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ウガンダより日本を考える(3)〜働く子供

2007年11月13日(火)
Uganda Moyo通信員 伴 正海
この間、町の病院でオペを終え、町のとあるお店でDr.とコーラを飲みながら迎えの車を待っていると、とあるスタッフが彼の息子とバイクでやってきた。

息子は2歳ぐらいだろうか。かわいい服を着て靴を履き、ジュースとビスケットを与えられてそれをムシャムシャしていた。彼は、訝しげな顔をしながら「白人」のぼくを観察していた。

そこに、小さな少年が、果物を乗せたお盆を頭の上に抱えながら歩いてきた。そのスタッフはその少年を呼び止め、その果物を100シリングで買った。

その少年は、ボロボロのTシャツに短パン、ボロボロのビーチサンダルを履いていた。スタッフは、美味しそうにその果物を頬張っていた。

なんだろう、この違和感。

そうやって手にした100シリング(日本円でおよそ7円)で、少年の家族は石鹸を買い、布を買い、そして生きるのだ。

ここに横たわっている問題はなんだ。

貧困だ。
よし、我々先進国側の人間が、彼らに石鹸や布を寄付しようではないか。
彼らの生活はどう変わるか。
普段よりも遠慮しないで石鹸を使える。
毎日来ていた同じ服を着替えることができる。

それで?
終わり。

その効果は石鹸を使い切るまでしか続かない。
しかし、寄付した人たちは満足である。
「恵まれない人たちに寄付してやった。」
筆者が「自己満足型援助」と名付けたものだ。

しかもこういう援助は「援助慣れ」により被援助民を堕落させかねない危険性を大いに孕んでいる。

すると、どういう援助をすればよいのだ。
どうも言葉が良くない。
「援助、援助」と、
まるで「恵んでやらなければ」というように聞こえてしまう。

違う。

彼らを尊重しよう。彼らの文化、歴史、生活様式すべてを尊重しよう。その上で、彼らの立ち位置から彼らのやりやすい馴染みやすいやり方で彼らが彼らの足で立ち上がれるように支えてあげよう。

文明と呼ばれる我々の持つものを、特に欧米文化というものを、そのまま彼らに押しつけるべきではない。その巨大な波を受け止められるだけの準備がまだできていないと思われるからだ。

少しずつ、ゆっくり消化していけばよいのだ。
何も焦ることはない。
毎日薪や炭を燃やして食事を作り、昼間は涼しい日陰でお喋りをし、音楽が流れれば踊り出す。
彼らのそんな生活の灯を、大きな波で消してはいけない。
そうやって我々は今まで後悔してきたはずだ。

大都会に住む人間が、田舎の風景で心癒されているではないか。
同じ轍を踏ませてはならない。

彼らは今の彼らの生活を心から楽しんでいる。
彼らの遺伝子にまで染み込んでいるであろうこの環境を、我々のエゴで無理矢理変えてはならない。
我々はあくまで、同じ目線に近づいてそこから一緒に考え、時には支えてあげる。
それで充分だと思う。
賛否両論あると思うが、
それで充分だと思う。

彼らがアフリカの大地をしっかりと踏みしめて立ち上がれば、それで充分だと思う。

 伴正海さんにメール mailto:umi0625@yorozubp.com
 ナイル川のほとりの伴 http://blogs.yahoo.co.jp/umi_0625

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