私たちはアレキパには早朝に到着していた。
このアレキパは標高2350メートルの肥沃な渓谷に位置し、約75〜100万人の人口を擁すペルー第二の都市といわれている。アレキパという名の由来には2つの説がある。一つは、アイマラ語で「ミスティ山の陰にある土地」を意味することから、前インカ時代に、アイマラ族が最初に名づけたという説であり、もう一つはケチュア語で「ここに住みなさい。」を意味することから、インカ帝国第4代皇帝マイタ・カパックが旅していた際にこの渓谷に魅せられ、従者に命じたことに由来するという説である。インカ族は、この渓谷を支配していたアイマラ族を15世紀に征服し、この地を彼帝国にとっての農産物の重要な供給基地としたのだ。現在、このアイマラ語とケチュア語は、スペイン語と共にペルーの公用語となっている。
1930年代、アレキパは道路網の拡張により、汎アメリカンハイウェイに直結され、それ以来、南米や北米の各地域間との間での物流の流れが強化され、リマとペルー南部諸地域を結ぶ商業の中心地であり続けている。これに伴い、1940年代末以来、Sierraといわれるアンデス山脈が連なる高地からの移住者を吸収し続けている。こうしたアレキパに住む人々の気質は、全人口の約30%が集中する首都のリマとは異なる。彼らは、自らの熱烈な政治信念等といった知性あふれる議論をこよなく愛し、そうした気質を誇りに思うとともに、リマとの差異性を大切にする人々なのだ。
こうした状況は、ペルーだけでなく、日本や他の国々でも観察されるのでなかろうか。例えば、日本では、一般的に、関西人は独自の文化体系と気質を持ち、関東人との差異性に注目するものだ。また国内の地方間においても、同一地方内の都道府県間においても、都道府県内においても、市町村内においても、よく似た状況が観察されるように思う。
私たちは深夜バスで移動したこともあり、ホテルで暫く休むことにした。昼頃に起き、アルマス広場付近のレストランで牛肉とポテトと野菜を炒めたロモサルダードやスパイシーなクリームチーズソースを蒸かしポテトにかけたオコパを食べたり、逸話に登場する5822mのミスティ山やその隣の6075mのチャチャニ山を見たり、都市近郊の農場を訪問したりしたものだった。
彼女は、リマとの比較で、建築物が白く映えていることや治安と気候のよさを感じていたようだ。このアレキパはCostaと異なり、雨季には適度に雨が降り、野生の草木が到る所で見られる。活火山の懐に位置するといえども、旅人に魅せる何かを有した土地なのかもしれない。
私たちは、翌朝、アレキパを発ちプノに向かった。アレキパからプノまでは、バスで7時間ほどの距離であるものの、標高3000メートル以上のアンデス山脈を越える道が続くものだった。
立田潤一郎にメール junichiro1997@gmail.com
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