1997年9月アーカイブ

1997年9月21日 共同通信社経済部記者 伴 武澄

榎本武揚は1868年(明治元年)12月、函館(当時は箱館)の五稜郭に新政府を作った。

江戸城無血開城から五稜郭占拠
榎本武揚は、勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城が気に入らなかった幕臣を幕府の軍艦に乗せて、函館に乗り込み、五稜郭を占拠して徹底交戦に備えた。

清朝の中国平定に反発、台湾の台南に渡って清と最後まで戦った明の遺臣、テイ成功に似ていないこともない。が、いかんせん、戦力は弱すぎた。たった 2000人で薩長土肥に抵抗しようとした。それでも翌明治2年5月、明治新政府の総攻撃を受けて降伏するまで約6カ月立てこもった。明治政府の総大将は、 薩摩の黒田清隆である。明治22年の大日本国憲法が発布された時の内閣総理大臣である。

五稜郭は幕府が北の守りを固めるために作った最初で最後の西洋式城郭である。完成は1864年、オランダに築城の技術を学んだ伊予大洲藩士、武田斐三郎(あやさぶろう)が設計、指揮をとった。大阪の緒方洪庵の適塾に学び、江戸では佐久間象山の門下である。

話が余談にそれたようだ。どうでもいいことでもあるが、背景は知っていなければならない。問題は、榎本の五稜郭占拠の意図である。本当は、明治政府との徹 底交戦だけが、目的ではなかったという説が強い。後に北海道開拓やメキシコ移民に力を入れるように、当時の榎本にとって旧幕臣の生活の場をつくり出す必要 があった。

五稜郭に立てこもるうちに北海道を開拓して彼らの生きる場しようという考えが生まれても不思議ではない。しかも徳川家を再びまつり立てるのではなく、アメリカ合衆国にならって共和制の国家を樹立させようとしていたふしもないわけではない。

しかし、あくまでも推測にしかすぎない。日本から離脱して新しい国の枠組みをつくろうという事例をなんとか歴史の中から導き出そうとする作業のなかで、ふと、五稜郭占拠のことを思い浮かべた。

アメリカ大陸で相次ぐ国家建設
国家をつくろうなどという発想は、だれでもが思いつくものではない。政治が乱れ、経済が混乱に陥ったときは、だれでもが政府を作り替える必要性を説く。しかし、それはあくまでも同じ国家の枠組みの組み換えでしかない。

榎本が天才だったとは思わない。オランダ留学で学んだ経験が彼にそう考えさせたのだ。時はまさに欧米列強が帝国主義に入る直前だった。アメリカはその100年前に、英国から独立した。南米に渡ったスペインやポルトガルの子孫たちは中南米に相次いで独立国家を建設した。

現地人はいたのだが、ヨーロッパの移民たちは自分たちに都合のいい国家像を植民地という新世界に見いだした。19世紀の南北の米国大陸で進行していたのは、広大な空間に理想国家を形成する動きでもあったはず。

特にアメリカは、ドボルザークが「新世界」で表現したようにヨーロッパで適えられなかった夢を実現する場でもあった。われわれは、移民と難民とはまったく 違うことを知っておく必要があろう。ともに生まれ育った祖国を後にする点では同じだが、移民の場合は、目指すべき新天地が明確で、はっきりした意思があ る。

榎本は、そんなヨーロッパの新しい息吹をオランダ留学で感じ取っていたはずである。榎本の眼に映った北海道はまさに新生、日本にとっての「新世界」だったのではなかろうか。

選挙で選ばれた箱館共和国
榎本武揚が立てこもった五稜郭での攻防は多くのエピソードを残しているが、なかでも注目したいのは、総裁や閣僚を「入れ札」、つまり選挙で選んだことであ る。経緯は知らない。とにかく、世襲以外で自分たちの代表を選んぶ行為は、明治政府でも憲法発布まで22年の長い年月を待たなければならない。

だが、箱館では、明治元年に自分たちの代表を選挙で選ぶ集団があったことは注目に値することであろう。総裁選挙の結果は、榎本が115票でトップ、次点は松平太郎で14票しか入らなかった。その時「新共和国」が誕生した。

以下はその新政府閣僚である。(かっこ内は徳川幕府での最終肩書)

総裁榎本武揚(軍艦奉行)
副総裁 松平太郎(陸軍奉行並)
海軍奉行 荒井郁之助(海軍奉行、順動丸艦長)
陸軍奉行 大鳥圭介(歩兵頭)
同 並 土方歳三(新撰組)
会計奉行 榎本対馬
川村録四郎
開拓奉行 沢太郎左衛門(開陽丸艦長)
函館奉行 永井尚志(若年寄)
同 並 中島三郎助
江差奉行 松岡四郎次郎
松前奉行 人見勝太郎
海陸軍裁判役頭取 竹中重固
軍船頭 甲賀源吾

永井尚志は幕府時代は将軍のそばに仕える若年寄り。榎本が長崎海軍伝習所に学んだ時代の総監督、つまりかつての校長である。しかも閣僚のほとんどは榎本より年上だった。


 榎本武揚は1868年(明治元年)12月、函館(当時は箱館)の五稜郭に新政府を作った。

江戸城無血開城から五稜郭占拠


 榎本武揚は、勝海舟と西郷隆盛による江戸城無血開城が気に入らなかった幕臣を幕府の軍艦に乗せて、函館に乗り込み、五稜郭を占拠して徹底交戦に備えた。

 清朝の中国平定に反発、台湾の台南に渡って清と最後まで戦った明の遺臣、テイ成功に似ていないこともない。が、いかんせん、戦力は弱すぎた。たった 2000人で薩長土肥に抵抗しようとした。それでも翌明治2年5月、明治新政府の総攻撃を受けて降伏するまで約6カ月立てこもった。明治政府の総大将は、 薩摩の黒田清隆である。明治22年の大日本国憲法が発布された時の内閣総理大臣である。

 五稜郭は幕府が北の守りを固めるために作った最初で最後の西洋式城郭である。完成は1864年、オランダに築城の技術を学んだ伊予大洲藩士、武田斐三郎(あやさぶろう)が設計、指揮をとった。大阪の緒方洪庵の適塾に学び、江戸では佐久間象山の門下である。

話が余談にそれたようだ。どうでもいいことでもあるが、背景は知っていなければならない。問題は、榎本の五稜郭占拠の意図である。本当は、明治政府との徹 底交戦だけが、目的ではなかったという説が強い。後に北海道開拓やメキシコ移民に力を入れるように、当時の榎本にとって旧幕臣の生活の場をつくり出す必要 があった。

 五稜郭に立てこもるうちに北海道を開拓して彼らの生きる場しようという考えが生まれても不思議ではない。しかも徳川家を再びまつり立てるのではなく、アメリカ合衆国にならって共和制の国家を樹立させようとしていたふしもないわけではない。

 しかし、あくまでも推測にしかすぎない。日本から離脱して新しい国の枠組みをつくろうという事例をなんとか歴史の中から導き出そうとする作業のなかで、ふと、五稜郭占拠のことを思い浮かべた。

アメリカ大陸で相次ぐ国家建設

 国家をつくろうなどという発想は、だれでもが思いつくものではない。政治が乱れ、経済が混乱に陥ったときは、だれでもが政府を作り替える必要性を説く。しかし、それはあくまでも同じ国家の枠組みの組み換えでしかない。

 榎本が天才だったとは思わない。オランダ留学で学んだ経験が彼にそう考えさせたのだ。時はまさに欧米列強が帝国主義に入る直前だった。アメリカはその100年前に、英国から独立した。南米に渡ったスペインやポルトガルの子孫たちは中南米に相次いで独立国家を建設した。

 現地人はいたのだが、ヨーロッパの移民たちは自分たちに都合のいい国家像を植民地という新世界に見いだした。19世紀の南北の米国大陸で進行していたのは、広大な空間に理想国家を形成する動きでもあったはず。

 特にアメリカは、ドボルザークが「新世界」で表現したようにヨーロッパで適えられなかった夢を実現する場でもあった。われわれは、移民と難民とはまったく 違うことを知っておく必要があろう。ともに生まれ育った祖国を後にする点では同じだが、移民の場合は、目指すべき新天地が明確で、はっきりした意思があ る。

榎本は、そんなヨーロッパの新しい息吹をオランダ留学で感じ取っていたはずである。榎本の眼に映った北海道はまさに新生、日本にとっての「新世界」だったのではなかろうか。

 選挙で選ばれた箱館共和国

 榎本武揚が立てこもった五稜郭での攻防は多くのエピソードを残しているが、なかでも注目したいのは、総裁や閣僚を「入れ札」、つまり選挙で選んだことであ る。経緯は知らない。とにかく、世襲以外で自分たちの代表を選んぶ行為は、明治政府でも憲法発布まで22年の長い年月を待たなければならない。

 だが、箱館では、明治元年に自分たちの代表を選挙で選ぶ集団があったことは注目に値することであろう。総裁選挙の結果は、榎本が115票でトップ、次点は松平太郎で14票しか入らなかった。その時「新共和国」が誕生した。

 以下はその新政府閣僚である。(かっこ内は徳川幕府での最終肩書)


総裁榎本武揚(軍艦奉行)
副総裁 松平太郎(陸軍奉行並)
海軍奉行 荒井郁之助(海軍奉行、順動丸艦長)
陸軍奉行 大鳥圭介(歩兵頭)
同 並 土方歳三(新撰組)
会計奉行 榎本対馬
川村録四郎
開拓奉行 沢太郎左衛門(開陽丸艦長)
函館奉行 永井尚志(若年寄)
同 並 中島三郎助
江差奉行 松岡四郎次郎
松前奉行 人見勝太郎
海陸軍裁判役頭取 竹中重固
軍船頭 甲賀源吾

 永井尚志は幕府時代は将軍のそばに仕える若年寄り。榎本が長崎海軍伝習所に学んだ時代の総監督、つまりかつての校長である。しかも閣僚のほとんどは榎本より年上だった。

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