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ウガンダより日本を考える−「アフリカ諸国」

2008年02月01日(金)
Uganda Moyo通信員 伴 正海
 ウガンダの新聞で面白い記事を見た。それは子供たち(6〜11歳前後)に対して「神さま」という題で絵を描かせたコンクールの表彰の記事であった。見開き一杯に載せられた8枚の絵があった。2枚はアラビア風の鬚を生やした男性の絵、1枚は王冠をかぶった女性の絵、2枚は一つ目おばけのような絵、そして8歳の子が書いたのは紙が4区域に区切られてそれぞれが異なる色で塗りつぶされた絵であった。

 はじめの5枚はどれも天に存在するような書かれ方で後光が射しているものであった。しかし、残りの2枚の絵というのは自然の景色を描いた絵であったのだ。山、川、木、雲、星、太陽(ウガンダに海は無い)といったものが、時にはそれに目口などの表情まで含んだ形で描かれていたのであった。

 そう、これだけ自然が豊かなウガンダで自然に対する畏敬というものが育まれないはずはないのだ。であるとすれば、アジア諸国(日本を含めて)と同じように人々には多神教的な精神が根付いているはずである。キリスト教やイスラム教などといった一神教が彼らの心の奥底まで染みついていることもないであろう。以前からなぜこの自然豊かな国に一神教なのかという疑問を持っていたわたしからすれば、この記事はその証明となったのである。

 一言にアフリカ諸国とは言ってもそこには無数の部族が存在し、無数の文化が存在する。しかし、核となる「文明」というものが存在しない。サミュエル・ハンチントンが著書「文明の衝突」において指摘した。現在、ウガンダの隣国ケニアにおいて大統領選挙後の混乱が続いているが、これも部族間の争いによるものである。ウガンダもこのケニアの混乱は他人事ではない。ウガンダも大小15以上の部族が存在している国であるからだ。

 しかし、その「国」という概念がここの人たちに染みついているかはあやしいところである。たしかに、ウガンダではムセベニ政権以来国内は落ち着き、懸案だった北部における内戦についても和平交渉がしっかりと進んでいる。そうなると、ウガンダという国の領土内に住む各部族たちは「ようやく戦いが終わって平和になった」と実感する。

この実感することが大事なのだ。例えば戦国時代日本の群雄割拠時代、農民たちは領主がその土地を平和に保つからこそ領主に年貢を納め、その国にいるということを実感したのだ。現代で言えば政府が警察力などによって犯罪を抑えるなどの恩恵を受けているからその国民はその国民となるわけだ。ウガンダもその状況に近付いてきていると言えば、当たらずと雖も遠からずなのだ。

 ところがそのウガンダ国内にも多くの部族が混在しており下手したらケニアのようになりかねないという。要するにわたしが言いたいのは、もしかしたらウガンダでの安定というのは本当は表面的な薄っぺらいもので、その民主主義という上から被せられた大きなベールの下にはケニアのような民族的な対立がいつでもそれを破り去りうるのではないかということだ。

 かつてのコラムや自身のブログで述べたように、わたしはこういった途上国、特にアフリカ諸国において成長を急ぐべきではないと考えている。それは、先進国からやってきてUNHCRという国際組織が関わるNGOに身をおいて地元民や難民と呼ばれる人を見たとき、自分たちのしていることが本当に彼らのためになっているのかという懐疑的な思いにとらわれてしまったからである。

 彼らは確かにそこで生を授かって生きており、その生き方考え方は欧米のそれとは根本からして異なるのだ。上記の新聞記事からも分かるように、自然豊かなウガンダでも人々の心の中には多神教的な精神が存在し、それは多くの神の存在を認める、それすなわち寛容という精神を育んでくれるのだ。

 年末年始にタンザニアのザンジバルというインド洋に浮かぶリゾートの島に訪れた。その島は昔からアラブ諸国と交易があり、「イスラムの島」とも呼ばれているほど島民の大部分がイスラム教なのだ。しかしそのザンジバルにおいてもイスラム教徒たちは自然の神々というものも同時に敬っており、土着の宗教観というものを持ち続けているのだとザンジバルに20年近く住んで現地でバンガローを営む三浦さんという日本人女性に教えていただいた。

 このような国々において、古く18世紀あたりから続いてきたヨーロッパの歴史で生まれた国という概念が同じような歴史を持たない(というか当時はヨーロッパ列強によって世界の舞台からはじかれていた)アフリカ諸国ですぐに根付くはずもないのである。

 たしかにアフリカにも多くの王国などが存在した。しかし、ハンチントンの言うような「文明」を核とした集団はエチオピア以外に目立って存在しておらず、そのエチオピアの文明も衰退してしまった。要するに、地域における大国とその周辺国というようなアジアなどにおいてすらも見られたような状況がなくーだからこそアジアは戦後アフリカに先駆けて発展したということも言えるのであってーそういう積み重ねがない状態では現在の世界における「国」というものを作るのはかなりの困難を要するのでそれには時間がかかっても仕方がないのである

 ただ、アフリカ諸国にとって不幸なことにアフリカ諸国というかアフリカ全土が過去においてアジアなどが経験したような段階を踏んで進むということがほぼ不可能であり、さらには技術などが彼らの現状に対して進み過ぎているというアンバランスな状態にあるということだ。

 こうなっては恐らく、アフリカ大陸は現状の国というかたまりをとりあえずはリーダーたちが率いてその統治方法は過去のものから自分たちに最適であろうものを選択し、それがゆっくりと時間をかけて染み込んでいき、じきにそれが彼らの独自性を持つ、というのを待つのが将来的にもよいのではないだろうか。

 もちろん、だからといって先進諸国はそれを完全に放置するわけにはいかない。そのための支援というものは必要となるだろう。その支援というのも過去のコラムに書いたように支援のための支援であってはならず、自立のための支援となるべきなのだ。そしてその支援もおそらく各国の国益というものを念頭において行なわれるであろうが、アフリカから様々なものを搾取する国益よりもその国が将来健全なパートナーとなってくれる国益のほうがより有益ではないだろうか。そういう姿勢で諸国がお互いの主張を認め合って譲歩しあってアフリカ大陸を支えていけば、その進展は前途明るいものになるのではないかと考える。

 伴 正海にメールは mailto:umi0625@yorozubp.com

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