強制学習は必要との観点に立った小学論

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2000年12月11日(月)
GreenDoor経営 宝田 時雄


義務は義の勤めだが義が判別できなければ必要性もない。ここでは人間の成長過程にとって強制学習は必要との観点に立って小学を論じてみたい。

『小学、大学』は知識人の基本的な素養であった四書五経のひとつにでは有るが,現在では官制学歴のなかでの一部分を指しているだけで、説かれている意味を 内包した理解ではないようです。成長年齢にしたがって小から大になるのではなく、大にあっても小を観るといったことも小学,大学にはあります。

簡単に言えば小学も大学も人生の連続性のなかにおいて、つねに存在しているということです。たとえば世界の国々はおおむね6歳になると、それぞれの国が定 めた制度のなかでの教育がはじまります。ここでは施行しているかどうかの論点ではなく、成長過程のなかでの6歳という時期をどのように考えるかということ の共通した考えがあるということです。

小学に戻りますが、人間は生まれたと同時に自他の存在が発生します。まずは母と父です。その後、見るもの、触れるものから多くの他を知る事になりますが、まずは自分は人間だということを認知します。

そして人間なら父母や、関係のなかから長幼、学びのなかから子弟、あるいは友の存在から自己の位置や特徴の分別を行い、全体のなかの一部分である『自分』 を知るようななります。いわゆる他の存在をを認めるところから自分は何であるかといった問題意識も発生し、特徴に合わせた目標やそれに必要な知識技術の習 得欲求が生まれます。

このように父母、長幼、子弟、朋友、あるいは自然界の観察といった習慣学習は、他と違う自身の特徴を知る上でも重要な事ですが、そこから生ずる相手を思い やる気持ちや、不合理に対する疑問、あるいは全体の一部分として参加している社会の存在を知り、そのなかで自らを表現したりするために活かして生きるとい つた『生活』が始まります。

生活には知識や技術も必要ですが、それを習得する大前提となる『自分』を知る習慣学習が小学です。ですから知識技術を振り回し高位高官になっても再度、小 学に立ち戻らなければならない人もいるのです。また小学の具体適な例でもありますが、6歳で小学校に入学しますが、それぞれは異なった環境から学校という 集団に参加します。

家庭環境も違えば身体能力や集団に否定的(不向き)子供も集合します。そのなかで調和、協調が必要となりますが、もし自他を認知する習慣学習が欠落してい たらどうなるでしょうか。あるいは教師が当然、小学校に入る以前の父母、長幼、自他、朋友の分別如何を前提としていたら現在の状況には至らないはずです。 もしも世間で耳障りよく謳われている人権、平等、ゆとり、といつた観点のままで子供を見ていたら状況は変わりません。

中学になっても,あるいは成人式に携帯電話が飛び交ったり、私語で会議が成り立たないような慎みがなく、思慮や問題意識が錯綜している落ち着きのない国情 の原点は,教育基本法でもなければ,誰でも陥る遊惰な民情だけではなく、学問の大前提は「人間は先ず禽獣ではない」と士規七則を表した松蔭の言を借りるま でもなく、小学校と言う小社会に参加した時点で強制をもって『矯正』しなければ道は拓けません。

もちろん教師の全人格と熱情による感動と感激しか効果がないことはもちろんの事、ましてや組織やシステムを解説したり習慣化しようとしても無理な事なのです。

意志の如何はともかく人間は強制してでも学ばなければならないことがあります。社会人になって地位、名誉、財力、学歴といった附属性の価値に汲々とした り、ものめずらしい一過性の流行ごとに群行群止する衆愚の生産はここでいう『小学』といった習慣学習の認知如何といっても過言ではありません。

その後の思春期の問題意識の発生や『大学』の自らを明らかにするといつた過程は、積み重ねなくては生まれるものではありません。平凡社の創始者下中弥三郎 は文部大臣の委嘱の要請に「国立大学全廃、小学校の教師、校長は人生の酸いも甘いも経験した人物で学歴、年齢を問わず。一番の高給を支払う」との条件を出 したと言う(子息 邦彦氏談)。いかに小学の意味を理解していたかがわかる。

また,明治は尋常小学校と名づけ「つねに平常心を養い,うろたえず,騒がず、を小学の根本教育」においていた。それは時代劇にある「尋常に勝負せよ」といった生死のやり取りにおいても感情に流されず平常心をもてということだろう。


 宝田さんにメールは mailto:takarada-t@ma2.justnet.ne.jp
 請孫文再来のホームページ http://www.thinkjapan.gr.jp/~sunwen/

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このページは、伴 武澄が2000年12月11日 09:12に書いたブログ記事です。

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