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日本生れのデモクラシーでいけないか(2)

2005年12月07日(水)
元中国公使 伴 正一
 簡潔な表現では満足のいかないヨーロッパ人と、抽象概念を何階建てにも積み上げられると頭がおかしくなる日本人とが、大体はデモクラシーを共有できそうなときに、論理構成まで同じように揃えなくてはならない理由がどこにあるのか。それぞれがすんなり分かる論旨を用いて、なくてすませるような混乱を起こさせないようにする方が遥かに賢明ではないか。

 いくら国民に、公民としての自覚が育ってきても、国の運営に心を向ける時間の余裕は非常に限られるから、少しでも事柄を分かり易くしておく配慮が格別重要なのだ。多々益々弁ず、百家争鳴もよしとするのは、ずっと先ならともかく、今の段階の日本ではとても頂けない。

 さきに、政治思想で日本人は欧米に半分も追いついていないかも知れないと述べたが、それは頭のよしあしではなくて、物を考えていく段取りの違いが、日本人の理解を手間取らせているのだと思う。

 この点で、私の身近にあったこんな話をつけ加えておこう。

 鎌倉時代に日本で生れ、室町の頃にあらかた消えた職(しき)という言葉があるが、これを除いて日本には、「権利」に当たる法律用語が存在しなかった。

 戦後、大学に学んで、しかも法学部の法律学科にいて、一番考えあぐんだのは、民法の分かりにくさがどこから来ているのだろう、ということだった。そして辿りついた結論は、その第一章第一節「私権ノ享有」に始まって全編が権利で綴られているからだ、ということだった。

 別の例だが、親の務め、と言えば一遍で理解できるのに、子供の権利で説き起すと説明に骨が折れる。いくら説明してもしっくり来ないのが日本人のアタマではないだろうか。

 そんな具合で、債権だとか賃借権くらいがやっとこさの平均的日本人に、主権などという概念を持ち込むのは残酷物語というものだ。いくら頭で分かったとしてもよく納得がいくというものではないだろう。

 それに追い討ちをかけるように、三権分立があったわけだから、文明開化で勉強はしたが、面倒くさくなって、碌に噛みもしないまま呑み込んでしまったとしてもムリはない。丸暗記というヤツである。

 そんなわけで日本人には、都合のいいときは「民主主義」を振り廻しもするが、その潜在意識では十把一からげ、優れた直感力で、「どうせ建前論さ」と高をくくってきている様子が見える。

 ホンネ部でのお上は厳存しているのである。

 わがままな王様が臣下のすることが一々気に入らなくてわめき散らすように、政治家という政治家をこき下しているかと思えば、業界という業界のメンタリティーは「泣く子と地頭には勝てぬ」である。法的根拠もない主務官庁の行政指導に唯々諾々と従っているではないか。これでどこが民主主義なのだ。威張っているのは、建前だけ、それも日本人の今の意識で実益に関係のない部分だけだ。

 伴正一遺稿集 http://www.yorozubp.com/shoichiban/

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