2000年1月アーカイブ

2000年01月31日(月)萬晩報通信員 園田 義明


 1月27日から2月1日まで世界経済フォーラム(The World Economic Forum)の年次総会、通称ダボス会議がスイスで開催されている。米国からはクリントン大統領、オルブライト国務長官、サマーズ財務長官、デーリー商務 長官、リチャードソンエネルギ-長官、パシェフスキー通商代表などが参加。産業界からもビル・ゲイツはじめAOL、バイアコム、オラクル、ソニーなどの トップが一同に集まる。

 こうした中、昨年の年次総会においてWTOシアトル会議の前哨戦ともいうべきグローバル化への疑問を投げかけたマハティ-ル首相が急きょ出席を取りやめている。すでにWTO同様総会会場の窓ガラスがこわされるなどの事件が発生しているようだ。

 今年はグローバル化、情報通信技術、遺伝子分野などを中心に論議が行われる予定であるが、この中でついに EMIまでも巻き込んだAOLタイム・ワーナー誕生劇に触発された情報通信分野における新たなる再編第2幕に注目が集まる。特にマイクロソフト、ソニー、 そしてドイツメディア大手ベルテルスマンなどはすでに提携先の絞り込みを始めているかもしれない。

 ベルテルスマンのCEOトマス・ミッデルホフはみずからAOLの取締役会に外部取締役として参画しヨー ロッパにおけるAOLのパートナーとして提携を推進してきたが、タイム・ワーナーとの合併で辞任を示唆している。ベルテルスマン傘下のアメリカ大手出版社 ランダムハウスとのライバル関係がその原因である。

 ベルテルスマンはまた傘下にホイットニー・ヒュ-ストン、ケニー・Gなどが所属するベルテルスマン・ミュージック・グループを有しており、この点でも提携解消は決定的となる。ドイツ銀行との取締役兼任結合関係を利用し再編の核となるはずだ。

 ドイツ銀行傘下のモルガン・グレンフェル、バンカーズ・トラスト(旧J・Pモルガン商会)のM&A部隊の 腕の見せどころであろう。モルガングループと関係の深いソニーも当然候補にあがっているものと思われる。ソニー・ミュージック・エンターテイメントと音楽 分野での事業統合が実現すればワーナー・EMIを上まわる世界最大の規模となる。ソニーにとっても携帯情報端末事業への効果を考えれば決して悪い話ではな いはずだが・・・。

 アメリカ西海岸を中心に活躍したイーグルスの代表アルバム「ホテル・カリフォルニア」から引用しよう。

 The Last Resort

何が君のもので 何が僕のものなのか
その大いなる設計を規定するものは誰なのか?
今や ニュー・フロンティアなど存在しない
僕達がここで創りださなければならないはずだ
だけど 人々は限りない欲望を満たしつづけ
残虐な行為すら正当化しようとしている
「運命」という名のもとに
そして「神」という名のもとに・・・

彼等はそこを楽園と呼ぶ
僕にはなぜだかわからない
もし あそこが真の楽園なら
僕はキスして さよならをいおう

 タイトル曲『Hotel California』のspiritを日本語訳ではワインとしているが、スピリット(精神)と訳せばこうなる。『当ホテルではそのスピリットを69年から切らしています』。今夜は深酒かな。(2000.01.26 そのだ・よしあき)
 園田さんは東京在住のサラリーマン。国際戦略コラムでもコラムを書いています。
 園田さんにメールはyoshigarden@mx4.ttcn.ne.jp

2000年01月26日(水)Conakry発 齊藤 清通信員


ギニアでは大粒マンゴーが出回り始めました。10日ほど前に「マンゴーの雨」が降り、この日あたりを境にして、市場や露天の山積みのマンゴーが、市民の舌を楽しませてくれるようになりました。とっても甘いですよ、おいしいですよ。この季節、人々は飢えることを忘れます。

◆豊かな国々の運命

西アフリカのギニア湾に沿って南下する形で、ギニア、シエラレオーネ、リベリア、コートジボワールと、4つの国が寄り添って並んでいます。どの国も水と緑が豊かで、自然環境には充分に恵まれた国々です。

そしてある時期には、それぞれの国が、アメリカ大陸への労働者を奴隷として送り出し、その後には、植民地と いう形で西欧に隷属し、海を越えた国々を豊かにするための礎となってきました。第二次世界大戦の後しばらくして、形としては独立国家となったものの、現在 に至るまで旧宗主国との腐れ縁を断ち切ることはなく、お互いに主従関係を確認し合いながら生き続けているのも、この4つの国に共通した特徴です。

これに加えて、これらの国々が相互に絡み合う話題のひとつとして、今回はダイヤモンドをとりあげてみます。――そうです、光り輝く貴重な天然の石、あのダイヤモンドです。

◆輝く石の旅路は

あなたの手元へ憧れのダイヤモンドが届くまでの道筋は、けっして単純ではなさそうです。ロンドン、アント ワープ、テルアビブ、ボンベイ、ニューヨークあたりの原石買い取り業者から加工業者、そして、その他もろもろの関連業者の海を渡り、荒れる旅路を乗り越え て、そのようにしてやっと、あなたの町の宝飾店にまばゆいばかりに輝くダイヤモンドが到着する、というのが常識的な理解ではあるのでしょうが、それでは、 その原石はどこで採れたものか、あなたはご存知ですか。

南アフリカのとある町で掘り出されたきれいな石が、たちまちのうちに世界の人々の羨望の対象となり、貴重で 高価な品物として認知された、という神話が先進諸国に浸透したのは、比較的最近のことです。そしてその生産地は、ロンドンの有力業者が公式に発表している 範囲だけでも、ボツワナ、南アフリカ、ナミビア、ロシア、カナダ、オーストラリアと、世界の各地にまたがっています。

そして、それらの土地で産出されたダイヤモンド原石は、ロンドンのシンジケートを通して世界の市場へ供給さ れ、「ロンドン」が市場を全面的にコントロールしている、と一般的には信じられています(いるはずです)。これも、神話の領域にかなり踏み込んでしまって いるようでして、正確には、信じさせようとしている、そして支配したいと願っている、というべきなのですが、それにしてもロンドンの力が並外れたものであ ることは否定できません。

このささやかなレポートは、その全体像を白日のもとに、などという不届きな野心を持っているわけではありません。以上を布石として盤の上に置いたまま、このギニアから肉眼で透けて見える範囲のごく狭い世界を、あなたにだけそっとお伝えする、ただそれだけです。

◆シエラレオーネの内戦

ギニアの隣国、シエラレオーネ共和国は、1992年4月のクーデター以来、血を血で洗う内戦が7年間にわたって続けられました。この間、更なるクーデターやら、現職大統領のギニアへの亡命・帰還等、めまぐるしい動きが繰り広げられます。

また、1997年10月の和平合意を受けて、ECOMOG軍(西アフリカ経済共同体平和監視軍)が動いたも のの事態は好転せず、戦闘は泥沼と化するばかりでした。98年2月になってから、ECOMOG軍がその主体となっているナイジェリア軍を増強して、本気に なって攻勢をかけた結果、首都フリータウンの奪回に成功し、ギニアへ亡命中の大統領が本国への帰還を果たしたものの、その時点で、国内は依然として叛乱勢 力の手中にありました。内陸部での戦闘は継続。

その後、ECOMOG軍と近隣諸国政府の支援を受けながら、叛乱勢力RUFのリーダーを副大統領格としてとり込み、同時に複数のメンバーを閣僚として迎えることで、99年7月、改めて和平合意。

◆無尽蔵な軍資金

ところが、叛乱軍の実質的な現地指揮官――殺した人間の血を吸う「モスキート」とあだ名される男が武装解除 を受け入れず、和平合意後も、戦闘員と共に国内各地で散発的なゲリラ戦をしかけて、中央政府とECOMOG軍を脅かせ続けました。また非協力的な住民に対 しては、コソボ紛争以上ともいわれる残虐な仕打ちをしています。

ともあれ、ここで気になるのが叛乱軍の資金と装備の問題でしょう。これほど長期間の戦闘を続けるためには、それなりのモノがたっぷり必要になることは確かです。そうなのです、彼らには、潤沢な資金と必要にして充分な武器が、常に供給される環境があったのです。

その源泉は、実はダイヤモンドでした。ギニア、シエラレオーネ、リベリアの各国は、それぞれに品質の良いダ イヤモンドを産出しています。叛乱勢力が根城としているシエラレオーネ東部地方は、特に産出量が多いといわれる地域で、その地域を支配している限り、資金 調達の苦労はありません。

◆戦火に油を注ぐダイヤモンド

手元に、カナダのPACというONG組織が流したというレポートを種にして、国連のアフリカ地域情報ネット ワークIRINが、1月12日に配信したシエラレオーネのダイヤモンドに関する記事があります。イギリスのBBCも、同じ日にこのレポートをネタにした記 事を流しています。また、デビアス・カナダ社は、翌日付けでこのレポートについてのコメントを出しました。

この記事によれば、レポートの主張は、「シエラレオーネ産のダイヤモンド原石が、闇のルートを通して大量に ベルギーのアントワープに流れている。この資金が戦乱を拡大させている。国連の平和維持軍を産出地に配置してこの闇ルートを押さえさせると同時に、首都フ リータウンに『正規のダイヤ買い取りエージェント』を設置することを提言する」というものです。

BBCも、「ロンドンとアントワープが、叛乱勢力の違法な取引によるダイヤモンドを、目をつぶって買い取っていることが戦火に油を注いでいる」と非難しているようでした。

◆ダイヤモンドの流れの記録
このレポートは、世界の原石生産量の半分を買い入れているといわれるベルギーのアントワープで、HRDという組織が集計しているダイヤモンド原石の各国ご との買い入れ実績を、問題としている国の分について次のように示しています。(ただし、大粒の原石は集計から漏れている可能性が大)

 1.リベリアから年平均600万カラット以上。(1994-98の間に、合計3,100万
   カラット以上)
 2.コートジボワールから毎年150万カラット以上。(1995-97の間)
 3.シエラレオーネから77万カラット。(1998のみ)
また、リベリア自身の生産能力は、年間15万カラット程度と見積もっていること、コートジボワールでは、 1980年代半ば以降の公式の生産は停止されていることを付け加えていて、要は、これらの原石は、シエラレオーネ原産のものが「違法なルート」で輸出され たものであるとアピールしています。

◆狸の皮算用

試みに、以上3カ国からの輸出量の合計827万カラットに、カラットあたりの想定単価350ドルをかけてみ ると、その金額はおよそ3,000億円になります。また、なぜかこのレポートが記述を避けているギニア経由アントワープ、更にはロンドンへの流れも現実に はあるわけですから、この数字はさらに膨らみます。

ちなみに、ギニアの1999年度の国家予算の歳入期待額はおよそ500億円でした(実績は大きく下回るは ず。予算総額は900億円)。大雑把に比較すれば、シエラレオーネはギニアの半分程度の規模の国家といえないこともありませんので、単品の輸出額が 3,000億円を超えるということであれば、これはただ事ではありません。輸出税を10%も徴収できたとすれば、あとは左団扇です。

また、輸入する側にしても、これを加工して付加価値をつければ、あなたもご存知のように、けっして安くはないダイヤモンド宝飾品ができあがります。その総額は、口に出したくもないくらいの大きな数字になるはずです。

この「違法」な、しかし魅惑的な石の流れを、「正規」の方向へと変えてみたい、と考える人が出てくるのもそれは自然な流れでしょう。一理も二理もあることです。

◆国連軍の広報戦略

そのような背景のなかで、ECOMOG軍は手ぬるい――彼らまかせでは真の和平は永遠に望めまい、との旧宗主国・イギリスの声もあって、国連はシエラレオーネへの平和維持軍の派遣を急ぎます。

さっそく、実に正直な、しかし効果的な宣伝が始まりました。昨年の12月2日には、BBCが「国連平和維持 軍は、インドのグルカ兵を東部のダイヤモンドゾーンに配置する予定」「グルカ兵は、カシミール紛争で活躍した世界最強の兵士であり、同じ部隊がまもなく到 着」等々と放送を開始。これを基本の材料として、叛乱勢力の現地指揮官「モスキート」を名指しし、脅す内容の原稿が連日アフリカ向けラジオ放送で流されま した。

ナイジェリア軍相手であれば、その手のうちは読めているものの、見たこともないアジアの、しかも何か恐ろし そうな感じのイギリスの傭兵もどきがやってきたのでは、さすがの「モスキート」としても勝ち目はないとみたのか、本拠地を完璧に破壊した後、家族を連れ て、12月16日リベリアの首都モンロビアへ飛びました。

置き土産として、叛乱勢力RUFのリーダー・同士であり、現在は副大統領格のポストにぬくぬくとしている(実際は針のむしろ、なのですが)サンコーに向けて、刺客を放っていきました。もっとも、これは「モスキート」の意に反して不発に終わりましたけれど...。

◆三者会談

リベリアのチャールズ・テイラー大統領は、シエラレオーネの叛乱勢力RUFに対してすこぶる好意的です。そ れは、これまでにリベリア経由で輸出されたダイヤモンドの量をご覧いただけば、すぐに納得がいくはずです。そのうえ、この叛乱勢力の武器は、すべてリベリ アを通して供給されていたわけですから、これ以上にありがたいお客はあり得ません。

一方、朋友「モスキート」に刺客を放たれたRUFリーダーのサンコーは、12月14日にはモンロビアに飛ん で、盟友のチャールズテイラー大統領に、「モスキート」の誤解を解くよう仲介を頼みました。その後、三者で数日間にわたる話し合いを重ねたと、国連の情報 機関は伝えています。

リベリアの利益のために、隣国のダイヤモンドゾーンを自動小銃で完全支配していたRUFのためであれば、国際世論を敵に廻しても一肌脱ぐ――これが西アフリカの侠客チャールズ・テイラーの心意気、というところでしょうか。

◆違法ルートをブロックせよ

このようにして、ロンドンの「正規ルート」から見れば、まさに人類の敵とおぼしいアウトサイダーグループが、肩の力を抜いた会話をしている間にも、国連平和維持軍は着々と兵員の配備を進め、1月11日には4,500人以上が持ち場についたと発表しています。

顔見世前の宣伝がかなり派手だった「世界最強」のグルカ兵は、インドからの派遣兵としてごく少数が現地入りし、実際には首都での後方支援に廻されて、医療、輸送、補給等の業務を担当しています。

「違法」なルートを通ったダイヤモンドが、アントワープで換金されて戦禍が拡大するのを防ぐためという理由で、すでに現地指揮官が逃げ出してしまったダイヤモンドゾーンへ、さらに5,000人規模の兵員増強が要請されているともいわれます。

これからは「モスキート」に代わって、国連平和維持軍がその自動小銃を外に向け、「違法」なルートをブロックして、この地で産出されたダイヤモンド原石がわき道にそれることなく、無事ロンドンに向かうよう骨を折らなければなりません。

◆ダイヤモンドには自動小銃がよく似合う

戦乱がほぼ収束したこの時期になって、「シエラレオーネからのダイヤの密輸が戦火を煽る、ダイヤモンドは正 規のルートでロンドンへ」という、ずいぶんと季節はずれの歌を、かなり胡散臭いONG・PAC、国連の広報機関、ロンドンの国営放送BBC、そしてそれら の推薦を受けた形の業界の雄デビアス社が、ぴたりと声をそろえて合唱しているという図――これはすばらしく理解しやすい一幅の旧植民地図会の再現、と見え てしまうのは、マラリア熱に浮かされた私めの妄想なのでしょうか。


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2000年01月24日(月)中国情報局 文 彬

 チベット仏教4大宗派の1つ、カギュー派の活仏、カルマパ17世がチベット自治区を離れ、インドに密入国 してから10日間以上も経過したが、メディアを飛び交う様々な憶測の中で今も解決の糸口が見つからない。インドの地を踏んでから、カルナパ17世が最初に 身を寄せたのはインド北部ダラムサラに亡命政府を置く同仏教最高位、ダライ・ラマ14世の元である。ダライ・ラマ14世もまた、1959年のチベット動乱 の時、ヒマラヤを越えてインドに亡命したのである。

 カルマパも亡命だと決め付ける報道もあるが、中国政府、インド政府、そしてダライ・ラマの亡命政府の思惑 と働きかけによって、違う方向へ展開する可能性も十分考えられる。第一、まだ14歳の少年のカルマパにとって、今度の行動は全く自分の意志によるものとは 思いにくい。しかし、チベット仏教の最高指導者とカギュー派の最高位にいる活仏が同時に本土にいないのは歴史的にも前例のないことで、極めて憂慮すべき状 況である。

 何故このような事態になってしまったのか、様々な角度から分析する著書は山ほどあるので、繰り返しぜいげ ん贅言するまでもない。ただ、ここで筆者は寛容精神の再来を心より期待したい。寛容は盛んな時代を呼び寄せ、国にも、庶民にも福をもたらすと信じられてい るからである。中国の長い歴史を見ても、為政者が寛容の精神を理解し、共生を力行する時代はいずれも良い時代であった。

 安部仲麻呂が長安で国家図書館長になった唐の時代を思い出してみたい。寛容と共生が人々の共有の理念であ り、異文化の受容が最大限に行なわれ、仏教とイスラム教も平和裏に中国に入植してきた。三蔵法師が千辛万苦を乗り越えて19年をかけてインドから仏典を持 ちかえったのもこの時代だった。特記すべきは、このインドの旅も当時の法律で禁じられていた密入国だったことである。しかし、長安に戻ってきた玄奘に李世 民帝は罪を問うところか、盛大の式典で彼を出迎えた。

 又、外敵を防ぐため万里の長城の修復を上奏する臣下に対し、心の長城を造れと叱った康熙帝の時代を思い出 したい。紫禁城では、満州族のサマン教の他に中国の仏教、チベット仏教、道教、儒教等の儀式がお互いに衝突することなく日常的に行なわれていた。特に中正 殿では、毎日欠かさずチベット仏教の仏事が行なわれていた。

 これからの中国は、あらゆる意味で良き時代になると信じている。というのは、様々な問題を指摘されながら も、全体的に見れば中国には約200年振りに寛容の精神が徐々に蘇りつつあるからである。当然、これには紆余曲折もあるが、最終的にはカルマパ、そしてダ ライ・ラマが再びチベットの地に入る道が整備されると確信している。


 文さんへのメールはbun@searchina.ne.jp
 中国情報局はhttp://www.searchina.ne.jp/
2000年01月21日(金)萬晩報主宰 伴 武澄


 恥ずかしながら「レファレンダム」(referendum)という英単語を知ったのは、ほぼ1年半前である。イギリスに留学したという後輩に偉そうに「おまえ、住民投票って英語でなんというか知ってるか」などと聞いて赤恥をかいたことでいまでも忘れないでいる。

 イギリスのブレアが政権がスコットランドとウェールズで議会開設の是非を問う住民投票を行ったことを調べていた時のことである。イギリスのマスコミのホームページには「レファレンダム」という特集コーナーが必ずあった。

 ●動き出した日本の住民運動

 日本でも「住民投票条例」が自治体にあり、条例案の直接請求ができることになっている。

 一昨年前の秋、神戸市民が空港建設の是非を問う住民投票を求める署名運動を行い、徳島でも吉野川堰の建設 の是非を問う同じような署名運動を行っていた。神戸市民の運動は30万人の署名を集めたにもかかわらず、市議会がこの住民投票条例を否決し、徳島ではまさ に住民投票が始まった。

 従来、こうした動きは革新を名乗った勢力が「住民」の名を借りた運動のように受け止められて、うさん臭 かった。最近ではようやく普通のサラリーマンや主婦が動き出している。とはいえ、政府の側は依然としてほとんど住民運動を旧来の発想からしかとらえず、無 視する方向にある。

 逆にスイスの場合、この国は直接民主主義ではないかと見まがうほど市民の政治参加が要求される。スイスの憲法や23の州憲法の特徴は、多くの条項がレファレンダムとイニシアチブに割かれていることである。住民投票(国民投票)と住民(国民)による議案提出権だ。

 直接民主主義が徹底されている国柄だともいえるのだが、ぜいたくなことにあまりに多くて、市民から拒絶反応が出るくらいだということである。スイスと日本の彼我の違いの一部を紹介したい。

 ●義務化される国民投票

 スイス連邦の場合、国民投票は「義務的レファレンダム」と「任意的レファレンダム」に分かれる。 前者は憲法の改正や安全保障にかかわる決定、超国家的共同体への加盟を決める際に国民が直接投票して、有効得票の過半数を得たうえで、過半数の州の賛成を得なければならないことになっている。

 たとえば1992年12月には「欧州経済領域に関する協定」が国民投票にかけられた。将来のEU加盟の是非を問うレファレンダムだったが、スイス国民はこれを僅差で拒否した。

 憲法改正は日本でも当然、国民投票にかかる案件だが、日米安保は国会の議決だけで決まった。スイスだと、たとえば日本で最近あった「ガイドライン法案」のように安保の概念の質的変化を伴う案件は当然「義務的レファレンダム」の範疇に入ってもおかしくないのだと思う。

 やさしくいえば、スイスでは国の大きな舵取りはすべて国民が直接投票して決定するということになる。国枝 氏によると、スイス連邦が発足してほぼ150年で義務的レファレンダムが134件あり、96件が可決され、38件が否決された。重ねて言うがこれは国民の 請求ではなく、義務なのだ。

 ●議会決定の45%を覆すパワー

 一方、「任意的レファレンダム」は5万人以上の署名があれば請求できる国民投票で、法律の制定後や公布後でも90日以内ならば、政府の決定を住民の過半数の意志で覆すことができるというものである。簡単にいえば、法律の「クーリングオフ」制度ともいえる。

 ここには、国民に選ばれた代議士が決定することは「すべて国民の意思である」などとする硬直した考えはな い。同じようにこの150年間に44件が採択され、55件が否決された。連邦議会が決定した事柄の45%を国民が投票で葬り去ったといえば言い過ぎだが、 国民が異議を申し立てた案件にかぎれば、そういうことになる。

 レファレンダムが近づくと、新聞には賛否を論じる意見広告が多く掲載され、町にはポスターが貼られる。有 権者の手元には分厚い資料が届けられて、勉強する機会が与えられる。ないものねだりではないが、なんともうらやましい制度ではあるが、一方で国民に相当な 知的レベルを要求する制度でもある。

 ●法律は解釈するものではなく、改正するもの

 ここらで断りを入れなくてはならないのは、筆者はスイスの政治制度の専門家でもなんでもない。スイスという国に関してはチューリッヒに1泊した経験しかない。すべては国枝昌樹氏「地方分権のひとつの形」(大蔵省印刷局)を読んでの受け売りである。

 とはいうものの、150年前に形成された永世中立国の政治制度をここまでやさしく分かりやすく解説した書 物はほとんどないと思う。このコラムではスイスの連邦レベルのレファレンダムについてだけ解説した。戦後われわれは国の在り方としてスイスに対して「永世 中立国」としての断面だけしか見てこなかった。

 この本ではもちろん「国民皆兵」の歴史についても詳しく触れられている。一方で「外国人」問題でも先進的 取り組みが紹介される。コラムのタイトルを「レファレンダムとイニシアチブ」としながら、イニシアチブについては説明できなかった。すべてを紹介できない のが残念だが、筆者が読みながら棒線を引いた二つの文章を最後に紹介する。

 「スイスの法曹界には、一般的に、憲法、法律などの条文について解釈論を戦わせ、その上で実生活に適応さ せていこうとする傾向は希薄である。そうではなく、憲法や法律に不都合な部分や、予想していなかった事態が発生したならば、改憲、改正、あるいは新規の立 法を行うことで問題を解決しようとする姿勢が鮮明だ」

 ジュネーブ州の憲法には「州議会の立法は、公布後40日以内に7000人以上の有権者が要求する場合、州 民投票にかけられる。州議会が決めた緊急性を持つ例外的法律は対象外であるが、州の財政負担として12万5000スイスフランないし、毎年6万スイスフラ ンを要する法律は緊急性を主張できない」


 ニューヨークの小関さんから以下のようなメールをいただいた。ジュネーブの人口に関して【お詫びと訂正】をします。

 地方分権に関する記述中にジュネーブがスイス最大の都市だと書いてありますが、これは何かの間違いではないかと思います。日本で言う都道府県はスイスではカントンと言います。以下に簡単な数字を並べます。

 
人口
面積
ジュネーブ市
17.5万人(40万人)
282平方Km
チューリッヒ市
100万人(120万人)
1,729平方Km
カッコ内はカントン(州)

 ジュネーブ市のウェブ・サイトには1870年にチューリッヒに抜かれるまでジュネーブがスイスで一番人口の多い都市だったと書いてあります。

 また、現在住民の40%弱が外国籍の人で、国籍は約80にも上っており、当然ながら少なくともスイスで (世界的に見ても飛び抜けているとは思いますが)一番外国籍の比率が高い都市になっています。因みに2番目に外国籍の人口が多いのはイタリアとの国境の ティッチーノで約27%。他にバーセル・カントンとヴォー・カントンが25%超となっており、最も少ないウリ・カントンでも8%程度は外国籍のようです。 日本では考えられませんね。

 参照したウェブ・サイトはwww.about.ch/www1.linkclub.or.jp/~swiss/ の2つです。ジュネーブは3年弱暮らした所なので、少し気になりました。


2000年01月18日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 「スイスと北海道の面積と人口を比べてどちらが大きいか」-そんな質問をされて答えられる人は少ないと思う。

 まず面積は北海道の方が大きく、人口はスイスの方が多い。北海道の面積は8万3451平方キロで、スイスが4万1285平方キロ。北海道はスイスのほぼ2倍の面積があり、人口は北海道569万人に対して、スイス709万人と3分の2しかない。

 人口密度で言えば、スイスの方が数段高い。どちらが山が多いかといえば、スイスであろう。そんな国土であ りながら、有数の国家経営をしてきたノウハウがある。有数の世界の金融センターのひとつであり、時計を中心とした精密産業を育み、ネスレやスシャードと いった食品企業、世界有数のエンジニアリング会社ABBもある。

 北海道に欠如しているのは独立した意思決定のメカニズムである。日本から見れば化外の地としてスタートし、開拓植民によって開発が進んだが、明治以来、中央への依存体質から抜け切れたことがない。日本で唯一、道州制が敷かれているにもかかわらず、自立が遅れた。

 ●地方自治が徹底すると大臣の数が減る

 外交官である国枝昌樹氏の『地方分権・ひとつの形』を読んで目からうろこが落ちた。この本は毎日新聞の読 書のページで「京都、水と緑をまもる連絡会」の田中真澄さんが講演のたびに持ち歩く本だと紹介されていた。田中さんは市民運動のリーダーである以前に京都 の志明院の住職である。

 『地方分権・ひとつの形』はスイスの政治の在り方を紹介した本だ。国枝氏がジュネーブ勤務時代にこつこつと調べ上げた実態調査でもある。この本を読んでいて久しぶりに「北海道独立論」に立ち返って、多くのことを考えさせられた。

 スイスの閣僚は首相を除いてたった7人である。外相、内相、経済相、司法警察相、国防相、財政相、環境・運輸・エネルギー・通産相の7ポストである。

 ちなみにアメリカは14。ドイツ15、イギリス20。フランスは閣外相10人を含めて26人、日本はとい えば19人で、ロシア33人である。閣僚がスイスより少ない国家はわずかに太平洋に点在するいくつかの島嶼国のみである。国土の広さとは関係なく、中央集 権が進むほどに閣僚の数が増える傾向にあるようだ。

 当たり前の話であるが、スイスでは教育の権限はほとんど州にあるため、文部省はいらない。同じように農林省や労働省、厚生(福祉)省、公共事業を担当する省庁もない。

 もちろんスイスでも国家がこれらの仕事をまったくしないのでなない。内務省にそれらの部門は確かにある。だが、独立した省庁を必要性を認めないのがスイスの憲法である。

 これらの仕事は基本的に地方の独自色を出した方が効率的な行政が行える部門である。だから地方に権限を委譲すれば、日本だってこれらの省庁は必要なくなるというモデルがスイスにある。

 ●ジュネーブはスイスの新参者

 スイスの首都がジュネーブにあるものだと勘違いしている人が多い。ジュネーブはあくまで国際機関が集中す る都市で、首都は中部のベルンにある。そして東部の都市であるチューリッヒは金融都市。ローザンヌは商業の町。バーゼルには日本の金融機関を苦しめた BIS、国際決済銀行の本拠地がある。金融機関を中心に世界のビジネストップが年に一度、参集する「世界経済フォーラム」はダボスで開かれる。

 スイスは連邦国家である。起源は1291年、ウリ、シュビツ、ウンターワンデスの3つの共同体の盟約締結 にさかのぼる。その後、500年にわたり「盟約」に参加する共同体が増えるが、あくまで盟約関係であって、連邦国家ではない。この盟約関係に最大の危機が 訪れるのがナポレオンによるスイス経営である。スイスは一時期、ナポレオン政権時代にフランスの保護下に入り、衛星国のひとつとなっている。

 皮肉にもこのことがスイス連邦誕生の契機となった。1815年のウィーン会議の後、旧支配層が復活して22の州による連邦国家が成立した。フランス語圏の一独立国だったジュネーブはこの時、スイスに合流した。

 憲法が制定されたのはフランスの7月革命の影響を受けた1848年である。人民主権と代議民主制を取り入 れた25州による連邦制を規定したのである。1800年代の中葉、ドイツ帝国が成立し、イタリアもまた統一された。アメリカは南北戦争があった。日本の王 政復古による明治国家建設も同じ歴史のその流れの中に置くと分かりやすい。いまある先進国の枠組みが完成し、相互が認め合った時期なのである。

 近代国家の領域は共通言語によると考えられがちだが、スイス連邦の結成はそうでもない。公用語はフランス語、ドイツ語、イタリア語だった。1938年、国民投票で憲法を改正して新たにラテン語系のロマンシュ語を加えた。

 萬晩報的に解釈すると、スイス連邦の歴史は150年前からミニ版・欧州連合(EU)を指向していたということになる。(続)

 次回は「レファレンダムとイニシアチブ」について伝えたい。


2000年01月16日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 ●日本旅行記を読んで気高かった日本に触れてみます
 一番報、毎回楽しみに読んでいます。私は26歳で松山の「踊るうどん永木」を経営しています。「俺の実力ならうどん屋ぐらい出来て当然である」と始めた 店です。全くの未経験で2ヶ月の独学でやりました。味が良いと言うことでマスコミ、芸能人、うどん通にも評判が広まっています。前書きでつまらないことを 書いてすみません。

 今回の日本の国を憂う司馬蓮太郎の話は同感しました。日本の将来を不安に思っています。戦後教育と米的合 理主義の浸透などで心よりもモノの方が大事という風潮が日本人には未だかつて無いほど広がっているように思えます。一方、私の方はというとそんな日本を反 面教師にしているかの如くますますエネルギッシュになってきています。学生時代にもこれほど無かったほど「学ぶ」ということに情熱を燃やしています。シュ リーマン清国・日本旅行記を読んでみようと思いました。気高かった日本に触れてみます。

 「何が何でもやりたいことをやって成し遂げるのだ」「真実は積極の中に見つかるのだ。」という言葉を毎日心に刻んでいます。数年後にはアメリカの大学で学び直してこようと思います。これからも愛読しますのでよろしくお願いします。(J. Nagaki)

 【萬晩報から】高松のうどんがうまいのは安いからです。安いからみんなが食べて、どんどん食べるから揚げたてが出てくる。釜から揚げたてが一番うまいのです。1玉50円でも、うどん屋をやればビルが建つといわれていました。15年前の話です。(伴 武澄)


 ●座右の文にしております
 反省の糧として座右の文にしております。衣食足りて礼節を知る筈なのに、衣食の充足と反比例して礼節が失われるのは何故なのでしょうか。似非民主主義、 悪平等主義の中で金銭の多寡のみが目標になったせいでしょうか。倫理観の喪失もいわれだしています。リンリリンリと鈴虫ならぬこれまた似非道学者が騒ぎ出 すのもかないません。高潔な個が何故出てこないのか、どうしたら高潔な個が確立できるのか、ほど遠い存在の凡々人としても気になるところです。本年もご指 導のほどよろしくお願い申し上げます。(T.KAWAHORI)

 ●世界最高水準のモラルと経済力、そして技術力に誇りを持ちたい
 これは思いっきり批判的意見です。私からすれば、日本人はそれほど危機感を抱く必要などないのではないでしょうか。誰しもが十分に豊かであるにもかかわらず、不況不況と強迫観念にさらされているような気がします。なぜもっとプラス思考にならないのか不思議です。

 少なくとも、働いたことのない大学生などは不況を実感した人間などほぼ皆無でしょうし、先行きの暗さを予測するような記事ばかり読んでいると、この国に幻滅して会社を辞めたり、日本脱出を図って青年海外協力隊にも行きましょう。

 伴さんも言論人の端くれであるのなら、自分が感じた「暗さ」を一般大衆に対して流布することが果たして健全な姿勢と言えるのでしょうか。

 間違っていると思います。伴さんも高給取りの共同通信の記者なら、生活苦など味わったことなど一度たりと てないでしょう。そんなマスコミ人が不況不況、日本再生などと書き殴り、「今こそ精神的な豊かさを」などといった言い分はきれいごとにもほどがあります。 世間を知っている分、人間の意地汚さを知ることで世の中にも幻滅しようとも思いますが、一般大衆などはバカなものですから、自分の肌で危機感を感じている 人間なんてごくわずかなものです。要するに、自己分析してみれば大衆において危機感を抱く人は持たせられた危機感で半分洗脳されている、といってもいいの ではないでしょうか。

 「個がない」といいますが、それはやはり溢れる情報の中で、他人の築きあげた価値観の中に自分の価値観を埋没させてしまいがちという意味合いがあると思います。しかし、これも宗教や国家といった絶対的な共通する価値観が希薄である限り仕方のないことでしょう。 一体、日本中でどれほどの人間がオリジナリティーからこの国や自分という人間に対して危機感を感じているのかというと疑問です。少なくとも私には「個がある」と勝手に自己分析していますし、「一億総白痴化」などは言語道断、自虐思考のなれの果てです。

 マスコミは危機のあら探しよりも楽観的事項をあら探しするべきです。「生き残りをかけた」だとか「過去最悪」などといった見出しは決して打たないことです。バカらしいにもほどがある。日本人は十分に贅沢です。

 過去前年比がどうであろうと、依然として世界最高水準のモラルと経済力、そして技術力を誇っているでしょ うし。その点、日本人は大いに誇りを持つべきだと思いますし、その優秀な日本人の1人として自信を持って生きていきたいとも思っています。知識を得れば得 るほど辛くなる...なんだか「アルジャーノンに花束を」に似ていますね。ハッピーな全盛を送るには、ある程度バカになることも必要でしょう。失礼な言葉遣 い、大変ご不快な思いをさせてしまったことと思いますがお許し下さい。(河内)


 ●完全に失われたとの主張には賛同いたしかねます
 名古屋在住の松野と申します。いつも辛辣な文章で楽しませて頂いております。完全に失われてしまったという主張には賛同いたしかねます。その時々におい て、美しく、強く輝く美しい行動、美が次々に勃興するのみで、やがては輝きは失われるものと考えます。ただ最近は、人が私も含め、輝きのサイクルを半ば悪 意を持っているかのように短くし、輝きをおとしめることを、興味本意で楽しみ、またその復興を許さない空気が蔓延していることが問題と考えます。(松野)

 ●私も忘れかけていた言葉です
 萬晩報新年初回号 現代日本に大いに欠ける「個」を、しみじみと読ませていただきました。私もここ何年か漠然と思っていたことを明快に書いていただいたような気持ちです。
 「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」
ということは、当時日本人が一番心が豊かであった、ということにもなるような気がします。

 「高潔さ」というのは、私も忘れかけていた言葉です。「個の高潔さ」であるところが重要でしょう。他人に 過剰な高潔さを求めるような誤解は「個の高潔さ」ではないわけですから。また、何かしかられているときに、自分だけは違うと思わないようにもしよう、と改 めて反省もしました。(松島)


 ●悲しいことですがその通りだと膝を打ちました
 私今年で56歳にならんとする典型的日本人サラリーマンでありますが、読後に思わず「そうだ、その通りだ!」と(悲しいことですが)膝を打ちました。役 人どころか日本人全員が「個」どころかそれ以前の大切なものを何処かに置き忘れてしまったとしか思えません。私が東京から浦和に引っ越したのはもう35年 以上前なのですが、あの頃は未だ日本人に「こころ」があったようです。バスに乗っても荷物を持っていれば前に座っている乗客は必ず「お持ちしましょう か?」と声をかけてくれたものです。ものも言わずふんだくられたこともありました。

 今はそんな光景はまづ皆無どころか老人席に足をおっぴろげてふんぞりかえった若者が座っております。携帯 電話は控えてくださいのアナウンスなぞ馬耳東風、きれいな娘さんは黙っていれば紫式部なのにとんでもないアホな話を傍若無人にがなりたてる。品性とか教養 とか知性とかは今やおとしめられかろんじられていると言っても過言ではない。自分だけが気持ちが良ければそれで良し。

 ・・・・いつ頃からみんなそうなってしまったのでしょうか。「自分に素直にであればいい。」なんていうけ ど、それはきちんと常識を身につけて大人の振る舞いが出来てからのセリフでしょう。今や日本人は一億総あかんぼになっちゃたのではないでしょうか。責任は 取りたくないから大人になりたくない、いつまでも子供のままでいつづけたい。TVを筆頭にマスコミに登場する輩はみんなそんな風体です。こんな男女が結婚 すればどんな家庭が出来上がりその集合体である町や県やそして日本という国がどうなるか、ちょっと想像力を働かせれば容易にさっしがつくでしょう。

 このまま行けば日本という国はまさに100年後のアジア諸国の小学校の教科書に「かってアジアに日本とい う繁栄を極めた国があった。ある時人心乱れ国に求心力が無くなり、突然滅び去った」と書かれかねません。勿論、これが杞憂に終わることを熱望するもです。 だって紀元前のギリシャの壁の落書きに「最近の若者はなってない」と書かれてあるそうです。(HIRANO)


 
 田中と申します。大筋では賛成できるのですが、少々思い違いされているのではないかと思い、返事の筆をとりました。(明治国家の政治家や官僚について は)本当に、そう思います。明治という時代は江戸時代の名残があり、日本人は高潔でした。しかし、それを失ったのは最近なのでしょうか。

 (ですが北京の紫禁城の記述については)戦前、今でもそうですが、中国人への差別が日本には確かにあります。それはこのような現状を指しているのではないでしょうか。

 高潔なものが失われて行ったのは最近のことではないと思います。少なくとも昭和初期には都市部から失われてきており、私の感じる限り、そのような高潔な考えを持っている友人は祖父母が明治の生まれです。

 絶対に、バブル崩壊後に日本人が失ったものではないです。そもそもそのような高潔さが日本人にあったならバブル自体が存在しなかったでしょうから。(H.TANAKA)


 ●げんなりした朝日新聞の有馬文相と現東大学長の対談
 久しぶりですが、感想を述べさせていただきます。司馬の『坂の上の雲』という日清日露戦争を扱った小説は特に好きでしたが、彼の暴露していた日本軍の当 時の無能さとその後の異様さは意外と理解されていないんですね。特に日露戦争の誤りの類は、政治家や公務員、経済界に留まらず、学者の間にすら支配的であ ることです。この前の朝日新聞に要約された有馬文相と現東大学長の対談を読んでいるとげんなりしました。

 独立行政法人に関する討論との事で、東大学長の言う世界での化学分野での我が国の国立大学の論文は、論文 引用回数的に世界上位を占めている。として、その環境が牛乳ビンをフラスコ代わりにするような貧弱な環境下で行われている。したがって日本の大学はうまく いっているのであえて改革の必要性はないというものでした。

 これって、なんとなく戦前の考えそのままのような気がしましたので。この東大学長の発言は、竹やりしか持 たぬわれわれは装備抜群の諸外国軍に対し、多大なる戦果を収めている。もしくは日露の戦いでは銃剣突撃の白兵主義が火砲満点のロシア軍を撃破した。あるい はゼロ戦や大和のような偉大な物を生産できるわれわれの科学は十分にその責を負っている。したがって改革の必要性などはない。と言っているようにも聞こえ るのは私だけでしょうか。

 こうした考えはちょっと曲解ととられる場合もありますが、この状態をほっておけば分野によっては低予算のため、危険物の安全管理がいいかげんになりかねない。

 もちろん、この現学長も政府はもっと明確な方針で大学予算を増やせと言ってますが、ダイガクジンの世界は 市場原理から離れるべきだといいます。しかし国民の税金をより投入させるために、ダイガク自体が変わらなければならないことは明白ですが、ダイガクの高尚 な目的のためには国民は金を払うべきだ(ダイガクジンがリスクなしで)との考えがぷんぷんしてきます。これって政治家センセイの議論と何にも変わりません よね。

 こうした考えは日本の学者に特有な物ではないのです。かなり昔の話ですが、アメリカの物理学者が基金構想をぶち上げたとき、「おまえ達(物理学者)は何様のつもりだ。目的のはっきりしない物に税金が投入できるか」と世論の総すかんをうけ、中止に追い込まれました。

 一見まともな理論、息の長い研究、たとえば文系の研究に短期間での業績評価はそぐわないとか言う反論も出 ていますけど、歴史などではたとえ20年かかる研究としても、10年も20年も新発見文書などに関する中間報告が一つも出せないことなどなく、副次的な成 果も少なくとも2年に一本は途中で業績として出せるのです。このことにより、他の研究者が同類の研究に参加しやすくなり、研究自体の裾野が広がる。こんな ことは自明ですが、ダイガクはこの点に答えた例を見たことはない。

 むしろ中間報告など出さされては、せっかく苦労してはじめた研究が、他の研究者にうまいところもっていか れるではないか、といっているようにも聞こえます。もちろん政府案が完璧なわけでもないのですが、日本の言論を支配すべき人たちが、自分の聖域に閉じこも るようでは政界財界など何も変わらないような気がします。

 アステカ帝国などでも、モンテスマ2世による征服直前の中央集権化が進行する前は、平民の罪は軽く、貴族 や公務員の罪は重く罰せられていました。たとえば事実上アステカ法典を作った同盟国王は、食糧難の事態には平民が困窮することのないよう、食物を道のそば で栽培させたりしていまして、そのため、食糧難の平民が、本当に必要なときそれらから糧を得やすいようにしていました。もちろん私欲による盗みは厳罰でし たが。(S Yamase)


 ●青年海外協力隊などに希望の曙光を見いだしているのですが
 全くお説の通りだと思います。企業の経営者、高級官僚、政治家どれをとってみても、自分の失敗の責任をとろうとしない者ばかりです。組織を隠れ蓑にし て、個人の責任を曖昧にしてしまっています。まさに卑怯未練男の風上にも置けない輩ばかりです。(この表現は問題があるかもしれませんが、決して女性なら 良いという意味ではありません。念のため。)

なお、小生は「個の確立」のためには、人間として「志」を持つことが必要ではないかと思っています。現在の日本の政治や経済を動かしている人たちは、ただ 漫然と高い地位や名誉、金銭収入をめざして来たのではないかと思われてなりません。ただこの点に関しては、今若者たちの中に、阪神大震災の時のボランティ アを始めとし、青年海外協力隊や、各種のNGO、NPOなどに「志」を抱いて参加する人が増えているということに希望の曙光を見いだしているのですが、如 何でしょう。(無名)


 ●どうすればこの国を叡智によって政れるのでしょうか
 仰ることが良くわかります、と言う事自体が私に許されるのか自信はありません。私自身、個を確立しているのかどうか自信はないからです。まあ、議題は私のことではありません。次に行きます。

 「代案」を求めるのではないのですが、ではどうすればこの国を叡智によって政れるのでしょう。その処方箋はないのですか。実効性の有る方策はないのでしょうか。

 私は「個の確立」がない、もしくは無くなった説明に次の持論を持っています。非常に微視的ですがと思いま す。新聞記事に「政府筋・・・」「○○省は・・・」とのみあって、誰がとは書かないいつもの匿名報道です。記者自身の匿名もあり、記事中の人物、発言者も 匿名が多すぎます。この匿名性とは肩書き重視の風潮に似た面もあります。責任者出て来い!

 ヤクザ者が役人などを脅して無理難題を押し通すときには、「組織や決まりはよく知らんが、要するにお前だな」とやるそうです。それで大抵のことは通してしまうそうです。ヤクザを比喩に用いるのは少し申し訳ないですが、これって「個」を標的にするんですね。

世の役人や政治家も「個」を確立しないまま「大人」になっているので、精神的には幼稚で脆弱な人々が多すぎるのでしょう。お受験の勝者で占められているこの国の上層部システムですから、当たり前の結果です。

因みに、上層部とは国政の三権は当然として、ジャーナリズムと旧財閥系中心の大企業です。テクノクラートと してはそれなりに優秀ですが、マイクロソフトやサンマイクロやアップルを生むことはできませんし、激動に俊敏に対処はできないでしょう。何よりも責任を 取ってをすることが大嫌いで且つ許されている人々です。

 さて、私の実効性ある処方箋を述べます。数多くの訴訟を起こして、「個」を責めるのです。公権力をむやみに無自覚に使う不届き者達を告訴するのです。

 公権力の乱用には高級官僚だろうと木っ端役人(いまや高級官僚と同義語か)だろうと容赦なく告訴するのです。今話題になっているクロネコヤマトの小倉氏が運輸省を相手に戦って、宅急便を作ったようにです。

 今後の期待は、セブンイレブンの銀行免許を渋る大蔵大臣「おちみちお」と連なる官僚を訴していくことで す。銀行業務に不慣れだからなんて理屈のためのへ理屈を振り回しての力の乱用に国民は怒るべきです。今ならヘッドハントで人材はいくらでも揃いますから ね。変わらずジャーナリズムは沈黙してますね。あほな大ジャーナリズムしか持ち合わせない幸な国民です。大臣様が言うことだから正しいと思っているんです かね。(失礼)

 新銀行の設立は経済の活性化に素晴らしいプレゼントである、セブンイレブンとSONYの英断です。つまり わが国の今後の発展、継続の素晴らしいプランを大蔵一族はつぶしにかかっているのです。セブンイレブンは大事件ですが、小さな理不尽が公共の福祉に反し、 不正儀であれば告訴をすればよいと思います。事前調整型から事後罰則型への小さな政府への道でもあります。

 そのために「告訴のファンド」が作られればよいと思います。資金を集めて訴えを集めて弁護士も含めたブ レーンが協議し、訴訟費用を負担します。勝訴の結果の賠償金はすべてファンドに寄付してもらいます。原告を募集するとも言えます。因みにこのファンドの ホームページ作りましたけど、私のパワー小さ過ぎて何も進展していません。(新原)


 ●平凡な一市民のごまめの歯軋り
 初めてお便りします。萬晩報に付いてはこれまであまり深く考えた事がなく、色々難しい事を考える方々があるのだなあと思っておりました。

 然し、折角の「個の確立」について有意義なご提案が出されたにもかかわらず、この程度の議論で終わるのではもったいないのではないかと思って私も議論に参加させていただく事にしました。

 今日日本人の考え方が極めて軽薄に成ってきている事は疑う事の出来ない事実だと思います。それは実にアメリカによって極めて巧妙に仕組まれた教育の成果だといえると思います。

 明治以来日本は列国に追いつき追い越すためにいかなる国を作るべきか自分の頭で考え、自分の体を張って行 動してきました。然し戦後の日本はその施政権を一時抑えられ、サンフランシスコ講話条約の後も日米安保条約を初めさまざまな通商条約においてもアメリカの 枠組みの中でしか行動を許されず、あまつさえ公にうたわれた「非核三原則」すらも裏の密約が存在して空文化していた事も公然の秘密であります。

 国力を高めるには政治力、経済力、軍事力を高める事が必要だと言うことは万人が認めるところです。しかし ながらわが国においては「敗戦」と言う痛手の後には、まず食べる為の「経済復興」が最優先課題であった為、すべての資源や政策をそこに集中した結果今日の 経済的な繁栄を手にする事が出来たわけです。

 この事は人材についても同様で戦争に負けた結果軍人や政治家になりたいと言う人は大変少なくなり産業復 興、殖産振興の担い手として実業界に、あるいは技術者に、あるいは工員に皆が黙々と働いてきたわけです。その間給料の後払いシステムであるボーナス制度や 退職金制度や企業の歯車としての年功序列制度にも逆らわず、ひたすら生活の向上のため一生かけて企業に忠誠を尽くしてきました。

 日本経済がおかしな方向にぶれ出したのは日本経済の担い手が戦後教育を受けたトップに変わったところからと言う事にお気ずきの事と思います。日本の官僚がお金にまみれてきたのも戦後教育を受けた幹部に代わってから顕著になってきました。

 戦後教育と国旗国歌とはかなり関係が深い事だと思います。つまり戦争に負けた事によってそれまでの日本の 進むべき方向としてきた事は完全に否定されたと思った国民が極めて多く、その後これを一つにまとめる事そのものが間違いであるかのような意見が横行するよ うになりました。日本人の多くが錯覚している事は、「アメリカでは何でも自由で皆勝手に生きられる」と思っている事です。ご存知のようにアメリカの学校で は毎朝星条旗を掲げ国歌を歌い、国旗に忠誠を誓っています。それでなければ誰がベトナムやイラクに死にに行くものですか。

 日教組が国旗国歌法に反対するのはおよそ自分達の考えが如何に浅はかであるかを公に示しているようなもの です。つまり日の丸は戦争の時の海外の被害者にとってイメージが悪いから止めたい。君が代は天皇陛下をたたえる歌だから嫌だと言うのは噴飯物です。それを おかしいとハッキリ説得できない政府もまただらしない。どちらにも失望するばかりです。

 日の丸は戦前の日本のシンボルでした。戦争で負けたからもう使うのは嫌だ、新しい国旗が欲しいと言うのは あたかも「前の社長が借金したものは俺は関係ないから返さない」と言っているようなもので社会正義から言って到底許されるものでは有りません。親父が人殺 しをしたから息子は人殺しの子といわれるのは嫌だから名前を変えたいと言うようなもので、被害者の側に立ってみれば到底許されない卑怯者の言い分です。

 潔く先祖の罪を認めて償いの姿勢を見せてこそ、被害者の気持ちも救われると言うものです。日の丸は「日 本」の意味を表しています。日の丸を否定すると言うことは「日本」を否定する事です。いまさらなんと言う国の名前を名乗るつもりでしょうか。フランス国旗 もイギリス国旗もアメリカ国旗もいずれの国の国旗にも意味があります。日の丸意外にどのような国を表すシンボルを作れるのか。それも卑怯者のそしりを受け ながら。

 国歌は天皇の世が栄える事を歌っているから駄目だと言う。先の戦争は本当に天皇陛下が一人で決断して指示 したものではないことはもうとっくに証明されています。天皇陛下が日本国の象徴として憲法に定められている以上象徴が栄える事が日本の発展を意味するわけ で、現実に天皇は皇室典範にのっとって国事行為を行っている実情からも君が世が栄える事は日本が栄える事と同義であります。未だにドイツの国歌は戦前の侭 「世界に冠たるわがドイツ」であり、フランス国歌は「戦え、殺せ」であり、日本に革命でもない限り国歌を変えるチャンスはないのではないでしょうか。

 日教組が人間の当たり前の路を教えないため、まともな人々が新興宗教に走ったり、奇怪な事件が続いたりし ていると考えるのは私だけではないと思います。しっかりした考えで行動できる筋金入りの人を育てる。それがこの国の将来にとって今問われている大きな課題 であると思うのですが如何でしょうか。その前提に立てば「個の確立」の大切さの見えていないところも見えてくると思います。

 江戸時代には「士農工商」で侍階級が一番偉いとされていました。それが明治になって百姓の子どもでも「武 士」になれるという。「身を立て名を上げやよ励めよ」でした。軍人になって出世するのが戦前の一つの憧れでした。然し現実には明治末期から大正にかけて豊 かな生活ができたのは軍人ではなくて大学出のエリートでした。戦後軍隊が消滅した日本では大学出のエリートに育てる為明治生まれの親達は歯を食いしばって 子どもを大学に入れました。

 世の中は「駅弁大学」などと揶揄されながら「学士」の粗製濫造に走りました。戦前のように豊かな人格を磨 く事よりもいち早く社会に出て「産業戦士」としての駒作りにまい進してきました。その結果今日自分の頭で考えない、自分で責任を取らない、集団でデシジョ ンをする哀れな民族になり下がりました。

 今何故司馬遼太郎なのか。坂本竜馬なのか。それは明治に生きた人々のひたむきな生き様と命がけで国を思う 情熱に対するあこがれとその対極に有る現実の怠惰な目標をバラバラにされた日本の姿とのギャップが若者を明治時代に引き戻していると考えるのは当たってい ないでしょうか。今中国に行きますとまさに日本の万博やオリンピックの頃の勢いで高速道路が出来、飛行場が出来、地下鉄が出来て国民は自信に満ちた活気に あふれています。香港の機能を上海に移して東京に変わってアジアの中核都市にするんだといっています。

 一方日本はと言えばペルー大使館人質事件では自国の国民すらも守る事すらできませんでした。大使館は国際 法上も明らかに日本領土と同じ治外法権の土地であり、もしこれがアメリカであれば当然軍事行動を取るところと誰もが疑わないところです。残念ながらわが国 の自衛隊は「有事」の定義を明らかにするおよそ馬鹿げたレベルなのです。

 相手と喧嘩をするのに胸は殴らない、殴るのは顔だけだと言う馬鹿があるものですか。どこまでやられるか分 からないから相手は降参するのです。それが新聞社の馬鹿は日本の軍事力や装備の内容をでかでかと書きたてて相手に手の内をさらけ出す。こんな軍備で国が守 れるものですか。北朝鮮が、イラクが査察を受け入れない。これが当たり前の国の当たり前の考え方です。もし私のうちのどこにいくらのお金が仕舞ってあって かぎはどこにおいてあるよと書いて発表したら、それは泥棒してくれと言っているようなものです。

 あまり長くなって話の焦点がボケてしまいました。要は私の申し上げたかった事はこうした「当たり前の事」 の定義が国民の間でバラバラになっている中で「個の確立」の議論をしてもその結果バラバラの反応が返ってくるだけで、まずどんな国でも一番先にやっている 国の行動規範となる考え方の基盤を確立する事の方が大切で、戦前の教育ではまず「全体」が有って「個」が存在すると教えた。

 今は「全体」の有り方を教えないから「個」だけが一人歩きしていて、政治家だけでなく皆人気取りに走り カッコよくパフォーマンスする事に一生懸命になり、明日の日本をどうしたいのかといった国家百年の計は置いてきぼりに成ってしまっていると申し上げたかっ たのです。もっと背筋のしゃんとした硬骨漢が現れても良いのではないでしょうか。

以上平凡な一市民のごまめの歯軋りに長々とお付き合い頂きありがとうございました。(Hayashida 2000.01.17)


2000年01月14日(金)とっとり総研主任研究員 中野 有


 年末・年始とヨーロッパで過ごし、久しぶりに世界の中の日本を鳥瞰した。やはり北東アジアの動きが気にかかる。安全保障、経済の両面から展望しても、北東アジアの動向と日本の将来は密接に関連しているように思われてならない。

 冷戦後の地域紛争は、民族・宗教問題や地域間の経済格差に起因しているとすると、日本と目と鼻の先にある朝鮮半島は地域紛争が発生する確率が高い地域である。従って、世界で最も不確実性の高い地域は中近東に並び北東アジアであるとする米国国防総省の分析にはうなずける。

 かといっても、日々生活に追われる市民が、国家や世界観、はたまた安全保障について考える暇はないのが現 実である。しかし、朝鮮半島の問題に関しては、歴史的視点と北東アジアを取り巻く国際情勢を展望すれば、市民レベルで、朝鮮半島の紛争を未然に防ぐ方策を 考え、北東アジアの開発を推進する必要に迫られているのではないだろうか。

 少なくとも市民が国際舞台で通用する政治家を選び、日本が多国間協力や協調的安全保障を模索しながら北東アジアの信頼醸成構築のため明確なビジョンを提示しなければ日本の発展はない。

 百有余年の歴史をひもといてみても、北東アジア特に、中国・北朝鮮・極東ロシアの国境が接する地域は波風 の激しい地域であり、日清・日露戦争、満州事変、大東亜戦争の導火線となった。一方、今世紀初頭のこの地域はシベリア鉄道も通り、インフラ整備も進展し繁 栄していたが、これら一連の戦争や冷戦構造がこの地域の発展を遮断してきた。冷たい戦争が終わり10年が経過したが、北朝鮮を中心とするこの地域は依然冷 戦構造が残り、38度線は技術的には戦争状態である。

 いわゆるこの地域は存亡の激しい地域である。地政学的、経済学的に見ても、中国・北朝鮮の労働力、極東ロシア・モンゴル・北朝鮮の天然資源、日本・韓国の資金・技術力が、相互補完的に機能することにより自然発生的経済圏が生み出される条件を備えている。

 EUやNAFTAに匹敵するだけの経済圏が生み出されるポテンシャルを秘めている。概すれば、北東アジアは発展のポテンシャルと紛争の要因の両方を兼ね備えた地域である。では、どのようにすれば紛争を未然に防ぎ経済圏を構築することができるか。

 それは歴史から学ぶのが一番であろう。大東亜戦争等の紛争を回避する政策は、存在していたのであろうか。 70年以上の歴史を誇る米国の外交雑誌である「フォーリン アフェアーズ」の戦前の北東アジアに関する論文と、満鉄の経済調査局の大川周明の戦後の述懐に は共通項がある。

 それは、日米協力による満州の開発、特に多国籍企業を通じたインフラ整備の推進で「開かれた経済圏」を形 成することができ、それが地域の信頼醸成に直結し、紛争を未然に防ぐことに役立つとの視点である。例えば、日露戦争後、米国の鉄道王であるハリマンは、世 界一周の陸海の交通ネットワークを作るにあたり、日米協力による満州鉄道の整備の推進等を提案してきた。しかし、日本に不利なポースマス条約の影響もあ り、日本の世論が日米協調を拒み排他的政策をとった。

 当時の国際情勢の流れの中で米国との協力は至難の業であったが、仮に米国等を含む多国間協力で大東亜経済 圏の開発が推進されたなら、日本の孤立化によるエネルギー問題は回避できたであろう。そして、歴史の回転舞台が違った方向に回ったかもしれない。歴史に 「もし」は存在しないが、「フォーリン アフェアーズ」の論文に書かれているように戦争回避の分岐点は確かにあった。

 戦後、米国は共産主義封じ込め政策により、日本を安全保障と経済の両輪から支援した。そのきっかけを作っ たのは、米国の若手国務省官僚のジョージ・ケナンの「フォーリン アフェアーズ」で発表されたX論文であった。この論文により無名の外交官が一躍、冷戦理 論の第一人者になり、世界地図に冷戦の設計図が描かれ日本はその恩恵を受けたのである。このように論文やビジョンにより世界が動くことがある。

 現在、世界のフラッシュポイントである朝鮮半島では、米国の包括的アプローチや韓国の太陽政策、また日中韓による北東アジアの共同研究、そして超党派による平壌訪問も実現され、かってなかった建設的な動きが見え始めてきた。

 そこで、日本の役割であるが、北東アジアの開発を多国間協力で推進していくことではないだろうか。日朝国 交正常化は予測より早く実現されるだろう。日本の資金や技術力に加え、リーダーシップが期待される。北朝鮮に対する資金協力は二国間ではなく、多国間の協 力が有効であることから、北東アジア開発銀行構想が注目されつつある。

 日本は軍事で北東アジアの勢力を均衡させるのではなく、協調的安全保障に則った予防外交の担い手になるこ とが肝要である。冷戦後直後のサミットの場で東欧やロシアを支援する「ヨーロッパ復興開発銀行」が生まれた。今夏の沖縄サミットでは、北東アジアのインフ ラ整備を推進する「北東アジア開発銀行構想」が議論されるべき最適の場であるだろう。(なかの・たもつ)


 中野さんへメールはnakanot@tottori-torc.or.jp
2000年01月12日(水)Conakry発 齊藤 清通信員


昨年のクリスマスイヴには、象牙海岸共和国(コートジボワール)でクーデターが実行されました。昨年12月24日付の号外でその第一報をお知らせしたのですが、その後はどうなったのか、というお気遣いの問い合わせをいただいています。

極東の国の大新聞は、西の果ての国々のことなど、丁寧には書いてくれませんし、個別にお答えするのも煩雑過 ぎますので、ギニア在住の不肖私めが、隣国への国境侵犯を承知の上で、いかにも見てきたような少々くさいレポートを、新年早々のお目汚しにお届けします。 いくぶん退屈かもしれませんけれど、少しの時間お付き合いいただければ幸いです。

◆クリスマスプレゼント
1999年12月24日正午近く、アビジャンにあるフランス大使館の正門に、黒っぽいスーツの小柄な黒人を乗せた公用車が、門番に誰何されることもなく、 静かに吸い込まれていきました。事務所に入ったその男は、疲れた表情のままマイクに向かい、ラジオフランスのアフリカ向け放送で流されるはずのメッセージ を、事務的に淡々と読み上げます。

このメッセージは、国民に対する抗戦の呼びかけと、この不法なクーデターに対して、国際機関の救済措置を求 めるものではありましたが、抑揚のない声はすでに訴える力を失っていて、そのどれもが不可能であろうことを、そこに居合わせたフランス人はもとより、たっ た今失脚したばかりの本人自身が良く理解していました。

同じ頃、市内のテレビでは、迷彩服にブルーのベレーをのせた恰幅のいい男が映し出され、「コートジボワールの大統領」と紹介されていました。

次いで画面が切り替わり、どこかの家の庭で、灰色の塀を背にし、シャツをはだけ、疲れ果てて不安げな表情の内務大臣が、「軍はコートジボワールのために働いている」と告げていました。それは「叛乱軍」に一時拘束された前政権の大臣の姿でした。

◆フランスへ行きたしと思えど
翌25日は、フランス大使と「新」大統領との間で、「前」大統領の扱いについての交渉が続けられていました。

そして26日朝、フランス大使公邸で永い二夜を過ごした「前」大統領ベディエ氏は、フランス当局者に対して 改めて「脱出」の意思を表明し、待機していたフランス海兵隊第43部隊の護衛で、フランス大使公邸からアビジャン空港近くのPort-Boueに移動。こ こからフランス軍のヘリコプターAS-555を2機連ねて、家族と共にガーナを越えてトーゴ共和国の首都ロメへ。

年が改まった1月3日、「前」大統領ベディエ氏は、3カ月間の観光ビザで、パリ・オルリー空港からフランスへ入国。

前年3月には大統領としてフランスを公式訪問したばかりの氏は、出迎えのフランス政府関係者に「また来ました」と挨拶。

◆借金依存国家の宿命
この無血クーデターは、表面上は、1999年12月23日朝から突発的に軍の叛乱が開始され、ほぼ24時間後には大統領が交代していた、ということになる わけですが、水面下の動きは当然かなり早くから始まっていました。またその火種についても、時系列的に動きを追ってみます。

国債発行というお玉じゃくしの共食い制度を持たないアフリカのほとんどの国々は、IMF・世界銀行等からの 借り入れを前提としての国家予算を組んでいます。予算の4-5割をも借り入れに依存している自転車操業の発展途上国はザラにありますから、その融資がス トップされれば、たちまちのうちに公務員の給料不払い、借入金の返済遅延等々、多くの障害が発生するシステムが完璧にできあがっています。

蛇足ながら、極東の国債大国の場合は、借換債を含めた平成11年度の国債発行額は79兆円で、国家予算の実質的な国債・借金依存度は、発展途上国の平均的数値をはるかに上回る61%以上になります。

現在では、アメリカの国策銀行であるIMF・世銀のコントロールは、旧宗主国の隠然たる精神的・経済的影響力以上に、直接的にその国の行く末を左右し場合によっては、その政権を吹き飛ばすことのできる充分な腕力を持ってしまっています。

◆しのびよる影IMF
コートジボワールの主要な輸出産品であるコーヒー・ココアの国際価格には、フランスから独立した当時の輝きはなく、80年代にはすでに国の経済を支える力 を喪失していました。それからはご多分に漏れず、長期にわたって経済の不振が続き、遺産を食いつぶす日々が続いていたわけですが、それに加えて、政権の腐 敗を糊塗するために独裁体制がいっそう強化され、国民の不満は当然のように高まっていきました。

そこへ、IMF・世銀という地球規模の権力が、コートジボワールの財政運営の不健全さ、はっきり言えば国庫 金の横領が目にあまる、という理由で、1999年3月から、融資ストップという銃の引き金を力いっぱいに引き絞りました。それまでのIMFの監査では、な ぜか指摘されなかった闇の部分ではあります。

政権の生殺与奪権を握っている巨大な権力が、融資凍結という強力な銃弾を放ったわけですから、その殺人的効果は絶大です。

◆満を持して火を放つ
そうして、時の政権が財政運営に苦しみもがき、同時に腐敗が極点に達して大衆の支持をほとんど失ったその時、元IMF副専務理事で、前政権では首相を務 め、現在は「野党」RDRのリーダーとなっていたワタラ(Ouattara)氏が、2000年10月の大統領選挙への出馬を表明しました。それが1999 年8月1日のことです。

ところで、この対決には、忘れられないひとつの因縁があります。1993年12月当時のボワニ大統領の死去 に伴って、国民議会議長であったベディエ氏が暫定的な大統領に就任した時に、当時首相であったワタラ氏を更迭し、IMFの副専務理事に転出させました。こ のベディエ氏こそが、今回フランスへ「脱出」したあの大統領だったのです。

◆出自をめぐる疑念
「野党」RDRリーダー・ワタラ氏の大統領選挙への出馬表明を受けて、当時のベディエ大統領は、ワタラ氏が提出した出自についての証明書類への疑念をさっそく表明し、もっぱらこの点での攻撃を開始しました。ワタラ氏はその出自に問題があり、大統領になる資格がないと。

西アフリカ一帯での出自についての考え方は、両親双方がその国で生まれている場合に限って、その国でその両 親から生まれた子供がその国の大統領になる資格を有する、というものです。これは、つい少し前に植民地として分割されるまでは、現在の国境とは無縁の伝統 的な支配体制が存在したことから考えれば、あまり適切な輪切りの仕方とも思えませんけれど...。

ともあれ、号外でも触れましたように、ベディエ陣営は、密使に600万FCFA(およそ100万円)を持たせて、捏造書類を調達しようともくろみました。それを公開することで対抗馬の出鼻を叩き、選挙以前に相手を葬り去ろうという作戦でした。しかし、これは露見して失敗。

◆燃え続ける国内
その後も、ベディエ陣営とワタラ氏との綱引きは続きます。しかしながら、コートジボワールのような独裁体制国家では、当然のように政治犯という制度が存在 していますから、大統領の対抗馬がその国内で政治活動をすることは、かなりの危険を伴います。そのため、9月19日大統領公邸での会談を最後に、ワタラ氏 はコートジボワールを離れ、パリに移動します。

この後にも、国内ではワタラ氏率いる陣営が過激なデモをしたり、鬱屈した国民の不満が抗議行動として展開されたりと、しだいに一触即発の状況がかもし出されていきました。氏がリーダーを務める政党RDRの幹部も多数逮捕されました。

ワタラ氏は、「わが国は民主主義を必要としている。そのためには、私も代償を支払う覚悟がある」として、11-12月の帰国を示唆する発言も聞こえていました。

これを受けて、12月8日には、ワタラ氏の逮捕状が発行されました。フランス、アメリカ、イギリス等、少しでも信念を持った大国は速やかにこれに反応して、ベディエ政権に対する懸念の表明と、フェアな選挙を望む声明を出しています。

◆話し合い不成立
そしておそらくは10月頃から、水面下で、ベディエ「前」大統領と軍幹部の話し合いが始まっていました。しかしながら、12月20日頃、大統領自身がすで に当事者能力を喪失したと判断した軍幹部は、「無用な市民戦争を避けるため」に、現職大統領を追い出す行動を最終的に決断します。

12月23日、若年兵士による騒乱開始。空に向けて自動小銃を乱射し、一部の商業地区では、店舗の破壊、商品の略奪をしています。彼らは、単純に待遇改善を要求する示威行為、との認識で動いていました。

ここで、1995年の大統領選挙の後にベディエ氏が正式に大統領に就任した際、軍の参謀長を更迭された経歴を持つゲイ(Guei)氏が、軍幹部に請われた形で登場します。氏の人望は、軍を的確に把握するためには必須のものでした。

そして12月24日朝、ゲイ参謀長は軍の交渉団と共にベディエ大統領と最後の対面をします。その要求には、政治犯として逮捕されている、「野党」RDRのメンバーの解放も追加されていました。

◆暫定政権成立
交渉決裂後は、冒頭でお話ししましたように、国民へのクリスマスプレゼントとしての無血クーデターが成立したわけです。もっとも、ゲイ新大統領は当初、「これはクーデターではなく、革命だ」との言葉を口にしてはいました。

RDRのワタラ氏は、12月29日に避難先のフランスから喜色満面で帰国して、手際良く「野党」RDRのメンバー複数を、大蔵大臣をはじめとする主要閣僚として配置します。

ゲイ新大統領から、政権への参加を要請された社会主義政党FPIのリーダー・バグボ(Gbagbo)氏は、 民主主義の確立のために暫定政府への協力はするけれど、閣外から見守りたいとして、閣僚を送り込むことは固辞し続けていました。これはひとつには、主要な ポストはワタラ氏率いるRDRのメンバーに占められることをはっきりと理解していたためでもあります。しかし1月10日、最終的には6閣僚を送り込むこと に同意。

◆軍事クーデターともいえない事情
RDRのリーダー・ワタラ氏は、「これは私の政府ではない」、「ゲイ大統領は、そのポストに執着しないといっている、できる限り早く大統領選挙が行われる だろう」と言明し、同時に、前政権によってこじれたIMFとの関係修復を、まず最優先の仕事にすべきである、とも発言しています。

ワタラ氏は否定しているものの、暫定政権へのみごとな参入ぶりと周辺の動きを追ってみると、ワタラ=軍、の連携プレーが透けて浮かび上がってきます。

例えば、暫定政府の大統領となったゲイ氏は、11月はパリに旅行していて、クーデターの発生する半月ほど前に帰国した後、故郷の村で「待機」の体制に入りました。これは、パリでの「打ち合わせ」があったと考えるのが自然です。

いうまでもなく、ゲイ氏、ワタラ氏は共に、独立後のボワニ大統領の時代に、参謀長、首相を務め、次の政権成 立時にはほぼ同時期に更迭された人物でもあります。また、今回、内務大臣、外務大臣のポストについた幹部軍人は、ワタラ氏が首相だった時代の護衛担当でし た。この二人がワタラ氏と同地方・同部族の出身であることも、この国では忘れてはならないキーポイントです。

◆ひとりごとですが
昨年4月にはニジェール共和国大統領の暗殺。5月には、ギニアビサウ共和国大統領の国外追放。そして12月には象牙海岸共和国で現職大統領の国外脱出。ど れもが、まったく似たような国内状況で起こったクーデターでした。さらに西アフリカには、これらに似た状況の国がまだいくつか存在していることを考え合わ せると、この2000年も目が離せない地域ではあります。

 また、今回の「象牙のクーデター」は、「IMFの実験」がみごとに功を奏したモデルケースとして、借金依存国家の政権担当者に、見たくはない悪夢を送り続けることでしょう。(『金鉱山からのたより』2000/01/11 第26号から転載)


*以上の記事は、BBC、CNN、RFI、AFP、Le Monde、Jeune Afrique、現地紙、ギニア紙、独自の材料等を参考にしています。

*コートジボワールの首都は正式にはヤムスクロ(Yamoussoukro)になるのですが、実質的な首都機能はアビジャンにあります。国の羽振りが良かった時代に、首都をヤムスクロに移転してはみたものの、今では目障りな存在になってしまいました。

*(少し)参考になる日本外務省の資料:http://www.mofa.go.jp/mofaj/world/kankei/f_cote.html


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2000年01月09日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 きょうは『萬晩報』の発刊記念日である。丸2年よく続いていると我ながら感心している。世の中が順風満帆だったら、続くどころか、そもそもこんなコラムを書き始めたはずもない。逆説的に言えば、世の中がおかしいから萬晩報が生まれ、発行が3年目に入ったのである。

 萬晩報は当初、20人の読者から始まった。親しい友だちに一方的に送りつけたメディアだった。その20人はいまでも読者でいてくれている。きょうその数が16500人を超えた。ちょっとしたものだという自慢をしてもいいと思う。

 記念すべきこの日は尊敬する新聞人である桐生悠々について書きたい。

 ●誰も非難しなかった陸軍の大演習

 桐生悠々は「関東防空大演習を嗤う」というコラムを書いて信濃毎日新聞の主筆の座を追われた。1934年 のことである。時代は満州事変を経て日本が国際連盟を脱退するまで追い込まれていた。「関東に敵機をを迎え撃つということは敗北そのものである」と当たり 前のことを書いただけで陸軍の憲兵ににらまれた。

 戦後になって抵抗の新聞人としてその反骨精神を評価された。当時マスコミがこぞって、そんな防空演習のばかばかしさを書きたてれば時代は変わったかもしれない。だが、朝日新聞も毎日新聞もばかばかしいと書かなかった。桐生悠々だけが「嗤う」と書いた。

 その後、桐生悠々は媒体(メディア)を失った。名古屋で「他山の石」という個人雑誌を発行して糊口をしのぐことになる。1934年6月から第二次大戦直前の41年8月まで、書くべきメディアを失っても書かなければならないことは書こうという姿勢を貫いた。

 発行は月に2回、全176冊。はじめは「名古屋読書会報告」という名で発行され、翌年から「他山の石」に 改名した。1冊のボリュームは平均32ページほどのパンフレットだった。ほぼ月に2回、300から500の会員に毎回郵送した。当時インターネットなどと いう媒体はない。

 ●悠々が伝えた欧米知識人の関心事

 当時、欧米で注目を浴びていた洋書を取り寄せてその要約を掲載した。足掛け8年間で100冊以上の洋書を 紹介した。海の向こうでいま欧米の知識人たちが何を考えているか、日本やアジアをどのように見ているか、桐生悠々が「伝えざるをえない」と考えたものばか りで、本来は当時の日本政府や軍部の中枢が読むべき内容だった。

 還暦を迎えた桐生悠々は自ら要約し、自ら割付をして、印刷屋に持ち込み、妻の手も煩わして袋詰めして郵送した。検閲制度があるなか、8年間、しかもひとりで書き発信し続けたのは偉業である。

 桐生悠々は1910年に山路愛山の後任者として、信濃毎日新聞の主筆として迎えられ新聞人としての素養を 開花させる。その後、新名古屋に移り、再び、信濃毎日に戻り、13年の「戦う論説委員時代」を過ごして、1933年8月11日に書いた「関東防空大演習を 嗤う」を最後に言論の場を失うことになる。

 戦争に向かって報道官制を強めていた時代の中で、食うために始めたこの「他山の石」も度々、発行禁止となり、削除を求められた。前途多難のスタートだった。

 残念ながら「他山の石」を直接は読んでいない。井出孫六氏が著した『抵抗の新聞人 桐生悠々』(岩波新書)の記述をたどると次のような書名を並べることができる。

ハロルド・ラスキ 『国家の理論及び実際』  J・A・スペンサー 『イデオローグの時代』
  『平和の経済基礎』  J・P・ワンバッセ 『組合と労働運動の関係』
オーエン・ラチモア 『衝突の揺籃・満州』   『組合的民主主義』
W・マクドゥーガル 『渾沌たる世界』  F・A・リドレー 『民主政治と独裁政治』
G・スタイン 『日本製の脅威』  T・W・マルサー 『資本主義に代わるもの』
  『関東軍と満州』   『戦時の英国消費組合』
W・H・チェンバレン 『極東の巨人・日本』  H・G・ウェルズ 『世界の新秩序』
  『米国人の観た日本人』  A・クローズ 『外人の観た荒木大将と林大将』
A・プラマー 『植民地分配論』  E・J・ヤング 『強くして弱き日本』
G・ビーンストック 『支那と列強』  P・ティルネー 『誰が此戦争に勝つか』
M・プランク 『自然の因果性』  ポール・ヴァレリー 『狂気に対する理性の戦い』
R・ディヴィス 『1960年の日常生活』  ノーマン・エンゼル 『戦争廃止の教育的及び心理的要素』
(赤字の要約は発行禁止や削除を命じられた)

 新紀末を迎えて、やはり日本と世界の関係を考えざるをえない時代がやってきた。

 ●求められる新しいメディアの登場

 現在、われわれが住む日本に国は露骨な言論統制はない。公序良俗に反しないかぎり、言論の自由が許されて いる。だが戦後の日本には新しい新聞が生まれていない。「夕刊フジ」「日刊ゲンダイ」が一応の成功をおさめたが、娯楽紙に近い。一時期、成功したかにみえ たのは愛媛県の「日刊新愛媛」ぐらいのものだ。

 「日刊新愛媛」は、来島ドックの故坪内氏が20年ほど前に宇和島市の小さな地方紙を買収して県紙として発 刊したもので、「愛媛新聞」に対抗しようとして敗れた。共同通信の記事を極力多く使い、記者に初めて和文タイプのようなワープロを打たせて省力化を図っ た。カラー印刷を多様した点でも斬新だったが、一方で「坪内新聞」との批判もあった。

 メディアとして多くの読者を得て成功するには資金が要る。新聞だと印刷機が必要で、販売網も欠かせない。テレビ・ラジオは放送施設に莫大な金がかかるし、運営のために広告取りも不可欠となる。新しいマスメディアが生まれにくい背景にはそんな事情がある。

 だが本当にそうであろうか。戦前には地方にも複数の新聞が存在し、お互いに紙面を競っていた。場合によっ ては憲政会と政友会という政党に分かれて世論形成も行われていた。それが戦争目的にで1県1紙を強制され、そのまま県紙として生き残った歴史がある。同盟 通信は戦後ただちに財閥解体によって共同通信と時事通信、電通に分割されたが、分割の威令は地方のメディアにまで届かなかった。

 ●日本にほしい世紀を打破する新メディア

 日本で新しいメディアの登場を阻んでいるのは新聞の地方独占かもしれない。最近そんな気がしている。

 メディアの経営は難しいといわれているが、地方における地元紙の経営はけっこう盤石である。四国でも九州でも「新聞」といえば地元紙のことである。シェアは70%から80%もあってまず競争がない。ついで放送局を併せて経営するところも少なくない。

 朝日と読売が何回か攻勢をかけて拡販を目指したが、いまだに揺らいでいない。北海道新聞から沖縄タイムズまで合計すると発行部数は2000万部を超す。つぶれたのは滋賀日日新聞、東京タイムズ、福岡日日新聞など大都市圏に近い新聞だけである。

 だが、目を世界に転じると、アメリカではこの20年に「CNN」という新しいワールドワイドはテレビ局が 生まれ、「US Today」という全国紙も登場した。オーストラリアの地方紙のオーナーだったマードック氏が欧米のメディアが席巻した。また香港ではアジアサット衛星に のせて新しい「スターTV」がアジアの情報をシャワーのように流すようになり、「萍果」(リンゴ)という新聞が影響力あるメディアとして誕生した。

 この20年に生まれた世界の新しいメディアはすべて既存の概念を打破し、サービスエリアも既存の国家や地域から脱したところにその成功があった。日本にも世紀を打破するような新しいメディアがほしい。


2000年01月06日(水) 萬晩報主宰 伴 武澄


年初来、ことしのテーマについて考えてきた。ミレニアムという歴史の一大通過点であるにもかかわらず、マスメディアは今年に限って新たな指針を打ち出していない。確か去年はあったはずなのだが、1年を経て思い出せないということは大したテーマでなかったのかもしれない。

  萬晩報は「個の確立」を掲げたい。

  4年前、大蔵省の幹部に対する過剰接待という不祥事が相次いだ。その前には厚生省のエイ ズ問題があった。いまは神奈川県警の連続不祥事である。すべて犯罪となった。東海村の放射能事故に対する科技庁の危機管理能力の欠如も不作為とはいえ公務 員の犯罪のはずだ。極めつけは横山ノック大阪府知事である。すべて「個」の欠如としたい。

  20世紀後半の日本社会の牽引車は経済だった。政府の指導の下で繁栄の時代を築き、最後の10年で多くを失った。失ったものが経済的繁栄ならば回復は難しくない。だがわれわれは最後の10年で日本人を失ったのである。

  この10年、企業トップと官僚による責任回避が特に際立った。企業や国家を運営する場合、問われるのがリーダーシップだが、能力なき指導者による経営破たんが犯罪であり、官僚による不祥事の秘匿も犯罪であることが常識となった。ともに破廉恥罪である。

  ●司馬遼太郎が本当に叱ったのは自称「司馬ファン」たち

  3年前の取材ノートをめくっていたら、1996年2月17日の項に司馬遼太郎氏の死に言及した部分があった。「現代日本に欠ける『私』感覚」とあった。そのころ取材ノートにときどき「一日一言」と称して文章を書き連ねていた。

  まずは4年前に書いた「現代日本に欠ける『私』感覚」を読んでもらいたい。

  昨年前半、よく書いた「一日一言」を再スタートしようと思う。日本という国に対して愛想をついたのがこの「一日一言」への執筆意欲の減退につながった。

  良識ある国民はもはや怒りを通りこしたというのが実感であろう。どちらを向いても救いがない。しかし日本人として、言論人の一人として、ただ事態の成り行きを看過するわけにはいかない。

  その経緯は司馬遼太郎の死にあるのかもしれない。2月17日、憂国の作家が死んだ。晩年、小説を書くのをやめ「街道をゆく」で土地土地の歴史を掘り起こし、歴史評論で日本を叱り続けた。

  政治家や官僚にも経済人にも自称「司馬ファン」は少なくない。しかし、叱られているのが 自分のことだとは誰も思っていない。恥じ入ることもない。日本という国家を1億総白痴にした責任は誰にあるのか考えようともしない。それもそうだろう。司 馬遼太郎に叱られているとさえ感じていないのだから。

  司馬遼太郎が「明治という国家」のなかで明治の政治家や官僚について度々言及している。「透き通った格調高い精神でささえられた・・・」という形容詞を与え、国家運営に当たった人々の人格を高く評価している。

  いま日本が必要としている人間像を明治という時代に求め、現在の日本人を励まし続けた。しかし、誰もそのことには気付かず、歴史小説の主人公にひたりきって司馬文学を楽しんだだけだった。

  評論家もマスコミも、政治家も欠けているものがあまりに多すぎるが、ひとつ挙げよといわれれば「私」だと思う。私的行動や私的言論を奨励しているのではない。行動や言論の原点に「私」が欠けているため、何事においても責任感が生じない。

  菅直人厚生相(当時)が偉かったのはおのれの感性で1980年代前半のHIV感染に対する国家の犯罪を認め、率直に謝罪した点ではなかろうか。こんな政治家が一人でも多く出てくることを望まないわけにはいかない。

 菅直人氏の評価に関しては甘かったかもしれない。だが、当時の菅直人氏はやはり輝いていたはずだ。首相にしたい政治家のナンバーワンだった時代もあった。

  ●90年代が失わせた高潔という日本語

  年末から年始にかけて、何冊化の本を読んだ。塩野七生氏の 「レパントの海戦」とシュリーマン「シュリーマン清国・日本旅行記」はおもしろかった。

  塩野七生氏の「レパントの海戦」は1571年にベネチア、スペインを中心として連合艦隊 がオスマントルコを破る物語である。その前の年にも同じ連合艦隊がトルコ海軍に向かうのだが、当代一とうたわれたトルコ海軍の前に一戦も交えずに帰国す る。その時のベネチア海軍の総司令官ザーネはただちに職務不履行の罪に問われ、裁判にかけられて有罪となる。

  当時のベネチア共和国は貴族による共和制をとっていた。貴族の子供は一定の年齢に達する と議員や官僚になる資格が与えられた。しかし、信賞必罰は厳格だった。責任をはたさない者への処罰は特に厳しかった。なるほど数世紀にわたり地中海の制海 権を握っただけの国家だったのだ。

  シュリーマンはトロイ遺跡を発掘したことで有名なドイツ商人である。40代で考古学を正式に学ぶ前に世界一周の旅に出て、中国と日本のことを旅行記に書いた。北京の紫禁城の記述が印象的だった。巨大な城壁であることを記した後でこう書き記した。

  「城壁の中をに見ようと、隣の塔へ登った。二階建ての宮殿、それより やや小さいいくつかの宮殿、寺々、そしてどっしりとしたあずまやを配した広大な庭園を見ることができた。すべてが顧みられず、いままだに朽ちようとしてい た。伸びるがままの草木が、宮殿の青や緑の瓦や寺々、あずまやを埋め尽くしている。庭にしつらえられた大理石の橋も、多少とも崩れていないものはない」

  王朝の末期症状がこれほどとは思わなかった。シュリーマンは1860年代の中国の印象として「無秩序と頽廃、汚れ」と表現しているのに対して、その次に訪れた日本に対しては正反対のことを書き連ねている。

  「日本人はみんな園芸愛好家である。日本の住宅はおしなべて清潔さのお手本になるだろ う」「日本人が世界でいちばん清潔な国民であることは異論の余地がない」「彼らに対する最大の侮辱は、たとえ感謝の気持ちからでも、現金を贈ることであ る。彼らは現金を受け取るくらいなら切腹を選ぶのである」

 いまは完全に失われてしまったかつての美しい日本の描写がある。明治をつくったのは江戸時代の日本人である。高潔な個が日本にあったとするのは司馬遼太郎だけの思いではなかったのだ。

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