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シリコンバレー日本人ネットワークの変遷

2005年12月21日(水)
シリコンバレー在住 八木 博
 シリコンバレーに来てから、9年目になった。前回、萬晩報に書かせてもらったのが2000年であるから、ずいぶんと空いてしまった。浦島太郎の、竜宮城の話としてお読みいただければと思う。

 私がシリコンバレーに住み始めたのは、1997年、ちょうどSmart Valley公社がシリコンバレー活性化のプロジェクトを成功裏に終わらせようとした頃からである。1998−2001のはじめまでは、丸の内に逆単身赴任をしていたので、シリコンバレーのバブルの実態そのものはあまり見ていない。時折、シリコンバレーに戻ると、道路が混んでいるのにイライラしたことぐらいが私のバブルの実感である。

 2000年のバブルを過ぎて、2003年一杯でバブル清算を行って、再び本来の、起業家たちが動き始めるタイミングとなった。私も2カ月ほど前からシリコンバレーのビジネスに関する Blogを書き始めた。
http://imanetinc.cocolog-nifty.com/atomsvca/

 ご興味のある方は、覗いていただければと思う。 私個人はこの10年間で、2001年に大企業をやめ、ワンマン会社の米国拠点で仕事をして、今年の4月からは自営業ということになった。それぞれでいろいろ学ばせてもらったと思うが、シリコンバレーでは“生かして何ぼ?”の世界なので、生きている情報をお伝えしたい。今回は、ネットワークがすべてと言われるシリコンバレーの中で、日本人ネットワークについて、私の知る限りで、変遷と現状を書いてみたい。

 2000年以前のネットワーク

 2000年以前には、シリコンバレーに日本の金融機関も、駐在員を派遣していた。もちろん、製造業、とりわけ情報通信関連の大手企業は数百人単位での駐在員を派遣していたが。金融機関の中には、日本でもあまり知られていない、地方銀行も来ていた。

 駐在員に役割を聞くと、曖昧な答えしか返ってこなかった。接待と体面を作ることが主たる目的で、投資や調査は役割ではなかった。土日は接待ゴルフ、平日の勤務時間中にゴルフの練習をして、その成果をWebに載せていた銀行員も出る始末であった。

 製造業の駐在は、案件探しや提携作業をするのが、本来の目的ではあるのだが、日本の本社や、研究所の「自社技術」志向が強すぎて、良い案件や、面白い技術もなかなか日本に取り次げない状況が続いた。駐在員で、その枠にはまらない人たちは、シリコンバレーに残る手ずるのある人たちが会社を辞めて、残り始めた。90年代から、それが始まっている。

 ネットワークはというと、ゴルフ親睦会を除けば、異業種交流での情報交換が中心であった。代表的な団体である、Silicon Valley Multimedia Forumというのは、当時のNTTからの駐在員が中心になって1994年に発足して、現在も活動を続けている。
 http://www.svmf.org

を参照されたい。当時は、駐在員と現地の日本人との交流は多くは無かった。また、駐在員同士の交流も、飲み会ないしゴルフづきあいが中心で、仕事とプライベートそして、企業間の線引きが明確であった。

 2000年以降のネットワーク

 2000年以降のネットワークには、これらの動きが大きく変化してくる。一つは、日本の大手企業、とりわけ金融関係の駐在員の日本への引き上げである。現在、金融関係でシリコンバレーに駐在している人は、ほとんどいない。日本人でも、現地で採用された人が働いている。

 その反面、派遣された大手企業から飛び出て、シリコンバレーに残る人たちも、蓄積してある程度の人数になってきた。そんなことから、シリコンバレーの、日本人ネットワークが、動き始めることになる。

 まず、スタートしたのがシリコンバレーのエンジニアと起業家たちの集まりとなった。エンジニアの集まりでは、Japanese Technical Professionals Association(http://www.jtpa.org) が技術者10,000人、シリコンバレー移住計画を掲げて動き出した。ボランティアでの活動であるが、若い人たちが将来のキャリアを考える上で、シリコンバレーで仕事をしている日本人と、直接コンタクトできることで、日本からのツアーも年間数回ずつ行われ若い人たちに人気が高い。

 それとほぼ同時に、シリコンバレーの日本人起業家たちが、これから起業する人たちを応援する集まりを作った。Silicon Valley Japanese Entrepreneur Network(http://www.svjen.org)である。これは、シリコンバレーで起業しようとする人たちを応援するもので、起業経験者たちが、具体的な相談に乗ってくれる。 それから、バイオの人たちの集まりということでは、Japan Bio Community(http://www.j-bio.org)という集まりも活動を始めた。

 この中の出会いで、シリコンバレー発の新しいバイオベンチャーも生まれている。とてもいい動きだと思う。これらは、NPOとして米国での認定を受けて活動し、それぞれが、ほぼ毎月イベントを行っている。私自身は、時間があればどの集まりにも顔を出しているが、JBCとSVMFを中心に活動している。

 現在私自身は、日本の大学経営の将来のために、米国の大学経営の調査などをはじめようと思っているが、なかなか日本の中で、本当に大学の経営を学ばなければと思っている学校が多くないことがわかってきた。しかし、いくつかの大学は本気で改革を考えていて、シリコンバレーをはじめとする、情報拠点を作る動きが出てきているのは喜ばしい。いつまでたっても、世界に通用できる大学は日本からは出てこないのではないかと心配しつつも、私が重要だと思うことは、取り組んでゆきたいと思っている。

 ネットワークを支える、組織

 シリコンバレーでは、これらのネットワークを取り巻く団体も、積極的に協力してくれている。JETROのサンフランシスコは、San Joseにシリコンバレーで起業するためのIncubation施設を持ち、Start Upの会社の支援をしたり、各団体の会議場所を提供したり、積極的に協力をしている。また、法政大学はシリコンバレーに研究所を持ち、日本に向けて、TV会議方式の授業を送信している。

 この設備が空いているときには、上記ボランティア団体の利用も支援してもらえるので、今年はすでに何回か、日本とシリコンバレーのインタラクティブな中継が行われている。2000年以前と比べると企業間、個人間の壁が低くなり、交流範囲が大きく広がっている。JETROも独立採算が要求され、今までのやり方を、既存の組織には無い方向で発展させることで、知恵を絞っている。

 シリコンバレーのネットワークの特色

 昨年、NewsWeek日本版の取材に協力して、日本からシリコンバレーで活躍している日本人を紹介した。編集者が世界中の日本人の取材を終えて、最後にシリコンバレーに来た。

 私が紹介した中の5名ほどとインタビューして彼女が言った。シリコンバレーほど、独立志向の強い日本人たちが集まっている場所は世界のほかの場所では見たことが無いのと、ネットワークが浸透していて、お互いを良く知っている、いうことを言った。 私自身の経験からも、同意できる シリコンバレーは外からも見えるネットワークが存在しているのである。NewsWeek日本版の記事は2004年5月19日号である。

 他国のネットワークとの比較

 他のアジア諸国のネットワークに比べると、日本人ネットワークはおとなしい。私の見るところ、中国は、血縁プラスビジネス志向、インドはビジネス志向、韓国はビジネスプラス血縁という感じである。

 今後、日本人ネットワークが情報発信だけでなく具体的なビジネス成果を生み出すためには、資金やインフラとしての応援できる体制が重要になると思っている。このような試みは、いろいろな蓄積を残すことになる。これらの活動で生み出されるものは、今後の日本にとっても、重要な無形資源、優秀な人財として伝わってゆくであろうことを考えると、とても楽しい。

 八木さんにメール mailto:hyagi@infosnvl.com

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