2003年1月アーカイブ

2003年01月31日(金)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有

 イラクへの軍事制裁が迫っているだけに、ブッシュ大統領の一般教書演説に世界は注目したが、総花的な内政を重視した内容であり、大きな政策の変化はなかった。外交政策で注目すべきは、多国籍軍を率いるが、世界の同意が得られなくともテロ国家による大量破壊兵器に挑戦するという明確なブッシュ大統領の姿勢が示された。

 ブッシュ大統領が昨年のような「悪の枢軸」という好戦的な言葉を使わなかった背景には、フランスやドイツを中心とする米国の一国主義への牽制が効いたと考えられる。近視眼的な米国の一国主義は、世界経済や世界平和の根本を揺るがすものである。一国主義を克服し、柔軟な進歩主義的な多国間主義に方向転換すべき時期に来ている。米国を説得するパワーが求められる。

 ブッシュ政権はフセイン体制の崩壊を目指した戦争を仕掛けようとしているが、米国の戦争へのトーンは明らかに下がりつつある。12月中旬に、米国政府の安全保障関係者30人が集まる会議で、イラク戦の早期可能性に関し7割が肯定していた。しかし、現時点では、イラクが米国本土に戦争を仕掛けるという緊迫した情勢でなく、仮に米国の挑発にイラクが応じ戦争が始まっても、戦争遂行とイラク復興について内外の世論形成が整っておらず米国が大きく分断し、米国の孤立化は必須との見方が強い。

 それでもなぜ、ブッシュ大統領はイラクとの戦闘を急ぐのか。石油の利権から中東再編まで多くの戦略もあろうが、そんな米国の思惑で「パンドラの箱」が開かれれば、世界は混沌とする。この戦争こそ回避されなければいけない。

 1991年の湾岸戦争や1999年の米英によるイラクへの「砂漠の狐作戦」とは、イスラム教を敵に回す点や、民主主義国家の不調和音を生み出す意味で戦争の重みが大きく異なる。日米同盟とは、こんな時こそ米国に平和への一歩を伝えるために存在しているのではないだろうか。米軍がペルシャ湾に集結している状況の中で米国の面子を保ち、かつ戦争から平和へのシナリオがあるのであろうか。

 米国の一国主義にも功績があるとすると、イラクへの大量破壊兵器の査察に関する国連1441の決議案を国連常任理事会が15カ国一致で通したことであろう。このようにフセイン体制に対する米国の強い姿勢が示されなかったら、国際社会が一枚岩となり国際テロの脅威を世界が考え、また世界が国連の査察に神経を尖らせることもなかったであろう。

 国連の決議案に従い、少なくともイラクは国連の査察を受け入れた。イラクの協力姿勢に不満もあろうが、イラクが開戦の準備をしてきたとは、メディアが伝えるイラクの映像からは微塵にも感ぜられない。国連やメディア、そして平和を提唱するNGOがイラクに入っている限り戦争を未然に防ぐ抑止力が機能していると考えられる。

 現時点のイラクは大量破壊兵器による戦争を行う戦闘態勢でない。もう一方の悪の枢軸である北朝鮮は、核兵器と士気の高い百万の軍隊を備えており戦闘態勢である。弱いものいじめで、リスクを恐れているようではブッシュ大統領の西部劇は成り立たない。

 西部劇が成り立つとすると、フセイン大統領や金正日総書記が国連という多国間主義のルールを再三にわたり無視し、最終通告に従わなかった時であろう。米国は世界最強の軍事力をペルシャ湾に集結させている。それを使いたがるのは世の常である。

 しかし、戦わずして勝利することが最高の勲章であるとの認識が深まることで、フランス・ドイツが先導役をなす国連外交が開花する可能性が高まる。抑止力としての軍事のバックアップによる外交は機能しないはずがない。米軍がペルシャ湾に集結することでハードパワーを強調する米国の新保守主義(ネオコン)の面子が保て、かつ国際社会の協調による安全保障が成り立つのではないか。

 21世紀の初頭、戦争が始まろうとしている。萬晩報は、戦前の新聞である萬朝報の現代版であるとすると、萬晩報のコラムニストとして平和構築のための想いを伝えることが義務であると感じる。中江兆民、幸徳秋水、黒岩涙香といった当時のジャーナリストが生きていたら現代の世相をどう見るであろうか。

 読者の皆様からご意見を頂き萬晩報の論調を米国に伝えたい。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU
2003年01月25日(土)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 クリスマスと正月、私は三週間ほどを日本で過ごした。数日前にドイツにもどると、こちらでは核拡散防止条約(NPT)脱退を宣言したり、ミサイル実験再開するなどといったりする北朝鮮の挑発的行動が盛んに議論されていた。

 北朝鮮が挑発的な行動をどんどんエスカレートしていくのに対して、米国は辛抱強い。イラクと北朝鮮を比べるヨーロッパ人の眼には、「イラクの大量破壊兵器の危険性」と称する米国の攻撃理由が、あらためて胡散臭いものにうつる。米国は別の理由からイラクと戦争したいだけだ。多くの人々が思うようである。

 もう通用しない「勧善懲悪」

 米国はサダム・フセインという危険な独裁者を打倒してイラクを民主主義国家に改造しようと意図しているのだ。こうしてイラクに安定した模範的民主主義国家が生まれると、中東地域で腐敗した独裁政権がだんだん倒れて、この地域全体が民主化して安定する。こうなることこそ、テロに走る過激な回教原理主義にブレーキをかけることに通じる。そう考えると、米国の対イラク戦争は「民主主義対独裁体制」の戦いであり、その点でナチ独裁を打倒しようとした第二次大戦と同じで......
 
 この「民主主義対独裁体制」の図式もアフガン戦争まではヨーロッパ人に少しは説得力があった。でも今や、彼らの多くはサダム・フセインを悪人と認めても、複雑な中東情勢がこんな単純な「勧善懲悪」の図式におさまりきらないと思うようである。彼らは対イラク戦争が事態をますます紛糾・悪化させ、すでに不安定な中東情勢をますます収拾つかないものすることを心配する。
  
 ドイツ人を筆頭にヨーロッパ人がだんだんそう思っているところに、北朝鮮の挑発行為のニュースが飛びこんできた。イラクも北朝鮮も「悪の枢軸国」の独裁国家であったはずだ。米国は北朝鮮に対してなぜこれほど異なった扱いをするのか。ヨーロッパ人の眼には、北朝鮮の「瀬戸際外交」も、米国がいかにダブル・スタンダードであるかを証明する見世物にうつる。でも米国の政治指導者はどうしてイラク国民の民主化にこれほど熱意を感じるのだろうか。
 
 「帝国」をめざす米国

 米国の本当のお目当が世界で二番目に大きい埋蔵量のイラクの油田にある。やはり議論はここに来るようである。たしかにこの油田は低コストで採掘可能である。これに魅力を感じる英、仏、ロシア、中国の安保常任理事国も採掘権のおこぼれにあずかれるので、最終的には米のイラク攻撃に反対しないと、語られる。
 
 経済的動機を持ち出すと、米国のダブル・スタンダードも誰もわかりやすくなる。北朝鮮のほうには飢えた人がたくさんいても、魅力的な資源がない。だから米国も戦争などするに気にもなれない。バルカン半島の軍事介入では米国の経済的動機がはっきりしていなかったが、今回の対イラク戦争はこの点で少々露骨である。とすると、米国が二一世紀の将来に訪れる石油燃料の枯渇という危機に対して遠大なエネルギー確保戦略を実行することになる。
 
 でも多くの人々はこのような米国の経済的動機による戦争の説明に止まっていない。現在の国際経済が国家単位でなく企業中心で動いている。たまたま自国に本社をもつ多国籍企業の利益のために、国家が膨大な戦費と人的損害を覚悟しなければならない戦争を本当にするのであろうか。この点で多くの人々は懐疑的になる。

 現在先進国はどこも不景気である。原油価格がすでに高いレベルに達して、戦争が長引いてさらに高騰すると、これは景気回復にブレーキをかけるどころか、きわめて危機的経済状況を招来する。

 「イラクの油田確保」とはいっても一九世紀でないので、イラクで誰が支配者であろうが、原油を輸出したいことにかわりはない。それなら買えばすむことで、特に国家が軍事介入する必要などないのではないのか。

 このように考えることが二〇世紀後半有効であった自由主義的市場経済の論理であり、また経済主義的思考であった。ここで米国が敢えて戦争に踏み切るなら、米国の政治指導者は従来と異なった論理を、例えば19世紀後半の帝国主義に似た思考を追求し、「帝国」をめざしていることになる。

 この疑惑こそ、アフガン戦争以降、欧州諸国が漠然と米国に対して抱くものであり、現在進行中の欧州の米国離れ根底にあるように思われる。

 北朝鮮はもう手遅れ

 今回のイラクと北朝鮮についての議論で、今まで以上に強調され、指摘されたことがある。それは、北朝鮮のほうがイラクなどより軍事的に見てはるかに脅威であり、だからこそ米国が軽々しく軍事介入しないという点である。反対にイラクに介入するのは、こちらのほうが軍事的にはたいした脅威でなく、リスクも限定できるからということになる。
 
 北朝鮮は、百万以上の軍隊と化学・生物学兵器をもち、ミサイルを輸出する。米国が軍事行動をおこしたら、数万の自国軍兵士の犠牲を覚悟しなければいけない。次にソウルが「火の海」になるなど、韓国が計り知れない戦禍をこうむる。また北 朝鮮のミサイル射程距離に入る日本にも甚大な被害が生じる。「北朝鮮の核施設を米国が爆撃すると朝鮮半島だけでなく、下手をすると日本まで放射能汚染を被ることになる」と軍事専門家は警告する。

 以上は北朝鮮が原爆をもっていないことを前提にして想像したシナリオである。でもこの国が原爆を二、三個ぐらいは所有していると確信する人は国際社会には少なくないのである。九〇年代前半ソ連崩壊で混乱した頃、核兵器専門家が北朝鮮にスカウトされたとかいう話は本当によくあった。
 
 このように考えると、米国のダブル・スタンダードとは、北朝鮮はもう手遅れで、反対にイラクの軍事的脅威度はその前の段階にあるために、軍事介入がまだ可能と米国が見ていることからくることになる。

 とすると、米国は、北朝鮮の軍事的脅威を認識し、自国民を餓死させても平気な国と事を構えたら、自国にとっても、また韓国と日本という同盟国にとっても失うものがあまりに大きすぎると考えていることになる。これは、米国が相手国の軍事的脅威を考慮して、戦争を含む外交的選択肢を考慮して交渉という選択を現時点でとっていることを意味する。
 
「平和呆け」とは軍事的脅威が想像できないことである。もし想像できたら、豊かな日本にとって「戦争」が外交的選択肢にならないのは自明のはずである。それなら、北朝鮮に対して「戦争」というコトバを口にする政治家がいるとすれば、この人こそ「平和呆け」を患っていることにならないだろうか。
 
 誰を懲らしめることになったか

 北朝鮮の核問題は国際社会全体に関係する。反対に、拉致問題のほうは日本国民だけに関する問題である。だから国連などの国際機関に訴えてもあまり効果が期待できない。

 現在大量殺戮兵器保有問題で、監視団がイラクに入って調査しているが、似たような監視団が拉致問題解明のために、いつの日か北朝鮮に派遣されることなど考えられない。拉致問題は家族にとって、また日本国民にとって重要な問題であっても、国際社会の中ではちいさな問題である。

 北朝鮮はもともと国際的に孤立した評判の悪い国である。このような国に対して国際世論の圧力もあまり期待できない。欧米の主要新聞に広告をだして北朝鮮の不法を訴えても、広告収入を増やすことができる新聞社をよろこばすだけである。
 
 この問題は、米国や中国やロシアなど第三国にお願いすることでなく、北朝鮮と日本の二国間の問題である。戦争という選択肢がない以上、北朝鮮との地道な二国間交渉が解決に近づく唯一の可能な道である。

 昨年幸いにも、危険で不愉快なこの国に拉致問題の存在を認めさせ、平壌宣言で「相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明」させるところまで、こぎつけることができた。それなのに、この外交的成果を軽んじたのは本当にもったいない話であった。
 
 そうなったのは、ある日本列島定住者の見解によると、戦前の「暴支庸懲」に似た「暴鮮庸懲」の雰囲気が日本国内に生まれたためで、だからこそ多くの日本人はチャンスを逃して、もったいないことをしたなどと思っていないそうである。
 当時も「暴支庸懲」で戦争目標がはっきしなかった。その結果戦争も収拾不可能になり、泥沼化した。今回は、はじめ外交目標がはっきりしていたのに、いつのまにか漠然とした「庸懲」感情に置き換えらた。その結果、日本はみずから外交交渉の道を閉ざしてしまったように私にはみえてならない。

 でも「庸懲」といって、いったい誰を懲らしめることになってしまったのであろう
か。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2003年01月20日(月)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有

 韓国で反米感情が高まっており、ある調査によれば、一時的にせよ米国の強硬な対北朝鮮政策の影響からか、どうやら韓国の米国への信用度は北朝鮮以下と出ている。しかし、少なくとも韓国の盧次期大統領は、リンカーン大統領を尊敬されているようだ。

 盧次期大統領は、リンカーンの生い立ちに似ており、また住民の想いを伝える手法はリンカーンを真似ている。偶然にも共に16代大統領である。

 盧次期大統領は太陽政策を継承するが金大統領より遥かに実利的で柔軟性に富んだ対北朝鮮外交が展開されると期待される。太陽政策の具体的プロジェクトとして、北朝鮮へのエネルギー支援という小さな枠に収まらず北東アジア諸国がすべて共有できる「北東アジア天然ガスパイプライン構想」や新しい国際機関を誕生させるという「北東アジア開発銀行構想」が推進されると考えられる。柔軟性については、小泉総理の靖国参拝後に訪問した川口外相とも会われたのは、それを証明している。

 では、ブッシュ政権との連携についてどのような展開が考えられるのであろうか。

 ブッシュ政権の対北朝鮮政策においては、核施設への先制攻撃という軍事的関与はゼロに近く、外交、政治、経済という融和政策が模索される。その中でも外交においては、「対北朝鮮封じ込め政策」といった対話なき外交政策が執られた。これは疲弊している北朝鮮が自ら国際ルールに則った行動に出ることを期待したものであったが、対話なき外交の結末は明らかであった。軍事というムチも経済協力というアメもない現在のブッシュ政権の政策が機能するはずもなく、対北朝鮮政策の見直しが検討されている。

 日米韓の枢軸の影響もあり、ブッシュ政権は、北朝鮮が大量破壊兵器に対し建設的な妥協を行うことにより、安全保障の確保、大きな経済協力そして不可侵条約の分野までかなり踏み込んだ可能性を示唆している。

 北朝鮮の核カードによる瀬戸際外交が効いたとの判断はされるべきでないが、北朝鮮の核や士気の高い軍事力による抑止力が効いたゆえに同じ悪の枢軸であるイラクと北朝鮮では、現時点では戦争と平和といった対極的なシナリオも成り立つ。

 和平のためには相対する国の共通の利益の合致点を探ることが重要である。北朝鮮と国際社会との共通の利益とは、明らかに安定と繁栄にある。北朝鮮にとっては1にも2にも金体制の存続であり、国際コミュニティーにおいては経済をベースにした安全保障の構築と北朝鮮というブラックホールがラストフロンティアに変貌することによる経済的波及効果への期待である。

 北東アジアにおいて相対する体制や国を結びつける21世紀の薩長同盟のような奇策が求められる。その奇策とは紛争を未然に防ぐ予防外交に力点をおいた実利を重んじた北東アジア諸国や欧米が納得するプロジェクトであろう。プーチン大統領は、鉄道外交やエネルギー外交といった実利を重んじた外交を実践している。ブッシュ大統領からは、北朝鮮の出方次第によってはマーシャルプランに並ぶ大きな開発構想が飛び出る可能性もある。中国の胡錦涛総書記や韓国の盧次期大統領といったアジアのニューリーダーが登場する北東アジアはますます面白くなる。

 閉塞する日本が蘇るためにも、小泉総理に21世紀の北東アジアの白いキャンバスに夢とロマンを描く「北東アジアのグランドデザイン」日本経済評論社 今月発売 http://www.nira.go.jp/pubj/niranews/200301/n07.htmlを託したい。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU
2003年01月18日(土)大学教授 斎藤 祥男


 昨年暮れの忘年会の案内に、「北朝鮮との国交正常化交渉で拉致の事実が明らかになり、その被害者が帰国したが、その中に中央大学の学生(当時)であった 後輩の蓮池薫君が居た」旨が書かれていた。拉致被害者のことは、小泉首相が訪朝して当該事実が判明して以来、連日のように新聞・テレビ・ラジオはもとよ り、あらゆる週刊誌が競って報道してきたから、知らないものはない。巷間は喧喧諤諤(ケンケンガクガク)、北朝鮮の対応に対して議論百出、留まるところを 知らずといった感さえある。

 蓮池君を始めとする帰国者が、北朝鮮での実態生活を通して体験した事実や、現地事情について詳しく語ってくれれば、相当貴重な情報も得られる筈である が、肉親の子供達を現地に残したままでは、その言動が残留の子供達や配偶者へ悪影響を与えてはならないという配慮から、彼らの口は堅く閉ざされている。し かしいつの日か、国際環境が好転し、肉親を日本に迎え入れた後で心の縛りが解けたならば、未知の国の体験を話して貰える時もくるであろう。

 私はこれまでに3回、北朝鮮を訪問し、中朝国境・朝鮮ロシア国境地帯、羅津・先鋒、清津、平壌等に足を入れ、現地の相応の要人や官僚と「話し合い」を もった。北朝鮮へは相手国の相応の機関からの招待状がなければ入国できない。勿論渡航申請段階で充分身元調査が行われ、出発前に査証同様の許可証の入手は 必要である。その意味ではまだまだ閉鎖的である。更に、最近の核開発疑惑の再発以来、排他的閉鎖性はいっそうひどくなってきている。

 日本上空を経由するテポドンの突然発射、不審船問題、南北朝鮮軍の海上銃撃戦問題、日本人の拉致問題など、北朝鮮側の日韓米へ向けてのこれまでの不穏行 動は枚挙に暇がない。それでいながら94年の核開発停止の米朝枠組み合意以来、人道援助の名において膨大な食糧支援と重油が毎年北朝鮮へ送られてきた。

 今回の小泉・金正日会談でも拉致問題の解決と核開発の撤廃、そしてその後の経済交流の活発化は宣言されはしたが、北朝鮮政府は突如として核開発の再開を 匂わせ、国際原子力機関派遣の査察員を国外退去させるに到った。世論はこの挙を北朝鮮の得意とする「水際外交」の一環というが、日本人には理解し難いかか る相矛盾する行動パターンは、かの国の建国以来の思想、国家体制、国民教育、経済運営システムと経済の現状など、歴史的推移を追って検討してみないと理解 し難い問題である。

 我々は、隣人に迷惑をかけて当然と思い、権利を侵害しても平気で、不愉快な嫌がらせをする人が隣に住んでいたら、もっと環境の良い場所へ移転して生活す ることができる。しかし、国の場合は国を移転するわけには行かない。出来うる選択は、相互理解を通じて共に不快感を排除して平穏に接する道を求めるしかな い。それには「良し悪し」の選別の前に、上述したような基盤(ベース)を根拠として、まず相手を十分に知ること、別言すれば、自己の主張や思想と相反する 場合でも、相手の立場に立って一度は考えてみる余裕を持つことである。違いが解らなければ相互のギャップを埋める糸口は掴めない。

 我々はジャーナリズムの異常な発展により、あまりにも豊富な情報によって日夜洗脳されてはいないだろうか?一体どの情報が正確で、どれが不正確かを判断 する根拠もなしに、或いは時間的余裕もなしに、重層的に同一・類似の情報が注入された場合、結果的に誤認することが起こりうる。

 北朝鮮問題を分析する際には、自らの事実確認をベースに、内外から出来るだけ多くの知的情報を収集し、当該の事案を判断する時点における相手国の現状 (内情)を、前記の基盤分析から得た知識を加味して判断することが望まれる。以下に参考として幾つかの事例を掲げて、情勢判断や交渉において日本人が注意 すべき点や基本的認識の相違、ならびに独裁体制化による軍事・経済システムからくる考え方の違いを示してみよう。
  1. 北 朝鮮の名称:北朝鮮の正式名称は「朝鮮民主主義人民共和国」である。自尊心の非常に高い彼らに、現地で「北朝鮮」と言ってはならない。北朝鮮を指すときは 「共和国」という。韓国を含む朝鮮半島全部が彼らの国土であると規定しているからだ。不快な印象を持たして始める交渉ごとは、決してうまくは進まない。
  2. 日 本はまだ敵国扱いである:朝鮮半島を併合した日本を朝鮮にとっての侵略者と規定し、戦後の建国へのバネとした。韓国と日本とは平和条約は締結されたが、北 朝鮮と日本は未だに国交は回復されていない。幼児からの教育で、侵略者「日本」を徹底して植え付けてきた。戦前・戦後の対日補償要求は恨みから発し、日本 から支援の食糧も、国民には為政者(金正日将軍様)の偉大な力の結果として配給されてきた。そこには日本への国民的感謝はない。日本人は食糧危機に喘ぐ北 朝鮮人民への人道支援と受け止めてきた。
  3. 幼 年期の児童の将来目標:「どんな人間になりたいか?」と問われた幼児は、放映のテレビ映像でも「立派な軍人になって将軍様に忠誠を尽くしたい」と答えてい る。少年達は「将軍様を讃える歌」を歌いながら隊伍を組んで登下校する。恐るべき徹底教育だと感じる日本人は多いだろう。だが、昭和10年前後から第2次 大戦にかけての日本でも、七五三のお宮参りに連れ出された男の子の「晴れ着」に、肩章を付けた陸海軍大将の正装の競演が如何に多かったことか。その幻影 は、当時を知る年配者の脳裏に強く焼き付けられている。学校で正課の軍事教練では、日本でも軍歌を歌っての行進は青少年教育に取り入れられていた時代が あったのだ。「敗戦前の日本と同じだ」と、嘗て訪朝した村山元首相は語ったが、北朝鮮は今、体制維持のためにそれを必要としている国なのである。
  4. 金 日成・正日父子像の昂揚:広場、公園、建造物、講堂や会議場、室内、駅や港湾施設、あらゆる所に金父子の肖像写真が掲げられている。人民の服には彼らの バッジが飾られている。金日成は建国の父であり、金正日は真正の後継者として国民の父として尊敬し、忠節を尽くすべき対象として位地付けられている。だが 彼は大統領でもなく、君主でもない。共和国労働党の総書記であり、国防委員長である。別言すれば、全軍の最高実力者であり、同時に一党独裁国家の最高責任 者を兼ねているわけである。しかしこの地位は、まだ神格化するまでに到っていない。
     戦前の天皇は現人神(あらひとがみ)であり、一般国民は正視することは許されず、官公庁や学校の講堂に飾られた天皇の肖像写真は、場所によっては神棚同 様に扉や幕で覆われ、式典などで開扉される時は、頭を下げて直視を許されなかった。「死を賭して」金将軍様に忠誠を誓う北朝鮮の人民を見て、侮蔑嘲笑すべ きではない。そこまで徹底教育し、国体を維持している現状を率直に評価し、同時に、かかる体制が国際情勢の変化の波を受けて如何に変容するかも冷徹に見つ める必要がある。
  5. 経 済法制と運用:経済開発特別区設置を決めた時点において基本的法規は一応制定されたが、運用規定や細則などは充分に整っていない。実際に法規どおりに運用 されるかどうかも問題であるが、規定がある以上は基準的役割を果たしている。外国企業との間に商事紛争が起きた場合、最終決着は、訴訟か仲裁か?因みに天 災地変(Act of God)に関して列挙された項目(条件)以外の事故を、Act of Godによる原因と認定するのは誰か?
     嘗てアラブの国と「神とは誰か」で争ったケースがある。「神はアラーである」とする相手に、「日本では八百諸神(やおよろずのかみ)がいて、神を特定出 来ない」と反論して妥協した例がある。北朝鮮では「現人神」はいないが、最終決着者は最高権力者になる可能性が強い。
  6. 国 道建設は外資負担で:羅津から中朝国境までの幹線道路建設は、最も利用度が高くて利益を享受できるのは道路利用者である外国企業だから、建設は利用者負担 で実施せよという。バイパスや高速道路ならともかく、幹線国道は国家がインフラとして建設すべきだが、この考え方では国土開発は進捗しないし、経済発展も 望めない。だが、最低必要な幹線道路は軍人を含む一般人民の人力の大量投下によって進めている。
  7. 競 争原理の導入開始:社会主義経済は均等な配分に原点をおいてきたが、ピョンヤンの縫製工場では、能率給の導入を始めている。輸出用のアパレル製品の生産工 場では、個人別生産量のグラフが掲げられ、出来高に応じて給料に差が出る能率給のシステムを採用して、効率化を図っている。国家としては資本主義経済を否 定しつつも、対外競争力を求められる企業としては、資本主義市場原理の波を被らざるをえない。国際社会との接触を深めるに従い、経済自体が資本主義経済へ と移行して行く。疲弊した国家経済を建て直し、発展への路線に乗せるためには、北朝鮮が中国のように社会主義市場経済という新方式へ手際よく転換しうるか 否かに懸かっている。別言すれば中国の鄧小兵のような実力者が登場するか否かである。
 北朝鮮経済の健全化は、単に食糧難や貧困から生じる脱北難民問題を解決できるだけでなく、北東アジア経済圏の形成を通じて極東の平和と安全保障に密接に 関係し、ひいては世界平和に貢献できる。我々は過去10年以上にわたり「北東アジア経済フォーラム」を形成し、年次毎に関係国において国際会議を開催し、 目標達成に向けて議論を重ねてきた。紙幅の都合上、フォーラムと実践活動の内容を詳述することは出来ないが、北朝鮮を孤立させることなく、日米韓中ロとモ ンゴルの周辺国で包み込んで、地域の平和と発展への道筋をつけたいと願っている。

 斎藤さんへのメールは saitoyoi@courante.plala.or.jp

2003年01月09日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 1月8日付静岡新聞朝刊の企画記事「創造2003」に日本自然エネルギーの正田剛社長のインタビューが掲載されていて興味深く読んだ。

 日本自然エネルギーは、電力を売るのではなく、風力発電を中心に自然エネルギーを需要家である企業につなぐ会社。「グリーン電力認証システム」の発行を通じて環境問題に貢献しようということらしい。正田社長は「1Kw時当たり約4円高い電力料金を負担していただくだけ。そこに価値を見るのかどうか」と答えている。

 すでにソニーやアサヒビールなど24社が導入を決めていて、「ソニータワーの使用電力をすべてグリーン電力でなかなうことにした」「アサヒビールは神奈川工場の利用を決めた」「トヨタ自動車は将来、ハイブリッド車のプリウスもグリーン電力で作ったことを証明したい」などとホームページにそれぞれ導入にあたっての抱負を述べている。

 日本もようやくここまで来たかという感慨がある一方で、ヨーロッパで起きている革新的出来事と比べて、まだまだスタートラインにも立っていないという危機感にさいなまされた。

 2002年9月時点のヨーロッパの風力発電の能力は2044万Kw。これは平均的な原子力発電の20基分に当たり、1000万世帯の電力需要に匹敵する。能力の増強はここ6年、毎年40%増の勢いだそうだ。最も力を入れいているドイツは1065万Kwで消費電力の4%をまかなっている。2番目が251万Kwのデンマークだが、ここではすでに同18%に達している。

 比べて日本の風力発電の事情はといえば、今年ようやく能力が50万Kwに達する見込みで、消費電力量の0.05%。四捨五入すれば「ゼロ」である。「失われた10年」などと評論している間にこれだけの彼我の違いが生まれたのである。

 もっとすごいのは、欧州風力エネルギー協会が昨年9月のヨハネスブルグで行われた地球環境サミットで発表した「Wind Force 12」宣言だ。「ヨーロッパの成功はまだほんの序の口。8年後にはさらに10倍になる「」2020年までに風力発電が全世界の電力需要の12%をまかなう」と青写真を描いて見せた。そしてその時までに全世界のの風力発電能力は、現在の500倍以上の12億6000万Kwに達していると予測している。しかも「現在の技術の延長上で可能」としているのだ。

 日本は世界でも最も電力コストが高い国で、エネルギーの代替が一番やりやすい環境にあったはずだった。にも関わらず、通産省以下、9電力が原発に固執したおかげで風力後進国に成り下がったのだ。

 欧州風力エネルギー協会によると、「Wind Force 12」実現のために1330億ユーロの投資が必要ということで、風力発電は巨大な投資市場を提供するものでもあると語っている。風力発電はもちろん環境面から積極的に推進する必要があるのだが、プラント業界にとってもおいしい事業なのだ。市場が拡大すれば、当然ながら導入コストも下がり、やがて「風力は割高」というコスト問題も解消されるはずだ。

 風力発電で風力発電プラントを作ることができるようになれば、それこそ「好循環」が始まる。2002年度の補正予算の10分の1でいい。風力発電に回せば、プラント業界もゼネコンも潤うし、地域も潤う。また風量プラントは原発のように建設に10年もかかるものではない。着工から数カ月で竣工するため、景気への即効性も高い。

 そして何よりもソニーなど多くの優良企業は環境のためにコストを支払いたいといっているのだ。われわれ市民だって同じだ。自然エネルギー普及のために多少のコストは負担する覚悟はあるはずだ。

 われわれが待っているのはそうした社会全体の発想の転換なのだ。発想の転換といいながら、自虐的に「失われた」などというのは2002年でおしまいにしたい。

 きょう1998年1月9日に始まった萬晩報記念日。6年目に突入する。

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