1999年2月アーカイブ

1999年02月28日(日)Conakry通信員 斉藤 清

 ◆冬眠から目覚めました
 日本から、やっとギニアへ帰ってきました。3カ月ぶりです。いつも旅の途中のような生活を続けているものですから、どこが本当に帰るべき場所なのか、あまり定かではなくなりつつあるような気もしています。


 ともあれギニアの、いくぶんかは住み慣れた首都コナクリにたどり着いて、『帰ってきたよ!』と独り言を言ってみると、それだけで、ここが自分の故国だったのかと自然に錯覚できてしまうほど、ギニアの大地は私に溶け込んでしまっているようです。

 異邦人には悪名が高い、コナクリ空港の快適ではない入国手続きのシステムに、ああまだやってるね、と微笑ましく、懐かしささえ感じてしまうのは、すでにまともな日本人の感覚を失ってしまった証左かもしれません。

 ◆バナンフルフルというマリンケの語感
 この季節、西アフリカ一帯はごく薄いもやに包まれています。晴れてはいても青い空ではありません。日本の春霞というほどではないものの、一日中淡くも やっています。コナクリ湾の沖に浮かぶカサ島も、どんよりとよどんで見えます。暑さはそれほどではありませんが、朝は26-7度、日中で32-3度くらい でしょうか。

 マンゴーの大きい樹は青い実をつけています。まもなく紅く色づき始めるのでしょう。海岸ギニアでは、マンゴーは年に最低2回は花をつけます。青い実の隣の枝には、次期の花がひそやかに開いています。

 南米原産というセイバ(Ceiba pentandra)は、樹高30メートルを超える大木で、直径数メートルの太い幹と、曲がりくねった板根の奇怪さには似合わず、小型の枯葉色の紡錘形の実を細い茎でぶら下げています。

 もう少しするとその実がはじけて、中の綿毛が風に舞うはずです。地元マリンケの言葉では『バナンフルフル』と呼ばれています。私はその語感が大好きです。

 今は緑の葉がびっしりと茂っています。この樹は、人の住む場所にだけ育っている大木 で、ほんの少し前の奴隷売買があった季節に、南米からの荷物を入れた箱の詰め物として使われた綿毛が、アフリカの土に根をおろして、大きく育ったものと言 われています。アフリカと南米との過去の交流を大地に刻み付けている生き証人です。

 ◆バオバブは孤独?
 高地ギニアに自生するバオバブ(Adansonia digitata)は、もうすべての葉を落として、長さ40センチ直径20センチほどもありそうな、ラグビーボールに似た形の堅い実だけをいくつもだらしなくぶら下げています。

 熟して乾燥した実の表面には細かいとげが無数についていて、少し油断をして手つかみにでもしようものなら、とんでもない苦しみを味わうことになってしまいます。

 実の中のすでに乾燥した果肉は、ラムネ菓子のような味わいです。カルシウム、ビタミン B、Cがたっぷりと聞きますが、自分で確かめたわけではありませんから、真実のほどは知りません。葉は野菜のように利用され、樹皮はその繊維が活用される とともに、薬としても使われているようです。

 バオバブは、アフリカ固有の種と言われていますが、少なくとも私の知る範囲のギニア国内では、マンゴーの樹と同様、そのほとんどは人の日常の生活圏内にあって、人里離れた山の中にぽつんと育っているという例を知りません。

 野性的に群生することはなく、村の守り神ででもあるかのように、古い村の中心に2、3本がしっかりと育っている事が多いように思えます。樹高の割に幹が極端に太く、しかも寸胴で、かなり不恰好な樹ではありますが、それゆえに多くの人に愛されているのかもしれません。

 バオバブは乾燥した土地に育つもののようで、ギニアでは、高地ギニアでだけ見ることができます。高地ギニアにある、私の好きな現場キャンプは、首都コナクリから東へ陸路約950キロ走った場所にあります

 この時季は乾燥が極端に進んでいて、今朝の現地からの無線の報告によれば、昨日の朝の気温22度、昼38度、午後3時頃は45度になり、湿度は手元の湿度計では測定不能の10%未満との事でした。

 現場キャンプから13キロ離れた村に、バオバブが3本一直線に等間隔で並んでいます。 いかにも人為的に植えられたもののようです。樹高おおよそ30メートルくらいでしょうか。この近所には別の株がまったく見当たらないところを見ると、自然 の状態で種子が芽を出し、樹に成長する確立は非常に低いような気がしています。

 ◆またまた言い訳です
 そんなわけで、永らく冬眠していた私めも、伊豆の鶯のさえずりに誘い出されて、目を覚ましました。気温マイナス20度のストックホルムで『八甲田山』を 体験した直後に、コナクリ経由気温45度の現地キャンプ入りというのもかなり刺激的ですが、来週はその刺激的な経験を更に上積みすることになっています。

 コンパスとGPSを頼りに、石ころを拾いつつ一日中現地の山の中を彷徨する、というス ケジュールが待っています。『ギニア山中彷徨』で灼熱のために焼死しないことを今から願っています。その作業が片付きしだい、コナクリに戻って『まじめ』 に、『Gold News from Guinea』の発行を再開したいと念じておりますので、皆様のご理解をお願い致します。

 ◆次号予告
 昨年12月に行われた大統領選挙の経過と結果、そしてその際に逮捕され、現在も拘留中の大統領候補者の事も、次回にはお知らせしたいと思っています。非 常に古い情報となってしまいますが、日本ではまったく報道されることのない内容ですので、お楽しみに。あわせて、今回の大統領選挙の表の立役者であった内 務大臣との単独会見記もお届けするつもりです。(2月24日、さいとう・きよし)

 メールマガジン『金鉱山からのたより』はまぐまぐ http://www.mag2.com/ (ID:0000005790)で配信します。
 斎藤さんへsaitoh@mirinet.net.gn

1999年02月26日(金)イラストレーター 竹中 恭子

 ◆違い生む独特な書籍配置

 個性的な本屋が増えてきている。東京・千駄木の往来堂書店に行ってきた。なにが有名かというと広さではない。20坪ほどのごく小さな書店で、営団地下鉄千代田線の千駄木駅前を走る不忍通りを上野方向に歩いて5、6分の所にある。


 店に入れば一目瞭然。まったくといっていいほど普通の本屋と書籍の置き方が違っている。

 まず、びっくりするのは、足元の床に雑誌が置いてあること。すのこ(ふろ場にある、あ れです)の上に置いてあるものの、一般書店では一番目につきやすい所にあるはずの雑誌のほとんどが床にあり、目線を上に移していくに従って、それらの雑誌 に連するテーマの書籍が書棚にならべられている。

 例えば、釣り雑誌やアウトドア雑誌の上に日曜大工や園芸の本。左の方に地球環境の本や土と堆肥の本、ごみ、リサイクルの本。さらにNGO活動やボランティア、ホームヘルパーや在宅ケアの本というふうにテーマが連想ゲームのように広がっていく。

 あいうえお順でもなければ、ジャンル別でもない。さらに言えば、サイズや形態別でもな い(新刊本と雑誌の別冊や写真集、文庫までが一緒の棚にある)。あくまで編集されたテーマによってつくられた棚なのだ。しかも、この棚、毎日変わる。情報 は生き物、本も野菜や魚を仕入れるのごとくという、店の方針によって煩雑に仕入れが行われ、読者にとっては誠にありがたい。探したい本が、すぐに見つかる 本屋なのである。

 この感性を生かした情報整理術とでもいうべき棚づくりをしているのは往来堂書店の店 長・安藤哲也さん(35才)。出版社の営業職として千店もの書店をみてきた経験を生かして1985年に大塚駅前にある田村書店の店長になるや、またたく間 に、この規模の店としては驚異的な前年比20%増の売り上げを記録。さらに1997年、ここ千駄木にも姉妹店の往来堂書店をオープンさせてしまったという キレ者だ。

 往来堂書店の総売り上げは月間約800万円、坪当たりの売り上げは13000円。一日の平均購買数は約250人。これも赤字に苦しみ、閉店が相次ぐ書店業界のなかでは驚くべき数字だ。

 ◆いつか読む本でなく今夜読む本
 「ビジネスチャンスがあるにもかかわらず、多くの『街の本屋』が『雑誌&コミック販売所』から脱却できないでいる」と同業者に直言する安藤氏のモットーは「うちで扱うのは、いつか読む本ではなく、今夜読む本」。

 効率のみを重視して「パターン配本」という悪しき方程式に頼って売どころを見失っていろ版元や取り次ぎ営業の怠慢をも指摘しつつ「本というのは答えじゃない。さまざまな情報の選択肢の一つとして書店が読者が本と出合うための手助けができれば」と言う。

 「毎日、棚をさわっていると、お客が手を触れた跡がある。迷った末に買わなかったなとか、こういう傾向のものを見ていく人が多くなったなとか、本を見ると分かる」

 だからこそ、何が必要とされているのかを読み取り、素早く対応しているのだという。

 「ここの棚から、ここへ本をひょいと動かしたりすると売れたりするんです。面白いものですよ。それを怠ると、どんどんデットストック化してきますから」

 不況のさなかで売り上げを伸ばしていくのには、さまざまな工夫が必要だ。こうした元気で個性的な「街の本屋」が増えるということは、読み手を育て、ひいては地域の文化度をアップさせるという役割も担っていくに違いない。(社会新報から転載=たけなか・きょうこ)


 竹中恭子はイラストライター。新聞、雑誌にイラストや文章を掲載。著書は「まりもちゃんのアトピー・ライフ」「まりもちゃんの野菜かんたんクッキング」(農文協)など。マスコミ人の親睦会である「ライターズネットワーク」会員。

 竹中さんへtsukiko@imasy.or.jp

1999年02月24日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄



 「日銀が銀行の"総持ち株会社"になる日」という過激なタイトルを考えついた。だれもがまさかと思うだろう。ピンとこない人もいるかもしれない。

 約1カ月ほど前に「国債という日本の打ち出の小づち」のタイトルで、国債は誰が買って いるのかと内容のコラムを連載した。今回は2月12日に内定した大手15銀行への総額7兆4500億円という巨額な公的資金の出し手の問題について考えた い。ちょっと難しいかもしれないが、日本という国の将来を考える上で不可欠な部分なのでつき合ってほしい。

 ●空前絶後の620億ドルという資金調達
 結論から言えば、日銀からの借り入れで賄うことになりそうな雲行きなのだ。「公的資金の注入」は自己資本増強が目的。具体的には銀行が株券を発行して、 国が買い入れることになる。たとえば第一勧業銀行は9000億円の公的資金を申請しているが、今日の株価730円で新株を発行すると株数は12億株強。現在の株数は31億株だから、発行総株式数は43億株となり、国のシェアが28%となる。

 すべての公的資金が優先株として投入されると東京三菱銀行以外の大手銀行の"筆頭株主"が日銀となり、発行済み株式の過半数が日銀となってしまう都銀も現れる。つまり実質的子会社である。日銀は1999年3月から実質的に東京三菱を除くすべての日本の大手銀行の「持ち株会社」となるのだ。

 厳密にいえば、銀行から直接的に株式を購入するのは「整理回収銀行」。その整理回収銀 行に資金を出すのが「預金保険機構」(預保)。その預保が実際に資金調達することになっている。だから、預保が日銀から借り入れて、現実には整理回収銀行 が大手銀行の株主として登場することになるが、分かりやすくいえば、上記の通り日銀が実質的な株主となるのだ。

 「金融機能早期安定化策」では、公的資金の資金調達方法は「金融機関からの借り入れな ど」と説明された。預保には債券発行の権限も与えられているため、当初は債券発行で資金を集めようとしたが、長期金利の高騰で断念。当面は0.5%という 超低金利の公定歩合で借り入れするのが得策と判断したもようである。

 ただ、3月に調達して大手15銀行に注入される7兆4500億円は米ドルで620億ドル。金額は1回の資金調達としては世界的にも空前絶後である。

 これが金利市場に影響を与えないはずがない。日銀はすでに国債保有に50兆円。預保貸 し出しに7兆円。CP買い入れに8兆円内外の資金を出している。CPは大手企業が発行した短期の"社債"のようなもの。いずれにせよ通貨量の増大=日銀券 増刷は免れえず、どう弁解しようと将来のハイパーインフレにつながる大きな爆弾をさらに抱え込むことになる。

 ●公的資金=日銀借り入れ
 さて公的資金という言葉である。なんとなく分かったようで、具体的に説明しろと問い詰められれば言葉に窮してしまうはずである。そもそも一昨年の 1997年12月、「30兆円の公的資金導入」(その後60兆円に)という表現で突然出てきた感がある概念である。

 「公的資金」は政府のお金である。ところが厳密に政府のお金という意味合いでは「財政 資金」しかない。財政資金は税金や国債を発行して得た資金である。公的資金とわざわざ言うからにはこの「財政資金」でないことは確かだ。何を隠そう政府に はもうひとつの打ち出の小づちがあったのである。すでに説明したように最後の貸し手としての日本銀行だ。

 預保が債券を発行するという手もないわけでなはいが、その場合でも誰がその債券を購入するかと言う問題に突き当たる。巨額な資金源といえば、現時点では日銀か郵便貯金を牛耳る資金運用部しかないのである。

 お金というのはそう簡単に貸してもらえるものではない。まず信用力が問われ、返済能力も必要だ。でなければ担保を取られる。いうまでもないことだが、借り手に対して必ず貸し手が存在する。

 しかし、過去の景気対策でも今回の公的資金問題でも議論はいつでも借り手の事情ばかり に偏っていた。国会議員もマスコミも誰が貸す側の事情にはあまり焦点を合わせてこなかった。まだ国家に余裕があったからである。だがこれからはそうはいか ない。日本という国が必要としているお金の金額が昨年から桁違いに大きくなった。銀行をつぶさないという政策の代償は限りなく大きい。

 次回は「預金保険機構」について解説したい。


1999年02月22日(月)
萬晩報通信員 五賀祐子


 1998年4月3日付萬晩報「サインで銀行口座をつくってみよう」を覚えていらっしゃいますか。なぜ日本ではこれほどハンコが幅をきかせているのか、翻ってなぜ、日本ではサインが本来の署名として認められていないか、というところに鋭く切り込んでいて、私には記憶に残る一編だった。まだ読んでいない方は是非バックナンバーをご覧下さい。

 それ以来、シャチハタ印を捺すたびに、その朱の色とともに「自書すること能わざる場合には、記名捺印」という法令の一節を思ったりしていたので、政府の事務次官等会議申し合わせ「押印見直しガイドライン」を目にしたときは「ついに日本の政府もハンコ社会の改革に乗り出したか」と感慨深いものがあった。

 このガイドラインによれば、今後各省庁で以下のような場合は見直しを行うという。

  1. 記名(署名が要求されないもの 印刷、ゴム印などの記名でも許される)
    ア 本人確認の必要がない、あるいは、確認には別の手段がつかわれるものなど、捺印の根拠がないものは廃止。
    イ ア以外でもできるだけ記名押印か、署名かの選択ができるようにする
  2. 本人の署名を要求しているもの  原則押印廃止とする
 「やったー。やはりお役所もやるときはやるのかも」と思ってその発行年月日を確認すると「平成9年(1997年)7月3日付」ではないか。「あれ、萬晩報の日付より9カ月も前。どうなっとるんや」。そこで、こういうお役所文書につきものの「スケジュール」部分を見た。
  1. 見直しは1997年8月末までに行う(つまり2カ月でするんだ、けっこう速いね)
  2. 見直し後、1年以内に具体的措置を取る(押印を廃止すると、様式を変更したりする必要が生じるから。といっても、これは長すぎる~)
 で、遅くとも1998年8月末には、具体的措置が取られるはずであった。しかし実際には...

 この申し合わせに従い、厚生省では「薬剤師免許の書き換え交付申請等の押印を見直し、薬事法施行規則の一部を改正し、1999年1月11日付医薬安全局長通知「医薬発第18号」をもってこのことを周知した」こととなった。即日実施である。

 というわけで、ちょっと遅くなったけれども見直しは行われ、法律改正などの具体的措置も取られたようです。ただし、申請書などにある「印」マークは「当分の間、これを取り繕って使用することができる」とのこと、すぐに消えてゆくわけではなさそうです。

 このことが、お役所だけでなく、わけもないのにハンコを要求されたり、やたらに必要ない個人情報を書かせたりする社会を変えていくきっかけになればと願ってやみません。

 最後に、上記の事務次官会議申し合わせの前文によれば、この「押印見直し」の動きは地方公共団体からはじまり、その支援のために国としても見直すことにしたらしい。

 念のため、行政機関のホームページを調べて見ると、熊本県の行政改革の取組例の欄に 「押印見直しに併せて県立施設利用申請書の簡素化(平成11年4月を目標とし可能なものは10月から実施)」とある。詳細は分からないながら、やはり何事 も地方から、個人からっていうことだなあと納得したような次第です。

 五賀さんへのメールmushi@mue.biglobe.ne.jp
 五賀さんのホームページhttp://www2s.biglobe.ne.jp/~goga/


1999年02月20日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 選挙を市民の手に取り戻すため候補者を集めた「公開討論会」を開催するネットワークが全国規模で広がっている。1996年2月の京都市長選を皮切りに市長選では17カ所、知事選6カ所、衆院選2カ所、98年参院選23カ所、計48カ所で開かれているから驚きだ。

 それぞれ政党色はなく、呼び掛け人は地域に住む会社員であったり、企業経営者、主婦などさまざま。特に学生のがんばりが目立つ。多くは数百人規模だが、長崎知事選では1900人、八代市長選でも1200人の参加があるなど日を追って注目度を高めている。

 公開討論会の特筆すべき点は候補者全員を説得して壇上に立たせ、政見を発表するだけでなく聴衆からの質問にも答える機会をもたらしたことである。

 旧来の選挙では、候補者それぞれが個人演説会と名打って支持者を「動員」し、忠誠度を 試すような会合を小まめに開くことが中心で、一般の市民が参加し、しかも候補者全員の考えをまとめて聞くチャンスはなかった。1973年までは「立会演説 会」で各候補が順番に政見を開陳する場があったが「誹謗中傷の場になる」と同年の公職選挙法改正に廃止された。

 ネットワークの中心は東京都赤坂に本拠を置く「地球市民会議」。代表幹事の小田全宏さ んは東大法学部を卒業後、松下政経塾入りし、1995年に環境問題や教育、政治経済への提言を行う同会議を設立した。15人の幹事のうちほとんどがそれぞ れの地域で公開討論を実現させた人たちで、4人が学生である。

 小田さんが1998年2月、エポック船橋主催の講演会で「公開討論会のススメ」を語っている。

「知的レベルの高い人ほど投票率が低いのは先進国では日本だけ。9割が義理人情で投票している。義理人情が悪いとは思わないが、せめて半分の議員は政策で選ばなければならない」
「アメリカの議員には毎日100通以上の手紙が来る。ほとんどが議会発言に対する賛否の意見だ。日本の議員への手紙のすべてが陳情だ。この現実をみなさんどう思いますか」
 公開討論会の開催では、まだ現職候補が新人候補と対等の場で議論するのを嫌って参加を見合わせたりするケースも少なくないが、長崎知事選でマスコミが大々的に取材するようになってから、風向きの変わってきている。

 彼らの活動はThink Japanの大塚寿昭先生からのメールで知った。以下、ネットワークの一人林聡志さんからのメール内容を紹介する。

 ◆愛媛県のメディアを独占した公開討論会
 今までに全国各地で中立公平な市民の主催による公開討論会が開催されています。例えば、12月10日松山市で開催した「知事候補と語ろう」公開討論会で は、現職知事を含めて4人の候補者の生の声を聞きに、県民800人が参集し、その様子はマスコミに取り上げられ大盛況でした。午後7時から2時間にわたる 議論を愛媛CATVを完全生中継、県内各地のケーブルテレビ局向けに中継録画ビデオを配信しました。

 地元の愛媛新聞は翌日朝刊1面の他に3面、さらに8、9面では見開きで討論会の模様を掲載した。そもそも地元民放4社の合同開催で、ラジオも含めて数日間、公開討論会の議論は愛媛県のメディアに流れ続けた。「スッ凄い」です。愛媛新聞社・県知事選特報を見て下さい。

 ◆お祭りのようで本当に面白いんです
 このように、現在全国各地で公開討論会が広まりつつあります。市民が主催し、中立公平に行われる公開討論会は、私達有権者にとっても、候補者の生の声が 聞けるだけでなく、参加していただいた候補者にも喜んでもらえています。また、過去の例をみても投票率が平均して約10ポイントアップしているなど有権者 の関心を促すものでもあり、社会的にも意義あるものです。

 また、この活動をしていていると、お祭りのようで本当に面白いんです。これはあなたの 町でもできることです。これまで公開討論会を開催してきた方のほとんどは、学生、主婦、会社員、JCなど、ごく普通の市民が数名で実現したものです。あな たもほんの少し勇気を出して、自分達の街で公開討論会を開いてみませんか。公開討論会をしたいという方を募集しています。一緒にやりませんか。

 この公開討論会を行う条件は、政治的に中立であることが必要です。また、あくまで公開討論会を実現させることが目的ですので、公開討論会終了後は"公開討論会を実施する会"は解散します。決して圧力団体にならない様、細心の注意をはらわなければなりません。

 ◆日本の政治を大きく変えるキッカケに
 神奈川では知事選挙の他に市長選や県会議員選挙で公開討論会の実施を予定しています。注目の都知事選のほか、都内各地で準備されています。そのほかにも、全国各地で予定しています。

 マスコミもおおいに注目しています。現在、神奈川県と東京都知事選の公開討論会の動きをニュースステーションがドキュメントとして追っ掛けています。(3月24日ごろ放送予定)

 さらには、日本電算機(株)の石井孝利社長(東京インターネット創設者)の好意により この公開討論会のインターネットライブ中継の実験が可能になりました。これは全国ではじめてのことです。もちろん、その後もホームページでみることができ ます。もしかしたら、日本の政治を大きく変えるキッカケになるかも知れません。これからも注目してください。

◆これまで開催された各地の公開討論会
市長選(17) 京都市、名古屋市、藤沢市、船橋市、鎌倉市、神戸市、市川市、八代市、津市、浦安市、福岡市、逗子市、近江八幡市、和歌山市、岡山市、広島市、小野市
知事選(6) 宮城県、長崎県、滋賀県、香川県、沖縄県、愛媛県
衆院選(2) 埼玉11区、宮城6区補選
参院選(23) 北海道、宮城県、山形県、茨城県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、長野県、福井県、静岡県、滋賀県、京都府、兵庫県、島根県、岡山県、広島県、福岡県、佐賀県、長崎県、大分県、宮崎県、鹿児島県

◆関連リンク集
リンカーンフォーラム http://www.r-u.com
名古屋市長選公開討論会 http://www.user.aimcom.co.jp/~matswra/city/index.html
市川市長選公開討論会 http://www.shutoken-shiminkaigi.org/chiba/ichikawa.html
長崎県知事選合同個人演説会 http://member.nifty.ne.jp/uranaka/koukai.html
産經新聞(98参院選) http://www.sankei.co.jp/databox/paper/9805/12/paper/today/national/na1/
愛媛新聞(県知事選特報) http://www.ehime-np.co.jp/99chijisen/taiwa.html

◆問い合せについて  お手数ですが、以下のアドレスに<cc>でお問い合わせください。
林 聡志<s-h@mail.t3.rim.or.jp>
内田 豊<uchiday@ann.hi-ho.ne.jp>
リンカーン・フォーラム事務局<webmaster@r-u.com>


1999年02月17日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄


 1999年02月15日付萬晩報「特定という名の不特定--臨時暫定特定国家」に興味ある2通のメールが届いたので紹介したい。ひとつは使命を失ったまま存続を続ける通産省の外郭団体の実態であり、片や飲料用に転用できるからと医療用アルコールに酒税相当分が"課税"されているというとんでもない話である。

 中央官庁や地方政府の外郭団体にはほとんど世間から忘れ去られた団体が多い。OBたち の定年後の格好の天下り先であるというだけでひどい話なのに、時代錯誤の国の基準認証の隠れ蓑になっている場合が少なくない。医療用アルコールを飲んでい たのは終戦直後のモノ不足の時代である。今どき、飲酒目的で薬局でアルコールを購入する人がいるとは考えられない。こんな時代錯誤は即時、廃止すべきであ る。【伴 武澄】


 ●国産OSシグマを死滅させたまま存続するIPA
 米国カリフォルニアにて、ソフト関係の仕事をしております。職場は5名だけのスタートアップベンチャーです。「特定という名の不特定--臨時暫定特定国 家 」を読ませていただきました。日本において、ソフトウェア産業もまた通産省が"仕切って"いるわけですが、やはり官僚丸出しの体制だと実感しております。

 1980年代後半に「西暦2000年にはソフトウェア開発者が30万人不足する」とか いうキャッチフレーズを掲げ、IPAなる団体を立ち上げたのは通産省です。そのIPA主導で開発された国産OSシグマは、2000年問題を待つまでもなく 絶滅した模様です。仮に存続していたとしても、2000年問題はクリアできなかったことでしょう。仕組みとしては、どうしようもない代物でしたから。

 10年ちょっと先の技術動向など読めるはずもない連中が2000年には何人の技術者が 不足するなどと豪語して特殊法人を立ち上げる。そして、そのIPAは実質上、ソフトウェア技術者があぶれて、今も立派に存続しています。いつの間にやらそ の役目はコンピューターウィルスの情報収集などに変わったようですが、セキュリティーに関する情報なら米国のCERTなどをウォッチしている方がよっぽど 迅速・確実な情報が入手できます。

 つまりは、IPAなどという団体に存在価値はないわけです。シグマOSが存続していない以上、彼らは収入源を持ってないはずです。逆にその団体が存在するということによって、納税者からのお金が流れているということが容易に推定できます。

 あるいは、情報処理技術者試験なども、同様の位置づけですよね。昭和40年代に「情報 処理に従事する技術者を育成するため」という目的で一種、二種情報処理試験からスタートしたわけですが、今や特種・ネットワーク・アプリケーション・シス テム監査などのメニューが追加されています。

 つまり、当初の目的だった情報処理技術者の育成などという理由はすでに達成されている わけです。あとは、その仕組みの維持そのものが目的となるだけです。そして、その情報処理技術者試験に合格するためには、開発現場ではまず使われることの ない知識の習得が強制されます。Microsoftのやっている試験のほうがはるかに実用になります。

 ソフトウェアに限らず「一旦たちあげた以上はなにがなんでも外郭団体は存続させよう」という連中が産業を仕切っているわけですから、私は日本の将来には悲観的です。「身内の首を切らない」ために、全員が危機にさらされる仕組みの縮図がそこにあるからです。

 だからこそ、競争原理が存在し、元気のあるカリフォルニアにて働くことを決心した次第 です。実際、こちらは面白い。自分の実力を向上させ続けないと生き残れない社会というと大袈裟かもしれませんが、会議ばかりで何も生産しない日本の会社に いた頃よりは、毎日がはるかに充実しています。(パロアルトにて 匿名希望)


 ●酒税相当分が課税されている医療用アルコール
いつも萬晩報を興味深く拝見しております。最近、2月15日号と同じような経験をしましたのでメールいたしました。消毒に用いるエタノールに酒税がかかっ ているという話を聞きまして、河野太郎衆議院議員にメールしてお尋ねしたところ、大蔵省いわく「そのような事実はない」との返答が来たそうです。

 再度調べてみたところ、エタノールは通産省の外郭団体「日本アルコール販売」が専売し ており、医療用途に用いられるものは酒税相当分の上乗せがされていました、確かに大蔵の言うとおり酒税ではないのですが、同じ税率のものがかかっておりま す。大蔵が知らないはずはないのですが、酒税がかかっているかと聞かれたのでそういうことはないと答えたまでだとのことでした。

 エタノールの販売価格には一般価格と特別価格の二通りがあります。一般価格は医療用などの価格、特別価格は工業用として酒税相当額の上乗せがないもので、 両者には大きな価格差があります。

95度のエタノールの場合、医療業者は1リットルあたり966円で買っており、工業用途で使う場合は146円です。この差額820円が酒税相当分になります。本体価格を100とすると酒税相当額は84.8% 税率にすると560%以上に相当します。

 一般に使われている消毒用のエタノールは若干濃度が低いものの酒税相当額が81.5% を占めていると聞いております。先に述べた特別価格は法令で定められた物品の製造用途に使用するアルコールに適用される価格で、残念ながら消毒用エタノー ルは飲料用に転用可能との趣旨で適用除外されております。

 液体消毒剤であるアルコールにはエタノールの他にイソプロパノールがあり、前者の方が 広範囲に作用します、後者の酒税相当分の上乗せはありませんが、毒性があるため口腔内では使えません。致死量が定められ、消毒に用いられる薬剤にほとんど の医療従事者が知らずのうちにこんな酒税まがいのものを取られているのは納得がいかないものであります。またアルコールは多くの医薬品の製造に用いられま すが、一部を除き一般価格で納入されていると聞いており、価格に上乗せされております。

 消毒用のアルコールは飲料用として転用できるから酒税相当分をかける、しかも文句の出ないように大蔵ではなく通産が価格上乗せをすると言う構図です。215号をみていて根は同じだなと思ったのでメールさせていただきました。(東京都小金井市、医師)


1999年02月17日(木)
マレーシア国民大学講師外国語学部 BAN Mikiko


イスラームの大祭り「ハリラヤ・アイディルフィトウリ」の余韻がまだ残っているころ、クアラルンプールの町に「赤」が目立ち始める。チャイナ・タウンを初め、市内のあちこちに赤い提灯が飾られ、赤い短冊に毛筆で「恭喜発財」「花開富貴」「福」「春」などの文字が踊る。

 本屋や文房具店には真っ赤なカードがずらりと並び、銀行でもお年玉袋である「紅包」(ホンパオ)の束が配られる。「今度は私たちの番!」とばかりにマレーシアの中国文化が自己主張し始めるのだ。

 今年のチャイニーズ・ニュー・イヤー(農暦新年)は2月16日。中国の旧暦のイスラーム暦と同じ太陰暦であるが、前者が3年に一度、13カ月目の月を加えて太陽暦との調整を図るのに対し、後者は太陽暦に比べ約11日短く、その分、毎年祭日が早まっていく。

 1996年から1998年までは3怪連続してイスラームのハリラヤと中国新年が重なっ た。32年に一度の二つの文明のランデブーである。Hari Raya(大きな日)とGong Xi Fa Cai(恭喜発財)を結びつけた「Gong Xi Raya」という新語ができ、人々はこの「Double Festival」をめでたさ2倍として祝った。

 Gong Xi は、「ともに分かち合う」という意味のマレー語 kongsi と同音である。異なった文明の人々が隣り合わせで生きていかなければならない宿命にあることを真摯に受け止め、これまで歩んできた独立40年の道のりを感慨を持って振り返ったに違いない。

 ある者は21世紀のあるべき姿に思いを馳せたかもしれない。宇宙の神秘に対する認識の違い、長い歴史の中で守られてきた文明の心髄としての暦(こよみ)について、思いを巡らし、すっかり気宇壮大な気分になったものだ。

 今年から一つの暦はまた少しずつ離れていく。2029年の次の出会いまで。

 赤道に近い熱帯の地で、汗を拭きふき、師走のチャイナ・タウンを歩いた。花屋には金柑 (キンカン)の鉢植えや菊の花束に混じって株の付いた梅の花やレンギョウが並ぶ。みかんは金への連想から、めでたい果物とされ、菊は香りがよく仏様が好ま れると言う。レンギョウの中国名は迎春花である。

 隣りに並んだ真っ赤な極楽鳥と呼ばれる現地産の花に比べて生気がなかった。私は厳しい冬の後、一斉に咲き乱れる北京のレンギョウの美しさを思い出し、春のない国でもなお春を求めようとする南洋華人のけなげさに哀しみすら覚えるのだった。

 彼らは、19世紀から20世紀初頭にかけてまだ英領マラヤといわれたこの地に徒手空拳で、いわば清朝の棄民としてやってきた。南洋華人たちは中華文明の伝統の薄いこの熱帯の地で毎年どのような思いで「正月」を迎えたのだろうか。

 過酷な境遇に耐え「先苦後甘」「節倹貯蓄」「刻勤耐労」などを人生訓として生を紡いで きた人びとにとって、年に一度、体を休めることのできる「正月」はまさに人生の「春」だったに違いない。そして彼らにとって「財をなすこと」は最高の 「善」である。だからこそ、この地では新年のあいさつは「新年快楽」や「新年好」ではなく「恭喜発財」なのだ。

 私が教える学生の中にも「母は小学校しか行かなかった」「母は文字があまり分かりませ ん」「パパの家は貧乏だったので中学3年までしか勉強していません」などと作文を書いてくるものがいる。彼ら自身はマレーシア国民の新世代として、すくす くと育っているように見受けられるが、祖父母の顔には艱難辛苦の後がしわとなって刻み込まれているに違いない。

 中国系の学生が主宰した中国新年前夜祭に招かれた。国民大学の大ホールの舞台に24個の大太鼓が並び、そのひとつずつに「雨水」「啓蟄」「春分」「清明「穀雨」などの名前が付いていた。私は見覚えのあるそれらの文字を見てハッとした。

 多民族社会マレーシアにあって日本と中国文明の近さに改めて気付かされたのだ。学生の 一糸乱れぬ力強いバチさばきはすばらしかった。その響きは私の胸を突き抜けて心臓の鼓動を高めた。民族の「生」のリズムともいうべき「暦」は常夏の異境に あっても常に24節気のリズムを保ってきた。

 農暦新年に始まり、3月の清明節、5月の端午節、8月の仲秋節などマレーシアの華人社会では中華文明の伝統がいまの脈々と受け継がれている。


 BAN Mikiko氏は、国際交流基金の駐在員としてクアラルンプールに赴き、4年半の勤務の後、同基金を退職、日本語教育のためにクアラルンプールに留まり、 マレーシア国民大学のタイバ女史の要請で現在、同大で教べんをとっています。まだメールが出来ないので、ご意見がありましたら萬晩報経由でFAX送信しま す。

 1999年01月29日(金) 「平和なマレーシア」という愛唱歌を持つ国家 BAN Mikiko
 1999年01月12日(火) マレーシアのラマダーンの1カ月
 1998年11月22日(日) マレーシア的マルチ言語社会


1999年02月15日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄


 萬晩報がまだ世に出る前、「日本を映す三面鏡」というコラムを書いていた。読者はゼロである。まだ多くの読者には目に触れていない1997年07月20日付け「特定という名の不特定--臨時暫定特定国家」を再録したい。
 「特定新規事業法」という聞き慣れない名前の法律が1997年にデビューした。通常の日本語 に翻訳すると「ベンチャー企業の資金調達支援法」。通産省が認定した企業に産業基盤整備基金(郵便貯金の一部を運用する通産省の基金)が債務保証したり、 官民共同のベンチャーキャピタルである「新規事業投資」(官民出資の会社)が出資したりする制度だ。

 しかしどう読んでもこの法律の「特定」が「ベンチャー企業」を意味するとは理解できそうにない。今日は官僚が国民を体よく騙すノウハウがたくさん詰まっている用語について説明したい。

 「特石法」という法律を覚えている人は多いと思う。「特石法」が1996年4月に廃止され、ガソリンの輸入が解禁された。

 「ほう、ガソリンは輸入が禁止されていたんだ。輸入ガソリンがなかったから競争もなく、ガソリン価格が高値で維持されていたんだ」

 多くのドライバーは当時そんな感想をもったに違いない。実は、廃止が決まった前年から市中のガソリン価格は一気に下落した。ガソリンが輸入されるということが分かっただけで、価格が下がるのだから市場主義経済は恐ろしくもおかしくもある。

 この特石法の正式名称は「特定石油製品輸入暫定措置法」とややこしい。頭のいい人が読 めば、特定の石油製品を暫定的に輸入するための法律だと考えそうだが、実は逆だった。通常の日本語では「ガソリン輸入禁止暫定措置法」だったのである。官 僚が作る法律にはこの手のものがいくらでもあるから騙されてはいけない。

 特石法が、施行された1986年4月1日以前、ガソリンの輸入は通産省への届け出だけ 済んだのだが、この日を境に「国内に精製設備を持つ企業のみが輸入できる」ことに制度が変わった。この「できる」がみそなのだ。普通だったら「国内に精製 設備を持たない企業は輸入できない」と法律に表記するはずなのに「・・・のみ・・・できる」と表記するところに官僚のずるさがある。だから事実上の輸入禁 止措置がなんだか輸入のための法律のような錯覚を起こすのである。

 特石法が制定された背景には、とんでもない経緯がある。ガソリンは1995年まで通産 省への届け出だけで輸入できたことはすでに述べた。制度的に輸入はできていたのが、それまで実はだれもこの制度を利用してガソリンを輸入しようとしなかっ た。国内で流通する石油製品はすべて国内で賄おうとする通産省にあえて反旗を翻す企業がいなかったでけではない。そもそも内外の価格差は少なく、輸入する メリットも小さかったからだ。

 しかし、プラザ合意以降の円高で内外のガソリン価格差は広がり、ガソリンを輸入するメ リットが大いに出てきた。そんなチャンスにお上に敢然と立ち向かうガソリン業者が現れた。神奈川県を地盤としたライオンズ石油の佐藤社長だ。佐藤社長は、 法律通りガソリンの輸入の届け出を試みた。驚いたのは通産省の輸入課だった。輸入できる法律があっても「よもや」と考えていたのだろう。業界をすべてコン トロールできると考えていた通産省はこの「届け出書」を受理しないという手段に出た。

 しかし、佐藤社長は諦めなかった。内容証明付き郵便で改めて「届け出書」を送りつけ、 シンガポールからの輸入手続きに入った。本来、届け出制度は「受理する」も「受理しない」もない。通産省はここでライオンズ石油に一本取られた。1986 年の正月、シンガポールからのガソリンを満載したタンカーの第一弾が大阪の堺港に入港した。なんとしてもライオンズ石油のガソリン輸入を阻止したい通産省 は、最後の手に出た。

 大蔵省に手を回し、ライオンズ石油の取り引き金融機関だった城南信金に圧力をかけた。 城南信金はただちにライオンズ石油に融資打ち切りを宣告した。資金繰りに窮したライオンズ石油は結局、ガソリンの輸入を断念せざるを得なかった。話を簡潔 に説明すると、こういうことが水面下で起きていたのだ。

 それで、堺港に入ったガソリンはどうなったかというと、日本石油が買い取り、通関上はナフサとして輸入された。ナフサとガソリンは組成上ほとんど同じだが、石油ショック以降の日本の石油化学業界への保護策として安い海外のナフサだけは輸入が許されていたのだ。

 通産省の石油政策は一貫して産業重視である。ガソリン税がべらぼうに高くて、軽油税が安いのはもちろん、原油を精製してできるもろもろの石油製品価格を国際的な市場価格に委ねるではなく、民生用のガソリンに多くの負荷をかける形で産業界に優遇措置を与えてきたのだ。

 名古屋のカナエ石油がガソリンの安売りスタンドを開店したときにガソリンの「供給ルート」を報告させようとしてマスコミに批判されたことは記憶に新しい。通産省はガソリンスタンドの設置を認めても「安売り」を敢行する業者に対してはあらゆる手段で阻止を図ろうとした。

 ライオンズ石油は金融機関を通じた圧力がかかったが、カナエ石油には石油元売りを通じて供給ストップをかけようとした。そして官僚と国内津々浦々にまでネットワークを張る業界との癒着を通じて国内の新しい試みをすべてつぶしてきた。

 そんな、通産省が「このままでは日本の産業がつぶれる」とベンチャー育成に乗り出しているのだから悲しい。新産業育成のためには官僚はこれまでなにをしてきたのだろうか。

 廃止されたこの[特石法」は日本の法律や制度、つまり官僚の発想を理解する上でこのうえなく興味ある存在なのだ。


1999年02月13日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 今日はアメリカのバーモント州の話をしたい。京都に行きつけの「あわじや」といううどん屋さんで話題になったからである。筆者にとっては飲み屋なのだが、飲んだくれているお客はほとんどいない。赤井博さんという淡路島出身のそのおやじさんにもようやく萬晩報のファンになってもらった。

 京都産業大学に通うアルバイトの女の子が大学のインターネットで萬晩報のバックナンバーを印刷してくれるようになったからで、くだんの赤井さんはまだimacを買おうかどうか迷っているような段階である。

 昨夜の話題は、最近、萬晩報にのコラムを書いたフィラデルフィアの川崎泰子さんだっ た。フィラデルフィアがアメリカ独立直後の首都だったことはだれも知らなかった。「アメリカを知っているようで、日本人にとって実はニューヨークとかロサンゼルスとかがアメリカで他の所はあまり知らないのだ」という結論になった。

  ●バーモントカレーって地名だったの!
 「ハウスバーモントカレー」は広い年代にわたって知られている食品である。筆者の世代だと西条秀樹がハスキーな声で「りんごと蜂蜜、トローリ溶けてるハ ウスバーモントカレー!」というコマーシャルソングを歌っていたことで有名なのだが、バーモントの名がアメリカのひとつの州であることはあまり知られてい ないだろう。

 なぜ「バーモントカレー」なのか。ハウス食品の広報室に電話を入れた。「創業者の浦上 社長が、カレールーを開発中、リンゴとハチミツの健康法がバーモント州にあることを知って命名した」そうだ。だがバーモント州の特産物は残念ながら蜂蜜で はなく、メイプルシロップである。

 筆者はバーモントには行ったことがない。ポピュラーのスタンダードナンバーの「Moonlight in Vermont」で知る限りなくロマンチックなバーモントはメイプルの枯れ葉と雪景色を思い浮かべるだけだ。

 実際のバーモント州はカレーとは縁もゆかりもない。アメリカ東北部のカナダに国境を接する人口がたった58万人の小さな州だ。主力の農産物の75%は牛乳やバターといった乳製品だ。もともとはフランスの植民地で、アメリカ独立時にはイギリス領だった。

 1791年に14番目の州として合衆国に加わった。州を南北に縦断するグリーンマウンテン山脈のフランス語「Les verts monts」がなまって「Vermont」となった。首都の Montpelier もフランス語の「裸の山」から来たという。

 この自然豊かなバーモント州で特徴的なのは都市がないことである。人口の4分の3が田 園地帯ないし郊外に住んでいる。州で二番目に大きな首都モンテペリーの人口はなんと8000人というから日本でいえば村である。だが「全米暮らしやすさ番 付け」では「アメリカで一番、空気が新鮮な州」に挙げられているという。

 ●究極のフィランソロピー企業
 バーモントには新しい企業経営が芽生えている。アイスクリームの世界的ブランドの一つ「ベン&ジェリーズ」である。日本でもセブンイレブンの店頭で口に した人も少なくないと思う。ロシア、カナダ、イギリス、イスラエル、オランダ、フランスなど20カ国でチェーンを展開中のブランドである。

 幼なじみのベン・コーエン氏とジェリー・グリーンフィールド氏によるアイスクリームと フローズン・ヨーグルトがバーリントンのガソリンスタンドに登場したのは1978年だった。借り入れを含めてたった12,000ドルで開業したベン&ジェ リーズは20年後の97年に売上高1億7400万ドルの企業に成長、ナスダックにも上場した。

 同社を特徴付けるのは、おいしいアイスクリームではない、毎年発表する「Our Mission」という会社から地域社会へのメッセージだ。10年前の1988年から税引き前利益の7.5%をフィロンソロピー基金として地元社会に寄付することを決めている。

 地域、家族、子供を重視し、経営と環境との調和、貧困といった社会問題までもが経営の課題となる企業である。アメリカ企業が短期収益指向で株主しかみていないというのは間違いだということが分かる。

 ベン&ジェリーズの三つのMissionは「良質な製品つくり」「社会貢献」「経営維持」のバランスに言及する。1997年「ソーシャル・レポート」で提起した「進歩的価値に導かれた経営指針」はとても資本主義社会の企業のものとは思えない。
 ・1920年以降、金持ちと貧困層の差はかつてなく広がっている。われわれは貧困層に経済的自立を与えるよう努力する。
 ・チャンスを与えられていない人々に対する配慮を忘れず、新しい経済的正義のモデルをつくり出すよう努力する。
 ・廃棄物を削減し、環境破壊を最小限に留めるよう努力する。
 ・有害な化学薬品への依存が強まる中で。食品生産と家族経営農場を社会的、環境的側面から支援する。

 モンテベリーとバーリントン間のウォーターベリー工場は州最大の観光スポット。アイスクリームの試食も含んで2ドル。楽しそうに仕事をしている工場の人たちに会えるそうだ。

 ●世界で初めて回った電気モーター
 蛇足かもしれないが、電気モーターはバーモント州で生まれた。ブランドンとフォレストデールとの間の小さな鍛冶屋で、オレンジ・サマリーとトーマス・デーベンポートという二人の若者によって世界で初めて電気モーターが発明された。

 1834年のことである。蒸気機関の発明は1765年である。フルトンが蒸気船をハド ソン川に浮かべたのは1807年。蒸気機関車は1814年である。モールスが電信機を発明する1年前でエジソンは13年後に生まれる。30年前の西洋史の 教科書にはモーターの発明は一言も触れていない。

 当時はモーターとはいわず、エレクトロ・マグネテック・マシンと呼ばれ、1935年1 月バーモントのミドルベリー大学のターナー博士によってその仕組みが公表された。その後、二人は別々の道で電気モーターの開発を続けることになるが、アメ リカの先端技術の一つがバーモント州という日本人も知らない辺鄙な土地で生まれたことを覚えておいて損はない。

■Vermont Venture Food Services http://www.state.vt.us/agric/director.htm#1
■Vermont Specialty Food Association http://www.state.vt.us/agric/vsfa/index.html
■Ben&Jerry's Ice Cream http://www.benjerry.com
■Green Mountain Coffee Roaster http://www.gmcr.com
■レッドバーン http://www.redbarn.co.jp

【読者の声】Mon, 27 Mar 2000
 私はVermont州の大学院に5年ほど留学して最近日本へ戻ったものです。ここで私の愛する二人の子供を授かることができました。インターネットで州 の記事を見るとは思いませんでした。おっしゃるように、当州は環境的、社会的にも先進的な州の一つです。記事に有ったベンアンドジェリーアイスクリームだ けではなく、Vermont National Bankという小さな銀行は、Sustainable Banking Fundという、環境特別会計をベースにした預金口座をアメリカで初めて成功させた銀行としても知られています。また、生協活動も極めて盛んで、私の住ん でいた町は人口1万人足らずの町ですが、東海岸最大の生活協同組合を持つ町でした。

 そもそもヴァーモント州が、環境保護に力を入れるようになったことと、60年代からの ヒッピー、ニューエイジムーブメントと切り離して考えることはできません。当時東海岸最大級のコミューンがあり、ベトナム戦争の時には多くの人が兵役拒否 をしてここへ逃げたり、さらにこの地域からカナダに逃げたということも背景にあるようです。

 現在は、ニューヨーク、ボストンに比較的近い地の利をいかし、また高級食材の生産で町 おこしを進めている州の政策もあり、物質的には貧しい(平均年収は全米平均以下)けれども、生活の質は極めて高い(住民の健康度は全米一など)州です。ア イビーエムはヴァーモントに主要生産工場をもつなど、リゾートと、ハイテク、サービス産業がバランスよくのびていく産業構造を目指しているそうです。 (小野沢)


1999年02月10日(水)
とっとり総研主任研究員 中野 有


 ●三海連携軸からユーラシアランドブリッジへ
 21世紀はどんな時代になるのであろうか。地域の活性化にとってどのような可能性を秘めているのか。夢のある環日本海の交流を模索してみたい。グローバ リゼーションが加速され国際輸送にも大きな進歩が見られ、アメリカの東海岸やヨーロッパに数時間のフライトで到達できると言われている。

 では、太平洋の貨物をヨーロッパに輸送する場合、時間とコストの面で最も効率的な輸送 手段はどうなのか。例えば、太平洋に面する高知の貨物を北米ルートやインド洋・大西洋ルートでヨーロッパに輸送する手段がある。しかし、地球儀を見れば明 らかなように、最短距離は太平洋・瀬戸内海・日本海の3つの海を経てユーラシア(アジアとヨーロッパ)の架け橋、すなわちユーラシアランドブリッジを経由 することである。

 21世紀の国際物流として三海(日本海・瀬戸内海・太平洋)連携軸からユーラシアラン ドブリッジ構想(国連等が研究中)が具体化されれば、境港が環日本海交流の拠点のみならず、太平洋とヨーロッパをつなぐゲートウェーとしての役割を担うの ではないだろうか。このように環日本海の交流をグローバルな視点より考えると夢が広がる。

 ●琿春-羅津間80kmに高速道路を
 環日本海交流の原点は、中国と日本を相互補完的に連携させることであり、その波及効果として朝鮮半島の信頼醸成が形成されたり、中国東北、極東ロシア、南北朝鮮とモンゴルを含むエリアに自然発生的経済圏が形成されることにある。

 しかし、この構想が叫ばれ国連が本格的に関与して10年の歳月が流れたが、日本政府を 動かすだけの大きな胎動が伝わってこない。この根底には、冷たい戦争が終結し歴史の回転の舞台は国際協調に移ったが、北東アジアには未だに冷戦構造が残っ ているという現実がある。その氷のような現実を溶かす奇策は存在しないのであろうか。

 それは、中国の吉林省や黒竜江省の背後にあるモンゴルやロシア、ひいてはヨーロッパの 物流が日本海に向けて集積する道を整備することである。その道とは、中国の琿春と北朝鮮の日本海に面する羅津間の約80kmの道である。中国、北朝鮮、ロ シアの国境近くのこの道は、国家の戦略上辺境の道として位置付けられており、実際の数倍の距離感が感ぜられる。

 もしこの道にドイツのアウトバーンまでいかなくとも4車線の高速道路が建設され、加え て簡単な手続きで北朝鮮への国境を越えることができれば中国から日本海へ1時間で到達することができる。そうすれば中国と日本の人と物の流れが本格化し、 境港をはじめとする日本海側の活性化に役立ち、おそらくその波及効果は計り知れないものになると考えられる。

 ●北東アジアのスエズ運河
 琿春と羅津(北朝鮮の日本海に接する港)を結ぶこの高速道建設の波及効果として中国の農産物や木材の原材料に加え、琿春の工業団地で外資と豊富な労働力 で作られた製品が羅津港のある日本海に向けられ、境港等の日本海側の港との物流の活性化につながるのである。

 またモンゴルが日本海へのアクセスを可能ならしめ、ユーラシアランドブリッジ構想が実現したあかつきにはヨーロッパとアジア・太平洋を結ぶ最重要拠点になると考えられる。まさに北東アジアのスエズやパナマ運河のような物流の拠点の役割を担うであろう。

 一方、北東アジアを取り巻く冷徹な国際情勢に目を向けてみると、軍事、或いは経済協力を通じ平和を構築するのか、そのクロスロードが目前に迫りつつある。従って今、環日本海交流の原点に戻り中国と北朝鮮の高速道の建設を国際的支援で行うことが必要ではないだろうか。

 この北東アジアのスエズ運河が国際協調の下で完成したあかつきには、太平洋とヨーロッ パがアジアを経由して最短距離で繋がるだろう。このように国家や民族を超越した多国間の協力による広大な連携構想を通じ境港が環日本海のゲートウェーとし て注目されるのではないだろうか。(なかの・たもつ)

 中野さんへnakanot@tottori-torc.or.jp


1999年02月07日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄


 2月4、5日と京都国際会議場で「関西財界セミナー」が開催された。今回のテーマは「日本再生、企業再生」。関西地区に本社を置く企業のトップの生の声を聞きに行った。とはいうものの筆者にとっては通勤するよりずっと近い。

 刺激になったのはアパレルのサンリット産業の小池俊二社長の話だった。外国人労働者問題で一人、開国論を張った。

 ●中小企業では今も人手不足
 現在、日本では企業のトップとか、英語教師や料理人など特殊技能者を除いて、外国人の就労は原則禁止である。一部開放されているのは日系人の「帰国労働」だけである。これはかつて移民で海外に渡った人たちの親族である。

 バブル経済のとき、労働力の逼迫がさけばれ、外国人労働の活用が議論されたが、生まれた制度は「技術研修生」。体のいい低賃金労働制度で、1年間の企業研修の後、2年間の就労が認められただけだ。主に中国などから組織的に導入され、中小企業を中心に働いている。

 小池氏は「雇用不安が高まっているときに外国人労働の導入をいうのは矛盾しているよう だが、中小企業の現場には、日本人はだれも見向きもしない。需給のミスマッチはいまも続いている」と労働力不足の悲惨な現状を紹介し、外国人労働者導入の 大幅な枠拡大の必要性を強調した。

 同氏によれば、5万人の正規の外国人労働者に対して、不法就労者28万人、不法滞在者 28万人もいる、合計で130万人もの外国人が日本にいるという。「日本政府の外国人対策は一方で締め付けし、他方で放置しているような状態だ」とする小 池氏の主張に日本の行政ダブルスタンダードを改めて思い知らされた。

 日本の多くの人々は外国人と聞くと「蛇頭」による組織的不法入国事件や犯罪を重い浮かべるが、技術研修生たちの素性はまったく違う。多くの場合「何千人のなかから数十人という形で選ばれたエリートたち」なのだ。

 ●活性化を生む異文化とのぶつかり合い
 パソナの南部靖之氏の話も萬晩報的に言えば当たり前だが、会場では異彩を放っていた。やはり外国人の問題で「1990年前後にアメリカが年間の移民受け 入れ枠を拡充して世界から優秀な頭脳を導入した」ことを紹介し、異文化とのぶつかり合いが今のアメリカ経済の牽引役を果たしていると主張した。

 ある分科会で、南部氏はそうした外国人導入のために「雇用省」の設立を提案したのだが、議論は本質のところの異文化とのぶつかり合いの是非には発展せず、「雇用省の設立は行革に逆行する」「労働省があるのだからそこでやらせればいい」など本末転倒となった。

 一部の新聞記事にも「後段」の論議が強調されて、南部氏の本意は理解されないままに終わってしまった。

 セミナーのテーマは「日本の再生、企業の再生」で一部からは「ここまできたら過激すぎるほどの議論が必要だ」との意見も出ていた。しかし、議論の多くの時間は「雇用の確保」と「雇用の維持」に割かれた。小池氏や南部氏の意見が多くの参加者の賛同を得たのではない。

 企業トップの日本に対する認識はこんなものである。そんな思いで会場を後にした。


1999年02月05日(金)
Silicon Valley 八木 博


 今回は、情報を価値に変える仕組みを考えてみたいと思います。今まで情報は独占するところに価値があった のですが、インターネットや個人の意識の変化で、オープンな情報を早くビジネスにつなげることが、世界の主流になってきました。それを米国がどのような仕 組みにしているかを眺めてみたいと思います。私の考えも入っていますので、ご了解ください。

 ●戦略的情報開示
 今まで、何度かお伝えしていますが、米国は1980年代には日本の経営を学びました。そしてその中から、会社のマネジメントを徹底的に強化してきたわけ です。そこで、仕事をシステム化してその仕事に合わせて、組織を変えてきたと思います。すなわち、仕事=情報のネットワークの成果、と考えることで組織を ネットワーク化して、動けるようにしているわけです。

 そこでは、情報を独占することではなく、開示することで仕事の効率が図られます。すなわち、情報を開示する仲間を作ることがビジネスの大きな枠組みになるのです。そしてそれらのネットワーク同士がさらにつながり、お互いの情報が共有される社会へと広がって行くわけです。

 情報を手に入れる仕組みはいろいろありますが、米国ではお金を使ってシステム化してい ます。すなわちアイデアを持つ人が、投資してくれるお金を持っている人に説明するところから情報開示が始まります。それを、系統的に行っているのが、ベン チャーキャピタルですし、あるいは株式公開サポートの機関です。

 すなわち、お金と引き換えに、情報を手に入れるわけです。もちろんその時には、ビジネスの形をしている情報になっていることが多いです。このときに多様性を認める社会という基盤が、新しいアイデアを出やすくさせているわけです。

 ●情報を高度化させる仕組み
 ベンチャーキャピタルのような、情報を集める仕掛けがあるわけですが、その仕掛けはさらにその情報の価値を高めて行きます。それは、単発的な情報を統合 することによって、新しい技術がどのような展開をして行くかの見極めをする役割になるのです。すなわち、単独でもすばらしい技術にソフトウェアをつけた り、周辺ビジネスと結んだり、広がりを持たせることが出来るわけです。

 もちろんビジネスでお金を儲けることが、ベンチャーキャピタルの目的ですから、投資し ている案件はもちろん成功させなければなりません。しかし、周辺のビジネスの展開も見えてくれば、投資の成功率も大きくなってきます。それで、最近のベン チャーキャピタルの投資成功率は5割を越えるといわれるようになったわけです。

 すなわち、個々の案件同士を有機的につなげることによって、お互いが支える形を取り始めたと言えると思います。そして、ベンチャーキャピタルが舵取り役をしていることになるわけです。

 株式公開と言う、情報集め米国では店頭公開株(NASDAQ)の時価総額が、ニュー ヨーク市場の時価総額を越えました。マイクロソフトや、Intelなど元気に良い会社がいるせいもありますが、新しいビジネスが成長していることを示して います。この店頭公開と言う時も、会社はその中味を公開してから、公開株と言う形で創業者は金銭を手にするわけです。そこでも、情報が開示されます。それ から先は、投資家が目を光らせますので、その情報も公開へと向かうわけです。

 Win-Winという新しい考え方が実証されている今までの考えではKnow- How(情報)を隠すことが価値を生んでいたのですが、現在では情報を公開するほうが、もっと価値を生むと言うことになってきたのです。それは、一人だけ ではリスクまで抱えてしまうのですから、投資など恐くて出来なくなるのですが、お互いが情報開示をすると、その中味を使いながらリスクを減らし、次のビジ ネスを生むと言うことが実証されてきたわけです。

 これは人類史上はじめての行動だと思います。自分も相手もHappyになれる世界をWin-Winと言うのですが、21世紀には日本もこの考えに基づいた社会の仕組みに大きく変化していると、期待しています。

 参考図書
 スティーブン・コヴィー著「7つの習慣」キングベアー出版。米国でのベストセラーでWin-Winという考え方が、重要な理由が良く分かります。ご一読をお勧めします。(日本でもベストセラーだとか)

 本情報につきまして、皆様からのご意見ご感想をお待ちしております。八木 博


1999年02月04日(木)
萬晩報主宰 伴 武澄



 3回続きの「国債という日本の打ち出の小づち」の配信と相前後して、読売新聞経済部の斎藤孝光さんと共同 通信社ワシントン支局の大辻一晃さんから長文の「所感」をもらった。斎藤さんは「日銀の国債買いは間違いか」、大辻さんは「財政赤字は全面的に「罪」なも のか」と題して、ともに異常事態にある現在の日本経済を打開するにはそれこそ「無理」も必要悪ではないかという主張である。

 筆者が主張し続けてきたのは、これまで臨時・暫定・特定などの措置で無理を重ねてきた結果、日本経済がとうとうここまで病んでしまったということだ。もはやカンフル剤も効かない状態で、数年間「絶対安静」を宣言されたも等しいのだと思う。

 日本の経済は長期低迷といっても、豊かさの水準はかなり高く、失業率はまだ4%台。 1200兆円もの個人資産がありなから、まだ世界有数の貯蓄率を保っている。数年間、マイナス成長が続いたところで大したことではないはずだ。副作用の大 きな劇薬をさらに口にする前に「ここらで一息を入れましょうよ」。飯島直子の缶コーヒーのコマーシャルではないが、声を大にしてそういたい。


日銀の国債買いは間違いか

読売新聞経済部 斎藤孝光

 いつも楽しく読ませていただいています。

 さて、議論沸騰中の日銀や財政投融資資金による国債購入の是非についてですが、私はむ しろ、現在のような状況下では、日銀がもっと積極的に国債やその他の債券を買っても良いのではないかと思います。ただし、市場から買い上げるべきであり、 政府から直接引き受ける(財政法で禁止されていますが)ことには反対です。

 日本経済にいま起きていることは、極端にいえば、「現金しか信用できない」という心理 状態(信用不安)の蔓延です。銀行は貸し倒れ回避や財務健全化のために「貸し渋り」を強め、企業も「貸し渋り」に備えて手元資金を厚く持っています。個人 も銀行に預けるよりは金庫に入れておこうとか、絶対安全(と思われる)な郵便貯金に移し替えるといった動きをしているわけです。つまり、経済活動の主体 が、一斉にリスクのある資産運用を回避し、タンス預金を始めた状況だと考えます。この結果、必要なところにお金が回らず、それが一層、手元の資金をたくさ ん持っておこうという動きを強める悪循環に陥っています。

 こうしたことから、取り付け騒ぎこそないものの、すでに日本経済は一種の金融恐慌に近 い状況にあるとの見方も広がっています。経済活動に不可欠な信用を生み出すメカニズムが壊れてしまっているからです。(こうしたことは世界規模でも見られ ます。昨年秋のロシア危機の後に見られた異常な長期国債金利の低下や円高は、日本の機関投資家がアメリカなどに保有する債券を売り払って、機関投資家に とっては現金に等しい日本国債に大量にシフトしたからでした)

 では、一国の経済について、最終的に信用を保証出来るのはだれでしょうか。通貨発行権 を持つ中央銀行しかないのは明らかです。日銀がどんどんお札を刷って、金融市場から国債(その他債券)を購入すれば、金融機関の手元には通貨が増えること になります。増えた通貨がどの程度貸し出しに回るのかという問題はありますが、凍り付いている金融のパイプを暖める効果があることは確かです。少なくとも 現在は、国債(その他債券)を売却して、通貨供給の蛇口を占めてしまう状況ではないと思います。そんなことをしたら、資金繰り不安を起こす金融機関や企業 が続出し、本当の恐慌に突き進みかねません。世界のGDPの16%を占める日本が恐慌に陥れば、世界経済の大混乱は避けられません

 もちろん、日銀財務の健全性は大切ですが、日銀は民間企業が発行する社債やCPも買い 入れているのであり、返済の確実性からいえば、国債は日本国においては最も安全な資産であります。また、日銀の通貨発行益は国庫に納付されるので、日銀が 国債を買えば買うほど、実は財政再建の一助ともなるのです。

 大量の国債引き受けがインフレにつながるのではとの懸念はもっともですが、現在の課題はむしろ、どうやってデフレを食い止めるかにあります。多くの学者や識者が、日銀はもっと通貨供給を増やすべきと主張しているのも、デフレの危機を回避する切り札と考えているからです。

 (例えば、ともにノーベル経済学賞受賞者のミルトン・フリードマンやロバート・ルーカ スは、日銀が通貨供給を積極的に行うべきと主張しています。現在、世界で一番影響力が大きい学者の一人であるポール・クルーグマンMIT教授に至っては、 「日銀は向こう一五年間、4%のインフレにする政策を行うと宣言すべきだ」と言っております。国内でも、伊藤元重、林文夫(ともに東大教授)、大滝雅之 (東大助教授)、植田和男(日銀審議委員)、田中直樹、島中雄二、高橋乗宣、河野竜太郎(いずれも民間エコノミスト)らが日銀に対してもっと積極的に通貨 供給をするべきと主張しております)

 ただ、政府が国債を市場を通さずに日銀に直接引き受けさせれば、マーケットメカニズム がまったく働かないまま、無制限に通貨を増やせることになります。資本移動が自由化された現在において、このような政策を取れば、日本の政策・通貨当局へ の信頼は失われ、超円安や国債の暴落(金利上昇)、ハイパーインフレが起き得るかも知れません。だからこそ、現行制度では一度民間のマーケットで消化でき た国債に限って(一部に例外がありますが)日銀が買うことを認めているのであり、この歯止めは失うべきではないでしょう。

 平時にあっては、日銀はインフレや自らの財務の健全性に留意をしながら金融政策を行うべきでしょう。しかし、いまの日本経済はまれに見る異常事態であり、うまく切り抜けないと、国民生活全体を脅かしかねないクラッシュが待ち受けてないとも言い切れません。

 昭和2年の金融恐慌の発端は、日銀が経営危機にあった台湾銀行向け融資を拒否したこと に始まるのは良く知られたエピソードです。いざというとき、果断な行動を起こしてくれないと、困るのは国民なのです。いま本当に心配しなければいけないの は、ただでさえ責任回避的になり勝ちな政府の政策当局者や日銀が、様々な「できない理由」を付けて、必要な時に必要な政策を取らないリスクについてではな いでしょうか。(さいとう・たかみつ)

 斉藤さんへ mailto:mhh01515@nifty.ne.jp
 ホームページ「TS MAGAZINE」http://www2.justnet.ne.jp/~hihi/index.htm


財政赤字は全面的に「罪」なものか

共同通信社ワシントン支局 大辻一晃

 力作を拝読しました。財政赤字が金利上昇や悪性インフレをもたらし、ひいては一国の経 済に悪影響を及ぼすという認識は私も同じです。麻薬のような財政政策と赤字拡大に誰かが警鐘を鳴らさなければならないとも思います。そのような理解の上 で、3点ほど指摘しておきたいと思います。

 ●財政赤字の「功」
 財政赤字には確かに伴さんの指摘するような危険な面がありますが、全面的に「罪」なものでしょうか。

 戦前、世界が大恐慌から立ち直った要因は、第2時大戦による特需が大きいとの指摘もあ りますが、フーバーの財政引き締めは景気を一層悪化させ、ルーズベルトのニューディール政策が立ち直りの環境を整えた、というのは歴史の実験結果です。こ こから、景気が悪化した時には赤字財政による内需刺激が容認される、というケインズの積極財政理論が生まれたのは、よくご存じの通りと思います。

 問題は戦後、福祉国家が先進国で肥大化する中、ケインズ政策が乱用され、財政赤字が膨 張し、かえって経済力を奪い始めたことです。その反省から、需要刺激より供給面を重視したサプライサイド経済学や、マネーサプライの管理を政策の軸に据え るフリードマン理論、さらに財政政策は一定の条件の下で果が失われるとするルーカスの合理的期待仮説など、一連のシカゴ学派がもれはやされました。この時 代にレーガン、サッチャーらが登場し、世界的に減税、規制緩和など「新保守」の経済政策が断行され、アメリカやイギリスが今日の元気を取り戻す下地が整い ました。

 ここで注目したいのは、アメリカの経済再建の進め方です。レーガンがまず実施したの は、いわゆる「金持ち優遇」型の大型減税です。その半面、初期において歳出には手をつけず、情報通信、航空などの規制緩和を推進しました。このため財政赤 字が拡大、長期金利は急上昇し、銀行がバタバタ倒産しました。しかし、ここでひるまずに「双子の赤字」を垂れ流し、銀行処理に巨額の公的資金をそそぎ込み ました。

 やがてアメリカは新産業主導の経済成長軌道に乗り、活力を取り戻しましたが、こうした 政策の初期の段階で増税したり、無理な歳出カットに踏み切るような選択は、まったく念頭になかったとみられます。赤字が増えるのはまずいことだと分かって はいても、デフレスパイラルに転落するよりはまし、との理解からでしょう。

 ●アメリカのケースが示唆するもの
 2000会計年度の米予算教書が議会に提出されました。

 財政黒字は1170億ドルに達し、向こう15年で4兆8000億ドルの黒字を確保する 見通しです。アメリカ国債の残高は5兆5000億ドルほどですから、ほぼすべて償還できるめどがついたと考えられます。もっとも全額は返済せず、主に社会 保障に使う計画ですが、それでも国債残高は既に減少に転じています。全部返さないのは、成長力が確保されるなら、無理に償還しなくても「健全な赤字」とし て抱えておく方が有益との判断からでしょう。

 つい92年度にGDPの4・7%に相当する赤字を出していたのに、見事に短期間でよみがえったものです。

 ここ15年の実績、向こう15年の見通しをみて思うのは、財政収支に最も影響を与えるのは、経済の安定成長が確保できたかどうか、ということです。安定成長を持続さえすれば、15年ですべての借金を返すことも可能なのです。

 所詮は景気。アメリカの予算を取材しての感想は、この一言です。

 ひるがえって日本はどうでしょうか。99年度末の国・地方の長期債務残高は約600兆円と見込まれています。アメリカの半分の経済規模の国が、ほぼ同額の借金を抱えていることになります。しかも、その総額は雪だるま式に膨張を続けています。

 しかし、これは予算の査定が甘かった結果でしょうか。私はそうとは思えません。財政運営に失敗し、税収が期待通りに集まらなかったから、さらに、余計な出費がかさんだからです。

 確かに個別予算を見ると、ここは無駄だ、あれは見直した方がいい、というようなところ が多々ありますが、マクロバランスはミクロの積み上げではありません。公共工事より減税の方が「より小さな政府」に向かうので望ましい、とも思いますが、 それは財政出動の「手段の選択の問題」です。

 繰り返しになりますが、97年に無理な引き締めを近視眼的に断行したから、かえって赤字が膨らんでしまったのです。要は、経済政策がへたくそだったのです。ハンドリングの問題と、財政の中味はの問題は切り離して考えるべきです。

 96-97年当時、財政赤字の「罪」を強調しすぎる議論は、へたくそな経済政策を後押ししてしまったのではないでしょうか。

 ●日本における問題点
 日本とアメリカが決定的に違うのは、一国の経済が貯蓄超過か否かです。各年の経常収支(貿易収支とほぼ連動)が黒字であれば、財政部門が赤字であって も、家計部門の黒字でファイナンスされていることになります。日本は巨額の黒字を抱えていますから、政府がこんなに赤字を出していても、まったく外国の ファイナンスに依存する必要はありません。今は、円の国際流動性などを一切心配しなくてもいいのです。

 その意味で、私は「国債は国民の資産」とか「夫が妻に借金している状態」と言っています。ハイパーインフレが来れば紙くずになるかも知れませんが、その時は国債だけでなく、外貨預金を除くすべての貯蓄が減価するのです。

 ただ、懸念材料はあります。団塊の世代が一斉にリタイアし、年金の受給者となった段階で貯蓄が取り崩される、というリスクです。貯蓄率が減少すると、経常収支は赤字になり、国債は外国人に持ってもらわなければならなくなります。

 しかし、こうした事態を避ける選択肢を見付けることこそが、「経済政策」の課題そのものなのではないでしょうか。

 国債保有の内訳を見ると、アメリカだって3分の1は政府です。残りは市中ですが、このうち1割強はFRBが持っています。

 日本は政府保有はほぼ同程度と思います。政府が持っていると言っても、社会保障基金が 買っているのですから、国民の資産です。これも社会保障基金が破たんすればおしまいですが、破たんしないようにするのが「政策」です。私は、世帯単位加入 から個人単位への変更、女性や高齢者の就労促進により労働人口比率を維持すれば、破たんは防げると考えています。

 年金は安全運用が第1なので、大半は国債で回さざるを得ないと思います。株をばんばん買うわけにいかないでしょう。ただ今後は以前のように積み立てる一方ではないので、自然に国債買い入れ量は減るでしょう。

 伴さんは市中保有に占める銀行などの比率が高いのを問題にされているようですが、国債は普通国民が直接買うものではありません。銀行預金、郵便貯金、あるいは中国ファンド、MMFを通じ間接的に持うのです。元をただすと国民の資産です。

 市中分のうち日銀保有はFRB保有より確かに3-4割ほど多いですが、これは「金融政 策」の問題です。国債を買うと言うことは、通貨を市中に出す、というとです。これを否定すると、公開市場操作(オペ)=金融政策そのものが否定されてしま います。どの程度の通貨を市中に出すかは、金融政策そのものです。今のように量的な金融緩和が必要な時期には、買い入れ量がどうしても増えます。

 最後に、このような量的緩和がインフレを招くかどうかですが、今、政府は本音ではむし ろ、ややインフレ気味になってほしい、と願っているのだと思います。インフレ政策を口にした時のインパクトが怖いので表立っては言いませんが、個人は住宅 ローン、企業は過剰設備、そして国は国債を抱えていますから、デフレでは困るのです。

 インフレは明るい病気、デフレは陰鬱な病気。どうせなるなら明るい方が...、という議論 は、世界的にあるようです。日本は初めてのデフレに苦しんでいますが、日本経済は図体が大きいので、日本だけでなく世界各国がこの悪影響を被り、体力がな いがために、むしろ日本「本人」より苦しんでいます。「日本はあまり迷惑をかけないでくれ」というのが世界の本音です。

 やっぱり日本は「右肩下がり」ではいけないのです。

 インフレを3%程度に抑え、ハイパーインフレを避けられるか。そのかぎも、結局日本経済が一定の成長を維持できるか、にかかっています。財政の帳尻合わせばかり考えて経済を破壊してしまっては、いずれにしてもハイパーインフレ、円暴落を招きます。

 「安定成長を維持できる政策」はもちろん、規制緩和による新産業育成、労働市場流動化 などの経済構造改革が柱になります。財政出動は、構造改革の一時的な痛みをやわらげるにすぎませんから、改革を進めよう、という声は重要です。また、公共 工事の配分も抜本的に、どうせなら本当に必要なものを作ってほしいと思います。

 しかし、「600兆円」の借金ぐらい、しっかりした経済運営ができれば、15年で返せ るのです。財政のマクロバランス、国債残高にこだわりすぎると、単年度の均衡だけを目指す大蔵省の思うつぼにはまり、建設的なほかの議論ができなくなって しまうのではないか、と私は懸念します。

 日本人は独創的な発明は苦手ですが、製品化するアイデアでは優れていますし、実際に製 品を作る際の工場の生産管理も世界で随一です。モノ作りだけでなく、顧客サービスの良さでも抜きんでています。外国人も皆、「JALのスッチーはすばらし い」と口をそろえます。JALは他社より高い航空運賃を設定してもいいのです。

 アメリカのスターバックスと、日本のドトールの差は、一度行ってみるとよく分かります。値段はアメリカの方が高いのに、満足度が全然違います。

 伴さんは料理をしますか? 料理をする人には分かるのですが、不ぞろいな野菜は手間がかかってたいへんなんです。皮をむくのに骨が折れるし、均等に火が通らない。結局食べるところも少ないし。アメリカでも金持ちは、きれいな野菜を買っています。

 モノ作りとサービスの良さは日本経済の最大の武器と思います。 さらに、日本には多額 の個人貯蓄、外貨準備、対外純資産があります。外から見て、日本はやっぱる「黄金の島」です。恵まれすぎて改革を怠る欠点がありますが、これだけいい条件 がそろっているのですから、経済政策をしっかり運営すれば、安定成長を維持できて当然と思います。

大辻さんへotsujika@kyodonews.or.jp


1999年02月03日(水)
フィラデルフィア通信員 川崎 泰子


 ●放置されるアバンダンド・ビル
 全米でも屈指の大都会フィラデルフィアに着いたのは夜でした。高層ビルの夜景がアメリカの都会を象徴するように広がっていました。しかし翌日街を歩いて 気が付いたのは、遠くから見る夜景の方が昼間の町中よりも断然豪華に見えるということでした。市庁舎脇の一等地には暫く前に火事にあったビルがそのまま放 置されていました。まるでお化けでもでそうなその外観に、これはないだろと思ったものです。


 使われなくなったビル(アバンダンド・ビルディング)が借りても買い手も無く放置され 窓が割れるままになっていたり、壁にヒビが入るままになっていたりする例は市中心地のどこにでも見ることができ、駅に続くブルーバード沿いや、繁華街の ショッピングエリア、住宅地にまで及んでいます。

 バーバリーやティファニーといった高級ブランド店が立ち並ぶ一角も同様で、突然このよ うなアバンダンド・ビルが現れます。このような建物を見るとそれまでの楽しい気分がそがれ、寒々しい気持ちになります。新しい高層ビルと町中の酷く荒廃し た様子が対照的で、これがアメリカなんだな、と東京から来た私が持っていた"都市"のイメージとのあまりの違いに愕然としたものです。

 ●都市-欲求を満たす場所
 都市にはいろいろな要素が必要ですが、私が注目したのは人とアクティビティーです。人々が欲求を満たす、その行動です。食べる、飲む、買う、遊ぶ、観 る、働くなど、欲求が満たせる所に人は集まりお金を落とします。そして雇用を生みます。雇用の数は市の財政や治安に影響します。

 フィラデルフィアの中心市街地には最近まで駐車場完備の大きなスーパーマーケットがあ りませんでした。(主に韓国人経営の食料品店とコンビニがいくつかありましたが。)日本でいう百貨店も去年、ロード・&テーラーが出来るまではなかったの です。では市民はどこで買い物するのでしょうか。彼らは郊外まで車を飛ばします。

 郊外のショッピング・モールはとてつもない規模で、1日歩き回っても一部しか見れない ほどです。アメリカの都市生活者は、生活用品から、ちょっと気の利いた物を探すときまで郊外のモールに出かけるのです。日本人だったら気の利いた物を探す のに都心ではなく町田や八王子まで行くような感覚でしょうか。

 多くの人は買い物をするというアクティビティーを市街ではなく郊外で実践しているので す。実はロード&テーラーが出来るしばらく前、そこはやはり別の百貨店が入っていたそうです。でも商売にならず撤退したようです。現在のロード&テーラー もあまりはやっている様子ではありません。同様に職場も郊外のオフィス・パークに移転していきます。

 映画館もモールに付随したりで郊外のエンターテイメント・コンプレックスは大規模になります。都市部でアクティビティーが少ないのはアメリカが車社会であることとともに、人々はどちらかというと住む場所として郊外を好むという傾向があるためです。

 いまやフィラデルフィア市街地に残っているのは歴史的建物と、歴史的建物で行われる文化的イベントやコンサートなどとお役所くらいでしょうか。住むのは郊外、遊ぶのも郊外、学校も郊外、仕事も郊外という傾向は非常に強いものです。

 ●郊外化により進む非効率
 アメリカ人はより良い環境を求めて人口密度の高い都市部から人口密度の低い郊外へと移って行きます。この傾向は全国でみられ随分前から続いています。しかし人口密度が低くなることで非効率になるものもあります。

 一つの例は交通システムです。密度の高い都会なら利用者も多く公共交通が生きてきますが、郊外では移動のための手段として公共交通はあまり適切ではありません。

 アメリカの場合、鉄道よりも高速道路が発達しているので移動には自動車が使われますが、これもエネルギー消費や公害問題を考えると効率のいい方法ではありません。鉄道を含むインフラの整備にも人が密集して住む都市部よりお金がかかるのは明らかです。

 つまり、アメリカ型の郊外生活というのはとてもお金のかかる生活スタイルだということになります。アメリカのガソリン代は安く、郊外型の生活スタイルを支えていますが、ガソリンをいつまでも安く提供し続けることができるのでしょうか。

 ●地域で違う警察、教育の質
 アメリカはお金持ちか貧乏かによって住む場所が違います。この違いはとてもはっきりしていて歩いていてもそこがお金持ちエリアか貧乏エリアかというのは すぐにわかります。このエリアというのは単に地域の場合もあれば市全体を指す場合もあります。フィラデルフィアの郊外には広い庭と大きな屋敷が広がる高級 住宅地があります。

 でも高級住宅地を抱える市なり町なりが、そうではない市や町と違う一番大きな点は、 サービスにあるのです。まず水道水の味が違います。というか、水道水が飲めます。私が住んでいるフェラデルフィアの中心市街地の水は私には飲めません。警 察のサービスが行き届くため治安が良くなります。公立学校の教育の質も違うそうです。

 当然そういったサービスの前提である税金は高いわけです。でも余裕のある人々は高い税金を払ってもそういう高級な所に住みたいということです。税金が、良いサービスを提供することに使われているのですからペイする甲斐もあるというものです。

 逆に高い税金を払えない人はそれなりの所に住み、それなりのサービスで満足するしかありません。これは警察力や公立の学校教育というものが払ったお金の多少によって享受されるという、信じられないシステムです。しかしアメリカではこれが一般的なのです。

 川崎さんへのメール


1999年02月01日(月)

萬晩報主宰 伴 武澄

 1999年01月28日付萬晩報「国債という日本の打ち出の小づち(2)」の続きである

 日本の借金はその規模が大きすぎ、増え方が異常だということはだれもが指摘してきた。 そして借金が増えれば返済が大変になるぐらいのことはだれにでも分かることである。これまで、国債の議論は発行残高の急増にばかり焦点が当てられてきた が、その借金をだれが負担しているのかという点についてあまりにも無頓着だった。そのことが分かると日本の財政はますます危機的様相を呈していることが明 らかになるだろう。

 ●国債大量発行の矛盾
 国債が国民の資産として蓄積されているのならば、経済全体に与える影響は軽微である。銀行の保有量が増えると問題なのは、本来、企業の設備資金に回るはずの民間資金が政府部門に吸い上げられるからである。

 1970年代後半以降、日本国は国債を大量発行してきた。不況で税収が減り代わりに国債が発行されたが、銀行側にとっても企業活動の低迷により融資先が先細りしていたから、国債は格好の運用先となった。

 一方で1980年代は企業の資金調達が銀行からの「借り入れ(間接金融)」から市場を 通じた「直接金融(増資や転換社債の発行)」に傾斜していった。銀行としては景気が回復しても引き続き預金の運用先として国債市場は重要さを増していっ た。例え企業への貸し出しと比べて利回りが圧倒的に低くても欠くことができない存在となってしまったのだ。銀行による国債引き受けの中毒症状は当時から始 まっていた。

 だが1990年代中葉からの発行額は過去の大量発行時代をさらに超える規模となった。銀行という中毒患者ですら消化しきれなくなり、政府の資金運用部と日銀のリリーフを仰ぐことを余儀なくされた。

 国債の大量発行は消化不良を起こすだけではない。買い手不足はただちに金利高騰を誘因 する。1980年代のアメリカで金利の30年債の発行で額面金利が10%を超える時代が続いたことは記憶に新しい。日本の銀行や生保による米国債買いがな かったら、いまのアメリカ経済の興隆はなかったかもしれないのだ。

 いま日本は当時のアメリカと同じような危機に直面している。アメリカの場合、ドルとい う国際通貨を持っていたがゆえに潤沢なオイルマネーやジャパン・マネーに依存することが可能だった。しかし日本の場合、円がドルほどの流動性を持っている とはいえず、財政の不足分を海外のマネーに依存するわけにはいかない。

 ●財政学の教科書の間違い
 「日銀が国債を買うのは、社債を発行している会社が、自社の発行した社債を買い入れて償却している、という取引と変わらない」のではないかというメールをもらった。このメールには次のように返信した。

 「企業の社債発行も資金調達ですから、買い戻したら、せっかく調達した資金はゼロになります。企業には逆に金利分だけ負担がかかります」
 「国債は国による資金調達ですが、日銀が買い入れるとき、日銀券を発行します。国が調達した資金はそのまま残りますが、日銀券の流通が増えて、日銀券の価値が減るということです」

 多くの財政学の教科書には「国債の発行は政府の負債だが、発行された国債は国民の資産 でもある」「父親が母親のへそくりを借りるようなものである」などと書かれている。国という単位でみると「国債発行=借金財政=悪」とはならないことに なっている。だがどう考えても国家財政と家計とは違うし、20年も30年も前に書かれた教科書が今もって通用するという方がおかしい。

 実はアメリカもまた、財務省発行の国債を担保に連銀がドルを印刷しているのである。こ の国債が国内でしか流通していなければ、ドルの価値は奈落の底に落ちていた可能性が高い。だが、ドルが国際通貨であったため他の国の人がお金を貸してくれ たのである。家計でいえば、近所の人が貸してくれたと言い換えてもいい。

 ●郵貯もまもなく国債買い入れができなくなる
 90年代に入ってからの100兆円を超える景気対策によって、ついに金利は高騰の兆候を見せ始めた。昨年11月に1%強だった国債利回りは今日、ついに2.1%台に乗せた。

 国債増発による公共事業の積み増しと金利高騰はトレード・オフの関係にある。これは市場経済の常識だ。これまで超低金利と国債大量発行とが両立できたのは増発した国債を資金運用部と日本銀行、郵便貯金がせっせと買い入れて金利の高騰を防いできたからだ。

 さすがの資金運用部も昨年末ついに「これ以上国債買い入れができない」(買いオペ停 止)とギブアップ宣言した。残るは日銀と郵便貯金であるが、郵貯は金利が高かった90年前後の定額貯金(10年物)の満期が到来する。いわゆる「郵貯 2000年問題」だ。巨額の郵貯資金が他の金融商品に預け替えられることになれば、郵貯もまた国債を買い支えることができなくなる。

 それより恐いのは、郵貯が資金不足で崩壊する危機である。郵貯は資金運用部を通じて高 速道路だとか本四架橋といったインフラ建設に長期資金を供給している。銀行のように中小企業に圧力をかけて返済を求めることはできない。日本債券信用銀行 や日本長期信用銀行が発行する債券の売りで債務超過に陥ったように、郵貯もまた預入金不足をきたすことになるだろう。

 日銀がこれ以上、国債を買い続けると、理論的には通貨安をもたらす。通貨発行の根拠が国の借金なんて普通の感覚では考えられない。このところ、日本円は円高で推移しているが、通貨安は基本的にインフレを誘引し、インフレは物価高をもたらす。

 宮沢喜一蔵相は国債の大量発行がもたらす金利高騰懸念に対して「民間の資金需要が低調 だから、これくらいの国債発行で金利が高騰するはずはない」と述べている。確かにいまの時点では正しい。だが、政府が目指す景気回復が実現したらどうなる か。民間の資金需要が復活した時点で、すでに日銀が大量保有している国債が巨大な負担となるはずである。

 ハイパーインフレの到来である。

 多くの経済専門誌はデフレスパイラルに対する危機感を煽っているが、中期的には必ず日本にインフレが起きるはずだ。米ムーディーズ・インベスターズ・サービスが昨年12月、日本の格付けを引き下げたのは残念ながら日本バッシングでのなんでもない。経済の常識である。

 日銀の1998年9月中間決算で78兆円の資産のうち49兆円が国債であることを書い た。最近取り寄せた98年12月31日付の資産は91兆円に増え、国債保有は52兆円に増えていた。もちろん日々の金融情勢での増減があって当たり前で季 節的要因もあるが、直近ではたった3カ月でさらに3兆円も増加しているのである。


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