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ドイツ人考古学者からのバクダット便り

2003年05月22日(木)
ドイツ在住ジャーナリスト 美濃口 坦

 イラクで大量破壊兵器を見つけようとしていた米軍査察チームが近々を帰国の途につくそうです。さがしても何も出て来ないからだそうです。

 数日前に、バグダットの郵便・電話公社の巨大なビルディングが火事で燃えているのを外電の写真で見ました。爆撃による破壊をまぬがれたのに、、、
 
 さて、ドイツに「ドイツ・アラビア協会」という組織があり、これはアラブ諸国と関係のあるドイツ人の親睦団体です。そこから配布されたニュースレターにバクダット滞在中のドイツ人考古学者のメール(5月10日付き)が掲載されていました。発信者のヴァルター・ゾンマーフェルトさんはマールブルク大学の教授で、発掘の仕事でもう何十年もイラクとドイツの間を行ったり来たりしているそうです。彼が接触するイラク人は大学関係者などフセイン体制下の上・中流の階層に属する人々と思われます。とはいっても、メールから現在イラク人人がどんなことを感じたり考えたりしているかが窺われます。

 最初はドイツ人の学者らしく落ち着いて書いていたのですが、だんだん書きすすむうちに冷静でなくなるところが面白く思われました。
 
 そこで、イラク問題に関心を抱く萬晩報の読者の方々にも面白いかもしれないと思って、ドイツ語で書かれたこのメールを日本語に訳しました。メールは長いもので、翻訳にあたりイラク博物館や大学の略奪に関する詳細な記述部分は省略させていただきました。それでも長くなりすぎたと思われます。でも読んでいただくと幸いです。
 
  ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

 バクダット陥落 Prof. Dr. Walter Sommerfeld

 イラク軍は南部では予想外の激しい抵抗をしめしていた。ところが、4月9日バクダットは予想外にあっさりと陥落した。いったい何が起こったのだろうか。

 個々の詳細な事実は今後判明すると思われるが、今まで会った人々の証言から、大筋では以下のことが起こったと考えて間違っていないと思われる。

 米軍は、イラク兵の機関銃をとかし、死亡兵士には骨しか残らないような武器を使用して(バグダット郊外の)飛行場を占領した。その後、バグダットの町の中に進軍することができた。

 私が入国した4月25日でも、米軍が進入した道路上に燃えて破壊された多数の普通乗用車、また乗っていた女性や子供などの非戦闘員の死者を見ることができた。またこの道路から約400メートル離れた民家にクラスター爆弾の跡を、私は発見した。

 その後バグダット市内の一部で激しい市街戦が起こった。サダム・フセインは4月6日もしくは4月7日にウム・アル・タブール寺院に担当軍司令官を呼び、南部で軍が頑強な抵抗したのに飛行場が容易に陥落したと激怒し、直ちに反撃することを命令した。軍司令官は飛行場の近くに戻る途中、米軍の攻撃に遭い戦死したといわれる。

 軍事的抵抗を無意味とみなす軍の上部は、バグダット市の完全破壊を回避するために降伏を望む。米軍との間に密約があったかどうかについては、私と話した人々は回答できなかった。サイフ・アド-ディン・アル-ラウィ大将は4月8日に抗戦停止の命令を下した。それに対して、サダム・フセインは自分の従兄弟を派遣し、同大将を銃殺させる。しかし命令不服従は阻止不可能になる。夕方、バクダット市内全域が停電し、闇に乗じて軍上層部が逃亡した。水曜日の朝、共和国親衛隊員、政府閣僚、バース党護衛部隊員、警官等は上司が消えてしまったことに気がつき、勤務から離れる。市内の一部で散発的な抗戦があったが、米軍はこうしてバグダットを速やかに制覇することができた。

 無政府状態

 その時以来、人口500万のバグダット市は無政府状態である。警察も司法なく、信号も停止したままだ。誰もが武装し、四六時中市内のどこかで銃声が響く。とはいっても戦闘はまれで、警告するために、不安から、あるいはある町の一部で電気が(今まで最長2時間)供給されてよろこんだために発砲するからである。
 
 とはいっても、至るところで安全が脅かされている。例えば、5月1日、イラク博物館の後ろ側で一晩中激しい銃撃戦があった。その際弾がガソリンスタンドに命中して爆発が起こり、数人の死亡者が発生した。翌日、私が博物館に数時間いた間にも、また激しい銃撃戦が再開する。住民の一人が博物館を見張る米兵のところへ来て、死亡者・負傷者がでたと連絡した。兵士は「素晴らしい隣人」と皮肉なコメントしただけであった。

 23時から外出禁止になる。町は幽霊が出そうなほど暗い。治安は住民の第一番の心配ごとで、バグダット大学のある学部長の発言を引用する。

 「政府がない限り、不安で大学に出られない。例えば、私から悪い点数をもらった学生が来て、私を射殺することだってありうる。そんなことは誰の関心もひかない。その学生をつかまえようとも、処罰しようとも思う人もいない」

 公務員も、教師も、医者も、役人も二カ月前から給料をもらっていないことを嘆く。蓄えのない人は食料を買うことができない。

 このような事情では、どこからか調達するしかない。こうして泥棒、強盗、殺人は日常茶飯事になってしまった。真昼間から銃をつきつけられて自動車を取り上げられる話はここに来てからもう何度も聞いた。今まで武器など所持しなかった人々も購入するようになった。略奪された軍の武器貯蔵所から大量に流れ出た兵器が安い値段で入手可能である。闇市で大量に売られているのを見ていると、一連隊ぐらい直ちに武装することができるように思われた。

 上・中流に属する人々は命を奪われる心配から外出しない。かっての公安関係者や、熱心なバース党員は姿を消して地方の親戚に身を隠しているといわれる。

 民家の略奪は現状では散発的で、例えば戦争で窓が壊れてしまった地区に限定されている。(旧支配者層に対する)復讐裁判のようなものも、今のところは起こっていないが、それに対するおそれや期待を表明する人は多数いる。というのは、旧体制下個人的に大きな不正と被害をうけた人々が少なくないからだ。彼らは何か起こらなければいけないと思っている。権力関係がはっきりし、旧体制支配者の誰かが前と同じ地位を占めることがあれば、この国で以前発生した革命の時と同じように個人的な血生臭い復讐行為が多発すると予想される。旧体制のネットワークはまだ完全に破壊されているわけでないので、その人々と新たに権力を志向するグループと、私的復讐の機会をねらう人々の間で内乱状態になると、どのイラク人も考える。

 私はトラウマに陥っている人々に何度も出会った。爆撃は特に子供たちに精神的障害を残した。ドアが音をたててしまる度に、彼らは怯え、ヘリコプターが飛んでいると震えだし、絶えずどこかに隠れようとする。

 中心街に居住する大人は、連合軍を撹乱するためにオイルが燃やされたためと、爆撃で燃える建物のために、3週間の間ほとんど太陽を見なかったと語った。市内の幾つかの地区では、偶然戦闘の近くに居住していた非戦闘員の市民が巻き添えをくって死んだと、私は何度も聞いた。

 希望を抱かせるのは、市民の自主的運動で、多くの地区では自警団が組織された。また市民が交通整理にあたっている。食料の分配をしたり、月給をもらえないのに破壊された元の職場にもどり、後かたづけをする人もたくさんいる。

 組織的略奪と放火

 イラクの人々が特にショックをうけたのは、狼藉者がインフラと文化を破壊することである。 数多くの普通の市民が詳細に語ったことはどれも似ていて、どこかに現実にあったことを示唆しているとしか考えようがない。少なくとも次の点は大多数の人々が確信していることであり、これが今後占領軍と住民の関係に何らかの形で影響すると思われる。

 1:略奪は組織的である
 旧政府の施設はどこの地区でも完全に略奪された。中の設備は運び去られ、破壊された。そうなったのは、
  • 石油省以外のすべての省庁、
  • 15の大学(唯一の例外は米軍が宿泊しているバグダット大学のキャンパス)、
  • 博物館(世界的に有名なイラク博物館も含む)、図書館、資料館、芸術・文化センター、- 病院、倉庫、銀行、
  • 旧政府関係者の住居、
  •  ホテル (例えば Rasheed, Melia Mansour, Babil),
  • その他の個々の施設、例えばドイツ大使館、フランス文化研究所、中国大使公邸、国連施設等
 略奪はまだ終息していない。五月初頭現在でも色々な場所で見られる。

 2:略奪はそそのかされたか、少なくとも黙認されたもの

 多くの人々は、米軍兵士にとめてくれるように懇願したが、効果がなかったと、私に語った。パレスタイン・ホテルにいる司令官に、例えば国連職員が国連施設を守ってくれるように依頼した場合も、聞き届けられなかったという。略奪者は許可されていると感じ、ときには誇らしげにテレビカメラの前で略奪品をかつぎ、建物が空っぽになるまで略奪を続けた。貧しい人々も、普通の人も、また身なりのよい人々も略奪するので、貧乏で困ったためだけでなく、怒りや恨みや貪欲からも参加する。略奪品は当日に路上で売られ、冷房装置が5ユーロで売られるなど、安い値段で取引きされる。

 略奪がはじまる状況は驚嘆に値する。というのは、米軍兵士が頑丈に閉鎖された建物の門や入り口を壊し、見守る人々に「アリババ、入れ。お前達のものだ」と略奪するようにうながすからである。この「アリババ」の常套文句は本当に多くの目撃者が何度も聞いたもので、「アリババ」は米兵には略奪するイラク人の代名詞になっているようである。通訳や案内人として米軍を同伴するクウェート人も略奪するようにそそのかすといわれる。

ある人は、兵士が戦車の上に腰掛けてゲラゲラ笑いながら略奪を眺めているのを目撃していたと、何人かのイラク人が私に語った。

 ドイツ大使館の破壊については、近所に住む人が語ったところによると(、この人と関係のない別の人も同じことを話したが、)まず米軍が軍用車両で門をこわし、見物人に略奪するようにうながしたという。

 工科大学の場合は、米軍が建物の中に最初に入り、コンピューターを開けてハードディスクを確保してから略奪がはじまったと、国連職員が私に語った。

 このように略奪をそそのかすしたり、黙認したりすることが、その場での成り行きの結果に過ぎないのか、それとも指令があってそうなったのか、現状では答えられない。

 3. 放火は略奪とは別の事件である

 略奪者は盗み、破壊しただけであるが、放火しなかった。その後に、放火する者が現われて、略奪されて空っぽになった建物を次から次へと、ガソリンもしくは可燃性の化学物質を用いて放火する。略奪から放火まで数日あいだを置くのが普通で、略奪された建物の多くが火事になって燃える。(幸いイラク博物館はそうならなかった。)また略奪を受けることなく放火された建物もある。例えば国連関係の会計部があった建物もその例である。火事の犠牲者は紙、書類で、建物は数日間も燃えつづけ崩壊する。

 このような放火による火事の結果、旧政府の関係書類はすべて破壊され、行政の仕事はゼロからはじめなければいけない。例えば、バグダット市の土地台帳も破壊されたために、所有権を証明することが不可能といわれる。(「国民会議」の)民兵団は、この事情を悪用して、一等地に住んでいた人々を追い出し、現在建物を事務所等に利用している。重傷をおった20人の子供がヨーロッパで治療を受けるはずであった。ところが、出国ドキュメントが作成されず渡欧できなかった。そのうちに何人かが死亡し、残りの子供は現在サウジ・アラビアで治療を受けている。

 略奪は多数の目撃者がいて、その状況が詳しく知られているのに対して、放火は少数の犯行で、正体不明である。略奪をしたのはイラク人で、放火は別の人々の仕業なのであろうか。そう思っている人は少なくない。

 このような狼藉行為の理由については憶測するしかないが、教育程度の高いイラク人は以下の点を指摘する。
  • 住民の反感が占領者でなく旧政権に向けられるようにするため。
  • 再建事業もビジネスで、国家のインフラが全部破壊されたら商売が大きくなる。
  • 住民が混乱し無力で、生き残ることだけで頭がいっぱいのほうが、外からの傀儡政権を受け入れる。「死ぬことを考えたら熱がでることなどたいしたことでない」(イラクのことわざ)
  • 自分のしたことの痕跡を消したかった。というのは、多くの場合一番最初に建物の中に足を踏み入れて、何かを運び去ったのは占領軍だったから。
  • クウェート人に復讐のチャンスを与えようとした。1990年、91年のクウェート占領中、イラク兵士は略奪した。(でもイラク兵は当時放火はしなかった)-ドイツやフランスや国連等にお灸をすえるため。「今後おとなしくして、よくいうことを聞け」というメッセージ。
  • 米国の国内向けのショー。このメーセージは「悪いイラク人は何もかも壊し、良い米国が再建する」。最初の放火があったのは、ジャーナリストが泊まるパレスタイン・ホテルであった。これは映像になりやすい。
 教育のあるイラク人は狼藉をはたらく同国人にショックを感じている。また前政権が自分たちだけ富み栄え、強ければ何をしてもいいとする「強者の論理」を実行した。この結果イラク人の国民性が歪んでしまった。こういって、彼らは嘆く。

 また彼らは次のことも指摘する。35年も続いた独裁政権でイラク人を怯えさせることなど米軍にとって容易だった。戦勝国の米軍兵士が一度発砲するだけで、略奪者は直ぐに逃げ出したはずだ。だから、米軍が略奪するイラク人を勇気づけたり、黙認する意志を示していたのではないのだろうか。

 住民の不満

 米国の軍事作戦計画が効果的であったためか、それだけに戦闘終了後に発生する問題に対しては、前もって考慮したようすがない。米軍は、住民の生存に必要な物資の供給することなど今までしなかった。また現在バグダットを支配する無法状態に対しても為すすべを知らないのも、このためと思われる。彼らは、対応が遅いだけでなく、首尾一貫していないし、発生する問題に気がつかないのかもしれない。占領するにあたり、あまり先のことを考えなかったことは、例えば今になって警備のために国際社会から人材を派遣させようとしたり、また地元でわずか20人のイラク人を警官としてやとったことを重大事件としてニュースにした。このような事情も、前もって発生する問題を考慮していなかったことを物語る。

 ところが自国の利益となると、話が別になる。石油省だけは略奪も火事もまぬがれた。これもその一例で、この省庁だけは最初から厳重に警備された。原油の埋蔵について調査結果等の書類も確保され、以前の従業員も活動を再開している。

 鉄道施設は略奪されたが、放火されなかった。少し前英軍将校が現われて、以前の従業員を集め、20ドルを一時金として支払った。バクダット・バスラ間の路線に最重点が置かれているようである。

 米国人にはイラク人のメンタリティを理解する能力も、また敏感さも完全に欠如しているようだ。戦車に乗っかった米兵の集団が10ドル紙幣を見せて路上で売春婦をさがしていたと、あるイラク人が私に語った。また米軍専用の売春施設もすでにできたといわれている。このような態度はイラク人の反米感情を高めるように思われる。

 住民は米国人に対して感情を抑えている。多数のイラク人は、フセイン政権が消滅したことに満足し感謝しているが、米国人が現在の不法状態の発生と継続に責任があるとする見解がどんどん強くなりつつある。またどのイラク人も米軍の撤退をのぞむ。フセインのときは悪かったが、今はもっと悪いという声がふえつつある。またどのイラク人も、現状がすみやかに改善されず、また米軍が撤退しないと、占領軍に対する武装抵抗がはじまると予想する。

 新秩序と権力への戦い

 住民の大部分はショック状態にあり、今後状況がどう展開していくのかを待っている。なかには、この権力の真空状態を利用して活動をはじめる人もいる。今後どうなるかを予想するのはむずかしい。どのようなグループがのしてくるか、失敗するか、どんなシナリオで進行するのか、聞いたことをしるす。

 すべての住民が、またバース党員も、また旧政府に追従していた人々も、サダム・フセインには失望している。以前誰も知らなかったことや、ごく一部の人々にしか知らなかったことを、今では多くの人々が知るようになった。大部分の住民が窮乏にひんしていたのに、フセインとそのナカマだけが懐を肥やし富を独占していた。このことを、多くの人々が憤慨する。幾つかの宮殿で壁の中や犬小屋の下に数億のドル紙幣が隠匿されていたのが発見された。以前は普通の市民がこのような宮殿に足を踏み入れることなどできなかった。ところが、現在略奪者だけでなく、見たい人は見物することができる。こうして多くの隠されていた事実が判明した。また監獄から囚人が解放され、残酷で非人間的な状況が白日の下にさらされる。サダム・フセインの長男ウダイのサディスティックな行状の一部始終が噂される。

 人々は、フセインがイラクの国に害悪をもたらし、絶望的な戦争を避けようともせず、住民を救うために何の処置もとらなかったことに憤慨する。

 フセイン政権についての人々の怒りはとどまることを知らない。1968年の革命以来バース党の思想に共鳴し、フセイン専用の医者団に属し、4月7日彼がいた建物の中で夜を過ごした医者は、戦争開始以前にも麻酔薬などの必需品さへ病院に欠けていたと、私に語って、このような窮状に責任があった厚生大臣こそ第一番目に処刑されるべきであると彼は怒った。

 フセインがカンバックすることは考え難い。でも彼の権力を維持するネットワークは完全に破壊されていないといわれる。人々は、彼がどこかに隠れていて、事態の展開を見守り、現在の無政府状態が続き、食料等の供給が改善されずに、住民の不満が増大したときに何か悪いことを画策すると思っている。

 亡命イラク人団体、イラク国民会議(INC)・アハメド・チャラビ代表のグループの活動が活発である。彼らは民兵を組織し、一等地の建物を占領し、住民を追い出したりした。また彼は資金潤沢である。(彼らの民兵が幾つかの銀行を略奪したという人もいる。)このグループは将来できる政府に影響力をもとうと必死である。彼らの用いる手段は暴力とカネである。住民のあいだに支持基盤もないし、好かれていない。彼らは「外国人」と感じられて、誰からも受け入れられていない。これは、このグループがこの国の現実からも、また住民の直面する問題からも遊離しているからである。

 シーア派は一番よく組織化されたグループである。彼らは数百万人に及ぶ大衆の動員力をもつ。外国から気づかれることなく、このグループは、前前政権に対して服従することと引き換えに南イラクで1994年以来自治権をもち、これを効果的に利用した。彼らの宗教的指導者は秩序が守られ騒動が起こらないようにする権威をもつ。だからこそ、彼らの影響下にあるナジャフやケルベラといった都市では略奪が発生していない。彼らは回教法を適用している。

 シーア派グループの戦略は柔軟で、民主的手続きをへて将来成立する政権の中で、まず彼らの人口にふさわしい多数派になることめざし、その後ゆっくりと回教国家を築こうとするのではないのか。そう予想する人が多い。彼らは米軍占領反対であり、自分たちも軍事力をもつ。ナジャフから来た人々は、シーア派がすでにそこでゲリラ戦の準備をしていると語った。バグダットの住民で、教育程度の高い人々は、このグループが未知数で、同時に強い意志をもち、強力な軍事力をもつ政治グループと考える。

 「米国人は生を愛するが、シーア教徒は生を憎悪する。米国人と戦うことになり、指導者が命令すれば、彼らはよろこんで死ぬ」とシーア派の大学教官が私に語った。

 イランからのテレビ放送が、バグダットでは現在地上波で受信できる唯一のものである。その中で、米軍の撤退と聖戦が要求され、回教国家建設の宣伝が繰り返される。イランの民兵がすでにイラクに潜入しているという噂も流れている。イランがイラクのシーア教徒に対してもつ影響力は外から見て窺い知れない。

 バグダット市住民の大部分はスンニ派である。何百万人もの市民は宗派によっても、氏素性でも、また政治綱領によっても組織化されていない無名の群集であるように思われる。

 バグダットの中間層、上層に属するイラク人は行政や経済についての知識も豊富である。彼らが経済封鎖という困難な時代にもこの国を機能させた。このような階層に属する人々の願望は、今まである程度まで能力をしめし、社会や経済について知識をもち、あまり腐敗していない人々が将来この国に指導者になってくれることである。とはいっても、彼らのあいだから、誰か多数の人々に支持されるグループや指導者が生まれていない。また彼らの誰もがはっきりした未来のビジョンももっていない。

 現在あるのは一種の真空状態で、これを好機と見なして力を得ようとすつ小さなグループが存在するだけである。これらの小グループが、メディアの関心を集めるためにパレスタインホテルの前でときどきデモをする。この政治的真空状態で、誰もが運に恵まれて将来石油省大臣になると、皮肉なことをいう人も少なくない。

 議論の場といった民主主義につながるものも、またそれを経て形成される多数派形成も見えてこない。回教国家も米国による直接支配も、傀儡政権による間接支配も望まないという点でのみ、皆の見解が一致している。「新しいイラク」放送の宣伝も無内容で、彼らが本当に聞きたいことでもなく、またそのアラビア語もひどいもので、納得して耳をかたむける人はいない。世論は私的意見の交換や口コミで形成される。軽視できない役割を演じるのは回教寺院で人々に語られる回教的内容のメッセージである。戦争終了後、以前の反体制運動家がはじめた新聞を含めてメディアが登場したが、一握りの住民にしか届かないのが実情である。

 未来のシナリオ

 今後展開するシナリオは、「このままゆっくりと安定していく」から、内乱、国家分裂、武装蜂起、ゲリラ戦争まで種種雑多である。現状ではどうなるか予想できない。イラク人同士の議論では、今後に展開について次のような点が重視される。
  • 占領軍は外からの支配者と見なされ、彼らがつくる政権は傀儡政権で、住民から受け入れられない。占領軍は治安や食料、電気などの供給に対する住民の要求をすみやかに、また効率よく満たさなければいけない。それに成功しない場合は、住民の現在の不満が憎悪に転換し、蜂起やゲリラ戦争になる可能性がある。再建は、現状では進展していないし、コンセプトが欠如している。
  • 外から誰かを、例えばイラク国民会議のチャラビを新政権に登用すると、スンニ派やシーア派だけでなく住民全部が反対し、内乱状態になるかもしれない。
  • シーア派組織が多数派を形成し、イラクを回教国家に転換しようとすると、スンニ派の都市部住民が激しい抵抗をする。この結果も分離戦争になる。これも内乱状態である。
  • フセインの後継者というべき強い指導者が登場してスンニ派独裁体制が成立する可能性もある。こうなると本当に何のために戦争したかということになる。
  • 人望があって人をまとめる力をもつ指導者が見当たらない。以前外相をしたパチェッチは人気があっても、すでに歳を取りすぎている。旧政権残党問題は克服されていないので、彼らが住民の不満を利用してサボタージュや蜂起を画策する可能性がある。
 状況が不安定、一触即発の状態であるために、「爆撃は終わったが、本当の戦争はまだはじまっていない」という人がいる。

 サダム・フセインについて

 フセインは、イラク国家を建設し大きく強くしたいという私たちの理想主義を悪用した。彼がいなかったら、イラクはインドやパキスタンと肩を並べる中堅強国になっていたはずだ。私たちは彼の奴隷に成り下がり、国家そのものが彼の私物になった。彼の郎党が私たちの目の前で悪いことをして見せてくれて、これが今やイラク人の習性になった。フセインは長男のウダイに好き放題を許し、これが彼の評判を落とした。この息子こそ、国民の八〇パーセントがサダムとバース党と政権を憎悪するようになった原因である。彼はサディストで、父親を政治的に破滅させた。

 アメリカ人について

 誰が彼らに信頼を寄せるだろうか。彼らはバカで、物事を理解できないし、アイデアもない。イラクのことをろくろく知らないし、知ろうとも思わない。彼らがやって来たのはイラクを解放するためでないし、石油というお目当てがあったからである。彼らは、私たちの状況を以前以上に悪くするためにやって来た。彼らは壊しただけで、それまであったものに替わるものを、何か持ってきたのだろうか。彼らが今から何か建ててくれるかって、、、、それならなぜ現在の混乱状態を改善しようとしないのだろうか。人々が街頭に出て、サダムのほうがよかったと叫ぶ日がくるかもしれない。米国人が出て行かないなら、いつか戦う。毎日2人殺せば、時がたつうちにけっこうな数になる。そうなると、彼らもとんでもない泥沼にはまり込んだことがわかるはずだ。彼らが連れて来た人たちは何もわかっていないので、イラク人に受け入れられる日など来ない。

 民主主義について
 
 私たちのほうにその用意ができていない。民主主義といっても時間がかかるもので、おそらく50年はかかると思う。私たちは民主主義を悪用すると思う。おちおち眠れない私たちに民主主義など、何の役に立つのか。イラクに実現して困るものの一つは、民主主義である。そんなものなど必要ない。私たちが必要とするのは、私たちを守ってくれる人で、それは独裁体制、それも穏やかな独裁者である。

 未来

 私たちの未来はとても暗い。私たちは身の危険を感じて不安で仕方がない。私たちは生き延びたい。社会はバラバラになってしまい、無法状態である。信頼できるものはどこにもない。イラク国民はいつか赦すかもしれないが、決して起こったことは忘れない。(ヴァルター・ゾンマーフェルト 2003年5月10日)

 美濃口さんにメールは mailto:Tan.Minoguchi@munich.netsurf.de

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