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田中康夫氏敗退の長野知事選に思う

2006年08月27日(月)
萬晩報主宰 伴 武澄
 8月6日の日曜日、長野県知事選の投開票があり、田中康夫知事が前自民党衆院議員の村井仁氏に敗れた。6年前、オリンピックによる大規模公共事業で財政が崩壊寸前の長野県に、ヤッシーこと作家の田中康夫が彗星のごとく現れ県民の圧倒的支持を得て知事に就任した。

 素人に何ができるか、というのが大方の玄人の見方であった。県議会と役人との癒着に対していつも批判的であったメディアでさえ、歓迎はしなかった。朝日新聞長野支局は田中知事と全面対決の様相に入った。

 それでも産経新聞長野支局などは田中知事の一日を追う異例の「田中知事ダイアリー」を書き続けた。脱ダムだけではない。何を言い出すのか、何をやり出すのか。田中知事の一挙手は全国的関心の的になった。

 脱ダムはその発想からして大きな関心を呼んだ。防災にはダムが不可欠だという中央官僚の論理に徒手空拳で手向かったのだから、喝采を浴びた。旧来にない発想と行動力で、土建屋中心の日本の地方自治に相当程度風穴をあけてくれたのだと思う。

 記者クラブの廃止や知事の任期を3期12年に制限するという問題提起は並みの政治家にはできない発想だった。無党派知事として作家からの転身だったから、手勢を抱えていたわけではない。長野県庁内では四面楚歌。そんな孤立無援の状態からの出発は初めから分かっていた。

 田中知事に何もかにもできるはずはない。ただ旧態然の行政手法で赤字を垂れ流すしかない役人政治に田中知事なら何か仕掛けてくれるだろうと多くの県民は期待したはずだ。否、多くの国民が期待した。僕もその国民の一人である。だからこの6年、何回か田中知事のことをコラムに書いて応援した。

 ■育たなかった田中知事を支える県会議員

 2000年10月16日「田中康夫知事誕生で思い出した桐生悠々」と題してコラムを書いた。以下その一部の内容である。

「よもやと思ったがそのよもやが起きた。田中氏が58万票に対して次点の池田典隆・前副知事は47万票と予想外の大差がついた。昨夜、この結果を速報で聞いて長野県民がうらやましく思った。うらやましく思うのはこの1カ月県民の多くがわくわくするような時間を過ごしただろうと想像したからだ」

「まず長野県民に求めたいのは性急な結果を求めてはいけないということだ。まず、県議会議員の多くが土建屋体質を維持したままで、いまの県政がそう簡単に変わるとは考えられない。そして何よりも長年のカルテル的治世によって多くの県職員が旧世代の基本ソフト(OS)にフォーマットされたままであることを理解しなければならない」

「変革にはトップの交代は不可欠であるが、アメリカと違って長年、日本では官僚が多くの政治的な意思決定に関わってきたため、一夜にして変革がもたらされるわけではない」

「官僚の仕事のやり方はそう簡単には変わらないし、議会と結託して知事のリーダーシップを棚に上げて行政を執り行う性癖は何も中央官庁だけの話ではない。むしろ地方官僚の方が変革に対して頑固に抵抗するものなのである」

「そうした状況で性急な結果を求めれば、落胆しか待ち受けていないことをまず知るべきである。自分たちで選んだ首長を長い目で育て上げるくらいの余裕がほしい。むしろ来るべき次の県議選で田中知事を支える政策集団を輩出できるよう準備を怠らないことである」

 知事就任から6年を経てもなお、自らの政策集団と議会内応援団を得られなかったのは田中氏自らの責任かもしれない。

 ■結果的に知事を窮地に陥れたマスコミ

 半年前に「田中康夫を超えられるというのか」というコラムを書いた色平哲郎さんに以下のような内容のメールを送ったので紹介したい。

「田中知事に対してどうしてマスメディアが好意的でない理由をお教えしましょう」

「まず田中康夫が記者におもねらないことが大きい。次いで普段の接触が少ない。最後に地方にいる若い記者のほとんどは社会部デスクに牛耳られて、事件事故が最大の関心事となっている。この三つです」

「地方にいる記者の半分は半ば「研修中」で特ダネを書かないと東京にあがれません。問題提起などに関わっている閑がないのです。残りの半分は東京に上がることを断念した記者です。彼らの多くは日々つつがなく過ごすことが生きがい。問題提起にはほとんど関心がないのです」

「だから、日本の地方にいる大手マスコミの記者には日本の政治や財政が直面している危機を理解している人材はほとんどいないと思います。三重県でも同じです」

「問題は、記者たちは日々、役人たちと付き合っているわけですが、記者側に問題意識がないため、というよりか自分で勉強しようとしないため、ほとんどの情報を役人に依存することになります。役人は圧倒的に多くの情報をもっているから仕方ない部分はあるのですが、ここで記者たちは役人の発想に完全にフォーマットされていきます」

「役人を批判しているつもりでも「お釈迦様の手のひらにいる孫悟空」状態なのです。田中康夫的発想はもう理解のかなたにあるといっていいでしょう」

 記者には批判の精神が必要だとされている。公共事業一辺倒だった時代は予算の無駄遣いという形で県政批判していればよかった。こんどはその公共事業はいらないという考えの人物が知事になった。それなら全面的に応援すればいい。だがそれでは記者の沽券にかかわる。“権力”におもねるわけにはいかない。

 どう考えてもこの国の政治は変わらなければならないのに、本気で変えようとする政治家に対しても“批判”してしまうのが記者の習性なのである。役人の格好の餌食となることを知りながら権力の味方にはなれないというメディアの悲しい性がここにある。

 
危機感を失いつつある日本

 予想通り、田中知事は仲間意識の強い県庁内で煙たがられ、県議会では四面楚歌となった。田中知事の新しいアイデアがほとんど議会を通らないのだから、辛かったに違いない。県議会と県庁を敵に回してよく6年間も戦ったものだと思う。ひとえに有権者の支持が支えになっていたはずだ。その点では小泉純一郎首相と似ていなくもない。

 その有権者が今回なぜ田中康夫離れをしたのか。直感的に思ったのは、景気回復である。90年代後半からの日本経済は景気後退、金融不安、失業問題の三重苦だった。みんなが「これではいけない」という危機感を持った。小泉首相もそんな国民の悲壮感の中から誕生したし、長野県民も政治ど素人だった田中康夫に期待を寄せたのだ。

 それがこのところの景気回復である。貧富の格差拡大などとの批判もあるが、とにかく企業業績は絶好調で、株価は上がり、失業率も大幅に改善した。6年前の悲壮感からすれば景気は確実に回復しているのである。

 のど元すぎればなんとかではないが、危機が去ると有権者はもう「ふつう」の政治家を選ぶものなのだ。どこの自治体でも議員といえば利益誘導型がほとんどである。その利益誘導型議員で構成される議会が田中康夫的知事を容認するはずがない。改革志向の人物を県議会選挙で当選させるには時間がかかる。

 田中氏には国民のためにもう1期やってほしかった。改革推進には有権者の後押しが不可欠なのに、多くの有権者には我慢の持続ができないようである。

 願わくば、村井新知事が改革の火をともし続けて欲しいということであるが、選挙を支援した母体が母体だけにほとんど無理であろう。

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