2002年11月アーカイブ

2002年11月26日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 いま、賀川豊彦の『死線を越えて』という小説を読んでいる。大正9年に改造社から初版が刊行されてミリオンセラーになり、いまのお金にして10億円ほど の印税を手にしたとされる。賀川豊彦は、神戸の葺合区新川の貧民窟に住み込み、キリスト教伝道をしながらこの作品を書き、手にした印税でさらに貧民救済に のめり込む。

 賀川豊彦はキリスト教伝道者であるとともに、戦前は近代労働運動の先駆けを務め、コープこうべを始め、日本での生協運動の生みの親でもあった。戦後は世界連邦論を推し進めるなどいまでいえば、政治・経済のトータルプランナーだった。

 最近、そんな賀川豊彦という人を芋づる式に学んでいる。先週は賀川豊彦記念講座委員会編『賀川豊彦から見た現代』(教文社)を読み、その前の週は賀川豊 彦の長男である純基氏を世田谷区上北沢の松沢教会に訪ねた。僕の中で賀川豊彦という存在がどんどん膨らんでいく。

 純基氏は80歳になる品のいい老紳士だった。「僕は賀川豊彦がずっと重荷になっていたんですが、最近、その偉さが分かってきた」というようなことを言った。

 3月に賀川が少年時代を過ごした徳島県鳴門市に賀川豊彦記念館ができて、徳島の先生たちが松沢教会内にある賀川豊彦記念館を訪ねてくれるようになったの だそうだ。「子どもたちに賀川豊彦のことを聞かれて勉強不足を恥じ入って訪ねてくる」というのだ。ただ「多くの人は賀川豊彦という人物の断面だけをみて、 全人格的にみていない」との不満も漏らした。

 それは賀川豊彦が70年の人生で築き上げた経綸に対する理解不足ではないかと思う。ヨーロッパの人たちが幾度かこの人物をノーベル平和賞の候補としたの は単なる平和主義者としての賀川豊彦ではなく、平和を実現するためにどういう政治体制が必要なのか、どのような経済改革をしなければならいのか終生考え続 けた、その功績に対する評価だったはずだ。

 純基氏が「シューマンというフランス人を知っていますか」といいながら、欧州連合(EU)と賀川豊彦の話をし始めた。偶然、前の夜、賀川豊彦が雑誌『国 際平和』に書いていた「シューマン・プラン」の話を読んでいたから理解が進んだ。シューマンは1951年当時のフランスの外相で、フランスが占領していた ルール地方の鉄鋼、石炭産業をドイツに返還して国際機関に「統治」させるよう提案した。このヨーロッパ石炭鉄鋼共同体条約が後のECに、そして現在のEU に発展する。

「1978年にECのコロンボ議長(イタリア外相)が日本にやってきた時、賀川豊彦が提唱したBrotherhood Economicsという概念がECの設立理念の一つとなったというんですよ。これは当時のEC日本代表部が発行した広報資料にも掲載されています」

 驚くも何もない。賀川豊彦がEUの理念と関係していたとは。このBrotherhood Economicsは1935年アメリカのロチェスター大学か らラウシェンブッシュ記念講座に講演するよう要請され、アメリカに渡る船中で構想を練った「キリスト教兄弟愛と経済構造」という講演で初めて明らかにした もので、翌1936年、スイスのジュネーブで行われたカルバン生誕400年祭でのサン・ピエール教会とジュネーブ大学でも同じ内容の講演をした。

 「キリスト教兄弟愛と経済構造」はまず資本主義社会の悲哀について述べ、唯物経済学つまり社会主義についてもその暴力性をもって「無能」と否定し、イギ リスのロッチデールで始まった協同組合を中心とした経済システムの普及の必要性を説いたのだった。

 その400年前、ジュネーブのカルバンこそが、当時、台頭していた商工業者たちにそれまでのキリスト教社会が否定していた「利益追求」を容認し、キリス ト教世界にRefomationをもたらした存在だったが、カルバンの容認した「利益追求」が資本主義を培い、極度の貧富の差を生み出し、その反動として の社会主義が生まれた。賀川豊彦が唱えたBrotherhood Economicsこそは資本主義と社会主義を止揚する新たな概念として西洋社会に映ったのだと思う。

 この講演内容はただちにフランス語訳されて話題となり、わずか3年の間にヨーロッパ、アメリカを中心に中国を含む27カ国で出版された。スペイン語訳には当時のローマ教皇ピウスⅩⅠ世の序文が付記された。

 さらに純基氏がいうには「アメリカのワシントンDCにワシントン・カテドラルという英国教会の教会があるんですが、そこに日本人としてはただ一人聖人と して塑像が刻まれているのです」。1941年4月、賀川豊彦は日米開戦を阻止するため、単身渡米してワシントンで米側と話し合いをしているのだ。

 そんな日本人がかつていたことをわれわれはもっともっと誇りに思っていい。

【読者の声】


「EUの理念となった賀川豊彦の発想」を福岡・創言社の友人からメール転送していただき拝見いたしました。今月「賀川豊彦再発見」という拙い小品をこの出版社から刊行していただいたこともあってのことでしたが、大変興味深く拝見いたしました。
私の場合、賀川を直接知らない世代になりますが、不思議なご縁で神戸の「葺合新川」にたてられた現在は「賀川記念館」の中にある賀川先生ゆかりの教会の牧 師として1966年に赴任し、1968以来現在まで、神戸における賀川先生のもう一つの拠点である長田区の下町で「番町出合いの家」という家の教会の牧師 をしています。ゴム工場や神戸の部落問題研究所などの裏方の仕事で、モグラのような暮らしをしてきたこともあって、お書きになっている「シューマン・プラ ン」のことなどは全く不案内ですが、お書きになっていること、大いに興味をひかれて読ませていただきました。ご健勝を!(神戸 鳥飼)


 ニュージーランドから大石幹夫です。またまた興味深い萬晩報の記事を送っていただき感謝しています。私も、平和研究者の端くれとして、賀川豊彦のこと大 変励みになります。以前、救世軍の伝道師だった友人がいて(と言っても年が50歳以上離れていましたが)、その人から賀川豊彦のことはよく聞いており、ま た「死線を越えて」やその他彼の著作も当時いくつか読んだことがあるので、なつかしい気持ちでご記事を読ませていただきました。
 また彼の人間経済の考えは、確か、ウィリアム・モリスに代表される「空想的社会主義」の流れと一致するのではないかと思います。また、EECに関わっ た、「スモール・イズ・ビューティフル」のシューマッハーの考え(彼は「仏教経済学」を提唱したようですが)も、人間のスピリチュアルな側面を重視する点 で、賀川の思想と通じるものがあると思います。これからは、このようなホリスティックな人間観に基づいた経済思想(とりわけ、バイオリジョナリズム--生 命圏地域主義など有望だと思います)が、世界的に必要になって来るでしょうし、この面で日本人は世界に貢献できるのではないかとも思います。


 私は生活協同組合コープこうべに勤めております杉野峰雄と申します。この度、配信されました萬晩報で賀川豊彦先生についての一文を読ませていただきぜひともお伝えしたいことがあります。
 私ども生活協同組合コープこうべは創業時に賀川豊彦先生の指導を受けて現在にいたっておりますが、賀川先生が1954年に協同組合中心思想として次の七つの言葉を残されています。
 「利益共楽、人格経済、資本協同、非搾取、権力分散、超政党、教育中心」という言葉です。聞くところによりますと、賀川先生が弊組合に来られました際に 揮毫をお願いしたところ先の言葉を記されたということです。 直筆を額装し本部の応接間に掲げられていましたが、残念なことに阪神淡路大震災で本部ビルが 倒壊した際に消失しました。
 資本主義経済がかつての大恐慌で崩壊し、社会主義経済がソ連の崩壊とともに消え去ったと言われておりますが、賀川先生が提唱された七つの言葉は今の時 代、これからの時代に世界各国が生き延びるための唯一無二の思想であり、哲学かと思っております。その昔、土佐の坂本竜馬が船中八策をしたためたと小説に 描かれておりましたが、この言葉を読むだけでも賀川先生の偉大さが偲ばれます。
 先日、徳島にある賀川記念館に行ってまいりました。館内に賀川先生の肖像画があり、そこには「愛は私の一切である」と記されています。私どものコープこ うべは「愛と協同」という言葉を創業以来掲げておりますが、徳島の地で私はそのことを深く実感しました。先生がこれまで活動してこられた様々なことを折り 込んだ青い背景に若き時代の賀川先生がすこしうつむいた姿勢でたたずんでおられます。そこに書かれた「愛は私の一切である」という言葉こそ、世界をまたに かけて活躍された先生のエネルギーであったかと思います。(生活協同組合コープこうべ 杉野峰雄)
2002年11月24日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 パリツアーのアテンドから帰った旅行業の友人が驚いていた。

「ムーランリュージュへ行ったら、日本人はわれわれ20人だけで、あとは中国からの観光客ばかりなんだ。ブランド店にいっても中国人ばかりが目立って、買い漁っているんだ」

 日本人の団体がパリの観光名所をかっ歩していた時代は終わってその次の韓国も存在感が薄い。もう中国人の時代になったというのだ。それで話が別の方に向かった。

「観光ビザで入国して逃げちゃう。なんてことは心配ないのかな。日本の場合、中国人向けの観光ビザ発給は人数枠が厳しい上に、誓約書まで書かすっていうじゃん」

「フランスって、そういうところがけっこうおおらかなんじゃないのかな。日本人は本当に心配性なんだよ。というか信用しない」

「うん、そうだね」

「景気が悪いんだから、日本も外国人にもっと来てもらう努力をすべきなんだ。日本で働くことを目的に観光ビザを取得する人もいるだろうけど、外務省とか入 管は、上海とか北京でお金持ち層が相当増えていることが分かっていないんだ。中国人イコール労働目的と考える時代は終わったと思うよ」

「パリでの中国人観光客の買い物を見ているとそう思うよ。1960年代に月給が5万円ぐらいだったころ、俺も25万円のヨーロッパツアーに行ったもな。お金貯めてさ。そんな時代を思い出しちゃったよ」

「そう、外国人に来てもらう努力といえば、10年以上前にキャセイ航空が香港-札幌の定期便を飛ばしたんだ。目的はスキー。当時、東南アジアの人々にとっ て雪といえば北海道というイメージがあった。問題は札幌側の受け入れ体制だったんだ。北海道のスキー場がアジア人だらけになったら日本人が来なくなるって 言って観光協会がさっぱり動かなかった。キャセイの人がせっかく定期便を飛ばしたのにってこぼしていたよ」

「そういう話って初めて聞いたよ。いまや日本人も来なくなって、二泊三日で3万円台のツアーをつくっても来ない。その時、ちゃんと誘致をしておけばよかったのに」

「もう。遅いよ。香港人はカナデェアン・ロッキーまで飛んじゃうんだから」

「ヨーロッパもアメリカもその点、お客はお客。内心嫌だと思ってもちゃんとそろばんをはじくんだ。ところで年間にフランスを訪れる外国人観光客は何人だか知っているかい」

「いいや。日本は400万人だとかだろう」

「フランスは4000万人なんだ。もちろん国境を接しているという要素もあるけど。すごい数だと思わないかい。国の人口に匹敵する人が遊びにやってくるんだ」

「ほう、それはずごい。日本だと1億人ってことか。一人10万円落としてくれたら10兆円......。景気対策なんてぶっとぶ金額だ」

「まあそれだけの人を収容する宿泊施設があるかどうか知らないけれど、国境を開放するということはそれだけインパクトが大きいってことさ。旅行業をやっているとそれがよく分かるんだ」

「警察だとか入管は外国人が入ってくるマイナス面ばかりを強調して、マスコミもそれに乗ってしまって、外国人=悪というイメージを知らず知らずに作り出していると言えないだろうか」

「おっしゃる通り。ボーダーレスだとか言っておきながら、日本人が外国へ行くことばかりが国際化だと信じてきたんだ。日本人が外国に出て行くということは同じ数の外国人も受け入れていくという自覚が欠如しているんだよ、この国は」

 【読者の声】
 フランスと中国ということで思い出すことがあります。
 僕がフランスに留学したのは1981年4月。初めにブザンソンという小都市にいて、7月から2年近くをグルノーブル(札幌の前の冬季オリンピックがあっ た所、キリーが3冠王を取った、何て話をしても通じる人が少なくなってしまった)ですごしましたが、初年度は僕が知っているだけでも100人近くの日本人 留学生がいて一大勢力でした。
 他には中東やアフリカの人が多いのは歴史的な背景があるとして、もう1カ国突出して多かったのがベネズエラ。石油ショックの後、自国内であまり石油の採 れないフランスは戦略的に産油国からの留学生を受け入れてきていた。我々は彼らを石油奨学生(Petro Bourciers ペトロ・ブルシエ)と呼んでいた。
 2年目(82年)になって、景気後退から日本人留学生の数が半減する中(特に企業派遣の人が減り、冬の時代と言われた商社の人など、2年の予定で来てい たのに1年に短縮されて帰ったりしていた。入省して数年の、我々を「民間の方は...」なんてすぐ言う外務省からの留学生は減らなかったけれど)、急増し たのが韓国と中国。
 特に中国はまとめて送られてきたという感じで(事実そうだったんだろう)、キャンパスの雰囲気が変わったような気がした。まだその頃は一目で服装から大 陸中国から来た人と台湾から来た人は区別が出来ました。授業でも積極的で、授業中に発言を求められると、言われもしないのに黒板の前まで出てきて堂々と発 表するという風でした。
 中国が国際社会に復帰した時、西側で初めに国交を回復したのはフランスですし、昔からフランスと中国の外交は日本など足元にも及ばないように巧みです。(Koseki N.Y.)

2002年11月20日(水)萬晩報主宰 伴 武澄


 若者が政治改革を目指すNPO「Rights」が主催するシンポジウムに出席して、分かったのは世界のほとんどの国で参政権が18歳になっているということである。日本など20歳以上は「例外的存在」であることに初めて気付いた。

 オーストラリアから参加した青年によれば「参政権が21歳から18歳に引き下げられたのはベトナム戦争の時だ」というから四半世紀以上も前のことであ る。理由は「ベトナム派兵のため、徴兵制度が始まり、参政権もないのに徴兵するのはおかしいという意見が多数を占めたからだ」という。アメリカでも同じ事 が起きていたそうだ。

 明治当初、日本の参政権は一定の納税額以上の男子に限られていたが、大正デモクラシーで「25歳以上の男子」となり、戦後は女性にも参政権が拡大して年 齢も20歳に引き下げられた。その後、参政権年齢の引き下げ議論がなかったわけではない。民主党は昨年「引き下げ法案」を国会に提出した。しかし、本音 ベースでいえば、だれも制度変更を現実のものとはとらえてこなかった。

 この間、高校進学率はほぼ100%となり、誰も彼もが大学に入れるようになった。日本人の高学歴は急速に進み、経済は世界のトップレベルに達したのだ が、政治意識は進歩したとはいえない。参政権年齢を引き下げれば、政治意識が高まるというわけでは毛頭ないが、世界中が参政権年齢を相次いで引き下げてい た時、日本は完全にフリーズ状態だったことだけは確かである。

 恐ろしいことに、戦後憲法制定に遡れば60年もの間、われわれの思考が停止していたともいえる。

 アメリカ・ペンシルベニア州では昨年、18歳の町長が誕生して話題を呼んだ。これもただ若ければよいというこのでもない。しかし、アメリカの自治体では、被参政権までもが18歳以上という場所があるところに驚きがあった。

 日本でもこの夏、秋田県岩城町で住民投票の対象者を18歳まで広げて実施し、長野県南部の平谷村では中学生にまで引き下げる方針を決めている。いずれも町村合併の是非を問う住民投票であるため、将来も町村を担う年齢層の意見も聞く必要があるとの判断があった。

 これまで日本の選挙改革で、衆院選挙に比例代表制が導入されたり、区割りの変更が行われたりした。政治的変化がなかったわけではないし、一定の前進とと らえていい。かつてのような選挙区選挙に逆流することはもはやないはずだ。しかし選挙改革がそれだけで終わっては寂しい。

 参政権や被参政権の年齢は公選法で定められているが、この際、とりあえず地方選挙に関しては地方に分権してはどうだろうか。住民投票でできたものが、首長選挙や地方議会選挙でできないはずはない。

 またアメリカにある選挙人登録というもの試してみる価値はありやしないだろうか。事前に投票の意志の有無を確認し、意志を表明した人だけに投票用紙が配 布される制度である。もっともアメリカで選挙人登録すると、「陪審員」に選ばれて裁判所に一定の期間拘束されるという義務もつきまとうのだが......。

 さらに首長選挙でが、過半数を獲得しない選挙はやり直すとか、白票を「有効票」ととらえて、白票が一定割合以上の場合の選挙のあり方を考えるとかいくらでもアイデアは出てきそうだ。

 「Rights」というNPOは90年代後半から始まった、選挙の際の立候補者による「公開討論会」を全国で広げてきたリンカーン・フォーラムの流れを くんだ若者たちが立ち上げた組織である。2月には国会議員を巻き込んだ「選挙権に引き下げを考える国会集会」を開催、3月「ユースインターンシップ」では 12歳から19歳の19人を国会議員の事務所にインターンとして送りこんだ。

 先週末行われたのは「Rights国際フォーラム2002~政治でつなぐ世界の若者~」。国立オリンピック記念青少年総合センターで、10代、20代で 活躍するオーストラリア、スウェーデン、ドイツの若者とともに、それぞれの社会参加、政治参加についてパネルディスカッションした。

 NPO「Rights」は http://www.rights.or.jp/
2002年11月19日(火)萬晩報通信員 園田 義明


 
■パウエルの憂鬱

 11月14日、パウエル国務長官は、テレビ伝道師で知られるキリスト教指導者の発言に対して強い非難を行う。「クリスチャン・コアリション(クリスチャ ン連合・キリスト教連合)」の元総裁、パット・ロバートソンとバプテスト教会の牧師であり、ホワイトハウスのアドバイザーも務めるジェリー・ファルウェ ル、そしてベテランのペンテコステ派であるジミー・スワガートである。

 ロバートソンは、クリスチャン・ブロードキャスティング・ネットワークのニュース番組で「イスラム教徒は、ナチスよりも質が悪い。ヒトラーも悪いが、イ スラム教徒がユダヤ教徒に行いたいことはもっとひどいものだ。」と発言、一方ファルウェルは、CBSの番組で「ムハンマドは、テロリストだったと思う」と 語る。そして、かつて、売春婦をめぐる不品行を認めてスキャンダルとなり、聖職位を剥奪されたジミー・スワガートは、ムハンマドを「性的倒錯者」「変質 者」と呼び、イスラム教徒の国外追放を要求する。

 これらの発言は、イスラム教徒から大きな批判の対象となったが、パウエル国務長官も「この種のイスラム教徒への憎悪は、拒絶されなくてはならない」と語る。

 国連安保理への対イラク決議案をまとめ上げた直後にまたしてもパウエルを悩ませる難題が襲いかかる。そして、共和党が背負い込む重い十字架の存在が、誰の目にもはっきりと見えるようになってきた。

 
■クリスチャン・コアリション

 クリスチャン・コアリションは、1989年9月、元共和党代表候補であり、ジェリー・ファルウェル同様、テレビ伝道師で知られたパット・ロバートソン が、会員25万人を集めて設立する。発足以後、目覚ましい発展を遂げ、「共和党最大の利益団体」に成長する。現在の会員数は200万人程度とされ、共鳴者 も含めると共和党固定支持票の3分の1を占める勢力と言われている。

 クリスチャン・コアリションは共和党を乗っ取るという明確な目標を持っており、大統領選のプロセスにおける影響力は絶大である。そして、常にその鉾先となってきたのが現在のパウエル国務長官である。

 1994年の中間選挙では、パウエルは、ボブ・ドールの副大統領候補にと騒がれ、党大会でも注目の的であった。パウエルは演説で「リンカーンが築いた偉 大な党の寛容さと多様性」を再三訴え、中絶禁止や移民規制など、保守・強硬派の主張に真っ向から反対した。

 しかし、パウエルの前に立ちふさがったのが、人工中絶やアファーマティブ・アクション(黒人など少数者のための積極的差別是正措置)などの社会問題での 宗教右派の攻撃だった。そして、共和党は唯一ともいえる穏健主流派のスター候補を失う結果になる。その中心には、パット・ロバートソン率いるクリスチャ ン・コアリションがいた。

 クリスチャン・コアリションは、福音派(エヴァンジェリカル)の急進派ファンデメンタリストであるキリスト教原理主義の中核と見られている。しかし、 ファルウェルなどの「モラル・マジョリティー」出身の指導者達が、排他的な原理主義者であるのに対して、クリスチャン・コアリションは、規模の拡大と政治 的影響力を高めるために宗教色を薄め、政治的な宗教右派勢力を形成してきた。

 ■ブッシュ政権と宗教右派

 得票総数で民主党ゴア氏を下回り、最終的には訴訟という非常手段を用いて大統領に選ばれたブッシュ大統領にとって、常にブッシュ・パパの成し遂げられなかった再選への夢がつきまとう。

 ブッシュ・パパは、キリスト教原理主義者であるダン・クエールを副大統領起用することで、宗教右派の取り込みを狙うが、選挙後の政策では、中道派に徹 し、妥協的な運営を行う。その結果、共和党右派や宗教右派の反発を招き、92年の選挙敗北の一因となった。

 クリスチャン・コアリションなどの宗教右派は、選挙のための集票マシーンとして利用されるだけの存在から、政策決定の場に影響力を高めることが目標となった。そして、現在のブッシュ政権で彼らの目標が実現に近づきつつあるようだ。

 父親の敗因を知るブッシュ政権は、司法長官に宗教右派に属するジョン・アシュクロフト前上院議員を指名する。この時、リベラル系団体は、「極右のアシュ クロフト氏の指名は、クリスチャン・コアリション、全米ライフル協会の会長としてなら、正しい選択であるが、司法長官としては、全くの不適格者である。」 などと、指名反対のキャンペーンを連日行った。

 アシュクロフトに代表される宗教右派の特徴は、妊娠中絶、同性愛、銃規制、国際刑事裁判所などの問題では、絶対に譲れない明確な一線を築き、違う立場を表明する人々を敵視する傾向がある。そして、しつこいほどのロビー活動を展開するようだ。

 ブッシュ大統領は、彼らの願いを叶えるかのように、政権奪回後の最初の仕事に選んだのが、「海外で妊娠中絶を支援する団体への政治援助禁止令」への署名 である。かつて、レーガン元大統領が署名し、クリントン元大統領が覆したものを、再度復活させたのである。

 最近では、今年7月22日にブッシュ政権が発表した国連人口基金への拠出中止は、宗教右派に大歓声で迎えられる。同基金は途上国での家族計画や女性の健 康増進プロジェクトを進めてきたが、宗教右派は、基金の支援によって中国で強制的な避妊や中絶が行われていると決めつけ、支出に反対してきた。ブッシュ政 権は、その疑いを直接裏付ける証拠が見つけられないままに、国連に約束していた3400万ドル(約40億円)の拠出を取りやめた。

 その後、8月5日には、人工妊娠中絶に反対する宗教右派が中心となって制定を求めていた新生児権利保障法案が成立した。生まれてきた新生児には、米連邦 法に基づくすべての権利を与えて保護するとされ、中絶容認派や中道派は、ブッシュ政権が中絶禁止へ踏み込む地ならしではないかと警戒を強めている。

 これまで、共和党は、女性票や貧困者の票の獲得が弱点と言われてきたが、中間選挙対策として、宗教右派の集票マシーンを活用するために大きく歩み寄った のである。中間選挙は、30~40%程度の投票率にとどまる傾向にある。従って有権者の20%の支持を集めれば当選可能となる。パウエルの人気票や女性票 などの浮動票より、組織票に重点を置いた中間選挙戦略が、共和党勝利につながったようだ。

 投票率39%の2002年中間選挙を制した共和党は、2004年に向けて早速始動している。2000年の接戦となった大統領選の投票率は51%、浮動票 を取り込むために国民的人気の高いパウエル国務長官の政権内での発言力が高まる。ブッシュ大統領が、対イラク政策をネオコンやタカ派の強硬路線から、パウ エルの協調路線に傾いたのはこのためである。

 しかし、考えられないような出来事が起こる。上院も知事も共和党が久しぶりの勝利を達成した南部ジョージア州である。特に上院選では、共和党サクス ビー・チャンブリス候補の当選の可能性が極めて低いとみられていたが、民主党現職マックス・クリーランド議員が敗れる結果となった。投票3日前には、ブッ シュ大統領が現地を訪問し、州内2カ所でチャンブリス候補の応援演説を行って投票を呼びかけたが、この選挙戦を陣頭指揮したのが、ジョージア共和党会長で あるラルフ・リードである。

 
■ラルフ・リードとグローバー・ノーキストと水曜会

 ラルフ・リードこそが、クリスチャン・コアリションの初代事務局長を務め、勢力拡大の原動力となった人物である。更なる勢力拡大のため、穏健路線も視野 に入れるリード氏は、教条主義にこだわるパット・ロバートソンと仲たがいし、97年4月にクリスチャン・コアリションを離れることになるが、今なお緊密な 関係は続いている。

 現在、ラルフ・リードは、共和党系政治コンサルタント会社「センチュリー・ストラテジーズ」を創設しているが、この会社の大口の契約先が、マイクロソフ トである。先日、米連邦地裁は、反トラスト法(独占禁止法)訴訟におけるマイクロソフトと米司法省とのあいだの和解案を大筋で承認したが、この裏側にも、 2004年に向けたしたたかなシナリオが隠されている。

 パウエル国務長官にとって、ラルフ・リードは、手強い相手となりそうだ。ブッシュ政権内での力関係にも影響を与えるだろう。

 このラルフ・リードは、毎週水曜日に開催されるある会合に招かれることがあったようだ。全米税制改革協議会(ATR)の会議室で開催される「水曜会」で ある。この「水曜会」は、クリントンが大統領に当選して以来、危機感を強めた保守派の政治家、ロビイスト、ジャーナリストなどを集めて結成された。主宰 は、全米税制改革協議会代表のグローバー・ノーキストである。そして、このノーキストこそが、クリスチャン・コアリションや全米ライフル協会(NRA)、 全米独立企業連盟(NFIB)などの右派系グラス・ルーツ団体を大同団結させた仕掛け人である。

 彼らのグループには、常にニュート・ギングリッチ元米連邦下院議長やチェイニー副大統領やラムズフェルド国防長官もメンバーであったタカ派シンクタンク「安全保障政策センター(CSP)」のフランク・ギャフニーCEO等の姿がある。

 このラルフ・リードとグローバー・ノーキストの二人が揃って役員会に参加するのは、ロビイスト団体である全米保守連合(ACU)である。

 吉原欽一氏(アジアフォーラム・ジャパン常務理事、水曜会参加経験者)によれば、2000年大統領選挙に際し、ノーキスト氏を中心とする全米保守連合 は、ブッシュ政権誕生に大きく貢献し、政権成立以降は、水曜会のメンバーはさらに拡大しており、連邦議員、連邦議会関係者、「ヘリテイジ財団」などのシン クタンク研究者はもとより、チェイニー副大統領、リンゼー経済担当大統領補佐官やカール・ロブ大統領シニア・アドバイザーといった政府高官やそのスタッフ が参加、右派系草の根団体との連携強化をさらに積極化しているとのことだ。

 カール・ロブの名前があがっている点から、水曜会は今回の中間選挙の選対本部として機能していたようである。

 ■キリスト教原理主義とネオコン

 多様な草の根団体が、一致団結できた理由について、グローバー・ノーキストは、次のように語っている。

「自分たちが描く将来像と他のコアリションの将来像とが、決して矛盾していないということに気づきはじめ、また自らのコアリションにとって完璧な候補を立 てて負けるよりも、選挙民に受け入れられるような候補を支持して左派を倒したほうが得策であると認識しているからである。」

 従って、勝利するためには、手段を選ばない打算的な考え方が見えてくる。同じような考え方で、宗教右派ではなく、キリスト教原理主義者に歩み寄ったのが、新保守主義(ネオ・コンサーバティズム=ネオコン)である。

 1997年に「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト(PNAC)」を設立し、「ウィークリー・スタンダード」誌の編集長でもあるウィリアム・クリ ストルの父、アーヴィング・クリストルは、1984年7月号の「コメンタリー」誌にて、ユダヤ系アメリカ人は、ジェリー・ファルウェルや他のキリスト教原 理主義者との同盟をもっと緊密なものにすべきだと主張している。そして、「リベラリズムは、今でははるかに守勢に回ったため、われわれ追い詰められた者 は、味方の選り好みをする余裕はないのだ」と書いている。

 実際にギングリッチやノーキストの伝統的右派グループと宗教右派、そしてネオコンとの接点を見ていくと、不思議なことにふたつの言葉に集約されるようだ。それは、「レーガン」と「イスラエル」である。

 
■核戦争を待望する人びと

 かつてキリスト教原理主義の影響を最も受けていたのが、レーガン政権である。レーガンは、新約聖書の「ヨハネ黙示録」のハルマゲドンを世界最終戦争に結び付け、少なくとも1986年まではその必然性を信じ込んでいたようだ。

 当時レーガンは、ソ連を「悪の帝国」と見なし、核軍備の大幅増強を推進した。その背後には、キリスト教原理主義の影響があった。

 そして、ブッシュ大統領の発した「悪の枢軸」は、レーガン時代の復活と見るべきだろう。彼らを呼び起こしたのは、911である。しかし、あらかじめ予期していたかのごとく人事配置が行われていた点は不思議でならない。

 1982年に行ったパット・ロバートソンの言葉がある。

「1982年の秋までに誓って世界はこうなります。この世に世界の審判が下り、ソ連に向けて下されます。軍事的冒険に乗り出す輩が現れるが、彼らはやっつけられるでしょう。」

 20年の時を経て、ソ連がイラクへと変わる時、彼らは、今度こそ「天国移送(ラプチャー)」によって天上へ引き上げられると信じているようだ。「天国移 送(ラプチャー)」を信じる者にとって、キリストから新しい天と地を用意してもらえるために、地球などはどうなってもいい存在であり、京都議定書など関係 ないのである。

 彼らにとって、彼らと同じ選民の国、イスラエルでは、左右両派による連立政権が崩壊し、タカ派のネタニエフ外相とモファズ国防相が登場する。一時的では あるが、史上最悪のタカ派政権誕生となった。実は、時を同じくして、諜報機関モサド長官もタカ派に変わっている。なにやら一大イベントに向けて、準備が着 々と進められているようだ。

 危機感を強めたローマ法王ヨハネ・パウロ二世は11月14日、イタリア国会を訪れ、上下両院議員を前にした初めての演説を行う。ここで、「世界の宗教 は、平和をもたらすことができるかどうかの挑戦を受けている」と語り「紛争の論理にとらわれていては、真の解決は望めない」と述べ、イラク問題などに対す る米国の力による解決姿勢を暗に批判した。

 しかし、今のアメリカにその声が届いているかどうか極めて疑わしい。船橋洋一氏が「世界ブリーフィング」で共和党コンサルタントの漏らした言葉を紹介している。

「このままだとブッシュは裸の王様になってしまう。これではいけないと思いながら、ブッシュを守らなければならないという強迫観念に駆られて、本当のことを言わない、言えない」

「宗教右翼(宗教右派)がホワイトハウスを占領してしまっている。自分のような社会リベラルは居心地が悪い。レーガン政権のとき、ボクは右寄りと見られていたが、いまでは左の危険分子扱いだ」

 現在、ブッシュ政権が、特殊な右派グループにハイジャックされているという見方が、米欧メディアささやかれ始めている。裸の王様を乗せたハイジャック機は、右に急旋回してどこかに猛然と突っ込もうとしているようだ。

 しかし、本来の「テロとの戦い」ですら見失ったまま迷走を続けるハイジャック機を嘲笑うかのようにウサマ・ビンラディンの肉声が届けられた。

 今まさにバランスを失ったハイジャック機の中では、映画のクライマックスさながらに、パウエル国務長官が機体を懸命に立て直そうとしている。

 地上のある地域では、相変わらずハイジャック機からの情報を垂れ流すだけのおめでたいメディアが、今度こそイージス艦だと大騒ぎするお偉いさん達を映し 出している。そして親米と反米が奇妙な対立をしている傍らでは、全く関心のない引きこもった人々があくびをしている。

 僕は今、地面にしっかりとしがみついてハイジャック機の行方を見届けたいと思う。そして、とりあえず今はアメリカに住む友人達のために心から応援したい。

「パウエル、がんばれ!」
 
 続きは 2003年03月18日(火) キリスト教原理主義の危険な旅立ち(2)

■引用・参考

●蓮見 博昭『宗教に揺れるアメリカ―民主政治の背後にあるもの』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535583196/ref=sr_aps_d_1_1/250-465
6583-0576259
 

●越智 道雄訳『核戦争を待望する人びと―聖書根本主義派潜入記』朝日選書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4022594861/qid%3D1037450366/250-465
6583-0576259


●佐藤 圭一『米国政教関係の諸相』
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4792331692/qid%3D1037450499/250-465
6583-0576259


●吉原 欽一『現代アメリカの政治権力構造―岐路に立つ共和党とアメリカ政治のダイナミズム』(政策研究シリーズ)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4535582793/qid%3D1037450598/250-465
6583-0576259


●「亀裂走るブッシュ共和党、接着剤はクリントンの悪口」『週刊朝日/船橋洋一の世界ブリーフィング』
http://www3.asahi.com/opendoors/span/syukan/briefing/backnumber/500/576.html

●Powell Criticizes Falwell, Robertson
http://www.newsday.com/news/politics/wire/sns-ap-powell-muslims1114nov14,0,1
031622.story?coll=sns-ap-politics-headlines


●Powell attacks Christian right
http://www.guardian.co.uk/usa/story/0,12271,840568,00.html

●Razing McCain
http://www.prospect.org/print-friendly/print/V11/9/judis-j.html

●クリスチャン・コアリション=Christian Coalition of America
http://www.cc.org/

●PatRobertson.com
http://www.patrobertson.com/

▼全米保守連合=American Conservative Union
http://www.conservative.org/

ACU Commentary
http://www.conservative.org/col.htm#otherenta

ACU Directors and Executive Staff
http://www.conservative.org/acucontents/about/directors.shtml
http://www.conservative.org/ssbd.htm

●安全保障政策センター=The Center for Security Policy
http://www.centerforsecuritypolicy.org/index.jsp?section=today

▼America hijacked by right

●The hijacking of America
http://www.canoe.ca/Columnists/margolis_oct13.html

●Hug A Republican And Avoid Armageddon!
http://www.coastalpost.com/02/11/17.htm

●Jackson Browne far from running on empty
http://www.malaya.com.ph/aug29/ente1.htm

 園田さんにメールは mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2002年11月14日(木)メディアケーション 平岩 優


 仙台藩校にはロシア語講座

 大槻磐渓一家が帰郷した当時の仙台藩校養賢堂は幕末の日本で屈指の洋学研究機関だった。『言葉の海へ』によれば、養賢堂の財政基礎は学田1万2000石に置き、その敷地は現在の宮城県庁と仙台市役所一帯を占める広大なものだった。

 「教授法の改革、蘭学など諸講座の増設、教員登用試験制度の新設、学生への文房具の官給、他藩からの留学生寮の設置、聖廟の建設、印刷所と図書館の付 設。また、江戸に住む大槻玄沢の協力を得て、医学館と施薬所を藩校から独立させてもいる。いまの大学の医学部と付属病院にあたるもので、内科外科を持つ総 合西洋医学校は当時仙台藩だけのものだった。」さらに、「兵学講座に鋳砲、操銃、造船の各科を置いて西洋式訓練とゲーベル銃を採用、ロシア語講座を新設、 工学部にあたる開物方を設け技術の研究指導機関とし、産業の開発をいそがせている。」こうした成果が、松島湾内の造船所で進水した日本で初めての洋式軍艦 「開成丸」に結実している。「同時に庶民教育にも力をそそいでいる。養賢堂内に商人や農民の教育機関日講所を設けるほか、養賢堂分校の形で、仙台市内に小 学校を試みに開設している。藩の富国強兵には、まず教育の底辺の拡充が、長期計画として立てられなければならぬという考えである。」

 この中で目を引くのは、ロシア語講座の開設であるが、やはり、仙台藩の地理的な特徴を表しているだろう。

 ペリーの率いる黒船が浦賀にあらわれる60~70年前、玄沢の友人、林子平がすでに『海国兵談』などの著作で対ロシアなどの海防を論じている。しかし、 林子平の著作は発禁処分となり、子平は仙台で禁錮中に死ぬ。そして、『言葉の海へ』によれば、大槻玄沢・磐渓にも対ロシア海防を扱った『環海異聞』、『献 芹微衷』の著作があり、文彦の最初の著作も『北海道風土記』であったという。
 すでに、「玄沢のなかに、藩とか幕府とかを越える、日本というものの芽が萌えはじめていた。それが子の磐渓や、孫の文彦へとつづく、大槻家の学の根になっていく。」

 さらに、磐渓は老中阿部政弘にロシアとの国境を定めて北辺を安定させ、アヘン戦争のイギリスを排すべきとの意見書を提出した。

 ところで、対ロ外交を重視していた政治家といえば、後藤新平である。後藤はアメリカが強大になることを予測し、これに対抗するために日中ロが提携しなけ ればならないとする新旧大陸対峙論を提唱していた。対ロ関係では、自らロシアを訪問して満鉄と東清鉄道との間の連絡運輸協定などを実現。「ロシアという強 大な隣国との友好関係なしに日本の発展はありえないというのが後藤の基本的な立場であった。」(北岡伸一著『後藤新平』)また、伊藤博文に日ロ提携を説 き、ロシア訪問を要請した。しかし、伊藤は1909年、ロシア・欧州訪問の途、ハルビンで安重根に暗殺される。
 後藤は晩年の1927年にも、ソ連を訪問し、スターリンと会談している。こうした後藤新平のロシアへの関心は、当時の世界状況をにらんでの外交政策の一 環であることはもとより、大槻一族がロシアの動向を注視していたように、あるいは北日本に生まれて、ロシアの存在を身近に感じていたためではないだろう か。

 後藤は1857年、留守家中の武士の家に生まれる。高野長英は後藤本家の出で、新平の祖父の又従兄弟にあたる。

 やがて仙台藩は奥羽列藩同盟の一員として戊辰戦争に敗北。留守家の家臣は士族として北海道に移住するか、郷里で帰農するかの選択を迫られ、後藤家は帰農 する。新平は朝敵の子と蔑まれながら、高野長英を範として国家のあり方や西洋の文明に関心を抱いていくのである。

 留守氏はもともと、奥州藤原氏の滅亡後、鎌倉幕府のもとで陸奥国の留守職に任ぜられ、留守を名のるようになった名門で、かっては禄高も18万石あった。 そのため、禄高に比べ、家臣が多く貧しかった。そうした家柄であったので水沢人は気位が高く、人材を生み出しやすい条件にあったといわれている。

 また、水沢は鎖国後に、日本のキリスト教の活動の中心地のひとつでもあったようだ。水沢市のホームページをみると、水沢の歴史のなかで大きな位置を占め るキリシタン領主後藤寿庵という人がいる。後藤は外国事情に通じているということで、メキシコを経てローマに派遣された支倉常長に海外の情報を伝えたこと が縁で、伊達政宗に召し抱えられ、水沢に近い福原(現在、水沢市)に領地を与えられる。この地は荒れ地であったが、寿庵は外国の神父から伝えられた方法 で、胆沢川から水を引く堰の工事に着手し、現在では穀倉地帯となっている。しかし、当初はキリシタンである寿庵を擁護していた正宗も幕府のキリシタン禁止 令には抗しきれず、寿庵は姿を消すことになり、その足取りはいまだにわかっていないそうだ。寿庵なきあと、この界隈には隠れキリシタンとなったものが多く 存在したといわれれる。中央からみれば北の辺境の地であったろう水沢という地域には、世界に開かれたDNAが組み込まれていたようだ。

 維新後、24歳になった大槻文彦は再び、東京に向かう。やがて母校である開成所(大学南校に改称)に入学する。この旧幕時代の機関・人材が文部省の母体 となる。文彦は「西洋文法と日本文法の比較研究をつづけ」明治5年に文部省に出仕する。そして仙台・養賢堂構内に宮城師範学校を開設するために仙台に2年 間赴任する。そして、帰京後、17年間を費やして『言海』を編纂する。辞書が刊行されてから、文彦は本籍を父祖の土地に移し、岩手県に転籍して、中学校の 校長などを務める。後に東京に戻つてからも、仙台領出身者への育英事業にも精をだすし、仙台にかかわる著述や高野長英など洋学に関する著述も続けていっ た。

 高田宏氏は「父と子の、さらにその父祖の血の、切りようのないつながりのなかで、『言海』は生まれた。大槻一族というパターナリズム、奥羽というリ ジョーナリズム と、日本というナショナリズムが、洋学という西欧合理主義に補強されながら、ひとつになっていった。」と述べている。

 地方経済が疲弊し、古くからの商店街が無惨な姿をさらしているのを見る機会が多い。地方に元気がないといわれる。かたや今、地方分権が叫ばれ、自主独立 の気運も醸成されているように思う。我々はもう一度地域に目を向け、その地域の歴史や産業、文化を検証し、そこから生業を考えていかなければならない。大 量生産・大量消費型の資本主義は終わりをつげ、東京に本社を置くメーカーの工場を誘致し、生き延びる時代は遠くなりつつあるのではないか。

 そう書いているときにうれしいニュースが飛び込んできた。かって、北東アジアの地域交流や地方分権の実現について、語り合った元新潟日報記者の篠田昭さんが無党派で新潟市長選に出馬し、なんと当選した!

 篠田さんの選挙事務所のホームページを見ると、
「『ないものねだり』は20世紀でやめにして地域の『あるもの探し』に取り組み、『にいがた地元学』を始めませんか。自然、歴史、食、文化、そして人......、地域の宝物を探して磨きをかけていけば、地域の活力も生まれ、誇りも芽生えます。」

参考文献
高田宏著『言葉の海へ』(新潮文庫・絶版)、鶴見俊輔著『高野長英』(朝日選書)、北岡伸一著『後藤新平』、『蘭学事始』(岩波文庫)。
水沢市ホームページ http://www.city.mizusawa.iwate.jp/
篠田昭選挙事務所ホームページ http://www.shinoda-a.jp/news/aozoranet07.html

 平岩さんにメールは yuh@lares.dti.ne.jp


2002年11月06日(水)ブルッキングス研究所客員研究員 中野 有


 10月の後半の一週間を日本で過ごしワシントンに帰ってきた。日本の素晴らしさにはいつもと同様に感銘を受けるも今回ほど日本に大きな変革が必要と感じたことはない。

 本日(11月3日)のニューヨークタイムズにそれに関連する記事を見つけた。日本の大きな変化はこの150年間、偶然にも50年毎に発生している。例え ば1854年のペリーの黒船により維新に目覚め、1904年には日露戦争でバルティック艦隊を破り、半世紀後には戦後復興から驚異的な経済成長に向けたス タートをきった。そして50年後の今日、日本は不況と閉塞感にあえぎ「構造改革」という痛みに耐えられるかどうかの瀬戸際に追い込まれている。1997年 の東アジアの経済危機の教訓が覚めやらぬ、グローバル経済の熱戦の敗者になりかねぬことが予想される。

 日本は多民族国家でないゆえに振り子のように極端から極端に振れる場合が多い。この20年間、米国から見た日本は、「ジャパンバッシング、ジャパンパッ シング、ジャパンナッシング、ジャパンプッシング」として変化してきた。そしてこれからは、「ジャパンメインテナンス」そしてさらに加速し下手をすれば 「ジャパンハイジャック」が起こる可能性がある。

 これらが世界が鳥瞰する現在の日本の世相であるとすると、半世紀毎に日本はターニングポイントをうまく乗り切ってきたように大きな発想の転換が不可欠である。

 今回、日本に短期間滞在しただけで何か洗脳されたような気がしてならない。どのテレビも北朝鮮の拉致の問題ばかりを伝えている。勿論、拉致問題は避けて 通れないが日本の論理と感情的な側面だけで貫いても戦略的に何を得られるか疑問に思えて仕方がない。北朝鮮は洗脳されている国である。しかし日本のマスコ ミが伝える報道も非常に偏っていることは確かである。日本の多くのマスコミは、2年半近く前の「南北首脳対談」で金総書記が国際舞台に登場するまで金総書 記は、言葉も発することができない人物であると伝えてきた。また、マスコミが伝える飢餓に苦しむ北朝鮮の姿だけを見ていたら、北朝鮮全体が瀕死の飢餓に 陥っており拉致された日本の人々との生活との落差が理解できない。

 ここで重要なことは、マスコミが伝える北朝鮮情報は大局的な視点が欠けているということである。従って北朝鮮問題のみならず今の日本に必要とされること は、自分で考えると同時に構想を練り、それに磨きをかけるために多角的な視点で学び、そしてそれを実行することではないだろうか。ブルッキングス研究所に 入ったとき「Think, Learn, Lead」の3つを実行するのがブルッキングスの目的だと教えられた。複雑なことをシンプルに考えることが重要と思われてならない。

 北朝鮮問題を以下の視点でシンプルに考え、学び、そして明確なビジョンを示したい。

1.日朝間にはあまりにも大きな経済格差が存在しており、同じレベルで考えるのでなく富める国は包容力を持って北朝鮮を考えなければいけない。

2.北朝鮮は「ならず者国家」であっても2200万の国民に罪はない。

3.過去、現在、未来の流れの中で北朝鮮との協調を考える。

4.北朝鮮は追い詰められており「戦争と平和」が紙一重である。朝鮮半島の38度線は技術的には戦争状態である。

5.北朝鮮との共通の利益の合致点を探す。それは、北朝鮮の大量破壊兵器の開発の放棄並びに国際社会へ入る条件を北朝鮮自ら構築することと、北朝鮮への社会資本整備のための経済協力を実現させることである。

 日本と北朝鮮との間には信頼関係がないゆえに両者好戦的になるのは当たり前である。8年前の朝鮮半島での一発触発の危機とは異なり、北朝鮮を取り巻く 韓、日、中、ロそして米国は、北朝鮮の核開発を断念させることで少しの温度差はあるものの一致している。これらの国々とEUは、北朝鮮との交渉を行うにあ たり大量破壊兵器を含む一切の問題に関し妥協なき強いスタンスで臨むと同時に、北朝鮮が国際社会に入ったときの明確な北朝鮮の発展のためのグランドデザイ ンを提示することが重要である。短期間であるにせよ、すべての国々が北朝鮮への経済制裁を徹底させる時期に来ているように思われてならない。KEDO(朝 鮮半島エネルギー開発機構)のような妥協的な枠組み合意でなく、中国やロシアを含む包括的な多国間協力の構築が可能であると考えられる。なぜなら北朝鮮が 北東アジアの発展のための建設的な国家になれば北東アジアの経済圏が構築され、3万7000の米軍の撤退につながるからである。

 21世紀初頭の日本のターニングポイントは、北朝鮮問題を通じ外交、安全保障が強化され、北東アジア経済圏構築により自然発生的経済圏における日本の技 術と資金が効率的に機能し日本経済が蘇るのみならず北東アジアの発展につながることであると信じたい。拉致問題並にこのような大局的な発想が語られそれが 戦略的に練られることにより日本の潜在力と活力が生きてくるのではないだろうか。

 中野さんにメールは mailto:TNAKANO@BROOKINGS.EDU

2002年11月05日(火)ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦


 冷戦時のヨーロッパでは、共産主義を独裁体制と見なし敵対視する反共イデオロギーが強かった。当時、また今でも共産主義はその前の時代欧州を席捲した右 のファシズムと束にされて「全体主義」と呼ばれる。この独裁体制を悪とする思考は、当時ソ連の軍事的脅威と結びついていたのはいうまでもない。また共産主 義・反対の理由は、この体制が個人の基本的権利を平気で踏みにじったり、不法行為をいとわなかったりするからである。共産主義は非人間的不法体制であり、 これと対決することが、彼らの「冷戦」であったことになる。

 ●希薄だった「冷戦」感覚

 戦後日本では、「冷戦」をこのように「不法な独裁体制vs民主主義的法治国家」と見る考え方は本当に弱かった。冷戦の最前線国家・西ドイツで暮らした私は、この点で自分が日本人だなとよく思った。

 共産主義独裁体制の犯罪的側面が、日本人に、特に左翼と呼ばれる人たちにとって死角に入って見えない、ピンと来ないことであったのも、「冷戦」を欧米人 のように感じなかったからである。現在拉致問題に関して「力不足を心から謝罪」し、肩身の狭い思いをする政党もその一つの例である。

 でも反対に左翼でなく、外国をはじめから悪いと思う「右」傾向の人々は、今回愚かな誤りをおかさなかった。でもこれは、自分以外の「人間は皆悪い」といっていて、近所で犯罪が起こり、「俺が正しかった」と自慢しているだけである。

 西欧社会での北朝鮮のイメージであるが、いうまでもなく不法行為も辞さない共産主義・独裁体制国家である。私がはじめてこの国の悪い評判を聞いたのは七 〇年代のはじめ頃だった思う。当時のドイツの雑誌で、北朝鮮外交官が自分の立場を利用して麻薬やその他の密輸をしたという記事を読んだ。「外交官特権」は 国際社会で伝統ある規則である。これを悪用するこの国に、私は仰天した。その後、北朝鮮の不法性を報道する記事を、私は何度読んだことか。西欧では、北朝 鮮は他の共産主義国家と比べて野蛮で特に後進的であると見られ、「石器時代共産主義」というあだ名が流布している。

 ドイツで拉致事件の報道が地味だったのは、よその国で起こったこともあるが、「石器時代共産主義」ならそんな悪事をしても不思議でないと、この社会があ まり驚かなかったからである。また冷戦下、地続きの欧州では諜報活動も盛んで、その最盛期「拉致」も何度かあったことである。

 こう見ると、北朝鮮が拉致を認め8名の拉致被害者の死亡が判明したとき私たちは憤慨したが、この憤慨の強さの一部は、日本が地続きの国でなく、外国が自国民に悪いことをすることに慣れていなかったからではないだろうか。

 これは、日本が幸運にも「冷戦」を肌身に感じないで済ますことができたことでもある。日本の首相が北朝鮮による拉致を「神隠し」と呼んだが、この文脈で ヨーロッパの政治家の口から、このような風流で古風な表現は出て来ないと思われる。この表現も、私たちの希薄だった冷戦感覚と無関係でなく、その結果拉致 事件を国際政治という文脈でとらえる意識があまり強くないことを物語るのではないのか。

 ●独裁体制国家とのつきあいかた 

 北朝鮮は厄介な国である。普通厄介な人に近づかないほうがいいのであるが、国際社会で隣国となるとそうはいかない。とすると、問題はこの不法な独裁体制の国家とのつきあい方になると思われる。

 私はドイツで暮らし「洗脳」されているせいか、冷戦時の西側、特に西ドイツの共産圏とのおつきあい、「東方外交」を思い出す。当時の政治家には、おつき あいする相手が法治国家でなく、犯罪的傾向があることも、またそれが早急に変わらないことも、絶えずわかっていることであった。彼らは「和解」とか「友 好」とかを口にし、相手をおだてながら、自分はそんなコトバに惑わされず、現実的で醒めているところがあった。

 また彼らには、どこか犯罪性癖のある人の更生の世話をするソーシャルワーカーや教会の神父のようなところがあった。

 現在、中国を訪問するドイツをはじめヨーロッパの政治家は中国人に人権についてお説教をしてから、経済交渉にはいるのが長年の儀式になっている。これ は、お説教をした後、お布施を求める教会の神父に似ている。こんなことは、日本の政治家にはできない。とするとソーシャルワーカーのほうが日本人に向いて いると思われるが、怒りっぽい人、もっと正確にいえば怒ってみせるのが好きな人には、この仕事はつとまらない危険がある。
 
 日本には、共産主義独裁体制の「国家犯罪」の凄まじさを理解しない人が多いのではないのだろうか。日本の新聞を読んでいて、この印象を私はもつ。

 北朝鮮のした拉致は「国家犯罪」である。ところが、原則として「国家犯罪」はその独裁体制が崩壊しないと解明されない。というのは、独裁体制そのものが犯罪的で、だからソ連が崩壊してから共産主義体制の犯罪が少しは解明できるようになったからである。

 とすると、外交交渉で「拉致解明」を要求するのは相手の体制崩壊を要求することで、どだい無理な話である。また国交正常化しても日本側に捜査権がゆだね られるわけでもないので、本格的解明など本当は望めない。「拉致解明」要求も交渉を有利に導くための戦術とか、金正日の「トカゲの尻尾きり」を愉しみたい というのなら話は別である。

 また死亡されたとされる拉致被害者についての事情をもう少し知りたいというのも理解できる。このような場合の家族の本意は生きていて欲しいとか、少しで も何か生きていたときのしるしを見たいのである。この願望は私にもよくわかるが、でもこういったことは、本当の意味での事件の解明とは別のことである。私 が気になるのは、多くの人が漠然と「拉致解明」というコトバをつかっていることである。

 共産主義独裁体制の「国家犯罪」の解明であるが、冷戦終了後ドイツだけでなく東欧圏で実施されたことである。話のタネが欲しいメディアはどこの国でも解 明を要求するが、真実をあらわにすることが国家犯罪の犠牲者やその家族に望ましくないこともあるのである。当事者の彼らはそんなことを考える余裕がない。 だからこそ、私たちは今後起こるかもしれない厄介な問題を考えたほうがよいのではないのだろうか。

 ●外交目的

 冷戦時代、共産主義独裁体制とのおつきあいで何度も議論されたのは、その目的である。不法な共産主義国家と外交関係を結ぶことこそ、この不法体制の承認もしくは延命につながると批判された。この見解もこの点だけを考えれば間違っていないと思われる。

 それに対して、当時の接近政策・推進者にとって、独裁体制国家とつきあうことの意味は、相互交流を拡大し長期的に相手の体制の質的変化をひきおこす点にあった。この見解も現実に東欧圏の崩壊につながった以上、誤っているといえない。

 私は不勉強なせいか、この点に関して日本でどんな議論がされているかに無知である。でもヨーロッパ人の眼には、北朝鮮が崩壊することは韓国、中国、日本 の三国にとって望ましいことでないように見える。だからこそ欧米では、金大中の「太陽政策」も、今回の小泉訪朝による「平壌宣言」も高く評価された。

 日本の対北朝鮮外交が、かっての欧州の東西接近と似た立場から進められ、相互交流の拡大によって北朝鮮の閉鎖体制に穴をあけて内部を長期的に変化させる のが目的なら、今回の日本政府の決定はこれに矛盾する。生存被害者は、拉致という非人道的なきっかけであるしろ、北朝鮮の生活に慣れた親しんだ日本人であ る。その彼らを日本に留め置いたり、また彼らの家族の「永住帰国」を要求したりするより、自由に往来してもらうことのほうが、日本がめざそうとした外交政 策に沿うものではなかったのだろうか。

 国際社会のメディアは、日本政府の「拉致被害者5人永住帰国」決定で、「ならず者国家」対日本の「奇妙なホームドラマ」、別の表現では「日朝綱引きごっ こ」がはじまったことに驚いた。また「(政府決定が)外交問題をこじらせて、拉致被害者が二十年前に日本に残した家族と、外国で築いた家族の間に立って身 の引き裂かれる深刻な悲劇をうみだす」(AP電)と予想した。クアラルンプールの日朝会談でも日本が「核問題をそっちのけにしてホームドラマばかりに専心 し」、交渉をデッドロックさせたと疑う声もある。

 外交の世界で、外国が自国に重要な決定をしたとき、それを外電から知るのはどこの国とっても不愉快な状況で、可能な限り避けられるべきとされる。21世 紀の現在でも外交はどこか密室的な性格があるのではないのか。犯罪人は外交交渉の相手として処遇する必要がないと思うなら、これも自己矛盾で、最初から正 常化交渉などはじめるべきでない。

 五人の拉致生存者が本当に日本にいて家族を呼び寄せて永住したいのなら、(本当はこのことを誰も知らないのであるが、)日本政府は、外交的にスマートな手段をとることができたのではないのだろうか。

 そうならなかったのは、外交問題が高視聴率の連続テレビ「ホームドラマ」の一部になり、政治家がこの人気ドラマのシナリオ作成に参加することを外交と勘 違いしてしまったからである。また、この高視聴率を見て、発行部数減少をおそれるプリント・メディアも声を小さくしたという人々がいるが、判断は読者にお 任せする。
 
 この事情を、私たちは別の視点から見ることもできる。

 長年、私たちがある問題に直面した。その間、私たちは解決案を想定し、また目標を設置し、要求をかかげてきた。ところが、新しい状況が生まれ、問題の質 も変わり、解決案もまた目標も要求も考え直さなければいけない。これは企業内でも、また別のの組織ても、よくあることである。

 何かの原因(例えば精神的怠惰)から事態が変化したことを認めたくない。その結果、前と同じ解決案・要求を繰り返す。こちらのほうもよくあることである。

 今回の「拉致問題」に対する日本の反応は後者のケースである。北朝鮮が拉致を認め、「正常化」交渉の開始が発表され、私たちが帰国した生存拉致被害者を 見た時点で、本当は状況が変わっていて、拉致問題の質も、またその解決法も別のものになっていた。本当はそのことを、私たちは認識するべきであったのでは なかったのか。

 確かにその前の状況であれば「完全な現状回復」の要求も事情がわからなかった以上、意味を成した。

 今や拉致被害者に成人に近い子供がいたり、女性被害者の伴侶が脱走米兵であるなど、こんなことは誰も予想もしていなかった。これは新しい状況で、拉致問 題の質が変わってしまったのである。ところが、私たちは状況が新しくなり、問題の質が変わったことを考えたくない。あたかも昨日拉致事件が起こったかのよ うに、前と同じ要求を繰り返し、多くの人が「日朝・綱引き合戦」に参加する。
  
 問題についてこう書くと、このような現象は現在の日本で、「拉致問題」に限らないと言い出される人が出て来るかもしれない。

 美濃口さんにメールは Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

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