1998年5月アーカイブ

1998年05月29日(金)  朝倉 渓(ジャーナリスト)


5月18日付萬晩報「12年間に建設業従業者が155万人も増えた日本という社会」の内容を補強するレポートが建設業界を担当するジャーナリストから届いた。論議を広げる意味で筆者の了解を取って掲載します。


建設業界の就労者数が過去15年間で30%弱の伸びを示した要因として、雇用調整や労働力の適正配分、業態別の棲み分けなど基本的な無策がある。1993 年下半期からの急速な円高を背景に、国際競争力にさらされた素材産業やメーカー各社は打撃を被り、特に輸出依存度が高い業者は生き残りをかけて要員合理化 や生産ラインの休止措置で固定費を削減し、果ては海外での生産設備を整え財務体質の健全化を図る名目で日本の空洞化が始まった。

 ●過去10年間で100万人の雇用を押しつけられた建設業界
この時点で大手企業を中心とするリストラクチャリング(事業の再構築)や離農、離畜に伴う失業者を、建設業界が再雇用してきた経緯がある。建設業者五十六 万人、従業者数延べ700万人の建設業界で、関係者が口にするのは「過去10年間で100万人の雇用を押しつけられた」と言うこと。そして「建設業界を雇 用の捌け口としてきことに黙っていることはない」と大規模な要員合理化を進める意志を示している。最終的な受け皿となってきた建設業界も本気でリストラを 進めないと母胎が危ないという危機感を強めており、失業率はさらに悪化すると想定される。

政治改革を口にした内閣が決まって崩壊してきたが、一票の格差や議員定数といった根元的な問題を論じることなく、中選挙区から小選挙区への移行という選挙 区制の変更で政治改革のお茶を濁した政府にとって、最も手っ取り早い方法が多額の経済対策を打ち出し、しかも公共事業に税金の大半を費やすことで、一時的 な景気浮揚と雇用確保を狙ったその場限りの政策を実行することだった。

 ●潜在失業者をカウントした失業率は5%を超える
労働省の雇用統計によると、4月の失業率3.9%で過去最悪の数字になったが、この数字は既存の労働者数や就職訪問を実行している学卒者乃至学卒予定者 数、職業安定所を尋ねた人数の単純総計であり、既に就職を諦めてしまった人間やフリーターといったカウントできない潜在失業者はカウントされていない。こ の潜在失業者を足すと、既に失業率は4.2%以上に及ぶと言われている。しかも今年末には単純失業者率は4.7%前後まで上昇し、潜在失業者数をカウント すれば失業率は5%を超える予測がある。

また失業率に輪を掛けて問題なのは、有効求人倍率が過去最低を記録していることだ。これは、高まる失業に反比例して雇用の受け皿が減少していることを意味し、また雇用を確保できる新規ビジネスが生じていない社会環境を意味している。末期的な症状と言って良い。

 ●マニュアルなく手も足も出ない税制抜本改革
政府による無為無策は止まるところを知らず、小選挙区制に連動した形で今年も16兆円の経済対策を敢行し、場当たり的な景気浮揚と雇用の急場しのぎで参院選の票稼ぎに夢中になっている始末だ。

ビッグバンや新規事業の創設を真剣に考えたとき、税制の抜本的な改革が急務と思われる。徴税は国の最高主権にして主計と違って米国などの外圧を受けない。 このため主税局は一度決めた徴税方法の見直しをせず、一定の税収制度を確保することばかりを死守している。直間比率の見直し、間接税への移行が急務とでは ないだろうか。子供のころからマニュアルに準じた偏差値教育にしがみつき、成績だけを金科玉条のごとく人生の中核に置いて生きてきた大蔵省を筆頭とする偏 差値エリートの限界が露呈されている。

税体系の抜本改革に当たっては、マニュアルがないため手も足もでないのだ。先日取材した労働省の役人が嘆いていた。金融機関の貸し渋りや融資回収がひど く、企業は財務体質改善や生き残りを賭けてかなりのリストラを断行している。労働省が認定した企業には雇用調整給付金を出しているが、現在の56%にも上 る法人税が企業を直撃し、合理化効果と税金である雇用調整給付金の効果を帳消しにしている。

 ●過去の経済対策がもたらしたいびつな労働配分
労働省の役人は「際限の無い企業努力と、税金の無駄使い。現状を鑑みるに、法人税を抜本的に見直し(約40%まで切り下げ)、企業のリストラ効果を高め る。そうすれば雇用調整給付金を別の使途でプールできる。可能性のある新規事業者への融資に回すこともでき、新たな雇用の受け皿作りとなる一方で、財務体 質改善に励む企業の合理化効果を高めることにも繋がる」と指摘する。

資産デフレの元凶となったバブル経済の呼び水も確か6兆円の経済対策だったはず。票稼ぎの小手先の経済対策がもたらしたものが、「萬晩報」が指摘する建設業界の就業者数の異常な増加と、予算比率に応じたいびつな労働配分なのだろう。

朝倉 渓さんは30歳代後半のジャーナリストで、金融や建設業界をターゲットに現在、取材しています。


1998年05月28日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


八木博さんの「目一杯働き、目一杯休息するアメリカ」というレポートがあった。関連して日本人社会で当たり前となっている単身赴任について考えたい。

 ●中国南部に出現した French Colony
11年前の中国広東省の南部、海南島への回廊の町ザンジャンでの光景を思い出している。南シナ海の海洋石油掘削基地となって20年が過ぎる。当時、町の郊外のヘリポートは、数百キロの海上の掘削現場へ向かう大型ヘリのローターの唸りが四六時中鳴り止まない。

世界の石油市場を牛耳るメジャーの一角、フランスの国営石油会社「トタール」も早くからザンジャンにTotal Colonyを設置、1987年に商業生産を開始した。基地内は数十軒のレンガ建て住宅が緑の芝生のなかに建ち並び、小規模ながら小学校からクリニック、 ホテル、スーパーマーケットまで完備していた。スーパーの棚には欧米から空輸で持ち込んだ肉、野菜からワインに到るまで日常の必需品が所狭しと並んでい た。

トタールは既に掘削事業から撤退しているからこんな風景はないだろうが、ホテルに併設されたプールでは非番の技術者たちが南国の太陽を浴びながら家族連れ で戯れている。夜になれば、クラブバーでは夫婦同士の語らいがあった。フランスの植民地が南部中国に復活したような風景だった。

目を対岸のホテルに転じると、出光石油の技術者が男同士のわびしい生活に甘んじていた。「赴任して一年にもなるが、ザンジャンを離れたことは一度もない」 「トタールはいいよなー。3週間働くと1週間の休暇があり、みんな香港で羽を伸ばしている。しかも会社のヘリで深センまで運んでくれるんだぜ」。持ち寄っ たウィスキーで夜な夜な繰り返される愚痴ばかりの飲み会に一夜、参加した。

当時の取材にノートに書いてある。「どこにいっても自国の生活を持ち込まなければ気がすまない西洋人のやり方に反発がないわけではない。しかし、同じ1バ レル=23ドル(当時)という国際価格で商売する石油会社の現場での生活レベルがこれほど違っていいものかという印象は拭えない」。

 ●経済協力現場にも持ち込まれる American Way of Life
1960年代にも同じような経験をした。パキスタンのインダス川が5つの支流から一つになるパンジャブ地方で、灌漑用のタルベラダムの建設現場を訪れた。タルベラダムは当時としては世界最大級のダムで、米国資本が建設していた。

ここでも米国資本はアメリカ流の生活を持ち込んでいた。各部屋にクーラーを組み込んだ大型3LDKの宿舎が欧米から派遣された技術者たちに提供されてい た。当時、学生だったからプールバーまであったかどうか覚えていないが、あってもおかしくない雰囲気だった。現場は、単なる商業目的のダムではなく、低開 発国向けの援助事業だったのである。

ここに三菱重工からタービンの取り付けに参加していた日本人もいた。もちろん快適な3LDKをひとつあてがわれ、夫婦で"援助事業に参加していた"のだ。 「日本の援助だったらこうはいかないでしょう。欧米人の技術者はこうでもしなければ低開発国に来なくなっているのです」との説明だったように思い出してい る。

いま考えるのは欧米人はどんなところでも家族同伴が当たり前なのだという感慨である。

 ●家族中心主義という偽りのリアリティー
小生が昨年、大阪転勤になったとき、同僚や先輩から「なんで家族が一緒なの」と聞かれてがく然とした。とまれ、いつから日本社会は「単身赴任」が普通になったのだろうか。いつから子どもの教育の方が家族と住むことより重要になったのだろうか。

欧米からのアジア社会批判の度にアジアの政治家は「アジアにはアジアのやり方がある」「個人主義が中心の欧米と違って、アジアでは家族が単位だ」と反発し てきた。日本の政治家や官僚にも共感をもって受け入れられている論理だが、現代の日本に限っていえば、すべてウソである。

有史以来これほど単身赴任が横行する社会はない。どこの社会だって家族を大事にしてきたし、これからも大事にしていくだろう。日本の場合、中年の転勤族が 単身赴任先で羽を伸ばし、奥さん方もせいせいしているケースもないわけでなはい。だが、日本社会だけは常識が狂っているとしかいいようがない。

日本社会を痛烈に批判してきたオランダ人ジャーナリストのファン・ウォルフレン氏に「日本が家族中心主義だ」などといえば、ただちに「それは偽りのリアリティーだ」と反論されるに違いない。


1998年05月26日(火)萬晩報主宰 伴 武澄


 5月18日付萬晩報「12年間に建設業従業者が155万人も増えた日本という社会」 には賛否両論というか「ほかに雇用を維持する方法があるのか」という反響が多かったように思います。筆者は、雇用の維持まで否定したのではなく、雇用の維 持を声高に叫んでいる間に建設業の就業人口までが増えている現状を強調したかったのです。参考までに寄せられたメールの一部を掲載します。タイトルは萬晩 報編集部が付けました。


 ●徳島で浮上する新たな巨大公共事業
 拝啓。伴武澄様。MSR News & Journalで貴コラム「『穴掘り穴埋め国家』になりそうな日本」を拝見致しました。バブル崩壊後も建設業従事者が増え続けている事を知り驚いておりま す。また、公共事業がそれを支えているのであろうとのご推察には同感致しました。
 しかし、日本は「穴掘り穴埋め国家」に「なりそう」なのではなく、私はもう既に「なっている」と思います。私の郷里である四国の徳島では、吉野川と言う 川にあの長良川河口堰より大きな可動堰を建設する計画があります。自然環境面だけでなく、必要性についても疑問の声が上げられているのですが、これなど私 には「穴掘り穴埋め国家」が行う「工事のための工事」ではないかと思えるのです。
 同じ徳島県内の巨大公共事業である「細川内ダム建設事業計画」は、批判的な報道が全国に流れた事もあり、昨年、一時休止になりました。しかし、一方では、全国的な知名度はまだ低いものの、その事業規模は細川内ダムに勝るとも劣らない計画が進められようとしています。
 伴様は共同通信社経済部次長と言う事で、社内で公共事業や自然環境の問題を担当されている記者の方もご存知かと思います。もし宜しければ、そのような方にこの問題をお伝え頂ければ幸いです。ご意見と問い合わせはCZX07064@niftyserve.or.jpへ【兵庫県明石市 美野耕造】
 ●公共事業が売り上げの95%以上である会社社長の意見
 最近 建設業を取り巻く批判が特に強くなってきました。私は徳島県の過疎の町で建設業を営んでいます。いま私たちの置かれている状況は大変厳しいものがありま す。まず工事の受注の不安定さ、若年労働者の減少 会社の高齢化 工事価格の価格破壊による 競争の激化等です。建設業者といえば 大変派手な生活を送っていると 都会の人は想像するでしょう、もちろん暴力団の資金源の一つになっている所もあると思います。しかし私たちの仕事はある意味底辺を支えていると思ってま す。優秀な人ばかりではないのですよ。厳しい労働条件の中でみんながんっばってくれていると思います。他業種の人だけが、厳しい競争の中でがんっばている 訳でなく,我々も苦しんでいます。
 責めるなら建設業全般じゃなくて、公共事業を受注しても施工能力のないペーパーカンパニーの排除、人権団体への優先的な入札の廃止などいろいろあるのですがあまり書くと長くなるのでこの辺で切りたいと思います。
 私は32歳で妻も子供もいます。将来も建設業で暮らしたいとおもっていますし、この仕事に誇りを持っています。将来に不安があるのは、私も同じ、でもこれから良くなる事を信じてがんばって生きたいと思います。【徳島県・建設業】
 ●建設業者も増えている
 経済学を生業としている者です。建設業の従事者が増えているという現象は、建設業者が増えているということと密接に関連しています。建設業者は現在日本で最も多いはずです。地方自治体は公共事業を地元の業者に優先して発注しているため、建設業を営めばそれなりに仕事が廻ってくるのです。その結果、丸投 げ、上請けなどが発生しています。地元への利益誘導、いやですね。【九州工業大学情報工学部共通講座】
 ●大変興味深いデータです
 私は地方公務員で予算関係の仕事をしている者です。景気対策と雇用に関する記事を読ませて頂きました。大変興味深いデータですね。まさか、こんなに建設業関係の従事者が増えているなんて思いませんでした。
 私は、景気対策が公共事業という形で実施される限りはこのような結果もやむを得ないのかなという気がしています。景気対策というのは当然雇用対策でもあるわけですから。臨時的に雇用を創出できる産業というのは建設業ぐらいなのでは?
 とはいいましたが、気になる点をいくつか挙げてみます。
1 景気対策が終わったときに建設業界が現在の雇用を維持できるのか?景気回復に伴い他の業種にスムーズに吸収されていくというのが理想なんでしょうけれど・・・
2 景気対策のための政府支出は建設業に対するものしかないのか? これについては近年公共機関への情報機器の一括導入というような施策も散見されますが、支出の規模からするとごくわずかです。他分野では臨時的な大規模支出がしにくいというのが現状です。
3 公共事業が単なる「穴掘り&穴埋め」になっていないか?この点は非常に大きな問題です。実際に景気対策における建設予算の分野として最も大きいのは道 路だと思います。すでに計画されている道路建設に予算を集中投下するという形が主なので急にいらないことをするというケースは少ないと思いますが、予算消 化のために単なる「穴掘り」に近いことをせざるを得ない場合もあるかもしれません。この点は専門でないのでよくわかりませんが・・・
 いずれにせよ公共投資というのは必要性の高い分野にすべきなのはもちろんです。最近いわれている「時のアセス」というような概念は非常に重要だと考えます。【地方公務員】
 ●その建設業従事者数でさえ減り始めている
 興味深く今回も拝見させていただきました。ただ、レポートの中に書かれてました公共事業投資を引き合いとされていた件ですが、政府開発援助は別としても バブル以降業界には好調なアジアマーケットがあったわけです。ここ最近の落ち込みにて、まさに残されるは公共事業を当てにせざるを得ないという逆に危機的 状況と見るべきではないでしょうか。
 又、土木建築事業は業界外への波及効果が高い事業という特質も加味すべきではないでしょうか。比較的体力を持つところは赤字又はそれに近い決算にて次年 度を向かえたところもあったようですが、スーパーゼネコンの中にもまだ処理もできず苦しい状況に立たされているところもあるようです。
 確かに、「土建国家化」はバブル崩壊以降に一層進んでおります。日本の建設業者数は現在、56万業者とも言われています。確か数年前までは50万社程度だったはずです。
 ところで、昨秋以降、その建設業従事者数でさえ減り始めたことにお気づきでしょうか。これぞ、緊縮財政の直接目に見える影響(効果)なのだと思います。 そして、ご指摘通り、新たな経済対策によって、再び建設業従事者が増えるのは間違いありません。いまさら建設業を増やすことが、長期的な日本経済の構造改 革に役立つ訳もなく、かえって非効率な産業を税金で延命させるだけの壮大な無駄遣いに終わる可能性が強いと思います。
 この意味で、まさに「穴掘り穴埋め国家」といえるのではないでしょうか。
 ただ、問題は地方経済を支える産業が育ってないことではないでしょうか。伴さんもお書きになっていたように、現実に土木が95%を占める山村があるわけ です。伴さんは、住民にプライドを捨てさせて、生活保護の対象にした方が良いと言う趣旨のことをおっしゃってますが、私はそこまで大胆にはなれません。そ のようなことが可能とも思えません。
 こうした地域の雇用をどうやって維持していくべきか、私にはいいアイデアがありません。結局は、高齢化が進んでその地域が「自然死」するまでは、公共事業で食いつながざるを得ないような気もします。
 拓銀の倒産で極端に経済が悪くなった北海道も当面は、公共事業頼りの経済にならざるを得ないのではないでしょうか。また、こうした時にこそ、財政出動があるというのも正論です。
 無駄でも環境破壊でも、日々の暮らしがたち行かないことよりはましだと考えるのが、現実の人間でしょう。それを否定する権利はだれにもない気もします。 族議員のごり押し的な予算分捕り合戦の醜悪さはよく知っておりますし、その財源が我々都市住民から流れていることにも最大限立腹しているのですが【読売新聞記者】
 ●景気対策でゼネコンの不良債権穴埋めか?
 「読者の判断を仰ぎたい」との事ですが私の意見は次の意見です。
 1、国家が景気対策として大手ゼネコンの不良債権を穴埋めする絶好の機会である。(住専の時のようにメディアが騒がない)この事により政治家保有のゼネコン株の評価価格が現状より高くなり評価損が隠れる。
 2、景気対策として、公共投資・特別減税しか本当に手段は無いのか?この論議がまったくされていない。バカの一つ覚えの様に公共投資・特別減税を声高らかに叫ぶ政治に魅力などあるはずもなく、市民は政治に対して冷え切っております。
 3、政治改革する、行政改革する、実は表を少し変化させるだけ、こんな政治に誰がした。我々国民か?いいやそんなはずは無いと思ってもそれが現実である。なんとか政治が政治として本当に機能する国家は理想か?【古山 義晃】
 ●これ以上の経済発展はいらない
 事実はご指摘のとうりと思います。田舎(山の中)や沖縄では、公共事業が1番の産業だとも聞きました。しかし、そのような地方には、他に現金収入が見込める産業がありません。そのような地方には良い道路もできて、公共事業は良いことです。
 公共事業で不況を脱出しようとするのは、ケインズ経済の考えでしょうが、今の不況は循環のせいではなく、とりたてて欲しいものがこれ以上はなくなったせいだと思いますので、ケインズでは、だめだと思います。
 と言っても、私はこれ以上の経済発展は望みませんので、今の誤った政策を非難する者ではなく、むしろ、シメシメと思っています。【yamaosam】
 ●どうせなら公立図書館をガンガン建設すべきだ
 世界の科学技術文献専門の公立図書館をガンガン建設すべきだとおもいます。今までの大会社、大資本、トップダウン型産業全盛にあっては、社員であれば、 世界の文献、雑誌にあたるのは容易だったでしょうが、ベンチャー時代には、そうもいきません。小人数で、貧乏だがやる気のある人たち(学生から退職した職 人さんまで)でも世界の最新情報にアクセスできるようにする必要があるようにおもいます。日本の情報産業なども、いままでドメスティックな分野、規模でと どまっているのもその辺と関係があるように思います。つまり、図書館のビックバンです。どうせ箱物が出来てしまうのなら、頭脳へ投資するのが一番効果的な のではないでしょうか。【Yusuke】
1998年05月25日(月)  八木 博


 米国の機械を見ていると、目一杯のパワーで動いているというのを感じるときがあります。たとえば、飛行機の離着陸のときや、ハイウェイのトラックや芝刈 り機のエンジン音などいつもフル回転の音が聞こえる気がします。そして、実際物流や、技術の流れもそれと同じように、フル回転ではないかと思ってきまし た。もしかすると、人間の活動もそうかもしれません。今回は、目一杯社会の実態を検証してみたいと思います。

 ●子供のころの褒め方と叱り方
 米国の子供たちは、幼いときは親に絶対服従です。ですから、間違った事をするとお尻をたたかれたりして、痛い目に会います。しかし、小学生くらいになる と、親は理屈で善悪を説明します。そして、親としては子供がどういう事をするのが「うれしい」か、または「悲しいか」を子供に教えています。

 ですから、子供は行動を指示されるわけではなく、自分の行動の結果を考える癖をつけられる事になります。そして、もう少し大きくなって自分で考えを発表する事が始まると、先生は一人一人の意見を尊重します。そして、いい点を見つけては、必ず褒めます。

 いい点が見つからなくても、努力や発表態度などを褒めます。私はここに、目一杯の社会の原点があるような気がします。いいところを見つけ出してくれるから、次々に頑張る、そうするとある分野でのトップへとつながる道に続いて行く事になるからではないかと思うからです。

 褒めた後も、次々に成長できる社会米国の社会が、地域に根ざした活動をベースに成立しているのは人々の意識としてとても明確です。ほとんどの州では野球 もフットボールも、バスケットボールも地元チームのファンでスタジアムは埋められます。また、新聞と言ってもローカル紙が中心で、その中で個性を持った新 聞が全国的にも高い評価を受けます。

 シリコンバレーではサンノゼマーキュリー新聞が、ハイテク関係の記事ではとてもタイムリーな報道をしています。これは、地元の情報を集める事で、早く質のいいNewsをまとめられるためです。

 InternetでのNews配信もいち早く実施しましたし、ビジネスの展開とハイテクは、密接につながりながら発展しているのです。これが現在のところ、米国の高株価を呼び起こしていますし、米国はこの分野で、全力疾走をしているように思えます。

 話を戻します。もし学校に優秀な生徒がいたら、彼のところには大学や、地区の競技会(教科の学校対抗のようなもの)への誘いが来ます。そして、さらにそ の上を行くときにも、また誘いが来るのです!ですから、もし小学生で、天才的な能力があると認められれば、その能力を伸ばす機会はどんどん与えられること が起こるのです。

 それは、ひたすら地元を見つめる人たちの、ネットワークから発生します。このように社会の仕組みの中に、伸びる才能を伸ばすと言うシステムが、米国社会の根底に組み込まれています。そして、おらが街の自慢は、誰誰さんということにも、つながるのです。

 ●世界から集めた頭脳
 第二次大戦後、米国は世界の地域抗争、共産圏からの脱出する人々などを沢山迎え入れました。この中には、アインシュタインや、フォンブラウン博士のよう な優秀な人もいましたし、現在ではINTELのAndy Grroveなど、ビジネスに革命を起こした人なども含まれています。 これらの人々は持ち前の才能を認められ、それを伸ばす事に集中してきたわけです。 これも、褒めて伸ばす結果に他ならないと思います。すなわち、いい点を認められると人々は全力で走り始めるのです。

 ビジネスだけではありません。スポーツの世界も同じです。そして、芸術も。いいところと言うのは、他の人と違うから見えてくるものだと思います。それを見つけて、伸ばして、個人も社会も成長できるのであれば、理想的なわけです。

 ●普通の人はどうするか
 才能ある人については、今の話でいいのですが、では普通の人はどうでしょうか。それは、個人が好きな事に打ち込む事で、自分の世界を持ち、それを楽しむ事で果たしていると見ています。一人一人の好きなものや、趣味は多様です

。  これをこうやって楽しむのは、私のやり方だと言って、人々は、それぞれの趣味の世界に打ち込みます。ですから、他の人と違う事は「あたりまえ」であっ て、自分は、自分で納得してその世界に入っているのです。しかし、そこでも当然ネットワークが発生しますので、自立した個人の関係が出来るのです。

 これは、会社の人間同士ではなく、個と個のつながりになります。このような個性を持った人たちですから、そこでもやはり、目一杯と言う事も起こるわけです。そうすると、普通の人でも一人一人が自分の生き方を貫くところに、目一杯の世界があることになります。

 ●目一杯だけでは生きられぬ
 目一杯だけでは、人々には休む暇がありませんから、休むことを目一杯考えるグループも出てきます。それが、エンターテイメントであり、リゾートのビジネ スになるわけです。電話がかからないと言うのが最高のリゾートの条件と言うのもあるそうですから、やはり、非日常への願望は大きいと言えます。

 しかし、いずれにしろ、自分でとことん考え、納得しながら行動して行く事が目一杯とは言わずとも必要な事のような気がします。それには、他と違う自分をまず見せる事から始まるように思うのですが、いかがでしょうか。


 八木 博氏は大手化学メーカー勤務。シリコンバレーで「週刊シリコンバレー情報」を発信しています。
1998年05月21日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 日本の工作機械業界が息を吹き返している。円安によって価格競争力を復活、アメリカと欧州向け輸出好調に支えられてピーク時の年間生産1兆5000億円 に迫ろうという勢いである。数年前まで年間受注が3000億円前後であえいでいた同じ業界とは思えない変貌ぶりだという。唐津一氏の日本産業擁護論には与 しないつもりだが、産業の基本である機械産業がもう少し見直されていい。

 ●製造業王国日本の背景にあった工作機械の飛躍
 経済的成長の過程でアジア各国が多少誤解したのは、組立産業と機械産業の違いだった。大規模な組立産業が次々と国内で生まれるのをみて近代化が進んだと 勘違いした人々が多かった。1960年代の日本がラジオ、テレビから自動車まで組立産業が軌道に乗ったとき、技術者の頭を悩ませたのが、金型を作る技術で ある。金属やプラスチックを削ったり、穴を空けたりする技術はミクロンの世界の精度が求められ、そうした工作機械の技術ではどうしても米国やドイツにかな わなかったからだ。

 そんな日本が1980年代に世界に冠たる工業製品の製造王国となったのはまさに工作機械の飛躍的進歩のおかげといって過言でない。そして、その進歩を後押ししたのはNC(数値制御)という工作機械へのコンピューター技術の応用であり、ロボット技術の確立であった。

 いまでもNC機械やロボットの生産こそはいまでも日本が世界をリードし、数年前の円高時にも高い価格競争力を維持してきた。アジアの成長も実は高度で精 密な日本の工作機械を使ってきたからこそ高い品質と信頼性を持って世界に通用してきた。マレーシアのマハティール首相がお忍びでよく東京・大田区の中小企 業を訪ねて技術供与を求めた話は有名である。シンガポールや香港などがようやく日本産業の強さの秘訣が分かりかけた矢先にアジアは不幸にも通貨危機に見舞 われたのである。

●NC工作機械の草分けだったファナックの稲葉氏
 10年数前、ロボットがロボットを作る無人工場が山梨県の富士山の麓に出現した。フォナックというロボット製造企業である。その会長を務める稲葉清右衛 門氏が1956年、電話機や電話交換機を作っていた富士通の技術者だったときに、米国のマサチューセッツ工科大学で開発されたNC技術をいち早く採り入れ た板金の穴空け機械を生み出した。NC工作機械の日本の幕開けだった。

 当時、日本の工場にある高級な工作機械のほとんどは米国やドイツ製だった。1960年から1964年までの5年間の工作機械の輸入は1500億円に達 し、輸出はたった174億円しかなかった。本田技研工業も新日鉄もみんな輸入機械でもの作りに熟練していた時代である。現場からは「どうしても輸入機械に かなわない」というため息ばかりが漏れていた。

 工作機械は伝統的日本のお家芸のように思われているが、そうではない。自動車のドアの締まり具合やプラスチック容器の気密性など欧米の製品に遅れを取っ ていた背景には工作機械の技術的遅れがあった。通産省も業界の技術レベル向上のためにてこ入れしたがことごとく失敗した。

 日本の工作機械業界が発展のきっかけをつかんだのは伝統的工作機械ではなく、米国に登場した新しいNC技術の導入だった。新しい分野では同じスタート台 に立てたからだ。1990年代の台湾のパソコンの発展と似ている。16年後の1972年、稲葉氏の部門は富士通から独立して富士通ファナックを超優良企業 に仕立て上げた。いまでこそ多くのロボットメーカーが出現しているが、当時としてはハイテク日本を誇れる数少ない企業のひとつだった。

 ●米国生まれのベルトコンベア作業をロボット化した日本
 自動車工場に大量のロボットを導入したのは日本が先駆けである。特に溶接や塗装など3Kといわれる職場はあっという間にロボット化した。人間がつらい汚 い仕事から開放されただけでなく、精密で均一な加工を可能にし、工業製品の精度を高めた。1970年代の後半から1980年代に前半にかけて経営的には省 力化や省人化による大規模なコストダウンが進んだ。

 コンピューターは単なる電子計算機から電脳への役割を変えていく時代を先取りした日本の製造業は10年余で世界の最前線に立つことになる。しかしそうした革新性は長続きしなかった。なぜならば工作機械の革進性はものを作る人や国を選ばなくなったからである。

 かくしてアジアでも日本と同じ品質のものと作ることが可能となり、日本の工作機械がアジアの発展の礎となった。うそだと思う方はタイにあるミネベアの工場をご覧になるといい。日本を上回る高性能の工作機械が何百台も稼働しているはずだ。

 ●東芝機械ココム違反事件の本当の意味
 工作機械は機械を作る機械という意味合いから「マザーマシン」と呼ばれる。米国で開発された基礎技術が日本で開花したといっても過言でない。1980年 代になるとメイド・イン・ジャバンのNC工作機械は欧米に大量に輸出されはじめた。やがて繊維や鉄鋼、自動車と同様、米国から輸出自主規制を求められた。 単なる工業製品の輸出と質的に違っていたのは「マザーマシン」であったことだ。

 米国では国防上の理由から輸出自主規制を求め、1987年には東芝機械によるココム違反事件も発覚した。機械を作る機械までメイド・イン・ジャパンに置 き替わるという恐怖観念が米国政府を動かした。ソ連の潜水艦の水中でのプロペラ音が米国の音波探査機で追跡できなくなったのは東芝機械がソ連に輸出した加 工機械によってプロペラ性能が飛躍的に向上したからだというのが米国の言い分だった。

 民生用技術の高度化が米国ペンタゴンの虎の尾を踏んだという象徴的な事件で、親会社の東芝の会長と社長が管理責任をとって引責辞任した。日本の工作機械 が冷戦下では極めて重要な戦略物資として注目されたことは逆にピークを迎えた日本の工作機械業界の飛躍的進歩を実証する場面でもあった。

 このココム違反事件と呼応して進んだ円高によって日本の工作機械メーカーは相次いで生産を海外に移転、輸出から現地生産へと大きく方向を転換し、国内生 産は3分の1以下の水準にまで落ち込む。韓国や台湾勢の追い上げもあり、バブル期に旺盛だった国内設備投資の勢いが衰えた。国内では、自動化やロボット化 の進展でこれ以上の省力化投資は投資に対して効果が現れなくなったのも事実だ。

 日本のNC工作機械業で武装した欧米企業の生産現場がやがて日本並みの生産性を身につける時がやってくる。


1998年05月20日(水)  鈴江 康二


 1997年7月のタイ・バーツの急落に端を発したアジア通貨危機は、東南アジア域内諸国のみならず韓国にまで波及、同国は緊縮政策と引き換えにIMF融 資を受けることでようやく生き長らえることができた。しかし、IMFによる緊縮政策や財閥主導体質の改善といった荒療治は、これまで活発に展開されてきた 韓国の対ベトナム投資を停滞させ始めている。韓国は累積投資額31億2400万ドル(認可ベース、1998年1月20日現在)で第5位の有力投資国。だ が、ここにきて撤退や事業縮小に向かう企業が目立ってきた。

 ●破竹の勢いだった韓国
 首都ハノイの西半分は90年代後半に入ってガラリと街の様相を変えた。湖沼は埋め立てられ、今では同市有数の高級住宅地に生まれ変わった。その中心にそ びえるのが大宇ホテル。総投資額1億8000万ドル。韓国大使館も入居するビジネス・センターを併設、ハノイ随一の高級ホテルとして韓国経済の力をハノイ 市民に見せつけた。

 事実ここ3、4年、韓国企業のベトナム進出熱には圧倒されたものだ。ハノイやホーチミン市の空港では、ゴールドスターの広告入りカートがずらりと並び、 ロビーにはサムスンのカラーテレビ。タクシーで市内に向かえば大宇の屋外広告が目に付き、乗っているタクシーはこれまた現地で組み立てられた起亜自動車。 街には焼き肉レストランも数軒オープン、キムチを毎日デリバリーしてくれる。ビジネスマン以外に留学生も殺到、添乗員に先導されたオモニたちが、ホーチミ ン市の名所を大型バスで観光していく。そしてそのバスは現代自動車製--などなど。表面的にはオーバープレゼンスだといってもいいくらい、韓国はベトナム で破竹の勢いだった。

 ●銀行も事務所閉鎖へ
 しかし、厳しいIMFプログラムの履行を科された現在、韓国の各企業はベトナムという短期的には採算のとれない投資先を切り捨てざるをえなくなった。巨 額の対外債務を抱える金融機関も同様で、先週にはロイター電が韓国商業銀行や開発銀行、輸出入銀行など8行が、駐在員事務所の閉鎖と撤退を決定したと報じ た。

 各商社も軒並み駐在要員の見直しに動き出しており、「ウオール・ストリート・ジャーナル」によれば、ソウルに本社を置くサン運送は今年1年間で1000 人以上のベトナムからの帰国者を予測している。また、駐在員の給料や諸手当も減額を余儀なくされ、授業料の高いインターナショナル・スクールでは来学期、 韓国人子弟の本国転校が増えると予想されている。韓国人ビジネスマンでにぎわったゴルフ場は閑散とし、会員権を手放す人も増え、夫人たちのエステ通いも少 なくなった。1万人強のホーチミン市在住韓国人の内、少なくとも1000人、800人強のハノイ在住者の内、100人ほどが年内に帰国するだろうと、サン 運送では見積もっている。

 ●高まる雇用不安
 このような中、ベトナム人の間で雇用不安が深刻化している。AP-ダウ・ジョーンズ電によれば、ベトナム政府は進出韓国企業の1-2割が今年上半期にベ トナム人従業員を整理・解雇するだろうと予測している。先ごろ現地を訪れた日本の経済交流団体によれば、ベトナム労働総同盟幹部が雇用問題についての懸念 を再三、表明したという。韓国の中小企業は衣料やカバン、靴など労働集約型産業への投資傾向が強く、労働強化や残業代不払いなどで常に労働総同盟との間で 摩擦を起こしてきた。しかしその雇用創出力は大きく、これら中小合弁事業の縮小や撤退はベトナム側にとって深刻な問題になっている。

 ダウ・ジョーンズ電によれば、昨年11-12月の2ヵ月間でホーチミン市の衣料や製靴などの外国合弁工場で3000人の労働者がレイ・オフされ、そのほ とんどが韓国系工場であった。ホーチミン市についでこれら合弁工場の多いドンナイ省など他地域の失業者数は当局によって把握されていない。労働総同盟の機 関紙「ラオドン」は5000人がレイ・オフされたと伝えており、多くの工場で旧正月前のボーナスがカットされたとの報告もある。

 また、韓国はこれまで多くのベトナム人労働者を受け入れてきたが、約1万3500人の出稼ぎ労働者が韓国からベトナムに帰国 を余儀なくされたと、「ウオール・ストリート・ジャーナル」は述べている。海外出稼ぎはベトナムでも主要な外貨獲得源になっており、世界各国への出稼ぎ労 働者25万人からの送金は、昨年1年間で10億ドルにのぼったという。(1998年3月13日号)


 筆者は毎日新聞社勤務。ホームページ「現代ベトナム研究所」を運営してベトナム関連のコラムを執筆しています。
1998年05月18日(月)萬晩報主宰 伴 武澄


 総務庁が毎月、発表している「労働力調査」を取り寄せてながめているうちに、ハハーンと気が付いた。公共事業国家・日本はこの十数年にわたり、労働力の 構成すら歪めてきたのではないか、そんな思いがムラムラと湧いてきた。下の表は「労働力調査」の「主な産業別就業者数・雇用者数並びに非農林業の常雇・臨 時・日雇・企業の従業者階級別雇用者数」という長い名前の統計から抜き出した。

年月総就業者数農林業建設業製造業運輸通信業卸・小売り
・飲食業
サービス業
1985  5807  464  530 1453   343  1318  1173
1990  6249  411  588 1505   375  1415  1394
1995  6457  340  663 1456   402  1449  1566
1997  6468  324  685 1442   412  1475  1648
増減  11.7%-30.2% 29.2%  0.8%  20.1%  11.9%  40.5%

 ●過去12年に増え続けた雇用は661万人
 1998年3月の完全失業者数は、前月から43万人も増えて277万人と史上最高を記録した。失業率は0.3ポイント上昇して3.9%になった。とはい うものの、この12年間で終業者は661万人も増えている。100万人単位で増加したのが1988年(100万人)、89年(117万人)、90年 (121万人)の3年。その後も91年(80万)、92年(67万人)と増え続け、93年からは6400万人台で伸び悩んでいる。

 この数字をみて、まず考えたのが「史上最高の失業率といっても実は働く場所が661万人分増えた上での277万人の失業」ではないかということである。 日本の場合、失業率2.0%で実質的な失業者がいない「完全雇用」と言ってきた。自発的な転職や結婚退社などを加味すればという意味である。

 だから本当の失業者は、1.9%の約135万人でしかないということである。100万人を超える人が失業状態というのは決して無視できる数字ではないが、バブルのころの二年分の「余剰雇用」分と考えれば大したことではない。

 ●農業従事者が減り、そして建設業従事者が増加した
 それより、建設業の項目を見てほしい。1985年から12年で155万人、伸び率にしてなんと29.2%、毎年十数万人の雇用が増え続けてきたのであ る。単にバブル時代の建築ラッシュの結果とはいえない。バブルが崩壊してからも増加率は止まっていない。それどころかアップしてきたのである。90年代の 60兆円規模の追加景気対策こそが建設労働者増加の主因といえないだろうか。

 面白いことに、左側の農林業の就業者の推移をみると、農林業の減少数・率ともに建設業の増加数・率とほぼ符合するのである。もちろん、増加した人数でい えば卸・小売り・飲食業やサービス業の方が圧倒的に多い。しかし、こちらはコンビニや外食産業の急増、ニュービジネスの台頭などによるものであって、確か な根拠がある。

 どうも地方で離農した人たちがそのまま、建設業に従事しているという構図が見えてきそうだ。日本の農業は、ウルグアイ・ラウンドで意気消沈し、農業従事 者がたまたま遭遇した急増する公共事業に乗り換えているのではないかという推測はまんざら間違いではないのではないかという気がしてくるのである。

 日本の公共事業については02月10日付萬晩報「 公共事業/国会議員-土建屋-農村雇用-自然破壊の連鎖」で書いた。今年はまた史上最大の16兆円の追加景気対策を実施する。そうなると今年はさらに3、40万人の建設業従事者が増えるのは確実。この分でいくとあと10年もすると建設業は日本最大の雇用者を抱える産業になるのは確実だ。

 日本という国家は「穴掘り穴埋め国家」なるのかもしれない。この点について読者の判断を仰ぎたい。


1998年05月17日(日)萬晩報主宰 伴 武澄


 ●あと一歩の勇気を持とう
 MKタクシーの青木社長の話、全くその通りだと思って、面白く読ませていただきました。記者の目が新しい視点にいきにくい現状もよくわかります。日本で は体制とか、その筋の伝統的な考えを、なかなか打破出来ないようです。政治の世界でもすぐに長老と言われる昔偉かった人が口を挟んだり、又、現在偉いはず の人が長老にお伺いをたてたりするようです。
 国の政治がそうであるように、町内会から仕事関係の組合の様な組織まで似たような話はよく耳にします。私自身、そうでありたくないと思っていても、いざ その様な人の集まりのお世話をさせてもらいますと私のような若輩(46歳)では、まとまらない話でも、ご長老の意見で即にまとまったりする現実に直面する と、自分自身で首を傾げたくなることもあります。
 でも後から反省すると意見交換の時にもう一言勇気を出して本音(自分が考える正論)をいえればもう少し違った展開でなっかったかな?とも考えます。この 一言の勇気が日本人には少し足らないのでは無いでしょうか?青木社長に接する記者の方たちも同様に何かもう一歩踏み出せない勇気が足りなっかたのでしょ う。
 でも、この勇気こそが今後の日本をも変えていくような気がします。政治家を批判する前に個人個人が古い体質を打破できるように勇気をもちましょう。以外にこんなことから、今後の日本の世の中を変えるきっかけにはならないでしょうか?【神戸の開業医】


 ●料金を安く設定すると言われるのは採算とれるの?という質問ばかり
 MKタクシーの記事、興味深く読ませていただきました。現在ある標準のものの価格より低い価格で何かしようとすると、周りはどうしたらその価格でできる のとは聞いてきません。記事中にもあるように採算とれるの?とかやっていけるの?しか聞いてきません。私も現在、上場会社に引き抜かれてパソコン関係の仕 事をする部署を作るようにいわれて、とりあえずパソコンスクールを作ってそこから情報収集や発信をしようと考え料金を安く設定しました。すると上司から言 われるのは採算とれるの?という質問ばかりでした。現在、一般に標準と言われている価格は何にしても高いと思います。タクシーもそうですしパソコンスクー ルもそうです。それを安くする方法はいくらでもあるのにしない人が多すぎます。特に私の考えではパソコンスクールの価格は非常に高いです。一度その辺の取 材をしてみてください。パソコンの出荷台数の減少とも関係があると思います。【関西在住】
 ●Challengeが業界の標準になる
 初めまして、小生は現在石油元売会社に勤めております。1年前までMKの本拠地である京都を含めた近畿地区のガソリンスタンド向け販売支店の SalesRepresentativeとして営業活動を致しておりました。折しもわれわれの業界も(MK石油を含めて)規制緩和・価格競争へと本来ある べき消費者を始め各種Stake holdersへ対して公正で、新規参入者などに対して公平な市場の確立に向け歩み出しました。
われわれも価格競争の始まったころは安売=サービス及び品質の低下という既成概念に惑わされたことがありました。しかし住専問題で話題となった会社による 小生の担当地域 兵庫県伊丹市への新規参入を機に特約店とともに意識改革を図り、BEPを様々な側面から検証し、当時としては破格のガソリン88円/Lでの採算販売に踏み 切りました。しかし同業者はこれを快く考えず、一時は不当廉売による公正取引委員会への告発という事態を迎えそうになりました。現在その地域の相場は86 円/L、当時告発を検討していた同業者の半分が以下の小売価格でガソリン販売を行い、従前のサービスを薄利ながら行っている現状を鑑るに小生は既成概念の challengeというものが如何に大切であって、経営という不確実な世界では唯一の道標となりうるのかということを痛切に感じます。
MKは石油業界でも先駆的に価格適正化へのchallengeを行い成功を収めましたが、何れタクシー業界でのchallengeが業界の標準となるでしょう。以上【石油元売り勤務】
 ●自己批判できない人は学校を卒業したときのままの浅知恵を脱していない
 全体を総括してしまう意見になりますが、現在公務員、公共団体、公的企業、大企業の社員は、なんだか「学校」にいるみたいです。上司部下の関係はそのま ま先生と生徒のように見えます。先生を手本とすることをシステム化した文部省の作戦が功を奏した(?)わけだと思いますが、目上の人や立派な地位にある人 の言うことを参考にするならまだしも、疑う心が無いのが不思議です。それはそのまま実生活にも取り入れられており、詐欺に遭う人は跡を絶ちません。人を信 じることはすばらしいと思いますが、自分の中で咀嚼しないのは愚かだと思います。私は自分の中にスタンダードを作り上げるべくがんばってきました。そのお かげで誰だろうと信じることはありませんが、周りからは「頑固者」「変人」と呼ばれます。
 そういう形で自分を合理化する日本人はまだまだだと思います。私はソフトウェア企業を経営していますが、世界進出できる状況にもしもなれたならば、本社 はシンガポールに置きたいと考えています。大いなる空想ですが。とにかく自己批判できない日本人は学校を卒業したときのままの浅知恵を脱していない様に思 います。高学歴になるほど顕著に見られるような気もします。いい大学を出れば仕事は楽に出来るものだと信じているのか、いわゆる「食えない」人間が多くて 困ります。
本当に自己批判出来るようになったときには、法律を成立させる場合にも、試行期間を設けて充分リサーチを行い、削ったり足したりした上で成立させるという 枠組みが出来上がると思います。完全なものを机上で成立させることは出来ないことを知っているかどうかということを言いたいわけですが。
 現在の立場を利用して、何でも人のせいにして進歩の無い日本人に、自己批判の素晴らしさ、必要性を説いていただけたらと思います。ただし普通の人は被害妄想僻があるので強く言いすぎると、多数決論理で否定されるのが難点ですが。【四国在住・ソフトウェア企業経営】
 ●会社を創る目的は社会福祉から考えるべきだ
 私はネットワークエンジニアです。貴殿のコラムを拝見し、感心しました。 なぜならマスコミの当事者が自ら反省するようなコラムは見たことが無かったからです。 あるマスコミ会社が失敗すると他社が一斉に攻撃する場面はよく見ますが、まるでいじめの構造そのものという感じです。
 さて、貴殿が説明された公正に意見を取り入れていないという点については、よく感じます。それは反対に話す側にもあるのではないでしょうか。 会社で高い役職を得た人が、一般論について話すときあなたがたより私のほうが勝れているという意識を持って、時には神の声のように話す人がいます。 私は役職は会社内だけで通用する職階であって、一般社会ではすべての人が平等の立場であるべきであると言い聞かせています。 なかなか偏見を完全に取り去ることは難しいのですが。 私は仕事柄海外で仕事をしますが、海外へ行くまでは国によっての偏見がありました。 しかし、現地の人と一緒に仕事をしますと全くの偏見であったことが思い知らされ、自分の心の狭さに恥ずかしさを感じました。 どの人も一生懸命仲間として働いてくれます。 上でもなければ下でもありません。
さて、話はMKタクシーに戻りますがMKタクシーの社長は「損して得をとる」とか、「儲けは後からついてくる」という大阪商法?を実践していますね。 経営戦略の中心は消費者にあることを忘れずにいますね。 やはり会社を創る目的は社会福祉から考えるべきであるということですね。 上場企業でも国民を泣かせていれば意味がありません。
 だらだらと取り止めも無く書いてしまいました。 貴殿の貴重な時間を取ってしまい申し訳ございませんでした。久しぶりに貴殿のコラムで、新鮮な空気を感じましたので。また新鮮な空気のあるコラムをお願いします。【通信機器輸入商社】
大学を京都で過ごしていた関係で、MKという言葉には人並み以上に敏感なつもりです。東京へ進出したときも話題にはなりましたが、「サービスと言う本質的 な部分が根本的に違うのだ」と言うことを認識している人がどれだけ居るでしょうか?最近は京都にもご無沙汰していますので、確かではないかもしれません が、以下はその一例だと思います。 都会ではタクシーを電話で呼ぶと、配車された車はその時点で迎車の表示をすると同時に初乗り料金を超えない範囲で料金が既に計上されています。都市に住ん でいる人間はこれが当たり前だと思い込んでいますが、田舎へ行くと「都会の常識は田舎の非常識」であることを思い知らされます。つまり、例え電話で呼んで も迎車料金はなく、実際に乗り込んで始めてメーターを倒すわけです。これと同じ事をMKは以前から行っているのです (正確にはその当時行っていたわけで、現在は?)。例え雨の日のターミナルで空車待ちのタクシーが無くても、10円玉1つで迎えてくれるMKはその当時も 非常に人気がありました。また、MK本社(確か上賀茂にある)では食堂がバイキング方式で、だれでもいつでも安く食べられるということで、特に学生には人 気がありました。 本文にはオーナーが韓国出身である云々、とありましたが、サービスに日本人も米国人も韓国人も無いと思います。自分の与えられた立場でどれだけやれるか、 与えられなければ自分で掴み取って行く、このような前向きな精神が共感を覚える原動力となっているのではないのでしょうか?ノーベル賞受賞者やユニークな 考えを排出した京都という土地柄が関係しているのかどうかは判りませんが、これからも革新が常識となるようにがんばって頂きたいものである。 【三菱電機勤務】

 たいへん興味深く読ませてもらいました。確かに、マスコミの報道は偏っていると思います。私は、京都に行くたびにに、ほぼ毎回MKタクシーを利用してい ます。私は千葉に住んでいますが、もっともまともな個人タクシーでさえも、MKのようにいつも気持ちよくのれるとは限らないのです。本当のサービスと は・・と考えさせられました。そして、どうしてあんなことが、企業内教育としてできるのかが、いまでも疑問です。そういう点こそ、取材されるべきポイント でしょう。これからも、このような記事をもっと載せて欲しいと思います。マスコミの力は大きいのですから、常に自分自身を律する気持ちが必要と思います。 【千葉在住】

 貴殿のコラム、大変興味深く拝見しました。私も、最近考えていることなんですが、「○○」 = 「△△」 という見方しかできない人が多くなってきている様に思います。「見方が狭い、創造性がない」 と言ってしまえばそれまでですが、私も含めて、固定観念というものが人の言動に多々影響しているんでしょう。その「固定観念」がクセモノですが、マスコミ から受けるものも多く、そのマスコミも、やはり「人」が動かしている・・・・となると、結局各々が気を付けないといけないということでしょうか。それで も、マスコミの一個人としての貴殿の意見、嬉しく思いました。これからも、精力的にがんばって下さい。【SNOOPY】

 「MKタクシー」の記事を読ませてもらいました。マスコミの傲慢さみたいなものが、鼻についていましたが、こういう記事に出会って何か新鮮な感じがしま す。マスコミは、「スポーツマンは、さわやかで、明るくて、いつも笑顔で。」といったような決め込みがあって、釈然としないことがよくありました。一種の 類型化とでもいうんでしょうか。・・・だから、マスコミっていうんでしょうね。マスでないコミを求めている人も、結構いると思います。マスコミを苦々しく 思っている人も。私は、こういう記事をもっと読ませてもらいたいと思っています。【パソコン教室経営】

 MKタクシーの話興味深く思いました。共同通信社の方が非を認められるとはこれだけ影響力が大きくなれば、その気になれば世界を動かすこと出来ます。新しい、世界の未来の向かって頑張ってください。【九州の若造】

 MKタクシ-について」拝読させていただきました。上記の件で一言。「お役所と業界が青木さんの革新性を阻んできたのだと思っていたら、マスコミもそのひとつだったというのである。1994年、MKの値下げタクシーが走り出す前のことである。・・・・」
 私が思うに、青木社長の心の底辺にあるのは。韓国人であるため、人種差別を受けてきて、又、受けつつあると言うことを、事あるごとに、全面に出してこら れる点と、数の論理すなわち、MKタクシ-の陰で個人タクシ-が相当数泣かされてきた現実が、有るという事だと思います。MKタクシ-は関西では 過去に随分とマスコミに取り上げてこられました。
 一般社会に問題提起をしつつ、それが無料の自社広告の役目を果たして、どんどんと車両台数が増えてきている。貴方は京都で個人タクシ-に乗車されました でしょうか?私は個人タクシ-の崇拝者でも、親戚に個人タクシ-を営業している者が居るわけでは無いのですが、 大が小を飲む構図に些か異を唱える者です。(尋常な勝負だったらいいのですが)個人タクシ-の認可を得るのにどのような苦労があるかご存じですか?私は貴 方がそのような事をご理解されて、執筆されたとは到底思われず、他方そのような方の言い分もお聞きになるようお勧めいたします。青木社長も従業員教育には 相当ご苦労はされたとお聞きしました。
 タクシ-業界の質を上げるのに今でも御苦労されているのは、理解しておりますが、乗車場所の奪い合い(縄張り争い)や事故が起こりそうな、顧客の奪い合 い(MKタクシ-同士)も有るのが現実です。他のマスコミ人はまだまだ問題が多いMKタクシ-を書かない(目)や(耳)を持っていると思います。青木社長 は今やMKタクシ-の顔です。その顔(パフォ-マンス)にあまり惑わされないよう望みます。1994年以前よりテレビを含めマスコミには随分ご登場されて おりますよ。ですから今では・・・あ又か・・マスコミに向けたパフォ-マンスかと思います。これからも頑張って下さい。又もっと別な視点で捕らえて下さ い。【名古屋在住】

 MKタクシーの記事拝読、青木氏に同感、記者の皆さんも烏合の衆になって派手な記事ばかり追わずに、少し熱を冷まして世の中を見てほしいですね。こうゆう記事大歓迎です【京都在住】

 MKタクシーの記事に共感しました。マスコミ記者の体質を反省されたうえで、柔軟な個人としてのものの見方をされた記事だと感じました。しかし、あなた のような方は本当に少ないだろうなとの感想も持ちました。いや、そういう記者の記事があまり表に出されない現実があるのではと考えました。天皇制や原発や スポンサーとしての大企業に立ち向かう記者が少しずつでも出てきてほしいと願っています。私は小さな名もなき存在ですが、私個人としての意見は相手が誰で あれ、きちんと言い続けたいと思っているひとりのつもりです。【大分県在住】

 伴様毎度、考えさせる記事楽しく拝見させて頂いております。MKタクシーの記事は小生もなぜ、TVとか雑誌が大きく取り上げないのか不思議に感じており ました。実際東京で他のタクシー運転手にMKのことを聞いてみても返答は"あそこは運転手がきついみたいだ"や"歩合性で事故が多発するよ"など、まあ新 規参入の会社なので否定的な答えが多いとは思っておりましたが、他の会社の運転手も記事のマスコミのインタビューと同レベルの感じがしました。小生の考え では、やはり革新、革命的なことを行うと日本ではかなり風当たりが強く、マスコミを含めそのことで、不利益になる方や保守的な方はかなり反発すると思いま す。たとえそれがお客様や消費者の為であっても自己利益の為には大義名分を掲げて革新なことに反発するのでしょう。困ったものです。それに関わらず、無冠 の帝王といわれる記者の方まで公平な意見や記事が書けないとなると、マスコミに躍らされる国民が多い日本の将来は暗いでしょう。そうならない為にも伴様を 始め記者の方々の真実、事実に基いたペンに小生期待しております。【msnのkazuya】

 今、42歳で、学生時代を京都で過ごしました。当時の貧乏学生の私が、タクシーに乗った時に、MKのドライバーが実に爽やかな挨拶をしてくれました。し かも 帽子をとって。それからタクシーは、何となくMKを捜して乗るようになりました。最近、MK社長の講演テープを聞いて、社員に対する思いや、「乗車 時に挨拶をしないドライバーには料金を支払わないで結構です。」との車内表示をしたことなど知って感銘しました。なお、MKとは、当時 人気絶頂だったピ ンクレディーのミーとケイの略でMKとしたと冗談でドライバーから聞きました。(本当の理由もその後教えてもらいましたが)【元京都在住】

   MKタクシーは、良い点、悪い点あるとおもいます。良い点: 料金は確かにいまは、安いですが、一時期値上げしてある一定距離を走ると普通のタクシーと変わらない時期もありました。都タクシーと言うタクシー会社が一 番安い料金にした為、MKタクシーも再値下げで安くなりました。しかし、 MKタクシーがタクシー料金は値下げが出来ると言う先鞭をつけたから、都タクシーも値下げに踏み切れたので有り、その点で非常にMKタクシーは評価でき る。また、タクシーの運転手は質が悪いと言うイメージを社員教育によて改善した点も評価出来る。従来は、雲助的イメージが強かった。
 悪い点: 事故を起こした時の処理は、 従来のタクシー会社の手法で非常に評判が悪い。自分のところの車が悪くても保証になかなか応じない、悪くすれば居直るようなことが往々にしてあると良くききます。この点は、MKタクシーも反省すべきだとおもいます。
 総合的に見れば利用者としては、 イメージは良いタクシー会社です。今後とも奢らずに(見せかけの料金の安さなどで一時は奢りがあったと思います)改善すべき点は改善して何時までも業界の 革新児でいて欲しい会社です。社長が韓国出身であると言うことは京都では有名ですが、彼の業界に対する功績(業界の人はそうとは思っていないでしょうが) と何ら関係無いと思います。【京都市上賀茂在住】

 1年半ほど仕事で京都に週一回出張していたころがあります。MKタクシーの話はタクシーの運転手などからよく聞きました。多くの評価は、あれは韓国だか ら・・・。たまに乗るMKタクシーのしつけの良さに感心した。価格破壊にマスコミが乗ってこないのは、記者が無知なため、というのは衝撃的だ。こんな記事 をどんどん載せないと日本はよくならない。【Asnew Systems Inc.】

 とっても興味深い記事でした。私は最近日本の閉鎖性の大部分にマスコミの弊害によるものがあると思っていましたのでこの記事は図らずも別の面から説明し てくれたように思います。日本のマスコミはいつからこんなにでたらめになったのかと思っていましたら、この前(2ヶ月ほど前)戦前の新聞の縮尺版を故郷の (北九州市)の図書館で見ていましたら5.15事件の朝日新聞の記事が目に留まりましてしげしげと読んでいましたらそのでたらめぶりにあきれました。朝日 の記事は海軍の反乱将校にとっても同情的なのです。日本のマスコミのでたらめぶりは戦前から筋金入りである事が分かってってびっくりしました。最近では神 戸の14歳の少年の顔写真をのせた写真週刊誌の販売ボイコットにマスコミ各紙が深く関わっていた事などあきれて物も言えないほどでした。政治、経済活、人 権に対する普遍的な常識にひどく欠けているようです。【韓国釜山市在住】


1998年05月14日(木)  萬晩報主宰 伴 武澄 


 19世紀の後半のアメリカは現代社会の利便性を生み出す多くの発見があった時代である。斬新なアイデアと新たな発想が多くの企業を生んだ。。最近取材し た会社の中からNCRとアンハイザー・ブッシュを紹介したい。NCRは機械の名称であり、アンハイザー・ブッシュは創業者の名前である。 

  ●氷詰め貨車で全米ブランドを勝ち取ったバドワイザー 
 ナショナルブランドのビールが生まれたのはほんの100年前である。日本では地ビールブームだが、100年前までビールは地ビールしかなかっ た。日本で多くの地酒があるように、ヨーロッパでは数え切れない数のビールメーカーがある。アサヒビールは鮮度をアピールしてシェアを伸ばしたが、もとも とビールは蒸留酒と違って造ってすぐに飲むのが常識なのだ。 

  この常識を打ち破ったのが世界一のビールメーカーとなったアンハイザー・ブッシュ社だった。1850年代のアメリカはまだ カウボーイが全盛で、鉄道は敷設されて間もなかった。E・アンハイザーはそのころミシシッピー州セントルイス市で始めた石鹸製造事業で大成功を収めてい た。ところが仲間と融資していた市内のビール工場が破産し、一番多くお金を貸していたアンハイザーが他の債権者の債権を買い取らされた。 

  嫌々ながらビール工場経営を継承したアンハイザーは幸運にもA・ブッシュという助っ人を得た。娘と結婚したブッシュはビー ル職人だったのである。若きブッシュは「全米の人々に飲まれるビール」を夢描いた。ブランドは故郷のチェコのボヘミアにあったビールにあやかって「バドワ イザー」と命名した。 

  当時、ビールに全国ブランドはなく、ビールといえば地ビールだった。冷蔵技術がなく、長距離の輸送に適しなかったためだ。 そんな中、「鉄道沿いに氷貯蔵庫を作り、貨車を冷やす」という常識破りのアイデアを思いついた。立て続けに大陸横断鉄道沿線の駅前の土地を取得し、氷貯蔵 庫を建設していった。 

  氷詰め貨車で野菜を西部から東部へ運ぼうとして失敗した話がシュタインベックの小説「エデンの東」に出てくるが、20世紀に入り第一次大戦が始まる頃の話である。ブッシュはその50年も前にビールで氷詰輸送に成功していた。 

  次いで低温殺菌で発酵を止める技術も開発した。これでビールは常温でも長期間の保存が可能となった。だれも思いつかなかった発想がバドワイザーを世界に広げる第一歩となった。 

  10年ほど前の中国で冷たいビールは大都市の高級ホテルでしか飲めなかった。中国では長くビールを冷やして飲む習慣がな かった。というより冷やす設備もなかった。しかし、いまは違う。家庭にまで冷蔵庫が普及して、だれもが冷たいビールを飲めるようになった。だからビールの 消費量が爆発的の伸びている。 

  ●世界の店舗近代化はチーンという音から始まった 
 National Cash Register(NCR)は、アメリカでのコンピューターの草分け的存在である。日本進出も早かった。70年も前から子会社を設立、外資系企業として初 めて東京証券取引所に上場した。社名は日本金銭登録機、日本ナショナル金銭登録機、日本NCR、AT&T情報システムと変遷を重ね、1996年4月からは 再び日本NCRに戻った。 

  この日本での社名の変遷がNCRという企業の変遷を物語っている。現在のコンピューターの原形は計算機だが、真空管もトランジスタも存在しなかった時代は機械式の計算機があった。NCRこそはそのキャッシュレジスターの元祖だった。 

  オハイオ州デイトン市の石炭商だったパターソン氏の創業譚は興味深い。1884年、町のサルーン経営者が発明した簡易レジに着目したのが事業の起こり。チーンと音の出る手動レジはいまは見ることもなくなったが、20年くらい前には日本でも店舗の定番品だった。 

  当時多くのサルーン経営者の悩みは、店の酒はどんどんはけているのに一向に売り上げが伸びなかったことだった。この経営者 はある日、従業員が売り上げ金をちょろまかしていた事実をつかんだ。この経営者が偉かったのは従業員を追及せず、店の金銭の取り扱い方法に欠陥があったと 自責したことだった。 

  「入金する度にチーンと音が出るようにしたら注意喚起になるのではないか」というひらめきからさっそく簡易レジを改造した。ウイスキーが売れる度にチーンと鳴るので入金状況が分かり、従業員による不正は大幅に減少した。 

  音が出なければパターソン氏の目に留まることもなく、音付きレジの量産はなかったに違いない。チーンという音はコロンブス の卵だった。パターソン氏が量産したレジは売り上げ金の把握で悩んでいた全米の店舗経営者の間に瞬く間に普及した。チーンという音から世界中の店舗管理の 近代化が始まったといっても言い過ぎでない。 

  実はカード式コンピューターを発明してIBMの礎を築いた人物こそが、NCRの創業時の社員の一人だったワトソン氏なのである。1884年、デイトンのサルーンでチーンという音がしなかったら、コンピューターも生まれなかったといえば、言い過ぎだろうか。 

  ちなみに1972年、世界で最初にオンラインCD(現金支払機)を銀行の店舗に設置したのは日本である。そしてシステムを製造したのは日本NCRだった。少なくとも25年前の日本の頭脳は健全だったようだ。 


1998年05月11日(月)萬晩報主宰 伴 武澄


 4月13日、14日付けの「「ドメ」が誇りだった日本のエリート官僚たち」と「 ボーダーレス時代の日本人の"保身術"」を切実な哀愁を感じつつ読んだというチューリッヒ在住のSさんからメールをもらった。気の利いたコメントというよりは、現在の官僚論を理解する上で興味ある素材を提供してくれた。以下その概略を紹介する。

 今から10数年前、当時西ドイツのある大学に通っていた。ちょうど日本から派遣留学という形で経済法を研修しに来ていたある中央官庁の典型的なキャリアと同窓の仲になった。

 その彼がある日打ち明けた。

 「Sさん、私はこちらへ来てみてはじめて学問をする、という経験を味わっているのですよ。東大の法学部にいたころは、私は自分ではずいぶん勉強しているつもりだったのですが、あれは単なる受験勉強の延長に過ぎなかったのですね。」

 「法令や判例をひたすら丸暗記するというやりかたしか知らなかったのです。そこへゆくと、こちらでは法律の対象となる現実社会の事柄と、それに相応すべ き法理のありかたについて、理詰めで議論しているでしょう。こういう真摯な議論ができて、ちょっとした昂揚感の幸せに浸ってます」

 霞ヶ関のキャリア官僚は入省して5年以内には、海外の大学に2年程度、"遊学"する機会が与えられる。あるいは大使館勤務になる。彼らはそれまでに霞ヶ 関でしか通用しない「官僚語」を徹底的にたたき込まれる。官僚語に精通した真面目な官僚は、海外遊学で大きな壁にぶつかる。論理的に骨太で明晰な訓練を受 けているヨーロッパの官僚達の世界に馴染んでしまうと、日本の土壌からは離反せざるをえないのだ。

 ●欧州で誕生した最小自治体優先説という概念
 Sさんによると、EU統合にともなう過程で、日本ではまだあまり理解されていない「subsidiary principle」という考え方が、欧州の官僚達の世界では共通の了解基盤になっている。

 日本では「最小自治体優先説」というふうに訳されている。要するに案件に応じてその立法、行政の審級を市町村にするか、州にするか、国あるいは連邦にす るか、さらには国境にまたがる一定の地域連合とするか、あるいはEU連合の立法とするか、さらに国連レベルの条約化をめざすべきかということについて検討 するという政策手法だ。

 こうした考え方は何よりも「国益」を優先しなければならないという日本の官庁の考え方とは異質だ。アメリカも「national interest=国益」優先だが、そもそも国内に50の州がそれぞれ独自性を保っている。いま世界の求心力は国家という単位よりも、もう少し小さい州と か自治体に向かっているのは間違いない。

 今ヨーロッパで「国益」という言葉を声高に主張できるのは極右団体に限られている。「国民」という言葉でさえあまり好まれないらしい。

 「ある小さな独仏のレセプションでドイツの元外相、ゲンシャー氏が『ドイッチェ・ビュルガー(ドイツ市民)』と言ったのを通訳がフランス語で『ナシオ ン・ド・アルマーニュ(ドイツの国民)』と訳し、ゲンシャー氏自らが『君、ナシオンじゃないよ、シトワイアン(市民)だよ、シトワイアン』と訂正していた のが印象的だった」という。

 日本が過去のほころびをつくろっている間にヨーロッパの政治・経済もまた大きく旋回している。官僚が海外遊学を単なる箔付けと考えているなら、こんな制度は税金の無駄でしかない。


1998年05月10日(日)  高名 芳夫


 ●よみがえった千枚田が投げかける日本的システムの課題
 4月26日付け読売新聞朝刊に「よみがえる千枚田」という記事が記載されていた。和歌山県の千枚田「蘭島(あらぎじま)」が4年ぶりに美しい水田風景を 取り戻す。農道が整備されていないために一部農家が耕作を中断していたが、町が農道建設を約束、一斉に田植えをすることになった。以前、「蘭島」は「美し い日本のむら景観コンテスト」で農水大臣賞に選ばれたことがあった、という内容である。

 伝統文化はその時代的背景の中で必然性によって生じたものであり、ほとんどは生産手段の遅れや貧富の差の激しい身分制度が前提で存在していた。本来は学 術的な価値しかなく、博物館や趣味の世界で維持されるべきである。採算性を重視しなければ社会の中に差別や閉鎖的な制度を残すばかりでなく、社会全体の非 効率を招く結果になるからだ。

 社会的にはすべての伝統的な風景や文化は「大切にしなければならない面」と「捨てなければならない面」の二面性を持っている。

 捨てなければならない面は、社会の近代化、効率化を阻害するからだ。大切にしなければならない理由は、過去の経験や知識を活かすためである。博物館で保存しなければならないのは、現時点での取捨選択の判断に誤りがある場合の保険のようなものである。

 伝統的文化の保存を訴える人は多いが、個人的な趣味や道楽の段階に留めるべきで、感傷的な理由や好悪の感情で、社会的に訴えるべきではない。

 日本に比べ、欧米に伝統的な風景や文化が色濃く残っているのは、この原則が守られており、守れる社会的なシステムがあるからだ。社会的にも市場経済の原 則が進んで、採算性をリーズナブルに判定できる経済システムがあり、個人的な努力が可能な税制(税率や寄付控除)がある。日本で「千枚田」を残すのにはそ こまで議論を深める必要がある。

 ●日本が失いアメリカに残る"木を割る"発想
 日本は木の文化を持つ国といわれている。日本の伝統的な技術に木を割る技術がある。鋸が世界的に普及したのは10世紀だが、日本では木を割る技術があったため、13世紀になるまで鋸の普及が遅れたという説もある。

 木を割る技術の特徴は、細胞である導管を切断せずに木を加工することで、耐水性が良くなることである。現代日本ではこの技術は既に過去のものとなってい るが、アメリカでは未だに残っている。林業の盛んな西海岸のカスケード地方では、ほとんどの家が屋根の瓦に木を使っている。割った木だから屋根に使えるの である。大きな鉈状のものをフライホイールで上下させ、短く輪切りにした丸太を手で動かしながら割っている。

 アメリカの製材所は日本に比べ規模が大きく、機械化が進んである。一方で手工業的な生産も存在できる環境がある。採算を可能にする柔軟で合理的な社会システムがそれを可能にしている。

 製材所の規模の大きさと機械化で、一見無駄な木の加工をしているように感じるが、建築のシステム化や残材や鋸屑を有効に使うことで、全体の歩留まり率は日本の倍以上である。残材や鋸屑は製紙チップや圧縮した人工木材の原料、腐葉土の原料として使われている。

 日本で植木鉢に使われている松の皮は、腐葉土にされたチップのうち、一番腐食が遅い皮が花壇の表面に残る装飾的な特色を真似するためにわざわざアメリカから輸入し、使っているのである。

 無駄を無くした結果の装飾性と、装飾のためだけのクズを輸入する社会の差が、現在の日米の風景や経済の違いを表している。

 国民の感情や意識だけで伝統的文化や風景が残るのではない。必要なのは国家的な政策や予算措置ではなく、合理性のある選択が可能な社会システムそのものである。


1998年05月09日(土)萬晩報主宰 伴 武澄


 1998年05月04日号「ペットボトルで毎年1兆円を捨ててきた日本人に 寄せられた感想を掲載します。ペッボトルの価格があまりにも高いのに驚きの声が高かったのとアメリカ在住の方からは「コラムに書いてあったような売り方は 見たことがない」という指摘もありました。アメリカの一部での経験を強調しすぎていたきらいがあり反省していますが、考える素材として受け止めていただけ たらと思います。筆者の了解を取っていないので仮名にしました。あしからず。ありがとうございました。【萬晩報主宰 伴 武澄】


 近所に酒造り屋さんと醤油造り屋さん、味噌屋さんがあります。当然、そここから買います。空き瓶は、返します。一瓶5円貰っています。65-75円には驚愕です。しかし、返していただけでも、満足です。金の問題ではないことを知りました。
 この問題を夕食の話題にしました。95歳の母と、56歳の妻が言いました。「いいじゃないの。国民の金が回転しているのだから」
 田舎でも、県庁でも、失業者急増です。予防注射で、感じます。疑問と質問を抜きにして、攻撃する現代日本人。頑張ってください。祭りの連続です。私の肝、膵、及び脳味噌が憤怒しています。【鳥取県・医者】
 では、どうしたらペットボトルが減るか?やはり徹底的に法律で取り締まるしか方法がないのでは?日本人のモラルに訴えても限界があると思います。タバコ のポイ捨てしかりちっとも減っていません。ペットボトルメーカが今後どのような対応をするつもりなのかも聞きたいと思います。久日ぶりにMag2で興味が ある話題を読まさせて頂ました。【Shige】
 昔、私の叔母の家は、味噌・醤油・油を量り売りしていました。醤油ダルの下の栓をぬくと、「とくとくとく」となんて言うのか忘れましたが、継ぎ口のある 土鍋の小さいもののような器にとって、ビンに入れていました。あと油は、今ならさしずめかき氷の蜜を計るような金属の杓?ですくって、じょうごをビンに付 けていれていました。
 そんな私も、今は昔。おとぎばなしのように、そんな光景を感じるようになりました。本当はそんな光景を日常のものととらえる環境があれば、ゴミも環境も資源も変化したと思います。消費生活に慣れてしまったつけは、いろんな所に出ているんですね。ダイオキシンしかり。
 難しい事は解りませんが、外国では化粧品も一度購入した瓶を持参して店頭で詰めてもらえるとの事。化粧品の瓶ってオシャレすぎて無駄なんですよね。でも 最近業界も着目してくれていますね。まず洗剤・柔軟剤・シャンプー・リンス・台所洗剤など詰め替え用のものが増えてきました。嬉しい限りです。私は極力詰 め替え用を買って、無駄なプラスチック容器をゴミにしない様にとそれだけはがんばっています。
報道の専門家の方に、なんか主婦のなれない戯言の様ですが、こんなお話を正式な形で伝える場に巡り合え、嬉しく思っています。後は 国がこんな主婦の多い事を理解してもらい、流れを作っていただきたいと思います。読んでいただけて、光栄です。ありがとうございました。【大津市・主婦】
 「アメリカで容器持ち込みでジュースが買える」とのことですが、私はアメリカに住んで9年近くになりますが、そのような光景は見たことがありません。小 さな田舎町や大きな都市など様々な所に住み、旅行などで西から東までいろいろな州にも行き、行き先では必ずスーパーマーケットに立ち寄りますが、見たこと はないです。
 私が見る限りでは、プラスチック容器を何回も使う人はアメリカでは少ないと思います。リサイクル活動も日本ほど浸透しているようには思えません。実際、 地方の町ではリサイクルは存在しません。伴様の記事にも書かれていたようにアメリカでは「モノが安いので」使い捨ては当然といった感じです。それから今の アメリカ人の世代では、日本の戦後のように物がない時代を経験した人は少ないということもあるのでしょう。
 私は、日本のリサイクルにかける情熱は素晴らしいと常々感心していたのですが...。ペットボトルのコストが問題であれば、ビール瓶のように全部グラスにし て、回収してまたつめ直すということはできないのでしょうか。いずれにしても、日本はリサイクルに関してはアメリカよりもよく頑張っていると思います。 【在米9年女性】
 私はISU(Iowa State University)に通っています。MNSで送られてきた伴さんの記事を大変楽しく読ませていただきました。まさか1.5リットルのボトルがそんなに コストが高いとは知りませんでした。ここアイオワでは缶もペットボトルも買い物のときに5セント取られその代わり、リファンドをするとお金が返ってくるし くみになっていますが初めて聞いたときには感動しました。私も貯めに貯めてからリファンドをすると$11位になります。だから皆、ごみ箱に捨てず私のよう にしているようです。また、大学を歩いていると低所得者の人がわざわざごみ箱から拾って生活費にしているのでリサイクル率は抜群だと思います。【アイオワ 州・学生】
 読んでてとてもうれしく思いました。でも、そう思える人たちが何人いるのでしょうか。ことあれば、すぐに魔女狩りを行うマスコミ。それを見て、喜び勇む 視聴者。自己責任を失い、何かが生じれば、すぐに国や自治体、学校等に責任を押し付ける我が国民は一体如何してしまったのか? 金儲け主義に走る弁護士の 餌食になってしまうことも解らずに・・・。これからも、頑張ってください。【Ken】
 本文の内容ではなくて恐縮なんですが、書き出しの部分です。「モノは日本の半分の価格だった。」。確かに、半分の価格のものもありますが、そうでないも のもあります。逆に高いものもあります。私も日本に居た頃は、物価が安いイメージを持っていましたが、決して、一言で言えるような比較はできないと、今で は感じています。
 「プラスチック容器は何回でも使うもの...」「一部かもしれないがアメリカでは、容器持ち込みでジュースが買えるのに、日本ではペットボトルを収集し て、コストをかけてワイシャツに仕立て直している」「その彼我の違いが気になった」。どちらも、そのように感じられたと言うことで、私がとやかく言うこと ではないのですが、全体的にアメリカは、リサイクル先進国で、日本も考えなければならないのでは、というニュアンスに読めるところが、ちょっと引っかかる のです。
 私の住んでいるテキサスダラスは、ビン、カンの分別はおろか、台所のゴミと合わせて電池などもいっしょにして捨てています。全て、埋め立てるそうです。 資源保護の思想のかけらもありません。かたや、資源保護の教育として、カンを学校に持っていく日があったり、紙製品にはリサイクルマークがあったりして、 自然保護を訴えてます。
 私が、こっちに来て非常に感じることは、日本に居た時に持っていたアメリカのイメージとかなり違っているということです。これは、テレビや新聞、雑誌等 の断片的な情報で作られたイメージであったとつくづく考えさせらます。ぜひ、文章を書く方にお願いしたいことなのですが、たとえ本文とは直接関係ない内容 ではあっても、アメリカは良い、日本は見習うべきだと言ったニアンスの文章は、注意して欲しいと思います。断片的な「事実」は、それだけで決して「真実」 でないでしょうし、私のように、誤解したイメージをアメリカおよび日本に持ってしまうこともあるからです。決してアメリカの実態はひどいのだ、と言ってい るわけではありません。【在米6年】
 今の日本の問題点が、明確に読みやすく書いてあり読まさせて頂きました。客は「安くしろ」、ディスカウントは「量を売るから、協賛金を出せ」・・・。だ からメーカーは利益が出ない。僕はペットフードの業界にいますが、都市に近くなると、安いだけではもう売れません。これからの日本は、知識階級などの人た ちが日本の国籍を捨てる日が来るのでは?と恐怖を感じています。長年のつけを、清算しないといけない日が恐いです。いい記事を、もっと多くの人の目に留ま るようになる事を望んでいます。【funycats】
 貴重な情報がいっぱいのletterを楽しみに拝読しています。人々の日々の生活の変遷はその国の文化や歴史の重みと深く関わるものと考えます、日本は 戦後少し早く走り過ぎたのでしょう、物質的な豊かさの享受が当たり前の時代の育つ者が、精神的なそれを理解する土壌が少し痩せてきているのが気がかりで す。 【新座市】
 新聞・雑誌にはあまり出ない興味ある記事が掲載されるので、毎日楽しみにしています。時々、印刷して家のかみさんやこどもたち(高1、中1)と話題を共 有しています。これだけの質の記事を毎日、無料で配信できるのは申し訳ないと思います。将来、経営がもたなくなる前に有料制か広告収入か何かよい方法を考 案されて、ぜひ継続して下さい。ボランティアの継続は、いろいろしんどいことと推察します。
 価値のあるものに対価を払うことが、日本では当然となっていません。あらゆる所で、無駄使いがなされていることが、だんだんあらわになってきました。 「なくならない公共事業」、「ペットボトル2兆円」にも指摘された通り、無駄なダム、非効率な道路工事をはじめ、税金の無駄使い、高コスト体質は、あきれ ます。
 外見・肩書きではなく、中味そのものの本質で評価する目、心を養っていくことがこれから重要となってくるでしょう。「彼の容貌や背の高さを見てはならな い。私は彼を退けている。人が見るようには見ないからだ。人はうわべを見るが、主は心を見る。」旧約サムエル記1ー16:7【kf9t】
 記事を読みましてその通りだと思います。役所は、建前主義の中身なしで、国民のことよりも、紙の上での意味のない法律ばかりにとらわれていると思います。国民の為の法律に変える必要が有ると思います。【ym-66-0822】
 ペットボトルについては一消費者としては同じ意見ですが、厚生省に問題有りとするご意見には、やや疑問を感じます。(厚生省関係の人間ではありません) 食品というものを購入する場合のシステムを衛生を維持しながらどのように流通させるかという、どちらかというと流通革命を考えなければ本質が見えてこない ように思います。
 小生も食品製造販売をしておりますと、包材費にこれだけの費用をかける消費者側のメリットとは何だろうと考えさせられます。これはペットボトルに限らないと思います。
 その包材費は使い捨てなのか、何らかの2次、3次用途に役立っているか流通革命ではなく消費革命の方が必要なのかもしれませんね。  日本の官庁は、民間がやったことを後でなぞって管理することが得意で、明日の展望のために何かをするには、情報が少なく、実績も少ない。従って、こちらに頼るべきではないようです。【yb8s-knk】
 コラムを毎号興味深く読ませていただいています。読んでみて、そうだったのかと目から鱗が落ちることがあります。今後も期待していますので、がんばってください。【水戸市・弁護士】
 ペットボトルの話、興味深く読みました。数年前アメリカ西海岸に、仕事の関係で視察に行きましたが、日本とアメリカの流通コスト(人、物、情報)のあま りの違いに愕然としたことを思い出します。そして、その原因の多くが公共料金に代表される公的な管理システムのコストだということに気が付きました。アメ リカは賃金が下がっても物価がそれにスライドしてある程度下がりましたから、労働者の生活水準はそれほど下がりはしなかったでしょうが、日本の場合は公共 料金体系が物価を押し上げる方向に作用しています。公共料金とは本来、民間に任せると高い水準で推移しかねない各種サービスを低廉に国民に提供する目的で 設けられたもののはずです。少なくとも私は学校でそう習いました。
 とにかく、われわれ国民が自分のことはもっと自分たちでやるんだという気持にならなければだめなのでしょうね。それにしても、ペットボトルがそんなに高かったなんて、すこしも知りませんでした。【Kazuo】
 10年ほど前に、TVでオーストラリアのスーパーマーケットが紹介されたときお客さんたちがペットボトル持参でソフトドリンクを買っていたことを思い出しました。日本人が無駄に対する気持ちを今一度、行政から取り組んでもらいたいですね。【topfield】
 いつも刮目すべきご意見を拝聴しておりますが、とくに今回のテーマには大いに考えさせられ、ありがとうございました。今後ともよろしくお願い申しあげます。【fksm】
 ペットボトルの話は、本当に目からウロコという感じでした。「管理したがる官僚(おかみ)と、おかみに管理してもらいたがる国民」という国民性は、外国人から見ると、摩訶不思議に映るでしょうね。
 あちこち外国に行かれているのでしょうか?もしそうなら、どこが一番管理が少ない国でしょうか?つまり、個人の自己責任とかボランティアとかを尊重する国はどこでしょうか?個人的な印象でも結構ですから、一度ご意見伺いたいです。
これからも、このような「現代日本人にとって当たり前になっている事で、外国から見れば決して当たり前ではない」と言った話題をどんどん取り上げて下さい。楽しみにしています。【Yuko】
 「ペットボトルの値段だ。空の1.5リットル瓶はふた付きでなんと65-75円もするのだ。工場への卸売価格である」だそうですが、凄い値段ですね。フ ランスでは此の値段で1,5リットル入りペットボトルのコーラを買えます。(コカコーラではないですが)製造過程でのコストの問題も大きそうですね。【フ ランス在住】
 初めて記事を読ませて頂ました。生活に根ざした興味深い記事でした。今はハワイで生活をしていますが、これからも日本の抱える問題に目を向けて行きたいと思っております。購読が楽しみです。【ハワイ・Nae】
 まったく同感です。役所の規制を早く止めさせて、生活者の自己責任で、安上がりで楽しい生活を獲得しましょう。これからもこういう意見をマスコミが国に対してどんどん言ってくれることを望ます。【池田市・学生】
 驚きました。約一兆円もの無駄遣いをしていたなんてこの無駄遣いをなくすだけで、内需拡大につながるのではないでしょうか。ペットボトルに関わらず、考 えることの出来るものから、また、思いついた人から、こういったことをしていくべきではないでしょうか。人間楽を覚えると、ほんとにダメになってしまいま すね。【ORIENT】
 ペットボトルは本当に無駄ですね。今年、31歳になるものですが、むかし、醤油屋に量り売りで買いに行ったり、豆腐屋にボウルを持って、豆腐を買いに 行ったり、ジュースビンを集めて、お小遣い稼ぎをしたりしました。 ジュースが瓶に入って売っていた頃、缶ジュースがすごく、贅沢でもったいなく感じましたが、今ではその感覚をわすれていました。  日本人の経済構造の問題点ですね。無駄なミニペットボトルやほかにも、携帯電話なんかも、販売店への多額のインセンティブが端末が使い捨て状態で端末へ の過度のコストダウンが余儀なくされ、あげく、インセンティブのため、ドコモ以外は経営は青色吐息といったところでしょう。消費者も一見してお徳と見える が実は莫大な無駄を生み出していないかもっと、考え直すべきですね。そういった運動にもっと生活共同組合なんかがイニシアティブをとっていただきたいもの です。【kotaro】
 毎回、豊富な情報に驚き、感心して拝見しています。特に、ペットボトルは、秀逸なレポートでした。私たちのためになる規制緩和を、身近な例で具体的にか たられました。そうですね。たとえ、食中毒がでても、あそこの店は気を付けようという意識が、選択権を大切にする意識になり、お店も気をつける。そして、 なによりそういう地域の情報を得るためにも、身近な人との交流も盛んになり、情報を発信する媒体も多様になる。といいことばかりのように思います。それに しても1兆円とは、驚きました。これは、説得力があります。【ssgb】
 「ペットボトルで毎年1兆円を捨ててきた日本人」を読んで。指摘のとおり、日本ではゴミのリサイクルに世論や政策が集中し、肝心のゴミを減らす、物をそ のまま再利用するという、肝心なことが欠落しています。以前、ある大学教授の講演で、ヨーロッパでのペットボトルの利用回数(アメリカとは違いますが、 ビール瓶のように、メーカーが回収し、定められた回数まで再利用する。利用回数はボトルの底に傷をつけて管理している)を聞いて、日本のリサイクルのいび つさに気づきました。講演の要旨は次のようでした。
 1 真のリサイクルとは、モノをそのまま、再利用することに他ならない。形を変えるために、新たにエネルギーを消費すれば、新たに環境を破壊することになる。
 2 牛乳パックのリサイクルなどは、愚の骨頂である。牛乳パックには、高級なパルプを使用しており、そこから、再利用が不可能なトイレットペーパーを作る矛盾に気がつかなければならない。
 3 以前は、醤油にしろ、豆腐にしろ、容器は購入者が持参して いた。ところが、今では、メーカーが回収の手間を嫌がってか 再利用できない容器が多すぎる。恐らく、ビールメーカー以外 では何も考えていないのではないか。
 4 ヨーロッパでもペットボトルは使われているが、容器をガラス 瓶と同様に再利用している。その形態は、以前のガラス瓶と 同じく購入時にボトル代を 払い、回収時に返してもらうものである。これで資源が再利用されるだけでなく、ポイ捨ても減少し(確か、2リットルで50円程度だったと記憶しています) 消費者のリサイクルに対する、認識を日常的な物へ引き上げることができる。
 そして、何よりも、ゴミになるものを生み出さないことが、一番大事なことだと話されていたと思います。作ってしまったものを、焼却するなり、形を変えて リサイクルするためには、新たなエネルギーを必要とするし、完全にこの世から消し去ることはできないのだと。一番、人類が愚かだと感じるのは、自然界に無 いダイオキシンを生み出してしまったことだと。多少、シニカルな面も見うけられましたが、個人的には、大変、印象に残った講演でした。
 エコロジストではありませんが、世界中から資源を買いあさっている日本は、世界に先駆けて対策を取らなければならないはずなのにと、現状に暗澹たる気持 ちです。日常の生活で、できる限りの努力はしていますが、限度は自ずと見えてしまいます。日本人全員がこの問題を自分のことと受け止めない限り、打開策は 生まれないのかも知れません。今後とも、世界から孤立しかねない日本についての記事をお書きください。【redman_jt】
 以前のちょっと感想で、環境問題ならアルミ缶なんかより、ペットボトルを取り上げるべきだと書いたような覚えが有りますが、今回ペットボトルが取り上げられ、ふっふっふっふ、小生なかなかちゃんとした点を突いているじゃないかと1人悦に入っています。
 自己責任をもっと大切にしよう、という最後の意見に関して大いに賛成する部分が有ります。日本がこんなに規制規制の国になったのも、究極的には国民がそ れを望んだからというのが、もっとも大きな理由ではないでしょうか。あれだけ国の監督責任を問題にし、ことこまかなことまで国、地方公共団体に頼ってきた のだからここまで役人の権限が大きくなるのは当然という思いがします。
 国民である以上、国の役割といったものを考え続ける必要が有りますが、今までの政府の役割は親権者といっしょで、国民を保護し・指導する存在だったと思 うのですが、国とは一種の共済のようなものだとは考えられないのでしょうか。税金とは日本国民共済だと考えれば、国民が何か不利益を被った場合、共済掛け 金からその損害を補填するのは当然のことですし、これは監督責任とは関係なくなります。損害が補填されないとすれば掛け金を支払う意味は無くなるでしょ う。
 しかしその損害を未然に防ぐ、また防止する役割は誰に帰属するかといえば、それは立法府にあるのでしょう。損害の防止、抑制の方法が法律になるのですか ら。今の現状は立法府が機能していないため、法律を施行する人間が法律を作成しているところに、規制立国の原因があるんじゃないでしょうか。だから主張す る点は、立法府に調査機能を、と調査していない議員を職務怠慢の罪で追求しようです。【ちょっと感想】
 すばらしい。まったくそのとおりだと思います。何についてその通りかといえば、日本人一人一人が、ペットボトルやさまざまな資源問題について自覚しなけ れば行けない時期になってきているという点です。資源問題を含む環境問題は国が何とかしてくれる。という意識では、問題は解決されないし、いつものよう に、押し付け行政になってしまうでしょう。一人一人がもっと自覚すべきです。
 実は私も、行政に携わる人間です。県職員として仕事をはじめて6年目になります。毎日の仕事をこなしていて思うことは、これは誰のためにやっているのだ ろうかということです。県民の方々が問題意識を持ってどんどん文句を言ってくれない限り押し付け行政になります。制度は制定されてからが問題なのですか ら。
 ところでペットボトルの価格には驚きました。多分、この記事を読んだ方は皆さんそう思ったことでしょう。1.5リットルペットの問題が解決しないうちにミニペットの発売が解禁になりました。問題はそれを選ぶ消費者にあるのかな、なんて思ったりします。【行政マン】
 興味深く読みました。しかし、空の1.5リットル瓶が65-75円というのは、客観的な事実なのでしょうか。この値段は何を根拠にしているのでしょう か。もし、事実だとすれば、飲料水の小売価格のうち、半分近くはボトル代ということになってしまうと思うのですが、なぜこのようなことが、いままで消費者 に隠されてきたのでしょうか。いろいろと疑問が残ります。この点についてもう少し詳しい記事をお願いします。【Yoichi】
1998年05月07日(木)萬晩報主宰 伴 武澄


 京都市のMKタクシーの青木定雄オーナーに昨年会った。タクシー料金の値下げを実現して有名になった人である。お役所と業界が青木さんの革新性を阻んで きたのだと思っていたら、マスコミもそのひとつだったというのである。1994年、MKの値下げタクシーが走り出す前のことである。

 ●聞くことは『経営が成り立つのですか』ばかり
 「マスコミは『ホントにできるんですか』『経営が成り立つのですか』ってばかり聞くんです。業界団体でいろいろ聞いて来るんだろうけど、従業員の待遇が下がったり、事故が多発するんではないかというような否定的な質問しかしないんですよ」

 20数年の記者経験から、その光景が目に浮かぶようだった。すべてとはいわない。記者クラブで飼い慣らされたマスコミは、かなりの確度で役所とか業界団 体は公平で公正だと信じている。筆者もある時期まで信じてきた。信じないことには発表ものすら書けないことになる。MKの言い分はこうだった。

 「一割値下げしても、実車率が一割上がれば水揚げは変わらない。値上げの度に実車率が減少して、京都市の現在の乗車率は50%を切っている。MKはそれを60%にしようというのだから値下げしてもやっていける」

 県庁の役人や業界団体の専務理事が発言すれば、そのまま記事になる。しかし青木さんが言うと、記者はまた「ホントかな」と条件反射する。そりゃそうだ。 言葉は乱暴だが、青木さんはつい最近までタクシー業界のアウトローとしか見られてこなかった。役人がそう言い、業界団体が目の上のたんこぶと思ってきた。 そもそも主要なマスコミは取材にすら行かなかった。

 経営者も労働団体もそして、マスコミまでは「安売り=競争激化=質の低下=安全運転の低下」という論理を自然に受け入れた時代である。日本だけではな い。マスコミの習性は、騒ぎを増幅する一面も持っている。そしてみんなが行くところにみんなで行く。逆にだれかが行かないとだれも行かない。筆者もやって きたことだからあまり偉そうなことはいえない。

 ましてタクシー業界のコスト計算などは、特定の分野を長い年数担当した専門記者でないかぎりほとんど不可能。だから、結果として青木さんの言い分にマスコミはだれも耳を貸さなかったことになる。

 ●日本のタクシー業界はMKタクシーから変わる
 日本のタクシー業界はMKタクシーから変わるといっても間違いない。一律料金の打破には10年以上の年月がかかったが、1972年に「ありがとう運動」 を始めたお陰で、京都市のタクシーはだいたい愛想が良くなった。MKは先進的に障害者割引料金を導入した。観光タクシーでは英語を話す運転手も多い。修学 旅行にタクシー利用をすすめたのもMKだった。近く「路線タクシー」も京都の町に出現するだろう。

 ことしから東京でMKタクシーが走り出した。新しいタクシー業者の参入は何十年ぶりだという。値下げどころか、いままでは新規参入すら難しかったのだ が、実はそんな重大な問題をわれわれは長年にわたり報道してこなかった。問題意識すらなかったと言っていいのかもしれない。だが1990年代の規制緩和で 少しは流れが変わってきた。青木さんの主張が一つ一つだが政策として実現しつつある。

 インタビューの終わりに、青木オーナーは韓国出身であることを打ち明けた。終戦前に日本に渡り、苦学してガソリンスタンド経営に乗り出し、タクシー業界に進出した。MKの由来は経営していた「ミナミタクシー」と「桂タクシー」の頭文字を取った。

 多くの同僚にそんな話をした。「記者として食わず嫌いはだめだ」という意味を込めたつもりだった。どうもわれわれは考える座標軸を間違えてきたようだ。今日は自己反省のコラムになった。


1998年05月04日(月)萬晩報主宰 伴 武澄


 日米の二国間協議の取材で、ワシントンのホテルに10日間、滞在したことがある。ダイニングルーム付きの大きなスイートルームを格安で借りた。冷蔵庫もあったのでさっそく近くのスーパーに買い出しに行った。

 モノは日本の半分の価格だった。一番驚いたのが、フレッシュなオレンジジュースの販売方法だった。生のオレンジの山からジューサーに果物が落ち込み、下 の蛇口から容器に搾りたてのジュースを受け止める仕組みになっていた。プラスチック容器は持参したものでもよかったし、店内でも販売していた。

 プラスチック容器は何回でも使うものなのだということをあらためて知らされた。頭をよぎったのは子どものころのお手伝いの思い出である。

 「そうだ。子どものころ、酒屋では醤油を買うのにビンを持っていき、大きな樽から量り売りをしていた」

 中年の人ならば、みんな思い出があるだろう。

 そういえば、味噌もみりんも量り売り。とうふもナベを持参して入れてもらった。たまごは店頭で稲わらに詰まっていて、包み紙は古新聞だった。そんな時代 に戻せ、と言おうとしているのではない。アメリカで体験した容器の再利用は日本では逆方向に進んでいるのではないかと考えた。

 一部かもしれないがアメリカでは、容器持ち込みでジュースが買えるのに、日本ではペットボトルを収集して、コストをかけてワイシャツに仕立て直している。その彼我の違いが気になった。

 帰国後、しばらくして取材を通じてキッコーマンの人と親しくなった。醤油の量り売りの話をした。

 「むかし、醤油は酒屋で量り売りをしていましたよね。あれは復活できないのですか」
 「そうなんです。うちとしても検討したことがありました。でもだめだったんです」
 「だめになった理由はなんなんですか」
 「食品衛生法というの知っていますか。厚生省の管轄のやつです。生産現場での直売では量り売りが許されているのですが、キッコーマンのように工場で生産する場合、流通を何段階も経て商品が消費者に渡るでしょう。生産や出荷段階で食品衛生法の検査をパスしないと売れない」

 つまり、出荷後してから消費者の手に渡るまでの間にばい菌が入らないようにパックが必要だと言うことらしかった。厚生省という"潔癖"な官庁がつくった法律が量り売りの障害になっているというのだ。

 ●日本人が年間捨てているペットボトル代は1兆円を超える
 日本人のだれもまだ気付いていないと思うことを萬晩報が教えましょう。ペットボトルの値段だ。空の1.5リットル瓶はふた付きでなんと65-75円もするのだ。工場への卸売価格である。あんなもの10円かそこらだと考えていた人が多いにではないかと思う。

 これはキリン・ビバレッジとサントリーの人に聞いたからうそではない。われわれは年間、何本のペットボトルを捨てているのだろうか。そう考えるとペット ボトルは環境問題ではなく、コストの問題になる。毎日1本ずつ捨てているとすると、年間で365×60円としても約2万円を捨てている勘定だ。世帯数 4000万として、なんと8000億円にもなる。70円で計算すればゆうに1兆円を超える。

 いま盛んに議論している景気対策の減税額は2兆円である。たかが水やジュースの入れ物に日本人はこれだけのコストを支払っていることを実感しているだろうか。スーパーの安売りに殺到する主婦が一方で、こんな商品を平気で買い物かごに放り込んでいるのだ。

 話を戻す。国が国民の衛生まですべてを管理しようとするから食品衛生法などという法律が生まれた。そう考えるのはたやすい。でも国民もマスコミもいった ん事故があると「国の監督責任」を問うてきた。いま規制緩和が大流行だが、国に「管理せよ」「監督せよ」と迫ってきたのもわれわれなのである。そもそも官 僚は管理監督が大好きな人種だ。その官僚に管理監督をお願いしていたのがわれわれだったのだとしたら、国民もあまり偉そうなことはいえない。

 いま一番大切なことは、自己責任でしょう。戦争や天変地異のような異常状態にあっては国の出番があるのだが、日常の生活ぐらい、誰に責任を押しつけることもなく自らの手でやって行きましょうや。


1998年05月03日(日)八木 博 Hiroshi Yagi


 【シリコンバレー発】最近、Sunnyvaleのコンピューターショップが、移転大改装を行いました。Fry'sという名のお店で西海岸を中心に、コン ピュータービジネスを手広くやっています。安売りの評判も高いのですが私が見る限りでは、目玉商品以外は決して安くありません。ただ、品揃えは非常に豊富 で、秋葉原の部品屋さんの扱うようなコネクターなども揃えてあります。だから欲しい部品はたいていのものが揃います。

 移転大改装の前は、薄暗いあまりきれいではないお店でしたが、移転後は大きくなりしかも、店の中にコーヒーとサンドイッチショップがど真ん中に入っているのです。お店の中の食べ物屋さんと、ビジネスの関係をまとめてみたいと思います。

 ●コーヒーを飲みながら本が選べる
 私が今まで経験したお店で、扱っている品物が食べ物と関係ないのに食べ物が置かれているお店について、まとめてみます。まず、文房具やさんにはスナック が置いてあります。それから本屋さんとこのコンピューターショップには、コーヒーショップを兼ねた食べ物屋さんが入っています。

 あえて意味を見出すとすれば、文房具屋さんについては、事務の仕事をしながらスナックをつまむこともあるでしょうとか、本を読みながらコーヒーを飲むこ ともあるでしょう、という感じでしょうか。それにしても、本屋さんは意味を見出せますが、コンピューターショップで食事が出来てしまうなんて、ちょっとし た驚きです。

 私の良く行く本屋さんは、フロアの真ん中にStarbacks Coffeeが店を出しています。以前は床に座り込んで本を読んでいる人が沢山いましたが、最近ではCoffee Shopで席に座り、商品の本を読んでいる人も多いのです。

 人によっては、席からラップトップコンピューターの電源を取り、本を読みながらデータを打ち込んでいる人もいます。コーヒーを店の本にこぼしたらどうするのだろう、とか要らない心配までしつつ、私は様子を見ていました。

 しかし、店の人々も、悠々としてそれらを許容しています。ショップで読んでいた本は、必ずしも買われるわけではなく、このCoffee Shopがどれほど売り上げに貢献しているのか、不思議でなりません。

 ●本屋に必須となったいすとソファー
 しかし、このStarbacks Coffeeというコーヒー屋さんは、全米でも成長率の高いチェーンショップです。街中や、空港などいろいろなところで見掛けます。そこに立ち寄ったときに、ちょっと驚く光景がありました。

 単にコーヒーを売るのではなく、どうやらコーヒーを飲みながら、ゆったりとした時間を送ることをめざして、詩集や自社製の書籍を置いているのです。  これであれば、Coffee Shopから見て本屋さんは、目的の一致する相手になるわけです。では本屋さんから見たら、どうなるのでしょうか。これは、商売上の法則があって売上高 は、お客が店にどれだけ長く滞在するかによって影響を受けて、長いほど買い物額が増えるそうです。ですから、かなり前から、本屋さんにはいすや、ソファー が置かれていて、お客はそこで、書棚にある本を読み比べて、選択をすると言うものでした。

 たしかに、米国の本は決して安くありませんし、同じような内容のものが、数多く出ていることも事実です。その中で、比較をする必要性があるので、時間がかかりCoffee Shopなどの需要が発生してきているように思います。

 ●お客の囲い込みの新しい手法
 では、コンピューターショップと食べ物屋さんの関係は?これは、新しい問題です。たしかに広々した店で、パソコンなど買うと手押し車はとても重たくなり ます。それでもって、部品やソフトウェアや本などを買うと時間はかかる、しかも重たいものを押すのでおなかが減ってしまいます。これが、Shopの出てく る理由かなと言うことも考えています。

 しかし、食べ物好きの国民性があるとは言え、このようなコンピューターショップで食事までするのは、お客を放さない戦略と考えるべきでしょう。お店でショッピングをしているとおなかが減ります。

 それで、店の外へ出てしまうと、その日にはその店にはもう戻ってこないでしょう。そこで、昼食をとってもらう事によって、お客のおなかを満たしその後も 同じ店内で、安心して買い物をしてもらう手段と考えられます。そうすると、新しい形のお客の囲い込みが始まったのかもしれません。

 そいうえば、コンピューターショップには店の中央にスタインウェイのグランドピアノが置かれ、自動演奏と、人の演奏が交代で行われます。これも、店自身 が単なる物売りから、次の時代への流れを読みながら、対応しているように見えてきます。広いワンフロアの出口には、80台のレジの並ぶカウンターがありま す。

 そこでさえ、行列が出来る驚きと、そんなに沢山来ているお客を、更に引き止めようと言う、シリコンバレーの商人のやることに、少なからぬショックを受けました。


  1998年04月25日(土)  高名芳夫 Yoshio Takana


 萬晩報4月27日号「 カンボジアに3つ目の学校を建てたセカンドハンド 」へのメール

 ●課税される認定団体以外への寄付
 昔、東京郊外に住んでいたとき、有線テレビを普及させたら地域の活性化につながるかもしれないと、NPO方式に近い考え方で低料金でやろうとしたことがあります。

 無配を条件で出資者や実際に運営するボランティアに話しかけたのですが、計画だけで実行に移すことは断念しました。法的に不可能だったからです。

 日本のボランティア活動は基本的には脱法行為の積み重ねでしかできません。許される条件は成り立たないということです。上手くいって規模が大きくなり、 採算性が取れると資格(財団)が問題にされ、一般企業と同じ税制が適用されます。認定財団以外に寄付行為は認められず、贈与とされ、受ける側は税金を払 い、寄付する側は控除の対象になりません。

 ちなみに日本では学校や町会に対する寄付行為にも制限があります。寄付行為の制限が、高い税率を維持するための有効な手段のひとつにされているのです。 その裏に公的なことは個人的にやるべきではないという、個人の社会活動を規制する結果になる反民主的な原則があるのです。

 ●ボランティアまで管理したがる行政
 ボランティア活動ばかりではなく、メンバーシップ制のクラブでさえ、厳密にいえば日本では存在できません。イギリスのゴルフクラブが日本では会員権売買の対象にしかならないのも、制度に違いがあるからです。

 日本の社会では、一般国民は余計なことをするなというのが原則で、国民の政治参加の機会さえ失わせています。今回成立したNPO法案も、この原則が堅持 されていて、政治には口を出すなという結果になっています。一歩前進と評価する人もいますが、ボランティアまで行政の管理下に置かれる結果になる可能性の 方が強いような気がします。

 新田さんが日本の宝だという現実は悲しいことです。アメリカでは意思と能力さえあれば誰でも同じようなことが出来、実際に無数のNPO、NGOが存在し ています。優秀な成績で大学院を卒業した学生が、有意義な仕事がしたかったと言って、就職せずにNPOを設立した例もあります。給与の上限は法律で月収 3000ドルに決められているそうです。「先のことはわかりません、贅沢な生活がしたくなったら他の人に譲って止めるかもしれませんが、現在のところは満 足しています」と言っていました。

 ●制度に気負いがないアメリカ
 「気負い」が無いというのは精神安定上、必要な条件ですが、日本では個人の特性である要素が大きく、アメリカでは社会の制度が「気負い」を無くす役割をしています。

 何かをしようとして、役所に手続きをするのは、前例のあることなら簡単ですが、少し変わったことをしようとすると「気負わない」のは至難のことです。とても常人の出来ることではありません。

 脱法行為は日本では悪い評判が立てばとがめられますが、噂の対象にならなかったり、良い評判がある限り放置されているだけです。とがめられると言っても 法的に正当に処置されるのではなく、本来の問題とは別なことで役所から嫌がらせを受けつづけるのです。いずれにせよ。疲れる話です。


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