第83回はりまや橋夜学会
日時:6月9日(金)午後7時から
テーマ:マハティール氏の知恵
講師:伴 武澄

7日の日経新聞で、マレーシアのマハティール元首相が国際交流会議「アジアの未来」でTPPに関連して「これまで多くの枠組みに米国が加わり、自身の考えを押しつけることが多かった」「TPPは米国に有利な内容が盛り込まれており、改善されれば、中国が加わる可能性も出て来るだろう」と述べていた。その通りだ。禍転じて福と成す。トランプ米大統領がTPP離脱を宣言し、日本は残りの11カ国で成立を目指しているが、議論をやり直してアメリカ抜きのアジア経済圏が誕生する可能性が生まれたと考えれば、いいのではないか。元々、APECはアメリカ抜きの経済圏構想として日本の通産省主導で始まったものが、当時のベーカー国務長官が「アメリカ抜きの経済圏は考えられない」と発言したのをきっかけに、外務省などの後押しで環太平洋になった経緯がある。11カ国でTPPを成立させるのではなく、中国を含めた東アジア経済圏をつくればいい。アジア諸国に対して日本がイニシアチブをとれる最後のチャンスかもしれないのだ。そして中国が入ることになれば、日中間の冷たい関係も改善されるかもしれないのだ。
20170606.jpgのサムネール画像■■■■■■■■■■
Domingkok通信Vol.001
     2017.06.07
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今日から四国地方は梅雨入り。農民にとっては慈雨となる。3月から鏡村に土地を借りて、土佐人民国の領土とすることになった。国土である。出入り出来るのは、土民国国民の権利となる。

我々の領土は川沿いのたった1.5反の段々畑ではある。4月にユンボを借りて「大規模開墾」を行った。雑草を断ち切り、根っこから掘り起こした。国民の一人の緒方さんが「俺使えるぜ」というから、建機リースセンターで借りた。運送用のダンプと併せて1日のリース料が1万円強なのには驚かされた。おかげで小生もユンボがあやつれるようになった。
20170602.jpg6月2日の夜学会のテーマは「加計学園騒動」です。

時間は午後7時から、
場所はいつものはりまや橋商店街イベント広場です。

大阪の森友学園に次いで、愛媛県に設立が予定されている加計学園の獣医学部新設騒動が前事務次官証言を交えて、マスコミの格好の餌食となっている。
政府の国家戦略特区は官僚支配に風穴を開けるため、官邸指導で行政を進める手法。安倍内閣の成長戦略に位置づけられている。このこと自体、国民は歓迎すべき行政手法の一つなのかもしれない。

獣医学部の新設は長年、文科省の反対によって認められてこなかったものが、いつの間にか加計学園による計画が認められた。「岩盤に穴を開けた」とする安倍首相の発言はまさにその通りである。

この獣医学部新設が安倍首相とまったく関係ない人々によって行われるのだったら、歓迎すべきことなのかもしれないが、加計学園の理事長である加計孝太郎氏が安倍首相の無二の友人であることによって、摩訶不思議な様相を展開することになった。

安倍首相始め官邸側は、獣医学部新設にあたって、外野席の声を一切封印しようとしているが、李下冠を正さずと言う言葉を安倍首相に贈りたい。
前川・前事務次官については出会い系バーに出没していた人物であることが明らかになり、本人も記者会見で事実を認めた。仮に前川氏に「前科」がなかったら、「ケンカ両成敗」という世間の風向きはまったく変り、安倍内閣を苦境に追い込めたかもしれない。
本来なら、野党側にテロ特措法をめぐり参院で徹底抗戦を繰り広げて欲しかったのに、国会はこれから、獣医医学部新設問題で明け暮れるのだろうと思うと頭が痛い。
20170421.jpg4月21日の夜学会のテーマは「私の台湾紀行」です。
場所ははりまや橋商店街イベント広場
時間は午後7-8時

4月9-13日、国際平和協会のThink Asia Tourで台湾に行ってきました。台湾ツアーは4回目です。台南の老人施設、台北の刑務所、映画KANO有名になった嘉義農林(現在嘉義大学)を中心でしたが、途中、タクシー移動に切り替えて八田與一のつくった烏山頭ダムと湖畔に建つ八田與一像にも立ち寄ることが出来ました。僕は2回目の訪問でしたが、他の団員はみな初めてで八田與一が台湾に残した足跡に驚きを隠せないようでした。その八田與一像が頭から切り取られる事件の1週間前のことでした。よもやそんなことが起こるとは考えられないほど台湾は平和な国でした。犯人は自らFaceBookに犯行を名乗りすぐに逮捕されました。中華統一党の党員だったということですが、日台にくさびを打ち込むのが目的だったはずですが、まったくの逆効果に終わったようです。この事件によって、八田與一の存在は日本でもメジャーになってしまい、台湾でも同じことが起きたのだと思います。
Ven.Ottama.pngウー・オッタマ(1878-1939)ミャンマー(当時ビルマ)独立運動創設者の一人で、ミャンマーのガンジーと称されたこともあった。ビルマ仏教青年会(YMBA)を結成し、「仏陀の教えを中心に青年が団結・奮起すれば、必ず独立を勝ち取ることができる」(「JAPAN」)と説き、民衆を鼓舞した。

 ミャンマー西部のアラカン地方のシットゥエの出身。16歳で得度し、インドで学んだ。その後ヨーロッパ、日本などアジア諸国を歴訪し、独立運動家と接触、ミャンマーの植民地からの解放運動に邁進した。

 日露戦争から5年後の1910年に来日。浄土真宗本願寺の法主大谷光瑞を訪ね、徒歩で東京へ旅行した際、名古屋で松坂屋の伊藤宅の葬儀に遭遇、伊藤家に滞在し、当主だった次郎左右衛門の知遇を得た。次郎左右衛門の後ろ盾で日本に3年間滞在し、東大で教鞭を執り、仏教哲学とパーリ語を教えた。また宮崎滔天らアジア主義者たちと交流、中国の革命家孫文との出会いもあり、独立運動に対する大きな刺激となった。日本ではその大きな体躯とするどい眼光から怪僧の異名をとった。
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第75回はりまや橋夜学会
日時:3月10(金)午後7時から
テーマ:三酔人経綸問答と兆民
講師:伴 武澄

 南海先生が語る戦争の起こる原因 2003年03月15日

 25年以上も前のセピア色の岩波新書を週末にひもといていた。中江兆民の『三酔人経綸問答』である。書かれたのは明治18年である。牙を剥いた列強が北東アジアの国々を虎視眈々と狙っていた時代に、どうやって日本を守るかという議論が洋行帰りの紳士君と豪傑君、南海先生との間で戦わされる。

15日の夜学会は、「地方首長の任期」をテーマに、50年にわたり芸西村長を続けた事例を紹介した。歴史上、王制でもそんな長い在位は珍しい。昭和天皇が64年というのも長い方で、平成の今上天皇もこの間即位したと思っていたらすでに28年に及んでいる。

民間企業では普通、3期6年が一般的。アメリカ大統領は2期8年と憲法で多選できないよう縛りがある。2002年に長野県知事だった田中康夫が3期12年という知事任期を縛る条例を議会に出したが否決された。そもそも2期8年やってできないものは3期目になってやれるはずがない。橋本大二郎、前高知県知事は3期目の公約で「改革」を掲げたが、自分のやってきたことを改革するのであれば自ら天に唾をするようなものであると嗤ったことがある。
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12月9日(金)夜学会のテーマは
「依岡省三とサラワク国」
場所は、はりまや橋商店街、魚の棚前の空き店舗です。

霞山会の雑誌「Think Asia」の原稿を書いている最中、現在のマレーシア・サラワク州に100年前、白人のラジャーがいたことが分かった。そこで唯一、外国人として投資を許された日本人がいたことも分かった。その日本人こそが高知県出身の依岡省三だった。南洋開発が日本の生きる道と信じ、鈴木商店の金子直吉を通じて日沙商会を設立、ゴム園と石炭採掘を生業とした。高知県は自由民権家の森小弁がトラック島に渡り、東京芸大出身の土方久功がパラオに住み、パラオ神話を初めて文字に残した。土佐が生んだ南洋三人衆ともいえよう。土佐人に残る南洋の血がなせる業なのかもしれないと考えればロマンチックは気持ちにさせられる。今夜は土佐がかけた南洋への夢を見たいと思う。

Emilio_Aguinaldo_(ca._1898).jpgエミリオ・アギナルド(1869 - 1964)フィリピンのスペイン統治時代に革命軍を組織し、米西戦争後は日本の協力を受けて反米闘争を続け、1898年、フィリピン共和国を宣言し、初代大統領に就任した。しかし、独立の英雄の一人ながら、その後にアメリカに降伏するなど毀誉褒貶の生涯を過ごした。
マニラ南西のカビテ州のカウイト町長の子として生まれ、豊かな幼少期を送り、25歳にして町長を引き継いだ。1890年代に誕生した秘密組織カティプナンに参加し、カティプナン党を中心とした独立のための武力闘争が始まり、その中で頭角を現わした。一時はカビテ州を武力解放するなどスペイン側に攻勢をかけた時期もあったが、スペインの増軍によって山岳地に入ってのゲリラ活動が続いた。
Ho_Chi_Minh.jpgホー・チ・ミン(胡志明1890-1969)ホーおじさんと慕われたベトナム独立運動の指導者。主にコミンテルンの元で海外から民族解放運動を指導していたが、1941年、ハノイに戻り、日本が第二次大戦で敗戦した政治空白を利用、民主勢力を糾合して1945年9月2日、独立を宣言した。しかし、フランスの植民地支配の復活とアメリカの関与によって30年の独立戦争を余儀なくされた。1975年のアメリカ軍の撤退のよる南北統一を待たずに亡くなった。

 ベトナム中部のゲアン省で貧しい儒学者の子として生まれた。本名はグエン・シン・クン(阮生恭)。父親の影響で漢籍を学び、日本に学べの「東遊運動」(トンズー)を起こしたファン・ボイ・チャウが父親の所によく遊びにきていたという。21歳の時、フランス船のコック見習いとして国外に脱出。船員やコックとして生きたが、1917年のロシア革命に影響を得てパリに渡り、グエン・アイ・クォック(阮愛国)の名で独立運動家として頭角を現した。第一次大戦後のパリ講和会議では植民地ベトナム人のフランス人と同様の基本的人権を要求する嘆願書を提出し、1921年、フランス共産党が成立するとともに共産党員となった。
uchimurakanzo.png内山完造(1885-1959)戦前、上海の租界に内山書店を開いて、大繁盛し、魯迅など中国の知識人との交流を深めただけでなく、日本の言論人と中国人を結びつけた歴史的功績は小さくない。たぶん、中国で最も尊敬される数少ない日本人の一人といっていい。

 現在の岡山県井原市に生まれ、12歳の時に大阪に丁稚として働き、後に京都の商家で働いていた時、牧野虎次(後の同志社総長)という牧師と出会い、28歳で大学目薬参天堂の上海販売員として中国に渡る。大陸への関心が高かったようで「血湧き肉躍る」思いだったそうだ。当時の目薬販売員は商品を担いで廻る必要があった。内山は上海から揚子江を遡り流域に販売網を築くだけでなく、当時としては珍しく庶民の目線から中国社会を見つめた。
zhouzuoren.jpg周作人(1885-1967)文豪、魯迅の弟。日本に留学、日本文学に傾倒し、陳独秀らが創設した雑誌「新青年」の中核メンバーとして自ら創作する一方、日本始め海外文学の翻訳、文芸評論家として名をなすが、日中戦争後も北京にとどまり、日本側に協力したことから、解放後は対日協力者「漢奸」として逮捕された。その後、出獄したものの、名誉を回復することなく不遇の中で死去する。

 浙江省紹興の旧家に生まれ、南京の江南水師学堂を経て、1906年から日本留学。立教大学では英文学とギリシャ古典文学を学び、西洋の文芸思想から個人主義と人道主義の影響を強く受けた。1905年、東京で孫文らによる中国革命同盟会が発足し、魯迅とともに大いに刺激を受ける。

 1911年に帰国するが、辛亥革命が起きて、清朝は崩壊。周作人は浙江軍政府の教育司や省立中学の英語教師などで生活を支えながら創作活動を開始する。文壇で頭角を現わすのは五・四新文化運動の最中。
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12月2日(金)夜学会のテーマは
「ビール課税の不穏当な動き」
場所は、はりまや橋商店街、魚の棚前の空き店舗です。

表はビール課税の国際比較だ。歴然としているのは高いこと。
政府は現在あるビール、発泡酒、第三のビールの税率を一本化しようとしている。ビール消費の減少に加えて、発泡酒や第三のビールへの移行によってビール類からの税収減をなんとか食い止めようと一本化を図ろうとしているのだが、そもそも発泡酒や第三のビールが登場したのは単にビールの税金が高すぎた結果なのである。ビール類の課税を国際水準に引き下げるならともかく、一本化したところで何の解決策にもならない。前々回話した通り、日本では長年「減税」というものがない。高齢化社会に向かって国民負担が増えていくのは仕方ないにしても、どこかで国民が喜ぶような政策が必要なのに、一向に国民の気持ちが分からないのだ。

Yi_Un.jpg李垠(1897-1970)大韓帝国最後の皇太子。称号は英親王。李王朝の高宗の第7子として生まれ、純宗の時、皇太子となるが、10歳の時に日本留学。日韓併合で李王朝がなくなり、終戦で独立後も王制は復活せず、失意のうちに死去した。赤坂プリンスホテル旧館は李垠殿下の住まいだったものを、実業家の堤康次郎が戦後に買収し、殿下にあやかってホテル名にプリンスをつけた。

日本留学は1907年。伊藤博文の建議によるもので、すでに日本は朝鮮を併合する考えであったため、皇太子を日本の皇族として育てることとなった。学習院、陸軍幼年学校、陸軍士官学校で教育を受け、1920年には梨本宮方子様と結婚、二人の男児をもうけた。政略結婚であったとはいえ、方子様は李垠につかえ夫妻円満だったようだ。長男李晋が誕生した時、日本のマスコミはこぞって「日朝融和のシンボル」として大きく取り上げた。
日本は日韓併合後も、李朝王室を廃止することはなく、引き続き昌徳宮は王室の住まいとしてあり続けた。しかし、韓国側からみれば、李王朝の皇太子が日本化することは耐えられない屈辱だったはずだ。

11月25日(金)夜学会のテーマは
「あなたの今週のニュースは?」
場所は、はりまや橋商店街、魚の棚前の空き店舗です。

今週は趣向を変えて、あなたにとっての今週のニュースをテーマに考えたい。個人的には「ひばり食堂での出来事」「母親の退院」がニュース。高知県にとっては黒潮町での津波高校生サミット。日本にとっては「113円の円高」。世界的にはトランプ次期アメリカ大統領が改めて「TTP離脱」を宣言したこと。そんな風に考える。こうして1週間の出来事を頭の中で整理することは頭の体操となる。何より、その出来事を思い出すことによって頭の中に定着することもできる。これから夜学会では「あなたのニュース・タイム」を設けて、相互に頭の活性化を図りたいと思う。

11月18日(金)夜学会のテーマは
「前の減税って、いつだっけ」
場所はいつもの通り、はりまや橋商店街イベント広場です。

1990年代にはバブル崩壊後の景気対策として大規模な特別減税が実施されてきた。1994年の2兆円におよぶ定率減税に始まり、1997年の景気後退に対する経済対策として実施された定率減税等、大規模な所得税減税が実施されてきた。

それから、約20年、日本は所得税の課税ベースの拡大などに伴う増税オンパレード。

景気をうんうんする時、かつては必ず減税が言われたのに、安倍政権以降は日銀による低金利・資金供給ばかりに委ねられている。ここらで根本に戻って「減税」も選択肢に入れてもいい時期にきているのではないだろうか。

11月11日(金)夜学会のテーマは
「トランプ勝利、吉と出るか凶とでるか」
場所はいつもの通り、はりまや橋商店街イベント広場です。

11月8日のアメリカ大統領選挙で、トランプ氏が大方の予想を裏切って勝利した。オバマ大統領は核兵器の廃絶を訴えノーベル賞まで受賞したが、アメリカは何も変わらなかった。アメリカのエスタブリッシュメントのために尽くし、Yes we can!は大嘘だった。トランプ氏はTPP離脱を訴え、世界の警察官であることを辞めると言い出しているが、果たして世界はどう動くのか。
日本にとって、親権者であるアメリカから親離れをしろと言っているトランプ氏の登場は、まさに自立の大きなチャンスではないか。安倍晋三首相の持論である「日本を取り戻す」絶好のチャンスではないか。僕はそう考えるが、どうだろうか! 時の状勢に一喜一憂する株式市場や為替市場の動きなどはどうでもいい。11日夜は久々の白熱授業としたい。

11月4日(金)夜学会のテーマは
「自民改憲案を考える」
場所はいつもの通り、はりまや橋商店街イベント広場です。

11月3日は日本国憲法発布75年を迎えた日であった。各地で憲法を考えるイベントが催された。夜学会も今一度憲法について考えたい。不断、我々は何気なく多くの文章に接しているが、実はその文章に潜む幾多のカラクリを見逃している場合が多い。例えば、日本国憲法の主語が「日本国国民」であるのに対して、自民党の改憲案では「日本国」となっている。前者に「義務」は少ないが、後者では多くの「義務」を国民に課している。それだけ見ても、自民党改憲案は「憲法」の名に値しないことが分かる。アメリカ合衆国憲法は当然ながら、主語が「People」である。来週はアメリカ大統領選がある。大統領の意味を考えながら、我々の憲法について考え直したい。


場所はいつもの通り、はりまや橋商店街イベント広場です。

11月3日は日本国憲法発布75年を迎えた日であった。各地で憲法を考えるイベントが催された。夜学会も今一度憲法について考えたい。不断、我々は何気なく多くの文章に接しているが、実はその文章に潜む幾多のカラクリを見逃している場合が多い。例えば、日本国憲法の主語が「日本国国民」であるのに対して、自民党の改憲案では「日本国」となっている。前者に「義務」は少ないが、後者では多くの「義務」を国民に課している。それだけ見ても、自民党改憲案は「憲法」の名に値しないことが分かる。アメリカ合衆国憲法は当然ながら、主語が「People」である。来週はアメリカ大統領選がある。大統領の意味を考えながら、我々の憲法について考え直したい。

10月15日、石川県白山市の行善寺で社会福祉法人、仏子園本部の開所式があり、石川県に行ってきた。日本のどこにもないだろうという保育園で子どもたちが足踏みゴーカートを乗り回していた。真ん中の庭には大きな木が植えてあり、子どもたちが木登りに余念がない。この保育園では「子どもがけがをすること」を親に認めさせている。滑り台は三人が同時に滑ることができるほど幅を広くしてある。 何を隠そう、この保育園は障害者施設を併設している。知的障害者の中には「待つ」ことが理解できない子どももいるから、そんな滑り台になっていることに合点がいった。

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