2001年2月アーカイブ

2001年01月28日(日)   GreenDoor経営 宝田 時雄

 糜爛(ビラン)文化の写し絵でありながら中央思考の強い雑薄な人間が集い、情報というガセネタが飛び交う東京を中央と勝手に呼び、その他の地域を身勝手にも地方と錯覚している。

 地方といえば「文化程度が低い」はたまた「インフラ整備が遅れている」だから「食っていけない」などと評価したり、そんな御仁に限って隣国やアジア地域 を「遅れている」「後進国」などと呼称している。地図上の呼称である「何々地方」はあるが、都会人が哀愁なのか、それともたまに出かける物見遊山の想い出 からか、「地方の文化」などと褒め上げても鼻白む思いがする。

 中央と呼んでいる都会とて,一旗上げようと上京したものや、何代前は鹿児島だとか、北海道だとか、江戸にさかのぼれば三河から連れられてきた職人さんだとか、所詮,寄り集まりの「無い混ぜ文化」でもある。

 そんなところでも居心地がイイのか,功成り名を遂げ、ついでに利を得た政治家がいつまでも中央に滞留している。待てば海路の日よりかな、褒賞狙いもいれ ばパーティの挨拶役など、早く出身地に戻って後進の指導でもすればいいものを,そんなのに限って何年前かの悪事が露呈してお縄になる勲章持ちもいる。地方 としても帰ってきて威張られたのではかなわないとばかり,揉み手で床の間に座らせ利権獲得のメッセンジャーに仕立て上げている。

 もともと中央というものが政治の中心とはいっても江戸築城のころは開発地域であり職人飯場のあつまりのようなもので、女性は飯盛り女か遊女。まともなの は?大店の女中か武家の腰元ぐらいで,男も熊さん,八っあんの長屋話のようなもの。約8割近くが独身だったそうで、ときおり嫁話があると「越後屋のお手つ き女中をもらった」などと自慢の種になったようだ。立身出世の絵物語ではないが、家柄や出身校という風袋を自慢する昨今とひとつも変わりがない様相であっ たようだ。

 あの鬼平犯科帖で有名な長谷川平蔵が活躍した前後は、今と同じく若者が集まれば衣類やかんざしといつた装飾品を自慢しあったり、男は何々道場で稽古をし ているとか、脇差は誰の銘があるものだとか、今と変わらない浮俗の態であった。余談だが、徒人と称して,罪まではならないが日がなブラブラしている遊び人 を石川島に連行して石組みなどの殖産事業を行ったのも平蔵である。

 そんな江戸の庶民ではあるが,しばらく住むと地方出身者を「田舎もん」とか「きたれもん」呼んだりしているが、どうも似たり寄ったりで変わりがない。面 白いことに当時の感覚も、北を背にして西を向き,文化は西からといった考えが強かったようだが、大いなる田舎人、まさに「江戸東京人」の面目躍如といった ところである。

 維新の薩長とて,先ずは進駐軍の威光もさることながら江戸武家や庶民文化の習得に努め一時の中央風情に浸ったものだ。

 出身地では出目とか家柄があり、なかなか『旅の恥は掻き捨て』といった解放感は無いが、その『掻き捨て場』はいたる所にあるのも煩雑とた中央の特徴でも ある。なかにはのっぴきならない事情を抱えて東京に来るものがいるが、ここでは民主とか人権意識がはびこり,虚勢と錯覚によって程いい営みができる重宝な 地域でもある。

 ないよりはあったほうが良いと思われるくらいで、なんら人格を表現することのない地位,名誉,学歴、財力は附属性価値として本質とはかけ離れた虚勢の道 具立てにはなる。あるいは暴力,詐欺、奢を、勇気や知識、幸福と置きかえる錯覚に安堵するような出稼ぎ根性の一過性価値も、自由と人権と民主の名のもと に゛生き生きと活力を持って゛細菌の如く繁殖している。それらは本物の゛出稼ぎ゛の真摯な労働まで蔑んでいる。

 もともと国内の文化交流は物質交易や、体制制度としての交替。庶民においては神社仏閣等の講による代参などがあるが、戦国時代などは公家落ち,平家落ちが各地に散り、鎮まりをもって特徴のある地域文化をつくりあげている。

 それは゛落ち゛という境遇に加え情報の集約地域であった京の地域性からくる広い知見や、やもすれば糜爛した中央の諸芸や裏返しの゛はかなさ゛や風雅が、寂寥な心の境地と豊潤な自然とあいまって,より高度な心の゛置き所を゛薫醸している。

 しかも、そのなかでも棲み分けがあり、分別もある狭い範囲の掟(陋規)である地域独特の生活規範をつくりだしている。心底には京への望郷や回帰への願望 が強靭な精神の持続をたすけ、また゛落ち゛の遠因となった爛熟,糜爛,堕落を戒めたしきたりを伝統化して回帰と誇りの精神維持に勤めたのです。

 現在はその地方にスポットをあて,中央のシステムや権限を移す動きがあるが、つまるところ、自制の欠如から有り余る陳腐な富と煩雑な情報に息が詰まった 中央の自堕落した姿の塗り替えに他ならない。なかには偽の地方もあって権限拡散を利権の拡散として予備段階での受け皿として既成事実を作り上げているもの もいる。

 地方的とは地方なりに何を学び何を覚醒するかが問題である。なにもインフラが整備されたから設備を地方に移すとか、ゴミ処理事業に 補助金をつけて自営させることが地方ではない。

 山が高いから削り,谷が深いから埋める。これは政策ではない。自然の循環をなぞっているだけだ。  故事に『平ならずものを平すれば平ならず』とあるが,平らでないものを平らにすれば不平がでるということだ。能力や特徴の違いがある地方や、あるいは人物をたかだか人間がつくつた評価基準で耳障りのイイ平等観念を振りまかれたのでは、おのずと不平は出る。

 はたして地方のどこがよくて地方と言うのか。地方的なのか地方性なのか、自然なのか人間なのか。どうも判別がつかない流行言葉だが、それとも中央が難儀なので帰りたいのか。そんな婿養子の戯言にも聞こえる。

 よく改革は地方からといわれるがシステムや制度が整っているからではない。簡単に言えば「躾」という習慣学習ができている人間が多くいるからだ。それは 中央の集約される情報を価値として迎え入れるだけではなく、情報の中にあるインテリジェンスを選別する習慣学習の基礎となる分別と、自然の循環を栄枯盛衰 の習いとして見分けることが可能な゛鎮まりの英知゛があるからだ。

 つまり地方をどうするかより厳存する地域文化から学ぶことがマニュアル化されヒステリックになった飽和国家の応用力ではないだろうか。

 科学的根拠と言う代物に生活スタイルそのものが安易にマニュアル化され、政策頓智すら編み出せない中央の環境。その環境にあるものを「中央」と呼び,地 方政治も同様に中央集権の分配ステーションとして各地の功利的デリバリーを呼びみ、法人で言えば現地法人として見られている名目自治体も、体裁はいいがシ ステムの内情は似たり寄ったりの機構の小型化が大部分である。

 最近,石原都知事も自治の回復を唱えて脚光を浴びているが、足元の実態は生半可な事では覚醒しない。どこでもそうだが公選の弊害か出先首長の腰が落ち着かない。

 こんなことをいうと時代が違うとか現地を見なければ、などと゛なるほど゛という舌ハナシが飛んでくるが、どうも世間の騒情が気になるのか、鎮まりのなか で孤高な精神の涵養が適わないようだ。まるでお茶ッ引きの麗女が入り口のドアを気にする風でもあるが、そんな首長に限って盛大な送別会の宴のあとに悲哀を かこうものだ。


2001年02月23日(金)   萬晩報主宰 伴 武澄

 有線放送大手の「有線ブロードネットワークス」(usen)が最近、光ファイバーによる毎秒100メガビットの高速インターネット接続サービス「ファイ バー・ツー・ザ・ホーム」(FTTH)を開始すると発表した。都内紙の扱いは小さかったが、これこそ日本を本物のインターネットの世界に導く画期的サービ スだと小躍りした。

 毎秒100メガビットという速度はISDNの1500倍。記憶容量がほぼ500メガビットの「CD」の内容を1分以内で送信できるスピードで、DVDで も10分以内だ。もちろんこれはあくまで「最大」の速度で多くの通信が同時に行われればその分スピードは低下するが、テレビと同様の動画が送れるというこ とはインターネットテレビの時代が到来することに他ならない。

 注目は並外れた通信の速さだけではない。使用料金を月額4900円とし、NTTの半分以下に押さえた。また世界で初めて個々の家庭にIPアドレスを割り 当てるということだ。少し専門的になるがIPアドレスというのはコンピューターに付けられた住所で、ドメイン名の基になる10数桁の番号。家庭で接続した コンピューターがそのままインターネットのサーバーに転化できるということになる。

 ホームページをレンタルサーバーに転送する手間が省けるだけでない。それこそ個々の家を月々4900円であっという間に放送局化にすることすら可能にし ている。もちろん24時間接続だから、FTTHの普及が進めばインターネット電話の普及も進み、家庭の固定電話が必要でなくなる日も近い。

 NTTは巨大は光ファイバー通信網を持ちながら、銅線によるISDN、ADSLと技術を小出しにしてきたばかりか、昨年から始めた光ファイバーによるイ ンターネットサービスでも10メガビットという低速接続からスタート。ブロードバンドの分野では消費者を愚弄するほどの技術の出し惜しみを繰り返してき た。

 有線ブロードネットワークスは、旧社名を「大阪有線」といい、かつては盛り場中心に曲を流したり、電話によるリクエストに応じてきた。1980年代から 光ファイバーによる400数十チャンネルの有線放送サービスを全国で展開。90年代以降に建設されたほとんどのマンションにはこの有線放送を導入。繁華街 だけでなく住宅地にも光ファイバー網を敷設して、これまでもNTT、電力会社に次ぐ光ファイバー網を保持する隠れた「IT企業」だった。

 NTTが技術を小出しにしてきたのはこれまで収益を生み出してきた自前の通信網の陳腐化が怖かったからに他ならない。ほぼ同時に固定電話のiモード版で ある「Lモード」を開始するなどというなんともちんけな発表をしている間にNTTにとって最も恐ろしい事態が非上場の民間企業によって成し遂げられたのだ から痛快である。宇野康秀社長は発表の席上、インターネット電話について「詳細は未定」と慎重な発言をしたがネット電話の本格実用化はそんなに遠い未来の ことではなさそうだ。

 FTTHのネットワークが全国に張り巡らせられることになれば、絵空事としか受け止められていない「5年後にIT分野で世界の最先端に躍り出る」という 森内閣のIT戦略が実現する可能性も出てきた。可能性どころかこの会社の強みは光ファイバー網を20年にわたり国内に張り巡らす経験を積んできた世界で唯 一の民間企業だったということだ。通信業界を支配するNTT・郵政族の動向はまだ不透明だが、よもやusenの可能性をつぶすような愚挙にでることはある まいと信じている。



 【読者の声】 本件で少し気になったことがありました。(後述)

 全体の主旨はまったくおっしゃるとおりです。NTTがあわてて値下げしたところをみても、 今までの価格は何だったんだ・・・というところです。

 政府の言うIT革命に評論家連中は何かとクレームをつけてます。まぁそうしないと食えない からでしょうが、私は政府に向けてのクレームは的はずれなことが多いと思っています。

 政府発表の「IT戦略」を一言で理解すると、通信インフラの整備と規制緩和です。政府の役割はこれだけでいいのですから(ホントはもっと重要なことがあるんですが、後述) 今の「IT、IT」の合唱は放っといてどんどんやらせればいいのです。

 米国がゴアのNII構想でFTTHを唱えながら日和ったのはコストです。メーターあたりの単価の高い光ファイバーは、無人の砂漠の多い米国の国土ではコ ストパフォーマンスが悪いんです。従ってXDSLなどのメタル通信技術が代替策として出てきました。国土が狭く人口密度の高い日本は、光ファイバーを敷く のに米国よりずっと有利な環境にあります。最も良い例はシンガポールです、光ファイバーの必要な長さはわずかなものでしょう。あそこなら、いずれ通信費は 何をやっても全部タダになるでしょう。

 もっと重要なこととは、国家安全保障上の戦略がこの通信分野に全く見えない。暗号化、システム・セキュリティ、通信危機管理対策に具体的政策がないということです。

 (ただ光ファイバーは盗聴がもの凄く難しいのです、従ってさっさとFTTHをやるのは有効です)

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> 2001年02月23日配信の「usenから始まる究極のネットワールド」の内容
> でビットとバイトを誤認する間違いがありました。お詫びして訂正します。
> 1バイトは8ビットです。また「100メガビット」というusenの伝送速度は
> 「最大」で多くの通信が同時に殺到すればその分、伝送速度が低下するのは現
> 在の電話線による通信と同様です。以下「差し替え訂正版」を配信します。
> ----------------------------------------------------------------------

 電送速度の低下について通常はこのようになりますが、この会社の発表内容もベストエフォ ートとなってますがかなりの確度で100Mを確保できるようです。技術的に突っ込んで聞 いてみたいので仮申し込みをしてあります。

 集合住宅での高速サービスでLAN方式を商品にしているところもありますが、この方式は セキュリティ上極めて危険です。(ケーブルTVも似たところがあり、セキュリティは甘くなります)サーバーやハブなど障害要素も多くなってるのでお奨めできません。

 また、100Mに対応するためにはISP(プロバイダー)のサーバーエンジンにもの凄い負荷がかかります。大変な設備投資資金が必要になるのでプロバイダーの淘汰が本格化するでしょう。当面はこのサービスに入ると同時にプロバイダーも変えることになるでしょう。

 有線ブロードネットワークスは、旧社名を「大阪有線」ですが、 大阪有線の時代にはかなり評判が悪かった。無断で電柱を利用して配線をしていて、監督官庁の注意にもそっぽを向いていたためかなり厳しい目で見られていました。

 数年前、現社長(二代目)になってから、社会的にもまっとうな姿勢になることを経営方針として打ち出していましたので、現在は大丈夫になったのじゃないでしょうか。(大塚寿昭)


2001年02月18日(日)   萬晩報通信員 園田 義明

■カリフォルニア電力危機

 昨年12月26日午後、グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長は、ワシントンを訪問中のデービス・カリフォルニア州知事と会談する。この時、卸 売電力価格の高騰で経営が悪化しているカリフォルニア州の最大手電力会社パシフィック・ガス・アンド・エレクトリック(本社サンフランシスコ)と同2位の サザン・カリフォルニア・エジソンの2社の状況について意見交換を行う。

 異例の早さで会談が実現したため、ただならぬ気配を感じていたが、情報技術(IT)の最先端を走る同州の中部、北部で計画停電が発生した。

 ブッシュ大統領は1月18日、CNNなどのインタビューで、カリフォルニア州の電力危機に関連して、同州の自由化政策に「欠陥がある」との見方を示し た。ただ、自由化そのものは否定せず、高騰を続ける電力卸売価格に上限を求めてほしいとする電力会社の要請については「問題解決にならない」と否定的な考 えを明らかにした。

 ブッシュ氏はさらに、「環境規制などのために発電能力を最大にできないのも問題だ」と述べ、厳しい大気汚染規制などにも電力不足の原因があるとの見方を 表明し、同州では発電所の建設とともに、燃料を発電所に送るための「パイプラインも必要だ」と語る。エネルギー問題全般に関連して、アラスカの自然保護地 域での石油や天然ガス掘削にも改めて意欲を見せた。「政府が所有するすべての土地を調べ(掘削の是非などを)検討する」としている。

 ちょうど同じ頃、米国の民間シンクタンク、ワールドウォッチ研究所は2001年版の地球環境白書を発表し、21世紀に入って地球環境は「危険な岐路」に差し掛かっていると警告し温暖化防止などで日米など主要国に一層の努力を迫った。

 「2001年世界の状況」と題した白書は、世界の環境破壊が加速度的に進んでいる半面、環境問題に取り組む政治的弾みが失われているとして、昨年にオラ ンダ・ハーグで開かれた気候変動枠組み条約第6回締約国会議の失敗を批判。「政治指導者が国際的な諸条約を履行しなければ、これまで数十年間積み上げてき た(環境面での)進歩は損なわれる」と強調した。

 おそらくワールドウォッチ研究所の警告は、ブッシュ政権の特性を見抜いた上で発信されたものであろう。しかしブッシュ政権は独自の持続可能な経済政策を 構築しようとしているようだ。ここに21世紀のしたたかな戦略が見隠れしている。ここでその顔ぶれをオイルに焦点をあてて紹介しておこう。

 ■オイルマン政権の力学

 ジョージ・ウォーカー・ブッシュ大統領も父親同様、石油・ガス探削会社出身でありブッシュ家自体がオイルビジネスとは切ってもきれない関係にある。名門 一族とあって、そのオイル人脈は、極めて重要な人物を政権に集結させる。やはりオイルこそがアメリカにとっての生命線なのだ。

 【チェイニー副大統領】これまでに大統領主席補佐官(フォード政権)、連邦下院議員(ワイオミング州)、国防長官(1代目ブッシュ政権、 湾岸戦争を指揮)を経て1995年に石油関連会社ハリバートン社のCEO(最高経営責任者)に就任する。ハリバートン社は世界第2位の石油関連サービス会 社で、石油の採掘や技術供与などのサポートを行っている。またユニオン・パシフィック社やP&G、EDSの社外取締役を務め、有力シンクタンクAEIやア スペン研究所のメンバーである。実質彼がオイルビジネス界全体を代表するインナーサークルの中枢にいる人物である。

 【ライス国家安全保障担当補佐官】スタンフォード大学の教授。石油メジャー、シェブロンやチャールズ・シュワブの社外取締役を務め、J・ P・モルガン国際委員会メンバーであった。国際委員会会長であり、インナーサークルの権化とも表されるジョ?ジ・シュルツ元国務長官と厚い信頼関係で結ば れている。(「市場主義」対「伝統経営」参照 http://www.yorozubp.com/0004/000414.htm

 【オニール財務長官】製紙大手インターナショナル・ペーパーの社長を経て86年にアルミ最大手のアルコア入りし、87年から99年まで CEO兼会長を務めた。グリーンスパン米連邦準備理事会(FRB)議長もFRB入りする直前にはアルコアの社外取締役であり、これまでふたりは長い信頼関 係を築いてきた。金融界出身ではないが、ルーセント・テクノロジ?社の社外取締役を兼任し、アメリカの経団連と呼ばれるビジネス・ラウンドテーブル、ビジ ネス・カウンシル、カンファレンス・ボードのメンバーを務めてきた。チェイニー副大統領と同じくAEIや国際経済研究所、ランド研究所の役員でもある。

 【エバンズ商務長官】天然ガス・石油会社トム・ブラウン社のCEO兼会長。ブッシュ家とはビジネスパートナーとしての関係を超えた家族ぐるみの付き合いが続いてきた。トム・ブラウン社は『ある会社』と関係が深い。

 【ゼーリックUSTR代表】プラザ合意、日米構造協議、日米自動車摩擦など主要な対日政策にかかわった知日派。ブッシュ陣営のフロリダ開 票監視団相談役かつ広報責任者を務めるジェイムス・ベイカー元国務長官がレーガン政権下で財務長官だったときに抜擢された。ゴールドマン・サックスのイン ターナショナル・アドバイザーや『ある会社』のアドバイザリー・カウンシルを務めてきた。彼もアスペン研究所のメンバーであり、CFRやブルッキング研究 所にも所属している。

 【カード首席補佐官】ブッシュ前大統領の下で首席補佐官代理や運輸長官を務めた父親人脈の一人で、大統領選を控えた昨年夏の共和党全国大 会を取り仕切った人物である。93年から98年まで米自動車工業会専務理事として日本の自動車市場の開放で数値目標の設定を強く求め、閣僚から業界ロビイ ストへの転身としても注目を集める。そして99年にはゼネラル・モーターズ(GM)の副社長に迎えられた。

 ■GM、トヨタそしてエクソン・モービル VS ダイムラークライスラー

米自動車最大手ゼネラル・モーターズ(GM)と日本自動車最大手トヨタ自動車は1月8日、北米国際自動車ショーで、米石油最大手エクソンモービルも加えた 3社で次世代自動車となる「燃料電池車」の技術提携で合意。そしてその方式をガソリン改質とすることも発表した。ここに21世紀に向けたシナリオが鮮明に 打ち出される。

 日本政府も時を合わせるかのように経済産業省が燃料電池分野での日本主導による国際標準化を目指すとの方針を発表した。1月22日に「燃料電池実用化戦略研究会」がその概要を最終報告書にまとめた。

 この巨大連合に対して1月2日にはダイムラークライスラーが次世代環境対応車とされる燃料電池を搭載したバンを2002年の予定を前倒しして今年中にド イツ・ハンブルクの運送会社に試験的に納入する、と発表している。また、2004年までに約10億ユーロ(約1090億円)を燃料電池開発に投入する方針 も明らかにした。このダイムラークライスラーが採用する方式はメタノール改質である。

 なにやら壮絶な情報戦が繰り広げられているようだ。そして世界標準をめぐるガソリンかメタノールかの争いが各国政府を巻き込んで始まったようだ。

 ■トヨタが巻き起こす変革の嵐

 2000年は日本にとって経営革命の年であった。欧米流の取締役兼任制が業界の垣根を超えて確実に広がりつつある。その中核がトヨタ自動車である。日本経済新聞からその経過を追いかけてみよう。(日付は掲載日)

00年 5月23日 さくら銀、豊田章一郎氏ら社外取締役に。
00年 9月27日 三和などの3行統合、社外取締役に奥田トヨタ会長。
00年11月16日 あいおい損保、社外取締役に張トヨタ社長。
00年11月30日 野村が経営諮問機関、奥田トヨタ会長ら社外の5人が助言。
01年 1月 4日 NECの経営諮問委、張トヨタ社長らが社外委員に

 また奥田トヨタ会長は、ウシオ電機の牛尾治朗会長とともに省庁再編の目玉である経済財政諮問会議のメンバーにも選任されており経済全般の運営や財政の運 営、予算編成などの基本方針を審議することになっている。このトヨタ自動車もインターナショナル・アドバイザリー・ボードを設立しており、年2回の会合を 行っている。メンバーには世界的な政財界人が集結しているが、ここにポール・ボルカー元FRB議長が参加している。世界の動きをいち早く入手できる人脈を 有している。

 当然のことながら「燃料電池実用化戦略研究会」にも渡辺浩之トヨタ自動車常務取締役が委員となっており、茅陽一東京大学名誉教授が部会長を務める「総合エネルギー調査会」総合部会にも奥田会長が委員となっている。

 ■燃料電池実用化戦略研究会

「燃料電池実用化戦略研究会」は、小型燃料電池(固体高分子型)の普及、実用化に向けての戦略について検討するために1999年12月に資源エネルギー庁 長官の私的研究会として設立された。燃料電池実用化戦略研究会委員には部会長として茅陽一慶應義塾大学環境情報学部政策メディア研究科教授があたり、日産 自動車、旭硝子、大阪ガス、東芝、東京ガス、本田技術研究所、東京電力、コスモ石油ガス、日石三菱、トヨタ自動車等が民間から参加している。

この燃料電池実用化戦略研究会の第4回会合(2000年4月18日)が通商産業省国際会議室で開催され、この時にはゼネラルモーターズ(GM)のルドル フ・A・シュレイスが「ゼネラルモーターズの燃料電池施策及び燃料電池戦略についての概略」を発表した。  その中で、GMは燃料電池の研究を30年前から実施しており、人員的にも300名程度が燃料電池に係っていることやメタノール燃料に関してはインフラ、 経済性、安全性などであまりに多くの課題があり商業ベース上現実的ではないと考えており、特に安全性については、弁護士とも相談した結果、有毒なメタノー ルを自動車に搭載することは望ましくないという結論に至っていることなど非常に興味深い内容が発表された。この会合の最後には定置型に関する検討を目指し て住宅メーカーなど参加を呼び掛ける方針が打ち出された。

 今後具体的な研究開発は、財団法人「新エネルギー財団」が自動車、電気、ガス、石油、住宅、商社など関連230社に参加を呼びかけ1月末に数10社規模で「燃料電池実用化推進協議会」を設立し、研究を進めながら必要な政策を提言することになっている。

 さて彼らの究極の目標が、1月22日にネットで配信された。それは2020年には原発10基分に相当する約1000万キロワットを家庭やオフィスなどで 発電するとの過激な内容である。しかも事実上の政府目標となるもので、大規模発電所から分散型電源への転換を加速し、長期的な国のエネルギー政策にも大き な影響を与えることになる。20世紀を支えてきた原発に対する挑戦の姿勢があからさまに打ち出された。とうとう日本も土台からなにかが動き始めるようだ。

 ■日本に飛び火する電力自由化論争

 カリフォルニア電力危機の余波は、日本にも飛び火する。1月19日にその熱い議論の火蓋がきられた。表面的には「経済産業省・公正取引委員会VS電力業界」の構図となっているようだが、実際には深い闇が潜んでいる。

☆一回戦 「停電は最も質の悪い電気であり、同州の自由化は失敗であったと言わざるを得ない。(電力自由化が始まった日本でも)他山の石として参考にしたい」-1月19日、電気事業連合会の太田宏次会長(中部電力社長)

☆二回戦 「わが国も電力の完全自由化を考えているので、調査団を派遣し研究したい」-1月19日、平沼赳夫経済産業相
 政府は2003年3月をめどに現行の電力小売り部分自由化を見直すことになっているが、完全自由化を軸に検討する考えを示したのはこれが初めてである。

☆三回戦 「完全自由化なんてどういう発想から起こるのかわからない。よく勉強してからものを言ってほしい」「まだ(昨年3月からの部分自由化の検証など の)勉強もしていないのに発言するのがおかしい。大臣であろうがだれであろうがそういうことだ」-1月23日、電気事業連合会の太田宏次会長(中部電力社 長)

☆四回戦 「(米カリフォルニア州の電力危機について)海外での一つの事例であり、これによって電力市場で競争政策を進めるという基本線が変わるわけではない」-1月24日、公正取引委員会の山田昭雄事務総長

☆五回戦 「民間企業の代表者も加えた新たな日米経済協議の枠組みである『日米ニューエコノミー円卓会議』構想の実現に向け、訪米中の平沼赳夫経済産業相がエバンズ米商務長官に提案、米側も前向きな姿勢を示した」-1月26日、ワシントン

 電力自由化のトップを切ったのはイギリスである。90年に中央電発局の水平分割・民営化を実施し、95年には小口電力供給の完全自由化に踏み切った。こ のイギリスから始まった電力自由化は、欧州統合の柱としてEU加盟国全体で実施されることとなり(EU指令97年2月)2007年には74%まで自由化率 が引き上げられる。

 すでにドイツ、スウェーデンは100%実施されており、フランスは現在23%である。  こうした中でも今回のカリフォルニア州にような事例は極めて稀である。アメリカ国内でもすでに23州で電力自由化が進んでいるが、ここでも同様の問題は 発生していない。確かに今回のカリフォルニア州の問題を多角的に調査分析することは必要であるが、それが自由化そのものに結びつくものではない。

 日本の電力会社が抵抗する理由は別にある。98年に電力自由化が実施されたドイツでは、料金値下げ競争により八大電力体制はM&Aの嵐の巻き込まれる。 99年9月のドイツ2位のVEBAと3位のVIAGの合併、翌10月の1位RWEと6位のVFWが合併する。またRWEはスペイン最大のENDESAと資 本提携するなど、再編は国内に留まらず欧州全域に拡大していく。

 また電力自由化による料金値下げ競争は、欧州原子力発電を極めて困難な状況へと追い込む結果となっている。ドイツ、スウェーデンは原子力発電から撤退の 方向へと歩み始める。生き残りのために、仏フラマトムと独ジーメンスは、99年12月に原子力部門の統合で合意する。こうした海外の動向を「よく勉強して いる」日本の電力会社にまたしても夜も眠れぬ程の脅威が覆いかぶさってきた。その実体こそブッシュ新政権そのものである。

 ■エンロンの揺さぶり

 エバンズ商務長官がCEO兼会長を務めた天然ガス・石油会社トム・ブラウン社と関係が深く、ゼーリックUSTR代表がアドバイザリー・カウンシルを務め る『ある会社』とは、アメリカの総合エネルギー会社エンロンである。わずか創業15年で電力、石炭、風力、水道、通信から金融にまで手を広げ、世界48カ 国に拠点を有するエネルギー分野でのスター企業である。「規制緩和の旗手」を自認するエンロンが狙う次の標的こそがこの日本である。

 エンロンのケネス・レイ会長自身がブッシュ陣営の最大の献金者であった。またブッシュ新政権には、エバンズ商務長官、ゼーリックUSTR代表以外にもブッシュ政権を実質操ることになるベーカー元国務長官、モスバーガー元商務長官もエンロンの顧問を務めている。

 すでにエンロンは、昨年11月に米青森の六ヶ所村に液化天然ガス(LNG)を燃料とする出力200万キロワットの発電所を建設することを発表しており、 2007年ごろから東北、首都圏の需要家に電力会社を下回る料金で供給する予定である。将来は400万キロワットまで増強する構想も打ち出している。運営 するのはエンロンとオリックスが出資するイーパワーで六ヶ所村以外にも大牟田市や宇部市、北九州市、高知に火力発電所の建設を計画している。

 特に六ヶ所村は原子力政策の要となる核燃料サイクル基地であることから密かに憶測を集めている。エンロンは、同時に将来のサハリンと本県を結ぶパイプラインによる天然ガス輸送構想もにらんでいるようで、ここに日本の保守系政治家が反応しないはずはない。

「燃料電池実用化戦略研究会」の委員を務める国際的なエネルギー動向に詳しい金谷年展・県立保健大学助教授の次の発言は注目に値する。

「むつ小川原を狙ったのは、エンロンの経営戦略と米国の国際戦略が結びついた結果だと思う。大型火力建設が本来の目的ではないはず」
「米国は2003年を待たずに電力自由化の新スキームを示すよう日本に求めるだろうが、バックにエンロンがいることは間違いない。電力取引市場ができれ ば、実際の電力供給量の10-20倍のお金が動き、大きなビジネスチャンスが生まれる。IT(情報技術)や金融技術のノウハウを駆使して、先物取引などで もうけるのがエンロンの目的ではないか」

 そしてエンロングループが電力料金割引とともに発電所計画を発表した理由として金谷助教授は次のように分析している。

(1)世論を盛り上げ、電力自由化の流れを加速させる。
(2)放射性廃棄物が集中するがために国や電力会社に対して一定の発言力を持つ青森県の政治家を陣営に引き込む。
(3)サハリンからのパイプライン建設を早期に実現させ、天然ガスに関して何らかの権益を得る。

 見事な分析である。平沼赳夫経済産業相が真っ先にエバンズ商務長官と会談した理由もここにある。保守勢力を分断させる戦略が有効に機能している。

 またもうひとつ驚くべき推測もある。

 ■ラストリゾート論と対極の共存モデル

「エネルギーのゴールドマン・サックス」とも呼ばれるエンロンであるが、計画中の5プロジェクトの大形投資を肩代わりさせる出資者として「東京電力」の名 前が上がっている。確かに「燃料電池実用化戦略研究会」には電力会社から唯一東京電力の白土良一取締役副社長が委員となっており、雑誌「選択」2000年 9月号のインタビューでの南直哉社長の発言も見逃せない。

「エンロン流の経営は、ITを駆使しても原始的な資本主義ですよ。誰がインフラを整え、供給責任を果たすのでしょう。日米経済摩擦やNTT接続料問題のよ うにいずれ政府間の問題になるのは覚悟していますが、日本は『共存モデル』で対抗していかなければなりません。今の電気事業法でラストリゾートを義務づけ ている電力会社を解体すれば。供給責任は不経済な『官』に任せざるをえなくなります」

 ここで南直哉社長がNTT接続料問題を引き合いに出したが、実は六ヶ所村では巨額の債務を抱えて経営が行き詰まったむつ小川原開発計画を引き継ぐために 新会社が設立されており、この諮問会議座長に経団連会長でありNTTの社外取締役でもある今井敬氏が選出されている。NTT自体も東京ガス、大阪ガスと共 同で電力小売り事業を開始しており、時期的に考えてもNTT接続料問題とエンロンの六ヶ所村進出は政治的に日米間で複雑に絡み合っているようだ。

 さてこの東京電力であるが、2月8日、電力需要が伸び悩んでいることから原発も含めた発電所の新設計画を原則3-5年凍結すると発表する。しかし、翌9 日には南直哉社長が記者会見し、「(青森県や福島県の原発)4基は計画通りに進めたい」と述べ、原発は発電所建設凍結の対象外とすることを明言した。わず か1日にして原発の取り扱い方針の撤回を余儀なくされたのは政府や関係自治体の強い反発を受けたためである。特に最大の要因は、原発銀座のひとつである福 島県の反応だったようだ。韓国のソウル出張中の佐藤栄佐久福島県知事が4月にも予定している福島第1原発3号機へのウランとプルトニウムの混合酸化物 (MOX)燃料の導入に対して否定的な考えを示した。

 ■ブッシュ政権の環境戦略

 さてブッシュ新政権は、今のところ環境には優しくないようだ。1月29日にはエネルギー政策閣僚会議を招集し、議長にチェイニー副大統領を指名した。カ リフォルニア州の電力危機のような事態が発生するのを防ぐため発電所の増設が必要だとして、クリントン時代の大気汚染などに関連した環境規制の緩和を検討 する。同時に、アラスカの自然保護地域で原油や天然ガス開発を解禁にも乗り出すことを正式に表明する。

 今年のダボス会議でもブッシュ新政権の環境政策に対する疑問が強く出された。「地球温暖化対策はクリントン前政権より後退する」という見方が広がる。ま た、環境問題の分科会でも参加者から「ブッシュ政権は経済活動を優先して環境対策を後回しにするのではないか」という意見が多く出たようだ。

 こうしたなか、2月1日に「メタンハイドレート」に関するニュースが飛び込んできた。未来の有力なエネルギー資源となる可能性が指摘されているメタンハ イドレートの実用化研究で、2002年1月から、カナダで世界初の天然ガス生産テストを始めると発表した。テストは日本、カナダ、米国、ドイツの国際共同 プロジェクトで、深さ約1200メートルの永久凍土の掘削を主導する。

 深海の地中に眠るメタンハイドレートは低温、高圧の環境でメタンガスと水が結合して固体になったもので、日本近海のメタンハイドレートの埋蔵量は燃料に 換算して天然ガス約100年分とされ、採掘できれば21世紀の夢の資源になると期待されている。最近の温暖化議論でもにわかにこのメタンハイドレートに注 目が集まっている。現在ヨーロッパ沖のメタンハイドレートが、水温上昇によって爆発寸前となっているが、爆発すると莫大な量の温暖化ガスが大気中に放出さ れることになる。

 2月7日にはナイロビで開かれた国連環境計画(UNEP)の環境会議でも地球温暖化によって北極の永久凍土が解け温暖化をさらに加速する恐れがあることが報告されている。  残念ながら日本に掘削技術を求めるには無理がある。やはりハリウッド映画さながらに全世界が固唾を飲んで見守る中、ブッシュ大統領とともにチェイニー副大統領がハリバ?トンのヘルメットをかぶり深海に挑むのだろうか。

 その資金を支えるのはワールドウォッチ研究所と同じロックフェラー・ブラザーズ・ファンドかあるいはロックフェラー財団かもしれない。ここにアメリカの本質がある。

第一幕は http://www.yorozubp.com/0003/000329.htm

□参考引用
 週刊「エコノミスト」2000/9/12号
 奥村皓一 地域独占を崩す電力自由化の大波
「選択」2000年9月号・12月号・2001年1月号
 日本経済新聞、共同通信、時事通信、毎日新聞、朝日新聞、東奥日報、海外メディア、海外企業サイト
 経済産業省 http://www.meti.go.jp

 園田さんにメールはyoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp


 goishicha.jpg茶が世界の歴史を変えたことはあまりにも有名すぎる話である。中国に銘茶がなかったら、イギリスが中国人に阿片を大量に売り込むことはなかっただろうし、アメリカ独立の契機となったとされるボストンのティーパーティーもあり得なかった挿話である。

 固形茶は遊牧民族のビタミン源


 たいそうな話をしようというのではない。土佐の山間でいまもなお「碁石茶」という固形の茶を生産しているという話をしたい。高知県大豊町は高松と高知を結ぶ土讃線沿いの寒村である。碁石茶を生産しているのはもはや数件の農家でしかない。

 採れたての茶葉を大釜の上の桶に入れて蒸し、蒸された茶葉を屋内の板の上で平積みにする。発酵が進み5日ほどでカビが発生したころに大桶に1週間から 10日ほど漬け込み、これを一寸角に刻んで天日で乾燥させると出来あがりである。出来上がりが碁石のような形をしているところから碁石茶と呼ばれる。馬糞 茶と呼ばれたこともあるそうだ。

 日本で飲むふつうの茶は、茶道で使う粉茶もしくは急須に入れる茶葉の二通りが一般的。中国ではほとんど茶葉を使用するが、四川省、雲南省からビルマの シャン高原にかけて長らく「磚茶」と呼ばれる固形の茶を生産し続けている。チベットやモンゴルといった遊牧民族が使用する茶がほとんどがこの「磚茶」で、 固体の茶を熱湯の中に刃物でそぎ落としバターや牛乳を入れて煮込む。野菜の摂取量が少ない民族にとって茶は貴重なビタミン補給源なのだそうだ。

 土佐の山間で生産していた碁石茶はかつては讃岐まで運ばれ、塩飽諸島の船乗りたちに食されていたという。塩飽諸島の船乗りは遠くは塩飽水軍と称し、西方 の村上水軍と共に瀬戸内海の海運を牛耳った。幕末に勝海舟率いる咸臨丸が初めての太平洋横断を敢行した時の船員の多くは塩飽の人々だった。ひょっとしたら 遊牧民同様に船乗りたちにもビタミン補給が必要だったのかもしれない。

 茶を生んだ照葉樹林帯の広がり

 筆者の義理の父親は大工の棟梁で金融機関というものをあまり信用していない。若い頃より貯蓄をほとんどすることなく、生まれ育った山間に植林を続けた。 どれほどの広さか知らぬが、斜面を見上げながら「おまんの時代にはまだ切れんが孫や曾孫の時代にはふっとい檜に育つきに」というのが自慢である。これは余 談である。

 その斜面の木々を切ってしばらくすると生えて来るのが茶の木なのだそうだ。九州から紀伊半島南部にかけてのこの一帯は照葉樹林帯で、特に四国山地はつい 最近まで焼畑農業をしていた地域として知られている。明治初期の統計では、日本最大の茶の生産地は静岡でどういうわけか愛媛県が二位。宇治を抱える京都府 より多くの茶を生産していたという実績がある。伊予地方が殖産事業として茶の生産に力を入れたというだけでは説明がつかない部分がある。

 茶の木は弘法大師が中国から持ちかえったとされているが、どうやら茶の木が自生していた可能性もあるのだ。このことは守屋毅著「お茶がきた道」(NHKブックス)にも書かれ、司馬遼太郎の「街道をゆく」にも茶の自生について触れた個所がある。

 照葉樹林帯というのはカシだとかクスといった広葉樹が育つ地域で、雲南省から福建省、南部九州、四国、紀伊半島南部にかけてがまさにその照葉樹林帯に当 たる。四国の山間は日本で唯一、京大の文化人類学のチームが研究対象としたこともある地域としても有名である。日本民族の成り立ちについては諸説あるが、 朝鮮半島南部を経由したどうかは別にして焼畑農業を含めて照葉樹林帯の文化に共通性があると考えるのはロマンである。



2001年02月10日(土)   中国情報局 文 彬

 1984年度アカデミー賞で作品賞、監督賞、脚色賞、オリジナル作曲賞など7部門を受賞したハリウッドの名監督スピルバーグの「シンドラーズ・リス ト」(Schindler's List)が、鬼気迫るナチスの虐殺から1200人のユダヤ人を救った伝奇的なドイツ人―オスカー=シンドラーの勇気と人間愛を描き、世界中で大きな話題 を巻き起こした。それ以降、第二次世界大戦で身の危険を顧みずユダヤ人の命を助けた人々のことを「シンドラー」と呼ぶことが普通になっている。

 エルサレムにあるホロコースト記念館では、「シンドラー」たちの記録が75000件も保管されており、ユダヤ人救出に携わった18000余人が「正義の 人」と称えられ、その名前が「正義の壁」に刻みこまれている。「正義の人」に認定されるたびに「正義の人公園」に記念植樹を行なうことになっていたが、今 ではその植樹のスペースすらもなくなるほどだ。歴史はナチスによる600万人ユダヤ人虐殺を阻むことが出来なかったが、「正義の人」達の行動によってどん な闇黒な時代にも正義と人間愛だけは不滅だということを後世に伝えることができた。

 数多くの「シンドラー」の中でも、特に功績が大きかったのは外交官だ。ナチスドイツ占領下のリトアニアで領事代理をしていた日本の外交官杉原千畝は、 6000人以上のユダヤ人にビザを発給した。ハンガリー駐在スウェーデン外交官オリンバーガーはその公的身分と優れた社交能力を発揮し、ナチスと巧みに渡 り合いながら、少なくとも2万人のユダヤ人を死の瀬戸際から助けた。昨年4月に国連本部で行われた「命のビザ-正義の外交官達」(Visas for Life: The righteous Diplomats)展によれば、このような各国の外交官が50人もいたという。この人達の献身的な行動があればこそ大量のユダヤ人が救われたのである。

 そして、旧暦大晦日の1月23日、イスラエルのホロコースト記念館でもう一人の外交官の「正義の人」表彰式が行われた。主人公は3年前に亡くなった元 ウィーン総領事の民国政府外交官の何鳳山(か・ほうさん 1901~1997)だが、代わりにその娘が式に立ち会い、元イスラエル最高裁大法官から賞状と 記念メダルを授かった。

 1932年にミュンヘン大学で博士号を取得した鳳山は、国民政府の外交官としてヨーロッパで活躍していたが、1938年から約2年間ウィーン総領事を務めた。

 1938年3月、ナチスドイツはオーストリアに侵入した後直ちにユダヤ人への迫害を開始した。銃口に恐れおののく18万5千人のユダヤ人達にとって、唯 一の活路は国外へ脱出することだったが、猛威を振るうナチスドイツとの関係悪化を避けるべく、各国の大使館が積極的に対応しなかった所為で、出国するため のビザを入手することは極めて困難だった。だが、孤児で教会の援助で立派な教育を受けてきた鳳山は培ってきたキリスト教の仁愛精神に基づき、自らの判断で 領事館に群がるユダヤ人にビザを発給した。途中、状況を知った国民政府が出した緊急禁止令をも押し切って、鳳山はひたすらビザを発給しつづけたのだ。

 総領事就任から最初5カ月間、ユダヤ人に1900件のビザを発給したとの記録があるが、1940年5月の退任までにどれだけのビザを発給したか、それを 証明する資料はどこにも残っていない。ただ、1940年当時、上海に避難してきたユダヤ人だけでも18000人を超えており、その多くはウィーンからの難 民だったという。だが、鳳山から「命のビザ」を得て悪魔のナチスから逃れた人とその子孫が現在、アメリカ、キューバ、ロシア、フィリピン、イスラエルなど 世界各地で暮していることだけは間違いない事実である。

 ユダヤ人救出に人生をかけたシンドラーは、戦後も生活に追われて流転の旅を強いられていた。オリンバーガーの必死の説明にもかかわらず、ハンガリーに突 入してきたソ連軍にナチスドイツのスパイとして逮捕され獄死した。そして、杉原千畝は戦後日本に戻ってまもなく「リトアニアでの行動」を理由に外務省から 免官されてから、これも職を転々として安泰な暮らしとは無縁だった。これらの人々と比べれば、鳳山のその後は平安無事であったといえるだろう。一時責任を 問われそうな危機もあったが、彼は運よく乗り越え、中東、南米諸国の大使を歴任したあとも、さらにサンフランシスコで25年間閑静な老後を送ることができ たのである。

 カナダから鳳山の表彰式に駆けつけてきたユダヤ人の老紳士は、「今も占領下のウィーンを思い出すとユダヤ人迫害のシーンが幾つも重なって浮かび上がり辛 かったが、目を閉じると鳳山総領事の笑顔が現われ安心感を与えてくださる」という。「正義の外交官」は亡くなってからもユダヤ人の守り神になるのであ る。(2001.02.03)


2000年02月07日(水)   萬晩報主宰 伴 武澄

 「銀の滴降る降るまわりに、金の滴降る降るまわりにという歌をを歌いながら、流れに沿って下り, 人間の村を上を通りながら下を眺めると、昔の貧乏人がお金持ちになっていて、昔の金持ちが貧乏人になっているようです」

 こんな書き出しの「アイヌの民謡」の響きのよさに心を打たれた。「銀の滴が降る」という情景は現実的ではないが、きっとだれにでも想像できる情景ではないかと思う。梟の神様はそうやって人間の世界に舞い降りてくるのだ。

 天真爛漫な稚児に向けた童話でもあり、自由な自然を失った現代人が忘れた心優しい梟の神様を信じる人間たちの物語でもあった。そんな謡を歌いながら大自然に溶け込んで暮らしていた民族があったのだとしたら、さぞ幸せな人々だったに違いない。

 アイヌにとっては、自然のすべてに神が宿る。なかでも一番崇高なのが梟の神様だ。時には獰猛性も発揮するが、ふだんはおとなしく目立たな い森の鳥が一番偉い神様だということろがいかにもアイヌの民族性を表している。そして、その神様はいつも銀や金の滴の歌を歌いながら人間たちに福音をもた らすのだ。

 消え行く民族としてのアイヌに対して可愛そうだとかいう感情が湧いたわけではない。単にきれいな響きの謡だなと感じ、そんな世界があった ら羨ましいなと思っただけのことだ。数年前、北海道を初めてレンタカーで旅し、旅先で購入した藤本英夫著の『銀の滴降る降るまわりに』(草風社)を読ん だ。知里幸恵という19歳で生涯を終えたアイヌの少女の生涯記である。

 知里幸恵は日本の言語学の碩学である金田一京助博士のアイヌ研究の協力者だった。この少女はアイヌ民族であることに誇りを持ち続け、金田一博士のもとでアイヌ伝承文学に目覚めていく。「大正時代に、こんなアイヌの少女が生きていたのか」と感動したことを覚えている。

 ●北海道の地名はなぜ漢字表記か

 現在、博物館になっている札幌の旧道庁跡も訪れた。江戸時代の探検をもとにした北海道地図が展示してあった。地名はすべてカタカナ表記で、文字を持たないアイヌの人々がつけた地名であるからカタカナ読みは自然な感じがした。

 北海道を旅行していて一番苦労するのが地名の読み方ではないだろうか。初めて訪れた人は地元の人に場所を聞くにも、読み方が分からない。 読み方が分からないと聞きようがない。北海道の212市町村のうち「カタカナとひらがな表記はニセコ町」と「えりも町」だけだ(町名や字にはカタカナ表記 がたくさんある)。仕方なく、地図を広げて「ここ」と指差して聞くしかない。不便であるだけでない。読めなくて当然なのに地名が読めないということで恥ず かしめを受けなければならない。

 不便なのになぜ北海道の地名は漢字の表記のままなのだろうか。きっと、明治の役人は、北海道の地図を作るとき、アイヌの発音に苦労して漢 字の当て字を考えたのだろう。明治の役人に苦言を呈しているのではない。古来、日本では中国にならって西洋の地名までも漢字で表記していたから、当然のこ とだった。だが、大正時代の役人は南洋群島が日本の委託統治になった時、いちいち漢字の地名などつけなかった。ちなみに第二次大戦では、シンガポールを昭 南と改名した。滋賀県の湖西地方にマキノ町という地名がある。日本では唯一の片仮名の町である。片仮名の地名が北海道にたくさんあってもなんらおかしくな い。他意はない。ただ自然だと考えた。

 ●アイヌから名字を考えた

 それから名字についても考えさせられた。アイヌはもともと名字を持たない。名字を持つようになったのは明治以降のことだ。戸籍を作るうえで名字がないことが障害となり、明治の役人たちが名字をつけるよう指導した。

 日本人だってもともと名字を持っていたのは貴族か武士と一部の商人だけで多くの農民たちは『何々村の何々兵衛』で判り合えた世界だった。 明治になって初めて名字を許された。具体的名前を出すと語弊があるが、旭川市でアイヌ民俗館を経営する川村謙一さんに聞いたら「うちは川のそばに住んでい たから川村になった」といっていた。日本だって同じようなのもだったろう。

 ただ、アイヌが名字を強制されたのと、日本人たちが名字を許されたのではちょっとばかり意味合いが違う。アイヌへの差別がなくなったら、いずれアイヌらしい名字が考え出されるのではないかと期待している。

 初めて接するアイヌの文化は物見遊山の気分で見て回ったが、多くのアイヌ博物館を訪れながらアイヌの過去を考えた。アイヌは文字を持たな かったこと、名字がなかったこと、よくもこんな山のなかで暮らしていたなど当たり前のことを知った。文字を持たない民族は世界でも多くある。イスラム圏で は父親の名前を子供の名前のお尻に付けるだけで名字という概念はない。この間知り合ったビルマの留学生もビルマに名字がないことを教えてくれた。アウンサ ン・スーチーは父親のアウンサンの子であるスーチーという意味だそうだ。

 欧米流のグローバル・スタンダードでは名字は一般的だが、21世紀には名字がない民族でも生き残れる日本であってほしい。


2001年02月04日(日)   萬晩報主宰 伴 武澄

大門小百合のハーバード日記」というサイトが人気だ。ジャ パンタイムズの現役記者がハーバード大学のニーマンフェローとなり、昨年8月からボストンに留学。日々の学生生活の驚きを日記風に書き綴っている。夫の田 中宇(さかい)さんの書くニューズコラムでも一部紹介されているので読んだことがある読者も少なくないと思う。

 ニーマンフェローは現役のジャーナリストを対象としたプログラム授業だからかもしれないが、まず配偶者にも同等に授業に出席する権利が与えられ、ベビー シッターまで世話をしてくれるというところから驚いた。世界中からやってきたジャーナリストの精鋭たちが家族ぐるみで学ぶ環境を提供できるのはアメリカの 社会人教育ならではの奥深さである。

 次いでうらやましいのは、政治や実業社会との連携である。マキシーン・アイザックという教授はモンデール氏の大統領選のプレス担当スタッフでワシントン 政界との人脈が深い。12月われわれが日本でアメリカの大統領選に対して疑問をもってニュースに接していた時、すでに「Election 2000」というクラスがあってゴア陣営の選挙キャンペーンのマネージャーがハーバードでゴア敗戦の背景について授業をしていたそうだ。

 教科書に頼った過去の政治学ではなく、生の政治が大学で学べるのだから授業は面白いに違いない。

 たとえば、昨年末の自民党内で起きた「加藤反乱劇」の顛末について加藤派事務局のひとが講義してくれる授業があったり、長野県での田中康夫知事誕生の背景を議論する場があったりしたら、その授業は熱気を帯びるはずだ。

 日本では大学の在り方について、学生の資質が問われることが多いが、本来問われるべきは教授陣の資質なのだ。日米の教育の彼我の違いを考えているうちに1998年06月11日付萬晩報「奨学金を30も受給したことが誇りとなるアメリカの高校生」で紹介したSouth Carolina州の西野智雄からのメールを思い出した。以下再掲したい。

 ●奨学金を30も受給したことが誇りとなるアメリカの高校生

 私は、今年からアメリカ駐在になりました、若輩のサラリーマンです。物理的な年齢は32歳ですが、ずっと技術畑の人間だったので、社会的な見識とか知識 は20代になったばかりかなと考えています。初めての海外生活、それもアメリカ東海岸に4カ月住んでみて、アメリカについて驚く事がいくつもありました。

「いやー、こっちの高校の卒業式でさ、奨学金をもらう事になった生徒とか発表するんだけどさ、すごいやつは30ぐらいもらってたぞ」

 そのひとつが、先日地元の高校で卒業式だった。息子が地元の高校に行っていた日本人がこんな感想を洩らしました。日本の奨学金制度や日本人のお金の使い方に対して考えさせる内容でした。私たちのアメリカ論議が始まりました。

 私たちは、この話で奨学金をもらう事が発表される事に驚き、その数の多さに驚きました。

 日本の奨学金制度で私たちが知っているのは日本育英会です。ただ育英会の選考基準に保護者の収入が入っています。そのせいとはいえないかもしれません が、奨学金は貧乏な子(差別用語ですがもっともイメージが合うので使わせてもらいます)がもらうものだと、奨学金をもらう事に少し引け目を感じていまし た。また企業奨学金もありますが、これは給料の前借り若しくは借金のようなもので、いずれにしろ余りイメージの良いものではないようです。

 しかし、アメリカ社会では奨学金を貰えるのは、その生徒が優秀であるからにほかならず、両親や親戚がどうのこうのは関係ありません。そういった意味で卒業式に奨学金の受領の発表があることは、その生徒の優秀さをまさに賞賛しているのです。

 また、アメリカの奨学金はほとんどの場合返却する必要がありません。これも奨学金を貰いやすい理由の一つになっています。

 多い生徒で30種類、全員で30人ぐらいの生徒が貰うのですが、こんな3万人ぐらいの片田舎の町の高校で300種以上の奨学金が配布される事は驚きで す。しかし、よくよく話を聞いてみると、結構個人で出されていて、地元のピザ屋の親父とか普通の人が奨学金のドナーとなっています。

 金額も500ドルからあり、それなら俺だってと思わせるものです。しかも地元の人が集まっている高校の卒業式で、「××ピザから1000ドル」とやるの ですから、ちょっとした広告です。このような寄付は、アメリカでは無税で必要経費と同じ扱いになります。アメリカは税金が高いので、税金を払うぐらいな ら、奨学金に出してあわよくば店の評判も上がってと考える経営者はごまんといるでしょう。

 また、自分の子供が奨学金で大学に行ったりすると、その親は浮いた金で、自分の子供以外に同じように奨学金を出してやろうかと考えます。そしてそれは無 税です。年収10万ドルの人は3000ドルぐらい簡単に出すでしょう。現に私も500ドルぐらいなら出すよな、と思いました。こういった人に金を与えやす い風土なのです。

 将来この子供たちが大きくなった時、財政的な余裕がある生活が出来るようになったら、やはり無償の奨学金を出すでしょう。

「情けは人の為ならず」と言う諺があります。本来の意味は、情けをかける事はその人の為だけではなく、まわりまわって自分に帰ってくる、と言う意味です。

 しかし最近では、情けをかける事はその人の為にならないから甘やかしてはいけない、と言う意味に変わってきていると聞いた事があります。(いつになった ら帰ってくるかわからないくらい)将来的な損得を見詰めていた目が、目先の損得にだけにこだわるようになった、捻じ曲がった合理主義に、日本人はいつから 変わったのでしょう。(1998年06月05日 South Carolina Myrtle Beachにて)


2001年02月01日(木)   北東アジアビジネス協力センター事務局長 中野 有

 ITという言葉がやたらに目につく。それではITの次に来るものは何なのであろうか。単純にIT(イット)に続くのは、IS(イズ)と思うのだが。

 ITという情報技術で欲する情報が瞬時に得られ、そしてその情報はEメールを通じ双方向の意見交換ができる。年功序列や縦割り行政を越え、自由に意見が 述べられる。一個人が総理に対し意見を述べたり、インターネットの新聞等を通じ数万人の会ったこともない人にビジョンを提示できる。これこそ情報通信革命 である。

 今日のITを思うときアインシュタインの言葉に含蓄を覚える。「私は日々、一匹狼のように暮らしていますが、事実、美、正義を求めてやまない人々が形成する目に見えない共同体の一員であるという自覚があるため、寂しいとは感じません」。

 インターネット上に不特定多数の人々にコラムを書いたとき、読者からの声として反応があるのは、まるで、アインシュタインが指摘する「目に見えない共同 体」からの声であるように感ぜられる。現代社会では、仕事に追われ社会にどのように貢献しているか定かでなく孤独感が漂うときがある。

 そんなときインターネット上の声はまさにどこからともなく聞こえる同志の声である。アインシュタインが生きた時代には、目に見えない共同体の一員として の自覚を得るためには相当な時間が必要であったであろう。でも今は瞬時にして多くの共同体や同志のアドバイスを受けることが可能である。

 この実感をより身近に感ずるために「IS」即ち「インフォメーションソサエティー」か「インターナショナルソサエティー」の充実が必要とされるのではないだろうか。やはりIT ISと続くことによって次なる明確なビジョンが描かれるのでは。

 インターネット上での不特定多数への情報発信は、まさに見えない共同体の連帯感形成に役だつが、同時にバーチャルである。やはり画面を通した交流から、 顔が見える交流が恋しくなってくる。IT(情報技術)を通じIS(情報社会、国際社会)が形成されることによって最も信頼できる人的なネットーワークが構 築される。目に見えない共同体から興味や目的が合い通じる仲間が集まって顔の見える共同体ISへと発展するのが正常であろう。

 話は変わるが、米国の東海岸には政策型のシンクタンクがたくさんある。世の中の発展への青写真を描くとき政策型シンクタンクも重要だが、人材育成型のシ ンクタンクも重要な役割を果たすと考えられる。ホノルルの東西センターは40年前に、ケネディー大統領が設立に関与したアジア・太平洋地域の人材育成型の シンクタンクである。

 5万人近くのアジアや米国本土からの留学生や研究生を受け入れてきた。東西センターで学んだ多くの研究生たちは自国に戻り中枢として国の発展に貢献して いる。東西センターのネットワークを通じ、政策の相違でぎくしゃくする問題に出くわしたときも、人的なネットワークが有効に機能する。ものごとが動くとき は、理詰めの理論より人と人とのつながりであるのは世の常である。

 ITの功績は、アインシュタインのいう目に見えない共同体が身近にかつ一瞬につながることを可能にしたことであろう。それにISが融合すれば大きな活力 が生み出されると思われる。米国国防総省の情報技術であるインターネットが冷戦後の米国の世界戦略の一翼を担っているとするなら、情報社会としてのISは 人と人との連帯感から考えると日本の得意とする分野ではないだろうか。



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