tamakihidehiro.jpg 1月18日、友人に連れられて高知市神田にある高法律寺に向かった。迎えてくれたのは玉城秀大さん40歳。お寺の若き住職だ。この人に興味を持ったのは、友人がくれた山北みかんからだった。しあわせみかん山というNPOがあって、耕作者が高齢化して放置されたみかんの木2000本を管理している。野性化まではしていないが、当たり前のように無農薬で"栽培"されたみかんは不細工。だが、甘味も酸味も十分でおいしい。

「そのNPOって誰が運営しているの」
「神田の若い坊さんだよ。その人はひろめ市場の近くに光の種っていう喫茶店もやっていてタイの国境近くで栽培されたコーヒー豆でコーヒーをつくってるんだ。その村はカレン族が多く、坊さんはそこで孤児院まで経営しているんだよ」

 そんな会話からその坊さんが取材してやろうと考えた。

 タイの国境の村はサンクラブリという。バンコクから自動車で7時間もかかる僻地である。玉城さんそこでは孤児50人を育てながら学校も経営している。水沼明子さんといってバンコクでお嬢さん学校の先生をしていた人を説き伏せて薄給で校長先生をしてもらっている。高知県を中心に里親40人をお願いして資金を賄っているが足りるはずがない。筆者の想像では相当の持ち出しである。たぶん高法寺の檀家さんたちが間接的に子どもたちを養っている形になっているのだろう。

 サンクラブリの学校は女子ゴルフ横峰さくらのおじさんの横峰吉文氏が全国3000カ所でやっているヨコミネ式教育を導入している。「体の力、学ぶ力、心の力」を重視し、全員が逆立ちをし、跳び箱なら15段は平気で飛ぶようになるというユニークな教育法である。心が病んでいるサンクラブリの孤児たちにはまず体の教育が肝心なのだそうだ。

 サンクラブリの子どもたちが孤児になったのはさまざまな理由があるが、多くは当たり前のように心の問題を抱えている。心の力を育むためにまず体でその可能性を高めるヨコミネ式はぴったりの教育法であるようだ。何やらひ弱な日本の子どもたちにも適用できそうな考えだ。

 玉城さんには、高知市で2月に開催するわれわれの講演会にお誘いするのが目的だったが、その日はサンクラブリに行くので出席できないといわれた。だが、たった2時間ほどの会話に、十二分に刺激された。友人に玉城さんを語らせると、とにかく「やってみよう」という軽いのりがある。これは高知人の悪いところでもあり良いところでもある。後先考えない。考えれば何も始まらない。現在の日本人が持ち合わせていない軽いのりに学ぶところが多かった。

 2月サンクラブリに行くときには、高知工科大学の渡辺菊真先生も同行する。先生はアースバック方式といって土嚢で家をつくる専門家で、サンクラブリの学校にもその工法を導入しようと考えている。

 特定NPO輝くいのち http://kagayakuinoti.p-kit.com/
 高知市の喫茶店、命の種
 渡辺菊真先生 http://www.kochinews.co.jp/09kut/100423kut01.htm
shosuiryoku.jpg
 お酢のミツカンの広報誌として最近とみに注目を集めているのが「水の文化」。最新号は「小水力の底力」がテーマ。3.11以降、脱原発の対する国民的意識の高まりから、自然エネルギーが再評価されている。

 小水力はダムに依存しない小さな水力発電を随所に設けて、エネルギーの自給を図ろうとする試みである。昔の水車は臼を回したり、田圃への水利のためにあったが、ほとんどが電力やディーゼルに置き換わってしまっている。水の流れの高低差を利用すれば発電できることは小学生でも分かること。その小学生でも分かることをやっているところが各地にある。

 水の文化の編集部は今回、水が豊富な高知県を今回の取材対象にした。高知県小水力発電協議会の事務局長の古谷桂信さんが、県内を案内しながら、その可能性を探った。NHKの高知放送局でも同じような趣旨の報道特集を放映したから、
梼原町の経験をテレビで見た人も少なくないと思う。

 筆者も安芸市の農業用水路のドンドと香南市の兼山水路の取材に同行させてもらった。農業用水は水利権が土地改良区に属しているため、発電設備の設置にややこしい手続きがいらない。一般河川であると国や自治体が管理しているからとてもめんどうなことになる。古谷さんの説明では、一般的に段差が1メートルあって水量が毎秒1トンあれば、7kwの発電が可能。つまり普通の家庭2軒分の電力がまかなえる。

 1トンは1立方メートルだから、大した量ではない。たとえば3メートルの段差の水路で毎秒3トンあれば、63kwで18軒分。小さな集落ならそれだけでエネルギーの自給が可能となる計算だ。1000人規模の村であれば、15カ所つくれば、村全体でエネルギーが自給できる。小さな村であればあるほど、エネルギー自給が容易であることが分かる。

 国や県にやさせれば、フィージビリティー・スタディだとかいって調査会社に膨大なお金をかけることになり、コストが合わないという結論が出ることは目に見えている。要は地元の創意工夫で何とでもなる。こんな話を聞いたこともある。

 発電機は一つひとつが特注のものだから小さなものでも数千万とかするが、逆転の発想で汎用のモーターを使えば多少効率が落ちてもその10分の1のコストで購入することができるそうだ。水力を生み出す水車やプロペラは、村の鍛冶屋につくらせれば安くでできる。肝心なのは「やってみなはれ」の精神であるという。

 みなさん、どうお考えですか。

 水の文化 http://www.mizu.gr.jp/kikanshi/no39.html
kousonbunsairai.jpg なつかしいタイトルの新刊が高知の自宅に届いた。『天下為公』。宝田時雄さんが長年温めてきた想い『請孫文再来』がワープロの文字になったのは、大分前のことである。上板橋の自宅でフロッピーディスクにコピーしてもらい、30回分の文章を読んだ。これは本になると直感した。しかし、中国革命の歴史をよく知っている人でないと理解できない部分が随所にある。

「とりあえず、これをメルマガで連載しましょう。ホームページは僕がつくります」と提案した。10年以上も前のことである。萬晩報で紹介したら、1000人近くの読者が一気についてしまった。その後、『請孫文再来』は宝田さん自身の手でブログに転載され、現在に到っている。

 宝田さんのブログ「まほろばの泉」に書かれた出版にいたる経緯を以下に転載させていただく。

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昨年は辛亥革命百年ということで華人圏や、孫文に縁故のあった明治の日本人が多く取り上げられた。
さかのぼること二十年前、孫文の側近として日本人として唯一臨終に立ち会った山田純三郎の甥である佐藤慎一郎氏と夜半の酔譚のおり、歴史の必然という話題があった。

そのなかに孫文の様な人物(姿)が政治的にも、民生の上でも必要とされる時が来る、と。
それは教科書記述や歴史書となっている経過ではなく、人の心の変遷を推考して将来を描くような応答だった。

つまり、その将来を想定して、いま遺す作業が必要だった。誰に請われたわけではない、師弟のごく自然の感覚だった。

酔譚の録音テープを起すと
「先生、孫文再来を請う、こんな名前で書いたらどうでしょう」
『孫文は歴史の必然として興る。これは人の心の欲する人間像だから・・』

そんなことで書き始めた。章を追うたびに荻窪に参上し酔譚にふけた。
『年表も必要だ・・・』『写真はこれがいい・・』そう言って棚の上を探した。

それを見ながら『あの時、孫さんは・・と伯父が言っていた』と懐かしんだ

それゆえ拙書は研究者や学者の類にはない、つまりアカデミック(学術的)ではない、土着性(エスノぺタゴジー)な内容になった。それは歴史の時空を超えて吾が身を比較できるものだった。体験者から繋ぐ、それは感動感激の記述だった。

また、現代生活で自身が、これならできる、いや難しい、あるいは今の政治家や外交官との比較もできる市井の教本のようでもあった。

一応、脱稿して先生の前で朗読した。それは時間を要した。黙って聴いていた先生は「嗚呼」と声をあげた。顔はくしゃくしゃとなり落涙していた。奥さんは下を向いたままだった。津軽から満州、そして戦後の日本を見てきた先生が、涙を流した。以前、満州大同学院の二世にお話ししたとき「日本は悪いことをしたのです」と泣かれたことがあった。

喜びではない、それは人間の所作に向けた涙だった。そして『日本はもう駄目だ・・』と天井に目を向けた。

お別れしてから暫く隠していた。己の浅学さが恥かしかった。これを自身の備忘として世に出すことが堪らなくて隠していた。

ある大手の新聞社が新たな構成で出版したらどうかと促された。「いゃ・・名が出ると好きな女と歩けなくなるから・・」と巧妙にお断りして事もあった。

あるとき友人に見つかってホームページに構成された。恥かしかった。孫文の命日には一日遅れたが、アップしたら上海のサイトから掲載の依頼があった。米国からもあった。こんな面倒で難しい、しかも稚拙な考察を書き連ねる文章だが多くの読者があった。インターネットとはこんなものかと驚いたりもした。

そして辛亥革命の百年を記念して多くの友人から嘱望があった。元々、売文の輩、言論貴族と揶揄しているものが、商業出版は馴染まないし潔くない。そこで、編集ソフトを購入し、自身で紙を選定し印刷した。あるとき仕事帰りに懸命に働く人のよさそうな製本作業所が目にとまった。車の窓越しでもそれが分かった。
もちろん、その方にお願いした。
内容は佐藤氏との酔譚抜粋も付け加えて編集した。

http://blog.goo.ne.jp/greendoor-t
kodak.jpg 名門コダックが1月19日破綻した。世界で初めてロールフィルムを開発し、素人でも写真が撮れるインスタントカメラを発売して、世界の写真業界を一世紀にわたってリードしてきた。ジョージ・イーストマンがコダックの本拠としたのは、ニューヨーク州ロチェスター。オンタリオ湖に面したところである。

 ここで産声を上げたのはコダックだけでない、ゼロックス、ボシュロムなど光学系の多くの企業がロチェスターで誕生した。育てたのはロチェスター大学である。神学校から始まったこの大学はコダック社が多額の資金を提供してことで知られる。重要なのは、世界中から光学を目指す技術者や科学者がこの大学で学んだことである。

 コダックが業績を拡大し、ロチェスター大学に資金をつぎ込み、有能な光学技術を育て、コダックもまた巨大な企業に発展するのだが、ロチェスター大学で学んだのはコダックの技術者だけでない。日本のニコンもキャノンもお世話になっている。ニュートリノでノーベル物理学賞を授賞した小柴昌俊氏もロチェスター大の大学院を卒業している。コダックがロチェスター大学を通じて世界光学技術者を育てたといっても過言でない。

 20年ほど前、日米貿易摩擦で、コダックが日本の富士フィルムが市場を排他的に支配していると訴えたことがある。本当のことをいえば、日本の光学メーカーはコダックが支えたロチェスター大学に足を向けて眠れないはずである。かつてのアメリカメーカーのすごさが垣間見られるのである。

 ここからが本題である。コダック躍進の原動力となったロールフィルムの原料はセルロイド。さらにその原料が樟脳だったことはほとんど知られていない。100年前の樟脳のほとんどが日本と台湾で生産された。樟脳はクスノキの樹液から誕生したもので、セルロイドは初めて作られた植物性のプラスチックだったのである。

 ロールフィルムの最大の功績は、映画の誕生である。エジソンらがフィルムを回転させて動く映像を生み出し、それが後のハリウッドへとつながることを考えれば、大変な発想だったことが分かる。そしてその20世紀の重要な発明の源に日本のクスノキがあったことにわれわれはもう一度眼を向けるべきであろう。

 連想ゲームでいえば、樟脳、セルロイド、ロールフィルム、ハリウッドとなるのである。

 ちなみにクスノキは高知や鹿児島の主要産品で、幕末の土佐藩や薩摩藩の財政を大いに潤した。もっとも藩政時代にはコダックはなく、樟脳はもっぱら薬品や防腐剤として珍重されていたにすぎなかった。藤沢薬品工業はもともと鹿児島で樟脳を商いしていて大阪道修町に進出し、なんとロチェスターに支店を持っていたというのだから、コダックの日本は長い因縁を持つのである。
 高知新聞 2012年01月17日08時59分

keiko.jpg 静かな山村に22年ぶりの産声―。安芸市畑山の土佐ジロー農家、小松靖一さん(53)、圭子さん(28)夫婦に昨年12月、待望の赤ちゃんが誕生した。人口58人、平均年齢72歳の限界集落に子どもが生まれるのは実に22年ぶり。住民も「地域がぱっと明るくなった」と感激している。

 靖一さんは畑山で生まれ育ち、圭子さんは愛媛県宇和島市出身。圭子さんが大学時代、国の交流事業で畑山を訪れたことが縁で知り合い、2010年夏に結婚した。2人で手を取り合って肉用土佐ジローの飼育と、畑山温泉「憩の家」を運営している。

 第1子が誕生したのは12月9日。元気な男の子で、「日本人らしい響きがいい」と「尚太郎」と名付けた。「いろんなことを幅広く吸収し、協調性があって、人にかわいがられる子に育ってほしい」と願いを込めた。

 靖一さんは「やっぱり子育てはこの雄大な自然の中でやりたい。息子と一緒に山や川で遊べる日が楽しみ」と目尻を下げる。圭子さんいわく、靖一さんは「イクメン修行中」。ぎこちない手つきで、風呂やおむつ替えに毎日奮闘している。

 地域住民も「人口が1人増えるなんて快挙」「自分のことのようにうれしい。元気が出る」と喜ぶ。
 唯一の悩みは教育。畑山周辺には幼稚園や学校がない。一番近い井ノ口小学校は車でも30分以上。学校に通う年になれば、一家で山を下りる選択肢も考えざるを得ない。

 「後継者に、というこだわりは持ってないけど、私たち夫婦の畑山を愛する心を伝えた上で、自分の意思で畑山に帰ってくる選択をしてくれたら幸せ」と圭子さん。

 靖一さんは「畑山の未来の、いちるの望みになれば」と集落の存続に希望を託し、「尚太郎がきっかけとなって、多くの子どもたちが畑山を訪れてくれるようになればうれしい」と交流の輪が広がることを願っている。

  【写真】小松靖一さん、圭子さん夫婦が授かった尚太郎ちゃん(安芸市畑山)
 正月も大分過ぎて、1月も半分が過ぎた。高知新聞の正月紙面の一面トップは「公の群像」という連載の第1回目だった。東日本大震災で地元の公務員ががんばった話を紹介しながら、続く。

「そんな思い半分。複雑。私ら家も仕事も失って収入セロ。なのにおんなじ被災者でも、公務員だけはちゃんと給料もらえんだからね。やっぱり、いい身分だよ」

20120110.jpg 高知県の市町村に勤める公務員の数は2011年4月1日現在で9319人なのだそうだ。これに対して県職員は14100人。教職員が7957人、警察官が1892人、その他出向など838人。1993年の17475人に較べれば、相当減っている。たぶん市町村でも減っているだろうが、合計すれば県と市町村で23419人。人口規模77万人の高知県で多いのか少ないのかが問題となる。

 2万3000人の職員には妻がいて子どももいる。平均4人として約10万人の人口である。加えて公務員のOBもいる。平均寿命が80歳として、1万人をゆうに超えるはずだ。妻もいれば2万人となる。つまり12万の人が税金で食っていることになる。おおざっぱな言い方をすれば高知県の7人に1人は「公」の人口だということができる。逆に言えば、7人で1人の「公」を養っていることになる。もっと厳密にいえば、専業主婦や就労していない子どもたちも多くいるから、3人で1人の「公」を支えているといったぐらいが正しいのではいかと想像している。

 問題を所得に敷衍すればさらに問題が大きくなる。手元に統計はないが、筆者の親戚に教員をしていた老夫婦がいる。2人の年金が合わせて50万円をゆうに超える。東京や大阪ならいざしらず、高知県で50万円の月収を得ることは並大抵ではない。

 公務員の給与は県レベルや大きな市でいえば国家公務員と遜色がないが、町村になると相当に低いことになる。だからあまり乱暴なことはいえない。しかし、高知県で公務員よりいい給料をもらっているのは、マスコミ、銀行ぐらいのものではないかと推察している。

 そうなると「公」を支えているのは2人に1人より少ないことになっているのではないかと思えてくる。民主党のマニフェストの「公から民へ」が多くの有権者の支持を得た意味もそこらにあったはずだ。

 東日本の被災地での「いい身分」の意味はさらに厳しい。民間だったら工場や事業所が消失したら賃金など発生するはずもない。被災地の場合、地方税収入はほとんどゼロであるはずだ。公務員の場合、庁舎が喪失したとき、どこから誰が彼らの給料を支払っているのだろうと考えざるを得ない。

201112171232.jpg 国王に二度即位するなどということはあまり聞いたことがないはずである。日本では大化の改新のころと奈良時代に女帝が二度即位したという歴史があるが、昨年12月13日に即位したマレーシアの14代目国王、アブドル・ハリム・ムアザム・シャー(クダ州のスルタン)は36年年ぶりに王座に復帰した人物である。

 なんでそんな不思議なことがおきるのかというと、マレーシアは建国以来、王様の輪番制を取る世界的にも珍しい政治制度が続いているからである。王様の任期は5年。9人のスルタンの中から順番で即位することになっている。任期途中で亡くなると次のスルタンが即位するから45年で一巡するわけではない。

 マレーシアは11の州から構成される。ペナンとマラッカはイギリス統治時代に直轄植民地だったため、スルタンがおらず、残りの9州にスルタンが存在していた。1957年、イギリスから独立してマラヤ連邦が誕生したとき、憲法制定委員会は国王を新たに設けて国家元首とすることを決めた。そのとき、この国王輪番制が決まった。

 この国王輪番制がどういう経緯で生まれたのか、いろいろな人に聞いてきた。もちろんマレーシアの友人にも聞いたことがあるが、誰もその経緯を語れなかった。その真相が最近になってようやく分かった。

 筆者が編集に関わっている財団法人霞山会の広報誌「Think Asis」第6号に小野沢純拓大教授が「マレーシアの国王は5年任期の輪番制」というレポートを書いてくれたためである。

 それによると、そもそもヌグリ・スンビラン州では9人の首長(ルアク)から互選でスルタンを選ぶことが続いていて、ペラ州ではまさに3つの首長の間で輪番でスルタンを選んできたという経緯があった。そうした「互選」「輪番」による統治を国家レベルに高めた結果、9人のスルタンが輪番で5年ごとに国王になるというユニークな政治制度が確立してのだという。

 マラヤ連邦の初代国王はヌグリ・スンビラン州のスルタン、アブドル・ラーマンが選ばれたが、その後、12人のスルタンが国王になり、今回83歳のアブドル・ハリムが二度目の国王に復帰したということなのだ。

120115.jpg EUで国債格下げドミノが始まった。ギリシャの経済破綻から始まった危機はイタリアの国債格下げに飛び火し、さらにスペインに波及した。EU各国が手をこまねいている矢先にドミノはフランスにも及んだ。その結果、EU通貨が大きく売られる局面に突入している。

 最高の格付けをもらっているフランス国債の格下げによってユーロが売られるのは分かるが、フランス国債の何段階も下の格付けしかない日本国債の通貨である円が買われるというのはどうも合点がいかない。この先、日本国債の格付けが下がると円売りユーロ買いにつながるのか分からないが、市場が動く動機は絶対的価値や水準とは無縁の世界のようだ。

 欧州各国国債に続いて順番に日本債が下がり、その次に米国債が下がれば、どうなるのか。順繰りに通貨が上がったり下がったりして、結局、何も変わらない・・・なんて冗談が起きてもおかしくない。

 景気悪化による財政出動が始めにありきで、財政悪化により国債の格付けがいったん下がると、金利上昇により財政のさらなる悪化と国債格付けの下落の悪循環から抜け出せなくなる。

  市場経済というばけものは一体何なのか考え込まされる日々が続いている。日本でもそうだったが、経済危機に直面した中央銀行が必ず行うのは金融緩和であ る。金利引き下げがまずあり、その金利が金利といえないほどの低水準に達すると今度は流動性拡大である。市場にどんどんお金を流して金融システムが止まる のを防ぐ効果があるとされるのだ。

 だが、果たして流動性を拡大してお金の流通が高まるのかといえば、決してそうではない。中央銀行は銀 行にお金を流し込むのだが、銀行から先にお金は流れない。水ぶくれしたお金は銀行を通じてさらに市場に逆流するのだ。その悪循環が続くとお金は中央銀行と 財政と銀行の間でぐるぐる廻るにすぎない。

 国家の財政はどんどん逼迫し、通貨価値の下落というスパイラルに陥る。自分で吐き出した通貨によって国家経済が破綻への道を進むことになる。

  ここ20年、世界で起きているのは国家の貧困化と民間の富豪の肥大化である。富が国家から世界の一部の富豪と企業に集っている。本来、国家は民から税金を 徴収して政府を動かす機能を持っているはずだから、民が富めば国庫も豊かになるのが自然なのにまったく逆のことがどの国でも起きている。民間の富豪たちの 富は半端でない。小さな国家を運営できるほどの富豪がどんどん生まれるカラクリはどう説明できるのだろうか。

 日本経済は1400兆円の 民間貯蓄があるといわれている。一方で富を生み出すはずのGDPは20年前か500兆円でしかない。仮に1400兆円を普通の金利である5%で回さなけれ ばならないとすると、金利だけで70兆円が必要になる。500兆円の経済活動から70兆円を生み出すなどほとんど不可能である。

 実体経 済に較べて日本は貯蓄が多すぎるということになる。住宅購入の頭金や老後の蓄えとしてなけなしのお金を貯蓄してきた結果、日本全体からみるととんでもない 金額に達していることは事実で、実はこのお金が暴走するマネーの資金源になったいるのだとするとやるせないことになる。

 ちょっと前、筆 者が経済記者になりたてのころ、長期金利は最大でも10年だった。銀行も10年以上のお金はめったなことでは貸してくれなかった。それが住宅融資は35年 が当たり前となっている。22歳から60歳まで働いたって38年しか給料をもらえないのに、35年ローンはないだろうとずっと考えてきた。

 政府はもっととんでもないことをやっている。日本の高速道路などは60年で建設資金を償還するなどという発想なのだ。国の借金が膨れ上がるのも無理はない。

 国債格付けドミノはどこかで断ち切らなければならない。
imagesribu.jpg 日経新聞1月9日のグローバルオピニオンの欄でフランスの食品大手ダノンのCEO、クランク・リブー氏が企業経営について興味深い話を紹介している。

「海外進出や新しい事業に乗り出すと株式会社から早期に果実を求められる。しかし事業会社は金融界からの圧力で仕事をしているわけではないことを丁寧に説明すべきだ。最貧国の一つ、バングラデシュでグラミン銀行の創設者のムハマド・ユヌス氏と合弁会社を設立して乳製品の販売を始めようとしたとき、ダノンの株主総会でこう話した。「利益はでないでしょう。もし利益がでたら再投資する。仕事が創造され、それが貧困をなくすことになる」。すると99%の株主が賛成してくれた。この事業は一年で軌道に乗った。」

 ダノンの使命は「食品を通じてより多くの人に健康を届ける」ことだという。そして企業が存続するためには「環境対策、貧困解消など今の社会に求められることと合致する強い使命感を持ち続けること」が重要であるという。

 昨今のグローバリズムとかなり違う企業理念を持っていることに驚いた。ダノンの株主も「利益追求」だけが投資目的でないのだ。バングラデシュの合弁事業はヨーグルトを製造し、それを10円足らずで販売している。すでに第二工場が立ち上がっている。ソーシャルビジネスが配当を行わない。社会事業として経営することで社会的価値が高まることに満足してもらおうというのだ。

 ユヌス氏にいわせれば、世界中で貧困のために巨額の寄附が行われている。ソーシャルビジネスは配当はないが、元金は戻る。寄附は一回したらなくなってしまうが、ソーシャルビジネスはその資金を繰り返し投資できるため、「持続可能」なお金になるのだそうだ。

 日本ではユヌス氏に呼びかけでファーストリテイリングがバングラで「100円Tシャツ」をつくるということが一年ほど前に報道されていた。バングラデシュのユヌス氏の下で、新しい「資本主義」の試みが行われている。(伴 武澄)

 ダノンのフランク・リブーCEO 「新興国開拓、独自性尊重を」(日経新聞1月9日)


 

 

13nin.jpg 協同組合といっても普段は生協ぐらいしか頭に浮ばない人が多いと思う。農協も漁協も林業組合も実は非営利の協同組合によって成り立っている。原則の「自助共助」精神」はどこへ行ったか。農協の漁協も国への依存度が高いだけでない。自民党の強力な支持団体だった。逆に生協は左翼勢力の生きる糧と化している。ロッチデール原則は政治の排除だったのではないか。

 そもそも協同組合は行政ができないことから運動をスタートさせた。義務教育がない時代に教育を支えた資金は協同組合の収益だった。公的医療保険がない時代に賀川豊彦は医療協同組合の必要性を強調し自ら中野総合病院を設立した。

 その後、国家が教育や社会福祉を自らの仕事とするようになって、協同組合の影が薄れてしまった。今年2012年は国連協同組合年である。各国で多彩な行事が予定されている。日本でもJA全中が中心になってロゴマークをつくりシンポジウムも計画されている。11月には神戸でアジア大会が開かれることになっている。

 しかし、いま考えるべきはお祭り騒ぎではない。国家と協同組合のあり方に眼を開くべきである。世界的に国家財政が破綻している。その背景には社会福祉など本来、住民の自助共助で賄われるべき分野にまで国家の力が浸透したからにほかならない。国家財政が破綻したからといって、もはや教育や社会福祉が後退することは許されないが、国家によって協同組合精神が失われたのは事実である。

 いま一度、自助共助の精神を復活させ、国家への依存心をあらためなければ、人々の教育や社会福祉が壊れてしまう。そんな危機感を持つ必要があると考える。増税を阻止するにも自助共助の分野を住民の手に取り戻さなくては空念仏に終わる。

 生協2600万人、農協950万人、信金・信組1200万人、労金1000万人、医療生協2700万人。組合員数を眺めるだけで、われわれはどれほど協同組合に依存しているかが分かる。世界には人口が1000万人に満たない国家がどれほどあるか考えれば、これだけの人々が協働すれば、国家にできないことですら実現可能であると考えなくてはならない。自助共助が必要なのは教育や社会福祉だけではない。環境や食の問題も協同組合の仕事である。

 特に3.11以降、関心を呼んでいるのがエネルギー分野である。実はエネルギーの自給は過疎の地である方が有利なのである。まず支えるべき人口が少ない。次いで水と森林というエネルギー源を背後に抱えるのが過疎の山間地なのである。

生協    組合員数2621万人
農協    組合員数 949万人
漁協    組合員数 36万人
森林組合 組合員数 157万人
医療生協 組合員数2710万人
労金    構成員数 999万人(会員数57,886人)
信用金庫  会員数 931万人
信用組合 組合員数276万人
(2010年度、農協は2008年度、漁協は2009年度)

 そんな自助共助の先にあるのが、協同組合の国際的な連帯である。国家の枠組みを超えたところで教育、社会福祉、環境、食、エネルギーを考えていけばどうなるか。わくわくするではないか。世界連邦が先にあるのではない。国境を超えた協働の果てに世界連邦は自然に発生するはずだ。(世界連邦運動協会四国ブロック長・高知支部長 伴 武澄)
260px-Kochi_city_hall01n3200.jpg 筆者の持論は、商店街への行政の進出である。高知市役所建て替え問題が浮上している今、初夢的に考えたのが、ダイエー跡地への移転である。グーグル地図上で見ると面積的に問題は無い。市役所への人の流れが帯屋町商店街に流れれば、商店街の活性化にもつながる。この発想は単なる移転ではない。市役所をアメーバのように市内に分散するという考えでもある。

 市役所で一番の人の出入りは市民課である。市民課は最も市民に親しみがある場所であるから、帯屋町商店街の空きスペースを賃貸すればいい。

 市役所の一階はもちろん図書館である。スターバックスでもドトールでもいい。喫茶店を併用してお茶を飲みながら「読書」や新聞・雑誌の閲覧ができるスペースが誕生すれば、図書館が待合場所にも変貌する。筆者なら毎日通うだろう。午前中を図書館で過ごし、昼食は帯屋町周辺の飲食店で・・・という生活になる。

 できれば市長室も商店街の一角に置けば、市長が朝から晩まで町内をうろうろすることになるから、市民が市長に声もかけやすいし、市長も日々、市民の生の声を聞くチャンスが増えるだろう。

 もちろん観光振興課は高知駅前か、はりまや橋に移転すべきであるし、防災関連の部署も町に出るべきである。そうすれば市役所の可視化が始まる。ラジオのサテライトスタジオも帯屋町に進出してもらえば、なおさらいい。

 商店街活性化、情報拠点の強化、市役所建て替えの一石三鳥となること請け合いである。高知に帰って8カ月。落胆したのははりまや橋の交差点に誕生した巨大なパチンコビルだった。高知医療センターが市内からとても不便なところに立地されているのにも驚いた。年寄りに「来るな」と言っているに等しいと思った。高知には町をデザインするという発想がまったくないのだと思わされた。高知には市役所の建て替えに他にも県と市の図書館合併構想も浮上している。

 もし高知市役所の建て替えが不可欠で、巨額の資金を投入するすることがあるのなら、ぜひ防災面だけでない発想の転換をお願いしたい。(伴 武澄)
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 一週間前から、高知の家の一階に囲炉裏の間を作り始め、24日ようやく完成した。十二畳の半分が畳で半分が板の間。相変わらず自分の家ではないが、初めて自費でつくった空間であるから嬉しい。

 ステレオなんてものはない。写真右上の棚にあるラジオだけ。親戚の古家を解体する際に頂戴したレトロの真空管式5球スーパー。若い人は知らないだろうが、HiFiのロゴが入っており、当時としては超高級ラジオだった。調度品で新しいのは伊勢木綿の座布団だけ。これは2週間前に伊勢神宮のおかげ横丁で注文した。すでに祝儀の日本酒4本が並んでいて、「おきゃく」の日を待っている。

 部屋の改築は林という知り合いの大工さんに頼んだ。「よし仕事が暇になったらやっちゃう」と意気に感じて請け負ってくれた、材料費はタダ。壁の下部は木目をあしらった杉板、上部は伊野和紙を自力で貼った。クロス屋さんに断られ、やむなくやってみたが林さんから素人にしては上出来といわれた。

 正面の障子まがいも林さんに手習いを受けながらの自作。和室にアルミサッシの窓枠は無粋。障子まがいを貼ることにした。林さんが「やってみるかえ」と言ってくれ、鋸とノミで組み木と試みた。悪くない出来ばえである。中央に垂れ下がる自在は義父の家にあったものをいただいた年代ものである。これだけはどこでも買えない。天蓋は大工さんがおもしろがってつくってくれた。

 この一週間は朝から晩まで林さんと一緒に作業をした。寒風ふきすさぶ中、ほとんど寒いと思うことはなかったが、さすがに夜になると筋肉が硬直した。三十数年、ペンより重いものを持ったことがなかったが、たった一週間だけだが、肉体労働をやってみて「こりゃ大変」な仕事であることを改めて知らされた。

 それにしても高知に帰って半年でこんな「おきゃくの間」をつくってもらって幸せなことだ。明後日、27日はここで餅つき大会を行う予定で、義父を含めて20人ぐらいの仲間が手伝ってくれることになっている。高知に帰ってきてよかった!(伴 武澄)
inuzuka.jpg 筆者が会長をしている財団法人国際平和協会。世界連邦を目指す団体の一つであるが、世界連邦というと誰もが「そんな夢みたいな」という顔をする。世界連邦運動協会という兄弟団体があって、実は1948年から活動を始め、全国に支部網まである。日本での世界連邦運動はこの運動協会を核に国会委員会、自治体協議会、宗教委員会がある。国会委員会は国会内に事務局をおき、会長は中野寛成衆院議員が務める。

 その国会委員会主催の講演会が12月8日、衆院議員会館で開催された。講師は元参院議員の犬塚直史氏。世界連邦運動協会の国際委員長でもある。10月にワシントンで開かれた世界連邦運動の国際理事会に参加した報告会でもあった。

 犬塚氏によると、内戦などで国民の生命 が危険に瀕している場合、国際社会が積極的に関与すべきだという意識が強まり、国連で保護する責任の役割が年々大きくなっている。またEU議会 にならって国連でも国益を乗り越えた議員総会の設立が急務であるとの認識を示した。

 21世紀に入って世界連邦運動が再評価されている背景には現在のペイズ専務理事の功績が大きい。世界のNGOに働きかけて、国際刑事裁判所を設立させ、日本もその条約を承認している。旧来の国際司法裁判所が「国家」を裁くのに対して、個人を対象に国際社会が裁く裁判所として注目されるのだ。

 以下、講演の要旨である。

 最近、注目されているのが「保護する責任」。従来、国際社会は「内政不干渉」が原則だったが、ルアンダでの虐殺を契機に意識が大きく変化した。政府が国民 を保護する能力がなかったり、保護する意思がなかったりする場合、国際社会が代わりに責任を負うというものである。2005年の国連総会で全会一致で採択 され、今年のリビア内紛では国連が保護する責任を発動した。世界連邦ができた場合は、この保護責任原則に基づいて動くはずである。

 2009年からWFMが保護する責任の事務局となっていて、2011年11月だけでも世界各地で10回もセミナーが開催されネットでも報告されている。日本に世界で起きている動きを伝えるため、日本語サイトを立ち上げたい。

 もう一つ注目してほしいのが国連議員総会(UNPA)の考えだ。現在の国連は政府代表によって成り立っているが、EU議会にならって世界や地球全体のことを考えるために、国益代表でない代表を選出しようというのである。

 すでに国連憲章22条で補助機関を設ける規定があるので、これを用いれば国連憲章の改正をしなくても議員総会は設置できると考えられている。国連議員総会 の設置に対して反対しているのが列国議会同盟(IPU)であるが、列国議会同盟を議員総会に発展させるということを提案していっても良いのではないかと思 う。

 世界連邦運動ニューヨーク本部では約4億ドルの寄附を集めたが、74%は国際刑事裁判所問題NGO連合、21%は保護する責任の国際連合へのもので、世界 連邦運動そのものへの寄附は4%に過ぎない。本部の運動は世界連邦そのものを直接前面に押し出すのではなく、国際刑事裁判所、保護する責任などのプロジェ クトで進めて成功している。

 1998年に国際刑事裁判所のNGO連合を立ち上げた時は17の団体しか加盟していなかったが、現在はなんと2500ものNGOが加盟している。世界連邦 運動のウィリアム・ペイス氏がその代表を務めているが、世界連邦であるということを前面に出してはいないので、他のNGOは中心が世界連邦とは知らないで あろう。

 2003年国際刑事裁判所が実際に設立されたのは、世界連邦運動の大きな成果である。スーダンでは元大統領が責任追及されることまで起きている。「侵略の 罪」について個人責任を追及するようになったのも大きな前進である。今後は核兵器の使用についても対象とすることを求めていくべきである。(伴 武澄)
sominnsshourai.jpg 師走も半分が過ぎ、注連飾り(しめかざり)が話題になる時期になってきた。そもそも注連縄は、神社などで結界を示すしるしとして稲わらなどを束ねて巻き、紙を切った紙垂(しで)を挿したものである。それが正月になると個人の家の玄関や門に飾るようになった。各地で特徴のある注連飾りが飾られているが、伊勢・志摩では一年中、注連飾りがあるのがおもしろい。

 伊勢市を歩いていて真っ先に気になったのは、この注連縄だった。注連飾りに文字が書かれ、半分くらいは「蘇民将来子孫家門とあるから目立つのである。神領民といわれる市民だけあって信仰深いのだとも思ったが、そもそも伊勢神宮の正宮、別宮、摂社、末社が4市以上にまたがって点在している広大な神域であるから結界も何もあったものではない。伊勢、志摩ではそこかしこに神が宿っているのである。

 注連縄で思い出すのは、大相撲の横綱である。土俵入りに締める太い綱は稲わらではないが紙垂があり、注連縄そのものである。古来日本では舞や演劇は神に奉納するもので、相撲もまたその作法を継承したから、神事が伴う。相撲で仕切りの前に拍手を打ったり、塩をまいたりする所作は神道そのものである。力士の相撲が神技になってようやく横綱になれるのだから、最高位の力士が注連縄を締めても一向におかしくない。

sominnsshourai700.jpg 伊勢市では毎年四月に大相撲の地方巡業場所が開催される。毎年開催されるのは伊勢市だけである。横綱が伊勢神宮に土俵入りを奉納するしきたりがあるため、伊勢市民は毎年、大相撲を観戦できる栄誉に恵まれている。それしても筆者が津支局に在任した2004-2006年は横綱が朝青龍一人だけだったから、モンゴル人である朝青龍のみの土俵入りとなった。大相撲会を代表した年一回の神さかへの儀式が外国人によって続けられることにある感慨があった。神道の儀式をここまで見事にまっとうできるなら国籍の有無に関係なく「日本人」なのだと考えさせられた。

 話を注連飾りに戻す。伊勢と志摩では年中、注連飾りを飾り、多くに「蘇民将来子孫家」の文字が入っていることはすでに書いた。理由はスサノオノミコト伝説にあるらしい。詳しくは聞いていないが、以下のような話である。 ある村に二人の兄弟がいた。旅をしていたスサノオノミコトが一夜の宿を探していたところ、お金持ちの弟の巨旦(きょたん)はスサノオの汚れた身なりを見てことわった。貧しい兄の蘇民将来は家に行くと、招き入れもてなしてくれた。スサノオは蘇民の妻となっていた巨旦の娘に茅の輪を授け、蘇民の家に今後、「蘇民将来子孫家」と書いた護符をつけるよう命じ、巨旦の一族を滅ぼした。おかげで蘇民将来の一門は疫病や災難を免れたという。その護符が伊勢や志摩の注連飾りとして伝わり残っている。

 蘇民将来伝説は日本各地に残っていて、「茅の輪くぐり」によって疫病から免れる儀式が執り行われているが、注連飾りに無病息災を託す風習は伊勢と志摩だけのもののようだ。(伴 武澄)

 厚労省は、企業に対して再来年度から希望者全員を65歳まで再雇用するよう義務付ける方針が14日明らかになった。、そもそも政府が企業に「雇用」を義務付けることなどできるのだろうかという疑問があるが、実は公務員の定年延長の前触れではないかと直感している。

 じょうだんじゃない。すでに消費税増税路線を進めているのだから、次に来るは公務員の大規模リストラと給与削減のはずである。年金一元化で公務員共済や私学共済などが一向に一元化しないのは、掛け金や支給額が民間より「有利」であるからでしょう。そうでなければ20年以上前に厚生年金と一緒になっていてもおかしくない。今回の民間の払い過ぎ年金問題についても公務員だけは何も決まっていないのは、手抜きとしかいいようがない。

 労働組合が長年の労使交渉で勝ち取ったもの。雇用するかどうかは、企業の自由意志であるはずだ。企業が勝手に従業員の首を切ることはなかなか難しいが、そんな難しいことでも労使合意を経ることで不可能ではない。企業が存廃の危機に直面したとき、実際に多くの企業でリストラが行われた。こんな法律が通ったら、たとえば円高で工場を閉鎖したくとも何もできないことになる。

 そもそも65歳までの雇用について、すでに企業は(1)定年の廃止(2)定年の延長(3)継続雇用-のいずれかの方法で雇用の維持を求められている。現在は希望しても企業側が必要がないとされた人まで雇用する義務がないが、今回は「希望者全員の雇用を義務付け」ようとしている。

 民間に65歳まで雇用義務が生じた暁には、政府も公務員を65歳まで雇用する義務が生じるという話が出てきてもおかしくない。公務員だって労働者だ。無理のない論理だ。この15年、民間では年収ベースで2-3割に給与ダウンは常識だ。ところが公務員の場合、目だって下がったという話は聞かない。そんな公務員を65歳まで高額給与を支払うことになったら、せっかく社会保障のために引き上げた消費税などあっという間になくなってしまう。

 それよりも、2カ月前、厚労省は年金の支給開始年齢を68歳に引き上げようとしたばかり。政府は税と社会保障の一体改革で消費税を増税する方針だが、増税した上に年金支給を遅らせ、さらに企業には65歳までの雇用を義務付けようとするなど、次早に国民への負担を増やそうとしている。過去の政権で何度も国民負担は増やされたが、一度にこんなに負担増を図ろうとしたことはない。

 野田政権があほなのか。あるいは霞ヶ関が民主党政権をつぶすために策を弄しているか。いずれにしても野田政権は官僚になめられすぎている。

 野田政権が発足して、党内融和のために小沢派にすりより、その後は財務官僚の言うがままの国政運営を続けている。そんなことは百も承知で野田さんも悪くないと思ってきたが、そろそろ堪忍袋の緒が切れそうだ。

 野田さんでも仕方ないと思った理由は自民党政権に戻っても同じことしか起きないからで、せめて民主党政権が一定期間存続して政権交代の礎ができてほしいという願うがゆえであった。ところが、民主党がマニフェストに掲げた子ども手当てを放棄し、高速道路無料化も骨抜きにされた。コンクリートから人へというマニフェストのさきがけとなるべき八ツ場ダムも建設再開の動きが強まっている。民主党マニフェストの全否定では政権を維持できない。維持する意味もない。

 定年延長、人事院の国家公務員定年延長案は年収30%減?
 http://nenkin.co.jp/lifeplan-blog/news/archives/2011/09/29-141743.php
DSCF0009.jpg 伊勢神宮が現在の地に祀られたのは天武・持統天皇の時代とされる。天皇家のご先祖さまである天照大神を祭神とする内宮と豊受大神を祀る外宮に分かれ、二つの正宮を持つ不思議な神社である。天皇支配の時代に立てられた皇祖を祀るための神社で、豊受大神と並んで崇拝されてきたことが興味深い。

 両正宮には天皇、皇后、皇太子以外の奉幣は許されていないから、ご神体を拝むなどということはありえない。神秘の世界である。もちろん衛視が目を光らせていて写真撮影などはご法度である。

 正式な参拝は外宮を先に参って、後に内宮を参るというのもおもしろい。地理的にいって、奈良や京都の都からやってくると、宮川を渡って神域に入るため、北側にある外宮が先だといわれれば納得できないこともない。しかし、それでは皇祖がないがしろにされているような気になって仕方がない。

 そもそも分からないのは、皇祖を祀る伊勢神宮が伊勢国度会郡に存在することである。都から遠隔地であっても天孫降臨の地にあるのだったらまだ理解できるが、奈良の明日香から山を越えたはるか東方に位置するのだから、説明不能である。

 それにしても歴代天皇が伊勢神宮を参拝した記録はなく、明治天皇が江戸への行幸の際に参られたのが、最初だというから不思議だ。平安末期には熊野信仰が盛んとなり、後白河上皇は34回も熊野詣でをされている。天皇であっても行幸は一般的だったから、皇祖参拝があってもおかしくない。

 歴代の天皇は皇祖を祀るために、皇女を斎宮(さいくう)として伊勢の地に派遣した。この制度は平安時代になっても続いた。斎宮は実は京都の上賀茂神社にも送り込んでいたから、賀茂はまた別格の待遇だったといえよう。斎宮は神に仕えることから穢れと仏教用語を忌み詞として禁じていた。

 また伊勢神宮は二つの正宮にそれぞれある別宮、末社摂社を含めると計125の社があり、その範囲は4市2町にまたがる。その一帯は神領とされ、律令制度の国衙の管理下にはなかった。単なる一神社ではなく、イタリアのバチカン公国のような存在ともいえるかもしれない。

 神さまの社を一般的に神社という。日本最古の神社は奈良の大神(おおみわ)神社とされるから、伊勢神宮はそれより相当に新しい。にもかかわらず神宮といえば伊勢神宮のことだった。いまでもし正式名称は宗教法人神宮である。

 神社にも格がある。江戸時代まで、神宮といえば「お伊勢さん」のことで、そのほかに神宮を名乗ったのは熱田、鹿島、香取の三神宮、大社は出雲と熊野のみだったそうだ。神宮が神社の上にあり、大社は別格ではないかと考えている。
DSCN0804.jpg 久しぶりに伊勢神宮を訪ねた。早朝の木漏れ日が美しかった。再来年10月、この地で式年遷宮が行われるのはご存知であろう。

 内宮にある山田工作所では宮大工による槌音が響いている。その日のために150人の宮大工が日々、社殿の木造りに励んでいるのだ。たぶん日本で最高レベルの木造建築の技が磨かれているのだと思うと厳粛な気持ちにならざるを得ない。木造で日本一ということは世界に類を見ないということにもなる。

 式年遷宮は神道の宗教儀式であるとともに、日本に伝わる古来の伝統木造技術の伝承のためにあるとさえいわれている。コンピューター抜きで生活ができない21世紀に、伊勢神宮だけは別世界といっていい。コンピューター技術に劣らない精緻な作業が宮大工たちによって続けられているのだから、ユネスコの世界遺産などとは異次元の人間の知恵と技による空間である。この時代に、何とも表現しがたい気持ちにさせられる。

 伊勢神宮の参拝者は年間400万人を数える。式年遷宮の年には倍増するといわれているが、今年は遷宮2年前にもかかわらず800万人に近い参拝者になるとみられている。遷宮に向けて国民の関心も否応なく高まっているのだそうだ。

 伊勢神宮の社殿はすべて萱葺きである。萱職人もまた全国から集められ、今年4月から工作所で働いている。新しく葺き替える屋根は40棟近くあるため、使用する萱の量も半端でない。山田工作所には専門の萱小屋が4棟もあり、8年かけて刈り取られた萱ですでに満杯となっている。萱の一束は1メートル20センチの縄で束ねられており、重さは約40キロ。それが2万3000束を数える。

 遷宮の作業を7年前から日々、記録している人がいる。伊勢文化舎の中村賢一さんである。かつて伊勢市に「伊勢人」という隔月の雑誌があり、その編集者でもあった。7年前、遷宮の儀式が始まり、ご神体を奉納する器である御樋代木(みひしろぎ)をつくるご神木を切り倒す壮麗な儀式が木曽山中のヒノキの天然林であった。偶然となりに座っていたのが、中村さんだった。たがわず伊勢の生き字引のような人だった。12日の夜、その中村さんと遷宮について語ったことも付け加えておかなければならない。(伴 武澄)
 5月に高知に帰ってから月に1回以上、高知と東京を往復している。航空運賃はもちろん「特割」などで事前に購入するし、宿泊付のツアーの場合もある。どうしようもない時は8000円内外のANAの株主優待をチケットショップで買うことにしている。

 機内に搭乗していつも考えさせられるのは、この乗客の中で「正規運賃」を支払っている人はどのくらいいるのだろうかということである。高知-東京の正規運賃は季節により異なるが片道、3万3000円から3万1000円である。東京のホテル1泊付のツアー料金はホテルにもよるが安いものだと3万3000円からある。前日まで購入できる特割は片道2万5000円、株主優待も同じようなものである。

 おおよその推測だが、往復の航空運賃分は往復3万円以下であろう。つまり、僕の場合、いつも半額で搭乗していることになる。たぶん、ほとんどの客は僕と同じように、割引運賃で搭乗しているはずである。

 正規運賃の半額しか受け取れないのだったら、航空会社は初めから半額の運賃にすればいいのではないかと考える。
DSC_0302.jpg 週末、宿毛を訪ねた。歴史館でびっくりしたのは、古代に土佐国とは別に「波多国」があったと解説されていたことだった。「都佐国にさきがけ、波多国造に任命された大韓襲命(おおからそのみこと)は、県下で唯一の前方後円墳である平田曽我山古墳に埋葬されたと考えられる。平田には前期古墳が三基もあり、すべて波多国造の一族の墓と思われ、この付近が波多国の政治経済の中心だったことを物語っています」

 高知県西部は幡多郡というが、古代の幡多の文化は瀬戸内海から伝えられたようである。現在、高知と呼ばれる県都は江戸時代に山内一豊が築城して城下とした場所で「河内」がなまって「高知」となった。長宗我部は岡豊を築きその後に桂浜のある浦戸に移った。最初から「高知」があったのではない。

 紀貫之が土佐の国司に来たころは南国市に国府があったから政治の中心は香長平野にあったのだろうが、もう一つの中心が一条家が支配した幡多郡にあったことは歴史的事実である。

 歴史が面白いのは、地元にいくと教科書には書かれていない展開があるということである。幡多郡のキーワードは「波多国」と国造の「大韓襲命」に加えて、「高知坐神社」である。幡多郡に「高知」があった。「たかち」と読む。奈良の「高市」と通じるのだそうだ。

 さらに宿毛市のホームページに続きを読みたい。

 宿毛市平田町戸内にある高知坐神社の祭神は都味歯八重事代主命である。『土佐式社考』に「都味歯八重事代主神は大和国高市郡高市社の祭神であるからあるいは高知坐神は事代神主命であろう。高知・高市は相通ずる。......国造本紀には事代主命の9世の孫である小立足尼が都佐の国造となっているので、神名帳にある大和国高市郡波多神社もこれと同じであろう」とある。
 また、『中村市史』には次のように述べている。「幡多郡に高知坐神社があり、大和国高市郡には高市御県坐、鴨事代主神社がある。また、高市郡に波多郷があることからみると、土佐の高知坐神社も波多という国号も、ともに大和の名を移したものであろう。幡多郡には賀茂神社もあることから考えると、天韓襲命は事代主命の神裔で大和から移住せられたものかも知れない。
2030cost.jpg 日経新聞の12月6日一面トップ記事によると、「政府のエネルギー・環境会議が電源別の発電コストを試算する「コスト検証報告」の原案が5日、明らかになった。原子力は事故費用などを加味し、1キロワット時あたり最低でも8.9円と2004年の試算に比べ約5割高くなったが、なお液化天然ガス(LNG)並み。太陽光は30年までにほぼ半減するものの、割高な状況は変わらない。新試算を踏まえ、政府は最適な電源の組み合わせを示す「ベストミックス」を柱とする新たなエネルギー基本計画を来夏までにまとめる。」

 日経新聞が掲載したエネルギー環境会議の試算の問題は「送電コスト」が含まれていないことである。以前、東電の広報部の人に聞いた話では、福島県から首都圏に送電するコストは発電コストに匹敵するし、仮に下北半島から送電するとなるとその何倍ものコストがかかるということであった。遠隔地に発電所を置く原発と基本的に屋根のおく太陽光とでは発電コストのみを比較しても意味がないということである。

 表のように太陽光の発電コストがキロワット時あたり30.6-16.4円であるとすると。これは屋根の上にあるから送電コストはゼロ。原子力の場合、同8.9円はで送電コストを加えると太陽光とおまり変わらない水準となる。本来のニューズの価値はここらにあるのではないかと考える。

 また、エネルギー環境会議の試算には営業経費や点検費用は含まれていない。個人が太陽光を屋根の上に設置する場合には、営業費など間接コストが一切かからないということも加味すれば、太陽光発電は将来、原発より相当安いエネルギー源になりうることを示している。そうはいえないだろうか。

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