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胡錦濤総書記が送った安倍首相へのメッセージ

2006年09月30日(日)
萬晩報主宰 伴 武澄
 安倍新首相誕生の前日の25日、午前10時から自民党新総裁が中川秀直氏を幹事長とする党三役人事を決定した。ほぼ予想通りの布陣で国民の関心が新政権の閣僚人事に移ったちょうどその時、新内閣に呼応するかのような事件が中国で起きた。

 ■上海ナンバーワン解任の意味

 江沢民前総書記の流れをくむ上海のナンバーワン陳良宇上海市書記が解任されたとする一報が昼すぎ、香港の衛星テレビのニュースで流れた。一時間後には国営新華社通信がそのニュースを追認した。

「おー中国が動き始めた」。このニュースに接した直感である。胡錦濤が2003年に総書記に就任してからも中国の実権は江沢民にあった。国家と党の軍事委員会主席という実権を離さなかったからである。一昨年9月、党の軍事委員会主席に就任して、ようやく党・政府・軍の権力の全てを事実上掌握した。それでも党内や全国には江沢民人脈が張り巡らされていて、なかなか胡錦濤の独自色を出すことが出来なかった。

 25日報道された陳良宇上海市書記の解任劇は、不正融資絡に絡んだものだった。しかし、誰もが真っ先に考えたのは「総書記3年目にして胡錦濤が江沢民派排除に動き出した」ということではなかっただろうか。胡錦濤総書記にとって、大きな政治的賭けとなることであろうことは容易に想像できる。実質的な権力闘争がすでに中国で始まっているかもしれないのである。

 中国の過去の政権交代が平和裏に行われたことはなかった。江沢民は天安門事件の惨劇を背景に権力の座についたことは記憶に新しい。毛沢東はかつて「革命は銃口から生まれる」と言ってはばからなかった。1960年代前半に劉少奇ら実権を奪われると、紅衛兵を組織して文化大革命を起こした。毛沢東が76年9月に死去すると今度は江青ら四人組が電撃逮捕され、ケ小平復活の糸口が生まれたのだった。

 ケ小平復活後も政権は常に左派から巻き返しの危機にさらされた。天安門事件だって左派の李鵬グループによる趙紫陽ら改革開放派追い落としだった可能性が高いといわれている。そういう意味で江沢民から胡錦濤への政権交代が平和裏に終わるはずがなかったのだ。

 ■安倍新首相へのメッセージ

 大切なことは胡錦濤による大きな政治的賭けが安倍政権誕生の日に併せて始まったということである。安倍新政権はこの重大なメッセージを真摯に受け止めるべきである。安倍新首相はことあるごとに命をかけると言っているが、平和な日本では構造改革をやりすぎて命が狙われるわけではない。ところが13億人の共産国家ではそうはいかない。一族郎党すべてが政治的に抹殺される可能性だってあるのだ。同じ政治的賭けという表現であっても危険度は雲泥の差がある。

 だから、安倍新首相には安易に国家の威信をかけてほしくないのだ。「お互いの努力」という面では、中国はすでに国内の反日勢力の一掃に乗り出したのだ。中国の反日勢力の牙城である江沢民派が復権すれば、日中関係はさらに泥沼化するかもしれない。

 ■権力闘争の序章ともなる中国での“市民”の示威活動

 陳良宇は浙江省寧波市生まれ、解放軍の建設部門の学院を出て、上海の国営企業の幹部となった。江沢民が上海市長から中央に抜てきされ、一気に中国のトップに就任するのに合わせるかのように上海市政府内で頭角を現し、市長、党市委員会書記に登り詰めた。江沢民時代の寵児の一人である。

 党内政治局委員の序列は十数番目。その上に黄菊常務委員ら江沢民派とされる党幹部が10人近くいる。筆者は、昨年、中国で起きた大規模な反日デモの背景に現政権に対する不満が渦巻いていたのではないだろうかと考えた。昨年4月11日に「中国で流布する反日メールの内容」というコラムで書いた。
http://www.yorozubp.com/0504/050411.htm

 表面的には中国政府は反日デモを容認したように見えたが、中国政府はその後の反日運動はかなりの程度、封殺しているように思える。天安門事件をみるまでもなく、政権内の権力闘争が“市民”の示威行動に表れるのは中国ではごく自然の動きなのだ。

 小泉首相の靖国参拝はそうした中国での“市民”が示威行動に出る格好の理由付けとなった。いわば江沢民派の反胡錦濤活動を後押しした形となった。日本が「毅然とした姿勢」を示すことが胡錦濤総書記の政権基盤を揺るがしていたのだから、皮肉である。

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