1998年12月アーカイブ

1998年12月30日(水)
萬晩報主宰 伴 武澄


 ホテルシップは陸上か海上か?

 10月に友人の結婚式で長崎に行った。披露宴はホテルシップ・ヴィクトリアだった。会場が海上だったなんてしゃれにもならないが、船のホテルというのに初めて泊まった。廃棄された青函連絡船を改造したなかなかすてきなホテルだったが、寝る前にここは陸上なのか海上なのか考えてなかなか寝付けなかった。翌朝、ホテルの人に聞いた。

 「このホテルに住所がありましたよね。このホテルは陸の建造物になるのですか、それとも最初は船だったのだから今でも船としての法律が適用されるのですか」
 「難しい質問ですね。一応、この船はホテルとして陸の一部になったのですが、横浜の氷川丸のようにコンクリートで固めてあるわけではなく、係留中なので船でもあるのです」

 その後調べたわけではないが、サンフランシスコの友人がヨットで生活しているのを思い出した。水道も電気も完備していたし、郵便も届いていた。嵐の夜の揺れさえ我慢すれば取り立てて不便もない生活を送っていた。

 アメリカでは老後をキャンピングカーで過ごす人たちが多くいるし、好きこのんでヨットを住居とする人たちも少なくない。東京でも1960年代まで水上生活者がたくさんいたし、つい最近まで香港のアバディーンにはジャンク船を住み家にする民が密集していた。

 だが、日本や香港の水上生活者にはどうしても貧しいというイメージがぬぐい去れなかった。実際、貧しかった。香港では公営住宅を建設して彼らを陸上に住まわすよう努力したため、現在のアバディーンのジャンク船は単なる観光資源としての風景でしかない。

 1990年代、ベトナムのホーチミンの河口に登場したのはまさに船のホテルだった。当時のベトナムには外国人用ホテルなどなく、オーストラリアの投資家 が殺到する日欧米のビジネスマン向けに「配船」した。ドイモイが失敗したらすぐに撤退できるのも「投資」のメリットだった。

 16世紀に栄えた琉球王朝は陸ではなく、東シナ海を生活の場とし、中国、日本、朝鮮、ルソン、安南をまたにかけて富を築いた。われわれは陸上で住み、経済を営むことを固定観念にしすぎているのではないか。長崎でそんなことを考え出していた。

 ●公海上の仮想オフショア株式取引所

 長崎のホテルシップでどうしても気になったのは、日本という規制だらけの社会はひょっとしたら陸上だけの束縛かもしれない。海上に出れば、規制から逃れられるかもしれないという思いつきである。

 【日刊「SOHO'S REPORT」】というメールマガジンの最新号にすごい思いつきが掲載されていたので内容を紹介したい。筆者はカナダ・バンクーバーに住む杉浦雄一郎さん。「ヨットのクリスマスデコレーション」というタイトルだ。

近所にヨットハーバーがある。クリスマスシーズンになると、そこに停泊しているヨットに色とりどりの電球で飾られ、林立するマストがクリスマスツリーの森のようになる。

 

--------------(中略)---------------

 実はバンクーバーにはヨットで生活している人は少なくない。友人におんぼろの小型ヨットで生活している学生もいるし、日本から大型ヨットのクルーとして 太平洋を超えてカナダにやってきて、そのまましばらくそこに住み着いていた日本人女性も知っている。前に勤めていた会社の社長も家族さえ許せばヨットで生 活をしたいと口癖のように言っていた。

 バンクーバーのヨットハーバーの停泊料は東京都内の駐車場代以下。ヨット自体も小さいものであれば自動車と同じくらいの価格だ。セーリングするのに船舶 免許もいらないのでヨット人口はとても多い。ヨット好きが高じて、ヨットに住み着きたいという人が出てくるのも不思議ではない。

 8年程前、知り合いがきちんと製本された分厚いビジネスプランを見せてくれた。パラボラアンテナを積んだ大型ヨットで国家の規制を受けない公海上にでか け、衛星通信によるオフショアの仮想株式取引所を開きたいという彼の夢がそこにつまっていた。その後それが実現したという話は聞かないが、なんともわくわ くするような話だ。

 サイバースペースは今が大航海時代。新しい可能性、理想のライフスタイルを求める冒険者が仮想世界の海へ次々と出航していく。読者の皆さんの中にも99年は出航の時と考えている方も多いのではないのだろうか。

 ●究極のボーダーレス経済

 この公海上の仮想株式取引所という発想はなんともすごい。「沈黙の艦隊」というマンガで核保有の潜水艦が仮想国家として登場し、先進国に対して宣戦布告 をする物語を展開して話題を呼んだ。この潜水艦は単に軍事組織として存在をアピールしたが、同じころ経済を主体とした仮想国家の発想がカナダにあったので ある。

 8年前、香港企業がアジアで第一号の衛星テレビ放送を立ち上げたころ、アメリカの実業家が南太平洋のトンガ王国の王女様に対して台湾向けサービスを主体 とした衛星を打ち上げる構想を持ちかけていた。通信衛星は赤道の上に国連が決めた軌道があり、加盟国それぞれが軌道の「枠」を持っていた。国連から「除 名」された台湾はその「枠」がなく、技術があっても衛星を打ち上げる権利がなかったのだ。

 当時、ロシアが国際価格の半分以下で衛星打ち上げ事業を立ち上げていた。構想ではこの衛星はトンガ国籍、運営会社はアメリカ人、衛星はロシア製、使うのは台湾人だった。このマルチ国籍の衛星事業を「究極のボーダーレス事業」と題して記事にしたことがある。

 衛星は国連の取り決めで国籍があるが、実は公海上を航行する船舶にも国籍があり、「無法」は許されないことになっている。しかし、株式取引所のない小さな国と提携すれば、公海上の自由国家の誕生も夢ではない。

 今日は1年を回顧するつもりでいたが、過去を振り返っても仕方がない。新聞、テレビがうんざりするほど回顧してくれているので、萬晩報は1999年の初夢を今年最後のコラムとしたい。

 杉浦さんのホームページはhttp://www.sohovillage.com/。 メールはmailto:yuichiro@activewave.com


1998年12月22日(火)
萬晩報主宰 伴 武澄


 12月21日付け大手新聞は一面トップの選択に迷ったに違いない。「クリントン米大統領の弾劾訴追議決」と「米英によるイラク空爆終了」はともに超弩級 のニュースだからだ。アメリカではワシントン・ポストが1面トップで「Clinton Impeached」の横見出しを張るなど、大統領弾劾訴追のニュースが圧倒的に大きく扱われた。アメリカ国民にとって内政問題の方が大切なのは当然だが、世界にとってはイラク空爆の方が重要な問題である。

 国際法は懲罰という戦争を認定しているのか

 イラク空爆は、17日の攻撃開始からおかしいと考えていた。日本政府はただちにアメリカを支持する声明を出したが、主権国家が国内で民主的でないとか、 国連の査察を拒否したからといって、他国が「懲罰」できる根拠が国際法にあるのだろうか。イラクが大量破壊兵器をつくっているとの疑いがあるのなら、イン ドやパキスタンの核実験はどうなるのだろうか。萬晩報としては、アメリカによる今回のイラク空爆には大国としての驕りを感じざるを得ない。

 1991年の湾岸戦争はイラクによるクウェートへの侵略行為に対する戦争だったが、今回どこのメディアも「戦争」という表現をしようしていないのが不思 議である。今回も「戦争」であって「イラク空爆」ではないはずである。もうひとつ。戦争ならば開戦の理由と宣戦布告が必要だ。今回「宣戦布告」は一切な かった。

 戦争でなく空爆だから宣戦布告はいらないのだろうか。それとも懲罰だから宣戦布告が必要ないのだろうか。アメリカはいまも、1941年の日本のパール ハーバーへの奇襲攻撃を卑劣な行為と非難し続けている国家である。そのアメリカが「国連査察を拒否した」として突然、イラクを空爆する権利などはない。

 筆者はイラクに肩入れするものではないことを強調した上で、やはりアメリカの今回の措置にはどうもおかしさを感じる。さらに言えば、湾岸戦争のとき、ア メリカはまがりなりにも「多国籍軍」という形態を取った。地球の警察官としての国連軍はいまだに存在しないが、それでも国連加盟国に承認された軍隊派遣 だった。だからこそ日本は応分の負担として100億ドルの負担を担った。

 だが今回は違う。アメリカとイギリスによる連合軍でしかない。国連中心外交を標榜する日本政府がなぜ「支持」を打ち出したのか。この点についても疑問が晴れない。ロシアや中国だけの非難や反対でない。今回の「イラク空爆」には湾岸諸国ですら積極支持を控えたのである。

 ●イラク孤立は原油市場に「朗報」?
 空爆が4日で終わったのも不思議である。アメリカは「イラクの多くの拠点を破壊した」としているが、空爆開始の際にクリントン大統領が言及した「打倒フ セイン」のスローガンはどこへいったのだろうか。国際的な批判を覚悟で開始したのなら徹底的に攻撃すればよいものを空爆そもののさえ中途半端に終わらせ た。

 これでイラクへの大量破壊兵器の査察はほとんど不可能になったし、イラクに対する禁輸措置解禁も当面、おあずけとならざるを得ない。どこのマスコミも今 回のイラク空爆を大統領弾劾訴追との絡みで報道した。大きな要因のひとつだったかもしれない。しかし、筆者はもうひとつの側面を指摘したい。原油価格の暴 落である。

 いまやアジア経済の不振もあって原油価格は1バレル=10ドル近辺まで下落している。1973年の第4次中東戦争後の2回にわたるオイルショックで原油 価格は同3ドルから30ドル台に急上昇し、1986年からは同10数ドルまで急落した経験を持つ。その後は20ドル近辺で比較的安定していたが、ことしに 入って86年当時の水準まで逆戻りした。

 国連によるイラク査察が終了して、石油輸出国であるイラクを国際経済社会に復帰させることは、軟化している原油市場をさらに下落させる「波乱要因」につ ながることはまぎれもない。イラクを国際的な孤立状態に閉じ込めておくことは国際石油資本にとってこの上なく「良い選択」であったことにも留意しておきた い。


1998年12月19日(土)
萬晩報主宰 伴 武澄


 1998年12月09日付萬晩報「12月から590億円得するたばこ屋さん」には30通を超えるメールをもらいました。賛否両論あるなかで、予想通り「喫煙者の負担増」ならどんどんやれという意見が少なくなかったのは残念です。また零細商店いじめはいかがなものかという意見もありました。

 筆者の主張は、たばこの値上げ分がそのまま国庫に納まらないで、18%のも金額がたばこ店のふところに入るという理不尽な慣行を変えなければならないと いうことです。もちろんたばこ店の大部分が零細であるのは承知の上です。農業も同じなのですが、零細だからと言うことで税金を免れたり、そのおこぼれにあ ずかっていいということではありません。

 サラリーマンはみんなそれぞれが「零細事業主」です。そのサラリーマンがごくわずかな別収入に課税されたり、奥さんのパート収入が100万円を超えると配偶者控除を減額されたりするのです。平均年間10万円といえども「不労所得」はいけません。

 たばこが値上げされれば需要が減るから、590億円も余分にもうからないという指摘もありました。しかし、たばこ特別税の税収見通しには数%の売り上げ減が見通しとして織り込まれていますし、そんな重箱の隅をつつくような議論には与したくありません。(伴 武澄)



 ●にんじんをぶら下げられました
 いつも、興味深く拝見させていただいております。さて、今日の内容ですが、私の親もたばこ屋で確かにいわれるとおりであると思います。ただ、伴さんもご 存知の通りたばこ屋というのは他業種とくらべても利幅の少ない業種で、28万軒の大部分が零細の販売店であり、そのもうけたるや、130万円も年間に稼ぐ 店はどれだけのものでしょうか。  わたしのいいたいのは、国のいいかげんな政策についての意見は大いに述べてもらってけっこうですが、少なくとも、弱い立場の販売店が濡れ手にあわのよう な意見は賛成しかねます。販売店としてはあげてほしくないというのが多数意見(少なくとも、岡山の組合では)でしたから。

 確かに値上げの説明の時にJTの職員は「みなさんもこの値上げによって実入りが増えるのですから」とにんじんをぶら下げられた事は間違いありませんが、 それにしても、きょうの内容はたばこ屋が政府の政策にのって大もうけをしているような印象をうけ、確かにそうなのかもしれませんが、本末転倒の感がありま した。禁煙者はからは煙たがられ、愛煙家からは値上げで目のかたきにされて学生には注意すれば自販機は壊される。ほんとうに、たばこ屋さんはたいへんなん ですよ。

 これは、私が以前ゼネコンの経理部門にいたのでおもったのですが、最近、24兆円の公共投資について話題になっていますが、伴さんはつかいもしない前渡 し金という制度があるのをご存知ですか?これは、公共工事を受注するとその工事代金の30-40%前渡する制度です。建て前上は、工事の資材購入や労務費 の前渡ということに必要ということで始まった制度ですが、実際、どのような払いになっているかはわかりません。一応保証会社に支払いの明細はチェックさせ ますが、領収書をコピーしたのを出したり捏造しているところがほとんど全部です。その点、まえに一度読売新聞で取り上げられましたが、別に話題にもならず 終わりました。そのようなこともふまえて、これからもいろんな記事を期待しています。それでは。(Fushimi)

 【萬晩報】もちろん130万円は28万件あるたばこ屋の平均値です。しかも粗利ですが、普通のたばこ屋さんが販売に多大な経費を使っているとは思えませんし、零細商店といえども普通の主婦がスーパーのパートで月10万円を稼ぐ方がたいへんだと思います。(伴 武澄)

 ●私はタバコ不買運動を密かに始めました
 はじめまして、古賀と申します。伴様の2つのコラムを読ませて頂きました。大変感動しました。
 タバコの件に関しては、私も11月まで喫煙者であったため、とても理不尽を感じておりました。テリー伊藤氏が述べたように「国鉄は喫煙者に敬意を表して 喫煙車両を作れ」という意見にもうなずいておりました。しかしながらもっと悔しいのはJT=旧専売公社の存在です。彼らは民営化したものの、まだ「我々の 組織は徴税機能という存在意義がある」とどうも本気で考えているようです。このままでいくと国債の返済のための特別税もタバコにかけられても全く不思議で はありません。今にセブンスター1箱5000円なんて時代がくることもそう遠くないかも知れません。という訳で私はタバコ不買運動を密かに始めました。禁 煙だと癪にさわるのです。(KOGA)

 【萬晩報】たばこ不買運動に敬意を表します。私はやめられません。(伴 武澄)

 ●非喫煙者の考えも知って
 いつも拝見させてもらっております。暴論になってしまうのですが、非喫煙者から言わせてもらうと煙草の値上げには基本的に異論は無いのです。伴さんの おっしゃる煙草屋さんが儲かる点に関しては賛同します。しかし基本的には喫煙者に負担を求めることには賛成なのです。もちろんマナーの良い人が多いことも 存じていますが、日本ではまだまだ社会的に非喫煙者に対しての気配りが十分ではないのです。私など、嫌煙者の部類ですからプライベート空間以外ではすべて 禁煙にして欲しいと思っているくらいです。匂いだけで頭痛になってしまうのです。

 喫煙すればゴミも増えます。そういう社会的コストを公平に負担することにも不満があります。周囲への迷惑料として、少しは負担してもいいのではないかと いうのが、正直なところです。いまでも十分負担していると喫煙者はおっしゃるかもしれませんが、非喫煙者の苦痛度を考えますと、ぜんぜん少ないというのが 実感です。(Saitoh)

 ●たばこ屋はむしろ減収になる
 以前タバコが全体として平均2%値上げされた時、その年の総売り上げは前年比2%ダウンしています。(日本タバコの発表より)タバコを吸う本数が同じ本 数なら、2%売り上げが増え、たばこ屋の利益も2%増えるはずでしたが、実際には本数が相当減り、税金も220円の時より、減収になっています。皮算用と 現実は違います。今回230円から250円になって、8%ほど売り上げが増えるとは、とても思えません。590億円余分に儲かることもないと思いま す。(Fukamachi)

 ●なんて政治の仕方をしているんだ
 私も愛煙家の一人です。タバコの値上げにこういう事情があったなんて実は知りませんでした。でも、これを読んで「なんて政治の仕方をしているんだ政治家 は!!」と私は、思いました。何で旧国鉄の負担分を愛煙家の私たちが賄わなければいけないんでしょうか。こういうことは、国の赤字国債を増やしてでも国が 負担しなければいけないと思います。他の愛煙家でこのこと知らない人が、これを読めばみんな賛同すると思います。(セブンスターをこよなく愛する TAKA)

 ●ちっとも知りませんでしたワ
 30年の喫煙歴に終止符を打った者です。何だか今回の値上げはウサン臭いし、旧国鉄債務の肩代わりはまっぴらなので、人にいわれるまでもなく決然と紫煙 にお別れしたのです。たばこ屋さんに、おっしゃるような不労所得が舞い込んでいたなんて、ちっとも知りませんでしたワ。意志薄弱な私の禁煙は元の木阿弥と なってしまう恐れ十分なのですが、皮肉なことにJR債務云々のおかげで続いているといえます。どうぞ、とろい庶民が知らないでいる、こうした問題にこれか らも焦点を当てていって下さい。(Misawa)

 ●なぜ喫煙者だけが負担しなきゃいけないか
 私も同政策の犠牲者の一人でございます。いくら考えても分からないのは「JRを利用しているのは喫煙者だけではないのに、なぜ喫煙者だけが負担しなきゃ いけないか?」との一点です。わが国の政治家の思考方式が正しいと仮説するときっと狂っているのは国民である喫煙者であろう。何故なら、喫煙者たちは黙々 タバコの値上げを事実として受け入れたから。変わっていますね!世の中!(Kim)

 ●タバコをこの世の中らなくしてやりたい
 こんにちは!筆者が愛煙家かどうかはわかりませんが、私はタバコの値上げは決して不合理なものだとは思わない。たしかに税金面として透明性に欠けるのは 分かるがタバコを吸わない者にとってあの煙は迷惑以外のなにものでもない。(ガンの原因になるとも言われている)喫煙者は町を汚し非喫煙者に害を与えてい るからそんな人たちから金を吸い上げて何が悪いのか!(こういう点で政府の考え方はすばらしいと思う!)むしろたばこなんぞ1箱1万円程度で販売しても決 しておかしくないと思う。そのほうが禁煙者を増えてその結果、政府もお金の取れないものから税金を取るなんてさっさとやめるだろう。むしろ私はこの税金を 環境保護対策のためと受け取るようにしている。 ハッキリ言って私はタバコをこの世の中らなくしてやりたいと思う。(Koitabashi)

 【萬晩報】たばこをなくす議論と増税による値上げの一部がたばこ屋のふところに入る不公正な慣行とはまったく別の議論だと思います。(伴 武澄)

 ●詳しく取材してからにしてほしい
 実名と肩書きぶら下げて、記事を書くのだから、もうちょっと詳しく取材してからにしてほしい。輸入たばこ最大手PM社が、自社努力により主力商品の価格 を据え置いた事に言及していない。JTも労働価値の低い者の首切りを断行すれば、一部主要銘柄の価格据え置きは十分可能である。仕事したくない中高年層が 多いです。同社。ちなみに、PM社が売り上げを大きく増やした場合は新しい流通会社を設立する予定ですので、ご期待ください。手取り130万で十分生活で きるんですか、あなたは?130万じゃ生活できないのが常識ですので、たばこ専業店が減っても文句を付けない事。銘柄を限定するコンビニ店が数の上でメ ジャーである事はご存知のとおり。たばこ原料についても、自分で調べて、国産原料がなぜ国際価格の3-4倍もするのか考えてみてください。JTが、コー ヒー豆のように、輸入葉100%使えば、これまた一部価格据え置きが可能です。もっと総合的に記事を書けるよう努力してください。(Taguchi)

 【萬晩報】フィリップ・モリスが値上げをしなかったのはラークだけだったと思います。値上げをしなかった自助努力はそれなりに評価します が、どうせなら輸入たばこ全品でやってくれていたら、政府に対するインパクトになったと思います。それから国産葉たばこをJTが使わざるを得ない事情と増 税による値上げの一部がたばこ屋のふところに転がり込む慣行とはまったく違う議論です。(伴 武澄)

 ●納得のいかない変更が多いような気がします
 こんにちは、高山 和貴と申します。たばこの値上げについてのコラム読ませていただきました。なかなか納得のいかない話ですね。抗議運動なんかしてみた くなってしまいます。喫煙者で申し合わせて「たばこを半分に減らす運動」とかやって、たばこの売り上げを激減させるのはおもしろいかもとか考えてしまいま した。そう簡単にはいかないでしょうけどね。
 たばこ以外にも交通違反の講習手数料なども2倍になっていたり、納得のいかない説明のまま変更されることが最近多いような気がします。以上が、たいした話題にものぼらないのは何故なんでしょうね。それでは、また面白い話をお願いします。(Takayama)


1998年12月18日(金)
Suimon Engineering Canada. Atsuko


 フードバンクという名前をお聞きになったことはありますか?

 クリスマスが近付いたこの時期、学校やコミュニティーセンターなどの玄関ホールに飾られたクリスマスツリーの下には、包装紙などできれいに飾り付けられて「FOOD BANK」と書かれた、大きなダンボール箱がおいてあります。

 12月の学校からのお便りには、クリスマスまでの一週間分のカレンダーが付いていて「月曜日はパスタの日」「火曜日は缶詰の日」「水曜日はライスの日」 「木曜日は朝食(パンケーキミックスやジャム)の日」などと書かれています。強制ではないのですが「家から持ってきてフードバンクに入れてください」とい うわけです。

 ●ターキーまで食べられるFood Bank
 そう、フードバンクは、食料品を寄付するところです。クリスマスの時期以外にもスーパーマーケットなどにはFOOD BANKが常設してあって、買い物客が入れたらしいパンや缶詰が入っていることがあります。一般からの寄付だけでなく、数社の大型スーパーマーケット チェーンからも大量の寄付があるそうです。実際フードバンクは、主にこのルートからの寄付で賄われているということです。

 フードバンク協会と付属キッチンがバンクーバーとその近郊にいくつかあって、寄付された食料品で食事を作って教会などで配布したり、食料品を配ったりしています。運営状況はかなり厳しいそうですが...。

 10月のThanks Giving Day=感謝際(アメリカでは11月ですが、カナダの秋は短いので、Thanks Giving も1カ月繰り上がっています。)の伝統的な食卓は、ターキー=七面鳥ですが、教会ではターキーも食べられます。

 ネクタイで正装した6歳の男の子とそのお母さんが、教会でターキーを食べている写真が新聞に出ていました。「生活するのがやっとで、ターキーを用意する余裕はないが、息子に伝統的なThanks Givingの食事を味わってほしい」とインタビューに答えていました。

 彼女はホームレスの人ではなく、身なりも普通ですし、子供も明るい様子です。もしも私が彼女と同じ状況であれば、いくら伝統的食卓でもきっとターキーは我慢するだろうな、とは思いつつも、「フードバンクの利用者=だめな人」という偏見のあった自分を反省しました。

 ●困ったときはお互い様が実践できない私たち
 バンクーバーのダウンタウンには「スペア チェンジ=小銭下さい」と言っている人がたくさんいますが、今まで私はあまり気にしていませんでした。そういう人たちは日本にもいたような気がしますし、 「あんなに上手に英語が話せるんだから、いい仕事があるだろうに...」と思っていたくらいです。

 ところが、最近気になる出来事がありました。高校生くらいの男の子に「バスに乗りたいんだけど、1ドルありませんか」と声をかけられたのです。雨の日 で、バス停の近くでした。「1ドルでなんかバスに乗れないんだから、うそだね」とその時は思ったのですが、あとで人に聞いたら学生は1ドルで乗れるのだそ うです。

 皆さんいかがですか。見ず知らずの人に「(何か)下さい。」と言うことはそう簡単にはできないのではないでしょうか。日本人にとっては言うこともできないし、「はい、どうぞ」とあげることもできない。

 私の場合は、まずギョットしました。正直、とてもびっくりしたのです。そして、「この子は不良」と勝手に確信してしまったのです。良く考えると、不良が「1ドルちょうだい」というのは変ですね。

 いつもは歩いている道程を、その日は雨なのでバスに乗りたかったのか、バス代を使ってしまったのか。それとも、ただお金が欲しかったのか、真実は分かり ませんが、多分、カナダの人だったら1ドルあげたのではないかと、今になって思います。「必要だから声をかける」「少しは余裕があるからあげる」のでしょ う。「困っているときはお互い様」という、日本語でも良く聞き慣れたことを、実践できなくなっていた自分が、悲しいです。

 ところが、こんなこともありました。スイミングプールの売店の前で、やはり高校生くらいの女の子が「Do you have a dollar?」と言うのです。

 「haveってどういうことよ。ほっといてちょうだい」と思いつつ、「何に使うの」と聞いたら 「For food」と言うではありませんか。もしかして、急病で家に電話したいのかな、と思ったのです。やっぱり売店でクッキーかポテトチップスを買いたかったのです。1ドルで買えるのはそれだけです。

 「親の顔が見たい」というのが、唯一その時の私の気持ちを正確に表わす表現ですが、英語に直訳してもまったくだめなことは知っていましたから、いいませ んでした。以前、私が英語学校の生徒だったとき、作文に「I want to see your parent's faces」と書いて先生がとても不思議な顔をしたのです。

 というわけで、どういう場合にお金をあげたらいいのかわからない、というのが今回のレポートの結論です。(素顔のカナダ レポート #5から転載)

 どうぞご意見をお寄せください。宛先は info@suimon.com

Suimon Engineering Canada. Ltdは、業務全般にわたる内容をホームページでご紹介しています。一度お訪ね下さい。バックナンバーはhttp://www.suimon.com/essy.htmでご覧頂けます。


1998年12月15日(火)
 元中国公使 伴 正一


 ●否定できない国家が権力機構という公理

 「天は人の上に人を作らず」といったのは福沢諭吉である。

 いまの日本人にはすらすら読んで何の抵抗もないだろうが、少し格好をつけすぎてはいないだろうか。聞こえはいいが読み方によっては、リーダーシップ、さらには国家権力の存在そのものを否定するように受けとられる。

 そのことばに耳慣れている普通の日本人にはけっこう、この言葉の暗示にかかっているフシがあるから恐ろしい。

 デモクラシーを民主主義と訳したことも、同じような暗示を与えた。民が主(あるじ)だというなら、主の上に権力があったらおかしい。同じような暗示の危険が「主権在民」ということばにも潜んでいる。

 そんな言葉の遊戯とかかわりなく、どんなデモクラシーの国にも国家権力は厳然としてある。国民が選んだ大統領や首相の権力は強大で、立憲君主制下の君主にひけを取らない。権力の行使を分掌する役人の数だって、王制でなくなっただけで半分に減るものではない。

 税務署はどっちの場合だってこわい存在であることに変わりはない。

 それはそうだろう。もともと国家というものは権力機構だからこそ国家なのだ。だからデモクラシー思想もまた、当然のことながら国の統治に権力の不可欠な ことを公理として認め、それを基軸に思想が展開されている。だが恐ろしいのは、この肝腎かなめののところで、さきほど言ったような暗示にかかってデモクラ シーを無政府主義だと錯覚してしまうことである。この暗示から抜けきらないでいると、デモクラシーそのものが別のものに見え、無政府主義思想特有の観念論 が割り込んできて建設的なディベートが"電波障害"を受ける。

 ●あえて民主主義といわなかった大正デモクラシー
 問題は日本の戦後デモクラシーに、この致命的な症状があることだ。大正デモクラシーという言葉がある。皇室を憚ってか、大正民主主義と言わなかった。今になってみると、「デモクラシー」をそのままずっと戦後も使っていた方が賢明ではなかったかという気がしてくる。

 当時の日本では微妙なところだったと思うが、デモクラシーというのは、天皇に代わって国家権力を行使するのは"有権者何千万人"ではなく、何千万人が選ぶ民選首長であることという一点だけを明確にしておけば、思い違いの起こりようがなかった。

 どうしても訳語が欲しければ、「民本主義」で鳴らした吉野作造に断って、この「民本主義」をデモクラシーの訳語にもらい受けておけばよかった。こういう 思想上のお膳立てができていたら、占領軍がやってきてデモクラシーが鼓吹されたとき、日本人は国の営みの公理を見失わないで、政治の現実とかみ合った思想 内容でデモクラシーを理解しただろう。

 この所論には、それこそデモクラシーを誤り伝えるものだという反論もあろう。その通りかもしれない。デモクラシーの原義を私が、勝手に仕立て直そうとしているのだと言われれば、それを認めてもいい。だが、その場合でも私はこう考える。

 デモクラシー思想を西洋人が組み上げた論理構成そのままに取り入れるのもよかろうが、日本人の頭に入りやすいように仕立て直し、大体のところは同じで も、厳密な思想としては別物に仕上がった日本生まれのデモクラシーにして制度化するという手もある。そこは、日本人の好みで決めればいいことだ。国を経営 していく上で、根幹的な制度を作るに当たって、直輸入だけを正当とする理由はない。

 日本の祖先は、あれだけ儒教を尊崇しながら「易姓革命」の部分を採らなかった。それでどこが悪かったのだろうか。「放伐」を正しいものとする理論構成が 日本では不必要だったし、天命という思想上のキー・ワードも、個人の奮起用に格下げされてしまった。そういうことでいいのではないだろうか

 簡潔な表現では満足のいかないヨーロッパ人と、抽象概念を何階建てにも積み上げられると頭がおかしくなる日本人とが、大体はデモクラシーを共有できそう なときに、論理構成の隅々まで同じようにそろえなくてはならない理由がどこにあるだろうか。それぞれがすんなり分かる論旨を用いて、なくて済ませるような 混乱を起こさせないようにする方がはるかに賢明ではないか。

 いくら国民に、公民としての自覚が育ってきても、国の運営に心を向ける時間の余裕は限られるから、少しでも事柄を分かりやすくしておく配慮が必要なのだ。多々益々弁ず、百家争鳴もよしとするのは、ずっと先ならともかく、今の段階の日本では頂けない。

 政治思想の分野で日本は欧米に半分も追いついていないかもしれない。だが、それは頭の善し悪しではなく、ものを考えていく段取りの違いが日本人の理解を手間取らせているのだと思う。

 ●鎌倉幕府が生んだ「職(しき)」=権利という概念
 鎌倉時代に日本で生まれ、室町時代にはあらかた消えてしまった概念に「職(しき)」という言葉がある。日本で「権利」に該当する用語はこの「職」以外になかった。

 戦後、大学で法律を学んで一番考えあぐねたのは、民法の分かりにくさだった。何でこんなに分かりにくい表現になっているのか考え、たどりついた結論は、第一章第一節「私権の享有」に始まって全編が「権利」でつづられているからだということであった。

 例えば、「親の務め」といえば分かりやすいのに、「子供の権利」から解き起こすから理解するのに骨が折れる。いくら説明してもしっくりこないのは用語や言い回しが難解すぎ、日本語になじんでいないからだ。

 「債権」や「賃借権」くらいの理解がやっとの平均的日本人に「主権」などという概念を持ち込むのはかなり残酷な話である。頭で分かったつもりでも納得し たとはいえないだろう。日本人は都合のいいときには「民主主義」を振り回すが、潜在意識では直感で「どうせ建前論さ」と高をくくっている様子が見え隠れし ている。本音では「お上」は現存しているのだ。

 わがままな王様が臣下のすることがいちいち気に入らなくてわめき散らすように、国民という名の王様は、政治家という政治家をこきおろす。そうかと思うと 一方で、業界のメンタリティーは「泣く子と地頭には勝てぬ」と黙りを決め込む。法的根拠もない主務官庁の「行政指導」には唯々諾々と従っている。この実態 のどこに民主主義があるというのだろうか。(魁け討論 春夏秋冬 1998年09月01日付コラムから転載)

 伴 正一氏へのメールはihouse@mb.infoweb.ne.jp


1998年12月14日(月)New Zealand在住 馬部敏哉(ばべとしや)


 少々タイミングがずれてしまいましたが、1998年06月08日付萬晩報「移民が支える起業家精神」を読んで、ニュージーランドの状況をちょいと述べたいと思います。

 ニュージーランドに移住しまもなく4年が経とうとしております。ここは世界で数少ない特別な条件なしに移民(永住権)が出来る国です。現在では大学卒が 基準のポイントとなっていますが、日本の高い大学進学率を考えると日本人なら相当数の方が望みさえすれば永住権を取得できるのです。

 旅行関連の仕事をしています。この国の「良いところばかりが見えたり」「逆に悪い面ばかりを気にしたり」と気持ちが揺れ動きましたが、今ではおおむね、 ニュージーランドの方が日本より暮らしやすいのではないかと思っております。永住権があるため社会保障から選挙権までニュージーランド国民と同等です。

 ●2年住めば与えられるすべての社会保障と選挙権
 少し前までは永住権を取得し12カ月ニュージーランドに住めば諸権利が与えられたのですが、いまではその期間が2年に伸びています。それでも2年です。アメリカは5年ほどだと聞いております。

 移民を申請すると最初は4年間有効の再入国許可が与えられ、その間にニュージーランドに入国しなければなりません。そして2年この地に住めば、一生有効の許可証に切り替えることが出来ます。3年住めば市民権(国籍、パスポート)が取得出来ます。

 永住権と国籍の違いは生活をニュージーランドでしている限り、ほとんど違いはありません。ほんの少しの例外を除いて「市民権または永住権」と言う表現で 両方ともニュージーランド国民として扱っております。一部の被選挙権とスポーツでニュージーランド代表になれないぐらいしか思い付きません。社会保障も選 挙権も同等です。

 実際、私も働く前にエンプロイメント・サービス(職安)に登録し、失業手当をもらった事があります。そして、そこで開業を申請しそのプランが認められる と開業資金(5000~8000ドル)まで出してくれたのです。それで私は現在の仕事を始めました。失業手当も現在では働かせようとプレッシャーがきつく なりましたが一応今でも無期限でもらえます。

 基本的に手当の類は現在の収入によるもので、車があるからとか大きな家があるからとかで打ち切られることはありません。当然、家のある無しで支給額は違います。生活コストが違うからです。

 あと、実利的な大きな違いはニュージーランドの市民権があれば、オーストラリアにも住める、つまり永住権が与えられるという特権もあります。とりあえずニュージーランドの市民権を取って、その後オーストラリアに引っ越すという人々も珍しくありません。

 これは移民だけでなくニュージーランド生まれの人も相当数がオーストラリアに住み、仕事をしています。オーストラリアの方が仕事も多く給料も高く、物価が安いので経済的にはここよりも暮らしやすいのです。

●問題は賃金の安さと物価の高さ
 最大の問題は賃金の低さです。物価は安くありません。物自体は賃金比較でなくても日本の方が安いぐらいです。新聞記事でしばらく前に見たのですがオーク ランドの52%の人が年収2万ドル(1ドル=70円)を超えないそうです。統計の取り方でどうとでもなると思いますが、専門職でない限り時給は12ドル最 高ぐらいですから、時給12ドル×40時間×52週=約2,5000ドル(約20%の税込み)辺りでしょう。

 手取り150万円以下です。年齢性別関係なし同一労働、同一賃金です。日本でのこの言葉の意味とはちょいとニュアンスが違います。 10年働いても同じ仕事をしている限りは賃金はほとんどかわりません。よくこんな賃金でみなさん豊かそうに暮らしている物だと思います。不思議なことで す。

 ニュージーランドは田舎です。悪い意味でも、良い意味でも。人は親切で安全です。大きなマーケットのある国ではありませんが、それだけに日本やヨーロッ パにはもう残されていない隙間が方々に残っています。起業家精神、チャレンジ精神のある方、一発、如何ですか。税金は最高で33%ですので日本より残せま すよ。

 市民権を取得したところで、ニュージーランド国籍が追加されるだけなのでおおげさなことではありません。ニュージーランド国民になったのだからそれでど うと思う人は少ないでしょうね。単にオプションが一つ増えたと思うだけでしょう。そう、ニュージーランドでは国籍をいくつ持ってもかまいません。帰化と言 う言葉に違和感があります。今までの自分の生きざまをすべて捨て去ってその国に染まるような、良い印象の言葉ではないですね。

 日本人は国とか国籍とかを大袈裟に考え過ぎているのではないかと思います。政府のPRの勝利かな。そうでなければ、公共事業や銀行救済のあほくささ。日 本人は日本から逃げ出さないと政府は高を括ってるから出来るのだと思います。移民を入れた分だけ海外に日本人が移民すれば問題はないのだけど、そうなると 能力ある人はすべていなくなってしまい、出れない人だけが残ってしまいそうです。

 中国人や韓国人をはじめ諸外国の人は、金持ちあるいはインテリ層がよく移民しますが、有産階級の日本人は少ないですね。(際的に見れば、日本の庶民の相 当数は有産階級に含まれるでしょう。家やらなんやら売ればすぐに5000万円ぐらいはなんとかなるでしょうし、一族郎党からの援助も期待できるからで す。(BABE Toshiya)



 1998年06月13日付萬晩報「【読者の声】レンタカーの旅でアメリカびいきになった友人」には読者の声が掲載されていましたが、いくつかのメールにコメントしようと思います。
 【「道路から下水道にいたるまで当事国民の税金で賄われるサービスを当然のごとく受けている」と言いますが、我々は決して税金を払っていない訳ではあり ません。駐在員として合法的な移民であり、給料を貰って生活をしています。 すなわち、米国連邦税、州税、固定資産税(屋賃を家主に払うことで間接的に税を納める。これが直接に教育に使われる)などは当然の義務として納めておりま す。よってサービスを受ける権利を有するものと思います。】
 確かにアメリカでもここでもそれは当然そうなのですが、日本は違います。 日本に住んでいる永住権を持っている外国人は選挙権もない、公的な仕事にも付けない。法律以前に家を借りる時、大企業に就職、いろいろな障害があると思い ます。義務だけはしっかり。特に日本生まれの在日韓国、朝鮮人はニュージーランドに住んでいる日本人に比べると明らかに権利、自由がありません。

 日本から派遣されている駐在員は先進国においても特権階級に属するという事を認識されている方は大変少ないと思います。あなた自身の努力とリスクチャレ ンジで掴み取った座ではありますが、あなたは特権階級に属していて、高みにおります。それを意識しないで行動すると問題が生じがちです。日本からの駐在員 はニュージーランドの現実世界と考え方、経済力とも乖離している場合が多く見られます。

 【日本人にアメリカインディアン並み(もちろんアメリカインディアンを貶める意図はありません)の立場になる覚悟なりがあり、それでも日本社会の活路を求めるため移民的な要素を受入れる、というのであれば賛成です。】
 奇妙な事に役所や業界の既得権を守ろうとしている人と同じ論理ですね。そこまで、恐怖感を持つ必要はないと思います。国境を自由にしている国は存在して いません。当然条件に適った人のみでいいわけですから、無理のない範囲で計画的、人道的に受け入れれば良いのです。ニュージーランドにしても移民受け入れ は国にとって得になりそうな人のみ受け入れています。

 ニュージーランドみたいな小国で移民に対して様々なサポートやサービスをしています。失業率も低くありません。それでも、移民を人間として平等に扱って います。日本のGDPはアメリカの2/3もありますから、100万人単位の移民が居たところで経済的にはニュージーランドより余裕があります。現に100 万人を遥かに超える外国人がすでに日本には住んでいます。もう数としてはここよりも圧倒的に多くの移民希望者、出稼ぎ者(合法、非合法問わず)が日本に現 実に存在しております。基本的に日本は社会保障のない国なので、コストもたかが知れています。

 それを、ずっと外国人扱いにしておくのはユーザーには都合は良いですね。移民は決して侵略者ではありません。ここでは、移民の方が平均的なニュージーランド人より教育程度も高く、有能です。外貨も持ってきます。

 ただ、最大の問題は移民は条件が良いところに何処にでも行きますから、その国の総合的な魅力がなければ留まってくれません。特に有能な人ほど国境で縛り 付けることは出来ません。私にしても今はここを気に入っているから住んでいるけれども日本でもオーストラリアでも何時でもいけるわけですから、国にとって はしたたかな相手とも言えます。

馬部さんへのメールはTrout_Bee@xtra.co.nz


1998年12月13日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 ●娘たちを日本人として育てたかった

 10年以上も前のことである。岡山市の林原生物化学研究所の渉外課長をしていたパキスタン出身のムハンマッド・ライースさんは神戸市に引っ越し、新幹線 通勤を始めた。理由は簡単だった。二人の娘を神戸のインターナショナル・スクールに入学させるためである。問題はそう決断した理由だ。

 「家ではウルドゥー語を使っていたんですが、娘たちは小学校でも遊びでも岡山弁でしょ。自分たちは外人という意識はなかったんですが、顔かたちはパキスタン人。英語もできない外人ではこの国で暮らしていけないってことが分かったんです」

 「この国に暮らしていて、日本人というのは日本で生まれた人という意味ではないんです。日本で生まれただけではだめで、まして日本語をしゃべってること なんて大したことではない。同じ顔をしていないといけないんです。中国人や韓国人なら日本で生まれて日本語をしゃべっていれば日本人と見分けがつかないで しょうが、パキスタン人は到底無理です」

 ライースさんは、はじめは娘たちを日本人として育てようと考えていたが、このままでは娘たちは英語も分からない外人になってしまう。そう考えて神戸への引っ越しを決意した。この話はライースさんが当時借りていた神戸市内のマンションで聞いた。

 日本では、西洋やインド、アフリカなどの顔かたちの人々は何世代日本で暮らしたところでいつまでも「外人」でしかない。そんな外人たちの思いに心が寒くなった。

 ●恐れていたことが子どもの社会でも起きた

 ライースさんは15歳のとき日本にやってきた。外交官だった父親が日本大使館勤務になったからである。父親は少年ライースに日本の学校へ行くよう命じた。「将来、日本とパキスタンとの架け橋となれ」というのが父親の厳命だった。

 学生服を着て都立新宿高校に通い、横浜国大を卒業した。東大大学院の研究生を経て、いくつかの日本企業で働いた。働いたといっても当時の日本企業で外国 人を正規社員に採用するところはなかった。どこまでいっても嘱託だった。33歳になって初めて林原生物化学研究所が正規社員としてライースさんを受け入れ た。林原は一時期、インターフェロンの開発で世界の先端を行っていた企業である。

 岡山はライース一家にとって住み心地のいいところだった。少なくとも子供たちが小学校の低学年まではそうだった。娘たちは生まれてすぐ岡山にやってき て、岡山で育った。パキスタン語より岡山弁の方が上手だったし、パキスタンのカレーよりも岡山名物の「祭りずし」の方が好物だった。

 お姉さんのアエシャは1年生の時はたくさん友だちがいて、同級生が家にもよく遊びに来た。子供たちには差別の目も区別もなかった。ところが2年生になったころから様子が変わった。アエシャはだんだん外で遊ばなくなった。妹のアスマも姉と行動を共にするようになった。

 ライースさんの一番恐れていたことが子どもの社会で起きたのだ。「目が大きい」「足が大きい」「背が高い」「色が黒い」。目立つから仕方がないとはいえ、パキスタンから来た子供たちの小さな胸を痛めた。

 ライースさんはこう言っていた。

 「小学校の2、3年生というと、ものを見分ける観察眼ができてくる。形や色、大きさの違いに敏感だ。この見分ける力は成長に必要なのだが、違いだけでな く、同時に似ているところにも気付く目を養わなければならない。優れたところを認め合う勇気も育てなければいけない。それはみんな親の義務だど思います」

 ●またひとりぼっちになったパキスポン
 ずっと忘れていたライースさんを思いだしたのは、古い書籍を整理していて「外人課長のニッポン企業論」(PHP)というライースさんの著書が出てきたからだ。

 10年ぶりに岡山の林原生物化学研究所に電話したら、ライースさんは元気そうだった。「なつかしいね。僕は50を越えちゃったですよ」などとふざけていたが、家族のことを問うととたんに声が沈んだ。

 「娘たちはもう大学生よ。でもかみさんと一緒にアメリカに行っちゃったんですよ。僕はまたひとりぼっちよ」

 もはや理由は聞かなかった。お父さんに「日本との架け橋になれ」と言われ、40年間頑張った。日本人とパキスタン人の合いの子として自らを「パキスポン」と呼んだライースさんに、一日本人として返す言葉を失った。


1998年12月11日(金)萬晩報事務局長  岩間 孝夫


 台湾が挙選で燃えていると聞き、自分の目で確かめたくて台北へ飛んだ。台北はかつて90年8月から1年間住み、その後も仕事で度々行く。友人も多くなじみの深い大好きな町だ。

 今回の各種選挙のうち国際的に注目されたのは、立法院(国会)議員、台北市長、高雄市長の三大選挙。日本で言えば総選挙、東京都知事選、大阪府知事選が 大接戦の状況下で同時進行するようなものだった。12月4日(投票前日)、5日(投票日)、6日(結果確定日)の三日間に見て感じたことを、特に私自身、 関心が高かった台北市長選挙を中心に報告したい。

 ●民進党の輝く星VS国民党の若きホープ

 12月4日昼ごろ、中正国際空港に着いた私は、空港バスで市内に入り、友人の家に向かうべくタクシーに乗った。台北市は市議選も重なり、道路や建物のいたるところに立候補者の名前を書いた旗や看板が所狭しと立ち並んでいる。

 そのにぎやかさは半端じゃない。何しろ私が住んでいた頃には葬式の行列にストリップが出るくらい威勢良くやるのは大好きなお国柄だ。台湾の名誉のために付け加えるとさすがにストリップはその後やりすぎだということで見られなくなった。

 今回、台北市長選に立候補したのは馬英九(国民党)、陳水扁(民進党)、王建暄(新党)の三氏。しかし最終日の時点で実質的に馬英九と現職市長陳水扁の一騎打ちとなっていた。

 馬英九(48歳)は台湾大学卒業後、ハーバード大学へ留学。博士号を取得して、帰国後蒋経国総統の秘書となり、93年から3年間、法相を務めたこともあ る国民党の若きホープ。英語を流暢に話し、かつての人気映画スター田宮二郎に似た甘いマスクで女性層にも人気は高く、以前、台湾の男性の同性愛者たちから 「恋人にしたい有名人男性」ナンバーワンに選ばれたこともあるいい男。父親は外省人で元国民党幹部。

 かたや陳水扁(47歳)は野党である民進党の輝く星と言われ、同じく台湾大学卒業の本省人。2年後に実施される総統選挙の有力候補で、党は違えど、同じ本省人の李登輝総統はこの人に本当は引き継いでもらいたがっていると、影でまことしやかにささやかれている人物。

 四年前市長に当選の後、混乱のひどかった台北市内の交通状況を大幅に改善し、けばけばしくピンクがかっていた夜の町を健全化したり、その行政手腕は 70%を超す市民から高い評価を得ていた。マスコミによる世論調査での支持率は、馬英九38.2%、陳水扁34.3%と馬英九がややリード。後は浮動票の 行方がポイントだった。

 ●陣太鼓とアジ演説と花火、ラッパが

 さっそくタクシーの運転手から情報聴取をする。世界中どこの土地でもタクシーの運転手は有力な情報源だ。ちなみに顔と体つきを見て、言葉を聞けば本省人と外省人はだいたい見分けはつくし、結構これが会話の役に立つ。

 「陳水扁は勝ちそうかい?」
 「分からないね」
 「馬英九が優勢みたいだけれど、彼は外省人だろう?」
 「台湾人は団結するのが下手なんだ。それに、党でなく人で選ぶ者もいる」

 また彼によると、タクシーが選挙期間中、馬英九の旗を立てて走ると1000元から2000元(1元=4円)もらえるという。民進党支持者の多いタクシー 運転手は、前回選挙で陳水扁勝利の大きな原動力になったにもかかわらず、今回は馬英九の旗を立てて走るタクシーがけっこういる。

 「どうして陳水扁の旗を立てたタクシーはないの?」
 「国民党は金持ちだ。民進党は金がない」

 何人かの台湾人の友人からひとしきり状況を聞いた後、夜は市政府前で行われた陳水扁陣営の最終総決起集会に行った。巨大なステージには煌煌とライトが照 らされ、スピーカーはボリューム一杯だ。会場周辺には大小さまざまな陳水扁応援旗を手に手に持った人々が埋め尽した。降りしきる雨にもかかわらず数千人は いるだろう(翌日の新聞には2万人から3万人集まったとあった)。

 音楽あり、陣太鼓あり、アジ演説あり、花火あり、ラッパあり、大歓声あり、ものすごい熱気だ。日本でも頼まれて4、5回選挙の決起大会に行ったことがあるが、こんな熱気は見たことない、始めてだ。いやでも血沸き肉踊る。

 最後の支援を求めて気勢を上げる応援演説が次々と続き、嫌が応にも決戦ムードが高まる。旗がぎっしりと立ち並ぶ光景は、川中島決戦の直前はかくやありなんという感じだ。

 それだけの賑わいに商魂が出てくるところがさすが中国人。プラスチックのラッパ管に噴射スプレーを付けボタンを押すと自動的にブーという音が出るスプ レーラッパが1個200元(約800円)。これが良く売れる。傘売りもいるし、食べ物屋台もずらりと並び、まるで祭りの縁日だ。そんな集会は夜の12時ま で続いてやっとお開きになった。

 ●「go go! 馬英九、go go! 馬英九」の大合唱
 翌5日は投票日。時間は午後4時まで。投票率はさすがに高く台北市長選挙80.9%、高雄市長選挙80.4%、立法院議員選挙68.1%だった。即日開票で夜9時半ごろには結果が判明するというので夜8時ごろ、今度は馬英九陣営の選挙本部へ行った。

 道幅50メートルぐらいの道路に巨大なステージとスクリーンを作っている。銀座大通の4丁目から6丁目ぐらいを歩行者天国にしてそこでやっているような感じだ。

 数千人の人々が手に手に大小さまざまな馬英九の旗を持ち、帽子をかぶり、Tシャツやハッピを着て歓声を上げている。老若男女あらゆる世代がいたが、若者が結構多いのに驚いた。翌日の新聞によるとやはり数万人集まったらしい。すでに馬英九が約1万票ほどリードだ。

 大スクリーンに得票数が映り、馬英九の得票が伸び、陳水扁との差が広がるたびに大歓声が上がり、やはり今日も売っている1個200元のラッパが鳴る。そ れが2、3分おきだ。この間ずっとアップテンポで調子の良い馬英九テーマソングががんがん流れ、それにあわせ旗を振り振りタイミング良く「go go! 馬英九、go go! 馬英九」の掛け声がかかる。

 得票数が40万、50万と伸び、差が3万、4万、5万と広がっていく毎にさらなる大歓声が上がり、ラッパが鳴り、花火が上がり、爆竹が鳴る。大合唱も「恭喜!恭喜!(おめでとう)馬英九!」、「万歳!万歳!馬英九!」と変わっていく。もう興奮のるつぼだ。

 甲子園の阪神応援団と早慶戦の応援団とJリーグサポーターをみんな足したような感じだ。そしてその興奮は、勝利が確定し勝利宣言をするために馬英九が壇上に登った夜10時半ごろ、最高潮に達した。その場はもちろん、町のあちこちから爆竹と花火の音が鳴り響いた。

 ●大阪でノックを敗るには上沼恵美子しかおまへん
 翌6日日本へ帰るためホテルを出てタクシーに乗った。

 「陳水扁負けたね」
 「没辧法(しかたない)、総統選挙の準備をしたらいいよ」

 そう、まことに彼らの気持ちの切り替えは早い。

地元各紙の分析によると馬英九の勝因は、前回の選挙では分裂した同根の国民党と新党が、今回新党から候補者が出ているのにもかかわらず、民進党に対抗する ため馬英九当選に向け団結したことと(前回の選挙でも国民党と新党の票を合わせると、当選した民進党・陳水扁の票より多かった)、国民に圧倒的に人気のあ る李登輝総統が再三応援に出馬、特に本省人の多い旧市街地を念入りに回ったことが大きいそうだ。

 また、総人口に占める割合は約14%だが、台北市の選挙民比率では約30%の外省人はその約90%が馬英九に投票したそうである。外省人は国民党か新党 を支持し民進党を支持しているのは本省人、ということはかなりの確率で言えても、その逆は必ずしも真ならず、といったところか。

 帰りの機上で読んだ日本の週刊誌や新聞がたまたま来春行われる大阪府と東京都の知事選挙について書いていた。今のところ横山ノック、青島幸男の両知事は再出馬するつもりはあるのにまだ出馬表明はしておらず、一方反対陣営も対抗馬の人選は目処が立たないらしい。

 特に大阪は横山知事の人気が高く、負け戦さの可能性が極めて高い戦いには誰も尻込みして出馬しようとしないらしい。ちなみに横山知事は当選後、初登庁した日に選挙中の公約を取り消したのだが、そのことを覚えている人はもうあまりいない。

 私も住むそんな大阪で、横山知事を破る最後の秘策は、ある落語家によると「上沼恵美子を出すしかおまへん」のだそうだ。ああ、わが日本。(IWAMA TAKAO)


1998年12月10日(木)Silicon Valley 八木 博


 米国で生活をしていますと、ガレージと言うのが多目的に活用されているのを感じます。毎朝ジョギングをして近所の開いているガレージを見るのですが、ガ レージは実に様々な用途に使われています。2年ほど前にTIME誌で、米国の秘密武器「ガレージ」という表現をしていましたが、どんな使われ方をしている のか、具体的に検証してみたいと思います。

 ●出入り口、物置そして作業小屋

 米国の家庭のガレージと言うのは、基本的には屋根付きで、家屋につながっています。ですから外出から車で戻ると、ガレージから家に入る事になります。で すから、玄関はあまり多くは使われないという事になります。しかも家からの出入りが雨にぬれずにできますから、屋内の一部と言う考えにもつながります。

 ガレージの使い方で多いのは、物置です。我が家もそうですが増えてきたものを家の中に置くとすぐ一杯になりますので、どんどんガレージに置いて行きま す。そうすると結構ガレージもふさがってきます。そうすると本来何も無かった壁に棚をつけたり、ロッカーを置いたり、果ては工作機械や園芸用機械など置い てみたりします。立派な作業場としての機能を持ってきます。作業のための電源やユーティリティーなども揃えてゆきます。

 因みに私の家の前の持ち主は、コンプレッサーと自家発電機を備え付けて、ガレージの壁には工具類が所狭しと並べられていました。また、近くの人の家のガ レージには、工作機械と呼べる旋盤やドリルマシンが、町工場のように並んでいます。これなど、さしずめ、ガレージ工場と呼べない事もありません。

 ●ガレージから生まれたヒューレット・パッカード
 ヒューレット・パッカードのガレージはあまりに有名です。現在ではカリフォルニア州の史跡になっていますが、このガレージなどは現在見ると実に小さく、 車1台が入るのがやっとと言う感じですが、ここから現在のHPが始まったのかと思ってみるととても感慨深いものがあります。そして、ご承知のようにアップ ル・コンピュータもガレージからビジネスは始まりました。タイム誌が、米国の秘密兵器と表現したのはこの様なスタートの切り方で、ビッグビジネスが出てき ているということを示しています。

 物理的には、スペースがあるから、経済的にはお金がないからというのが、ガレージでビジネスをスタートする理由だと思います。はじめに建物や装置を入れ てしまうと、その経費だけで大きなリスクを背負う事になりますし、マーケットや技術の変化に対応するには、身軽なほうが良いわけです。その意味では、ガ レージをビジネスのスタートポイントにするのは、合理的な選択と言えると思います。そこから芽が出てくれば、投資家を募って会社を作ると言うプログラムを 始めれば良いわけです。

 ●お小遣い稼ぎもガレージから

 この様なシステムは、組み立て産業の開発レベルにおいては特に有効だと思います。これが現在のシリコンバレーでの新しいビジネスの生み出し方に近いと言 えると思います。ただ、ソフトウェアなどの場合には、ガレージも不要でパソコンにつながる環境さえあれば、仕事が進められるほど、機械や装置への依存度は 小さくなって行きます。

 ソフトウェアの場合、仕事の取り進めが、大きなネットワークで行われるところが違ってきますが、これらの育て方を見ていると、小さく生んで大きく育て る、という考え方が中心である事がわかります。これからの、大きく変化する時代には、独自にマーケットを創造できないのであれば、動きが速く、リスクを少 なくというのが重要なポイントになると思います。その意味で、ガレージと言うのはなかなか使い勝手の良いものであると思えるのです。

 ガレージの別の使い方にガレージセールと言うのがあります。これは、家庭の不要なものをガレージや庭に出して、他の人に立ち寄ってもらい、気に入れば 買ってもらうためのものです。骨董品や衣類、電気製品、本などいろいろなものが並びます。これが週末ですと近所で大体2、3軒の家が手作りのポスターを道 路沿いに掲示して、お客を集めます。

 通り掛かりの人で興味のある人は、立ち寄って品定めをして、気に入れば買います。いくつか覗いた事がありますが、その日の終わりには大体のものが売れて しまいます。この売上げは、しっかりと家計に入るわけです。商品のリサイクル、再活用と言う意味で、面白いと思います。使えるものは使ってしまうと言う、 米国の気質にマッチしているシステムだと思います。

 ●そして、秘密兵器は今も健在

 この様なガレージは、小さく始めるビジネスにはとても良い方法だと思います。それが思い思いにビジネスの種を生み出せるとしたら、TIME誌の言うとこ ろの、秘密兵器ということになるでしょう。私には、更に進んで、これら小さく出てきた芽を、大きく伸ばす仕組みと一緒に存在する事が、更に重要ではないか と思えるのです。

 個々を大切にして、育てるときには協力するという考え方が、大きく関わってきていると思えるのです。シリコンバレーにはそのような仕組みができています し、今後世界で競争するときには、そんな相手と戦うという事を意識して、作戦を立てるべきだと思いますが、皆様はどうお考えになるでしょうか。

 本情報につきまして、皆様からのご意見ご感想をお待ちしております。E-Mail hyagi@infosnvl.com


1998年12月09日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 12月からたばこの定価がほぼ全銘柄で20円ずつ値上がりした。たばこを吸わない人にとっては他人事だし、「いいチャンスだから辞めたら?」などと言われる愛煙家も多かったのではないかと思う。

 今回は従来の値上げとちょっと様相を異にしているため黙っていられない。第一に、旧国鉄の借金を喫煙者に肩代わりさせた点だ。第二は今回は増税ではなく、新特別税である点、そして第三として値上げ分がすべて税収とならず18%もの金額が雲散霧消する点だ。

 特にこの第三点目について説明すれば、たばこを吸わない人といえども聞き捨てならないだろうと思う。

 ●愛煙家はどこまで旧国鉄負債を負担するのか
 国鉄清算事業団の長期債務及び国有林野事業の累積債務の一般会計への承継に伴い、新しい税目として4月から「たばこ特別税」が創設された。税収見込みは 年額で約3800億円だから決して小さくない。実施時期は1998年10月1日からだったが、旧国鉄の28兆円もの借金を国鉄清算事業団から一般会計、つ まり国民の借金に付け替える法律の成立が金融問題の審議で遅れたため、実施時期が2カ月遅れたる。

 借金の付け替え先は「国債整理基金特別会計」である。一般になじみはないが、過去に発行した国債の返済を行う窓口である。もっとも実質的にただの1円も 返済したことはない。日本という国が国債の金利しか払ってこなかったことについては、萬晩報が何度か指摘してきた通りである。

 もともと旧国鉄への借金のほとんどは政府の資金運用部から借りたものである。28兆円は国鉄が民営化した1985年時点で27兆円だった。金額が増えた のは金利分だ。10年もたっている割に増え方が少ないのは多少は資産を売却したからである。資金運用部は郵便貯金などを運用するセクションだから、旧国鉄 の借金はいわば郵貯の不良債権として生まれ変わったと言ったら刺激的すぎるだろうか。

 どうしてこの特別会計に付け替えたかといえば、いずれ多額の国債を発行して郵貯の不良債権を少しでも減らそうという魂胆なのだ。郵貯の不良債権が旧国鉄 分だけで28兆円ということが分かったら大騒動である。そうならないように、分からないようにこの特別会計に移したのだが、萬晩報の目をごまかすことはで きない。

 もちろん、旧国鉄の資産を処分して少しでも国債依存を減らしたところだが、歯止めのかからない地価下落のなかでは売却はたやすくない。そこで「たばこ特別税」の出番となるが、どう考えても3800億円程度の税収では28兆円の金利の足しにしかならない。

 仕組みを長々と書いたが、本当はなぜ喫煙者だけが不合理な借金付け替えの犠牲にされるのか、説明も議論もないことは大いに不満である。

 第二も問題は、たばこ税の増税ではなく、「特別税」と名乗るからには期限が必要だということである。たとえば「28兆円の借金のうち1割の2兆8000 億円を喫煙者に負担してもらいたい。ついては10年間だけ値上げを許してほしい」というのならば、まだ納得できようというものだ。だが、たばこ特別税法に は実施時期は明記されているが、終わりの時期が明記されていない。これは特別法の趣旨を逸脱しており、大蔵省による完全なルール違反である。

 ●増税でも値上げでも実入りが増えるたばこ店
 第三の問題である。法律には「課税標準」として「税率は1000本当たり820円」とある。20本当たり16円40銭でしかないのに、20円の値上げが 実施されたのである。差額の3円60銭はどこに行ったのだろうか。たった3円60銭というなかれ。年間のたばこ消費量は3280億本だから、1箱3円60 銭の積み重ねは590億円にもなる。

 そもそも昨年4月の消費税値上げで220円だったセブンスターは230円へと10円も値上げされた。2%の値上げだから4円程度で済んだ値上げ幅が倍以 上になった経緯がある。値上げには基本的に反対だが、税金がそのまま上乗せされるのならまだ、納得がいくというものだ。だが、この国のたばこはそうはなっ ていない。

 たばこは公共交通機関と電器・ガスを除いた日本の物価のなかで唯一残された「認可制」である。富士山の頂上でも、銀座の高級クラブでもたばこの価格が同 じなのは公定価格だからである。当然ながら安売りも許されていない。昨年4月の値上げでは実はタックス・オン・タックス、つまりたばこ税を加えたたばこの 価格にさらに2%の消費税を上乗せしたのである。これはガソリン税でも同様だ。

 さて、この疑惑の3円60銭の行方である。結論を言えば、たばこ販売店の手に入る。ほとんどのたばこ販売店は年間売り上げが少ないため、消費税の納税義務がないことも付け加えなくてはならない。

 たばこの流通は日本専売公社の時代から近代化されていない。たばこが公定価格であることにも理由がある。たばこ販売店の手取りは小売価格の10%と決 まっていた。いまではブランドによって10-10数%の範囲で決まっている。だからたばこ税が上がると自動的に販売店の手取りも増える仕組みなのだ。

 おおまかに全国のたばこ販売店数は28万件。平均1300万円の売り上げで、手取りは130万円である。その実入りが今回約10万円増える勘定となる。 消費税増税に続いてまたおかしなことが起きつつある。「風が吹けば桶屋がもうける」というのは経済原則だが、増税によってまたたばこ小売店の実入り増につ ながったのでは禁煙者でなくとも立つ瀬がない。


1998年12月07日(月) 萬晩報主宰 伴 武澄


 日本経済新聞の終りのページに長く続いている「私の履歴書」という連載シリーズがある。今月は「渡辺文夫・東京海上火災保険相談役」である。一線を退い た経済人が主に人生を振り返るコラムだが、過去の2、30年前の逸話のなかに政府との交渉や企業間のやりとりが「武勇伝」のように紹介されている。本音が 垣間見られるだけでなく、読みようによっては当時の社会通念が現在のそれとは180度も違うことを発見できることもある。

 今回は富士銀行の元頭取の松沢卓二の「私の履歴書」のなかから「国債発行」というコラムを紹介したい。新聞スクラップに日付が打っていないので何年の掲載か分からなくなったが、戦後日本が初めて国債を発行した時の裏話が面白い。


 ●私の履歴書「国債発行」 松沢 卓二

 戦後20年間は政府は国債を発行せず、いわゆる超均衡財政を続けてきたが、昭和40年(1965年)に歳入欠陥が生じ、赤字国債を発行せざるを得ない事 態となった。その額は2000億円、しかも最初は日銀引き受けでやるという話が伝わってきた。しかし、戦時国債の話が頭にあり、平和日本の初めての国債で もあるので、全銀協はじめほかの経済団体も日銀引き受けには猛反対。結局、政府は公募方式で国債を発行することになった。

 これを受けて、全銀協は国債の引き受け・募集のためのシンジケート団(略シ団)を結成することになった。ちょうど、富士銀行が全銀協会長の時にあたり、私は一般委員長としてシ団結成に全力を挙げることになった。

 まず取り組んだのがシ団メンバーの範囲だ。当初、国債を国から直接買い受けること(引き受け)と引き受けた国債を投資家に販売すること(募集)が法律上 可能な銀行と証券にメンバーを限定しようと決めた。ところが、生命保険会社や農林中央金庫、信用金庫などがシ団加入を申し入れてきた。

 私は「生保などの機関投資家はシ団から国債を買うのが筋だ」と主張した。しかし、大蔵省の意向もあって結局、全部の参加を容認することになった。当時の佐竹浩銀行局長や近藤道生銀行局総務課長と何回となく協議し、苦労の末取りまとめたものである。

 また、シ団の代表幹事をどこにするかでももめた。中山素平頭取の意向を受けて興銀の青木周吉常務が「代表幹事はうちに」と強い意向を示してきた。戦前は 盛んに証券引き受けをやり、戦後も自行で債券を発行している興銀の特質を考えると気持ちは分かるが、私は都銀の反対が強いので「銀行界全体の問題だから、 特定行には出来ない」とお断りし、全銀行の会長行が持ち回りで代表幹事をやることになった。

 最も問題になったのは引き受けた国債の販売を誰がやるかということだった。大蔵省は「法律上は銀行も証券も可能」という見解だった。ところが全銀協の内 部では「銀行が国債の販売をやると、預金が減るだけだ」という意見が大半だった。これに対して、野村証券副社長だった北裏喜一郎さんらは「販売は証券にま かせてくれ」と言ってきた。私は「証券会社に既得権を与えることになるがそれで良いのか」と一般委員会などの席で念を押したが、「預金を犠牲にしてまで国 債を売る必要はない」といった意見が多かった。

 しかし、私はいずれ銀行も国債の販売をする時が来るという信念があったので北裏さんと激論の末、「銀行は国債引き受けはやるが、当分の間は募集をやら ず、証券だけが募集をする」という覚え書きを交わすことで落着した。この覚え書きは40年から58年まで続いた。銀行団はその間、募集の取り扱い(販売) を中止し、証券団だけで募集の取り扱いを行うというのが真意だったのだ。ところがこれだけ気を遣ったのに、果たせるかな、50年代以降の国債大量発行時代 を迎えると、銀行の窓販の可否が大問題に発展した。

 シ団の結成を終えると今度は国債発行条件が問題になった。表面利率と応募者利回りの決め方だ。戦前は御用金の発想だから異様に金利が低かった。今回はそ んなことは適用しないから、私は「市場原理を尊重して発行条件を決めるべきだ」「戦後初めての発行条件だし、イメージをよくしたい」と佐藤一郎事務次官と 村上孝太郎官房長らに迫った。

 その結果、大蔵省が二つの案を提示してきた。A案は表面利率が高いが応募者利回りが低い、B案は表面利率は低いが応募者利回りが高い-というもので、両 案とも当時の市場実勢を反映したものであった。「どちらか選択してくれ」と言う。私は、さっそくメンバーの意見を聞いてA案を選択した。

 戦後初の国債発行に際して、こうした発行者たる大蔵省と引き受け募集のシ団のと間で真剣な協議が繰り返されたことは結構なことであった。しかし、発行量の増大に伴って再び御用金思想が復活した時期があったことは残念である。(富士銀行相談役)


1998年12月06日(日) 土屋 直


 「オラクルができてから、急にこの101号線が混みだしたのよ」

 1986年には株式公開を果たし、エヌ・キューブ社を買収するなどして超並列コンピューター分野にも進出し、同分野でもトップ・ブランドとなっている。近年は、ネットワーク・コンピューター構想やアップル買収の噂などで何かと話題にのぼる事の多い企業である。

 オラクル社は、かつてコンピューターの雄のひとつだったアムダール社の元技術者、ラリー・エリソン氏によって1977年に設立された。リレーショナル・データーベース・ソフト開発の成功により急成長した会社である。

 「シリコンバレーではアドバルーンを打ち上げる能力がとても重要なの」という飯田さんの言葉が耳に残った。

 オラクルの円柱形のビルは初夏の生暖かい微風にふかれ、レッドウッドシティの真中にそびえ立っていた。孤高に並びたつビルディングの威容はエリソン氏の経営姿勢をそのまま表現しているように思えたのだが、どうであろうか。

 私はサラリーマン時代、トフラーの「第三の波」を読んでシリコンバレーの情報企業群に関心を持っていたものの、海を隔てた言葉の違う国の話であって自分 には縁のない世界だと諦めていた。それだけに、とうとう空想の中の出来事でしかなかった遠い世界に、現実に足を踏み入れることができたという感動が潮のよ うに押し寄せてくるのを感じた。

 だだっ広い駐車場をあとにして、オラクルの円柱の周囲を廻っていると湖の河畔にカフェがあった。プラスチック製の白いテーブルと椅子の置かれたなんの変 哲もないカフェなのだが、そこから見える河畔の柳と湖の風景が美しい。その日は残念ながら休業中であったのだが、「オラクルのカフェを利用したことがあ る」というのはシリコンバレーではちょっとした自慢になるらしい。

 オラクルを率いるラリー・エリソン氏はシカゴ大学物理学科に在学中、フェアチャイルド・セミコンダクターの設立などで第一次ブームに沸いていたシリコン バレーを見て大学を中退、成功を夢見てシリコンバレーに移り住んだ野心家経営者である。エリソン氏の持論は「新しい技術への挑戦というリスクを取らないほ うがリスクは大きい。この世界では何もしない事が大きなリスクになる」であり、その経営は強力な技術を背景にした常識破壊とリスクテイキングの精神に貫か れている。

 また、大の親日家としてもとしても知られ、エリソン氏の自宅は広い日本庭園と武家屋敷などの建物を配した日本風の豪邸である。オラクルの周囲を歩いてい る途中そのことを思い出し飯田さんに言うと、ネット・スケープのジム・クラークも一時期、京都に留学していたことがあり、シリコンバレーの親日派は意外と 多いですよ、という返事が返ってきた。

 土曜日だというのに、オラクルの技術者たちはラフなポロシャツやジーンズといった格好で続々と出社してくる。心なしか中国人やインド人といった非白人系 が多いように思えたのも、世界各国に拠点を構え1万6000人の社員を抱えるオラクルのイメージから来る私の僻目なのだろうか。

 オラクルのホームページには「The Oracle Million Dollar Challenge」「Are you game?」「The Interner Changes Everything」などという、社員の「変革」や「挑戦」を促し鼓舞するような表現に満ち溢れている。エリソン氏の冒険者精神が社内の隅々にまで浸透 していることをうかがわせる一面である。(NAOSHI TSUCHIYA)

 メールマガジン「セコイアの木に引き寄せられて」3号より。土屋さんは現在、脱サラして国際公認会計士を目指して勉強中です。配信希望は ここへ


1998年12月01日(火)萬晩報主宰 伴 武澄

 

 大分、昔の話である。1992年7月13-16日、軽井沢で日本生産性本部トップマネージメント・セミナーが開かれ、その時以来、野村証券の相田雪雄元会長のファンである。

 ●証券市場の正常化はダウがいくらになることではない

 6年前である参加者みんなが、日本が転換期にあることを主張していた。相田氏もまた「大変な発想の転換が求められる」と発言した。しかし「日本」とはいわずに「日本人」といった。当時の取材ノートに線が引いてあるから筆者にとって印象的だったのだろう。

 「戦後日本は、いいモノを安く大量にという命題を追及してきたが、これは競争ルールの半分でしかない。最適な資源配分をしてきたかどうか。実は競争ルー ルの残りの半分は資本市場にあったはずだ。資本提供者への最低条件として期末の満足できるリターンをしてきたが実は問題なのである」

 「1958年にメリルリンチにトレイニーとして派遣されたときのショックは、株価分析で Buy の他に Sell と Hold の三つの分類があったことだ。日本では最近まで口にできなかった。日本は30年遅れていたということだ」

 「メリルリンチでは、各支店で investment forum を盛んに開催していた、教育的といいますか広報的といいますか。株価とは何か。投資とは何か。企業とは何か。それに自己責任とは何か。投資家に熱心に説明していたのを思い出します」

 日本の証券会社トップが相次いで損失補てんの責任を取って辞任した直後だったから刺激的だった。

 「証券市場の正常化は何をもって正常化とするのか。ダウがいくらになることではない。営業の正常化しかありえない。証券会社は今後整理されることもあるだろうが、ピ-クから10年、あと3、5年はかかる」。この展望は間違った。6年たっても何も変わっていない。

 相田氏は、野村証券に入社以来、一貫として国際畑を歩んだ。だから人望があっても社長にはなれなかった。野村証券の不幸はラインがバリバリの国内営業閥 で占められていたことだった。経営トップに求められる資質は、業界のボスとして監督官庁である大蔵省や自民党との太いパイプを持つことだった。欧米での金 融界の常識や変化を知っていたところで昇進には何の足しにもならなかった。

 ところがバブル崩壊で風向きが変わった。副社長から子会社の社長に天下っていたとき、証券会社による損失補てん事件が発生して、相田氏は請われて本体の 会長に就任した。国内営業のどろどろした部分に手を染めていないトップ人材が求められ、相田氏に白羽の矢が当たっただけで、証券会社の本質は一向に改めら れなかった。

 退任した田淵節雄会長は、子飼いの酒巻氏を社長に据えて、実権を相田氏に渡すことはしなかった。野村証券には当時、役員の定年制があり、相田氏は1期2年しか会長職をまっとうできないことは最初から分かっていた。

 ●市場再生には投資に対するリターンを回復するしかない
 このセミナーの少し後、日本経済再生のため企画取材で相田会長にアポイントメントを入れた。1982年から大阪支店の支店長をしていたとき、一度インタビューをしたことがあるが、当然ながら相田氏は覚えていなかった。

 インタビューは30分の約束だったが、2時間に及んだ。企業トップとのインタビューで面白いのは、約束の時間になる秘書がメモを入れに来るのだ。これは 「もうお時間です」という意味なのだ。そこでコーヒーが出てくるともう30分居座れるという暗黙の合意がある。どこの企業でも同じだった。

 相田会長は、メモをくちゃくちゃにして何回もコーヒーのお代わりをした。ちょっと余談に振れた。このときの議論も、証券業界の旧態依然とした体質がいか に自らの改革の手を縛っているかということと、企業の配当率が悪すぎるということだった。アメリカの普通の企業の配当は1株利益の50ー60%である。内 部留保はその後の話である。

 多くの日本企業はバブルの時まで、あまりにも株主への還元を怠ってきた。バブル崩壊後は利益が激減して配当原資がなくなり、アメリカ並みの還元をしているが分母が極端に小さくなっただけで、努力して分子を大きくした結果ではない。

 1998年03月02日付け萬晩報で「株価押し上げにトヨタは大増配すべきだ」 というコラムを書いて日本企業に配当重視を促した。いま日本の証券市場を救い、個人株主を市場に取り戻すには投資に対するリターンを回復するしかない。ま だまだ多くの日本企業は配当余力を残している。配当に回さず内部留保した資金がバブルですっかり底をついた教訓にいままさに学ぶべきである。


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