2003年9月アーカイブ

2003年09月29日(月)萬晩報通信員 齊藤 清

 【コナクリ=ギニア発】国連安保理は9月19日、14年間にわたる内戦で、15万人以上の死者、200万人以上の国外難民・国内避難民が出たといわれる西アフリカ・リベリア(人口330万人)の和平を確立するため、平和維持部隊(UNMIL)として1万6000人を派遣する決議案を採択した。

 ◆テイラー大統領の亡命

 リベリア国民議会は2003年8月7日、上下両院でテイラー大統領の辞任を承認し、ブラー副大統領に大統領権限を委譲することを決定。

 8月11日、首都モンロビアで大統領の権限委譲のセレモニーが行われた。ガーナのクフォー大統領、モザンビークのチサノ大統領、南アのムベキ大統領らの 賓客が参列。これは、この日を最後に首都モンロビアを離れ、ナイジェリアに亡命するはずのテイラー大統領の最期を看取る儀式でもあった。公式行事として亡 命の挨拶をするというのもかなり妙なもので、世にも稀なものではあるものの、何事もショーアップすることを趣味としている氏に対しては、それなりの舞台を しつらえて背を押し、精一杯の手向け花を飾る必要があったものと思われる。

 氏はキリスト教信者ということになっていて、別れの挨拶のその言い回しは、いつものように宗教的な味付けのかなり濃いものであった。「リベリアの危機を 救うための生贄の仔羊として国を離れることを決めた」と、アフリカ諸国の指導者はすべからく弁舌さわやか、聴衆を感動させる術を心得ていて、ことにテイ ラーはその筆頭でもあるといわれるだけあって、大統領退陣を表明した後のこの国での最後の挨拶も、時にフレーズごとに韻を踏みながら徐々に感情を盛り上 げ、口舌の雄の名に恥じない立派なものであった。

 当然のように、ギニアを通じてリベリアの反政府勢力LURDを資金援助し、訓練し、武器の支援をした米国を非難し、「これはアメリカの戦争である」と断 定。「私はこの国を離れたくはない。しかしアメリカの力がそうさせたのだ」とスピーチ。そして最後に、「神の思し召しがあれば、戻って・・・くるだろう」 と、いくぶん途切れがちにトーンを落として付け加えた。この一言が、しばらく後になって不気味な意味を持ってくる可能性もないではない。

 そして、ナイジェリア政府が用意したボーイング737機に、防弾仕様のリムジンと豪華仕様の四輪駆動車、そして大量の引越し荷物の品々を積み込み、8月 11日午後、テイラーはリベリアを去り、ナイジェリアへ居を移した。隣国シエラレオネの内戦に介入したとして、国連の戦犯特別法廷から起訴されていること には、あるいは目をつぶることで裏の合意ができているのかもしれない、と思わせる雰囲気でもあった。

 この日、リベリアの沖合いには、米国の軍艦3隻が二千数百人の米兵を乗せて停泊していた。

 ◆反政府勢力LURD代表の動き

 テイラー大統領の出国を目前にした8月7日、反政府勢力LURDの代表セクー・コネは、パリでラジオ・フランス(RFI)のインタビューを受けていた。

 『フランス当局にも状況を報告すると同時に、リベリアの窮状を訴えるつもりで今パリにいる。この後、西アフリカへ戻り、ナイジェリア、ガーナ、セネガル 他の首脳とも会う予定だ。紛争のために国を離れているリベリア人が現在少なくとも100万人はいるはずで、その多くが国へ戻るまでに2年程度の時間が必要 と考えているから、暫定政権はそれまでとしたい。暫定政権内に自分自身は入らない』

 氏は15万人以上の国民を抹殺した当事者の一方の代表でもあるわけだけれど、さすがに、米国の支援を受けた反政府勢力のリーダーは、言動にもその動き方 にも並々ならぬ自信を感じさせるものである。古典的なゲリラ・反政府勢力であったら、リーダー自身も銃を持ち山の中に潜んで艱難辛苦を耐える、というよう なイメージを持ってしまいがちなのだけれど、昨今のゲリラのリーダーはそうではないらしい。たいていは、ぱりっとしたスーツにネクタイというビジネスマン スタイルで、ロンドン、パリ、ニューヨーク、ワシントンを自由に往来し、しかるべき人々と接触することが主な仕事のようである。

 このようにしてガーナの首都アクラで8月18日、リベリア政府と反政府勢力2グループが、暫定政権を10月14日に発足させ、2005年に選挙を実施することなどを柱とする包括和平合意に署名。

 9月25日現在、氏は長年留守にしていたリベリアへ戻っている。住み慣れたギニアの邸宅を後に、スモークガラス付の日本製四輪駆動車に護衛のギニア兵を 乗せ、都合14台の車を連ねてギニア側から陸路リベリアへの国境を越えた。移動途中のゲリラキャンプでは、自分の戦闘員たちの出迎えを受け、彼らの労をね ぎらいながらの凱旋となった。これで、これまで「反政府勢力」として動いていたグループはひとまず静かになる。

 ◆蚊の攻撃に敗退した米兵

 テイラーがリベリアを去った8月11日の時点では、80人程度の米兵が米国大使館警備のためにリベリアに入国していた。沖合いにはその数日以上前から、 米国の軍艦3隻と2000人を超える米兵が待機。この時期には、反政府勢力が更なる虐殺を続けていると報道されていて、国際社会が米兵の出撃を声高に要請 しても動くことはなかった。

 そして8月14日になってから、港の警備を主な任務として米兵200人程度を送り込んだものの、その多くは日帰りで、夜には沖合いの艦艇へ戻るというパ ターンであった。ともかくアフリカ大陸への上陸を極端に恐れていて、最長10日間程度の滞在で、兵によっては数日間だけの上陸というのがその実態であっ た。国際社会の圧力をそらすために、ただアリバイを作っただけの米軍。10月1日までにリベリアから撤収の予定とされている。

 米軍がアフリカの兵を恐れる理由は、1992年にアメリカ主導でソマリアの内戦に介入したときに端を発しているらしい。「希望回復作戦」と名づけて敵と 目するグループのトップを急襲したのにもかかわらず、米陸軍が誇る精鋭特殊部隊は相手を捕捉することができず――いつものことではあるものの――、それば かりか反撃を受けて18人の兵を殺され、そのうちの一人の死体を車で引きずりまわす映像をテレビで流され、その結果不名誉な撤退を余儀なくされた苦い記憶 が、特に共和党員の間に根強く残っているためであるという。

 ところがそれほどに神経質なオペレーションを行ったのにもかかわらず、伏兵はアフリカ人ばかりではなかったらしく、現地の蚊の軍団にたっぷりかわいがられてしまった様子が伺える。

 以下、『ProMED情報』からの抜粋。
 ≪情報源:ABC News、9月10日。海軍の医師団は、先月平和維持任務でリベリアに滞在した海兵隊員に異常な高頻度で発生したマラリアを調査中である。海兵隊員のうち さらに3名が発病し、西アフリカ海岸沖の米軍軍艦内で治療中であるが、今回の患者発生により患者総数は46名になったと、軍関係者(曹長)が述べた。この 患者数は先月リベリア沿岸に派遣された海兵隊員・海軍兵士225名中20%に相当し、彼らが服用しているマラリア予防薬は通常蚊が媒介するマラリア予防に 非常に有効とされているだけに驚異的な数字である。≫

 ≪情報源:Washington Post、9月10日。積極的な予防法にもかかわらず、2003年8月にリベリア沿岸で活動した200名以上の海兵隊員のほとんどが明らかにマラリアに感染し、うち約43名は入院治療を要した。≫

 ProMED情報
 http://www.forth.go.jp/

 Failed Safeguards Are Blamed For Marines' Malaria Outbreak
 http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A51637-2003Sep9.html

 これは予防薬投与の失敗ではないかと推測する専門家もいるけれど、例えそうであったとしても、マラリア媒介蚊に刺された人間がすべて発症するわけでもな い。ある程度の体力(免疫力)があれば、たいていは発病しないですむものだ。筆者の長年の観察からも、それは確信できる。軍の発表がウソでないとすれば、 この惨憺たる結末は米兵の質の悪さ・ひ弱さ――数合わせのための寄せ集めの兵士――の証明ということになるのではないか。なるほど、彼らにはアフリカでの 野戦は不可能だ。

 ◆リベリアと米国

 米国のアフリカ戦略には、油の中東依存度を増大させることなく、この地域にも安定した原油の供給元を確保することと、飢えたアフリカ大陸に米国産の穀物 を大量に売り込むこと、このふたつが大きな柱として存在している。アフリカの油を確保するための仕込みはすでに熟成の段階に到達したといえる。穀物(米、 小麦、大麦、とうもろこし、豆等)に関しても、ケネディ・ラウンド関税交渉の中で成立した開発途上国に対する食糧援助を先進国に義務付けるシステムによ り、被援助国の農業生産意欲を殺ぐ意図はかなりの程度に達成された。また、内戦多発によって農業生産が阻害され、穀物の輸入需要はますます増えている。

 リベリアは19世紀初頭、アメリカのかつての解放奴隷を支配者層として送り込んで建国された、アメリカとは濃密な関係を持つ国である。現在でも富裕層の子弟は米国で教育を受けることが普通となっている。

 船に関係するニュースなどで、リベリア船籍の船という言い方を耳にすることがあると思うけれど、船の登録に関しては便宜置籍という方法が存在する。船の 持ち主の実態とは異なる国――税金等の安い国に便宜的にその船を登録し、節税、船員経費対策などを目的とするものだ。リベリアが便宜置籍国としてかなりの シェアーを持っているのは、その昔の米国の支援による影響力が大きく働いている。

 アメリカのファイアストーン・タイヤゴム会社は、リベリアに世界最大のゴムのプランテーションを持っていた。1988年、内戦の始まる直前に日本のブリヂストン社がこれを買収。

 リベリア深奥部のギニアとの国境地帯には、標高1752メートルのニンバ山がある。この山一帯は下記のページに詳細な説明があるように、動植物の宝庫ともいえる場所だ。

 ニンバ山に詳しいページ(京都大学霊長類研究所)
 http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/chimp/Bossou/Nim-j.html

 そしてこの山は、実は鉱物の分野でも宝の山と目されている。荒っぽく言ってしまえば、山脈すべてが高品質の鉄鉱石でできている。リベリア側は内戦前まで 採掘されていた。その鉄鉱石を運び出すために、広軌の鉄道総延長261キロが敷かれた。そのための港も整備された。ラムコ(LAMCO)と呼ばれるこのプ ロジェクトには、アメリカとスウェーデンの資本がかかわっていた。

 ラムコ・プロジェクトに携わっていた関係者の子供が、その当時のリベリアでのあまい想い出を語っているページ。
 Our Beloved Liberia! http://home.enter.vg/liberia/

 さらにこの山のギニア側にも、当然のように鉄鉱石採掘のためのプロジェクトが存在し、英国に本社のある国際的な資源会社をはじめとする複数の会社がすで に利権を確保している。ボーリング調査の結果として、この一帯の確認埋蔵量は世界一であるとささやかれている。昨年末にはギニア政府との最終協定が結ばれ た。この鉄鉱石搬出のためには、ギニア国内に総延長1000キロの鉄道をまず建設しなければならない。多額の先行投資が必要となる。しかし、リベリア国内 の内戦が収まったことから、リベリアの既存のラムコ鉄道を補修して使う可能性が出てくることもありうる。そうすれば建設コストもランニングコストも大幅に 削減できる、と欧米の多国籍企業は計算している。(ギニア政府はそれを拒否する立場だけれど)

 現在まで米国軍艦が停泊していたリベリア沖合いの石油は、これから試掘作業が動き出すことになる。当然のように、西アフリカ・ギニア湾の海底油田地帯に含まれるこの一画にも、米国のメジャーはしっかりと狙いを定めている。

 ダイヤモンド資源に関しても、シンジケートが環境を整備し、他のルートからの輸出を規制する方向に動くことだろう。

 農業は――そんなものは、米国から米でも麦でも買えばいいのだから、そのあたりに放り投げておけ、と米国は考えているだろう。

 1980年のクーデターによって反米的な政権が誕生してからというもの、外国に支援されて送り込まれた反政府勢力という名の複数の刺客グループと政府軍 の戦い、そして反政府勢力同士の反目と、三つ巴、四つ巴の争いが続けられてきたリベリアにも、それなりにいくぶんかの明るさが見えてきたこの頃である。

 ――しかし、ナイジェリアから電話を通してリベリアとの接触を続ける、すでに引退亡命したはずの元大統領もいたりして(彼の私兵たちはまだリベリアに存在している)、武装解除が進んで和平が定着するまでは、まだ予断が許されない。

 Nigeria warns exiled Taylor
 http://news.bbc.co.uk/1/hi/world/africa/3115992.stm

 ◆悪魔のささやき

 このようにリベリアについてのあれこれを書いてみたのは、ある魂胆があってのことだ。日本は、イラクへではなく、リベリアへ平和維持部隊を派遣したらどうだろうか、ということを言いたいためである。

 来月には、「大義なきイラク侵攻を指揮した大統領」として歴史に名をとどめるであろう米国のブッシュ大統領が、自軍が破壊してしまった相手の国を再建す るための費用見積書を持って、うるさいことを言わずにイラク侵攻を支持してくれた日本の戦友を訪ねると伝えられている。同時に、連帯の意志を再確認する意 味を込めて、日本の自衛隊のイラクへの早期派遣を迫っているとの報道もある。

 米国は早々とイラク侵攻の戦闘終結宣言をしてしまった。しかし現実には、いまだに兵士が日々殺され続けていて、イラク全土が厳然として戦争状態にあるこ とを、米国は誰よりもよく理解しているはずである。そしていまや、停戦交渉をすべき相手も消えてしまって為す術がない。ベトナムの泥沼におぼれさせられた リンドン・ジョンソンの二代目を継ごうとしているようにも見えるジョージ・ブッシュがいくら望んだとしても、そのような場所へ、おそらくは人を撃ったこと も撃たれたこともない戦争バージンの日本の自衛隊を送るわけにはいかない。例え、日本の法律上許容されたとしても。ましてや、1990年の湾岸戦争以来、 劣化ウランをばら撒き尽くした土地である。殺されずに帰れたとしても、後には別の苦しみが待っている。

 また、イラク復興には今後4年間でおよそ1000億ドルが必要、とする見積もりが流され始めている。単純に10兆円と換算しても、この数字に例えば日本 の国連分担金負担割合20パーセントを乗ずると、それは2兆円になる。しかも「派兵」に付き合わなければさらに上乗せされる可能性すらないではない。―― それから忘れてならないのは、日本政府と民間企業が、イラクに対して現時点ですでに1兆円以上の債権を持っていることである。この債権は放棄させられ、最 終的にはすべて日本政府の負担となる可能性が大きい。

 イラク侵攻に関しては、すでにノーリターンポイントを超えてしまっている日米関係である。となれば、少しでも日本国民の負担とリスクを減らす方向で現実的に対処するしか方法はない。

 とはいうものの、日本の新聞が書いているように、自衛隊の輸送機を使って他国との間の運送業務を手伝うとか、100人程度の工作部隊を「絶対安全な場 所」に送り込んで土建屋の真似事をさせ、「派兵」の要請に代えてお茶を濁すなどというちゃちな後ろ向きの動きは日本の国益にそぐわない。米国にとっても、 足元でじゃれる子犬ほどの役にも立ちはしない。

 この際、この災いを日米同盟関係を強化する絶好の機会として捉え、米国と国連を結びつけながら、日本の主体性を発揮する前向きの行動として、リベリアへの平和維持部隊の派遣を提案したい。

 『わが国はかけがえのない同盟国としての米国を支援するために、イラク復興支援特別措置法案を多大な困難とともに国会を通過させた。わが国の憲法からは これが精一杯のものである。そのためには、国会審議史上稀にみる居直り答弁までして、慎み深い日本のメディアにすらひやかされたほどだ。しかしながらイラ クの現状は日本の自衛隊にとってはまだまだ難しすぎる。歩き方を一歩間違えれば、あなたが頼りにしている私の政権は吹っ飛んでしまうだろう。そこで、ブッ シュ閣下と米国を尊敬している証として、貴国の権益にも大きく貢献できるリベリアの平和維持活動で汗を流すつもりだ』という変化球を投げ込むというのはど うだろう。

 現地ではすでに和平合意が成立し、国連安保理の平和維持部隊派遣決議も採択されている。日本の国内法的にもハードルは高くないはずだ。そして、このミッ ションは限りなく安全でかつ有用なものである。恒常的な平和を定着させて100万の難民を故郷に戻すことができるのであれば、困難な経済状況の中であえい でいる日本国民も納得してくれるのではないだろうか。

 折りしもこの29日からは、東京都内のホテルで第3回アフリカ開発会議(TICAD3、議長・森喜朗前首相)が開かれる。アフリカ各国の首脳が多数参加 する。アフリカの開発に対する全面的な支援を打ち出している日本の、口先だけではない真に役に立つ決断を期待したい。(『金鉱山からのたより』 2003/09/28)
                      (2003.9.28記)

 齊藤さんにメール mailto:bxz00155@nifty.com
 『金鉱山からのたより』バックナンバーは
 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000005790
2003年09月26日(金)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

「国連は分岐点に直面している」アナン国連事務総長のスピーチである。これだけなら10年間も国連改革の名目のもとで唱えられてきた言葉で新鮮味はない。 しかし、今年の国連総会でのアナン国連事務総長のスピーチは違った。原稿に目をやることもなく、あたかもフランスの協調主義にエールを送る如くフランス語 でスピーチを始め、英語に切り換えてからは先制攻撃と単独主義というブッシュドクトリンを真っ向から批判し、国連の役割や国連による集団的安全保障の重要 性を訴えた。

 果たして国連の58年の歴史の中で、これ程までにアメリカを批判し、世界平和への危機感を切実に訴えた国連事務総長のスピーチはあったであろうか。アナ ン国連事務総長の歴史に残る威厳のあるスピーチに世界が高揚する中、パウエル国務長官とライス大統領補佐官は、メモのやりとりとひそひそ話を繰り返してい た。これを見てアメリカ支配による国連の集団的安全保障の危機感を感ぜずにいられなかった。これは人種差別でなく尊敬の意味を込めてであるが、偶然にも国 連の代表もアメリカの外交と安全保障政策の代表も、共に黒人であることを再認識した。

 ブッシュ大統領は、アナン国連事務総長に影響されたのか原稿を読む仕草をみせずに無法国家や国際テロに戦うアメリカの正当性とアメリカが国連を支えてい るとの主旨を訴えた。イラク戦へのアメリカの本質的理由である中東再編に触れたものの、イラク戦の焦点となった大量破壊兵器の物的証拠の焦点をそらすべ き、人権や人身売買等の社会的問題に多くの時間を割いた。ブッシュ大統領のスピーチは、イラクの復興支援のための軍事・財政面のアメリカの負担を減らすた めであるというより米国内向け演説程度にしか感ぜられなかった。フランスやドイツのトップが謙虚にアナン氏のスピーチを傾聴する中、ブッシュ氏は席を外し ていた。ニューヨークにある国連は、アメリカにより支えられているというブッシュ氏の傲慢な態度は、国際協調主義を嫌う共和党の本音から来ているのであろ うか。

 フランスのシラク大統領は、多国間主義による国際秩序の構築を提唱すると同時に、イラク国民による敏速な復興支援や日本や独の国連常任理事国入りの支持 にも触れた。フランスの主張は、国連が追求する国際協調による集団的安全保障に近く、アメリカが提唱する集団的安全保障は、先制攻撃を含む軍事関与やアメ リカに追随する国へ開発援助を増加させるというアメリカを主軸とした形態である。同じ集団的安全保障でも世界のコンセンサスを得るか、アメリカが強制的に 世界を服従させるかと大きな開きがある。

 ブッシュ政権は混沌とするイラク復興支援にのしかかる毎週1200億円という巨額な支出と、増え続ける米軍の犠牲者による圧力に耐えることができず、国 際社会の応援を仰いだのである。アメリカがハムラビ法典にあるアラブの気質を見抜くことができなかったから当然の結果として国際テロという危険因子を高め ることになったのである。アメリカの近視眼的単独主義は、アフガンやイラクのみならず中東和平を遠ざけ、さらに国連を分裂させアメリカを異端児にしてし まったのである。ブッシュ政権はその失策を認めないものの単独主義の限界から国際協調路線に向かわざるを得なくなって来たのである。

 イラク戦の経緯をワシントンのシンクタンクであるブルッキングス研究所の内部から洞察し、イラク戦と大統領選の絡みを感ぜずにいられない。クリントン政 権のブレーンが主流の民主党系のブルッキングスは、1年前にブッシュドクトリンが発せられた翌日に、先制攻撃や単独主義が及ぼす悪影響を明確に指摘し、イ ラク戦に関しては、以下の分析を行っていた。

 第1に、ハーバード大学のハッチントン教授が警告するアメリカの覇権主義による文明の衝突の観点から、物質社会より精神面に重点を置くアラブの気質を見誤ることによる、アメリカへの報復とテロが激化し、世界が混沌とする。

 第2に、アメリカの単独主義に対抗する国際協調主義による勢力が一枚岩になり、アメリカの孤立化が進む。

 第3に、アメリカのスクラップ&ビルド戦略の限界。米軍の最新鋭の兵器でイラクのインフラがスクラップされても、その復興の過程において、破壊工作により復興がスムーズに進まない。

 第4に、アメリカの一方的な民主化の押しつけによるイラク国民の執拗な抵抗が予測される。新生イラク政策のもたつきによるシーア派、スンニ派、クルド人による内紛と、イスラム諸国の介入により内戦が複雑化する。

 振り返れば、これらのブルッキングス研究所で行なわれた議論は、多かれ少なかれ的中しているが、戦争開始の3ヶ月前には、戦争回避はほぼ不可能だとの予 測が出されていた。理由は、大統領と議会が戦争を容認していることであり、ブッシュ大統領は直感で行動し、信念を通すとの分析であった。至極当然の分析で あるが、あらゆる情報を分析して出されたこの結論は、極めて高度な予測であったと考えられる。

 イラク戦の開戦の数ヶ月前からブルッキングス研究所が戦争回避の議論からイラク戦と復興支援にシフトする中、戦争に進む空気に接し、フラストレーション がたまると同時に9・11のトラウマによるアメリカの異常さをひしししと感じた。当時は全く気がつかなかったが、冷静に考えると冷戦に勝利し軍事的に世界 の一極体制を確立し傲慢な外交政策を押し進めるアメリカを国際協調路線に転換させるシナリオとして、戦争で勝利してもアメリカの野望が達成されないという 教訓を示す必要があったと考えられないだろうか。さらにブッシュ政権がイラク問題でつまずくことで政権交代に拍車をかけるという戦略が存在してたのでなな いだろうか。

 このような憶測を国務省の友人に話したら、「3年前にブッシュがゴアを破った時点でこうなることを予測していた」との答えが返ってきた。アナン国連事務 総長の地球益のためのスピーチと、アメリカの国内問題の延長線上にあるブッシュ大統領のスピーチには、当然大きな隔たりがあった。両者のスピーチに対する 拍手の大きさの違いによって、恒久的平和を追求する国連の明るい未来と「平和への枢軸」による国際秩序構築の必要性を強く感じた。
2003年09月23日(火)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 世界を何年もかけて漫遊し、鳥取にたどりつき4年間生活した。今、ワシントンから鳥取の魅力を想いだしている。どの地で生活しても、思い出は常に美しいものだが、鳥取での生活には格別のものがあった。

 毎年、中秋の名月になれば、鳥取砂丘から日本海に臨む、月と砂漠と漁り火のあの幽玄の空間を思い出す。この鳥取しかない自然が織りなすマジックに誘って くれたのが、「ともしび」というこじんまりした飲み屋さんのママ、故田中すず子さんであった。ママのもてなしがなせる技か、そこにはいつも鳥取の情があ り、愉快な会話を求め多くの人々が集まる憩いの空間があった。ママは、人と人をつなぐ天才らしく、多くの素晴らしいユニークな人々と知り合うことができ た。鳥取の美味しい地酒と海の幸を肴に話に花が咲き、シンクタンクの研究員として多くの生きた情報を通じ、鳥取の活性化のための構想を考え学ぶことができ た。

 鳥取に赴任した者へのママの最高のもてなし考は、中秋の名月の鳥取砂丘にて地酒に酔い浸るというものであった。月と砂漠と漁り火。これぞ鳥取の醍醐味。 ともしびのママの発案で、和菓子屋の社長の小谷寛さんの乗りで生まれ、NHK情報ネットワークの加藤和郎さんのプロデュースで実現したのが、鳥取砂丘の漁 り火能。日本海の夜の幽玄の砂丘空間を演出した能は、鳥取の魅力である。恐らくこれこそ世界中の文化人が興味を持つ鳥取の空間であろう。

 ともしびで知り合った鳥取県国際交流センターの桝谷謙次郎さんが、ニューヨークへの視察旅行に合わせワシントンまで日帰りで来られた。キャピタルヒルや ホワイトハウスを見学しながら、鳥取に想いを馳せた。失礼な言い方かもしれないが、飲み友達と再会するほど楽しいことはない。

 これを機会にワシントンからロングショットで鳥取の魅力を再考してみた。鳥取の魅力は、素朴な田園風景と、木の香りがする武家屋敷風の建物と温泉と海の 幸。鳥取で生活した時もそう考えたし、鳥取を去りワシントンから展望しても想いは同じである。ニューヨークには高層ビルがあるが、ワシントンには高い建物 がないように、鳥取しかないアクセントを醸し出す必要がある。

 東京のお台場に江戸風の温泉ができ繁盛しているという。鳥取こそ木の香りがする露天風呂があれば、観光の名所にならないはずはない。そういえば、ともし びに行く前に決まってダイエーのスポーツクラブで汗を流した。スポーツクラブで汗をかき、露天風呂につかり、鳥取の地酒に酔いしれながら愉快な会話で、鳥 取の魅力をみんなで語る。こんな健康な空間が鳥取にあれば、病院通いも減り健康保険料も減少し、財政に貢献するのではないだろうか。ハワイでは健康のため に格安でゴルフができ、結果的に健康保険料を減少させているという。鳥取に全国の注目を集める大規模な、木の香りのする露天風呂と健康のためのスポーツク ラブがあれば、鳥取の魅力がさらに開花するのでないだろうか。
2003年09月20日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

「じっちゃん、髪を赤く染めてもいい?」
「いいよ。バンバンやれ!」

 昨年、千葉県市川市・南行徳中学のよさこいグループが本場、高知のよさこい踊りに参加した時、大谷能久先生は迷うことなく、子どもたちに髪を染めること を許した。大谷先生は教務主任だった。校内の生活指導の責任者である。じっちゃんは大谷先生の愛称である。

 翌日、子どもたちは髪を染め、派手なメイクをしてよさこい本番に臨んだ。結果はどうだったか。翌々日、みんな元の黒い髪に戻していた。

「先生、髪赤く染めてもぜんぜん目立たないよ。黒い方が目立つ」

 大谷先生はしてやったりという顔をしていた。

 よさこい踊りは50年前、高知市で生まれた夏踊りである。田んぼのスズメ追いの鳴子をカスタネットのように使うもともとテンポのよい踊りだった。鳴子を 使って、よさこい音頭の一部を音楽に取り入れれば、あとは編曲自由、振り付け自由という自由な発想の田舎踊りがいつの間にか進化した。

 よさこいの第一印象で誰もが語るのは「ゾクゾクした」という表現である。10年ほど前に北海道大学の学生が札幌によさこいを持ち込み、「YOSAKOI ソーラン」を始めたことから全国に広がり、今では200カ所近くでよさこいが踊られている。どこでも「元気」が生まれると言っている。子どもたちより実は 大人たちがまず踊りたくなる踊りなのである。

 高知では8月10日から炎天下の2日間、踊り子隊(連)は地方車(じかたしゃ)という音響・照明装置を積み込んだ大型トラックを先頭に、市内十数カ所の演舞場で踊りまくる。狂うという表現の方がぴったりかもしれない。

 音楽は、時代を映すようにサンバ調がはやったり、ロック調になったりした。90年代はラップも取り入れられ、21世紀になると日本調への回帰が始まっ た。それぞれの連がそれぞれの音楽、衣装、振り付けを持つだけではない。ほとんどの連が毎年、新しい音楽、新しい衣装、そして新しい振り付けを産み出すと ころに踊りの広がりと面白みがある。

 南行徳中学では4年前からよさこいを練習している。生徒会長が「ぜひ踊りたい」と言い出した。校長も「いいよ」と言った。クラブ活動ではない。クラブ活動に迷惑をかけないということを約束させた。子どもたちは主に昼休みに体操着で練習した。

 よさこいを学校でやることは、極端な話、学校にディスコを持ち込むに等しい。本場、高知の教育関係者は「よさこいは非行の始まり」といって学校単位でのよさこい踊りの参加は認めてこなかった。

 大谷先生たちの立場は違った。「よさこいで学校を建て直した」といういくつかの例がすでに新聞記事になっていた。稚内南中学の「YOSAKOIソーラ ン」を取り入れた地域ぐるみの取り組みは映画にもなった。生徒会長らは横浜市の老松中学のよさこいをみて自分たちもやりたいと言い出したのである。

 南行徳中学もまた4年前まで、授業がほとんどできない状態だった。一部の子どもたちは勝手気ままに教室を出入りし授業を妨害した。そんな子どもたちの暴走を先生も仲間の子どもたちも止められなかった。

 大谷先生によると、生徒会がよさこいを始めると校内の空気が変わった。子どもたちのエネルギーが蘇ったとも言った。非行少年たちは遠巻きに生徒会の練習 を見ていた。今でも踊りは見に来るから、本音では参加したかったのかもしれない。不思議なことなのだが、よさこい踊りの存在感が高まると、非行少年たちの 存在感が急速に薄れて行った。

 大谷先生は、東京下町生まれの自身も学生時代、祭好きで通したこともあって祭りがもたらす効用をある程度知っていた。

「子どもたちにも非日常の空間が必要なのです」
「大人たちはそんな世界をつくってあげる必要があるのです」

 行徳は市川市の中でも比較的新しく発展した地域で町に祭がなかった。

 子どもたちのよさこいはさっそく秋の文化祭で実った。12月の親子三代祭にも生徒会チームがよさこいを披露した。市教育委員会もPTAも子どもたちのよさこいに目を見張った。

「笑顔が蘇った」「仲間意識が育まれた」

 そのころまでに、南行徳中学の生徒会の子どもたちのつくった人の輪が校内に広がり、さらに地域に広がっていたのである。現在、行徳には小学校、中学、高 校、それから婦人会、青年団と7つのよさこいチームが生まれ、祭りに参加している。地域の大人たちが子どもたちを意識するようになると、子どもたちに自覚 が生まれる。疎外という言葉が空文化する。そんな好循環が祭りのもたらす効用なのだ。

 南行徳中学のよさこいチームの衣装はもちろん手作りだ。法被は黒を基調に黄色の袖口。袖は黒とオレンジの市松模様。襟の半分は縮緬(ちりめん)で、半分はロイヤルパープル。

 一週間かけて学校の家庭科室のミシンで縫った。家でミシンなど動かしたこともない子どもたちにとって生きた家庭科の授業にもなった。まだ自前の音楽は持っていないが、いずれそんな才能を持った子どもが現れるだろう。

 実は、昨年からマレーシアでもよさこいが踊られるようになっている。マレーシア日本語協会というNPOが日本語学習の余技としてよさこい踊りを取り入 れ、それが日本語を授業に取り入れている二つの中学校にすでに伝播しているのである。集まって騒ぐ祭りがないイスラム教の国でよさこい普及の兆しがあると いうことも興味ある事実である。

 8月末、東京原宿で行われた「スーパーよさこい」で、デザイナーのコシノ・ジュンコさんが全国から集まった踊り子の衣装について「われわれデザイナーに とっても大いに刺激になった」と語った。法被という古来の祭りの衣装が蘇っただけでない。そのデザイン、色彩に進化がみられたからだと思う。

 最近、よさこいは単に元気をもたらすだけではないかもしれないと考え始めている。既製品が氾濫するこの世相に自前の音をつくったり、独自の衣装を考えたりする創造の領域もまた評価される時が来るのではないかと思っている。
2003年09月12日(金)萬晩報主宰 伴 武澄
 昨夜は9・11から2年の夜。東洋では十五夜をまつる夜でもあった。イタリア在住の飯田亮介さんが独学で翻訳したイタリア人ジャーナリストのティツィアーノ・テルツァーニ著『反戦の手紙』を一気に読んだ。

 テルツァーニ氏はドイツのシュピーゲルなどの特派員として30年あまりアジアに在住し、ベトナム戦争からカンボジア紛争、ソ連崩壊など主要な戦争や事件 を報道した著名なジャーナリストである。60を過ぎてからヒマラヤを望む地に居を構えて自然と対峙する生活に入っていたが、9・11以降、再び「山を下 り」、戦乱のアフガニスタンに入った。

 『反戦の手紙』は8通の異なる場所から書かれた手紙で成り立っている。最初の3通は9・11直後にイタリアで書かれ、後の5通はアメリカによるアフガニスタン空爆後に訪れたパキスタン、アフガニスタン、インドで記された。

 9・11後に国際社会が一斉にアメリカの報復を支持したことに強い危機感を覚え、「暴力は暴力を生むことしか出来ない」という信念の下にテロリストをテロに走らせた遠因を独自の現地取材の中から導き出していた。

 飯田さんの翻訳の中からいくつか印象的な部分を紹介したい。

「ヨーロッパのジャーナリストたちも今や、ニューヨークの自分のデスクのコンピューターにべったりと張り付いて動かなくなってしまった。そこで彼らが読み、目にすることは、彼らの口から語らせるためにアメリカ政府が選んだ情報だけだ」

 ことの善悪は別として、われわれ日本のジャーナリストの日常もまた似たり寄ったりである。情報の渦の中で情報を取捨選択するのが、本来われわれに課せら れた仕事であるのだが、記者クラブという政府や企業の一方的な発表の場からの発信が多すぎる。また、そうした場では政府や企業から洪水のような発表が行わ れている。確かにニュースの取捨選択はしているのだが、たとえて言えば「観音様の手の平の上で暴れていた孫悟空」のような存在でしかないのである。

テルツァーニの至言は、はアフガン駐在のアメリカ人記者に「今や私たちは『プラウダ』になってしまった」「敵は悪魔以外の何者でもなく、抹殺すべき、許し難い怪物として描写されなくてはならない」と語らせていることである。

 「4ページにわたる彼女の返事を読んでとても悲しくなった。私はまたも勘違いをしていたのだ。9・11は素晴らしい機会などではなかった。それは私たち 一人ひとりの中に眠っていた獣を叩き起こし、けしかける機会だったのだ。オリアーナの返事の要点は、彼女は敵の道理を否定するのみならず、さらにはその人 間性までも否定するということだった」そのような考え方こそがあらゆる戦争を非人道的にする根本な理由だというのに」

 オリアーナというのはニューヨーク在住の著名なイタリア女性ジャーナリスト、オリアーナ・ファッラチである。彼女はテルツァーニの古くからの友人であ り、新聞紙面で彼女との対話を試みている。ニューヨークのデスクから大上段に世界を語るその彼女に対して「相手を非難する表現方法としてある恨み、敵意、 怒りなど数ある情念の中で最も下等なもの、暴力的な情念を選んでしまった」と批判しているのだ。

 またカンダハール郊外におかれたアメリカ軍基地が「キャンプ・ジャスティス」と呼ばれ、ジャスティス(正義)が「復讐」であることを明らかにするため、 基地に掲げられた星条旗にはツイン・タワーの犠牲者の遺族たちのサインがあったことを明らかにしている。

戦争報道に関しては「この戦争は何百人ものジャーナリストによって追われ、過去のどの戦争よりも確実に多くのページが割かれ、関連テレビ番組の放送時間も 過去最長になっている。にもかかわらず、アメリカは断固としてそれを目にみえない戦争とすることに成功している」とアメリカのみごとまでに巧妙な報道管制 に言及した。

アメリカの空爆については「あるタリバーンは仲間と一緒にアメリカ人をやっつけにいったが、敵は影も形もなかった。聞こえるのは高い空を飛ぶ飛行機の轟 音、目に入るのはその爆弾がもたらす惨禍だけだった。人間が文字通り粉々に・・・」「歴史上の数ある戦争の中で、双方の犠牲者の均衡がこれほど取れていな い戦いもなかったに違いない。厖大な数の敵を殺しておきながら、米軍の犠牲者はほとんどゼロに等しいのだから」とその非合理な姿を描き出している。

戦場の医療現場では「カブールにある国際赤十字連盟の整形外科センターではイタリア人医師が中心になって働いているが、このセンターで両手両足があるのは 彼だけである。患者だけでなく職員、医師、技術者を含めた人々の全員、身体のどこかを欠いている」とその驚きを記している。

 書き出すと切りがない。いずれ、この翻訳はどこかの出版社によって日本でもベストセラーになるのだと思う。

 最後の章である「ヒマラヤからの手紙」にはさらに考えさせられる対話が載せられている。

 19世紀の終わり、インドの著名な哲学者ヴィヴェカナンダがアメリカの講演会であるご婦人と交わした会話だ。

「全人類がたった一つの宗教を信じていたら、素敵じゃありません」
「いいえ、もしも人間の数と同じだけ宗教があったならば、もっと素敵でしょう」

 『反戦の手紙』の一部は下記で読めます。
 http://web.tiscali.it/no-redirect-tiscali/ryosukal/

 
【追記】10月16日
 飯田さんの翻訳による『反戦の手紙』の出版が決まりました。
 2004年1月ごろ、WAVE出版(東京)から上梓される予定です。
 お楽しみに!!!

2003年09月08日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 8日、自民党総裁選が公示され、4候補が出そろった。午後に4候補による合同記者会見があった。国民の支持率を背景に強気の小泉純一郎首相に対抗して立 候補するからには相当の迫力をもって戦いに挑まなければならないというのに藤井孝男、亀井静香、高村正彦の3氏にはほとんど政権を奪いに行くという気迫が 感じられなかった。役人の会見を見ているようでまったく面白くない。

 一つだけ、亀井氏が「高速道路の夜間通行を無料化する」と注目すべき発言をしただけで、目新しい政策提言はなかった。

 3年前の小泉純一郎の登場はワイドショーのお株を奪うがごときメリハリがあった。政治が井戸端会議や床屋談義の話題となり、国民をわくわくさせた。事 実、ほとんどのワイドショーが政治番組化した。株価が多少下がろうが、失業率が高まろうが、大方の国民にとっては改革への期待の方が大きかった。これが小 泉効果と呼ばれたものである。

 そんな小泉首相だったが、3年では構造改革はできなかった。鉄のトライアングルといわれた政官財の癒着構造がたった3年で壊れると誰も思っていなかったが、やがて党内からも批判の声が出てきた。

 亀井氏が三日、発表した総裁選公約を少し吟味してみよう。

 1.3年以内にGDPの名目成長率を2―3%の安定成長軌道に乗せる。緊縮財政をやめ、本年度に10兆円の財政出動する。
 2.ペイオフ解禁、時価会計・減損会計は当面延期する。
 3.都道府県警ごとの管轄を改め、治安対策を徹底強化する。
 4.基礎年金を増額し、財源に消費税を充当する。
 5.道州制を導入する。
 6.早期に教育基本法を改正し、中高一貫制教育に移行する。
 7.2年以内に憲法改正試案を作成、3年以内に国民投票をする。

 1の積極財政による景気対策以外にはみるべき対立点はない。逆に構造改革への言及は一切ない。これでは困窮している地方の党員も時代遅れを感じざるをえない。

 日本という国が景気対策をしたくともできないほど借金まみれになっているという実情は地方の人々の方がよっぽどわかっているはずだ。現実に巨額の公共投 資を実施したことになっている小渕、森政権時代に、地方自治体による単独公共事業は半減しているのだ。

 大規模な借金が金利上昇のマグマとなり、何かのきっかけでハイパーインフレが起きるという危機感も高まっている。インフレは通貨暴落の引き金となり、円の価値が10分の1、100分の1になったら、それこそ景気どころに話ではなくなる。

 高村氏は「景気が悪い時の財政出動は財政学の初歩だ」などとノー天気なことをいっているが、経済政策にはどんなときにでも「副作用」を伴うもので、限度を超えた借金財政が国を滅ぼすということは自明の理である。

 亀井氏を含めて、3氏とも景気対策の必要性を強調しているが、どうみても土建国家復活による利権回復を狙っているとしかみえない。亀井氏などは顔にちゃんとそう書いてある。

 本来、小泉政治への対抗軸としては「改革が遅い」「改革が手ぬるい」といった手合いが登場しなければうそだ。若手グループが外交政策で小泉氏の対米追随を批判すれば面白いはずなのに、誰も出馬する勇気すらない。

 郵政と道路公団民営化の論議について「橋本派つぶしでしかない」という議論がある。「でしかない」のではない。まさに財政投融資という透明性の低い財政制度こそが、残された政官の利権の争奪の場なのである。

 ここを民営化し、合理化することによって、初めて日本の財政が健全化し、さらには官僚による利権支配が終焉するのだ。

 橋本派の野中広務氏が怒っているのは小泉首相がまさにその本丸の改革に着手したからなのだ。

 今回の総裁選で橋本派は青木幹雄氏の反対によって独自候補の擁立に失敗した。橋本派崩壊の前兆である。田中角栄以降、時の宰相を影からコントロールしてきた自民党最強の派閥が崩壊するということは、自民党の終焉を意味する。

 今回の総裁選を迫力のないものにさせているものは、まさにこの一点にある。だれもが「小泉は気に食わんが、党を二分する戦いをすれば自民党が終わってしまう」という危機感を胸に抱いているからにほかならない。

 小泉純一郎はほんとうに自民党を壊してしまうのかもしれない。
2003年09月07日(日)萬晩報通信員 園田 義明

 ■はかない夏の夜の夢

 世界的な論調として、ベクテル・グループやチェイニー副大統領が会長を務めたハリバートンのイラク利権に関わる記事が溢れているが、2社が手にする利益 は氷山の一角に過ぎず、マンダレー・ロッジのメンバーやマンダレー・ロッジ以外のユニット・キャンプのメンバーの経歴に記された企業名との関わりを調べて いけば興味深いことがわかる。そして、企業にばらまかれた金が2004年大統領選の票となってリサイクルさせる狙いがあるようだが、はかない夏の夜の夢と なる可能性も秘めている。

 ニコラス・F・ブレイディ元財務長官とピーター・M・フラニガン元大統領補佐官の関係するディロン・リードは、名門投資銀行として、かつてはダグラス・ ディロン会長もアイゼンハワー政権(民主党)で国務長官、ケネディー?ジョンソン政権(民主党)で財務長官を務めるなど多くの政府高官を輩出した。しか し、1980年代に入って、トラベラーズに買収され、1981年にはベクテル・グループの投資子会社セクオイア・ベンチャーズ傘下となり、1991年には ベアリングの資本参加を受け入れる。1997年6月にはスイス銀行の投資部門であるSBCウォーバーグに買収され、社名をSBCウォーバーグ・ディロン・ リードに変更するが、同年12月には親会社であるスイス銀行がスイス・ユニオ銀行(UBS)と対等合併し、ユナイテッド・バンク・オブ・スイス(新 UBS)となり、UBSの投資子会社としてウォーバーグ・ディロン・リードに再び社名変更される。

 つまり、かつての名門投資銀行ディロン・リードは、度重なる買収の標的にされ、社名変更を繰り返しながら、現在は異国のスイス最大の銀行UBSの傘下にある。

 また、日本でも知人の多いマイケル・H・アーマコスト元駐日米国大使は穀物メジャーであるカーギル(ミネソタ州ミネアポリス)の取締役である。ベクテ ル・グループと同様にカーギルも非公開企業のため詳しい業績は入手できないが、フォーブス誌の非公開企業売上高ランキングでは20年近く首位の座を守って いる。そして2001年のカーギルの売上高は508億ドルであり、ベクテル・グループとの差は歴然としているのである。

 カール・E・ライチャート現フォード副会長は、1982年からサンフランシスコを本拠地とする全米第10位の名門銀行持ち株会社ウェルズ・ファーゴの若 き元会長兼CEOであったが、このウェルズ・ファーゴも1998年には、11位のノーウェスト(ミネソタ州ミネアポリス)と合併し、新生ウェルズ・ファー ゴとなる。合併後も本拠地はサンフランシスコに置くものの、業績の伸び悩みが顕著化したウェルズ・ファーゴを好業績のノーウェストが買収したもので、取締 役会もノーウェスト主導で再編されることになる。

 現在のウェルズ・ファーゴの取締役会では、コバセビッチ会長兼最CEOがカーギルの社外取締役であり、世界食品卸業売上高ランキング第1位のスーパーバ リュー(ミネソタ州ミネアポリス)のマイケル・ライト会長兼CEOが、ウェルズ・ファーゴとカーギルの社外取締役になっており、2件の取締役兼任で両社は 結合しているのである。

 成長神話に陰りの見えてきたマクドナルドがイラク進出に向けて本格的に動き始めている。イラクにひときわ目立つ黄色い『M』の文字が建ち並ぶ日は遠くな いのかもしれない。しかし主導するのはミネアポリス連合であり、本来のボヘミアン・グローブの夢が伝わるかどうかは疑わしい。

 ■情報伝達ネットワークとしてのクラブ

 スタンフォード大学国際問題研究所の評議員を永年勤めている日本人がいる。小林陽太郎富士ゼロックス会長(前経済同友会代表幹事)である。小林富士ゼ ロックス会長は、NTT、ソニーの社外取締役を務め、国外ではジョージ・シュルツ・ベクテル・グループ取締役が会長を務めるJPモルガン・チェース国際委 員会のメンバーであり、トライラテラル・コミッション(三極委員会)のアジア太平洋委員会委員長である。

 イラク開戦前後の小林経済同友会代表幹事の発言には、「割り切れない感触」「どうもスッキリしない」「残念の一語に尽きる」など、個人的な無念さが読みとれる。この言葉は、米国財界の声をも代弁しているのかもしれない。

 しかし、彼らの属するサークルでは21世紀の「アメリカ株式会社復活プラン」の緻密なシナリオが描かれているようだ。紳士的な風貌の裏には、この計画の実現のためには手段を選ばない残忍さがつきまとう。

 1993年1月20日付け日経産業新聞の『変革担う「クリントン政権」-富士ゼロックス会長小林陽太郎氏』で貴重なコメントを残しているので紹介したい。

『社内の調査部のリポートや米国の新聞、雑誌に広く目を通しているが、様々な人を通じての情報が大部分を占めている。私は大学関係ではペンシルベニア大の ウォートンスクールやスタンフォード大国際問題研究所、ハーバード大アジア関係問題研究所などの評議員を務めている。これらの評議員会にはシュルツ元国務 長官、ボルカー前FRB(連邦準備理事会)議長、ハーバード大のボーゲル教授といった人々が名を連ねていて、会合に参加した際に様々な情報が入ってくる。

 ビジネス関係でも年7回のゼロックス取締役会のほか、JPモルガン(注・当時)の国際諮問委員会に出席している。これらの会議でも出席者からいろいろな 話が聞ける。昨年12月、クリントン政権の政権移行委員会のバーノン・ジョーダン委員長(注=拙稿ビッグ・リンカー参照)にお会いして、話を聞くことがで きたが、彼はゼロックスの社外重役(注=社外取締役)でもある。

 大学の評議員会や取締役会はリゾートホテルなどに泊まり込んで開くことも多く、長く続けていれば個人的な関係も生まれてくる。雑誌や新聞などを読んでいて、疑問や気になった点を直接電話で聞いてみるといったこともできるようになる。』

 つまり、大学の評議委員会や大企業や主要金融機関の取締役会、企業や政府の諮問委員会、有力経済団体、そして紳士やエリートが集うボヘミアン・グローブ に代表されるクラブが情報伝達ネットワークのコアとして機能しているのである。また、個人的な関係を象徴する一例として讀賣新聞が報じた内容を紹介した い。シュルツ・ベクテル・グループ取締役のサンフランシスコの自宅には小林夫妻専用の客室があるとのことだ。

 ■イラクに巣を張るスパイダーマン

 世界的な規模で多数の企業や機関と金融業務を行う少数のマネーセンター・バンクは情報やコネクションの一大集積場所となっており、情報伝達ネットワークの中心的地位を占めてきた。

 ボヘミアン・グローブが位置するカリフォルニア・太平洋、そしてメロン・ペンシルバニア、シカゴ・クリーブランド・中西部に代表される地域銀行によって 結びつく地域企業グループも、抵抗と協調を繰り返しながら、地域色を残しつつ、ニューヨークを中心とするマネーセンター・バンクに統合されてきた歴史があ る。

 8月29日、イラクを占領統治する米英の暫定占領当局(CPA)は、7月に新設したイラク貿易銀行の運営に対してJPモルガン・チェースを中心とする 13行からなる国際銀行団に委託することを発表した。イラク貿易銀行は戦後のイラク復興を支える基盤組織の一つと位置づけられており、資本金は最大1億ド ル(約120億円)を予定し、500万ドルはCPAが拠出、残りの9500万ドルについては、石油輸出収入を裏付けとした国連の復興基金で手当てされる予 定である。参加する銀行団は、石油関連施設や発電、水道などのインフラの復旧に必要な物資をイラクへ輸出する企業の斡旋を行うことが出来る。

 JPモルガン・チェース以外の12行は、オーストラリア・ニュージーランド銀行・グループ(豪)、スタンダード・チャータード(英)、クウェイト国営銀 行、ミレニアム銀行(ポーランド)、東京三菱銀行(日)、サンパウロ銀行(イタリア)、ロイヤル・バンク・オブ・カナダ、クレディ・リヨネ(仏)、アクバ ンク(トルコ)、バルセロナ貯蓄年金銀行(スペイン)、スタンダード・バンク・グループ(南アフリカ)、ポルトガル商業銀行となっており、ドイツ勢が姿を 消した。

 最終選考に残ったのは、JPモルガン・チェース以外にバンク・オブ・アメリカ(米)、バンク・ワン(米)、シティグループ(米、ドイツ銀行、三井住友 フィナンシャルグループ参加)、ワコビア(米)、HSBCホールディングス(英)の各行が率いる企業連合であったが、サダム一族のメインバンクであったラ フィダイン銀行と結びついていた2行のうち、HSBC・ホールディングスが敗れ、JPモルガン・チェースと組んだフランスのクレディ・リヨネがしっかり 残っている点は興味深い。

 このあたりの裏事情はジョージ・P・シュルツ、デビッド・ロックフェラー、ヘンリー・A・キッシンジャー、ライリー・P・ベクテル、小林陽太郎等のJPモルガン・チェース・サークルのメンバーのみが知る。

 そして、名門ケネディ家に繋がるアーノルド・シュワルツェネッガーが二人の経済顧問に囲まれた映像が映し出される。ひとりが民主党員のウォーレン・バフェット、そしてもうひとりがジョージ・P・シュルツである。

 「ロックフェラー・リパブリカン」と呼ばれる伝統を受け継ぐ人々が送り込んだターミネーターの挑む相手は、共和党乗っ取りを企てる異端児ネオコンとキリスト教右派に支えられた南部・西部連合である。

 すでに妊娠中絶や同性愛者の権利を巡って、ルイス・シェルドン率いる宗教保守勢力「伝統的価値連合」とターミネーター連合の壮絶な戦いが始まっている。

 目的のためとはいえ、異端児をも引き入れてしまった伝統派の責任は重い。共和党の分裂に繋がる可能性もある。

 今年のボヘミアン・グローブにはカール・ローブ大統領上級顧問の姿もあったようだ。ローブのブッシュ再選戦略にも修正が迫られているのかもしれない。(おわり)
2003年09月07日(日)萬晩報通信員 園田 義明

『1941年(昭和16年)7月のキャンプでは、日本に対する経済封鎖の強化と、日本と戦っている重慶政府(中華民国)への"軍事支援"が語られ、一方、広島・長崎への原爆投下の"因"となった「マンハッタン計画」が議論されている。』
   
(「日本の錯覚 アメリカの誤解」 高橋正武著 P109より)

 このボヘミアン・グローブとマンハッタン・プロジェクトの関係は、クラブ・メンバーにとって誇りともなっており、しばしばメンバー自身の口から語られるようだ。しかし、その真相は明らかにされていない。

 マンハッタン・プロジェクトが発足したのが1942年8月、そしてその一ヶ月後の1942年9月13日と14日にボヘミアン・グローブのクラブハウスで マンハッタン・プロジェクトのミーティングが行われたことは、ボヘミアン・クラブ・ライブラリー・ノーツに記されている。出席者は下記のとおりである。


☆アーネスト・O・ローレンス ※
カリフォルニア大学バークレー校ラディエーション・ラボラトリー所長

☆ドナルド・クックシー 
カリフォルニア大学バークレー校ラディエーション・ラボラトリー

☆ロバート・J・ソーントン 
カリフォルニア大学バークレー校ラディエーション・ラボラトリー

☆J・ロバート・オッペンハイマー ※
カリフォルニア大学バークレー校物理学部

☆ジェームス・B・コナント ※
ハーバード大学学長 

☆ライマン・ブリッグス ※
商務省標準局(NBS)局長 

☆イーガー・V・マーフリー ※
化学者、スタンダード・オイル取締役 

☆アーサー・H・コンプトン ※
シカゴ大学物理学部学部長 ゼネラル・エレクトリック・コンサルタント

☆ケネス・D・ニコルス陸軍中佐 ※

☆トーマス・クレンショー陸軍少佐

(※ マンハッタン・プロジェクトの主要メンバー)

(Bohemian Club Library notes #7 1960より)


 このメンバーの中でボヘミアン・クラブを積極的に活用したスパイダーマンはアーネスト・O・ローレンスである。ローレンスはミネソタ大学とシカゴ大学な どに学び、1936年からカリフォルニア大学のバークレー校のラディエーション・ラボラトリーの所長を務め、電子核研究のための装置としてサイクロトロン の理論を提出、そして1932年にその装置を完成した。1939年にはノーベル物理学賞を受賞する。

 第二次世界大戦が始まると、ローレンスは原子爆弾の研究に従事し、大型電磁石を用いてウラン?238から原子爆弾に用いるウラン?235を分離して原子爆弾の製造に貢献した。

 ボヘミアン・グローブの名簿で興味深い点は、マンハッタン・プロジェクトの科学者組織では最高の権威を持っていた4名から成る政府の科学者顧問委員会のエンリコ・フェルミを除く3名(ローレンス、オッペンハイマー、コンプトン)が顔を揃えている点であろう。

 また戦後も米国の核開発を支えたローレンス・リヴァモア研究所の共同創設者ローレンス(もうひとりの創設者はエドワード・テラー)とロス・アラモス研究所の初代所長J・ロバート・オッペンハイマー(原爆の父)のふたりの組み合わせも注目される。

 ヴァネヴァー・ブッシュ国防調査委員会(NRDC)委員長、ヘンリー・ウォレス副大統領、ヘンリー・スティムソン戦争省長官等で構成された最高政策グ ループ(トップ・ポリシー・グループ)のメンバーであったジェームス・B・コナントが出席している点からもこのミーティングの重要性が理解できる。

 陸軍からはケネス・D・ニコルス陸軍中佐の名が記されているが、ニコルスは、レスリー・R・グローブスの側近中の側近であり、後に原子力エネルギー委員会(AEC)のゼネラル・マネージャーに抜擢された人物である。

 産業界からはスタンダード・オイル・ニュージャージー(その後エクソン?エクソン・モービル)の社長であったイーガー・V・マーフリーが参加している が、マーフリーは遠心分離装置の発展とエンジニアリング問題を担当しておりローレンスと緊密に連絡を取り合っていたようだ。

 1927年にコンプトン効果でノーベル物理学賞を受賞したアーサー・H・コンプトンはゼネラル・エレクトリック(GE)のコンサルタントを勤めていたが、ローレンスもGEのコンサルタントやモンサントの取締役を務め、ヴァネヴァー・ブッシュもGE出身である。

 核ビジネスの可能性にかける男達の想いは、この時すでにライマン・ブリッグス商務省標準局(NBS)局長が加わっている点からも推しはかることができる。

 当時の財界奥の院(インナー・サークル)の中心人物"エレクトリック・チャーリー"ことチャールズ・E・ウィルソンGE社長は、1942年9月にワシン トンに呼び出され戦時生産局(WPB)の副長官に起用される。従って、この時のボヘミアン・グローブでのミーティングの影の主催者はGEである。

 このGEと関係の深い研究機関としてSRI・インターナショナルがある。SRI・インターナショナルは1946年にスタンフォード大学付属の研究所スタ ンフォード・リサーチ・インスチテュート(SRI)として発足し、1970年に大学から分離独立した。カリフォルニア州メンロパーク市に拠点を構えてお り、スタンフォード大学と共に現在でもボヘミアン・クラブとの関係は密接である(マイケル・H・アーマコスト、ジョージ・P・シュルツ、ライリー・P・ベ クテル、小林陽太郎経歴参照)。

 このSRI・インターナショナルの現在の会長サミュエル・H・アーマコストはマイケル・H・アーマコスト元駐日米国大使の実弟である。サミュエルも石油 メジャーであるシェブロン・テキサコ、メリル・リンチ、デルモンテの取締役を兼任し、東芝の諮問委員会のメンバーを務めている。また有力経済団体ビジネ ス・カウンシルとビジネス・ラウンドテーブルのメンバーであり、ボヘミアン・クラブとパシフィック・ユニオン・クラブの会員となっている。

 GEは1905年に東京電気に電球製造のライセンスを付与し、1910年には芝浦製作所の株式を取得する。1938年に東京電気と芝浦製作所が合併し東 京芝浦電気(現東芝)が誕生するが、1989年まで出資関係を継続した。GEと東芝の提携関係は原子力発電分野に代表され、ウェスチング・ハウス=三菱連 合とともに日本のエネルギー政策を支え続けてきた。従ってアーマコスト兄弟とボヘミアン・クラブの影響力は米国内にとどまらず日本の根幹まで及んでいるこ とがわかる。

 ボヘミアン・クラブの核ビジネスのおける伝統は、マンダレー・ロッジに集うベクテル・グループ(原子力プラント)、フリーポート・マクモラン・カッ パー・ゴールド(ウラン採掘)、米国ウラン濃縮会社(USEC)、パシフィック・ガス・アンド・エレクトリック(PG&E、原子力発電)の幹部達によって 現在に引き継がれている。

 ボヘミアン・グローブにそびえ立つレッドウッドの木々達は、遙か彼方にいる原爆をも抱きしめてしまった我々を複雑な想いでみつめていることだろう。


□引用・参考

日経産業新聞・讀賣新聞・日経新聞・共同通信・時事通信・ロイター・
毎日新聞・産経新聞・朝日新聞他


自動車合従連衡の世界 佐藤正明(著)
http://shopping.yahoo.co.jp/shop?d=jb&id=30735265

ベクテルの秘密ファイル-CIA・原子力・ホワイトハウス 広瀬隆(訳)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4478310483
/ref=sr_aps_d_1_1/qid=1062317622/250-9008539-2807433

ロビイング-アメリカ式交渉術 高橋正武 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4390112007
/qid=1062317759/sr=1-3/ref=sr_1_0_3/250-9008539-2807433

日本の錯覚アメリカの誤解 高橋 正武 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4062033968
/qid=1062317759/sr=1-4/ref=sr_1_0_4/250-9008539-2807433

経済同友会 記者会見発言要旨(未定稿)
2003年3月18日(火)13:30?
http://www.doyukai.or.jp/database/pressconf/030318p.htm

経済同友会 米国等のイラク攻撃開始について
2003年3月20日
http://www.doyukai.or.jp/database/comment/030320c.htm

A Relative Advantage:
Sociology of the San Francisco Bohemian Club
http://libweb.sonoma.edu/regional/faculty/phillips/bohemian.pdf

It's a Bechtel World
Think that a $680 million Iraq contract is a big deal? You don't know Bechtel.
http://www.sfweekly.com/issues/2003-06-18/feature.html/print.html
http://www.uslaboragainstwar.org/print.php?news_id=1032

Act Now
The danger is immediate. Saddam Hussein must be removed.
By George P. Shultz
Friday, September 6, 2002; Page A25
http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/articles/A43713-2002Sep5.html

Bechtel Corporation
http://www.bechtel.com/
BOARD OF DIRECTORS, BECHTEL GROUP, INC.
http://www.bechtel.com/officers.html
The 2003 Bechtel Report
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Fremont Group- Board of Directors
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J.P. Morgan Chase & Co
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JPMorgan Chase Annual Report 2002 Intermational Council
http://ar.jpmorganchase.com/ar2002/corporate/jpmorgan.html

HOOVER INSTITUTION
George P. Shultz
http://www-hoover.stanford.edu/bios/shultz.html

The Trilateral Commission
http://www.trilateral.org/
Trilateral Commission Membership
http://www.trilateral.org/memb.htm
Yotaro Kobayashi
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McDonald's Is Swamped by Offers to Open in Iraq
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International financial consortium to run Iraqi trade bank
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JP Morgan Chase chosen to operate banks in Iraq
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HSBC in line for Iraqi finance contract
By Simon English in New York(Filed: 20/08/2003)
http://www.money.telegraph.co.uk/money/main.jhtml?xml=/money/2003/08/20/
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2003年09月04日(木)萬晩報コナクリ通信員 齊藤 清

 米国によりテロ支援国家とされていたリビアが、このところ妙に枯れた動きを見せています。昔日のアラブの青年将校の過敏な猛々しさから脱皮して、アフリ カの盟主を任ずる老練なカダフィ大佐への変身。世界地図はいま、色が塗り替えられようとしているようにも思えます。その立役者カダフィ大佐の足跡を、急ぎ 足で洗いなおしてみました。

 ◆サッカーへの夢

 カダフィ大佐自身はもちろんなのですが、その息子のサーディ・カダフィ(30才)もサッカー好きで、2002年には、日韓共催のワールドカップ観戦のた めに、銃を携えた護衛を連れて韓国、日本を訪れています。――もっとも、銃は経由地で没収されてしまったらしいのですが...。彼本人もリビアを代表する 優秀な選手とされていて、かねてからプロとして海外で活躍することを夢見ていたようです。

 カダフィ一族の経営する会社が、昨年イタリアのサッカーチーム・ユベントスに資本参加(およそ30億円)し、第2位の株主となったとするニュースが伝わっていました。

 そしてつい最近には、同じイタリアのサッカーチーム・ペルージャが、カダフィ大佐の息子を選手として獲得したと伝えられました。クラブ経営者の経営戦 略・政治戦略の一環であるのかもしれないのですが、話題になることは確かです。7月からチームでの練習を始め、練習試合ですでに2ゴールを決めたなどとい う報道も。蛇足ながら、このチームはアフリカでも有名人の中田英寿が活躍したチーム。

 これはサッカークラブの話題づくりとしてばかりではなく、リビアのイメージアップ戦略としても有効なものとなりそうです。ことに、大佐が今後の戦略地域 として想定しているアフリカでは、サッカーはスカッドミサイルなどよりもずっと大きな威力があります。もっとも、サーディ自身はサッカー一直線だけなのか もしれないのですが。

 ◆テロリズムの連鎖

 これまでのリビアは、英米主導による国際社会からの隔離政策によって、国のイメージばかりではなく、実質経済的にも大きなダメージを受け続けてきました。

 その最大の原因は、1969年に無血クーデターでカダフィ大尉(当時)が政権についたあとで、それまでリビアを含むアラブ世界を蹂躙していたと彼が信ず る西側の国に叛旗を翻し、PLO、IRAへの支持を鮮明にしたことにあったと考えられます。――石油産出国ですから資金は豊富でした。

 報復として、73年にはイスラエル機によってリビアのボーイング727機が撃墜され、110人死亡。81年にはリビア沖で、リビア領空に侵入してきた米軍機が、リビア機2機を撃ち落とすという事件も発生。

 もっともこの間、ドイツ、イギリス等々で、リビアが関与したとされる複数のテロが発生し、それによる非難を受けてもいます。この中にはCIAがでっちあ げた気配が濃厚なものもあり、フレデリック・フォーサイスの愛読者でもある私めには、それは充分にありうることだろうという気はするものの、その真相 は...。

 そして極めつけは、当時の米国レーガン大統領の指示による、86年のリビア襲撃。これも、カダフィが裏に控えて操作しているとされる国際テロリズムに対 する「報復」ということでした。米爆撃機F-111sの発進基地提供の要請を受けた当時の英国サッチャー首相は、「テロはテロを呼ぶ」として躊躇したもの の、盟友レーガンの説得に負けて承諾。あらかじめ地中海に展開していた6隻の艦船と200機余の艦載機の支援を受け、まったく抵抗のない状態で爆撃機はリ ビアへ60トンの爆弾を投下。

 この襲撃で、カダフィはからくも生き延びたものの、彼の養女を含む101人が殺されたと伝えられています。『変り行くリビアの近況』と題するメッセージ の中で松本剛氏が、《同大佐のトリポリでの居所となっている軍司令部構内にある「カッザーフィの家」(1986年に米軍機の爆撃を受けて破壊されたが、現 在に至るも米軍の蛮行を示すモニュメントとして残されている)》と書いています。
http://www.meij.or.jp/countries/libya/matsumoto2.htm

 そしてこの年、米国は独自の対リビア経済制裁を実施し、リビアで事業を展開していたすべての米系企業を撤退させています。この中には、複数の石油採掘会 社も含まれていました。(ただしこの権利は剥奪されることなく、現在までリビア政府預かりとなっている)

 ◆航空機爆破事件

 「テロはテロを呼ぶ」というサッチャーの懸念の通り、88年には英国スコットランド上空で米パンナム機爆破事件(ロッカビー事件)が発生。このときの英 米人の犠牲者は270人。翌89年には、フランスUTA機がアフリカ・ニジェール上空で爆破され、170人の犠牲者。これらすべてについて、欧米側からは リビアの関与が指摘されていました。リビア側は関与を否定。

 これに呼応するようにして88年、リビア側の解説によれば、フランスの諜報機関SDECEによるカダフィの暗殺計画が実行され、最後の段階で露見するという、観客席へのサービス度は満点のニュースも発信されました。

 当然のようにこの頃も、英国諜報機関M15/M16、CIA、リビア諜報機関等々が、カダフィをめぐって世界各地で小説以上に派手な動きをしていたことが、現在の時点ではかなり信憑性のある資料で知ることができます。

 そして国連安保理は、リビアに対して航空機爆破事件への捜査協力などを要求したものの、拒否されて、92年、93年に対リビア制裁決議を二件採択しまし た。これ以降リビアは国際社会から隔離された状態となって、経済的にも政治的にも逼塞した状況が続くことになります。

 この頃、国外に亡命していた反カダフィ勢力としてのイスラム原理主義グループが、英国諜報機関M15などの資金援助を受けて、リビア国内にいる現役軍人 などと連動し、96年に政権転覆計画を実行したものの、カダフィの乗った車の爆破に失敗して頓挫するまでの経緯を知ることのできるM15の極秘文書が、 2000年になってから何らかの意図でネット上に漏洩され、「諜報員の生命に危険が及ぶ可能性がある」として、英国政府がプロバイダーに削除要請をしたこ とが、プロバイダーからの発表として報じられました。これについては英国内務省もコメントを出していたようですので、おそらくは本物の極秘文書だったので しょう。(その世界のことは、どこまでが本当なのかよくわかりませんけれど)

 舞台裏では、国連安保理側は航空機爆破事件の容疑者と目するリビア人の引渡しを、リビア側は国外にいるカダフィ政権転覆計画の関係者たちの引渡しを、そ れぞれ要求していたもののようです。爆破事件容疑者として英米から名指しされていた人間を、99年にリビアが引き渡したときには、表のニュースには出てこ なかったものの、政権転覆を企てたイスラム原理主義グループがリビア側に引き渡されていた、ということです。

 容疑者の引渡しを受けたことによって、99年4月、国連安保理は対リビア制裁の一時停止を発表。ただし、米国独自の制裁はまだ継続していました。

 ◆アフリカ世界への傾斜

 ひとつ気になっているのは、98年7月、カダフィ大佐が大腿骨を骨折したとして入院した"事件"。これは公式には、日課としていたジョギングの最中に転 倒したための骨折、と発表されました。――されているはずです。アラブ世界の首脳が四、五人一堂にそろって、彼の病室にいる写真が添えられていたことも、 ただの骨折にしては不自然だと、フレデリック・フォーサイスの愛読者は思ったものです。かなりのダメージを受けたためなのか、治療が適切ではなかったため なのか、いまでも軽い後遺症が残っているらしく、歩行の際には補助の杖を使っている様子が伺えます。カメラの前では杖を置いて移動することもできる程度で はあるものの、かなり危なっかしく、このあたりに往年の迫力と気力を削ぐひとつの素朴な理由があるのではないかと、推測しています。それが彼の思考に変化 を与えているかもしれません。

 国連安保理の対リビア制裁一時停止後の2000年7月、西アフリカ・トーゴで開かれたアフリカ統一機構(OAU)サミットは、カダフィ大佐のアフリカ世界への公式復帰を祝うようなものとなりました。

 カダフィは、地中海に面した国リビアから大西洋岸のトーゴまで、300台の車と、1000人を超える従者を連れて、サハラ沙漠を南へ5000キロ走り、 ニジェール、ブルキナファソ、ガーナに立ち寄り、沿道の人々のまさに英雄を迎えるような熱い歓迎ぶりに、オープンカー仕立ての白いリムジンから身を乗り出 し、こぶしを振り上げて応え続けました。

 このサミットで、ヨーロッパ連合(EU)にならって「アフリカ連合(AU)」の速やかな実現を呼びかけ、2002年7月にそれが実現。彼のアラブ世界離 れは決定的なものとなり、いまではアフリカの盟主たらんとして、各地の紛争解決やさまざまの問題にも、さりげない心遣いを見せています。

 今年の2月から4月にかけて、アルジェリア付近のサハラ砂漠で誘拐されたヨーロッパ人観光客の救出に際しても、表の調整を引き受けたマリの大統領を陰で 支えて、リビアが動いています。観光客14人(ドイツ、スイス、オランダ人)がおよそ半年間拘束されて、この8月にマリで解放されたのですが、RFIの報 道では、その裏ではリビアの人脈が誘拐グループとの交渉を成立させ、カダフィ大佐の息子が運営するカダフィ財団が、身代金として500万ユーロ(およそ6 億円)を支払ったといいいます。

 ◆ビジネス優先のリビア

 2001年の911事件の直後、カダフィ大佐は米国の犠牲者に弔意を表し、負傷者に対しては献血をするという動きをアピールしていました。そして、テロリストに関する情報の提供を約束しています。

 また、この年の11月フランス発行の週刊誌『J.A./INTELLIGENT No.2132』のベタ記事によれば、リビア国営石油会社の社長が11月中旬にオーストリアで、アメリカの石油会社三社の代理人と会い、リビアの石油採掘 事業へのすみやかな復帰を呼びかけています。この三社は、アメリカ政府のリビア制裁方針をうけて、1986年レーガンの時代にリビアから撤退させられてい たもの。

 これは、911事件の本質を見抜いて、デージーカッターをプレゼントされる前に、リビア側がビジネスライクな手を打ったひとつの例といえます。最近のリ ビアは、テロリズム国家との賢い付き合い方を心得ているようです。もっとも、リビア自身が海外からの投資を激しく求めているという事情もあるのですが。

 2002年7月には、ほぼ20年ぶりに英国の外務大臣がリビアを訪問。日本では《「対テロ戦争」での協力をリビアの最高指導者カダフィ大佐に打診するた め》と報道されていましたけれど、それはすでに実行されていたことですから、本当の目的は別のところにあったのです。

 というのは、この年の5月、経済制裁の解除を願うリビアのビジネスマン代表が交渉代理人として、「国際社会復帰のためのライセンス料」との位置づけで、 米パンナム機爆破事件に関して総額27億ドルの支払いを提示していました。制裁解除は、リビアにもアメリカにも利益になることだ、と言い切っている様子を BBCが伝えていました。ですから実際のところは、「対テロ戦争」への協力のお礼と、支払いについての直々の確認であったわけでしょう。

 99年4月に国連制裁が一時停止された後、米国独自の制裁が継続する中、欧州や中国など(日米政府に気兼ねしながら日本社も)が積極的にリビアと接触し ている現実がありました。そして米国内には、出遅れを心配する強い声があがっていたようです。――制裁解除を求めるアメリカ側の力。(現実には、米ビジネ スマンが大勢出入りしていたようですし)

 ◆国際社会復帰のためのライセンス料支払い開始

 今年8月下旬になって、リビア政府が補償金総額27億ドル、犠牲者1人当たり1000万ドル(約12億円)の支払いを開始した、と各メディアが報道を始 めました。なかには、「爆破事件にリビア政府自身が関与していることを認めた」との文脈で記事を書いている注意力散漫な日本のメディアも目立つのですが、 リビアが国連安保理に送った文書では、「その公務員の行動に関しての責任を認める」としか書いていません。

 米パンナム機爆破事件の容疑者とされた二人のうち、終身刑が確定した一人(もう一人は無罪)についての判決では、リビア政府の関与についてはまったく言 及していないのです。またフランス機爆破に関してフランス法廷は、カダフィが関与しているとはいえないと明言していました。従って、ここでわざわざリビア が自身の関与を認めてみせることもなくなっていたのです。

 今回の支払い条件は、国連安保理の制裁解除、米国の制裁解除、テロリスト国家呼ばわりの撤回、この三条件が実行されるごとに、順次40%、40%、 20%を支払うという約束ですから、もし三条件が整わなければ、遺族の手には全額は届かない仕組みになっています。その実現の責任は、いまや英米の側に投 げ渡されてしまいました。

 そしてリビアの外相は、アルジャジーラのインタビューに対して、「リビアとしては、これは補償金ではなく制裁を解除するための支払いだと認識している」 と答えています。西欧での報道だけからみればとんでもないコメントではあるのですが、リビア側はあくまで、中東の某国が某国のエージェントと合作したも の、と考えているわけですから...。

 この支払いはリビアにとって、ロン・ヤスと呼び合う仲(古い例えでスミマセン)になるためのショバ代、国際社会への入場料ということでしかないわけで す。世界最大の軍事力を持つテロリストに、真正面から歯向かっても勝ち目がないことを、還暦のカダフィは悟ったのでしょう。

 英国などは、少しでも早く最終段階の支払いにまで持ち込みたくて、かなり焦っている感じすらあるのですが、しかし2001年に、170人分として総額 3100万ドルを受け取って落着させたフランスは、英米が1人分1000万ドルという数字で決着したことで不満が爆発し、現在リビアと再交渉中であると伝 わっています。英米がいくら急がせても、フランスの再交渉が終わるまでは、フランスの持つ「拒否権」という壁に阻まれて、制裁解除の国連決議は前進できな いのかもしれません。今度ばかりは国連無視もできませんし。

 ならずものとされていたリビアが、英米とフランスの動き、あるいは彼等の確執を安全圏から眺め、困った連中だと囁いている、――あまり見慣れなかった図が展開されているこの頃です。

 齊藤さんにメールは mailto:bxz00155@nifty.com
 Gold News from Guineaは http://backno.mag2.com/reader
2003年09月03日(水)ジョージワシントン大学客員研究員 中野 有

 朝鮮半島の38度線を境に、中、露、北朝鮮と、米、韓、日が勢力均衡型で対峙している状況の中で、北朝鮮問題が、多国間で協議された。国益が異なる北東 アジア諸国に米国を加え、同じテーブルにつき、北朝鮮の核開発を封じ込めるという、イデオロギーを超越した協議がなされたのだから、国際協調主義の視点で 見ると大きな成果だといえる。

 加えて、北朝鮮が米国との2国間交渉を求めたにも関わらず、米国が多国間協議を唱え、中国が束ねたのだから、北東アジアの多国間協調のスタートとしては理想的だと考えられる。

 北朝鮮の核開発の包囲網が中国、ロシアを加え構築されたことは、自動的に国連のP5が承認したことに等しい。北朝鮮の核の瀬戸際外交について、本来なら 国連の場で協議されるべきであったが、それが実現されなかった理由は、北朝鮮の孤立化と経済制裁を懸念する中国とロシアの意向と、北東アジアの主役である 日本と韓国が15カ国で構成される国連安保理事会のメンバーでなかったことが大きな要因であろう。シックススーパーフォーラムが実現されたことで、日本と 韓国の意志が朝鮮半島の平和に反映されることから、国連の場でも同時並行的に協議を進めるべきであろう。

 マスコミの予測通り、六者が集まったにも関わらず、表面的には北朝鮮と国際社会とのギャップを埋めることはできなかった。北朝鮮が米国に働きかけたの は、米朝の不可侵条約であり、米国が北朝鮮に求めたのは、大量破壊兵器の放棄である。結果的には、両者平行線をたどり、北朝鮮は核実験を通じ抑止力を高め ることを表明したのだから、不安定要因は高まった。日本のタカ派からは、米朝の不可侵条約は、北東アジアの有事の際に日米同盟が機能しなくなることが指摘 され、米国のタカ派にエールを送った。

 ワシントンからロングショットで北東アジアの問題を展望すると、北東アジアの一員としてクローズアップで見る北東アジアと全く違った角度で見えてくる。 極端な見方であるが、北朝鮮は大量破壊兵器の開発途上で、仮に現時点で朝鮮半島で紛争が発生しても、米国本土にとっては最小のダメージでくい止められると の考えである。

 また、世界でも突出した軍事力と軍需産業を抱える米国にとっては、東アジアで米国の覇権を高める意味で、北朝鮮の瀬戸際外交による不安定要因は、米国の国益に逆行するものではないとの考えもある。

 平和を探求しない国家はない。平和を達成するにあたり、タカ派もハト派も、インテリジェンス機能をフルに活用し国際情勢を巧みに利用しようとするフクロ ウ派も存在している。米国では、一般的に民主党に多く見られるウィルソンの国際協調主義と、共和党に多く見られる軍事に頼る現実主義、そして理想主義と現 実主義のバランスがとれた中道主義があると考えられる。米国のみならず北東アジアのすべての国でも多かれ少なかれこのような分け方が成り立つだろう。

 シックススーパーフォーラムの国々がそれぞれ第一に考える外交政策は異なっている。

 米国が望むところは、北朝鮮の大量破棄兵器の撲滅、並びに米軍の最新鋭兵器と効率的な10万の米軍の再編であろう。韓国は、通常兵器問題に加え、宥和政 策による朝鮮半島の安定と統一であろう。日本は、日米同盟を基軸に平和を維持し、拉致問題を早急に解決することであろう。中国は、米国との軍事的競争を避 け、経済に特化することで結果的に経済的にも軍事的にも中国の覇権を高めるとの戦略であろう。ロシアは、アジア太平洋の一員として地位を確保するにあた り、エネルギー外交など実利的外交を実践することであろう。北朝鮮は一にも二にも金体制の存続と繁栄であろう。

 これらスーパーフォーラム構成国の共通項を考慮すれば、米国と北朝鮮を除く中国、ロシア、韓国、日本の4カ国は、北東アジア経済圏構築を推進する勢力で ある。しかし、米国のタカ派の一部が唱える北朝鮮の不安定要因は、米国による軍事的覇権に好都合であるとの考えでは、北朝鮮と米国の利益は一致する。結果 的には、ステータスクオ(現状維持)が理想的だとする考えは、複雑な国益の交錯による。北朝鮮が米国の読みを誤り、レッドラインを超えたときには、悪の枢 軸の一環としてイラクのように犠牲になると考えられる。

 このような流動的な北東アジアの地政学的情勢の中で、日本に求められているのは、米国追随型から、国際協調主義による、北東アジア経済圏や共生圏構築への舵をきることであろう。

 イラク戦争直前に、日本には大きなチャンスがあった。日本は米国に追随し、イラク戦を肯定するのでなく、「待てば海路の日和あり」と国連の場で唱え、フ ランス、ロシア、ドイツの「平和の枢軸」と米国の間の仲裁に入り、少なくともフランスとロシアが参戦するまで時間を稼ぐべきであった。そうすることによ り、アラブ気質を無視したブッシュ政権の近視眼的単独主義によるイラクへのスクラップ&ビルド戦略による混沌を回避することができたであろう。日米同盟と は、米国の傲慢さを修正することにより米国から信頼されるものでもあろう。日本は北東アジアの一員であり、日清戦争から始まるこの110年の日本の大陸へ の関与の歴史を振り返れば、北東アジアにおいては、日本は国際協調主義を貫くべきであろう。特に、ブッシュ大統領が再選される保証がない状況においては。
2003年09月02日(火)萬晩報通信員 園田 義明

 ■リンクス・クラブ

 1982年3月1日、トヨタ自動車の豊田英二社長(当時)はゼネラル・モータース(GM)のロジャー・スミス会長(当時)と会談を行う。フォードとの提 携交渉が白紙撤回となり、日米自動車摩擦が激化する中で、最後の切り札としてGMとの合弁交渉にのぞんだのである。それから3年後の1985年4月、カリ フォルニア州フリーモントで、政財界人ら2000人を集めて、合弁会社、ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング(NUMMI)の工場開 所式が行われた。

 あいさつに立った豊田英二トヨタ会長(当時)は、「日米自動車産業の良い点を組み合わせ、国際的にもすぐれた生産システムを作り上げ、米国自動車産業の 活性化に貢献したい」と語り、スミスGM会長も「この事業はトヨタとGM、それにUAWが新たな挑戦のため海を越えて手を結んだもので、東洋と西洋の英知 の結集だ」と訴えた。

 この提携を影で支えてきたのはJ・W・チャイ伊藤忠アメリカ副社長である。いすゞ―GM、トヨタ―GMのいずれの提携にも大きな役割を果たし、黒子役として日米を飛び回った。

 1982年3月1日の会談が行われて場所は、GMニューヨークビル近くにある会員制クラブ、「リンクス(Links)」のダイニングルームであった。この場所を選んだのは、スミス会長本人であろう。スミス会長はリンクスのメンバーだった。

 ■米国のエリート・クラブ

 紳士達が集う米国のエリート・クラブは、ホワイツ(1696年設立)、ブルックス(1774年設立)、カールトン(1831年設立)などの英国紳士クラ ブに大きな影響を受けて、1800年代から相次いで設立される。リンクス(ニューヨーク)、パシフィック・ユニオン(サンフランシスコ)、シカゴ、ボヘミ アン(サンフランシスコ)、ブルックス(ニューヨーク)、メトロポリタン(ワシントン)、カリフォルニア(ロサンゼルス)、センチュリー(ニューヨー ク)、デトロイト、デューケーン(ピッツバーグ)、ミネアポリス、ローリング・ロック(ピッツバーグ)、サマセット(ボストン)、ユニオン(クリーブラン ド)、ユニオン・リーグ(フィラデルフィア)、ニッカーボッカー(ニューヨーク)などが特に有名である。

 当然、名門一族、大企業トップ、大物政治家などは複数のクラブのメンバーとなっており、例えばロックフェラー家のデビッド・ロックフェラー元チェース・マンハッタン銀行会長はリンクス、センチュリー、ニッカーボッカーのメンバーとなっている。

 このクラブの中で毎年夏に行われる一大イベントのために世界的な注目を集めるクラブが存在する。サンフランシスコに本部を構えるボヘミアン・クラブである。

 ■夏の夜の夢

  "Weaving spiders, come not here"(巣を張る蜘蛛よ、近づくな)

 シェイクスピアの「夏の夜の夢」の第二幕第二場の妖精の歌に出てくるこの言葉は、ボヘミアン・クラブのモットーとなっている。クラブ機能としてビジネス を行ったり、請い求めたりすることの不適切性を説いているのである。確かにこのクラブのメンバーの多くは、このモットーに忠実である。しかし、どうやらあ る集団の方々は、長年に渡って違反を繰り返し続けているようだ。まるで、スパイダーマンのように網の目の巣を張りめぐらせている。

 このクラブのメンバーは、毎年7月になるとサンフランシスコから北へ70マイル程の距離にあるモンテ・リオの山村近くに集まる。世界的な巨木として知ら れるレッドウッドに囲まれた森林の中で、二週間にわたって行われるサマーキャンプに参加するためだ。このキャンプに参加した数少ない日本人のひとりは、 300フィートを越えてそびえ立つレッドウッドに囲まれたこの場所を日本の神聖な神社に例えている。メンバーの多くも聖なる特別な場所と信じているよう だ。この約2700エーカーのこの場所は、「ボヘミアン・グローブ」と呼ばれており、ボヘミアン・クラブの私有地である。

 1878年から行われてきたこのサマーキャンプには約2700名のクラブ会員と特別ゲスト以外は参加できない決まりとなっており、全米各地から厳選され た大統領経験者を含めた大物政治家やフォーチュン500企業や大手金融機関のトップ、著名大学教授、芸術家、文化人などが一同に集まる。そして、クラブの マスコット人形を焼く儀式によってこの二週間のキャンプが始まる。

 メンバーの特徴は、政財界メンバーのほとんどが純白人であり、ユダヤ系や
黒人などは一部の例外を除いてほとんど存在しないようだ。また、大半が共和党員か共和党支持者である。従って、極めて保守的なクラブとなっている。

 これまで、このサマーキャンプに出席が許された日本人は2名、ひとりが外交評論家の高橋正武氏、そしてもうひとりがユニデンの設立者である藤原秀朗氏で ある。高橋氏は、カリフォルニア州政府の州知事補佐官を務めたことから、特別会員の権利を与えられており、その著作から少なくとも過去に二度は参加してい るようだ。この2名以外にも存在する可能性もあるが、その徹底した秘密主義により明らかにされていない。

 高橋氏によれば、ボヘミアン・グローブには、約120のユニット・キャン
プがあり、レーガン元大統領は「ふくろうの巣」、ニクソン元大統領は「ケープ・マン(洞穴男)」、そして高橋氏は「ドラゴン」と呼ばれる政財界人25名で 構成される名門キャンプで時を過ごす。このユニット・キャンプの中で極めて注目を集めるロッジは「マンダレー」である。

 ■マンダレー・ロッジ

 インターネットにはボヘミアン・クラブに関するさまざまな情報が飛び交っている。その中で信頼できるものを探し出すのも骨が折れる作業である。ここに 2001年のマンダレー・ロッジの宿泊名簿がある。メンバーの顔ぶれは次の通りである。ずらりとスパイダーマンが並んでいる。

☆コリン・L・パウエル
現国務長官、元統合参謀本部議長、元国家安全保障問題担当補佐官。アメリカ・オンライン(AOLー現在はAOLタイムワーナー)元取締役、ベクテル・グループ元顧問。

☆ヘンリー・A・キッシンジャー
元国務長官(ニクソン・フォード政権)、元国家安全保障問題担当大統領補佐官(ニクソン政権)。キッシンジャー・アソシエイツ会長、ホリンガー・インター ナショナル取締役、フリーポート・マクモラン・カッパー・ゴールド取締役、JPモルガン・チェース国際委員会メンバー、アメリカン・エクスプレス諮問委員 会メンバー、アメリカン・インターナショナル・グループ(AIG)国際諮問委員会会長、アメリカン・エクスプレス元取締役、レブロン元取締役、TWCグ ループ元取締役、ガルフストリーム・エアロスペース(現在ゼネラル・ダイナミックス傘下)元取締役。戦略国際問題研究所〈CSIS〉理事、アスペン研究所 理事、トライラテラル・コミッション(三極委員会)・メンバー、ビルダバーグ・グループ・メンバー。メトロポリタン、センチュリー、ブルックス・メン バー。

☆マイケル・H・アーマコスト
元国務省内国政担当次官、元駐比米国大使、元駐日米国大使。アメリカンファミリー生命保険(AFLAC)取締役、アプライド・マテリアルズ取締役、カーギ ル取締役、TRW取締役、米国ウラン濃縮会社(USEC)取締役。スタンフォード大学・アジア太平洋研究センター・ウォルター・ショーレンステイン特別評 議員。ブルッキングズ研究所元所長、トライラテラル・コミッション(三極委員会)・メンバー、ビルダバーグ・グループ・メンバー。

☆ニコラス・F・ブレイディ
元財務長官(レーガン・ブッシュパパ政権)。ダービー・オーバーシーズ・インベストメンツ会長、H・J・ハインツ取締役、アメラダ・ヘス取締役、C2取締 役、フランクリン・テンプルトン・インベストメンツ取締役、ディロン・リード元会長。ビルダバーグ・グループ・メンバー。リンクス・メンバー。

☆ピーター・M・フラニガン
元大統領補佐官(ニクソン政権)。ウォーバーグ・ディロン・リード上級顧問、ディロン・リード元取締役。マンハッタン研究所理事。リンクス・メンバー。

☆アンドリュー・'ドリュー'・ルイス
元運輸長官(レーガン政権)。ユニオン・パシフィック元会長、ガネット元取締役、ルーセント・テクノロジー元取締役、イージス・コミュニケーションズ・グ ループ元取締役、アメリカン・エクスプレス元取締役、FPL・グループ元取締役、ガルフストリーム・エアロスペース(現在ゼネラル・ダイナミクス傘下)元 取締役、ミレニアム・バンク元取締役。ビルダバーグ・グループ・メンバー。

☆カール・E・ライチャート
フォード副会長、パシフィック・ガス・アンド・エレクトリック(PG&E)取締役、コナグラ・フード取締役、マッケソン取締役、ニューホール・マネイジメ ント取締役、コロンビアーHCA・ヘルスケア取締役、ウェルズ・ファーゴ元会長、HSBC・ホールディング元取締役。

☆ジョージ・P・シュルツ
元労働長官(ニクソン政権)、元予算管理局長(ニクソン政権)、元財務長官(ニクソン政権)、元国務長官(レーガン政権)。ベクテル・グループ取締役、フ リーモント・グループ取締役、ギリアド・サイエンス取締役、ユーネクスト・ドット・コム取締役、チャールズ・シュワブ取締役、JPモルガン・チェース国際 委員会会長、GM諮問委員会メンバー、ベクテル・グループ元社長、J・P・モルガン元取締役。スタンフォード大学フーバー研究所トーマス・W・アンド・ スーザン・B・フォード特別評議員。ビジネス・ラウンドテーブル政策委員会元メンバー。

 このメンバーに、マンダレー・キャンプの4名のホストの名前を加えると、同時多発テロの直前である2001年の夏の時点で何かが既に動き始めていた可能性も無視できない。その4名は次の通りである。

☆ステファン・D・ベクテル・ジュニア
ベクテル・グループ名誉会長、フリーモント・グループ名誉会長、ベクテル・グループ元会長兼CEO。パシフィック・ユニオン、ボヘミアン・メンバー。

☆ライリー・P・ベクテル
ブッシュ大統領・輸出諮問委員会メンバー(2003年2月任命)。ベクテル・グループ会長兼CEO、フリーモント・グループ会長兼CEO、セクオイア・ベ ンチャーズ取締役、JPモルガン・チェース取締役。スタンフォード・ロー・スクール理事、ジェイソン財団理事。ビジネス・カウンシル、ビジネス・ラウンド テーブル・メンバー。トライラテラル・コミッション(三極委員会)
・メンバー。

☆ゲイリー・H・ベクテル
ベクテル・シビル副社長。

☆アラン・ダックス(ライリー・P・ベクテルの義兄弟)
フリーモント・グループ社長兼CEO、セクオイア・ベンチャーズ社長兼CFO、ベクテル・グループ取締役、ベクテル・エンタープライズ取締役。ブルッキング研究所、カンファレンス・ボード理事。

 ■ベクテルの宴

 このマンダレー・ロッジは、まさしくサンフランシスコに拠点を置くベクテル・グループのためのベクテル・ロッジであり、イラクの初期復興事業で最大の総額6億8000万ドル(約816億円)を受注したことから、イラク占領
における連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)と呼んでもいいのかもしれない。

 共和党及び財界への絶大な影響力を持つジョージ・P・シュルツの言動は、随時チェックしてきたが、2002年9月6日付けワシントン・ポスト紙に「
アクト・ナウ」と題する寄稿を掲載し「危機は差し迫っている。時間をかけることはフセインを利するだけだ」とフセイン政権の即時打倒を訴えていた。

 ブッシュ大統領にとって、シュルツ・ベクテル・グループ取締役は2000年大統領選の選挙準備委員会のメンバーであり、ブッシュ大統領の生みの親でもあ る。ブッシュ大統領自身にとってブレント・スコウクロフト元大統領補佐官の警告より効果があったはずだ。

 シュルツ・ベクテル・グループ取締役は、ベクテル家のステファン、ライリー、アラン・ダックスの3名が取締役会に名を連ねるベクテル所有のプライベイト・インベストメント・ファーム、フリーモント・グループの取締役にも就
任しており、ベクテル・グループの影の総裁である。また古くからベクテル・グループと関係の深いJ・P・モルガンの取締役、そして現在のJPモルガン・ チェース国際委員会会長としてメンバーであるキッシンジャー国務長官やデビッド・ロックフェラーを率いる立場にある。

 世界的な建設業界の不況が続く中で、ベクテル・グループも業績が安定しているとは言えない。ベクテル社副社長であったキャスパー・ワインバーガー元国防 長官が会長を務めるフォーブス誌の非公開企業の売上高ランキングでは1999年の売上151億ドル(全米5位)をピークに2001年には134億ドル(全 米6位)と低迷しているのである。
2003年09月01日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 夏休みに、フィリピンのセブ島の近くのカオハガン島を買って移り住んだ崎山克彦氏の著書「何もなくて豊かな島」を8年ぶりに読み直した。

 島には300人ほどの住民がいる。村長もいる。日本経済がバブルにまみれていたころ、海と空と風をみつめる生活に切り替えた崎山さんがうらやましかった。

 島の所有者と村長とはどちらがエライのか。そんな興味もあった。どちらも偉くない。崎山さんも村長もともに島の住民なのだ。助け合って生きるしかない島の生活を描いた心が豊かになる一冊の本である。

 読み終わって満ち足りた気分でいた。まさかと思いながらインターネットで「カオハバン」を検索してみたら、島を訪れた日本人の体験談が続々、出てきた。崎山さんのサイトもあった。

 崎山さんはその後、カオハガンでの生活を題材に何冊も本を書いていることを知った。また、崎山さんのサイトでは「南の島のジュディス」という連載コラムがあることも知った。

 ジュディスという女の子が成長し、ハイスクールにまでいく日々が淡々と描かれている。感想は書かない方がいい。ただこのサイトを紹介したい。

 心が動かされるサイトである。

 第1回 島の小学校が台風で崩壊してしまった
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/episode1.html

 第2回 離島の教育をなんとか良くしたい
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/episode2.html

 第3回 ジュディスの留学について
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/episode3.html

 第4回 島の小学校が一変した
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/episode4.html

 第5回 ジュディスが留学を志望する理由
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/episode5.html

 第6回 奨学金をもらって、ハイスクールにいって、頑張った
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/episode6.html

 第7回 ジュディスの家は十一人の大家族
 http://www.kentei.co.jp/jast/southern/index.html

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