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香港返還10年を振り返る(1)

2007年07月01日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄
 10年前の7月1日、香港が中国に返還された。1984年、トウ小平とサッチャーによる交渉で決まり、13年にわたる準備期間があった。この間に世界も中国自身も大きく変貌した。中国の改革開放もままならない時代から、天安門事件を経て、中国経済はテイクオフの時期に入っていた。

 江沢民政権は、広東省や福建省など在外華僑と密接な関係にあった沿岸経済に続いて上海の開発に着手していたが、中国が今のように世界経済の重要な一角を占めるとは誰も想像していなかった。

 中国は香港返還にあたって50年間の資本主義経済を認める「一国二制度」を約束していたが、世界のほとんどのメディアは香港が中国に飲み込まれると信じた。香港の経済発展の背景にあった自由が失われ、「香港の繁栄は終わる」と論陣を張った。

 ■黒雨の中、進駐した解放軍

 10年前、僕は香港にいた。僕もと言った方がいいほど世界中の人が香港に集まっていた。アヘン戦争から続いた植民地統治の最後の瞬間を誰もが体験しようとしていた。香港返還は歴史の変節点だと誰もが意識した。

 午前零時を期して返還式典が始まった。チャールズ皇太子とパッテン総督、そして江沢民総書記が立ち会った式典ではユニオンジャックが下ろされ、五星紅旗が翻った。

 雨は前日から降り始めていた。式典開始と同時に解放軍兵士を満載したトラックが深セン国境を越えて陸続と香港入りした。沿道では解放軍を歓迎する人々も少なからずいたが、ライトアップされた式典会場とは裏腹に解放軍の隊列は闇夜をついて進駐した。雨脚はどんどん強まっていった。

 明け方から雨は暴風雨に変わった。香港は歴史的豪雨に見舞われ、各地で土砂崩れが起き、道路は寸断された。翌日のニュースは返還どころではなかった。各地の被害状況が一面を埋め尽くした。ある新聞はこの豪雨を「黒雨」と表現した。

 ■同時進行した通貨危機

 返還のドラマは豪雨による被害にとどまらなかった。翌日にはタイのバーツがヘッジ・ファンドらに売り浴びせられ、変動相場制に移行するというニュースが紙面のトップとなった。通貨の暴落はその後、マレーシア、インドネシアなどへと広がり、香港ドルも標的とされた。香港ドルは1980年代から、米ドルにペッグし、アジアでは最も安定した通貨だった。香港ドル紙幣の発行時に同価値分の米ドルを通貨当局がリザーブする仕組みである。

 結果的に香港政府は香港ドルを必死で買い支えヘッジ・ファンドの餌食からかろうじて免れた。しかしアジアの通貨が軒並み下落する中で、香港だけが通貨価値を維持したということは競争力の減退を招く要因となり、香港は初めて経済成長率がマイナスに落ち込むこととなる。

 歴史的な香港返還は中国による介入どころか、天変地異と人為的通貨危機で幕を開けたのだった。しかし香港の苦悩はこれでは終わらなかった。(続く)

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