Yorozubampo
 
少年平和読本「侵略者の末路」
2002年03月03日(日)
国際平和協会 賀川 豊彦

 昔ロシアの或る田舎に一人の貧しい百姓が住んでいました。自分の所有地が少ししかないので「もつとたくさんの土地がほしいなあ」と言い暮らしていました。すると或る大地主がそれを聞いて『では、これから馬に乗つて、夜までの間に、ほしいと思う廣さの地面を廻つておいで。そうしたら、その地面をそつくりおまえにあげるから−−』といいました。百姓は大喜びで、さつそく馬に乗って出かけました。百姓は一坪でもよけいに地面をもらおうと思い、できるだけ遠廻りしてかけて行きました。昼が来ましたが、食事をする暇もおしく、先へ先へと進みました。気がつくと、太陽はいつのまにか地平線のかなたに沈もうとしています。けれども、もう少し、もう少しと思って、なお先へと進みました。おなかはペコペコ喉もからからです。日はとつぷりと暮れて道さえわからなくなりました。そこで百姓はあきらめて、帰途につきました。しかし、馬は疲れているので、いくら鞭を加えても走りません。百姓のように疲れてたおれそうです。けれども今夜中に家に帰りつかなければ、折角、慾張つて廣くしるしをつけて来たその地面ももらえません。それで、息たえだえの中から、鞭を馬にあてて家の方へとかけて行きました。そしてやつと家に帰りついて、やれやれと思うと同時にあまりの疲れのため、百姓の息はたえました。  この慾ばりの百姓は、一体どれほどの地面を大地主から貰つたのでしょうか、彼の得た地面というのは、自分のなきがらを埋める六尺にも足らぬ狭い地面だったのです。

 これはトルストイの童話にある有名な話ですが、これに似た事実物語をあなたは聞かなかつたでしょうか。野心満々の政治家や軍人が、領土をひろげ、権力慾を満足させようとして、周囲の弱い国々を侵略し、とうとう精根尽き果てて、一敗地にまみれ、自分のみか、国民全体を塗炭の苦しみに泣かせて、却つて旧来の領土をさえ狭めてしまつたという「イワンの馬鹿」を笑えない実例をあなたは実際に知つているはずです。

 世界歴史をひもといて見ても、そこにはたくさんのいわゆる英雄偉傑が、この童話の主人公と同じ運命を辿つているのを知ることができるでしょう。シーザー、ハンニバル、ナポレオン、近くはヒツトラー、ムツソリーニなど、みなそれです。シーザーの如きは、ガリヤを征服したのを手始めに、各地に侵略してローマの版図をひろげ、一時は飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、ブルタス、カシウスのためにローマの議事堂で刺し殺され、カルタゴのハンニバルも、古来屈指の名将とうたわれましたが、シピオの一戦に破れて国外に追われ、ローマ人に捕らわれるのを怖れて自ら毒を仰いで死にました。さらにナポレオンに至っては、西ヨーロッパをその馬蹄の下に蹂躙しましたが、慾張つてロシアに攻め入ろうとして成功せず、次いで、ウオターローの戦に敗れて世界征服の野望も空しく、セントヘレナの孤島に、配所の月を眺めつつさびしく生涯を終わりました。

こうして、侵略戦争の下手人たちの末路は古来きまっています。そして、この侵略者を出した国家は亡び、その国民は流浪することになるのです。国破れて山河あり、嘗ては世界歴史の上に輝かしい名をとどろかせたが、今はその後さえない国や、名はあつても昔の面影をとどめない国になど、あなたがたはその幾つかを知つているでしょう。ジヨルダンというアメリカの学者は「バビロン、アツシリアが亡び、ギリシヤ、ローマの亡んだのは、全くその国の国民が、戦争好きでこれ等の国の亡国は一つの退縮現象である」といつています。身のほどを考えずに膨れた風船玉がパチンと破裂して、しわくちやなゴムの破片を残すに過ぎないようなものです。

しかし、ひるがえつて考えて見ますと、遠い昔の戦争はとも角、近代の戦争は侵略者のせいのみとはいいきれなくなつているのではないでしようか。戦争の原因が、社会の進運に伴つて次第に複雑さを加えて来たからです。近隣の弱小国や未開国を侵略することには変わりはありませんが、その原因なり、目的なりが、単なる権力慾だけではなく、たとえば、人口が増加して自国の領土内だけでは食糧が不足になつて来たとか、工業生産の原料が、自国内だけでは自給できないとか、生産品を売り捌く新しい市場がほしいとか、そういつたいろいろの経済的原因などから、領土を拡張し、植民地を獲得しようとして戦争をしかけるものが多くなつて来たのです。

そうしたことは、その国としては立派に理由になりますが、暴力により領土や権益を奪われる側の国家としては、たまつたものではありません。しかし今日まで、弱小国、未開国と呼ばれた国々は、常に、強い国のためにこうして蚕食されて来たのでした。

今から百五十数年前(1798年)英国の経済学者マルサスは「人口論」という学説を唱え出しました。マルサスは「心臓というものは1から2,2から4、4から16という風に、等比級数で増加して行くが、食糧は1から2,2から3、3から4というように等差級数でしか増加しない。その結果、人口に比べて食糧が不足し、窮乏が生じ、疾病や犯罪が生まれ戦争さえ起つて、必然的にそこに、自然淘汰による人口の自制――自然的人口制限――が行われ後には婚姻の延期などによる道徳的抑制――道徳的人口抑制――が行われる」と説いたのです。(此処で間違わないでいただきたいのは、此頃、しきりに唱えられる産児制限は、このマルサスの説ではなく、新マルサス主義といわれるものです。マルサスの説が、自然的、同等的人口制限をいつているのに反し、新マルサス主義は理智的、人為的な人口抑制を説いているのです)つまり、人口は食糧の増加率を越えて増加するから、貧しい人たちの中からは栄養不調者を出したり、病気が増えたりして死ぬ者もふえ、また戦争が起つて多くの犠牲者を出し、自然淘汰によつて、人口と食糧のバランスが保たれるようになるというのです。 このマルサスの学説にかこつけて帝国主義者たちは、人口のハケ口と、食糧資源の供給地を求めて、他国へ侵略していくのです。近代の戦争はほとんどすべてがここに端を発しているといえましよう。

ではマルサスのいうように世界の食糧の供給能力はそんない微弱なのでしようか。マルサスの頃はそうだつたかもしれません。しかし諸科学が発達して、食糧生産の上に画期的進歩を見せつつある現代にあつては、それは杞憂にすぎないのです。現にコロンビア大学のラツセル・スミス教授のごときは「世界食糧資源論」(筆者の翻訳書が出ています)の中でこれを明言し、ただ人間が米や麦に偏しすぎるから費即するので、もし木の実を食べ、また山や海の動植物をもつと活用すれば、世界の人口がたとえ今の三倍になつても食糧は不足しないといつています。

なるほど、日本だけについて見ると、敗戦後は国土も狭くなつて、食糧の自給自足は困難でしよう。しかし、総面積の八割五分を占めている山を開き、これを活用して山丘農業を営み、栗、胡桃、どんぐり、椎等を植え、家畜を飼つて立体農業を行い、また周囲の海を牧場とし、太平洋に鯨を飼うぐらいの意気で食糧資源を開発して行けば、人口が二億、三億にふえても困ることはないでしよう。

印度の或る階級の者や瑞西の農民は、どんな貧しい者でも羊の一匹はつれているので、絶対に飢え死にすることはないといいます。またハワイにはアルガバといつて、一年に六回も花が咲き、一本の木から三十石もの果実がとれるという木があるのですが、こうしたものを飼育し、栽培したら、蛋白資源に困ることもなくなるのではないでしょうか。日本人はあまりに米食に偏しすぎます。満州の住民をごらんなさい。彼等は高粱や、小麦、ひえを食べていて、しかも日本人以上の健康を維持しています。日本人はもつと栄養学を勉強せねばなりません。他の自然科学では湯川博士のような人さえ出しているのに、栄養科学の普及しないのは残念です。もちろん、それでも自給のできない食糧は他から仰がなければなりませんが、現にソ連、カナダ、アメリカ、アルゼンチン、オーストラリア、アフリカ等では、むしろ食糧の生産過剰をかこつているほどですから、これらのあり余つた国から足りない国への食糧供給の道がつきさえすれば、戦争するには及ばないのです。戦争前の話ですが、アメリカのタトソンという社会学者は、世界で人口増加と資源の不足のため悩んでいるのは(1)イタリーを含む中部ヨーロッパ(2)印度地帯(3)日本を含む西太平洋地帯の三地帯で、他は困つていないから日本のために蘭印、ボルネオ、ニューギニア、佛印、豪州、フィリピンを開放してやれと主張していました。ところが日本軍閥はそれを待ち切れず、暴力によつて一気にこれを略取しようとしたため、とりかえしのつかぬハメに陥つてしまつたのでした。人間同士がお互いに愛し合い、助け合つて食糧の余つている国は足りない国にわかち与えあくまで平和な手段で世界の人々が共存共栄の実をあげて行くようにしたいものです。

帝政時代のドイツの皇后の侍医で有名な心臓の学者ニコライは、戦争に反対して獄につながれましたが、獄中で書いた「戦争の生物学」という書物で「動物が衰退に近づく時、その動物は必ず破壊的となつて戦争を好むものだ」といつておます。この人の説に誤りがなければ、人類もそろそろ終わりに近づいたことになりそうです。もし人類が衰滅したくなかつたら、世界中が戦争を放棄して、小鳥のように平和に、仲善くしなければなりません。蟻のように食べものをわかちあうようにせねばなりません。

日本は世界にさきがけで戦争を放棄しました。もうイワンの馬鹿のお話のような慾張りはコリゴリです。侵略戦争なんか桑原々々です。私たちは侵略者の末路を、いやというほど見せつけられたですから。(「世界国家」昭和25年5月号)


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