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ルーの花嫁(7)世界遺産の町としてのナスカ

2009年01月11日(水)
萬晩報通信員 立田 潤一郎
私たちは、午後過ぎにはナスカに到着していた。このナスカは、リマから400kmほど南下した沿岸部の丘陵とアンデス山脈の麓の間にある標高600メートルほどの盆地に位置し、人口5万人ほどの小さな町である。荒涼とした原野に照る陽を見るにつれ、1939年に考古学者のポール・コソックにより、ナスカラインが発見されるまで、外界から忘れ去られた地であったことに気づかされる。

私たちは有名なナスカエアーラインで、パイロットを含め6人乗りの小型セスナ機に乗り、ナスカラインの描かれた空域に移動した。彼女にとっては初めてのフライトであった。思えば、私の初めてのフライトもジャンボジェットではなかった。

ナスカラインはそれが作られた理由が未だに解明されていないなど興味深いものであるが、小型セスナ機であるが故に、機体が気流の変化により上下左右に大きく揺れるとともに、各々の絵の上空に到達すると、パイロットはよく見えるように機体を大きく旋回してくれた。私たちは30分も乗っていると、気持ちが悪くなっていた。

私の関心は1994年に世界遺産に登録され、旅行者が一定数訪問しているとはいえ、観光化されていないナスカという町に移っていた。この町では、手工芸品などが売られている箇所も商品量も数えるほどであり、クスコやマチュピチュ遺跡の麓の村とは大きく異なる。こうした数少ない手工芸品売り場がナスカエアーラインの出入口に設けられていたが、商品はポストカードやパンフレットぐらいのものであった。旅行者がクスコやマチュピチュと比べて、圧倒的に少ないのだろう。

旅行者は世界遺産が商業化されすぎると興ざめするものであり、ナスカの町に住む者も様々な思惑をもっていることだろう。ただ、ナスカならではの商品やサービスの提供とそれらのマーケティングや国内外の旅行会社との連携により、この町の現金収入の糧を多様化できないだろうかと思われた。

私たちは、その日の夜に、アレキパに向かう深夜バスに乗った。


 立田潤一郎にメール junichiro1997@gmail.com

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