2001年7月アーカイブ

2001年07月31日(火)元中国公使 伴 正一

 参院選で大勝した小泉純一郎首相は一転、靖国参拝問題で厳しい判断を迫られている。亡き父・伴正一が昨年4月に戦犯合祀について「靖国神社は、国のため 戦陣に散った人々を顕彰する目的で創建されたものであり、いくら偉くても戦死者でない乃木大将や東郷元帥は祭られていない」と喝破した。戦犯合祀はそもそ も靖国神社の創設の精神に反しているという論旨の亡父のコラムを掲載する。
 どの国でも、祖国のために命を落とした戦士は、永く同胞の尊崇を受け、国によっては一家一門の誉れにもなっている。それだけでなく近代国家では、外国からの元首級の公式訪問に際しては、空港での栄誉礼と同じように無名戦士の墓に詣でることが慣例になっている。

 日本の総理も外国へ行ったときはその国の戦没者に花束を捧げているが、それは個人の資格で自由時間に立ち寄っているのではない。訪問している国への尊敬を表す重要な公式行事としてお詣りしているのだ。

 その総理が自分の国に帰ると、戊辰の役以降戦場に散った二百六十万柱の英霊には公式参拝を憚(はばか)らねばならぬというのだから事態は"いびつ"であ る。こんないびつな事態を解消できないでいる日本は、まだ国として完全には立ち直っていないと言われても仕方があるまい。

 解消できないで苦慮でもしているのなら分るが、そんな気配もないまま放置されているのだから、日本の国はやはりまだどこかおかしいのである。

 そこで公式参拝の是非を問う前に、遡ってその前提となっているA級戦犯合祀の適否を、純粋に日本国民の立場から考えてみよう。靖国神社は、国のため戦陣に散った人々を顕彰する目的で創建されたものであり、いくら偉くても戦死者でない乃木大将や東郷元帥は祭られていない。

 また、お参りしている人々の胸の中に、もっと生きることができたはずの戦友や身近な人に寄せる鎮魂の思い切なるものがあることも容易に察しがつく。

 我が国では「よくやった」という気持ちを表すのに、やや持ち上げ気味に"銅像が建つ"とか"神と祭られ"と言うことがあるが、神と祭られるという日本文 化特有の表現部分を除けば、靖国神社という顕彰形式には、外国の無名戦士の墓(碑)に相通ずる部分多々見受けられる。A級戦犯の合祀は、このような素朴な 感じで捉えてみて、果たして納得がいくだろうか。

 その上、国家指導者としての功罪いかんともなれば、邦家の隆替に深くかかわりながらその責めを全うし得なかったという結果は歴然としており、「罪、萬死 に値す」として自ら死を選んだ古武士的風格の士のあることも思い合わせると、将来とても国民一般の評価がプラスに転ずることはなさそうに思われる。

 そうなると戦死の解釈を広げて合祀を正当化する根拠は益々乏しくなるのではないか。

 法的には戦争が終っておらず、死刑が敵国だけからなる裁判の執行として行われたという理由で処刑を戦死に準ずるという見解も理屈としては理解できるが、 まともに考えて日本人の道理感覚に添うものとは思えない。A級戦犯の合祀問題は我が国独自の立場で是正すべき事柄である。そしてそれが実現すれば、公式参 拝問題は自然に消滅する性質のものでもある。

 中曽根内閣時代、総理の公式参拝が日中間の問題になっているころ、私はかねて交友のあった文遅大阪総領事から夕食の招待を受けていた。旧交を温める場で はあったが丁度いい機会なので、こちらから靖国神社の話を持ち出す。 陪席館員の剣幕が凄くて論争気味になったとき、始めのうちは口数が少なかった文遅氏 が話を取って物静かに弁じ始めた。

 日本に対する賠償放棄にあたり、周恩来がその根拠として用意したのが「悪かったのは一握りの軍国主義者で、日本人民は中国人民と同じようにその被害者 だった」という論理でありそこから「結果的に日本人民を苦しめることになる賠償は取るべきではない」という結論が導き出されたと言うのである。

 それなのに"一握りの軍国主義者"が祭神に列している靖国神社に、内閣総理大臣が公の資格で参拝となると、周恩来の苦心は何だったのかということにな り、中国側としては黙っていられないというのが文遅氏の説明だった。相手の立場になってみればそれも分る話だと私には思えた。

 それからしばらくして、中国大使館の次席である丁民公使が、同じ趣旨の説明を当時の自民党、二階堂幹事長にしたと報ぜられたが、記事の扱いは首をかしげるほど小さかった。

 中国側は、賠償を放棄するのに理由までつけ添える要はあるまいという感触だったのかも知れないが、その時はその時、今となって更めてこちらから事情の解明を求めるのは軽率、というより不見識と言うほかはない。

 中国側が今の段階でどう考えていようとも、我が方は純粋に国内事項としてA級戦犯合祀の不手際是正に取り組むことが肝要であって、その解決が自ら全体の解決につながって行くのだという自信たっぷりの構えでいることが切に望まれるのである。

 魁け討論春夏秋冬 http://village.infoweb.ne.jp/~fwnp3224/ から転載。
 ご意見は mailto:simanto@mb.infoweb.ne.jp へ。

2001年07月30日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 参院選の開票速報を見ながらこのコラムを書いている。今回ほど戸惑いが多かった選挙はない。結果は自民党が大勝利した。というより小泉純一郎の勝利だった。

 各政党が「改革」を訴えたため、対立軸がなくなった。小泉首相だけが目立ち、小泉首相を上回る迫力で国民に危機感を訴える野党党首がいなかったことが選挙を面白みのないものにした。そういう意味で民主党の鳩山氏には相当の責任がある。

 野党勢力の後退が今後の自民党政治にどのような意味を持つのか分からない。選挙期間中から与党幹部からすでに株価対策や秋の景気対策への言及が始まって おり、小泉首相にとって公約を貫徹するプレッシャーはますます強まった。国民の選択は改革を約束した小泉純一郎内閣への支持であり、かつて自民党を牛耳っ た亀井静香氏や野中広務氏ら守旧派を支持したものでないことはわきまえて欲しい。

 ●国民総資産の7割が国債で運用

 さて財政問題である。一部のエコノミストが小泉内閣の財政運営に対して「緊縮財政」と批判している。しかし筆者は「30兆円も」と言いたい。90兆円の 歳出規模から地方への交付金と過去の国債の利払い費用を差し引いた純粋の意味の国の歳出である「一般歳出」が40兆円規模であることを考えれば、30兆円 の新たな借金は国債発行は決して少ない額ではない。小渕、森内閣がとんでもなく放漫だっただけで、小泉内閣でも「放漫」が続いていると言わざるを得ない。

 日本の個人資産が1400兆円あると言われる中で、2000年度末の国と地方の借金は約640兆円。このほかに郵便貯金などを財源とした財政投融資事業 の借金残は約400兆円ある。財政投融資の5分の1は国債購入に回っているから、その分を差し引くと国民に対する国の借金は950億円を超えることにな る。

 恐ろしいことに、われわれの資産の7割近くが国債で運用されている勘定になる。ニワトリとタマゴの関係にあるが、これだけ国が借金すれば民間企業への融 資が増えるわけはない。この10年間に国と地方の借金の規模は2・4倍に増えているから、国の借金がこれまで通り増え続けると10年を待たずにこの割合が 10割を越すことになる。

 国民の資産は、貯蓄と保険に加えて企業活動の資金源となる株式投資も含まれている。だから国の借金が国民の資産を上回るにはよっぽどのことがないかぎり、10年もの年月を必要としないことになる。

 国の借金が国民の資産総額を上回れば、あとは外国からの借り入れ、もしくは日本銀行による引き受けしかない。「通貨が堕落する日」がやってくることが分かりながら、まだ景気うんぬんに言及する政治家の意識を問わざるを得ない。

 ●求められる生活切り詰めの覚悟

 名目GDPは1997年度のピーク時の520兆円から2年間で17兆円も減少している。これだけ借金して景気対策を実施した上で日本の経済規模は確実に縮小しているのである。

 この中から、過去の借金に対する金利を払い続けなければ、経済は成り立たない。幸いにも低金利のおかげで利払いは続いているが、金利が普通に戻れば金利の支払いすら難しくなるのは自明の理である。

 しかしよく考えてみれば、950兆円の借金に2%の金利を支払うとすれば、日本全体で年間19兆円の資金が必要になる。500兆円規模のGDPで19兆 円を支払うとすると3.8%の経済成長が不可欠。そもそも3.8%成長などは現在では夢物語だから、生活費そのものを切り詰めなければ、利払いは不可能と いう計算になる。

 われわれは「借金には返済できる限度というものがある」ということを日常生活で知っている。問われているのは、われわれに生活を切り詰めるだけに覚悟が できた上で小泉内閣を支持しているかということである。つぶれるのはゼネコンと巨大スーパーだけではない。過去の享楽の日々のツケは確実に国民一人一人で 支払わなければなくなる。

 ●忘れてはならない国債増発による8兆円減税

 財政の負担で大きいには公共事業ばかりでないことは前回書いた。忘れてはならないのは、小渕内閣による99年度の「8兆円減税」という大判振る舞いであ る。橋本内閣が景気対策として実施した個人に対する「2兆円の減税」は98年5月の景気対策ではさらに2兆円上乗せとなった。98年12月に99年度の減 税では法人税だけでなく、住宅取得減税もさらに拡充され総額8兆円になった。このおかげで平均家庭で390万円までの年収には所得税がかからないことに なった。

 景気対策として実施したものであるところから政府は「恒久的減税」と表現している。それはそうだろう。その前の年に消費税が3%から5%に引き上げられ たほかに財源はない。ほとんどが赤字国債で賄われており、恒久的減税を元にもどせば、小泉内閣の掲げる国債発行限度額は少なくとも25兆円前後で済んでい たという事実は知っておいた方がいい。

 今回の参院選に対するご意見はよろずBBShttp://www.yorozubp.com/BBS/へ。

2001年07月02日(月)萬晩報主宰 伴 武澄

 90年代、日本政府は100兆円に及ぶ景気刺激策を実施した。萬晩報でも何度か「土建国家」などとののしった経緯がある。ところがどうも様子が違う。国 と地方を併せた日本の公共事業費は予算ベースでは増えているが、支出ベースでは95年度をピークに急角度で減少しているのだ。

 日本の年間GDPはほぼ500兆円。小渕内閣になってから98年度に2回にわたる景気対策で計15兆円強、99年度は3.5兆円、2000年度は4.7 兆円の公共事業費の追加を余儀なくされた。15兆円はGDPベースで3%、3.5兆円ですら0.7%。本来、公共投資は波及効果があるとされ、投下した事 業費を上回る経済効果が期待される。仮に波及効果がゼロであったとしてもGDP押し上げ効果が3%から0.7%あってしかるべきなのに、名目値での成長率 はこのところマイナスが続いている。

 おかしいなと思いつつ同僚記者と議論した。数カ月前のことである。

「これだけ公共事業費をつぎ込んでいてGDPが上向かないのは不思議だと思わないか」
「そりゃおかしいと思いますよ。でもそれだけ日本経済が落ち込んでいるということじゃないですか」
「俺は公共事業が本当に実施されているか疑問視しているのだが、どう思う」
「そんな、予算につけたものは完全消化するのが役人でしょ。そりゃないはずですよ」
「だけど、決算書で具体的に検証したことあるの?」
「見たことはないですが、端数は別として予算と決算の内容が乖離することなんて考えられない」

 しばらく経って、くだんの同僚記者が十ページほどの決算書のコピーとともに現れた。

「すごいですよ。やっぱり減っていました」
「そうだろう。ちょっと見せて見ろ」

 地方の公共事業費の予算(地方財政計画))と決算が大きく乖離しているのは1月に総務省が発表した資料で分かっていた。99年度は当初予算と追加策で 19兆円もの予算をつけておきながら実際には12兆円しか使っていない。追加策どころか当初予算さえ十分に使っていなかったのだ。

 政府の予算は絶対といっていいほど前年度比マイナスにはならない。だが、その資料を読むかぎり地方財政のつまずきから予算に計上しても実施できない状況はここ5年間ずっと続いていたのだ。

 地方ほどではないが、国の公共事業費でも同じことが起きていた。98年度には3兆円ほどの予算を余し、99年度も2.7兆円を使い残した。

 役人の説明では「秋に景気対策が成立しても、年度内に事業を立ち上げるには時間が足らない。残った事業はすべて翌年度に繰り越しているから、景気の下支えにはなっているはずだ」というものだった。

 しかし、例年、秋口に「このままでは政府の成長率見通しが達成できない」という理由から景気対策が打たれてきたのではなかったか。その景気対策がその年 度の成長率に寄与できないのなら、はじめから「この対策は今年度の成長率に寄与しない」と名言すべきだった。机上の計算ではあるが、年度内に執行できてい れば、0.5-0.6%のGDPが上乗せとなる金額の公共事業費が実は使われなかったというのが実状なのである。そう説明しなかったのだから、これは国民 に対する「詐欺」だ。

 公共事業費が年々増加しているような錯覚をしたのはあくまで予算ベースで事業費が増えてきたからで、支出した決算ベースで見る数値は逆に減少しているのが現実なのだ。

公共事業の実施状況の推移
 
GDPベースの
公共投資額
国の歳出予算
国の歳出額
国の未消化額
95年度
43兆3612億円
15兆8170億円
12兆7949億円
3兆0221億円
96年度
41兆9753億円
14兆1905億円
12兆3402億円
1兆8503億円
97年度
39兆5929億円
12兆3007億円
11兆0670億円
1兆2337億円
98年度
39兆5280億円
16兆0707億円
13兆0342億円
3兆0365億円
99年度
38兆4417億円
15兆6786億円
12兆9722億円
2兆7064億円
(注)GDPベースは国、地方、高速道路など財政投融資を含む金額

 では100兆円にも及ぶ国債はどこに使われたのだろうか。一つは減税である。もうひとつは不良債権の穴埋めである。それから地方交付税の割り増し分であろうと思う。決算ベースで見る国債発行金額を眺めれば一目瞭然だ。(続く)

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