1999年11月アーカイブ

1999年11月29日(月)萬晩報主宰 伴 武澄


 【橋本首相を評価する日が来る】毎回興味深く読ませて頂いてます。この国全体が陥っている借金漬けの体質は救い難い状況に見えます。火だるまとなって財政再建を目指して選挙で大敗し、燃え尽きてしまった前橋本首相を引き擦り降ろしてしまったのは他ならぬ我々有権者自身なのです。

 遠くない将来に橋本首相の目指した政策が財政破綻の反動として評価されるであろう事を 予言しておきます。タコが自分の足を餌にするような愚挙が続く果てに何があるのか長い間疑問に感じていましたが、物心ともに近眼の小生にもおぼろげに見え てきました。伴氏の憂える通貨不安とハイパーインフレですね。

 ハイパーインフレは敗戦直後にあったやに聞いてますが1953年生まれの小生にはピン と来ません。通貨不安については、以前に南米の国が通貨不安に襲われた経緯があったように記憶していますが、それらの外国の事例などから財政破綻の具体的 な姿を見せてもらえないでしょうか。氏の鋭いペン先に期待しております。(大山政典)


 【円高で潤う企業に注目したい】日本丸が行く方向は? 国債、民間の不良債権を始末、整理するため?日本政府はインフレを起し、再度バブルを企画しているとしか思えませんが?われわれ小市民が生活を守るためには、いかに自己防衛をすれば良いのか?

 国債を大量に起債されることにより、基本的に金利が上昇し、一時期は円高に行き、円高の恩恵を得る企業は円安より多いように思います。円安の恩恵をこうむる企業は、大手企業だけと思います、円高により潤う企業の内容に注目してみてください。

 今回の不況の一部は90円の円高から、140円の円安に振られ、市場は不況で為替の差額を販売価格に転嫁できず、リタイヤした業者は大半が中小企業でしたし、生活関連の消費財取扱い業者であった。この影響は大変に大きかったように思いますが?

 円安で恩恵を受けた業者は、恩恵を内部保留したように思います、円高の恩恵を受けた業者は大半が吐き出したように思います。本来円高は喜ぶべきことなのに、日本政府は大手企業の為に税金を使い円安にする事が問題にならないのが不思議です。(東谷)


 【国民の論議を喚起してほしい】国債が国を滅ぼす、といった類いの本を至急発行され国民の論議を(関心)喚起させて頂きたいです。不安から目をそらしてはいられない気持ちです。(横田昌樹)
 【借入金は収入では?】いつも楽しく読ませていただいています。突然のお願いで申し訳ありません。
            民間企業が「収入の部」に「借金」の金額を盛り込んだとした
ら間違いなく社会的失笑を買うだろう。家計とて同じことだ。と
ころが大蔵省の論理ではこの「赤字」が「収入の部」に計上され
ているということなのである。
 この部分が少し説明不足なので、補足していただきたいのです。通常の家計簿や企業の貸借対照表にはきちんと収入の部に「借入金」の項目があると思うのですが。借金は収入の部門だと思います。

 予算で入ってくる金で何が出来るか?を考えずに自分たちのしたい事を列記して、それに借金で合わせるという予算の作り方をするならわざわざ収入を支出を合わせる必要がないと言うのなら分かりますが。収入を基礎に予算を計上する場合は収入と支出があっていないと困ります。

 それとも僕の認識で何処か間違っているのでしょうか?誌上でも構わないので説明お願いします。それではこれからも含蓄ある紙面楽しみにしています。無礼お詫びいたします。(たる 神戸市)

 【萬晩報】お返事します。企業会計の貸借対照表(バランスシート)上では借金は「負債の部」に計上します。  収入とか支出は会計年度内でのお金の出入りですから、損益計算書に計上されます。その差し引きが「当期損益」です。収入が足りないときは「損失」つまり「赤字」となります。

 この場合、その年度に借り入れた金額は損益計算書には直接計上されませんが、赤字になった場合、蓄えのない企業はどこからか借金していることになり、バランスート上の負債の部のどこかにその金額が出てきます。

 借金の形態の一つである未払い金は取引先に対する借財で支払い手形は間接的に銀行に対する借金となります。(伴 武澄)


 【やはりハイパーインフレか】政 府の国債発行については、以前から不信に思っていたのですが、やはり赤字の付け回しだったのですね。このまま行くと、財政破綻→円の信用失墜→スーパーイ ンフレという展開になるのでしょうか。もし、頭の良い高級官僚の方々が、財政赤字、不良債権などの最高の解決策としてこれを考えているのでしたら、恐ろし いことです。無意味な穴掘り仕事で荒廃した国土で、途方にくれるのは、我々市井の人々なのです。せめてもの対抗策は外貨預金などを通じて、少ない財産のリ スク分散を計ること、あるいは、この国を見捨てて海外へ出て行くことなのでしょうか。後者の選択は、この政府によりかかっている人たちを見返すには絶好と も考えられますが、故郷がなくなるのは許しがたいことだと思います。(愛知県 宮島朗)
 【ありがとう】今日もわかりやすい記事をありがとう。私も、全くその通だと信じています。今後の記事にも期待します。(東京都 吉田寛)
 【借金は借金】伴 さん。菊池 at Vancouver です。毎度 気持ち良く拝読させていただいております。今回の「国債発行」に関する 貴意は私も前から指摘しているところです。会計のバランス・シートは 少なくとも自由経済社会で共通するものがあります。これに準じて報告されなければなりません。商法でも「社債」は「負債」の項に入ることに成っているとお もいます。「借金」は「借金」とはっきり言わなければ 後継者がまごつきます。では お元気で。(Vancouver 菊池とおる)
 【景気対策は行政の圧縮で】初 めて、お便りします。実際これらの話になると、頭に来て言葉が出なくなってしまいます。政府のばらまき税政には呆れて物も言えない状態です。減税の財源に しても、長銀の救済資金にしても、いくらでも財源が在ると思っているような、あるいは「無能」としか言えないような「目先の変化しか期待できない」政策が 罷り通っている。赤字決済の付けは誰が払うのか?

 ODAにしたってそうだ、実際に困っている人の所には何割が届くのだろうか。景気刺激の為の地域振興券は効果があったと考えているのだろうか?(国民の大方は効果など無いと認識している筈です)

 先日の文には、「小渕首相に国債の連帯保証人を」と言うものがあったが、全く同感である。国民の税金を使って(あるいは、今後の税負担となるもので)ばらまいた金額とその効果を比較し、はっきり国民に示して欲しいものだ。

 まじめに働いて、黙って税金を取られているサラリーマンとしては、どうやって鬱憤を晴 らせば良いのか、脱税ぐらいしてみたくもなる。国民としての意志表示の場は選挙にしか無いのだが、政治への批判票の投入は選挙権を得てからずいぶん継続し てきたが、効果を上げていないようです。政党も政府批判が弱い。どこも確たる方針を持っていないように見える。

 本来は、景気対策は行政の圧縮(経費節減、民営化促進、国政の軽量化)によってなされ るべきであるとおもうが、予算を立てるのが、役人では一向に改善されることは期待できない事なのかも知れない。地方の予算にしてもそうですが、一旦掴んだ 予算は絶対に減らさない。無駄と知っても使わなければ損だ。という風潮がある。(これは、会社の中でも在ることはあるのだが)

 こんな日本の現状を見ると、なんて馬鹿な国民が多いのかとウンザリするが、少しでもも がいて、少しでいいから納得出来る方向へ政治を向けて行きたいと思ってます。萬晩報を応援しています。さらに論調を強めて、もっともっと啓蒙の輪が広がっ てくれることを祈ります。(千葉県 大和久芳治48歳)


 【100円、500円紙幣について】萬新報の記者に登録しながら無沙汰をして居ります。さて日本では馬鹿の様に2000円札の発行が紙面を賑わせて居ますが一般国民はあまり関心が無くかえって使用の間違いを心配しております。

 そこで、何故百円紙幣、五百円紙幣を発行しないのか?手間がかかる、コストが高いなど言われますが米ドルは35%以上が1ドル紙幣です。ユーローでも500から発行しています。

 今後の日本が発展途上国に目を移したとき、1000紙幣は大金です。貨幣価値として 10倍、50倍に匹敵する地域も有ります。チェンエン、チェンエン(千円)と物売りが叫ぶ東南アジアの民衆には1000円は大き過ぎ、月給の何倍にもなる 価値有る紙幣です。1000円では彼らは釣り銭すら持ち合わせて居ません。例えば100円の菓子を買うために五万円の紙幣を出すようなものです。

 少なくとも100円・500円紙幣を発行する事により途上国に円が浸透して、円の力も強くなり何兆円と言う「円」流通の力が生ずる筈です。或る日銀の責任者、経済研究所の先生に尋ねても考えが至らないようですが2000円紙幣を発行する前に至急検討すべきでは。

 今回の台湾の地震に対してドネーションの準備をしたところ、日本円でなく米ドルで送金を要望されました。矢張り、日本円は紙幣が1000円以上のため円の力が不十分で不便なことを実感させられました。

 小額紙幣の発行は「円」を強くするための最大の武器であり、世界経済に浸透する為に少 々のコスト的負担があっても其の力は絶大と思いますが。日本国内のコップの中の景気、不景気を論ずる以前の問題と思います。何とか此の状況を至急発信して 見る必要は有りませんか。穿った見方をすれば米ドルを保護するための100・500円発行停止としか考えられませんが。(山岡正嗣)


 【与党が全員連帯保証人になれ】日本の世の中も経済も何かおかしい、まだ膿をだしっきていないこれは与党の政治家全員が連帯保証人になれば良い、絶対そうすべきだ。(Kagawa Kouichi)
 【日米産業振興策の違い】いつもメールマガジンを読ませていただいております。都内に勤めている加賀と申します。

 今度の国会は「中小企業国会」と言われ①景気停滞で経営の苦しい零細企業への年越し対 策②日本の次世代を担う新規ベンチャー育成による経済の「新生」が目玉とされているとの事です。ご指摘のように、公共事業については、「15ヶ月予算」の 名の下に年度内の消化不良をうやむやにしてしまう目論見のようです。

 さて、私が指摘したいのは、「経済の刺激策として従来型公共事業にいったいいくら投資したら効果があがるのか?」という点です。換言すれば、「何十兆円ものお金が、無駄に消えていった上に、本当に必要な投資がなされていない。」ということです。

 アメリカの産業振興策として、最近注目されているのが、「大都市型産業振興策」です。 特に、情報通信関連の産業を、大都市で振興させようというまことに理にかなった方策を官民一体で講じています。「シリコンアレー(横丁)の作り方」エコノ ミスト 99.11.23 60-61項

 日本は、長野県丸子町、岐阜県大垣、岡山、高知、大分、沖縄等、大物政治家のお膝元などに、マルチメディア振興と称して100億円規模の大型設備を建築し、閑古鳥が鳴かせています。

 東京都や大阪府でこそ、このような設備の整備と民間団体との共同による振興活動が行われるべきなのに、「都は当該分野で国の補助金を貰ったことがない。」との理由で、見送られています。

 財政破綻目前だったニューヨーク市の場合、そんなに多くのお金を投資していないはずです。それで、多くの企業が興こり、また株式上場を果たすなど具体的効果を上げています。

 従来型公共事業は、自民党の選挙対策とも言われて久しいのですが、それ一本に頼ることで、結果として大都市圏の自民党議員の全敗を自ら招いていることをそろそろ気が付いても良いのではないでしょうか?(東京都 加賀)


 【庶民の通貨感覚がマヒする】同 感です。更に言わせて戴くならばデノミの発想です。その目的は判然とせず、単に通貨の呼称のみ変えようとし、これに伴うバブルの尻押しに似た2000円札 発行と同じ意味(非常に矛盾した内閣の独善行為)を持ち庶民の通貨感覚を麻痺させ多額の負債のごまかしを意図するものとしか考えられず、これによって生ず る社会的な不安混乱を無視した為政者の暴挙としか考えられません。小生は決して波風の立たない社会情勢を好んでいるわけではありませんが、全く国民不在の 内閣としかいいようがなく、お人よしの表面的な態度で小手先で目の前のエサで人をごまかす慇懃無礼のやかたとしか思われません。(石巻市 千葉松次郎66 歳)
 【このようなメルマガが大切な時代】はじめまして。いつも楽しみに読ませていただいてます。今回の内容について思うところがありメールを送ることにしました。

 公共事業による景気浮揚策自体がすでに動脈硬化を起こしていることを政治家や役人が知らぬはずもなく、ただ己の利権を維持するために国債をばらまき、税金を使っているとしか思えないですね。

 私は別に左翼でもなく、むしろ現在の国力が安定する方がいいと思いますが、日本のマス コミが東南アジアや中央アジアでODA等に絡んで賄賂の受け渡しがあった話を取り上げると税金が無駄になったような気がするが、今回のような経済対策の内 容では日本国内の方が実体はもっとひどいのではと思ってしまいます。

 つぶした銀行と残した銀行の区分けもなんか釈然としないです。すべてのことは国家や国民全体のためではなくて一部の人のため行われているとしか言いようがないのではと考えている人も多いのではないでしょうか。

 個人から多くの人に対してメッセージを送るこのようなメルマガが大切な時代なのかもしれません。今後ともご活躍を陰ながら応援させていただきます。(岬日出男)


 【信用のない連帯保証人】[この際、小渕総理に国債発行の連帯保証人になってもらうしかない]こんな信用のない連帯保証人が付いているような債券を買う人っているのかしら?(太治信義)
1999年11月26日(金)萬晩報主宰 伴 武澄


11月23日に引き続き、国債発行のルールを解説したい。
 「国債発行の無意味なルールとルール違反(1)」の続きである。

 (1)借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 (2)禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 (3)境界線が見えない赤字国債と建設国債
 (4)無尽蔵であり得ない国債発行
 (5)大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反
 (6)国債依存度の無意味なパーセント

 ●無尽蔵であり得ない国債発行

 小渕政権の1年半をみていると、この政権は無尽蔵に国債を発行できると考えているようだ。先ごろ鳩山由紀夫・民主党党首が国会で「あなたが首相に就任してからどれだけ国債を発行したか知っていますか。50兆円ですよ」と追及していた。

 どんな国でも無尽蔵に国債発行できるはずはない。巨額の発行はまず金利上昇を伴い、景気に逆効果をもたらすと考えるのが普通である。ついであまりにも巨額の発行だと買ってくれる相手がいなくなることを心配しなければならなくなる。

 逆にいままで買ってくれていた人が将来を心配して市場で売り浴びせるという不安もでてくるはずだ。最後に襲うのが通貨価値の下落とインフレである。

 日本の民間銀行が危機に陥ったのはまさにこの3つの理由によるものだ。大手F銀行などは銀行間市場でその日の資金を調達できずに何回か"不渡り"寸前になったことがあるのだ。

 ところがこの国では"不渡り"どころか資金調達難に陥ったという報道すらない。政府が発行する国債を日銀と郵便局の資金で買っていたからである。だからこれまでは金利上昇を心配することも買い手がいなくなることも心配する必要がなかった。

 昨年秋、大蔵省が抵抗して宮沢蔵相に「財投資金での国債引き受けをやめる」と言わせ、長期金利が急カーブで上昇する局面があり、巨額の国債発行と金利上昇がトレードオフにあることがようやく世間で認知された。

 だが結局、財政資金による国債引き受けをやめることはできなかった。ちなみに財政資金とは主に郵便貯金を運用しているところである。政府が発行する国債を国の機関が買っていたのだからもはや開いた口が塞がらない。

 困り果てた大蔵省は次に何を考えたか。10年物の長期国債の発行が長期金利上昇につながるなら、5年物や3年物で発行したらどうだろうという発想にたどり着いた。だがこの発想も幼稚である。金利の世界で長期と中期がまったく別の世界であるはずがない。

 とにかく今回の補正予算では7兆5000億円の国債の半分以上を5年物でまかなう方針である。

 いまの金利が5年後も続くとは考えられないから、金利上昇の先送り策ともいえる。なぜなら5年後にまた借り換えを必要だからだ。何遍も言ってきたがこの国は国債の元本を返済したことがない。

 ●大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反

 償還ルールについて書こうとしているうちに横道にずれた。国債発行の基本的ルールはま ず「毎年予算編成時に国債発行残高の60分の1を国債整理基金に繰り入れる」ことが求められている。今年度だと年度末の残高がほぼ300兆円だから5兆円 を繰り入れる必要があった。しかし今回も財政難を理由に見送られている。

 もうひとつのルールは「剰余金が出た場合、半分は国債の償還に充てなければならない」 ということだ。最近は剰余金など出るはずもないのだが、1980年代後半に、NTTの株式を売り出した時、予想外の高値で売れたため、2年間で7兆円近く に剰余金が生まれた。しかし、剰余金は一銭も国債の償還に充てられていない。

 何に使ったかと言えば。NTT株式の譲渡益を活用した公共事業である。景気対策である。もともとは自治体や第三セクターに無利子融資したものである。NTTの売却益が雲散霧消してしまったことについて政府は一切の口をつぐんでいる。

 ●国債依存度の無意味なパーセント

 第2次補正予算によって、今年度予算の国債依存度(歳入に占める国債の割合)は最終的に43%にものぼることになった。マスコミは「過去最高」と危機感をあおっている。だが、本当はもっと恐い状況になっているのだ。

 82兆円の当初予算の歳出に今回の補正予算6兆8000億円を加えると最終的にほぼ89兆円規模となり、国債発行額は31兆円プラス補正分7.5兆円で38兆6160億円におよぶことになる。

 当初予算の歳出が82兆円といっても内訳は「国債の金利費」がほぼ20兆円で、「地方 交付税交付金」13兆円も国の支出とはならない。47兆円という「一般歳出」だけが国の政策的経費である。政府が発表している国債依存度というのは予算総 額から地方交付税交付金を差し引いた額に対する国債依存度でしかない。

 歳出は当初の47兆円プラス補正6.8兆円で53.8兆円、国債発行額38.8兆円で 計算すると、補正後の瞬間風速的な意味の国債依存度は71%にもなるのだ。逆にいえば、われわれが政府から受けているもろもろのサービスのうち税金でまか なわれているのは29%でしかないということになる。

 1999年度の日本経済は38.8兆円の国債発行によってようやくプラス成長を維持できるということを知れば、民間経済の回復がなければ、来年度もまた同じようにというより、さらに国債発行を上乗せした財政的支援なくして成長を維持できないということになる。


 1998年11月28日(土) そうだったのか国債って国が買っていたんだ!
 1999年01月25日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(1)
 1999年01月28日(木) 国債という日本の打ち出の小づち(2)
 1999年02月01日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(3)

1999年11月23日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 前回、「経済新生対策」の危うさについて書いた。2回に分けて、以下の5項目について国債発行のルールを解説したい。難易な表現をさけるようにしたいが、少々難しくなる。

 (1)借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 (2)禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 (3)境界線が見えない赤字国債と建設国債
 (4)無尽蔵であり得ない国債発行
 (5)大蔵省が繰り返す国債償還のルール違反
 (6)国債依存度の無意味なパーセント

 第1の論点は「建設国債と赤字国債」であり、第2は「国債依存度」についてである。第 1の論点は新聞紙上でもときどき解説されるが、萬晩報が問題視しているのは「建設国債と赤字国債の境界線が不鮮明」になっていることと、緊急避難的にのみ 許される赤字国債の発行がここ20数年間、恒常化しているという点である。臨時・暫定国家の面目躍如たるところがあるのだ。

 ●借金を収入と考える日本政府の一般会計予算
 日本の一般会計予算で特異なことは歳入と歳出が同じであることである。アメリカの2000年度予算が成立したばかりであるが、アメリカでは歳入と歳出の 金額は違うのが普通である。ここ数年前までの恒常的赤字財政に悩まされていた時代のアメリカの連邦予算では歳入の不足分を「財政赤字」とはっきり明記して いて分かりやすかった。

 その赤字を埋めるのが「国債発行」であるから、国債=借金が当たり前の認識となる。と ころが日本では違う。「歳入の部」に「税収」などと並んで、なんと「国債」というの一項目がある。企業会計では「収入」と「支出」があり、その差し引きが 「利益」となり、マイナスの場合を「赤字」という。

 民間企業が「収入の部」に「借金」の金額を盛り込んだとしたら間違いなく社会的失笑を買うだろう。家計とて同じことだ。ところが大蔵省の論理ではこの「赤字」が「収入の部」に計上されているということなのである。

 そして不思議なことは、そんな予算書がなんの批判もなく20数年間もまかり通ってきたことなのだ。これについては、東大を頂点とした財政学の碩学たちの知的怠慢と批判したい。また大蔵省の発表のままに報道してきたマスコミにも責任の一端がある。

 ●禁じ手を合法化するため毎年制定される特例国債法
 萬晩報はこれまで、財政法を持ち出して、日本の法律で借金で歳出をまかなってはならないことになっていることを指摘してきた。建設国債ならよくて赤字国債はいけないという議論があるが、そもそも国債に色はない。両方とも原則的に禁止されているのだ。

 ただ建設国債に関しては「第4条」の「例外的措置」として

「但し、公共事業費、出資金及び貸付金の財源については、国会の議決を経た金額の範囲内で、公債を発行し又は借入金をなすことができる」
とあるだけで、原則は
「国の歳出は、公債又は借入金以外の歳入を以て、その財源としなければならない」
ということなのである。

 一方、赤字国債は財政法にもない規定である。だから政府は「特例国債」と呼ぶ。具体的には「公共事業費、出資金及び貸付金」以外の歳出、簡単に言えば「将来、国民の財産とならない出費」のために発行する国債のことである。

 何遍でも言おう。赤字国債の発行は財政法上で「禁じ手」なのだ。この「禁じ手」を政府は「特例国債」と呼び、マスコミが「赤字国債」と呼ぶ。だから「建設国債」はよくて「赤字国債」はいけないととのように論じられてきた。

 現実に歳入が不足した1965年度から政府が「特例公債」と呼び始めた。法律で認めていない、赤字埋め合わせのための公債を発行するためにそれ以降ほとんど毎年「特例国債法」という法律を制定して違法行為をしのいできた。

 へんな話である。もはや赤字国債を含めて国債発行なくして日本の財政が成り立たないのなら、財政法を改正すればよさそうなものである。そうしたら赤字国債を禁止した法律に反する法律を毎年のように制定する矛盾から逃れられるというものだ。

 ●境界線が見えない赤字国債と建設国債
 大蔵省が財政法を改正しようとしない理屈も分からないわけではない。財政の最後の砦を失ったら、政治家の言うがままに財政赤字が膨れ上がるという危機感があるに違いない。だがここ数年の事態を振り返れば、もはや財政の規律などないに等しいのである。

 特に小渕政権になってからの大盤振る舞いは目を覆うばかりである。1995年以降、相次いで大蔵省幹部のスキャンダルが発覚してからというもの、もはや自民党の暴走を止められる勢力はいなくなっている。

 例えば、昨年秋の経済対策で打ち出された6兆円減税を例に赤字国債と建設国債を分けて 考える意味のないことを説明しよう。大蔵省は「減税の財源は赤字国債」と説明した。ここにも先に説明した「歳入の部に借金の項目を盛り込む」大蔵省的発想 がある。減税は支出ではないから「財源」というのも分かりにくい。

 本来は次のように説明しなければならない。「減税によって歳入不足となるため、教育費とか社会福祉費などを国債発行によってまかなう」と。こうすれば大蔵省が言う「財源」の意味が分かろうというものだ。

 しかし税収に色がないから、国債でまかなう部分がどの歳出項目なのかはまったく分から ない。健全な財政を運営していたとしたら、理論的には「公共事業費」にあてることだって考えられる。たまたま当初予算で公共事業費は全額を国債でなかなう ことになっているだけのことである。

 これはレトリックではない。大蔵省が建設国債と赤字国債を分けて考える理屈が破たんしているだけのことである。

 そもそも自民党政権にとってもはや建設国債も赤字国債も見境はない。金融不安解消と景気回復のためには、なりふり構わぬ財政出動で対応することのなんのためらいもないからだ。

 もう一点、建設国債でまかなわれる公共事業が「将来の国民の財産」になったのは遠い過去の世界である。住民が嫌がるダムを建設したり、意味のなくなった埋め立て事業などは、30年前の計画通り粛々と進められているではないか。

 景気刺激策としての公共事業という概念は「穴を掘ってまた埋める事業」とイコールなのである。財政出動という言葉にこそ、この「穴を掘ってまた埋める事業」というイメージがぴったりくると思いませんか。景気刺激策としての公共事業こそが、大蔵省が嫌がる「赤字国債」の範疇なのだ。


 1999年11月26日(金) 国債発行の無意味なルールとルール違反(2)

 1998年11月28日(土) そうだったのか国債って国が買っていたんだ!
 1999年01月25日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(1)
 1999年01月28日(木) 国債という日本の打ち出の小づち(2)
 1999年02月01日(月) 国債という日本の打ち出の小づち(3)


1999年11月21日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 官民多くのエコノミストはそろって日本経済が底を打ったと述べている。経済企画庁の景気判断も日銀の短観もまた同じような見通しである。われわれ国民は小渕政権という護送船団に安心して身をまかせられるのか。

 ●経済が底を打っても必要な18兆円の経済対策
 政府は「経済新生対策」として18兆円もの新たな経済対策を決めた。昨年秋の24兆円に次ぐ史上最大規模である。このために新たに7兆5000億円の国債を発行する。今年度の国債発行額は38兆6000億円に達する。

 18兆円というのは日本のGDPの3.6%にあたる。みんなが悪くないとする景気判断があるにもかかわらず、そんな巨額の経済対策が必要なのだとすれば、景気が底を打ったというのはうそである。

 経済企画庁は今回の経済対策について「GDPを1.6%押し上げる」と発表し、同時に1999年度の成長見通しを当初の見通しの0.5%から0.6%に修正した。ということは経済対策がなければ、マイナス1%だったのである。

 本来3.6%分のお金が出動したら、単純計算でも4%以上の経済成長率を達成できるはずだ。そうでないのなら、政府の発表数字のどこかにごまかしがある。本当は経済は底など打っていないのだろう。

 数字は不得意だという人もあろう。筆者も不得意だ。だが、政府の言っていることと、やっていることのあまりにも大きな違いに戸惑いを感じ始め、萬晩報に数字を並べ始めた。するとどうだろう。もはや不得意だとかいって、この国の財政を放置しておくことはできないはずだ。

 昨年春の経済対策は「昨夜の10兆円が朝方12兆円、夕方に16兆円となった
 昨年秋の経済対策は「20兆円といわれていた総額が1日で24兆円に決まった」
 今回の経済対策は「10兆円程度とされていたが最後は18兆円に積み上がった」

 日本の経済は58兆円の追加対策を行ってまだ回復基調に乗せられない。無駄があるのかごまかしがあるのかどちらかである。萬晩報は昨年11月17日号で以下のような指摘をした。今年も同じ文面を載せたい。

  ●通年の3倍の公共事業は消化不可能
 そもそも「2.3%の浮上効果」というのもおかしな話である。事業規模24兆円がすべて使われたら、500兆円弱という日本のGDPの規模から見て単純 計算で少なくとも5%程度の押し上げ効果があっておかしくない。しかも4月24日の第一次景気対策発表時には「16兆円で2%のGDP押し上げ効果があ る」と胸を張っていたのだ。相乗効果を加味すれば、2桁台の試算が出てくるのが常識だ。

 萬晩報の見通しではこんな規模の事業を現在の日本で年度内にこなすことなど不可能だ。 当初予算の公共事業費は9兆円弱で、一次の追加分が7兆7000億円、二次分8兆1000億円であるから、年間の公共事業費は通年の3倍となる計算であ る。いずれ、来年度予算とのからみでどこかに雲散してしまう可能性があるのだ。

 消化する唯一の方法は、前払いでゼネコンに建設資金をつぎ込んでしまうことである。次に起こるだろうことは競争原理を逸脱した入札がそこかしこで出現するかもしれないという懸念である。消化できない予算を無理に消化しようとすれば、以上の二つの方法しかないからである。

 問題はいくつもある。ゼネコンへ前払いした場合、ただちに土木労働者に賃金が 支払われず、当面の資金難に陥っているゼネコンのバランスシート修復の役に立つだけに終わりはしないかという疑念さえある。そうなったら景気回復どころで はなくなる。単なる国によるゼネコン経営救済にしかならない。

1992年8月 総合経済対策
10兆7000億円
 公共投資8兆6000億円
1993年4月 新総合経済対策 
13兆2000億円
 公共投資10兆6200億円
1993年9月 緊急経済対策
 6兆2000億円
 中小企業対策1兆9100億円、94項目の規制緩和
1994年2月 総合経済対策
15兆2500億円
 公共投資7兆2000億円、減税5兆8500億円
1995年4月 緊急・円高経済対策
 7兆0000億円
 阪神復興3兆8000億円
1995年9月 経済対策
14兆2200億円
 公共投資12兆8100億円
  計    
66兆5700億円
 
1998年4月 総合経済対策
16兆6500億円
 公共投資07兆7000億円、減税4.6兆円
1998年11月 緊急経済対策
23兆9000億円
 公共投資08兆1000億円、減税6兆円超
1999年11月 経済新生対策
18兆0000億円
 
  総計    
126兆2200億円
 

 ●債務の「たらい回し」策に「新生」をかぶせた政策
 1年前の論評が数字を少し変えるだけで通用するのだから、この国は進歩がない。実は昨年秋の景気対策を終わってから、小渕内閣は中小企業救済策として、中小企業への特別保証枠20兆円を加えている。

 この保証枠は無担保で5000万円まで借金できるシステムである。中小企業主が遊興費や株式購入に充てたという話も出ているが、ほとんどはこれまで借りていた銀行融資を解約して政府保証枠に付け換わっただけのようである。今回、この保証枠に10兆円を追加した。

 もともと貸し渋り対策だったから、中小企業の新たな投資に費やされる性格のものではないとしても、中小企業向けの危ない融資の「たらい回し」を「新生」と名付けた経済対策に盛り込んだのだから、度し難い。

 昨夜、コンピューター中堅企業の社長らと懇談したときに、だれかが言い出した。

「商工ローンで連帯保証人になって苦労している人がたくさんいる。企業経営でお金を借りるということはたいへんなんだ。この際、小渕総理に国債発行の連帯保証人になってもらうしかない」


1999年11月17日(水)

 パワードエイジというのは、聞きなれない言葉である。それもそのはず、日本電算機(株)の石井孝俊社長 が、創作したことばである。具体的な意味は、いろいろな社会経験、知識、資産そして人脈などをもつ、会社や事業をリタイアした中高齢者を指すという。その 人たちをまとめて、大きな社会活動にするための団体がいよいよ活動をはじめる。

  この動きは、これからの新しい社会の動きとして見逃せないので、緊急にご報告する。

  パワードエイジ協会は、インターネットを使って、高齢者が集まれる、コミュニティー作り をまず目指す。そこでは、趣味の世界もあれば、健康に関する相談もできる。もちろん、資産運用などの相談にものってもらえる。それらの活動を、インター ネットを活用しながら行おうというものだ。

  インターネットは、文字通りグローバルにも利用できるし、ローカルでも活用できる可能性を持っている。しかし、本当の活用はまだこれからであるし、特に中高齢者の活用の度合いは決して高くない。

  この協会は、それらを前提として、会員にはメールの利用法やホームページの作り方まで教えてくれる。これができた後に、地域でのいろいろな活動を作り上げて、中高齢者が中心になり日本の社会を活性化しようとしている。(文責 八木博)



 パワードエイジ協会設立総会のご案内

 当日は、協会発足の趣旨説明のほか、落語、大正琴の演奏会などイベントも盛りだくさんで、しかも参加者は全員記念品がもらえる。抽選でインターネット端末も当たります。

 設立発起人 石井孝利 岡本行夫 堀江透 八木博 鵜飼佐知子ほか10人
 設立日時   11月27日(土) 14:00-16:30
 場  所   東京江東区錦糸町の「三井生命 錦糸町ホール」
           (最寄の駅、JR錦糸町、または都営新宿線住吉駅)

  参加申し込みは、パワードエイジ協会へE-MailまたはFAXで
 ホームページでは http://www.jcc.co.jp/pa/
 メールはti@jcc.co.jp

  電話 03-3864-5511(事務局:鈴木) FAX 03-3864-8460

   今週の日経新聞には、協会発足のお知らせと、記事とが掲載される予定である。従来、中高年を介護の対象としてしか見てこなかった、日本の社会に新しい息 吹を吹き込む活動として、ご紹介する次第である。参加して、ぜひその息吹を感じていただきたい、というのが切なる願いである。
1999年11月17日(水)萬晩報主宰 伴 武澄


 先週、東京証券取引所に「Mothers」というベンチャー企業向け株式市場が発足した。今月15日には香港にGrowth Enterprise Marketというハイテク市場「GEM」が誕生した。

 GEMが本当に成長企業の資金調達の場と成り得るか。アメリカの「Nasdaq」や来 年に日本で開業する「Nasdaq Japan」に十分対抗できるのか。香港では議論沸騰である。すでに30社が名乗りを上げていて、その90%がソフトウエアや通信、インターネット関連で あるという。市場も香港だけでなく巨大な中国大陸を視野に入れており、台湾企業も関心を示している。いわばグレーター・チャイナが活躍の場だ

 GEMの場合特徴的なことは、すでに香港株式市場に上場しているハイテク企業をGEMに移し、香港でただ1つのハイテク株式市場とする合意ができていることである。問題はいつまでにというタイムテーブルがないことだけだ。

 さて「Mothers」である。1995年に出来た中小企業向け市場を改変したという のが真相である。ただの1社も上場できなかったが、このMothersにはすでにインターネット関連企業2社の上場がすでに決まっている。ソフトバンクが 提唱している日本でのNasdaqへの対抗から急こしらえの感がなきにしもあらずである。

 いずれにしてもNasdaq Japanがどこまでアジアのベンチャー企業の心をつかむかにかかっているのだが、アジアでベンチャー市場の資金需要を制するのはどこか実に興味あるところである。

 ●伯楽の存在
 「資金調達はその企業がよって成り立つ市場でしかできない」というのが鉄則であると思う。もちろん有名になれば、より大きな市場での上場も可能になる。 しかし上場しようとするベンチャー企業にとって一番重要なのは、投資家とを結びつける「認知度」の高さである。

 中国に「名馬はどこにでもいるが伯楽は少ない」という格言がある。伯楽とは調教師と いった意味である。その格言通り、地域にどれだけ伯楽がいるかでベンチャー企業の運命が左右されることになる。Silicon Valleyの八木博さんから教えられたことはシリコンバレーにはその伯楽がシステム化されているということだった。

 多くの人脈を持った経営コンサルタントたちは日々、起業家に育てうる「才能」を探すこ とを生業にしている。日本で似ていると感じるのは高校野球のスカウトたちた。地元の小中学校の野球少年たちの能力を日々観察し、これを高校野球の全国的レ ベルのネットワークに"上場"させているのだ。

 いったん全国レベルに高校の野球部に入部し、甲子園への出場を果たせば、マスコミの助けも借りてもはや全国ブランドとなる。後はプロ野球からの勧誘を待つばかりである。

 このスカウトたちは情報をコンピューター化しているわけではないだろうし、十分な報酬を受けているどうかも分からない。だが、このスカウトたちはシリコンバレーでの経営コンサルタントとほぼ同じ役割を果たしていることだけは間違いない。

 だから資金調達を含めてベンチャー企業の育成には、その企業が生まれ育った土壌にどれだけ多くの伯楽たちいるかが大きな要素となるはずだ。

GEMとMothersの上場基準
 
GEM(香港証券取引所)
Mothers(東京証券取引所)
上場企業の国籍 国籍は問わない 外国企業の上場は想定せず
直近の業績 赤字でも可 赤字でも可
上場時の時価評価 4600万香港ドル以上
(約6億4400万円以上)
5億円
最低株主数 新たに100人 新たに300人以上
設立後の年数 同一経営者の下で2年以上 基準なし
四半期決算の開示 あり あり

 ●dot.com企業への理解度に不安
 かつて日本の地域社会に旦那衆という存在があって、かつてのベンチャー企業を育ててきたことは1998年11月14日付萬晩報「町の旦那衆を疲弊させた1970年経済」で述べた。過去の日本の企業社会では旦那衆が「伯楽」の役割を果たしてきたのだろうが、その伯楽たちがいまや落ちぶれ、すなわち90年代の日本の危機につながっている。

 企業の上場はこれまで大手・中堅証券会社が一手に引き受けてきた。地方の支店の役割は投資家に株を売ることだけではなく、地域の新興企業の上場も手助けしてきた。

 京都時代に京都証券取引所OBから聞いた話によると、大手証券のかつて京都支店には多 くの有能なスカウトマンがいたそうだ。京都に多くのハイテク企業が集まっているのは、こうしたスカウトマンたちのお陰でもあるというような話もしていた。 京都の上場企業にはこれらのスカウトマンたちがそのまま財務担当の役員として転職しているそうだ。

 政府系や銀行系のベンチャーキャピタルが、ニュービジネス発掘に積極的でないという話はずいぶん前から聞かされてきた。既存の産業分野であったなら、メジャーの証券スカウトマンがまだまだ活躍できる場がある。

 だが、インターネット関連の最先端の通信技術や「dot.com企業」に関して彼らがどの程度の知識を持っているか萬晩報ならずとも不安になるはずだ。

 大手マスコミの経済記者にも同じことが言えそうである。アメリカが情報通信の分野でスパートを切った90年代後半、日本の経済記者の多くは金融機関の不良債権問題にあまりにも多くのエネルギーを費やしてきた。

 東証のMothersが成功するかどうかは、一に名伯楽の登場にかかっているのだとすれば、日本の将来は暗いと言わざるを得ない。


 【読者の声】伴さん、こんばんは。荒木@ALIXといいます。「Mothers」にある程度関わってきたものとして、少々コメントさせていただきます。

 私は昨年、退職するまで約15年間、ある大手証券の株式公開引受部門に在籍し、この間日本における資本市場を株式上場の側から民営化会社などを含めて多くの会社の上場に関与させていただきました。

 その間、常に東証の上場規則と格闘してきた経緯があります。その中で資本市場(セルサイドからの言い方に終始するかもしれませんが)に対する見方を深めて参りました。私を含め多くの公開関係者にとって東証との歴史はまさに格闘の歴史でした。

 例えば以前、東証の上場基準にあった設立後経過年数5年という上場基準がありました が、ある規制緩和時のNCCの上場計画時、まさにこの解釈を巡って一悶着があり、私事ですが初めて左遷を経験いたしました。その後この基準は3年になり、 そして今回証券取引法の監査適用期間そのものに変化して参りました。

 この例でもおわかりのように実は今回の「Mothers」の上場基準の一つ一つには、このような歴史の反映であります。

 また、今回の市場開設には昨年の証券取引法の改正が大きな伏線としてありました。同法 の改正により証券取引所は地域経済を設立要件とした地域独占の会員組織から、独禁法の適用を受ける市場インフラ提供ビジネスを行う事業体と再定義されまし た。そして株価等の知的所有権の所有も認められる株式会社に今後まさに再組織化されようとしております。

 私たちがこの春先考えておりましたのはまさにこの好機に疲弊した日本に資本市場の面から活力を生み出せないかと言うことでした。

 戦後の日本の荒廃期に電力等インフラ整備事業に対し、独占的地位と資金調達力が与えら れ戦後経済を形成してきました。第二次臨調で「競争により公共性は担保される」というテーゼの下、独占事業体の弊害を打破し活力を確保するため民営化、自 由化へ大きく舵が切られたのはよく知られているところです。

 今回の「Mothers」もその延長上にあります。私は日本の資本主義は独特ではあっても十分に成長してきていると思っております。

 取引所は投資家に対してある一定の安心感、ブランドイメージを与えながらその上場銘柄 に市場性を持たせていくというメディア的特徴を有しております。今後中心的テーマとなる開示に対する信頼性を下にバイサイドからより充実した開示要求を経 ながら(場合によっては訴訟の提起も含めて)徐々に充実した資本市場が育成されていくものと期待しております。

 私のような証券退職者の意見を聞き通りやすいルートを経て、実現した市場ですが(お気 づきかもしれませんが、取引所の友人は通常の上場審査部のルートではなく、既上場の会社を管理する上場部のルートでこの新市場を実現しております)、ある 時から加速度的に実現のスピードが速まったのは事実ですが、6月の役員勉強会前後の「Nasdaq_Japan」の発表の時、逆に時期は来たという感慨を もち、これで通ると市場の開設を確信いたしました。

 大蔵省、山口理事長は「Nasdaq_Japan」のことをご存じだったでしょう。見事一杯食った気がいたしました。ただし、それの対抗上ひねり出されたという代物ではないことを彼らの名誉のためお話しいたしました。

 形式基準と実質基準の乖離などという馬鹿な話に挑戦してきた資本市場関係者の人間全部の意志の現れであったと私は思っております。

 日本はすでに発展途上国ではなく世界第二の資本主義国であり、発展途上国的にある一定の経営思想を押しつけるのではなく様々なビジネスモデルを模索する中で株式上場も考えられるべきであろうと思います。

 なお、今回の「Mothers」開設に当たり、たぶんはじめてではないかと言うぐらい多方面の意見を聞き、それを規則に反映させており、当初の原案とは相当に異なったものとなっております。

 債務超過会社に対する規定もスカパー、WOWOW、スカイマークなどインフラ提供会社の実状を反映させたものであり、そのような点でかなりつっこんだものになっております。

 また、すぐに申請会社がでてきたのも、サイズによっては短い審査期間でも可能だという考え方の現れであり、上場実務を発生させることで流れを作るために是非とも必要なものであります。証券会社/監査法人にもよくこの短い日程で対応していただけたと思っております。

 また、旦那衆のお話がありましたが私の師匠も京都のそのような旦那衆の一人で某NCCの設立や合併等様々な資本市場におけるものの考え方、心構え、テクニック等横目で見ながらならい教えてもらったことを懐かしく思い出します。(99年11月18日)


1999年11月14日(日)Silicon Valley 八木 博


 幕末の頃の人々の国際社会の情報源は、長崎の出島でした。そこには、オランダ商館が置かれ、唯一の情報は そこから入って来ました。シーボルトや平賀源内などの科学技術や医学に対する知識の整理や、オランダ語の辞典の作成や書籍の翻訳など、限られた枠の中で は、相当一生懸命行われていました。これは「江戸東京博物館」で話を聞き、その証拠の品物を展示品で確認した事ですが、以下のような事がわかりました。

 ●米国と日本は1799年にはすでに貿易をしていた。
 オランダは、1795年にフランスに滅ぼされ、日本との貿易権はオランダから米国に譲られました。米国のボストンの北のセーラムという港から、貿易のた めに長崎の出島に来ました。それが、1799年のフランクリン号でした。これが、米国との交易の初めで、当時の日本から送られたものは、今でも、セーラム の博物館に残っているそうです。

 江戸東京博物館の特別展示「日米交流のあけぼの」という展示会で、展示されています。特別展は1999/12/12まで開かれています。

 これは、あのペリーが来た時の50年以上前の話です。そのすぐ後にも何隻かの米国船が 来ています。当時のチェストテーブルなど、設計図面と一帯で見つかったりして、感慨深いものもありました。漆塗りで象嵌細工のものが、人気があったようで す。また、当時の日本人は、西洋のチルトテーブルなどであっても、すぐにその技術を取り込み、デザイン的にも良いものを作っていたようです。

 また、日本ではすでに見られなくなってしまった、「生き人形」というマネキンの先駆的な作品も展示されていました。とてもリアルで、芝居小屋にこの様なものが立てかけられていた、と言う事を聞くと、日本の庶民の技術に捨て難いものを見出す事が出来ます。

 ●鯨取りと文化交流
 米国、セーラムには東インド開運ホールと言うのがあり、そこには船長の溜まり場で、そこには日本への航海記録をすべて集めて、まとめて行ったそうです。その情報が、ペリーの日本への航海に役立てられたのは、言うまでもありません。

 データを共有化するための仕組みと、お互いが顔を合わせながら、それらのデータを情報として一人一人に持たせられるのは、良い仕組みだと思いました。野中郁次郎氏の、暗黙知から形式知へというのが具体化されているように思いました。

 当時の太平洋は、鯨取りのメッカで、日本も米国も競って鯨を捕っていました。米国は工 業製品の原料として、日本はそれ以外に食用にもしました。この中の日本人の一人がジョン万次郎でした。彼は土佐沖で遭難し、救われて米国へ行くわけです。 しかもそこでしっかり英語を学び、航海用の本を訳したりして日本に帰ります。

 その後は幕府の英語翻訳担当など、難しい仕事を見事にやってのけたのです。漁民の子供 と言う事からすると、日常的な教育レベルは決して高くなかったはずなのに、航法の技術書まで、きっちり訳しています。日本人が、教育と言うところに力を入 れていたから、万次郎のような人が、新しい境地で活躍できる素地があったと思えます。

 ●教育とは、考える手段を身につける事
 教育の目的は、良い点数を取る事ではないと考えます。(唐突ですが)それは、日本人が何時の間にか、忘れてしまった事のような気がします。読み書き算 盤、と言われる技術があれば、その後は自分で考え、学ぶ事が可能になります。基礎的な事柄は、そのレベルで十分だと言う事でしょうか。

 そして、それ以上の難しい事は、お互いがデータを共有化し、それを必要に応じて個人が 使いこなすと言う事になると思います。今回、幕末の頃の日本と米国の交易という今まで知らなかった事にも驚きましたが、その時代の人々は、それぞれに創意 工夫しつつ、時代に対応していったと言う事がわかりました。変化の時代の今、学ぶ事が多い展示ではありました。


 1999103 通巻第93号『日本的なものと西洋的なもの その6』から転載
 本情報につきましてご意見ご感想をお待ちしております。
 八木さんにメールはhyagi@infosnvl.com

 【萬晩報】オランダはフランス革命で領土を失い、1815年のウィーン会議まで20年もの 間、フランス領となります。オランダはウィーン会議で立憲王国として復活しますが、ケープ植民地(現在の南アフリカ)を失います。この間の長崎貿易を担っ ていたのがアメリカだったのですな。ここでも日本歴史の書き換えが必要かと思います。(伴 武澄)
1999年11月11日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 11月9日はベルリンの壁崩壊の10周年だった。ドイツでは10周年を記念したさまざまなイベントが催された。コール前首相、ブッシュ前大統領、ゴルバチョフ前大統領がベルリンの招待され、ドイツ統合の功労者たちのなつかしい顔がCNNの生中継を通じて世界に流された。

 ●ここにクレンツ氏がいないのは理解できない
 ゴルバチョフ氏は演説で「東ドイツのクレンツ元書記長がこの晴れがましい席にいないのは理解できない」と短く批判した。当のクレンツ氏はその前の日、ラ イプチヒ連邦通常裁判所で「ベルリンの壁を越えようとした人に発砲命令をした」として有罪判決が下された。ベルリン地裁が下した懲役6年6月という有罪判 決を支持し、控訴を棄却したのだった。

 筆者もまた、ゴルバチョフ氏と同じ感慨を持ってテレビ中継をみていた。クレンツ氏は壁 崩壊の直前に長期政権だったホーネッカー書記長の後を継ぎ、国境の開放に踏み切った。最大の論功は11月9日にベルリンの壁で起きたことを放置したこと だったはずなのに、東ドイツ時代から続いていた国境地域での軍事警戒策まで問われては立つ瀬がない。そんな感慨を持った。

 10年前、筆者は外務省詰め記者として、サミットなど経済問題を担当していた。当時、日本が抱えていた最大の政治課題は「日米構造協議」だった。貿易収支の不均衡に業を煮やしたアメリカが、日本の商慣行にまで入り込んで、構造改革を迫っていた。

 取材を通じて、実は「これで日本もようやく変われる」という実感が伴う充実した日々を送っていた。だが、世界は冷戦の崩壊という世紀的課題に取り組んでいたのだった。世界との関わりを取材する外務省担当であっても、世界が変わる予兆すら感じさせていなかった。

 ●ワルシャワで市民を激励したブッシュ
 その年の先進国首脳会議=サミットはパリのアルシュで7月行われた。アルシュ・サミットは「環境と経済成長」という課題に取り組んだ初めてのサミットで もあった。しかし、いま振り返ると、ソ連による欧米にとっては、ペロストロイカに続く東欧の改革をどのように進めるかが最大の課題だったのだ。

 驚いたのサミット直前にアメリカのブッシュ大統領がワルシャワとブダペストを訪問したことだった。ワルシャワでのブッシュ演説は感動的だった。「ここ東欧でコペルニクス的転回が起きている」と宣言したのだった。まさにぴったりの表現だった。

 コペルニクスはポーランド人だった。当時、天動説が支配するカトリック世界に敢然と立ち向かった。社会主義という天動説の世界でようやく自由主義経済を語れる風が吹き始めていたはずだ。

 当時のワルシャワ駐在の日本人記者も「連帯」のワレサ書記長の動向には気を配っていた が、ペレストロイカが東欧にも及ぶことやまして東西ドイツが統合することなどは眼中になかったはずだ。突然やってきたブッシュ演説の意味合いを理解するま で時間がかかったのではないかと推測している。

 そのちょっと前に同じ外務省詰めの政治部の先輩から「こんどのサミットはどうも東欧問 題も議題になるようだ」と耳打ちされていた。当時の外務省の東欧課は、片隅のどちらかというと「窓際職場」だった。東欧問題が議題に浮上していることは承 知していたが、「それがどうした」という風情だったように記憶している。

 日本の外務省における情報収集というのはこの程度かと落胆した。東欧に関する情報を求めたのに対して、東欧に赴任する人々のために編纂した「東欧の暮らしと生活」といった内容のパンフレットしかなかったのだ。情報の蚊帳の外に置かれていたも同然である。

 ことの始まりは、その年の5月にハンガリーがオーストリアとの国境は開放したことだっ た。観光客と偽った多くの東ドイツ市民が大挙してオーストリアとの国境を越えて西ドイツに渡ったのだった。ハンガリーが東ドイツ市民に対してオーストリア との国境を開放した時点でドイツの東西の壁の意味はなくなっていたのだ。

 その意味をもっと重く認識していたらと思うが、世紀の転換点でのマスコミの意識はその 程度だったのだ。一方で、東欧側の市民はヨーロッパが打ち上げた衛星テレビ放送から流れる西側のニュースを貪るようにみていた。自らが生んだ技術によっ て、東側による報道管制の意味を失わせていたということも事後に知ることになる。

 ●西欧の復権と日本の退潮を分けた分水嶺
 10年間を回顧して痛感するのは、この年が西欧社会の復権と経済大国日本の退潮を分ける分水嶺だったことである。もちろん1980年代にテイクオフした アジア経済は97年の通貨危機まで繁栄を謳歌することになるが、2年後の湾岸戦争を契機に世界政治におけるアメリカの軍事的優位が復活し、西ヨーロッパも また通貨統合へ向けて結束を固めた。

 アジアでは西欧社会にとって脅威とも思われた日中蜜月時代が終焉を迎える。6月に起きた中国の天安門事件が引き金となり江沢民体制の確立とともに、中国指導部の視線は日本を越えて欧米に向けられることになる。

 日本を中心に設立を目指していたアジア太平洋における地域経済構想は実現せず、アメリ カとカナダを含めたAPEC(アジア太平洋経済閣僚会議=当時)として姿を変えた。日本の株価は1989年の12月に付けた3万9000円というピークを 境に凋落の一途をたどり、バブル崩壊が始まるのである。


1999年11月09日(火)元中国公使 伴 正一


 カリフォルニアの大農場に日本の青年たちが不熟練外国人労働者の入国資格で働きに行っていた時代がある。そんな昔のことではない。昭和30年代、戦争の傷が癒されたかどうかという頃に始まり、東京オリンピックの直後まで続いた。

 当時、私は外務省でこの「派米短期農業労務者」というプログラムに携わっていた。略して「派米短農」と呼ばれた。

 ●農業研修と単純労働のはざまも
 この事業は、カリフォルニア州の果樹園や野菜畑で、手仕事による労働力の不足を補うものだった。日本側はアメリカ農業を学ぶという目的があったが、農場 主の認識はもちろんのこと、米国移民法上の滞在資格も「Supplementary Agricultural Worker」(我が方では短期農業労務者と翻訳、略して短農と呼ばれるようになる)だった。日本側にどれほどこの抵抗感があろうとこれが日米合意の基本 的枠組であることに変りはなかった。

 アメリカ市民はもはやこうしたきつい単純労働を敬遠するようになっていて、メキシコか ら国境を越えてやってきた合法、非合法の労働者がその主力を担っていた。CIOやAFLというアメリカの二大労働組合が、こういうメキシコ人労働者の存在 を「農業労働賃金適正化の足を引っ張っているもの」として目の仇(かたき)にしていたのも無理からぬところだった。。

 そこへはるばる日本から、上限1000人とはいえ、毎年500人前後の農村青年を、メキシコ人労働者と同じステータスで送ろうというのだから、米国の労働界からの反対が起きないはずなはかった。

 日本国内にも「猫の額みたいに狭い日本の農地に大規模なアメリカ農業のやり方を取り入 れる余地などない」とせせら笑う人もいたし、「アメリカへ行くといっても土地にはいつくばる単純労働では勉強にもならない」という指摘もあった。いずれ も、まともには反論できないもっともな意見だった。

 しかし当時の日本では「アメリカへ行ける」というだけで「天にも昇るような話」だったし、「見るもの聞くもの、ためにならないものはないだろう」という思いも国全体にあった。

 ●2年間の労働で家が建つ
 彼らが手にするはずの賃金は1時間当たり70セントから80セント、アメリカの水準では問題なく低賃金だが、日本からみれば垂涎ものだった。真面目に2年間も働けば、現地での生活費や往復渡航費を差し引いても100万円をゆうに越す蓄えができた。

 辻堂や茅ヶ崎あたりの小さな一戸建ての家が80万円から90万円で売りに出ていた時世である。日本の青年にとって2年間のアメリカでの苦労は十二分に報われるものだった。

 果たせるかな、派米短農への期待は非常なもので、派遣人員を都道府県に割り振りする際、知事あたりからの陳情はひきもきらなかった。応募資格だった義務教育修了に関係なく志願者は殺到した。

 政府部内での主管争いも事業への期待の高さを反映したものだった。厳しい現実への即応 という外務省の主張が通り、「実習」は"目的"ではなく、"期待される効果"にすることで収まりがついた。農政の大御所として知られていた石黒忠篤氏を運 営機関「農業労務者派米協議会」のトップに迎えたのもその時の合意によるものである。

 選考は、知事の推薦者リストを基に、派米協議会、外務,農林両省、米国移民官の四者のチームがそれぞれの県に出向いて行われた。

 「うんざりするような長時間の単純労働に耐えきれるか」を主眼とし「折角のチャンスを生かして見聞を広めようとする志と資質があるか」にも配慮して念入りに人物を吟味したものである。

   最期に2週間の合宿訓練があり、英語と農作業が主な日課だったが、そのうち農作業には一種の最終選考の意味も併せ持たせた。

 事業が始まって幕を閉じるまでの10年間、アメリカ社会の指弾を受けるケースや契約期間終了後の居座りが一件もなかったというだけでも、この種の事業としては特筆に価するのではなかろうか。

 ●連発した「不満はないか」
 もっとも「短農事はじめ」時代には、笑えぬ喜劇とも言える失敗もあった。

 訓練には、往年の満蒙開拓民のリーダー格が何人か参加していた。開拓民を見捨てて去っ た軍と役人に対する烈しい憤りを胸に、集団を率い死線を越えて帰国の途についた彼らにとって、ほんの一部かも知れないが"満州"農民の差し伸べてくれた温 かい救いの手はいつまでも忘れられないものだったようで、いつも口癖のように言っていたのが「土に生きる者の心は国境を越える」という言葉だった。

 ところが、それを聴いてその気になって出かけた短農青年たちがアメリカで見たものは、それには似ても似つかぬ吹きっさらしの資本主義世界だったのである。

 そんな誤解が影をひそめた後も労働条件やその他でトラブルが絶えなかったのは、ある程度予期されていたことでもあった。

 2度目のサンフランシスコ在勤で私は、農場主と短農青年との紛争処理のためにカリフォルニア全域を走り回ることになる。言ってみれば消防ポンプのようなものである。

 私とそんなに年の違わない若者たちの日ごろの鬱積した不満を聞き、農場主に掛け合うのが仕事である。農場で話を聞くのは彼らが仕事を終えた後,私がサンフランシスコから出かける時間次第では午後9時を過ぎてからになることも稀ではなかった。

 何しろニューヨークやシカゴの値動きを見ながら出荷量を決め収穫にピッチを上げたり下げたりするのが当時の大農場経営の定石だから、早朝からの突貫作業になるかと思うと、2日も3日も賃金の貰えない休みが続くことも農場によって珍しくない。

 地平線まで続いているようなアスパラカスの畑を「ちょっと一服」の暇もなく這いつく ばって進むのには、零細農業に慣れた日本人のものとは別の波長の勤勉さが要るかのようだった。軍隊生活を知らない若者にとって、兵営のようなキャンプの生 活は人間のものとは思えなかったし、頻繁に出るメキシコ料理への文句は絶えることがなかった。

 そんなこんなの不満を聴きながら「もう他にないか」を連発してありったけの憤懣を吐き出すと、時計の針が真夜中の12時を過ぎるのはしょっちゅうのことだった。

 だが私の方も結構しぶとかった。双方ともグッタリの態で、空気も沈静しかかったタイミ ングをとらえて私がよく口にしたのが「大切なのは志だよ」という言葉。引き合いに出したのが、幕末の頃、つらい水夫の手伝いをしながらイギリスに渡航した 伊藤博文の話だった。「お疲れでしょう」と言って出してくれた缶ビールに口をつける時の安堵感は45年たった今も忘れることができない短農担当の醍醐味で ある。

 ●日本でも考えていい逆短農の導入
 事業の企画段階からその終幕直前まで、私はカリフォルニア現地にいたり、外務本省にいたりしながら,ずっと短農から離れることがなかった。

 幸いにして、短農OBが、アメリカで過ごした日々を懐かしみこそすれ、反米的になったという話は聞かないし、伊藤博文とまでは行かなくても,国の内外で頭角を現わした人材の話も耳にする。

 アメリカ農業」の体験がそのまま生かされなかったとしても、先進アメリカで見聞きしたことやさまざまな体験は短農OBの血や肉となり、それからの生きざまの発射台となったはずだ。

 ひたむきだった当時を顧みる時,短農時代はこの私にとっても悔いなき青春だった。それ と同時に、当時のアメリカとは段違いの配慮で臨むような「逆短農システム」を考案し、アジアを中心に先ず2、3カ国からでも若者を日本に受け入れる体制が できたら、それはこれからの世界のためにどれだけ素晴らしい先例になることだろうという思いに駆られるのである。


 伴 正一さんへメールはsimanto@mb.infoweb.ne.jp

 ホームページ「魁け討論春夏秋冬」http://www.yorozubp.com/sakigake/


1999年11月06日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 1999年09月01日付萬晩報「沖縄の普天間基地を苫東に移転させるという妙案」には「反発」や「移転の効果を疑う」メールを多くもらった。「地方にこれ以上の負担をさせるな」「東京に基地を移転すればいい」という多少感情移入の強い指摘もいくつかあった。

 普天間基地の苫東移転が現実的だというつもりはもうとうない。ただ普天間基地の移転問題が浮上した直接的な引き金は、アメリカ兵による少女暴行事件にあったことだけは、忘れてはならないと思う。 アメリカの兵が沖縄をどう思っているかは知らないが、たぶん植民地程度の認識しかにのだろう。それは28年にわたる沖縄占領をいう歴史を抜きにしては考えられない。

 アメリカによる占領時、形式ばかりの自治はあったが、米軍司令官がその上に Comissionerとして君臨していた。すべての権力がComissionerに集中していた。悪く言えばタイラントである。その為政者の時代から、 ずっと駐留しているアメリカ兵の意識が変わっているか実は疑問である。

 またアメリカ軍のとっての沖縄の戦略的地位を否定しようというものではない。しかし、日本を守るはずのアメリカの駐留軍、特に沖縄のアメリカ軍が、いつのまにか実質的にアジア全体の防衛拠点と化している点を見逃すわけにはいかない。

 日米安保条約が集団安保を目指していないのは明白であるのに、日本側の一方的な「日米ガイドライン法」の導入によってアメリカの後方支援の肩代わりを余儀なくされることになったのである。

 筆者は独立国が最小限の防衛力を持つことには反対でない。どう転んでも違憲である自衛隊が「憲法の拡大解釈」をさらに拡大することによって、その役割を拡げることに反対の立場である。


 【今回ばかりは腹立たしい】「普 天間基地を苫東へ」を読み、ひじょうに悲しく思いました。これまで、あなたの執筆されている萬晩報に対して、わたしは共鳴することかすくなくありませんで した。しかし、今回ばかりは腹立たししいかぎりです。苫東やその周辺に暮らしている(いた)農民たちのことを考えてください。

 「下北半島でもいい」とは何事ですか。そこがどのような地域なのか、もしやご存じないのでしょうか?

 米軍基地の沖縄集中を是正すべきことはいうまでもありません。しかし、その移転先が、 苫東や下北では、弱い者いじめにかわりないではないですか。ならば、どこへ移転すればいいかといわれても、わたしにはよくわかりません。しかし、本号の言 葉遣いは、あまりに、その地域に暮らしておられる人びとに対して失礼です。「それが、東京で、何の実業(※)にもたずさわらずぬくぬく暮らしておられるか たのご意見なんですか」と嫌みのひとつもいいたくなります。

 異論はありましょうが、マスコミというものを堅気の職業だとわたしは思っていません。

 いっそ、東京へ移転したらどうですか。いや、東京都でなくてもいい、首都圏にもってい くのがスジでしょうね。なにしろ、日本の人口の30%がそこに集まっているのですから、「受益者負担」という観点から、米軍基地の30%がそこにあってい い。そういえば「原発を新宿に」という本がありましたね。

 ちなみに、わたしは神戸市民です。神戸では、住民の意見を無視して空港が建設されよう としていることはご存じの通りです。港湾都市である神戸が空港をもつことに対して、わたしは基本的に賛成ですが、主権者たる住民の意見を無視して行政が勝 手に建設することは納得できないし、そして、空港の採算性についての神戸市の説明には大いに疑問をもっています。

それで、先日、神戸新聞に「神戸空港を米軍との共同利用にしては」という意見が載ってい て、「なるほど」と思ってしまいました。もちろん、それは望ましいことではない。非核宣言をしている神戸に米軍基地をもってくるというのは、まったくもう むちゃくちゃな話です。でも、世の中、きれいごとだけではすまない。イヤでも我慢しなければならないことがある。自分にとってイヤなものは、他人にとって もいやなもののはずである。ならば、おたがいできるだけ平等にそのイヤなことを負担すべきである。とわたしは思います。(二宮のぶお)

 【米軍基地移転は経済活性化のためでない】い つも、メールマガジンを楽しみに読ませてもらっている田中と申します。沖縄に米軍基地が多いのは軍事的な利点があるからで、別に基地周辺の経済を活性化さ せるためではないはずです。ですから、米軍に沖縄以外の移転先を言っても無駄だと思います。それより、中国や北朝鮮等の周辺各国へ働き掛けて軍事的なメ リットをなくすという政策を実施すべきと思います。まぁ、それでも、米軍、正確にはアメリカの軍需産業に敵視されるでしょうけど。

 ただ、駐留する(占領の間違いかとも思うが・・・)米軍は戦争勃発時に人質とすることだけを考えるなら、沖縄は地理的にはよくないですね。経済効果だけを考えてしか報告できないから平和ボケしたと言われるんです。

 [萬晩報は、小渕首相が沖縄を来年のサミット会場に決めたことは英断だと考えている。だが、サミット誘致と普天間基地移転とを取引材料にしているのだとしたら、大きな問題だ。]沖縄の現状を世界に知らしめるのには最高の舞台ですね。(田中博美)

 【いつまでも沖縄に重荷を負担させてはならない】ウー ム、まさに名案ですね大賛成です。沖縄に基地負担の重荷をいつまでも背負わせておくのは、薩摩藩以来続いている沖縄差別の延長にほかなりません。移すとす れば人口密度の低い北海道が最適でしょう。現在沖縄基地を使用しているのは、大部分が世界最強を誇るアメリカ海兵隊ですから、まさか寒くて訓練が出来ない などとはいわないでしょう。実現に向け、大いに政府の尻を叩きましょう!(無名)

 【沖縄に集中した基地の本土移転を積極的に進める運動を】 萬晩報の記事は、問題を一挙に解決する素晴らしいものだと思います。この提案を極力推進すると共に、この他にも移転先適地が各地にあるように思えるので、 沖縄に集中した基地の本土移転を積極的に進める運動の盛り上がることを切に希望します。(shizuo shigeno)

 【軍事的には問題残るがプラスもある】普天間基地のアイデアは大変素晴らしいと思います。しかし朝鮮半島や台湾から遠ざかることは軍事的観点から問題が残る気がします。でも、プラス面、マイナス面を考慮すれば、プラス面が多いような気がしますね。(福田隆)

 【大胆なアイデアだと思います】えー、 岩手の鈴木です。高校で政治経済を教えています。普天間基地のアメリカ軍を苫小牧に、と言う記事を読みました。大胆で、しかも一挙両得というアイデアで面 白いと思いました。しかし、似たようなアイデアでも、もっと大胆でしかも世界中をあっといわせる構想があります。これを実現できれば、アメリカも日本も韓 国もロシアも中国も北朝鮮も、みんな得をします。

 アレン短期大学学長の岩島久夫氏は在沖米軍を北朝鮮に移そうと運動しています。占領軍 とかPKOとか言うのではなく、アメリカ軍を金正日政権の後ろ盾として平和裏に駐留させよというのです。これによって穏やかに北朝鮮を国際社会に参加さ せ、北朝鮮国民にはアメリカ軍将兵の地元消費を通して国際社会の本当の姿に触れる機会を持ってもらおうというものです。もちろん北朝鮮の崩壊や大災害時に は救助隊として直ちに行動してもらうことになります。

 岩島氏は、既にアメリカ政府高官と会い、北朝鮮側の反応を探っているところです。すでに新聞紙上などで構想を発表できる程度の手応えは得ているようです。萬晩報でご紹介いただければと思います。(鈴木俊)

 【札幌に住む者として腹立たしい】初めまして。いつも『萬晩報』を楽しみに購読している者です。前回の990901号の苫東に関した記事を読み、札幌に住む者として腹立たしさを覚えました。

 千歳空港は、北海道になくてはならない施設です。現在も自衛隊と共存しておりますが、 そのことで民間飛行機はかなり不都合を生じているのも事実です。この頃は滅多にありませんが、以前は自衛隊機がスクランブルをかける事態が頻繁にあり、そ のたびに民間機は待機になります。今でも自衛隊機優先のようです。これに米軍機の発着が加わったら民間機のタイムスケジュールは、なきに等しくなるのでは ないでしょうか。また、民間機と軍機が同じ空域にあるだけでも、ニアミスが数多く発生したり危険な状態です。

 羽田飛行場を米軍が自由に使うことになったら、皆さんはなんと言うでしょうか。経済効 果も表裏一体、千歳が今よりも自由に使えなくなったら北海道の経済はストップしかねません。苫小牧港も商業港です。昔は千歳に米軍キャンプもありましたの で(1960年代まであった?)そのことを覚えている人たちは、苫東に米軍基地ができたらどのようになるか憂慮するでしょう。

 札幌~千歳の国道も万が一の時は戦車も走行できる強度に造られているとのことです。普 段でも自衛隊のトラックなどが当たり前のように通行していますが、民間バスや普通の車の間に重火器携帯の隊員を乗せたトラックが走っているのも、見慣れな い人には異様に写るのではないでしょうか。 このようなことは、安易に言って欲しくありません。(無名)

 【小気味いいレポートでした】
 久方ぶりの、楽しいニュースに接しました。湿原を埋め立て造成した頃の「不快感」。破綻が報道された時の「ざまーみろ!」。沖縄報道の中で「沖縄を自由 貿易センターにしたら」以来の小気味いいレポートでした。いつも記事を最優先で読まして頂いています。一層のご活躍を。(西村繁)

 【沖縄の戦略的価値への回答は?】知的ゲームとしては意味のある議論だと思います。当然 沖縄の戦略的価値に言及する反論に対する回答は用意されていると予想しています。その回答も「萬晩報」で流されることを希望します。

先日まで 中国本土から来た34歳の技術者と働いていたのですが、プライベートな会話のなかで彼は「沖縄は中国のものです」とさらりと言ってのけました。(他の緊張する話題では力みが入っていましたが)

 反論したうえで、なぜそう思うかと聞けばそう教育されてきたという返答が帰ってきました。歴史とは現政権が書くのが伝統である国ですから当然かと思います。

 国土が占領されたら 経済振興の議論など無意味であることは指摘しておきます。(了解のうえでの問いかけだとは思いますが。)米軍の配置を云々するだけではなく、なぜ軍事力を配置する必要があるのかというレベルで 議論する必要があります。

 横田など 後方支援の性格を持つ基地などを移転するという議論は一考に値すると思います。私としては 沖縄と横須賀を提供すれば他の基地は不要ではないかと考えています。但し 横須賀の原子力船整備は日本が関係すること。Black-Boxはなしで。首都圏で事故を起こされてはかなわないので。(三原信和)

 【汚いものを地方に押しつけるのはやめて】米 軍基地はなぜ北海道なのですか?なぜ下北半島なのですか?米軍基地も、原発も、ゴミ処理場もなぜ東京でないのですか?東京のゴミは東京で処理して下さい。 臭いものを、汚いものを地方に押しつけるのはやめて下さい。米軍による経済効果なんていりません。原発が安全なら、夢の島にでもお作り下さい。江戸は江戸 で糞尿も、ゴミも処理していましたよ。あなたは江戸のご意見番でなく、東京利益の代弁者です。(北海道砂川市、大原睦生)

 【シンクタンクには無責任な発言が多い】普 天間基地移転に関する記述を読みました。面白い発想だと思います。しかしながら何処に基地を動かすかは経済効果等を加味しながら結局は政治的な決着が計ら れ、そこには地元の考えなど無いのでしょうか?候補地を挙げることを、どうして地元の人達がどう考えているかを調べずに、中央官庁の人達が机上で意見をま とめてしまうのでしょうか?その事に憤りを感じます。実際に動かす候補地の選定に地元の意見を聞くのは当然としても、そもそも研究会とか、シンクタンクな どがまとめる報告書の類は"議論が活発になれば"とか、"あくまで可能性の問題として"という責任の無い発言が多すぎる気がしてなりません。

 沖縄以外に移すという視点に気づいただけでも良かったかもしれませんが、ならば東京に でも移す事を本気で考えても良いのではなかったでしょうか。だいぶ前になりますが、原発建設の為に開かれた地元説明会で、原子力発電所の安全性を説明して いた東京電力(だったとおもいます)の担当者に、それほど安全なら新宿にでも作ったらどうかという質問が浴びせられたという話しを聞いた事があります。  移転と言うのは、既に米軍基地としての機能を持っている、もしくは軍の施設として機能しうる能力が既にある所に普天間の担っていた業務を移管する。とい うのと今回の案件のような施設を建設する。という両面からのアプローチがあります。新たに建設すると言うのは勢い経済効果を基準に考えられがちです。しか しながら結局この手の施設は、嫌な物であって、自分の所には来て欲しくないというのが現在の多くの人の住民感情だとは思いませんか?

 私はマクロ的に(この場合日本の国として)如何するのが一番良いのかという議論が国民 的になされても良い時期だと思うのです。いや、しなければならない時期かもしれません。今までにしてこなかったが為に国民の政治離れを加速させたのは事実 です。また、こういう議論が為されれば、ばばの押し付け合い的な感情論もいくらか和らぐ事が期待できます。自分の土地に建物を建てる権利があるように、国 有地に国が軍の基地を立てるとしても文句は言えないかもしれません。しかしながら、物事にはいろいろな見方があり、その立場をはっきりさせた上で案件なり 意見なりを挙げるのがルールではないでしょうか。代替候補地の当ても無いままに廃止ではなく移転と言う結論を出した某内閣は既にこの世にはなく、問題先送 りの感慨は否めませんが、決まってしまった以上次のステップとして何処にするかという議論を、(1)視点を明確にした上で、(2)様々な角度よりの意見を 収集するべきと考えます。また、視点を変えれば、移転という言葉の解釈次第で、既にある施設に分散移転すると言う案も、再度検討の余地はあると思います。

 経済効果を主眼に移転先を探すと決まってもいなくて、しかも地元からの誘致があった訳 でもないのに具体的な誘致先を挙げる事は、国からの委託機関であっても慎重にするべきだったと思います。ちなみに私は基地縮小後、将来的に廃止するのが妥 当であり、経済効果より優先されるべきだった、と考えます。また、現状としては分散移転が妥当と考えます。

 上記伴さん9月1日付萬晩報を読んでの所感ですが、海外在住の為、ニュースに乏しく、 実際にどういう背景かという物を全ては把握できません。もしかしたらリポートにはいくつか様々な視点からの候補地があったかも知れません。そこでお願いな のですが、是非伴さんが参考にされた情報などのリンク先をページにクリップして頂けないでしょうか? ないしは重要と思われる事を、誰が、いつ・・・とい うように5W1H形式で原文のままに紹介していただけると有り難いです。でないと私のこの所感も伴さんの記述を元にしてますので、結局は机上の空論でしか ありませんから。一方的なコメントですが、今後も読み応えのある文章を楽しみにしています。ありがとうございました。(丸山勧)

 【軍事的視点が欠けている】萬 晩報のご意見拝読しましたが、少し疑問があります。 移転するに当たっての、軍事的な視点が欠けているのではないでしょうか。率直な所、対北朝鮮、対中国 という国家戦略の上にアメリカは基地展開してると思いますし、日米安保の基本主旨でもありました。事実、冷戦のさ中でも北海道や東北方面での米軍のプレゼ ンスは低かった(レーダーや情報収集機関は除く)し、やろうと思えばやれたのに、敢えてそうしなかったのには米軍なりの国家戦略があるからでしょう。  そこら当たり、より軍事的な知識に造詣の深い方のお話が聞きたい所です。(Shigeki Minami)

 【沖縄を捨てて基地を移すなど考えられない】
 なるほど、いろいろなことを考える人がいるものだなと感心しました。その報告書とやらを直接読んではいないので、詳しいことは判りかねますが、一つ決定 的に欠けている視点があると思います。なぜ、沖縄なのかという点です。沖縄がどこにあるのか忘れているのでしょうか。

 東南アジア、中国、北朝鮮等を視野に入れた場合、沖縄の持つメリットは計り知れないも のがあります。これらの地域に睨みを利かせるには、絶好の位置にあり、アメリカとしては、不沈空母を一隻持っているようなものですから、この地を捨てて、 北海道に基地を移すなど考えてもいないと思います。どこでも良いから取り敢えず軍隊を置いておけばよいと言うものではないと思います。

 色々な考え方をする人間がいてこそ、世の中は面白いのだと思いますが、何とか研究所ともあろうものが、余りにもお粗末ではないでしょうか。私には、非常識としか思えません。読んでいて恥ずかしくなりました。(Kiyoshi Shimada)

 【アメリカ軍の立場なら沖縄の方がいい】お久しぶりです。マートルビーチの西野"Tiger"智雄です。毎日面白く読ませて頂いております。前回の長崎の路面電車の時も意見を言おうと思ったのですが、思ったより早く「読者の声」が配信されましたので、出しそびれておりました。

 沖縄の基地移転問題で建設的な意見が民間から出されてるようで、驚いています。御指摘の様に、大変面白い提案だと思いますし、現実的であると思います。しかし、これは日本側から見た、良心的な考え方なんでしょう。

 非常に卑しい考えですが、もし私がアメリカ軍にいたらと考えると、リゾート気分でいけ る沖縄の方が、苫小牧より格段魅力を感じます。海外駐留といえど、生活しなければならないのですから、どちらかと言えばリゾート地の方がいいような気がし ます。アラスカか沖縄かと問われたら、迷わず沖縄を選ぶでしょう。

 そういう感情的な面が入らないともいえないので、アメリカが沖縄のようなリゾート地域 以外に移転をするとは考えにくいです。若輩者の浅はかな考えとは思いますが、現在の私の感想です。それでは、初秋になりましたので、季節の変わり目にお風 邪など召しませんよう、健やかにお過ごし下さい。(Tiger Nishino)


1999年11月01日(月)萬晩報主宰 伴 武澄


 10月09日付け「続・100年前のアメリカを想起させる巨大企業合同」にアメリカ在住の大辻一晃さんと水田幸直さんと2人から長いコメントをいただいた。興銀、第一勧銀、富士銀の3行合併の弊害を議論している間に住友銀-さくら銀、東海銀-あさひ銀の統合も発表され、日本の金融業界は再編の嵐に巻き込まれた。

 共同通信のワシントン支局の経済担当の大辻さんは「保護によりかかった日本の金融界 で、独占が先に進行するのは弊害が大きすぎる」のは分かっていても、いまの日本には「アメリカの後追い以外に選択肢はない」という危機感から興銀、第一勧 銀、富士銀の3行合併はやむを得ないという立場を強調した。

 一方、日本とアメリカの金融機関に勤務の経験があり、現在オハイオの日系企業の経理を 担当している水田さんからは、今回の日本の銀行が直面している危機に際して、日本の政府、銀行経営者が取っているやり方は「以前の護送船団方式の延長線上 にあるとしか思えない」とし、「グローバルな経済体制の現況下自由競争市場がある業界のみが、国際的な競争政策を語る資格があるとの認識は強調しても強調 しきれないほど重要なことだ」と喝破しています。

 萬晩報は「ここ20年間の日本では、世界的な構造改革の波に乗り遅れて生きた。内部の矛盾にメスを入れる前に次の改革の波が押し寄せ、解決すべき課題を次々と累積している結果が、まさに今回の金融破たんに凝縮している」と考えている。

 資本金の何倍もの公的資金を導入したばかりの銀行同士の合併はどうみても巨大な国営銀 行への道としか映らない。住友銀とさくら銀との合併も同様だ。世界の企業がますます国家という枠組みを離れて離陸している最中に、国家という命綱に引っ張 られる日本の巨大銀行が国家の枠組みを超えられるとは考えられない。

 きょうは大辻、水田両氏のコメントを掲載して読者のみなさんに日本という国家の行く末を考えてもらいたいと思う。(伴 武澄)


 ●アメリカの後追い以外に選択肢はない(ワシントンDC-大辻一晃 )

 企業統合をめぐる論争、興味深く拝読致しました。競争政策が崩壊しているのは、日本よ りアメリカの方が先駆的です。規制緩和で弱肉強食、資本集中が進み、米司法省、米連邦取引委員会(FTC)は競争政策の再構築を模索しています。マイクロ ソフトやアメリカン航空を提訴したのはその一環ですが、まだ先は見えません。

 規制緩和で競争を促すと、資本集中が起きるのは当然の帰結と思います。貴殿の問題意識は、なお規制=保護によりかかった日本の金融界で、独占が先に進行するのは弊害が大きすぎる、ということかと受け止めました。確かに、そういう面はあると思います。

 今回の一連の銀行統合の結果、銀行以外の企業も再編が進むと思われます。結果として言 えるのは、日本経済の国際競争力が高まる、というか、こうしないと生き残れない、ということです。アメリカは一足先に企業再編の波が押し寄せ、日本も手を 打たないと完全にのみ込まれるのが必至でしたが、そうした事態は回避されるであろうと推測します。

 メーンバンク制度は以前と比べると弱っているのは間違いないことですし、独占の善悪は別にすれば、今回の日本の動きは、日本経済の生き残りという意味では歓迎すべきことかと思います。

 もちろん、独占、競争政策の問題はあり、私も、アメリカのような強者への蓄積ばかりが 進む経済を決して容認しているわけではありません。この点でアメリカでもまだ取り組みは緒についたばかりです。ただ、日本は波に乗り遅れてしまうより、と りあえずついていって、競争政策面もまた、アメリカの動きを後追いする、という以外に選択肢はないような気がします。

 もう一点、日本が外国にシェアを大幅に明け渡してる分野といえば、農業と石油です。戦略二分野でこれだけ外国に頼ってるのだから、工業品ぐらい日本製が強くないと、逆に国家的な安全保障の問題として、危ういのではないでしょうか。

 かつて、日本市場は規制が外国企業の参入を阻んでいましたが、先日、バンクーバーの日 米自動車協議を取材し、時代は変わった、との認識を持ちました。もはや、ビッグスリーは日本でシェアをとろうなどと考えていません。日本が自動車分野の規 制を緩和し、シェアが増したのはベンツであり、BMWでした。

 アメリカでも、乗用車は日本、ドイツ車の人気が断然高く、アメ車は魅力がないのです。 むしろ、ビッグスリーはRVなどアメリカならではの需要がある分野で強みを発揮しているのです。アメリカで売れない車が日本で売れるはずがないですし、 ビッグスリーも本気で右ハンドルの車など作る気はありません。

 むしろ、彼らが考えているのは、アングロサクソン的な「狩猟」「金融的手法」です。モ ノ作りが得意な日本人に工場はまかせ、上前をはねるのが一番。そのために、日本の会社を買収するのが手っ取り早い、という理屈です。実際、マツダ、いすゞ はもはやビッグスリーの「一部」ですし、日産も「外資系」で、「外国企業の持株比率」でみた外国車のシェアは20%を優に超しています。つまり、日本の自 動車市場は「開放」されたのです。

 だから、ビッグスリーは自動車協議に関心がないのです。でも、日本の優秀な工場労働者に駆逐されるアメリカの労働者は反感を持っていて、労働組合に依存するクリントンの民主党がまだ自動車分野の「日本たたき」に固執し、自動車協議を続けている。それだけのことです。

 幸い、日本人はモノ作りと顧客サービスに圧倒的な国際競争力を持っており、だから、日本のメーカーを買ったり、日本に進出する企業が欧米にたくさんあるのだと思います。

 外国製シェアで市場開放度を測る手法は、以前は数値目標が好きだったアメリカ政府も最近は姿勢を転換しているぐらいで、グローバル時代にはやや難があるのではないでしょうか。(大辻さんへメールはotsujika@kyodonews.or.jp

 ●自由競争がある業界のみにある国際的な競争政策を語る資格 (水田幸直-オハイオ)

 萬晩報を興味深く読ませていただいております。100年前のアメリカ企業を想起させる巨大企業合併の記事を読んでの私なりの感想を述べさせて頂きます。

 独占禁止法とのからみでの牧野さんのご意見もうなずけるところはありますが、永年アメリカで生活した体験(1個人の限られた視野のもとでの感覚的意見ですので間違っていることも多々あると思いますが。)から判断するに萬晩報のコラム補足の方が、実態に近いと考えます。

 私は、1967年に東京で三菱銀行に就職し、ニューヨーク支店、シカゴ支店勤務を含め て14年間在籍しました。その後、アメリカから日本へ戻った時の日本の学校の記憶重視型、均一嗜好型教育に疑問を感じ、子どもにどこに住んでも生き延びる 能力と逞しさを持って貰う為に、三菱銀行を退職し、米銀で6年、プライスウオーター会計事務所で8年勤務し、今は、ミシガン州の日系製造業で財務担当をし ています。

 米国留学を含めて合計29年近くアメリカに住んで見て、日本とアメリカとの違いのなかで一番大きいと思うものは、自由と言う言葉に対する解釈・理解の差ではないかと思います。

 自由と責任が、実生活のなかで常に問われ、現実に個人の自由な判断によって齎された結 果は個人が責任を持つことが、日常的に実践されている社会と、何らかの規制の範囲内での自由は保たれているが、その結果に対する責任は規制を施行した相手 に転嫁し、自分ではとらなくても良いことが多分にある社会では、この自由と言う言葉の意味が異なると思います。

 特に銀行業界については、両国の銀行での経験からすると顧客との力関係は全く異なって います。日本の大手銀行は、その資金供給力を利用して、顧客の帳簿の細かいものについても吟味できる力を持っていますし、表面上の財務内容とは異なる実質 の財務内容をつかむ能力もあります。

 また、日本の会計制度が、投資家には内容不明な数字を記載することを可能にしていま す。時価価格を義務ずけているアメリカの会計制度と原価法を取ろうとしている日本では、公表数字の信頼性は言わずもがなと言う所です。アメリカで日本の銀 行のように、顧客の細かい財務資料を吟味できるのは会計事務所です。

 しかしながら、会計事務所は会計原則に乗っ取った会計監査をする必要があるし、顧客がつぶれた場合には、投資家から訴えられることが多々あります。また、資金供給能力もない訳で、会計事務所が日本の銀行ほどの力はありません。

 アメリカでも地方銀行、貯蓄銀行が経営危機に直面し、公的資金が導入されましたが、そ の時のアメリカ政府のやり方はつぶすものはどんどん潰し、公的資金を速やかに回収する方向で進めて、最終的な公的資金の導入を最低減に止めようと動きまし た。この結果、アメリカの銀行危機は日本に比較して短期に終わりました。

今回の日本の銀行が直面している危機に際して、日本の政府、銀行経営者が取っているやり方は、以前の護送船団方式の延長線上にあるとしか思えません。

 しかしながら、この公的資金導入に対して、一体どれほどの真剣さで議会、報道機関、知識層、強いては国民が議論したのでしょうか。 自由に対する責任の意識がまだ日本には育まれていないのでしょうか。

 独禁法の考えかたは、いろいろあるでしょうが、グローバルな経済体制の現況下自由競争市場がある業界のみが、国際的な競争政策を語る資格があるとの認識は強調しても強調しきれないほど重要なことだと考えます。

 巨大銀行を生み出すことが、この競争の激しい世界で生き延びる方法ではなく、自由競争 市場で独自の方法で生き延びることのできる企業しか生き延びるべきではない、との強い決意のもとに、日本の銀行業界、さらには金融業界の規制撤廃を進める べきと思います。もちろん、今ビッグバンにより、日本も金融の自由化が動いていますが、その際政府がどのような後押しをしてしまうのか、充分に注視する必 要があると思います。

 国民の一人一人が自由と責任は、一枚岩である事を認識する上で、日本のテレビゲーム業界の現況を勉強することも一つの方法かと思います。

 以上優れた情報の提供に深謝の意を込めて私見を述べさせていただきました。(水田さんにメールはymizuta@koyocorporation.com


このアーカイブについて

このページには、1999年11月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは1999年10月です。

次のアーカイブは1999年12月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。

月別 アーカイブ

ウェブページ