができます。そして情報源から一定の距離があるために見えないことも見えることがあります。それには現地にいる多くの方々の正確な報告が必要です。

今後ともレポートをくださいますようにお願いいたします。

 欧州文学にあった「調和への意志」 谷本道昭

 はじめまして。日本の大学院でフランス文学の研究をしている谷本というものです。

 中野さんの送って下さる記事は、内容が濃いのでじっくり味わいながら拝読させていただいております。今日、「アメリカの国家戦略に東洋思想を」を読ませ ていただきましたが、日頃自分が感じていることがきちんと問題提起されていて、わが意を得た、といった心境です。

 僕は柄谷行人『戦前の思考』を通じて岡倉天心の思想の一端に初めて触れ、彼が『茶の本』を英語で発表したことなどを知り、驚いたものですが、アメリカ社 会のなかで奮闘(?)されておられる中野さんのような方は、天心の思想の重要さを肌で感じておられるのだと思います。

 僕は10代のころに、アメリカ文化に知らぬ間にどっぷりと浸かりながらも、中野さんの批判されるようなアメリカの在り方に、どうにかして抵抗したいと漠 然と感じてフランス文学の勉強を始めました。来年に提出する予定の論文ではバルザックを中心に据えて文学においてのオリエンタリズムの再検討をしたいと考 えています。

 イギリス、フランス、ドイツでの東洋思想の受容は、悪く言ってしまえば「オリエンタリズム」に過ぎないのかもしれませんが、その発端には間違いなく「調 和への意志」があったのではないかと思います。ただ文学者は、しばしば非常にナイーヴなので政治経済的な力に懐柔されやすいのですね...

ともあれ、アメリカだけでなく日本政府の人たちも、もう少し広い視野に立って物事を考えてもらいたいものですね。なんだか偉そうですが。
それと、僕などよりもはるかにご多忙だと思いますので聞き流していただいて構わないのですが、主に文学、思想の領域でのヨーロッパによる東洋思想の発見に関して、中野さんにお勧めしたい本があります。とっくにご存じでしたらごめんなさい。

・Raymond Schwab, The Oriental Renaissance, Europe's Rediscovery of India and the East, 1680-1880, translated by Gene Patterson, Black and Victor Reinking, foreword by Edward W. Said, New York,Columbia University Press,1984.かなりの大著ですが、この分野でこれに勝る研究はありません。
・ヴォルテール『哲学事典』 日本語訳でも、英訳でもなんでも良いと思いますが、ヴォルテールほど真剣に、それでいてユーモアを交えながら、宗教的不寛容 を批判し、人間社会の調和について意見した人物はいないのではないか、と贔屓にしています。これも大著でした。

なんだか長くて、勝手なメールになってしまってすいません。中野さんの鋭く啓発的な分析を読ませていただいて、興奮してしまったのです。それでは。


 狩猟民族的O型と遊牧民族的B型と農耕民族的A型 町田

 川崎に住む町田と申す若輩ものです。いつも興味深く拝読させて頂いています。

 以下は、精神論ではなくて科学的解釈なので中野先生の嫌うところかもしれませんが、どうか理科系の意見としてお納めください。長所の反対は短所。日本の弱点は理科系の社会的地位が低い(低すぎる)ことです。

 人間に遊牧民族的体質と農耕民族的体質が共存していると言うのは言いすぎです。一人の人間に両者が共存しているのは血液型がAB型の人のみです。

『現代の人類は、狩猟民族的O型と遊牧民族的B型と農耕民族的A型が共存している』、という言い方が妥当です。日本はバランスよく大陸から移民を受け入れ てきた結果、AとBが交わらないと生まれないAB型が10%もいる世界的にも珍しい土地です。(世界的には5%くらいで、北米にはほとんどいません)です から調和を重んじきた土地であることが理解できます。逆に北米は、人種のるつぼと言われながら、ネイティヴアメリカンのO型とユダヤ系移民のB型の影響力 が強いので、肉食がメインで性格も攻撃的に偏っています。

 以上のように考えるとすべてうまく理解できると愚考します。

 すみません、アラブやインドの民族の血液型構成までは浅学なので存じ上げません。一つ言えるのは、日本民族の祖先は農耕民族か騎馬民族かなどと議論する のは無意味だということです。大陸から農耕民族のA型と騎馬民族のB型の両方を受け入れた結果です。

 もう少し大陸から遠かったら、ネイティヴアメリカンのようにO型ばかりになってしまったと考えられます。

 アメリカ大陸やアフリカが欧州列強にあっという間に征服されてしまったのも、O型の劣勢遺伝子が優勢遺伝子AとBに征服されたと考えればいいでしょう。 最古の遺伝子Oは環境の変化に伴って進化したAとBに征服されて淘汰される過程にあります。ただしAB型はA型とB型の両方のガン細胞を受け入れるなど、 環境に適応できているか疑問です。なのでAB型に代わる別の血液型が出てくる可能性もあります。私は人類の将来に楽観的です。
2003年12月23日(火)萬晩報通信員 成田 好三

 最近のマラソン人気はすごい。国内の主要大会は男女ともすべて全国ネットのTVで中継され、いずれも高視聴率をたたき出す。新聞はスポーツ面ばかりでな く1面、社会面まで大きく紙面を割く。レースが行われる沿道には、ほとんど途切れることがない人の波が続く。マラソンは、陸上競技の中でも五輪でメダルを 狙える有力種目であることも加わって、人気に拍車がかかる。

 マラソンの五輪代表選手選考は、スポーツの枠を越える社会性を帯びた「ニュース」にさえなっている。シドニー五輪金メダリストの高橋尚子が後半に失速し 2位に終わった東京国際女子、日本最高記録保持者の高岡寿成が3位に沈んだ福岡国際は、他の重要な話題を押し退けてしまうほど、メディアが大きく扱った。

 しかし日本のマラソンにはある「秘密」、あるいは「タブー」があった。30キロあたりまで選手を先導する「ペースメーカー」――頻繁に使用せざるを得ない用語なので以下PMと略します――の存在である。

 現在の主要マラソンは、PMの存在する大会と存在しない大会に大別される。五輪や世界選手権などはPMが存在しない。これらの大会は国別の出場枠があるから、PMの入り込む余地がない。

 一方、ボストン、ベルリン、ロンドンなど海外の主要マラソン大会ではPMが存在する。大会主催者が公式にPMの存在を認め、レース前には設定タイムを公 開する。選手や関係者はもちろん一般のファンも、その大会が世界最高記録更新を目標にした大会なのか、あるいはもう少し低いレベルの大会なのか、設定タイ ムを見れば分かる。国内の主要大会、男子なら福岡国際、東京国際、びわ湖毎日でもPMは10年ほど前から存在していた。

 PMはマラソンの「高速化」と「ビジネス化」によって導入された。世界最高など好記録が続出する大会は注目が集まり、有力選手が出場する。そうなれば高 額な資金を提供するスポンサーがつく。メディアも強い関心を示す。常に好記録が出るためには、大会主催者が設定したタイムどおりに選手を先導する役割が必 要になる。「高速化」―「ビジネス化」の循環の中で、PMは五輪や世界選手権以外の主要大会では、必要不可欠な存在になった。

 日本でも、マラソン関係者やTV、新聞などスポーツメディア関係者にとっては、PMはレースを構成する重要な存在になっていた。しかし国内の主要大会を 主催する日本陸上競技連盟(陸連)は長い間、PMの存在を公表してこなかった。そして、陸連との〝相互依存〟関係にあるスポーツメディアは、現にそこにい る、そこで走っているPMを、存在しないものとして扱い、報道してきた。

 そうした秘密、タブーが福岡国際マラソン(12月7日開催)でついに破られた。世界の潮流に背を向けて押し黙っていた陸連が、この大会からPMの存在を 公表したからだ。メディアも、それまで伏せていたPMについての情報を〝解禁〟した。PMの存在の公表や解禁自体は進歩であり、前進である。しかし、その 際に陸連やメディアが取った姿勢には大きな問題がある。

 PMの存在の公表に当たり、陸連は何故これまで存在していたPMを公表しなかったのか、いま何故公表に踏み切ったのかについて、何一つとして説明していない。陸連の公式ホームページにも、PMに関する記述は一切ない。

 主要メディアである新聞、TVの対応も陸連とほぼ同様だった。朝日、毎日、読売3紙を例に挙げる。3紙とも陸連が初めてPMの存在を公表した翌日の12 月5日の紙面で、PMについて触れた。しかしその中身は設定タイムに関するものだけだった。3紙そろって、設定タイムが遅すぎるという選手側の不満を紹介 していた。

 3紙ともPMの存在そのものについては何一つ説明しなかった。PMとはどんな存在なのか。海外、国内とも導入された経緯と理由は何か。海外では以前から 公表されてきたものが、日本では何故公表されなかったのか。何故3紙とも、PMを無視して、存在しないものとして報道してきたのか――。そうした疑問に答 える記事は一つもなかった。

 まるで臭いものに蓋でもするかのように、過去の経緯を無視して紙面を構成していた。大会当日の結果を詳報した12月8日の紙面は、もっとひどかった。 PMに関する記載はほとんどない。3紙がマラソン関連記事も報道であると考えるならば、「おわび」、あるいは少なくとも「おことわり」くらいは掲載する必 要がある。

 TVの対応にも大きな問題がある。まず福岡国際を生中継したテレビ朝日である。競技場担当のアナウンサーは、PMを「初めて導入された」とアナウンスし た。その後、移動中継車アナウンサーが「初めて公表された」と、やんわりと修正した。NHKは夜のスポーツニュースでは、「初めて導入された」の立場を 取っていた。新聞と同じく、TVもPMの存在と公表の意味については、何も語らなかった。

 テレビ朝日の競技場担当アナウンサーやNHKのスポーツニュースの説明は、明らかに間違いである。いや、間違い以上に意図的な「作為」ですらである。ちょっと調べてみれば、素人でもすぐ気がつくことを、彼らは平気でごまかしている。

 メディアが何故、こうしたあからさまなごまかしに加担するのか。あるいは、理不尽なごまかしの「第一当事者」になってしまうのか。その理由は、メディアと競技団体との強固な相互依存関係にある。(2003年12月13日)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2003年12月22日(月)ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男

 司馬遼太郎はひとつの風景からその土地の情報をいくつも言い当てることができたという。歴史と民族を知ることでうちがわを洞察しえたのだ。

 アメリカのさまざまな土地を車で走っていると、見慣れた風景に出会うことも多いが、ついわき見運転をしてしまうような眺めにもでくわす。そこからわたしがその土地の文化を的確に読めるわけではないが、断片的な情報を推察することはできる。

 数ヶ月前、ミネソタ州ミネアポリス市の郊外を車で走っていたとき、削ったエンピツの先と思えるような木々が見事に整列している風景にであった。人間の背たけほどの針葉樹が何千本という単位で並んでいる姿は、金正日の前で行進する北朝鮮の兵士たちを彷彿とさせた。

「クリスマスツリーだな、これは」

 アメリカの街角でナマのツリーが売られていることを知ったのは、映画『ある愛の詩』(1970年)で主演のライアン・オニールがアルバイトでツリーを売 るシーンを観た時である。12月に入ると全米のいたるところでナマツリーの即売場が特設されて、車の屋根にヒモでくくりつけて自宅に持ち運ぶ人たちを目に できる。

 そのナマツリーを育てている農場が全米にある。なにしろ、この時期に売りさばかれるナマツリーは全米で約2500万本。10億ドル産業といわれている。最近はプラスチック製のツリーを買う人も多いが、依然としてナマツリーの人気は高い。

 自分でナマの木を買うようになるまでは、クリスマスツリーというのは「もみの木」という種類だけだと思っていた。ところが即売場にいくと、ダグラス・ ファー、ホワイト・パイン、バルサム・ファーなど10種類ほどのツリーが出回っており、すべてクリスマスツリーだという。よく見ると葉の張りだし具合や形 状、長さがすべて違う。ミネアポリスのツリー農園では3種類が育てられていた。

 全米クリスマスツリー協会によるとその種類は59もあるという。驚くべきことである。協会では毎年ツリーのコンテストを催していて、優勝者はホワイトハウスにツリーを献上できる。全米のツリー農家にとっては最も名誉なことらしい。

「うちはホワイトハウス御用達だからね」

 たとえブッシュ嫌いの農家であっても、大統領に贈れるとあってはイヤとは言わないらしい。今年の優勝者はウィスコンシン州でツリー農園を営むジム・ チャップマン。3万本のツリーを育てている彼は1988年、98年にも優勝してレーガン、クリントンに献上している御用達の常連だ。

 アメリカでツリーを家中に入れて飾りつけをするようになったのは19世紀半ばで、これはまぎれもない文化である。ここまで判ったのはもちろん調べたから で、車からツリー農園を一望し、立ち寄っただけでは表象だけしか察知しえない。わたしにはまだまだ勉強が必要なようである。

 堀田さんにメールは mailto:hotta@yoshiohotta.com

 急がばワシントン http://www.yoshiohotta.com/

2003年12月21日(日)萬晩報通信員 園田 義明

 ■ガリレオという名のスペース・パワー

 2003年5月26日、航空宇宙産業における米国の独占打破を狙う欧州宇宙機関(ESA、本部パリ)は、欧州独自の衛星利用測位システム(GPS)であ る「ガリレオ」の開発着手に最終合意した。ESAはギリシャとルクセンブルクを除く欧州連合(EU)13カ国とノルウェー、スイスの15カ国で構成されて おり、ESAとEUによる初の合同計画となっている。現在EU本部があるブリュッセルに推進本部が設置され、計画全般の準備・実施にあたっている。

 ガリレオは米国のGPSを上回る測位精度の実現を目指し、2006年から高度2万4000キロメートルの軌道に計30基の衛星を順次打ち上げ、2008 年までに稼働させる計画となっており、総投資額は約32億ユーロ(約4000億円)を見込んでいる。EUは、ガリレオ計画によって車や航空機のナビゲー ション、石油探査、農産物調査など年間1兆円以上の新たな民生需要と国境警備や軍による人道救援、平和維持活動にも活用するとしている。

 米国が軍事目的で1970年代から開発したGPSは、ITを活用した「軍事革命(RMA)」の礎ともいえるもので、精密誘導兵器の運用には不可欠な技術 となっている。米軍は湾岸戦争やアフガン攻撃、そして対イラク戦争に見られるとおり、この10数年、リムランドに集中する世界紛争に対して、沿岸から展開 する「フロム・ザ・シー」戦略を構築してきた。この「フロム・ザ・シー」戦略を支えてきたのはGPSや偵察衛星など宇宙空間の情報ネットワークである。つ まり、スペース・パワーの独占こそが米国が主導するシー・パワーの源泉となり、「宇宙を制する者が世界の海を制し、海を制する者が世界を制する」構図を作 り上げた。そしてこのスペース・パワーに果敢に挑もうとしているのがEUである。

 EUが仕掛ける「GPSの一極支配崩壊」に危機感を抱くブッシュ政権はこのガリレオ計画を京都議定書に続いて葬り去ろうとする。ウルフォウィッツ国防副 長官名の2001年12月1日付け書簡をEU加盟15カ国の国防大臣宛てに送りつけ、ガリレオが米軍の使用するGPS-Mシステムも含めたGPS信号に干 渉するうえ、軍事目的に使用される可能性を指摘、そして高度な技術が敵国に利用される恐れもあると警告したのである。この書簡によって、ガリレオ計画に関 するEUの決定が延期され、計画自体の中止が囁かれた。この危機を救ったのはシラク仏大統領である。

 ■米国の属国的な地位に甘んじることになる・・・シラク大統領

 シラク大統領は、もしヨーロッパがガリレオ計画を推進しなければ、「まず科学および技術面で、その後、産業および経済面で米国の属国的な地位に甘んじる ことになる。(2001年12月19日付けインターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙)」と語り、ガリレオ計画実現に向け強いリーダーシップを発揮し た。しかし、表面的には民生利用を基本に掲げざるを得なくなったため、採算性を問われることになった。そのためにEUは欧州域外も含め広く外国に開放する 方針を打ち出すが、米国のGPS一極主義に対抗する勢力が次々と参加を表明する。

 2003年10月30日、中国の胡錦濤・国家主席ら中国指導部は北京入りしたEU議長国イタリアのベルルスコーニ首相、プローディ欧州委員長、ソラナ EU共通外交・安全保障上級代表らと定期首脳会議を行い、ガリレオ計画の開発・投資への中国の参加に関する合意文書などに調印し、中国は2億ユーロを投資 することが正式に決定する。

 2003年11月6日にはインド政府がガリレオ計画への参加をEUに打診していることが明らかになり、同年11月29日のインドとEUとの首脳会議での 共同声明にも盛り込まれた。EUはインドに対して中国を上回る3億ユーロの出資を要請していると伝えられており、2004年春の調印を目指している。

 また2003年11月6日にローマで行われたEUとロシアによる首脳会議でもプローディ欧州委員長は、ガリレオ計画で「重要な進展があった」と語ってお り、ロシアが参加する可能性を示唆している。また、カナダ、韓国、そしてイスラエルまでもが参加の意志を示している。EUは資金拠出国の企業に優先的に計 画関連のプロジェクトを発注する方針を打ち出しており、資金拠出国は計画の各種決定にも参画できるとしている。

 米国の強い牽制にもかかわらず、中国・インドがガリレオへの参加を表明したことは、すでに米国一極体制から多極化体制へと移行している徴候と見るべきだろう。

 ■ガリレオに集うグローバル企業

 このガリレオ計画には、2000年に仏アエロスパシアル・マトラ、独ダイムラークライスラー・エアロスペース(DASA)、スペインのCASAが合併し て誕生した欧州の航空防衛最大手ヨーロピアン・エアロノーティック・ディフェンス・アンド・スペース(EADS)、1980年に欧州12ヶ国(フランス 57.70%、ドイツ18.43%、イタリア7.17%、ベルギー4.20%、スイス2.58%、スペイン2.49%、スウェーデン2.29%、イギリス 2.12%、オランダ1.97%、デンマーク0.58%、アイルランド0.17%、ノルウェー0.30%)の出資によって設立された世界トップの商業衛星 打ち上げ会社であるアリアンスペース、そして欧州通信最大手である仏アルカテル及びその傘下のアルカテル・スペースなどフランス勢が主導する企業が受注す るのは間違いないだろう。

 なお、2003年3月18日にブリュッセルで行われた企業向けセミナー「ガリレオ・インダストリー・デー」には、351社約600人が参加しているが、 EUはもとより米国企業も多数参加している。米国への配慮からか、このセミナーに参加した日本企業はプレスを除いて東芝・ヨーロッパ一社であった。下のリ ストを見てもわかるように、防衛・軍事に関わろうとも政府が企業を規制できる時代ではないことを明確に示している。

「ガリレオ・インダストリー・デー」に参加した米国系企業
カッコ内は海外法人、(米)は米国本社より参加
ボーイング・エアー・トラフィック・マネイジメント(米)
ボーイング・ナビゲーション・システムズ(米)
ディーア・アンド・カンパニー(独)
ハネウェル・エアロスペース(仏)
IBM・ビジネス・コンサルティング・サービス(英)
インテルサット(米)
KPMG(英)
リーマン・ブラザーズ(英)
ロッキード・マーティン(米)
ロッキード・マーティン・グローバル(ベルギー)
ロッキード・マーティン・ナビゲーション・システムズ(米)
ミルバンク・ツイード・ハドレー&マクロイ(英)
モルガン・スタンレー(英)
ナブコム・テクノロジー(米)
プライスウォーターハウスクーパース(英)
レイセオン・システムズ(英)
ロックウェル・コリンズ(英)
ボーイング(スペイン)など

 ■縛り付けられる日本

 「ガリレオ・インダストリー・デー」にトヨタグループの参加も予測していたが、「準天頂衛星」との関連から見送られたのかもしれない。日本は米国の GPS利用を支える立場を取っており、補完的な独自の計画として準天頂衛星の開発を官民で進めている。衛星3基を打ち上げ、常に1基を日本から見た天頂付 近に配置し、GPS電波が届きにくいビルの谷間や高速移動中でも安定した性能を発揮できることを目標に、2002年11月には準天頂衛星の事業化を目指す 新会社「新衛星ビジネス株式会社」が発足し、三菱電機、日立製作所などとともにトヨタも10%出資しているのである。

 この準天頂衛星計画も初期の開発費が3基で1700億円以上と見込まれており、官民の資金分担の目途がついていない。さらに2003年11月29日の情 報収集衛星を搭載したH2A6号機打ち上げ失敗では、「日本より技術が遅れた中国が有人宇宙飛行を成功させた後の、間の悪い失敗(英BBC)」となり「日 本の宇宙への野心はさらに困難にさらされるだろう(AP通信)」などと海外メディアは伝えた。H2Aロケットの技術は2003年10月1日に宇宙科学研究 所(ISAS)と航空宇宙技術研究所(NAL)と宇宙開発事業団(NASDA)が統合して発足した宇宙航空研究開発機構(JAXA)から2005年度まで に三菱重工業に移転され、民営化を担うことになる。しかし、国際的な商業衛星打ち上げ市場は、ここ数年、年間12~15回の打ち上げとなっており、その市 場シェアの9割を分け合うアリアンスペースとロッキード・マーティンなども受注が伸び悩んでいる。

 2003年7月には三菱重工業とアリアンスペース、ボーイング三社による相互補完体制を整え、国際市場で信頼を得た矢先のH2A6号機打ち上げ失敗は、 保険料上昇の可能性から苦戦を強いられることが予測され、結果としてアリアンスペースやロッキード・マーティンへの依存を強めることになりかねない。事 実、今後一年以内に3基が計画されているH2Aを使った衛星打ち上げに対して、文科省は、国土交通省、外務省、経済産業省との間で相互補完体制作りの連絡 協議会を立ち上げ、アリアンスペースへの代行を検討し始めたようだ。しかし、アリアンスペースへの接触は必然的にガリレオ計画へと繋がる可能性があること から、米国によって妨害される可能性も高い。

 米国は平和、民生、商用、科学技術向けにGPSを無償で提供することをクリントン政権時代に表明し、日米間では1998年9月のクリントン大統領と小淵 恵三首相(いずれも当時)の首脳会談で協力に向けた全体会合開催が合意されており、ブッシュ政権発足後の2001年2月、日本側は外務、総務、文部科学、 経済産業、国土交通の各省関係課長レベル、米国側は運輸、国務、商務などの省庁関係者が出席した初会合が行われている。これには、クリントン前大統領時代 に東アジア担当国防次官補代理を務めたカート・キャンベルと戦略国際問題研究所(CSIS)らが主導しながら、宇宙分野で重要とされる日本のマイクロエレ クトロニクス、センサー、画像化技術などの取り込みを狙う米国側の戦略が反映されており、長期的な戦略無きままに漂流する日本を米国の宇宙戦略に完全に組 み込むことで、日本がEUのガリレオ計画へ参加できないように縛り付けたのである。

 2003年11月にはフランス航空宇宙工業会(GIFAS)のフィリップ・カミュ会長はガリレオ計画への日本の参加を呼びかけた。カミュ会長はEADS の最高経営責任者(CEO)も務めており、2003年のビルダーバーグ会議にも出席している点が注目される。2003年12月2日には駐日欧州委員会代表 部主催のシンポジウム「ガリレオ・インフォメーション・デー」が東京で開催され、官公庁や電機メーカー、商社などの担当者ら約100名が参加した。欧州委 員会ガリレオ課のオニディ課長は「ガリレオは民生目的に特化したシステムで、軍事目的で米国が開発したGPSを補完する」と説明した上で、「米国の懸念も 話し合いで払しょくされ、近く米国と協定を締結する」と語り、あくまでも米国のGPS利用を支える立場を取る日本に対して理解を求めた。

 ■属国こそが日本の国益?

 イラン石油省はアザデガン油田の開発をめぐって日本の企業連合に対し、プロジェクトに参加するかどうかの期限を今月15日までとする公式書簡を送った が、日本政府の態度は今なお明らかにされていない(12月17日現在)。こうした中で朝日新聞は、日本の企業連合からトーメンが離脱するとの記事を掲載し ている(12月14日朝刊)。

 また、イラク債務問題ではブッシュ大統領の特使であるベーカー元国務長官の要請に基づき米国、フランス、ドイツは主要債権国会議(パリクラブ)の枠組み で2004年にイラクの債務を大幅に削減することで合意したが、この合意がイラク向け最大債権国である日本に向けられるのは間違いない。パリ・クラブの資 料では各国のイラク向け公的債権は元利合計(遅延損害金を除く)で総額約210億ドル、その内日本は約41、08億ドル(4519億円)で二位のロシア (34.50億ドル)を大きく引き離してダントツのナンバー1に輝いているのである。また日本の債権は遅延損害金を加えると総額70億2700万ドル (7730億円)となる。イラク復興支援国会議で日本が表明した2007年までの4年間の総額50億ドル(約5500億円)に債務削減分が上乗せされるこ とになりそうだ。

 12月12日付け中日新聞の「『日の丸油田』風前の灯」のデスクメモはこう書いている。

『「湾岸戦争に金がかかった。90億ドル払ってくれ」「イエス、サー」「自衛隊をイラクに派遣しろ」「イエス、サー」「イランの油田は開発するな」「イエ ス、サー」。日本の徹底した"従米イエス、サー外交"には驚くばかりだ。次はまさか「米国の州になれ」「イエ...、もうなってます」か。』

 これを少しアレンジしてみたい。

「湾岸戦争に金がかかった。90億ドル払ってくれ」・・「イエス、サー」
「自衛隊をイラクに派遣しろ」・・・・・・・・・・・・「イエス、サー」
「イランの油田は開発するな」・・・・・・・・・・・・「イエス、サー」
「イラク向け債務を削減しろ」・・・・・・・・・・・・「イエス、サー」
「米国の州になれ」・・・・・・・・・・・・・・・・・「イエ...、もうなってます」
「だったらガリレオも参加するな」・・・・・・・・・・「イエス、サー」

 米国の宇宙戦略に組み込まれた日本政府にガリレオ参加などという決断ができるはずもない。この際、準天頂衛星計画の現実的な再評価とともに、民間主導で ガリレオ計画に取り組むことを検討するべきだろう。特にカーナビゲーション分野でのトヨタグループのリーダーシップが求められる。その際には、先の「ガリ レオ・インダストリー・デー」に参加した米国系企業リストが役に立つはずだ。


▼資料

Paris Club PRESS RELEASE
http://www.clubdeparis.org/rep_upload/030600pr-cleanfinal.pdf

『日の丸油田』風前の灯(デスクメモは新聞紙上のみ)
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20031212/
mng_____tokuho__000.shtml


憲法と律法

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2003年12月20日(土)中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学

 前稿「ゲリラ戦に参戦する覚悟はあるのか」 には数多くの反響が寄せられた。大部分が賛同の意見であったが、中に「なぜ憲法9条に触れないのか」という質問と、「武力を用いないで、どのようにしてテ ロを根絶できるのか」という詰問があった。この質問に答えようと思っていたら、サダム・フセインの逮捕というニュースが飛び込んできた。このようなイラク 情勢の変化も視野に入れながら、自衛隊のイラク派遣についての考察をさらに続けてみたい。

 最初に憲法の問題について述べ、次にテロの問題について述べる。

 私が憲法9条に触れなかったのは、これに触れると一種の神学論争になるからである。

 憲法の条文を素直に読むと、憲法はいっさいの軍事力の保持を禁じているとしか読めない。しかし、戦後の冷戦構造の中で東西対決の前線に位置した日本は、 自衛の名のもとに自衛隊(当初は警察予備隊)を創設し、その戦力を増強してきた。そして現在は、地域紛争や国際紛争にもPKO部隊を派遣するという形で活 動範囲も拡大してきた。そのさい用いられたのが「解釈改憲」という方法である。憲法の条文はそのままにして、その解釈を拡大したのである。

 法解釈は言語的操作によってほとんどどこまでも拡大可能であろう。そのことは、たとえばユダヤ教における律法解釈の歴史を見るとよくわかる。ユダヤ教の 律法(トーラー)には248の掟と365の禁止事項が書かれている。しかし、大昔に作られた律法の中には、時代に合わないものもたくさん出てくる。しか し、律法は神によって与えられた規定とされているので、それを廃止したり改変したりすることはできない。そこで、律法の条文はそのままにして、その解釈を 拡大するのが、ユダヤ教の律法学者(ラビ)に課せられた一つの役割である。

 たとえば、ユダヤ教では安息日(サバト)には労働が禁止されている。したがって、家の内部ではものを動かすことは許されても、自分の家から荷物を外に運 び出すことは労働行為として禁止される。だが、これでは現代の生活に不便である。しかし、安息日規定は神が与えた律法なので、これを廃棄することはできな い。そこで、一つの工夫が導入された。第二次世界大戦以前、東欧のユダヤ人の町村は「アイルヴ」と呼ばれる針金で取り囲まれ、その結果、律法上はその町全 体が一つの住居と見なされるようになったのである。律法上は一つの家なのだから、その町村の中では、安息日でも荷物の移動は自由となった。次に、ワルシャ ワのような大都会では、電話線がワルシャワ全体を円環状に取り囲んだので、これも「アイルヴ」と見なされ、ワルシャワ市内であれば、「家の内部」なので荷 物の移動は自由ということになった。こうなれば現代生活にほとんど何の支障もない。

 このように、律法を時代に合わせて柔軟に解釈するのが、ユダヤ教の知恵である。しかし同時に、解釈拡大の弊害もまたある。拡大解釈を続けていけば、どん な解釈も可ということになり、最終的には律法は、あってなきがごとき存在になってしまう危険性もあるからである。卑近なたとえになるが、パンツのゴムひも をあんまり広げすると、ゆるんでゴムひもの役に立たなくなるようなものである。律法学者は、一滴の水の中でも鯨が泳ぐことが可能、ということを論証でき る、と揶揄する人もいる。

 このような拡大解釈に反対し、律法の字義通りの解釈に固執する人々が、超正統派と呼ばれる。これはユダヤ教だけの問題ではなく、キリスト教やイスラム教 など、神から与えられた聖典を持つ宗教には、聖典の字義にできるだけ忠実たらんとする人々、いわゆる原理主義者がいる(いくら字義に忠実とはいっても、そ こには常に解釈の問題が入ってくるのだが)。

 戦後の日本では、憲法、とくに9条が、一種の天与の「律法」となり、改変が困難な状況になった。憲法がなぜ「律法」化したのかは興味深い問題であるが、 ここでは触れない。ともかく、憲法9条は終戦直後の日本人の心に強く訴えかけた理想であった。しかし、戦後の国際政治の変化の中では、いっさいの軍隊を持 たないことは非現実的と考えられたので、憲法9条は、条文はそのままにしてどんどん拡大解釈されていった。今回の自衛隊のイラク派遣でも、それがどれほど こじつけであろうと、合憲であるとの理屈はつけられる。

 しかし、あまりにも拡大解釈が横行すると、憲法は、のびきったゴムひも、あってなきがごとき存在になる危険性がある。法が時の権力者によって恣意的に解 釈されることは、立憲政治において決して好ましいことではない。法解釈に一定の限界を設定するのが司法の役割であるが、日本の司法は自衛隊の問題について ほとんどの場合、憲法判断を避け、現実を追認してきただけであった。

 憲法と現実がそぐわないのであれば、現実を憲法に近づけるか、憲法を現実に近づけるか、どちらかしかない。憲法は理想主義的な平和主義を語っている。も し現実を憲法に近づけようとするのであれば、日本人は理想主義的平和主義をいかにして現実化するかを真剣に考え、努力しなければならない。また逆に、憲法 は神の律法ではないのであるから、憲法を現実に近づける形で変更することも可能である。憲法を現実に近づけて変えれば、拡大解釈という、ある種のいかがわ しい手段に頼る必要はなくなる。憲法をどのような形に直すか(あるいは直さないか)は、最終的には、日本国民がどのような国家を欲し、国際社会の中でどの ような生き方を選択するのか、という国民の総意によって決定される。

 しかし問題は、現在、この国民の総意が形成されていないことである。憲法9条を人類の理想として高く評価し、擁護する人々がいる一方、これを非現実的な 観念論として、できるだけ早く改正(改悪?)することをもくろんでいる人々もいる。後者にとっては、自衛隊のイラク派兵が憲法に反すると言っても、「だか らどうなんだ? 憲法が残って国が滅びてもいいのか? そんな憲法は早く変えてしまえ」という答えが返ってくるだけであろう。

 自民党は明確に憲法の改正を目指している。「自衛隊は軍隊でしょ」と公言してはばからない小泉首相は、もともと現憲法を尊重する気などない。「自衛隊は 軍隊ではないから合憲」というのがこれまでの拡大解釈の理屈であったにもかかわらず、それすらもあっさりと踏み越えているからである。12月9日の「イラ ク派遣基本計画」の中で小泉首相が憲法の前文を引用したが、それは便宜的な拡大解釈のためでしかない。

 ここではこれ以上憲法論議に深入りすることは避けて、小泉首相の演説について触れたい。私が指摘したいのは、首相の演説は、「国民精神が試される」とい う言葉に端的に表われているように、一種の精神論であり、この派遣が「国益」にかなうことを、まだ具体的には説明していないということである。小泉首相 や、アメリカのイラク攻撃を支持する人々――たとえば小泉首相のブレーンの一人とされている拓殖大学の森本敏教授など――は、これまで「国益」を根拠に自 衛隊のイラク派兵を主張していた。だから私は前稿で、ならば小泉首相はその「国益」の内容を、リスクとの対比の上でもっと具体的に国民に説明すべきであ る、と論じたのである。

 ところが、小泉首相の演説は精神論に終始した。これを聞いて私は強い違和感をいだいた。小泉氏は、「首相になったら8月15日に靖国神社に参拝する」と 約束して首相になりながら、中国と韓国の批判にあっさりと前言を翻して8月13日に「前倒し」参拝した。これは公約違反であるし、「英霊」への侮辱である (民族派の立場からすれば、中韓の内政干渉を許し、それに屈したことで、「国益」を損なったことになる)。国債30兆円以内という公約を破っても、「そん なこと大したことじゃない」とうそぶく首相である。そういう小泉氏に「国民精神」をお説教する資格があるのだろうか。

 誤解のないように付け加えておくが、私は「国益」を絶対化する気はない。21世紀の人類にとって必要なのは、むしろ「地球益」や「人類益」という発想で ある。しかし、哲学者でも宗教家でもなく、国民の安全や利益を現実的に確保しなければならない政治家が「国益」について考えるのは当然である。真に望まれ る政治家は、「国益」と「人類益」、現実と理想を両立しうる偉大な見識を持った政治家であろう。しかし現在、それほどの政治家は日本のどこを探しても見つ からない。だから、今の政治家が国益中心に考えるのもしかたがないと思うが、「国益」の名のもとに「国益」にならない政策を採ったならば、国民を不幸に陥 れる致命的な過ちとなる。小泉首相には、もう一度真剣に「国益」について検討してほしいものである。

 「テロ」の問題については次稿で触れたい。

 中澤先生にメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

2003年12月19日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 しばらく萬晩報の編集から離れていた。本業が忙しかったのも理由だが、本当はそうではない。日本国がイラクへの「自衛隊派兵」を決める基本計画を閣議決 定してからキーボードをたたく指が完全にストップしてしまったのである。思考停止といってもいい。

 イラク戦争は大義なき戦いだったことはほぼ間違いないのだが、一方でわれわれがペンの力でその戦争を止められたのかと問われれば、そうではない。現実に 戦争は3月に始まり、4月にはブッシュ大統領が戦争の終結を宣言した。米軍の追跡を逃れていたフセイン大統領もつい12月13日には拘束された。

 弱肉強食ともいえるこの戦争がもたらしたものはイラクの破壊である。統治機構だけでない。石油生産から治安、そして電気や水道にいたるライフラインのす べてが破壊された。最近イラクを訪れた友人が「イラクは国家の体をなしていない」といみじくも語った。そしてあらゆる面で復興を必要としているのだとも 言った。

 イラクのこの現状を放置しておいていいと考える人はいないだろう。だが、復興への協力となると「待てよ」と考えざるを得なくなる。例えば、イラクへの自衛隊派兵を容認することはアメリカの対イラク政策容認につながりかねないからだ。

 思考停止に陥るような状態になったのは筆者にかぎらないと思う。いまさら「大義なき戦争」だと声高に叫んでいてもイラクを戦争の前に戻すことはできな い。アメリカ軍はイラクにとって侵略者であるから、直ちにイラクを立ち去れということもたやすい。

 だが、イラク戦が過去の多くの戦争と違うのは、統治システムをことごとく破壊してしまったということである。それでなくともイラクは多民族、多宗派の対 立構造を抱える。放置すれば、いずれ部族単位で雌雄を決する場面が必要となる。国内で血で血を争う事態になるのは必至だろう。内乱状態である。

 内乱よりは秩序回復がいいに決まっている。

 では直ちに復興協力に転ずるのかと問われれば困ってしまう。イラク戦に反対していた手前そう簡単にアメリカを認めるわけにはいかない。人間の思考回路はそう単純でないところに問題がある。

 話は飛ぶ。9月12日付コラム「イタリア在住の飯田さんが翻訳した『反戦の手紙』」で紹介した『反戦の手紙』(ティツィアーノ・テルツァーニ著、WAVE出版)がめでたく来年1月末に出版されることになった。

 テルツァーニ氏は30年あまりをアジアで過ごした著名なイタリア人ジャーナリスト。90年代後半からヒマラヤの見えるインドに隠遁していたが、9・11以降、再び「山を降り」、戦乱のアフガンを取材して手紙の形でイタリアの新聞に投稿した。

 『反戦の手紙』は、9・11以降の世界を対立構造からとらえるのではなく、アジアの多元的な価値観からときほぐしてくれる。アジアの苦悩を理解する西洋 人にとってもきっと伝道師の語る言葉のように・・・。イタリア語版は10万部を超える反響を呼び、英語やドイツ語でも出版されている。

 そのテルツァーニ氏が日本語版に寄せた序文「わが日本の友へ」の一部が飯田氏のメールマガジンで紹介されているので転載したいと思う。
『日 本の友よ、つまりここで問われているのは、イラクに自衛隊を派遣するかしないか、派遣するならば今か後か、100人送るか1000人送るか、それとも 2000人かなどということではないのだ。そのような問いは、国民のだれもを納得させて再当選をはたすために、アクロバットと妥協をつづけざるをえない政 治家たちのジレンマにすぎない。そこには全人類的な価値への関心、正しいことや倫理的なことへの考慮などが完全に欠落している。むしろ私とあなたにとって 問題なのは、暴力と戦争はなにも解決しないということ、きな臭いあらゆることに対して私たちは、たとえそれが「自衛行為」とか「人道的作戦」などというふ うに説明される時も、もちうる力のすべてを以て反対しなければならないということを、どのような状況にあっても、自分の意志できっぱりと決意することなの だ。』 『イタリア人も日本人もない、わたしたちはみんな人間なのだ。あなたたちがその美しい島々のうえ、他の仲間から少しはなれたところにいるという事実は、あ なたたちを何ひとつ守ってくれはしない。なんらかの形で暴力に加担すれば、やがて暴力があなたたちをも襲うことはまちがいがないのだ。』 『この先、わたしたち、それにあなたたち自身が暴力の犠牲者となることもありうる。だが万一そうなったからと言って、非暴力の姿勢を変えてはならない。だ れに対する憎しみも決して抱いてはならない。なぜなら憎しみは憎しみだけを生むからだ。』
 続けて飯田氏がメールマガジンに書いている。

「『非 暴力』などというと、一部の人間の極端な思想だと思われがちですが、彼の言葉を借りれば、『私はあなたの子供を殺さない。だからあなたも私の子供を殺さな いでくれ』というような、誰もがもつ、人間として当然な感覚に根ざした思想なのです。『憎しみは憎しみをうむだけだ』という理念を理解することは、そう難 しいことではないと思います。」

「かつて私に『お前の恋人が陵辱されても、お前は黙っていられるのか』というじつに明快で、厳しい問い掛けをしてきた人がいました。『そうだ』と言い切れ る力は、私にはまだありません。けれども、『その可能性を防ぐために、まずそいつを叩く』ということがあってはならないと思います。まして、『人道的戦 争』と呼ばれるものの犠牲者のじつに八割以上が『間違い、もしくは副次的効果』による無辜の民間人である今の時代には。その犠牲者の親族・友人・民族か ら、テロリストは生まれるのです。」

 飯田亮介氏の【モットントーネ村から】  http://www.ryosukal.com
 メルマガ http://www.ryosukal.com/mailnews/index.htm
2003年12月10日(水)萬晩報通信員 園田 義明

「東欧を制するものはハートランドを制し、ハートランドを制するものは世界島を制し、世界島を制するものは世界を制す」・・・ハルフォード・マッキンダー(英、1861-1947)
(注:ハートランド=ユーラシア大陸内部、世界島=ヨーロッパ・アジア・アフリカ)

「リムランドを制するものはユーラシアを制し、ユーラシアを制するものは世界の運命を制す」・・・ニコラス・スパイクマン(オランダ系米国人 1893-1943)
(注:リムランド=ランド・パワー(大陸勢力)とシー・パワー(海洋勢力)が接触している地域)

 マッキンダーは、世界島の中央部でシー・パワーの力が及ばないユーラシア北部を「ハートランド」と名付け、鉄道や道路などの陸上交通や通信技術が発展す れば、ランド・パワーが沿岸地域に及んでいるシー・パワーを駆逐し、圧倒することになると主張した。マッキンダーとスパイクマンの唱えた理論は、二つの世 界大戦を経て、米国の伝統的なモンロー主義を転換させ、東西冷戦時代における米国の「ソ連封じ込め政策」に大きな影響を与えることになる。

 その後「リムランド理論」は、ニューヨーク市立大学のソール・コーエンらによって、より柔軟なモデルへの修正も試されるが、今なおマッキンダーやスパイ クマンの主張は米国の外交戦略に強い影響を及ぼしている。そして、冷戦終結後の今、かつてのソ連に代わって、21世紀のユーラシアを制し、世界の運命を制 すことになる存在が姿を現し、米国を根底から揺さぶり始めている。

 2002年1月、外交問題評議会(CFR)は外交政策と経済政策間のギャップを埋めるためにレスリー・H・ゲルブ(CFR名誉会長)、モーリス・R・グ リーンバーグ(CFR名誉副理事長/米最大手保険会社のAIGグループ)、デビッド・ロックフェラー(CFR名誉理事長)、ピーター・G・ピーターソン (CFR理事長/ニクソン政権商務長官)らが中心となって「モーリス・R・グリーンバーグ地経学研究センター」を設立する。ポール・ボルカーも2002年 7月までこの「モーリス・R・グリーンバーグ地経学研究センター」のシニア・フェローを務めており、アドバイザリー・ボード会長にはグリーンバーグ、そし て同メンバーにはロックフェラー、ピーターソン、カーラ・H・ヒルズ(CFR副理事長/ブッシュ父政権通商代表部代表)、ロバート・E・ルービン(CFR 副理事長/クリントン政権財務長官)、リチャード・N・ハース(CFR会長/ブッシュ政権国務省政策企画局長)、ブレント・スコウクロフト(フォード、 ブッシュ父政権国家安全保障問題担当大統領補佐官)やウィンストン・ロード(クリントン政権国務次官補)など20世紀の米国を支えてきた超党派のエスタブ リッシュメントがずらりと顔を揃えている。

 外交問題評議会の地経学研究部門の新設は、かつての軍事大国ソ連の経済的崩壊により、20世紀の国際政治を動かしてきた地政学の経済的要因にウェイトを 置いた地経学への関心の高さを示すものとして注目される。21世紀を地政学から地経学への移行として語られることも多いが、これまでの地政学も経済的要因 を包括しており、地経学の関心の高まりは、地政学の再評価に繋がることになりそうだ。

 ブッシュ政権の政策には地政学と地経学の影響が明確に表れている。そして、ソ連の崩壊を自国の姿と重ね合わせているかのような「焦り」もあるのかもしれない。ここに対イラク戦に踏み込まざるを得なかった原因が隠されている。


 ■「悪の枢軸」と「新旧欧州分断作戦」

 ブッシュ大統領の2002年1月の一般教書演説でイラク・イラン・北朝鮮を「悪の枢軸」と定義したが、単に「テロ封じ込め」を意味するのではなく、「リ ムランド理論」の延長上に位置付けられていた可能性がある。従って、この「悪の枢軸」発言は、ロシア、中国、そして拡大するEUに対して発せられた「ユー ラシア封じ込め」的な警告と捉えることもできる。世界の運命を制するユーラシア連合の出現は、これまでの米国覇権を揺るがしかねない。米国の中長期的な攻 撃目標を「悪の枢軸」発言によって明らかにし、時には先制攻撃も辞さずとするブッシュ・ドクトリンによって強い決意を示し、そして実行に移されたのが対イ ラク戦争であった。

 イラン・イラクはマネーを生み出す石油・天然ガスの宝庫である中東地域をEU、ロシア、中国から奪回することを目指し、北朝鮮では、連携を強めるロシ ア、中国、日本、韓国間の緊張を生みだすのと同時に、EUの中国、韓国、そして日本への更なる東方拡大を防ぐ目的が考えられる。特に北朝鮮は、米国の北東 アジア戦略の根幹に関わるため、より長期的な緊張こそが米国の狙いであろう。従って、ブッシュ政権が主導権を握る限り、北朝鮮問題の解決はあり得ない。つ まり、日本が拉致問題を含めた北朝鮮問題を解決するためには、米国の戦略を認識した上で、交渉の場に国連やEUを引き込む努力が求められる。この点で小泉 政権の戦略には重大な欠陥がある。

 EU(欧州連合)は来年5月、中・東欧諸国などを加えた25カ国体制により、総人口約4億5000万人の大欧州に生まれ変わる。ラムズフェルド国防長官 が、再三にわたってフランス・ドイツ・ベルギーなどを「古い欧州」と決めつけ、対イラク戦でアメリカ支持にまわった中東欧諸国を「新しい欧州」として味方 に引き入れる発言は、大欧州の分断戦略に他ならない。つまり、ブッシュ政権が2002年9月に発表した新国家安全保障戦略(ブッシュ・ドクトリン)におけ る「米国の力を凌駕しようとする潜在的な敵国は思いとどまらせる」対象に、拡大する欧州も含まれていたのである。

地図
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/eu/map.html

 EU加盟国と地図

 ●現加盟国 15か国:ベルギー、デンマーク、ドイツ、ギリシャ、スペイン、フランス、アイルランド、イタリア、ルクセンブルク、オランダ、オーストリア、ポルトガル、フィンランド、スウェーデン、英国

 ●2004年第五次拡大 キプロス、チェコ、エストニア、ハンガリー、ラトヴィア、リトアニア、マルタ、ポーランド、スロヴァキア、ス ロヴェニア

 ●ユーロ参加国(12カ国) ドイツ、フランス、イタリア、スペイン、ポルトガル、アイルランド、オーストリア、フィンランド、ベルギー、オランダ、ルクセンブルク、ギリシャ


 ■対イラク戦は、ネオコン vs 古い欧州 + 国連

 2003年2月21日、モーリス・ストロング国連北朝鮮問題担当特別顧問(トヨタ・インターナショナル・アドバイザリー・ボード・メンバー)は安倍晋三 官房副長官(当時)と会談し、国連が北朝鮮に対し食糧支援を行う方針を伝え、協力を打診するが、安倍副長官は日本人拉致問題をめぐる日本側の立場を説明し た上で、食糧支援には拉致被害者5人の家族の早期帰国が最低限のハードルだとの否定的見解を示す。 また、日本政府が過去に計約120万トンのコメ支援を 行ったことを強調したうえで、「実際に一般国民に行き渡ったかどうか疑わしい」と世界食糧計画(WFP)のモニタリングのあり方にも疑問を呈したようだ。

 しかし、安倍晋三官房副長官の姿勢は、これまでの日本のコメ支援が武器としての戦略性を欠いたことを認めるものであり、WFPへの疑問などは米ネオコン の主張と変わりがなく、日本のネオコンと呼ばれても仕方がない。むしろ国連流の「武器としての食料戦略」をモーリス・ストロングに聞いてみる方が得策だっ たのかもしれない。その実施例は古くは米国によって日本の戦後食料戦略に適用されたが、最近では国連のイラクへのオイル・フォー・フード計画(石油食料交 換計画)などが参考になるだろう。ここに、対イラク戦を回避できなかった理由がある。

 ネオコンに乗っ取られつつある米ウォールストリート・ジャーナル紙で、クローディア・ロゼットはコラム「コフィー・アナンダーセン」を掲載する (2002年9月25日付)。コフィー・アナン国連事務総長とエンロン・スキャンダルで責任を問われた米名門会計事務所アンダーセンを組み合わせたものだ が、オイル・フォー・フード計画には国連本部の120名以外にも、900人の国際職員と3000人のイラク人が従事しており、まるで国連による雇用創設計 画のようだと皮肉り、フセインは得た資金で政権基盤を維持し、ミサイル技術や軍事物資を購入しているとして、資金の使い方にも不透明感があると指摘する。 そしてオイル・フォー・フード計画はエンロン・スタイルだと批判した。確かに国連の資料を見る限り不透明感があるのも事実だが、ネオコンの国連嫌いを象徴 する内容となっている。

 国連のオイル・フォー・フード計画が開始されたのは1996年12月、湾岸戦争で経済制裁を科されたイラクに対し、人道目的に限って制裁を部分解除し た。国連管理下で石油を輸出し、得られた資金で食料・医薬品などの人道物資をイラク国民に配給する制度である。計画名から食料だけを想像しがちだが、食料 以外に医薬品、そして電力、上下水道、教育関連施設などのインフラ整備に関連するものが加えられていく。

 国連の資料によると、1996年12月から2003年3月までイラクが輸出した石油は約34億バレルで約650億ドルに相当している。この内72%が人 道援助に割り当てられ、25%がクウェイトへの戦時賠償金、2.2%が国連経費、0.8%が国連の武器査察に割り当てたとしている。

 共同通信によれば、開戦前に国連要員が撤収したことから業務が中断し、さらにフセイン政権崩壊で石油管理者が不在となったため、計画実施の遅れが顕著と なっており、イラクへの輸送を待つ物資は100億ドル規模に上るとしている。また、実施期限である2003年6月3日までに輸送される見通しが固まった物 資は約5億5000万ドル相当にとどまっており、「国連が管理する口座」には使途が決まっていない資金32億ドルが保管されている上、70億ドル相当の石 油売買契約が既に認可されているとしている。ここで問題となるのは「国連が管理する口座」である。

 ■国連と古い欧州のユーロ・ドミノ化戦略

 国連発表の資料によれば、やはり「国連が管理する口座」とは、パリ国立銀行(BNP)ニューヨーク支店であった。パリ国立銀行、つまり2000年5月に パリ国立銀行とパリバが合併して誕生したフランスを代表する大手銀行BNPパリバが管理しているのでる。しかも実際はドルではなく、一部はユーロで管理さ れているはずだ。

 2000年10月、フセインは原油代金を「敵国通貨」のドルではなくユーロで受け取ると迫り、認めなければ原油輸出を止めると脅したため、 国連安保理のイラク制裁委員会はこれを承認することになる。背景にはフランスなど欧州主要国の働きかけがあったとの説が根強く、ユーロ相場をテコ入れした い欧州勢と、欧州を後ろ盾に米国をけん制しようとするフセインの思惑が一致して実現したようだ。

 それまで原油取引はドル建てが既定事実となっており、フセインはそれまでの「ドル一極体制」に風穴をあけたのである。フセインが風穴をあけたユーロ決済 は、その後サウジアラビア、インドネシアやマレーシアなどへも波及することになる。国連の管理銀行がBNPパリバであったことを考えれば、国連と欧州勢は 協調しながら「ドル・ユーロ二極体制」実現に向けて、環境戦略と並ぶ通貨戦略としてフセインの石油を利用した可能性が高い。

 BNPパリバの2002年度版アニュアル・レポートによれば、BNPパリバとフランスを代表する石油メジャー・トタルは、二人の人物が両方の会社の取締 役を努めており、二件の取締役兼任で結合している。つまり情報を共有できる関係にある。そして両社ともフランス株式会社の中核企業である。

 こうした背景から、対イラク戦は、フランス勢率いる「古い欧州」と国連が主導する中東地域での「ユーロ・ドミノ化」を阻止するために、米国が力ずくで行 使したと見ることもできるのである。そして国連と「古い欧州」を敵と見なしたのは、明らかにネオコンと古き良き時代に浸る攻撃的ビジネス・リアリストの一 部に存在するネオコン同調者であろう。

 ■古い欧州の21世紀ソフト・パワー戦略

 EUも軍事・防衛分野では北大西洋条約機構(NATO)に依存せざるを得ず、国連を大幅に改革しない限り米国の代わりを務めることはできない。20世紀 同様、世界の警察官として米国を巧みに操りながら、経済に特化した戦略を組み立てているようだ。ただし、長期的には国連を軸とした軍事産業の再編、民間軍 事会社の積極的活用によって国連の軍事力強化に向けた取組が始まる可能性は無視できない。

 ミスター・ソフト・パワーことジョゼフ・S・ナイ・ハーバード大学ケネディ・スクール(行政大学院)院長は、一貫してブッシュ政権のユニラテラリズムを 批判してきたが、彼の唱えた文化、イデオロギー、制度的魅力に根差したソフト・パワーによる世界戦略は、皮肉にもEUに受け継がれることになりそうだ。そ もそも、たった200年そこそこの歴史しかない米国は、若さをパワーに変えて成長を遂げてきたのであり、ソフト・パワーとは相容れない側面もある。むし ろ、映画、音楽、そしてマクドナルドに象徴されるように、20世紀中にソフト・パワーを使い果たしたようにも見える。その歴史的弱点を補うがごとく、軍事 力というハード・パワーに依存せざるを得なかった。そして、今後も軍産複合体制維持という制度的しがらみからは解放されそうにない。国連の軍事力強化は米 国にとっても、しがらみから脱却できる機会とも成り得るが、その時に受け入れるだけの余力が残されているかどうかが問題となるだろう。

 現実的に考えれば、今後じっくり時間をかけて、EUはNATOとの関連から米国との協調関係を維持しつつ、ユーロ・環境を武器に金融、経済面でリーダー シップの確立を目指すことになる。そしてハード・パワーの米国とソフト・パワーのEUとの相互依存による共同覇権体制を確立し、中国を軸とするアジア圏と 向き合うことになる。現在のネオコン主導の混乱は、米・欧による共同覇権体制の確立への最後の抵抗であり、むしろ加速させる結果になるだろう。

 日本の古都の名を冠した京都議定書に象徴されているように、二つの勢力のなわばり争いは当初から日本にも向けられている。そして、ユーロ・環境に続く第 三波(ガリレオという名のスペース・パワー)、第四波(ユーラシア内巨大鉄道・道路網)もすでに用意されているのである。

 ■ブレジンスキーの警告

 2001年9月11日の同時多発テロを契機に始まったアフガニスタンからイラクへと続く戦争、そしてリムランドの重要地域であるイラク・イラン・北朝鮮 を「悪の枢軸」と呼んだ背景には、米国の拡大を続けるEU、特にユーロ圏拡大に対する地政学的な「封じ込め政策」がある。今後、ブレジンスキー元大統領補 佐官が名付けた「ユーラシア・バルカン(カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、アゼルバイジャン、アルメニア、 グルジア、アフガニスタン、そして、トルコ、イラン)」一帯の緊張も、より一層高まることになるだろう。2003年11月のグルジアで起きた無血政変で大 統領の座を追われたシェワルナゼ前大統領は、十五年来の友人であるベーカー元国務長官の裏切りを口にする。米・欧の狭間でしたたかに泳ぎ回るロシア、そし て中国の思惑も絡みながら、リムランド一帯の不安定な状況が続くことになる。そして、新たな「悪の枢軸」が追加される可能性も高い。

 対イラク戦によって圧倒的な軍事力を見せつけることで、米国率いるシー・パワー連合国である英国、日本、スペイン、オーストラリア、そしてEU内部の ポーランドを中心とする「新しい欧州」との結束を強める狙いがあったが、戦争の大義が問われ、早期終結するはずの戦争も泥沼化している。結果としてシー・ パワー連合国内部でも米国への信頼を揺るがしかねない状況になっている。おそらく英国のユーロ参加問題も再浮上し、より現実味を帯びてくるだろう。

 このことは、対イラク戦を主導したネオコンの目算が狂ったのか?-それともEU拡大の加速こそが彼らの真の狙いであったのか?-おそらくこの回答は歴史 の裏側に葬り去られることになるだろう。しかし、ネオコンの人脈をたどれば、加速こそが彼らの真の狙いであった可能性が無いとは言い切れない。だとすれ ば、対イラク戦がネオコンによって主導された米国による米国の自爆テロということになる。

 ブレジンスキー元大統領補佐官が2003年11月に外交問題評議会で行われたインタビューで次のように発言している(一部抜粋)。

「アフガニスタン、イラクでの勝利を経て、世界規模での軍事展開能力を持つ唯一の国がアメリカであることが実証された。軍事力を信頼できる形でグローバル に展開できる国は他にはない。しかし、世論調査、諸外国政府の反応、アメリカ人ジャーナリストの外国からの報道など、いかなる指標をもってしても、今日の アメリカは国際的な信頼を失っている。世界におけるアメリカの政治的な立場はこれまでになく低下している。イラクが大量破壊兵器(WMD)を保有している と詳細に説明し、(これまでのところWMDが発見されていないために)、世界の他の諸国がアメリカに寄せていた信頼が失われてしまった。これはアメリカの 世界での役割を大きく損なう深刻な事態である。 」

「こうした不幸な状況を是正していくための措置は数多くある。大枠で、穏健さと超党派合意を旨とする外交政策へと立ち返ることが先決だ。現在のアメリカの 外交政策は共和党内の極端な見解、つまりは、キリスト教原理主義といわゆるネオコンの戦略観に支配されている。」

「私が最近世論の場で発言をしたのは、アメリカの世界における役割について純粋に心配しているからだ。現政権の最近の政策路線、政策の実行の仕方、政策を 説明する際に使用されるボキャブラリー、テロという特定の問題にばかりこだわる姿勢は、アメリカが本来世界で果たすべき役割を大きく損なってしまっている と考えている。これは危険な兆候だ。・・・ 」

 ■結論

 現在、ブレジンスキー元大統領補佐官の発言に見られるように、米国内で様々な分野からネオコンやキリスト教原理主義の分析が進められている。特にアカデ ミック・リアリストの大物達が超党派で反ネオコン組織を続々と立ち上げ、ネオコンの暴走に歯止めをかけようとしている。

 それにも関わらず、小泉首相や石破防衛庁長官が語るイラクの民主化そして人道主義には、キリスト教原理主義とネオコンの戦略観に支配されているとしか思 えない。このふたりのネオコン教信者こそが、日本の国益を踏みにじる存在になる可能性がある。冷戦が終わったことさえ気付いていない日本の政治家や識者の 多くは、今まさに世界中で高まる日本の文化・歴史・古神道的宗教観・自然観への期待を踏みにじるばかりか、時代遅れのハード・パワー国家を主導するのだろ うか。

 緩やかな「ドル・ユーロ二極体制」と「米・欧共同覇権体制」への移行は、米欧グローバル・ビジネス・リアリスト、国連、国際金融界ではある程度の合意を 得ている。本当に怒らせてはいけない相手は、最短4年最長8年に過ぎないブッシュ政権ではなく、移行を推進する米欧にまたがる一握りの集団であることは、 もはや常識の範疇である。

 イラクへの自衛隊派遣を巡って国際協調を訴えるのであれば、派遣する前に小泉首相や石破防衛庁長官の二人が自らブリュッセルに出向き、生きた情報を入手 すべきだ。貴重な命を預かるものとして当然のことだろう。米国との関係を重視しつつ、大欧州に向き合う時が来た。時代が大きく動こうとしている今こそ、慎 重に対処すべきであろう。我々日本人に刻まれた両生類的遺伝子が生かされる絶好の機会を見逃すべきではない。

■引用
アメリカは国際社会の信頼を失っている
Brzezinski: America Lacks International Credibility
http://www.foreignaffairsj.co.jp/source/CFR-Interview/brzezinski.htm

2003年12月06日(土)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 アメリカの国家戦略に関するセミナーに参加し、理論的に説明された構想の一端を学ぶことができた。しかし、それがいくら優れた戦略であっても、必ずしも世界の平和に貢献するのかどうか疑問に感じる。

 その疑問を払拭するかのように一世紀以上前に岡倉天心が、「西洋流の思考だけでは世界は立ちゆかない時が必ず来る。西洋の人間に向けて、東洋の思想とい うものを伝えていかなければならない。調和しなければ、世界は滅びてしまう」と西洋の物質文明を批判し、東洋の精神性の重要性を提示している。

 ブッシュ政権は、軍事力を利かせながら市場主義を中心にしたアメリカの民主化により世界を制覇しようとしている。このような西洋思想では、国際テロを解決することは不可能である。

 知る限りでは、ワシントンでの安全保障の論議は、西洋思想の論理的かつ戦略的な観点だけで語られており東洋思想のインプットが皆無である。安全保障を研究するにあたり、文明や思想の源流を考察し、歴史のリズムを把握する作業が必要であると強く感じる。

 半世紀前に出版されたNorman
Cousinsの本の中で興味のある記述に出会った。インドの奥地を訪問した時、文字を読むことができないキリストの教えを知らないはずの村人がキリスト 教が理想とする生活を行っていることに驚かされ、そこで、キリスト教の源流は、東洋思想に影響されていることに気がついた。とある。

 文明の発祥地の解明には未知数が多すぎるが、7000年前の黄河文明、5000年前のメソポタミア文明やエジプト文明、4500年前のインダス文明、そ して2000年近くの歴史を経て生まれた古代ギリシャ、古代ローマ文明の西洋文明との歴史の潮流の中で、明らかに東洋思想が西洋思想の源流になっているこ とは確かである。

 宇宙観や世界観を持ったヒンドゥー教の源が3500年前に発生し、2500年前に仏教とユダヤ教が同時期に生まれ、500年の時を経てキリスト教が成立 し西暦が始まり、そして600年後にイスラム教が生まれたのである。文明の歴史をひもとくと多神教が中心であり、一神教の歴史は比較的浅く2500年しか 経過していないことが分かる。

 アメリカ・アラブ・イスラエル間の紛争は、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教による一神教の兄弟喧嘩である。これらの対立の根元は、一神教にみられる 「神が宇宙を創造した」という考えや、「神が人間を救う」という神が絶対的な存在であるといういうことから排他的な思想につながる。アメリカが介在する中 東和平が成功しないのは、一神教の妥協性に欠けるところにないだろうか。宗教の源流を学ぶことにより一神教の紛争回避のヒントが生み出されると考えられ る。

 世界には4つのパターンの宗教的な世界観があると思う。第1は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教に見られる一神教のパターン、第2には、インドのよう に多くの宗教が混沌として多様性に富んでいるパターン、第3は、中国のように国家が正式に宗教を認めぬパターン、最後は、日本に見られる神道、仏教、キリ スト教等の異なった宗教を同時に信仰できる柔軟性を有するパターン。日本のパターンが、人類が最も永く育んできた普遍的な宗教観ではないだろうか。

 東洋思想の特徴は、「陰と陽」、「男と女」という相異なる二つの性質の共存を認め、論理的より精神的、感覚的なものに重きをおき、世の中の潮流に柔軟に 対応し、かつ自然との調和を大切にするところにある。一方、西洋思想の特徴は、物質的な力が原理であると考え、人間の知性が自然をも征服できうるという力 と理論に重点をおいている。

 人間には、肉食を主とする遊牧民的体質と、穀物を主とする農耕民的体質がある。このように思想や人間の体質が陰と陽といった二つの特徴に分かれるように 思われる。歴史軸を考察すると、この両者が互いに調和してヒューマニティーが形成されてきたように思われる。人類の歴史は戦争である。との考えも正しいか もしれないが、戦争を行っても発展が続くのは、人間の本質は、「ヒューマニティーと調和」であるからだろう。そうでなく西洋思想だけでは、人類はとっくの 昔に滅んでしまったかもしれない。

 ブッシュ政権の国家戦略の欠陥は、西洋思想一辺倒であるところにある。40年以上前のケネディーの国家戦略は、東洋思想が含まれており柔軟性に富んでい る。何故ならケネディーは、ガンディーの影響を受けたからである。そのガンディーは2000年以上前の」アショカ王の影響を受けているのである。21世紀 の中国の国家戦略は、多国間、協調的な外交・安全保障政策、有人宇宙飛行に見られるように、ケネディーの国家戦略に類似している。中江兆民や中江丑吉と いった思想家は、東西の思想をうまく調和させている。

 このように東洋と西洋の思想の調和により優れた国家戦略が生み出されてきたと考えられる。本日、渡辺謙とトムクルーズ主演による、「Last Samurai」が封切られた。早速、この映画を鑑賞し、「武士道」の精神的な魅力こそ世界が求めているのではないかと強烈に感じた。中東や国際テロの問 題を解決するためにもブッシュ大統領に是非勧めたい映画である。ブッシュ大統領が、武士道や東洋思想を学び、武力という物質的な力では、崇高な精神には勝 てないということを学ぶべきである。イラク戦の泥沼化から抜け出すには、日本としてはイラク戦を支持した以上、自衛隊の派遣は避けられないと考えるが、ア メリカに対し、武士道や東洋思想を伝える方がよりアメリカのみならず地球のためになると思われてならない。
2003年12月03日(水)萬晩報通信員 成田 好三

 日本テレビのプロデューサーによる視聴率不正操作問題は、番組評価を視聴率だけに依存する日本のTV界の根幹を揺るがす〝大事件〟に発展した。このプロ デューサーは、1000万円もの番組製作費を流用して工作資金に充てていたことも明らかになった。それでも日本テレビは、不正操作はあくまでプロデュー サー個人の行為だとして、早期の幕引きを図ろうとしている。

 日本テレビは、氏家斉一郎会長、間部耕苹副会長、萩原敏雄社長の最高経営幹部3人が経営責任ではなく道義的責任を取るとして〝スライド降格〟人事を発表 した。会長のCEO(最高経営責任者)辞任と副会長の社長降格、社長の副社長降格という内容だ。CEO制度は会長の辞任と併せて廃止するというのだから、 何の意味もない。副会長から社長への降格は、世間の常識では〝昇格〟である。しかも、最高経営幹部3人が日本テレビを統治する「体制」には、何の変化もな い。

 こんな人事は降格でも処分でもない。広告スポンサー向けに世間体を取り繕っただけだ。最も大事なはずの、視聴者へのメッセージは伝わってはこない。彼らは視聴率不正操作問題から何一つとして教訓を学ぼうとはしていない。

 本題に入る。日本のTV界は、ちょっと見方を変えれば視聴率不正操作以上に悪質な行為を日常的に行っている。民放キー局が独占放送するスポーツ中継だ。 録画映像をあたかも生中継のように扱っている。〝詐欺〟的行為にも等しいこのスタイルは、いまや民放キー局の常套手段にさえなっている。

 その例を挙げる。日本で11月に開催されたW杯バレーボールは、フジテレビが独占放送した。女子が1日―15日、男子は16日―30日と、1か月にわ たって開催される長丁場の大会である。女子、男子各11試合、計22試合をゴールデンタイムである夜7時―9時の時間帯に放送した。新聞のTV欄には、最 大延長9時24分と表記された。

 番組中にも事前の紹介番組でも、放送は録画だとも、生中継とも言わない。番組中の画面にも、「ライブ」「録画」の表示はない。バレーボール関係者やマニア的なファン以外は、放送が生中継だと「錯覚」してしまう。

 しかし、フジテレビの独占放送はすべて録画放送だった。大会主催者の日程によると、日本戦はすべて夜6時の試合開始だ。放送は夜7時から始まるから、フジテレビはすべての日本戦を1時間の〝タイムラグ〟をつけて放送していた。

 スポーツ観戦において生中継に勝るものはない。選手やチーム、会場と一体になったと感じられるからだ。海外で開催される五輪やW杯サッカーを生中継で見 るため、夜更かししたり、早起きしたりするのは、リアルタイムの臨場感と一体感を味わうためだ。だから、プロ野球の大相撲も生中継される。そうでない場合 は録画だと告知される。

 フジテレビは何故、1時間もの時間差をつけて放送したのか。6時台にはニュース枠があるためか。7時台からのゴールデンタイムの放送の方が視聴率を稼げ るためか。フジテレビはスポーツ専門チャンネルではない。全国ネットの民放キー局だ。長丁場のW杯バレーボール大会を生中継できない理由は、それなりにあ るだろう。スポーツは何が何でも生中継すべきとはいわない。問題なのは、理由を説明せずに生中継もどきの放送を続けたことだ。

 バレーボール関係者や熱心なファンにとっては、生中継もどきの放送は折り込み済みのことだろう。しかし、一般のファンや視聴者に対しては、何の説明もな い。フジテレビが意図的に視聴者を「錯覚」させることを狙っていたとしか理解できないやり方だ。時差のない国内での大会を、〝タイムラグ〟をつけて放送す る理由は、素人には分からない。

 フジテレビは9月に大阪で開かれた世界柔道(12―14日)も独占放送した。田村亮子、井上康生ら日本選手が大活躍した大会だ。W杯バレーボールのよう な長丁場の大会ではない。しかし、世界柔道でも同じ手法を取った。あたかも生中継であるかのように録画映像を流していた。

 フジテレビに限らず、TV局はこうした〝詐欺〟的な、生中継もどきの放送を即刻止めるべきだ。あるいは録画放送するなら、その理由を放送中にきちんと説 明すべきだ。そうしないなら、TV局は広告主よりもっと大事な「顧客」である視聴者の信頼を、近い将来において失うだろう。

 今年、フジテレビ以外にも民放キー局は、北島康介が100、200メートル平泳ぎで金メダルを獲得した世界水泳をテレビ朝日が、末続慎吾が200メート ルで銅メダリストになった世界陸上をTBSが独占放送した。テレビ朝日とTBSは水泳と陸上の国際大会をバレエティー番組化した。国際映像を切り刻んだ。 現地に放送本部を置かなかった。東京から、しかも素人をキャスターに起用して中継した。しかし、フジテレビの生中継まがい、あるいは〝詐欺〟的中継に比べ れば、まだましな行為だ。

 フジテレビは自動車レースの最高峰、F1グランプリ(GP)を長く独占放送している。世界各地で開催されるGPを放送している。しかし、鈴鹿サーキット で行われる日本GPは、夜に録画で放送する。何故か。日本GPは日曜日の午後に決勝が行われる。日曜日の午後に放送する競馬中継と重なるからだ。フジテレ ビにとって、毎週日曜午後に放送する競馬中継は、年に1度だけ国内で開催されるFIの日本GPより、はるかに優先度の高い番組なのだ。

 自国で年に1度開催されるF1GPを録画で放送するTV局など世界中を探しても見つからないだろう。(2003年12月1日記)

 成田さんにメールは mailto:narita@mito.ne.jp
 スポーツコラム・オフサイド http://www.mito.ne.jp/~narita/
2003年12月08日(月) 中澤英雄(東京大学教授・ドイツ文学)

 イラク特措法は、戦闘地域と非戦闘地域の区別を前提としている。しかし、小泉首相でさえ、非戦闘地域がどこかわからないと言う。当然である。イラク全土 が戦場だからだ。そのような状況の中で自衛隊を派遣することは、明白な法律違反である。自民党が、自分で作った法律を自分で破ろうとしてる。違法状態で派 遣されるのであれば、自衛隊もたまったものではない。自衛隊を派遣するのであれば、最低限、新たな法律が必要である。

 イラクではまだ戦争が続いている。それは正規軍同士の衝突から、ゲリラ戦へと移行した。ゲリラ戦には戦闘地域と非戦闘地域の区別はない。安全だと思われていた非戦闘地域が、あっという間に修羅場になるのが、ゲリラ戦である。

 このゲリラ戦は、米英軍を中心とした国際部隊と、サダム・フセイン残党派+イスラム過激派の間で戦われている。後者が、米英とその同盟国によって「テロリスト」と呼ばれている勢力である。

 「戦争とは他の手段をもってする政策の継続である」というクラウゼヴィッツの言葉は、戦争は政治的目的の追求の手段であることを語っている。この言葉を認めるのであれば、テロもまた「他の手段をもってする政策の継続」である。

 イラクの「テロリスト」には明確な政治的目標がある。それは、米英軍およびその同盟軍をイラクから追い出し、旧サダム・フセイン体制を復活させることである。

 常識的に考えて、復興活動は、戦争が終わってからはじめて開始できる。自衛隊が今イラクで水道工事を行なっても、それが破壊されたら、イラク国民に何の 益ももたらさない。石油パイプラインが破壊されたように、自衛隊の作った浄水設備が破壊される可能性もある。日本がベトナムの復興に協力したのは、ベトナ ム戦争が終わってからであった。

 では、戦争が終わらない間は、何もできないのだろうか。戦争中にできるのは中立の人道援助である。赤十字は、どちらの側の兵士でも、傷ついた兵士を助け る。ただし人道活動は、戦う両軍のどちらにも肩入れしない中立的なものでなければならない。もし一方に肩入れすれば、それは人道支援とは名乗っても、一方 に加担する行為と見なされるだろう。

 イラクの現状は、先に述べたように、米英軍を中心とした国際部隊と、サダム残党派+イスラム過激派の間のゲリラ戦になっている。後者にとってみれば、米 英主導による秩序が確立し、イラク社会が安定しては、自分たちの居場所がなくなる。したがって、イラク社会をできるだけ不安定化させることが彼らの目的と なる。だから、たとえ国際赤十字や国連が主観的には善意の非武装の人道援助を行なうつもりでも、サダム残党派+イスラム過激派からすれば、それらの国際的 非軍事組織さえも、イラクを安定化させる英米側の勢力と見えるだろう。

 「テロリスト」陣営が米英軍に対して軍事的勝利をおさめることは困難である。だが、彼らの目的は軍事的勝利である必要はない。米英およびその同盟国がイ ラクから出て行きさえすれば、彼らの目的は達成される。そのためには、「テロリスト」側はできるだけ混乱状態を長引かせ、ボディーブローのように占領軍を 精神的、肉体的、経済的に疲弊させ、各国の厭戦気分を高めようとするだろう。テロリスト=ゲリラは膨大な一般イラク人の海の中を泳いでいる。彼らを根絶す ることは至難の業であろう。アメリカ軍はいまだにサダム・フセイン一人すら逮捕できないでいる。イラクというブラックホールに膨大な金が吸い込まれてい き、やがてアメリカのような経済大国もたえられなくなる時が来る。

 このような現状の中で、日本がイラクに自衛隊を派遣することは、日本が明白に米英の同盟軍となり、サダム残党派+イスラム過激派を敵と見なすと宣言する ことを意味する。すぐに戦闘行為に参加しなくとも、イラクに足を踏み入れたその瞬間から、日本はゲリラ戦に参戦したことになる。ゲリラ戦の中では、復興部 隊といっても攻撃される可能性がある。「自衛」のためには、自衛隊が「テロリスト」を「殲滅」(石原都知事)せざるをえない場面も出てくるかもしれない。 今まで中東ではきれいであった日本の手が、血で汚れる。

 自爆攻撃を受けて自衛隊員に大量の死傷者が出たら、日本は途中でイラクから引きあげるのだろうか? 途中で逃げ帰ったら、何のための派兵になるのだろ う? 一時的にアメリカにいい顔を見せるためか? それではアメリカは満足しないだろう。「テロに屈しない」と言うのであれば、どんな被害を受けても、イ ラクから「テロリスト」がいなくなるまで、自衛隊はイラクに居続けなければならなくなる。それは数ヶ月ですむ話ではないだろう。日本はアメリカと一蓮托生 の運命を選ぶのか? だが、アメリカがベトナムで敗れたように、イラクでも敗れないという保証はない。

 戦争を始めることは簡単だ。しかし、始めるときには、いつやめるかを考えておかなければならない。テロとの戦争も同じだ。イスラエルを見てもわかるが、 そもそも武力でテロを根絶することは不可能に近い。テロとの戦争は永久戦争になる。自衛隊を派遣するのなら、日本はいつテロとの戦争から降り、自衛隊を引 きあげるのかを考えておかなければならないだろう。それなしに自衛隊を派遣することは、無責任である。

 イスラム過激派はイラクにだけいるのではない。彼らは世界各地でもテロ活動を行ない、厭戦気分を高めようとするだろう。日本がイスラム過激派を敵に回し た以上、彼らが日本をも標的とすることは必然である。日本国内ばかりではなく、海外の大使館、日本企業、旅客機、旅行者などもテロ攻撃の対象となる。「テ ロリスト」にとっては、警備の厳しいアメリカ関連施設よりも、警備の甘い日本のほうが狙いやすい標的だろう。自衛隊員ばかりではなく、非戦闘員の文民や民 間人も「テロとの戦い」の犠牲者となる――イラクで殺された2人の外交官のように。自衛隊を「活用」することによって、日本の「自衛」状態は以前よりも悪 化するだろう。

 小泉首相が「テロに屈しない」として、自衛隊をイラクに派遣するのであれば、今後、日本は、膨大な戦費を使い、人命を失い、しかも米英の走狗となったこ とによって、多くのイスラム教徒から敵視され、今後は米英と同じようにテロの恐怖の中で生きることを覚悟しなければならない。それでも自衛隊を派兵すると いうのであれば、首相は、それが「国益」となるということを、国民に十分に納得いくように説明していただきたい。

 中澤さんにメール mailto:naka@boz.c.u-tokyo.ac.jp

2003年12月01日(月)長野県南相木村診療所長 色平哲郎

日本列島西南端の沖縄県石垣島、この島に所在する「唐人墓」について、沖縄以外に住む日本人はほとんど何も知らない。

唐人墓には、およそ次のような碑文が刻まれている。

  唐人墓には中国福建省出身者128人の霊が祀られている。
  1852年2月、400人余りの苦力(クーリー)が、厦門(アモイ)
  港から米国船ロバート・バウン号でカリフォルニアに送られる途上、
  辮髪(べんぱつ)を切られたり、病人を海中に投棄されるなどの
  暴行に堪えかねて蜂起し、船長ら7人を打ち殺した。
  船は、石垣島沖に座礁し、380人が島に上陸した。
  石垣の人々は、仮小屋を建て、彼らに住まいを提供した。
  しかし米国と英国の海軍が三回にわたり来島し、
  島に砲撃を加え、上陸してきびしい捜索を行った。

  中国人労働者は山中に逃亡したが、百名以上が銃殺され、
  逮捕され、自殺者、病没者が続出した。島民は深く同情し、
  密かに食糧や水を運び、中国人側の被害が少なくするよう
  配慮した。そして事件処理に関する国際交渉に取り組んだ結果、
  翌1853年9月、琉球側が船二隻を仕立て、
  生存者172人を福州に送還した。

  中国ではこの事件が契機となって大規模な苦力貿易反対の
  機運が盛り上がった・・・

16世紀以来、「苦力 (クーリー)」と呼ばれる中国人労働者は、労働奴隷として世界各地に送り出されていた。19世紀半ば、アメリカ合衆国西海岸でゴールドラッシュが起こり、 北米大陸横断鉄道の建設工事にも伴った労働力不足のため注目されたのがこの中国人労働者であった。

アフリカ大陸からの奴隷は大西洋を横断しての移送時に死亡例が多く、歩留まりが悪いばかりか、東海岸からゴールドラッシュに湧くカリフォルニアに移送するのが容易ではなかったからだという。

反乱時、逃げのびた米国船の船員が中国沿海部にいた英国海軍に通報し、追及が始まった。しかし当時、(薩摩藩の支配下にあった)琉球王国の八重山政庁や島 民は中国人労働者をかくまった。米英は島に砲撃を加え、武装兵を上陸させて捜索を行い、中国人たちは銃撃、逮捕、自殺などでどんどん減っていった。

島民は彼らに食糧などを援助し、死者は丁重に葬られた。

島民は捜索にあたる米軍と英軍にも食糧と水を提供し、なだめている。

関係諸国の協議の結果、生存者172名を琉球の船で中国(清朝)に送り返すことで合意、これを契機に、アヘン戦争敗北後の中国で、「同胞を売るな」との苦力貿易反対の世論が盛り上がった。

当時、埋葬された墓は島内に点在していたが、石垣市がこれらを合祀慰霊するため、台湾政府、在琉華僑の支援もあり、唐人墓を1971年に建てることができ た。しかし当時琉球列島は米国の占領下にあったため、墓のいきさつをきちんと記すことはできなかったという。

1853年の黒船来航に先立だつばかりか、アメリカ合衆国での奴隷解放宣言にも先立つ、特筆すべき大事件である。

中国人労働者を殺戮するために、石垣島に来航した米国軍艦サラトガ号は、2年後に他の3隻の軍艦と共に、江戸城に近い浦賀の沖合いに来航した。

日本(本土)の歴史教育で、この史実は全く伝えられてこなかった。ペリー提督の来航に慌てふためいた江戸城の官僚たちよりも、石垣島民らによる事件処理の 方がはるかに優れていたからであろうか。この苦力反乱事件の顛末は、中国本国でも、海外の華人社会でも中学校や高等学校の重要な歴史教材である。

かつて石垣の民衆が、反乱し脱出上陸した苦力たちから学んで交流したように、多くの日本人が真の「アジア人の友」として交流することが可能になるのは、いつの日のことであろうか。

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