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穴あきダムを嗤う

2007年02月11日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄
 長野県は、県内を流れる浅川のダムの設計計画を中止した田中康夫前知事の政策を転換し、穴あきダム建設を決定した。いわゆる治水利水のうち利水をやめて治水に特化するというのだ。

 そもそも読者の多くには穴あきダムのイメージが湧かないのではないかと思う。ダムを水を貯めるための施設なのに、穴が空いていたら意味がない。ダムの下の部分に可動式の穴が空いていて、普段は空いているが大雨の時に閉めて洪水を防ぐというのだが、そんなものダムというのかという疑問もある。

 筆者は一般論として脱ダム賛成派だ。ダムは公共事業のかたまりである。小さいダムでも何百億円の金がかかる。大きなダムだと数千億円は軽くかかる。昭和30年代につくられた全国ダムマップをもとに粛々とダムをつくり続けてきたのがこれまでのダム行政であると聞いたこともある。防災という観点もあっただろうが、どちらかといえば農業用水だとか工業用水、発電といった利水に重点が置かれてきたという印象も持っている。その場合、水の需要は常に右肩上がりの経済を前提としていた。

 その右肩上がりの前提が崩れて久しい。一方でダム建設による環境破壊問題も浮上してきた。ダム建設は開発か環境かを問う国民的関心事となった。

 明治以降、多くのダム建設は治山治水面で多大な貢献をしてきた。そのことを否定するものではまったくない。ただ20年に一度の災害を防ぐ防災が50年となり、いまや100年に一度の確率に耐えうる建造物をつくろうとしている。もし100年に一度に耐えられる国土ができたら今度は200年に一度の災害に耐えうる国土づくりに励むのだろうか。

 そこまで人間は自然を支配しなければならないのか。あるいはできるのか。分からないことが多いが、防災コストが倍々ゲームになることだけは確かであろう。防災は大切である。環境も大切である。問題は日本という経済がどこまでその負担に耐えられるのかということではないだろうか。

 長野県の財政は財政再建団体への転落ぎりぎりにある。田中前知事が公共事業費を抑制してきた背景にはそうした逼迫した財政事情があった。新しい村井知事は7日、前年度比2・6%増となる8462億円の2007年度予算案を決めた。浅川ダムの建設は08年度からの予定だが、浅川ダム建設に着手する財政的余裕は長野県にはたしてあるのだろうか。

 一部の道府県を除いて財政は依然として厳しい。景気回復があろうがなかろうが、過去の大盤振る舞いのつけは今後多くの自治体で支払っていかなければならない。小泉前首相がそれまでの首相と違っていたのは、景気対策をほとんどやらなかったことである。国民に我慢を強いたのである。にもかかわらず絶大な支持率を維持した。国交省と一部の業者を喜ばす行政は長続きしないのだ。

 戦前の信濃毎日新聞に桐生悠々という名コラムニストがいた。「東京空襲大演習を嗤う」というコラムを書いて陸軍からにらまれ、長野を去らざるを得なかった。桐生悠々ほどの勇気もないが、あえて「穴あきダムを嗤う」というタイトルをつけた。

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