2001年1月アーカイブ

2001年11月29日(月)   萬晩報主宰 伴 武澄

 新日鉄の経営が危ないなどとはだれもいわない。歴代の経団連会長を出してきた日本の屋台骨の企業が揺らいでいるといったら言い過ぎだろうが、世界の鉄鋼 業界だけでなく日本経済に君臨する経営力を維持しているかどうか問われれば、間違いなく「揺らいでいる」と言わざるを得ない。

 粗鋼生産規模では3年前に韓国の浦項総合製鉄(POSCO=ポスコ)に抜かれ、フランスのユジノールに迫られている。新 日鉄は1970年に八幡と富士が合併して世界最大の製鉄会社にのし上がったのだが、それから約四半世紀を経て、ヨーロッパの鉄鋼業界では国を越えた連携統 合が進み、韓国では大規模な新鋭製鉄所が誕生、ポスコが世界の先端に躍り出るなど世界の鉄鋼業界は再び規模拡大の競争時代に突入している。

 日本だけをみていては世界経済は何も分からないことは昔から当たり前のことではあったが、これからはアジアをウォッチしないととんでもない間違いを起こすということになる。

 ●トン当たり2倍の価格を維持する新日鉄

 新日鉄の年間粗鋼生産は2500万トン台。対するポスコは2600万トン台。抜かれたといってもほぼ拮抗しており、生産に占める高付加価値鋼材の割合は高いことは確かだ。だがそんなことであぐらをかいているようでは孤塁は守れない。

 両者の鉄鋼部門の売上高を比較すると、新日鉄1兆8500億円、ポスコは1兆700億円である。新日鉄がトン当 たり平均売り上げがほぼ2倍だから、「高付加価値製品の比率が高い証」とみることもできようが、筆者がそうはみない。高いコスト体質がそのまま売上高に反 映しているとみたい。日本の自動車会社がポスコの自動車用鋼鈑を購入したという話は聞いたことがないから、たぶん日本国内の製造業が韓国より高い鉄を買わ されていることになる。

 本来、自由貿易国家ではこれだけ円高が進めば、輸入品と競合して価格破壊が起きるのだが、どういうわけか日本で は起きていない。いくら高品質だといっても自動車用鋼鈑ばかりを売っているわけではない。隣の国の鋼材と比べて2倍の価格を維持できるということは普通あ りえない。

 実はこのほぼ2倍という数値は素材でも産業機械でも同じ傾向があるらしい。単に1ドルが200円台だった時代の 価格が国内的にほぼそのまま保たれているだけの話で、国内産業を維持するために日本の企業同士が互いに国産品を愛用し続けているということのようだ。日本 の素材産業が国家的に国際競争力を低下させてきた一番大きな原因が、こうした取引慣行にあることは10年以上も前から指摘されてる。

 市況価格は内外変わらないではないかという疑問もあろうが、新聞に掲載されている市況価格はあくまで「店売り」の価格で、大手企業同士がやりとりしている価格はまったく別物なのである。

 ●10倍以上の最終利益を稼ぐポスコ

 一年前の決算になるが、そんな高い価格で販売している新日鉄の最終利益が111億円で、ポスコは1430億円も 稼ぎだしている。新日鉄の場合、退職金基金の積立不足を埋め合わせたため単純比較はできないが、10分の1以下ではあまりにもなさけない。ちなみにポスコ は10年来一貫して1兆ウオン(約1000億円)レベルの最終利益を出してきているのに、新日鉄は500億円を超えたことほとんどない。

 日韓の鉄鋼大手の最終利益の格差に関して、多くのアナリストたちは人件費の違いが格差となっていると論評している。しかしこれもすべてではない。違いは借金の額の差ではないかと筆者は考えている。

 新日鉄の有利子負債は過去から比べて減っているとはいうものの連結ベースで2兆円をゆうに超えるのに対して、ポ スコは3-4000億円でしかない。株主資本率で比べても、新日鉄21%に対してポスコは46%と余裕ある経営を続けている。簡単にいえば、新日鉄が間接 金融にどっぷり浸かっているのに対してポスコは逆に直接金融への依存度が高いということになる。

 バブル時に新日鉄は市場から5000億円内外の資金調達を実施した。おかげで資本金が膨張、株式数が700億株に急増した。かつての経営トップが「税引き前700億円の利益がないとたった5円の配当すらできない」と嘆いていたことを思い出す。

 借金体質で新たなブレイクスルーが出来ないのは鉄鋼業界に限ったことではない。ポスコに負けない新日鉄の新しい体質改善を早くみたいものだ。


2001年01月25日(木)中国情報局 文 彬




 昨年3月3日、東京で開かれたモバイルネットワークとデジタル家電に関するセミナーで、フィンランドの携帯電話大手ノキア社の最高経営責任者のヨルマ・ オリラ氏は、今後3年間で携帯電話からのウェブ接続数がパソコンからのそれを上回ると予測した上、「未来の主役はパソコンではなく、携帯電話だ」と語っ た。2003年末までに10億以上の人が携帯電話でウェブにアクセスするだろうという大胆な予測をする人もいる。

 一方、報道では、中国の携帯電話の加入者数が昨年の夏に日本を抜いて世界2位になり、昨年末で7千万人に達し、インターネット利用者数も2千万人を突破 したという。また、2004年には携帯電話加入者数が2億3千万人、インターネット利用者数は1億2千万人に増加し、アメリカ並みの市場規模になることも 多くの専門家の間では確実視されている。

 そして、21世紀初頭の20年間でモバイルが最大の産業になるとの予測の中で、今はインターネットと携帯電話はワイヤレスウェブ(Wireless Web)というキーワードで結ばれ、WAP(Wireless Application Protocol)もIT業界のもっとも熱い話題となっている。

 ワイヤレスウェブと言えば、日本では1500万人を超える契約者を擁しているNTTドコモ独自のサービス「iモード」をすぐに連想するが、iモードと WAPとではインターネットのウェブサイトへのアクセス方式が違う。ウェブサイトは従来、ハイパーテキスト・マークアップ言語(HTML―Hyper- Text Markup Language)とよばれるウェブページを記述するための言語に基づいて作られている。

 iモードには「コンパクトHTML」(cHTML)と呼ばれる記述言語が使われており、「コンパクトHTML」で書かれたウェブサイトの方が見やすいと はいえ、技術的にはHTMLで書かれたすべてのウェブサイトにもアクセスできるようになっている。これに対し、WAP対応の携帯電話はワイヤレス・マーク アップ言語 (WML―Wireless Markup Language )で書かれているウェブサイトにしかアクセスできない。そのため、WAPでアクセスできるウェブサイトは世界中にわずか2万4000しかない。iモードが あまりにも強力で名高いため、WAPブームを巻き起こしようとするベンチャーもあるが、よほどの劇的な変化が起こらなければ当分実現が無理であろう。

 だが、世界中のほとんどすべての大手通信企業は、携帯電話でデータ転送を行なうための、事実上の業界標準としてWAPを採用している。また、中国の携帯 電話市場はほとんどノキア、モトローラ、エリクソン、3COM、シーメンスなど欧米のメーカーによって占領されているため、WAP導入の道しかなかった。

 NTTドコモも昨年夏に北京に駐在事務所を設立するなど、活発な活動を通じて参入の切口を模索しているが、まだその影は薄く市場への影響力は未知数のま まである。昨年3月28日から全国の6地域に試験的にWAPサービスが導入され、5月17日に携帯電話最大手の中国移動通信公司が正式にWAPサービスを 開始した。

 2000年末まででWAP利用者は80万人になっただろうと推測されているが、2001年末でこの数字が400万人に膨らむという強気の予言者もいる。 だが、インターネット普及の初期段階と同じく問題も少なくない。まず、ワイヤレスウェブの充実したコンテンツを提供するWAPプロバイダーが少ないことが 挙げられる。

 シナ・ドットコム、ソフ・ドットコムをはじめ、主力20社ほどがWAPサイトを持ち、Eメール、株情報、天気予報、ゲームなどのサービスを提供しているが、内容が貧弱だし、利用者がもっとも関心のあるローカル情報も少ない。

 そして、端末からのアクセスがスムーズに行かないことが多いことである。激しい競争のなかで、大手メーカーが消費者の目を惹く新製品を創り出すことにば かり気を配り、業界のスタンダードを無視した結果だ。そのため、利用者はアクセスのための繁雑な設定方法に悩まされ、結局、必要な情報をタイムリーに入手 できなくなってしまう。

 1996年、米フォンドットコム社はWAPフォーラムを設立し、WAPの普及に注力してきた。今はWAPフォーラムを通じて、500以上にも及ぶ大手電 話通信業者とメーカーが手を取り合い、互いのサービスを互換性のあるものにするための協力などで世界的なサポート体制を構築しようとしている。WAPも初 期段階のインターネットと同様、競争のなかでも協力がなければ成長しないものだと皆が気付いたからである。

 最近、WWW関連の標準化団体であるW3C(World Wide Web Consortium)は、ウェブコンテンツの最新記述言語である「XHTML Bisic」をW3C勧告として公開したという。XHTML Bisicはモバイル機器に搭載するWWWブラウザの仕様と、コンテンツの仕様を決めるが、この言語の利用が普及されると、cHTML仕様のiモード携帯 電話とWAP仕様の携帯電話が同一仕様のWWWプラウザを搭載することになり、メーカー間の壁が一気に吹き飛ばされてしまうことになる。実現には時間がか かるだろうが、たいへん明るいニュースである。


2001年01月23日(火)
萬晩報通信員 河 信基


 中国外務省と共産党対外連絡部が一月二十日、朝鮮民主主義人民共和国の金正日総書記が一月十五日から二十一日まで中国を非公式訪問したと公式に発表し た。金総書記の訪中は十五日早朝、北朝鮮から中国に向かう特別列車が確認された時点から噂され、一斉に追跡に走った内外報道陣により上海の経済開発特別 区・浦東新区の日系企業や証券取引所を視察する総書記の姿がチラリとではあるがカメラに映し出されるなど、半ば公然の秘密であった。それだけに、この時期 に金総書記が何故このような形で中国を訪れたのか、その目的に内外の大きな関心が集まっている。

 常識的に考えられるのは、湾岸戦争コンビを閣僚に据え、対北朝鮮関与政策の重点を対話よりも抑止へとシフトする気配を見せているブッシュ新政権を、中国 との緊密な関係を誇示することで牽制しようというものである。これは北朝鮮ウオッチャーに支配的な見方で、北ミサイルの開発、輸出にNMDやTMDで対抗 しようとする米政権に北・中国が共同戦線を組もうとするのは政治軍事的戦略上十分にありえることだが、私はそれにもう一つ別の見方を付け加えたい。

 昨年五月、金総書記は南北首脳会談直前に極秘訪中したが、私は、今回も金総書記のソウル訪問時期が早まり、三月か四月には第二回南北首脳会談がもたれる と見ている。どういうことかと言えば、昨年後半から北は対韓国接近にブレーキをかけ、クリントン訪朝と対米関係正常化に力点を置いた。それが失敗したた め、再び南北融和に力点を移し、いわば韓国を盾にして米新政権の圧力をかわし、交渉を有利に進めようという作戦である。

 こういうと、韓国は体よく利用されているようにも見えるが、しかし、かつての金日成時代はともかく、今の北朝鮮にそれほどの余裕はない。外からの脅威に劣らず、経済破綻という内からの脅威が体制破綻をもたらしかねないほど深刻化しているからである。

 こうした視点でみると、金総書記の非公式訪中の重要な側面が浮かんでくる。すなわち、それは北朝鮮がいよいよ開放・改革の方向に踏み出す予兆ではないのかということである。

 韓国の金大中大統領は、中国側が公式確認する前に開かれた今年初の国家安全保障会議でそのような見方を示した。前年六月に金総書記と初の南北首脳会談を 成功させ、それが大きく預かってノーベル平和賞まで受賞した大統領としては、軍事力をちらつかせた脅しや圧力といった北風ではなく、経済援助や食糧支援の 南風で北朝鮮を国際社会に招き入れる、イソップ童話に倣った包容政策=太陽政策の成果として現実を認識しようとするのはある意味では当然のことであろう。

 しかし、大統領はそれを明らかにしてはいないが、おそらく、単なる心情を超えた具体的な根拠があるものと思われる。

 すでに設置されている南北ホットラインを通じて、北朝鮮側から事前通知があった可能性は否定できない。そうでなくとも、前年五月の極秘訪中時同様に、中国側から早い時点で通知があったことであろう。

 いずれにしても、韓国側には金総書記の非公式訪中の目的を推し量るに十分な材料があったことは事実である。というのは、日本ではほとんど知られていない が、実は北朝鮮当局は金総書記が中国に向かった同じ日、韓国側に突如、重大な提案をしている。東海岸の天下の景勝地で、現代グループがすでに大々的な観光 開発をしている金剛山に近い海岸都市・通川を先端技術開発地区として開放するというものである。ソウル、ピョンヤン中間の古都・開城を経済特区にする話は 南北首脳会談の最中に決まったていたが、通川案は初めてのことである。

 通川は海岸都市で、海岸線から離れた開城より交通インフラは整備しやすい。地図を見ればすぐわかるように、北朝鮮の東海岸第一の都市・元山に隣接し、韓 国にも近く、韓国最大の港湾都市・釜山とも連絡しやすい。そして、日本とは日本海を隔てた最短距離にあり、立地条件は申し分ない。 さらに、示唆的なこと は、通川の立地条件が、今回の非公式訪中で金総書記が視察した上海の裏東新区と似通っていることである。 こうした事実を見れば、金総書記の非公式の訪中 の狙いがどこにあるか、誰にもピンと思い至るものがあるであろう。北朝鮮の独特の行動パターンからして、北朝鮮側は通川案を示すことで韓国側に総書記訪中 の意味を間接的に伝えたとも考えられる。

  金総書記は北京を素通りして上海へと直行し、現地で見るものをすべて見てから江沢民中国主席と正式に会見した。公式訪問ではありえない破格の行動である が、逆に言えばそこに非公式訪問の意味を読むことができる。つまり、総書記の訪中の最大の目的は、中国の改革開放政策の成果を具体的に確認し、自身の政策 に反映させることにあったのである。総書記は江沢民主席との会談で中国の成果を賞賛し、宿舎に戻って対外政策を担当してきた金容淳書記ら党幹部を叱責した と伝えられる。過去、総書記は中国の社会主義的市場経済を修正主義と批判してきたが、それからの転換を図ろうとしていることが容易に見て取れよう。

 「始めがすべてだ」という諺があるように、朝鮮民族は物事の開始時を極めて重視する精神文化的的特徴がある。今年年頭に労働新聞など北朝鮮各紙は、旧い 方式を大胆に改める「新思考」を訴えた。北朝鮮独特のレトリックで改革・開放政策を国民に呼びかけたとみて間違いなかろう。国内で全能の指導者として崇め られている金総書記の訪中は、その率先垂範と位置付けられるものである。この文脈から見て、いよいよ北朝鮮は改革・開放政策へと本格的に舵を切ってくるも のと思われる。

 金総書記が韓国近代化の基礎を築いた朴正煕元大統領に大きな関心を寄せていることは知る人ぞ知ることである。金日成は朴正煕と激しく対立したが、後継者 の息子はこの点では父親と立場を異にするようだ。金大中大統領ら金総書記と直接会った人物は彼が意外と現実主義的で合理的思考の持ち主であることを一致し て指摘するが、こだわりのない朴正煕観にそれがよく現れている。

 北の改革・開放政策の今後の展望を言えば、詳細は拙書「韓国IT革命の勝利」に譲るが、鄧小平型よりも効率化された朴正煕型の開発独裁に近いものになろ う。朴元大統領は歴代大統領ではいまや最も高い国民的人気を得ている。同じ道を歩んできた韓国側も過度的な形態としてそれを受容せざるを得ないものと思わ れる。


2001年01月21日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄


 明治大学の前学長の岡野加穂留(かおる)氏が「日本連邦国家論」を唱えていることを最近知った。おおまかにいうと現在の日本国を北海道、東日本、西日本、四国、中国、南日本の6つの国家に改組して国連に日本連邦を登録し、総会で代表権を6議席とろうというものである。

 興味深いのは北海道と南日本は大統領制をとり、後は議院内閣制にするという点。連邦内の国民の移動は原則自由にする「連邦内居住地自由選択制」も取り入 れ、6つの共和国がそれぞれ民度を競い合う形で民主政治をより高度なものに仕立て上げることができるというのがその意図である。筆者が掲げてきた「独立北海道論」とほぼ同じ発想である。

 過去の国造りが戦争や宗教、イデオロギーを掲げた統合や分断だったことを振り返れば、いわば日本発の新たな民主主義の「国造り」哲学としてこの「分割論」を世界に問うことも可能ではないかと思う。

 岡野氏の発想の原点はアメリカ独立宣言を起草したトマス・ジェファーソンにある。「ジェファーソン著作集」や「ヴァージニア覚え書き」(notes on the State of Virginia)などに描かれるジェファーソンの国家論は、日常生活が展開される「地方自治体こそが民主主義の学校である」という考えに裏打ちされてい るそうだ。

 ジェファーソンは純粋に大自然の中で農民だけによって構成される共和国が理想社会と考え、中央政府の権力の肥大化を恐れ、権力の分散・住民自治を力説し た。彼はワシントン大統領下で、国務長官ををした後、第三代アメリカ大統領を務めたが、その後、故郷に帰りヴァージニア大学を創設し、自ら初代学長に就任。アパラチア山脈深いシェナンドー渓谷のモンテイセロで終焉を迎えた。

 名を遂げた人材が余生を故郷の教育者のために捧げるという発想は戦前まで日本にあったはずだが、戦後社会は人々にそうした余裕を失わせている。政治や経済の東京一極集中が強まる中で地域の価値観が次々と崩壊していったのが、20世紀後半の日本だった。明治政府という類い希な政権が誕生した背景に江戸時代 の諸藩の多様な価値観が存在していたことをすっかり忘れたのも同じ時期の日本だった。

 一極集中の弊害を打開する試みは故田中角栄氏の「列島改造計画」にみられるように何度も試みられた。しかし皮肉にもその度に一極集中が進んだ。東京の発想を押しつける手法では地方は育たない。こんな単純なことがまだ多くの政治家や官僚の理解するところとなっていない。

 改革のアイデアも手法もそこに住む人々によって考えられたものでなければ、成功しないことは日本の途上国へのODAでも明らかになっているのに同じ発想が国内では通用していないことが不思議でならない。

 年頭のコラムで21世紀の地方の在り方を問うた出発点も実はここにある。地方が独立した政治や経済を運営する能力を失っているという反論を少なからずい ただいたが、地域国家として日本がいくつかに切り離され、独立を余儀なくされた時、それぞれが新たな創造に向かうのかもしれない。

 20世紀には戦争によって国家が分断されたり統合され、新たな為政者によって国家改造が試みられた。しかし21世紀になって国家改造を目的に戦争を起こ すような愚挙を起こすことは許されない。ならば自らの国家を切り刻んでそれぞれに独自の国造りをスタートさせるというのは理にかなった手法かもしれない。 ほぼ1年前の2000年1月3日付け東京新聞に掲載された岡野氏のコラムを読み直して、そんな意を強くした。


2001年01月20日(土) 
萬晩報主宰 伴 武澄


 味のある風景は木造建築の町並みだけではない

 はじめまして 萬晩報の記事をみてメールを送らせてもらいました。私は埼玉県に在住している学生です。今回の記事をみてちょっと考えてしまったので感想めいたものですが送らせていただきました。

 ヨーロッパの石造りに負けない日本には伝統的な木造建築の町並みがあり、それを国家的デザインとして推進することを書かれていたと思いますが、それに対して反論を致します。

 日本の「木」に関する伝統の技はもちろん、諸外国に誇れるものだと思いますが、観光客の誘致のために木造の町並みをあらゆるところにつ くってしまうのは、反対です。ただ木造の町並みが好きという理由だけでは観光客はやっってきませんしあちこちに同じような町並みがあふれてはそれこそ、風 景の画一化になってしまうと思います。

 私の家の近くの「小江戸」と呼ばれる観光都市では、やたら古そうな蔵造りの建築物は増えているが、一方では大正時代のモダンな洋館が徐々 に減少しているという話しを聞きました。木造建築の町並みももちろん素敵なんですが、アーケードのかかった古い商店街などもなかなか乙なものだと思うんで す。

 日本中どこへ行っても木造建築の古そうな町並みばかりになったら今度は統一感のない現在の町並みが懐かしくなってくるかもしれません。

 実は私は4年間ほど京都の堀川商店街の近くに住んでいたことがあるのですが、最近その商店街がこぎれいに改装されたのをみてちょっと残念 になりました。蛇足ですが 私は京都はとてもいい街だと思います。観光地として訪れるよりもまた住んでみたなあ、と思うくらい良いところだと思います。

 味のある風景は木造建築の町並みだけではないはず、と思ったので、そのことについて簡単ですがメールを送らせてもらいました。(E.Y)
 

 電信柱が美観を損ねている

 記事を読ませていただきました。自分も古い木造家屋のある光景が好きなので、記事の内容に付いては、大いに賛成できました。

 ただ、昨今は大きな地震が多く発生しておりますが、従来の木造建築は耐地震性が低く、2x4等の輸入された技術の木造建築の方が、耐地震 性に関しては、遥かに高いと聞いておりますので、やっぱりどうしても自分が建てる時は、2x4等を選ぶと思います。実際にそうしました。その結果、典型的 な木造の外観にはならなくなってしまいます。 最近の建物は、中途半端な西洋風の家が多くてつまらないと感じる時がありますが、地震の事を考えると、仕方 が無いとも思えるのです。 あと、純和風の外観にするとお金がかかります。 これも、大きな問題になりますね。

 自分が建物の外観と並んで気になるのは、電信柱が美観を損ねていると言う事です。こっちの方も何とかして欲しいと願っていますが、技術的 には困難なんでしょうかね? 欧米の町並みは電信柱が被写体になる事さえ稀だと言うのに、日本では先進国の名前に相応しくない、町並みになっているのは、 非常に残念です。 信号、街灯のデザインどれも、美観を損ねているように見えて仕方がありません。 あと、看板の多さも気になります。

 多分、この種の意見は沢山寄せられると思いますが、自分の意見を述べさせて頂きました。(T.E)
 

 もっともなご提案 大沼

 木造の町並み...もっともなご提案です。後世の残す価値のある公共事業は次世代にも納得してもらえるものになるのではないかと、木材産地の北海道にいても思います。実現のためのPFIで優先的に扱うことを織り込むことも考えられるのではないでしょうか。
 

 木とともに生きてきた日本人

 はじめまして、田村と申します。萬晩報を読んでメールを書かせていただきます。木造建築が日本らしさ、文化とつながるというお話、とてもすばらしかったです。

 私は最近、木の魅力を感じています。合板ではない無垢板を使った家具を買いました。天然塗料を自分で塗り、部屋に置くだけで、とても心地よい気分になりました。木のほのかな香りがたまらない。時間がたって木の香りがほとんどなくなっても心地よさは残っています。

 日本人は木とともに生きてきたんだなあ、木は人を癒してくれるんだと感じました。プラスチックや合板にはない木の良さを感じました。こうした木のよさと日本文化はもともと解け合っていたのだと思います。そのことを中野さんの記事を読んで再確認できました。

 さらに、国家デザインとして考えるという21世紀にふさわしい先見的かつ本質的なご意見でした。実現できたらどんなにすばらしいことでしょう。日本人としての誇りにつながります。

 萬晩報「国家デザインとして考える木造建築の公共事業」、拝読させていただきました。まさにその通りだと思い、ついメールを送らせていただきます。

 私も常々、海外からの観光客を如何にして日本に呼び込むか、という点と、秋田県の重要産業でありながら衰退の一途を辿る木材産業を、どう活かせば良いか考えていました。

 海外からの観光客については、ある統計によると、日本への観光客は台湾人が最も多く、次いで韓国人となっており、彼らの最も訪ねたい場所 はアジア唯一の東京ディズニーランドとなっていました。でも、おっしゃるとおり、例えばヨーロッパには石の文化があり、日本にはまさに木の文化がある訳 で、木造りの街並みには、大きな魅力と可能性が秘められていると思います。

 木材産業の将来についても、ご指摘のように庁舎や公民館等の公共建造物を、国内産・県内産の木材で創り上げることができれば、文化的にも経済的にも大きな可能性があると思います。

 これらの問題点について、自分では何となくボヤッとしたイメージしかなかったのですが、中野さんのこの度のお話を読み、視界が開けました。ありがとうございました。
K.S
 

黄金時代に建設・寄贈された大阪の石造建築物
 
 よろず晩報の読者の萩原俊郎と申します。

 「国家デザインとして...」、読みました。今、大阪にいてよく感じるのが、中野さんの主張とはむしろ対極かも知れない「石造建造物による大阪の街並み保存」なのです。

 大阪は黄金時代の絶頂期、つまり北浜の証券街や船場の卸問屋が活況を呈していた時代、大もうけをした商人らが、競ってそのもうけた金で石造の公共建築物(たとえば中之島の中央公会堂や石造りの橋を建て、それを町に寄贈しました。

 今でいう、企業メセナみないなものです。そのおかげで大阪には70~80年の歴史を持つ石造建築物が建ち並び、街のアイデンティティーを形成しています。大阪は「石造りの街」なのです。

 こうした企業メセナの伝統は、さかのぼれば江戸時代、淀屋清兵衛(淀屋橋の名前に残る)による堀掘削や橋の寄贈にさかのぼることができる と思います。つまり昔の大阪商人はもうけた金はちゃんと社会に還元した風習があった、ということ(還元しないと逆恨みされて密告でやられる恐れもあったら しい)。

 ところが戦後の大阪商人は「貧すれば鈍する」ではないけれど、寄付どころか、国や府に大規模プロジェクトによる景気のテコ入れをお願い し、それで再び商売繁盛しよう、という「せこい連中」が大半を占めるようになったようです(サントリーの故佐治敬三あたりは例外でしょうが)。

 大規模プロジェクトを乱発したせいで、大阪府も市も今や財政危機のありさまです。さらにかつての石造りの伝統的建築物はそごう大阪店をは じめ、NHK大阪放送局、府庁...と次々壊される運命にあります。むしろ石造建築物の保存こそ「大阪の再生」の第一歩では...と最近、思います。

 近々、この保存に燃える建築オタクの高校の先生と大阪の町を散策し、街づくりの方向性について特集記事をつくろうと思っています。出来上がったらまた送ります。

 それにしても、どこに行ってもおもしろいネタはあるものですね


2001年01月19日(金)
萬晩報通信員 園田義明


教育改革国民会議報告-教育を変える17の提案-より
http://www1.kantei.go.jp/jp/kyouiku/houkoku/1222report.html

◆奉仕活動を全員が行うようにする

 今までの教育は要求することに主力を置いたものであった。しかしこれからは、与えられ、与えることの双方が、個人と社会の中で温かい潮流 をつくることが望まれる。個人の自立と発見は、自然に自分の周囲にいる他者への献身や奉仕を可能にし、さらにはまだ会ったことのないもっと大勢の人の幸福 を願う公的な視野にまで広がる方向性を持つ。思いやりの心を育てるためにも奉仕学習を進めることが必要である。

◆提言

(1)小・中学校では2週間、高校では1か月間、共同生活などによる奉仕活動
   を行う。その具体的な内容や実施方法については、子どもの成長段階など
   に応じて各学校の工夫によるものとする。

(2)奉仕活動の指導には、社会各分野の経験者、青少年活動指導者などの参加
   を求める。親や教師をはじめとする大人も様々な機会に奉仕活動の参加に
   努める。

(3)将来的には、満18歳後の青年が一定期間、環境の保全や農作業、高齢者
   介護など様々な分野において奉仕活動を行うことを検討する。学校、大学、
   企業、地域団体などが協力してその実現のために、速やかに社会的な仕組
   みをつくる。

■時間を預託する制度

 戦後教育の抜本的な見直しを検討している森喜朗首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」が昨年12月22日の提出した最終報告の一部であ る。森喜朗首相は2001年の年頭でも1月末からの次期通常国会を教育改革国会と位置付け、教育改革に具体的に着手する考えを明らかにした。

 この「全員が行う奉仕活動」についてネット上でも活発な議論が行われている。

 奉仕活動自体の必要性については、若干の温度差があるものの共通して理解されているようだ。問題は「義務化」をすべきかどうかだろう。本 来、子供達に奉仕活動のきっかけを与えてあげることが大人の義務ではないかと思う。また大人自身も積極的に参加できる仕組みも合わせて考えないと意味がな い。ここになにやら歪みのようなものが感じられる。私も含めて壊した本人達が率先して参加すべきであろう。

 そこでここに提案したいことがある。奉仕時間を預託する制度である。

 仮に高校二年生のA君が100時間の奉仕活動を行ったら、A君個人の「時間預託通帳」に100時間が預けられる。この100時間は、A君本人が歳をとったり、事故に合ったりして奉仕活動を受ける側になったとき、引き出して使うことができる。

 また、預けた時間を、自分以外の人にも贈与できることも可能にする。贈られる対象は、家族に限定するなどの制限を設けることが望ましいが、贈与できることでその「温かい時間」が大人の世界にまで循環していくことになる。

 例えば、A君はいつも可愛がってくれた田舎のおばあちゃんに30時間分をプレゼントすれば、おばあちゃんはその時間分の介護やお買い物代 行のサービスを地元の子供達等から受けることができる。本当は本人がしてあげることが望ましいが、地方で離れて暮らすケースが多く、全国ネットの時間預託 制度で補うことが可能になる。

 この贈与について、弊害も考えられるため充分な議論が必要であるが、奉仕活動やボランティア活動の自発性を考える上で選択肢ともなりえることも合わせて検討する必要がある。

■世界に拡がるボランティア時間預託制度

 コミュニティの崩壊や子供達の心の傷は日本だけの問題ではない。すでに同じような試みは世界的な規模で始まっている。アメリカでは 1980年の初期にエドガー・カーン博士によって「タイムダラー」が考案され、現在、全米で約200のコミュニティーで実施されており、各種のNPOはも とより行政システムの中にも組み込まれている。

 この動きは日本でも拡がりつつあり全国各地ですでに実施されている。発想としては日本古来から結(ゆい)・講・座などの現代版と見ることもできる。

  運営は地方自治体や学校やNPOが中心となり地域性豊かな活動を行えばいい。森首相はITも大好きそうなので、この際一斉に電子マネーなどデジタル技術の 活用も視野に入れるべきだろう。預託管理を電子上で行い、お年寄りのためにチケット制も同時に取り入れ 時間券として紙幣のように流通していけばいいので ある。発行者として自分の名前が記載されたオリジナリティー豊かなチケットが登場してもいい。災害が発生した時には、全国各地から多種多様なチケットが届 けられるだろう。また日本だけにとどまらず世界に対しても協力を呼びかければ海外に暮らす日本人も故郷の家族に贈ることができる。

 活動内容もネット上でオープンに議論して決めていけばいい。ここでも交流が行われるはずだ。

 決して利子は付けないほうがいい。またその人が生きているときだけ使うことができる「温かい時間」であるべきだろう。そして子供達がその命の泉となる。


参考】
Time Dollar Institute http://www.timedollar.org/
NPO法人タイムダラー・ネットワーク・ジャパン http://www.timedollar.or.jp/
エコマネー・ネットワーク http://www.ecomoney.net/ecoHP/top.html
さわやか福祉財団 http://www.sawayakazaidan.or.jp/
ニッポン・アクティブライフ・クラブ http://www.os.xaxon.ne.jp/%7Enalc/
BGF国際環境保護会 http://www.bgfs.com/bgf/system.html
 園田 義明さんにメールは mailto:yoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp
2001年01月17日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄


 1月1日から日本経済新聞の「私の履歴書」にアサヒビールの元社長の樋口廣太郎さんが登場した。1986年、住友銀行副頭取からどん底だったアサヒビールに単身乗り込んで経営を立ち直らせた人だけに、なかなか読ませる。

 当時の磯田一郎頭取とそりが合わずに住友銀行を飛び出したのだが、仮に銀行に残って頭取にでもなっていたなら「スーパードライ」は生まれなかっただろう し、アサヒビールという会社だって存在していたかどうか分からない。それよりも樋口さん自身がバブルの後始末で銀行の経営責任を取らされていたかもしれな い。

「人間万事塞翁が馬」という中国の格言をこれほど地で行った人生に出会ったことはない。

 ●缶コーヒーつくりの代わりに命じた草取り

「履歴書」は連載中だからこれからいくつもヤマ場があるかもしれないが、前半の圧巻は7日付(6)「筋違いの要求は拒否-専用食堂など特権認めず」と題した労働組合との対決場面だ。

 当時のアサヒビール本社には社員食堂の隣に組合幹部専用の食堂があって、社員が行列をして食事をするそのすぐ横で組合幹部だけはゆったりと食事をしてい た。これに頭に来た樋口さんは秘書に入り口のドアを蹴破らせ「みんな行列しているのに、のうのうと食事をしているとは何事か」と一喝。ただちに社員にその 場を開放した。なんともスカッとする逸話である。

 また缶コーヒーをつくっていた柏工場では、コーヒーが売れて品不足になっているにもかかわらず、社員は終業時間の30分前から帰り支度を始めていた。 「職場に戻るように」と言ったら「帰れ」の怒号が返ってきた。樋口さんはここではウィットで切り返した。「工場は動かさなくていい。解雇はしないから」と 言い放ち、缶コーヒー製造のかわりの仕事として「草取り」を命じた。「草はあとからあとからはえてくるので仕事は永久にある」といったら一週間で音を上げ たという話である。

 かつての国鉄をみての通り、傾きかけた企業には必ずといっていいほど労働組合が君臨していて、経営側が組合幹部にペコペコしている状況がある。緊張を 失った労使関係は組織をだめにするという好例がかつてのアサヒビールにあった。現在の日本社会全体に当てはまるのではないかと思う。

 ●さわやかな印象を与えたキリン佐藤社長の退任

 同じビール業界でこの15日さわやかなトップ交代があった。キリンビールの佐藤安弘社長が会長に退いて後継に荒蒔康一郎専務を昇格させる人事だ。佐藤さんは任期たった4年で社長の座を下り、後任には医薬事業というまったく違う畑の人材を登用した。

 佐藤氏の在任中、キリンの「ラガー」はアサヒビールの「スーパードライ」にビールのトップシェアの地位を奪われた。ラガーの長期低迷に歯止めが掛けられ なかったことに悔しさは残るだろう。しかし発泡酒「淡麗」を世に出して、会社が元気を取り戻した。この功績は小さくない。業界最大手のキリンが「ビールも どき」と揶揄された発泡酒の販売に踏み切るには相当の覚悟があったはずだ。佐藤氏はキリンの本流の営業畑ではなく、総務畑だった。保守本流を歩まなかたか らこそできた決断だったに違いない。

 佐藤さんが常務だったころにあるパーティーで一度お会いした。むろん佐藤さんが覚えているはずもない。そのころ輸入ビールの攻勢でビールの価格破壊が話 題になっており、内外価格差も大きな社会問題だった。筆者は日本の缶ビールの出荷価格の3分の1がアルミ缶代だという問題を取材していた。

 アメリカの缶が3-5円で日本製が20円弱。アルミ缶を輸入すれば利益は何倍にもなることは誰もが確信していたが、ビール会社はどこもそのことになると 口をつぐんだ。佐藤さんだけは違っていた。日本のビール会社が抱える問題点をあっけらかんと語った。そんな佐藤さんが4年前社長に抜擢されたから、キリン ビールは変わるだろうと考えた。案の定、殿様企業から商売人に一変した。

 社長というのは社外でどんなにぼんくらといわれようが、いったん上り詰めれば絶対権力者となる。そして長期間その座にあれば、どんなに評判の良かった人 でもぼろが出てくる。苦言を呈する人は自然と退けられ、社長室はやがてイエスマンに囲まれた楽園になる。佐藤さんは社長室が楽園になる前に住み心地の良 かっただろうその部屋を退室し、取り巻きから後継者を選ばなかったからさわやかなのだ。

 ちなみに樋口さんはアサヒビールの経営を軌道に乗せて4年で社長を辞めることを決めていた。事情があって6年半の任期となったが、当初方針通り、生え抜 きの瀬戸雄三氏を後継者に選んだ。会長になってからは後継者がやりにくいからと言って本社に部屋を求めず、東京支社に会長室を置いた。


2001年01月15日(月)
北東アジアビジネス協力センター事務局長 中野 有


 異国の地を訪れたとき、ガイドブックに頼らず気の向くままに町を散策するのが好きだ。アフリカにはアフリカの、ヨーロッパにはヨーロッパの、その地しか ない魅力がある。概していえば、中近東やアフリカの町並みには灼熱の土の香りがあり、ヨーロッパは石畳から伝わる鼓動と石の建物の歴史的な重みがある。町 の景観は、視界で捉えられるだけでなく町の香りや町の生活感溢れる音の響きで一層引き立てられる。名所旧跡もいいが何気なしに出くわす町の中には文化、芸 術によって醸し出される風土が存在している。

 旅をして「ときめき」を感じるのは、その町にしかない景観に出くわしたときである。さて、日本にはそんなときめきがあるのだろうか。日本の海外旅行者は 不況にもかかわらず増え続けているが、一方海外から日本に来る人数は極端に少ない。今一度、日本の魅力を見つめ直す必要があるのではないか。アフリカには 土の家、ヨーロッパには石の家というように日本の風土には木の街並みがマッチする。

 京都に生まれ育ち、20年かけ世界各地で生活し、日本の地方の素朴で美しい自然や人情にも接してきた。この世紀越えに故郷京都で過ごし、京都が持つ日本 の文化・伝統の粋に感じ入った。京都にいるときは京都の良さが分からなかったが、今は妙に京都が新鮮である。京都で21世紀を占うこんな言葉に出くわし た。

「21世紀は人間が再び心を呼び戻すときである。京都には1200年間に育まれた歴史・伝統がある。必ず人々は心の拠り所として、京都に目を向けるであろう」

 20世紀の前半の日本は軍事的膨張に明け暮れ、後半は経済成長の虜になった。前世紀は、破壊や開発が中心であったが、その反動から21世紀の前半は伝統文化に磨きをかけることに目が向くのではないだろうか。

 悪貨は良貨を駆逐するとの如く、四季折々の日本の風土に根ざした本物の木造建造物が経済効率の良い外来材や加工品によって本物が追いやられてきた。世界 に誇れる日本しかない木造の街並みが一部は保存されているものの激減した。ヨーロッパの街並みが石の芸術といわれるように、日本も木の匠の芸術や本物志向 が生活の中にとけ込むことにより、日本の日本たる所以が呼び戻され世界が注目する日本が再生されるのではないだろうか。

 法隆寺は1300年前に1000年以上の年輪の大木で建造された。日本の伝統芸術によって建造された木造の建物は生命が宿ると言われている。木にはぬくもりがあり香りがある。また木の音にこそ景色がある。日本の景観にとって木造建造物は不可欠である。

 日本は、東洋と西洋の文化を吸収して日本独自の文化を創造してきた。日本の街並みを見てみても色々な建物が混在している。和風、洋風、折衷、俗物と現代 の日本の縮図ともいえる。問題は日本の景観がぼやけてきたことだ。そのアンチテーゼの動きとして歴史的建造物の保存にとどまらず、土蔵、屋敷などの古い街 並みをそのまま生かした特色ある街づくりが滋賀県の長浜や鳥取の倉吉等で見られる。これらの地域の志が乗数効果を呼び起こし、例えばウイーンの街全体が石 の芸術と言われるように日本の街並みが歴史、文化、芸術が漂う居心地良い空間にならないだろうか。

 日本の公共事業は開発一辺倒だが、これからの公共事業は、地元の木を有効に使い匠の技が光る公共建造物を文化遺産として造ることを考えてみては如何だろ うか。生活感と芸術・文化の香りがする木の街並みが造られることは観光のみならず地域の発展、ひいては国益につながると考えられる。あえていうなら超近代 的な建物と和風の町並みを造る。俗物と本物のごちゃ混ぜでなく、妥協のない古典と現代の最先端の融合による歴史的建造物が求められる。そんな公共事業が理 想と思うのだが。どうだろう。日本の国家戦略として日本の街並みをデザインする時期に来ているのではないだろうか。そうすれば海外からの観光客も増えるだ ろう。


 中野さんにメールはnakanot@tottori-torc.or.jp
2001年01月13日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 北京に銀行マンとして駐在する親しい友人から正月のメールがきた。

「先月は広東省の深セン、東莞、江門、広州に出張しました。今回の出張で一番考えさせられた点は中国の勢いについてです。日本はずっとゼロ成長が続いてい ることもあり、社会全体が保守化、停滞化し、閉塞感が出ていますが、中国は高度成長経済の真っ只中にあり、秩序はないものの、社会に活力があり、勢いがあ ります。中国では一人っ子政策の影響もあり、あと10-20年もすれば中国も高齢化社会に突入し、社会が停滞する可能性も出てきますが、それまでまっしぐ らに走り抜けようとするのが今の中国の戦略のような気がします」

 ●現実のものになった30年前の荒唐無稽な話

 このメールを読んでいて東京外語大で中国語を学び始めた30年近く前のことを思い出した。中国ではまだ文化大革命の嵐が吹き荒れていた。紅衛兵が掲げた 「造反有理」ということばが日本でもはやり、中国語学科の多くの学生は毛沢東帽をかぶって中国にかぶれていた。奇妙なことに革命中国にハエがいないことが 褒め言葉だったりした。

 そんな中で長谷川寛という主任教授の話したことが印象的だった。

「10億人の中国人全員がパンツをつくるようになったら世界の4人に1人が中国製のパンツをはくことになるのだ。パンツなどだったらまだいい。中国の女性がみんな毛皮のコートを着たいといいだしたら世界中の獣という獣の皮は中国人のものになってしまう」

 その時、学生たちは「そんなばかな」と先生の話に耳を貸さなかった。だがその荒唐無稽と思われた話が現実のものになったのだ。パンツどころの話ではな い。われわれが袖を通す多くの衣料品が中国製であることなど当たり前すぎ、家電製品やパソコンの周辺機器でさえ中国製であることに誰も疑問を挟まない時代 に突入した。

 数千万人を擁する上海地区では昨年、一人当たりGDPが4000ドルを超え、中国全土の携帯電話の保有台数も日本を上回っていまや世界第二位の携帯電話 市場と化した。7大都市で実施した調査では70%の家庭が今後5年以内にマイカーを購入する考えであることも明らかになった。景気の変動はあっても巨大な 国内市場が豊かさにむけてばく進中であることは間違いない。

 ●21世紀最大の感慨はアジアの台頭

 1997年にトウ小平が死去した時、世界は中国の改革開放経済の行方を危ぶんだ。同じ年の7月1日の歴史的香港返還に際しても、自由都市「香港」が赤化するのではないかと行く末を案じた。

 だがそれからたった4年しか経っていないのに、いまやこの「改革開放」というスローガンすら死語と化し、世界はこの国を支配する政治体制が共産主義であることすらすっかり忘れてしまっているかのようだ。

 1980年代のシリコンバレーを支えたのは台湾からアメリカに留学した人材だといわれ、90年代にはバンガロールのハイテク団地を中心とする大量のイン ド人テクノクラートがITの推進役をはたし、中国のハイテク技術者たちもネット社会の要所でキーマンとして存在感を増している。

 21世紀が中国の時代だなどという事大主義的な見通しをのべるつもりは毛頭ないが、20世紀を振り返って最大の感慨は西洋列強の植民地が独立を果たし、 中国を中心としたアジア社会が世界の富の争奪戦に参画し始めたということではないだろうか。そしてアジアの台頭という世界史の大きな転換は、功罪を含めて 明治維新以来の日本という存在抜きには語れないという事実を忘れてはならない。


2001年01月11日(木)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 担


 私は去年の秋、定住外国人の地方参政権について書いた。このテーマは十年以上前ドイツでも盛んに議論された。自国に定住する外国人も自分達の社会の成員 であり、また自分達の社会が民主主義を標榜している以上、彼等も参政権を持たないのはおかしいと感じるのがヨーロッパでの議論の出発点であった。

 ところが日本の議論を知るうちに少し様子が異なることに気がついた。どのように異なるのかを考えていると困ったことに原稿がどんどん長くなってしまった。それでも、多くの人々が読んで感想を寄越したくれた。(「本当に、ありがとうございます」)

 これがインターネットの良いところで、私は日本人とあまり接触がないためか読むと新鮮で面白い。また私が考えもしなかったことや見聞できないこを指摘していただくことが多い。

 私は昔からどんな意見でも、反対意見でも面白いと思うたちで、なぜそうのような見解になるかを考えるのが大好きである。そのような事情から手紙をもらう と自分も負けずに感想を送り返す。今回は、書いているうちに数が増えてできなくなってしまった。そこで今からいただいた手紙についての感想を書かせてもら う。

 定住外国人の参政権の問題について理屈からいって次のような対応があると思う。

(イ)少数の国で実行されているが、重要でない地方自治体選挙だけに参加させる。
(ロ)欧州の国で黙認されたり、また考えられたりしている方式で、重籍を認めて定住外国人に参政権をもつようにさせる。
(ハ)定住外国人に国籍をとってもらい、自国民になってもらう。

 大雑把にいってこのように分けることができると思う。感想を寄せてくださった読者の大部分は国籍をとってもらう最後のオプションの賛成者で、参政権を分 割して地方選挙権だけをあたえる(イ)に賛成されない。また(ロ)の重籍を認める欧州方式には、予想されたことだが、反発が強かった。

 ■「謙譲の美徳」と参政権

 私はドイツに長年いるが、「外国人として分をわきまえて暮らす」という気持を失っていない。似たような信条をもちながら、日本人が外国で暮らしているということを、今回私はあらためて思い知らされた。

例えば、「台湾に永住してもよい」と考えられておられる読者は次のように書かれた。

《、、、、但し こちらで参政権を行使したいと思ったらその時は帰化しようと思ってます。それは 片一方で日本国籍を持ちながら ただ税金を納め義務を果 たしているという理由だけで他国の選挙に干渉しようなどとは 失礼な話で 台湾人を尊敬していればそんなことは出来ません》

 このように思う人にとって、私達が自分を外国人と見なすことはその国で「客」もしくは「居候」に過ぎないと考えていることである。そのような自分の身分 を考えたら参政権を要求するなど礼儀に反する行為ではないのか。台湾だけでなく、世界の色々な場所で暮らしておられる読者が似た見解を表明された。外国に 暮らし、そこで外国人となった日本人はこのように礼儀正しいのである。

 私たちは日本に居住する外国人にも同じような礼儀正しさを求める。彼等も外国人として、「客」として、あるいは「居候」としての立場を考えて謙虚であっ て欲しい。だから彼等が参政権を求めるとすれば、それは分を忘れた行いである。だからこそ、参政権を得たいならば、日本国籍を取得して日本人になるべきで ある。

 日本で暮らしておられる多くの読者の方もこのように考えられたのではないのだろうか。だから定住外国人に地方参政権付与に反対されたり、彼等の日本国籍 取得を要求された。私は読者からいただいた手紙を読んでいてそのように思った。(十年以上前ドイツで議論されたとき、このタイプの論拠は皆無ではなかった が、これ程大きな役割を演じなかった。この点を本当に面白いと思う)

 日本人の私達がこのように考えたり、感じたりすることをまったく異なった観点から解釈することができる。

 国境線に囲まれた「ナワバリ」の意識が私たちにはとても強い。その結果、台湾でも、ドイツでも、あるいはメキシコでも、外国で暮らす私たちは、自分の 「ナワバリ」の外、すなわち他人の「ナワバリ」のなかに厚かましく滞在する存在になる。外国人としての自分の存在ををこのように考え・感じているからこ そ、私たちは遠慮深く(礼儀正しく)なり、時には卑屈になるのである。(周知のように遠慮と卑屈は紙一重の差ということがある)

 そして自分が遠慮し過ぎたことに後になってからくやしく思う。この厄介な心理過程を見ないですますために「分をわきまえるべき」とか「尊敬心を抱いて対処すべき」といった「謙譲の美徳」を持ち出して自分に言い聞かせている。このようにも考えることもできるのである。

 ■内国人としての日本人

 誤解のないように強調するが、私はある個人が外国人として分をわきまえて暮らすべきとか、あるいは礼儀正しく振舞うべきといった考え方そのものに反対し ているのではない。この種の道徳律が「外国人参政権」反対論拠として説得力を発揮し過ぎることを問題にしているのである。

 例えば私達が旅行者として短期滞在するなら自分を「お客」のように思うのは当然である。ところが、参政権と関連する外国人はもう何十年も、何代もその国 に暮らしている定住外国人である。このような外国人と数日前に来たばかりの外国人の相異が重要でなくなり、「外国人として分をわきまえる」ことを望むの は、国境線に囲まれた「ナワバリ」の意識があまりに強いからではないのか。

 だから彼等を社会の成員と見なすべきかどうかの議論の出発点が、この「ナワバリ」意識の背後で見失われてしまう。あるいは、自分の「ナワバリ」意識に直面しないですますために「地球市民」として「前向き言語」で話しているのではないのか。

 外国に滞在すると、自分の「ナワバリ」でなく他人の「ナワバリ」にいると思う。だから何をされても仕方がないので、低姿勢で遠慮し謙譲の美徳を発揮して いる。時には卑屈になったりする。ということは、今度私達の「ナワバリ」の中に入って来た人々に何が起こっても仕方がない、あるいは何をしてもよいと考え るのではないのだろうか。何か起これば、他人の「ナワバリ」に入って来た者にこそ責任があるといえるからだ。

 また外国人についてこのように考えていると、彼等に遠慮したり、時には卑屈になることを要求することがあるのではないのか。この傾向は色々な事情から、 ある外国人グループが「お客」として処遇されなければされないほど強くなる。(ある読者が日系南米人労働者の権利が無視されていることを指摘されたが、こ の状況では法的関係など成立しにくいのである)外国人となった私達の礼儀正しさがコインの表側とすれば、内国人としての日本人のこの賞賛できない傾向はそ の裏側である。

 日本で「帰化」と呼ばれる国籍取得の現実も一度この観点から考えてみるべきではないのだろうか。ある市役所の国際部で係長として働かれた経験を持たれる読者のひとりが、

《抜本的には、国籍法(及び入管法)を改正すべきなのです。現在の永住権保有者には希望により国籍の取得を認める。却下理由は限定し、挙証義務は国側に負 わせる、という形が望ましいです。また、「帰化」(王権の徳を慕って翼下に加わるという原義があります)という「差別語」は止めて「国籍取得」という言葉 に変える。永住者の国籍取得手続きにおいては「素行が善良」かどうかの身元調査は廃止する。まして昔のような日本名の強要など、もってのほかです。》

 この方以外にも数人の読者が「帰化」許可に至るまでの時代錯誤的審査の実情を問題視された。個人でなく家族単位でしか「帰化」許可を申請できないことも 「冷蔵庫のなかのキムチまでさがす」徹底した身元調査も、「韓国人であることを忘れろ」といった担当官の発言も、今や「厚かましくも」私達の「ナワバリ」 の正式住人になろうとする人々に対して、これが最後の機会とばかりに「卑屈になること」を要求していることにならないだろうか。私は昔「隠れキリシタン」 に対して実施しされた「踏絵」を想起した。

 今年度の通常国会に、与党3党が「特別永住者」の「帰化要件」を緩和するために議員立法で国籍法改正案を提出することが新聞で報道されている。外国人に 日本国籍取得を要求される人々の多くが「帰化」許可審査の実態などご存知ないのではないだろうか。私はこの立法計画がきっかけになって実情がもっと多くの 人々に知られ、議論されるようになることを願うばかりである。

 ■有事のとき信頼できない

 多くの読者が参政権と兵役の義務もしくは国防の義務が切り離せないことを「外国人参政権」反対論拠として強調された。「外国人は有事のとき信頼できない。そんな人々に参政権などもってのほかである」といった具合である。

 このタイプの論拠も十年以上前、ドイツでほとんど役割を演じなかった。周知のように、この半世紀日本には徴兵制度がない。そのためか、手紙を読み始めた とき、正直いうと、書かれた方が(自衛隊員を除いた)日本国民全部の選挙権剥奪を提案されるのではないのかと心配した。納税義務と同じように、鉄砲を担い で国防義務を果たす能力は参政権を直接根拠づけるものではない。そんなことになれば、まず国民の半分以上を占める女性は選挙権を失うことになる。

 また、なぜ「外国人は有事のとき信頼できない」などと主張されるのであろうか。昔「外人部隊」で勤務され、今ではフランス政府の年金で余生を過ごしておられるドイツ人老人を偶然個人的に知っているためか、私はこの主張に賛成できない。

「外国人は有事のときに信頼できない」と主張される以上、「同国人は有事のときに信頼できる」と考えていることになる。半世紀以上前、あまりそうでもな かったことを経験された方々はまだ日本に生き残っているはずである。いずれにしろ、この考えも「同国人は犯罪をしない」と同じように少々楽観的過ぎるので はないのか。

 冷戦時「前線国家」であった西ドイツでは、国民が有事のとき米軍をはじめとするNATO軍の外国人兵士が少しは信頼できると考えて暮らしていた。日米安 保条約があるのにまるでないかのように思い、守ってもらっている意識が欠如していることを「平和呆け」と呼ぶなら、参政権に関連して「外国人は有事のとき に信頼できない」など簡単に主張する人々も自分こそ「平和呆け」を患っていないかを考えてみるべきである。

 ■背後から意識を規定する国家観

 誤解のないように強調すると、私は参政権を国籍保持者に限定すべきという立場を尊重する。前回も論じたように、冒頭の(イ)(ロ)(ハ)のどれもが国籍や国家の重要性を認めた上での対策である。

 またこれも当然のことであるが、私達誰もがナワバリ根性をもっているのである。どこの国民も多かれ少なかれ国境線に囲まれた「ナワバリ」意識をもってい る。前回ドイツをはじめ多くのヨーロッパ諸国はあまり国籍をとりたい気持にさせる国柄ではないと指摘したが、これもこの国境線の「ナワバリ」意識と無関係 ではない。欧州方式とは国柄が早急に変わらないので重籍を認め、定住外国人に参政権を可能にすることである。前回触れなかったが、これは資本と人材が米国 に一極集中する現状にブレーキをかける対抗策でもあるのだ。

「国家」とか「国民」の考え方も一九世紀から二十世紀、更に二十一世紀と時代が進むにつれて変わってきたものである。私がときどき気になるのは、明治の開 国時に欧州列強から「すり込み」にあったソーシャルダーウィニズム的(弱肉強食的)「国家」観が私達の固定観念になってしまったのではないかということで ある。私達の意識がそれによって背後から規定されていることにあまり気がつかない。この気がつかない状態で多くの議論をしている。

 私が参政権に関連して指摘した国境線の「ナワバリ」意識の強さもこのソーシャルダーウィニズム的国家観の反映である。でもこのテーマに限られない。例え ば、どこの先進工業国でもかなり昔から産業の「空洞化」論議をやっているはずである。ドイツではいつも自国の企業がこれほど外国に投資するのに対して外国 企業はドイツにあまり投資してくれないという相互のバランスが議論の出発点である。

 一方日本では長い間そうでなかったはずである。これも、私達が日本に投資する外国企業を「ナワバリ」のなかに侵入してくる存在と感じているからではない のか。反対に海外で勤務する会社員は、他国という「ナワバリ」、すなわち敵地に乗り込むわけで「海外企業戦士」といった具合である。

   でも国境線の「ナワバリ」意識が強くてもかまわないように思われる。但し、どこかで「敵か味方か」のレッテルを貼るだけになってしまうのではないのか。これは、他国を知るためにも、また自国を知るためにも、あまり恵まれた環境ではない。


 美濃口さんにメールはTan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2001年01月09日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄


 昨年末に閣議決定された2001年度政府予算案では、一般会計予算の規模が82兆円で、政策的経費となる一般歳出が48兆円。赤字を埋める国債発行額は28兆円となった。

 だが本当の姿は一般会計の規模が142兆円で、一般歳出48兆円、国債発行額88兆円と言わざるを得ない。大蔵省が発表した国債発行額は新規に発行する国債だけで、来年度に返済時期が到来する過去の国債60兆円の返済と借り換えを予算規模に加えていないのである。

 一般会計予算は年間のお金の出入りすべてを計上するものだが、返済と借り換えが同額だからといって省略するのは一種の粉飾である。国が発行する国債が必ず売れるとは限らないのはかつてのアメリカでも実証されたことではないだろうか。

 一般会計に必要な82兆円という予算額を上回る88兆円を新たに借りるという異常な事態はすでに昨年から始まっているからべつに驚くほどのことではない かもしれないが、萬晩報流に来年度予算の政府案を読み換えると会計規模の3分の2が借金関連という日本の予算の異常な姿がより鮮明になるはずだ。

 だがこんなことで驚いてはいけない。来年度予算からは一般会計の国債発行に加えて、国の第二の予算といわれる財政投融資計画(財投)でも第二の国債発行が始まるのだ。

 財投改革の一環として、従来、郵便貯金や年金などからの借り入れによって賄われていた財投計画が4月から「財投債」の発行という形態に変更される。本来 は日本道路公団など国の特殊法人がそれぞれ「財投機関債」を発行して独自に資金調達するというのが改革の主旨であったが、改革の初年度からほとんどの特殊 法人が独自に資金調達できない場合の特例として設けられた「財投債」の発行に依存することになった。

 国が発行する財投債は名前は違ってもが国が発行する債券だからまさしく「国債」そのものである。

 そうなると日本の来年度の国債発行額はどういうことになるのか。88兆円に財投機関債+財投債の計44兆円を加えた132兆円ということになる。

 マスコミは大蔵省の発表のままに国債の総発行額について、88兆円の国債に市中消化される財投債10兆円を加えた98兆円と書いたが、発行形態がどのようなものであっても国債は国債である。

 一般会計枠の新規発行額28兆円だけでも市場の金利上昇要因となるのに、さらに財投枠の巨額の国債が加われば日本の金利や通貨に多大な影響をもたらすことは必至である。

 恐ろしいのは来年度以降、毎年40兆円内外の「財投債」が国債発行計画に上乗せされ、例え財政が健全化して無借金財政になったところで、政府の特殊法人 が存続するかぎり、借換債プラス40兆円で100兆円規模の国債発行が延々と続けられるという宿命にあるということだ。(続)


2002年01月05日(土)長野県南相木村在住医師 色平哲郎

今年初めから県内外の講演で「地域通貨」について触れる機会が多い。
地域通貨は、「交換」機能に限定され、
一定の地域や会員だけの間で通用する利子を生まないお金のことである。

地元の経済活動を活性化し、
ボランティア活動の対価としてスピーディーに流通することで、
コミュニティーに新たなきずなを生み出す媒体として大変有効であることから
世界の約3000地域、国内でも50カ所以上での実践が
知られるようになった。
ボランティア先進国の米国では、
地域通貨による経済規模がすでにGDPの1割に達しているという。

現在私は、南佐久郡の山の村に家族五人で暮らしている。
村の方々と接していると「お互い様」「支えあい」の感覚が身近にある。
普段何気なく感じているものなのだが、
このような共同体の持つ「よい部分」は、都市生活では感じ取れなかった。

もちろん、農村共同体には「わるい部分」もある。
口うるさく、権威主義的、封建的で、女性につらく、
50歳代になっても「若者」扱いという長老支配......。
だからこそ若者が村を去っていく現状があるのだろう。
一方、移住した先の都会では、きずなを失って個としての寂しさを感じ、
生きがいを求めてのことだろうか、
ボランティア活動やNPO活動に関心を抱く。
人と人の新たなつながりを求めているようだ。
ケアの原点「人間として人間の世話をすること」こそ、
最大の生きがいとなることの再発見である。

戦後日本は、敗戦で一度すべてをご破算にした後、
村々から都会に人材を集めてやってきた。
頑張って働けばどうにかなる、競争して勝ち抜けばどうにかなると、
勤勉に働いて富と地位を得るのが人としての使命であるとされた。
一定の成功ではあったが、
結果すべてが「お金」で仕切られる社会になってしまった。

「お金を払って専門家にお任せする」といった心のありよう、
この依存心こそ問題の根幹であろう。
都会は、専門家やプロにならないと生き抜いていけない、
お金に仕切られた空間だ。
写真を撮る人(カメラマン)、お金を勘定する人(銀行マン)......。
そうやって日常の一部を、お金でプロに任せていくことは便利で楽ではあるが、
これに伴って失うものも実は大きい。

都会人は自分の「専門」を失ったら、
アイデンティティーを見失うことになりかねない。
父とか娘であるとかいった家族内の関係性のアイデンティティーは残るが、
人間それだけでは生きられない。
「あなたは何者ですか」
「あなたは自分の人生の持ち時間とお金を使って何に取り組むのですか」
という、人間の原点とそれを支える力量や技が問われている。

日本でもいよいよ、世界的なIT不況を受けて、
大手電機メーカーが次々と雇用削減策を打ち出した。
建設業や不動産、大型流通店舗の「整理」もこれからが本番だ。
さらに米国同時多発テロも重なり、景気の将来予測は厳しい。
11月の失業率は過去最高を記録した。
雇用が流動化し新しい職場では、これまでの経験や技能が役に立たない。
不安が広がりプライドが揺らぐ。

各地の講演で私は「村や街のご老人方の生き方から学び取ることで、
もともと地域にあった人と人のよいつながりを再構築しよう」と呼びかけている。
地域通貨こそ、その実現のために大変有効なツールであると感じている。
色平さんにメールは DZR06160@nifty.ne.jp
2001年01月01日(月)  萬晩報主宰 伴 武澄

多様な価値観が育む希望  伴 武澄(萬晩報主宰)

 地方の時代といわれて久しい。かつて地方は東京に対する単なるアンチテーゼだった。だが、どうやら風向きが変ったようだ。中央政体は自民党独裁が続くが、地方では新しい考えの知事たちが続々と登場し、地方からの提案が始まった。まるでオセロゲームをみているようだ。

 今年もまた新しい首長が次々と生まれるのだろうという確信がある。きっとひとびとの間にも 同じような思いがあるのだろうと思う。新しい首長がすべてひとびとの思いを政治に具現化してくれるとは思わない。恵まれた首長をいただくひとびとと新たな 首長に失望を抱くひとびとが出てくるはずだ。

 数年前、Think Japan の大塚寿昭さんと出会ったとき「伴さん。日本の政治は地方からやり直さないといけない。中央ではないですよ」と語っていた。21世紀の初頭にあたってその 含蓄をかみしめている。メディアケーションの平岩優さんも年頭に江戸時代の「藩」を思い浮かべたという。江戸時代のように多様な価値観がこの列島に育まれ たら日本に希望が生まれる。

 萬晩報は4年目に入ります。ことしもよろしくお願いします。
 

萬晩報新年挨拶  中国寧波市 岩間孝夫

 過ぎ去りし20世紀に思いを起こし、そして新たなる世紀に思いをはせる時、つくづく、世の中は変わるものだと思うと同時に先のことはわからないと思う。

 その中で敢えて21世紀のキーワードを求めるならば「調和」だと思う。

 国と国、民族と民族、異なる宗教間、異なる世代間、人類と自然、機械文明と精神文明等々。調和なくして人類はこの地球という住まいの運営を図ることは出来ないだろう。

 萬晩報がスタートして3年が過ぎたが、その間萬晩報の主張はどのテーマに関しても一貫して「よりよい社会を目指す」姿勢に貫かれていた。その姿勢と視点が多くの人々の共感を呼び、今や二万人を越す愛読者を持つに至った。

 萬晩報が引き続き社会の木鐸として警鐘を鳴らし続けることを、そしてまた、日本及び世界の国々が調和のとれたより良い社会に向かって前進することを心から願ってやまない。
 

21世紀の計をたてるのは国ではなく地域です  平岩 優(メディアケーション)

 10年ほど前、ジャーナリストのD・ハルバースタムの著書『ネクストセンチュリー』の冒頭に、アメリカを支えるのは国政を担当する政治家 ではなく現場で汗を流している州知事たちであると書いてあるのを読んで、なるほどと思ったことがあります。日本でもようやく、そんな兆しが現れてきたよう です。官僚の弊害、教育の荒廃がいわれますが、規制緩和や制度の改革に取り組みながらも、100年の計をたてることが必要な時期にきていると感じます。そ して、その計をたてるのは国民国家ではなくて、地方でなくてはなりません。かって明治維新に人材を送り込んだのは藩校です。薩長という大藩だけでなく、教 育に熱心であった佐賀藩は明治政府に多くのテクノクラートを供給したといいますし、津和野という小さな藩からも森鴎外や西周などが育ちました。

 しかし、現在の教育・文化装置は東京・大阪を中心とした大都市圏に偏在しています。出版社にいたっては東京に一極集中です。今、地方に必 要なものは、ハコ物の施設ではなく情報発信のできる教育・文化装置です。たとえば、その土地の文化や産物――園芸植物、米、魚介の養殖、半導体、陶磁器、 染料、野鳥などを核にした研究所やカレッジを創立し、世界的な研究者・人材を招聘する。さらにアジアの若い学生や研究者が参加できるような安い宿泊施設や 居住施設を建設する。そうした文化、環境から人は育まれるのです。夢のような話に思えるかもしれませんが、地域を活性化し、支えるのはおカネではなく人で あることは間違いありません。
 

人々の中へ  色平哲郎(いろひら=長野県・南相木村診療所長)

人々の中へ行き
人々と共に住み
人々を愛し
人々から学びなさい
人々が知っていることから始め
人々が持っているものの上に築きなさい

 しかし、本当にすぐれた指導者が仕事をしたときにはその仕事が完成したとき人々はこう言うでしょう。「我々がこれをやったのだ」と晏陽初 Yen Yang Chu (1893 - 1990)

 長野県東南部、人口1300人の南相木(みなみあいき)村。私は、鉄道も国道もないこの村に、初代診療所長として家族五人で暮らしてい る。自家用車が普及するまで、人は最寄りの鉄道駅小海(こうみ)まで三里の山道を歩いたという。養蚕や炭焼きなどの山仕事しか、現金収入のなかった時代 だ。

 今は村営バスが走り、農作業も機械化されたが、患者さんのほとんどは、そんな村の歴史を知るお年寄りたちだ。診療の合間に、その口から語 られるのは、遠い記憶である。今はない分校に子どもたちの歓声が絶えなかったこと。足ることを知り、隣近所が支えあったくらしぶり。山に生かされた日々で あった。

 しかし、1836年(天保7年)の飢饉(ききん)では村の餓死者120余人。1897年(明治30年)7月の赤痢、寺への収容者250名 中、死者40余名。今も村に残る篤い人情に感激する一方で、ひもじさと感染症流行の生々しい記憶があった。 分け隔てのなさ、生活の楽しみ、笑い、目の輝 きの一方に、みてくれ、ぬけがけ、あきらめといったムラ社会の狭さもある。

 現在の私は冒頭の詩を座右の銘に、プライマリー・ヘルスケアにつき村人に学ぶ日々を送っている。
 

増える地球益のための活動  中野 有(北東アジアビジネス協力センター事務局長)

 日本の進むべき道が見えないままに新世紀を迎えた。国がしっかりしないので、不満を述べ閉塞感が漂っている世相なら、個人がしっかりする しかないように思える。21世紀の初頭は、個人が世界観を持って豊かで元気で夢のある社会を築いていくという可能性が芽生え始めるのではないだろうか。

 個人が国家論や世界観を論じても違和感がなく、インターネットで瞬時に世界に想いが伝わる。そうなれば国を動かす活動とか革命とかそんな たいそうなことでなく、個人が想いを発信することで世の中の空気が変わり新たな柔軟性のある組織や社会が発生し、国の進むべき道が見えてくる。加えて、環 境、人口、エネルギー問題など一国では対処できない問題に直面し地球益のための活動が増えてくるのではないだろうか。

 そう楽観的に考えれば、21世紀の日本はおもしろくなるのではないだろうか。
 

0世紀という時代から21世紀へ  八木 博
いよいよ20世紀も終わろうとしているが、今世紀を振り返ってみると人間が物 質を理解し、それを徹底的に利用するということに関しては究極の姿にまで完 成させた時代と言えるであろう。ライト兄弟の発明した飛行機が文字通り世界 を一体化したし、科学技術は人間を月に送ることもにも成功した。これらは、 人間が「科学」という手法を用いて達成した素晴らしい成果である。そして、 今はインターネットという、知識を集積しつつ、新しいパラダイムへ転換させ るツールが着々と完成しつつある。従来の価値観と異なり、共有にこそ価値が あり、人間同士のお互いのこの尊厳を認めつつ、新しい人間関係が築ける道具 でもある。ヒトゲノムの全体解析も驚くほど早く大筋が完了された。この背後 にもインターネットによる情報の共有が大きな役割を果たしている。20世紀の 成果が21世紀に実りを生む仕組みになってきた。

21世紀にはインターネットに関わる一人一人が、個としての役割や、新しい社 会を考えることになるだろう。主体的な関与こそ、21世紀の社会でのキーワー ドとなる。萬晩報の役割や大である。
 

希望のある国へ 齊藤 清(コナクリ通信員)

 西アフリカのギニアは、乾季がかなり深まっていて、野原の草々はすっかり 枯れてしまいました。北からの季節風に運ばれてきたサハラ沙漠の細かい砂が 空を覆い、太陽はおぼろげに、終日淡い光を投げかけています。さらさらと、 耳に聞こえるかのように降りしきる砂の音が、サバンナの静寂をきわだたせて います。夜ともなれば、野火が空を焦がして通りすぎていきます。

  いつもと変わらないそんな平穏な自然を舞台に、ギニアの国境周辺ではしば しば銃声がとどろくこととなり、多くの人々が逃げ惑う状況の中で2001年を迎 えることになりました。今は、政権にある者の命をかけた言動が求められてい ます。そして、希望のもてる新しい世紀となることを願うばかりの新年です。
 

2001年に22世紀のことを考えてみる  園田義明

 1990年にアカデミー賞7部門を受賞した映画「ダンス・ウィズ・ウルブ ズ」に登場したネイティブ・アメリカンはラコタ族、通称スー族と呼ばれてい る。現在リザベーション人口ではナバホに次ぐ2番目に大きな部族であり、映 画でも描かれていたようにバッファロー狩りに代表される狩猟採集の民であっ た。

「ミタクエオヤシン」はラコタの『輪』の思想を表す言葉で、ミは「私の」、 タクエは「親戚、繋がるもの」、オヤシンは、「全ての」を意味する。この3 つの単語が繋がって「私に繋がる全てのもの」となる。

 ラコタの繋がりは、命あるものすべてに及ぶ。動物も植物も山や川もすべて が時を超えてその『輪』の中に含まれる。そしてそのすべてに生かされている 感謝の気持ちと、それらにために生きることの誓いとして「ミタクエオヤシン」 は今でも語り継がれている。

 2001年に22世紀のことを想像してみよう。間違いなく私自身の肉体は 存在しない。おそらく私の子供もいないだろう。孫かその子供達は生きている だろうか。彼らに何を残してあげられるのだろう。

「spirit」をいただきながら、ほんの少しそんなことも考えてみたいと思う。
 

日本でしか始らない21世紀  美濃口 坦

 年の瀬のある日。 「狂牛病また発見」という文字が踊るドイツのmsnホームページから二回クリックして日本のmsnのホームページにたどりつく。

 左上に 「21世紀の幕開けまで...あと XX 日と XX 時間 XX 分 XX 秒」とあり、秒の前の数字がどんどん小さくなる。感心して見ていると、 「もういくつねるとお正月。、、、、」という童謡の懐かしい一節が蘇った。

 しばらくして「狂牛病」の頁に戻ると、「21世紀の幕開け」とか「今世紀最後の、、」といった文句が見あたらないことに気がついた。他の 欧州諸国のmsnをクリックすると21世紀は日本でしか始らない気がしてくる。日本人がこれほど「西洋の暦」につきあっているのに本家本元は愛想が悪い。 私はこれからも気がついたことを書くつもりにしている。 
 

「節」こそ日本の誇る文化  Ban Mikiko

 多民族国家マレーシアで暮らしていて強く感じることは,民族によって時間のリズム、生命のバイオリズムが異なるということです。時代や年月といった「節」のつけ方が文化により異なるとも言えます。

 12月から1月にかけて各民族(宗教)の祭日が集中するマレーシアで「日本人にとって一番大切な日はいつですか」と友人に聞かれました。 「元日です」と答えたことは言うまでもありません。そして「節」としての正月を説明する中で「けじめ」という言葉がうまく訳せず困りました。しかし、年末 年始の様々な習慣を説明しているうちに、この「けじめ」のつけ方こそ、日本が誇る文化ではないかと思いました。友人は「日本人は楽観的な民族だと思ってき たが、そうやって1年ごとにいろいろなことを清算、総括しているから前向きになれるのね」と納得した様子でした。

 かって日本には元日、紀元節、天長節、明治節という四大節があったそうです。すべて祝日として残っていますが、「節」としての意味合いを 留めているのは元日だけです。それでも、一つだけでも残ったことは幸いだと言えましょう。けじめ上手な日本人。今年は「世紀」の単位ではなく、「千年紀」 の単位で日本を見つめ直し、民族としての「気締め」をしたいものです。
 

人種、歴史、イデオロギーを超越  中国情報局 文 彬

 「国境を超え、ジャンルを超える」をモットーとする、格調高き「萬晩報」に仲間入りさせて戴き、何時も光栄に思っております。旧年中は、 「萬晩報」の主筆を通じて多くのジャーナリストの方々と交流する機会を得られ、また、読者の皆様からも多くの励ましとお叱りのメールを戴き、大変勉強にな りました。

 過去数世紀の分量に相当する激変が「ミレニアム末」である20世紀の後半でいっぺんに起こり、その勢いは今も続いているように思われま す。そういう意味でも、2001年は日中両国にとって、また世界にとって期待と不安が混在する年になりそうです。ただ、人類が段々と人種、歴史、イデオロ ギーなどを超越し、他人、他民族の多様性に対してより寛容的になり、他人、他民族への理解が日増しに深まることだけは疑いません。その中で少しでも日々発 生している真実を正しく伝え、日中の相互理解に役立つことが出来れば本望です。

このアーカイブについて

このページには、2001年1月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2000年12月です。

次のアーカイブは2001年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ