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日本は果たして戦争に耐えうるか

2006年10月20日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄
 10月9日、北朝鮮が核実験を実施したと発表してから、切実に戦争について考えさせられている。国連安保理が北朝鮮制裁決議を満場一致で決めてから、ライス米国務長官が関係国を駆け巡り、中国の唐家セン国務委員もまた米国訪問の後、慌ただしく北朝鮮を訪ねている。

 主要国の外相が一つの目的でこれほど世界を駆け巡った経験は記憶にない。イラクの時だってこれほどの動きはしなかったと思う。それほど世界は切羽詰まっている。

 北朝鮮の暴発あるいは崩壊の危機が迫っている状況にあることは明白なのだろうと思う。米中のここ数日の動きは状況的にいえば多分、「圧力だ」「対話だ」といって済む事態でないということを伝えている。

 日本政府は安保理の臨検に対して「周辺事態」にならなければ日本として参加できないとしているが、まさに周辺事態と認定しなければならない状況が近づいている。そう覚悟しておいた方がよさそうだ。

 ■米中が恐れる周辺国の核開発の連鎖

 アメリカや中国などが恐れるのは日本や韓国の核開発の連鎖である。台湾だって核を持ちかねない。技術的には各国とも数カ月で核開発は可能とされる。中川昭一政務会長の「日本の核兵器保有の必要性について議論すべきだ」とする発言は意味深長である。自分の判断だけで言い出したのだとしたら、中川氏は相当な戦略家である。

 ワシントン在住の中野有さんがかつて同じことを言っていたことがある。日本が核を言い出すだけで極東の力関係は一変する可能性について言及していたのだ。アメリカが中国を動かすために中川氏を利用した可能性もないわけではない。

 いずれにしてもここ数日の中国の動きは生半可でない。北朝鮮が無謀にも核実験を実施したおかげで日本にまで核を持たれたのでは中国としては看過できないはずだ。北朝鮮が何の展望もなく二度、三度の核実験をすることだけはなんとしても防止しなければならない。そんな中国側の焦りが感じられるのである。

 ■日本は果たして戦争に耐えうるか

 思い出したのは、昨年話題となって読んだ村上龍の『半島を出でよ』だった。少人数の北朝鮮の工作員が日本に上陸し、福岡ドームを武力占拠し、2時間後に輸送機で500人の特殊部隊が来襲してあっという間に福岡市全域を支配下に置くのである。市長や知事は管区警察局長に加えられた暴力と拷問を目の当たりにして真っ先に工作員のいいなりになる。暴力と拷問の恐怖に日本の老人たちが数分と耐えられるはずがない。人命尊重の日本国政府は思考も行動もフリーズしたままである。

 そんな緊急事態が近く日本で出現すると考えているわけではない。村上龍が描く暴力に抵抗力のない日本人の狼狽ぶりを思い出したにすぎない。小説を読んだ感想として、力なき自由も平和もただ砂上の楼閣なのだと当たり前のことに思いをはせた。。

 北の工作員たちは高度な訓練というか人間としての感情を持たない存在に育て上げられている。敵の拷問に耐えられる訓練を受けている。その訓練の描写を読んでいて「あーだから軍隊では部下を意味もなく殴るのだ」とへんに納得した。殴られるぐらいで音を上げていたら戦などはできない。戦場では足手まといになるだけであろう。

 今の日本で戦争に反対することは簡単である。言論の自由もある。しかしいざ戦争が始まれば、報道は官制下に置かれ、敵を利する発言や行動はただちに禁止されるだろう。禁止どころかそうした発想はたちまち「Delete」される。国民を危険にさらす責任など問えるはずもない。

 戦う意志のないリーダーを戴いていたらそれこそ国民は不幸ということになる。しかし自らが暴力と拷問に耐えうる強靱な肉体と精神力を持っていない国民はどんなリーダーがいたとしても自ら不幸を招くことになる。

 日本人は戦争に耐えうる国民だろうかと問われると考え込まざるを得ない。恥ずかしながら、筆者には自信がない。30年前、東京外語大を占拠した過激派学生と渡り合った時の恐怖はいまだに記憶として残っている。ラグビー部やボート部など学内の肉体派を集めて“抗戦”し、過激派のバリケードをかろうじて排除した。しかしいつどこで報復されるか分からず、しばらく集団登校した経験がある。暴力との対決はそんな程度しかない。

 空虚なのは「国際社会と緊密に連携して」という繰り返されるフレーズである。政府に自らの覚悟が感じられない。

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