2003年3月アーカイブ

2003年03月30日(日)萬晩報主宰 伴 武澄

 アメリカとイギリスが対イラク戦争を仕掛けて10日が過ぎた。アメリカは兵力が足りないとしてさらに10万人の兵隊を増派することになった。これまでの12万人に加えて総勢22万人の軍隊がイラクの戦場で死にさらされるのだ。

 コンピューターによるハイテク戦争は兵員の損耗がほとんどない、というのが専門家の戦前の見方だったはずなのに、やはり兵隊を戦線にべた張りしないことには戦争は遂行できないということを対イラク戦争は証明してみせた。

 また、イラク国民はいわれていたほど「反フセイン」ではなく、「外国の侵略」には死を賭して戦う姿勢をみせていることにアメリカ政府は驚いているに違い ない。ブッシュは開戦直前の演説で「イラク解放」を訴えたが、反フセインであるはずのシーア派の蜂起はなく、クルド族が米軍と肩を組んで参戦したという話 もまだ聞かない。多くの国民はたとえ国内的に反体制であってもいざ外国が攻撃してきたら一致団結するものなのである。

 そんな初歩的な国民感情すら分かっていないのだとしたら、アメリカの大統領をやっている資格はない。足元のアメリカでも戦争が始まってから大統領への支 持率が一気に上がったのをご存知ないのか。戦争に反対であってもいったん国家が戦争を始めれば国民の忠誠心を増すものなのである。

 水と油のように相容れなかった中国国民党と中国共産党が、盧溝橋事件で日中間に戦争が始まったとたん共同戦線を張って日本を敵として戦った歴史的事実は特異な例ではなく、どの国家でも共通した国民感情なのである。

「たとえどんな専制君主であっても外国による支配よりはましである」という考え方は、民族独立戦争を経験した多くの途上国で何度も語られた真実で、民族自 決という理念はまさに外国に支配されたくないという一点において強固な求心力を持っているのである。

 筆者が参加しているある勉強会で、元帝国海軍士官だった樋口さんという方が「戦争に突入するとすべてのことが超法規的に行える」といった戦争論を語って くれた。平時において最大の犯罪である殺人という行為が戦時には「戦果」として数え上げられるし、たとえ相手が民間人であっても「誤爆」の一言で済んでし まうというのだ。

 まがりなりにも一国の元首を「殺害」だとか「暗殺」するなどということは戦争法規でも禁止されているのだが、今回の対イラク戦争では「フセイン暗殺」と か「フセイン殺害」といった表現が多くのメディアでいとも簡単に使われているのは超法規的雰囲気がメディアの社会にも支配的になっている証左でもある。

 だから、いったん戦争が始まるとどんな崇高な哲学や理想を掲げてもほとんど説得力をもたない。まして外国軍による「解放」などというのは余計なお世話なのだ。

 戦争であらためて知らされたのは、戦争当事国が発表する「戦果」や「被害」の信憑性の低さである。当事国にとっては戦意高揚のため、自国軍は最後の時点 まで勝利していなければならないのは自明のこととはいえ、「イラク副首相死亡」「バスラ占領」「化学兵器製造施設発見」といったニュースが半日もたたない うちに「うそ」の発表だったということになるのだとしたら、戦争を報道する意味はほとんどない。

 今の新聞やテレビ報道を埋め尽くす多くのニュースがそんな我田引水的情報であることを知りながら、それでも朝夕の新聞をつくらなければならないのがメディアに籍を置くわが身なのである。
2003年03月29日(土)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有


 米国の容赦のないイラク戦を金正日総書記は、どのように見ているのであろうか。

 イラクと同じ悪の枢軸であり、NPT脱退から核を含む大量破壊兵器の開発まであらゆる瀬戸際外交を行っている北朝鮮は、今回の米軍のイラクへのハイテク攻撃を見てどのような選択を模索しているのであろう。

 米国の徹底した攻撃により北朝鮮の闘争心が挫かれるという見方と、北朝鮮の核抑止力が機能するとの楽観主義か、核に妥協せぬ恐るべき米国の先制攻撃のオプションが高まるとの予測に分かれる。

 イラクの次は、中近東に並ぶ世界の火薬庫である朝鮮半島で、このままでは戦争が発生する確率が高い。あるリベラルな専門家から70%の確率で朝鮮半島で紛争が発生するとのことを聞き、もう悠長な議論は通り越して戦争回避のロードマップを作成しなければいけないと感じる。

 その手始めとして、ワシントンのシンクタンクや大学の邦人の研究員が集まる、PRANJ  http://pranj.org/default1.htm という政策提言の組織で、北朝鮮問題についての発表の機会を得た。

 結論から言えば、紛争回避のためには、米朝の不可侵条約の締結をいかに実現させるかであり、そのための多国間協力による北東アジアのグランドビジョンを早急に完成させるかに尽きる。

 北朝鮮が望むところは、金体制の存続と外部からの資金を引き出すかにある。北東アジア諸国やEU諸国は、金体制の存続に否定的でなく、北朝鮮というブ ラックホールがラストフロンティアに変貌することを望んでいる。問題は、米国の破壊による朝鮮半島の国際秩序の構築が推進されようとするところにある。要 するに、米国と北朝鮮との共通の利益の合致点を明確にすることが紛争回避に直結する。北朝鮮を如何にして開かれた市場経済に溶け込ませるかにある。

 北朝鮮は、156カ国と外交樹立を達成させており、EUにおいてはフランスとアイルランドを除く13カ国と国交を結んでいる。北朝鮮の市場経済化に向けた努力とここ数年の経済成長は、正当に評価すべきである。

 ブッシュ政権の北朝鮮政策について次期大統領候補であるジョン・ケリー上院議員は、「メリーゴーラウンド政策」と批判している。これは遊園地でお金を払 い木馬にまたがり何もせずに元の位置、すなわち1994年の一発触発の核危機に戻したのみならず、その間、北朝鮮の核開発を放置したことを指している。さ らにブッシュ政権の近視眼的な一国主義から、進歩的な多国間主義に修正する必要があると述べている。

 このようにブッシュ政権の対北朝鮮無策政策が批判されることにより、今後、封じ込め政策から対話や外交も活発になろうが、パウエル長官の協調路線がラム スフェルド長官のタカ派路線に追いやられる可能性が高い。このような米国の一国主義から脱却するためにも北東アジア6カ国(日本、中国、ロシア、韓国、北 朝鮮、モンゴル)による多国間主義を強化する必要がある。

 北東アジアの多国間協力の推進、すなわちロシア・モンゴル・北朝鮮の天然資源、中国の労働力と大規模な市場、日本.韓国の資金・技術力が相互補完的に機能することにより自然発生的経済圏が生み出されるという北東アジアの発展の気運を再考することが重要である。

 北東アジアの経済圏構築のためには、大規模なインフラ整備が不可欠である。民間企業の投資や貿易、そして本格的な交流が深化されるためには、国際公共財としてのインフラ整備が必要である。

 北朝鮮は北東アジアの地政学的に重要な位置にあり、発展から隔離されたこの地域を中心に道路、鉄道、エネルギー、通信等の国際公共財のみならず、人材育 成、教育等の知的インフラや貿易、投資、観光等のソフトインフラが構築されることにより北朝鮮が自ずと経済発展の原動力に組み込まれるだろう。

 このような大規模な国境を越えたインフラ整備を行うためには、年間1兆円近くの資金が少なくとも10年は必要となろう。北朝鮮を国際社会に導くために は、このような「アメ」が必要である。このような経済協力を基軸とした、紛争を未然に防ぐための予防外交による開発構想は、イラク戦から展望できる破壊に よる復興支援に比較すると如何に平和のための構想であるか一目瞭然である。

 恐らく、ブッシュ政権はイラクの次には、朝鮮半島の秩序の構築に乗り出すであろう。北東アジアの前世紀は、日清戦争から朝鮮戦争、そして現在の冷戦構造 を鑑みると戦争の世紀であり、その流れを変貌させるためには、東洋の叡智による米国の北東アジア政策を紛争回避による国際秩序の構築に向かわせる奇策が要 求されよう。日本の戦前の開発構想から学ぶべきことが多く、それを北東アジアの多国間協力のみならず、欧米の参加による開かれた「北東アジアのグランドデ ザイン」として発展させることにより、平壌は、現在のバグダッドの破壊の道から回避でできると信ずる。

 萬晩報を通じ、イラク戦争の苦い経験を糧にした北東アジアの安定と発展のための平和構想に関する意見交換を提案したく考える。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU
2003年03月27日(金)ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男


 その日は早朝からイラク情勢のブリーフィング(説明)を受けるため、保守派の牙城であるアメリカン・エンタープライズ公共政策研究所(AEI)というシ ンクタンクに出向いていた。AEIはホワイトハウスの北東約1キロのオフィスビルの中にある。ファラガット・ウェストという地下鉄の駅を降りて、17丁目 を北に向かって歩くと柔らかい春風が頬に心地よい。

 ビルの正面玄関に近づくと、プラカードを手に何か叫んでいる女性たちがいた。そばまでいくと「ダンプ・リチャード・パール」と連呼している。リチャー ド・パールはその日のブリーフィングの主役である。ダンプというのは「投げ捨てる」という意味だが、「殺す」という語意もある強烈な単語だ。以前、このコ ラムでも反戦活動家に触れたが、叫ぶだけでは戦争は終わらないしブッシュの考え方も変わらない。私も戦争に反対するが、彼らは路上で声を張りあげる代わり に現実的な「反戦政策」を実践できる力を備える必要がある。まして戦争が始まってしまった以上、アメリカが歩むコースを反転させることはミシシッピ川を逆 流させることくらい難しい。それでも戦争が半年以上続き、米英軍の戦死者が1000人を越える戦況になったとき、川の流れの向きを変えるチャンスが生まれ るかもしれない。

 反戦活動家の配ったビラには、ネオコン(新保守派)のボスであるパールは、「ブッシュ政権外の人物としては、アメリカを戦争に突入させた最大の責任者」 と記されていた。その記述はおおかたあたっている。25日の説明会で、パールは米政府が戦争にまい進した理由を2点に絞った。それはメディアからの質問頻 度の「ナンバー1」と「ナンバー2」の答えとさえ思えた。

「アメリカ軍は多くの場合、イラク市民に(フセインの圧制からの)解放者として受け取られている。戦争が終わったとき、イラク市民は『解放』という本当の意味を十分に感じることができるだろう」

 これは「アメリカ主導の戦争が本当にイラクを解放するための戦争だと思うか」という質問の答えである。聞こえはいいが、パールは今回、2月のブリーフィ ングで述べたイラクの大量破壊兵器の脅威を一掃するためという点には一言も触れなかった。さらに「大御所」は戦争反対派がもっとも口したがる「石油のため の戦争」という問いの答えも用意していた。

「アメリカ軍の任務のひとつはイラクの油田を死守することだ。なぜか、答えはただひとつ。イラクが新しい政権を築き、国家を建設するときに使うから だ。(イラクの原油)はイラク国民と国家のためのものである。アメリカは関心がない。戦後、原油はイラク国民のために産出され使われるだろう」

 ここまではっきりと断言されると「ウソ」という二文字が背後に見える。私はネオコンが抱える戦争理由は複数あると思っていた。大量破壊兵器の脅威、石 油、軍需産業、中東の安定だ。その中でも大量破壊兵器への脅威が比重としては最大だろうと推断していた。2月27日付コラムで書いたパールのナチスの話 に、多少なりとも動かされたこともある。さらに「9.11」以降、アメリカがテロリズムの脅威に晒され、危機感が国民の中にあることを体現していた。

「しかしパールよ。今日の説明はナンゾヤ」

 石油が戦争を始めた理由の「小さな柱」として立つことは当然というより、必然である。その理由を完璧に否定したことで、彼の理由付けは失墜した。言葉の レトリックとして「石油が背景にあります」と認めたことに等しい。ノーベル経済学賞にもっとも近い経済学者といわれるポール・クルーグマンでさえニュー ヨーク・タイムズで「石油は戦利品」とはっきりと書いている。

 ブッシュ政権の戦争の意図がおのずと知れた日となった。

 堀田佳男 のDCコラム「急がばワシントン」2月27日から転載
 http://www.yoshiohotta.com/

 堀田さんにメールは mailto:hotta@yoshiohotta.com
2002年03月26日(水)萬晩報主宰 伴 武澄


 「ビンラディンの勝利」と題して英ガ-ディアン紙に掲載されたオックスフォード大学のドーキンズ教授のコラムを、イギリス在住の読者が翻訳して送ってく れた。対イラク戦争こそがオサマ・ビンラディンが望んでいたことで、アメリカはビンラディンの罠にはまってしまったというのである。またブッシュのような 危険人物を指導者に選んでしまうアメリカの民主主義に欠陥があるのではないかとも結論付けている。原文を読んだ読者もいると思うがあえて、その邦訳を転載 したい。
(伴武澄)

この悲惨な過ちを引き起こした政治体制

リチャード・ドーキンズ・オックスフォード大学教授
Saturday March 22, 2003 The Guardian

http://www.guardian.co.uk/alqaida/story/0,12469,919618,00.html

 オサマ・ビンラディンが熱望していた夢の世界がこれ以上願ってもない形で訪れた。真珠湾以降、かつてないほど、世界規模、最大の同情が膨らんだアメリカ への挑発行為を起こしてから約18カ月後、国際親善が無駄にされ続け、国際的な善意の交流がゼロの状態に到達した。ビンラディンは、きっと自分で祝杯を挙 げていることだろう。そして不信心者達は、イラクのブラックホールへまさに飛び込もうとしている。ビンラディンが長きに渡って準備して来た巨大な悪魔との 聖戦には、いつも世界規模のアメリカへの同情によって妨害されるかもしれない危険をはらんでいた。しかし、心配する必要は全くなかった。ブッシュ軍事政府 の舵取りによって、万事予想通りにことが運んだ。すばらしいことにこの戦争で何が起ころうと、どうでも良いのだ。

 ビンラディンの歪んだ観点から、どんなことを考えているか想像してみる。

 もし、アメリカが迅速に勝利した場合、ブッシュは憎きサダムは取り除かれ、好ましいイスラム政権への道を開くという我々の仕事を達成してくれたことにな る。さらにうまくいけば、2004年の選挙で本当にブッシュが勝つことになる。ついにはブッシュが鼻高々に己の所業を自慢をし始める時、これによって、不 満に口を尖らせ、いきがって闊歩する若者が立ち上がり、憤慨して蜂起することを、今、想像できる奴などいるはずもない。我々は、攻撃目標が足らなくなって 困ってしまうほど、たくさんの積極的な殉教者を獲得しようではないか。あの愚鈍でいけ好かないアメリカ人が勝利した方がまだマシだ。

 「大量殺戮のために戦争を起こす」という主張は、不誠実であるか、または先見の明がなかったために怠慢に陥っていたことを露呈しているに過ぎない。も し、現時点で、そんなに戦争が本当に必要だというのなら、少なくとも2000年または2001年の選挙期間中に少しでも触れておく必要がなかったというの か?

 ブッシュにしろブレアにしろ、それぞれの選挙民に対しこの戦争について、なぜ一言も触れなかったのか?

 主要な政治家として、戦争に関する選挙公約を挙げたのはジェラルド・シュローダーだけだ。それも彼は反対している。 

 なぜブッシュは、ブレアが誠実ぶりながら忍び足で後ろに付いて来るのを見計らってから、突然イラクを侵攻するぞと脅し始めるのか?
 何故、その前から行動しなかったのか?

 答えは恥ずかしくなるほど簡単で、そして彼らにはそれを恥じ入る気配すらない。 筋が通らず、子供染みている。がしかし、ずべては2001年9月11日で変わってしまった。

 大量殺戮兵器やサダムの自国民への残虐行為について誰が何といおうと、ブッシュがこの戦争を起こしても非難されないのは、多くのアメリカ国民そしてブッ シュ自身も、これを9・11の復讐だと捉えているためだ。これは、もっと性質が悪い。これは完全な人種差別であり、また宗教に対する偏見だ。イラクがこの 残虐行為に加担しているというほんの小さな仮説すらも立てている者は、誰もいないのだ。 

 世界貿易ビルを攻撃しのは、アラブ人だったンダヨな?それなら、アラブ人をぶん殴りに行こうぜ!9/11のテロリストは、イスラム教徒だったんだろ? じゃあ、イラキーもイスラム教徒だよな?それならオッケーじゃん。そこまで行って、最新ハイテク兵器をちょっと見せてやろうぜ。驚愕してビビるぜ。決まっ てるさ。

 ブッシュは、この世界が、聖ミカエルの天使たちが悪魔ルシファーの力に対抗したという正義と悪の戦場だと本気で信じているようだ。我々はアマレク人を追 い払い、ミディアナ人には自警団を派遣してこれを撃破し、その後、彼らの魂には神の裁きが下るであろう。こんなでっち上げの神学説で気分を高揚させれば、 サダム・フセインとオサマ・ビンラーディンの区別が付くようになるまでに、かなり時間がかかる。ブッシュの忠実な支持者の中には、善と悪の最終戦争=アル マゲドンとその後の歓喜を呼び起こす前兆だとして戦争を歓迎する者までいるのだ。

 私たちは、ブッシュが本当にこんな狂った宗教を信じているわけではないと仮定するか、少なくともそうではないと願うしかない。だが彼は、自分が神の代わ りに悪魔の魂と戦っているのだと、本当に信じているらしい。当然トニー・ブレアはブッシュよりもはるかかに知的で有能である。しかし、自分が正しく、他の 皆はほとんど間違っていると捉えている揺ぎない信念からは、何か神がかり的なものを感じるのだ。ブレアは力によって平和をもたらすという輩の邪悪でどこか 疑わしい主張に対して憤っていたはずだが、しかし彼もまた悪魔を信じているのだろうか?

 悪というものは、罪や(イラクという狂気の沙汰が起こる以前は、ブッシュのお気に入りの標的だった)恐怖と同様、独立して存在するのではなく、また精神 でもなく、そして対決し征服すべき対象でもない。悪とは、手に負えない人々が巻き起こす手に負えない事柄の雑多な集まりなのである。このような手に負えな い人々はどこの国にも存在する。愚かで気の狂っている人々や絶対に権力に近づかせてはならないような人々も存在するのだ。

 ただ、このような危険な人々を抹殺しても何の役にも立たない。このような人々はすぐまた新たに入れ替わってしまう。私たちは、このような人々が権力の頂 点に現れないよう、その社会制度や憲法、選挙制度を見直さなければならないのだ。サダム・フセイン同様、西側の我々も、罪を負わなければならない。米、英 そしてフランスは、折に触れてサダムを支え、さらには軍備を与えたりすらして来たのだ。そして私たちは自慢の民主主義制度についても検討すべきなのかもし れない。私たちの選挙制度は自国のリーダーを選ぶ際、とんでもない過ちを犯すことのないよう、本当にキチンと整備されていたのか?そうではないか、このよ うな過ちが、現在のきわめてひどい結果を導き出したのだ。

 アメリカ合衆国の人口は、約3億。そこには地球上の人類の中でも、多くの教養があり、才能がある人々が住んでいる。ノーベル賞の受賞者数を始め、あらゆ る教養ある功績を鑑みても、合衆国は世界を大きく引き離している。このような有能で才能に満ち溢れた人々を土壌に持つ国なら、きっと最も優秀な人材をリー ダーとして選出するだろうと思うに違いない。しかし、一体何が起こったというのか?多くの予備選挙や議員総会、数々の演説やテレビ討論、1年以上も休みな しに続いた選挙活動の雑踏の末に、3億もの全人口の中から、頂点に浮かび上がったのが、誰あろう、ジョージ・ブッシュだとは。

 アメリカの友人よ、私が君たちの国を愛していることはご承知だろうが、一体何がどうなったら、こうなるのか?ああそうだ、そうかもしれない。ブッシュは いわれているより馬鹿ではないかもしれないし、彼が見かけほど馬鹿ではないことも神はご存知なのだろう。どちらにせよ、君たちのほとんどが彼に投票してい ないことは私も知っている。しかし、私が言いたいのはそこなのだ。でしゃばるようで申し訳ないのだが、君たちのかの有名な合衆国憲法の何処かに、何か ちょっとばっかり間違いがあるかもしれないのでは?

 もちろん、特にあの時の選挙はデッドヒートで普通ではなかった。通常なら、選挙にはコインを投げるのと同じような同点決勝戦なんて必要ない。国内で優勢 だったアル・ゴアは、選挙人団でもその得票差を広げていたが、デットヒートを展開したフロリダで、公正で偏見のない最高裁に持ち込まれ、同点決勝という判 定を下されてしまった。その通り。ブッシュは一種のクーデターによって権力を手にしたのだ。これは憲法上合憲のクーデターだった。この選挙制度には、ずっ と以前から問題が指摘されていたと言うのに・・・

 選挙人団25票が一方からから他方へ動くことで、各個人の投票が州全体の誤差の中に深く埋没してしまうようなことは本当に起こっていいなのか?そして、 選挙結果がこんなにも直接的に金に比例して決定するのならば、選挙で勝利する候補者は、とても金持ちであるか、金持ちに有利に取り計らう用意のある人間で なければならなくなる。それが本当に賢明な選挙だと言うのか?

 ある企業が新しい最高経営責任者を探したり、ある大学が新しい学長を選ぶような場合、最適な人材を見つけるためには、想像を絶する労苦を費やすだろう。 プロのヘッドハンティング会社によって、書面による審査や徹底した面接が何度も行われ、心理学的な適正テストが導入され、内々に調査もされる。それでも、 まだ、間違いが起こることがあるのだ。

 しかし、それは誤りを避けるためのたゆまぬ努力は必要ないということではない。恐らく、このような方法は、地球上で最も力のある権力者を選ぶには、非民 主的なのかもしれない・・・が、ちょっと考えて欲しい。世界中で一番有能な所で、丸々1年かけて、新しいCEOを選ぶ方法とほんの少し違う努力を費やした 末にブッシュを選ぶような会社と一緒に仕事をする気になるだろうか?

 サダム・フセインは、イラクに大惨事をもたらし続けたが、直接の近隣諸国を超えた脅威となったことは一度もなかった。ジョージ・ブッシュは、世界に対し て大惨事をもたらしている。そしてそれは、ビンラディンには願ってもないことだなの。(リチャード・ダーキンス:英国学士院の特別研究員、オックスフォー ド大学教授)

(原文)http://www.guardian.co.uk/alqaida/story/0,12469,919618,00.html


Bin Laden's victory

A political system that delivers this disastrous mistake needs reform

Richard Dawkins
Saturday March 22, 2003
The Guardian


Osama bin Laden, in his wildest dreams, could hardly have hoped for this. A mere 18 months after he boosted the US to a peak of worldwide sympathy unprecedented since Pearl Harbor, that international goodwill has been squandered to near zero. Bin Laden must be beside himself with glee. And the infidels are now walking right into the Iraq trap.

There was always a risk for Bin Laden that worldwide sympathy for the US might thwart his long-term aim of holy war against the Great Satan. He needn't have worried. With the Bush junta at the helm, a camel could have foreseen the outcome. And the beauty is that it doesn't matter what happens in the war.

Imagine how it looks from Bin Laden's warped point of view...

If the American victory is swift, Bush will have done our work for us, removing the hated Saddam and opening the way for a decent Islamist government. Even better, in 2004 Bush may actually win an election. Who can guess what that swaggering, strutting little pouter-pigeon will then get up to, and what resentments he will arouse, when he finally has something to swagger about? We shall have so many martyrs volunteering, we shall run out of targets. And a slow and bloody American victory would be better still.

The claim that this war is about weapons of mass destruction is either dishonest or betrays a lack of foresight verging on negligence. If war is so vitally necessary now, was it not at least worth mentioning in the election campaigns of 2000 and 2001? Why didn't Bush and Blair mention the war to their respective electorates? The only major leader who has an electoral mandate for his war policy is Gerhard Schroder - and he is against it. Why did Bush, with Blair trotting faithfully to heel, suddenly start threatening to invade Iraq when he did, and not before? The answer is embarrassingly simple, and they don't even seem ashamed of it. Illogical, even childish, though it is, everything changed on September 11 2001.

Whatever anyone may say about weapons of mass destruction, or about Saddam's savage brutality to his own people, the reason Bush can now get away with his war is that a sufficient number of Americans, including, apparently, Bush himself, see it as revenge for 9/11. This is worse than bizarre. It is pure racism and/or religious prejudice. Nobody has made even a faintly plausible case that Iraq had anything to do with the atrocity. It was Arabs that hit the World Trade Centre, right? So let's go and kick Arab ass. Those 9/11 terrorists were Muslims, right? And Eye-raqis are Muslims, right? That does it. We're gonna go in there and show them some hardware. Shock and awe? You bet.

Bush seems sincerely to see the world as a battleground between Good and Evil, St Michael's angels against the forces of Lucifer. We're gonna smoke out the Amalekites, send a posse after the Midianites, smite them all and let God deal with their souls. Minds doped up on this kind of cod theology have a hard time distinguishing between Saddam Hussein and Osama bin Laden. Some of Bush's faithful supporters even welcome war as the necessary prelude to the final showdown between Good and Evil: Armageddon followed by the Rapture. We must presume, or at least hope, that Bush himself is not quite of that bonkers persuasion. But he really does seem to believe he is wrestling, on God's behalf, against some sort of spirit of Evil. Tony Blair is, of course, far more intelligent and able than Bush. But his unshakable conviction that he is right and almost everybody else wrong does have a certain theological feel. He was indignant at Paxman's wickedly funny suggestion that he and Dubya pray together, but does he also believe in Evil?

Like sin and like terror (Bush's favourite target before the Iraq distraction) Evil is not an entity, not a spirit, not a force to be opposed and subdued. Evil is a miscellaneous collection of nasty things that nasty people do. There are nasty people in every country, stupid people, insane people, people who should never be allowed to get anywhere near power. Just killing nasty people doesn't help: they will be replaced. We must try to tailor our institutions, our constitutions, our electoral systems, so as to minimise the chance that such people will rise to the top. In the case of Saddam Hussein, we in the west must bear some guilt. The US, Britain and France have all, from time to time, done our bit to shore up Saddam, and even arm him. And we democracies might look to our own vaunted institutions. Are they well designed to ensure that we don't make disastrous mistakes when we choose our own leaders? Isn't it, indeed, just such a mistake that has led us to this terrible pass?

The population of the US is nearly 300 million, including many of the best educated, most talented, most resourceful, humane people on earth. By almost any measure of civilised attainment, from Nobel prize-counts on down, the US leads the world by miles. You would think that a country with such resources, and such a field of talent, would be able to elect a leader of the highest quality. Yet, what has happened? At the end of all the primaries and party caucuses, the speeches and the televised debates, after a year or more of non-stop electioneering bustle, who, out of that entire population of 300 million, emerges at the top of the heap? George Bush.

My American friends, you know I love your country, how have we come to this? Yes, yes, Bush isn't quite as stupid as he sounds, and heaven knows he can't be as stupid as he looks. I know most of you didn't vote for him anyway, but that is my point. Forgive my presumption, but could it just be that there is something a teeny bit wrong with that famous constitution of yours? Of course this particular election was unusual in being a dead heat. Elections don't usually need a tie-breaker, something equivalent to the toss of a coin. Al Gore's majority in the country, reinforcing his majority in the electoral college but for dead-heated Florida, would have led a just and unbiased supreme court to award him the tie-breaker. So yes, Bush came to power by a kind of coup d'etat. But it was a constitutional coup d'etat. The system has been asking for trouble for years.

Is it really a good idea that a single person's vote, buried deep within the margin of error for a whole state, can by itself swing a full 25 votes in the electoral college, one way or the other? And is it really sensible that money should translate itself so directly and proportionately into electoral success, so that a winning candidate must either be very rich or prepared to sell favours to those who are?

When a company seeks a new chief executive officer, or a university a new vice-chancellor, enormous trouble is taken to find the best person. Professional headhunting firms are engaged, written references are taken up, exhaustive rounds of interviews are conducted, psychological aptitude tests are administered, confidential positive vetting undertaken. Mistakes are still made, but it is not for want of strenuous efforts to avoid them. Maybe such methods would be undemocratic for choosing the most powerful person on earth, but just think about it. Would you do business with a company that devoted an entire year to little else than the process of choosing its new CEO, from the strongest field in the world, and ended up with Bush?

Saddam Hussein has been a catastrophe for Iraq, but he never posed a threat outside his immediate neighbourhood. George Bush is a catastrophe for the world. And a dream for Bin Laden.

Richard Dawkins FRS is the Charles Simonyi Professor at Oxford University. His latest book is A Devil's Chaplain (Weidenfeld & Nicholson).


2003年03月25日(火)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦


 対イラク戦争がはじまる前の3月11日にオランダのハークで国際刑事裁判所(ICC)が開設され、すでに18人の裁判官も任命された。4月から活動が本格的にはじまるとされる。

 現在の国際社会での武力行使は自衛のためか、それとも国連安保理事会で決議されるかのどちらかの場合にしか許されていない。今回イラクに関しては、その どちらのケースもあてはまらない。そのため英国の現政権与党の労働党内で、ブレア首相が、首相を辞めた後のいつの日か、訴えられて「国際刑事裁判所 (ICC)の法廷に立つ」可能性を指摘する声があがったといわれる。

 
国際刑事裁判所とは何か
 
 それでは、問題にされた国際刑事裁判所とは何なのか。今までも、ユーゴやルアンダなどの特別国際法廷など、民族の虐殺や人道に対する罪、また戦争犯罪と いった国際社会に対する重大な犯罪を裁く法廷が開かれたことがある。今回設立された国際刑事裁判所は、1998年に約120カ国が調印したローマ条約に基 づいていて、国連からも独立した常設法廷である。この点でこれまでの特別国際法廷とは趣を異にする。

 国連は政治機関であっても司法機関ではない。国内でも議会の多数決でどの犯罪を審判するか決めたらおかしいが、従来国連安保という舞台で大国がかなり勝 手に裁判の対象を決定してきた。ユーゴ元大統領ミロシェビッチを裁く旧ユーゴ国際戦犯法廷も「政治裁判」であり、不公平感が残る。NATO諸国のユーゴ空 爆が一部のNGOから非難されたが、結局裁判の対象にならなかったのもこのような不公平の例である。

 国際刑事裁判所は国連から独立しているので、特定犯罪事件だけでなく、政治的影響から比較的に自由で、独自の手続法をもつので、近代法の在り方に近くな る。今までの国際法廷は米国開拓時代の西部で牛泥棒を裁く「リンチ裁判」に似ていないことはない。次に犯罪が起こってからそれを処罰する法律をつくるのは 近代法の原則に反するが、また同じように事件が起こって裁判所を急遽開設するのも望ましいことではない。

 ところが、今回設立された国際刑事裁判所が常設法廷で、ローマ条約の発効以前の犯罪でなく、今から起こる犯罪事件が裁判の対象にされるので、従来の国際裁判と比べて大きな改善である。

 
危険を察した米国

 数年前、ロンドン警察がスペインの予審判事から身柄引渡しの要請を受けて入院中のピノチェト元チリ大統領を逮捕した。またイスラエルのシャロン首相は、 20年前のレバノンの難民収容所でのパレスチナ人虐殺容疑のためにベルギーで訴えられている。今年ベルギーの最高裁は、彼が首相を辞めた時点で裁判を開く ことができると判決した。ちなみにどちらも被害者が訴えていたケースである。

 戦争犯罪や人道に対する罪で個人の責任を追及する傾向は、今回の国際刑事裁判所の設置で更に強まるといわれる。シラク仏大統領が、旧フランス殖民地・ア フリカ諸国の首脳会議の席上で「国家犯罪が処罰されない時代は終わった」と発言したが、この警告も時代の変化を物語る。

 米国はクリントン時代ローマ条約に署名したが、ブッシュ大統領に代替わりしてから身の危険を察して脱退しただけでなく、国際刑事裁判所を眼の仇にするようになった。

 米政府はそれ以来、ぼんやりした国を見つけては、自国民をハーグ国際刑事裁判所に引き渡されないようにするために二国間条約を締結しようとやっきであ る。独立して間もない東チモールにも(昔日本に「不平等条約」を押し付けたのと同じ要領で)、このことに成功した。今まで20カ国あまりの国がこうして米 国に一本釣りされた。米国がこのように金とエネルギーを費やしてツブシにかかることも、国際刑法裁判所に隠された罠に気がついたからである。
 
 
刑法ルールのイレギュラーな展開

 国際刑事裁判所の意味が理解されにくいのは、暴力が国家に独占され、警察が犯罪容疑者をつかまえてから裁判がはじまる刑法のイメージが私たちの頭の中で強いからである。

 周知のように、現在の国際社会は、国連による武力の独占的管理からはほど遠い。米国という自称「警察官」がいて、裁判官も検事も、時には陪審も兼任したがる奇妙な国が存在するだけである。

 このように考えると少し悲観的になるが、でもこれは、国際社会で刑法が国内と同じように機能しなければいけないと私たちが思い込んでいるからではないの だろうか。21世紀の国際社会の刑法的ルールは、今後かなりイレギュラーに展開していくかもしれない。

 今までは、シャロン首相が引退後ベルギーへ旅行できないだけで済んだ。もともとイスラエルが大好きなのであり、ご高齢のこの政治家にとって、こんな欧州の小国に立ち入れないことなど痛痒を感じないことかもしれない。

 でもこれからは、ローマ条約加盟国は、現役時代よからぬことをして訴えられた政治家を条約上引き渡さなければいけない。こうして89カ国にのぼる加盟国に立ち入れなくなると、脛に傷持つ政治家に地球が狭くなることを意味する。

 英国もローマ条約加盟国であるので、ブレア首相も下手すると欧州に顔を出せなくなるかもしれない。彼もテキサスのブッシュ家の牧場で余生を過ごし、バカ ンス先も東チモールということになれば、奥さんがヒステリーを起こすことだってありうるのである。

 もちろんはじめは、脛に傷持つ自国政治家をかばおうとする国が出て来るかもしれない。でもそのための外交交渉は煩雑であり、政権も交替している以上、ど こまで引退した老人のために力をつくしてくれるか、かなり疑問である。また裁判を背負うことは誰にとっても精神的負担になる。先進国の政治家の平均年齢は 下がる傾向にある。高齢社会で暮らす彼らの余生は短くない。私たちはこの点を考えるべきである。

 すでに触れたピノチェト引渡し問題もメディアが派手に扱った。このようなことが繰り返されると、気安く戦争を決断する政治家も、自分の老後を考えて少し は慎重になるのではないのだろうか。今後国際刑事裁判所を舞台に類似した事件が何度か発生すると、逮捕して監獄に入れて裁判ということにならなくても、戦 争抑止効果が少しは生まれるかもしれない。

 
江戸の仇はハーグで、、、、

 国家の不法行為に関して個人の法的責任が国際社会で本格的に追求されるようになったのは、第二次大戦後のニュールンベルクと東京で開廷された軍事法廷か らである。当時日独両国で、弁護側に立って苦労し不公平に憤慨した法律家から見て、今回発足した国際刑事裁判所は夢のような話である。

 それだけに、日本がローマ条約調印国に入っていないのは残念なことだ。国際刑事裁判所の話を聞いたとき、敗戦国民のヒガミ根性をもつ私は、「江戸の仇は (長崎でなくとも)ハーグで、、」とよろこんだ。そう思ったので、日本で「勝者の裁判」に文句をいう人々の無関心は理解に苦しむ。彼らは、自国民に威勢の 良いことを語る「井の中の蛙」なのかもしれない。

 日本で国際刑事裁判所に関心を寄せる人々は少なくない。小さな町の市議会がローマ条約の調印と批准を要求する決議をしている。ところが、私には主要メ ディアの取り上げ方が小さい気がする。これは、ニュース本位で動くためかもしれないが、本当にそれだけなのだろうか。それでは、なぜ日本では一般的関心が 低いのだろうか。

 昔、私はドイツ人の戦争体験者の回想録をまとめて読んだことがある。捕虜になって不当な扱いを受けた兵士が戦時国際法を楯に抗議する場面に度々出合い、 少しあきれた。彼らも抗議が受け入れられないとあきらめるが、私は自分が捕虜になったら、何をされても文句をいえないと考えて、はじめから黙っているよう な気がした。これを裏返すと、敵兵を捕虜にしたら、自分が何をしても相手は文句をいうな、と考えていることであり、本当はどこか恐ろしいことでもある。

 多数の日本人が私のように反応するとすれば、これは、私たちが無意識に自国と外国との関係を強いか弱いかだけの尺度で眺めていることにならないだろう か。国際関係をこのように「弱肉強食」的メガネで見れば、強い相手には黙り、弱い相手には沈黙を強制し、結局国際法など紙切れ同然になる。こう考えると、 日本がローマ条約に大きな期待を抱かず署名もしなかったのも理解できる気がする。

 このような国際観は、19世紀後半の帝国主義時代に開国した日本にインプットされ、残念なことに「刷り込み」現象のように私たちの意識に残っているのではないのだろうか。私はそのように想像している。

 当時の日本国家は「富国強兵」をめざした。ある国が軍事的に、また経済的に強いか弱いかということは、もちろん国際社会で重要な要因である。でもこれだ けが国際関係を見るメガネになってしまうと、国際社会での重要な変化を見落とすことがあるかもしれない。同時にこれは、国際社会での行動や態度の選択肢と して、結局尊大になるか卑屈になるかの二つのパターンしか残されていないことになってしまう。この結果は外交的選択肢が狭くなることで、この状態が必ずし もいつも日本の得にならないことは多言を要しないと思われる。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2003年03月18日(火)萬晩報通信員 園田 義明


 
■旋回するハイジャック機

「今まさにバランスを失ったハイジャック機の中では、映画のクライマックスさながらに、パウエル国務長官が機体を懸命に立て直そうとしている。」(拙稿『キリスト教原理主義の危険な旅立ち』より)

 現在のイラクめぐる構図が、いつのまにか、「米タカ派+ネオコン」対「世界」の構図に見えてくる。特にキリスト教原理主義者を率いて暴走するネオコンに 対して、世界のリーダー達は、驚くほどに協調しているのである。ここでは、米欧の対立もなければ、欧州の分裂も存在しない。

 しかし、パウエルだけの力では、彼らを止めることが出来なかったようだ。そのために、世界の力を頼りに国連の場に強引に持ち込んだのである。

 全世界の人々が固唾をのんで見守る中、ハイジャック機は、イラク上空で激しく両翼を上下に揺さぶりながら旋回を続けている。

 最右翼には、最近日本でもようやくメジャーになりつつある米ネオコン(新保守主義=ネオ・コンサーバティズム)が、星条旗とイスラエル国旗を振りかざし ている。彼らのすぐ手前には、タカ派が腕組みをして、にらみを利かせている。そして、ネオコン最大のスポンサーであるメディア王マードックの地元オースト ラリアが、国内世論の反発覚悟でしがみついている。

 最左翼には、ドイツがどっしり陣取り、フランス・ベルギー・ロシア・中国が、平和を武器に国際世論に訴えかける。世界中で高まる反戦運動を味方につけている。

 国内外メディアの解説では、イギリス・スペインは、右翼側に位置しているように書かれているが、実際には中央右寄りあたりで、バランサーの役割を演じて いるようだ。彼らの姿勢が、左翼ではなく右翼側に向いている点が興味深い。右翼側の様子をうかがいながら、時には左サイドにまで移動して来ることもある。

 この21世紀を担う主要国の思惑が、国連安全保障理事会の場に持ち込まれ、対イラク新決議日替わり修正案の採決を待っていたが、今はもう静まりかえっている。

 
■スペイン・アスナール首相の本音

 アスナール首相は、米ニューズウィーク誌とのインタビューで「欧州には米国への知的優越感のようなものがあり、米大統領をあまり評価しない。共和党なら評価は下がるし、それにテキサス州出身とくればさらにマイナスだ」と発言している

 そして3月10日夜には地元のテレビ番組に出演し、「フランスもロシアも中国もイラクに利権がある。スペインには何もない」と述べ、石油利権が反対の背景にあるとの認識を示唆する。

 2001年10月の拙稿「ニュー・グレート・ゲーム」で触れたとおり、フランスを代表する石油メジャー、トタルフィナ・エルフは、フランス・ベルギーの 連合体であり、ドイツも深く関わっている。従ってロシア・中国も含めてイラク既得権益国が左翼側に仲良く並んでいるのである。

 このアスナール首相が「ラムズフェルド米国防長官を黙らせてほしい」と2月末の米ウォールストリート・ジャーナル誌で発言し、「私たちにはパウエル国務長官が大いに必要だ。ラムズフェルドはあまり必要ない」と心情を吐露する。

 どこかの哀れな国のように、必ずしもアメリカを全面的に支持していたわけではない。

 
■イギリス・ストロー外相の"we will reap a whirlwind"

 常にアメリカと行動を共にしてきた英ブレア政権も与党労働党下院議員の半数近い200人前後が政府に反旗を翻し、ブレア政権は瀬戸際に立たされている。 人気の高い女性閣僚ショート国際開発相は、国連の承認なしに開戦した場合、国際法違反、国連軽視で是認できないと抗議の辞任を警告する。そして、与党・労 働党の下院議員40人余がブレア首相に退陣を迫る声明を発表する。

 昨年10月のコラム「油屋さんの危険なセールス・トーク」で「ブッシュの忠実なプードル」との批判を浴びる中、ブレア首相率いるイギリスが、アメリカか ら離れようとしないのは、米単独での攻撃を阻止するためのコバンザメ戦略だと書いたが、さすがにもう付き合いきれないと言い始めたようだ。

 3月4日、英ストロー外相は非常に意味深い発言をしている。ヨーロッパが歩調を合わせることを拒否するなら、ワシントンが、国連とNATOのようなマル チラテラル(多国間協調的)な機関を放棄するであろうと語り、フランスとドイツに対して「アメリカ人を一極世界の中心にあるユニラテラリスト(アメリカ単 独主導主義者)のポジションに追い込むことになれば、我々欧州は、ひどい罰を受けることになるだろう。」と警告したのだ。

 ストロー外相は、「ひどい罰を受けることになるだろう」を"we will reap a whirlwind"と表現している。ことわざにもなっている"Sowing the wind they reap the whirlwind=風を蒔いてつむじ風を刈り取る"から引用しているが、旧約聖書の小預言書とよばれるホセア書が原典である。ホセア書は、罪深い人間を 愛してやまない神様の愛を描いている。イギリスにとっての罪深い相手とは、ストロー発言を見る限りフセインではなく、やはり最右翼に座る方々のようだ。

 
■衝突 シラク首相 VS ネオコン・パール

 フランスのシラク大統領は、3月10日夜、テレビTF1などと会見、対イラク武力行使容認の決議案について「どんな状況であっても、フランスは受け入れず拒否する」と言明、拒否権行使も辞さない姿勢を大統領として初めて表明した。

 シラク大統領は米国一極ではない「多極的な世界」の構築を目指し、ブッシュ政権の独走に歯止めをかけたい考えを示しながら、戦争に反対する理由として、 「イラクでの戦争は、反テロの国際協調を破壊し、文明と『宗教』の衝突を急ぐ者を助けるだけだ。」と語っている。

 これに対し、またしても猛反撃を繰り広げたのは、ネオコンの親分リチャード・"プリンス・オブ・ダークネス"・パール国防政策委員会委員長である。13 日の仏ラジオのインタビューで「今やフランスはサダム・フセインの側についた。シラク仏大統領にはサダムと個人的つながりがあるからだ」と発言。また、フ ランスを支持する反戦デモも「参加者数は世界人口のたかだか1%かそれ以下だ」とバッサリ切り捨てた。

 
■ネオコンを利用する現実主義者

 スペイン・アスナール首相の「黙らせてほしい」発言にも関わらず、ラムズフェルド国防長官は11日の記者会見で、イギリス抜きの戦争遂行計画を策定中で あることを明らかにした。会見の4時間後に発言の取り消しに出たが、イギリス国内での「攻撃には新決議が欠かせない」という最近の動きに情勢待ちを余儀な くさせられているアメリカの"本音"が垣間見えたようだ。結局、彼らは、イギリスもスペインも振り切って、単独で攻撃したいようだ。

 事実、着々とアメリカ政府はイラク戦後までの計画を入念に練れ上げており、3月6日には、米国防総省筋はイラクの油田の消火を監督する業者に、米油田 サービス会社ハリバートン傘下のケロッグ・ブラウン・アンド・ルート(KBR)が選定されたことを明らかにしている。

 そして、10日付けの米ウォールストリート・ジャーナル誌によれば、米政府は、対イラク戦終了後の「戦後復興」をにらみ、道路、橋、病院、学校などのイ ンフラストラクチャー建設について、総額9億ドルにのぼる契約案件をすでに米国の会社5社に提示、入札手続きを開始したとのことである。

 ゼネコン5社とは、油田消火業者にも選定されたハリバートン傘下のケロッグ・ブラウン・アンド・ルート(KBR)、フルア・コーポレーション、ルイス・バーグ・コーポレーション、パーソンズ・コーポレーション、そして、ベクテルである。

 ハリバートンは、チェイニー副大統領がCEO(経営最高責任者)を務めていた。また、エンジニアリング大手のベクテルは、パウエル国務長官がエグゼクティブを務めており、2008年の大統領選へのパウエルのしたたかな計算もあるようだ。

 つまり、現在、ブッシュ大統領の傍らでコックピットに入っているのは、このふたりとライス国家安全保障問題担当大統領補佐官あたりであろう。

 
■ハイジャック機の行方

 ブッシュ大統領とブレア首相、アスナール首相の3人が、場所をポルトガル領アゾレス諸島に移して、最後の調整を行う。ブッシュ大統領の背後には、チェイ ニー副大統領率いるタカ派とネオコンが取りついている。ブレア首相、アスナール首相の背後にはパウエル国務長官や欧州勢の首脳が寄り添っている。

 ブレア首相、アスナール首相の援軍にブッシュ・パパも加わったことから、戦争回避に向けた最後の努力を期待したが、ハイジャック機はバグダッドを目前に 控え、もはや引き返すことはできなかったようだ。チェイニー、パウエルなどの現実主義者達は、すでに、対イラク戦の利害の調整作業を始めているのかもしれ ない。そして、ハイエナのように群がる人々の中にドイツ人やフランス人に混じって、イラク復興新法を手にした日本人の姿も多数確認できる。

 腹黒い現実主義者達が醜い争いを続ける中で、ブッシュ大統領は、こっそり抜け出してハイジャック機の行く先を微妙に修正するのかもしれない。

 米上院のパトリック・リーヒー、エドワード・ケネディ両民主党有力議員が、上院本会議でブッシュ大統領を救世主的な狂信的熱情に取りつかれていると批判 した。この狂信的救世主は、ネオコンの意向を受けて首都バグダッドの南およそ80kmの地点にターゲットを合わせる。そこに、バビロンがある。

 バビロンには、残虐な異民族で統治勢力だったアッシリアを追い出し、シリアとパレスチナを征服、そして「エルサレム王国」を破壊したネブカドネザル王 (紀元前605-562)の再来を自称しているサダム・フセインが待っているはずだ。そんなハリウッド映画のような結末が用意されているのかもしれない。

 まもなく、とても厄介な戦争が始まろうとしている。

 ▼引用・参考

Aznar Tells Bush: Allies Need Political Cover-WSJ
http://abcnews.go.com/wire/Politics/reuters20030227_58.html

Don't snub US, Straw warns
Nicholas Watt and Anne Perkins
http://www.guardian.co.uk/Iraq/Story/0,2763,907763,00.html

ホセア―愛されない者への愛
http://www.aquila-priscilla.com/Hosea/
http://www.aquila-priscilla.com/Hosea/8.htm

Bush Sr warning over unilateral action
From Roland Watson in Washington
http://www.timesonline.co.uk/article/0,,3-605441,00.html

Senior Lawmakers Attack Bush Administration's "Messianic Zeal" on Iraq
http://www.commondreams.org/headlines03/0314-02.htm

【噴水台】バビロニア
http://japanese.joins.com/html/2003/0310/20030310215506100.html      
  
Inside Saddam's mind
By Pepe Escobar
http://www.atimes.com/atimes/Middle_East/EC14Ak05.html

War with Iraq is 'dress rehearsal for Armageddon' says head of Evangelical
Israel Broadcasting Network
http://www.workingforchange.com/article.cfm?ItemID=14656

 園田さんにメールは mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

2003年03月17日(月)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有


 春のぽかぽか陽気の中、ワシントンのブルッキングス研究所のすぐ斜め後ろにあるイラク大使館をかすめながら、各国の大使館が並ぶデュポンサークル周辺を 散策した。たまたま、ウッドロー・ウィルソン大統領のハウスを見つけた。その記念館の説明を聞き考えさせられた。思わず「ウィルソン大統領なら、イラクにどのように臨むのでしょうか」との質問を発した。

 ウィルソン大統領なら、国連の同意のないイラクへの武力行使を認めず、さらに新たなる国際秩序構築の絶好の好機と考えるだろうとの答えが返ってきた。 1919年のパリ講和会議で、ウィルソン大統領は国際連盟設立を呼びかけた。英、仏、伊、日が連盟に参加し、後から露が入った。しかし、アメリカは、ウィ ルソン大統領の提唱にも関わらず本国の反対で参加できなかった。ウィルソン大統領は、現実の問題に対処するというより、究極的な理想主義を貫徹しながら、 永続的な平和の基礎として国家の平等と権利の平等を主張した。

 84年後の本日、ブッシュ大統領は、ポルトガル領、アゾレス諸島で英、スペイン、ポルトガルの首脳と協議し、米英の修正案が認められない場合、国連の決 議なしでイラクへの武力行使に踏み切るとの考えを示した。民主党の理想主義者であるウィルソン大統領と違い、共和党のブッシュ大統領は、対極的な政策を採 ろうとしているが、両者に共通するのは平和を創造することであり、その手段として軍事を使うか、軍事なき外交に頼るかである。両者とも国際秩序の構築を目 指していることには何ら変わりがない。換言すれば、破壊から新たな国際秩序を生み出すか、紛争を未然に防ぐ予防外交を通じた国際秩序の構築を目指すかであ る。

 どちらが正しいかは、歴史が判断しようが、ウィルソン大統領の理想主義は、20世紀の初頭においては機能しなかった。ブッシュ大統領の決断に関し、研究 所の友人は、米国の歴史を考察すれば、広島や長崎の例が示すように破壊からの創造をアメリカは選択するし、また911の悲劇がそれを助長しているとの考え を示した。

 筆者は、先制攻撃を否定しない。国際テロ撲滅のためには先制攻撃も必要と考えている。アメリカが本当にイラクが脅威であると考えており、そして大量破壊 兵器による切羽詰った脅威に直面しているなら、とっくの昔にアメリカは先制攻撃を仕掛けているはずである。ここまで話し合えば先制攻撃でない。アメリカ は、イラクの保有する大量破壊兵器を緒戦の攻撃対象にすると考えているなら、どうしてその場所にIAEAの査察が入らないのであろうか。

 ブッシュ大統領は、軍事力による国際秩序の構築を考えている。仏、露、独の「平和の枢軸」は、和の精神を持って国際秩序の構築を実現しようとしている。 換言すれば、新生イラクの国造りに急ぐあまり世界の国際秩序を一時的に破壊しようとしているのがアメリカであり、20世紀の戦争の歴史を踏まえ、現実主義 的理想主義を唱えているのがフランスをはじめとする世界の潮流であろう。

 大いなる理想による国際秩序の構築が求められている。アメリカもフランスも大いなる国際秩序の構築を目指しており、両者とも少なくとも世界平和を願って いる。3月17日のXデーにて、ブッシュ大統領は近視眼的な一国排他主義による国際秩序の構築を目指すのであろうか。ブッシュ大統領が望む選択が実行され たときの勝利者は、国連やアメリカ、ユーラシア、アフリカの分断を成功させ、アメリカを孤立させた国際テロ組織となろう。よりによって、世界経済が弱って いるときに破壊を通じた国際秩序の構築が実施されようとは。

 この調子でアメリカが国際秩序の破壊、それとも構築を進めるなら、中近東に並ぶ火薬庫である朝鮮半島において、どのような展開が待ちうけているのであろ うか。北東アジアのビジョンを戦略的に練り直さなければいけないと感じる。北朝鮮はアメリカの暴走をどのように見ているのであろうか。イラクへの軍事政策 が北朝鮮を妥協させるとの見方もあろうが、北朝鮮が核を保有しているとの見解が正しければ、破壊による北東アジアの構築というオプションは存在してないだ ろう。

 もう、すでに「パンドラの箱」は開かれてしまった。いずれにせよ、歴史的瞬間にどんでん返しが起こる可能性もある。そのチャンスとは、中東和平とイラク 戦回避と国際秩序の構築であろう。フセイン大統領が無条件に国際社会の要求に応じるにあたり、フランスに頼めばすべてうまくいくのではないだろうか。ブッ シュ大統領とシラク大統領は、電話でなく直接会って最終的な談判を行うべきであろう。また、こんな時こそ、G8という場があるのではないだろうか。 1975年にジスカール・デスタン大統領の提案でパリ郊外ではじまったG8を緊急に開催すべきである。国連が機能しなければ、最終的手段としてG8が存在 しており、それがきっかけとなり21世紀の国際秩序の構築へと発展すべきであろう。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU
2003年03月16日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 アメリカ、イギリスが国連決議案の採決日程を延長したり、修正したりと対イラク戦開始に向けて少々ダッチロール状態だ。そうだろう。たとえイラクがならず者国家であり、「悪の枢軸」を形成していたとしても、まだ何もしていないそのイラクに先制攻撃を加えることはあまりにも理不尽であるからなのだ。

 アメリカの対イラク戦がどのような形で始まるのか。これがまったく想像ができないのである。

 すでに飛行禁止区域を制している状況でイラクを攻めると言うことは直ちに首都バグダッドを攻めることを意味する。イラクの南半分はすでに「飛行禁止区域」となっていて、これまでも米英の航空機による爆撃がし放題であったから、大規模な正規軍がいるはずがない。またアメリカの本当の狙いがサダム・フセイン打倒にあるのだから、なおさらバグダッドを攻撃しなければ目的を果たせない。

 だから最初から城攻めになる。悲惨な結果を招くことがあらかじめ分かっていてアメリカとイギリスはイラク攻撃をしようとしているのだ。

 しかし、よくよく考えると、バグダッドへの先制攻撃は、開戦のその日から500万人弱の生活者を阿鼻(あび)叫喚の状態に陥れることに等しい。正規軍同士の激突もないうちに、非戦闘員である市民が最初の犠牲になる。そんな戦争がかつてあっただろうか。そんなものは戦争でもなんでもない。単なる虐殺だ。

 これまでの戦争でも非戦闘員である市民が大勢犠牲になってきた。ベトナム戦争では多くの村がアメリカ軍の攻撃の的となった。その場合でも、ゲリラの拠点であるとの疑いがなかったわけではない。いったん戦争が始まれば、非戦闘員といえども相手国民は「敵」と見なさざるをえないケースも出てこよう。だが、緒戦から非戦闘員が攻撃の的となった戦争はまずない。

 戦争は正規軍同士の戦いだから、その昔、戦闘は野っ原や大海原で行われた。城攻めは敗れた正規軍が逃げ込んだときに行われた。非戦闘員に被害が及ぶ可能性が出るのは、正規軍が戦闘に敗れて町に逃げ込んだ場合である。その場合でも、軍隊は事前に市民や町民に避難を求めた。そんなことがなくても、市民や町民は自発的に避難する知恵を持っていた。

 だが今度の対イラク戦はそんな悠長さもない。

 アメリカ合衆国は、曲がりなりにも民主主義のリーダー国家であることを誇りに思い、自由と平等を国家存立の理念としてきた。今でも虐げられる民を受け入れ、亡命を認める寛容さを持っている国家である。そんなアメリカの大統領がのっけからイラク国民に対する虐殺行為に踏み切れるはずがない。

 だから、バグダッドへの先制攻撃が本当に現実的なのだろうかと考えると答えはどうしても「否」としか出てこない。

 戦争はどちらかが先に発砲することから始まる。源平時代のようにお互いが名乗りあって合戦をしたのは昔々の話である。歴史が示すように戦争は勝った方が正義。そして最初に撃った方が「先制攻撃」の汚名を着せられる。どういうわけか最初に手を出した方が負けるケースが多いのは、強者が弱者を窮鼠(きゅうそ)猫をかむような状態にまで追い込むからでもある。

 対イラク戦が10年前と違うのは、イラクが先制攻撃をしてこないことである。どう考えても「大量破壊兵器を放棄しないと攻撃するぞ」というのはむちゃな要求である。否、脅しに等しい。そもそも攻撃を前提にした武装解除要求を相手国が受け入れる道理はどこにもない。

 10年前、パウエルがバグダッド攻略をしなかった背景には都市攻撃による惨劇を避けようとする配慮があったからだろうと想像している。人口500万人のバグダッド攻撃は、すでにソ連時代に破壊され尽くしていたアフガニスタンのカブールとはわけが違う。

 今晩ブッシュ米大統領とブレア英首相、そしてスペインのアスナール首相が大西洋のアゾレス島で緊急会談する。ほぼ60年前にアメリカのルーズベルトとイギリスのチャーチルが大西洋上で大西洋憲章に署名した。

 1941年8月14日、両国はドイツとの戦いについて次のように定義し、その理念を掲げた。

「陸、海および空の軍備が、自国の国境外における侵略の脅威を与えまたは与えることのある国々において引続き使用される限り、いかなる将来の平和も維持され得ないのであるから、両者は、一層広範かつ恒久的な一般的安全保障制度が確立されるまでは、このような国々の武装解除は欠くことのできないものであると信ずる」「両者は、すべての国民に対して、彼らがその下で生活する政体を選択する権利を尊重する。両者は、主権及び自治を強奪された者にそれらが回復されることを希望する」

2003年03月15日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 25年以上も前のセピア色の岩波新書を週末にひもといていた。中江兆民の『三酔人経綸問答』である。書かれたのは明治18年である。牙を剥いた列強が北 東アジアの国々を虎視眈々と狙っていた時代に、どうやって日本を守るかという議論が洋行帰りの紳士君と豪傑君、南海先生との間で戦わされる。

 興味深いのは中江兆民が、戦争が起こる原因について南海先生に語らせているくだりである。

 両邦の戦端を開くは互いに戦いを好むが為めにして然るに非ずして、正に戦いを畏るるが為めにして然るなり。我れ彼を畏るるが故に急に兵を備ふれば、彼も 亦我を畏れて急に兵を備へて、彼此の神経病、日に熾(さかん)に月に烈くして、其間、又新聞紙なる者有り、各国の実形と虚声とを並挙して、区別する所無 く、甚きは或は自家神経病の筆を振い、一種異様の色彩を施して、之を世上に伝播する有り。

「戦端を開くのは互いに戦争が好きだからではない」「互いに戦いを怖れるがゆえに、兵力を増強し、日に日にノイローゼになるから」で「そのノイローゼを盛んにあおるのがマスコミだ」と喝破する。

 是に於て彼の相畏るる両邦の神経は益々錯乱して、以為(おも)へらく、先んずれば人を制す、寧ろ我より発するに如かず、と。是に於て彼の両邦、戦いを畏 るるの念俄(にわか)に其の極に至りて、戦端自然に其間に開くるに至る。是れ古今万国交戦の実情なり。若し、其の一邦神経病無きときは大抵戦いに至ること 無く、即ち戦争に至るも、其の邦の戦略必ず防御を主として、余裕有り義名有ることを得て、文明の春秋経に於て、必ず貶議を受ること無きなり。

「先んずれば人を制する」の言葉通りどちらかが戦端をけしかける。「もし片一方がノイローゼでない場合は、戦争までにはならず、たとえなったとしても防衛を主として、ゆとりがあって正義を守ることができる」というのだ。

「日に日にノイローゼ」という状態は、まさに911以降のアメリカの有り様そのものではないだろうか。テロを怖れるあまり、テロを仕掛ける可能性のある国々を先制攻撃しようとし、メディアをけしかけているのだから。

 ひとつ違うのは、南海先生が語る戦争は対等な国同士の戦争だったのに対して、ブッシュの場合は、軍事力で圧倒的に優位にあるアメリカが中東の弱小国に怯えているという構図である。

 そして合点がいかないのは、圧倒的な軍事力を持つ国の大統領が弱小国を相手に「必ず勝つ」と国民に訴えかけているおかしさである。アメリカとイラクが戦争をしてアメリカが負けるなどと考える人がいるだろうか。

 勝つに決まっている相手と戦争をして仮に勝利して、これを「勝利」といえるのだろうか。しかも衆人監修の中で「先制攻撃」という手が果たして打てるのだろうか。これはもはや戦争ではない。どう考えてみても警察力の行使という考え方だ。

 もしアメリカが警察力の行使という考え方で、イラクを撃つのだったら、裁判所の令状が不可欠である。令状なしに攻撃するのであれば、その後の公判維持が できるはすはない。この場合、令状とは国連決議である。唯一、令状なしで攻撃できるのは、イラクが先制攻撃に出たときである。世界に冠たる民主国家アメリ カがこれくらいの初歩的ミスを犯すのであれば、イラクのことを独裁国家となじる資格はない。
2003年03月11日(火)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有

 もはやイラクの武装解除やフセイン追放といった小さな問題を通り越し、多国間の協調による新たな国際秩序の構築か、国際非秩序によるカオスの状態に陥るかといった地球の運命を豹変させる事態に直面している。

 ブッシュ大統領が盲信するイラク戦を傍観するわけにはいかない。傍観するどころか日本は、世界の潮流に逆らい戦争を回避するラストチャンスを逸しているのである。冷静に考えてみるとおかしな話である。イラクが戦争を仕掛けているのでなく、アメリカが戦争を仕掛けているのである。こんな戦争が回避できないようでは、永遠に戦争がなくならないだろうし、いつかは第3次世界大戦により地球が大やけどをしてしまうだろう。

 恒久的平和(核戦争回避を意味する)は、広島と長崎への人類史上最悪の悲劇が抑止力として機能してきたから成し遂げられてきた。このように考えると、日本は精神的な面において世界平和に貢献している。しかし、現在の日本の存在感は寂しい限りである。ワールドカップで暖かい日本のもてなしを受けたカメルーンでさえ15カ国で構成される国連安全保障理事会に入っているのに、国連第二の金庫番である日本にはその活躍の場がない。イラク問題はともかく北朝鮮の核問題においては、日本と韓国という北東アジアの主役が不在の国連安全保障理事会ではどんな話し合いが行われるのであろうか。

 国際舞台における存在感は、昔の日本の方があったのではないだろうか。国際連盟の常任理事国であった日本は満州事変の調査報告書の不満を理由に、国際連盟を脱退した。アジア独自路線をとった日本の方向は間違っていたが、松岡洋右代表の演説とその姿には、世界が一目おく日本の存在感として今も残る。物質的に豊かになった日本は、いったいどこに行ってしまったのであろうか。国際秩序の構築という国益と地球益を包括した壮大な創作活動が行われようとしている今、日本の軍事的関与には限界があろうが、日本が唱える平和構想を国際舞台で堂々と伝えなければ、日本の地位が低下することは間違いないだろう。

 日本ではどのように報道されたか知らないが、C-SPANで放映された3月7日の国連安全保障理事会の討論には、外交の駆け引きを超越した戦争を未然に防ごうとする予防外交と国際秩序を構築しようという空気が漂っていた。特に、フランスやロシアの外相の討論には、イラクの武力行使という目前に迫る問題を現実主義的に対応するのみならず、新しい国際秩序の構築という理想主義を掲げたものであった。フランスの外交の華やかさとロシアがアメリカの覇権主義に挑戦する気骨が現れた建設的な討論であった。

 アメリカは孤立しようとしている。最近のニューヨークタイムズやワシントンポストの論調は、ブッシュ批判が目立つ。日本のマスコミの方が、ワシントンの新聞よりイラク攻撃の正当性を訴えているとの印象を受ける。

 世界最強の軍事力を持つアメリカが、アメリカの価値観に楯突く国に戦いを挑むことは、歴史を振り返ればそれほど驚嘆に値することではない。イラク戦が始まれば、いくら最悪の状況を予期しても軍事面におけるアメリカの被害は、たいしたことはないだろう。世界の軍事と経済の頂点にあるアメリカは、911というトラウマから開放され、アメリカを守るために先制攻撃や予防戦争といった強硬な姿勢に徹することも納得がいく。昨年の9月12日のブッシュ大統領による国連演説に始まり、アメリカ議会における戦争容認、そして11月の国連安全保障理事会が満場一致で容認した国連決議案までの一連の動きは、国際テロ撲滅に対する国際社会の協調が成立したという点で何ら問題はない。むしろ、世界が21世紀型の戦争に対処し、新たな国際秩序の構築のための地ならしができたと評価するのが正当だろう。

 米国国家安全保障戦略にある先制攻撃も国際テロ撲滅のためには否定されるべきものではないと考える。ある国やテロ組織が大量破壊兵器を使い世界を脅かす行動に出ようとした場合、先制攻撃という選択がなければ抑止が効かないと思う。1981年のイスラエルによるイラクの核疑惑施設攻撃がなければ、クウェートの運命も変わっていたかもしれない。

 アメリカが911を梃に国際テロへの宣戦布告をしたからこそ、国際テロ撲滅に向けた国際協調が生み出されたのである。国連決議案1441が全会一致でまとまったのは、予想以上のアメリカの功績であった。IAEAがイラクをクロと判断した場合、国連安全保障理事会は、イラクの武装解除を目的とした戦争を容認するであろう。

 ブッシュ政権の問題は、国際協調なしで戦争を行うところである。戦争を行ってもアメリカは勝つ。加えて戦後復興における日本の役割は重要である。が、戦後復興といっても、新しい国を作ろうという作業なのである。復興のためのインフラ整備のみならず、イスラムの人々の心理的かつ宗教的側面を考慮すれば、何十年もかかる国造りになろう。こんな大それたことアメリカが行おうとしているのである。

 アメリカの側近である日本は、アメリカに「待てば海路の日和あり」と伝え、イラクも妥協していることだし、とにかく時間を稼ぎ頭を冷やすことで国際協調と新たなる国際秩序が生み出されるのではないだろうか。フランスもドイツも戦争には反対してないのである。ブッシュ大統領は、フランス、ロシア、中国の代表と直接話し合い、国連のブリックス委員長が提示した数カ月の猶予を決定すれば良いのではないだろうか。

 アメリカの軍事のおかげでフランスや国連の外交が機能するのである。21世紀の国際秩序の構築のチャンスは、この1週間が勝負である。これをのがせば、日本のみならず世界は混沌とするであろう。日本の代表は、国際連盟脱退の松岡洋右の演説に並ぶ存在感のある演説を行い、日本の堂々威風たる風格を世界に鼓舞すべきであろう。それが恐らくラストチャンスであろうし、またそれが実ることにより世界はまとまり発展へのギアにシフトされるだろう。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU
2003年03月07日(木)ワシントン在住ジャーナリスト 堀田 佳男

 イラクとの戦争が近づきつつあるので、ワシントンでは今、その方面で仕事をする人たちの動きが慌しい。政府関係者はもちろん、政策の提言が仕事であるシンクタンクの学者も、現状分析の発表やマスコミのインタビューなどに追われている。

 2月25日早朝、アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所、略称「AEI」と呼ばれる保守系シンクタンクでイラク問題の会合があった。「ブラックコーヒー・ブリーフィング」という呼び名で、イラク問題だけにしぼった会が最近始まった。仕切っているのはリチャード・パールというレーガン政権時代の国防副長官である。

 実は、このパールこそがいまワシントンでもっとも「旬」と言える人物なのである。シンクタンクに席を置く一方、国防政策諮問委員会というペンタゴンのラムズフェルドやブッシュに進言する集まりの委員長も務めている。この会にはキッシンジャーも入っている。さらに、ブッシュ政権を語るときのキーワードとも言える「ネオコン(新保守派)」の急先鋒がパールなのである。彼がブリーフィングで何を言うか、前日から遠足に行く前の小学生のような心持ちでいた。

 早めに着いた私は、コーヒーを飲みながら席についていた。だが開始時間になってもパールの姿がない。司会者はパールがいないまま、時間通りにブリーフィングをスタートさせた。10分ほどしてから申し訳なさそうに静かにドアを開けて初老の男性が入ってきた。だぶついたダークスーツに緩んだ赤のネクタイをつけている。頭部にはホワホワっとした白髪が流れる。銀座や六本木というより西武新宿線沿線の駅前にある焼き鳥屋の暖簾をくぐった疲れた経理担当のサラリーマンという感じであった。目つきもトロンとしている。アメリカの国防政策に大きな影響力をもつ人物にはどうしても見えない。

「外見の判断がこれほど当てにならない人物もいない」

 話を始めたパールの印象である。「疲れたサラリーマン」は鋼鉄の意志とでもいえるほど力強い口調でイラク軍事攻撃の必要性を訴えはじめた。国連査察団がいくらイラクで活動をしても何も見出せないと繰りかえす。そして、伝家の宝刀とでも呼べる話を持ち出した。ユダヤ人であるパールはナチスドイツのことに触れたのだ。

「いまのイラクはホロコースト時代の強制収容所に似ている。ナチスドイツのテレージェンシュタット収容所(プラハ)に、国際赤十字が査察にきたことがある。ナチスは査察団に対し、強制収容所など存在しないと言い張った。収容されていたユダヤ人には普段、着させない服を着せ、オーケストラで音楽さえ聞かせてとりつくろった。収容所でのその演奏会が最初で最後の音楽会であったことは言うまでもない。査察団が帰ると、またもとの収容所に戻った。そこで何万ものユダヤ人が死んだ」(4万人と言われる)

 パールは、国連安保理はすでにイラクに対して17もの決議案を採択しており、ほとんど遵守されていない中での18個目は必要ないと語気を強める。「17個あれば十分だろう」。私はパールがヒトラーとフセインをダブらせているように思えてならなかった。いまフセインを抹殺しなければ、第二のホロコーストか「9.11」が起きるかもしれないとの思いが言葉の節々から読める。その気迫はすさまじかった。それはユダヤ人だけが抱く恐怖心であり憎悪なのかもしれない。

 アメリカはイラクへの先制攻撃を「プリベンティブ・ウォー(予防戦争)」と呼ぶ。日本やヨーロッパでは、さかんに石油利権や軍需産業という言葉を使ってこの戦争の理由付けをする。だが仮に、それが攻撃理由の一部だったとしても、パールの心中では純粋にフセインという第2のヒトラーを退治することを戦争の第一義にしているように思えた。ブッシュはいま、彼のような過激なアドバイザーを周りに配している。

 ブリーフィングの後、個人的に話をする機会があった。私が一国主義と先制攻撃の邪悪性を口にしても、パールは聞く耳を持たなかった。

 堀田佳男 のDCコラム「急がばワシントン」2月27日から転載
 http://www.yoshiohotta.com/

 堀田さんにメールは mailto:hotta@yoshiohotta.com

2003年03月05日(水)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 イラクは世界で二番目に大きな原油の埋蔵量を誇る。またそこの油田は採掘コストが低いために魅力があるといわれる。ブッシュ大統領以下現政権のメンバーは石油業界とコネクションが深い。そのような事情から、この油田がお目当てで、米国が戦争をはじめると考える人は少なくない。
 でも、もしかしたら事情はもう少し複雑なのではないのだろうか。

 「油田お目当て」説反対の論拠

 「油田お目当て」説の反対者は次のようにいう。 
 米国は自国にも油田があり、これで消費の約半分をカバーし、足りない分を主にベネズエラなどの米大陸の産油国から輸入している。中東から輸入分は米国の消費全体の14%を占めるに過ぎない。こう考えると、米国にとって中東の油田は戦争するに値するほど重要でないことになる。
 
 もちろん米国の油田も長期的に見るとだんだん底をつく。でもこれも先の話で、その時までに時間をかけて解決することができるので、米国が今世界中の反対を押し切って戦争をする動機になるとは思いにくい。

 現在、米国は不景気である。今イラクの油田を手に入れて安い石油を大量に供給することは景気回復につながる。メディアの帝王といわれるマードックは戦争がもたらすこの利点を広言してはばからないそうである。確かに戦争で彼のメディアはもうかるかもしれない。でもブッシュ政権と関係の深い米国の石油業者が石油の値下がりを歓迎するかどうか、かなり怪しい。というのは、値下がりは利益減につながるし、またアラスカ油田開発など種々のプロジェクトを抱える米石油業界に低価格は望まししことでない。

 また景気をよくするために戦争するとしたら、これはあまりリスクが大き過ぎるのではないのだろうか。戦争が長引き中東が不安定になり石油価格が高騰するかもしれない。これは世界経済に深刻な結果ひきおこす。このことを考えると、石油のために米国が戦争すると考えにくい。
 他の論拠もあるかもしれないが、米国が石油のために戦争するという説に納得しない人たちは、以上のように考える。

 ドル建てからユーロ建て

 「石油お目当て」説に反対する人は経済専門家に多い。彼らの多くは「平和主義者」でないが、今回の戦争の動機が経済合理性に反するとみなし懐疑的である。また経済界にも戦争を歓迎しない人々が多いのは、戦争が冷え込んだ景気を更に悪化すると思っているからである。
 
 昔は米国のする戦争で景気がよくなったが、この景気刺激効果も、米国以外の国々の経済規模が大きくなり、軍需産業のパイ全体に占める地位も低下したためにあまり期待できないとされる。

 私も、正直にいうと、「石油お目当て」説に納得していない。でも、財布にいっぱい金が入っている人も万引きするし、戦争の決断というものがかならずしもいつも合理的でないので、もしかしたらイラクの油田の確保が理由になるかもしれないと思っているていどである。

 石油に関して私の気にかかることは、石油そのものでなく、石油代金を支払う通貨のほうである。米国の指導者は、ユーロが欧州の地域通貨にとどまり、ドルと同格の機軸通貨になることを望まないといわれる。

 なかでも、米国は産油国が原油価格をユーロ建てに切り換えるのを嫌がる。お膝元の産油国ベネズエラでチャベス政権が登場した。この政権は石油輸出国機構(OPEC)のなかで原油を減産するほうのグループに加わっただけでなく、ユーロ建てに切り換えようとした。ベネズエラは米国の嫌がることを他にもたくさんしたかもしれないが、米国はクーデターまがいのことを画策したといわれている。

 イラクのフセイン政権は2000年11月6日をもって、原油取引きをドルからユーロ建てに切り換えた。これは、自国を敵対視する米国の通貨を嫌うためである。産油国イランも「悪の枢軸」にリストアップされているが、以前からユーロ切り換えを検討している。また中東の産油国のなかには、資産保存のために不安定なドルからユーロに切り換えようとする国が今後かなり出てくるといわれている。

 米国は何が何でもイラクを攻撃しなければいけない重要な理由は、イラクをここで叩いて示しをつけ、軍隊を駐留させて中東産油国がドルを離れないように牽制するためではないのだろうか。イラク攻撃の目標として、米国は中東全体の「民主化」による安定化を掲げている。これは、米国が、石油代金をドルで請求しない国を今後「民主化必要」と見なすためかもしれない。

 米国に都合のよいドル一極体制

 この通貨の問題は、私企業、またそれとつるんでいる政治家にとって重要な油田確保より、米国の存在にとってはるかに重要と思われる。
 
 この事情は中東の産油国が原油取引きをドル建てからユーロ建てに切り換えて、何が起こるか想像したら理解できる。

 中東原油の主要輸入国は日本や中国などの東アジア諸国である。原油がユーロ建てになると、これらの国がドル離れのテンポをはやめる。貿易で米国に対して出超の日本や中国などから輸出代金が米国にだんだん還流しなくなる。これは米国に都合が悪いのではないか。

 米国の貿易赤字も、経常赤字も、財政赤字も凄まじい。通貨の専門家は、マネーゲーム・バブルのためにドルの垂れ流しになり、流通量は気が遠くなるほど膨張していると指摘する。米国の通貨政策を「錬金術」と断言する人は少なくない。

 米国が「普通の国」なら、今頃IMFに経済安定化・プラン作成を要求されて監視を受けているのではないのだろうか。そうならないのは、米国がIMFを牛耳っているからである。

 経済の数値からみれば、普通なら米国は通貨危機とか、超インフレとかいわれて大騒動になると思われる。そうならないのは、ドルの一極支配で米国の通貨が世界中でつかわれているからである。これは、広い海に流し込んだ公害の有毒物質が薄まるのと同じ理屈ではないのか。この結果、米国は株価が下がったくらいで涼しい顔をしていることができる。このような特権は誰だって手離したくない。

 米国の金融当局者は、金価格を不法に市場操作したことで訴えられて裁判になっている。これも、米国が資金がドルから金塊に流れるのを阻止し、ドル増刷の「不滅の自由」を享受できる現在の通貨体制を維持したいためといわれる。米国にとって自国に都合の良いこの体制を維持することのほうが、イラク油田から自分の息のかかった人々に原油を汲み上げてもらうことなどより、はるかに重要なのではないのだろうか。

 反戦デモも景気対策

 このように経済的側面を考えていくと、米国のイラク攻撃も日本と関係の深い出来事である。日本経済は80%近くを中東油田に依存する。戦争で中東が不安定になることで、日本経済に対する望ましくない影響を心配する声はドイツでよく聞かれる。もう何年も前に会っだけのある経済研究所の人がこのことで少し前に電話してきた。これは、今や国際経済はお互いに持ちつ持たれつの関係になっている証拠である。
 
 日本の政治家はイラク攻撃について不安を感じないのだろうか。この点が私に不思議で仕方がない。ブッシュ政権はイスラム対西欧の「文明の衝突」をエスカレートさせる。これは中東を不安定にし、本当は日本の国益にならないのではないだろうか。日本の為政者は米国任せで、万事うまくやってくれると思っているかもしれないが、これも保証の限りでない。

 また通貨問題も、日本はドル建ての世界最大の対外純債権をもっているといわれる。リスクの分散という観点からも、またその他の理由からも、この状態を今後徐々に変えたほうが日本に望ましいと思われる。

 米国が現状を変えることを望まないのは当然で、だから数年前「アジア通貨基金」構想に反対した。イラク戦争でドル支配体制がこれ以上強化されたら、これも日本にとって今後今以上に窮屈なことになる。

 私には、日本の議論がどうなっているか、正直のところもう一つわからない。でも「戦争か平和か」の問いを人道的な観点に限定して論じないほうがいいように思われる。誰もが爆撃で死ぬ無辜の人々を見て戦争に反対したい気持なる。でもこのような感情は長続きしないし、一般的にならない。
 
 少し前、アイヒェル独蔵相は「今、我々にできる有効な景気対策は戦争を阻止することだ」といった。少々我田引水の感がしたが、理屈に合っていないことはない。平和運動は、何よりもこれ以上財政赤字を増やさない。いずれにしろ戦争は、いろいろな観点から論じたほうがいいようである。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

2003年03月04日(火)東京大学教授 中澤 英雄(ドイツ文学)

 ブルッキングス研究所客員研究員の中野有氏は、2月8日の萬晩報「不吉なイラク戦  期待される平和構想」で、スペースシャトル・コロンビア号の事故に触れてこう書いている。

「こともあろうにイスラエルのスペースシャトルの飛行士は、22年前にバクダッドの核疑惑施設を先制攻撃したときの副操縦士であった。テキサス州のパレスティンという場所の上空でシャトルは爆発し、ブッシュ大統領のクロフォードの牧場の近くに落下した。何たる偶然であろうか。

 宇宙の目的によって人類は生かされている。と考えると、コロンビア号の宇宙からのメッセージは何を意味するのであろうか。果たして今回の戦争を回避せよとの啓示か、戦争遂行後の不吉な結末を意味するのか。」
http://www.yorozubp.com/0302/030208.htm

 私も、この事故に宇宙からの不思議なメッセージが込められている、と考える者の一人である。そして、中野氏の考察をさらに深める形で、「宇宙からのメッセージに耳を傾けよ――スペースシャトル事故と迫り来るイラク攻撃」という論文を書いた。かなり長文であるが、ご関心のある方は以下でお読みいただける。

日本語 http://thank-water.net/japanese/article/nakazawa1.htm
英 語 http://thank-water.net/english/article/nakazawa1.htm

 私がこの論文を書くきっかけになったのは、事故直後のあるテレビ番組(たしかフジテレビの「とくダネ!」だったと思う)で、宇宙飛行士たちが自分たちの好きな音楽をモーニングコールとして地上から送信してもらっていたこと、そしてその中の一人がジョン・レノンの「イマジン」を希望した、ということを知ったことである。その番組の中ではさらに、その飛行士が、宇宙から見た地球には国境がないこと、そして地球の平和を祈ると述べていたことも報道されていた。

 私は、その宇宙飛行士の言葉に深い感銘を受けると同時に、彼がなぜ「イマジン」という曲を選んだのかに興味をいだいた。なぜなら、911同時多発テロ発生以降の世界情勢の中で、「イマジン」は、米英のアフガン報復爆撃、イラク攻撃に反対する人々の反戦歌、ピースソングになっているからである。レノン夫人のオノ・ヨーコさんは、アフガン爆撃開始直前の2001年9月25日に、ニューヨーク・タイムズ紙に「イマジン」の一節、「すべての人々が平和に生きているのを想像してごらん」という全面1行だけの広告を出した。世界各地の反戦集会では、必ずと言ってもよいほど「イマジン」が歌われる。逆に、制裁戦争賛成派は、「イマジンを歌っていればテロがなくなるか」と言って反戦運動を嘲笑する。

 アメリカ人であれば、この曲の今日的意味を知らないはずはない。宇宙飛行士はそれをはっきりと意識した上でこの曲を選んだのではないだろうか。

 ただし、朝の忙しい時間帯であったので、私は彼の名前も彼の言った言葉も正確に記憶することができなかった。そこで、その夜、宇宙飛行士の名前と彼の言葉をインターネットで探した。「イマジン」を希望した宇宙飛行士がウィリアム・マックール氏であるということはすぐにわかった。しかし、彼が「イマジン」とともに語った言葉はなかなか見つからなかった。

 私は彼の言葉を探して、数日間、次から次へと様々なサイトを渡り歩いた。しかし、ごく短いコメントを除いて、マックール氏が語ったそのままの言葉は、どのニュースサイトにも載っていなかった。

 たとえば、宇宙飛行士の活動を時系列的に非常に詳しく記載しているABCニュースのサイトではこんな具合である。

「午後3時39分。青チームメンバーのアンダーソン、マックール、ブラウンは、ジョン・レノンの《イマジン》で起床した。マックールとラモンは、宇宙の眺望のよい地点から見ると、地球には国境がないと述べる。《ここから見える世界は素晴らしいものです。とても平和で、とても素晴らしく、そしてとても壊れやすく見えます》とラモンは語った。二人の搭乗員は英語とヘブライ語で世界平和への希望を表明した」
http://abcnews.go.com/sections/scitech/DailyNews/shuttle_timeline030201.html

 ここで「イマジン」に関して報道されているのは、イスラエル人飛行士イラン・ラモン氏の語った言葉であって、当のマックール氏の言葉ではない。デビッド・ブラウン氏やローレル・クラークさんなど、ほかの飛行士の語った言葉や宇宙から送信したEメールの内容は、いろいろな新聞・雑誌サイトに非常に詳しく載っているのに、マックール氏が「イマジン」とともに語った言葉は、どのニュースサイトにも見つからなかった。アメリカの友人数人にも問い合わせたが、彼らも、私がすでに知っている以上の情報は持っていなかった。

 彼の言葉が日本のテレビでも報道されたということは、彼の宇宙からの交信はおそらくアメリカのテレビで実況中継放送され、日本人の記者はそれをもとに日本にレポートを送ったのであろう。一時は全米に流れたはずのマックール氏の言葉がどのニュースサイトにも見いだせないということは、きわめて不自然な感じがした。

 だが、彼の言葉を探してあちこちのサイトを読みあさるうちに、私は、この事故には、単なる偶然とは言えない、天からの重大なメッセージが込められているものと考えるようになった。それをまとめたのが上掲の論文である。マックール氏の言葉の不在がこの論文を成立させたといってもよい。しかし、日本語論文執筆の時点では、マックール氏の言葉は見つからず、彼に関してはテレビ報道のうろ覚えで書くしかなかった。

 この事故に込められたメッセージは、日本人というよりも、アメリカ人、イスラエル人、そしてインド人に向けられたものであった。そこで、日本語論文完成後、ただちに英訳に取りかかった。英訳の最中に、先に問い合わせていたアメリカ人の友人の一人が、一通のメールを転送してきた。それは、New Age Study of Humanity's Purposeという団体のPatricia Diane Cota-Roblesという方が書いた、「COLUMBIA...DEJA VU?」というエッセイであった。これは著作権のついたメール通信で、私が受け取った時点ではまだWebには載っていなかったが、現在ではHPに公開されている。
http://www.1spirit.com/eraofpeace/1st.html

 このエッセイは、今回のコロンビア号事故と1986年のチャレンジャー号爆発事故を比較し、両方の事故の間には様々な類似性があることを指摘している。たとえば、チャレンジャー号にも、コロンビア号と同様に、様々な人種的、宗教的背景を持った男5名、女2名の7名の飛行士が搭乗していたこと(その中の一人は日系人オニヅカ氏であった)、そして、チャレンジャー号の爆発は、その当時スターウォーズ計画を進めていたアメリカ政府への天からの警鐘と見られると主張していた。ただし、いわゆるニューエイジ的な視点で語られているので、そのすべてをそのまま受け取ることができる人は少ないかもしれない。

 だが、私にとって重要であったのは、そのエッセイの中に、探し求めていたマックール氏の言葉を見つけたことである。それをここに引用しよう。

「私たちがいる周回軌道上という眺望のよい地点からは、国境がなく、平和と、美と、壮麗さに満ちた地球の姿が見えます。そして私たちは、人類が一つの全体となって、私たちがいま見ているように、国境のない世界を想像(イマジン)し、平和の中で一つになって生きる(live as one in peace)ように努力することを祈ります。」

 そして、この言葉はラモン氏よってそのままヘブライ語に翻訳され、地上に伝えられたのである。

 なんと素晴らしい言葉ではないか。

 ここでマックール氏はわざわざ「イマジン」という言葉を使っている。さらに、「平和の中で一つになって生きる(live as one in peace)」は、「イマジン」のオノ・ヨーコ広告:

Imagine all the people living life in peace
(すべての人々が平和に生きているのを想像してごらん)

の部分と、レノンの歌詞の最後の部分:

And the world will live as one
(そうすれば世界は一つになって生きるだろう)

を踏まえている。マックール氏がジョン・レノンの曲に世界平和への明確なメッセージを込めたことは明白である。

 そして私には、彼の言葉がなぜどのニュースサイトに載っていないのか、その理由もわかった。イラク戦争に邁進するアメリカの政府と大手マスコミは、自国の悲劇の英雄が戦争に反対していたという事実を封殺したいのである。先に紹介したABCニュースのサイトが、いかにマックール氏の言葉を迂回し、歪め、隠しているかは一目瞭然である。

 だが、ひとたびインターネットに載った以上、もはや彼の言葉を封印することはできないだろう。

 中澤さんにメールは mailto:friede@tokyo.email.ne.jp
2003年03月02日(日)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有

 海外で働きたいとの夢が叶いイランーイラク戦争の真っ只中のバクダッドへ赴任したのが1981年の夏であった。英語も海外も知らない新入社員が、チグリス川のほとりで戦争に遭遇した。戦時中なので戦争に出くわして当然であるが、チグリス川に並ぶ高射砲からイランの戦闘機に向け放たれた閃光と轟音に接し、恐怖を通り越し「これが戦争」だと感じた。一瞬の出来事であったが、世界と日本の現実の格差はそこにあった。

 タクシーに乗っても簡単な英語さえ通じない。ドライバーには、手まね物まねの英語と片言のアラビア語で接するしかなかった。そこで最初に学んだのが、「インシュアラー」「アクムシケラ」「ブックラブックラ」という奇妙な言葉であった。これは、アラブ特有の「アラーの神のみぞ知る」「ノープロブレム」そして「明日」という意味であるらしい。世界との比較ができない20代前半の若者にとって、イラクのいい加減さ、いや文化に文句をいうだけの知識は備わっていなかったが、振り返ればアラブのいい加減さは、世界でも超一流だと確信できる。

 とにかく時間の尺度が異なっているのである。そのいい加減な国に対して、アメリカの弁護士的なシロをクロにし、クロをシロにする手法で責められれば、普通の国でも「無法国家」に格下げされてしまうだろう。何かで読んだアメリカのジョークであるが「サダムフセインとコブラと弁護士を一発の銃弾でしとめるにあたり弁護士が一番の的になる」とのアメリカ人の感覚からいくと国際社会で最も敵に回したくないのはアメリカの法的な手法かもしれない。

 そんなアメリカがバックについていても、国連は国連でアメリカのスタンダードでないので国連の査察もうまく進まないのは当然だろう。しかし、ウイーンの国連機関で勤務しているとき抱いたIAEAのイメージはユダヤ支配による核拡散の防止であった。それゆえに、もしIAEAの中枢が本腰を入れればイラクが隠す物的証拠も現れていいはずであるが、そうでもなさそうである。

 イラクのいい加減なインシュアラーとアメリカの弁護士的手法が絡み合うはずがない。その間に国連のIAEAが査察として入っているのだが、最新のハイテクで完璧な査察を行っているか疑問である。

 昨日、ロシア人で元KGBの人から、ロシアのイラク攻撃に対する姿勢を聞いた。彼の個人的な考えであるが、しきりに戦争は回避できると述べていた。アメリカの専門家やワシントンの日本人からも戦争を回避できると考えている人は、浮いてしまっているので新鮮に感じられた。昨日のブッシュ大統領とプーチン大統領の電話会談の時点では、ロシアは拒否権を使う可能性は低いとの見方が多かったが、本日のニュースでは、米英の国連決議案に対しロシアが拒否権を使うだろうとのことである。

 ロシア、フランス、ドイツの「平和の枢軸」のみならずアラブ諸国、アフリカ、アジアの多くを敵に回しても、本当にアメリカはイラク攻撃を決行するのであろうか。新月のこの1週間が勝負という人がたくさんいる。でも、アメリカのテロ危険度がオレンジからイエローに格下げ(?)されたことを考えれば、テロ危険度は下がっているのである。戦争を仕掛けると同時にテロが発生する可能性が高いのならまさか国民を欺くこともないと思われる。

 20万以上の米軍がイラク攻撃態勢に入っており、もう戦争が始まっているとの表現も使われている中、戦争回避は可能なのであろうか。もし仮に戦争が回避できれば、どれほど人類やこの美しい地球にとってプラスになろうか。宇宙から見る現在の地球の映像を見ると理想が広がる。
 http://www.fourmilab.ch/cgi-bin/uncgi/Earth

 理想のない外交政策や平和への想いが対立を調和に一変させるとは考えられない。理想主義と非難されようが、戦争と平和の紙一重の状況の中であえて理想を描きたい。

 イラク戦争が回避された時の状況を考えてみよう。アメリカの最大の意図はイスラエル問題と中東再編であるとすると正当な理由で米軍をペルシャ湾に駐留させることでイスラエルにとってプラスになろう。アメリカの軍事力とフランスの外交力の両輪が絡み平和が達成されることにより、新たな国際秩序が形成されよう。日本がアメリカを支持したことにより、朝鮮半島問題の危険度が低下し、日本の国連常任国への道も開かれるだろう。国際テロ撲滅に関しても、諜報活動や経済協力を重視した活動が主流となろう。

 ハッチントン教授は、99年5月のフォーリンアフェアーズの論文の中で、「現在のアメリカという超大国と地域大国、そしてナンバー2の地域大国のパワーと文明によって規定されていることを認識しつつ、今後は大国の1つとして存在していく道をアメリカは学ぶべきだろう」と達観している。

 インシュアラーで代表される悠長なイラクは、アメリカや日本の常識とは異なっている。また、アメリカの自由は、インシュアラーのような融通性があるようにも思える。イラクとアメリカの共通の利益の合致点は、何なのであろう。それはイラクとアメリカが満足することであろう。

 岡目八目、それは鳥瞰することで見出されるのではないだろうか。もう一度、宇宙から見た青い地球を見つめることで何かが見えてくるのではないだろうか。コロンビアの宇宙飛行士が最後に見た地球の美しさを。1981年にバクダッドの核疑惑施設を攻撃したパイロットがコロンビアの飛行士であった。バクダッドでその現場を訪れたことが、イラク戦回避の叫びを高ぶらせる。こんな理想主義を語っているうちに戦争が始まるかもしれない。先程、CNNによく登場するアラブの解説者とばったり会った。「戦争の確率は」、と尋ねたところ1カ月以内に95%とのこと。インシュアラー。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU
2003年03月01日(土)台北週報からの転載

 昨年十二月十五日、東京で「日本李登輝友の会」(阿川弘之会長)の設立大会が開催された(本誌二〇七八号参照)。当日、インターネットを通じて蔡焜燦・台北李登輝友の会会長が東京の参加者に祝辞を述べるとともに、李登輝前総統は武士道を根幹とした「台湾精神と日本精神」と題した講演をおこなった。以下は蔡焜燦氏の李登輝氏を改めて紹介する祝辞と、李登輝講演の全文である。

 台湾の父・李登輝氏 蔡焜燦氏挨拶全文

日本の皆様、蔡:燦でございます。皆様ご多忙中にもかかわらず「日本李登輝友の会」の設立にご参加いただきまして、まことにありがとうございます。心より、お祝いの言葉と御礼の言葉を申し上げさせていただきます。

 わが敬愛する李登輝先生は世界の民主主義国の人々からも、「ミスター・デモクラシー」と称されているほど、立派な方でございます。そしてわれわれ二千三百万の台湾人からは、「台湾の父」とも尊称されております。今日の「日本李登輝友の会」の設立については、私は日台両国のこれからの交流に対して、大きな意義があるものと確信しております。李登輝総統は総統を退かれたあとも、齢八十でございますが、なおかくしゃくとして、台湾と日本、日本と台湾の交流の深まりに努力されております。

 皆様、台日断交後三十年になります。心ある日台の人々はどのような思いでありましょうか。かつては歴史を共にした台湾と日本ですが、近くて遠い国になっております。私は今日の「日本李登輝友の会」の設立は、二〇〇三年からの日台交流に大きく貢献するものと思っております。不可能を可能にした、無血の革命と言われた台湾の民主化、それから政権の平和移行を実現した台湾の李登輝先生は、身を退かれたあとも日台交流に意を注いでおられます。

 李登輝先生は以前、「もし私に訪日が許されるなら、私は"奥の細道"を散策して、日本の心に触れたい」と申されておりました。深く日本を愛し、深く日本の文化を探求されている李登輝先生は、このように感動的な言葉を述べられました。「日本の心に触れたい」━━なんとすばらしい言葉ではありませんか。本来なら"奥の細道"を散策されるべきなのですが、いまのところは如何ともしがたく、非常に遺憾に思っております。どうぞ皆様、本日の「日本李登輝友の会」の設立を契機として、日台間で李登輝先生の"奥の細道"の散策を実現させようではありませんか。

 本当にわれわれの日台交流は、われわれが担い、もっと先、われわれの孫のその孫の代まで続けていかなければならないと思っております。これをもって私の挨拶の言葉を終わります。


 「台湾精神と日本精神」 李登輝前総統講演全文

「日本李登輝友の会」の阿川弘之会長、副会長の皆様、理事の皆様、執行部の皆様、ご来賓の皆様、こんにちは。ただ今ご紹介いただきました李登輝です。本日の「日本李登輝友の会」の設立にあたり、心からお祝いを申し上げます。

 台湾と日本は地理的に近いだけでなく、両国民の間ではさまざまな、そして豊かな交流が行われてきました。私はこのような両国の親善関係の維持と発展を目指すという貴会設立の趣旨に、全面的に賛同するものであります。

 さて、このように密接な交流が行われてきたことから、台日両国民には文化的にも精神的にも非常に近いものが感じられます。しばしば台湾人は日本人に、あるいは日本人は台湾人に、それぞれ親近感を持っていると言われるのもそのためなのでありましょう。これは国際関係の上においては、非常に得難いことなのです。

 そのようなことから、このたび貴会の事務局から「台湾精神と日本精神」と題する講演を依頼されたわけですが、このテーマは、将来における両国のより良き関係を考える上で、きわめて重要なものかと思われます。そこで本日は、台湾人と日本人が共有するところの、精神面における特性なり長所なりを取り上げ、そのようなものを今後いかに発展、発揚させて行くべきかを、会場にお集まりの皆様とともに考えることができればと思っております。

 さて、日本及び日本人特有の精神は何かと問われれば、私は即座に「大和魂」、あるいは「武士道」であると答えるでしょう。「武士道」は日本人にとっては最高の道徳規範です。しかもそれは日本人にだけでなく、世界にとってもきわめて貴重な財産であると考えているのです。

 現在人類社会では、台湾海峡やパレスチナ、アフガニスタン、イラク、朝鮮半島など、各地において危険な動きが増大しています。さらに政治や軍事の面だけではなく、経済の面においても、世界同時不況の予兆が高まっています。このような危機的状況を乗り切っていくためには何を精神的指針とすべきかを考える時、私は迷わず日本の「武士道」を挙げたいと思っています。「武士道」とは人類最高の指導理念であると言って過言ではないのです。

 しかしまことに残念ながら、世界が今最も頼りとするべき日本では、「武士道」も「大和魂」も一九四五年の終戦以降はほとんど見向きもされず、足蹴にされている状態にあります。もちろんその背景には、日本人の戦争という「過去」に対する全面否定、つまり自虐的価値観というものが大きく作用しているのでありましょう。「武士道」などと言えば非人間的、反民主的な封建時代の亡霊であるかのように扱われている状態です。

 しかし、日本を苦悩させている兇悪犯罪の増加、学校の荒廃や少年非行、失業率の増大、官僚の腐敗、指導者層の責任回避と転嫁など、国家の根幹をも揺るがしかねない今日の由々しき事態は、武士道という道徳規範を国民精神の支柱としていた時代には、決して見られなかったことなのでした。つまりこれらの諸問題は、戦後の自虐的価値観とは決して無関係ではないということなのです。ですから「武士道」の否定は、日本人にとっては大きな打撃と言わざるを得ません。もちろんそれは、同時にまた世界の人々にとっても、大きな損失であると言うこともできるでしょう。

 私は台湾人であり、日本人から見れば外国人ですから、日本に対してここまで言うのはどうであろうかという気持ちもありますが、ただ一人の人間として、やはり良いものは良い、悪いものは悪いと言うべきだと考えております。それに私は日本の教育も受けておりますから、日本の良いところはよく知っているつもりです。だから本日は私の信じるところをはっきりと述べてみたいと思います。

 「武士道」とは日本人の精神であり道徳規範だと申しましたが、それは単に精神、生き方の心得であるというだけではなく、日本人の心情、気質、美意識であると言ってよいかと思います。さらに言えば勇気や決断力の源泉になるものであり、そして生と死を見つめる美学、哲学だとも言えます。

 私は日本の統治が始まってから二十八年が経った一九二三年、現在の台北県三芝郷に生まれました。当時の日本の教育システムは実に素晴らしいもので、古今東西の先哲の書物や言葉に接する機会を、私たちにふんだんに与えてくれるものでした。また「教育勅語」には、「人間はどのように生きるべきか」という哲学的命題から、「公」と「私」の関係についての指針が明確に教えられていました。そのため旧制中学、高校時代は、学校教育や読書の影響もあり、自己修練の気持ちが強くなるとともに、「いかに生きるべきか」ということから、さらには「死とは何か」という大命題までを考えるようになったのです。人間は「死」というものを真剣に問い詰めて初めて「生」を考えることができるものです。つまり死生観について、当時の私は懸命に考え続けてまいりました。

 そうした中で出会い、そして多大な影響を受けたのが新渡戸稲造先生の哲理、理論でした。そしてその中でも強い衝撃を受けたのが、その著書である『武士道』だったのです。新渡戸先生の『武士道』は、「日本の魂」を外国人に理解させるため、アメリカで英文で書かれたもので、一八九九年に初版が刊行されるや、世界中で大好評を受け、国際社会にデビューしたばかりだった日本の声価を一気に高めています。アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領がこれを読んで大感激し、数百冊を購入して世界各国の要人に一読を薦めていた話はよく知られていますが、高校時代の私にとってこの書は、まさにカーライルの『衣装哲学』を止揚(アーフヘーベン)するものであり、死生観に関する私の疑問に明快な解答を与えてくれるものでした。

例えばそこで出てくる本居宣長の「敷島の 大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」や、吉田松陰の「かくすれば かくなるものと 知りながら やむにやまれぬ大和魂」といった和歌などは、人間は死んだ気になって全力疾走すれば、どのようなことでも成し遂げることができるということや、「生きるための死」というものを私に教えてくれました。

 『武士道』で新渡戸先生は、武士道の徳目としてまず「義」を挙げています。「義」とは一言で言えば卑劣な行動を忌むということです。そしてそれは個人や「私」的なレベルに閉じ込めるべきものではなく、必ず「公」のレベルにまで引き上げて受け止めなければならない観念です。

 そして次は「勇」です。「勇」は「義」と密接に結び付くもので、義のためではない勇気など全く価値がありません。昭和天皇の「降り積もる 雪に耐えて 色変えぬ 松ぞ雄々しき 人もかくあれ」の御製などは、まさにこの「勇」と「義」を止揚したものにほかなりません。

 さらには愛である「仁」があります。そしてそれと密接に結び付くもの、つまり他人の感情を尊敬することから生じる謙虚、慇懃の心である「礼」があり、「礼」には絶対不可欠なものとして「誠」を挙げています。そして日本人が人倫の最高位に据えてきた、名誉の掟というべき「忠」があります。このような徳目が不即不離のものとして渾然一体となったものが武士道であると、新渡戸先生は説いているのです。

 「武士道」という言葉が一般に定着したのは実は明治時代後半のことで、新渡戸先生の『武士道』の刊行などは、その契機になっていたようです。もともと「武士道」なるものが形成されたのは江戸時代のことです。天下泰平の世において、サムライの戦闘精神が、文化的に形式主義の磨きをかけられたものがそれでした。これに対して新渡戸先生の『武士道』が説くところのものは広義の「武士道」とでも言うべきものです。つまり副題に「日本の精神」とあるように、武士を中心とする日本人の精神一般についてなのです。

 世界に誇る日本精神の結晶である「武士道」の形成について新渡戸先生は、日本で営々と積み上げられてきた歴史、伝統、哲学、風俗、習慣があったからこそだと言っています。もちろん武士道の淵源の一つとして中国の儒教の影響も挙げておりますが、実際は中国文化の影響を受ける以前からの、大和民族固有のものだと論じております。

 死生観の上から言えば、儒教には「死と復活」という契機が希薄で、物事を否定するという契機がありません。だから儒教は「生」に対する積極的な肯定ばかりが強くなるという危険を孕むもので、善悪を定めた道徳でありながら、死生観をはっきりさせていないため、人間個々の生きる意義と、そこに建てられる道徳との間にかなりのずれが生じているのです。儒教は「文字で書かれた宗教」とも言われ、所詮は科挙制度とともに皇帝型権力を支えるイデオロギーでしかなく、人民の心に平安をもたらすものにはなりませんでした。そのようなものを大切に推し戴いてきた中国人は、結局空虚なスローガンに踊らされ、それで満足してしまう、あるいは面子ばかりにこだわり何の問題をも解決もできないばかりか、かえって価値観を錯乱させてしまうわけなのです。

 新渡戸先生はクリスチャンです。彼は士族出身でもあり儒教的な教養を積んできたわけですが、結局は儒教における死生観の不在から、キリスト教に道を求めたのではないかと思います。そしてキリスト教という新たな道徳体系の下で、武家時代の物理的かつ現実的な権力を維持するための狭義の武士道ではなく、精神的かつ理想的な生き方を追求するためにある、しかも未来永劫に通じる道徳規範としての、広い意味での「武士道」の価値を再発見したのです。彼によって再発見された「武士道」は、日本人の「不言実行あるのみ」の美徳であり、「公」と「私」を明確に分離した、「公に奉じるの精神」とも言って良いでしょう。もちろんそれは、中国文化とは全く異質のものです。

 ここで注目すべきことは、この「武士道」には教義も成文法もないということです。あるものと言えば有名な武士や学者のわずかな格言などだけなのですが、これは一体何を意味していたかといえば、つまりそれほどまでに「武士道」が、すでに日本人の血となり肉となって定着していたということでしょう。

 だからこそ私は、終戦後における日本人の、価値観の百八十度の転換を非常に残念に思うのです。今日の日本人は一刻も早く戦後の自虐的価値観から解放されなければならないと思うのです。そのためには日本人はもっと自信と信念を持つことです。かつて「武士道」を築き上げた民族の血を引いていることを誇るべきなのです。そうすることで初めて、日本は世界のリーダーとしての役割を担うことができるのです。

 次に台湾精神について述べてみましょう。台湾精神と言ってもそれをどのように定義するかはなかなか難しいことなのです。戦後の台湾は久しい間、中国大陸から渡ってきた国民党政権に統治され、その間中華世界の伝統的な政治システムである皇帝型権力構造が持ち込まれました。中国の政治文化はあくまで政権の維持と強化のための文化ですから、法治ではなく人治であり、「公」と「私」の区別は不明確です。「中国化」の政策の下でそのような価値観が台湾人に押し付けられ、その結果社会には腐敗が蔓延し、人々のモラルも著しく低下しました。

 そこで私は総統に就任後、民主改革を推進したのです。台湾における民主化とは単に自由と民主の問題だけでなく、自ずと台湾のアイデンティティという問題も招来するものなのです。なぜなら台湾人は歴史的に自分たちの政権を持ったことがなく、この国の主人公であるという意識が必ずしも充分に育っていなかったからです。それまで台湾人の国民精神と言えば、中国人のそれであると決めつけられていましたが、アイデンティティを考える上で、当然台湾人独自の文化、精神とは何であるかを振り返らざるを得なくなりました。                 

 台湾の民主化の過程において注目すべきは、台湾人社会が人治から法治へ比較的に整然と移行していることです。法治社会の実現には、人々の間に遵法精神が根付いていることが前提条件となりますが、台湾人はそれをすでに日本統治時代に身に付け、戦後の人治社会の価値観には完全には染まっていなかったのです。大陸の中国人であるならば、まずは遵法の精神とは何であるかから始めなければならなかったでしょう。

 台湾は周りを海に囲まれた島国であり、閉鎖的な大陸とは明らかに異なる海洋国家としての歴史コースを歩んできました。東アジア航路上に位置することから、早くから貿易中継基地として繁栄もしてきました。原住民であれ荒波を越えて渡ってきた漢人の移民であれ、海洋的色彩の強い文化を持っていたということは容易に推測できます。まず海洋国家である日本の文化が台湾に入ってきた時、台湾人はまたたく間にそれを吸収しましたが、それに反して中国の大陸文化が結局根付かなかったのもそのためではないでしょうか。

 また山岳、平地の原住民は諸種族に分かれ、漢人の移民も言語がさまざまであるように、複数のエスニックグループが存在しました。また西洋や日本などを含む外来政権からさまざまな文化的影響も受けてきました。そのほか、台湾の社会が開拓移民によって切り開かれ、発展してきたことも忘れてはなりません。こうした歴史的要因から、台湾の文化は多元的かつ多重的なものとなったのです。

 同時に人々には進取、冒険の精神、克苦奮励の精神が育まれることになりました。台湾人は一生懸命頑張るといった意味の「打?」(パーピィア)という言葉を好みます。この「打?精神」が今日の台湾の繁栄を支えていることは疑いない事実です。

 また「武士道」を尚武の精神として捉えるなら、タイヤル族に代表される原住民にもそのような伝統はありました。大東亜戦争において台湾原住民の高砂義勇隊が見せた勇猛精神、自己犠牲の精神はよく知られているところです

 さらに言えば、よく指摘される台湾人の「日本精神」(リップンチェンシン)がありますが、これも台湾の国民精神の重要な一つだと言わなければなりません。これは日本統治時代に日本人に学んだ、ある意味では純粋培養されたとも言える勇気、勤勉、奉公、自己犠牲、責任感、遵法、清潔といった諸々の良いことを指すものですが、実はこの言葉が人口に膾炙したのは恐らく戦後からで、中国からきた統治者たちが持たないところの、台湾人の近代的国民としてのこれら素養、気質を、台湾人自らが誇りを以って「日本精神」と呼んだのです。

 言うなれば、この「武士道」としての「日本精神」があったからこそ、台湾は中国の人治文化に完全に呑み込まれることがなかった、抵抗することができたともいえます。これがあったからからこそ、この近代社会が確立されたともいえるのです。このように考えれば「武士道」というものは、台日を含むアジアの近代建設の原動力であったことが理解できます。

 しかし、やはりそれでも戦後の台湾は、中国文化による悪弊を免れることはできませんでした。社会では公私の混同や実利主義の横行、モラルの低下といった悪弊が蔓延し、大きな問題となっています。それにはやはり、中国化政策の中での台湾のアイデンティティの損失が大きく影響しています。それは日本の終戦後の自己否定つまり伝統文化の否定からくる価値観の混乱と、全く同じ状況なのです。精神的な伝統や文化の重みを理解しようとせず、皮相的な進歩ばかりに関心を集中するのは現代社会の通弊だと言うこともできます。

 そこで私は総統就任以来、積極的に「心霊改革」を提唱してきました。心霊とは精神のことで、それを変革することによって社会を古い枠組から脱出させ、そして新しい発想で新しい活力をどんどん生みだそうということです。これは政治改革よりも更に困難なことです。知識人には「理性」ばかりで「実践」が見られない、つまり理屈ばかりをこねて、一向に行動を起こさない傾向が目立ちますが、この改革はまず実践あるのみなのです。

 そこで新渡戸先生の『武士道』です。私は「公」の精神を主軸に台湾人のアイデンティティを確立して行くためには、この一書をテキストにするのが一番良いと考え、実際これを用いて台湾各界の人々に「公」と「私」の問題を語っているところです。そのようにすることによって、かつて日本の「武士道」に学び、現在も心に潜在しているはずの台湾人の精神を呼び戻せるはずだと考えているのです。

 同じように日本人に対しても、あらためて「武士道」を見直し、かつての誇りある日本人のアイデンティティを取り戻して欲しいと私は思うのです。私は余生を台湾に捧げることを決意しておりますが、それと同時に日本を励ますことも、自らの使命だと考えているのです。

 私はかねがね"奥の細道"を歩きたいという希望を語ってきました。それは芭蕉の『奥の細道』に表わされている「わび」、「さび」こそ、日本人本来のうるわしい心情であり情緒だと思っているのです。私はいつの日にか日本の人たちとそこを訪れ、そうしたものを一緒に再確認したいと楽しみにしているのです。
 これを以って、私の講演を終らせていただきます。ありがとうございました。(台北週報2003.1.23)

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