2000年2月アーカイブ

2000年02月29日(火)萬晩報通信員 松島 弘


 グラミー賞が発表になった。とにかくサンタナでした。9部門受賞!

 ディバディプ・カルロス・サンタナ・・・。この人のことを思い出すと、同時に横尾忠則を思い出す。サンタナのアルバム・ジャケットを担当した横尾忠則氏とサンタナは大の仲良しであるが、むかし横尾氏がサンタナについて書いていた文章が忘れられない。

 ●とある霊能力者のサンタナ評

 『私はとある霊能力者にサンタナのことを占ってもらった。するとこんなとんでもない事を言われた。「この 方は大変な方です。この方は仏陀やキリストが歩まれたような道を歩まれます。この方は自分の言うことをみんなにわかってもらおうと努力をしますが、この方 の言うことは分かりやすくなく、なかなか分かってもらえません。そしてあなたとは、生涯を通じて無二の親友になります」。さあ、大変だ』

 たしかに横尾忠則氏もサンタナもスピリチュアルな人だ。が、微妙に違う。サンタナは、苦労して山道を歩く 求道者だ。そこをいくと、横尾忠則氏はあるがままに生きるだけでスピリチュアルなものが寄ってくる特異な人だ。この差は表現のありように現れる。サンタナ はもちろん生真面目で不器用だ。できることだけを精一杯やる人だ。

 横尾忠則氏は、いろいろ紆余曲折しているように見えても、とにかくその時どき感じることをすなおにやっている人だ。どういう意図で作品が生み出されたか、すぐには分からないことがしばしばあり、評論家は勝手に賛否両論をする。などなど。

 しかし2人のあきらかな共通点があるとすれば、不器用なことではないだろうか?不器用さは横尾忠則氏にはいつもプラスに作用してきたように思う。しかしサンタナは、うつろう音楽ビジネスの中にあって、それはマイナスに作用しがちだったように思う。

 その不器用なサンタナが9部門受賞だ。しかもアルバム・オブ・ジ・イヤーもソング・オブ・ジ・イヤーも制覇、つまり昨年もっともイケてたアーティストだということだ。

 ●不器用なサンタナが再びヒット

 アルバム「スパーネーチャー」を聴いてみた。確かに、よくコーディネートされたアルバムで、ゲスト・アー ティストがいい味を出している。ローリン・ヒルは曲のプロデュースとしても参加し、自らのラップ披露は控えめに他のヴォーカリストを起用して、いかにもプ ロデューサー的に曲を仕上げている。

 ダスト・ブラザーズはいつもながらディープすぎず軽すぎずの、程よいブレイクビーツを聴かせている。ローリン・ヒルと同じくフージーズのワイクリフ・ジーンは燻し銀のヒップホップを提供している。ドン・チェリーの血縁のイーグル・アイ・チェリーもいい歌を聴かせてる。

 新しい味のあるアルバムなのだが、全体の印象はやはりサンタナだ!本当に芸風が変わらない。不器用の根太さだ。

 一度過去の人となっていたサンタナが、今こんなに再びヒットを飛ばすと、誰が予想しただろうか?時代は波うちのたうち、たまたま彼に2度目の照準が合ったのか?不器用ゆえの勝利?

 いや多分アメリカと言う国は、彼のようなサウンドが、ときどきヒットする国なのだろう。アメリカはめまぐ るしく変わるようでいて、人々の嗜好品はしぶとく変わらない国なのだ、ホントは。日本は新たな要素の取り込みや消化力が驚異的にダイナミックな国なのよ。 ラジオを、まずJ-waveをつけて、そのあとFENに切り替えただけですぐに分かるよ。だってFENが昔の放送みたいに聞こえるんだもん。

 (なお、この事実は、同時にアメリカン・ポップスの太い太い力強さを物語ってます)

 とりあえず私は、生真面目にやり続けたサンタナが、再び評価されたことに拍手を送りたい。

 ●キューバ人が持つ強靱な血液として故郷

 そして今回のグラミーの、今までと違うところは、今までなら「ラテンといえばサンタナ止まり」という感じだったのが、最近のアメリカでのラテン・ブームを反映して、もっと本格的ラテン・アーティストが受賞したことだ。

 今回あきらかに、ラテン・アーティスト3組のライブはひとつの目玉だった。マーク・アンソニー、イブライ ム・フェレール、リッキー・マーティン。特にキューバのじいちゃん歌手イブライム・フェレールのライブはかっこ良かった。グラミーでこんなに本格的なラテ ンが見られる日が来るとは思わなかった。

 イブライム・フェレールとグロリア・エステファンが同じグラミーの画面に収まるのを見て、私は3年前の 「STUDIO VOICE」のキューバ特集を思い出した。それは、たとえばキューバから亡命したミュージシャンのことを、キューバでがんばるミュージシャンは、決して 「裏切り者」とは思わない。

 もともと「おまえはなぜ、どういうキューバ人か」と問われ続ける彼らにとって、キューバにいる, いないは重要でなく、ひとつの概念として、あるいは血液として「故郷キューバ」はある。それは文化としての強靭な肉体性と言っていいほどのものである。

 というようなことが語られたすばらしい特集号であった。単一民族幻想にしばられてダイナミックな発想ができない日本が見習いたい強さだ。それは、このグラミーでやはり受賞したルベン・ブラデスやティト・プエンテにもあてはまる。

 ルベンはパナマ出身のメッセージ色の濃いラテン・シンガーソンガライターであり、ティトは半世紀に渡ってニューヨーク・ラテンの背骨となってきたグラミー常連だ。彼らも、ひとつのラテン社会の表現者として、キューバ勢たちとも尊敬の念を交換しあっているのだ。

 こういった民族的ダイナミズムが感じられるようなグラミーであったというのは、やはりスゴかったと言える。サンタナは今後も不器用に作品を発表するだろう。それでよし。

 ところで横尾忠則氏は。彼も描き続ける。そして我々は、すこし遅れて、彼はとにかく絵が好きであるのを知るだろう。(くたじゃ報号外より転載=まつしま・ひろし)


 松島弘さんにメールはkutaja@parkcity.ne.jp
2000年02月28日(月)鳥取県・小塚俊郎


 ●都知事にかみついた全国最小県の知事

 昨年5月に鳥取県倉吉市で中国5県知事会議が開かれた。ふだんなら何も記事になるようなことはない「セレモニー会議」だが、この日は違った。

 「東京都知事が地方交付税をよこせとは乱暴な意見。税が東京に行くと、地方財政システムが破たんする」。

 当選したばかりの石原慎太郎都知事を、やはり当選したばかりの片山善博知事が正面から批判したからだ。財政力の弱い、全国最小県(62万人口)の知事が全国一大きな東京との知事にかみついた。

 すかさず広島県の藤田知事が「(石原発言は)都市部の都府県は賛成するかもしれないが、地方の県は連合して反対しよう」と片山知事を援護射撃。何やら怪しげな雲行きになったから、このやり取りは全国配信のニュースになった。

 ●「不景気の今はやってはいけない」

 実は(私の勉強不足もあるが)このとき初めて片山知事の口から「外形標準課税」という聞きなれない言葉を耳にした。

 「法人の事業税は不況に弱い。せっかく企業誘致しても、県税収入はきわめて不安定なものだ。いっそ事業税 と個人所得課税を交換してもらった方がいいかもれない。また外形標準課税も安定的収入ではあるが、導入は好況時でなければいけない。増収策を外国の例に学 ぶなど、各県で知恵を絞る時代になってきた」と片山知事。

 知事選に出馬するまでは、自治省の固定資産税課長をやっていただけに、地方税制に詳しいところを披露した。

 今回の都の外形課税導入にも、片山知事は石原知事にいささか批判的。

 「自治体独自の課税導入は地方税法で認められている。それを『けしからん』というのはどうか」と地方の政権は擁護しながらも、「大手銀行だけへの課税は憲法違反であるのは明らか」とし、県としての導入も「不景気の今やるべきではない」と答えた。

 ●人々の不満をうまく利用する「民心扇動知事」

 私も、マスコミの多くが「旧体制に風穴をあける都知事」「慎太郎税ショック」ともてはやす今回の導入には、ある種の「うさんくささ」と不安を感じる。

 なぜ石原知事の今回の提案に世論はあげて「快哉」を叫び、高い支持を(各紙調査で7-8割)を寄せたのか-。

 それは相手が「大手銀行」だったからこそだ。国民の血税である公的資金を何兆円も受けながら、不良債権処 理を口実に税金をほとんど納めない大銀行への庶民の怒りや不満。そこへ石原知事一流の「人心の読み」が働いた。決して人々は外形課税そのものを理解し、支 持したわけではない。

 「都会でかせいだ金が地方に吸い上げられる」という首都圏住民の潜在的不満を引き出して大いにウケた「東 京にも交付税を」論。また空手形に終わった「米軍横田基地返還」の選挙公約。彼は沖縄県の大田前知事のように、住民と痛みを共有し、アメリカに本当に 「ノー」と言いに行く政治家ではなく、独特のダンディズムと自己陶酔的な「愛国心」で動いている民心扇動型の知事ではないか、とかねがね私は感じている。 概してマスコミは彼には点が甘い。

 ●便乗でなく、地方が知恵を絞る時代では

 しかし、もっと心配なのは石原知事より、彼が突破口をつくると、われもわれもと他の知事や閣僚たちが相乗 りするという、いかにも「日本的な反応」の方だ。ついに自民党税調までが「都の導入を踏まえ、景気回復を条件に2001年度にも全国一律の導入を」と言い 出した。ところが亀井政調会長は「各自治体が勝手に課税し始めるのはいかん」とまで言っている。つまり地方の課税権は制限すべし、の上に立った導入。これ では「換骨奪胎」もきわまれり、ではないか。

 「外形課税みんなで渡れば怖くない」-。あまりに発想が貧困だ。

 外形課税はすでに東京税理士会がシミュレーションを行い、「中小法人で資金ショートによる滞納、倒産、深 刻な失業問題が発生する」として反対している。安易な導入は、せっかく回復しかけた景気に冷や水を浴びせた97年の消費税増税の二の舞にならないか、とい う心配がある。

 また「全国一律の導入」では、地方は相変わらず中央集権型から抜け出せない。

 今回の石原都知事の提案で(悔しいけれど)評価しなければならないのは「地方自治体にも課税権があり、税 制を決められる」という自治の原点を思い出させてくれたことだろう。ならばなおさらだ。都道府県によって人口、企業種、産業集積度は大きく異なり、それに 合った地方独自の税制を自らの知恵と努力で編み出していく。それこそが地方分権時代に求められる発想ではないか。

 ●「垂れ流し」では増収しても意味がない

 最後にもう一つ。政治家は「金が入る方」より「出る方」にこそ厳しいチェックがいる。

 都議会の動きに、大阪府の自民党府議団もさっそく「大阪でも」と手を挙げた。試算では約300億の増収に なるらしいが、まるまる入る都と違い、増収分の約8割は交付税からカットされるため、実際は60億円程度。ところが手を挙げた同じ日、赤字3セク「りんく うゲートタワービル」に大阪府が18億円を支出する方針が明らかになった。

 関空景気を当て込んで670億円をつぎ込んだ西日本一の超高層ビル。ところが入居率が低迷し、累積赤字は64億円という。せっかくの増収分もあっという間に消える数字だ。

 東京都にしても、財政赤字の元凶・臨海副都心開発にメスを入れず、高齢者のシルバーパスなど福祉に大ナタをふるっている。出る方が「垂れ流し」では、少々増収しても意味がないのだ。


 小塚さんにメールはfwgc0017@mb.infoweb.ne.jp
2000年02月26日(土)とっとり総研主任研究員 中野 有


 【台湾の自動車道はラッシュ時間には無料】上 記のご意見、まったくそのとおりだと思いました。読みながら、声を出してうなずいてしまいました。真剣な話、日本の活性化のいちばんの近道だと私も確信し ています。日本の道路行政は、だれがどこで意志決定しているのでしょうか。こういうことこそ、政治家の仕事だと思います。官吏には無理です。半年ほどかけ て、世界の道路事情の視察でもしてきたら、目が覚めるのではないか。そういう海外視察なら歓迎です。

 私は台湾に住んでいます。台湾の自動車道は、込みあうラッシュ時間には無料になります。つまり、朝9時までは無料。込みあう連休も当然無料です。公営駐車場も日曜祭日は無料化されます。高速料金も安い。台北から高雄まで340キロで約1300円ぐらい。福岡から鹿児島あたりまでの距離でしょうか。日本なら5000円くらいですか。

 私がよく利用する現場から台北までの区間は徴収所がない。こういう柔軟な発想が、なぜ日本の政治家にはできないのでしょうねえ。ドイツとの差は、悔しいけど、やはり結局そういう政治家しか選ぶことができなかった民度の差ですかねえ。(西府)


 【ひろくキャンペ-ンを起こして】とっとり総研主任研究員、中野有様。萬晩報000213には全く同感です。私一人ではないと思います。ひろくキャンペ-ンを起こして、先進国と比べて、いかに不合理であるか、周知徹底させて下さい。(kagetani)
 【工事を中断して50カ月】ご 意見に大賛成です。そしてひとつつけ加えさせて下さい。私は数年前に50ヶ月間柏市と水戸市の間を自家用車で通勤していました。国道6号線を通っていまし た。柏、牛久、石岡等市街地では必ず渋滞に遭いました。土浦、水戸のバイパスでは用地の手当ては済んでいるのに工事を中断していて(50ヶ月間)、同様に 渋滞に遭いました。

 東京での議論は道路はもう終わったと言う論調ですが、決してそんな事はないと毎日運転しながら感じていました。フリーウェイ、国道、県道、その他のもっと効率的な組合せを作り上げれば、この国のいろいろな資源は活用度が飛躍的に高まると思っています。(村上 59歳)


 【柏崎市に角栄道路】お疲れ様です。久しぶりに、経済学部らしい勉強をさせて頂きました。

 きのう、柏崎に行く途中通称「角栄道路」という西山町の田中角栄さんのご実家の前にアクセスしやすいよう にわざわざ高速道路の出口をつくり、おかげで柏崎市民は本来なら短縮できるはずの新潟市から柏崎市へのルートがぐるっと回るはめになったと文句を言ってお りました。(勿論、地元住民は支持しておりましたが)あの例を見ると国民一人一人の税金の使い道も一人の政治家の一言によっていくらでも左右できるのだと あらためて世の中の甘さに落胆し考えさせられました。

 柏崎という都市は新潟県内で私自身もっとも惹かれる場所でありますが中野さんはこの都市とかかわりを持たれたことがありますか?(美坂 愛)


 【問題は高速の降り口の整備】はじめまして、私は内田と申します。中野さんのフリーウェイの記事を読んで感想を述べさせていただきます。

 私は年三回、ロスに行きレンタカーでドライブをしています。ここで記事の内容において日本の高速料金が無 料になればとありましたが、無料になることは希望しますが、その前にフリーウェイ、つまり立体交差のジャンクション、降り口等の整備が必要と思います。料 金が無料で全員が高速を走っても降り口のところには信号機が待っています。

 これがあるとせっかく速く走ってきても、待たされる時間が大変長くかかり、逆にそこでものすごいストレス が発生するのではないかと考えられます。依然は私も中野さんと同じ考えを持っていましたが、これをスムーズにするためにはやは高速道路の立体化の工事を促 進する必要があると考えます。

 日本も早く無料で走れるとどんなにすばらしいかな。片道500Kmぐらいは日帰りでできるとすばらしいですね。


 【日本の車を並べたら、国道の総延長よりも長い】お疲れさまです。萬晩報「ハイウエーからフリーウエー」読みました。全く同感です。 バランスシート等のデータを見たことがないので無責任な言い方になりますが、なぜ日本はこれほどの高速料金を払わなければならないのか、疑問です。

 半年程ドイツで過ごした時、道路が「フリー」になることが、どれほど景気を刺激するのか興味をそそられま した。しかし、その後ノンフィクション作家の佐野眞一による日本の車社会のレポートを読んだ時、その興味も失望に変わりました。現在、日本中で「所有され ている車」を並べたら、日本中の国道の総延長よりも長く、海に落ちてしまう車が出てくるとのこと。

 つまり、ほとんどの車が「停車・駐車」していることで、車が「走行」しているというのです。しかしなが ら、中国自動車道も国道9号も夜中になればガラガラで、物資の集積を分散化することが促進させるなど「フリーウエー」の効果は大きいとも思います。また、 境港の貿易、北朝鮮・ウオンサンとの次のステージ、オーストリアの政情、ウイーンのカフェなどなど、またおじゃまさせて頂きます。(引地)


 【パリからノルマンディーまでは700円】中 野さん、全く同感ですねえ。以前の、「料金を100円に」の時にお便りしようか、と思いながらそのままになったのですが、私も、フランスへ行ったとき、 ちょうど現地にいた友人の運転で、パリからノルマンディーまで行きました。大阪から名古屋辺りの距離だったと思いますが、その料金が 約700円でした。

 昨日、スキーに行くのに 名古屋経由岐阜県の美濃地方まで、250キロほど走ったら、その料金はなんと、約6000円でした。

 誰も文句もいわずにお金を払っているのが不思議なくらいです。これで、道路公団が合理的に経営されている ならいざ知らず、運輸省か建設省あたりから天下りしてきたOBどもが高給を貰って、優雅に暮らしているその金を払わされている、と思うだけで腹が立ちま す。これは、阪神高速などでも全く同じ状態です。

 何処かの新聞で、この問題を取り上げてくれないかと願っているのですが・・。(河井)


 【首都移転と高速道路の無料化どちらが安いの】萬晩報メールマガジンで拝見しました。首都移転よりも近距離移送の低額化をというご意見を拝見し全くその通りだと感じました。田中角栄氏の日本列島改造論も首都からの距離時間を短くしてゆこうという発想があったかと記憶しております。

 発想においてはなかなかよいものがあっても、いつの間にか利権争いの箱もの行政に堕してしまうというのは、いったいなぜなのでしょうか?

 利用者(納税者)の利便を全く考えない行政というものの根底には国益(あるいは国家)意識の欠如があるの ではないでしょうか?「六甲のおいしい水」を東京に運ぶ運賃とエビアンを東京に運ぶ運賃がほぼ同じだと聞いたことがあります。こんなことも同根なのではな いでしょうか?ともあれがんばってください応援しております。ところで首都移転と道路公団の廃止高速道路の無料化どちらがやすいのでしょうか?もしわかっ たらまた教えてください。


 【お金を払うために渋滞はまさに殿様商売】中野様。はじめまして、中川と申します。私は、高速道路を使い毎日通勤している者です。確かに往復350円の出費は痛い。

 いつも使っている横須賀横浜道路に枝線として、新しく三浦縦貫道ができ、来月4日に開通いたします。正確 な距離はわかりませんが、車で走れば1分か2分の距離の料金が300円です。いままで、横須賀横浜道路が首都圏で一番高いといわれていたので、この三浦縦 貫道路が首位になること間違いないでしょう。この三浦縦貫道路を使うことにより、確かに朝の通勤は10分、短縮できるでしょうが、往復で600円をルーチ ンで使うことはできません。どうやら、道路公団は、世論の声など何のその。無視しまくりですね。

 公団側は徴収した料金を道路補修のために必要と言っていますが、料金所での、集金を見ていると、1分間あたり、いったいいくらになるのでしょう。お金を払うために渋滞。まさに、殿様商売。

 その道路の修理とは、一般道路に較べて何がどう違うのでしょう。いまだ、納得できる説明を聞いておりません。もし、せめて高速道路が今までの半分になったら私の生活の中で起こる変化を書いてみます。

1 行楽、観光へ行く機会は今の倍以上に増える。
  それも、遠くへ。
  いままで、高速料金がネックだった山手線越えも楽々。
  行動範囲が倍以上伸びるでしょう。
  (どこまで行こうか、は距離の問題ではなく料金の問題が大きいから。)

2 今まで、高速を使わずに日常の買い物をしていたが、
 これなら、うちから横浜の本牧までの楽々いけます。
 きっと、余計なものをたくさん買うのでしょう。

3 実家(宮城県)へは短い休暇でも帰れます。
  いままで、移動にかかるお金が大変だったので、できるだけ長期の休みで
 と思っていましたが、1泊2日でも十分です。
 うちの母と父は二人暮らしなので、将来的に介護するにも負担が小さくなります。
とにかく、お金が地方にばら撒かれる。移動にかかるお金が少なくなれが、その回数が増えます。私たちにとっては、良いことづくめなのに。

どうすれば、政府、公団は動くのでしょうか?署名運動をしてもだめですか?これって、日本を変える起爆剤になると思いますが。(なかがわ)


 【実現する方法はないものか】中野さんに同意見です。まさにその通りです。本当に同意見です。

 具体的に実現可能なのかは日本の政治をみる限りかなり疑問が残りますがこの案は私も常日頃思っておりまし た。どうにか実現する方法はないものでしょうかね。このような提案を全国民が見て認識したらどんなに影響があることかと思います。でもメール配信であると はいえ、多くの人間がこのことの認識を深め世論として影響をもっていけばそのうち変わるかもしれませんね。(terasaki)


 【時代の移り変わりに敏感に】いつも萬晩報をありがとうございます。件名の記事はとっとりの方が筆者のようですが、前近代的な発想に閉口してしまいました。

 そもそも、地球環境が叫ばれているこの時代、エネルギー効率の悪い内燃自動車交通を褒め称えることが時代 遅れだと思います。CO2やNOx、騒音をまき散らす自動車には、川崎でも、尼崎でも、軒並み厳しい判決が出てますし、東京では無料の道路からお金を取っ て、自動車交通を抑制しようとするロードプライシングが検討されているというのにですよ。

 大都市部と地方部では、自動車の価値観が違うのを差し引いたとしても、もう少し時代の移り変わりに敏感に なってほしいと思います。これだから、地方は永遠に東京に頭が上がらないって感じがしてしまいます。 地方分権を叫ぶ前に、東京に先んずる発想を。とっと り特派員には是非これを望みます。(Tet O)


 【Free Way転換に全くの同感】先 日の日本海新聞・潮流を拝読させて頂きました。日本の高速道路・インフラに関しまして、High Way よりFree Wayに転換させるべきとのご意見に全くの同感です。先日、鳥取市へお伺いする事がありまして、お近くの厚生年金会館で所用を済ませた後、貴オフィスへ是 非とも訪問させて頂きたかったのですが、時間の関係でそのまま米子へ帰りました。とても残念でした。

 小生は、地元の(株)新日本観光センター(鳥取本社)の海外旅行部長として昨年末より故郷・米子で勤務しております。一度、ご挨拶させて頂く機会があればと思っております。(岩佐)


 【訴訟を起こそう】日本の高 速道路も、法律上は原則無料ってご存じですか。高速道路の建設費は、ガソリン課税と料金徴収でまかない、建設費の償還が終わった後は無料にするのが法律上 の建前なんです。ですから、ペイしない高速道路は造らないはずだった。ところが、政治家がうちの県にも、うちの県にもとごり押しを始めたんです。で、建設 官僚が悪のりをした。

 道路官僚にとって、至上命題は何キロ整備したか。それで出世が決まる。だがペイする道路は大都市道路んは ずだが整備率はあがりません。そこで全国の端っこでの道路建設に目をつけた。でもペイするわけがないので、マジックを使った。「道路はつながっているから ひとつの建造物だ」そうなると全国のすべて道路整備が終わり、その償還が済むまで料金をとれる。もともと、東名や中央など数路線以外は維持費も出ないんで すがこの数路線はものすごく収入がでかい。無料にすれば会計破綻は見えている。道路公団の財務担当者も大蔵省のこの案に飛びついたってわけです。

 だから、訴訟するのがいいと思う。しかも、クラスアクションを起こす。判決は、裁量行政行為で、棄却され ると思うが、このからくりを国民にアピールすることができる。日野市長が3年前、中央道路に固定資産税を課税すると言い出して建設省ともめたことがあっ て、道路はかなり調べたことがあるんです。(T.S)


 【Freeway Foundationを組織しよう】中野さんのこの件に関しての目的とかゴールはお持ちなんでしょうか?
1.問題提起をする。
2.日本の高速道路を開放(無料化)する。
3.行けるとこまで転がしてみる
で、3.と勝手に判断します。そして、無責任なことを書きます。

 通常、問題提起や否定意見も多いのですが、多くが推進派なので如何に日本の高速道路に不満を持っているかが分かりました。今後、これをどうするかアドバイス頂きたく思います。

 どうせなら、Freeway Foundationってのを組織して、Web page 立てて、Web や 集会で募金活動したりして、個人や企業から資金を募り、古い高速道営業権を「買い取る」。(第3京浜の営業権ぐらい数十億ぐらいで買い取れませんかね?京 都、大阪間の道の一部でも良いし、どこでも良いですけど)そして、無料で開放する。道路の維持費は車の税金上げて賄ってもらえると良いですね。ま、とにか く、第1発目の事例でインパクトを与えることが大事だと思います。

 クビになる料金所のおじさんには Foundation で働いてもらいましょう。こういうのが見てみたいですね。すごい無責任ですいません。(M.H)


 【パリの市街地の高速道路には料金所がない】中野さん、鳥取の方だったんですね。私の方は大阪府、仕事場は大阪のすぐ南の堺市、自宅は東南方向にある富田林市です。

 この間の話に、2つほど書き足しておきます。まず、フランスの高速で、パリなど市街地の高速道路には料金所がありません。そんなところに料金所を設けると渋滞するから、と言うことらしいです。何と言う合理的な考え!これは、台湾の高速道路の考えと似ていますね。

 もうひとつ。私が大阪市内から自宅へ帰る時に利用する、阪神高速が10年程前に延長になり、我が家にかなり近いところまで行けるようになりました。この道路が開通した日に走ったのですが、時間にしたらホンの2~3分の区間を走って、新しい区間の追加料金が200円。

    それでも、少しは便利になったのに満足していたら、その200円だった区間が和歌山まで延長され、阪和自動車道として全線開通した途端に、なんと料金は400円に値上げになりました。別に区間が延長されたわけでもなんでもないのに。

 それだけでも憤慨物なのに、その後の阪和道料金の値上げにあわせて、今では、たった2~3分の区間の料金 が何と500円になっています。もう、最近はアホらしくて滅多に通らなくなりましたが、こんな事一つ取り上げても、道路公団というところがいかに怠慢な殿 様商売をしているかよく判るというものです。

 我々利用者の方から、声を大にして改善を望むしかないように思います。今後も時々こういう話題を取り上げて下さい。期待しています。(河井)


 【物流経費が高いのも料金制度のため】ハ イウェーからフリーウェーへを読ませて頂きました。戸田と申します。私も前から高速道路が無料になると経済効果に多大な影響があるのではないかと考えてる 一人です。日本という国は確かに戦後経済大国の道を歩んできたとは思うのですが、生活のコストが余りにも掛かり過ぎてる感があります。その大きな要因が高 速道路の料金と考えています。

 物流のメインがトラック輸送に頼ってる今、ガソリン税・重量税等車を運行するためのコストが掛かり過ぎて る現在の構造上それを補うため物の値段は上がっていくのが常のはずですが価格破壊などという状況の上で物流関係の業界では十分な利益を上げられないままに なっている気がしています。

 また、国内観光の盛りあがりがないのも高い高速料金のためと感じています。我家でもキャンプなどで移動す ることが多いのですが高い高速料金がネックで中々県外のキャンプ地に出かけるのも躊躇してしまうことがたびたびあります。私みたいな日本の平均年収以下の 国民にとってはこの国はお金が掛かりすぎてすみにくい国になっております。

 早く国会の偉い先生といわれる方々がこれに気付いて速く手を打っていただければいいのですが、なにやら自 分の利益やしがらみの利益に操られて、これから先の明快なビジョンを示してくださる方が見うけられませんね。悲しい状態ですね。これからも大変でしょうが 問題提示を頑張ってくださいませ。


 【菊池毎日編集委員が同じ趣旨の記事】萬 晩報の配信いつもありがとうございます。2月13日の「ハイウエーからフリーウエイに」(中野氏)を興味深く読みました。ご存じのこととは思いますが、高 速道路のフリーウエイ化については、98年8月号「ザ・リバティ」に緊急提言(今後20年間の交通革命による経済効果も含めて)として発表されています。 また続く99年1月号にも同じ趣旨で2回目の提言がなされています。これを受けて(と思いますが)、その1-2ヶ月後に、毎日新聞で菊池哲郎編集委員がや はり同じ趣旨の記事を書いていました。(T. Adachi)
2000年02月22日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 宗教と無関係と考えている人でも、人生で何度か神聖な気持ちにさせられ祈りを捧げた経験があるだろう。筆者はこれまでの人生でそんなことが2度ほどあった。今日は「寧波報告」02月09日付萬晩報「中国で復活した蒋介石委員長という呼称」の続編のつもりで「祈る」ことについて書いた。

 ●思わず唱えさせられる「南無大師遍照金剛」

 初めは比叡山延暦寺で千日回峰行の最後の断食行を取材したときだ。修行僧が10日間の断食行を終える最後の未明、その偉業達成を祈る信者が1000人以上も集まり、経の唱和が極寒の山中にしみわたった。

 白装束の修行僧が介添人に支えられながらお堂を出て、閼迦井の水をくみに出てくると、1000人の唱和が山を動かすほどの一体感に達したように感じられた。そのときほど、それまで信心のなかったことを恥じたことはなかった。

 2度目は四国・善通寺での体験だ。本堂だったと思う。地下に回廊が巡らせた不思議な空間があった。階段を下りる入り口に「左の手で壁をつたいながら南無大師遍照金剛を唱えよ」と書いてあった。この意味を理解するのに大して時間はかからなかった。

 閉ざされた暗闇に一人で入ったとたん得も言われぬ不安に陥った。そして思わず「南無大師遍照金剛」を口にしている自分自身に気付いた。この言葉を口にせずには前に進めなかったのだ。この気持ちだけは体験しなければ分からないと思う。

 やがて前方にポッと明かりが見え、小さな大日如来の座像が現れた。大した距離でもないのにとても長い時間 を暗闇で過ごしたような気持ちがした。同時に心の底から「南無大師遍照金剛」を唱え「救われた」と思った。不遜ながらこれまでの生活で救いを求めたことは なかったが、宗教とはこういうことなのかという気持ちにさせられた。

 ●中国人僧侶と唱和した「南無阿弥陀仏」

 今回の中国・寧波の旅でも似た体験をした。蒋介石の揮毫を国清寺でみたことは前々回に報告した。国清寺は 寧波から南東200キロの山中にある天台宗総本山で、平安時代の初期に、最澄が天台宗を学んだ寺院である。ちなみに真言密教をもたらした空海が学んだのは 長安の都にあった青龍寺である。

 遣隋使から始まる日本から中国へのかつての留学僧の多くが中国大陸への第一歩を踏んだのが寧波という町だった。宋の時代には福建省の泉州(ザイトン)と並んで2大国際港湾都市だった。その町にどうしても立ってみたいというのが今回の旅の目的だった。

 寧波の郊外にはもうひとつ日本人にとって忘れてはならない寺院がある。曹洞宗大本山天童寺だ。13世紀初頭、20歳代の道元が如浄和尚から曹洞宗の法灯を授かったところである。このとき道元に「仏祖正菩薩戒脈」が授けられた。

 意味するところは「仏陀、達磨、慧能、洞山・・如浄と伝わった座禅の法灯を日本人僧である道元に授ける」ということである。1227年、道元28歳のときである。宗門の法嗣(本家)が異境である日本に移ったのは真言密教と禅宗では曹洞宗とふたつということになる。

 天童寺に入ったのは静かな木曜日の午後だった。寧波の町を出てしばらく南下し、さらに峠を越えると松並木が両脇に続く道に変わった。在所を通り過ぎ小さな山門をくぐったその先に天童寺はあった。

 本来ならば、ここで下車しなければならないのだが、運転手の老王は「外国人のお客だ」といって車を通過させた。中国で参道なるものに出逢うとは思わなかった。並木の背丈は高くないからどう考えても50年前の革命以前からあるはずがない。

 天童寺の本堂では、ちょうど読経の時間に居合わせた。広い境内に入ったときから熱心に手を合わせていた老婦人の姿が目についていた。本堂に足を入れたとき、この老婦人もまた一緒だった。

 50人ほどの僧侶が本堂の中を巡りながら「南無阿弥陀仏」お経を唱えていた。日本の読経と違って音階がある読み方だった。なるほどこれが声明(しょうみょう)なのだと一人合点した。

 仏教音楽とされる声明は日本の寺院ではあまり人前で披露されることはない。比叡山延暦寺などでは秘伝の儀式なのだ。だがここでは毎日の修行の一環のようである。その唱和に聞き惚れていると一人の僧侶がわれわれ異境からの客人とその老婦人を声明の列に引き入れた。

 われわれは800年前の道元の世界に引き戻され、自然な気持ちで「南無阿弥陀仏」を唱えていた。偶然のことなのだが筆者は4カ月前、南アフリカで亡くした弟の成仏を祈った。

 文化大革命により中国で死んだはずの仏教はまだまだ健在だと確信した。


2000年02月20日(日) 萬晩報主宰 伴 武澄


 2000年02月15日付萬晩報「外形標準課税から始まる日本の地方自治」への読者の声です。どうやら自民党も石原知事側につき、全国の都道府県の首長たちも外形標準課税に前向きに取り組む風向きとなってきました。

 ちなみにこの「外形標準課税」の名称は分かりにくい日本語となっていますが、京都のウナギの寝床のような町屋は江戸時代に商家の「間口」に課税したとこ ろから発生したといわれています。フランスでは窓の数で課税された時期がありました。「外形」というのは読んで字のごとくですね。

 萬晩報としては、将来は大手銀行だけでなく、一定規模以上の売り上げの中小企業にも適用されていくべきものだと考えています。


 【まったく同感です】「甘えの構造」を断ち切る石原知事の今回の外形標準課税宣言に拍手喝采を送りたい気持ちです。官僚主義、馴れ合い政治への痛快な「一撃」とも言って良いでしょう。日本を良くしたい、でも政治不在に愁う日頃の鬱憤を晴らしてくれました。(Ken Hakamata)
 【沖縄の自由経済区への言及は炯眼】米 軍基地の固定化の見返りに多額の税金をつぎ込むより、基地を縮小・撤去して自由経済区にした方が、日本だけでなく、アジアの経済にもプラスだったのではな いか。マスコミは知らん顔だが、こうした採りあげ方は、沖縄のだけでなく、地方の自立のためにも、有意義な視点であると強く感じる。この文がきっかけと なって、広い視野での国と自治体のあり方に論が深まることを期待したい。 (山縣)
 【がんばれ石原慎太郎】銀行が、使った税金が、数十兆円。東京都の取る税が千億円。当たり前過ぎて、こんなことで、騒ぐ連中にはらがたつ。もらえるものはいくらでも、出すのは1円でもいや。そんな連中が、たくさんいるんだ。(swan)
 【石原氏も萬晩報を読んでいるかな】外形標準課税に関するタイムリーな分析楽しく読ませていただきました。石原さんは、本当に国士ですね。こんな人物が国を変えると思います。地方から国を変える。東京は地方でないけれど、官僚や政治家に任せていたら国はなかなか変わらないと思います。

 政治家は、地方のことしか考えないから、国は官僚に仕切られ国の戦略が時代に対応できなくなっていると思います。週末になったら地元に帰る政治家なんていらないと思います。政治家は週末になったら国やグローバルな活動を通じ、21世紀の戦略を明確にすべきだと思います。

 石原氏も萬晩報を読んでおられるのでしょか。石原さんに呼ばれ都庁の危機管理を担当されている方は、ハワイの会議で同席させてもらった人です。石原さんは人物を見きわめる力を持った人だと思います。(Tamotsu Nakano)


 【税理論にやや混乱】 <そ もそも法人税は企業に利益があることが前提で課税されるもので、その対価として行政サービスを受けている。そうだとしたら何年にもわたってサービスの「た だ乗り」というわけにもいくまい。銀行が不良債権を抱えているといったところで、行政側だって職員の給料ぐらいは支払わなければならない>という部分で、 国税と地方税の税理論にやや混乱があるように感じられます。

 国税の法人税は「収益税」であり、法人所得に応じて課税されます。払う能力のある強い者が払う、と いう累進課税の考え方で、国税の個人所得税と同じ趣旨です。納税は広い意味で「行政サービスの対価」ですが、国税の場合、負担と受益の関係が必ずしも判然 としないため「応益税」という考え方ではありません。

 これに対し、地方税の法人事業税は「応益税」であり、その地域の行政サービスの受益の見返 りに課税されます。所得の多い少ないに余り関係なく、受益者が等しく払うべきものです。だから、事業税には外形標準課税が認められているわけです。国税の 法人所得税と異なり、もともと事業税は「利益を前提に課税」するものではありません。

 住民税も基本的に「応益税」のため、所得に関係なく「均等割」を取り、「所得割」部分も国 税の個人所得税よりは累進が緩くなっています。控除も少な目で、課税最低限が低くなっています。しかし、日本は収入の多い人から税金を取るのがすきなの で、住民税の累進度も相当なものですが。

 今回の騒動は、事業税が本来の形に戻ったわけですが、問題は大銀行だけを対象にする点。石 原知事らしい、民衆の受けをうまく突いた課税で一点突破した、とも言えますが、公平という点で問題が指摘されるのは致し方ないでしょう。今後、外形標準課 税を事業税全般に広げる布石とできるか、が今回の課税の成否を握ると考えます。(大辻)


  【村に都銀も】初めまして。最近御誌を愛読するようになった山内と申します。本記事について、新聞等で皆様が余りおっしゃらないこととして、「この税金がいやなら、東京以外に出ていけばいいんだよ」という点があると思っております。

 東京に本社(?)を置く価値があると思うなら、それだけの税金を払えばよいし、たとえばバーチャル 企業やSOHOで東京の価値がないならば、東京を出て行けばいい訳です。東京は自治体がサービスを提供するのにコストが高い(土地も物価も高い)でしょう から、高い税金もあたりまえ、といった考え方があってもいいと思います。一方で、東京都としてはあまり税額を高くすると企業が逃げていってしまうので、上 限を押さえる効果があるでしょう。

 こういった形で、東京集中を再検討するのもおもしろいのではないでしょうか?ただ、資金量の多い銀行だけ、という区分がどれだけ理由付けできるのかは、よくわかりませんが。(Nagatsugu Yamanouchi)


 【課税は自治体によって異なるべきだ】きっとお書きになると思っておりました。私は、こんなことを考えて友人にメールしました。メールしたときは、その概要を知りませんでした。現行の地方税の延長として考えている想定していたので、齟齬がありますが見てみていただけるとありがたいです。

 私は、課税は「自治体によって異なるべきだと」とおもうのですが、全国の知事はみんな一緒に金太郎 飴が好きなようです。地方税は国税と違って、各自治体が独自に定めることができます。とはいうものの、現行は「国に習え」の金太郎飴の状態で、どこの地方 税も余り代り映えするものではありません。

 今回東京都の石原慎太郎知事の騒いでいる方式は、地方税としての問題で、おそらく東京都に本店がある銀行が対象になります。
国税の場合に、その課税から逃れるためには海外に本店を移すしかありません。地方税に差があるのであれば、地方に本店を移す方法もでてくる訳です。

 地方の自治体が、呼応して都銀に対する課税はしないと宣言するれば、地方税の「総取り」は できませんが、都銀の本店を誘致することができるでしょう。体面を重視する都銀は名義だけ本店を移転することはないでしょう。きっと給料をたくさんもらっ ている銀行員もその村に呼込むことができます。個人の住民税は増えますね。

 東京都の石原慎太郎知事の都銀への課税額が大きければ大きいほど、本店を地方に移すメリッ トが大きくなります。首都圏集中が問題だから、災害に強い首都を新たに作る(官僚は安全なところに引越す)という議論がありました。税法の使い方によっ て、首都圏集中を排除する例にもなるといいのですが。

 ちなみに、村上龍の「あの金で何が買えたか」によりますと銀行に投入された公的資金は国民 一人あたり87,000円(1億人で割っています)です。4人家族だと348,000円です。税の公正も重要ですが、その使い方はもっと重要です。あまり 議論されていませんが、今回の外形標準化税は、国税と違って「都銀は本店所在地を選択することにより、納税をしない権利がある」ことがオモシロイ点で す。(Hiroshi Yoshida)


 【よくぞ言ってくれました】初 めてメールいたします。地方自治体に勤務する一地方公務員です。石原都知事の外形標準課税適用の方針について、マスコミや政府が論じる「なぜ銀行だけ」と いう問題で<ほかの自治体との均衡」などといった問題は枝葉末節である。まして「貸し渋りにつながる」との識者の指摘は完全に的外れである。そもそも課税 といったところで貸し渋りにつながるような金額ではない>とのこと、まさしくその通りであります。マスコミの中でも、こうした認識と判断力のある方がいる ことに、敬意を表します。

 本当に、課税額も一銀行当たりにしたら大したことないし、なにより、公的資金という名の「税金」を 投入されながら、やめていった頭取の責任を問えず、膨大な退職金を払っておきながら、「なぜ銀行だけ」とか良く言えるものです。都議会のほぼ全会派が賛成 に回ったのは、世論の支持も高いことを敏感に察知したことでしょう。これからも、地方自治に繋がる内容を期待しております。

 ついでながら、私が勤務するのは、北海道中央部に近い、工業と港湾の都市「苫小牧市」で す。宇宙船「ミール」の世界に1台しかないという予備機をひと冬、風雪と凍結の環境下に、防水シートを掛けて野ざらしにしていたまちです。昨年の11月か ら上屋が完成して公開していますが。(正一) 


2000年02月18日(金)萬晩報主宰 伴 武澄



 ●予算規模を上回る来年度の借金

 国会で来年度予算の審議が始まった。野党が街頭活動から国会に戻ってきたのを世の中では「正常化」といっているが、筆者はそうは思わない。少なくとも民主党は解散・総選挙まで国会に戻らないのかと思っていたから期待は大きく外れた。

 12月19日から24日まで2000年度政府予算編成の取材に携わった。84兆9871億円を超える予算 規模はもちろん史上最大規模である。借り換え債を含めた国債の発行額85兆8705億円で、一般会計の規模を初めて上回った。新規に増える分が32兆 6100億円とはいえ、総予算を上回る国債の発行が尋常でないことは素人でも分かる。

 小渕首相は「世界一の借金王」といい、自民党の亀井政調会長は「連立3党の主張が取り入れられたすばらし い予算案」と胸をはった。宮沢蔵相は「1%成長の政府目標を達成するために必要な措置はすべて盛り込んだ」と来年度こそは補正予算の助けを借りずに成長目 標を維持できるとの見通しを明らかにした。強気である。

 ところが堺屋経企庁長官の見方は違った。経済状況次第では追加的な景気刺激策が必要になると一人だけ正直 な感想を漏らした。大部分の日本人が忘れているだろうが、実は1年前の予算編成でも宮沢蔵相は「初回から大魔人を投入したようなもの」と最大限の経費を盛 り込んで「補正予算は必要ない」と言っていたのだった。

 ●補正がなかったらマイナスだった1999度

 それなのに昨年秋には18兆円にも上る史上最大規模の景気対策の実施を余儀なくされた。このことは記憶に新しいだろう。民間経済が10%内外の飛び抜けた伸び率を示さない限り、宮沢蔵相の発言が2年連続のウソになることはほぼ間違いない。

 昨年秋の追加予算のうち公共事業費は8兆円を超える。これはGDPの1.6%である。政府は今年度の成長率がプラスに転じると自身を深めているが、単純に補正がなかったらマイナス成長だったことを露呈したにすぎない。

 地方の土建業者たちが消化不良を起こすほどの公共事業費を盛り込み、さらに秋に追加予算を組んだおかげでかろうじてプラス成長に転じる予定の日本経済が来年度は補正なしで景気回復するという根拠は見当たらない。

 あの手この手の時限的な減税措置によるで無理やり国民に勧めてきた住宅着工にもそろそろ疲れが見えてきた。「今がマンションの買いだ」と信じ込まされてきた多くの市民は不動産を購入したとたんに評価額が購入価格を下回るという悲劇に直面している。

 これ以上、国民をだまして景気を浮揚させる経済政策は通用しないというのが萬晩報の主張である。

 ●2万円台の東証の方がアメリカよりバブリーなわけ

 いまの景気を下支えしているのは公共事業とアジア向け輸出であることは周知の事実である。日本の株価は情報通信関連が引っ張っているが、アメリカのように収益に裏打ちされたものではない。

 税引き後の利益が70億ドル、80億ドルという企業が多く生まれているのがアメリカであり、NTTとトヨタ自動車以外にみるべき利益を上げていないのが日本の現実である。

 東証株価平均が2万円台を回復したのはめでたいことなのだが、2万円といったところで1989年12月のピークの半分の水準でしかない上に、どちらがバブリーかと問われれば、東証の2万円台よりアメリカのダウ30種平均の1万ドル台に軍配を上げざるを得ない。

 万が一にもないと思われるが、仮に日本経済がテイクオフすることになれば、ただちにインフレ経済に見舞われることになろう。長期にわたる超低金利政策の副作用が一気に日本経済を襲うことになるはずだ。

 萬晩報の読者だけには、この史上最大規模の予算の意味するものと政治家たちの発言を覚えておいてほしいと思う。



2000年02月16日(水)萬晩報通信員 園田 義明


今世界の政治家や金融関係者の視線が一人の人間に注がれている。
アラン・グリーンスパンFRB議長、その人である。

1987年レーガン政権下で就任して以来3期12年、そして4期目の続投も決定した。クリントン大統領同様サックスプレーヤーとしても知られるが、ジュリアード音楽大学院出で2年間の演奏旅行を続けた実力は大統領の比ではないようだ。

ステージでスポットライトを浴びているかのように芸術的な演奏が続いている。

アラン・グリ-ンスパン氏はニューヨーク大学に学び、エコノミック・コンサルティング会社タウンゼント-グ リーンスパンの会長となる。政府経済政策諮問委員会を歴任し次第に実力を認められる。また外部取締役としてアルコア、オートマチック・データ・プロセシン グ、キャピタル・シティーズ/ABC、ゼネラル・フーズそしてJ・P・モルガンの経営に参画していた。またシンクタンクとして名高いランド・コ-ポレー ションの理事や国際経済研究所のディレクターとしても名を列ねた。

最近その手腕ばかりに目を奪われて不安視する論調も目立ってきているが、彼を支えるサポートメンバーに気付いていないようだ。スポットライトを浴びることなく裏方に徹している人物を忘れてはいけない。

ポール・ボルカー前FRB議長。チェース・マンハッタン銀行副社長(1965~68)、政府財務省通貨担当 事務次官(69~74)、FRBニューヨーク議長(75~79)を経て79年から87年までFRB議長を務めた。就任中は石油危機後のインフレに積極果敢 に立ち向かった。辞任後も現世界銀行総裁ジェイムス・ウォルフェンゾーン氏に代わってウォルフェンゾーン商会の会長に就任し、外部取締役としてネッスル、 アメリカ証券取引所、UAL等の経営に携わっている。また日米欧三極委員会の北米議長や外交問題評議会、アスペン研究所の理事も務めている。

新長銀の外部取締役としても内定しており、ネッスルとの関係から日米欧にまたがるネットワークの中心人物である。ネッスルはヨーロッパ財界団体であるヨーロピアン・ラウンドテーブルの会長を送りだしている。

特に注目すべきはグループ・オブ・サーティ(The Group of Thirty)の議長に就任している点であろう。先進国中央銀行総裁クラスを中心とした国際経済・国際金融における絶大なる影響力を持つ組織の事実上の最高幹部として強力なサポートを実現している。

このグループ・オブ・サーティの1999年時点のメンバーにはアジア金融危機を予言したマサチューセッツ工科大学のポール・クルーグマン教授も含まれている。時に「トリックスター」的演技でステージを盛り上げる米国屈指の若手経済学者である。

そしてもうひとりがピーター・G・ピーターソン氏である。商務長官(71~72)、リーマン・ブラザース・ クーン・ロブ商会CEO(73~84)を経て現在はブラックストーングループの会長である。外部取締役としてロックフェラー・センター・プロパティーズ、 ソニー、トランスター等に就任している。また外交問題で再大規模を誇る外交問題評議会の議長を務めている。そしてFRBニューヨークの副会長としてサポー トにあたっている。

外交問題評議会発行の「フォーリン・アフェアーズ」1999年11/12月号で掲載された『国際金融構造の 将来』ではピーター・G・ピーターソン氏自らがカーラ・ヒルズ元通商代表部代表と共同議長を務めた。このタスクフォースにはボルカー氏もクルーグマン氏も 揃って参加している。他にフレッド・バ-グステン氏、ジョージ・ソロス氏等もそのメンバーである。

グリーンスパンFRB議長を含め先に挙げたの人物に共通しているのはインナー・サークルに属しているという点である。この制度的背景下記の通りである。

インナー・サークルとは実業界全体の利害を代弁するビジネスリーダーの小集団であり政治的にもリーダーシッ プを発揮する権力中枢である。この「インナー・サークル」という名前は大企業トップとのインタビューの際に、ほかならぬ彼等自身が使用していた言葉であ り、米国の社会科学者マイケル・ユシームにより1984年に始めて概念化された。

ユシームはインナー・サークルの形成時期を1970年代前半から1980年代初頭としている。企業収益率の急激な低下や環境政策をめぐる政府規制の強化などが財界にとってかってない危機意識を呼び起こし、財界結集の形で形成された。

形成時期については学界でも意見が分かれているが、経営者主体での結集として限定すればある程度正しい見方 と言える。ロックフェラー家やモルガン家などの創業者一族による極めて排他的なパワーエリート集団の形成は1930年代に既に存在していたことも事実では あるが・・・。

インナー・サークルは大企業を中心とする経済力の集中と、広範にまたがる大企業間の取締役兼任制度(重役兼 任制度)により、エンドレス・チェーンのネットワークの頂点に位置するものであり、この背景には資本主義の発展段階である「家族資本主義」、「経営者資本 主義」そして「制度資本主義」にいたるコーポレイト・ガバナンスの流れを理解する必要がある。

インナー・サークルになるためには

1 社内での昇進   大企業の上級経営幹部に昇進する。

2 外部取締役就任  他のいくつかの大企業の取締役会に外部取締役として名を連
           ねさまざまな業種の経営問題に関与しグローバルな観点を身
           につける。またそのことで社外的にも一定の評価を獲得する。

3 最高経営幹部昇進 大企業の最高経営責任者(CEO)かそれに次ぐ地位に昇進
           する。
         
4 経済団体の指導部 ビジネス・ラウンドテーブルやビジネス・カウンシルなどの
           主要経済団体(日本では経団連や経済同友会に相当)に参画
           する。また慈善団体や大学やシンクタンクなどの理事会にも
           参加する。

5 政府活動     政府機関の諮問委員会のメンバーになることで経済政策に関
           与する政府高官と親密な関係を築く。また多くの場合自らが
           政府高官として就任するケースが最近目立っている。
ボルカー氏に見られるように最近は取締役兼任制度が国境を超えて拡がりつつある。グローバル資本主義の管理機構として包括的な集団の形成が進められているようだ。
引用    「インナー・サークルー世界を動かす陰のエリート群像」
      (THE INNER CIRCLE :Large Corporations and the Rise of
       Business Political Activity in the U.S. and U.K. )
       著者 マイケル・ユシーム(Michael Useem 1984)
       監訳 岩城博司/松井和夫(東洋経済新報社)
タイトルだけを見ると怪しい感じがしますが、非常に難解な研究書です。マイケル・ユシームは国際的にも著名 な社会科学者(社会学者、経済学者)でカリフォルニア大学、ハーバード大学、ボストン大学、シカゴ大学、スタンフォード大学、マサチューセッツ工科大学な どで教鞭をとっています。この研究書も全米科学財団、ボストン大学、カリフォルニア大学、インペリアルカレッジなどの援助を受けて完成しました。また研究 に際し『アメリカとイギリスの大企業トップ150名以上とのインタビュー』からその実体を明らかにしています。(そのだ・よしあき)

グリーンスパン
http://www.bog.frb.fed.us/bios/Greenspan.htm
ボルカー
http://www.ert.be/pe/peb/eneb04.htm
http://www.crossover.com/reus/bio20.html
http://www.trilateral.org/membship/bios/pv.htm
ピーターソン
http://www.group30.org/members.htm
http://www.mmjp.or.jp/foreignaffairs/globalfinancial.htm#member


 園田さんは東京在住のサラリーマン。国際戦略コラムでもコラムを書いています。
 園田さんにメールはyoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

2000年02月15日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 石原東京都知事が決意した銀行への外形標準課税適用は地方自治という観点からみて画期的である。また「地方政府(自治体)にも課税権がある」という忘れかけていた自治の原点を思い起こさせてくれた点でも重要な問題提起である。

 地方税法に認められたことをこれまでどこの地方政府も実施しなかった。ただそれだけのことである。

 ●納税は国民の義務である

 この点が最も重要で、マスコミや政府が論じる「なぜ銀行だけ」「ほかの自治体との均衡」などといった問題は枝葉末節である。まして「貸し渋りにつながる」との識者の指摘は完全に的外れである。そもそも課税といったところで貸し渋りにつながるような金額ではない。

 今回の課税は東京都に本店を置く資金量5兆円以上の大きい銀行30行が対象で、課税額は計約1100億 円。5年間の時限立法である。納付額は過去15年間の法人事業税の徴税実績で決めるとしているが、バブル期に主力19行だけで2100億円も納めていた法 人事業税は今年度はたった34億円しかない。

 地方税法は法人税の課税標準課税について、電気、ガス、生保、損保は収入額、その他の事業は所得と定めて いる。(72条の12)。その上で電気など4事業以外は、事業の状況に応じ、資本金、売り上げ、家屋や土地の面積、価格、従業員数などを課税標準にてきる とした特例を定めた(72条の19)。石原知事は死文化していたこの特例に目を付けた。

 そもそも法人税は企業に利益があることが前提で課税されるもので、その対価として行政サービスを受けてい る。そうだとしたら何年にもわたってサービスの「ただ乗り」というわけにもいくまい。銀行が不良債権を抱えているといったところで、行政側だって職員の給 料ぐらいは支払わなければならない。

 納税は国民の義務なのだ。

 1100億円といわれる税収額は約30の金融機関が負担することになるが、1行当たりにすれば平均30数億円でしかない。不良債権の処理を理由にここ数年間、課税を逃れていることを考えれば大した金額ではない。

 大手都銀の経営者にはそろそろ税金が払えるぐらい真面目に経営しろといいたい。

 ●「1国2制度」こそが地方自治の原則

 外形標準課税は前々から地方政府が財政難を理由に徴税を検討していたものである。これに合わせて政府税制 調査会は昨年7月、「事業活動価値」「給与総額」「物的基準と人的基準の組み合わせ」「資本などの金額」の4類型を課税基準として示した報告書をまとめた が、導入時期の合意には到っていない。

 だがよく考えてみれば、導入するかどうかは中央政府の決めることではない。すでに地方税法の定めがあるの だから、憲法にあるように「法律の定めた範囲内で」地方政府が淡々と決めればいいことなのである。そして導入の論争は地方対中央ではなく、地方政府対住民 の間で行われる筋合いの問題である。

 石原知事の問題提起が国勢レベルで論議されているのは、単にこれまでどこの地方政府も独自の課税方針を打ち出してこなかったからだけのことである。本当に議論すべきことは法律を超えた課税、すなわち税制改正の地方からの問題提起である。

 3年前、沖縄県が自由貿易区を設置したいと要望し、独自の法人税軽減を求めたとき、中央政府は「1国2制 度になる」と許さなかった。沖縄を支持した都道府県はなかった。マスコミもまた訳知り顔に同調したことは反省しなければならない。おかげで台湾経済界が提 案していた「1000億円の沖縄への投資」をみすみす見逃す結果となった。

 いまごろになって普天間基地の名護市移転の見返りに1000億円の公共投資をするといったところで遅いのである。1国2制度を認めなければ地方自治は成り立たない。これが自治の原則である。

 地方が中央政府の意のままに行動したのでは地方自治もへったくれもない。知事選挙で「中央との太いパイプ」を訴える候補者が少なくないが、これからは中央との違いを鮮明にする候補者が首長として選ばれるべきなのだ。

 がんばれ石原慎太郎。


2000年02月14日(月)元タンザニア派遣隊員 石川義雄


 今朝、いつものように新聞をめくったとき「あれ」と思いました。金子さんが電話を持っている写真が真っ先に目の中に飛び込んできました。「ひと」欄に「青年海外協力隊で初のOB出身事務局長、金子洋三さん」が載っているのです。

 朝日新聞の朝刊が何部刷られているのか知りません。恐らく日本中の人々の多くが金子さんの顔を見たに違いありません。

 新聞を見たほとんど大部分の人にとっては「ふーん」といった程度のことであるかも知れません。書かれてい る記事まで読む人がどのくらいいるか知りません。でも、協力隊に参加したことのあるOB、OGにとっては、この記事は感慨深いものがあるのではないでしょ うか。何か自分のことのように嬉しいと思う人も大勢いるのではないでしょうか。

 私たちと同じOBが事務局長になったことは少し前に知った。事務局長は現在海外に展開する2500人隊員 の隊長です。私はそのとき、これまで絶望的にしか考えていなかった日本の官僚制度が、そして日本社会の重要な部分が変わりつつあり、もしかしたら日本の未 来に希望を持っていいのではないかと感じました。

 何人かの親しい友に「Japan is changing?」と書いてメールを送りました。日本はこのまま沈むわけがないという確信を持つことができましたし、またそうしなければいけないのだと 思いました。(誰がそうするのか?...私が、そしてこれを読んでいる「あなたが」)

 ただ、それからしばらくして冷静になって考えてみると、私たちと同じOBである金子さんは、必ずしも「私たちと同じ」人ではないということにも思い至りました。OBであることは同じです。けれども、同じであるのは多分それだけなのかも知れまん。

 私が金子さんと初めてお会いしたのは、3年前くらいだったと思います。その頃、私はサラリーマンをやめてから数年経っていて、たまたまある政治の勉強会に参加するようになりました。一カ月に一度だけの勉強会。

 ずっと長い間技術屋であり、給与生活者たるサラリーマンでいたそれまでの私にとって、正直言って有権者の政治離れを喰い止め、デモクラシーの基盤を固めていくには、有権者のレベルアップこそが、実は政治家に求められている大事な大事な役目である。

 そのような政治家を誕生させる仕組みとして「所得税の1%を政治家に寄付できるような制度」を作ったらどうか。詳細の方法は・・・というような話は、雲をつかむような、理想主義的すぎて自分には縁のない世界でした。

 そのような集まりの中で、金子さんの発言に私は際だった面を感じ続けてきました。まず、第一に「見識の高さ」があります。そして、それを納得させる説得力があります。金子さんの話の中で、特に記憶に残っていることがあります。

 「アメリカには、教会を中心としたコミュニティがあり、それがアメリカのよい部分を支えている面がある。日本で地域や会社のコミュニティが崩壊している今、我々がどのようなコミュニティをこれから作っていけるのか大きな課題である」

 「アフリカには2000年問題はない。先進国型の『ヒト』という種が現在問題になっている何かの原因で滅びてしまったとしても、アフリカ型の生き方をしている人たちは残るのではないか。それはもしかしたら神の配剤かも知れない」

 金子さんの意図を正確に表現出来ているかは兎も角として、一月に一度はこのような、またはこれ以上の話を私はこの集まりの中で聞いてきました。

 一体この金子さんの人となりが何に起因するのか、簡単な略歴が新聞に載っていたことで、初めて金子さんの 経験してきたを知り、何か少しわかったような気がしました。金子さんは2年間エチオピアの村々を回って天然痘の感染者に種痘を施してきたのだそうです。恐 らく金子さんは帰国後、協力隊に就職しなくとも、またそれ以前に協力隊に参加しなかったとしても、別な道でそれ相当な地位につくだけの力量と人望を持った 人です。

 けれども、今の金子さんの「見識の高さ」の原点にエチオピアの2年間があったのではないかと思うのです。 私たちOBの多くがそうであったように日本に帰って来てから、それこそ「寝ても醒めても」自分の生き方と途上国との関係を問い続けてきたのではないでしょ うか。エチオピアから帰国後、イギリスの大学院に留学し、協力隊に就職したのはそのひとつの答えだったのでしょう。

 それから約20何年間。私は金子さんがどのように過ごしてこられたのか何一つ知りませんが、きっと水を得た魚のように国際協力事業団(JICA)のなかで仕事をされてきたのではないかと想像します。政治の勉強会で金子さんはディベートの司会をたびたび務めました。

 このような難しい役回りは、公平さの他にやはりぬきんでた知識と見識が必要とされます。JICAという中での組織人としての金子さんは、今の日本の時代が必要としているなかで登場してきた人なのだと思えてなりません。

 今、3万人の協力隊OB、OGがいます。私たちは必ずしも金子さんのように有能ではないかも知れません。けれども、私の知っている人たちの多くは善意にあふれお人好しであります。

 それがいいのかどうかはともかくとして、今日、これまでとは質の異なる社会への転換の時期に際して、私た ちに何か出来ることはないだろうか、と考えました。その答えとして、私は「3万人のOB、OGがシンクタンクになること」ではないかと思うのですがどんな ものでしょうか。

 これまでのピラミッド型の世界と違って、これからはネットワーク社会になります。私たちの経験をもとにし たアイデアやアドバイス、または意見などを直接金子さんに提言してみては如何でしょうか。ただでさえ、お忙しい金子さんがメールを見ている時間があるかど うか、心配ではあります。

 けれども、その時は何かしらそれに対応できる仕組みを金子さんが考えて下さるのではないでしょうか。アメリカの大統領からでも手紙に返事が来ることがあるというのですから。(いしかわ・よしお=1973年3月元タンザニア隊員)

 朝日新聞「ひと」青年海外協力隊で初の生え抜き事務局長・金子洋三さん

 金子さんのメールアドレスは次の通りです。kanekoy@jica.go.jp


 石川さんのホームページ「アフリカの水」はhttp://www.join-am.ne.jp/~ishikawa

 石川さんへメールはishikawa@join-am.ne.jp


2000年02月13日(日)とっとり総研主任研究員 中野 有


新潟に住むロシアの友人と高速道路を走った。彼は日本の高速道路について外国のように料金面でのフリー ウェーでなく、スローで高いスーパーハイウェーであると指摘する。日本では当たり前のように高速料金を払っているが、日本ほど移動するのに高くつく国はな いだろう。橋を往復するだけで1万円近くかかる。ミュンヘンに住む友人にこのおそまつな現状を話したらジョークとしか受け取ってくれない。

 ドイツの威厳はスピード制限も高速料金も存在しない「アウトバーン」だという。ヒトラーがアウトバーンを 造ったのであるが、皮肉にもドイツの発展に貢献している。アウトバーンの存在は、地方分権に資しているからだ。即ち、効率的な移動が可能となり一極集中を 避け、バランスのとれた都市開発が可能となった。

 また、ドイツ車は、アウトバーン走行のために設計されており、常に最高の技術革新が要求されている。アウ トバーンの4車線の追い越し車線を走行するときには迫力がある。ルームミラーに200kmを超す速度で迫るポルシェ等が映ったときは即座に車線を譲らなけ ればいけない。小型の日本車も150kmを超す速度で走行している。

 すべての車が最高に整備されたアウトバーンをかなりのスピードで走行することでスピード感がなくなる。不 思議とスピード制限がないにも関わらず事故が少ないと聞く。更に、仕事に集中し、ホリデーを楽しむドイツ人の発想はアウトバーンから生まれているようにも 感じる。アウトバーンの存在は、ドイツの国土計画、技術力、そして国民性の高揚に寄与している。

 さて、日本はどうであろうか。ドイツもそうであるが、敗戦国である日本は戦後復興と高度成長の根幹となっ た東海道新幹線や名神高速などが世銀からの融資で建設された。当時は資金不足のため高速料金の徴収を行ったのであるが、日本は世銀の借入国から出資国へと 変貌を遂げ、また減価償却が終わってからも料金を取り続けている。

 日本の高速道路が無料になればどんなことになるのであろうか。

 列島を移動する人口が激増する。交流人口が増え観光産業が栄え、地方が活性化される。流通コストや物価が 下がり、経済が蘇る。またヒト・モノがよどみなく流れることで社会が元気になる。日本海新聞の富長一郎記者は、これらの現象を携帯電話を連想すれば納得で きるという。携帯電話が爆発的に普及したのは機器が無料だからであり、高速道路の料金無料化と景気浮上を結びつけている。

 知る限りでは、先進国の多くの国の高速料金は無料ないしは日本のように高くない。スイスでは一度通過する のに1年分の料金を取られステッカーを車にはられた。その1年分の料金も納得のいく金額であった。大国に囲まれた国だけに1年分の高速料金をまとめて取る とはスイスらしい合理的な考えである。

 世界の常識を日本の高速道路に適応すべきである。首都移転など大きな事を言うぐらいならハイウェーをアウ トバーンとまでいかなくてもフリーウェーにすべきである。景気が浮上すれば高速料金以上の収入は賄える。新世紀は、ちまちました発想でなく大きな発想と変 革が求められている。数パーセントの経済成長は案外身近な発想の転換で達成されるのではないだろうか。(なかの・たもつ)


 1999年09月26日 高速道路料金を100円均一に 雨漏り実験室の"チャ"
 1999年06月22日 36年目の日本の高速道路(3)--コスト意識の欠如 伴 武澄
 1999年06月18日 36年目の日本の高速道路(2)--鏡のような路面 伴 武澄
 1999年06月16日 36年目の日本の高速道路(1)--有料化の発想 伴 武澄
 1998年03月31日 明石大橋は1カ月通行料を無料にすべきだ 伴 武澄

 中野さんにメールはnakanot@tottori-torc.or.jp


2000年02月11日(金)マレーシア国民大学講師 Mikiko BAN


 1月23日の日曜日、朝早くハッサンさんから電話があった。「娘のヌリアザがオープン・ハウスをするから、来ませんか。家族もみんな、伴さんに会いたがっていますよ。久しぶりでしょう。僕が12時ごろ迎えに行きますから、是非来て下さい!」

 急な話だったが、「そうね・・・。そう言えば、あなたの4番目と5番目のお孫さんの顔はまだ見ていないから、伺わなくちゃね・・・」と頭の中でその日の予定を組み替えながら、答えた。

 今年のハリラヤ・プアサ(断食明けの大祭、ハリラヤ・アイディル・フィトゥリとも言う)は1月8日だった が、まだハリラヤ気分が続いていて、週末にもなると、あちこちの家でオープン・ハウスが開かれている。人数が多くなる場合はクラブ・ハウスや公共施設の ホールなどで行われることもある。

 オープン・ハウスはマレーシア社会が大切にしている文化、慣習のひとつであり、ハリラヤに限らず、チャイニーズ・ニュー・イヤーやヒンズー教のディーパバリの時も、その祭りの主役たちが親戚や日頃世話になっている人たちを民族の垣根を越えて自宅に招くのだ。

 マハティール首相のオープン・ハウスについては1999年1月29日のコラム「『平和なマレーシア』という愛唱歌を持つ国家」で既に書いたが、今年首相官邸には、昨年の4万人を更に上回る5万人の訪問者があったという。

 首相官邸は昨年6月に、いち早く新行政都市プトラ・ジャヤ(クアラルンプールと新国際空港の間に位置する人工都市)に移転したばかりなので、その「宮殿のような」と野党から批判をこめて形容された新首相官邸を一目見たいという物見遊山の人たちも多かったのかもしれない。

 さて、ハッサンさんとは1991年末に私が国際交流基金の駐在員として赴任して以来のつきあいである。は じめは私のプライベートの運転手だった。インドネシアなどと違い、ここでは自分で運転する外国人が多いが、私はその頃まだ運転が出来なかったので、運転手 を雇うしかなかった。

 確か基本給は1000リンギット位(当時5万円、現在3万円弱)払っていたと思う。今と違って在勤手当も いただく高給取りだったから、それは可能なことだった。当時ハッサンさんは奥さんと5人の子供の7人家族だった。約束をした日(契約などなく「じゃ、明日 からよろしくね!」が儀式だった)、私はハッサンさんとその家族を間接的に養うのだと思い、淡い責任感のような、かって経験したことのない不思議な感慨を 覚えたことを今でも思い出す。

 ハッサンさんとは馬が合った。軍隊に勤めていて、40歳で退職し、数年間リムジンやタクシーの運転手をし ていた彼は、ディシプリンがあり、英語もよく話せた。細身の小さい体だったが、ガッツがあった。いつも間違いなく目的地に私を送り届けてくれたばかりでな く、待ち時間には細々とした雑事もこなしてくれた。時には私のマレー語の先生にもなってくれた。

 異国での一人生活、事業拡張期にあった国際交流基金支部の激しい仕事、時にはひどく疲れたり、落ち込んだ り、悩んだりすることもあったが、そんな時、彼は運転手席からじっと私の顔色をうかがい、「sabarlah!(我慢しなさい)」とか日本語で「出来ない ことはない!(頑張れという意味)」と励ましてくれるのだった。

 彼は日本語もあっという間に上達して、いつの間にか私のマレー語を追い抜いていた。ことわざや気の利いたことを言うのが好きで、まるで『ドンキホーテ』の中のサンチョのように楽しい人だった。

 やがて、国際交流基金が日本語センターを開設すると、ハッサンさんは正規の職員として採用されたが、時間外は引き続き私のプライベートの仕事も手伝ってくれた。

 ハッサン家とはこの8年間、家族のようにつきあってきた。オープンハウス、子供たちの結婚式など、何度彼の家にお邪魔したことだろう。家族と一緒にクランタンやケダ方面に旅行をしたこともある。

 そんな昔のことを思い出しながら、ハッサンさんとおしゃべりをしていると、2、30分でヌリアザさんの家 に着いた。650リンギットで借りているというそのアパートは日本に比べると広々としていて、寝室が3つもあった。生活に必要なものはすべて揃っていて、 豊かさを感じた。共稼ぎなので、二人の給与を合せると3000リンギット以上になるようだった。

 食べ物はお袋さんが時間をかけて煮込んだラクサ(冷たいお米の麺に熱い魚のスープをかけて食べる)、ミーゴレン(ヤキソバ)、色とりどりのハリラヤ・クッキーなど。飲み物は、ジュースとライチ・シロップ。

 はじめて会った頃、まだ学生だったヌリアザさんは1996年に結婚し、既に2児の母親となり、近く第3児 出産の予定である。長男のタンジュディン君も1994年に結婚したが、3人の子供がいる。即ち、ハッサン家はこの8年で7人が14人にと、人口が2倍に なったのである!

 南国では家族も青々と茂る大樹のようだ。家族という大木が枝を伸ばし、葉をつけて、どんどん茂っていく。 人間も自然と同じで、その生命の成長、継続を一時も休んではならないとでも言うかのごとく・・・。そして人々は家族の繁栄、子供の成長を見て、歳月の流れ を実感する。その風景は高齢化社会や少子化問題が不安を掻き立てている日本社会とは違って、逞しさと、未来への希望や明るさを放っているように思える。

 私が一番乗りだったが、やがて20人、30人、と来客が増えてきたので、私は十何人もいる子供たちにハリラヤ・デュエッ(お年玉)を配って、いとま乞いをした。

 心の中で「ハッサン家のみなさん、Selamat berbahagia!(ご一家の繁栄、幸せを祈ります)」とつぶやきながら。(Mikiko Talks on Malaysia1月30日付から転載)


 Mikiko Talks on Malaysia は http://www.02.246.ne.jp/~kiara/
 ご感想、ご意見は bmikiko@tm.net.myへ。

2000年02月09日(水)萬晩報主宰 伴 武澄


 故蒋介石(1887-1975)の故郷が中国浙江省奉化県だったことを1月末に江南の寧波市を訪ねて知った。

 蒋介石は台湾では孫文の思想を受け継いだ偉大な政治家であるが、大陸では清朝崩壊後の混乱の中国を統一した功績は忘れ去られ、長く「匪蒋」と呼称されてきた。共産党にとっては中国統一を阻んできた憎っくき「敵」だった。

 台湾海峡をはさんで50年以上も敵対していたとしても、大陸にとっても国父である孫文の後継者に「匪」という字を冠してきたのはいかにも歴史を歪める行為だと考えてきた。

 ●一大観光地となった奉化県渓口鎮

 ところがどうも風向きが変わって来たようなのである。きっかけは1996年11月。蒋介石が育った奉化県渓口鎮の旧居が国務院の「全国重点文物保護単位」に指定されてからである。

 奉化県渓口鎮は寧波市から西へ車で約1時間の川沿いの寒村である。豊鎬房(旧居)や玉泰塩鋪(蒋家経営の 塩店)といった蒋介石ゆかりの旧跡が整備され、少し離れた小高い山の中腹には蒋介石の母親・王采玉を祀る蒋母墓も遺る。墓石の書は孫文が蒋介石のために書 いたのである。

 休日には湖南省長沙の毛沢東の旧居並み人が押し寄せるいまや一大観光地の様相である。

 蒋介石はいまや「匪」どころかいまや「先生」と呼ばれるようになっている。このことは日本でもあまり知られていない。帰国してから何人かの中国研究家に聞いてみたが、みな「本当ですか」と共産党政権の蒋介石に対する評価の変化に驚いていた。

 これも旧跡だから当然のことなのだが、多くの碑文に堂々と「民国○○年」と表記されている事実にも驚かさ れた。案内してくれた運転手は「蒋介石にゆかりのある旧跡は文化大革命のときに全部壊されて、いまあるのは最近できたものだ」とうそぶいていたが、どうみ てもここ数年の建物ではない。

 展示されている古い写真と同じ建物や石碑がそのまま残されているのだ。さらに驚いたことは蒋介石関連の書籍が町のいたるところで売られていることである。単なるガイドブックではない。歴史的に検証されたちゃんとした書籍である。

 一昔前の中国だったならば、ただちに「蒋介石復活/生まれ故郷の奉化県で」などという見出しで大ニュースになったのだと思う。蒋介石の再評価静かに進んでいる。

 現地で聞いた話などを総合すると、李登輝台湾総統が初めて台湾の国民の選挙で総統に選ばれたころから中国 の歴史学会を中心に始まり、「人民公敵」とされていた蒋介石が「先生」と呼ばれるようになった。一部の学者は研究論文で「蒋委員長」と全中国を統一した当 時の肩書きで呼んでいるそうだ。

 これは蒋介石の完全復活と呼んでいい現象なのかも知れない。

 ●日本で軍人としての素養を積んだ蒋介石

 1905年、孫文ら革命派が大同団結して中国同盟会を結成するなど東京は反清革命のその後の有力者たちがうごめくいわば前線基地だった。そうした動きを蒋介石は学業を積んだ寧波などで知った。しかし蒋介石は直接、革命運動に飛び込むのではなく軍人の道を選んだ。

 1906年に清朝政府が軍人養成のため設立した保定軍官学校に入学し、翌年、清朝の官費留学生として日本 に渡っている。まず日本陸軍が清朝留学生のために創設した「振武学堂」で日本語を学ぶ、後に新潟にあった陸軍十三師団の高田連隊の野戦砲兵隊の将校となっ た。蒋介石もまた中国同盟会に名を連ねるのだが、軍人としての素養は日本で育まれたといってよい。

 生涯、4人の妻を娶った。最後の妻は宋美齡であることはあまりにも有名である。浙江財閥宋一族の三姉妹の長女靄齡はビジネスマンでもあった孔祥煕に嫁ぎ、二女慶齡は孫文と結婚し、未亡人となった。1927年の三女美齡との結婚には二つの意味があった。

 一つは1925年に亡くなった孫文の義理の弟として、国民党の直系閨閥につながるということだった。二番 目は宋家が国民党のスポンサーになるという意味だった。結婚の翌年、蒋介石の北伐軍は北京に入城し、中国統一を宣言した。後に兄の宋子文は約束通り国民党 の財政部長となった。

 最初の妻の毛福梅との結婚は蒋介石が15歳のときである。そのとき毛福梅は4つ年上だった。蒋介石は生涯2人の男児を持った。台湾の二代目総統となった長男の経国は毛福梅の子供として1910年に生まれた。

 二男の緯国は革命の先輩格である戴天仇が日本人女性に生ませ、上海の日本人志士、山田純三郎が預かってい た子供を引き取って育てたといわれる。この緯国の出生の秘密は最近になってようやく定説として浮上しているが、本人が死去し、関係者もこの世にはいないた めもはや確かめようがない。

 ●天台宗総本山に掲げる蒋介石の揮毫

 奉化県からさらに南西に入ったところに天台宗総本山の国清寺があり、その沙三堂に蒋介石の揮毫による「台 宗講席」と書いた額が掲げてあった。「民国26年(1937年)、蒋中正書」の署名がある。「台宗」は「天台宗」のこと。「天台の有り難い講話を聞いた席 で」という意味である。

 この額は文化大革命が終わるまで国清寺が隠し、1979年からここに掲げたというのだ。30年間近く中国と台湾を見つめてきた筆者にとって特別の感慨があった。

 1920年代、孫文が国共合作をつくりあげた。革命の道半ばで逝去した後、蒋介石による共産党討伐が始ま り、共産党勢力が苦闘の時代を迎える。日中戦争では再び国共合作が組まれるが、戦後は国民党と共産党とによる内線に突入し、結局は共産党が大陸を再統一、 蒋介石は台湾に渡って大陸復興を目指すことになる。

 李登輝総統は中華民国による大陸の統治権という虚構を捨て台湾人による台湾統治を進めているが、いま大陸はしきりに「第三次国共合作」という秋波を台湾に向かって送り続けている。


2000年02月07日(月)萬晩報通信員 佐藤 嘉晃


 札幌雪祭りがきょうから始まった。今年は51回目だから半世紀を過ぎた。華やかさと規模の大きさで世界的 にも有名になった祭りだが、裏方として陸上自衛隊の並々ならぬ協力があることは意外と知られていない。筆者自身、地元に住んでいながら、雪像造りについて はほとんど何も知らなかった。勉強方々訪れた自衛隊の真駒内駐屯地で取材したことをお伝えしたい。

 雪祭りの始まりは、1950年に地元の中高校生が6つの雪像をメイン会場である大通公園に作った事がきっかけとなった。夏の始まりを告げる、YOSAKOIソーラン祭りがそうであるように、若者達が始めたお祭りだ。

 30数年前、小樽に産まれた私がまだ子供だった頃、札幌の雪祭りより小樽の雪祭りの方が盛大であったよう に記憶している。もともと雪祭りが小樽発祥のイベントであるからだ。しかし現在、札幌の雪祭りの方が圧倒的に有名になっている。おそらく1972年の第 11回冬季オリンピックの開催で、世界に知られる冬のイベントとして定着したからだ。

 オリンピックを遡る20年前、1953年の第4回札幌雪祭りで、自衛隊の北部方面音楽隊が招待されて演奏を行なった。これが縁となり、翌々年から、自衛隊による本格的な雪像造りが始まった。いまのような大規模な雪像造りは自衛隊の機動力抜きには考えられない。

 取材では、実際に雪像造りに携わった方々のお話も聞くこともできた。

 我々も含め、末端の隊員の中にも自衛隊が自発的に行なっていると誤解している人もいるようだ。実際には毎年11月上旬に雪祭り実行委員会と自衛隊とが協定書の調印を行い、札幌市長の要請を受けて初めて行われる。

 自衛隊にとっても雪祭り参加は、地域貢献や民生協力活動の一環としてされ、実際の雪像造りの作業は、自衛隊員の訓練の一環として位置づけられている。

 ●設計図から綿密につくられる雪像

 まず大雪像を造るために設計図が必要であり、多い時には150枚にも及ぶ。また粘土や発砲スチロールなど を使った縮尺模型を作るが、写真などでは解からない部分を確かめるため、実際に現地へ確認に行く場合もある。11月上旬の調印を終え、実行委員会から作成 依頼のあった雪像について技術的検討をする。

 たとえば屋根が大きく張り出した雪像の希望があっても、雪だけで造るには無理があるという事で、半分程度にするなどの調整もこの段階で行われる。

 12月中には、土の部分を出して基礎作りを行なう。雪像造りの担当となった中隊ごとに、自分達が造る予定地において"径示(けいし)"と呼ばれる測量を行い、鉄パイプを組み、ベニアを貼って足場作りをする。

 1月になると、基礎でU字型に囲った枠の中に札幌市内の里塚や滝野などから汚れのないきれいな雪を運び入 れる。今年は特に雪が少ないこともあり、恵庭市まで取りに行ったという。雪の輸送はほぼ2週間かかり、その後の雪像造りは朝から遅い時には夜9時ごろまで 作業が続くハードワークだ。

 雪像作りには、市内の道路などの雪が使われているのかと思っていたが、実は札幌でも人があまり入らない場所から特別に運ばれている。ほんの少しの汚れからでも雪像が融け出すからだ。

 また、雪像造りは約1カ月を要する作業で、一日約800人延べ2万5000人が参加する。この時期、自衛隊第11師団のうち約15%程度の人員が雪像作りに割かれることになる。たいへんな数だ。

 市民の有志が隊員に混じって、安全と思われる作業をいっしょに行なったり、また、ミス札幌の慰問やOBや協力会などの差入れなどもあり、これには隊員達の頬も緩むそうだ。

 ●楽しみは小さな笑顔と歓声

 雪像を造るために雪を積み上げて行った場合、大雪像では最大1.5メートル沈むことを考慮に入れ、高さと 雪の量を考えなければならない。たとえば正方形を作りたい時には、あらかじめ縦に長い長方形を造り、3日ほど雪を寝かせ、落ち着かせる行程の後にちょうど いいようにする。

 天候が暖かいと雪が緩み、雨だと融け出す。雪質に気を遣うのは雪の中に異物があるとそこから融け出すためだ。最後に完成した雪像の表面を守るため"塗雪"と呼ぶコーティング施す。水を含ませた雪をコテで塗りつけ、表面を凍らせる事である。

 いざ完成してしまえば、あまりすることもないのかと思っていたが、たとえば子供達に人気の滑り台など、滑走面に貼りつけた氷をはスタート部分ではお尻の熱で融けるし、途中やゴール部分では靴で削れたり割れたりの補修作業があったりと、維持する作業もなかなか大変である。

 第二会場の真駒内駐屯地では、雪祭り終了と同時に雪像は取り壊される。雪像が融けて崩れると危険であるためである。1カ月もかけてコツコツと造り上げた労作が機械で一気に壊されるには寂しいが、また来年がある。

 作業に当たった自衛隊員の雪像に対する思い入れは格別だ。多くの隊員は作業の様子や完成した雪像を写真に 撮って残している。自衛隊員にとって普段の演習や訓練では得られない雪像造りという"形"が出来上がる喜びと、それを待ち望んでくれている多くの笑顔を見 ることが、彼らの大きなやりがいになっている。開幕の7日以前に、今年は4日に"福祉開放"をした。擁護施設を中心とした子供たちの喜ぶ姿を見ることも大 きな励みになった。

 年々規模も拡大し、様々な人が関わっている雪祭りだが、小さな笑顔と歓声を楽しみに雪像造りに勤しんでいる隊員達のご苦労に感謝したい気持ちになった。

 なお、今回お話を伺った自衛官が教えてくれたサイトで、メイン会場となっている大通公園に造られている雪像製作の様子が、開始当初からの写真をふんだんに取り入れた日記風になっておりますので、こちらの方もぜひどうぞ。"汗と涙の雪像日誌"です。http://www.stv.ne.jp/event/ssf51/dialy/index.html(さとう・よしあき)


 佐藤さんにメールはysa@netfarm.ne.jp
2000年02月06日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 史上最長の好景気と株高に沸くアメリカに疲れがみれてきたのではないか。アメリカの有権者は、マケイン上院議員に古きよきアメリカの復活をだぶらせ始めているようだ。

 大統領選を日本からながめていてそんなおもいに到った。まだ序盤とはいえ共和党のマケイン氏の健闘ぶりはブッシュ圧勝という当初の予想をまったく覆す展開となっている。有権者の考え方の変化がそのまま予備選の投票行動に現れるアメリカという国がうらやましく思われた。

 2日のニューハンプシャーでの予備選でマケインがブッシュに圧倒的差をつけた映像を子供たちとみていた。マケイン氏が勝利宣言でにっこり笑った時、中学生になる二男が言った。

 ●こういう笑顔っていいね

 「こういう笑顔っていいね」
 「うん、お父さんが少年のころみていたアメリカのテレビドラマにはこんなお父さんがいたんだ」
 「このマケインって人はどんな人なの」
 「おじいさんも、お父さんもアメリカ海軍の偉い人で、本人も海軍に入ってベトナム戦争で戦ったんだ。ベトナムでは5年間も捕虜になって苦労して、帰国したときは英雄として迎えられたんだ」

 そうなのだ。われわれが少年時代からみてきたアメリカのテレビドラマに出てくる優しくて大きなお父さんのイメージがそこにあったのだ。

 アメリカの有権者たちもまた、この笑顔をみて同じことを考えていたに違いない。マケイン陣営の発表による と「ニューハンプシャーでの大勝利のあと、48時間で100万ドルもの献金があった」というのだ。また次の予備選の行われるサウスカロライナでの世論調査 でも支持率でブッシュ氏に20%以上引き離されていたマケイン氏がついに逆転した。

 アメリカ大統領選の潮目は完全に変わったといったら早すぎるだろうか。マケイン氏は共和党のブッシュの対立候補とはいえ数カ月前までほとんど無印だった。それがどうだろう。ブッシュや民主党のゴアを出し抜いてがぜんマスコミの寵児となっている。

 ●リアルタイムで支持率を左右するインターネット

 アメリカの選挙の透明性の高さのひとつなのだが、候補者のホームページを訪れると選挙資金の資金繰りや献 金状況がガラス張りになっている。インターネットによってその情報伝達力がいよいよパワフルになっている。インターネットの選挙活動への活用の是非をまだ 問うているどこかの国と違って、候補者の毎日の言動がそのままリアルタイムで支持率の動向を左右し始めているから恐ろしい。

 そもそもアメリカの大統領選挙は事前の予想はあまり当てにならない。予備選挙から本選挙まで10カ月という長丁場であることも影響しているが、選挙戦の最中に風向きがどんどん変わるのが普通である。

 8年前のクリントンの登場もまた突然だった。知名度の低かったアーカンソー州知事がホワイトハウスの主になったことだけでない。有権者の多くは相棒のゴア副大統領が提唱した情報ハイウエーの意味すら十分に分かっていなかったはすだ。

 そのクリントン氏がグローバルスタンダードとIT革命を引っさげ、世界経済の中心を再びアメリカに引き戻した。軍事的にも世界の警察官としての地位を不動のものにした。はじめは誰もがアメリカの復活に目を見張った。

 ●競争とスピードに疲れたアメリカ

 その一方で、自己中心的な人権外交への不満が噴出し、IMF・財務省と一体化したアメリカの金融資本がも たらす弊害も指摘されようとしている。多様性な価値観が認められるはずのこの地球で、突き進むグローバルスタンダードの道はもはや後戻りができないもので あるかもしれない。

 だがアメリカの有権者が今回の大統領選挙に求め始めたのは、どうもそんな競争とスピード経営の継続とは無関係の価値観のようだ。マケイン候補は人生の重要な30代前半の5年間を俘虜として悪名高き「ハノイ・ヒルトン」で過ごしたのである。

 今年は3月のロシア大統領選、11月のアメリカ大統領選があり、日本もまた10月に衆議院が4年間の満期 を迎える。アメリカの有権者が突き進むグローバルスタンダードに疲れたとしても、残念ながら日本ではまだその入り口でしかない。日本にはまだまだ競争と改 革のスピードアップが不可欠である。


 マケイン候補の公式ページはhttp://maccain2000.com/
2000年02月03日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 そろそろ国の借金の国民への付け替えが本格化するだろう。そんな予兆を感じさせる広告が最近目につく。「『特別マル優』の国債です」と名打った金融機関の広告である。

 大方の人にとって、「マル優」は記憶の彼方で廃止されてしまった利子非課税制度であるはずだ。1989年に消費税を導入した税制改革で廃止された制度だが、実は「65歳以上の高齢者」だけは特例として廃止されなかった。

 マル優は国民一人あたり銀行預金と郵便貯金、国債購入をそれぞれ上限300万円まで非課税枠とする制度だった。つまり4人家族だと一人900万円×4人=3600万円までの貯蓄が非課税ということで、ほとんどの庶民は貯蓄に課税されることはなかった。

 この広告は「国債は日本国の発行ですから安全性は抜群です」と高齢者に対して、マル優 枠での国債購入を推奨しているのである。「これまで国債の広告など見たことがないのに今ごろなぜ」という疑問が浮上したとしてもおかしくない。金融機関に は国債を国民に押しつけなければならないそれなりの理由があるからだ。

 ●余裕のない財投、日銀、金融機関

 国の借金である国債を誰が買っていたのかというテーマについては萬晩報はこれまでたび たび報告してきた。まず財投と日銀、そして郵便貯金。それから金融機関である。国民が保有している国債はほんの数%でしかない。国の機関が国の借金を背負 うという矛盾についてはここでは問わない。

 まず小渕内閣の借金漬け財政により発行された国債の引受先がなくなったということであ る。国の財投は郵便貯金を原資にしていて今年から始まる大量償還を前にこれ以上の負担は物理的に不可能であり、日銀にしても資産の半分以上が国債という状 況でさらに国債を買えば、日本国の通貨の信用を失う。

 残るは金融機関だが、ここ数年は預金の運用先を失い、国債への依存度が増しているとい う特殊事情はあるものの、これまで大量の国債購入を押しつけられていて飽食気味であることは否定できない。第一、銀行が国債などという世の中で一番利回り の低い商品で資金を運用していたのでは収益力の回復にはほど遠い。

 そこで高齢者が登場する。高齢者が弱者なのは身体的だけで、資産的に一番余裕がある世代であることは統計上でも明らかになっている。満期を迎えた郵便貯金の預け換えはぜひ「国債」にというわけである。

 ●日本の国債に安全神話はない

 だがそうは問屋が下ろすまい。「非課税だ」といっても1%にも満たない利率の金融商品 に魅力があるわけがない。満期が来る10年前の郵便貯金の金利は7%だとか8%もあったのだから当然だ。さらに「安全性」にも問題がある。利回りが確定し ているのは満期まで持った場合の話でしかない。

 途中で換金する場合、市場の需給関係で額面割れという悲劇だって起こりうる。というよりもこれだけの大量発行が続き、銀行も買いたくないような情勢であれば、国債価格の暴落は必至と考える方が正常な神経であろう。

 言い忘れたが、かつては日本の国債は世界的にも信頼性が高く、アラブのオイルマネーが買っていた時代もあった。だが、いまはどこの国も日本の国債を買おうとしない。そんな国債を国民が買わせられる時代がそこまでやってきている。

 日本の国債で安全神話を語るのはもはや詐欺的行為である。高齢者の方はくれぐれもマル優などという亡霊に惑わされないよう! 


2000年02月01日(火)THINK JAPAN主宰 大塚 寿昭


 Windows2000は間もなく膨大な広告宣伝費を使って大々的に世の中に出てこようとしている。もう 既にプレリリース版を入手されて使ってみている方も多くいるだろう。このWin2000の発売を機に、今日のコンピュータやネットワークの状況を王者マイ クロソフト社の行く末と共に考えてみた。要点は以下の2点である。

-Windows95からWindows2000まで既に5年も経過していながら、エンドユーザーインターフェースの改善に殆ど進展が見られないこと。これは、ビル・ゲイツの怠慢であり、市場独占の弊害でもある。

-Windows2000はWindowsNTの焼き直しでありコンシューマーユーザー にとっても、ビジネス・ユーザーにとってもどっちつかずの中途半端なものである。従ってコンシューマーは離れ、ビジネスユーザーは採用しないという事態に なりマイクロソフトは凋落への道を辿る。

 ●ビル・ゲイツの怠慢

 コンピューターがユーザーである"人"と接するところ(動作の指示を受けたり結果を表 示したり)の機能をエンドユーザーインターフェースというが、このエンドユーザーインターフェースはコンピューターが一般社会の生活の基盤となるための最 大の鍵となるものである。コンピューターにはシロウトの一般人にとって使い易く、安心して使えるものでなければ生活の必需品になることはできない。

 現在のパソコンを自動車と比べてみると、自動車は動く仕組みや構造を知らないシロウト でも安全に動かすことができ、立派に用を果たすことができるが、パソコンは未だとてもその域に達しているとは言えない。シロウトが四苦八苦してマニュアル と取り組んでも、自動車のように自由に安全に動かすことはまだ出来るようにはなっていない。

 この観点から、パソコンは未だ発展途上にいる未完成の状態であると言うことができる。今日オジサンや主婦が使えないのはもっともだと思えるし、もっと若い人達でも自由自在に使いこなしている人は少ないと思う。

 現在のハードウェアの基本的な構造は暫くは革新的なものにとって変わられることはない と思えるので、この点でハードウェアに多くを期待することは出来ないだろう。むしろオペレーティング・システムに代表されるソフトウェアが、シロウトであ るエンドユーザーに使い易さと安全性の機能を提供する役割を果たす必要がある。なかでもオペレーティングシステム(OS)が果たすべき役割は大きなウェイ トを占めている。

 シロウトである一般の人々に安心して使ってもらうためには、このOSのエンドユーザー インターフェースを改善し、内部の信頼性設計をもっと高めて行く努力が必要である。しかしながら、世界シェアの90%を占めるといわれるマイクロソフト社 のWindowsはWindows95からWindows2000までのこの5年間にエンドユーザーインターフェースについては殆ど進歩が見られない。

 パソコンのハードウェアのテクノロジーや、ブラウザーなど他の周辺ソフトウェアのテクノロジーの進展ぶりに比べると、明らかに変わりばえのなさが目に付く。

 現在のパソコンの使われ方はどうかというと、確かにインターネットが急速に広がってお り5年前に比べるとかなりの普及度であるということはできる。マスコミも大騒ぎしているが、パソコンがなくとも日常生活が困ることにはまだ至っていない。 マスコミとユーザーの意識のギャップはかなりあるように思われる。

 最近ではデジタル家電などの情報が氾濫し近未来の家庭像としてあらゆるところにデジタ ル化(コンピューター化)されたものが入って来ると言われているが、今どこの家庭にもあるテレビや洗濯機のようになるには、今後相当の信頼性設計や稼働環 境への耐用性、そしてもちろんエンドユーザーインターフェースの機能を向上させる必要がある。

 コンピューターシステムのプロとして長く仕事をしてきた筆者の観点では、コンピュー ターを理解して自由自在に使いこなすには、自分でプログラムを書いてそれをコンピュータ上で実際に動かすという経験をしなければならない、その経験のない シロウトはいつまでたってもコンピューターの本質的なところは理解出来ないと考えている。

 例えばコンピューターを動かしている途中、モニターに表示されてる内容と、メモリーの 内容、ハードディスクの内容がある時点ではそれぞれ異なっているが、そんなタイミングでシステム障害が起きてしまったら、シロウトには状況判断すらできな い。まして正しい回復手段をとることは不可能である。

 筆者は、だからシロウトが使ってはいけませんと言っているのではない。提供する側の努力がもっともっと必要であると言いたいのである。

 Windowsは3.1から95にかけて多くの新しいユーザーの獲得と世界シェアの拡 大という成果を生み、そのシェアは90%にも達し今なお膨大なユーザーを獲得し続けている。ところがここまで述べてきたように、エンドユーザーインター フェースは殆ど改善されてきていない。これは、90%のシェアを握り新規ユーザーもインターネットブームのおかげで増え続けてきた市場に甘えてきたマイク ロソフトの怠慢であり、市場独占の弊害であると筆者は考える。

 コンピュータシステムのプロを任ずる筆者は本来提供する側に居るわけだが、その立場にあっても現在の状況はエンドユーザーに対して提供側の尊大さすら感じる。(あなたがたシロウトはもっと勉強しなさいよ、とでも言っているような)

 提供する側はユーザーが全てを理解しなくても自動車のように自在にそして安全にシロウトでも使えるようにするための改善の努力を懸命に始めなければ、やがて市場にそっぽを向かれることになるだろう。

 ●Windows2000はマイクロソフト凋落の予兆

 まず、コンピュータを人間を補助する道具の一つであると捉えると、人類の歴史とまで大 げさに言わなくてもごく近代に発明された人間を補助する道具としては、自動車、電気洗濯機、テレビなど枚挙に暇がないほど数多くの道具を挙げることができ る。これらの道具によって人類はその暮らしを大きく改善することができた。またこれらの道具は少し働けば誰でも手に入れることができるし、誰でも便利に使 いこなすことができるものである。

 コンピュータの発明も人類にとって偉大なものであるわけだが、誰でも手に入れることはできても、今はまだ誰でも自由自在に使えるところまで来ていないことは前項で述べたとおりである。

  ただ現在のデジタル化の進展の勢いは、もう誰も避けて通れない日が近づいて来ている ようである。その中心となるコンピュータはを使うためには、ビジネスの場面で使うのであれ、家庭で使うのであれ必ずコンピュータの仕組みを勉強し、OSを 動かすための一定の勉強をすることが要求される。

 本来ビジネスの場面で使う場合、そのビジネスの用途に合った機能が提供されていれば良 いのであって、OSがどうしたとかハードの違いがどうしたとかは使う人間にとって本来余計な要素であり、ビジネスマンが本来の仕事を効率よくこなすために は、今のコンピュータは全体の生産性を考えるとむしろ足を引っ張ってるウェイトが高いように思える。(あるリサーチ会社の最近の調査で、コンピュータを導 入してもオフィス部門では殆ど生産性効果が得られてないという結果が発表されてもいる。)

 家庭の中を考えてみても同様であると言うことが出来る。電源を入れれば主婦なら主婦の 用事ができるための画面が最初に出てきて、そこの機能メニューから選んで自分の用事をさせることができるようになっていれば良いわけであり、OSの画面が 最初に出てきても、それは余計な作業になるわけである。

 最近はポータルサイトといわれるものがこの要求に応えようとしてインターネットの世界 で出始めているが、十分な状態になるには未だ先は長いように思える。また、日本の家電メーカー系の売り出しているパソコンにはキーボードのワンタッチキー でインターネットに繋ぐことができるハードウェアが発売されたりしているが、これはインターネット接続までの操作の煩雑さを改善しており、エンドユーザー にとってはたいへん有り難い機能である。

 彼らメーカーはエンドユーザーを知っていればこそ、こうした機能を付加してきたのだと思う。(これはマイクロソフトがやったのではなく、日本の家電メーカー系のやったことである)

 結論としてどういう方向に進めば良いかと言うと、ビジネスユーザーにはビジネスユー ザー向けの、コンシューマーユーザーにはコンシューマーユーザー向けの、それぞれに適したポータルサイトのようなものが電源を入れたらそこに出て来れば良 いのである。つまり、ビジネスとコンシューマーでは各々異なるメニューが提供されることがより自然であるということである。

 ところが間もなく発売されるWindows2000はビジネスユーザーとコンシュー マーユーザーとの両者を一つのOSで対応しようとするものであり、それぞれのユーザーのどちら側にも中途半端となるかあるいは余分な機能があるかというこ とになり、どちらにとっても不満を残すものになるだろうと思う。

 筆者だけの穿った見方かも知れないが、ビル・ゲイツがネットワークの重要性を言い出し たのは98年の春のことであるし、ビジネスユーザーが大切と言い出したのは99年2月のことである。Windows2000はWindows NTをベースに作られたものと言われているが、NTを採用した背景にはビル・ゲイツのビジネスユーザー重視の意識が大きく影響しているものと思える。従っ てWindows2000は本来ビジネスユーザーを対象に開発されて来たものではないだろうか?

 ところが、コンピュータのマーケティングでは一般的に、大きなシェアを持つ製品が一旦 飽和点に達すると、急速に売り上げは減少するものである。膨らんでしまった組織を維持するためには、次々と後継製品を出し続けて行かなければならない宿命 のようなものがメーカーには突きつけられている。Windows98はそろそろ飽和の時期に入っており次を急ぐ必要があったのであろう。

 この稿を執筆中の2000年初頭に2つの大きな出来事があった、一つは、インテル社が 独自のネット端末を製造販売する、そのOSはWindowsではなくLinuxであるということを発表した。今日パソコンの世界で最強と言われてきていた ウィンテルの組み合わせに、わずかではあるが綻びが見え始めたということである。

 もう一つはビル・ゲイツがマイクロソフト社のCEOを退き、CSA(Chief Software Architecturer)に就任するということが発表された。これは、筆者には単なるパフォーマンスのように思えてならない。というのも、マイクロソ フト社は創業期以来一度も創造性を発揮したことはないというのが、業界プロたちの間の一般的な評価として定着しているからである。

ちなみに、今誰でも当たり前のように見ているWindowsの画面は GUI(Graphical User Interface)と呼ばれ、一昔前の文字や数字だけのコンピュータ操作画面に比べ格段に扱い易くなっている。このGUIは1970年頃にゼロックスの パロアルト研究所で発明されたものであり、一般商品に採用し市場に送り出したのはアップル社であった。

 ビル・ゲイツは膨れ上がった「ビル・ゲイツ神話」を自らの手で演出しようとしているが、墓穴を掘るようになるのではないかと心配しているのは筆者だけではあるまい。


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