1998年9月アーカイブ

1998年09月30日(水)萬晩報主宰 伴 武澄


 当初このコラムに書きましたKDDをもっと使えばNTT市内電話の値下げ圧力になるとの認識は間違いでした。Kimuraさんの文章の後に付記した筆者の見解の後半部分を削除します。お詫びします。訂正前のコラムはこちら。(10月1日午前9時50分)

 Kimura,Tamotsuさんから「通信費削減にKDDで市内通話を!」というメールをもらった。なんとも衝撃的な「ゼロゼロ・ワンダフル」である。読者のみなさんに紹介したい。


 前略。私は、所ジョージさんのCMでお馴染みのKDDは市外通話が安くなるものだとばかり思っていました。しかし、市内通話でも短時間(詳しく調べては いませんが48秒以内だと思います)なら6秒刻みの料金でNTTより安いことを知り、インターネットよりもE-Mailの送受信が多い私はメールの送受信 だけ行う時にはKDDを使ってプロバイダーに接続しています。

 これは、高校生の子供がポケベルを打つ時に何やら長いダイヤルを押しているので尋ね、分かったものです。請求書を見た実績ではポケベル1回当りの料金は 5円です。ポケベルの場合は、高校生のように今まで高い「授業料」を払って「早打ち」を習得している人に限られ、私のように文字への変換表を見ながらでな ければ打てないオジサンはNTTの3分10円の方が安くつきます。

 しかし、メールの場合は誰が送っても同じ時間ですし、通常個人が行う平均的な文章の送受信は送信2通・受信3通程度でだいたい20秒あれば可能ですか ら、KDDを利用すれば1回当り5-7円です。ただし、受信メールに写真なんかが添付されていた場合には通信時間が長くなってNTTの方が安かった、とい うリスクもあります。

 メールをする道具に20万円払って、通信費の3円5円を節約するのはナンセンスだというご意見も承知しておりますが、私は以前日本の携帯電話の不思議に ついてもそう考えましたように、日本の電話には多くの不思議があって、それを国民は当然のことのように受け止めて何の議論も盛り上がらないところにも不思 議があると考えています。

 通信インフラは情報の基礎ですが、日本ではその整備は評価できるもののコストが世界一と言っていいほど高く、これは個人がその恩恵に浴するのを阻害しているとしか言いようがありません。

 なぜNTTは3分10円という高額な料金設定なのでしょう。一部で200円の追加基本料金を払えば5分10円という制度を近く全国展開するようですが、 それにしても一日8時間つなぎっ放しにすると1ヶ月25日で2万4000円です。多くの国では昭和40年代以前の日本のように、1回つなげば切るまで1通 話の料金システムなのに、日本ではこんなに高額な料金になってしまいます。

 確かに、インターネットで得る情報は1ヶ月2万4000円以上の価値があるかも知れませんが、海外ではタダなのになぜ日本に住んでいるというだけでこんなにハンデがあるのか私は不思議です。こういう背景で、私はメールの送受信にKDDを使っています。(Kimura, Tamotsu)


 以上のようなメールをもらった。電話番号の上に「001」と「市外局番」をつけて、京都市内から infoweb の京都のアクセスポイントにつないでみたら、うまくいった。ダイヤルアップネットワークに「001」と「市外局番」を入れた「KDDinfoweb京都」 という接続アイコンをもう一つ作り、もう日に何度も使っている。日に多いときは5回は接続するから年間1500回×5円程度の経費節約になるはずだから小 さくない。いまから料金請求が楽しみだ。

 調べたところ、国内サービスの料金体系は他の国内電話料金体系が「10円で何秒」が単位であるのに対してKDDの場合、国際電話と同様「6秒で何円」と している。市内電話という分類はないが、市内通話にあたるのは「60キロまで」の分類で料金は「6秒ごとに1.1円」である。KDD以外は最低の料金が 10円だから、54秒(9.9円)まではKDDの方がNTTより安く通話できる計算である。


1998年9月29日(火) 市原 春巳


 今の日本は私たちの目や耳に入ってくるだけでも、たくさんの問題を抱えています。政治経済的なこと、教育文化的なこと、科学技術的なこと。どれをとって も、解決不能な問題があって、何が原因なのか、どうすればよいのか分からないことだらけといった感じがします。そういう日本の状態をひとことで言うと、 「若さゆえの成長途上の社会」です。では対極にある成熟した社会とはどんな社会でしょう。私は外国に行ったことが一度もないので想像の域を出ませんが、 ヨーロッパのそれも過去に発展して今は静かになった国々ではないかと思います。

 見てみたい成熟社会の日常生活

 それらの国々は100年以上も前に、すでに日本のような時代を経験しています。国外に観光で遊びに行く日本人はたくさんいますが、『成熟した社会』を見 つけに行く人は少ないような気がします。私が外国へ行って見てくるとすれば、史跡や観光地やリゾート地よりも、ごくありふれた日常の人々の暮らしを観察し てきたいと思います。路地に意地悪な猫よけのペットボトルが置いてあるのか、テレビは24時間たれ流しなのか、日本と同じように低俗なのか、コマーシャ ル・広告は街に氾濫しているのか、家の中は物で埋まっているのか、子どもは勉強ばかりさせられているのか、・・・などなど。

 そのような視点で考えた結果が、日本はまだ「成長途上の社会」ではないかというわけです。政治経済、教育文化、科学技術。どれをとっても、「成長途上の社会」が当てはまりそうなので何回かに分けて述べてみたいと思います。

 マスコミが堕落した仕組み

 成長途上の社会「マスコミ」(教育文化公害の一因として)今のマスコミの異常な姿は、神戸の少年の犯した事件によって非常にはっきり映し出されたようで す。その姿は狂気とも言えるような醜い姿でした。かつて戦争の実態を国民に知らせなかったマスコミは、真実に近づけなかったという意味で同じ道を辿ってい るように思います。それは、35日間も毎日犯人捜しで大騒ぎをしながら、結果は全く見当外れだったこと。

 そして、それまで馴れ合いを演じてきた警察からも(情報を貰えずに)裏切られたことです。この事件によって真実を知るためのよりどころであったはずのマ スコミがますます信用できないことを強く印象づけました。そして今や思慮分別をなくした下劣な人間のように堕落してしまったのです。どうしてマスコミがこ のように堕落したのでしょうか。その仕組みについて述べます。

 マスコミも同業他社が多くあるため、競争の原理が働きます。つまり、他社よりも面白いネタを探すことが至上命令です。だから事件を起こした個人や会社・ 役所、芸能人、スポーツ選手・・・彼らがターゲットになります。しかし、過熱した報道合戦に閉口して彼らも対抗手段を取ります。「コメントを差し控えた い」「言う立場にない」「何も聞いていない」「取材お断り」ということによって、マスコミをシャットアウトして『見せない』『教えない』『言わせない』よ うになってしまいました。

 しかし、マスコミもこれでは記事にならないため、デスクからげき檄が飛びます。現場では何とかして紙面を埋めようと必死になります。(恐らく20代から 30代の若い)彼らはマスコミという、大義名分はあるが孤立した集団となって、流言蜚語を追いかけてあっちへ流れたかと思うとこっちへ押し寄せるといっ た、理性を失った状態になっていきます。「仰天」「唖然」「呆然」といった、刺激ばかりで考えることを拒否した言葉が毎日のように登場する(これは今の総 理大臣も使うようになった)のは、その端的な表れです。

 「赤信号、みんなで渡れば・・・」の悪循環

 しかし、面白いことにある社だけがおかしいのではなく、すべてのマスコミが押し並べておかしいのです。ここが重要なところなのですが、みな同じであれば 責任を取らなくてすみます。「赤信号、みんなで渡れば・・・」という逃げ口上によって、自分だけが責められないように、仕事を取り上げられないように守る のです。しかし、社会に対してこのような信用を失う行為が繰り返されているため、マスコミはすでに社会のあちこちから締め出しを食っています。ところがそ れでは記事が作れないのでますますおかしな行動に走るという悪循環が起こります。

 日本のマスコミはこのようにして世界中に土足で上がりこんでいます。いまに国内ばかりか世界中のヒンシュクを買うことになるでしょう(すでにペルーで恥をかきました)。最近の記事でジャーナリストの嶋信彦さんはマスコミの政治報道について同じように書いています。

 この集団の中でもしも「おかしいぞ」「違うんじゃないか」「確かめてから記事にしよう」などと言い出そうものなら、企業や役所・政党から「あなたの社の 取材はお断り」と言われたり、同業他社に仲間はずれにされるのは明らかです。例えば共産党の機関紙「赤旗」が役所や議会の暗部を知っていても何も言わない のと同じ事です。かつて「赤旗」は商業新聞を取らなくてもこの新聞だけで済むようにという方針がありました。もし「赤旗」が体制批判にこだわったら交通事 故の記事一つ書かせてもらえないでしょう。新聞として成り立つためには、主義主張を犠牲にしてでも、周りと歩調を合わせていくしか方法がないのです。

 ひたすら命令どおりに仕事が管理職への道

 個人のレベルでも同じです。こうした矛盾に何も気づかずに、ひたすら命令どおりに仕事をする人はやがて管理職になるでしょう。勿論、理性のかけらもな く、積極的に狂気へ荷担する人は言わずもがなです。しかし、大部分の人は生活と自らの地位を守るため、何も考えないか、また理性はあっても半分ぐらい捨て て昇進の道を歩くのです。しかし、悩む人はどうでしょうか。上司から取材の命令を受けても「そこまで個人のプライバシーに侵入してはいけないのじゃない か」とか「警察はどうも嘘を言っている」とか「社の方針であっても私には間違った報道はできない」などと考えて行動したら、間違いなく昇進の道は閉ざされ ます。あるいはそれを覚悟の上で深みにはまることは、罪を犯すことになると考えて仕事を控えめにします。

 こうして自ら日の当たる道を捨ててしまうかもしれません。ついしょう追従できずにこの仕事から足を洗う人もいます。極端な場合、罪の大きさに耐え兼ねて 自殺することもあります。自殺しなくとも死にたくなるほどつらいと思う人もいるはずです。こういう善良な大人はたくさんいると思いますが、善良なだけでは 現状を変える力にはなりません。というのはこれら善良な人々が落伍して、反対に無分別な人や他人を押しのけて偉くなろうとする人や、すすんで堕落番組を考 える人が優位を占めるからです。また自分がマスコミの堕落に荷担しているなど、夢にも思わない人もいます。

 大衆に迎合しない時代は来るか

 以上、私はマスコミ全体が構造上の問題を抱えていることを示しました。ではこのまま限りなくマスコミは堕落していくのでしょうか。私はそうは思いませ ん。しかし、こんなことをしていたら駄目だぞ、というようなシグナルはすでにあります。我が家ではテレビをあまり見ません。必要な番組だけ見たらすぐ消し ます。週刊誌や写真誌、スポーツ新聞も買ったこともありません。会社でもスポーツ新聞を読むような人は少数派です。低俗な話題に触れないという暗黙の了解 があります。これもシグナルの一つです。

 やがて日本の人口が今の半分ぐらいになれば、マスコミが理性を取り戻す大きな変動というか、変革のうねりのようなものが来ると思います。良いものが残 り、粗悪なものは淘汰される。そして、読み手に安心を与え、事実を提供する新聞、良い記事を控えめに読ませる月刊誌、大衆に迎合しないテレビ、レベルの高 いラジオ、というような時代です。テレビは各局が時間を分担して放送するし、子どもや若者を相手にばかり(番組を)作らなくなると思います。子どもは大人 の作ったものを対等に享受する必要はないからです。大人の新聞を子供向けに作ったらおかしい(から子供向けの新聞がある)のに、今はテレビやラジオはいっ しょくたになっていて、誰もそれを不自然だとは思わないのです。

 ところで、私に分からないことが一つあります。それは、次から次へと似たような番組を作り続けていて、「再放送」という印のついた番組が少ないですね。 どうして過去の作品の中から、良いものを選んで繰り返して提供しないのか、という疑問です。例えば伝統の巨人阪神戦のなかでもっともエキサイトした時の放 送、テーマ音楽が忘れらられない西部劇「バットマスターソン」、30年前、実川延若という人が主演して伊達騒動を描いた山本周五郎の作品「樅の木は残っ た」、映画化するまえのテレビの「寅さん」はもう一度見たいと思いますが、チャンスはないようです。

 新しいものを作ればお金がかかります。再放送を全体の2分の1ぐらいに増やせば良い番組にもっとお金が使えます。古いものを嫌う青少年からテレビを遠ざ けることにもなって、一石二鳥だと思うのですが。認可を与える役所が、「過去の番組から良いものを50パーセント含むこと」という規制をすれば、それだけ でかなり改善できると思います。いかがでしょうか。(学習研究社GTSカスタマサービス室長)


1998年09月27日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 イギリスのブレア政権が昨年、ウェールズ州とスコットランド州議会に徴税の自主権を与えたことを知っているだろうか。正確にいえば、住民投票で勝ち取っ た。日本でいえば、北海道と沖縄に中央と違う税制を認めるに等しい考え方である。イギリスでそんな変革が進んでいるのに、日本政府は一昨年来、沖縄権が求 めてきた自由貿易区への法人税軽減に対して「一国二制度はまかりならん」という頑な姿勢を崩していない。

 地方分権は、昨年5月のイギリス総選挙での労働党の公約の一つでもあった。地方分権は歴史の流れだが、徴税権まで持った地方政府は例は珍しい。徴税権こ そが国家機能の大きな部分であるからだ。日本で破綻金融機関の処理をどうするかもめていた間に、イギリスでの改革はそんなところまで進んでしまった。そん な感慨がある。

 日常化した Subsidiarity Principle 論議

 EUの統合を考える上で、地方自治の考えは欠かせない。新しい力学がこの地域では働き始めている。ヨーロッパでは国家の役割がどんどん軽くなっていく一 方で地方政府の権限が強化されている。現在のEUの基本法にあたるマーストリヒト条約第3条B項に規定されている Subsidiarity Principle (最小自治体優先主義あるいは補完主義)という概念がある。 Subsidiarity Principle には、もはや日本的「地方自治」などという概念ではとらえきれないような概念なのだ。

 地方自治を言い出したのはローマ法王ピオXI世だそうだ。1931年、折から勢力を増しつつあったヨーロッパでの、共産主義、ファシズム、ナチズムといった全体主義の風潮に危機感をもったカトリック教会の対応だった。

 法王の通達は「個々人がみずからの発意と、みずからの力で成し遂げることのできる事柄を取上げ、社会的作為に導き込んではならないように、小さな、ある いは下位の共同体が為し、良き成果を導くことのできる事柄を、より大きな、あるいは上位の共同体の掌中にゆだねることは、公正に反するばかりでなく、劣敗 であり全社会秩序を乱すものである。すべての社会的作為はその本質において補完的なものであり、社会体の構成員を補助すべきものであって、決して打ちのめ したり吸い込んでしまうものであってはならない」という内容だった。

 Subsidiarity という概念はラテン語の "subsiduum ferre" 「介添え人、後見人の役をはたす、補助を提供する」という言葉からきているのだそうだ。

 この考え方が、主としてドイツのイニシアティブによってEU連合の地方公共団体、国、連合の間の権力、権限を規定する原理としてマーストリヒト条約に導 入されたわけだが、これを支持したのがイギリスであり、ベネルックス三国はこの規定が国家主義への後戻りの口実として利用されるのではないかという不信感 を表明した。

 中央政府がふがいない時こそ地方政府の活躍の時

 日本でも大前研一氏の「道州制」や大分県知事である平松守彦氏の「日本連合国家論」など連邦制への移行を求める議論が噴出した時期があった。しかし、金 融破綻の経緯の中で地方自治体の第三セクターの相次ぐ巨額債務問題が各地で明らかになり、残念なことに逆に自治体の頼りなさだけが浮き彫りになっている。

 本来ならば、今日のように中央政府のふがいなさが目立つ時期にこそ、地方自治体が「われこそは」とばかりに新鮮な政策やアイデアを打ち出せる格好のチャンスであるはずだった。地方自治体は権限委譲を訴えながら、権限が委譲された場合の受け皿の議論を怠ってきた。 どうせ中央省庁の権限など委譲されるはずはないという固定観念に凝り固まっていたに違いない。

 これまで地方議会は数え切れないほどのヨーロッパ視察団を派遣してきた。そんな視察旅行が年に一度の観光旅行でしかないという批判は古くからある。たと えそうであっても、観光の合間に姉妹都市など訪問先の自治体との交流がゼロであったはずはない。ヨーロッパで起きている変革の説明を受けて「日本ではでき ない相談だ」と考えたとしても、起きている変革の内容ぐらいは持ち帰って市民に広報することだってできたはずだ。

 事務局も含めてこの人たちはヨーロッパで何を学んできたのだろうか。変化するヨーロッパを目の当たりにして感性のかけらもなかったのだろうか。

 「自治体」という言葉はだれが生み出したか知っている人がいたら教えて欲しい。英訳は Local Government である。翻訳すると「地方政府」になってしまう。中央集権国家である中華人民共和国ですら「北京市政府」「河北省政府」という言葉を使っている。しかしこ こらが、日本では曖昧である。

 大阪府議会や大阪市議会といえば、実態が明確だ。ところが行政府の場合、「大阪府」とか「大阪市」としか呼ばれない。府や市の何なのか実は分からない。 府庁や市役所は建物の名前である。英語で Office でしかない。だから市役所に勤めているという表現は間違っている。

 マスコミでよく使われる「大阪府は・・・」という場合、「大阪府の行政は・・・」の意味なのだ。 いまほどLocal Government の訳語が求められている時期はない。とりあえず、萬晩報は明日以降、自治体という表現はやめて「県政府」「市政府」「町政府」を使っていこうと思う。


1998年09月24日(木)萬晩報コナクリ通信員  斉藤 清


 【コナクリ=ギニア発】 ギニアの山奥の金採掘現場であるギレンベの村に小学校ができました。日本大使が以前の小学校の建物のひどさに驚いて、新しい小学校建設を企画してくださ いました。村人総出で砂と砂利を集め、当社の現地スタッフも動員して、日本政府の草の根無償援助による3教室と事務室を備えたかわいい小学校が昨年10月 にできあがりました。小さいながらもきれいに仕上がったもので、村人はマンディアナ県で一番きれいな小学校「小さな宝石」だと自慢しています。

 ◆「草の根無償資金協力」

 「草の根無償援助」は当地ではフランス語で、Micro-projetと呼ばれています。日本の外務省の正規の呼び方は「草の根無償資金協力」というよ うです。要は、小規模な、より住民に密着した形の援助形態で、金額も日本円で1千万円以下のプロジェクトが対象になっています。

 この援助の一番の特徴は、対象が相手国政府ではなく、地方の自治体やNGOになることでしょう。資金を必要とする場所へダイレクトに効率良く送り届け る、というのがセールスポイントかと思います。本来であれば、その国の政府がすべき事柄なのですが、現実はその国自体の運営も難しい政府(他人事ではあり ませんが)にそのような力はないわけで、それを見かねて「ちょっとお節介を焼いてみる」といった雰囲気なのでしょうか。

 ◆直訴が原則

 実際には、規模の小さな学校、診療所、水汲み場等々、住民の生活に密着したプロジェクトが中心になります。それらを必要とする団体が、自国の政府を通さ ず、日本大使館に対して「直訴」して資金を手当てしてもらうという形が普通です。これがギニアの場合であれば、たいていの村にはまともな小学校の建物など ないわけで、潜在的にはそれらすべてが「直訴」したい願望を持っているわけですが、すべての要望に対応できるわけではなく、現実はけっこう気まぐれですか ら、声が大きくてアピールのうまい者が有利になることは否めません。Micro-projetもかなりの浮気者です。

 ◆すばやい結論

 協力対象が、割合小振りのプロジェクトであるためか、要請に際して要求される書類がとてもシンプルになっていることは、「役所」の仕事としては画期的な ことでしょう。実施の決定に際しても、現地大使館の意向が大幅に反映されている様子で、実務的にはおそらく大使がO.Kと言えば、最終的には「東京」も了 承する、というのが現実なのではないのでしょうか。実行までの所要時間は、実務担当者の馬力にもよるものの、2、3カ月後には実施に移せる体勢ができあが る感じです(すべて推測です)。一般の無償資金協力の場合は、実際の作業スタートまでに普通2、3年を必要とする現実と比較すると、夢のようです。

 ◆めざましい効果

 実際のところ、例えば小学校をひとつ、ふたつ建てたところで、その国の国民の教育程度をどうこうできるレベルのものではないでしょう。しかしながら、この小さな資金援助によって何が期待できるかといえば、それはその国の人々の意識を刺激する宣伝効果です。

まず調印式、次に起工式、そして竣工式と、ひとつの案件で最低3回アピールの機会があります。それぞれがラジオ、新聞、テレビで報道され、その度に、学校 の場合であれば教育の重要性、診療所の場合であれば健康の大切さを訴えることができるわけです。同時にそれを進めている日本という国が印象づけられます。 費用対宣伝効果は絶大です。

 住民自身の喜びはもちろん絶大です。自分自身の目で確認できる「現物」がそこに存在しているわけですから。

 ◆透明性

 当事者は、日本政府の代理人としての現地大使館と、受益団体(役所では被益者と言います)だけですから、大型のODA案件にはよくある、横領・賄賂の入 り込む余地が限りなく小さく、またコントロールしやすい事も確かでしょう。十分な透明性が確保できる「可能性」が大です。但し担当者の能力が問われる部分 です。

 ◆難しい仕事

 いいことばかり書いてきましたが、そのためにはそれに耐えられる人材が必要です。貧すれば鈍する、の極致の国々の人間の行動パターンは、日本のそれとはまったく違いますから。

 実際、大使館の担当者にはかなりの裁量権が与えられていますが、それ故に、社会経験の少ない、また現地生活体験のあまりない若い書記官には荷が重そうで す。これには研修でカバーできるものでもない部分が相当ありますから。役人の仕事としてはけっこうリスキーに見えます。着眼点はいいものの、確実に実現す ることの難しさを多くの現場担当者が実感しているのではないでしょうか。

 平成9年度のギニアでの「草の根無償資金協力」は、ギニア政府広報誌で12件程度紹介されました。それにテレビ、ラジオでの報道と、一部の一般紙が加わりましたから、大変な「媒体露出度」でした。ギニア国民には大好評です。


 斉藤さんは「まぐまぐ」でメールマガジン Gold News from Guinea 『金鉱山からのたより』を毎週発行しています。マガジンIDは:0000005790です。
 参照:萬晩報1998年01月29日 ギレンベ-斉藤さんのアフリカの桃源郷
1998年09月23日(水)萬晩報主宰 伴 武澄


 「実は来年から1週間の法定労働時間が44時間になるんだ」
 「ちょっと待って下さい。1987年の労働基準法の改正ですでに40時間になっているんではないのですか」
 「うん。あれは実施時期が書いていないんだ。6年で段階的に40時間にまで持っていく計画があるだけなんだ。それまで1週間の法定労働時間は48時間だったでしょ。88年4月から経過措置として46時間になって、次の段階が来年くるんだ」
 「それってまだどこの社も書いていないですよね」
 「まあ、書いていないけどね」

 1990年7月、労働省内でこんな会話をした数時間後に「労働省は来年4月から法定労働時間を46時間から44時間に短縮する方針を決め、中央労働審議 会に諮ることを明らかにした」といった内容の記事を書き上げて、デスクに送信した。当時、共同通信社はまだパソコン通信による記事送信を認めていなかった からワープロで印字した原稿をファックスした。翌日の東京新聞は一面に筆者の記事を掲載した。得意満面だった。

 約3カ月後の10月、労働省は週法定労働時間の44時間への短縮を正式に発表したが、驚いたことに「適用猶予業種」と「適用猶予事業所規模」という項目 が多くあった。補足説明を求めに労働時間課を訪ねると、事業所ベースで9割がこの「適用猶予」に該当するという説明だった。簡単にいえば、2段階の制度改 正を経てもなお、9割の労働者はまだ46時間労働が禁止されていなかったのだ。

 筆者はこの話を聞いて思わず「詐欺じゃないですか」と叫んでいた。

 そりゃそうだろう。労働時間を短縮して働き過ぎをなくすのが目的の制度改正に当たって「業種」や「事業所規模」ごとに猶予していたのでは「ザル法」でしかない。筆者が日本の法律に疑いを持ち始めたのはこの時からだった。いくらなんでもひどすぎる。

 そもそも労働基準法改正時に「実施時期」を明記しない法律があっていいものだろうか。法律音痴の経済記者の頭の中でそんな疑問がもたげてきた。労働省の 法令審査を経て、政府の法制局を経た法律である。いまの六法全書にはもはや書いていないが、当時の労働基準法をひもとくと「実施時期は政令に委ねる」と書 いてあったのだ。

 筆者が書いた独自ダネは単なる「政令の改正」だった上に「ザル改正」だったのだ。「詐欺師」となじられた当時の労働時間課長は戸惑いを隠せないようす だった。87年の労働基準法改正で中央労働審議会が付議した文面には「1990年代前半に40時間に移行する」とあったものの、その後、週法定労働時間 40時間は96年まで実施が延期された。理由は簡単である。景気低迷を理由に業界が実施の延期を要請したからである。

 そもそも、1988年の労働基準法改正で週法定労働時間40時間が盛り込まれたのは、中小零細企業への導入が目的であった。というのもそれまでに大企業 のほとんどで週休2日制(1日8時間で5日労働)が導入されていたからだ。その中小零細企業を次々と適用猶予にしていたのだから何のための法改正だったか 分からない。

 「日本の労働法改正は政府による政策目標ではなく、業界の実態を後追いする異議しか持ち合わせていない」。当時、そんな感慨も法律音痴の頭をよぎった。

 当時、ドイツでは政府と労働界との間では週35時間労働制の論議が始まっていた。日本では、働き過ぎ論議もすっかり影を潜め、週法定労働時間が正式に40時間となったいまも多くの除外業種や除外事業所規模が多く残っている。


1998年09月20日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


  神戸が燃えているといったら言い過ぎだろうか。着工がほぼ決まっている神戸空港の建設を市民運動がひっくり返そうとしているのだから、運動を進めている 市民にとってはこたえられない。いま神戸で起きていることは、単なる一地方の自己満足ではない。日本の政治の地殻変動が始まった証でもあるのだ。

 このところ新聞の一面は、毎日のように長銀や金融再生問題をめぐる与野党の攻防で埋め尽くされ、うんざりしている人が多いのではないかと思う。小渕首相 の影はますます薄くなり、菅直人民主党党首が政権獲得へ向けて自信を高めつつあるのだけはよく分かるが、政府が描いた金融再生のシナリオも野党側のそれも 難解でまともに理解できない有権者が多いはずだ。

 マスコミも、ニュースの渦中にいるとどうしてもニュース価値を判断する座標軸が見えなくなってしまう。日本農業の将来の方向性を決める30年ぶりの農業 基本法の論議は金融ニュースで霞んでしまったし、まして神戸という一地方で起きている署名運動などはローカルニュースでしか扱われない。

 すでに23万人が住民投票を求めた神戸市

 だが、ここ神戸で起きていることはこれからの日本政治を映す鏡になるかもしれない。筆者はそんな地殻変動が始まったとの思いで神戸を見つめている。

 8月21日から神戸市で始まった署名運動は9月20日終わった。住民投票条例制定を求める署名運動である。NHKの午後7字前のローカルニュースによる と、同日夕方までの集計では署名は23万人を超えている。まだ集計は途中である。住民運動の事務局(平田康事務局長)は最終的に30万人を目指していると いう。

 人口150万人の神戸市の有権者数は約100万人。その50分の1の署名が集まれば、市は空港建設の是非を問う住民投票をしなければならない。すでに必要な署名の11倍が集まっている。もし30万人などということになるとこれは大変なことである。

 神戸を含めてこのところの大都市の市長選では30%台の投票率しかない。神戸に当てはめると30-40万人の投票である。30万人という数字は、有権者 数からみれば3割だが、投票率という変動指数を加味すると優に過半数を超える住民が住民投票に賛成の意思表示をしたといっても言い過ぎにはならない。

 住民投票を求めるということは当然ながら、神戸空港建設反対の意思表示である。もうひとつ、神戸の市民運動ですごいのは署名を集めるボランティアが2万 人を超えている点だ。2万人もの市民が署名簿を持って街頭に出ている図は壮観である。一人15人の署名を集めれば、目標の30万人が容易に達成できる勘定 でもある。

 市議会議員には「踏み絵」にも等しい効果

 「空港建設を神戸復興の起爆剤に」と訴えてきた笹山幸俊市長や市議会側は、市民運動の高まりにとまどいを隠せない。神戸沖に巨大な埋め立て地を造成する 空港建設事業は総額1兆円を超える計画で、地元への波及効果は計り知れない。だが、市民は「今でも伊丹空港にも関西新空港にも30-40分で行ける。東京 や大阪よりずっと便利なのにこの上、なんで自前の空港が必要なのだ」といたって当たり前の感覚を示している。

 署名運動はあくまで住民投票条例制定のため。これから市議会が住民投票条例を否決するのか、あるいは住民の意向を議会に反映するのか興味深いが、市議会議員の立場からすると来年4月に統一地方選を控えているだけに「踏み絵」にも等しい効果をもたらす。

 公共事業が景気回復の決め手にならないことはここ7年の総額70兆円にもおよぶ政府の経済対策ですでに実証済みだ。神戸市の行政や市議会は、市民が「要 らない」といっている空港をそれでもつくろうとするだろう。いったん決めた方針を撤回したり、方向転換できないのがこれまでの日本だったからだ。

 だが、その結果はみえている。署名運動に参加した2万人のなかから来年は多くの新人が市議会議員選挙に立候補して、市議会の勢力図はかつてないほど大きな変貌をみせるだろう。


1998年09月19日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 小渕恵三首相は、自民党総裁選挙の公約として、住宅ローン利子の「所得控除制度」を提唱したが、建設省は現行の「住宅取得促進税制度」(住宅ローン減 税)の拡充こそが効果があると強調し、景気対策のための住宅減税をめぐって官邸と建設省との間で火花が散らしている。同じように見えて、発想がまったく違 う減税の中身を検証した。

 税額控除と所得控除の違い

 小渕首相の打ち出したのは、住宅取得の際の借入金にかかる利子額を所得から控除するもの。アメリカでは所得税減税のひとつのツールとして制度化されてい る。一方、現行の「住宅ローン減税」は、同様に住宅取得の際の借入金にかかる利子額のうち年間30万円までを税額から控除する制度。建設省はこの現行制度 の適用期間を6年間から10年間の延長しようと考えている。

 仮に住宅取得時に3000万円を借金したとすると、金利5%で年間に支払わなければならない金利総額は150万円。年間収入が1000万円程度のサラ リーマンだと、上限税率が20%だから小渕首相案である「所得控除方式」だと減税額は150万円×20%=30万円。建設省の「税額控除方式」でも支払う 金利総額150万円のうち30万円まで税金が安くなる。同じである

 だが、年間収入が2000万円の人だと、上限税率が30%だから「所得控除方式」による減税額は150万円×30%=45万円となる。「税額控除方式」 では30万円のままで変わらない。逆に年間収入が600万円の人では上限税率が10%でしかないから「所得控除方式」では15万円の減税にしかならない。

 サラリーマンには「ならば建設省案の方が得ではないか」と映りそうだが、官僚にとっては別の意味で大きな違いなのだ。建設省は表向きは「首相案は高額所得者ほどメリットが大きいから金持ち優遇になる」と反対しているが、これも真相はまったく異なる。

 臨時・暫定を強化したい建設省のジレンマ

 「租税特別措置法」という法律のことを以前の萬晩報で書いたことがある。所得税や法人税などを「当分の間、減免する」ための法律だ。「当分の間」として いるから2、3年の時限的措置となるが、ほとんどの場合、適用が何度も延長されてきた。結果的に2、3年ごとに業界から延長の陳情を受けるという自民党や 官僚にとって実に都合のいい制度で、「企業献金の温床」とまで呼ばれる欺瞞に満ちた法律となっている。

 実は現行の建設省の「住宅ローン減税」こそが、この租税特別措置法によって「臨時・暫定的」に減税する手法なのである。小渕首相が目指しているのは恒久 的な制度改革であるからたぶん所得税法そのものの改正となり、自民党や官僚においしかった2、3年ごとの業界からの陳情がなくなるのである。

 建設省が「住宅ローン減税」の適用期間を10年間に延長しようとする時、必ずぶつかるだろうジレンマが予想される。現行の6年という減税期間でさえ「当 分の間」という法律が定める期間に抵触する恐れがあるのに、10年という長い期間では到底「当分の間」とはいえない。そうなると「住宅ローン減税」を租税 特別措置法というおいしい法律の枠内で処理しきれなくなり、別途「住宅取得金利にかかる臨時特別措置法」などという法案をつくる作業が必要になるはずだ。

 住宅政策ではない住宅ローン減税

 これまで日本経済は多くの制度が企業中心につくられてきた。1990年代に入ると、企業中心の社会が結果的にバブル経済を生み出したとの反省から、消費 者中心社会への転換が叫ばれてきた。今回の小渕内閣の景気対策も実は、消費者中心の社会への転換を目指すものではなく、旧来型の企業中心社会の延長策でし かない。「企業経営が回復すれば、サラリーマンの雇用が確保できる」といった言い訳は聞き飽きた。

 現行の住宅ローン減税は一見、国民が住宅を取得しやすくする制度のようにみえる。だが本当は住宅会社、マンション会社をもうけさせるのが目的なので、筋 金入りの景気対策なのだ。住宅ローン減税が、国民への住宅政策でないことは、減税が圧倒的に「新築物件」に有利になっていることで一目瞭然である。そして 減税が「臨時・暫定的」措置であることが「景気対策」であることの動かぬ証拠なのである。



 建設省は、住宅ローンの破綻者を救済するため、住宅金融公庫の利用者に対して返済期間を延長して月々の返済額を軽減する措置を検討中だそうだ。ローンの延長は最大10年だから、ついに日本に40年以上のローンが登場することになる。

 政府はこれまで住宅建設を景気回復の道具にしてきたフシがある。ここ15年の間にローン期間は25年、30年、35年と長くしてきただけでない。金利低 下に合わせて金利は固定から「変動」に変わり、購入時の負担を軽減するために最初の5年間だけ支払い金額を低くする「ステップ償還」などという"偽り"の 軽減措置も導入した。かつては抽選に近かった住宅金融公庫の融資は件数だけでなく融資限度額も大判振るまいをした。

 サラリーマンはいつの世だって自分の城がほしいものである。そんなサラリーマンの欲求を逆手にとって住宅融資のハードルを次々と低くしたこれまでの政策は、麻薬患者が次々と刺激性の強い薬物を与えるのと変わらない。

 本来は、地価下落によって黙っていれば、ふつうのサラリーマンならマンションの一件ぐらい買えるようになるはずである。買いやすくするということは一方 で、住宅価格の高値安定を図ることにもなる。筆者は住宅金融公庫がバブル経済の影の主役だったと考えている。ものには限度というものがある。本来ならば到 底、手が届くはずのない金額まで高騰したマンションが融資金額の急増と支払いの軽減策によってなんとか背伸びをすれば買えるようになったからだ。そしてそ の水準は3000万円から4000万円になり、バブル崩壊の直前には6000万円を超えていた。

 今回の措置も救済とは名ばかりで、本当は住宅着工件数の激減になんとか歯止めをかけようとしているようにしか見えない。


1998年09月19日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 小渕恵三首相は、自民党総裁選挙の公約として、住宅ローン利子の「所得控除制度」を提唱したが、建設省は現行の「住宅取得促進税制度」(住宅ローン減 税)の拡充こそが効果があると強調し、景気対策のための住宅減税をめぐって官邸と建設省との間で火花が散らしている。同じように見えて、発想がまったく違 う減税の中身を検証した。

 税額控除と所得控除の違い

 小渕首相の打ち出したのは、住宅取得の際の借入金にかかる利子額を所得から控除するもの。アメリカでは所得税減税のひとつのツールとして制度化されてい る。一方、現行の「住宅ローン減税」は、同様に住宅取得の際の借入金にかかる利子額のうち年間30万円までを税額から控除する制度。建設省はこの現行制度 の適用期間を6年間から10年間の延長しようと考えている。

 仮に住宅取得時に3000万円を借金したとすると、金利5%で年間に支払わなければならない金利総額は150万円。年間収入が1000万円程度のサラ リーマンだと、上限税率が20%だから小渕首相案である「所得控除方式」だと減税額は150万円×20%=30万円。建設省の「税額控除方式」でも支払う 金利総額150万円のうち30万円まで税金が安くなる。同じである

 だが、年間収入が2000万円の人だと、上限税率が30%だから「所得控除方式」による減税額は150万円×30%=45万円となる。「税額控除方式」 では30万円のままで変わらない。逆に年間収入が600万円の人では上限税率が10%でしかないから「所得控除方式」では15万円の減税にしかならない。

 サラリーマンには「ならば建設省案の方が得ではないか」と映りそうだが、官僚にとっては別の意味で大きな違いなのだ。建設省は表向きは「首相案は高額所得者ほどメリットが大きいから金持ち優遇になる」と反対しているが、これも真相はまったく異なる。

 臨時・暫定を強化したい建設省のジレンマ

 「租税特別措置法」という法律のことを以前の萬晩報で書いたことがある。所得税や法人税などを「当分の間、減免する」ための法律だ。「当分の間」として いるから2、3年の時限的措置となるが、ほとんどの場合、適用が何度も延長されてきた。結果的に2、3年ごとに業界から延長の陳情を受けるという自民党や 官僚にとって実に都合のいい制度で、「企業献金の温床」とまで呼ばれる欺瞞に満ちた法律となっている。

 実は現行の建設省の「住宅ローン減税」こそが、この租税特別措置法によって「臨時・暫定的」に減税する手法なのである。小渕首相が目指しているのは恒久 的な制度改革であるからたぶん所得税法そのものの改正となり、自民党や官僚においしかった2、3年ごとの業界からの陳情がなくなるのである。

 建設省が「住宅ローン減税」の適用期間を10年間に延長しようとする時、必ずぶつかるだろうジレンマが予想される。現行の6年という減税期間でさえ「当 分の間」という法律が定める期間に抵触する恐れがあるのに、10年という長い期間では到底「当分の間」とはいえない。そうなると「住宅ローン減税」を租税 特別措置法というおいしい法律の枠内で処理しきれなくなり、別途「住宅取得金利にかかる臨時特別措置法」などという法案をつくる作業が必要になるはずだ。

 住宅政策ではない住宅ローン減税

 これまで日本経済は多くの制度が企業中心につくられてきた。1990年代に入ると、企業中心の社会が結果的にバブル経済を生み出したとの反省から、消費 者中心社会への転換が叫ばれてきた。今回の小渕内閣の景気対策も実は、消費者中心の社会への転換を目指すものではなく、旧来型の企業中心社会の延長策でし かない。「企業経営が回復すれば、サラリーマンの雇用が確保できる」といった言い訳は聞き飽きた。

 現行の住宅ローン減税は一見、国民が住宅を取得しやすくする制度のようにみえる。だが本当は住宅会社、マンション会社をもうけさせるのが目的なので、筋 金入りの景気対策なのだ。住宅ローン減税が、国民への住宅政策でないことは、減税が圧倒的に「新築物件」に有利になっていることで一目瞭然である。そして 減税が「臨時・暫定的」措置であることが「景気対策」であることの動かぬ証拠なのである。



 建設省は、住宅ローンの破綻者を救済するため、住宅金融公庫の利用者に対して返済期間を延長して月々の返済額を軽減する措置を検討中だそうだ。ローンの延長は最大10年だから、ついに日本に40年以上のローンが登場することになる。

 政府はこれまで住宅建設を景気回復の道具にしてきたフシがある。ここ15年の間にローン期間は25年、30年、35年と長くしてきただけでない。金利低 下に合わせて金利は固定から「変動」に変わり、購入時の負担を軽減するために最初の5年間だけ支払い金額を低くする「ステップ償還」などという"偽り"の 軽減措置も導入した。かつては抽選に近かった住宅金融公庫の融資は件数だけでなく融資限度額も大判振るまいをした。

 サラリーマンはいつの世だって自分の城がほしいものである。そんなサラリーマンの欲求を逆手にとって住宅融資のハードルを次々と低くしたこれまでの政策は、麻薬患者が次々と刺激性の強い薬物を与えるのと変わらない。

 本来は、地価下落によって黙っていれば、ふつうのサラリーマンならマンションの一件ぐらい買えるようになるはずである。買いやすくするということは一方 で、住宅価格の高値安定を図ることにもなる。筆者は住宅金融公庫がバブル経済の影の主役だったと考えている。ものには限度というものがある。本来ならば到 底、手が届くはずのない金額まで高騰したマンションが融資金額の急増と支払いの軽減策によってなんとか背伸びをすれば買えるようになったからだ。そしてそ の水準は3000万円から4000万円になり、バブル崩壊の直前には6000万円を超えていた。

 今回の措置も救済とは名ばかりで、本当は住宅着工件数の激減になんとか歯止めをかけようとしているようにしか見えない。


1998年09月13日(日)シリコンバレー 八木 博


 インターネットを使ってみると、通信の内容にマルチメディアが使えて、しかも国際通信が使えて、電話代は国内料金ということで、通信コストが大幅に下 がっているのを感じます。国内の電話料金が高い日本の事情は別として、これだけのインフラが使えるということは、低コストの社会を構成する上で非常に有利 な状況になっていると思います。今回は、将来のコストの推移を考え、どうしたら豊かになれるかを考察してみたいと思います。

 日本は商品の品質向上に大きく貢献

 1980年代からの日本の工業製品の品質向上は目をみはるものがありました。日本製イコール高品質、低価格という構図が出来上がりました。今から10年 前には、日本の半導体が世界を制覇するかと思われました。Intelは汎用メモリーから撤退し、当時の日本の半導体大手メーカーN社の社長は「米国からも はや学ぶべきものはない」とまで発言しました。これは、たった10年前の話です。その時の日本の製品は、地道に品質管理を導入し、そして、生産性も向上さ せ、コストも大幅に下げたわけです。

 しかし、この手法はすでに米国で開発されていたものが大部分で、後発のアジア諸国や、米国でも次々と取り入れられてゆきました。そして、90年代に入る と、日本はその得意の分野であった品質とコストという2つの面から、アジア諸国の製品と競争する場面が出てきました。そして、現在ではMade in Japanは高品質、高価格の代名詞となっています。

 高品質、高価格でなくてもいいという人たち

 日本製という機器を日本で見ると、多機能イコール高性能という構図に入るものが多いように思います。ビデオデッキなど、マニュアルなしでは使いこなせま せん。しかし、同じメーカーが米国に輸出しているビデオデッキは、録画、再生、早送り、巻き戻しの基本機能しかありません。そして、価格は安いで す。($100-$200です)これは、機能は必要最低限でいいという、基本概念によると思われます。ですから、お客さんは機能の強化より、価格の低下を 期待していると考えることが、ポイントになります。逆に作る側でも、性能向上に注力するよりもコストをいかに下げるかを考えることが重要になります。

 そうすると、付加価値という考え方は、作るほうが思い込みで考えるのではなく、多くの人が必要とする部分について考えるべきものということになります。 言い換えますと、マーケットを理解して、製品の形を決めて行くことが必須となります。日本のメーカーではビデオデッキに関しては、国内と輸出で、住み分け をしているということがいえるのかもしれません。でも、余分な機能のないビデオが日本でも大いに売れたということもあるそうですから、高機能イコール高価 格という構図は長続きはしないでしょう。

 なぜ低価格に移るのか

 商品価格は、(金融商品も含めて)かかったコストに利潤(適正かどうかはよく分かりませんが)という構造で考えてきていました。しかし、自国の中だけの 閉じたマーケットでなく、自由な国際競争になった現在、価格はこのような構成ではやってゆけないことが分かってきました。しかし、どこのマーケットでも "低価格"は大歓迎されます。それは、同じ所得だとしたら、豊かな生活につながるからです。

 話が飛んで申し訳ないのですが、有限な地球資源という観点からも、省資源、省コストという観点は重要だと思います。そして、低コストで生活資源を供給で きるときに、私はそれを豊かな社会と呼べるのではないかと思うのです。これは、見方を変えると縮小する経済でも人々は豊かになれるという可能性を示してい ると思います。(これと同じ内容の事を、NTTの社長が1年ほど前に言っておられました。私には、とても印象に残りました)

 21世紀が低コスト社会になる背景

 私は、21世紀は、世界中の人々、一人一人がネットワークに参加し、それが本格的に稼動するという点で、人類史上未だかってない社会が出現すると思って います。その時の人々のネットワークは、あらゆる情報が瞬時に流されるという点と、一人一人の思いがネットワークに込められて動くという点が大きなインパ クトを持つのではないかと思っています。

 ですから、低コストというキーワードがあれば、マーケットはそちらへと大きくシフトして行きます。日本で現在それが出来ないのは、消費者が十分な情報を 持っていないこと、それから、高性能イコール高価格というロジックを信じていることが原因していると思います。現状の日本の経済状況では、所得の伸びも期 待できそうもありません。

 そんな時こそ、コストを下げるということについて、考える必要があると思います。それは、コストをかけて検討するのではなく、自分で出来ることから始め るということで動くのがいいのではないかと思っています。日本の平均所得はすでに国際的には最高の賃金水準に到達しています。それを更に上げることを考え るのではなく、その枠内でもっと豊かな生活が出来ないかを考える時期だと思います。そのためにネットワークを使うということが、非常に重要な事のように思 えるのです。(八木 博「Lafayette Dr. Digital Weekly 第51号」)


1998年09月10日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 最近、友人であるメディアケーションの平岩優氏から身につまされるメールをもらった。

 最近世の中いやな雰囲気だとおもいませんか。参院選で自民党が負け、その後、ガスが抜けて、テンションが下がった状態をだれもおかしいと思わずに、だら だら、日常が続いているような気がします。金融破綻の記事にも食傷し、貧血状態でみなが、息をひそめています。石川好がバクチをすすめていますが、よくわ かります。ついこの間まで、掛け金を積まなければいきていけないような戦後の暮らしがありましたが、いまや、みんながなんとか食べられる元手を握りしめ て、息をつめています。外からくる人間はこの鬱陶しさに敏感なようです。
 20年後には80万戸近くまで落ち込む住宅着工戸数

 「週刊ダイヤモンド9.21号」を読んでいて、面白い記事が二つあった。北海道大学の山口二郎教授のコラムとトステムの潮田健次郎社長への小さなインタビュー記事である。

 山口二郎教授は元は横道知事の元ブレーンである。社会党のシンパでもあったが、ブレア党首による英労働党の華麗な変身ぶりと日本のいまの社民党のふがい なさを対比して嘆く。小渕政権については「最大の罪は、転換すべき時に継続を選んだことである」と看破した。なかなかすごいキャッチフレーズではないだろ うか。

 トステムは窓枠などサッシの最大手である。このトステムの潮田健次郎社長は、日本の住宅着工戸数「20年後には80万戸近くまで落ち込む」と言い切って いる。1996年度の163万戸あった住宅着工戸数が97年度は134万戸に落ち込み、さらに98年度は125万戸を下回る水準で推移していることに嘆い ている場合でないとばかりに住宅業界に警鐘を鳴らしている。

 トステムは最近120万戸でも利益を確保できる体制が整った。だから塩田氏は10月に会長に退いて後継に道を譲る。80万戸まで落ち込む理由は明快だ。 「住宅は世代を超えて相続されるうえ、第二次ベビーブーマー世代が結婚した後は人口統計上、世帯数は増えないからだ」という。

 おかげでアメリカの新しい経営手法を学んだ
>br>  分かっていても、基幹事業の産業規模が半分近くに縮小することを口にする大胆な経営者に出会ったことはない。社長の任期は長くて10年である。だれもが 拡大基調を前提に経営を考える。日本の経済の問題の問題は山口教授の言うようにまさに「転換すべき時に継続を選んできたことである」。

 まだ少ないが、「転換」を選択しようともがく経営者も現れてきている。筆者がまだ現場時代の話だから古くさいかもしれない。東レの現会長の前田勝之助氏のことは06月22日「好況時のリストラで基礎体力を育んだ東レ」で書いた。ブリヂストンの海崎洋二郎氏と経団連会長の今井敬氏の思い出を紹介したい。

 ブリヂストンの海崎洋二郎社長は80年代に買収したアメリカのブリヂストン・ファイヤストン(BSF)の経営立て直しに成功して本社のトップに抜擢され た異色の経歴を持つ。1993年3月の就任記者会見での発言が良かった。記者団から「経歴を見るとブリヂストンで本業のタイヤ事業にかかわったことがない ようだが」との質問が出た。「BSF再建では従業員のリストラが立ちはだかった。アメリカ政府の横やりもあった。おかげでアメリカの新しい経営手法を学ん だ」というような内容の発言で記者団を黙らせた。30億ドルをつぎ込んで一時は本社の屋台骨を揺るがせたファイヤストン買収を成功譚に終わらせた力量がい まブリヂストンを変えている。

 語り始められた「韓国の浦項総合製鉄」の国際的競争力

 同じ年に新日本製鐵の社長に就任し、今年から経団連会長になった今井敬氏もまた、新日鐵の社長としては珍しく鉄鋼営業畑を歩んでいなかった。就任会見で は海崎氏の場合より辛辣な質問が出た。「今井さんは原料畑で、大丈夫ですか」。今井氏は目をキッとつり上げ「原料は海外で行われます。原料の購買は市場原 理という駆け引きの中で動くのです」と語ったのを覚えている。

 日本の産業界で最もカルテル的体質を残してきた鉄鋼業界にただちに波紋が起きた。鉄鋼業界では、電機や自動車業界と違って個々の企業の生産量は語られ ず、「今年の日本全体の粗鋼生産は1億トンを超える」とか「1億トンを切る厳しい状況」といったふうだった。筆者も含めてマスコミ側も取材で個々の鉄鋼企 業の業績を口にすることは稀だった。

 鉄鋼大手は大手商社を仲介者として定められたシェアの中で"営業"が行われていたから当然だった。そんな業界で今井氏は「今年度、新日鐵としては 2600万トン生産を堅持する」などと語り始め、「韓国の浦項総合製鉄」の国際的競争力の脅威をしきりに強調した。「日本の鉄鋼業界」の生き残りではなく 「新日鐵」の生き残り策が今日の高炉5社の経営体質の差を生みだしたのだと思う。


1998年09月05日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 大分前のことだが、マカオの古銭商で「大日本国貿易銀」という名の銀貨を買った。発行は明治9年(1877年)。通貨単位が表記されていないのが不思議 だったが、「Trade Doller」とあるからドルのことである。当時、日本では円ではなくドルを発行していたのだろうか?

 また英字で「420Grains. 900 Fine」と刻字されてある。fineは品位のこと。1 grain は0.0648グラムだから 27.216グラム。最近の銀の国際市況でいえば、1グラム=22円だから、約600円の価値の銀貨である。値段は当時の邦貨にして約4000円だった。 約600円の価値の銀貨を4000円で買ったのだからバカみたいな話だが、筆者にとって通貨を考える基礎となっている。

 ●ドルも円も銀貨の単位だった
 古銭商のガラスケースには、大日本国「1圓銀貨」や広東省や福建省造幣廠発行の「1圓銀貨」なども陳列されていた。明治時代の日本の通貨単位は「円」で はなく「圓」と書いた。「円」に変わったのは戦後である。マカオの古銭商にあった銀貨はどれも同じ大きさで品位も同じである。明治時代に1ドル=1円だっ た意味が氷解した。現在の中国の通貨は「元」。かつては「圓」と呼んでいた。明治政府は中国にならって銀貨の単位を圓としたのであろう。なるほど「円」も 「ドル」も「圓」ももともとは銀貨の単位だったのだ。

 ちなみにポンドは今でも重さの単位。英国ではシリングが銀貨の単位で、フランスではフラン。実はロシアのルーブルは銅の単位である。ドルという呼び名の 由来は現在のチェコのプラハ東部にあるクトナホラ(Kutnahora)銀山にある。1995年、当地を訪れた際のガイドの説明では「メキシコ銀が見つか るまでヨーロッパ最大の銀鉱山であり、ハプスブルグ家の富の源だった」らしい。クトナホラで鋳造された銀貨をドルと呼んでいたのだ。

 この銀山の存在を抜きにハプスブルグ家による長年のヨーロッパを支配は考えられない。その後、スペインが隆盛を極めたのはメキシコ銀のおかげである。ポ ルトガルは、メキシコに次ぐ世界の銀産地だった日本の銀流通を一時支配したが、鎖国で日本との貿易から外された。銀貨の大量流通は、歴史に貿易の拡大をも たらした。筆者の持論である。金はあまりにも稀少で貿易を賄うには流通量が足りなかったが、銀は産出量、価値、重さの三点で国際的貿易の対価としてぴった りだった。

 近代国家の多くは金を基軸通貨にしていたが、19世紀になっても国際貿易で実際に流通していたのはこの貿易銀だったのである。今のように銀行間の決済シ ステムが完備していない時代である。江戸時代の日本では三井などの両替屋があり、江戸と京都や大阪との間の商品取引で現金は必ずしも必要でなかったが、国 際貿易では銀貨が中心だった。

 ●金兌換紙幣の時代に存在しなかった為替相場
 金も銀もいまでは国際市況商品となり、日々の価格が需給によって変わる。しかしどんなに変わってもロシアのルーブルやインドネシアのルピアのように10 分の1になったり、100分の1になったりはしない。希少価値があり、一定の大きさに鋳造できることが通貨となる前提だった。

 紙幣は、もともと金や銀を担保として発行された。国家権力が発行する「証書」だから通貨と呼ぶ。香港ドルのように3つの純粋な民間銀行が発行している稀 なケースもないわけではない。この種の証書を民間が発行すれば「小切手」とか「手形」だとか呼ばれる。あくまで決済の代用品だった。かつての紙幣は金兌換 券である。国が金に交換することを約束していたから、「為替相場」などありようがなかった。貿易銀が国境を越えて流通していた。

 それがいつの間にか、為替相場が生まれた。金や銀の担保が十分でない通貨(紙幣)の発行が横行したからである。明治時代に1ドル=1円だった日本の通貨 が第二次大戦前には1ドル=3円になり、戦後には360円になったのは日本銀行が発行する通貨の担保力がそれだけ足りなくなっていったからだ。

 ちょっと難しいが、国が発行する紙幣と民間企業が発行する手形と実は似た関係にある。日本語で紙幣と手形は違うことばで表現されるが、英語では同じであ る。手形は notes、bill、draft、紙幣も notes、bill、draftである。日本の紙幣には「日本銀行券」と書いてある。英語では Bank of Japan Notes である。だから日本銀行という「企業」が発行した手形もしくは証書と考えれば分かりやすい。というより日本銀行もまた企業なのである。一応、国営というこ とになっているが、大蔵省は株式の過半しか保有していない。店頭市場に株式を公開しており、後の株式は民間企業や個人が保有しているのである。

 ●ドル紙幣はアメリカ政府の借金が担保
 アメリカのドル紙幣がどういう手順で発行されるか、ユースタス・マリンズ著「民間が所有する中央銀行」(秀麗社)の記述の沿って説明する。

 「1ドルは連邦準備制度に対する1ドルの負債をあらわしている。連邦準備銀行は無から通貨を創造し、合衆国財務省から政府債券を購入する。利子の付いた 流通資金を合衆国財務省に貸し出し、合衆国財務省に対する小切手貸付と帳簿に記帳するのである。財務省は10億ドルの利付債の記帳を行う。連邦準備銀行は 財務省に対して債券の代価の10億ドルの信用を与える。こうして10億ドルの債務を無から創造するのだが、それに対してアメリカ国民は利息を支払う義務を 負うことになるのである」

 現在のアメリカにはいくつもの連銀があり、その中で最大の銀行がニューヨーク連銀である。簡単に言えば、ドル紙幣はアメリカ政府が発行する債券(国債) を担保にニューヨーク連銀が政府に貸し付けた債権証書なのである。その時の割引率(利子)が公定歩合となる。notes だとか bill、draftと呼ばれる理由が分かっていただけたかどうか。

 ドルといえども、現在の担保はアメリカ政府が発行する債券つまり借金が担保なのだから不思議なことになっている。そしてこのニューヨーク連銀は欧米の銀行家が株式の100%を保有していて、アメリカ政府はただの1株も保有していないのである。

 実は、そんなドルが高いとか安いとか日々、市場で評価されている。マレーシアのマハティール首相は同国通貨リンギットの固定相場制に踏み切った。国際的 信用を失うというコメントが新聞紙面をにぎわしているが、さてどういう結果をもたらすか注目したい。国際金融資本による通貨の売り買いは本当の当該国の経 済力を反映しているのか疑わしくなっている。通貨切り下げがうわさされる中国は本質的には固定相場制だし、香港だって実体的には固定相場制を維持してきた のである。


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