2002年4月アーカイブ

2002年04月27日(土)コーエイ総合研究所 主任研究員 中野有

 ブッシュ大統領は、メキシコのモンテレイで開催された「国連開発資金会議」で、3年間でODAを50%増やし、テロの根源である貧困を撲滅すると明言し た。アメリカは軍事的な安全保障を重要視し、ODAに対し軽視する方針を続けてきたが、先月のブッシュ大統領のスピーチでその流れが大きく変わった。9・ 11のテロの影響もあるが、アメリカがODAを増やし、世界最大のODA供与国である日本のODAは減少傾向にある。軍事的な安全保障には憲法の制約もあ りユニークなスタンスを貫いている日本は今こそ「アジアの中の日本」としての国際貢献のありかたを考えることが重要だろう。

 最近のブッシュ大統領の外交政策は、ダブルスタンダードを巧みに推進しているようである。例えば、「悪の枢軸」の支持を日本から取り付け、韓国とは「太 陽政策」の支持を約束した。対極的なことを同時に行っているのである。軍事力の増強とODAの増額。これが現在のアメリカの外交政策である。

 現在のアメリカの外交政策を見極めるに98年の9月に日本海新聞の萩原俊郎記者が書いたコラムが参考になる。また、ニューヨーク・タイムズが鳥取の境港 の北朝鮮との交流に着目し、「国の外交と地方の外交」という2つの側面を捉えとことと、現在のブッシュ外交のダブルスタンダードとだぶって見えてくる。少 し古い記事であるが、是非このユニークな萩原氏のコラムに目を通してもらいたい。

 

 北朝鮮のミサイル実験

 何ごとも不可解な国-朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から発射された弾道ミサイルは、日本国民を震憾(しんかん)させた。北朝鮮は「発射実験はわが国の自主権である」つまり「私の勝手」と開き直っており、日本は毅然(きぜん)たる態度が求められる。

 ●強まる防空強化論

 政府は、これまでの北朝鮮政策(国交正常化交渉、食糧支援、軽水炉提供)を当面見合わせる一方、国連安保理で今回の問題を提起していくことを決めた。他国の安全を脅かす行為は「国際的な審判」こそ大切で、当然の対処だろう。

 一方、政府内では「防空強化」、アメリカのTMD(戦域ミサイル防衛)構想に参画せよ、との声がにわかに高まっている。

 1999年度の概算要求ではTMDの共同開発研究費は見送られた。それが新ミサイル出現で「早急に検討したい」(額賀防衛庁長官)と復活を示唆。つまり 北朝鮮の発射実験は皮肉にも、日本にTMDの共同開発を迫るアメリカにとって絶好のタイミングだった。が、TMD参加の動きには強く「待った」をかけた い。

 元日本海新聞記者の軍事評論家、小川和久氏はテレビ取材に「アメリカのミサイル戦略に日本が本格的に組み込まれれば、軍事バランスが崩れ、かえってアジ アの緊張が高まる」と答えていたが、TMDには中国が神経をとがらせており、新たな軍拡競争を生み出す。

 ●予防外交と鳥取県

 その点、実験直後の本紙2日付に掲載された、とっとり総研主任研究員の中野有氏へのインタビューはタイムリーで興味深かった。

 北朝鮮代表も参加した「北東アジア経済フォーラム」(七月、米子市)をコーディネートした中野氏は、ミサイル実験は「軍事力の誇示」より「経済的なひっ 迫による」と指摘し、「日本政府は経済制裁を発動するだろうが、経済制裁が成功した例はまだない。鳥取県としてはフォーラムで提唱した通り、『経済交流に よる予防外交』という一貫した政策を取るべき。長期的に見れば、予防外交路線の方がプラスになる」と明快に主張している。

 「日本全体の脅威に、どうやって小さな鳥取県が役割を果たせるのか」という人も多いだろう。そこで思い出したのは以前、中野氏から送ってもらった米有力 紙『ニューヨーク・タイムズ』94年5月25日の記事だ。国際特集面に大きく境港の黒見哲夫市長の写真、「北朝鮮の人々がシーフードを持ってやって来る」 の見出しがある。

 ●米紙が境港取材

 94年当時は、北朝鮮の核 開発疑惑にまつわる核査察問題で、今回のミサイル実験以上に「北朝鮮の脅威」が語られていた時期だった。同紙の東京支局長デビッド・サンガー記者は「国交 もない中で、なぜ境港市が北朝鮮の元山市と友好都市提携したのか」興味を抱いて境港を取材した。そして示唆とユーモアに富んだ記事を書いている。

 「東京では官僚たちが、羽田首相が憂う北朝鮮有事の際の『危機対策』を検討している間に、当地の黒見市長は"他の対策"を考えている。すなわち境港市と元山市との間の学童の絵の交換について。最終的な検討で彼は一生懸命である」

 記事は北朝鮮のカニ産業育成に長くかかわってきた地元水産会社も含め、境港の"普段着外交"を詳しく紹介している。「中国やロシアとも最近疎遠になった 北朝鮮の人は、温かい歓迎を求めて境港に向かってくる。この町は北からの漁船団を熱心に(もちろんお金もうけを含めて)待ち受けてくれるからだ」

 ●地方のチャンネル

 なぜアメリカの有力紙が、ここまで紙面を割いてアメリカ国民に「山陰の小都市」を紹介したのか。

 国際情勢が核査察で揺れながらも、政府レベルと違った面(漁業、児童交流)で、隣人・北朝鮮との付き合いの大切さを説く境港の人々。国際緊張の中で「地方外交」の重みに同紙は着目したのだろう。

 なぜ、中野氏がこの記事を送ってくれたか、わかった。北朝鮮は一般に「顔が見えない国」と言われる。だが一番じかに「顔」を接することができるのが地方外交のチャンネルだ。

 「国に『なんとかしろ』でなく、自分たちの所で何ができるか考えよう。フォーラムで築いた北朝鮮代表とのチャンネル、世界の専門家とのネットワークを鳥 取県が大切にすること。国家間の交渉とは別に、地方の外交チャンネルを通じて北朝鮮の庶民との接点を持ち続けること」。東西センター(ハワイ)など国際的 なシンクタンクで働いてきた中野氏の主張は説得力がある。TMDによる軍事力対峙(じ)を選べば、「相手の顔」はますます見えなくなるのだ。(中部本社鳥 取発特報部・萩原俊郎記者)

2001年04月26日(木)中国情報局  文 彬 

 3月13日の日経新聞夕刊の2面に「仏エルフ裁判が再開」と題する130文字足らずの小さな記事があった。フランスのエルフ・アキテーヌ社を通 じた不正資金授受事件の公判がパリ軽罪裁判所で再開され、事件の中心人物とされるエルフ社元幹部のアルフレド・シルパン被告が初出廷したという。極ありふ れた海外ニュースの一つと読み流されがちなこの記事、実は世界を舞台にした大掛かりなスキャンダルが隠されている。そしてそのスキャンダルの深層に検察と マスコミのメスが入った今、事件はただの汚職事件としては終わらないような色合いが日増しに濃くなってきた。

 ■「オペレーション・ブラボー」計画

 背任隠匿、共謀などの容疑でパリの予審判事に起訴されたのは、シルパン以外にもエルフ元社長ら6人いたが、もっとも注目を浴びたのはロラ ンド・デュマ元外相とその元愛人のクリスティン・ジュンクール夫人だった。1月24日、78歳のデュマが警察に両脇を抱きかかえられながら法廷に姿を現わ したと同時に、「フランス共和国史上最大の政界スキャンダル」という速報が世界を駆け巡った。

 事件のあらすじは大体こうである。1988年ころ、中国大陸の軍備増強に危機感を覚えた台湾の軍部は、台湾政府を説得して最先端の兵器と装備を購入することを目的とする「光華プロジェクト」をひそかに始めた。

 中でも海軍が購入を予定している6隻のフリゲート艦はこのプロジェクトのメインアイテムで、何時も目を光らせている兵器ブローカーも当然これを見逃すこ とはなかった。アメリカ、韓国、イスラエルなどの国々も意欲的だったが、フランスの大手軍需商トムソン社はこれをきっかけに台湾への兵器輸出を拡大しよう と、フランス国防省造船局まで動かして入札に向けていち早く工作を開始した。

 関係者の間ではこの計画を「オペレーション・ブラボー」(Operation Bravo)という明るい名称で呼んでいた。しかし、中国はこの計画に関する情報を入手するや否や、国交断絶も辞さない強い調子でフランス政府に抗議し た。そのため、一旦フリゲート艦の売却を許可した当時のミッテラン大統領とデュマ外相は慌てて「オペレーション・ブラボー」の凍結を指示した。

 だが、台湾という魅力的な兵器マーケットを虎視眈々と狙っているトムソン社がそんなに呆気なく諦めるはずはなかった。ただ、その工作は誰 にも気づかれないように水面下の動きとなった。トムソン社は早速説得作戦をエルフ社に秘密裏に依頼した。その見返しとして取引が成立した場合、エルフ社が 契約金額の1%をリベートとして受け取ることになっていた。もちろん、この交渉を知っているのはエルフ社の社長と、ナンバー2のアルフレンド・シルパンら 数人しかなかった。

 パリに本社を置くエルフ・アキテーヌ社は世界の石油会社のトップテンに名を連ね、石油事業ばかりでなく、化学製品・医薬品事業を世界80 数ヶ国で強力に展開していたが、1999年からはトタルフィナ社と合併し、世界第4位の石油会社として業界に君臨している。また、ミッテランの大統領在任 中、エルフ社は政界のヤミ金庫役と囁かれるほど政府との癒着が強く、シルパンら会社の重役も政府要人と太いパイプを持つと言われている。トムソン社が軍需 産業とまったく関係のないエルフ社に助け舟を出したことにはこういう背景があったのである。

 シルパンは政府への説得工作を更にジュンクール夫人に頼んだ。エルフ社の広報部に席を置いて高給を取らせることと、パリの一等地に建てた豪邸を贈与することが交換条件だった。ジュンクール夫人はこれを快く引きうけ、デュマ外相に対する説得工作を熱心にこなしてきた。......

 そして1991年6月、フランス産フリゲート艦の売却契約がトムソン社の期待通りに成立した。しかも、当初台湾側が見積もった金額の4倍 近くの155億フランという望外の成功だった。ここで、トムソン社は当初の約束通り関係者にリベートを握らせ、一件落着させるはずだったが、何故かトムソ ン社はエルフ側への支払いを堅く拒んだ。そればかりか、こともあろうにリベートを要求してきたシルパンを詐欺だと法廷に訴えたのである。

 当初の契約書を証拠に抗弁したシルパンが勝訴した。だが、裁判の過程で事件の暗部が明るみに出たため、シルパンもジュンクール夫人も公金 横領の容疑で再び裁判沙汰に巻きこまれた。そして、93年にジュンクール夫人は3ヶ月間刑務所暮らしを余儀なくさせられ、シルパンも一時国外に逃れて、 フィリピンなどで所在をくらましていた。

 ところが、ここでもストーリーを狂わせるようなことが起こった。今までデュマ外相との関係を堅く口をつぐんで語らなかったジュンクール夫 人が出獄した後に書いた「共和国の娼婦」と「オペレーション・ブラボー」という二冊の本のなかでデュマ外相との関係、そしてフリゲート艦事件に関する事実 を彼女の知るかぎりさらけ出してしまった。そのため、老練の外交家であり、市司法界の重鎮でもあるデュマはついに憲法評議会議長という名誉の座からしごき 落され、一介の被告として法廷に立たされる運命になってしまった。

 検察側がいま抑えているデュマに対する証拠物件はジュンクール夫人からプレゼントされた一足の革靴と数個のギリシア人形だけだ。その購入 金はジュンクール夫人がシルパンからもらったエルフの公金なのだと検察側が主張しているのである。もちろんこれは検察側がデュマを法の場に引き出すための 口実である。(つづく)

【ここまでの主な登場人物】
ロランド・デュマ:元フランス外相、フランソワ・ミッテラン元フランス大統領側近
クリスティン・ジュンクール夫人:デュマの元愛人、「共和国の娼婦」「オペレーション・ブラボー」の著者
アルフレド・シルパン:エルフ・アキテーヌ社元ナンバー2 

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2002年04月25日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 郵政関連法案をめぐって自民党と小泉純一郎首相との間であつれきが生じ、政治が断然おもしろくなってきた。「抵抗すれば自民党をぶっつぶす」とまで公言 した小泉首相に人気があったのは、就任以来、自民党と対決姿勢を続けてきたことにあったが、昨年末からは「自民党が自分の政策に擦り寄ってきた」とばかり に慢心が目立っていた。

 国会議員の秘書をめぐるスキャンダル問題を不問にすることはできないが、年明け以降の国会で政策論議はなく、田中真紀子前外相の問題をきっかけに小泉首相の存在がどんどん霞んでいき、政治が面白味を失っていた。

 郵政関連法案は民間の参入によって郵便事業に競争原理を持ち込むのが目的。昨年末、法案の大枠がまとまった段階で、民間業者などから「参入ハードルが高すぎる」「郵政族に迎合した」などと批判されるほど内容的に民間業者に厳しい内容となっていた。

 そうした内容であっても、総務省は自民党の郵政族に遠慮してなかなか法案を国会に提出しなかった。これに業を煮やした小泉首相が先ごろ片山総務相に直 接、法案提出を命じ、ようやく郵政問題が政治の舞台に再登場したという経緯があった。これに対して自民党は法案提出は認めたものの、法案の中身については 「容認したものでない」と開き直った。

 郵政事業改革は小泉氏の積年の政策課題である。橋本竜太郎氏と争った1996年の総裁選でも昨年の総裁選でも公約の重点項目のひとつとしてきた。

 日本の構造問題は数多くあるのだが、なかなか手が付けられなかったのが第二の予算といわれる財政投融資計画だった。郵便貯金や郵便局の簡易保険などの資 金を政府の資金運用部というところに集めて、高速道路建設や地方の工業団地建設など特殊法人の費用に充ててきた。税金で使う一般会計予算と違って、国民の 痛みを伴わないことから80年代以降の景気対策では巨大なバラマキシステムとして機能してきた、

 こうした財投事業の多くはすでに破たん状況にあるといわれ、赤字事業への補給金の増大が一般会計を蝕む元凶となっている。ところがこのシステムのうまみ は、自民党によるバラマキシステムをして機能してきただけでなく、官僚の安易な天下り先として存在し、二万件を超す特定郵便局は自民党の強力な集票システ ムの役割を果たしてきた。

 郵便事業こそは自民党と霞ヶ関官僚を結び付けるヒト、カネ、モノの本丸であり、ここにメスを入れることこそが旧来の自民党的政治からの脱却を目指す小泉首相の最大の課題なのである。

 小泉首相が23日、記者団に語った「自民党が小泉内閣をつぶすのか、小泉内閣が自民党をつぶすのか」という言葉の意味合いはそこらへんにある。

 ここで自民党と小泉内閣が全面対決すれば、国民の支持は確実に小泉首相に回り、結果的に小泉内閣の支持率が再び向上することになる。鮮明にマスコミはこ のところ小泉内閣の限界論を論じるようになってきているが、おっとどっこい立ち直るチャンスはある。郵便事業への民間参入問題で中央突破を図る考えなら、 萬晩報は小泉純一郎を断固支持する。

 国会議員の秘書をめぐるスキャンダルに国民はうんざりしている。国会の場で、与野党が相手側の不祥事を罵り合う場面を見たいわけではない。自民党の巨大な抵抗勢力に敢然と立ち向かう小泉純一郎を見たいのである。

 郵便事業への民間参入は郵政改革の一里塚でしかすぎない。もっと大きな郵便貯金の民営化という課題が控えているということを忘れてもらっては困る。

2002年04月21日(日)中国情報局 文 彬

「黄砂災難」が過ぎ去り、北京は絶好の観光シーズンに入った。大型連休のゴールデンウィークを待つこともなく、地方や海外から観光客が集まってくる。7年 後の夏季五輪に備え、北京が今まで以上に市街の美化に注力しているためか、今の北京は観光客の目にも何時もより明るく映る。

 しかし、紫禁城近辺のフートン(胡同=路地)に一歩踏み入ると、異様な風景に遭遇する。老朽化した四合院は旧態依然だが、灰色の壁に所々「折」(「斤」 の右足に「丶」がある)と白い字で大きく書かれている。「解体」という意味の漢字だが、ここは間もなく解体され新しい建物が建つことになるのだ。数百年も 北京の波瀾の歴史と共に生きてきた「老北京」文化のキャリアも間もなくこの世から消え失せる運命になる。

 これは急ピッチで進んでいる「老北京」解体のひとこまに過ぎない。古都のあちらこちらでフートンが消え、四合院が平地になる。そして、高速道路などの建設で貴重な古跡も壊されてしまう。

 北京政府は、市内のフートン25ヶ所を特別保護区と指定し、修繕しながら昔の風貌を残そうと必死だが、それ以外の地域にはほとんど手が回らず解体を容認 せざるを得ない状態だ。そして、保護が優先されると言いながらも近代化を要求される北京には、どうしても多くのフートンを無くし高層ビルを建てるための土 地が必要なのである。

 1949年10月1日、30万人の群集を前にして毛沢東が北京(当時は北平と呼ぶ)の天安門で建国宣言を行っていた時も、揚子江の南側に追い込まれた国 民党軍は米式戦闘機による空爆を諦めていなかった。しかし、将軍達の再三の請願にも関わらず、蒋介石はついに命令を下さなかった。彼は、俺は項羽にはなり たくないと呟いたという。

 項羽は秦を攻め落とした直後、始皇帝が造営した華麗な宮殿・「阿房宮」を焼き払った。その火の手は三ヶ月間、止むことを知らなかったと史記は記してい る。蒋介石は毛沢東を生涯の敵として討伐に手段を選ばなかったが、北京の名勝古跡が戦火にまみれるようなことを恐れていた。これに先立って、北京に駐屯し ている国民党軍の最高司令官である傳作義が武力抵抗を放棄し、無血入城を解放軍に許したのも、同じような配慮があったからだと言われている。

 しかし、戦火をくぐって生き延びた老北京も平和の建設ラッシュで跡形もなく消えつつある。50年代にはスターリンの都市建設思想に影響され、荘厳な城壁 の解体が始まった。人海戦術であっという間に城壁が消え失せてしまい、今はその跡地が環状道路に変身している。昔、俗に言った「里九外七皇城四」の20ヶ 所の城門も今は天安門、正陽門(前門)、徳勝門の3つだけが辛うじてその姿を保っている。

 2008年の祭典・北京五輪に来る世界の観客の中にはスポーツを観戦するほかに老北京・古都北京をこの目で確かめたい人も少なくないはずだ。しかし、残念ながら彼らが目にできるのは博物館や特別保護区といった人工的な老北京に過ぎないであろう。(2004.04.12)

 文さんにメールは bun@searchina.ne.jp

2002年04月15日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 けさ、通勤電車の中で産経新聞を読んでいるサラリーマンが目立っていた。きょうは新聞休刊日。首都圏では産経新聞だけが朝刊を発行していたとはいえ、ふだんは日経新聞を手にする人々が一様に産経新聞に見入る光景はちょっとした異変である。

 筆者もその一人で、会社に着いてからも一面から社会面まで丹念に産経の紙面を読んでしまった。自分の行動も含め、新聞が一紙しかないということのインパクトにいまさらながら驚かされた。

 きょうの産経の紙面はというより、ニュースは柔道の田村亮子が若干16歳の高校生の福見友子に敗れたこと。ロンドン・マラソンで男子の世界記録が生まれ たことなどスポーツが中心だったが、一面トップには「GEキャピタルにソニー生保を売却」という独自ネタもあった。普段だったら多くのニュースに埋もれて しまうだろう程度のニュースではあるが、何分けさは産経新聞しかないのだから、その目立つこと。

 産経新聞は4月から首都圏で夕刊の発行をやめた。発行部数の減少が直接の引き金とはいえ、速報はテレビやインターネットに委ねて「読ませる紙面」を目指 すのだそうだ。併せて、休刊日も廃止した。大賛成である。そもそも朝刊と夕刊が毎日来るのは大都会と県庁所在地ぐらい。新聞協会の調査では新聞の総販売部 数5368万部に対して、朝夕セットの販売部数は1801万部。全体の3割程度なのだ。後の地域には昔もいまも夕刊は存在していないのだ。

 新聞休刊日はもともと休みのなかった新聞配達員への配慮から生まれたものだが、年月を経るうちに「新聞を発行しなくていい日」に変化。日々、特だね合戦に疲れる新聞記者にとってこの日だけは「朝刊を見る恐怖」から開放されるありがたい一日となった。

 とはいえ、各社が同じ日に休刊するということは、新聞業界が「談合」しているといわれても仕方がない面もある。新聞各社にとって夕刊をやめるのは「勝手にせよ」ということなのだが、業界慣行としての休刊日廃止はまさしく「抜け駆け」行為に映るのだ。

 実は産経新聞が休刊日をやめたのは2月から。その時、大手新聞だけでなく地方紙の多くまでが付和雷同して「特別版」を発行したが、さすがに3カ月目は息切れした。産経だけが初志貫徹し、けさの異変が起きたのである。

 われわれマスコミが反省しなければならないのは、再販制度が認められている数少ない業種のひとつであることだ。ほとんどの消費財は小売り店に販売価格を 強制してはならないことになっているのに、新聞とか書籍は容認されている。だから価格競争がおきにくい。そんな中で首都圏では産経新聞と東京新聞が独自の 価格戦略を取ってきたが、価格だけではなかなか朝日と読売の牙城は切り崩せなかった。

 しかし、けさの通勤電車の光景を目の当たりにして異変は単に一日だけでは終わらないような気がして来た、多くのサラリーマンがたった一日とはいえ筆者と 同様に産経新聞を隅から隅まで読んでしまったであろう効果は限りなく大きい。そして「そうだ産経の駅売りは一部100円なのだ」と改めて新聞の価格に関心 を持ったに違いないと思うからである。

 産経新聞のことばかり書いたので、何やら宣伝臭くなりそうだが、いわんとするところは、産経新聞の投じた一石が新聞業界全体に広がるまでそう時間はかからないだろうということである。

 いくつかの新聞はすでに匿名記事から署名記事への移行が進みつつある。人間が書く記事に客観性を求める方に無理がある。特だね競争がなくなっていいとは思わないが、先見性や分析力が欠如した記事はやがて疎まれる。そんな時代に向けて新聞は変貌しなければならない。

2002年04月11日(木)萬晩報主宰 伴 武澄

 東レが4月1日、社長交代を発表した。71歳の前田勝之助会長が最高経営責任者(CEO)に復帰して、榊原定征副社長(59)が社長に昇格、平井克彦社長(62)は副会長として経営トップ陣にとどまった。

 かつての東レは景気の変動に強い企業として名を成した。その基礎を築いたのが社長時代の前田会長だった。「好景気時のリストラ」が身上で、90年代前半、バブル崩壊後に多くの企業がリストラを余儀なくされたのを尻目に好決算を誇示。名経営者の名を欲しいままにした。

 萬晩報も1998年06月22日付で「好況時のリストラで基礎体力を育んだ東レ」と題したコラムを掲載したことがある。前田氏が経団連の副会長になった 後、経団連の会長や副会長の年齢が高すぎることを暗に批判したら、「そうだ、自分のような年寄りが若い方なのだから」と機先を制されたことも書いた。

 http://www.yorozubp.com/9806/980622.htm

 しかし、今回の人事は端から見ていて不可解さを残す。前田会長は87年から10年社長を務め、平井氏にバトンタッチした。その2年後から東レの経営はつ るべ落としとなる。赤字に転落したわけではないが、今回の3月決算での営業利益は200億円を大幅に下回ることが確実視されている。

 一般的にいまどき200億円もの営業利益があれば御の字なのだが、問題は繊維業界で二番手に甘んじていた帝人に株価で逆転されたこと。誇り高き東レとし ては我慢がならないところである。それだけではない。業界ではラディカルな企業改革案を打ち上げ、社内活性化に成功した帝人の安居祥策社長(現会長)がマ スコミの寵児(ちょうじ)となり、「前勝時代の終焉」を印象づけた。

 いくら名経営者といわれようとも「過去」の人を持ち出すのはルール違反である。かつて繊維業界には長すぎる君臨が批判された経営者たちが少なくなかった。なかでも帝人の大家晋三氏と鐘紡の伊藤淳二氏は晩節を汚した。

 東レの経営がこれまで順調だったのは、トップのリレーがうまくいっていたからだと思っていた。前田氏は社長としての10年も長いと思っていたが、5年後のいまも会長として東レに「君臨」している。君臨の弊害は知らず知らず内にイエスマンが社内に横行することである。

 CEO復帰はまさに「現役復帰宣言」である。会見で前田氏は今回の人事について「異例」であることを認めた上で「2年程度で現社長にCEOを譲りたい」 と述べた。異例と分かっているのならそんな人事はしない方がいいし、2年先のことを決めているのなら、いま実行すればいい。

 企業経営者の最大の決断は「引き際だ」と考えたのは本田宗一郎氏である。本田氏とともに「ホンダ」を世界的オートバイ企業に育て上げた藤沢武夫副社長が 「俺やめるよ」といった時、本田氏が「うん、そうか。一人じゃないよ。俺もやめるよ」と応えた話はあまりにも有名である。昭和48年春の話である。そのホ ンダの名声を乗用車にまで広げたのが、創業者の引き際を見せつけられた教え子たちなのである。

 「一人じゃないよ。俺もやめるよ」http://www.yorozubp.com/9801/980118.htm

 21世紀の企業経営のキーワードの一つとなったのはコーポレートガバナンスである。そこで強く求められるのは透明性である。帝人の安居氏は、社長の進退 と報酬を決めるアドバイザリーボードをつくった。外部メンバーを中心に経営を監視するこの組織に特に委ねられているのは「トップに引導をわたす」役割であ る。経営危機をもたらした経営者がその後もトップの座に居座るケースがあまりにも目立つ日本的経営環境では異彩を放つ制度である。

 東レの今回の人事で感じたのは、経営不振が際立つ日本企業の中で信頼できる企業がまたひとつ消え去ったという寂しさである。

2002年04月06日(土)(財)国際平和協会理事  中野 有

「この人がいなかったら、あなたの存在はないのよ」
 こんなことを言われて悪い気はしない。

 ストックホルムで開催された会議に出席したついでに、数年前に連絡が途絶えたスウェーデンの友人に会おうと思い、ホテルのフロントで番号案内を通じ友人 の電話番号を調べてもらった。友人の名前は人気があるのかありふれた名前なのか、そう人口の多くないスウェーデンに同姓同名が10人以上あった。友人に会 いたくなれば会いたくなるもので、片っ端から電話をかけてみた。日本でも知らない人と電話でしゃべるのがたやすくないから、それはもう大変。また、イース ターホリデーが始まる時で、友人と遭遇する確率は低いだろうと思いながら懲りずに電話をかけていると8年ぶりになつかしい声にたどりついた。

 わくわくしないはずはない。このスウェーデンの友人とは、ウイーンの国連機関で勤務したときの同僚であり、テニスの対戦相手そしてパートナーである。あ る晴れた春の日、ぼくは国連機関に勤務する英仏のハーフの魅力的な女性とドナウ河のほとりのレストランでランチをとっていた。そこにスウェーデンの友人が 偶然二人で楽しんでいるランチに出くわした。長身でブロンドの典型的なハンサムなスウェーデン人と魅力的な女性はその場で意気投合しぼくの存在が完全に忘 れ去られるほど「はじめて会ったその日から恋の花咲くこともある」とはこのことのように、その後二人は結婚したのである。勿論、ひょんなことから愛の キューピットか仲人は、このぼくとなってしまった。

 彼等もぼくも放浪癖があるらしく何回か生活の拠点を変更したため次第にクリスマスカードのやりとりもなくなり、気にはかけていたが連絡が途絶えた。ス トーリーがあるだけに苦労して電話で調べ、再会したときの喜びは相当なものであった。人生の楽しみは世界中に友人の輪を広げることであると思っていたが今 回友人と会った時、まさにそうだと思った。彼等には8歳と5歳の愛くるしい女の子と男の子がいる。「How do you do?」と話しかけたところ、ママからすでにこの奇妙な日本人の存在を聞いていたらしく、にっこり笑みを浮かべてくれた。

 日本の枠を超え世界に羽ばたきたいと思ったのは世界に友人の輪を広げ、最も相応しいパートナーを探そうというそんな単純な想いからであった。中近東、 オーストラリア、南アフリカ、リベリア、オーストリア、新潟、アメリカ、鳥取、東京で生活してきて、その土地土地で素晴らしい友人と巡り会った。いつでも 友人達の笑顔が思い出される。アフリカ人もヨーロッパ人もローカルな環境で一緒に生活することで親しみが感ぜられる。人類は国籍を超え友人になれば互いに 多様性を認め合いながらも通じるものがあると思う。平和や共生という感覚は、友人を通じて養われると感じる。

 ローカルで養ったワールドワイドな友人の輪を広げることは人生の楽しみである。友人と友人を結びつける。これもまた楽しい。先進国では人口が減少し、数 年前に予測された今世紀末の人口100億が90億に修正されたとの報道があった。人口が爆発するのは好ましくないが、友人から「この人がいなかったらあな たの存在はないのよ」と紹介される。これもまた国際貢献の一環なのであろうか。

 世界を飛び回りそこで生活し、ローカルで気心の通った交流を通じ友人の輪を広げていく。そしてそれがワールドワイドネットワークとなっていく。いつの日 か友人と相互に一定期間、家を交換することによってお金をかけずに世界を旅することができる。そう考えると老後もまた楽しそうである。

 中野さんにメールは mailto:nakano@csr.gr.jp

2002年04月04日(木)国際平和協会 賀川 豊彦

 中国の春秋時代に、呉王夫差が、越の国を伐つて、父の仇を報じようと志し、復讐の心を忘れぬため、毎夜、薪の中に寝て、自ら身を苦しめたといいます。ま た一方、越王匂踐も、呉の国を伐つて、会稽の恥をそそごうと志し、膽を室内に掛けて、これを嘗め、片時も報復を忘れないようにしたといいます。この故事か ら、仇を報じようとする志を抱いて艱難辛苦することを、「臥薪嘗膽」というようになりました。なお「会稽の恥をそそぐ」というのは、越王匂踐が、呉王夫差 と会稽山で戦つて敗れ、あまつさえ捕らえられて、さまざまの恥をうけたという故事から、敵によつて受けた恥辱を忘れず、必ず復讐しようとする事をさして、 そういうのです。

 また会稽の恥をそそぐといつて、いつまでも恥辱や怨恨を忘れず、敵愾心を抱いて復讐の折をねらつているとすれば、平和は、いつまでも訪れて来ないので す。現に、この故事のあつた春秋時代は、紀元前722年から481年まで約250年間も、諸国が互いに争つて、支那四百余州には、平和の日とてはなかつた のでもわかります。

 二千数百年前の中国の昔話ばかりではありません。日清戦争直後、日本が清国から割譲をうけた遼東半島を、ロシヤその他の三国の干渉によつて、清国へ還付 せしめられた時、日本国民は、三国に対し憎しみと怨みを抱いて、それこそ臥薪嘗膽十年、「討てや懲らせやロシヤ国......」と唄い、ついに日露戦争に突入しま した。そして日露戦争によつて復讐をとげた日本人は、四十年を経て、此度はソ連に復讐されました。もし、日本国民が、今次の敗戦から、ソ連を恨み、再復讐 を考えるとしたら、どうなるでしょう。

 日本は、戦争を放棄しました。しかし、国際間の怨恨や、憎悪を、一切すててかからぬ限り、たとえ、憲法の文面で、戦争放棄を百萬言宣言しても、それは空 証文に終つて、意味のないものとなるでしょう。戦争の絶滅を願う者は、何を措いても、まづ国際間の憎しみを取り去らねばならないのです。

 これについて思い起すのは、太平洋戦争が終つた時の中国の寛容な態度です。中国の民衆は日本軍の侵略をうけ、数々の残虐にあいました。もし、中国民衆 が、この残虐行為を恨みにもち、日本人を恨み、敗残の日本兵や日本民衆に対し、復讐行為に出たとしたら、どんな事でしよう。この時、蒋介石氏はラヂオを通 じ、次のように中国民衆に訴えて、その自制を促したのでした。

『中華民族の特性は旧悪を思わず、人に善を為すところにある。敵は打ち仆された。われわれは復讐を企画せず、敵国の無この人民に対しては、侮辱よりも憐憫 を表示し、彼らをして、自らの錯誤と罪悪を反省せしむべきである。もし、暴を以て暴に報い、凌辱を以て、これまでの敵の優越感に応えるなら、怨と怨は相酬 い、永久にとどまるところがないであろう。これは、決して仁義の師の目的とするところではない』

 このようにいつて、蒋介石氏は、世界平和に論及し、次のように言葉を結んだのでした。

 『世界の永久平和は、人類が平等自由なる民主精神と互助博愛の合作された上に、立てられるべきである。われわは、民主と合作に向う大道の上を進み、全世界永遠の平和を、協同して擁護しなければならなぬ』

 まことに、その通りです。怨を以て怨に報い、暴を以て暴に報じていたら、世にいう「いたちごつこ」になつて、戦争は永遠にくりかえすに違いないのです。 この蒋介石氏に言葉の中に「己れの如く隣人を愛せよ」「汝らの仇を愛し、汝らを憎む者を善くし、汝らを呪う者を祝し、汝らを辱しむる者のために祈れ」と、 いつたキリストの言葉の、ひそむことを知らねばなりません。蒋介石氏はキリスト教信者なのです。

 明治大帝の御製に

 四方の海みなはらからと思う世に
   など波風のたちさわぐらん

と仰せられてあるのを、御存じでしよう。世界の人々が、みなはらからと思ひ、四海同胞の意識を持つなら、仇をも愛することが可能となるのです。

 世界の全人類が、この四海同胞の考えに徹底し、宇宙に対する各自の責任を自覚し、人類愛の立場から他人の欠点をも自分の欠点として考え、他人の尻拭いを して廻る気持になるなら、人種問題も、異民族間の憎悪も、怨恨も、立ちどころに拂拭されるのです。肌の色の違いや相異や、国語の異同などは、問題でなくな つて、兄弟のように相親しむことができ、世界を破滅から救い出そうとして考え出された世界連邦政府の樹立も、実現が早くなるのです。

 実際、われわれは、戦争には、もう懲り懲りです。それは、余りにも罪悪に満ちているからです。ジョン・プライドという学者は「一切の人類の罪悪を総括し たものが、すなわち戦争である」といいました、つまり、戦争は、あらゆる罪悪のかたまりだ、というのです。みなさんは、モーゼの十戒を知つているでしよ う。殺す勿れ、姦淫する勿れ、盗む勿れ、隣人に対し虚妄の證據を立つる勿れ等、等......ところが、戦争はこの十戒の凡てを蹂躙するのです。

 普通の精神状態の人間なら、到底そのひとつさえ犯すことのできないことを、戦争となると、人間は一時的精神異常状態になつて、野獣さえ顔負けの、あらゆ る残虐行為を敢てするのです。もし、人間同士の憎しみの情がなかつたら、つまり、人間同士が、もつと愛しあつていたら、こんな怖ろしい破戒行為はできない 筈なのです。

 キリストは、モーゼのように、殺す勿れ何する勿れと、一々戒律を定める代りに、人間相互が憎しみを持たず、互いに相愛せよ、といつているのです。四海同胞という兄弟愛によつてのみ、一切の人類の罪悪が除かれ、その罪悪のかたまりの戦争をも、回避することができるのです。

 日本は戦争放棄を宣言しました。それは決して、戦争に敗けたから、己むを得ず、戦争をやめるというのであつてはならないのです。正義と秩序を基調とする 国際平和を願うのあまり、国際紛争解決の手段としての戦争を、永久に放棄したのです。ですから、われわれは人類愛の精神を、心に奥深く掘り下げ、兄弟愛意 識に目ざめて、人種間の差別感や、憎悪の心をきれいさつぱりと拂拭しなければなりません。

 将来の日本を背負うて立つ少年諸君よ!人を憎み、人を恨むことをやめて、兄弟仲よくし、四方の海に荒浪一つ立たず、金波銀波の平和の世界を実現させようではありませんか。(「国際国家」1950年4・5月号)

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