2002年3月アーカイブ

2002年03月25日(月)萬晩報通信員 斉藤 清

 ◆寒風の中の金業界

 1997年あたりから急激に冷えこんだ金価格を背景に、金生産会社それぞれの生き残りを賭けた熱い戦いが、地球全体を舞台として進行しています。世界各 地の金生産会社は、リストラ、合併、清算、そして先行投資としての金鉱調査費用削減を続けてきました。その結果、例えばギニア国内でも、金価格が高水準で あった1994-1997年あたりには、各国の有力な金生産会社が新しい鉱脈を求めて、時には50-100近くの金鉱調査チームを送りこんでいたのが、現 在ではその8割以上が撤退し、残りの一部は静かに眠っている状況となっています。

 これは全世界的な流れで、本来であれば、金鉱の採掘を進めると同時に、将来に備えての備蓄量を確保するため、常に新しい鉱区の開発調査を行うことが望ま しいとされているわけですが、金価格の低迷がそれを許さなくしているようです。まず今を生き延びなければ、という切羽詰った状況では、5年、10年先のた めの備蓄を増やす余裕はあり得ません。

 1999年の、英米IMF等の合作による金の市場価格操作疑獄の頃には、わずかながら業界が明るさを取り戻したものの、そのまま持続することはありませんでした。

  「金の市場価格操作疑獄関連のレポート」下記URLで1999/10/09号をご覧ください。
  http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000005790
  =ギニアから眺めた金の業界風景=

 ◆市場価格操作疑獄の被害者

 たしかに、1999年9月の疑獄の際には、それ以前のごく短期間のうちに金価格が下落し、そしてその時のG7会議終了後の週末になされた記者会見を受 け、次の月曜日には金価格が急騰するという状況があり、金業界関係者はそれまでのつらい日々をいくぶん忘れることができたのです。そして前向きの動きを加 速させる会社も出てはいました。

 ところが、実はこの月曜日、有力な産金会社2社が会社の存続を危うくさせるような額の損失を出していたことが、何日か後になって公になりました。それが カナダ・モントリオールの中堅C社と、ガーナの大手A社。両社ともに、金のヘッジの読み違いから、それぞれの会社にとっては絶体絶命の巨額な負債を抱える こととなりました。

 A社はガーナ政府の後援と債権者の理解を得て、かろうじて生き延びていますが、常にパートナーを探している様子がありあり。C社は、その弱り目を狙われ て安値での買収攻勢をかけられたものの、株主が納得せず不調に終わっています。この時点で、会社にとってはあるいは幸いにも、日本の投資会社からつなぎの 資金の調達ができ、その後、鉱区の切り売り等をして綱渡りの運営を続けているようです。日本の投資会社も、突っ込んでしまった足はなかなか抜けないものら しく、出資金の増額を実行している(せざるを得ない)ようですが、リターンはどうなるものやら。

 このようにして、産金会社にとっての金のヘッジ取引は、資金調達のための便法であると同時に、そのコストとリスクが確定していないために、金価格の大きな変動があった場合はとんでもない結果になるという強力な警鐘となりました。

 巨額の利益を得た者がいたと同時に、前記のように、みごとな失敗例として業界の語り草となっている会社もあるものの、実感のないままに巨額のコストを負担させられた声なき民も数多く存在したことは銘記しておくべきでしょう。

 ◆合併、買収の強い風

 こんな状況にほくそえみながら、英国に本社を置くリオティント社や、南アフリカのアングロアメリカン社は、総合鉱山資源会社として、世界各地の鉱山を戦略的に買収し続けています。

 例えば、オーストラリアの鉄鉱石事業は、従来はリオティント社を含む3社が市場を支配していたものの、2000年に、競合相手を買収して価格支配力を強 めようとしたリオティント社に対抗して、アングロアメリカン社も買収戦に参加。このケースでは、日本の鉄鋼メーカーまでが、両社の動きに翻弄されていまし た。また、リオティント社は、自社が開発した世界最大の埋蔵量を誇る鉄鉱山をギニアですでに確保し、将来の需要に備えています。同社は、オーストラリアの 主だった炭鉱もすでに買収。

 余談ながら、アングロアメリカン社は昨年、ダイヤモンドで有名なデビアス社を買収。両社はもともと親戚関係にはあったのですが、資金力の枯渇していたデビアス社を買収することによって実の親子関係に模様替え、というところです。

 金業界関連では、南アフリカと北米の会社が、世界の有力な産金会社の買収を競っている流れがあります。昨年は、産金量世界第2位だったカナダのバリック ゴールド社が、アメリカの大手会社を買収。南アフリカ2位のゴールドフィールド社は、オーストラリアの中堅デルタゴールド社を買収し、オーリオンゴールド と社名を変更させています。そして、世界トップ(だった)の南ア・アングロゴールド社は現在、前述のゴールドフィールド社、オーリオンゴールド社、それか らヘッジの失敗で青息吐息(失礼)のA社を視野に入れて、買収をかける時期を探っているなど、業界再編成の動きが急です。

 ◆オーストラリア一番の会社を急襲

 一連の買収劇が続く中、そのクライマックスとしては、昨年から今年にかけての「世界一の産金会社」という看板をめぐる戦いを忘れるわけにはいきません。

 これまでずっと、世界一の産金会社は、南アフリカのアングロゴールド社(ロスチャイルド系)ということに決まっていました。誰も疑うことなく、その歴史 からいっても当然の流れであると信じこんでいたのです。ただ最近の金価格低迷の環境の中で、南アの多くの鉱山ではストライキが頻発し、それでなくても生産 コストの高い採掘条件がさらに悪化していたことは確かで、そのためにも国外の鉱山に生産の軸足を移す必要に迫られていました。最近の買収、吸収合併のひと つの側面は、より生産コストの低い即戦力となる金鉱山を求める動きでもありました。

 そんな流れの中で、南ア・アングロゴールド社は昨年9月初め、オーストラリアで産金量一番のノルマンディーマイニング社を標的にした、株式公開買付の実 施を発表。当のノルマンディー社は、自社株主に提示された株式買取条件に不満を表明し、株主に対して自制を呼びかけました。その直後に9.11事変が起 こって、金価格は一時的に急上昇。

 AngloGold bids for Australian rival
 http://news.bbc.co.uk/hi/english/business/newsid_1526000/1526245.stm

 ◆逆襲の宣言

 豪ノルマンディー社は自社株主に対して慎重な対応を呼びかける一方、水面下でカナダ、アメリカの会社と接触し、南アの軍門に下ることを拒否するための方策を練り続けます。

 ここで活躍したのが、カナダの小粒の金会社フランコネバダ社。この会社は自社では採掘をせず、支配下の鉱区を他社に採掘させてロイヤリティーを徴収する 経営スタイルで、無借金経営をしていた財務内容のすこぶるいい会社。仕事柄、世界の大手の会社とのコネクションも充分で、そしてまことに都合よく、豪ノル マンディー社の株式を19.9%保有していました。そのうえ、2000年代には南ア・ゴールドフィールド社との合併を模索した経緯があったものの、カナダ に利益を落とすわけにはいかないという南ア政府の反対を受けて交渉が挫折した、というおまけまでついていました。

 その結果、アメリカ最大手の産金会社ニューモントマイニング社が主役を演じることとなり、接着剤・応援団としての脇役はカナダ・フランコネバダ社が、ゲスト出演者として豪ノルマンディー社が登場する舞台設定ができあがりました。

 そして2001年11月14日、世界一の生産量と備蓄量を持つ新会社を作り上げ、金取引市場への影響力を増大させることを目的として、南ア・アングロ ゴールド社の今回の動きに対抗する声明を3社合同で発表します。これが、アングロゴールド社を永年の世界一の座から蹴落とす動きの始まりでした。

 プレスリリース 2001.11.14http://www.newmont.com/inv_relations/newsreleases.htm

 ◆世界一をかけた戦い

 南ア・アングロゴールド社は11月25日、オーストラリアの買収裁定委員会に対して、米ニューモント社の買収案について異議の申し立てを行います。

 その骨子は、カナダ・フランコネバダ社がすでに保有していた豪ノルマンディー社の株式に関する解釈についてでした。宣戦布告の前にフランコネバダ社を傘 下に入れたのは、同社が保有していた豪ノルマンディー社の株式取得が目的であってルールに反する、という主張だったのですが、12月12日に異議申立てが 却下され、この時点で、ノルマンディー社株主の進行方向が決定的になった模様です。

 また米ニューモント社は買収案発表の前後にも、豪ノルマンディー社の価値を再評価するため、地質技師を含めたスタッフをノルマンディー社の各地の鉱山へ 送りこんだ模様で、その結果を株式の買い入れ提示額に強気に反映させて、南ア・アングロゴールド社の提示額を上回る条件を株主に約束し続けました。

 このような戦況の中で、アングロゴールド社は、株主としての影響力を残すためだけにも最低10%のシェアを確保しようと努力したものの、1月18日の買い付け締め切り時点で、豪ノルマンディー社株取得率7.1%という結果に終わりました。

 ここで、南ア・アングロゴールド社はギブアップのタオルを投げざるを得なかったわけですが、それでも尚、他の大手を買収して業界のトップの地位を奪回する可能性を強く示唆し続けています。

 米ニューモント社は2月25日、豪ノルマンディー社の92%の株式を取得したことを発表し、買収戦争の勝利を宣言しました。この買収に要した資金は約3,000億円と見積もられています。

 ◆金価格への影響

 世界規模での金の年間実生産量は2,500トン程度といわれ、新しい世界一の産金会社・新ニューモント社の現時点での年間年産量は約270トンと見込ま れています。同社は、この生産量を武器にして金市場への影響力を強めることを宣言すると同時に、金価格低迷の元凶であると考えられているヘッジという不健 全な取引を極力排し、ごく自然な取引形態をめざすとしています。今回の豪社買収にあたっては、株主に対して、ヘッジ取引をしないことによる経費の大幅削 減、ひいては株主への利益還元、そして金価格上昇による業界全体の利益の追求を目指すことを強調していました。

 同社首脳筋は、市場でのヘッジ売りの量を年間500-1,000トン減らすことによって、1オンス(31.1g)あたり25-50ドル (5$/100t)の価格上昇が実現できると計算しています。――2001年の平均金価格275ドルをベースにして、300-350ドル圏への移行を想 定。

 業界の新しいリーダーとしての新ニューモント社の成立が確実になった今年1月下旬あたりから、1オンス290-300ドルの金価格が続いているのは、あるいはすでにこの「ニューモント効果」が出始めているためなのかもしれません。

 24hr Goldhttp://www.kitco.com/charts/livegold.html

 斉藤さんにメールは mailto:bxz00155@nifty.com

2002年03月22日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 昨年末に上梓された高島俊男著「漢字と日本人」(文春新書)を読んで、言葉の意味や文字について考えさせられた。

 明治の日本人は西洋から新しく導入した概念について、苦心惨憺して「漢字」に翻訳する努力をした。われわれが日頃、新聞などで目にする八割の単語は明治以降につくられた造語で、それまでの大和言葉はほとんど駆逐されてしまっているそうだ。

 現在、多用されている二字熟語を無理やり大和言葉に直すとなんとなく饒舌な言い回しとなり、稚拙な表現のように感じられてしまうのは、すでにこれらの言葉がわれわれ日本人に慣れ親しんでしまっている証左なのであろう。もはや後戻りはできないのである。

 その多くの漢字に翻訳された造語は、当時、日本に多く留学していた中国人たちによって大陸に持ち帰られ、これまた「中国化」している。政治や経済、哲学などの用語のほとんどは日本人が考え出した漢字の組み合わせなのである。

 翻って戦後の日本人はカタカナを多用して、外国語を漢字に翻訳する努力を怠ってきた。ここらが、明治日本と戦後の敗戦日本の気概の違いなのであろうか。

 ●「日本展望」のクールなページ

 中国には日本のようにカタカナがないから、いまでもすべての外国語を漢字に翻訳する努力を続けている。外務省の外郭団体で、中国との交流事業をしている 霞山会が中国語で日本社会を紹介する「日本展望」という月刊誌をつくっている。その編集長の柴田さんが悩むのが、世界の地名と人名。特に日本語に氾濫する カタカナ語は難しい。

 ドラえもん(機器猫・チーチーミャオ)とか「東京ディズニーランド」(東京迪斯尼・トンチンディシニ)はすでに知られている単語だが、「ユニクロ」はどう表記するのか「スタジオ・ジブリ」はとなると思考が止まってしまう。

 そこで柴田さんはこの「日本展望」の末尾に【漢日新詞新譯】というページをつくった。雑誌に出てくる新しい単語を70から80掲載し、その中国語対訳を 載せている。中国語に興味のない人でもなかなかおもしろい。知的刺激があり、インターネットでは関係者の間で「クールなページ」として評価を高めている。

 http://www.kazankai.org/publishing/japan_today/2002_03/big5/34.html

 ●中国語の新語をつくってきたのは誰か?

 以前から疑問に思っていたのが、中国ではだれが、新語や造語のたぐいをつくってきたのかということである。まさか文部省の国語審議会のようなところで議論するのではなかろうし、そもそも漢字で表記されないかぎりほとんどの中国人に知れ渡ることもない。

 答えは意外に簡単なところにあった。新聞である。新聞が一度書いてしまうとその表記が人口に膾炙してしまうからだ。でも最初に表記する時に、A紙とB紙 で違う表記になるとどうなるのだろう。またインターネットの時代にはマスメディアより早く普通の人が新語をつくってしまうかもしれないのだ。

 中国語圏を旅行していて、「ハハーン。こうやって訳すのか」と感嘆することがある。中国語の翻訳で最高傑作は「可口可楽」(コカコーラ)であることは誰もが知っている。

 20年前、大学の教室でコンピューターは「電子計算機」とならったが、実際はパソコンが普及すると「電脳」となった。中国語も変化するのである。いじわ るな学生が「先生、喫茶店は中国語でなんというのですか」と困らせたことがあった。革命中国にそのような場所はなさそうだったから真面目な先生は悩んで 「明日までに調べてくる」と約束した。

 本来は悩む必要もなかった。台湾にも香港にも当時から喫茶店(珈琲館)はあったからだ。新しい中国語をつくってきたのは何も大陸に限ったことではないの だ。中国語のコンピューター用語の多くはシリコンバレーから生まれていた。初めの頃の中国語ワープロソフトをつくっていたのは台湾でも香港でもない。シリ コンバレーに留学してその地に居着いた中国人たちだった。

 ちなみにそのころのパソコン用の中国語ワープロソフトはウインドウズの英語バージョンにしか搭載できなかった。英語で中国語を考える仕組みだったのである。

 漢字と日本人について書いているうちに、中国語の話になってしまった。カタカナ文字の氾濫への反省から「電脳」のように中国製熟語が日本語で多用される時代がくるかもしれないという気がして来た。実は萬晩報の「晩報」は中国語で夕刊という意味なのだ。

2002年03月16日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 14日、ウォールマートがスーパーの西友とが包括提携したと発表した。提携内容はウォールマート側が5月に西友の発行株式の6.1%を取得し、今年末に33.4%、最終的に2007年末に66.7%の株式を取得する権利が与えられた。

 西友のリストラの進捗具合をみながら、徐々に経営支配しようという、なんとも都合のいい「買収契約である」。西友の木内政雄社長は会見で「再編のうねり を勝ち残っていくためにも新たなパートナーが必要だった」と語っているが、冒頭から論理矛盾をきたしている。株式の半数以上を取得する相手はパートナーで はない。

 乗っ取られるなら最初から城を明渡せばいい。日産自動車も三菱自動車も提携当時「パートナー」と呼んでいた相手側が株式を買い増して、経営権を支配した。

 一方で不安なのは、日本企業同士の提携ならともかく、3年後に株式の過半を握って、5年後に三分の二を牛耳るという提携内容は時間がかかりすぎて、どうもアメリカ的でない点である。ウォールマートがどれほど本気で西友にてこ入れする意欲があるのかどうか疑わしい。

 ウォールマートは昨年破たんしたマイカルの受け皿として日本進出を図るのではないかとうわさされたこともあるが、なんとも「ぶなん」な相手と手を握ったものだ。

 おもちゃのトイズらスが日本市場で成功したのは、藤田田という日本人離れした発想を持つ個人事業主と手を結んだからだと思っている。日本的商慣行に疑問 を抱きながらも、マクドナルド・チェーンを日本に定着させた人物である。ある意味ではアメリカ的DNAをもった数少ない日本人経営者でもある。

 トイズらスが提携先に求めたのは、チェーンストアの経営ということだけで、業種を問わなかった。成功の秘訣はそんなところにもあるのだと思う。

 ひるがえって、西友は日本の大規模メガストア展開に乗り遅れたスーパーのひとつである。90年代半ばに西洋環境という関連会社のバブル処理で早くからリ ストラを余儀なくされた。幸か不幸かこの業界の体力を消耗させた大規模出店競争から取り残された。欠点がない分、特徴もない。

 特徴といえば、かつての流通業界には独自の哲学を持った経営者が多くいた。戦後、スーパーというアメリカ生まれの販売形態を導入し、それぞれにメッセー ジ性を持っていた。また価格競争を持ち込んだという点で百貨店など既存の業態に対抗する気概もあった。ドラマ「おしん」のモデルとなった和田一夫氏は静岡 県の八百屋からスーパーに進出。旧ヤオハンを東南アジアで成功させたたけでなく、本社を香港に移転させた後に上海一番乗りを果たすなど海外でも日本男児の 心意気を示した。

 西友を育てた堤清二氏は西武百貨店から金融、ホテル、リゾートなどを含むセゾン・グループという流通帝国をつくりあげた。西友はリストラの後にセゾンを 離れ、住友商事の傘下に入った。「ぶなん」といったのはそういうことで、西友はもはや、なんのへんてつもないスーパーに成り下がった。

 今後、ウォールマートが日本で一定のシェアをとるには、自力で大型店を出店させることが不可欠。日本で新たに土地を取得してまで出店するには相当のコストが求められる。その分野で経験の少ない西友と手を結んだことが果して理にかなうのかどうか、いささか不透明である。

 日本的商慣行に問題提起してきた流通業界の経営者といえば、ライフコーポレーションの清水信次氏を思い浮かべる。ウォールマートの提携先として最も最適な人物だと考えていたのだが、惜しいことをした。これは感想である。

2002年03月12日(火)国際平和協会理事 中野 有

 アラスカで開催された国際会議に出席し、北東アジアについての思いを語る機会に恵まれた。そこで、ブッシュ大統領が一般教書演説で語った「悪の枢軸」に対抗し、「平和の枢軸」についてのスピーチを行なった。

 9.11の悲劇を2度と繰り返さないためにも、また国際テロの根源を挫くためにも、悪の枢軸である国際テロと関連がある国々に対し、強硬姿勢を示すこと も大事であるだろう。9.11の同時多発テロをきっかけにアフガン戦争が発生した。21世紀型の戦争は、国家間の大規模戦争でなくテロをきっかけとした途 上国を巻き込んだ戦争であり、最悪の場合、民族、宗教と普遍的に広がる無気味な戦争であると考えられる。悪があれば正義がある。その正義の役割を果たすの がアメリカであろうか。アメリカは、軍事力により悪の退治を目指している。もちろん、悪と戦うためには軍事力が不可欠である。しかし、テロを根絶するため には軍事力プラスアルファーの正義がなければいけない。

 世界第一と第二の経済大国であるアメリカと日本が、日米同盟を基盤として21世紀型の戦争に対処するため、どのような日米の役割分担が考えられるのであ ろうか。その答えを導くにあたり、ブッシュ大統領の日韓中の3カ国訪問が参考になる。東京で「悪の枢軸」の支持を取りつけたブッシュ大統領は、ソウルでは 金大中大統領の「太陽政策」の支持を表明した。また、北京では江沢民国家主席に、北朝鮮の金正日国防委員長との会談の調整を依頼したと言われている。この ように、ブッシュ大統領は北朝鮮に対し「悪の枢軸」の一環として強硬な軍事的なスタンスを示すと同時に融和政策をも表している。そこには、大いなる矛盾が あるようだが、「飴と鞭」の幅を利かせた、軍事政策と融和政策の両端を組み合わせたと考えれば、アメリカの北朝鮮政策が見えてくる。

 日米同盟に関し、周辺諸国は恐らく日本が考えている以上に、日本が再び軍備増強に走らないための必要条件として米軍の駐留を認めている。日本は米軍に相 当な資金を提供し、平和の維持という「酸素」の提供を受けている。日本が米軍をサポートすることは、日米同盟の維持のためにも重要である。加えて日本が、 ブッシュ政権の対北朝鮮政策に見られる「飴」の部分を積極的に推進することは、軍事的関与でなく経済協力というソフトの分野で朝鮮半島の安定に貢献できる という意味で重要である。日本は大陸に進出し、戦争を導きそして敗戦と被爆という人類史上稀なる大きな犠牲を被った。犠牲の上に平和を追求する国家が成立 したのである。このような20世紀の日本の大陸への関与を鑑みると、日本は北東アジアの安定と発展のために、現在の優柔不断な態度でなく、更なる建設的な 関与が不可欠である。

 ブッシュ政権が「悪の枢軸」という北朝鮮へのテロ撲滅の作戦により、北朝鮮の選択のオプションが狭められてきており、その結果として北東アジアの地政学 的変化が現れようとしている。そこで、日本はこのタイミングを生かし、旧満州地域を含む歴史的清算を行うためにも北東アジアに夢のある開発の「グランドデ ザイン」を描写し、アメリカが手の届かない北東アジアの開発に協力することが重要であると考える。日本の役割は、北東アジアの多様性を認め、北東アジアの 市民が共に北東アジアの発展を享受できる共生圏を構築することにある。

 そのような活動こそが「平和の枢軸」となるのではないだろうか。日米の2国間の関係がしっかりしているから日本は、テロの根絶に役立つだろう貧富の格差 の縮小等を目的とした経済協力の活動に集中できるのであろう。悪と正義のバランスをとるために「平和の枢軸」の一翼を担う活動を推進すべきであろう。アメ リカが「鷹」なら、日本は平和を導く「白い鳩」である。「平和の枢軸」を提唱することにより、日米の役割分担が明確になるのみならず、21世紀型の戦争を 未然に防ぐ市民が参加できる活動に発展していくのではないだろうか。

 中野さんにメールは nakano@csr.gr.jp

2002年03月08日(金)萬晩報主宰 伴 武澄

 世上を騒がしている4月からの「ペイオフ解禁」。だが「解禁」というのはあまりにも穏やかでない。制度的に言えば、新しいものではなく、元々あったペイ オフという制度が、金融不安が広がった1996年の預金保険法改正で一時「凍結」していただけにすぎないから、ペイオフの「凍結解除」というべきである。

 とはいえ社会的に摩擦を起こさないかといえば、そうでもない。預金をめぐる経済的環境が著しく変化した。金融当局の「金融機関は一行たりともつぶさな い」というかつての護送船団的考えは完全に破たんし、「危険な金融機関は市場から撤退させる」方向に180度転換していてしまっているからである。

 ●円の価値が下がっても、預金が消滅することはない

 最近、地方に住む知人などから、ペイオフ解禁を控えて預金はどうしたらいいのかという相談をいくつか受けた。

 まず地銀はつぶれるかという設問については「ノー」である。つぶれるという概念であるが、仮に破たんしても、預金や貸し出しは必ず「受け皿機関」に引き 継がれるということである。インフレによって「円」の価値が切り下がることはあっても、かつての戦時国債や株券のように紙屑になり、価値が消滅する可能性 は著しく低いとだけはいいたい。

 仮に万が一、預金が消滅することになれば、それこそ日本が沈没するとき以外にありえない。そのような場合には、ペイオフで保証されている「1000万円」だって返ってくるかどうかあやしい。

 だから安心しろとか信頼しろといっているのではない。銀行経営が破たんしても、政府・日銀が当該銀行を全力で支えることは間違いないし、取り付け騒ぎと なりそうな場合には日銀はどんどん日銀券を印刷して、当該銀行に運び込むことになるということだけだ。ペイオフが凍結される前に破たんした和歌山県の阪和 銀行の場合でも、預金を返してもらえなかった人は一人もいなかったことは覚えておいていい。

 だから「どうしたらいいか」と問われれば、「そのままほっておけばいい」と答えるようにしている。国民が付和雷同して、預金を大量に預け替えたりすれ ば、引き出される金融機関からすればそれこそ「取り付け」的騒ぎとなる。また安全な銀行にばかり預金が集中するとはかぎらない。安全でも1000万円まで しか預金されないとすれば、その銀行からレベルの一段低い銀行に預金が流出する事態だって起きるだろう。

 小さな地方都市で、地銀、第二地銀の支店すらないところではどうなるのか。そもそも郵便貯金は「少額貯蓄機関」として1000万円までしか預け入れができないから、わざわざ大都市の銀行まで預け替えに出掛けなければならない。問題は多すぎるのだ。

 ●ペイオフ解禁は偽名口座の一掃と税金徴収が目的?

 エース交易が発行する「情報交差点」3月号に、「ペイオフ解禁は偽名口座の一掃と税金徴収が目的」という記事が出ていた。なるほど、騒動を起こして銀行 に「名寄せシステム」を構築させ、「偽名口座の洗い出しや脱税の温床を一掃する」というのは悪くないアイデアだ。ペイオフ解禁には確かにそんな側面もある かもしれない。少なくとも結果的にそうした効果を生み出すこともあろうと思う。

 しかし、筆者が考えるのは、そうではない。ペイオフ解禁に併せて、国債を国民に買わせようという魂胆もあるのではないかと考えている。国際的に日本の国債の評価が下がっているとはいえ、日本で一番安全なのは郵便貯金で国債は二番目といえなくもない。

 何遍も書いてきているが、財務省にとって一番の関心事は「国債の消化」。つまり低金利で発行を続けられる環境を維持することである。財投資金は満杯。銀 行もこれ以上買いたくない。日銀に買わせたところで、すべてというわけにはいかない。残るのは国民しかないのである。ひょっとしたら国債に対する「マル 優」(金利への非課税制度)制度が復活するのではないかと思う。

 またまた騒動の後に財務省がニヤリとする局面が・・・・とは考えたくない。

 Q1.ペイオフとは:本来は金融機関が破綻した場合に預金保険制度に基づき、預金者に保険金を支払うことをペイオフという。現在の預金全額保護という特例措置が終わって、預金のうち1,000万円を超える部分が一部カットされることもあり得る、という意味で使われる。

 Q2.預金保険制度とは:預金保険機構に加盟する金融機関の経営が破たんして預金の払戻ができなくなった場合などに預金者を保護する制度。預金保険機構は、政府・日銀・民間金融機関の出資により設立され、運営されている。

2002年03月03日(日)国際平和協会 賀川 豊彦

 昔ロシアの或る田舎に一人の貧しい百姓が住んでいました。自分の所有地が少ししかないので「もつとたくさんの土地がほしいなあ」と言い暮らしていまし た。すると或る大地主がそれを聞いて『では、これから馬に乗つて、夜までの間に、ほしいと思う廣さの地面を廻つておいで。そうしたら、その地面をそつくり おまえにあげるから--』といいました。百姓は大喜びで、さつそく馬に乗って出かけました。百姓は一坪でもよけいに地面をもらおうと思い、できるだけ遠廻 りしてかけて行きました。昼が来ましたが、食事をする暇もおしく、先へ先へと進みました。気がつくと、太陽はいつのまにか地平線のかなたに沈もうとしてい ます。けれども、もう少し、もう少しと思って、なお先へと進みました。おなかはペコペコ喉もからからです。日はとつぷりと暮れて道さえわからなくなりまし た。そこで百姓はあきらめて、帰途につきました。しかし、馬は疲れているので、いくら鞭を加えても走りません。百姓のように疲れてたおれそうです。けれど も今夜中に家に帰りつかなければ、折角、慾張つて廣くしるしをつけて来たその地面ももらえません。それで、息たえだえの中から、鞭を馬にあてて家の方へと かけて行きました。そしてやつと家に帰りついて、やれやれと思うと同時にあまりの疲れのため、百姓の息はたえました。  この慾ばりの百姓は、一体どれほどの地面を大地主から貰つたのでしょうか、彼の得た地面というのは、自分のなきがらを埋める六尺にも足らぬ狭い地面だっ たのです。

 これはトルストイの童話にある有名な話ですが、これに似た事実物語をあなたは聞かなかつたでしょうか。野心満々の政治家や軍人が、領土をひろげ、権力慾 を満足させようとして、周囲の弱い国々を侵略し、とうとう精根尽き果てて、一敗地にまみれ、自分のみか、国民全体を塗炭の苦しみに泣かせて、却つて旧来の 領土をさえ狭めてしまつたという「イワンの馬鹿」を笑えない実例をあなたは実際に知つているはずです。

 世界歴史をひもといて見ても、そこにはたくさんのいわゆる英雄偉傑が、この童話の主人公と同じ運命を辿つているのを知ることができるでしょう。シー ザー、ハンニバル、ナポレオン、近くはヒツトラー、ムツソリーニなど、みなそれです。シーザーの如きは、ガリヤを征服したのを手始めに、各地に侵略して ローマの版図をひろげ、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、ブルタス、カシウスのためにローマの議事堂で刺し殺され、カルタゴのハンニバルも、古来屈指の 名将とうたわれましたが、シピオの一戦に破れて国外に追われ、ローマ人に捕らわれるのを怖れて自ら毒を仰いで死にました。さらにナポレオンに至っては、西 ヨーロッパをその馬蹄の下に蹂躙しましたが、慾張つてロシアに攻め入ろうとして成功せず、次いで、ウオターローの戦に敗れて世界征服の野望も空しく、セン トヘレナの孤島に、配所の月を眺めつつさびしく生涯を終わりました。

こうして、侵略戦争の下手人たちの末路は古来きまっています。そして、この侵略者を出した国家は亡び、その国民は流浪することになるのです。国破れて山河 あり、嘗ては世界歴史の上に輝かしい名をとどろかせたが、今はその後さえない国や、名はあつても昔の面影をとどめない国になど、あなたがたはその幾つかを 知つているでしょう。ジヨルダンというアメリカの学者は「バビロン、アツシリアが亡び、ギリシヤ、ローマの亡んだのは、全くその国の国民が、戦争好きでこ れ等の国の亡国は一つの退縮現象である」といつています。身のほどを考えずに膨れた風船玉がパチンと破裂して、しわくちやなゴムの破片を残すに過ぎないよ うなものです。

しかし、ひるがえつて考えて見ますと、遠い昔の戦争はとも角、近代の戦争は侵略者のせいのみとはいいきれなくなつているのではないでしようか。戦争の原因 が、社会の進運に伴つて次第に複雑さを加えて来たからです。近隣の弱小国や未開国を侵略することには変わりはありませんが、その原因なり、目的なりが、単 なる権力慾だけではなく、たとえば、人口が増加して自国の領土内だけでは食糧が不足になつて来たとか、工業生産の原料が、自国内だけでは自給できないと か、生産品を売り捌く新しい市場がほしいとか、そういつたいろいろの経済的原因などから、領土を拡張し、植民地を獲得しようとして戦争をしかけるものが多 くなつて来たのです。

そうしたことは、その国としては立派に理由になりますが、暴力により領土や権益を奪われる側の国家としては、たまつたものではありません。しかし今日まで、弱小国、未開国と呼ばれた国々は、常に、強い国のためにこうして蚕食されて来たのでした。

今から百五十数年前(1798年)英国の経済学者マルサスは「人口論」という学説を唱え出しました。マルサスは「心臓というものは1から2,2から4、4 から16という風に、等比級数で増加して行くが、食糧は1から2,2から3、3から4というように等差級数でしか増加しない。その結果、人口に比べて食糧 が不足し、窮乏が生じ、疾病や犯罪が生まれ戦争さえ起つて、必然的にそこに、自然淘汰による人口の自制――自然的人口制限――が行われ後には婚姻の延期な どによる道徳的抑制――道徳的人口抑制――が行われる」と説いたのです。(此処で間違わないでいただきたいのは、此頃、しきりに唱えられる産児制限は、こ のマルサスの説ではなく、新マルサス主義といわれるものです。マルサスの説が、自然的、同等的人口制限をいつているのに反し、新マルサス主義は理智的、人 為的な人口抑制を説いているのです)つまり、人口は食糧の増加率を越えて増加するから、貧しい人たちの中からは栄養不調者を出したり、病気が増えたりして 死ぬ者もふえ、また戦争が起つて多くの犠牲者を出し、自然淘汰によつて、人口と食糧のバランスが保たれるようになるというのです。 このマルサスの学説にかこつけて帝国主義者たちは、人口のハケ口と、食糧資源の供給地を求めて、他国へ侵略していくのです。近代の戦争はほとんどすべてが ここに端を発しているといえましよう。

ではマルサスのいうように世界の食糧の供給能力はそんない微弱なのでしようか。マルサスの頃はそうだつたかもしれません。しかし諸科学が発達して、食糧生 産の上に画期的進歩を見せつつある現代にあつては、それは杞憂にすぎないのです。現にコロンビア大学のラツセル・スミス教授のごときは「世界食糧資源 論」(筆者の翻訳書が出ています)の中でこれを明言し、ただ人間が米や麦に偏しすぎるから費即するので、もし木の実を食べ、また山や海の動植物をもつと活 用すれば、世界の人口がたとえ今の三倍になつても食糧は不足しないといつています。

なるほど、日本だけについて見ると、敗戦後は国土も狭くなつて、食糧の自給自足は困難でしよう。しかし、総面積の八割五分を占めている山を開き、これを活 用して山丘農業を営み、栗、胡桃、どんぐり、椎等を植え、家畜を飼つて立体農業を行い、また周囲の海を牧場とし、太平洋に鯨を飼うぐらいの意気で食糧資源 を開発して行けば、人口が二億、三億にふえても困ることはないでしよう。

印度の或る階級の者や瑞西の農民は、どんな貧しい者でも羊の一匹はつれているので、絶対に飢え死にすることはないといいます。またハワイにはアルガバとい つて、一年に六回も花が咲き、一本の木から三十石もの果実がとれるという木があるのですが、こうしたものを飼育し、栽培したら、蛋白資源に困ることもなく なるのではないでしょうか。日本人はあまりに米食に偏しすぎます。満州の住民をごらんなさい。彼等は高粱や、小麦、ひえを食べていて、しかも日本人以上の 健康を維持しています。日本人はもつと栄養学を勉強せねばなりません。他の自然科学では湯川博士のような人さえ出しているのに、栄養科学の普及しないのは 残念です。もちろん、それでも自給のできない食糧は他から仰がなければなりませんが、現にソ連、カナダ、アメリカ、アルゼンチン、オーストラリア、アフリ カ等では、むしろ食糧の生産過剰をかこつているほどですから、これらのあり余つた国から足りない国への食糧供給の道がつきさえすれば、戦争するには及ばな いのです。戦争前の話ですが、アメリカのタトソンという社会学者は、世界で人口増加と資源の不足のため悩んでいるのは(1)イタリーを含む中部ヨーロッパ (2)印度地帯(3)日本を含む西太平洋地帯の三地帯で、他は困つていないから日本のために蘭印、ボルネオ、ニューギニア、佛印、豪州、フィリピンを開放 してやれと主張していました。ところが日本軍閥はそれを待ち切れず、暴力によつて一気にこれを略取しようとしたため、とりかえしのつかぬハメに陥つてしま つたのでした。人間同士がお互いに愛し合い、助け合つて食糧の余つている国は足りない国にわかち与えあくまで平和な手段で世界の人々が共存共栄の実をあげ て行くようにしたいものです。

帝政時代のドイツの皇后の侍医で有名な心臓の学者ニコライは、戦争に反対して獄につながれましたが、獄中で書いた「戦争の生物学」という書物で「動物が衰 退に近づく時、その動物は必ず破壊的となつて戦争を好むものだ」といつておます。この人の説に誤りがなければ、人類もそろそろ終わりに近づいたことになり そうです。もし人類が衰滅したくなかつたら、世界中が戦争を放棄して、小鳥のように平和に、仲善くしなければなりません。蟻のように食べものをわかちあう ようにせねばなりません。

日本は世界にさきがけで戦争を放棄しました。もうイワンの馬鹿のお話のような慾張りはコリゴリです。侵略戦争なんか桑原々々です。私たちは侵略者の末路を、いやというほど見せつけられたですから。(「世界国家」昭和25年5月号)

2002年03月02日(土)萬晩報主宰 伴 武澄

 きのうは三篇の心を豊かにしてくれる文章を読んだ。台湾の陳水扁総統による2月11日の「春節談話」、賀川豊彦が昭和25年に月刊「世界国家」に書いた 「少年平和読本・侵略者の末路」、そして1日付日経新聞で掲載が始まった経済学者・宇沢弘文氏の「私の履歴書」である。それぞれ一部を紹介して、読者のみ なさんと思いを共有したい。

 「春節談話」は毎週届く台湾週報に掲載されていた。年少からの自らの苦労を台湾の将来と重ねながら「台湾に時間的余裕はない」と改革への決意を表明したものだ。以下その冒頭である。

大きくなってから、幸せとは家族が共に苦労し、挫折を味わい、それらを共に克服し、そして春節を迎えることであり、失望感とは、この一年に自分は何ができたのだろうかと思い悩むことであると徐々に分かってきました。こうした思いを今年とくに強く感じています。・・・・
全文 http://www.roc-taiwan.or.jp/news/week/104.html
 台湾同胞に語りかける言葉はとても厳しい政争を逝き抜いてきた政治家のものとは思えないほのぼのとした中で格調の高さを感じさせるものだった。

 宇沢氏の「私の履歴書」の第一回目はヨーロッパで始まっている自然回復型の公共事業を紹介し、日本の経済学が国民の幸福に役立ってこなかったことの反省から始まる。

私は経済学者として半世紀を生きてきた。そして、本来は人間の幸せに貢献するはずの経済学が、実はマイナスの役割しか果たしてこなかったのではないかと思 うに至り、がく然とした。経済学は、人間を考えるところから始めなければいけない。そう確信するようになった。中でも教育は、経済学の重要な対象である。
 この中で宇沢氏は教育について「社会共通資本」の大事な要素とし、(1)教育をはじめとする社会制度(2)自然環境(3)道路などの社会基盤の三つの要素のバランスある発展が経済学の目指す方向だと諭してくれる。

 明日以降の「私の履歴書」で、昨今の日本の経済的苦境について、経済学者とアナリストたちがさも分かったような議論を展開している様子に苦言を呈してくれるものだと期待している。

 賀川豊彦の文章は筆者が最近関わりを持ち始めた財団法人国際平和協会にあった古い雑誌に連載されてあったものだ。もともとこの財団は昭和20年9月、東 久邇内閣の下で戦後の困難を生き抜くための精神的柱を模索する目的で創設され、キリスト教徒で社会事業家だった賀川豊彦が請われて初代理事長に就任、毎月 発行される雑誌に勢力的に執筆した。

 「侵略者の末路」は子供向けに国家の強欲を人間のそれになぞらえたもので、50年以上経った現在でも新鮮な刺激を与えてくれる。

 昔ロシアの或る田舎に一人の貧しい百姓が住んでいました。自分の所有地が少ししかないので「もつとたくさんの土地がほしいなあ」と言い暮らしていまし た。すると或る大地主がそれを聞いて『では、これから馬に乗つて、夜までの間に、ほしいと思う廣さの地面を廻つておいで。そうしたら、その地面をそつくり おまえにあげるから--』といいました。

 百姓は大喜びで、さつそく馬に乗って出かけました。百姓は一坪でもよけいに地面をもらおうと思い、できるだけ遠廻りしてかけて行きました。昼が来ました が、食事をする暇もおしく、先へ先へと進みました。気がつくと、太陽はいつのまにか地平線のかなたに沈もうとしています。けれども、もう少し、もう少しと 思って、なお先へと進みました。おなかはペコペコ喉もからからです。日はとつぷりと暮れて道さえわからなくなりました。

 そこで百姓はあきらめて、帰途につきました。しかし、馬は疲れているので、いくら鞭を加えても走りません。百姓のように疲れてたおれそうです。けれども 今夜中に家に帰りつかなければ、折角、慾張つて廣くしるしをつけて来たその地面ももらえません。それで、息たえだえの中から、鞭を馬にあてて家の方へとか けて行きました。そしてやつと家に帰りついて、やれやれと思うと同時にあまりの疲れのため、百姓の息はたえました。

 この慾ばりの百姓は、一体どれほどの地面を大地主から貰つたのでしょうか、彼の得た地面というのは、自分のなきがらを埋める六尺にも足らぬ狭い地面だったのです。

 これはトルストイの童話にある有名な話ですが、これに似た事実物語をあなたは聞かなかつたでしょうか。野心満々の政治家や軍人が、領土をひろげ、権力慾 を満足させようとして、周囲の弱い国々を侵略し、とうとう精根尽き果てて、一敗地にまみれ、自分のみか、国民全体を塗炭の苦しみに泣かせて、却つて旧来の 領土をさえ狭めてしまつたという「イワンの馬鹿」を笑えない実例をあなたは実際に知つているはずです。

 世界歴史をひもといて見ても、そこにはたくさんのいわゆる英雄偉傑が、この童話の主人公と同じ運命を辿つているのを知ることができるでしょう。シー ザー、ハンニバル、ナポレオン、近くはヒツトラー、ムツソリーニなど、みなそれです。シーザーの如きは、ガリヤを征服したのを手始めに、各地に侵略して ローマの版図をひろげ、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、ブルタス、カシウスのためにローマの議事堂で刺し殺され、カルタゴのハンニバルも、古来屈指の 名将とうたわれましたが、シピオの一戦に破れて国外に追われ、ローマ人に捕らわれるのを怖れて自ら毒を仰いで死にました。さらにナポレオンに至っては、西 ヨーロッパをその馬蹄の下に蹂躙しましたが、慾張つてロシアに攻め入ろうとして成功せず、次いで、ウオターローの戦に敗れて世界征服の野望も空しく、セン トヘレナの孤島に、配所の月を眺めつつさびしく生涯を終わりました。

こうして、侵略戦争の下手人たちの末路は古来きまっています。そして、この侵略者を出した国家は亡び、その国民は流浪することになるのです。国破れて山河 あり、嘗ては世界歴史の上に輝かしい名をとどろかせたが、今はその後さえない国や、名はあつても昔の面影をとどめない国になど、あなたがたはその幾つかを 知つているでしょう。ジヨルダンというアメリカの学者は「バビロン、アツシリアが亡び、ギリシヤ、ローマの亡んだのは、全くその国の国民が、戦争好きでこ れ等の国の亡国は一つの退縮現象である」といつています。身のほどを考えずに膨れた風船玉がパチンと破裂して、しわくちやなゴムの破片を残すに過ぎないよ うなものです。全文http://www.yorozubp.com/0203/020303.htm

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