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次回「アジアの意思」は八田與一と久保田豊

2005年12月23日(金)
萬晩報主宰 伴 武澄
 来年1月15日に国際平和協会主催で「アジアの意思ぱーと2」として「八田與一と久保田豊−先人に学ぶ」というシンポジウムを開くことになった。スピーカーとして金沢市議の山野之義さんとアメリカン大学フェローの中野有さんを予定している。

 八田與一は台南の嘉南に烏山頭ダムを建設し不毛の地とされた嘉南平野を広大な穀倉地帯に変えた人物。命日の5月8日にはいまも故人を偲んで地元民による墓前祭が行われている。李登輝前総統は日本精神の代表的人物として言及しており、台湾の教科書にも偉人として紹介されている。山野さんは八田與一が生まれ育った金沢で精力的に顕彰活動を続けている。

 久保田豊は朝鮮と満州の境を流れる鴨緑江に当時としては世界最大規模の水豊ダムを建設。70万コロワットという巨大な水力発電はいまもなお中朝両国に送電され、産業インフラとして不可欠な設備となっている。中野さんはその久保田豊が戦後つくった日本工営のシンクタンクに所属し、スケールの大きな発想力に感動し、北東アジア開発のグランドデザインでたびたび紹介している。

 調べていくと二人には共通の人生の師がいたことが分かった。土佐佐川に生まれた広井勇。札幌農学校の二期生で、興味深いことにその同期に内村鑑三と新渡戸稲造がいた。農学校出身のクリスチャン三羽がらすである。

 新渡戸は太平洋の架け橋たらんと大志を抱き、英語で『武士道』を書いた。後に台湾総督府民政部で台湾経済の振興に心を砕き、国際連盟の事務局次長を務めた。内村は萬朝報主筆の一人として日露戦争で反戦の論陣を張り、自ら発行した「東京独立雑誌」を通じて明治後期の多くの進歩的若者の思想的支柱となった。広井は明治日本の土木界の礎として欧米からの近代土木の導入に当たり、八田與一や久保田豊ら有能な土木技師を世に送り込んだ。

 いまの日本で土木といえば、無駄な公共事業や行政と業者の癒着といったマイナスのイメージがあるが、本来の土木はそうではない。経世済民の一環として国土を災害から守ったり、灌漑や発電によって農業や産業の振興をもたらすはずのものだった。

 アジアの土木技術者として生き、いまもなお多くの人々に恵をもたらしている二人の先人を通してアジアの共感について考えたいと思います。関心のある読者は下記でお申し込み下さい。まだ少々参加枠があります。

 アジアの意思ぱーと2 http://www.jaip.org/thinkasia0601.htm

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