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「恐怖」を煽るコワサ

2006年06月19日(月)
長野県南相木村国保直営診療所長 色平(いろひら)哲郎
「人間の安全保障」について考えてみたい。

 この考え方は、日常的に食べ物は十分あるか、病気になっても治療を受けられるか、仕事はあるか、犯罪に巻き込まれないか、住居はあるか、思想や宗教の自由は守られているか……など「人間の生にとってかけがえのない中枢部分」を守って、すべての人の自由と可能性の実現をめざす、というものだ。

 現代のニッポンは、物はあふれて豊かで、こんな考え方は遠い国の話と感じる人もいるかもしれない。しかし、世界一の長寿国でありながら、自殺率も世界で一、二、年間3万人以上の人が自ら命を断っている。都会の繁華街で夜毎、膨大な残飯が出る一方でホームレスの人たちがゴミ箱を唯一の「命綱」として、その日、その日の生をつないでいる。親が子を殺し、子が親を殺す。保険料が払えず、保険証を交付されないために治療が受けられず、死んでゆく人もいる……。

「しあわせ」って何だろう。

 人間の安全保障の概念によれば、人間の生活を脅かす要因は「欠乏」と「恐怖」なのだという。貧困や飢え、教育や保健医療サービスが受けられないのは「欠乏」になる。戦争やテロ、人権侵害による弾圧、感染症の蔓延、環境破壊、経済危機、災害などは大きく「恐怖」にくくられる。

 もちろん、両者は影響しあっており、欠乏が恐怖を高め、恐怖から欠乏が生じる。単純には分けられないのだが、どうも現代ニッポンは、物質的に充たされているなかで、得体の知れない「恐怖」が煽られ、不安を呼び、その不安がまた新たな恐怖を生む「負のスパイラル」に入りつつあるような気がしてならない。

 たとえば今国会での成立が見送られた「共謀罪創設法案」も、そのひとつ。共謀罪論議の発端は、2000年11月に国連総会で「国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約(国連国際組織犯罪条約)」が採択され、日本も署名したことにある。これを受けて日本でも国内法の整備をしなくてはならない、ということで「共謀罪」という罪を創設しようと、同法案が提出された。

 共謀罪とは、要するに犯罪的行為を実行していなくても、誰かと「やってやろうぜ」と相談したり、「よっしゃ。やってやろう」と合意したりするだけで犯罪と決めつけられること。

 現在の刑法では、殺人や強盗などの重大犯罪については「予備行為」を例外的に処罰する規定はある。ところが、共謀罪は、さらに踏み込んで、予備行為以前の「相談」にまで処罰範囲を広げようとするものだ。

 しかも、その対象になる犯罪が600ちかくにものぼる。そのなかには「万引き」や「傷害」、「組織的な威力業務妨害(マンション建設反対の抗議行動など)」から「不同意堕胎罪」や「偽りや不正行為による市町村民税の免脱罪」といった、どう考えても、国際的犯罪条約とは関係のなさそうなものまで含まれている。

 仮に「偽りの――免脱罪」があれば、ノルマ達成のために行われた社会保険庁の保険料の不正免除なども、入るのか……?

 しかも、共謀グループの一員であった者が、その共謀内容を官憲に報せれば罪を逃れられるというのだ。

 これは「密告」「チクリ」を大々的に奨励するものである。戦前の悪法「治安維持法」がゾンビのように復活する。いくらなんでも、これは酷いと民主党も「修正案」を出したところ、自民党は何がなんでも成立させようと「丸のみする」と回答。

「えっ」と驚いた民主党、さすがに「信じられない」と審議拒否。辛うじて今国会での成立は見送られた。しかし、先はまだ見えない。

 政府与党の一連の動きは、テロや国際犯罪への対応を理由に恐怖を拡大再生産しようとしているようにしか思えない。民主党とのドタバタ劇で本質が見えにくくなったが、そもそも共謀罪がなければ「国際組織犯罪条約」を批准できないという自民党の根拠も、怪しくなっている。

「日本が採択したこの条約や国連作成の立法ガイドの英文原文には批准に共謀罪が必要だとは書いていない」との意見が英文解釈の専門家の間から次々と出されているのだ。

 6月15日付けの「東京新聞」は、「米ニューヨーク州の弁護士資格も持っている喜田村洋一弁護士は、これまで共謀罪創設の是非にまつわる議論に加わってこなかったが、つい最近、A4判用紙で約十センチもの厚さがある国連条約と立法ガイドの原文(英文)を二日がかりで読破してみた結果、共謀罪が条約批准の条件ではないことに気付いたという」と報じた。

 翻訳解釈上の要旨は割愛するが、「喜田村弁護士らの指摘通りなら既に組織犯罪処罰法を持っている日本は、わざわざ共謀罪や参加罪を創設しなくても条約が批准できるのに、できないと思いこんで共謀罪創設法案を審議し続けてきたことになってしまうとの声も出ている」と同紙は記す。

 恐怖を拡大し、煽るためにもしも本質を捻じ曲げていたとしたら……。これこそコワイ。

 似たようなことが「構造偽装事件」でもいえる、との指摘は、友人でノンフィクション作家の山岡淳一郎氏。

「構造計算プログラムを悪用して鉄筋量を減らした行為は、糾弾されて然るべき。ただし、実態的にその建物の耐震強度がどうなのかは、構造計算だけでは分からない」

「そもそも構造計算の方式は四種類もあり、コンピュータソフトの構造計算プログラムは大臣認定を受けているもので100種類以上ある。構造学者の話では、どの計算方法でどのプログラムを使うか、どのように数値を入力するかで、震度5強で倒れるとされ、住民退去の根拠となった『保有耐力0.5』を挟んで上になったり、下になったりする」

「つまり同じ建物でも計算方式やプログラムの選び方次第で、退去か居住継続か異なる」

「いったい、耐震強度の基準とは何か。本質にかかわる議論がされず、国は罰則強化や確認申請のテコ入れだけを行おうとしている。不安だけが撒き散らされる」

 共謀罪も耐震偽装も人間の思想信条や居住という「生にとってかけがえのない中枢部分」にかかわる。そこが恐怖の標的にされている。誰が、いったい何のために……。

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