1997年6月アーカイブ

1997年06月24日 共同通信社経済部 伴武澄

 大蔵省は1992年7月、金融機関の自己資本率アップのために永久劣後債の発行、劣後ローンの取り入れを認めた。劣後債は、普通債権と比べて返済順位が後になるものの引き受け者にとっては金利が高い分有利な投資となる。

 国際決裁銀行(BIS)の自己資本比率基準の達成が難しくなっているのに対応したものだが、そもそもBISがこの基準を設けたのは、それなりの体 力がなければ債務焦げつきなどリスクの大きい国際業務に対応できなくなるとして国際業務を展開する金融機関に対する紳士協定を結んだものだ。

 日本の金融機関はバブルの影響で経営の屋台骨が揺らいでいるが、まさにこうした事態に直面したときのためにそれなりの自己資本比率を達成している必要があったのだ。

 それをいまごろ泥縄的にBIS規制をクリアする算段をしているのでは本末転倒だ。しかも普通債権の引き受け手がいないような状況で高い金利で資金を調達して『ハイBIS規制をクリアしました』といっても誰も日本の金融機関の力を信用しようとはしないだろう。

 BIS規制が8%に決定したとき、欧米の金融機関は『株式の含み益を自己資本の中に組み入れるのは危険だ』という考え方だったが、日本の大蔵省や日本の金融機関は『日本経済に対する過信』からその組み入れを認めさせたという経緯がある。

 振り返ればやはり欧米の考え方が正しかったわけで、本来なら深刻に反省し、なんとか株式の含み益を自己資本から取り除く方向で金融機関のBIS基準達成の方法を模索しなければならなかったはずだ。

 それが、なんら反省もなく、やみくもにBIS基準達成ばかりを追い求め、昨年は期限付き劣後債の組み入れを認めさせ、今回は永久劣後債まで認めてしまった。

 もちろん劣後債というものは欧米でも発行されているが、信用基盤が揺らいでいる金融機関の劣後債を引き受けるのは、一時米国で流行したジャンク・ボンドを購入するようなものだ。

 日本の金融機関の劣後債を引き受けるのは今度も生損保のようだが、生損保にしてみれば、バブルの時代にほとんど配当がゼロに等しい巨額の エクイティー・ファイナンスを引き受け、株価の急落でキャピタル・ゲイン期待が裏切られた上、多少金利が高いだけの永久劣後債を引き受けることになる。

 これは大蔵省が引き受けてを要請しているからだ。場合によっては保険加入者に対する背任とも受け止められかねないようなことをあえてする のは、生損保が金融機関は絶対につぶれないと信じているからに過ぎない。あるいは大蔵省がよもやそんなことはさせないと過信しているからであろう。

 そんなに銀行が信用があり、儲かるのならば、われわれだって銀行預金をする。長期プイムレートよりは有利な金利なのだろうからわれわれだってそんな金利でお金を預けてみたい。

1997年06月10日 共同通信社経済部 伴武澄

日本版ビッグバンは、ロンドンやニューヨークで一九八〇年代に起きた金融市場の自由化をまねたもの。規制にがんじがらめの東京市場を放置すれば、国内の金融取引まで海外に流れてしまうとの危機感がようやく、国政レベルでも認識された結果だ。

 だが忘れてはならないのは、サッチャー元首相やレーガン元大統領が実施した金融市場の改革には、税制の抜本改革と政府部門の大規模な民営化が伴っていたことだ。

当然ながら、欧米では金融の自由化と税制改革、政府部門の民営化の三つが三位一体として初めて機能することを認識していた。しかし橋本政権ではビッグバンだけで東京市場が活性化するような誤解があるようだ。

 橋本首相は97年12月、日本版ビッグバンの発表時に「フェア」「フリー」「ボーダーレス」をキーワードとして掲げてご満悦だったが、当時の報道で、ビッグバンの前提としての税制改革と民営化の同時進行の必要性を指摘した論評はほとんどなかった。

 レーガン税制改革を思い起こせば、なぜ税制が重要であるかが分かる。法人税と個人所得税の大幅減税に加えて、法人税と所得税の税率を同一水準にまで引き下げた。米国はそもそも国営企業がほとんど存在してこなかったから民営化は必要ない。

 税率の引き下げ自体は、国内への投資意欲をもたらした。特に所得税の最高税率を50%から35%の下げたことは、富裕層の投資マインドを刺激した。せっ かく稼いでも税金で半分以上を持っていかれるシステムの下では、どんなに金融市場を改革してもそれだけでマネーマーケットに金は集まらない。開放的な金融 市場を形成してきたニューヨークではビッグバンすら必要ではなかった。そう考えると欧米の金融市場の改革の核心は実は税制改革にあったのだということが分 かるはずだ。

 政府が改革の必要性を訴える時、必ず喧伝(けんでん)されるのが「国際的整合性」だ。消費税導入で大蔵省は「直接税中心から間接税重視の動きは国際的な 流れ」と主張した。しかし、財政負担が大きくなり、個人所得税の税率アップを図ってきたのが限界に達した結果、編み出されたのがヨーロッパの付加価値税 (消費税)であって、消費税の導入は決して流行なのではない。

 財源難から各国が実施した制度を「国際的潮流」と喧伝する大蔵省の不見識と、例えばどう考えても国際的にみて主流だとは思えない源泉徴収制度の存続にはだんまりを決め込む同省の狡猾(こうかつ)さに国民はもっと目を配らせる必要があったはずだ。

 企業活動のボーダーレス化がますます進む中で、国内の制度を国際的に整合性のあるものに改革していくことは避けられない。

 いま世界で進行しているのは「クイック・デシジョン」と「ドラスチック・プラクティス」であり、一つの改革を三年も五年もかけて改革する時代ではない。

 日本の旧来の改革は五年、10年を一つの単位として推し進められてきた。石油ショックから脱却するための構造改善事業は設備削減や共同販売などいわばカルテルを国家的に容認する10年単位の事業だった。

 10年で足らなかったからこれをもう1回ロールオーバーした。構造改善事業を終えるのに計20年の年月が流れた。その間に英国でビッグバンが起き米国でレーガン税制が実施され、欧米の諸制度は一変した。

 日本社会がこれまで得意としてきた「ソフト・ランディング」方式は国際的にみて非常識な手法に映るはずだ。改革には犠牲が伴うのは古今東西を通じて当た り前の話だが、いまや時間をかけた改革の方が社会に対する犠牲が大きいとの認識が強い。改革は一刀両断に実施するのが国際的潮流なのだ。(了)

1997年06月06日 共同通信社経済部 伴武澄

「ねぇ。あなた。銀行口座を変えなくてもいいの」-。寝起きに妻に言われた。

 1992年の住友銀行が暴力団への利益供与で糾弾されたとき、給与振込の口座を変えた記憶がよみがえった。取引銀行といったところで大した金額を預金しているわけではない。

 しかし、犯罪に手を貸すような金融機関の世話になりたくなかったのと、預金者が団結すれば金融機関の一つや二つつぶすことができるのだということをこの 業界に示す必要があるといった正義感もなかったわけではない。そんな個人的思いとは裏腹に、当時は預金の引き上げなどという動きは話題にもならなかった。

 しかし、今回はどうも事情が違うようだ。数日すると、第一勧業銀行の総会屋向け不正融資事件に絡み、取引停止など同行に対する制裁の動きが新聞に掲載さ れるようになったからだ。NHKが全国の自治体を対象に聞き取り調査を実施したのを皮切りに、朝日新聞、日本経済新聞も取引停止の広がりを紙面化した。

 野村証券に対しては幹事証券やシンジケート団から外す動きが経済界や自治体に広がっていることと同様に、不正な取引を行う金融機関との付き合いを絶つのは歓迎すべきことだ。マスコミが動けば社会が動くということを実証した。

 取引停止の動きが自治体から企業に、そして個人預金に広がれば、兆のけたの預金が第一勧銀から引き出されるか、満期時に更新されないことになる。60兆円の預金量を誇る大手都銀と言えども預金の引き出しは経営の根幹を揺るがす。

 悪くいけば倒産の危機にさえさらされる。不良債権で経営が傾くことに政府が支援の手を差し伸べるのには百歩譲ることはできるが、犯罪に絡んで経営が行き詰まった場合にまで政府による救済が許されるはずはない。

 それでも日銀は「信用秩序の危機」を盾に特別融資を実施するのだろうが、救済されるのは「預金」だけであって、金融機関の経営ではないはずだ。

 話を戻す。「第一勧銀がだめならば、どこに預ければ安全なのだろう」。そんな疑問がよぎった。日本の金融機関は都市銀行から小さな信用金庫に至るまで不良債権漬けだらけ。経営の破たんが喉(のど)元まできているのに抜本的な経営刷新ができていない。

 日銀は長期にわたる低金利政策で金融機関を支援、政府も不良債権買い取り機構を設立したが、体のいい「不良債権飛ばし」でしかないことはみんなが知って いる。買い取り機関が本気で不良債権を処理し始めたら売りが売りを呼んで地価はスパイラル状に下落。不良債権はさらに増え続けて信用不安どころではなくな る。

 そんな危機的状況にもかかわらず、日本の金融機関は米国の銀行がとったようなドラスチックなリストラ策もとらない。「信用不安」という人質を盾に護送船団のなかで「低速運転」を決め込んでいる。

 「あなた。シティバンクはどうなの」。「シティバンクか。京都に支店はないしね」。「じゃ、郵便局は」とたたみかける妻に返す言葉がない。これ以上郵便貯金を肥大化させてはいけないのだ。結局、第一勧銀の口座はそのままになっている。(了)

1997年06月03日共同通信社経済部 伴武澄

 中国人の経営する地下銀行が神奈川県警に摘発され、中国人2人が逮捕された。送金した現金は126億円におよぶ。氷山の一角に違いない。

 送金システムは次の通りである。送金の申し込みの後、地下銀行があらかじめ中国側にプールしておいた現金を受取人に配達。依頼人は現金の授受を電話で確 認した後に日本側の地下銀行の銀行口座に手数料とともに振り込む。手数料は通常の金融機関の0.1%より5倍高い0.5%だが、不法滞在者には便利なシス テムだった。

 犯人の自宅からは「通帳」50通とキャシュカード300枚が押収されたというからその人気ぶりに驚く。

 蛇頭(スネークヘッド)による不法な海外出稼ぎシンジケートとの関連は当然、考えられる。数百万円もかかるといわれる海外出稼ぎ手数料は、半額を出国時 に払い、残りは無事日本に到着が確認された後に中国側で親族の手によって支払われる。どうもこれと同じ手法を取っているからだ。

 ついでに、この中国人による海外出稼ぎも日本社会を騒がせている要素のひとつで、「不法」であることは確かだが、簡単に「犯罪」と決め付けるには「犯人」にかわいそうな部分がある。

 国境のあちらとこちらであまりにも大きい所得の格差があるとき、不法であっても国境を越えて一稼ぎしたいというのは人情である。米国でも欧州でも不法な 外国人労働者の侵入は、もはや「犯罪」ではない。国境警察隊は必死であるが、世論から見れば、鬼ごっこのたぐいではないだろうか。

 入ってくれば追い返し、それでも懲りずにやってくるたぐいのものだから、やってくる方も犯罪の意識はない。

 興味深いのは、不正送金をしていたにもかかわらず、いまのところ、被害がないということである。126億円もの現金が何の法的権限のない人々の手で無事に送金されてきたという事実に驚かざるをえない。

 地下銀行送金事件は単なる「愉快犯」なのかもしれない。事情があって実名では送金できない人々がいて、その人たちの役にたっていた。繰り返すが、だれが損をしたわけではない。海外送金を業務のひとつとする日本の金融機関が得べかりし利益を得ることができなかっただけだ。

 犯罪を奨励しているわけでは毛頭ない。海外送金は銀行業務のひとつで、免許のない業者が銀行業務を行うのは実にけしからんことだ。しかし、総会屋への巨 額な利益供与や何兆円にも上る不良債権など昨今の日本の金融機関の経営をみていると、何のために許認可があるのか疑わしくなる。この事件が象徴しているの は、無免許業者が信用されて、政府の許認可を得た金融機関の信用が失墜いているという1990年代の日本の金融機関をめぐる逆転現象である。特に華僑の経 営を見ていると「信用」という問題は国の許認可とはあまり関係ない思わざるをえない。

 ドイツやフランスでは外国人の就労者は全就労者の10%を超える水準だから、これ以上の外国人は必要ないという議論も起きようが、日本では不法就労者を含めても30-50万人とまだまだ少ない。

 そもそも3K職場には若い日本人は寄り付かない。そんな製造現場にあって、外国人労働者は不法であってもなくても大歓迎なのである。冶金(やきん)や金型産業ではもはやアジア人労働力なくしては存在しないところまでいっていることは業界の常識だ。

 地下銀行の「犯罪」の温床もそんな日本の製造現場のニーズを無視した入国管理制度にあるはずだ。

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