2000年11月アーカイブ

2000年11月29日(水)
在独ジャーナリスト 美濃口 担


 インターネットで日本の新聞を読んでいると、「永住外国人」に地方参政権を付与する法案が今次国会で成立困難になったというニュースがあった。

 それからしばらくして朝日新聞のインターネット版を眺めていると「e‐デモクラシー」とあり、「永住外国人の地方参政権」をテーマに国会議員と識者が発 言し、読者が意見を投稿する討論会をしていた。これをダウンロードする。他にもないかとサーチエンジンに「外国人参政権」と入れると「外国人参政権に反対 する国民運動」が出て来た。これをクリック。今度は反対意見がたくさん集録されている。これらは産経新聞に掲載されたものが多い。これもダウンロードし た。

 少し前閑ができて、私はダウンロードしたものを読んだ。「外国人参政権」は10年以上前ドイツでも盛んに議論されたテーマである。私はドイツで「定住外 国人」の範疇に属するので、当時このテーマに関心があった。ドイツの議論で感じたり、考えたりしたことを思い出しながら、日本での議論についての私の感想 を今から書く。

 ●名前を変えて生きること

 問題のはじまりは、私のようにある国に色々な事情から住み始め帰国しないで定住してしまった外国人の存在である。彼らが居住するだけで参政権を持たない ことを問題と感じるかそれとも当然と思うかがキーポイントになる。定住外国人の数があまりにも少なければ例外として無視できる。また外国人は完全に「よそ 者」であり、社会の構成員と見なしていなければ、民主主義的原則を彼らに適用することなど思いもしない。ヨーロッパ諸国で定住外国人に選挙権について議論 されるようになったのはこの二つの条件と絡んでいた。ちなみに、私の暮らすドイツ社会も八百万人足らずの外国人がいて、これは全人口の10分の一近くに相 当する。これは例外として処理できる数でない。外国人も自分達の社会に暮らす以上、可能な限り同じように扱うべきという考え方が強い。(外国人に対して暴 力をふるうスキンヘッドの若者も、この考え方に対する反動という側面がある。)

 以上の二つ、数の問題と外国人を同等の社会構成員としてあつかうべきという考えが前提となってヨーロッパでは議論が始った。

 それでは、日本の議論も同じような状況から始ったのであろうか。日本は周知のように外国人就労に対して制限的政策をとっている。私達が在日朝鮮人や台湾 人を除くと定住外国人など西欧諸国と比べて本当に少ないと思われる。私達が在日朝鮮人や台湾人を除外したとする。数からいって「外国人参政権」など議論す る必要が本当にあるのであろうか。私はこの点を不思議に思った。立法段階で対象が在日朝鮮人・台湾人に限定されてしまったのも、私のこの疑問が見当はずれ でないことを物語るのではないのだろうか。

 ドイツ社会で私の周囲に無数の外国人が暮らしている。私の住居に近い順でいくとフランス人、英国人、フィンランドン人、トルコ人、ポーランド人、米国 人、朝鮮人、、、、。(日本人の私を含めて)彼らが「定住外国人」である。彼らと、自分が子供の頃から京都で見たり接したりした在日朝鮮人を同一視し、 「定住外国人」と呼ぶことなど私には絶対できない。在日朝鮮人・台湾人は旧植民地出身者、もしくはその子孫で、歴史的に見ても、また日本社会で置かれた彼 らの立場からいっても、私の周囲に暮らす定住外国人とまったく異なる。彼らの存在はもっと重苦しいものであった。彼らの立場はあの時と比べて遥かに改善さ れたかもしれない。とはいっても、今でもどこかあの当時と同じところがあるのではないのだろうか。

 私が子供の頃、彼らのなかには日本名を名乗る人々が多くいた。日本人だと思っていた憧れのプロ野球左腕投手が朝鮮人であると知らされて戸惑ったのを覚えている。また学校でも彼等は日本名を使っていた。ところが、必ず誰かが「あの人は朝鮮人で、、、」と教えてくれた。

 自分の名前を変えなければいけないということは本当に凄まじいことである。私は日本で暮らしているときはあまり考えなかったが、自分がよその国に行き、 定住外国人になってからつくづくそう思う。母親がドイツ人であるためにドイツの名前をつけておけば私の子供達もこの社会に紛れ込めないことはない。ところ が、私はそんなことを夢にも思わず、子供達に日本の名前をつけた。ところが、「在日」と呼ばれる人々の多くがそうしなかった。私はこの違いを絶対考えてし まう。

 ●「前向き言語」について

 日本社会には「在日」と日本社会の関係を改善するために彼らに地方選挙権を付与することに賛成する人も多いと思われる。もしそうなら、彼等以外の定住外 国人など本当に少ないので、「永住外国人地方参政権」などという看板をあげないで、率直にこの提案をするべきである。ところが、どうやらそうは行かないら しい。例えば上記「e‐デモクラシー」で問題提起者は冒頭で次のように述べる。

《「永住外国人の地方参政権」問題をめぐるこれまでの議論は、もっぱら永住外国人の約9割を占める在日韓国・朝鮮人を対象に行われてきました。しかし、こ の問題はいわゆる戦後処理問題としてではなく、外国人労働者との共生社会をどう作りあげるかという視点から検討すべきではないでしょうか。今後外国籍の IT技術者の登用や介護労働力としての外国人労働者の問題をはじめとして、日本が真に国際社会に開かれた国家と言えるかどうかが問われる場面も増えていく 中で、国際社会における日本の進路はどうあるべきかという問題と切り離してこの問題を考えることは適当ではありません。...》

   こうして、半世紀前子供の私にも感じられた問題が日本のメディア特有の「前向き言語」に翻訳されて、二十一世紀的問題に変わる。でも、なぜその必要があ るのだろうか。今まで「在日」の参政権については散々議論したのに、埒があかなかったからだろうか。それは、大多数日本人はこれを問題にしたくないからか もしれない。また発効部数の高い新聞ほど多数派の考えを無視できない。だから、「外国人地方参政権」という回り道を選んだ。問題にしたくない多数派に苦い 薬をオブラートで包んでのませるために、わざとこのような「前向き言語」に翻訳した。このように解釈できる。でもどんな名目であろうと問題が少しでも解決 されればそれでよい。私には最初そう思われた。

 でもこのように苦い薬をオブラートに包む態度にはどこか読者を子供扱いしているところがないだろうか。というのは、子供に「殺人はなぜ悪い」と聞かれた 母親が直接倫理的理由をあげて必死に説明するのでなく、「監獄に入れられたら、大好きなチョコレートも食べられなくなるのよ。だから悪いの」といってお茶 をにごしているようなところがどこかあるからである。

「e‐デモクラシー」で読者の投稿を読んでいるうちに私の考えが少しづつ変わり始める。というのは、読者のなかには反対者も賛成者もいるが、彼等を子供扱 いする必要など全然ない思われたからである。そこで、私は次のように考えた。この「前向き言語」に翻訳する人々こそ、「在日」のことなど問題にしたくない 多数派に属する。あるいは、問題にしたくないのか、本当は問題にしたいのかも最早考えない。彼等はヨーロッパ諸国と同じように、「外国人参政権」というハ イカラな議論をするために、「在日」朝鮮人をヨーロッパ並の「定住外国人」に格上げしただけである。

「在日」の問題は、日本が外国人の介護人やIT技術者を必要とする問題とも、あるいは日本が「国際社会に開かれた国家」になるかどうかとも直接関係がな い。例えば、(米国がやっているように、)豊かな先進国が開発途上国から有能なIT技術者を金にまかせて集めることに私は疑問を覚える。ということは、ど の問題も厄介で見解が分かれる。別の色々な問題にどんどん結びつける「前向き言語」とは次のようなことになるのではないだろうか。

 会議で私がある提案をする。かなりの人々が提案に賛成してくれている。ところが、私は次から次へと別の問題と関連させる。その度ごとに私の賛成者の数は 減るのではないのだろうか。私達はこの「前向き言語」を後に遡らせて賛成者の数を減らすこともできる。「在日」の問題は日本が敗戦して、植民地が独立した ときに発生したという意味で「戦後処理問題」かもしれない。しかし、だからといって議論をどんどん後遡らせ、「植民地化」の是非まで議論に含ませると提案 の賛成者は減っていく。

 このように議論を進める人々は、法廷でよけいなことを言い出し、その度に新たな証明義務を背負い、自滅する新米弁護士と変わらない。彼等がそのことに気 がつかないのは、多数派根性が骨の髄まで染み込んで、多数派に属する幻想を持つほうが賛成者を獲得して本当に多数派になるより重要であるからではないのだ ろうか。また反対意見を無視すれば、いつまでも仲間内にとどまれ、多数派に属する幻想を維持できる。これも理屈に合ったことである。私にはそう思えてなら ない。

 ●「国内問題である」ことの意味

「外国人参政権」議論のもう一つの前提となるのは、自分達の社会に住み、参政権を持たない人々が存在するのを不自然と感じることである。これは、私達の社 会が「民主主義」という看板を掲げているのに、参政権をもっても良いはずの人々がこの権利の行使から除外されている、これはおかしいと思うことである。

 ということは、これは参政権をすでに行使する多数派とそうでない少数派の問題である以上、あくまでもその当事国日本社会の内部問題であり、またそうあるべきである。

 十年前のドイツのテレビ討論会で誰かがドイツ定住外国人の出身国まで問題にし始め、相互主義を盾に、例えば「ドイツ人旅行者の人権侵害をした独裁国の出 身者には参政権を付与すべきでない」と発言したとする。それまでけんかしていた賛成者も反対者も一致団結して、その発言者を非難したのではないのだろう か。(日本では必ずしもそうでないことは、鈴木雅子さんが萬晩報2000年03月13日号の「在日外国人の地方参政権法案に反対する根拠」で指摘された。)

 また日韓友好のためといって与党議員の一部が法案成立にがんばっているのも本当は外交問題でないので奇妙なことである。十年前米大統領あるいはトルコ大 統領がドイツ首相にドイツに定住する自国民に参政権付与を要求したら、これはかなり角の立つ話になったと思われる。ところが、日韓首脳会談後韓国大統領が 「来年中に妥結できるよう、(故小渕首相の)指導力発揮を期待している」と表明するのを誰も異様に感じない。いつもなら「内政干渉」とか「主権侵害」とか 文句をつける人々も何もいわなかったそうである。

 以上の点は、「外国人参政権」というレッテルをはっているだけで本当はヨーロッパとは質的に別の問題を議論していることにならないだろうか。参政権の議 論で、例えば在日韓国人に選挙権を付与することは日韓友好になると思うのは、そう思う日本人が在日朝鮮人を韓国もしくは北朝鮮の代表者とどこかで見なして いることを意味する。つまり彼等がこれら二つの国家から日本に派遣されて、どこか準公務員(例えば外交官)のような存在として考えていることである。もち ろんそのような印象を受ける人々が少数いるかもしれない。でも日常生活ではそんな気持で日本人は彼等に接しているであろうか。彼等はバックグランドが異な ると思うかもしれないが、個人として扱っているはずである。これは、政治的意見と本当に私達が日常生活で抱く見解のギャップの例である。

 同じ問題を反対側から説明することができる。日本人が外国に出た途端、自分は日本を代表しているという意識にとらわれたことがないであろうか。私たちの 多くががオリンピックの選手でもないし、外交官でもない以上、この気持は本当に可笑しいところがある。外国生活に慣れるとそんな肩肘ばった意識はなくな る。私達が在日朝鮮人を準国家代表と見なすことと、自分が日本を代表している意識はコインの裏表である。

 ●「地球市民」と呼ばれる人々

上記「e‐デモクラシー」の投稿を読んでうれしかったのは巨大新聞が読者との一方通行をやめて、インターネットの強みである議論を生かす企画をはじめたこ とである。また驚くほど多くの人々がこのテーマに関心をもち意見を述べ、その論拠も十年前のドイツでの議論とほとんど同じで懐かしかった。

 また識者の先の提言などあまり気にせず、多くの人々が日本で昔から暮らしている「在日」朝鮮人に限定して論じているのも私にはうれしかった。驚くほど多 数の人々が彼等に選挙権がない現状をおかしいと感じている。ところが、そのような人々も「外国人参政権」には国籍が必要であることを指摘された途端、彼ら は「外国人」であることになり、選挙権を与えることに賛成できなくなる。そんな印象を受けた。

 日本も西欧諸国も「主権在民」であり、参政権を行使するのは国民で、国籍所持者となる。国籍は超え難いハードルである。だからこそ、外国人地方参政権付 与推進者は、どこの国でも参政権という、分割しにくい権利を何とか分けなければいけない。そのために主権行使に関連する国政選挙と、そうでない選挙、例え ば地方選挙に分けて、国籍所持していない外国人に後者の選挙権を与えようとする。ということは、定住外国人に参政権全体でなく地方選挙権だけを与えるアイ デアそのもが参政権に国籍が必要であるとする主張を認めていることである。

 ●次に定住外国人の立場から見る。

 例えば、私がドイツで市町村選挙に参加できるようになったとする。私は自分が住む町の市営プール拡張決定には一票を投ずることで参加できる。次にドイツ が戦争をする決定をしたとする。この「戦争か平和か」の決定のほうが市営プール拡張工事などより私の運命にずっと重要だ。ところが、外国人の私はこの重要 な決定からは除外されている。これはおかしいことではないのだろうか。

 ある決定を下す時、その決定に影響を被る人々、すなわち関係者の見解を聞くべきである。被る影響が強い程、そうしないといけないと私達は思っている。こ の原則に立って、私達は王様が一人で決めるシステムより民主主義のほうを選択した。そしてドイツ社会は定住外国人の私にこの考え方を適用しようとして、選 挙権を与えようとした。ところが、重要度の低い選挙権をくれるのは、この本来の趣旨に反することにならないのか。ドイツでこの議論がはじまった頃私はまず そう思った。

 このように考えると、外国人に地方選挙権だけをあたえることは中途半端な過渡期的処置、「気は心」に近い象徴的要素が濃い処置である。十年前、ドイツで は外国人地方参政権推進者にはこのような中途半端な性格はある程度分かっていた。それでも現状のままほったらしにして置くより良いと考えて、彼らは慎重 派、反対派を説得しようとしたのである。

 店の看板が同じであるからといって、どこの国でも同じ品物が買えると思うのは間違いである。外国人地方参政権賛成者も日本ではかなり異なっている。例えば、

 《私は、国だけが政治の単位だとは思いません。確かに、「外交・安全保障」というテーマに関しては、国が単位となっています。しかし、テーマによって は、都道府県が単位であったり、市町村が単位となったりしていますし、逆に、EUなどでは、国家を超えた政治単位も機能しています。テーマごとに、その参 加資格を考えることは、決して特別なことではないと思います。 》(上記の「e‐デモクラシー」に出てくる民主党代議士)

 このように「テーマごとに、その参加資格を考える」と表現した途端、私が指摘した問題点が消えてしまう。

 もちろんこの日本の政治家のように、私達は、地方自治体‐国家‐EUという具合に「政治の単位」があると考えることができる。でもこの若い日本の政治家 のように表現することで、参政権についての議論と、色々なコンクールの応募資格について議論することが質的に同じになってしまうのではないのだろうか。そ うなるのは、この発言者が歴史的にも国際政治的にも真空地帯にいるからである。というのは、多くの人々にとって国家という「政治単位」は別格的存在であ る。過去にこの「政治単位」のために数多くの戦争が起こったし、私達日本国民も半世紀前はこの「政治単位」のために大きな戦争をした。現在でも地球上のど こかで自前の国家を持とうとして血生臭いことが起こっている。この何百年前から地球上で起こっているていることを無視できる人は私にとって「火星の住人」 に近い存在であるが、日本では奇妙なことにこのような人々が「地球市民」と呼ばれる。

 ●「あたりまえのこと」をいう人々

 このような「地球市民」の立場で「前向き言語」を使う人々にとって、十年前ドイツの推進派に超え難いハードルに見えた「主権在民」も「国籍」も重要でなく、超える必要もなくなる。だから、

 《問題の本質は「参政権を認めるには国籍が前提かどうか」というより、「外国人の民族性、文化を尊重する社会をどう作るか」ではないでしょうか。》(上記の「e‐デモクラシー」の有識者)

 もちろんこのような「地球市民」に対して反論するのは簡単である。「国籍こそ参政権を認める前提である」と述べ、「国家」、「主権在民」、「国籍」、 「国民の義務と権利」といった関連する概念について、「政治学入門」に出てくるような説明をつけくわえ、付和雷同してはいけないといえば済むのである。ダ ウンロードした産経新聞に掲載された反対意見を読みながら私はそう思った。かなり糖がたった「政治学入門」の趣きがないでもないが、国家や国民の在り方が 猫の目のように変わるわけでないので、発言の多くは「あたりまえのこと」で、すなわち「正論」である。「あたりまえのこと」が冴えて見えるとしたら「地球 市民」という引っ立て役がいるからである。

 現実は「正論」通りに行かないので、普通の国ならそこから議論が始る。ところが、日本では「あたりまえのこと」をあっさり「問題の本質でない」とする 「地球市民」が議論をはじめる。そのうちに「あたりまえのこと」をいう人々が出て来て議論が終る。政治はそれとは無関係な場所で動く。これも、多くの日本 人が政治に抱く閉塞感の原因の一つになっているのではないのだろうか。

 どこの国でも保守派は定住外国人に国籍取得を求める。定住外国人を追い出すことが出来ない以上、彼らが国籍を取得すれば外国人がいなくなり、その結果問題がなくなる。でもこの場合に、問題をなくすことを問題の解決と見なすことができるのであろうか。

 それでは、なぜ定住外国人は国籍を取得しないのだろうか。手続きが面倒ということもあるかもしれない。ドイツは日本と比べて遥かに簡単であるが、それで も多くの外国人は取得しない。というのは、彼等は新しい国籍を取得することで今までの国籍を失いたくないのである。彼らがそのように思っているのは、国籍 が彼らのアイデンティティの一部になっているからである。名前もその持主のアイデンティティの一部になっている点がある。だから、私達は名前をあまり変え たくない。国籍もこの名前の場合と似ているのかもしれない。

 保守主義者は国籍を取得しようとしない外国人を一方的に非難する。ところが、問題は相互的である。というのは、国柄というべきものがあって、外国人が暮らしていて国籍を取りたくなる国とそうならない国とがある。

 私が中学生か高校生の頃だと思うが、もう亡くなった江藤淳が朝日新聞の文芸時評を担当していた。彼は渡米するが、その仕事を続ける。米国滞在もかなり経 過した頃、彼は自分がカルフォルニア州から東部にやって来た日系アメリカ人と間違われる経験をし、いかに米国が外国人であることを感じさせなくする可能性 をもつ国であるかと書いたことがある。

 この箇所をもう何十年も経ってからドイツで私は思い出した。ドイツは米国のような国ではない。私はこの国で外国人であり、日本人であることをいつもどこ かで意識し続けている。これは、ドイツが米国のような移民が建国した国ではないことと無関係でない。だから「日系ドイツ人」や「イタリア系ドイツ人」と いった表現もドイツ語として座りがよくない。この国柄は早急に変わらないと思われる。

 ●ドイツで議論が下火になったのは、、

 ドイツでは「外国人地方参政権」についての議論はすっかり下火になってしまった。EU全体の決定で、加盟国が自国に暮らす他の加盟国出身者に自治体選挙 並びに欧州議会選挙に参加させるようになったからである。これで、かなり多くの外国人がドイツで地方参政権をもつようになった。とはいっても、EU加盟国 でない域外出身の定住外国人には、特に二百万人以上もいるトルコ人には以前と同じように地方参政権がない。彼らに地方参政権を与えようとする立法化の動き は皆無ではないが、人々の関心は「国籍」に移りつつある。定住外国人が今までの国籍を失いたくないなら二重国籍を認めて国籍をとってもらう。国籍をとった ら、彼らは地方選挙だけでなく国政選挙にも参加できる。こちろのほうが、参政権を分割しないですむので、地方選挙権だけを付与するより満足のできる解決と 考える人々が少なくないからである。

 二重国籍とは、ある人がフランス国籍もドイツ国籍ももつことであるが、ドイツでも保守的な法学者は「重婚罪」のように忌み嫌う。ところが狭い空間に多数 の国家がひしめき合うヨーロッパでは国民国家最盛期においても多数あったことである。例えば、私は1968年ドイツに行くことになり、生まれてはじめても らったパスポートを知人の「ドイツ人」女性に見せに行った。すると、彼女は「私は3つあります」といって引出しからドイツ、スイス、オーストリアのパス ポートを出してくれた。現在人口八千万のドイツで数百万も重籍があると推定されている。

 この解決案によっても問題が生じるが、保守的法学者が主張するほと解決不可能ではないとされている。例えば暮らしていない国との権利・義務関係が「休眠する」ように国家間で取決めを結ぶことも不可能でない。

 このような背景でドイツの現政権は昨年在独トルコ人に参政権を与えることができるように、事実上彼らの二重国籍を認めるべく国籍法改正をしようとした。 ところが、保守派の反対にあいこの部分は修正を余儀なくされた。しかし欧州統合が国家を残すかたちで進展していく限り、十年とか二十年といった単位で考え ると、ヨーロッパは二重、三重国籍を認めることで問題を解決していくことになると予想される。

 今回「特別永住外国人」と呼ばれる朝鮮人・台湾人に対して地方参政権付与が実現しないかもしれない。「気は心」というだけの過渡的処置でも私は実現すればよいと思っていたので残念である。

 ドイツでは大きな町には外国人から選挙された外国人代表者と市議会代表者から構成される審議会があるところもある。もちろん力はないにしても、ここが市 議会決議に対して反対することは重みをもつ。(こんなこと、私が知らないだけで、もしかしたら日本の自治体でも実現しているかもしれない。)本当にやる気 があれば色々手があると思われる。

  外国の事例はそのまま日本に適用しても多くの場合うまくいかない。例えその結論に達するにしても、議論したり考えたりすることで、その外国の事例だけでな く、日本の問題の性格がよく理解できることがある。そのためにも、奇妙な「前向き言語」で議論しないほうがよいと私には思われる。


 美濃口さんにメールはTan.Minoguchi@munich.netsurf.de
2000年11月27日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄


 「全国で沸き立つ100円バス論議の未来」に海外を含めて多くのメールをいただいた。時間内乗り換え自由というニューヨークのメトロカードなどは日本でも参考になると思うし、香港の地下鉄のカードを掲げるだけで改札口を通り抜けられるシステムは日本より何年も先行している。

  多くの国では、市内の交通網は自治体が中心となって運営されている。この分野にかぎっては日本はまれにみる民営化王国であるが、せっかくの民営でも自由競争がない。なにかがおかしいのである。 【萬晩報】
 

ワンコインバスは、米国の小都市部では常識 小野澤雅人

  ワンコインバスは、米国の小都市部では常識です。東部のヴァーモント州で8年間暮らしましたが、ある都市のバスの 事業の監査委員を務めておりましたが、F・S上は黒字です。(但し、バスは州政府の補助金をもらってます。州内の 都市、村落内の公共交通機関は、1ドル以下のワンコインです。(75セントの地域は、トークン制です。)地域によ って様々な事情がありますが、多くの場合車両は州政府の補助金がでますが、運行については自主財源です。日本でも なんで広まらないのか不思議におもってました。特に地下鉄との連絡切符をもうけるなどすれば、もっと乗車率が高ま るのは明らかですが、行政の壁はあついようですね。
 

NYはどこまで乗っても1.5ドル  Tatsumi Yano

  とっくに誰かがリプライされておられることでしょうが、NYでは数年前から Metro Card というプリペイド・カードの採用以来、シカゴ同様にバスとも共用で市内はどこまで乗っても$1.50ですが、最初に使用した時から2時間以内は地下鉄 ->バス、バス->地下鉄の乗り換えは無料。また$4で無制限に1日利用できるカードもあります。

 面白いのは、私の長男が通うNYの市立大学の付属高校では、登校用の交通費を市が負担してくれるのですが、彼に支給された Metro Card は、月曜から金曜までしか使えず、しかも一日3度しか使えないようにプログラムされています。
 

ロンドンの有名な2階建てバスは1ポンド 齋藤 孝光(TAKAMITSU SAITO)

ロンドンの有名な2階建てバスも、市の中心部(といっても相当な広いエリアですが)は一律1ポンド(いまだと155円位)です。バス運行のシステムはいい加減で(いきなり終点になったりする)、バスも汚いけど、利用率は高いと思います。
 

何度乗り継いでも2カナダドル M.Iizuka

はじめまして。私は、カナダのトロントに住んでいたのですが、交通費は安かったです。バスと地下鉄とストリートカーが、距離に関係なく、何 度乗り継いでも2カナダドルでした。ただし、ある地点からある地点まで、行ったり来たりするようなルートは使えませんが、直線的に乗り継いけば、2ドルで す。

たいがいの駅の中にはバス停があって、改札を出ることなく、バスと電車、そしてストリートカーが乗り継げて、とても便利でした。どこに行くにも、それらの乗り物で行けるので、車があったらいいなあと思ったこともありませんでした。

(郊外にドライブに行くことを除けば・・・)日本はなんでも高いと思ってましたが、交通費もかなり高いと思います。先日、旅行に車で行ったとき、高速代が往復で10000円くらいだったのですが、"そういえば、向こうはタダだったんだよなあ" と思い出しました。

外国や日本の一部の安い交通費を知らない人たちは、普通と思って、疑問を抱かないのでしょうが、それはあまり良い事ではないですよね。

でも、自分に何ができるのだろう・・・と考えてしまいました。
 

台北のMRTは値下げして40元 富田

台北に駐在している富田と申します。ここ台湾台北のMRTは、開通した当初の淡水線の運賃は 台北駅~淡水間80元でした。1か月25日として往復すると実に4,000元となってしまいます。20才代のサラリーマンの給与は30,000元弱、普通 の会社は交通費は支給されないので、自己負担するには相当な金額です。バスで行けば30元です。そのためMRTはしばらくガラガラの状態が続いていまし た。

その状態を打開すべく台北市が打ち出した政策は、まず運賃の全面値下げ。これにより同区間は 50元となりました。またプリペイドカードの額面の20%サービス、そして駅に設置してある機械にバスのプリペイドカードを通すと、30分以内のバスへの 乗り継ぎは無料とする措置を採ってから、乗客は爆発的に増えました。前出のケースでは1か月2,000元で済むことになりました。

開通当初の料金設定が誤っていたといえばそれまでですが、バスまで取り込んでの改革努力は評価に値すると思います。
 

香港の路面電車は、2香港ドル(30円) Fumiyo Shimada

はじめまして。香港在住の島田と申します。いつも楽しく拝見させて頂いております。さて、表題の件ですが、香港の交通機関の安さ、便利さ は、世界に誇れると思います。路面電車は、2香港ドル(30円)、定期運行のスターフェリーは、1.6香港ドル(24円)。タクシーの初乗り16香港ドル (240円)。

地下鉄とバスの共通のプリペイドカードは、機械にかざすだけで反応するので、鞄から取り出す必要はなく、駅や、コンビニで金額の補充がきくので、日本のテレフォンカードや、定期券みたいに使用後にごみにならない。
バス会社や、空港行の地下鉄などは、利用客の客足が落ちると、「同日使用の空港往復は半額」。10回乗ると、1回分無料。10回乗車+15香港ドルでポケモンのぬいぐるみプレゼント。というキャンペーンを次々と打ち出し、あの手この手の集客作戦をしています。

また、空港線は、乗車時にチケットを購入する必要がなく、降車時にクレジットカードで支払う事もできます。元々、自動車税が100%、駐車 場が少なく、あっても高い。バスや乗合バス網が発達していて、山の手線以上に次から次へと来るので、近場に行くにも、ついバスにのってしまうという事情も あります。ただ、難点をいえば、ディーゼル車が多いので、大気汚染がひどいということです。
 

西鉄バスの100円運行は市営地下鉄対策 豊田徳章

私は福岡に住んでいます。西鉄の100円バスの試みが始まったのは、福岡市内で競合している市営地下鉄に客を奪われたために、バス部門の売 上が落ち、その対策として始まったもの。市営地下鉄は早くて便利だが、なにせ料金が高い。最低200円。そこで、市内都心部の循環に限り100円という西 鉄バスの英断は、客を取り返すことに成功した。特に、市外から福岡にショッピングや遊びにくる皆さんに好評。それは循環コースが、福岡のトレンドである ショッピング施設や文化施設をカバーしているためである。さて、ここまでは良い。経済原則から見れば、非常に分かりやすくすっきりしている。ところが現代 は複雑である。

100円バスは、ある範囲内に限り100円ということで、いろいろな路線が市内を縦横に走っていて、すべてのバスに適応されているが、特に 利用者の多い市内循環について、西鉄は利用者増に対応して本数を増便している。これは、利用者にとっては便利だが、一方で都心の交通渋滞、また環境汚染と まで大げさな言葉は使いたくないが、増便による排気ガスの増加を引き起こしているのである。

ただでさえ、福岡は道路事情が悪く、また交通ルートが多重に確保されていないため、天神という中心部はバスと営業車と産業用大型車と市外か らの流入車が一斉に流れ込んでくるという事態になっている。中でも西鉄はその都心部にバスセンターを置いているものだから、市内の路線バスと他県への高速 バスの発着と絡まって、十台のバスが幹線をずらりと占拠するシーンは茶飯事なのである。

これがたかだか1キロくらいの中心部に起きている。西鉄バスが10台あまりのバスで都心を占拠する様は、まさに市内のバス事業独占企業の面 目躍如といったところか。もともと地下鉄は、都心部の交通緩和を第一義的な目的としていたはずだから、バスの利用者が減り、バスの便数が減るのは当然で あって、西鉄はバスの営業路線の拡大ではなく、縮小を前提にしたサービスの充実によって社会的貢献を果たすべきなのに、逆の手を打っている。

西鉄は日本最大のバス事業を展開している私企業であり、また同時に世界一の規模でもある。車両は大型でピカピカ。日本でこんなバスを数千台 も走らせているところはない。私がアメリカで10年以上も前に乗った、車椅子でも乗れる昇降式の乗降口を採用したバスは、いまだに、ほとんど見かけること はない。経済原則は、私企業にそのような施策を採ることを促さないのだ。

福岡の町はこれ以上車を増やせない筈だが、100円バスは利用者増を達成し、バスの便数が結果的に増えつつある。経済原則は資本主義の前提だが、必ずしも住民の幸福を意味しない。

先日はアメリカから来た叔母が、この中心部で待ち合わせのために10分間街角に立っていたら、めまいと頭痛に襲われて倒れてしまった。排気 ガスのせいである。私もたまにその中心部を通るが、気分が悪くなる。福岡の中心部は狭い。もし、車がそれほど多くなく、人がゆっくり散策できるような歩道 のルートがあれば歩いて用が足せるような町である。

銀座だったら、歌舞伎座から並木通りまで歩く人はざらだと思う。今のところそのような都市環境は夢のまた夢。都心は、経済原則によって、住民の決して望まない形へといびつになるばかりである。    
 
 

人が動けば、金も動きます 西府章 

 まったくそのとおりだと思います。安ければ、さしたる用がなくったって使います。台湾に住んでいますが、台北市内の地下鉄とモノレールは 安い。バスはもっと安いのですが、路線が多すぎて、行く先が不安なので、敬遠。地下鉄なら20元(約80円)で、台北市内なら、まずだいじょうぶです。し かも、地下鉄とモノレールは相互乗り入れで、乗り継ぎ可。もちろん、同じ切符です。

つまり、40元(160円)で、大きなデパートは、だいたい巡れます。だから、日曜日は、かなり混んでいる。台北では三越とそごうががん ばっていますが、これは、これはまったく地下鉄(とモノレール)のおかげでしょう。東急ハンズも同じ。日曜日は、公営駐車場が無料なのもありがたい。

 出不精のわたしでさえ、日曜日はデパート巡りです。台湾の景気の良さは(ちかごろは悪いといっているが、日本にくらべると、かなり活気が あります。)あんがい、こういうところにあるのではないか、と思っています。日本の経済規模は500兆円、そのうち個人消費が300兆円(!)だそうです から、その300兆円がすこし動けば、いまの不景気なんか、いっぺんで吹っ飛びます。安い交通機関は、その引き金になると思っています。人が動けば、金も 動きます。
 

交通機関はいつも値上げばかりだった 下山英人

 昨年出張で、何度か福岡に行きました。交通機関は、常に値上げというものばかりしか見たことが無かっただけに「市内循環100円」には驚 かされました。慣れない土地で、よく分からない行き先のバスに戸惑うが、100円なら多少間違っても気にならない。このような試みは、住民だけではなく、 外から来たものにとっても喜ばしいことである。今年になって福岡には行ってないが、うまく軌道に乗って継続中というのは、とっても嬉しいです。
 

西鉄はもっと広告収入を増やすよう努力すべき

福岡県以外の人にはあまり関係ない話のようだが、全ての公共交通機関にも言えることだと思ったので書いてみる。

西鉄と他の会社のバスを比べて感じる違和感は、西鉄のバスは広告がとても少ないことだ。とくに車外の広告はほとんどないといっていい。これ と比べ、東京のバスや札幌の路面電車は、ボディ全体を一つの広告にするくらい積極的に広告収入を得ようと努力している。長崎や鹿児島の路面電車も広告満載 だし、車内放送ではCMもながれる。最近ではボディをペイントした広告タクシーも走っている。福岡ではGATEWAY2000のあの「牛模様」のタクシー が走っており、とても人目を引いている。

前の記事紹介したように「100円・1000円バス」で積極的な戦略展開をしている西鉄だが、こと広告に関してはまるでダメである。西鉄に は積極的に営業してもらいたいし、地元企業も広告を出して欲しい。公共交通機関のスポンサーになることが、企業としてのステータスとされるようになればい いな、と思う。 (て) 
 
 TERRAZIとゆかいな仲間たち http://terrazi.hypermart.net/
2000年11月23日(木) 
萬晩報主宰 伴 武澄 TinkJapan 大塚寿昭


 11月20日の内閣不信任案をめぐる自民党内の抗争について一部のマスコミは「加藤氏の乱」と名付けた。加藤紘一氏の今回の行動に期待しわくわくした国 民からすると、これは「乱」でもなんでもない。「国民への裏切り」である。しかもこんな政治的裏切りは見たことも聞いたこともない。

 加藤紘一のホームページに11月20日夕方まで殺到した投稿メールには、政治不信に陥っていた人々の「わらをもすがる思い」が伝わっていた。間違いなく そこには加藤紘一氏の行動に対する熱い思いがあった。優柔不断といわれたそれまでの政治姿勢に目をつぶっても「いまこそ頑張ってほしい」という願いがあっ た。

 本当をいえば、加藤紘一という人物でなくともよかった。「誰でもいい、いま日本を覆う閉塞感を打ち破る突破口を開いてほしい」というような祈るような切実感があった。

 加藤氏への好き嫌いは別として、そのまま突っ走れば、たとえ内閣不信任案の投票で敗れても加藤派は21世紀初頭の日本をリードする集団として国民の支持を得られたはずだと思った。

 誰かが勇気を持って発言し、行動すれば日本が変わることが分かっていながら、どの政治家もその勇気を持ち合わせていなかった。そこへ一番慎重居士といわ れた加藤紘一が自民党主流派に反旗を翻した。ここに先週末から加藤紘一に国民的期待がわき起こったというのが今回の「政変劇」だったはずだ。

 そこまで国民がお膳立てしたのに、加藤紘一氏は最終的に闘いを回避し、わくわくしていた国民の期待にはしごを外した。利権と票だけを求める理念なき政治 家が多いこの日本でもこれほど国民を愚弄した政治家はないと思う。悲しいかな、彼らは二度と加藤紘一という人間を信用することはないだろう。

 長野県で何が起きたか。栃木県で何が起きたか。結局、加藤紘一は日本という国の中で起きている地下のマグマの動きを知る立場になかったとしかいいようがない。

 それよりも加藤紘一の言動に意気を感じて派閥を脱退した渡辺喜美代議士や政務大臣として辞表を提出した中谷元氏らの立場はどうなるのだろうか。こんな結 末を迎えるとも知らず、加藤紘一を持ち上げ、支持を訴えようとした自分自身に対して、何とも言えない屈辱感と無念さでいっぱいである。

 以上が筆者の今回の政争に対する総括である。(伴 武澄)

沈み行く泥船に戻って行った加藤氏  大塚寿昭

 この10日間あまり、国民の政治への関心度は急速に高まった。それは加藤紘一氏の言動・行動が「閉塞感漂う日本の政治に、もしかしたら新たな光がさして来るかも知れない。」という期待を持たせたからであった。

 内閣首班の首のすげ替えに期待したのではなく、自民党なるものの内包する古い体質、腐った部分との訣別ができるかも知れないということが、この加藤紘一の乱に期待した国民の思いではなかったろうか。

 加藤氏は初め、あらゆるメディアや自身のホームページを使って広く世論に訴えようとした。密室での多数派工作ではなく、世論を味方に付け ようとする姿勢がさらに共感を呼んでいたと思う。ところが、最終段階になって議場での票読みをしてみると、確実に負けているという事態になり、一気に「欠 席」という戦術にトーンダウンした。

 採決当日の各紙朝刊は世論調査の結果を公表し、いずれも過半数以上が加藤氏の行動を支持すると発表していた。また、産経Webは、18、 19の2日間でインターネットによるアンケートを実施し、短期間にも拘わらず1,444件の回答を得、読者の関心の高さを示していた。ちなみに、このアン ケートでは加藤氏の行動を支持するが81.1%、不信任案が通るとした人が66.1%であった。

このように終盤に来てさらに急速に盛り上がりを見せていた世論だが、その時になって加藤氏は永田町の中だけに眼を奪われてしまい、世論の熱気に気が付かなかったのではないだろうか。やはり彼も永田町の人、自民党の体質に呑み込まれてしまった。

 加藤氏は「欠席」を決めた時、同調する議員の前で「名誉ある撤退」と発言したそうだが、筆者の勧めた「名誉ある除名」とは雲泥の差があ る。21日夜のテレビ番組で、矢野絢也氏が「喜劇のピエロより、悲劇のヒーローになるべきだった。」と言っていたが、「名誉ある除名」と同じことを言って いると思う。

 たとえ採決の場で敗れても、盛り上がっていた世論は悲劇のヒーローをもっと後押しする方向に動いたであろう。筆者一連の「心ある自民党議員は加藤新党に糾合せよ!」「名誉ある除名を喜んで受けるだろう加藤氏」という論説は、いずれもこうなることを期待してのことだった。

 加藤氏はただ筋を通すだけでよかった、しかし彼の選んだ道はあまりにも永田町的であった。国民の多くは落胆と失望の思いに覆われた、そして自民党なる体質の支配する我が国の政治に対する不信感を強めた。

 この騒動で見せた自民党指導層のなりふりかまわぬ姿は、かつてない高い関心度で注視していた国民の前にその醜悪さを逐一見せてしまった。不信任案否決後の幹部の神妙な姿勢も、危機感を敏感に察知しているように見えた。

 「加藤紘一の乱」の結果、深く傷ついたのは自民党である。かつて不沈艦を誇った自民党も、今や沈み行く泥船にも例えることができる。加藤氏はそこに戻って一緒に沈んで行く道を選んでしまった。

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下記は、ただ一人主流派を離脱し加藤氏と行を共にした渡辺喜美氏からのメールと私の応答です
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Tue, 21 Nov 2000 21:08:18 +0900
To: Yoshimi Watanabe

渡辺喜美 衆議院議員殿
                            大塚寿昭

ご丁寧なご回答を頂き有り難うございます。
主流派と呼ばれるグループから離脱して、加藤紘一氏の唱える改革に行を共にされたの
は貴台お一人でした。改めてその勇気を讃えさせて頂きます。

「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。たとえ採決に敗れても、世論は、国民は加藤氏と
そのグループを後押しするだろう。「名誉ある除名」と題した拙論はこの気持ちを皆さ
まにお伝えし、主流派内にいても志高い人々に貴台と同じ行動をとって頂きたいと思っ
てお届けした次第です。

昨晩は午前4時過ぎの加藤・山崎両議員の記者会見まで、ずっと中継を見ておりました。
土壇場にあっての判断と行動は、人それぞれの器を鮮やかに浮かび上がらせます。

今次の結末は、日本の政治及び政治家に対する国民の思いを再び倦ませる結果になりま
した。ただ一方では、問題意識を行動に移す国民も確かに増えて来ております。この国
民の思いをしっかり受け止めることのできる政治家として、貴台のこれからに期待して
おります。 匆々

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>「加藤の乱」の顛末 平成12年11月21日 衆議院議員 渡辺喜美
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> 松浪議員の水かけ事件で議事が中断したお粗末極まりない11月21日未明の本会議
> で、森内閣に対する不信任案が否決された。本会議開会直前に加藤・山崎派が欠席を
> 決めたあげくの結末だった。森政権護持に走る江藤・亀井派を離脱し、不信任案に賛
> 成票を投じようと決めていた私にとっては梯子をはずされた思いだった。
>
> 森擁護派の加藤派・山崎派や無派閥・無所属組への執拗な働きかけは想像を越えてい
> た。ある者には金やポストによる利益供与の甘いささやき、他の者には党除名や対抗
> 馬擁立などの恫喝が行われた。なんとも後味の悪い結果であった。
>
> 私のところには誰も説得工作には来なかった。あいつには何を言っても無駄だと思っ
> たのだろう。対外的には「不信任案には反対しない」と言ってきた私は、「日本の明
> 日を創る会」(11月20日仮称)の石原伸晃氏らと共同行動をとろうと約束してい
> たので、欠席した。一匹狼で行動しても政治的には無力であり、ここで私一人が敵陣
> にのりこんで討死しても目的を果たすことは不可能と判断したからだ。
>
> 野党提出の不信任案に棄権という形で半分同調することは与党議員として情けないこ
> とだが、逆に覚悟を決めていた賛成票を投じられなくなったという意味ではもっとむ
> なしいことだった。しかし、それ以外に私の政治信念を全うする手段がなくなってし
> まったということだ。
>
> 加藤氏が土壇場で崩れたことは、政治的には決定的な敗北である。宏池会が分裂し、
> 主流派サイドから攻め込まれた若手が悲鳴をあげ、先にビビった方が負けのチキン・
> レースに敗れた。それ以上に、インターネットやテレビを使って国民を巻き込んでの
> 決戦に臨んだのだから、期待を膨らませた国民の失望は限りなく大きい。反森陣営に
> いた我々の受けたダメージははかり知れない。
>
>《森総理は信任されたのか》
>
> では森総理は不信任否決によって信任され蘇るのか。多分それはないだろう。もはや
> 国民の心は森氏から離れて久しいし、再び上昇気流に乗ることはありえない。問題は
> 森首相のみならず自民党全体、いや日本の政治そのものが国民から見離されかねない
> 政治の危機が起こったということだ。どうしたらいいのか。答はやはりトップを変え
> ることから始めるしかないだろう。人が変われば政治が変わるのだ。
>
> 私は早くから「森さんには辞めてほしい」と言い続けてきた。最大の理由は森さんが
> 国民との間に信頼関係を築くことに失敗してしまったことである。一度失われた信頼
> は修復することは容易でない。政治は人心収攬であり、国民の心が膿んでしまったら
> 指導者としては失格なのである。ただ単に支持率が低下したとかいう問題ではない。
>
> 自民党内において「もう森では持たない」という声は多数派だったはずだ。主流3派
> の中でも本音は森退陣を願っている人は多かったと思う。現に11月7日、橋本派の
> 2期生が森退陣の声をあげたことを切っ掛けに流れが大きく変わったのではないか。
> まるであの時はオセロゲームを見ているようだった。これは森退陣に向かって一機に
> 突き進んでいくと私は内心小躍りしたものだ。
>
> それがなぜつぶれたのか。森さんが「俺は辞めない」と言ったからである。それは本
> 人の確固たる意思であると同時に、森さんにそう言うよう元気づけた人達がいたから
> である。
>
>《大事なのは原理原則》
>
> 一国の総理を辞めさせるのは容易なことではない。まず党内手続で総理である党首を
> リコール・不信任する手続はないのだ。国民から見離され、党内の支持を得られなく
> なった党首は辞任するのが当り前だからである。その常識が通用しないからこそ加藤
> 政局という事態を招いたのだ。
>
> 結局党内手続で辞めさせることができないのなら、憲法規定に従って本会議場採決と
> ならざるを得ない。国会議員は政党人である以前に全国民の代表である。誰からも命
> 令されず、誰の代理人でもなくただひたすら自らの思想・信念に従って国家国民のた
> めに尽くす政治道徳上の義務を負っているのだ。
>
> 政党の論理が常軌を逸したときはこの近代議会政の原理原則に戻るしかない。我々本
> 会議を欠席した与党議員は決して造反者などではなく、正統的な行動をしているだけ
> なのである。「派閥の前に党があり、党の前に国家国民がある」という原理原則さえ
> わかっていれば何も迷うことはない。加藤氏の失敗は派閥システムに依拠し、その温
> 存を考えすぎたことにあるのではないか。とにかく残念なことであった。

2000年11月19日(日)
元中国公使 伴 正一


 青年海外協力隊時代、私は口癖のように「技術協力は江戸期に学べ」と言っていたものです。江戸時代、名工の丹精こめた努力や藩政に尽瘁(じんすい)する 英邁の士の着眼から数々の優れた産品が世に出ました。戦後の地場産業など顔負け、高級品の名をほしいままにして今に至っているものも少なくありません。名 著「日本的性格」の中で長谷川如是閑が、これこそ日本精神と言い切った職人気質(かたぎ)の、見事な開花振りであります。

 人づくりが主眼の技術協力で最も威力を発揮するのは、実はこの類いの職人的な「ソフト」でして、昨今の審議会答申に見られるような言語過剰のペー パーではありません。その土地の風土にどっぷり漬(つか)る。そしてその中から職人的な勘が閃いて現地の実情に即した着想が生まれる。技術協力では、こう いう、江戸期模倣型の段取りでいくのが一番賢いやり方である場合が多いのです。

 また、この類いの閃きは、学歴に関係なく現地の人の中にもあっておかしくない。草履取りの"木下藤吉郎"みたいな逸材は開発途上国にもい るはずで、その意見を取り上げる人がいないだけなのかも知れないのです。そのことに気づく,と言うこと自体が職人的な勘の良さかも知れないんで、外務省で 技術協力課長になったばかりのとき私は偶然、幸運にもそんな人に出会うことができました。

 国連からインドネシアに派遣されていた星山という専門家で、現地の人との間で交わすさりげない会話に出てくる面白いアイディアを(専門家 である)自分の発想にして当局に採用させて行った。「私の仕事は吸い上げポンプ」とは言い得て妙、目のつけどころが江戸期的だと思いましたね。現地の人の 閃きなら当人の発案として上に上げればいいようなものですが、職場にはそんな空気はない。

 「名は星山案でも実はオレの考えが通ったんだ」という、せめて半分量の満悦感を下積みの労働者に味わせていけば、積もり積もってかなりのインセンチヴになるだろう。インドネシアの発展を願う星山さんのそんな心情が伝ってくる思いでしたね。 

 それだけでなく、この話で私の連想を喚んだのが、薄々私の記憶に残っていた次のような江戸期物語です。無暗(むやみ)に朗読させ、暗誦さ せておいて「読書百遍、意自ら通ず」で押し通していた寺子屋流儀も荒っぽい。とても合理的とは言えませんが、この程度なら禅の不立文字(ふりゅうもんじ) と似たり寄ったりで分らんでもない。

 ところが、弟子を仕込むのには教えるよりも盗ませるに限るというに至っては言語道断、奇抜も度が過ぎるというものですよね。でもこんな、 世界のどこへ持って行ったって通用しないような教育手法がかなり広く行われていたというのですから、江戸期が面白いんです。論より証拠、明治開国となって 西洋の先進技術をあんなに素早く、あんなに巧みに取り入れることができたのは、こうして鍛え上げられた職人たちのど根性の賜(たまもの)なんですから。

 生業(なりわい)に発して〃道〃に到る、とでも言いましょうか、江戸期の奥行きの深さ、その頃の達人たちの知恵や気合いの入れ方。総じて 職場に育(はぐく)まれていた精神文化の高さには粛然として襟を正さずにはいられません。少し褒め過ぎたかも知れませんが、一度は明治維新、二度目は米軍 占領でダブル・パンチを食らい、その到達していた精神の技(わざ)を不当にも「旧来の陋習」でなで斬りにされたのが江戸期であります。

 それだけに、260年に亘る父祖の歩みを謙虚に見なおし、この期のために名誉回復を計ることは、平成の世に生きる我々子孫にとっては、ゆ るがせにできない務めだと思うのです。事のついでに申し添えますと、よく人の口に上る武士道も"武士たちの職場"で打ち鍛えられた精神文化と見れば、広い 意味の職人気質と言えないこともありません。

 こうして展望を広げて行きますと、江戸期の名誉回復は、単に平成世代の務めというだけでなく、日本のナショナル・アイデンティティを求め る上でも欠かすことのできない知的作業になってきますが、武士道は別に日を更めて論議すべき独立のテーマと考え、ここではこれ以上触れないことにしたいと 思います。ところでこの10年近く、言論界は日本ダメ論一色の観を呈して来ましたが、その中で極く少数の人が心配無用論を唱え続けており、その論拠に今も 中小企業などに息づいている職人気質の頼もしさを挙げているのは特筆すべき卓見ではないでしょうか。 

 以上、職人気質から得られる技術協力のヒントとでも言うべき話をしてきましたが、現代語に訳せば「プロの根性」となる職人気質を、素人イメージで通っているボランティアに期待するのはお門違いではないかという指摘もあります。

 ボランティアというと、いいことの代名詞みたいになって独り歩きしている今のご時世ではありますが、確かにその語感には、誰にでもできる 善意の無償行為という、ある種の気楽さが漂っていることは否定できません。事実ボランティアで専門グループが活躍しているのは医療チームくらいのもの、と 言えなくもありますまい。ただ協力隊はどうだとなると、正直なところ、すんなり答えが出せそうには思えないのです。 

 当初の米国平和部隊はピタリ、ボランティアでよかったと思いますが、日本の協力隊はメシの種にしろ余技にしろ技術、技能を身につけた概し て言えば専門屋が、ボランティアとして海外奉仕に出掛けて行くという実体でスタートしています。大部分の隊員は、プロの道を歩み始めたか、プロたるの素養 をあらかた身につけたばかりのところだと言うことができましょう。

 確かに「プロの根性」を口にするには早過ぎるけれども、仕事に対する取り組み姿勢の面では、プロの素質を備えていると見ていいのではない でしょうか。そこをしっかり踏まえておけば、やや重みに欠ける憾(うら)みはあり、少々気楽さが心配になるところはあっても、総体としてはボランティアで いい。そうしておいて隊員一人ひとりに見られる職人気質の度合いを一律に規制せず、そのバリエーションを大切に見守るということでいいのではありますまい か。

 このような隊員の特質に着目して、人生で感受性の最も豊かな時期に当たる2年を充実させ、できることなら更に一歩を進めて世界と〃くに〃に開眼することに期待を寄せていいのではないですか。 

 そこで最後にこれに関連させて是非お話をしておきたいのが、シニア・ボランティアのことです。シニア・ボランティアは、プロとして成熟の 域に達する時期ですから、職域でもそう身軽な状況にあるとは考えられず、家庭的、社会的諸条件まで勘案すると、2年もの海外ボランティア活動に飛び込める 人は多くないと思います。

 更に言えばプロとしての完成期には、適正な報酬ということも重要で、単にゼニ、カネの問題とは言い切れない。その人の到達している技術に 対する評価の物差しであり、本人にしてみればプロの見識という意味合いもあって、専門家として適正な品定めを受けての活動でもないのに、ボランティアだか らといって気安く話には乗れないというのが、極く普通の人の考えることではありますまいか。 

 ところが定年を過ぎる年齢になると、別途、今まで予想もしなかった新しい問題がクローズ・アップして来たため、話がすっかり変わって来 る。平均寿命の延びた現代ではどう見たって老齢と呼ぶには早過ぎる60代を、如何に賢く生きていくかという、前代未聞の課題に我々は直面しているからで す。体力的には今までのように無理が利かなくなっても、専門知識と経験は豊富で、そこから湧いてくる知恵は壮者を凌ぐものがある。

 そんな人があり余る程いて髀肉の嘆(ひにくのたん)に暮れているというのですから、こんな勿体無い話はありません。肉体的な抵抗力の面で 青年協力隊と張り合ったりしないで、比較的寛いだ執務環境でたっぷり任国のお役に立つことができれば、一つの素晴らしい選択肢ではありませんか。その年に もなれば無償だからと言ってプロ仲間に後ろ指を指される心配もありますまい。

 プロとボランティアの見事な結合という点で全く問題なし。シニア・ボランティアの世界ではそのうち「花の60代」という言葉が飛び交うようになっても不思議ではありません。


2000年11月18日(土)
ThinkJapan 大塚 寿昭


 11月17日夜のTVニュースで政局に関し次の2つの重要なポイントが報道された。

 20日の野党提出予定の内閣不信任案に、賛成または本会議を欠席した自民党議員は党から除名されるということ。もう一つは森首相、野中幹事長の合意として、もし内閣不信任案が可決成立した場合は解散総選挙をするということである。

 筆者はこの報道を聞いて加藤紘一氏の勝ちと判断した。 たとえ不信任案が否決されても加藤氏とその一派は除名の対象となり、自民党の外へ出ざるを得なくなる。その結果、自民党及び与党3党の衆議院における勢力 は確実に減ることになる。どのくらいの数に落ち着くかは現時点ではわからないが、与野党拮抗した状況になり与党の国会運営は思うように行かなくなるだろ う。

 また、首相をそのまま置いておくこともできないと思う。そのまま森首相を居座らせておくことは、最新の世論調査の結果からもさらに世論の反発を招くことになる。従って森氏は首相の座を降りざるを得なくなる。これで加藤氏は目的の一つを達成することになるのである。

 森氏を降ろすというのは、主流派の中にも内心そう思っている人たちが少なからず居るようだから、首相交代はまず間違いないことと思う。そして新しい首班 に誰が指名を受けるかは予測しがたいが、誰がなっても綱渡りの国会運営が続き、来年6月の参議院選挙へと突入することになるだろう。

 加藤派名誉会長の宮沢大蔵大臣は不信任案否決にまわると言明していた。加藤派ではこのほか池田行彦元外務大臣、森田一運輸大臣も否決して自民党に残ると 明言している。このように党の長老と呼ばれるような人は概ね残るようであるが、一方で主流派の江藤・亀井派を離脱した渡辺喜美代議士もいる。

 このような状況を見ていると、加藤紘一氏は内心除名されるのを待っているのではないかと筆者は推測する。今回の不信任案採決で、国民の大多数が支持しな いという森首相を支持する、そう意志表明した議員は誰だったかということが鮮明になる。採決後すぐに首相の首をすげかえても、採決の際に森首相を容認した ということは、どっちに転んでも否決にまわった自民党議員は世論に言い訳が難しくなるだろう。次の参議院選挙において自民党の衰退はさらに加速されること になるだろう。

 清新な志を持った自民党代議士は主流派の中にも数多く居るはずである。沈み行く泥船のような自民党に残って、古狸のような老害議員、族議員たちと一緒に なって沈んで行くのは本来ではないだろうと思う。このまま自民党に残ったとしても、古いものや腐った部分を抱えたままでは真の改革はできまい。

「今この国の危機を考えると、私は名誉ある除名を喜んで受ける」加藤氏はこう思っているのではないだろうか。心ある自民党議員諸兄よ、もう一度よく考えて いただきたい。加藤氏が好きか嫌いか、加藤派に与するか否かが問われているのではない、本気でこの国の改革を進める気があるのかどうかを問われているので ある。

 (このコラムは約100人の自民党、民主党議員に送付されています)

【萬晩報】 退場を求められているのは森首相+4人組

 森喜朗首相を陥れている自民党の政変劇は、世論の高まりの中で国民的関心事となった。国民が求めているのは森首相の降板だけでない、森内閣を密室内でつくり、森政権を操ってきた自民党の野中、青木、村上、そして亀井という4人組の退場をも求めているはずだ。

 森首相は4人組の単なる操り人形であることは初めから分かっていたこと。森首相のパーフォーマンスが稚拙すぎたのはいうまでもないことであるが、4人組 のこの1週間の言動はあまりにも身勝手だった。加藤紘一氏が野党の内閣不信任案に欠席すると言い始めたころ「森首相を支える」といっていたのが、形勢が悪 くなると「首相早期退陣論」を持ち出し、今度は「内閣不信任案が可決なら解散」などと首相の専任事項であるはずの「解散」にまで踏み込んだ。

 まさに言いたい放題、やりたい放題である。ここまでくると逆に森首相が哀れに思えてならない。(伴 武澄)


2000年11月17日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄


 昨年8月25日に「100円で経営が成り立つ長崎の路面電車」というコラムを書いた。長崎市の路面電車は全区間100円。しかも乗り換え自由である。驚きはワンコインというだけでない。黒字経営が続いていて行政からの補助金を一切得ていないということである。

 長崎でなぜ路面電車が100円で採算が合うか。それはただ乗る人が多いからだ。長崎の路面電車は市の形に沿って南北に長く走る。45万人の町で毎日6万 に近い人が利用するのだから利用頻度はすこぶる高い。みんなが乗るから料金値上げの必要がない。安いからみんなが乗る。そんな好循環が続いている。

 ●交通体系ががたがたになるので自重してほしい

 きょうは100円バスのことを考えたい。3年前、京都のMKタクシーのオーナーの青木定雄さんから100円バス構想の話を聞いたことがある。「公共交通機関が高すぎるから乗らない。乗らないから採算が悪化する」ということだった。長崎の逆である。

 その青木さんが1999年9月に、現行220円の市内路線に100円でのバス運行を申請すると関係者の間で大きな波紋が起きた。大阪運輸局は「京都の交 通体系ががたがたになるので自重してほしい」と要請。青木さんは「京都市バスが大幅な値下げをすれば取り下げてもいい」と反論した。

 その京都市が4月から中心部の循環バスを100円での運行に切り替えた。四条河原町周辺の週末の混雑を緩和するのが目的で、あくまで来年3月までの週末 だけの試験運行である。利用客があまりに少ないので京都市交通局は10月からは沿線の商店街で買い物をした客への無料乗車券の配布を開始した。

 この循環バスは河原町通り-御池通り-堀川通り-四条通りを結ぶ四角形を運行し、週末のマイカーの流入を抑制するのが狙いとされているが、商店街は河原 町と四条に面した部分だけ、ウインドーショッピングをする距離だけにわざわざバスに乗る人がいるはずもない。おかげで青木さんは100円バスの申請を取り 下げざるを得なくなり、MKタクシーの京都市での新しい試みはいまのところとん挫した状況だ。

 ●「安ければ乗る」という消費者心理を実証した西鉄バス

 ところが福岡の西日本鉄道が始めた100円バスはどうも軌道に乗りそうな勢いなのである。1999年7月に試験的に福岡市の中心部でスタートしたが、ことし4月には本格運行に移行し、100円区間は福岡市周辺や北九州市など数十路線に大幅拡大した。

 当初「現行の180円の運賃を100円に値下げするには乗客が1.8倍に増えなければ採算が合わない」としていたところ、半年後に利用者はちゃんと 1.78倍にまで拡大した。「安ければ乗る」という消費者の心理をものの見事に実証してみせ、いま西鉄は100円バスの成功に自信をみせつつある。

 100円バスの試みは東京武蔵野市が1995年11月から始めたものだ。民間委託による「ムーバス」と呼び、当初は「お年寄りに町に出てもらう」ためのコミュニティーバスを目指した。バスは28人の乗りの中型車両で200メートルごとに停留場を設けた。

 たが、誰でも乗れるということで、市民の足となり、結果的に昨年度黒字化に成功してしまった。バス会社を定年退職した元運転手を中心に運行しているのが黒字経営の秘訣だそうで、安価で市民の足を確保することはやり方次第で可能であることを全国に知らしめた。

 ●ハワイのバスは全島均一で1ドル

 だがこんなことに驚いてはいけない。シカゴ在住の藪さんから昨年もらったメールではハワイでは全島1ドル均一だというのだ。ハワイのバスの料金は一律大 人1ドル、子供50セントで、島の端から端まで乗っても均一。オアフ島の北海岸と南側を結ぶ路線は一周4時間で、利用客が多く、便数も多く常に満席だそう だ。

 シカゴでは市バス、地下鉄、エル(高架鉄道)は共通の乗車券(プリペイドカード)で、一律料金の1.5ドル。オヘア空港からダウンタウンまで地下鉄で 45分の距離でも、1.5ドルということだ。サンフランシスコでは一定の時間内ならば、一枚の乗車券で何回でも乗車できるという便利なシステムもある。

 100円というワンコイン方式のバスはすでに日本全国50近い地域のバス会社が何らかの形で導入しているが、まだまだ経営的に認知されたとは言えない。 当初は行政の財政的補助が必要かもしれないが、補助金頼りでは長続きしない。定年退職者の採用だけでなく、MKグループの構想にある路線タクシーなど自由 な発想で既存業界以外からの自由な参入を認めることが100円公共交通機関の成功のかぎを握ることになるはずだ。


 1999年08月25日 100円で経営が成り立つ長崎市の路面電車
 1999年08月26日 【読者の声】100円で経営が成り立つ長崎の路面電車
 1999年09月26日 高速道路料金を100円均一に 雨漏り実験室の"チャ"
2000年11月15日(水)
ThinkJapan 大塚 寿昭


 自民党加藤紘一氏の「森内閣不信任案に反対はしない」という発言は、その後の彼の行動と併せて政界に大きな波紋を呼んでいる。

 加藤氏がこれを公に発言した大きな背景は「人格的資質を問われるような人物をいつまでも首班として担いでいては、自民党そのものが国民の信頼を失 い本当の崩壊に繋がる」という危機感からである。一方で森首相を擁護する主流派は、政策論争に持ち込み、この騒ぎを沈静化させようと目論んでいる。森派会 長の小泉純一郎氏にしても、今日(13日)の発言は政策論の調整であり、加藤氏は離党するとは言っていないと語っていた。また、12日朝のテレビ朝日のサ ンデープロジェクトに出演した、森派若手論客の高市早苗氏も同じく政策論争をしようと語っていた。いずれも問題を矮小化してしまいたいという意図が見え た。加藤氏の論点は認識しているにもかかわらずである。

 加藤氏の投げかけた問題は「人格的資質を問われるような人物を、総裁選挙という正式な党機関の決定を経ずしてトップとして担ぎ、そのまま やり過ごそうとしている自民党の体質が問われる」ということである。しかし、彼とその一派が不信任案を通過させる事態を喚起してしまったら、その後加藤氏 が自民党で首班として押されることはないであろう。党の意志に反した行動を取った人物を、それでは首相にどうぞとは自民党もできまい。

 そうなると加藤氏は離党し新しい政党を立てるしかなくなる。本人から野党に入る訳はないし、野党を代表する民主党も受け入れるには都合が悪いのである。つまり、加藤氏を首班とするには党首として迎えるくらいの形が必要になって来るからである。

 加藤新党ができた直後は相当な混乱が政界に巻き起こるであろう。そして様々な連立を模索する動きが活発になる。現連立与党側は首班指名の 過半数を確保できなくなり、無所属議員あるいは加藤派、あるいは民主党内の旧保守系議員や自由党の議員に対し、自民党への引き抜きをかけて一本釣りをする しかなくなる。一方で民主党は鳩山党首を首班にと、やはり連立工作を模索する事になるだろう。初めから加藤氏を首相にする前提で加藤新党と連立するわけに はいかない。加藤新党はしばらくの間政界の鬼っ子になるのではないだろうか。

 この加藤新党が巻き起こす波紋は野党側にも大きな影響を及ぼすことになるだろう。現在の野党連合は、ハイそうですかと加藤新党と連立を組 み加藤氏を首班指名することはできない。だがそうかと言って鳩山首相も実現できないということになると、民主党内の旧保守系や若手が黙っていないのではな いか。もしかしたら民主党も分裂騒ぎになる可能性が出てくる。民主党内のダッシュの会は健在のようだし、あまり注目はされなかったが、東京21区補選前に 民主党都連内で若手中心に都連会長更迭の動きがあった。これは臨時都連大会を開き、1票差で岩国会長を降ろし海江田新会長を選んだものであるが、ここにも 民主党若手グループに火種がくすぶっているということができる。自由党の小沢党首は、この乱戦模様に時を得たりと様々な引き抜きや連立工作を仕掛けてくる だろう。

 こうなってくると注目すべきは自民党内の若手グループである。田中真紀子議員が「派閥の枠を抜けきれないで何ができるか」と言って抜けた 後、何やら初めの勢いがすっかり衰えてしまった「自民党の明日を創る会」の若手諸君はどうするつもりなのか。もし不信任案が国会を通過すれば、政府側は直 ちに解散総選挙を打ってくるのは間違いない。そうなった時に問われるのは、密室談合で人格的適正を欠く人物を首相に担ぐような政党に居て有権者に説明がつ くかということである。 これは何も「創る会」のメンバーには限らない、心ある自民党議員諸兄全てに考えてもらいたいことであるし、彼ら自身自民党に居て選挙を戦えるかどうか、そ の決断を迫られる事態にもなるであろう。

 奇しくも、本日発表があったNHKの世論調査でも森内閣支持は17%と7ポイント下がり、不支持は68%と10ポイント上がった。野党の 不信任案提出のタイミングにもよるが、会期末(12月1日)までには提出は必ずあるだろう。この世論の状態で総選挙となれば、自民党各議員各々の当選すら 危うくなって来るだろう。

 自民党は参議院の選挙制度改革「非拘束名簿方式」の強行採決もやってしまった。これは、社会的要件、歴史的要件、世論などの背景などは何もなく、ただ今現在の政権を維持するためだけの党利党略のみで、大義名分のないまま民主主義の根幹となる選挙制度を弄んだものである。

 今問われているのは、このような旧来の体制を守るためだけに汲々としている党に、自身の政治信条を預けたまま政治家を続けるのかというこ とである。官房長官就任を蹴った小泉純一郎氏も、今は森派会長としての仕事を全うしようとしているが、蹴った事実には何らかの腹があってのことは間違いな い。YKKのもう一人の山崎氏は既に加藤支持を鮮明にしているので、小泉氏が何か新たな動きを始めてもおかしくはないと考えても良いだろう。

 今我が国は歴史上の大きな転換点にあるという認識は、国民の多くが持っていると考えて良い。こんな時にこそ政治の力が必要なのである。加 藤氏は今日のインタビューでも、国民の7,8割が思っていることを汲み取れない永田町を改めたいと語っていた。この認識を明瞭にして立ち上がった加藤紘一 氏を讃えたいと思う。加藤新党は間違いなくできることになるだろう。

 心ある自民党国会議員よ、そして野にある志を持った諸兄よ、加藤新党へ行け!(2000年11月13日)



 ■塩崎恭久氏の「半年も待っている余裕はない」との決意

 加藤氏は決して我利我欲で今回の行動に踏み切ったのではないのだと思います。単に75%の国民が支持していないという表面的な理由ではなく、本年 4月から約8ヶ月間とられてきた政策のままでは、日本が自らの自信と力と世界の信頼を回復することは無理で、確実に参議院選挙に大敗してしまう、という切 羽詰った気持ちなのでしょう。「参議院選挙で負ければ森さんから総理の座が黙っていても転がり込むのに、あせるな」とおっしゃる方が大勢おられますが、何 よりも大事なことは今の自民党、そして今の日本には、後半年余りも待っている余裕などない、ということです。いわば救国、憂国の危機感からの決起なので しょう。
 夜、仲間の代議士と意見交換をした後、加藤紘一邸ヘお邪魔し、地元での反響等を伝えて来ました。
 http://www.y-shiozaki.or.jp/oneself/index.htmlから


 大塚さんにメールはmailto:otsuka@giganet.net
2000年11月14日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄


 2000年11月12日(日)付「久しぶりに覚える政治的わくわく感」に対しては手厳しい意見が多かった。「あの顔をみてほしい」「失望しました」と いった意見をいただいたが、「何かが崩れ始めている」という指摘もあり、変化への期待感はあるものの「加藤さん」では嫌だという認識が少なくないのだと感 じた。

 しかしどうだろう。加藤氏の今回の行動の背景にある認識は、自民党の末端組織にまで「森内閣」に対する不満が鬱積しているというものだ。筆者は自 民党支持ではないが、永田町の面々だけが未辞からの保身のために森内閣を支えているとしか思えない。主流派の締め付けの中にあっても本音を語る政治家でい ることが自身の将来を決する唯一の手段であることを今一度考える必要があろう。

 日本経済は補正予算の審議の最中で政局で国政を議論する時期でないという指摘もあるが、「公共事業一辺倒の借金財政をこれ以上続けるべきでない」というのが加藤氏の一貫とした姿勢であることからすれば、まさに政治が動くべき時期なのだと考えざるを得ない。

 11月12日(日)付「久しぶりに覚える政治的わくわく感」は加藤氏へのエールを含めて加藤紘一氏のホームページ(http://www.katokoichi.org)に投稿させてもらった。【萬晩報】
 

どうも賛成できませんね 中山

 加藤氏は長期戦略をもってません。日本をどのような国にするのか国民に語ったことはありません。それに政治家としてのタイミングをキャッ チするセンスがありませんよ。日本を逼塞感が覆っていますが、しかしながら総理が替わればただちに変化が起きるというものではありません。

 今はタイミングではありません。逼塞感のために支持率が下降しているのでしょうが、森総理が重大な失政をしたわけではありませんからね。へたをすると加藤氏は政治生命を失いますね。つぎの総理はもうないでしょう。

 支持率のことばかり言っているのもセンスがありませんね。支持率は変化するし、今は誰が総理になってもたいした支持率が得られるわけじゃ ないでしょう。それにこの支持率がマスコミが誘導している要素が大きいと思いますよ。小生、べつに森総理の熱烈な支持者じゃない。そうかといって「やめ ろ」と思ってもいない。こういう人、多いと思いますがいかがです?もしこういう人にアンケートをとると、「うーん、あまり支持できないねえ・・・」と口を 濁すでしょう。これが今の支持率の本質です。

 自分が信念をもっているなら、自民党から出ればいいじゃありませんか。自民党のなかで何かしようと思うなら、やり方があるし、タイミング というものがあります。政治家のセンスのなかでタイミングほど重要なものはない。タイミングを読むのは一種の勘、生まれつきのセンスですが、加藤氏には欠 けているようですよ。

 森内閣で日本が壊れるほど日本は脆弱ではありません。むしろ、戦略のなさが長い目で見て日本を破滅に向かわせるでしょう。加藤氏は役人風ですな。決して新しい時代のリーダーの素質をもった人ではありませんよ。顔を見ればわかる。顔を。
 

田中秀征さんもきっと、ワクワク 佐々木

「加藤氏に期待」のコラム、全く同感です。田中秀征さんもきっと、ワクワクされているでしょう。
 

森さんよりは、加藤さんの方がまし 石川

石川の独断と偏見かも知れませんが、私のこれまで生きてきた経験から思うにどう考えても、森さんよりは、加藤さんの方がまし。世論、世論と みなさんが言いますが、私たちは、どのようにして世論を野中さんや亀井さんに知らせる(おしえる、わかってもらう)ことができるのでしょうか。とにかく、 加藤さんを私(たち?)が支持していることを世論に訴え、それが、世論であることを野中さんや亀井さんにわかってもらうためにはどうしたらよいでしょう か。何とかしなければ、と思うのですが・・・・・・・・
 

加藤氏では頼りないですね murayama

橋本内閣のとき 何をしましたか? 無策無力の見本でした。そして 結局は 今日の大不況に至る過程を傍観していただけでした。森首相も頂けないけれども 加藤氏よりは 愛嬌があるだけまだマシでしょう。加藤氏が首相と考えただけで 世の中真っ暗な感じです。あの風貌。 見て下さい。 招き猫そっくりでしょう。 しかも大不況を招いた招き猫ですよ。まったく ウンザリです。
 

加藤氏に声援を送りたい 村上 60歳

加藤氏の森首相への不信任表明に対し、首相は「この時期に政治の停滞は一時も許されない、加藤氏は一体なにを考えているのか」と宣まわっ た。首相自身の一連の発言や行動が現在の政治不信ひいては森首相への不信任を招来し、許すべからざる政治の閉塞感を国民に与えていることを、極めて鈍感に 見逃していると考えざるを得ない。

主義・主張のはっきりしない連立政権を数合わせの為だけに継続しようとする現政権の当事者と与党の中心人物も同様に信頼できない。政治の世 界に詳しくないので今後の展開は読めないが、なにかしら決定的な変化が起こらなければならない瀬戸際に来てしまったと感じる。もし今の権力構造が持続した らと考えると暗澹とした気分になる。

20年以上前に田中首相の退陣への決定的な記事は月刊誌が載せた。私は日々政治の記事を配信する新聞等のマスメディアが、この国を間違った方向に行かせない為の正当な論陣を張ってくれることを期待して止まない。
 

失望しました ohashi

 本日配信された2000年11月12日(日)付け「久しぶりに覚える政治的わくわく感」を読み、失望しました。報じられている支持率が下 がった(不支持率が高いから)ことだけを理由に退陣すべきだ、との発言に政治的わくわく感を感じるのはいかなる発想からでしょうか?加藤氏の発言のどの点 に「日本の将来に明るい展望を示す強力なリーダーシップが生まれる」兆しを感じておられるのでしょうか?加藤氏および加藤氏に賛同するグループが内閣不信 任案に賛成した結果、政権交替が実現しても、その限りでは強力なリーダーシップが生まれるとは考えられません。我々が目にする新聞、テレビでは報じられな い情報をお持ちなのでしょうか?次号を期待しています。
 

何かが「壊れ」はじめている  山田 

MAIL読ましていただきました。長野県知事選挙、より何かが「壊れ」はじめていることを感じてます。田中知事が上手く県政をリードしてくれることを「望む」ことを県民も求めてないと思います。

「しなやか」の言辞に秘めたメッセイージを求めたことと思います。今回は国政レベルでそれが出来ればと期待してます。しかし加藤氏にはそのイマジネイションが欠落しています。政局レベルの反乱に終わってほしくないと思いますが、期待しながらも、不安が大きいです。

この閉塞感の打開に野党は期待できません。政治主張は違いますが現状否定と打開だけはやってもらいたいと思います。役者は小沢、小泉氏と 思ってます。鳩山氏は言葉に空虚感あり、感覚がずれています。政治家の資質がありません。管氏も政治屋になりつつあるように感じてます。小沢氏は政治手法 に問題がありますがパワーはあります。
<夢>を語れる政治家の出現を望んでおります。(11.12)
 

政治は国民のものである事を明確にせよ Yonezawa

いまの森政権に一番欠如しているものは国民の民意を反映していない事、政治は自民党だけの物ではない。この点を再認識すべきである。一部の 自民党幹部だけの民意とはかけ離れた政治、将来展望、リダーシップのない院政政治にも見える政治に国民は失望している。反乱だとか、造反だとかいうのは自 分たちの驕りである。
 

加藤氏が倒閣へ立ち上がった理由 まさひろ

自民党の加藤紘一元幹事長は、倒閣の理由として、「今の森内閣のままでは、我が国が壊れていく。国際政治の中から消えていく。日本のイメージが劣化していく」と述べ、また「支持率が7、8割の内閣を支持できない」と説明している。

私は、加藤紘一元幹事長がこの時期に立ち上がったのは、決して権力闘争ではなく、純粋に日本の行く末にたいして危機意識があったからだと信 じたい。加藤氏は、国が壊れていくとか、内閣支持率を国民に訴えるのではなく、どういう点で危機的なのか国民に訴えなくてはいけない。それを代弁すると、

まず第一に、森内閣は、赤字財政による景気回復に失敗したことだ。新規国債が純税収を上回る異例の予算を組んだのに関わらず、さらに補正予 算を組まなくてはいけない現実。そして、月例経済報告でも、景気判断を2年2カ月ぶり下方修正し、今年度の国債の新規発行額も純税収を2年連続で上回るこ と事態は、失政以外なにものでもないだろう。

そして、金融や生保への相次ぐ公的資金の投入や、ゼネコンの債権放棄を野放しにしている反面、自営業者が、5月から9月まで5カ月連続で前年同月比30万人以上減少している異常事態をどう考えるのだ。
政府は、経済状況について、景気動向指数や消費者態度指数の改善を強調しているが、卸売物価指数、消費者物価指数は下落。消費支出も前年度比でマイナス。どんなに詭弁を使っても株式市場はごまかせないではないか。

第二に、政治主導への転換を主旨としてされる中央省庁再編では、大臣政務官のポストは、政治家中心ではなく、官僚中心になるという。なんと 理由は、来夏の参院戦による政治家の人手不足だというではないか。さらに積極的な方針を打ち出していた学者や民間人の採用は、ごく限られた形なるという。 こんな体制で、野放状態の公益法人の改革をアピールしているが、こんな茶番劇を堂々とする自民党は恥を知れ。
世襲で受け継いだ、お嬢さん、お坊ちゃん議員や、官僚がエサをだせば、ワンと答える族議員らはどうでもいいが、政治への志をもつ議員はこれでいいのか。政治主導の転換をすてるきか。

民間企業は、情報技術を駆使して、リストラクチュアリングを図り必死になっていて、その裏で多くの労働者があぶれて苦しんでいる。世界第9 位の人口を持つ日本は、本格的に内需主導の経済へ変換しなければならないのに、規制緩和は遅々として進めず、赤字財政の政府や自治体は、既得権益にしがみ ついている。
裸の馬鹿殿様を担いで永田町を闊歩している、既得権益にしがみつく蛭をのばなしにしていていいのか。赤字財政による税収増は見込めなく、歳出は、不節操な蛭にたかられている現状をだまってみているのか

自民党も野党も関係ない。責任を負う覚悟をもって倒閣を決意した加藤氏に続いて声をあげろ。


2000年11月12日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄


 長野県で田中康夫知事が生まれ、政治の閉塞感に一脈の光明が見えたと思ったら、自民党の加藤紘一氏がついに重い腰を上げた。森首相の退陣を求めて野党が 提出する予定の内閣不信任案に同調する構えをみせている。政局の一歩先が闇といわれているから将来を予測することはできないが、次に起こるだろう展開にわ くわくしている。加藤氏の行動に拍手をお送りたい。

 加藤氏の動きは金曜日に始まった。森派会長の小泉純一郎氏に野党の内閣不信任に同調する意向を伝えたところから始まった。加藤氏は翌11日、記者団に「ドラマが始まった」と語り、朋友の山崎拓氏も「加藤氏は退路を断った。私も同じだ」と同調する意向を表明した。

 同じ日の朝日新聞のインタビューに対して「森内閣では日本が壊れる」と現政権との決別を表明。20年前大平内閣に対する野党の不信任案決議で福田派が欠 席したことに触れ「大平さんだったら、おれが福田さんや安倍君にやられたことを君がやろうとしているのかとニコニコ笑うかもしれない」などと語り、12日 朝のNHKの番組では「不信任決議への欠席も賛成も同じだ」といった内容の説明をし、倒閣の意志をさらに鮮明にした。

 加藤氏とは一度だけお会いし、その演説を聞いたことがある。20年近く前、自民党の候補者の応援に宮沢喜一氏とともに高知県入りしたときである。当時の 加藤氏は40歳代前半。どういう話を聞いたのか忘れたが、若々しく、なによりも久々に「自分の言葉を持った政治家だ」との印象を抱かせ、こういう人が日本 の将来を担ってくれればと考えた。

 だがその後の加藤氏についてはろくなものがない。常に「勇気が欠如した政治家」といったイメージがまとわりついていた。本来、政治家は自己主張を掲げて 自ら政権をとる戦いに挑むものである。故田中角栄以来、日本の政治はこうした政治家に恵まれなかった。小沢一郎氏が自民党を割って連立政権を勝ち取った が、自ら首相にはならず、ナンバーツーとして政権をあやつろうと間違いを起こした。

 90年代の日本全体を覆う閉塞感は「どうせだれも日本を変えようとしないのだろう」というあきらめにある。日本の将来に明るい展望を示す強力なリーダーシップが生まれるならば、多少の経済の停滞や負担増には耐えられるだろう。

 われわれが求めているのは1%や"%程度の経済成長という政府公約の実現ではない。村上龍氏が「希望の国のエクソダス」で主人公の中学生に何度を語らせ た「希望」という一語なのである。IT革命、教育改革、どれをとっても役人の作文しか期待できない。それはリーダーの資質が問われているからなのだ。

 森首相が英語ができなくともパソコンを打てなくともなんら問題ない。われわれに必要なのは閉塞感から這い出るための「メッセージ」とわれわれを奮い立たせる「ミッション」である。

 4月、小渕恵三前首相が病に倒れた間隙に、当時の青木・野中・亀井・村上が密室内でかってに決めたのが森政権であることを思い出し、加藤氏が発したミッションに一人でも多くの政治家が賛同して新たな政治的活路が開かれることを期待する。


2000年11月11日(土)
オランダ・フルースベーク 安田健


 今年オランダでは日蘭交流四百年の話題が盛んだった。東京圏ほどの0.16億の人口ゆえか。ほぼ8倍の人口1.25億の日本はその分、稀釈されるのではないか、と言う気がするが、五月の天皇・皇后ご夫婦の訪蘭前後のオランダは特に喧騒だった。

 霜月になり、その賑やかさが引いていく。伝統織物紋様展や日本舞踊など最後の催し物もお開きになった。若い数カ国人からなるオランダのモダンダン スグループとベテラン5名の日本舞踏家の巡回公演、光と闇とリズム、老若と力の調和が感動をあつめながら、交流行事年の幕を閉じて行くようだ。

 日本では長崎で「日蘭原爆展」が間もなくあると伝えられている。長崎原爆はその市民も、収容されていたオランダ人も、被爆者として同じ立場に立たせた。同じ視点から、人間として、原爆の恐ろしさを捕らえ、考えて行こう、と言う背景か。
 
 ウィレム・アレクサンダーはオランニェ家の世継ぎ。彼の先祖が16世紀半ばに北フランスの"ミカン"名の領地をもらったのが由来だ。このみかん 家はのち17世紀後半のオランダ共和国総督ウィレムに至るが、彼は名誉革命後のイギリスの国王になり、オレンジ公・ウイリアムとなる。北アイルランド紛争 のオレンジ色の旗をなびかせて行進する風景はオレンジ公の対旧教戦争の勝利記念である。

 このミカンことオランニェの伝統の名前を踏襲する皇太子は日蘭交流四百年行事の公務のため、日本を訪れた。この相手を務めたのは菊の天皇 家の長子・徳仁皇太子である。菊とミカンの取り合わせだ。天皇と女王が親しいと言う意味で、彼等も共通の育ちと話題で気を許せる間柄であるとオランダで伝 えられている。ある時、徳仁氏がウィレム氏にうらやましそうに漏らしたことがあると言う。それはオランダの同僚が日本の彼自身よりも目立って自由に意見表 明できることだったとか...。別報道によると、オランダ皇太子の国際オリンピック委員会の委員就任、又は水のマネイジメントについてだった...と。和やかな挿 話である。
 
 ウィレムの父親プリンス・クラウスはしばしば名言を吐き、国民に人気がある人物。

「私に課せられたコアー・ビジネスは開会式のテープ切りである」と喝破したのは数年前だった。王ではなく親王である点で、やや自由の立場に あると思われ、事実インドネシアを挟む日蘭関係ときっぱり無関係で、妻である女王よりずっと威勢がいい。クラウス殿下と言う代わりに、クラウスと隣りの旦 那を呼ぶような彼の人となりは、"女王になるべき生まれついた"女性と違うのは当然か。その違いが夫婦の妙だと、オランニェのファン組織の受けはいい。

 プリンス・クラウスはドイツ貴族家出身の人で、オランニェ家へ婿入りした。三人の息子を持つ。長男は、女王三代のあとを襲うことになって いる。王制主義者やオランニェ家ファンには待望の国王誕生だ。幸い現代は「余は生まれながらにして将軍」徳川家光の時代でも、戦前の陛下恐れ多かりし頃で も無い。

 新世代のメリットを生かし、学生時代の初恋相手とわかれ、ニューヨークで見つけた二人目と交際中。彼女がアルゼンチン軍事独裁政権時代の閣僚の娘のため、国民と議会を二つに分ける議論が沸騰して、界隈のゴシップジャーナルの懐を暖めさせている。

 未来の皇后の父親が大量殺戮の容認者。あるいはその疑いが大きい。この場合、人はどうするか。

 二人の成人が自ら選ぶ結婚に父親の過去は無関係と言う割切り論から、非人間的行為に荷担した人物を国際法で訴訟し、国民の象徴である王の 義父になる事態を避けると言うハードラインまで、様々ある。前者は無関心派を含め個人尊重派で、後者は王室主義者か頑強な人権擁護主義者かもしれない。

 オランダのコック首相は、婚約が成立するかどうかも不明な時点で、議論は無意味、若い二人をそっとしておこう、と寛容を示している。オポ チュニストは、何人かと共同生活を体験してから結婚する当世パターンを期待する。わずか2人では国王殿下の器量も知れている、と茶化すコメディアンもい る。コック首相のみならず、誰もが良き三人目を希望しているに違いない。

 オランダがこの結婚を認めると言うことは独裁政権の悪行を認めると言うことだ、とアルゼンチン側の被害者・遺族の訴えや識者の意見が聞か れるなかで、オランダ宮内庁はオランダ化プログラムを彼女に実施中である、と言われる。母親ベアトリックスは既に彼女を宮殿や休暇先に呼び、"最期の審 判"に備えているらしい。それは婚約の決定である。議会の承認も必要だ。内閣の政治判断とそれを受ける女王との全体的なパースペクティブ見通しに どれだ けウィレム個人の尊重が計られるか。最終的には女王が鍵を握っていよう。息子の相手は母親が決めると言う世の習いもあるが、このマキシマ騒ぎは日蘭騒ぎを ようやく背にする彼女の当面の"公務"になる。

 日本のプリンスはこう言う愛のパートナーをもちうるだろうか? 持った場合、ではどう対応するだろうか。日蘭交流行事の間に、二人の将来 の王が気さくに語った「うらやましい」話しはここにも通用しそうである。四つの島の人間からは大陸の西端の豆粒のような土地の皇太子が果敢に見える。それ は、父親譲りの奔放な性格によるのかも知れない。あるいはオランニェ王室が属するカルバン新教から派生した一つの改革派の自由精神や、ニシンの塩付けばか りで体力をつけた黄金の世紀のしたたかな末裔のせいか。

「戦争で何が起こったか、それを見つめ、未来に生かそう」

 これは長崎の行事でのウィレム挨拶のコンセプト。注意して聞くと、彼のいいたいことが分かる。第二次世界大戦を忘れて無視するのではな く、見なおして記録して、歴史体験として学ぶこと。分かりやすく言うと、日本旧軍隊が「東インド」収容所でオランダ人におかした過ちを、その継承政権(と 国民・皇室)はキチンと認識し、謝罪をし、新たな平和関係を築こう、と言うもの。
彼の訪問と前後して、「インドネシア強制収容所展」が日本数カ所で消え入るようにほそぼそと巡回した。いかがわしい展示内容が一部あったとは言 え、訪れた人々に率直に受け入れられた、とオランダの新聞。企画は言うまでもなく、オランダ側のイニシアティブで、未来の国王の挨拶のコンテンツに当た る。

 ドイツ国内でナチ強制収容所巡回展を、例えばイスラエルが計画したらどうだろう。
 人間性の尊厳がナチイズムを否定すると言う意味で、また戦中・戦無派(40~45代以上)のドイツ人は既に充分に真面目な材料や、頑なで徹底的ウィゼンタールのナチ捜索などで最早自らへの歴史教育の必要性を見とめないだろう。

 20年以上前だったか、ドイツ人自身による"演出家ヒトラーのドキュメントフィルム"や、数年前のアメリカ人による「なんでもない普通の 人がナチを支持した」と言う話題本に見られるように、告発・反省の大波小波が時々やってくる。些細になるが、ドイツを除いたヨーロッパの子供達・もと子供 達の誰もがサウンド・オブ・ミュージックの映画とその楽しい歌の数々を知っている。そのミュージカルに話しが行くと、ドイツの現在の、例えば学生達の多く はキョトンと首を傾げるのに出会う。

米国50~60年代ジョン・ウェインからポール・アンカまで総スター出演のノルマンディー上陸ものや対独スパイストーリーなど、膨大なエン ターテイメント映画。ドイツの年輩の人々はこの"不愉快"を子供達に見せるのをやはり避けてきたのではないか。そして外へは何も言わずそっと過ごしてきた と言う戦後の歩みがある。つまり、巡回展があったらどうだろう、と言う仮定すら成立しない。

 ドイツ状況に較べると、「東インド」オランダ人収容所に関する日本事情はかなり違う。この20年ほどで旧日本軍の知られていない部分がす こしづつ出てきたが、勢いがついたのは90年代だろう。外務省・日本大使館の解決への作業、事実の記録化や被害者の日本招待などの積み上げによる。しかし オランダ一般から見ると、何ともまどろこしい。そこで長身の皇太子が低音を響かせ、一言挨拶を述べたのだ。

 彼の母親は十年一昔前、皇室主催のレショプションで数行ながら同趣旨の発言をした。それは右側日本をかなり刺激したエピソード。産経新聞 の編集委員・高山正之氏がNRC(経済)新聞紙上、3月8日の投稿招待記事でこれを引用して、日本軍武装解除からインドネシア独立(1949)までの「東 インド」日本側被害者とその国民の心を汲まないものだ、と批判。

 記事は、日本の戦争動機を、欧州列国によるアジア・アフリカ差別政策や阿片利用と言う植民地主義に対する、アジア諸民族の解放だった、と 説明。一方、蘭学で受けた恩恵や広く読まれている"オランダの"アンネ・フランクの貢献にふれ、オランダ国とその王室の"日本世直し"姿勢が公平を欠き独 善的、今後の平和関係を損なうもの、したがってそれをやめるべきだと言う結論に導く。

 その文意の間から、しかし、非常に慎重でかつ痛切な訴え気分が読者に伝わってくる。公務素材に良く目を通し勉強するといわれる女王がこの 記事に目を留めたとすると、どうだろう。この恐れながらも敬意に満ちた批判にうなづき反省したか、それとも逆だったか。だが、彼女には反論も同調も許され ていない。王の意見は宮殿のカーテンの向う側にとどまり、誰もしることができないのだ。

 普通、お定まりの円やかな外交挨拶がメディアに取り上げられることはない。誰も関心を示さない。今回のウィレム皇太子の挨拶はそっくりメ ディアに取り上げられた。勇気ある内容と言うことだったに違いない。しかし実は、上記の記事よりずっと前からコック首相の来日までの間に練られた両国の外 交方針、言いかえれば仲直り路線の枠内に収まった挨拶だったと言えよう。収容所展と対を成すのが、交流行事の残り火「長崎日蘭原爆展」だが、この文脈上で 理解できる日本側のイニシアティブ。気丈な母親ベアトリックス女王の発言時に較べると、環境がさま変わりしているわけだ。変わりの一つは日蘭交流記念が通 信革命・インターネット騒ぎの合従連合の戦国期元年になっている点だ。

 左派系主力紙フォルクス・クラントにさえ、産経調馴染みの"大東亜共栄"アジア解放コンセプトに理解を示すかのような一行があった。「東 インド補償問題は吉田政権時代の協定による賠償で決着済...」と古色蒼然とした前歴を引用した東京発の地方新聞の記事もあった。最大部数の大衆紙テレグラー フはこの10年の日本の努力を高く評価し、過去からの脱出を歌うありさまだ。30年前にこの新聞が打った天皇糾弾キャンペーンを思いだす...。3月8日 NRCの"日本からの訴え"後はなぜか「東インド」関係団体に代わって東京のイーモード世相の全面記事が目立つようになった。

 5月9日、日蘭両国の旧電信電話公社が提携協力を発表。NTTDoKoMoがKPN「カー・ペー・エヌ」携帯電話子会社株15%取得。オ ランダ国際企業による企業買収額の番付があるが、この投資額(5億ユーロー)をそこに探しても見つけるのは難しい。だが発表記者会場はさながら金メダリス ト高橋選手の会見並みの熱気。そのトップニュースとしての入れ込みぶりは度を外しているように私には思えた。たっぷり資金と先進W-CDMA技術、それに 市場実績を持つNTTとの肩組はオランダにとって天下の味方を得た気分だったのだろう。

 二年前ICT分野で欧州一番を目指す政策宣言をした経済省は、11月入りしてPC使用促進費45億円を決め、厳しい成り行きを噛み締めながら、その未来像を固持している。0.16億の組織体にとって何が大事か?明日の国家を左右するのは通信情報技術をおいて他にない。

 NTTdokomoは、数日前のCNNニュースによると、AT&Tからスピンオフするモービル部門に少数株主として出資するらし い。来年の米国次世代携帯電話の周波数域の入札に莫大な資金を必要とするAT&TワイアレスはKPNがそうであったように旦那が要るのだ。一方、 どこにもすこしづつ布石を打っておくと言うのが世界の巨漢・NTTの作戦か。これによってNTT開発の携帯電話新規格を米欧に打ちこむ狙い。独占禁止の歯 止め審査を逃れれば、ドンと一気に市場制覇する買収合併が多いので、NTTが慎重居士的に思われる。しかし横文字企業文化を制するノウハウに欠け、痛手を 負った過去の例を考えると、それは小刻みで確かな前進策...。

 主要国家の全ての"旧NTT"が食いつ食われつの苛烈な戦国時代。戦うには脂肪分を削り身軽にならねばならない。"旧公社"族の英仏独に 続く末席のカ・ペー・エヌは新世代携帯電話周波数の三カ国の入札参加で既に天文学的な債務を負っている。数日前ハーグ本社を中心に8千人削減のリストラを 発表した。米国でも携帯電話主導社会をみこした通信企業自体のリストラが矢継ぎ早に発表される。カ・ペー・エヌはオランニェ家御用達を意味するKを冠する 以上、小と言えども、独立を維持して、出きれば寛容なパートナーを得たい。呑み込まれるような信用を裏切る相手ではいけない。(*企業名につく koninklijk は王家のご用をしている意味 )

 だがそのKPNが5月9日の小躍り提携発表のわずか3日前に、スペインのテレフォニカとの合併交渉を失意を隠さずに打ちきっている。テレ フォニカの今日をつくった人物のプレイボーイぶりが議会の怒りをかったためだ。低い土地の商いの民は日蘭交流祭りでNTTを呼び、かたわら香料貿易時代の 敵スペインの携帯電話の巨人と話しを進めていたのだ。もし合併成立すれば、NTTに迫る企業になるはずだった。NTTがこれを読んで知らぬが仏を決め込ん でいたのか、あるいは日蘭両者で合併後のシナリオを用意していたのか...。

 天皇皇后の公式オランダ訪問はこれらの奇々怪々とほぼ並行した。90年代初め賠償訴訟を日本政府を相手に起こした関係団体の代表は、大歓 迎を受けた外務省日本招待グループと共に、日本からの意外なメッセージ・天皇の「心の痛み」に感激して、既に鞘を収め、日本側主催の晩餐会に参列してい る。この団体幹部の"日和見"に承諾しない人々がこれまでのようにデモを組織した。幹部でも日本にも行かなかった匿名者は数の上で圧倒的多数だ。

 だが、内閣の方針を内務省は見事な警備で実行。デモは夫妻通過ルートから最低150mの間隔を維持された。その数字は平和的プロテスト・ 卵投げの到達距離を30倍以上も上回る。数ヶ月以上かけた周到な外交のお膳立てを無駄にし、オランニェの二倍以上の時間をさかのぼる菊の血筋・天皇の真摯 を汚す、その万が一を避けねばならなかった。
 
 訪問は三日間の20時トップニュースだった。施設訪問のさわやかな皇后の様子を紹介する前後に、オランダ"NHK"・NOSが日本大使館前デモ取材中の日本取材陣の一人の女性カメラマンにインタビューする。
「美智子様はお優しいとっても素敵な方で、私達日本女性の理想の方なんですよ」その漢字仮名の言葉が簡潔に翻訳され、字幕になって現れる。その女 性の活発な表情と呼応して、生き生きとしたニュースになっている。さすがにNOSはうまい扱いをする。オランダの人々はこれで皇室への敬意をとりなおし、 30年間のゴタゴタを払拭し、日蘭五世紀めへ向かうだろう...。

 同時に、王の国体上の地位を完全な象徴君主とする議論のさなか、この日本女性と皇后の親しいあり方についてきっと思うところがあった筈である。

 オランダ王は最高国政会議の長である。日本に存在しないものだが、戦前の御前会議に当たるだろう。また組閣の際の相談役を指名する力をも つ。形式だとこだわらないのが日常だが、その形式制度で誰を指名するかによって、王は確実に政治力を行使している。決して公にされず秘密にとどまる王の政 治への影響がDNAの理由だけで許されている、と言う非民主性が問われているのだ。この誰にも見えない、かつ干渉してはならない王権の性格が、トップマネ イジャーであると評価される現ベアトリックス女王の公務の立場を微妙で難しくしている。

 EU諸国がハイデルの自由党政権参加のオーストリアをボイコットしている最中、ベアトリックスが例年通りオーストリアへスキーバカンスに 出かけた。オーストリアはこんなに平和で友好善意に満ちた国なんですよ、と言う映像が全欧を駆け巡り、オランニェ王室がオーストリアに結果的に利用され た。オランダはナチに対する最も先鋭的なコモン・センスが根付いている国のひとつだ。内閣の不注意とする批判、女王自身の軽率とする批判、公的私的の使い 分けからそもそも王室には"私的"は存在しないと言った議論が続いた。

 この事件以外に女王の行動が政治的な色彩のなかでとり上げられることが増えてきている。本来、王と政治との間には責任大臣と最終的には首 相によって、防壁が張られている筈だった。だがメディアの時代の現実の前ではどうしようもない。具体的に外交内容が変わったり、人事が左右されたりした状 況証拠を検証したトップジャーナリストの本もでた。

 それらが女王の指示あるいは示唆なのか、周囲が"腹を読んで"そうしたのか、"歴史になる"まで誰にも分からない。昔なら、粗相があれば 総理閣僚が腹を切った。だが現在は、全てを夜のふけるまで討論しあう民主議会だから、辞職してそれでおしまいと言うわけにいかない。民主的に機能する社会 が世襲と言う前時代的遺物を扱わねばならい難しさと言えよう。こうした状況下で、ついに与党三党の内の最小政党のリーダーのトム・グラーフが口火をきっ た。

 「恐れ多くも私達の女王陛下に向かい、私達のために尽力される王としての義務を取り上げようとするとはなんと言うことか」と言う右の端か ら、王制を廃止して共に和す国家体制を主張するリパブリカンと呼ばれる左の端まで、政治オランダ風景は連綿と続く。女王自身のディレンマと困難を解決する のは制度改革をおいて他に無い。伝統を生かした象徴王権制への移行だ。だが、まず気楽に王室について話し合える土壌作りから初めなければならない。それを グラーフは思い知るのである。オランダにしてこうである、と思う人が沢山いるだろうか。

 女王が人間性と個人の自由を発揮すればするほど、彼女の政治的影響力が、見えないままに、突出してくる。日本での皇室レセプションのエピ ソードは、当時のオランダ世論を代弁していたのはもちろんだが、オランニェ支持者である東インド関係団体の意を汲んだ結果と憶測される。このような特定外 部からの力が彼女の"個人"に作用し、結果的に政治性を帯びてくる。

 政治権を一切持たないスエデーン・日本の象徴君主性ではこの弊害を比較的避けやすいと言う。この理屈に従うと、皇室メンバーは個人として の自由を、オランダ王室メンバーより遥かに持っており、日本の象徴天皇制は世界の立憲君主国家の中で民主性を実現した数少ない一つである、と言うことにな る。

 果たしてそうなのか。それは交流記念にたづさわった人も、遠くから眺める人も、日蘭摩擦で立憲君主制が関与した部分から、明日を作る骨や肉を拾い出すだろう。



 安田さんにメールは mailto:K.yasuda@chello.nl
2000年11月06日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄


 経営不振の日産自動車がフランスルノーの傘下に入り、三菱自動車はダイムラークライスラーが40%近くの株式を取得して経営の主導権を握ることになっ た。マツダは従来からフォードの世界戦略に組み込まれていたから、民族系の大手自動車メーカーはトヨタ自動車と本田技研工業の2社だけとなった。

 自動車アナリストたちはフォードによるスウェーデンのボルボ買収や独ダイムラーと米クライスラーの経営統合などを目にして「年産500万台規模以下の自 動車メーカーは生き残れない」と言い出した。500万台という数字に大した根拠があるわけでないのに、ある日突然、マスコミを含めて自動車産業に携わる人 たちが「500万台」を口にし始めた。だが「500万台」という数字以上に業界の連携を強めている要素がコンピューターソフトであるというのだ。

 ●日本の金型が世界に誇れるのはあと10年

 三次元CAD/CAM(コンピューターによる設計・製造)向け開発ソフトをつくっている日本ユニシスの話を聞く機会があった。少々専門的でややこしいがお付き合い願いたい。

 現在、世界の金型生産の4割は日本で、アメリカは1割程度でしかない。実質的にアメリカの自動車産業を支えているのは現地進出した日本企業で、日本ユニ シスの加藤氏によると「フォードでは自動車ボディーをほとんど自前でプレスできずに、オギワラという日本の金型メーカーに外注している」ということであ る。ここだけを聞くと日本も捨てたものではないという話で終わるが、加藤氏のこの後の話を聞くと、いまの日本産業が抱える深刻な悩みに突き当たる。

 1980年代の金型産業にはコンピューターですらかなわない「指先でミクロンの差を感じる職人」が多くいて日本の製造業の底辺を支えていたとされる。し かし日本の金型が世界に誇れるのは10年しかないそうだ。円高によるコスト増だけでない。3Kとされる職場の平均年齢は51歳。金型生産は次々と台湾、タ イ、中国などに移転し、日本としてもアジアに依存せざるをえない状況が生まれているのだ。

 しかも、長く職人の領域とされてきた金型の世界にコンピューターが相当程度、浸食しつつあるという。二次元のCAD/CAMの世界では日本勢のソフトが世界的に比較優位にあったが、三次元に入ったとたんに日本勢が影を潜めたというのもまぎれもない事実であるらしい。

 開発コストが二次元の場合の10倍もかかり、国内市場だけでは開発コストの回収が困難になっていることと、日本の企業が海外に展開するには言語のハンディが大きすぎるというのが、日本勢が相次いで撤退したおおまかな経緯のようである。

 ●ものづくりを支配しかねない開発ソフト

 この結果、世界を支配する三次元CAD/CAM用開発ソフトは、GM系EDS開発の「Unigraphics」とフォード系の「IDEAS」とヨーロッ パの「CATIA」、そして日本ユニシスの「CADCEUS」という4方式に収斂されてしまった。三次元のCAD/CAM用ソフトの需要は微妙な曲線の車 体設計を求められる自動車産業がほとんどで、主にボディーのプレス成形に用いられる金型製作に使われる。

 混乱がないように説明すれば、日本ユニシスはアメリカのユニシスと三井物産が28.36%ずつの株式を所有する東京証券取引所の上場企業。アメリカのユニシスの子会社のように考えられがちだが、そうではない。三次元CAD/CAM用開発ソフトも日本独自の開発である。

 さて三次元のCAD/CAM用開発ソフトといっても全世界でワークステーションが数千台規模しかない。しかし、コンピューターソフトという「ものづくり の遺伝子」を支配しかねない領域だけにソフト開発は国家戦略的な意味合いを持つことになるという。ヨーロッパの「CATIA」はもともとミラージュ戦闘機 のための開発ソフト。EUによって「CATIA」に統一された後、各国のノウハウを加味したシステムがフランス、ドイツ、イギリスにある。

 「CATIA」はダイムラー社が最大の顧客だったが、実は事業統合したクライスラーもこの「CATIA」のユーザーだった。面白いことに三菱自動車もま た「CATIA」のユーザーで、ダイムラー・クライスラーそして三菱自動車を結びつけたのは、結果論かもしれないが「CATIA」という開発ソフトだった のかもしれないというのだ。

 一方、フォードとマツダは「IDEAS」陣営で、日産自動車とルノーも「IDEAS」の仲間だった。ルノーは後にフランス政府の強い圧力でヨーロッパ規格の「CATIA」に乗り換えているが、ここでも開発ソフトが提携関係を結びつけた可能性がないわけではない。

 残るトヨタは日本ユニシスの「CADCEUS」の変形である「TOGO」を使い、ホンダは「CATIA」なのである。コンピューターソフトを中心に俯瞰すれば、トヨタの結婚相手は世界にはなく、ホンダはダイムラー・クライスラーの血縁ということになる。

 重要なことは、世界最大の自動車メーカーであるGMが納入業者に系列企業であるEDSが開発した「Unigraphics」というソフトの採用を納入の 条件として納入業者を自分たちの遺伝子にフォーマットさせようとしていることである。世界の自動車産業はコンピューターソフトの共通化という企業戦略を核 に据え、ものづくりの主導権を握るべく動き出しているのだ。


 【読者の声】

 ●Fw:CAD/CAMソフトが支配する世界的自動車再編 November 06, 2000

前略。知人が標記の記事を送ってくれました。大変興味深く拝見しました。若干のコメントをお送りします。

>  ●日本の金型が世界に誇れるのはあと10年
>  しかも、長く職人の領域とされてきた金型の世界にコンピューターが相当程
> 度、浸食しつつあるという。二次元のCAD/CAMの世界では日本勢のソフトが世界
> 的に比較優位にあったが、三次元に入ったとたんに日本勢が影を潜めたという
> のもまぎれもない事実であるらしい。
 私はかねて見方が悲観的なこともあるのですが、直感的に同意します。
>  この結果、世界を支配する三次元CAD/CAM用開発ソフトは、GM系EDS開発
> の「Unigraphics」とフォード系の「IDEAS」とヨーロッパの「CATIA」、そして
> 日本ユニシスの「CADCEUS」という4方式に収斂されてしまった。
 通常ハイエンドの3次元CADというと、「Unigraphics」、「IDEAS」、「CATIA」に加え、「ProEngineer」を4大CAD と言いますが、自動車業界では違うということでしょうか。「CADCEUS」は、世界的にはごく最近のニューフェースと思います。

 それから、こういう表現だと、UnigaraphicsはGM系が開発、IDEASはフォード系が開発などと誤解されかねません。何れも自動車メーカー とは独立にCAMが開発されたと認識しています。CATIAは、仏のDassault社の開発ですが、近年IBMが全面的にバックアップしています。

 自動車メーカーとCADベンダーの関係についての私の理解は、トヨタはケーラムを自社開発してきたのですが、今ではその負担の大きさに困っているとの噂 です。米国のビッグスリーもかってはCADを自社開発していたのですが、相当前に(多分3次元CADが商品化された頃)、ベンダーのCAD製品の活用に切 り替え、その結果、開発コストの負担減と先端CADの即時活用というメリットを享受できるようになったとの説があります。

>  日本ユニシスは、アメリカのユニ
> シスの子会社のように考えられがちだが、そうではない。三次元CAD/CAM用開発
> ソフトも日本独自の開発である。
 そうなのです。日本ユニシスだけが3次元CADに熱心で、かつ最近猛烈に国際展開をかけているのです。親会社のユニシスはCADはやっていないとのことです。
>  「CATIA」はダイムラー社が最大の顧客だったが、実は事業統合したクライス
> ラーもこの「CATIA」のユーザーだった。面白いことに三菱自動車もまた「CAT
> IA」のユーザーで、ダイムラー・クライスラーそして三菱自動車を結びつけた
> のは、結果論かもしれないが「CATIA」という開発ソフトだったのかもしれない
> というのだ。
これは結果論ではないでしょうか。検討要因の1つには挙がっていたにしても、決 定要因だったとは思いません。
>  一方、フォードとマツダは「IDEAS」陣営で、日産自動車とルノーも「IDEAS」
> の仲間だった。ルノーは後にフランス政府の強い圧力でヨーロッパ規格の「CAT
> IA」に乗り換えているが、ここでも開発ソフトが提携関係を結びつけた可能性
> がないわけではない。
 その可能性は本当にあるのでしょうか。
> 世界の自動車産業はコンピューターソフトの共通化という企業戦略を核に据え、
> ものづくりの主導権を握るべく動き出しているのだ。
 うーん。共通化という戦略も重要ですが、変換ツールも発展しています。またポイントは、自動車メーカーがCADソフトの開発を自社では行っていないこと であり、他のソフトが優れていると思えば、乗換える可能性というのはあると思います。CADベンダーの方も、自動車業界は大きいのですが、ベンダーの個別 の事情によっては自動車向けをバックアップしなくなる可能性もあるでしょう。以上僭越なコメントで失礼しました。よろしく。(I・S)

 ●3次元化も時代の流れでは? November 06, 2000

 いつも楽しみに拝見しております。今回の「CAD/CAMソフトが支配する世界的自動車再編」を読んで思った事を書きたいと思います。私は派遣ですが、 電器メーカーで機械設計を行っており2次元CADを使用しています。今は業務の傍ら3次元CAD(I-DEAS)を操作できる様、訓練しています。

 まずは3次元化のメリットについての説明があっても良かったかなと思いました。3次元化によって製品の開発期間が短くなっているのは事実です。私の勤務 先でも3次元CADを導入している部門では、3次元データでの設計によって、試作品を製作せずに3次元データを使用してデジタル上で製品評価を行い、3次 元データをNC工作機の加工データに使用する事で金型製作の期間を短縮するといった使い方をしています。こうした方法によって開発期間が確実に短くなって います。自動車メーカーではマツダが新車開発に28ヶ月かかっていたのが3次元CAD/CAMの活用で14ヶ月になったのは有名な話です。

 開発期間の短縮を要求されている現在において、3次元化は時代の流れとも言えます。しかし、3次元CADでもそれぞれのCADではデータの互換性が無い という問題もあります(IGESというデータ変換の規格がありますが、これを使用すると100パーセントの状態でデータが変換されない事もあり、後でデー タ修正が必要になったりします)。

 個人的には海外の3次元CADが市場の殆どを占有している事は寂しく感じますが、CATIA、I-DEASなどは私が社会人なった10年前から存在して いました。当時は3次元CADは見向きもされませんでしたが、度重なる改良によって今の地位を確立したといえます。10年前に国産の3次元CADは無かっ たのではないかと記憶しています(間違っていたらすみません)。この業界でもうまく構造転換出来なかったのではと感じています。

 今回の話で、かつて日本海軍が敵艦探索にレーダーを使用せず、視力の良い兵士を使用しレーダーの実用化に遅れ、アメリカ海軍が序盤は苦労しながらレーダーを使用し続け性能を向上させ、戦局後半には日本海軍を圧倒した事を思い出します。

 今後も製造業では3次元化は続いていくと思います。また対応できないと取り残される事になりそうです。もうご存知の事柄もあると思いますが、その時はご 容赦ください。また私よりも詳しい方からのご意見もあるかと思います。今回の話は私にとって身近な話でしたので嬉しかったです。それと同時に、伴さんはこ の業界にも関わりがあるのは驚きました。これからも色々な業界の話も読めると勉強になります。お体には気を付けて、配信をお願いします。(N・S)


 Date: 07 Nov 2000

 いつもお世話になります。「CAD/CAMソフトが支配する世界的自動車再編」面白かったです。私も実はまさにこの現場に携わっています。自動車本体の の開発ではなく、その純正用品の開発ですが。通常新型車両の発表発売の約1年前からその開発はスタートします。特に現在は軽自動車のマイナーチェンジが重 なっており超多忙な日々が続いています。

 しかしあまりに身近なため気がつかなかったですね。確かにいわれてみるとそんな棲み分けがあるように思います。ただホンダがCATIAに統一し始めたのは比較的最近のことだと思います。

 ところで某T社とD社グループはデータでの車両開発を徹底してきています。最近発表された新型車両も最後まで試作車両を見ることがなかったですよ。

 また特に樹脂(インジェクション、真空成形)についてはアルミ型や樹脂型の技術が向上してきています。ショット数に限りがあるためライン部品には不適で すが小ロットではよく使っています。工期が短く金型費も安いからです。これも3次元データから金型移行に入れます。(Y・S)


2000年11月04日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 先月の朱鎔基首相来日の折り、ホテルニューオータニで開かれた歓迎昼食会に異色のゲストが一人いた。大阪の繊維商社「辰野」の専務、辰野元彦さんである。2年前の1998年1月、中国新疆ウイグル自治区のウルムチに独力で地下商店街を立ち上げた人である。

 ●高層ビルが林立するシルクロードの拠点都市

 ウルムチはシルクロードのオアシスのひとつである。タクラマカン砂漠を越えるシルクロードは南道と北道に分かれ、北道はトルファンでさらに天山北路と天 山南路に分岐する。ウルムチはその北路にある。灼熱の砂漠地帯から天山山脈、といっても日本の本州ぐらいの面積があるのだが、に分け入った高原の都市であ る。

 新疆ウイグル自治区の首都であるが、かつては中国の辺境の一都市でしかなかった。しかし、ロシアとの国境開放に伴い、中央アジア最大の流通拠点として新 たな役割を担い始めている。ウルムチ国際空港には北京、上海など国内諸都市だけでなく、アルマトイ(カザフスタン)やタシケント(ウズベキスタン)など隣 接する国々にも多くの国際便が離発着する。バザールには中国沿岸部で製造された家電製品やアパレル、雑貨が集積し、ロシア人のバイヤーでごったがえしてい る。当然ながらここで信頼される国際通貨は中国元である。

 タクラマカン砂漠から天山山脈の一帯は19世紀から20世紀初頭にかけて、地図の空白地帯と呼ばれた。古代史のロマンにかき立てられスタイン、ヘディン ら多くの探検隊が踏査する一方、南下するロシア勢とインドから北上したイギリス勢が暗躍した歴史を持つ。21世紀を迎えるウルムチは高層ビルが林立する中 央アジア最大の都市へと変貌し、井上靖が描くロマンの世界とは様変わりしている。

 ●日本人のいないところに進出せよ

 そんな変化をいち早く察知したのが辰野さんだった。すでに上海にアパレルの縫製拠点をもち、次の進出地を模索していた。たまたま大阪で世話をすることに なった中国人留学生がウルムチ出身で、1996年の夏にその元留学生の誘いでウルムチを訪問、新疆ウイグル自治区の広大さに強くひかれた。

 そこからの辰野さんの行動は早かった。地下商店街という発想をウイグルの人々持ち込んだのはさすがになにわ商人である。1年半後の1998年1月1日に はファッション関係を中心としたショッピング街「辰野名品広場」が誕生した。前兆130メートル、幅24メートルの長方形で事業費2億3000万円のうち 75%を辰野側が出資した。

 面白いのはやはり辺境地区として地下商店街は有事の際には防空壕の役割をはたせられるということで、人民解放軍が施工に当たった。余談だがかつて旧ソ連 と軍事的に対峙していたころの中国では、いたるところで地下街がつくられた経緯がある。当時はそんな地下街が自慢だったらしく、20年ぐらい前までは中国 の観光(参観と称していた)には必ずといっていいほど地下街見学が組み込まれていた。

 辰野のウルムチ初の地下商店街では当初、カルバン・クラインやクリスチャン・ディオール、ワールドといった世界でおなじみの高級ファッションブランドが多かったが、最近では割安感のある中国製のブランドものも集め、期間損益が黒字化したそうだ。  海外事業における辰野さんの経営哲学は「日本人のいないところに進出」することだ。「乗り遅れるな」を合い言葉に多くの日本企業が 失敗を重ねてきた。土地勘のない場所への進出はなかなか勇気のいることだが、成功すれば先行者利得がある。華僑の発想に通じる。

 中国政府は昨年から「西部大開発」を掲げ、内陸部への投資を呼びかけている。朱鎔基首相の歓迎昼食会に辰野さんの顔があったのも西部大開発の先駆者に対する敬意を表したものであろう。

 ウルムチは20年前に一度だけ訪ねたことがある。万年雪を抱く天山を遠望する町並みや青い瞳の人々。統制時代の色彩に乏しい中国の都市にあってこれが同 じ中国かと思わせるものがあった。今回、辰野さんに変貌ぶりを聞かされ、中国の改革開放がいよいよ辺境をも変えつつあるとの感慨を持った。


 辰野株式会社にご興味のある方は 海外事業部 06-6263-2331

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